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燃える部屋(The Burning Room)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2019/07/15:いろいろ忙しくて後回しにしていたら、コナリーの未読の本が二冊も溜まってしまっていた。「燃える部屋」コナリーの27冊目の作品になるのだそうだ。

ハリー・ボッシュシリーズとしては17冊目。一冊目は「ナイト・ホークス」で1992年実に27年というロングランでなお続いているというのは本当にすごいことだと思う。父も大好きで、僕ら二人で回し読みしていたんだった。

脳出血で倒れ介護施設に入った後も、僕が読んだら欠かさず送ってあげていたので、大部分は二人で読んだと言ってもいいと思う。しかし目が悪くなって本が読めなくなっていることに気づいたのはずいぶん後になってからだったと思う。

日課として本を読んでいる姿勢をずっと崩さずにいたからだ。挟んでいるしおりがおかしな場所になり、一ページ眺めるとまた別の本に移りと読み方がおかしな感じになっているのをみて初めて「あ、これは見えてない、読めてないんだな」と解った。

それはとても可哀そうで途轍もなく残念なことだった。あまり踏み込んで内容を語り合うことはなかったけども、「いやいや面白かったなー」と良くできた本には必ず強い反応を示して、海外ミステリの読者としてかなりの審美眼を持っていたのは間違いなく、そして何よりそれをとても楽しんでいたのだった。

親父がいなくなって独りでコナリーの本を読むというのはなんだか、申し訳ないような、なんだろう複雑な思いがありました。7/4一周忌を迎え、一緒に楽しむつもりで読むのも良いかなと。漸く腰を上げてとりくんだという次第であります。

定年延長制度で残り少ない日々を噛みしめるように過ごしているボッシュは新たな相棒と組むこととなった。28歳で新任刑事となったメキシコ系の女性ルシア・ソトは制服警官として警邏中にストリートギャングと銃撃戦になり、同僚を亡くし、単身、応援がやってくるまで反撃しギャングたちを路地にくぎ付けにする活躍をし、刑事への切符を手に入れたのだった。

二人が取り組むことになった事件は元マリアッチのギタリストであったオルランド・メルセドの銃撃事件だった。メルセドは広場に座って演奏の準備をしているところを何者かに銃撃された。銃弾はギターを貫通しメルセドの脊髄の手前で止まった。その傷で彼は半身不随となっていたが、後遺症により数日前に亡くなった。

メルセドの死によって銃撃事件は殺人事件となり、撃った犯人は殺人犯となるのだという。事件は未解決だが他にも注目される背景があった。メルセドは市長選のたびに市長に寄り添い応援活動を行い度々壇上に上がるいわば有名人であったのだ。メキシコ系移民も多く暮らす地域社会としてもメルセドの事件を解決することは大いに意義があった。まして州知事に打ってでようという市長からみても。

メルセドの亡骸は司法解剖され体内に残されていた銃弾が摘出された。出てきた銃弾は308口径のライフル銃であった。メルセドは狙撃されていたのだった。広場にいた通り魔的な事件、おそらくはストリートギャングの抗争の流れ弾に当たったのだと思い込まれていた事件は全く違う様相を見せるのだった。

捜査にまい進する二人だったが、ソトが刑事・警察官になったのには訳があった。彼女は幼いころに住んでいたアパートが放火された。当時彼女は地下室にある無許可の保育施設に預けられていた。煙が充満し一緒に預けられていた子供たち含め9名が亡くなった。

彼女は助け出した消防士の甦生活動のお陰で息を吹き返したのだった。放火犯は不明。事件はやはり未解決なのだった。彼女は自分の力でこの事件を解決することを夢見ていたのだ。

