2017/06/18:コナリー25作目。帯にはデビュー20周年記念作とある。「ナイトホークス」がでたのが1992年だったのに対して本作が2012年に出されたのでちょうど20周年なのだそうで、つまり現在は既に25周年を迎えておりシリーズはいよいよ四半世紀続いたことになっている。
すごい話だ。「ナイトホークス」は日本でも1992年に出ていて、僕は直ぐにこれを読んでる。そしてすごく面白かったので、僕の父親なんかにも勧めたりしてたと思う。僕の父もコナリーの本はかなり読んでいるんじゃないだろうか。
また25冊目ということだけどもこれらデビュー以来、一年開けることなく続編を出し続けてきて、なかには何度か一年に二冊だした年があって、それで25冊なんだそうだ。
直近では2011年「証言拒否」と「転落の街」、そしてなんと今年2017年にも二冊でている!のである。どうやって書いているのか解りませんが、こんだけ面白い本を立て続けに書いているというのはほんとにすごいことだとおもう。
そしていろいろ事情もあるのだろうけども、日本での出版はどんどん水を空けられてきている次第です。古澤さん頑張れ!!
一方で僕としては少なくともあと六作も楽しみに待っている本があるというのも幸せなことでもある。もちろんコナリーには末長く頑張って欲しいと思う。
ということで本書は記念すべき一冊ということでコナリーも普段以上に力を込めた仕上がりを目指してきたはず。これが面白くなかろう訳がない。
高まる期待を胸に本書を開くとそこは1992年ロス暴動の最中に放り込まれる。この展開だけで僕はもう胸がいっぱいでした。
若き日のボッシュは荒れ狂う街の中で起こった殺人事件の現場から現場へと護衛付きのパトカーで渡り歩き状況と時間の許す限りの捜査を行っていた。ほとんどの場合状況は荒れ果て時間はあってもごく僅かだった。
死体が路地で発見されたという通報で駆けつけた彼らを待っていたのは白人女性の射殺死体だった。彼女の死に場所として、ギャング団が抗争を繰り返しているこの暴動の街の路地はあまりにも場違いだった。しかし調べると彼女は外国のジャーナリストだった。
暴動を取材するために街にやってきて巻き込まれてしまったのだろうか。
事件は暴動収束後特捜班が組織されボッシュの手を離れて捜査が行われたが、犯人逮捕には至らなかった。
ロス市警は暴動から20周年になることを記念し、当時の未解決事件に光を当てるという方針を打ち出したことで、事件はボッシュの手に再びやってきたのだった。
ボッシュは果たして事件を解決することができるのか。
当然のように読者の予測を良い意味で裏切る怒涛の疾走感と急展開は・・・いやいやこれ以上は書けない。言えません。前作もすごかったけども、僕はこっちの方が好きかもー。
「正義の弧」のレビューは
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「ダーク・アワーズ」のレビューは
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「潔白の法則」のレビューは
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「警告」のレビューは
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「ザ・ポエット」のレビューは
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「鬼火」のレビューは
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「素晴らしき世界」のレビューは
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「汚名」のレビューは
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「レイトショー」のレビューは
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「訣別」のレビューは
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「燃える部屋」のレビューは
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「罪責の神々」のレビューは
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「ブラックボックス 」のレビューは
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「転落の街のレビューは
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「証言拒否のレビューは
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「判決破棄」のレビューは
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「ナイン・ドラゴンズ」のレビューは
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「スケアクロウ」のレビューは
