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レッド・プラトーン-14時間の死闘 (Red Platoon A TRUE STORY OF AMERICAN VALOR)
クリントン・ロメシャ(CLINTON ROMESHA)


2018/03/25:アフガニスタンに派兵したアメリカが直面したのは、ソ連やアレキサンダー大王も苦戦したヌーリスタン州のパキスタン国境に跨がる急峻な山地に複雑に走る狭隘な道を使って抵抗するムジャヒディンの存在だった。

2006年このムジャヒディンに対抗すべくこの山岳地帯に突出し前哨基地を築くマウンテンライオン作戦が展開された。

その一つで、後にキーティングと呼ばれることとなる前哨基地はあまりにも孤立しているばかりではなくとても深い谷底にあると言う他に類のない例外的な存在だった。

しかもこの基地の弱点はまだあった。基地は二本の川に挟まれており、ヘリコプターの降着地帯は川の向こう側。そしてこの前哨基地をリカバリーする小高い山の上に築かれた監視哨からはキーティングが直接目視できない位置関係にあった。

このあまりにも教科書に反した配置になっているキーティングを放棄する方針が決まり撤退の準備が開始されたのは2009年に入ってからだった。しかしこの撤退計画は戦況の悪化などによってじりじりと遅延していく。

2009年10月3日の早朝、キーティングは300人以上のタリバンに包囲され一斉攻撃を受ける。これは単なる攻撃ではなかった。この前哨基地の弱点を綿密に調べあげこの基地を殲滅せんとする断固とした意思を持ったものだった。

迎え撃つ50人余りの米兵は突如降りかかってきた熾烈な攻撃に混乱し孤立し消耗していく。

彼らは例えば300人足らずの町に生まれ働き口を求めて入隊した者だったり、薬物や犯罪や貧しさや壊れてしまった家族から逃れるために入隊してきた者だったりする。

しかし彼らは暴力からは逃れることができない運命にあるらしい。テニスシューズに寄せ集めの武器を手にしたタリバンからの圧倒的な攻撃に否が応でも立ち向かわざるを得ない。

本書では当時の最前線の兵士達の事情についてこんな記載があった。

9.11同時多発テロ後、アメリカは海外二カ国、イラクとアフガニスタンで、大規模な戦争に従事してきた。国民の一部にすぎない若い兵士を投入し、海外に何度も出征させ、戦闘にたびたび投げ込むという、これまであまり例のなかったやり方で、その戦争を遂行した。

つまり、現在の兵士は、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争とは異なり、一度や二度ではなく、それ以上の回数、海外での戦闘に送り込まれていた。それに派兵の負担をさまざまな世代が分かち合っていなかった。この時期、アメリカの戦闘の尖端となっていたのは、人口の1パーセント以下で、その多くが前線に送られた─ことに私のような歩兵部隊の下っ端の歩兵は、高校を卒業するとすぐに入営して、同世代の人間が大学を終えるころには、三度か四度、出征していた。なかでも衛生兵、航空機搭乗員、特殊部隊に参加したものは、七度か八度、海外での戦闘を経験していた。イラクとアフガニスタンでの戦争開始から10年近くたった2008年晩冬には、度重なる展開が陸軍にあたえた疲弊が、さすがに色濃くなっていた。


映画「アメリカン・スナイパー」でもこれと同じような状況が描かれていたと思う。地方の小さな町に住み政治的信条や国を守るというような動機とは一見無縁な人々が行き場を求めた結果辿りついた陸軍兵士の道が自分達の人生を大きく変えてしまうことになるのだ。

現代の戦争・紛争のノンフィクション、特にアメリカ人の手によるものを幾つか読んできたけれども、この戦闘の当事者となった人たちの熾烈さは群を抜いて厳しい状況だったと思う。またこの大混乱となった基地の状況をよくぞここまで再現したとも思う。