勝手に捜査を進めていることが上層部にばれれば定年延長制度の利用を取り下げられかねない。しかしボッシュはソトと事件を平行して追うことに同意するのだった。証拠を追って走り続けることで自分自身を追い込み、追い込むことで事件解決に結びつく長年の経験から身をもって知るボッシュはこの二つの事件に対しても全身全霊をささげて駆けていく。物語は思いがけない展開をいくつも迎えて予想外の結末へと行きつく暇もなく疾走していく。

いやはやどうやったらこんな疾走感あふれる物語を紡ぎだすことができるのだろうか。そしてこの安定感。職人芸と言っても良いのではないでしょうか。巻末に収められたコナリーのエッセイ「走る男」も必読の一品でありました。

ほんと親父に読ませてあげたかったなー。


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ブラック・フラッグス 「イスラム国」台頭の軌跡
(Black Flags: The Rise of ISIS)

ジョビー・ウォリック(Joby Warrick)

2019/06/30:ジョビー・ウォリックは二冊目、前回は「三重スパイ」という本でした。タリバンとの闘いのなかで三つの組織に雇われた形となった男の話が核となっていた。この男はヨルダンの諜報機関によってタリバンに潜伏させられるのだけれども、タリバン側に寝返り、戻ってきた時に、自ら自爆攻撃を行ってCIAの職員らが死亡する事態となった事件に関するノンフィクションだった。

タリバンという相手が相手だからなのか、欧米サイドの事情には非常に詳しいが、先方、敵側の事情や心情といったものが完全に省かれていて、読んでいて不安になるところがあった。あまりにも自分本位すぎるのではないかと。これは著者に限らず中東にちょっかいを出しているアメリカ政府全般に云えることで、こうしたスタンスは一体どこからやってくるものなのかと不思議になるくらいだと思う。

まあしかし、それでもタリバンやアルカイーダとの間で一体どんな事が起こっているのか、テロとの戦争というものが一体どういうものなのかについて知ることができる貴重な情報であることは間違いない。漫然とニュースを観ているだけでは全くわからないことを知ることができたと思う。

そして次回作として登場したのが本書「ブラック・フラッグス」であります。イスラーム国の台頭の軌跡とある。いつの頃からだったかネット上に黒ずくめで強面の戦闘員が捕虜を焼き殺したり、首を切り落としたりするようなおぞましい映像がネットに流れてくるようになった。そうした行為は西側ばかりか中東、イスラムの人々からもとても容認できる範囲を超えているのではないかと思っていたのだけれども、どうした訳か彼らには賛同者と資金が集まり、あれよあれよと勢力を伸ばして「イスラム国」、国と呼ばれる規模にまで拡大していったのでありました。

彼らに拘束された人々のなかには日本人も含まれており、そのうちの何人かは残念なことに殺されてしまった。この事件によって日本人に恐れと怒りを買い、自衛隊の海外派兵や憲法改正などへと向かわせる一つの原因にもなっていると思う。

そう、イスラーム国はアメリカの軍隊にとどまらず、西欧、日本さらにはイスラーム教社会のなかにも分断と対立を形作っていった。一体彼らの目的はなんなんだろうかと思って見ていたのだけども、本書を読んでその問いにあっけない答えを得ることができた。