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「真鍮の評決」のレビューは
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「死角 オーバールック」のレビューは
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「エコー・パーク」のレビューは
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「リンカーン弁護士」のレビューは
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「天使と罪の街」のレビューは
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「終結者たち」のレビューは
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「暗く聖なる夜」のレビューは
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「チェイシング・リリー」のレビューは
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「シティ・オブ・ボーンズ」のレビューは
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「夜より暗き闇」のレビューは
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「夜より暗き闇」のレビュー(書き直し)は
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「バット・ラック・ムーン」のレビューは
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「わが心臓の痛み」のレビューは
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「エンジェルズ・フライト」のレビューは
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「トランク・ミュージック」のレビューは
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「ラスト・コヨーテ」のレビューは
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「ブラック・ハート」のレビューは
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「ブラック・アイス」のレビューは
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「ナイト・ホークス」のレビューは
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「トッド 自身を語る」
エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)
2018/06/18:「家族システムの起源」、どこまで理解できているのか甚だ心許ない自分ではあるものの、とても興味深く読ませて頂きました。
また言い方としては余りにアレだが、フランス語の本はなんだか必要以上にややこしくて読みにくいものが多くて、これは書き手の言い回しなのか、訳者のクセなのか、判らないけどくどくどもつれている感じをよく覚えるのだけれども、トッドの本にはそうした面倒くさいところがほとんどない。
といいつつトッドの本はすごく難しいので、自分でも何を言っているのかという感じだが、それでも読みやすい、これは訳者の石崎晴己氏の知力と深い読解によるものなのではないかと思っております。
本書は石崎氏を中心としたトッドの研究に精通した方々とのインタビューを中核とした本で、日本でのみだされているものなのでした。その本の見開きにはこんな事が書かれていた。
日本は、私の生活のなかで、これまで予想もされなかった位置を占めるようになったのである。
「家族システムの起源」でも日本のことは大きく取り上げられていた。しかしそれはあくまで研究対象としての日本であって、データを中心としたものであった。そのトッドは日本とどんな関係を持ったというのだろう。
これは興味津々。しかし読み進んで愕然としました。トッドは日本に来ていた。それも震災直後の東北地方、青森から相馬の被災地に向けて取材の旅にでていたのである。
アルンダディ・ロイに続いてトッドもあの頃のあの空の下、こんなにも近くに来ていたなんて、知らなかったという残念さと勝手だけど彼らに対する縁と親近感を覚えるのだ。
被災して家族が欠落した後、地域が家族を代替するように機能したかどうかは、その地域の経済力にも大卒比率にも拠らないのです。釜石の場合は、「鉄の結束」がありました。同じく製鉄所がある北九州市との「兄弟のつながり」で、瓦礫の分別の技術提供をする市職員がたくさん来ていました。産業や地域が担う擬似的な家族、兄弟関係が顔をだすのです。