その一方で6対1程の規模で襲撃してきたタリバンの兵士たち、おそらく一部は近隣の村から徴用された男達も含まれているようなのだが、はどこまでも没個性的でその人数すら正確にわからないままだ。

同じ人間同士なのに、この圧倒的な非対称な関係であることに少なくとも米兵側で違和感を持っていると思われる人が全く登場してこないという心地悪さはなんだろう。

彼らは襲撃してきたから半自動的に反撃している。自分達自身を守るために反撃している以上でも以下でもない感じだ。タリバンの兵士達ももしかしたら同じぐらいの認識しかないまま戦地に赴いているなんてことなんだろうか。

そして相手の素性や考えも知らないまま殺し合い死んでいく。こんな状況を生み出していること自体の不条理さというかそれを強いる支配者層こそ闘うべき相手ではないのかということを考えずにはいられないのだけども、それは平和ぼけしている人の戯言にすぎないのだろうか。

2017年度も最終コーナーに差し掛かりました。本書が2017年度の最後を飾る一冊となるようです。一年間ありがとうございました。ささやかなサイトですが引き続きよろしくお願いします。

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なぜ政治はわかりにくいのか 
社会と民主主義をとらえなおす

西田 亮介

2018/03/18:西田亮介氏の本を初めて読んだ。というかご本人の事を初めて知った。良く知らない人が書いた政治の本をいきなり読むのはちょっと冒険で、読んでいきなり怒り心頭とか。残念な気持ちになったりする事もある。

しかし今回はタイトルが心に届いた。思わず手が伸びていた感じでした。そして読んで良かった。何で政治はこんなに訳が解らない事が起こるのか。

近年の一番のびっくりはなんと言ってもトランプ氏の大統領就任だろう。その次は、あんなにも皆に信頼されて大統領に就任したオバマが実は軍産連合と手を組んでわれわれの期待とは異なる方向へ進んで行ったことじゃないだろうか。

それから見れば安倍の暴走とか小池劇場の崩壊みたいなのは小粒な話しだと思う。

しかし面白いなと思ったのは小池劇場の崩壊の始まりは「排除」の一言だった訳で、今でもメディアでは「排除」イコール悪という扱いになってしまっているけども、あの時彼女が言っていたのは政治信条の異なる人を党には入れないという意味だった。政治信条の良し悪しはともかく、党として纏まる以上、政治信条が同じであることはむしろ当然だと思うのだが、メディアも世論も「排除」するとは何事だ的な論調で小池は追い込まれていく。

一方、そもそものその政治信条がまた自民党のそれと大同小異であってそれってただの権力争いじゃんというのも残念な話だった。大騒ぎして党を割った意味あんのかと。

菊池信輝氏が「日本型新自由主義とは何か ―占領期改革からアベノミクスまで」で述べているように日本の政党は歴史的に明確 な政治信条を一にする集団ではなかったばかりか政治家自身が日和見的に見解や意見を変えてきたという事実がある。

よく考えれば現実の政府運営で課題となるものは必ずしも政治信条に基づけば同じ判断ができるようなものばかりではなく、意見はものの見方や予測に伴い様々な解に分裂するだろう。

また保守だリベラルだのという言葉の定義がなんだか良く解らないというか自分の認識と合ってなくて戸惑うことがあるけれど、本書では実際定義が曖昧で使われ方がおかしい、読み手が混乱するのは当然と書かれていてなるほどと思いました。

最近たまにただの東京都知事に戻った小池氏がテレビにでてくるけど、なんだか髪もボサボサだし、一回りブヨった感じだし、あの選挙戦の大惨敗でさすがに強烈な一撃を喰らった感があって、お見舞い申し上げます。

築地市場が着地すんのか、東京オリンピックがちゃんと開催できんのか、いろいろその辺気になるところでもあります。

安倍に至っては「責任」とか云う意味を理解しているのかと疑うレベルだし、国会答弁などをみていると麻生も同様だが、国民をなんだと思っているのか、おまえらどんだけ偉いんだと思わずにはいられないような態度でどうしてこういう人が選挙を勝ち抜いてくるのか、これは制度の方に問題があるとしか思えないような状況だ。

と僕は思うのだけど、一方でこんな状況のなかどこかの新聞が一般大衆を印象操作しているだとか、左翼・反日の日本人(それ自体意味が不明だと思うけど)が大騒ぎしているせいで問題が大きくなってて安倍は正しいと思っているとか、思うだけじゃなくて盛大にデスってる連中もいて不思議な事態となっている。

ああいう人たちは実際何を根拠にというか、どこまで解ってものを言っているんだろう。どうしてもニュースを斜め読みしかできない自分自身としてあんなに確信を持ってものを言えるというのはどうした訳なのかと思っていましたが、本書には「ポスト・トゥルース」という言葉が紹介されていました。


毎年オクスフォード・ディクショナリーズは、その年を代表するキーワードを発表していますが、2016年を代表する英単語として、「ポスト・トゥルース」を選びました。「世論の形成において、客観的事実が感情や個人的な信念への訴えかけよりも影響力に欠けている状況、まではそれに関連した状況を表す言葉」と定義し、イギリスのEU脱退、トランプ氏の大統領就任などのプロセスにおいて、2016年に使用頻度が急増したことに起因します。


彼らはつまり感情や個人的な信念を優先して客観的事実を無視するような事をやっているということか。安倍政権やトランプを盲信してる人に限らず、理解に苦しむような解釈をしてる人は会社なんかにもたまにいて、なるほど彼らはこうした穴に墜ちていたのかと気づいた。もちろん自分自身もこうした事をやってしまっている可能性はあるけどね。続けてこの本にはこんな記述がありました。


伝統的なメディアリテラシー論は、「情報を懐疑せよ」と言います。われわれが触れるコンテンツには、政治やマーケットの意図が潜在的に埋め込まれています(エンコーディング)。それゆえわれわれがメディアの情報に接触したときにはそれをデコーディング(加工された情報を読解すること)すべき、と主張します。「情報をまず疑いなさい。検証しなさい。他の情報と比較して、調べなさい」と要請します。

しかしすでに述べたように、情報量が激増し、真実を調べようとしてたどり着いた情報が既に毀損しているかもしれない状況のなかで、個人がそれを担うのは、理念的にはともかく、実践的には現実味を感じません。しかも政治は多くの資源を投入して、実力行使をしながら、われわれに好印象を与えようとしています。政治も社会も変化し、生活者は忙しく、日本社会の経済的基盤が脆弱になってきていることもあり、常時、政治を見ている時間などないというのもわかります。

その一方で、共生の原理として、健全な民主主義と政治、権力監視機能が、社会の前提条件として不可欠な存在であることもまた事実です。前章の冒頭で述べたように、われわれの認識如何にかかわらず、政治はわれわれの生活に強く影響を与えるからです。


えらい。読者の理解や受け取り方を読んだ文章の進め方が極めて巧い。全般的に本書は非常に読みやすい。我々の疑問に答えつつどんどんと問題を掘り下げていくそのすすめ方がとても良くできている。とても深い難解な問題を取り上げているのに 文章は簡潔で読みやすい本でした。

読書メーターのコメントを西田氏にリツイートしていただくなどといううれしいサプライズもあったりと素敵な出会いをもたらしてくれた一冊となりました。西田さんの本他のも読んでみよーっと。


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絶滅危惧種ビジネス:量産される高級観賞魚「アロワナ」の闇 (The Dragon Behind the Glass: A True Story of Power, Obsession, and the World's Most Coveted Fish)
エミリー・ボイト (Emily Voigt)

2018/03/11:高級観賞魚アロワナは本来の生息地ではその数が激減し絶滅危惧種となってしまった。希少であるがアロワナの値段を吊り上げ、取引は地下に潜り、禁止されている国境間をまたいで運ばれ、その過程では裏切りや強奪、命 を奪われることすらあるという。