東日本大震災という未曽有の災害によって普段の人間関係、社外関係が崩れてしまった場所において、その地域の人たちの根底に埋め込まれている価値観、本性というものがむき出しになっていく。トッドはこの悲壮な状況のなかで支え合い、助け合っていく日本人の姿を世界的にみても例外的な素晴らしい美徳を持っていると賞賛してくれていた。
そしてまたその日本に走る一つの分断。それは核の問題だと喝破する。
日本は完璧な国で、完璧に秩序立ち、万事が上手く行っている国ですが、核の問題に取り組むとなると、理性に反し、論理に反し、効率性に反することが、出てきます。人から聞いた話ですが、福島原発への交通路も、やはりあまり良くはなかったということです。日本人が己の製造物すべてに込めている完璧性、知性は、原発の総体には届いていなかったと言う印象があります。
鋭い。しかし震災復興もだいぶ進んだ今を改めて思うに、沖縄の基地問題、共謀罪、憲法改正、自衛隊など、理性に反し、倫理に反し、効率性に反して日本人の持っている完璧性や知性が届かない問題はたくさんあって、これは日本人をいくつかの塊に分断するもので、縦横に走るこの分断がさらには、政治や政府や国家運営の理性や論理や効率性を毀損していっていると思うのであります。
本書は薄めですがとてもさらりと読み進める類の読み物ではありませんでした。読みどころは他にも多々ある訳です。日本についてのお話同様他の国々についても手が切れるかと思うような鋭さでその本質に迫っていく訳です。「家族システムの起源」、未読で読もうかどうしようか考えている人は是非こちらから入ってみるというのは如何かと思います。
なかでも特に日本にとって影響の大きなところを少し。
まずは中国
日本は、階層序列的な文化があり、平等の観念にそれほど執着しません。中国は平等にこだわります。家族構造は平等主義的です。彼らは中国革命を成し遂げました。ですから不安定な行動の可能性が喚起されます。それに現在の対外政策に関する中国の態度は、やはりとても不安を抱かせます。ですからポジティブな点もありますが、どちらかと言うと、基本的には不安の方に私は傾かざるを得ません。
人口統計学者は、中国に関して懐疑的です。中国の出生率は、急速に低下しました。人口統計学者は、中国には、人口ボーナスの時期と呼ばれる、人口統計学的に好適な時期があったということを知っています。つまり、依存者がきわめて少ない時期、老人が少なく、子供も少なく、膨大な労働人口があった時期です。いまやこの局面は終わりつつあり、中国の人口は、史上未曽有の速さで高齢化し始めます。
平均サイズの国なら、その衰退なり危機なりを移民の導入によって調節することを考えることもできましょう。しかし、人口13億の国の人口の不均衡などというものは、前代未聞です。中国の均衡を取り戻すことはだれにもできません。ですから私は、すべての人口統計学者野用に、いささか懐疑的であるわけです。その点を別にしても中国のテイクオフで驚くべき点は、たしかに経済はまことに賢明なやり方で自由化されましたが、中国の経済的テイクオフを決定した人たちというのは、中国共産党の人たちではなく、西側多国籍企業の経営者たちだという点です。ですから私は、中国共産党が素晴らしい計画を持っているという考えは信じられません。とりわけ、国内総生産の40%から50%という投資率は、スターリン時代のロシアの過剰投資を連想させる、共産主義のよくある例のお話を思わせます。
そして勿論アメリカ。
安定して、より好感の持てる、より寛容な、ものとなっていく社会、これがフランスや日本にとって必要なアメリカなのです。あまり強大すぎず、寛容で、再び理性を取り戻すアメリカ、です。私がイランとの交渉が非常に象徴的な価値を持つと考えるのは、そのためです。これを受け入れたのは、均衡の取れた世界像に立ち戻り、差異を受け入れるアメリカなのです。それはフランス人にとっても、日本人にとってもきわめて重要だと思います。日本にとっての根本的な問題というのはアメリカは必要な同盟国であるが、日本には重要な文化がありますので、文化的差異に対するアメリカの不寛容は耐え難い、ということです。アメリカが差異に対して寛容であることは、日本にとっては枢要の要件なのです。
トランプ政権はこれまでに見たことのないほどアメリカの国家運営を迷走させているが、やっていることを抽象化すると安倍政権がやっていることと一緒だ。海外に敵を作り上げて世間の目をそらして実権を握り、民意を操作しているのである。それは中国も韓国も北朝鮮もフィリピンも一緒だ。
ローマ帝国の時代以前から使い古された手法なのでそんな事を言ったらみんな一緒だとなるのかもしれない。しかし昔の国の持っていた権力や軍事力、人々の格差もずっとずっと小さかったのだ。桁違いの力と富を集約している一部の人たちに稚拙な運営をさせて任せていることが問題なのです。
「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」のレビューは
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「デモクラシー以後」のレビューは
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「家族システムの起源
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「トッド 自身を語る」のレビューは
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「パンデミック以後」のレビューは