食用とされていた時代もあった野生のアロワナの姿を求めてマレーシア、インドネシア、ミャンマー、そしてコロンビアの川をドタバタと遡上していく。果たして彼女はアロワナと出会えるのか。

著者エミリー・ボイドはジャーナリストだが、ピューリッツァー研修旅行奨学金、そんなものがあるんだねー。を受給、恐らくその奨学金を使ってアロワナを探す旅に出たものと思われます。

本書は彼女が身勝手で変人な冒険家に振り回され右往左往しながらもアロワナ追う旅を縦軸に、野生生物保護、魚類の生物分類の歴史などを幅広くとりあげる、なかなか盛りだくさんな内容になっておりました。


国際自然保護連合(IUCN)は1963年に絶滅のおそれのある野生生物の取引を規制する条約の制定を呼びかけた。その10年後、88カ国の代表がワシントンDCに集まって、三段階の保護レベルに基づいて野生生物を保護するワシントン条約が採択された。そして、1975年に発効するまでに、もっとも規制が厳しい附属書Ⅰに、500種以上の動物と約70種の植物が掲載され、そのすべての種─アジアアロワナも含めて─の国際取引が禁止されることになった。


野生生物保護の観点は非常に重要であることは言うまでもないが、このリストに乗ることで人々の興味や希少であるが故に手に入れたいと思う願望が生まれ、それでひと稼ぎしようとする連中が動き出す。生体の減少を加速させているという意見もあるのだそうで、確かにそれも一理ある。

社会問題としても一級の切り口を持ち、旅行記としても大変楽しめる内容となっておりました。


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背信の都 (Perfidia)
ジェイムズ・エルロイ (James Ellroy)

2018/02/25:エルロイ、『アンダーワールドUSA』を2011年に読んで以来なのでおよそ七年ぶりだ 。

次回作に取り組んでいるらしいと聞いて楽しみにしていたのだけど、2016年に訳出されていたとこに気づかずにいました。

びっくり。なんで二年も気づかずにいたかな。エルロイは『新・暗黒のLA四部作』として2014年に本書を2018年には第二部『This Storm』を上梓していた。四部作。本気か。最後まで付き合っていけるかな。

1941年12月6日。真珠湾攻撃直前のLAで日本人の四人家族が死体となって発見される。一見、家長の父親による無理心中のようだが、どうやらそれは偽装で、この家族は何者かによって殺害されている模様だ。

ヒデオ・アシダは日系二世でLAPDの鑑識官だ。日本語で書かれた文章が現場で発見された為に事件に関わるようになる。

翌日起こった真珠湾攻撃の為にLAは大混乱となり、日本人に対する不信感、ヘイトが吹き荒れ、日本人を収容所へ隔離しようという動きが生まれる。

ヒデオ・アシダは自分自身と母親を守る為にも自分の存在意義を市警に示し、必要性を発揮し続けなければならなかった。

一方、彼が頼りとするLAPDはアイルランド系カトリックとプロテスタントの血を引く者たちとの対立があり、また、こんな時期に日本人の殺人事件を追うことを疑問視するものがいたり、適当な人物に罪を被せて解決を図ろうとする動きがあったりと、ヒデオとしてはどこに組する事が身を守る事に繋がるのか不安定な状況にいた。

更にこの混乱期に乗じて金儲けを企み暗躍している者どもがいた。

そしてダドリー・スミス。殺人事件を担当する刑事であるこの男は公正さとはかけ離れて、自分自身の信じる正義と利害を最優先に殺しも強奪も厭わない野獣のような人間だった。彼もこの事件の真相を追って解決する事よりも自分良いようになる為に何とか利用しようと考えているらしかった。

開戦によって揺れるLAの中で疾走する男達。様々な価値観、利害関係によって結ばれぶつかり合う人々。やがて事件の向こう側に浮かび上がってくるのは日本の攻撃を未然に察知していた者たちの存在だった。