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2017/06/04:自動運転の車、もちろん現時点では極々部分的ではあるものの、が実際に売りにだされてきたことに激しく違和感があった。
自動運転の車を買うのかと。
ならタクシーに乗ればいいんじゃないかと。
環境から100万もの事柄を読み取って1秒で処理するグーグル社のインテリジェント・カーの登場で、われわれはこの教訓を再び学びつつある。人間が行う非常に知的な事柄の多くは、実際には脳を必要としないのだ。高度に訓練された専門家による知的能力も、運転手の左折同様、もはやオートメーションの手から逃れることができない。その証拠は至る所にある。あらゆる種類の創造的作業が、ソフトウェアによって媒介されつつあるのだ。
車に乗るのは移動手段としてとなる訳だけど、自分の車を持つのは自分で運転する自分の車を所有したいからなんじゃないかと思うからだ。
そうは言っても、そもそもが「自動」車であって、それが更にギヤがマニュアルからオートマチックになり、オートクルーズが付き、縦列駐車が自動化されてきた流れから見て完全な自動運転が登場してくるのは世の中の趨勢なのだろう。
商業車を自動化したいと企業が考えるのは当然とさえ言える。だって寝ないし、交通違反だって設定次第では絶対しないようにできるだろう。アホみたいな自損はしないと思うけども、事故が完全に防げるとは思わない。
周りを走る車の多くが自動運転の車になってきた時点で運転する楽しみはおそらく霧消するだろう。
見通しのよい直線でも、点滅しかけた信号の手前でもアクセルを踏まない車の合間でドライビングテクニックを実感するような運転をすること自体が難しくなるだろうからだ。
どんなに渋滞してもイライラしないクルマに挟まれて平常心でいられるドライバーはもはやロボットと一緒とも言える。
高齢化が進む僕の住む街では、淡々とマイペースで走り続けるロボットのような運転をしているクルマによく出会うけれども、前につかれた日にはもどかしさも極まりクルマを降りて歩いて行こうかと思うほどだ。高速道路であくまで制限速度を守り続けるトレーラートラックの車列にも同じ思いを抱くのは僕だけではないはずだ。
恐らくは会社のルールと監視システムに縛られた結果そのような運転を強いられている職業ドライバーの方々は本当にお気の毒である。そもそも単なる移動手段としてのクルマと自分自身が運転することとは事の本質が違うと思う。
一方で交通事故は後を絶たず、犠牲になる人の命や経済損失を考えると人間にそんな危険なものを扱わせるのをやめるべきだ的な議論が持ち上がるということも理解できる。
では普段なんでもない直線道路の運転を自動化し運転の負荷を軽減させるとか、咄嗟の際の回避行動をドライバーから奪って機械がやればいいのかというところにも深い議論が必要だ。
旅客機の設計思想はメーカーによって違いがあるのだという。エアバスは前者、パイロットの関与を極力排除し操縦という行為からパイロットをどんどん遠ざける方向に進めていたのだそうだ。
結果操縦時間は減り、操縦という実感を伴う感覚は鈍り、緊急時に不適切な操作をしてしまって墜落するような事態を生んだのだという。
飛行機は知らないけどもクルマやバイクを扱う楽しみというものはやはり自分の思い通りに操作しこれを乗りこなしているという実感が得られる瞬間を味わっている部分にこそあると思う。こうしたことは「禅とオートバイ」でも沢山書いた気がするので割愛する。
ロッククライマーから外科医、ピアニストに至るまで、「ある活動に深い喜びを恒常的に見いだす」人々は、「体系づけられた難題のセットと、それに対応するスキルのセットが、最適な経験を生み出すことの例証である」とミハイ・チクセントミハイは述べる。彼らが従事する仕事や趣味は「豊かな行動機会を与えて」くれるのであり、一方、自分が開発したスキルのおかげで彼らは、この機会を最大限に活用することができる。世界のなかで自信を持って行動できる能力は、われわれをみな芸術家にしてくれる。
著者のこのような記述に激しく同意する人は多いと思う。しかし近年、飛行機、自動車のような例同様、人間の仕事は猛烈な勢いで機械化、特にコンピューターの性能向上に伴い領域を狭めその関係性自体も大きく変更されてきた。
それは工場でも医療でも企業のオフィスでも唖然とするスピードで現場の仕事を変えてきた。僕の会社も入社した30年前は机にあるのは電話とノートと鉛筆という感じだったし、表計算なるものがなんたるものかを理解しているひとは恐らく殆どいなかったはずだ。それがあっという間にディスプレイが机の正面に鎮座し、これがないと仕事が何も進まない、進まないから一日これを眺めて過ごすというような仕事の仕方に変わったし、表計算、エクセルを使えないなんていうことはどうやって仕事をしているのか「理解不能」な状況へと変化してきた。
人類は何千年にもわたり、巻物から書物、マイクロフィッシュ、磁気テープに至るまで、様々な保存テクノロジーによって生物学的記憶を補ってきた。情報を記録し、分配するツールが、文明を支えている。だが、外部に保存することと生物学に記憶することとは同じではない。知識には、物事を調べる以上のことが含まれている。事実や経験を、個人的記憶のなかでエンコードする必要があるのだ。何かを真に知るためには、それを神経回路のなかに織り込み、そののち繰り返し記憶から引き出しては、新たに使用せねばならない。サーチエンジンなどのオンライン・リソースの登場により、われわれは情報の保存と引き出しを、以前には考えられなかったほど自動化してしまった。記憶作業を減らして外部化しようとする、生得的にさえ見えるわれわれの脳の傾向は、いくつかの点でわれわれを、より効率的に思考できる存在にしている。記憶から滑り落ちた事実もすぐに呼び出すことができる。だが、知的労働のオートメーション化が、記憶や理解の作業の回避をあまりにも容易にしてしまった場合、この同じ傾向は病的なものになりうる。
結果は恐らく30年前の「仕事ができる人」と現代のそれとは恐らく違う才能をもった人を指すことになっているということだ。
そして今僕は営業職を離れて久しく、業務企画、運用設計、システム化が専門と臆面もなく言える立場で仕事をしている。
システム化すると職人芸的な仕事をしてきた人たちを脇に追いやってしまうことを、こんな仕事を始めた当初から気づいていた。
自動化するとこれまでその専門性を誇りに仕事をしてきた人たちのプレゼンスを奪ってしまう。その一方で彼らの専門性を支えていた業務知識やスキル以上のものがその集団から失われていくということにも。
どこを自動化してどこを人間に残すべきなのか。ここには深い哲学があって、僕もいろいろなところで勉強したし、悩んできた。
ドナルド・ノーマンの「だれのためのシステム?」も忘れられない一冊でありました。
「社会は、機械中心志向の生活へと意図せずはまりこんでしまった。その志向性は、人間のニーズよりもテクノロジーのニーズを強調し、それゆえ人間をサポート役所へと追いやるものであり、われわれが最も向いていないものである。さらに悪い事に、機械中心の見方は人間を機械と比較し、われわれを欠けている存在、正確な反復的行為ができない存在だと見なす」。いまや「社会に広まっている」にもかかわらず、この見方は、われわれ自身についてのわれわれの感覚をゆがませる。「われわれかをやるべきでないタスクと活動を強調し、われわれの本源的なスキルと属性─仮に機械が行っても上手くできないだろう活動─を無視する。機械中心の見方を取れば、物事を人工的な、機械的な利害から判断することになる」。
業務知識やスキルを磨きチームの能力を高めつつ、省力化効率性を高めるためにシステムを作り、手を加えていくという企画を進めていける人を育てるというのが今の僕の仕事になりつつあるのだけれども、自分自身ちゃんとできているかどうかよく判らない領域。
社会人人生として残された時間はあまりに短く、果たしてそんなことができるのだろうかと果てしなく心配だ。
しかしこうした悩みを抱えて励む毎日の仕事はとてもやりがいがある他にはない面白い仕事だったりするのである。
その瞬間に従事していた活動や直面していた課題、使用していたスキルを記述し、その時の心理状態を、やる気、没頭度、創造性などの点から簡潔に述べるのである。チクセントミハイが「経験サンプリング」と命名したこの手法の意図は、仕事中やオフのときに人々がどのように時間を使うか、そしてその活動が彼らの「経験の質」にどんな影響を与えるかを知ることだった。
結果は驚くべきものだった。人々は余暇のときよりも労働中のほうが、自分のしていることに満足し、より幸福な気持ちでいたのである。自由な時間のときは、退屈し、不安を感じる傾向にあった。けれども労働を好きなわけではなかった。仕事中は休みたいという強い欲求を表し、オフの間は、いちばんしたくないことは仕事に戻ることだと感じていた。「余暇中よりも労働中のほうがはるかにポジティブな感情を持っているのに、なお人々は、余暇中ではなか労働中に「なにか別のことをしたい」と述べるという、パラドキシカルな状況が存在している」
仕事って、休みたい、仕事に戻りたくないと思うくらいに忙しくてややこしくて難しくないとだめなんだというのが本質なんでしょう。きっと。
示唆に富んだ一冊出会って良かった本でした。
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2017/05/21:ル・カレの自叙伝。まさかこんな本がでてくるとは思いもよりませんでした。なぜなら、彼の経歴の中でも中核をなす諜報機関での事については、フィクションでは書けても、ノンフィクションとしては書けないだろうと思っていたからだ。しかし、今回ル・カレは実際にこうした機関に勤めていたことをはっきり明言しているばかりか、その時の出来事にも触れているらしいのだ。そして正にこれを読まずしてどーする。もちろん何をさておいても飛びつきました。
最初の出会いはもちろん「寒い国から帰ってきたスパイ」だった。まだ中学生だった僕は多分半分も理解できていなかったに違いない。勿論。でも何故かこのエスピオナージュと呼ばれる世界観が素晴らしく気に入りどっぷりと浸かる歳月を過ごすことになったのでありました。
ル・カレの本は僕の人生に散りばめられた、美しい読書体験という宝石なのだ。
ル・カレの小説に登場するまるで実在の人のような深みと広がりを持ったキャラクターは果たしてどのように生み出されてきたのか。
深い余韻を残すあの印象的な場面の数々は如何にして生み出されてきたのか。
ル・カレ自身は一体どんな人生を歩んできたのか。
読み終える前に早くも僕に取って読みどころ満載な一冊。いつでも読み返せるように座右の一冊に追加であります。
まずは若き日のル・カレが赴任先したボンでのお話。