事件は果たして僕らをどこに連れて行ってくれるのだろうか。

そして後続する三作はどんなものになるのだろうか。はっきりしているのはこの『新・暗黒のLA四部作』が『暗黒のLA四部作』の第一章『ブラック・ダリア』に繋がる前日譚となっているということだ。

そしてそれは直近の『アンダーワールドUSA三部作』と繋がることで1941年から1971年という実に31年間に渡るアメリカの暗部をえぐるエルロイの世界観を完成させることになる。

海老油で土壌汚染を目論むとか、刀剣に毒を塗るなどやや飲み込みにくい描写があるものの、エルロイはここに敢えて日本人を主人公に据えてきたと考えたい。つまりエルロイは奇襲攻撃を仕掛けてきた日本軍のやり口はともかく、個人としての日本人には何も含むことがないのである。

もちろん黒人に対しても中国人に対しても人種差別的な思想はない。

今回の作品も以前の作品でも、一貫しているのは、一言で言えば陰謀論だ。政府や警察などの組織の中にいて、自分の利害得失の為だけに動いている奴らが存在している事。彼らにとって問題や事件や出来事はただ利用するためだけにあるようなものだと云う事で、現実に利用されてきたという世界観だ。

現実に起こった事件の背後に暗躍する実在の人物と架空の人物。ほんの一握りの連中の思惑によって世界は利用され翻弄されていく。エルロイの作品はどれも同じ世界観から生み出された物語になっているのである。

ダドリー・スミスは『暗黒のLA四部作』のほとんどに登場してくる人物でこれ以上ないくらいの悪徳刑事なんだけど、流石に詳細は思い出せない。けれども、エルロイの生み出した架空の登場人物のなかでも一番行動力があって、先頭に立ち物語を推進させていく役割を担っている人物だった。

本書には同様にそうそういた、いたとなる名前の登場人物が何人もいたがやはりどれにどんな形ででてきたのかまでは思い出せない。

彼らの思惑は必ずしも成功裡に進む訳ではないのだけれども、法の埒外にいる彼らは何をやっても罰せられる事はない。あるとするなら、仲間内に裏切られたり、敵対する連中から攻撃されたりする事だろう。しかしそれでもその結果や真相が社会に明らかになる事は決してないのだ。

読者に明かされる結末はエルロイが生み出したフィクションの世界なのだが、エルロイの世界観はなかなか否定し難い。この物語通りではないにせよ、似たような出来事が実は隠れているのではないだろうか。そう思わせる読後感こそエルロイの真骨頂なのであります。


「アンダーワールドUSA」のレビューはこちら>>

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「獣どもの街」のレビューはこちら>>


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バナの戦争 (Dear World
A Syrian Girl’s Story of War and Plea for Peace)

バナ・アベド(Bana Alabed)

2018/01/28:中東の紛争は今や誰と誰がなんのために争いあっているのかさっぱり解らなくなってしまった。事情が解らない、理由も解らないテロや戦闘によって一般人が命を落している。不条理極まりない話はその時点で実感を失い、まるで映画みたいに本当の世界とは切り離されたものみたいにみえてしまう。

2016年8月アレッポの紛争に巻き込まれた男の子は爆撃によって倒壊した建物から救い出され埃まみれのまま救急車に座っているところを報道機関によってスクープされその映像は世界を駆け巡った。

彼の家族はどうなったのか。彼の怪我は大丈夫なのか。なんて悲惨な。と誰もが思ったろう。なのにどうして止められないのか。

アレッポはシリア政府軍が包囲して街の中に潜伏しているIS(イスラム国)の兵士を殲滅せんとしていると聞く場所だった。

そんな場所にどうして子供がいるのか。ISの兵士たちの家族なのだろうか。そうでないなら政府軍は何故彼らを守るどころか、そうした人々が暮らしている町や建物に爆撃を加えているのか。

バナ・アベド(BANA ALABED)2009年、シリア アレッポ生まれ。

彼女は戦火のアレッポの街から世界にツィッターで助けを求め、その声が同じ境遇の人々に救いを与え、また外からの支援の働きかけ生み大勢が実際に救い出されたのだという。

あの救急車の男の子がいた同じ時間と場所だ。一体どんな人たちで何故アレッポの戦闘の最中にあの場所に居合わせることになったのだろうか。これを読めば少し事情がわかるのではないか。

バナの父親は弁護士で熱心なイスラム教徒ではあるものの、政治的な活動とは縁が全くなく、政府側でもなければもちろんIS側とも接点はなかった。母親はバナを育てながら大学に通い大学の法学の教壇に立つことを目指している学生で、いつ時点か定かではないけど25歳だと書いていました。もちろんこの母親も政治には縁がない。

彼らは若く成功しかけている、アレッポのなかではかなり裕福な家庭であった。

ISと政府軍の衝突が激しくなるなか、彼らは自分たちの生活を捨てて国外に逃げるか、残るかの選択を迫られていた。逃げれば自分たちの家や家財は二度と戻ってはこないだろう。何度も迫られる選択を見送り、結果彼らは逃げるチャンスを失ってしまうのだった。

気がついた時には隣の建物が爆撃で倒壊し、飲み水も手に入らないような状況に追い込まれていく。

ISは影が薄いというか存在感がまるでない。しかしアレッポには確実に混乱に乗じて暴力によって金や財産を狙ったごろつきのような連中がいた。一方で政府も全く信用ができない。アレッポから脱出してくる一般人を撃っているのだ。

信頼できるのは親族や近所の知人の一握りの人たちだけだった。

孤立無縁。まさにそんな状態に陥ってしまい。爆撃の度に建物の地下室に潜んで生きた心地のない日々。

そんな中でバナは母の勧めもあってツィッターでそんな状況をつぶやき始める。

「もう終わり」 私はその言葉をはっきり口に出したと思う。すると、恐怖心の代わりに、安堵感を覚えたのよ。生き延びようと必死に努力することに疲れてしまっていたのでしょう。こんなにも長い間、闘ってきた後では、すべてをあきらめたら楽かもしれないと思った。流れに引きずりこまれるままになり、現世を去って来世に生きよう、平穏な気持ちを得られる方法は死しかない、と思えたの。

人が苦痛に耐える力は、驚くほど強い。私たちは起こったことを受け入れ、耐えることができる。死んだりあきらめたりするほうが簡単でも、前進する方法を見つける。 もっとも暗い考えが頭をはじめとするよぎった後でさえ、私は生きるための理由をなんとかかき集めた。

主な理由は、あなたたち子供よ。それに、自分がまわりの人を助けられることも生きる理由になった。あなたと私はシリアの人々のための声となっていたわね。みんなを失望させることなどできなかったの。


これでもかという過酷な状況に震えつつ望みを捨てずにいるバナの健気さに心が打たれました。こんな悲惨な状況にいる人々が世界にはまだまだたくさんいるんだろう。

その一方で世界的にも平和で治安もいい日本で些細なことでくよくよしている自分がいる。何より自分は苦労が足らんなと。

紛争がやむ気配はなく、トランプ大統領の迷走や北朝鮮のミサイル問題もあって終末時計はかつて無いほど進み残りは二分になったらしい。それでも僕ら日本人は危機感のない太平な日々を送っている。僕らはもっとやれる事、やるべき事があって、実際に行動に移すべきなんだろう。

本当に真剣に自分たちに何かできることがないか考えていきたいと思いました。


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ジョン・ヘンケ 世界をめぐる冒険
 グーグルアースからイングレス、そしてポケモンGOへ

ジョン・ヘンケ(John Hanke)

2018/01/21:この年末年始は義父が上京し皆で賑やかに過ごしました。仙台一人暮らしとなった義父もいよいよ高齢となり、続けてきた税理士の仕事もそろそろたたんで、こっちに移住しようという計画を考えております。