この問題をうまく表現した、当時の西ドイツ首相コンラート・アデナウアーのことばがある1949年の西ドイツ誕生から1963年まで首相を務め、″老人″の渾名で呼ばれた彼は、「汚い水であっても、きれいな水がない限り捨てることはできない」と言った。これは、国家安全保障などの多くの分野で隠然たる力を発揮した。ハンス・ヨーゼフ・マリア・グロプケ博士を暗に指した発言と広くとらえられている。ナチスの基準からしても、グロプケの経歴は印象深かった。ヒトラーが権力を握る前から、プロセイン政府のために反ユダヤ人法を起草して頭角を表していたのだ。
新たなる総統が生まれて二年後、グロプケはニュルンベルク法を起草し、すべてのユダヤ人のドイツ人国籍を剥奪し、識別しやすいように名前に″サラ″または″イスラエル″を含めることを義務づけた。ユダヤ人と結婚した非ユダヤ人は離婚を命じられた。グロプケは、ナチスでユダヤ人問題を担当したアドルフ・アイヒマンのもとで、新たに″ドイツ人の血と名誉を守るための法律″を起草したが、これがホロコーストの先触れとなった。
同時に、おそらく熱心なカトリック信者だったために、グロプケは反ナチスを掲げる右翼のレジスタンス集団にも接近し、彼らがヒトラーを追放した折には、新政府の高官として迎えられるという保険もかけていた。戦後、連合国がグロプケを積極的に訴追しなかった理由は、このあたりにあるのかもしれない。グロプケは難を逃れ、アデナウアーは彼を側近に迎え入れて、イギリスもそれに反対しなかった。
そして戦後からまだ六年、西ドイツ建国から二年の1951年、ハンス・グロプケ博士は、以前からドイツの同僚のために、いまなお信じられない衝撃的な法律を成立させた。グロプケの新法と呼ぶことにするが、これによって、ヒトラー時代に逃れようのない事情で仕事を追われた公務員は、第二次世界大戦が起きないか、ドイツが勝っていれば享受できた給与の差額分や未払い分、年金受給権を全額補償された。言い換えれば、連合国の勝利がなければ得ていた職業上の地位を完全に回復したのだ。効果はすぐに現れた。かつてのナチスの上層部は割のいい仕事にしがみつき、それほど汚れていないわかい世代は苦しい生活に追いやられた。
僕とは大きく世代が異なることもあるだろう。勿論。しかし、現実が予想以上に複雑な事をこの歳になっても拭えないでいる自分とはそもそもの素地が違うとしかいいようがない。
ドイツを敗戦国として日本と同じような道を歩んできたように見ていたのだけれども、この唖然とするような史実は一体何なのだろう。欺瞞と偽善が戦後直後のドイツでまかり通っていたとは。そしてそれを知らずにいる自分。果たして日本の政治はどうだったのだろうかというような脱線を余儀なくされるような内容だ。
ル・カレは自身の鋭い洞察と優れた正義感のなかで厳しい現実の世界を目の当たりにしてきた。そしてそのセンスは幼少の頃からの生い立ちに起因していることが明らかになっていく。
なるほど。そういうことがあったのか。
そしてまた世界を股にかけて取材に歩むル・カレの前に現れる人々。彼らの壮絶な生き様、善であれ悪であれ、は強烈な印象を放ち、それはル・カレの小説のなかに蘇っていた。
また昔の本からちゃんと読んでみたくなる本でありました。素晴らしいの一言であります。
「シルバービュー荘にて」のレビューは
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2017/05/03:さてゴールデンウィークの真っ只中を漂流しております。4月はあっという間に過ぎ去り、老眼鏡が一段進み、再開した自転車がたたったのか脹脛が肉離れの気配をかもし出しておりバンテージを巻いて恐る恐る自転車に乗る日々を過ごしています。どこに行くわけでもなく仕事も少ししてますがまあまあお休みを満喫しています。
人類の旅を巡る読書体験の原点ではないかと思われるブライアン・フェイガンの本にまるで遠い彗星のように忘れた頃に接近していく自分がいる。
人類はいつ頃どんな動機でどんな方法で海を渡ったのか。航海術とか船の道具といったものは痕跡が残らず証拠があつまりにくいためその原初を探るのは困難を極める。それでも我々は知りたいと思う。彼らの前には何が見えていて、背後にはどんな事情があったのだろうか。
船乗りにとって、ミクロネシアほど難題の多い海はなかった。ミクロネシアは低い環礁や水深の浅いサンゴ礁が点在する、広大な海の砂漠とも言える海域だ。それでも、ピアイルックのようなミクロネシアの航法師は、小さい島を次々に苦もなく見つける。彼らはそうせざるをえない。カロリン諸島は陸地が五分の一以下で、残りは広大な海だからだ。240キロにわたる沖乗り航海が日常的に、計器など何一つもたずに行われる。海にでたら、航法師は自分が向かう方向と、それまで航行してきた距離を判断しなければならない。カロリン諸島のカヌーは、かならず風上に位置する島の緯度まで航行し、島を東に見ながらやや風上にでるように心がけることにルイスは気づいた。この戦略は、古代スカンディナヴィア人などが利用した緯度航法とどことなく似通っている。すなわち、目的地の島の天頂にある星の緯度を目指して進み、それからその緯度沿いに追い風に乗って進んで陸地に近づく方法だ。カロリン諸島の航法師はそれぞれの島の天頂を通過するのがどの星であるかを知っている。したがって、知らない海域を探検するときは、いつでも引き返せることを知りながら風上に向かって進み、天頂の星を使って故郷に戻るのだ。彼らは一種の星座コンパスも使っていた。北極星、南十字星の五つの位置と十三の星座に基づくものだ。星の方角はコンパスの三十二方位を定めていた。航法師はみな、それぞれの方角にある一連の島を定期的に訪問した。航法師にとって星の変化は見慣れた光景であり、方角を知るためにそれぞれの星座の出現および没入の地点を利用していたのである。