一緒にいる間、僕らの住んでいる場所の位置関係を理解してもらう為にグーグルマップを使って説明をしていたらその機能にびっくりしていた。そうか義父はグーグルマップ使ってないんだなと。

実家仙台のマンションの場所なんかをストリートビューで見せてあげたら非常に感心してがぜん面白くなったようで、若い頃に住んでいた岩手の街や、義母と旅した場所なんかを探してはその頃の話なんかを聞かせてくれてとても素敵な時間を共有することができました。

そうそう、初めてグーグルマップに接した僕も何時間もパソコンの前で過ごしたものでした。更にストリートビューが出てきたときはえらい驚き、またパソコンの前に張り付いてしまいました。

グーグルマップによって自分たちのいる場所と余所の場所の位置関係が見えてくるとだんだんちょっと行ってみたいところが見えてきた。

スマホでグーグルマップが閲覧できるようになった時点で僕らからは迷子という概念が消え、行けるだけ行って場所を確認して戻ってくることでどんどん土地勘を広げていくことができるようになっていった。

僕はグーグルマップのおかげで自転車に再会し週末の時間を使って川を遡上し橋や水門を探しては写真に撮り、帰るとその写真をグーグルマップに一つ一つ登録していた。

こうして出会った光景は普段の平日から切り離された非日常の胸の躍るような発見であり、それがとても楽しかった。そしてこんな行動を続けていくことで自分でも驚くようなとても健康な体を作ることができたのでした。

自分の体力で行って帰ってこれる場所を大方行きつくし目的を見失いかけてきた頃にふと出会ったのは「イングレス」というスマホを使って実際の街にあるモニュメントなど同士をリンクして陣地を作っていくという陣取りゲームだった。最初はなんだか要領が解らず右往左往してましたが、ゲームに仕込まれた数々の奥義や制限に翻弄されいつしか夢中で遊ぶようになってしまった。

ナイアンテイックで、4つの活動指針をさだめています。

The World Is The Game 世界がゲームの舞台である
Move to Play 動いて遊ぶ
Social 現実世界の友情をつくる
Urban Explortion あらたな視点から街を見る


グーグルマップもストリートビューもこのイングレスも実は同じ人物が中心となって作られていた事を知ったのは随時後のことでした。びっくりしたけど、よく考えてみればその共通点は明確で、かつまたその奥にある好奇心や達成感、何より非日常に飛び込んで離脱する解放感を深く理解しているその感性に僕は全面的に激しく同意するものであります。


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罪責の神々(The Gods of Guilt)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2018/01/21:マイクル・コナリーの26作目はミッキー・ハラー、リンカーン弁護士が主人公の作品でした。年末忙しくて手を出している暇がなかったものだけど、漸く機会を得た。ミッキー・ハラーが主役なのはこれが5作目だな。

映画でハラーを演じたマシュー・マコノヒーは『コンタクト』でなかなか存在感のある役者だったのを覚えている。先日は『クボ 二本の弦の秘密』でクワガタの声で登場。シャーリーズ・セロンとのやりとりが絶妙ですっかり大好きになってしまった。

おかげで本書は脳内でマコノヒーが物語に合わせて動いてくれて、面白さは倍増だった。

グローリー・デイズという通り名で働いていた売春婦がホテルの一室で焼死体となって発見された。司法解剖の結果彼女は燃える前に首を絞められて死んでいたことが判明。

そしてこのホテルの一室から出て行ったことを監視カメラで撮られていた(デジタル)ポン引きの男、アンドレ・ラコースが逮捕された。

(デジタル)ポン引きとは売春婦のウェブサイトの構築を請負い、オーダーをさばいて収益の一部を受け取るような仕事をしているからだ。

この男がハラーに弁護を依頼してきたのだが、ハラーを頼ったのはなんとグローリー・デイズが生前ハラーを頼りになる弁護士であると言っていたからなのだった。そして勿論男はグローリー殺害については完全な無実だと主張していた。