しかしこれが難しい。船の操縦や航海術に全く知識がなく、一方のフェイガンは筋金入りの船乗りらしく当たり前と思って書いていることが僕にはさっぱり理解できない。星を使って自分の位置を知ろうとしているということはぼんやりわかるのだけども、目的地の天頂にある動かない星?赤道付近で動かない星とはどういうことなのか。時間とともに動いていく星と移動を続ける自分、そもそも夜でないと星の位置がわからないのになんでどうやってというところで激しく躓き本書の肝心なところに集中できない。
そんなこんなで読了して記事をまとめようかとおもった矢先にこんなニュースが飛び込んできた。
米大陸に人類到達は13万年前? 北米大陸での人類の存在を示すものとしてこれまで確認された最古の痕跡は、約1万5000年前の現生人類ホモ・サピエンスのもので、おそらくシベリア(Siberia)からアラスカ(Alaska)へと陸伝いまたは海岸沿いに渡ったとされている。
サンディエゴの発掘現場で人骨は見つかっておらず、マストドンを狩猟した人類の種類や、いつどのように米大陸に到着したのかをめぐる大きな謎を生んでいる。
ただ、これが私たちと同じ現生人類だった可能性は、ほぼ問題なく除外できる。ホモ・サピエンスは約8万~10万年前までアフリカ外に広まらなかったとされているからだ。
だが13万年前のユーラシア大陸には数種の人類が存在しており、候補の幅は広いままだと研究チームは指摘している。その中には、最古の痕跡が200万年前にさかのぼるホモ・エレクトスや、約4万年前に絶滅したネアンデルタール人、現代のオーストラリア先住民の中に血筋を残すデニソワ人と呼ばれる謎の人類が含まれる。
研究チームは比較分析の結果として、間氷期にあった13万年前は温暖化により海面が上昇していたものの、米大陸への海上移動距離は当時の人類の能力の範囲内だったと結論している。
研究チームはまた、サンディエゴの発掘現場でマストドンの骨に痕跡を残した原始人類はおそらくその後絶滅し、現代の北米人には遺伝的痕跡は残さなかったと推測している。【翻訳編集】
AFPBB News
つまり定説の1万5000年前を遥かに遡る13万年前に船で人類は米大陸に到達していたというのである。なんとなんと。
航海術を一つも理解できず、おそらく帆船に乗ってもどこにも移動できない自分と13万年前に米大陸に渡った人々。なんか自分よりも彼らの方がずっと優れている気がする。
決して楽な旅ではなかったと思うが、ただただ辛いばかりのものでもなかったのではないだろうか?腹を抱えて笑うような出来事や大切な人と愛を感じる時間だってあったのではないかと思いたい。
フェイガンが書いていたことでいつも思い出すのは小さなヨットをひっくり返すような波は頻繁に起こるがこのような波に大型のタンカーはびくともしない。一方でそんな巨大タンカーを一撃でへし折るような巨大な波も稀に発生する。そのときに起こる被害は甚大で壊滅的だがこのような波をヨットは無事切り抜けるのだという話。
稀で巨大な災害に規模で対抗しようとするとこのようなコンフリクトが生じてしまうことが避けられないという訳だ。
13万年前からほそぼそと自然の力を利用して生き延びてきた人類はここ数千年で急速に集団規模も防衛力も比較級数的に大きくなってきたが、それ自体に自覚がない。知恵も技術も格段に進歩したけれど、ひとりひとりの我々は昔の人以下に無力になっている。
大きな波がやってきたときにどうなるのかは、明らかじゃないか。
有史以前のホメーロスの時代よりずっと前から、ギリシャ人は口伝えに受け継がれた航路案内を表す言葉をつくっていた。「ペリプルス」、すなわち海岸や島をめぐる旅という意味である。ペリプルスは記憶術にも似た暗唱として始まり、父から息子へと受け継がれ、身をもって味わった体験がそこに加わった。何千年ものちに、その一部が文字に書き記された。最もよく知られているのが『エリュトゥラー海案内記』という、一世紀ごろに書かれたインド洋の案内書である。そのころには、このような書物のジャンルは馴染み深いものになっていたが、もっと古い時代の航路案内に関しては、ほんのときおり垣間見られるだけだ。ホメーロスは、とくに『オデュッセイア』で数ヶ月ながら、船乗りの航法伝承を明らかに引用している。オデュッセイアをイタケに上陸させるためにパイエケス人が用いた航路案内がその一例だ。
海岸沿いには深い海の老神に因み、ポルキュースと呼ばれる港がある。 突き出した二つの岬は海の方へ急に曲がっているが、 入江の方向には穏やかに傾斜する。
外海の強風によって立った大波は岬で砕かれ、 そのため港内の船は、係留できる距離まで岸に近づけば、 もやい綱で係留することなく停泊できる。
フロンティアな精神は本来自分自身の知力と力と技術で新しい世界を切り開いていくことでこの遥か昔の人々は正にそれを体現していたのだろう。
海に漕ぎ出した僕らの祖先たちは自分たちの叡智と能力と強い信念を持っていたに違いない。
無線もGPSも内燃機関による推進力もコンピューターも合って当たり前な暮らしをしている今の我々には足元にも及ばない高い精神性と圧倒的な「生」に対する実感を持って生きていたのではないだろうか?
「千年前の人類を襲った大温暖化
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「水と人類の一万年」のレビューは
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「ナイルの略奪」のレビューは
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2017/04/16:
ある時期、夜毎の私の夢によって現れていた大小様々な四角形の集合は、時に立体となり、直線状となりながら、互いに交わり合って渾然としていた。夢の終わりになると、それらは集合して大きな立方体となるが、またすぐに破裂して、小さなたくさんの立方体となって暗黒の空間に漂う。
夢のシーンは抽象的で美しい。大小様々な立方体は、星雲のように宇宙空間を自在に漂泊し、互いに結びつき、そしてまた分裂するという無限の循環をくりかえす。
数学が不得意な私は、これがうまく理解できなかった。人物もストーリーもなく、幾何学的で抽象的な図案だけに支配されるこの夢は、私本来の施行スタイルとは全く異なるものだった。
この冒頭の一文に引き込まれた。図形の夢?僕が覚えている夢というか、は唯一、幼い頃にインフルエンザで寝こんだ時のものだ。
気がつくと図形というよりもギザギザの波形がわしわしと動いている光景が視野いっぱいに広がっていた。目が覚めても目の前から消えてくれず布団のなかから両親の助けを呼んだのだった。どこからどこまでが夢なのか。抽象的な図案だけの夢を冷静に見ていられるなんて芸術家は出来が違うのだろうか。なんて事を考えていたら、ついでに思い出したのがウルトラマンにでてきた宇宙怪獣「ダダ」だ。
僕はこれがテレビにでてきた時に走って逃げ出したくらいに恐ろしいと思ったのだけど、これはダダの身体に走っている線が正にその夢にでてきた光景そのものだったからだったのだ。
あーまた関係のない話にだらだらと脱線してます。
著者の范毅舜の事は全く知らなかったのだけどハッセルブラッドから優れた写真家として選ばれたり、ライカの本社で中国系では初の個展を開いたりした人なのだそうで、確かに上手い。本書のように写真に文章を添えた形で何冊も出版しているようだ。
そして今回のテーマはル・コルビュジエが設計したラ・トゥーレット修道院だ。この修道院はローマカトリック教会に属するドミニコ会のものだが、コルビュジエは実は無神論者であったのだそうだ。
何故ドミニコ会は無神論者に設計を委託することになったのか。また無神論者であるコルビジュエはこの依頼を受けたのだろうか。
生前コルビジュエは自分が死んだらラ・トゥーレットに遺体を安置するよう遺言し、事実その遺言は成就されたらしい。
僕らは少しずつ明らかになっていくこのラ・トゥーレットの修道院の建築の光景と投げ出された謎をたどる文章を平行して読み進んでいく。面白い。素晴らしい。
近代史研究者は、第一バチカン公会議から1世紀後に開かれた第二バチカン公会議を、ヨーロッパのキリスト教で、宗教改革以降最大の事件だとしている。これが結果的にローマカトリック教会を中世から現代に引きずり出すことになった。伝統をあえて覆すべくこの公会議を開催したのは、教皇に選ばれたばかりのヨハネ二三世だった。平凡な容姿、貧農の出身で、在位期間も四年七ヶ月に過ぎなかったが、彼は近代になって最も敬愛された教皇だった。ユダヤ教徒や妃キリスト教徒からも「善良なる教皇ヨハネ」と尊称された。
この予想外の改革者の教皇のもとで、化石化していたドミニコ会は芸術の先駆者たちに教会設計を依頼し組織の蘇りを図ったのだという。
そんななか自らも美術の造詣が皮脂に深かったアラン・クチュリエという修道士は、伝統をおもんばかる旧態依然とした権利者たちと対立しながら革新的な芸術家たちにオファーをかけて新しい教会建築を実現していったのだという。
写真はどれも素晴らしい。このラ・トゥーレットの建築に至る歴史も大変興味深い。
しかし文章は後半徐々に失速していく。意外に底が浅いところが見えてくると嫌みな部分に目が向いてしまう。
僕らの好奇心を惹起しておきながらそれに応えようとしていないところも不親切だ。
何よりコルビュジエの心象に全く迫らないのはどうした訳なのか。なんとも消化不良のまま本はお終いまで行ってしまう。前半の出来があまりにも良かったのでこの後半の残念感はちょっと大きめでした。
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