一方グローリー・デイズはハラーが7年前に担当していた事件でメキシコの麻薬カルテルの無慈悲な殺人者で連邦政府が手に入れたがっていた男の所在をリークする取引に応じて金を手に入れ業界から足を洗ったはずの女性だった。

舞台は2012年、この5年前というとちょうど「リンカーン弁護士」で描かれたお話の直前くらいの出来事になるようだ。

果たしてラコースは本当に無実なのか。だとするとあからさまにラコースに罪をなすりつけグローリー・デイズを殺害したのは誰なのか。

物語は冒頭から結末まで緩む暇もなく一気に駆け抜けていく。

これはまたすごい話を繰り出してきたものだ。すごい面白かった。大満足の一冊で した。


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対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで (Symmetry and the Beautiful Universe)
レオン・M. レーダーマン(Leon Max Lederman)& クリストファー・T. ヒル(Christopher T. Hill)

2018/01/12:レーダーマンの二冊目となる本書は「対象性」。一冊目は「詩人のための量子力学」立った。それを読んだのは2015年、三年近く前のことだとわかってびっくりだ。つい最近の出来事だと思っている話が実は何年も前の話だったという事が最近とても多い。日々が飛ぶように過ぎていく裏腹な面なのかもしれない。

そしてその三年前の記事を振り返ると量子力学の「量子」の意味がわからんといった事を延々と書いていた。つい最近の事だと思っている割には中身をほとんど思い出せないというのがこれまた残念な話なのだけど、ずっと同じ疑問を抱え続けている自分も諦めが悪いというか、進歩がないなーなどと新年早々ネガティブな部分ばかりが目に付くのは、職場で下手を打ち人間関係にヒビを入れてしまった事 や初詣で引いたおみくじが人生初の「凶」だったなどということが関係しているのだろう。

話を少し戻すとこの「量子」とか「量子的」と云ったもののはっきりした説明になかなか出会えなくてやきもきしてきた訳だけれども、本書ではこんな記載があった。


たとえ話として、一家庭あたりの子供の数を示すアメリカの国勢調査を考えよう。平均して一家庭あたりの子供の数は2.27人となっている。この調査は正確で、統計誤差はプラスマイナス0.01程度である。調査結果は古典物理学の法則で記述される系と類似性を持っている。つまり、ニュートンの法則が予言するのは、平均的な家庭は連続数のどれかの値の子供をもつはずだということであり、実験によってその数は2.27±0.01であることが明らかにされる。しかし、個々の家庭のレベル─ミクロのレベル─では、2.27人の子供をもつような家庭はいない。どの家庭も現実には量子化されていて、0や1、あるいは2、あるいは3などの離散数の子供をもつ、多くの家庭の平均として、2.27という「古典的な」非整数の結果が得られるにすぎない。


更にマクロの世界では対象の原子の数が莫大になるため「平均的」な値で記述しても結果を 正確に表現できるのだという。ところがミクロの世界では上述の通り離散的な特定の値の状態でしかとらない、量子的な実態となっているという訳だ。

僕はこの説明でかなりすっきりしました。今までで一番分かり易い内容だったと思います。この一文だけでも本書を読んだ価値かみあったと思います。

本書はしかし「量子」の説明がメインではない。自然界、物理の世界に深く織り込まれている「対象性」というのがテーマなのである。

しかしこの対象性というのがまた手強い。幾何学的な対象性だけでも十分に難しいのに、物理系、時空における対象性の話になってくると、抽象的すぎて文章を読んでも僕には理解できなかった。

どうにか手がかりを掴もうとあちこち振り返り読み返してみたけれども、残念ながら僕の手に余りました。

対象性。新たな疑問点としてまた一つ抱えて歩いていきますかね。


「詩人のための量子力学こちら>>


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The Killer Inside Me
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