彼らの目的は社会の分断と対立そのものにあったのだった。長めだが、日本に寄せた著者のコメントを引用させていただく。

2004年の出来事をつぶさに見ていくと、残虐行為の背景にある理屈を探る手がかりが見えてくる。ザルカウィはその一年前にイラクで反乱を巻き起こした頃、強大な敵であるアメリカ相手に戦争を遂行するための単純かつ効果的な計画を思いついた。本書でも描かれるその核心的な考えは、同盟国同士の間に亀裂を入れることだった―イラクの復興に関与している各国それぞれに対して大々的な攻撃を仕掛け、その諸国の連合を引き裂こうというのだ。2003年8月、ザルカウィはバクダードの国連現地本部とアラブ諸国の大使館に自爆攻撃を仕掛けて作戦を開始した。続いて、イラク国民の苦悩を解消すること、破壊されたインフラの再建などにもっぱら携わっていた支援組織その他のグループを標的にした。アメリカの著名なテロ専門家で元CIAのブルース・リーデルによれば、そうした攻撃の背景には「見事な戦略」があったという―ザルカウィはイラクに混戦を引き起こすと同時に、アメリカのイラク占領軍の存在を正当化したり、イラクの暫定政府の強化などに役立ちそうな組織を、すべて追放することをねらったのである。実際、支援活動に従事するおおかの国際組織の士気は急速に衰え、イラクを引き揚げにかかったわけで、ことはザルカウィの計画通りに進んだと言える。「彼はわれわれアメリカを孤立化させたのです」とリーデルはザルカウィについて述べた。

ザルカウィが日本を標的にしたさらなる目的は、証拠が示唆する限り、海外派兵という日本としては戦後初の試みに対するものだった。当初から、浄水施設の設置や学校の補修のために600名の部隊をイラクに派遣することに対して、独自な歴史的事情から日本国内では疑問の声があった―日本では何十年にもわたり、自衛以外の任務に部隊を動員することが憲法で禁じられてきたからだ。ここにザルカウィは日本社会をさらに二分させる潜在的可能性を見出し、熟達の精度でその好機につけ込んだ。まず、2003年も暮れというころに日本人外交官2名が暗殺された。ちょうど自衛隊のイラク復興支援部隊が編制されようとしていたときのことだった。続いて翌年の4月には、三人の日本人市民が誘拐された。そしてもっとも劇的だったのが香田誕生の恐ろしい殺害で、その場面はビデオカメラで撮影され、10月に世界に向けて公開された。このときにはザルカウィの組織による警告の声明が付いていたー「未来に待ち受けているものを日本が避けたいのであれば、ただ部隊を撤兵させるだけでよいであろう。その部隊は十字軍と同盟関係にあるのだ」。日本では、イラク派兵の任務への根強い支持が崩れ始めた。小泉政権はその後さらに19か月たったのちに、最後の部隊を2006年7月にイラクから引き揚げた。

2015年の後藤健二と湯川遥菜の誘拐とその後の斬首は、右のような以前の出来事の残忍な繰り返しのようにも思えた。だが香田誕生殺害からの10年の間に、テロリスト集団にとっても日本を含む文明世界の側にとっても、状況は変化していた。かつてのザルカウィの組織は今や「イスラーム国」を名乗っていたし、領土を奪って維持することや、東アジアを含め、中東からはるかに遠い地域にまで自らの存在を誇示しようと、その野望をこれまでよりも鮮明にしつつあった。彼らの手段も以前にかけて残虐になり、遠方の信奉者たちを過激化させ、煽り立てるために、ソーシャル・メディアを活用するなど、新たな能力を開発していた。そして後藤・湯川両名を拘束し―さらに彼らを身代金および捕虜交換を条件に釈放してやろうという身勝手な提案をすることで―「イスラーム国」はイラク人の難民救済のための日本の財政支援を停止させることも含め、ふたたび日本に外交政策の変更を迫ることを目指していた。だが日本も変わっていた。二人の処刑を受けて日本中が悲嘆に暮れたが、それはすぐに怒りと決意の表明へと変わっていった。安倍晋三首相は二人を殺害した者らに裁きを受けさせるために尽力する決意を公式に表明し、「テロリストたちを決して許しません」と明言した。日本の議会にとっては、両名の死は、現代日本が直面するもっとも根深い問題に対する新たな論争の始まりを意味していた。すなわち、国際的テロ組織の犠牲者たちを含め、攻撃を受けた同盟国を守るために日本は軍事力を使うべきかどうか、という問題である。


前著「三重スパイ」に見られた非対称性や大味な部分は大幅に改善され、綿密な取材と公平な分析に基づいて書かれた労作と言うべき作品となっておりました。上巻・下巻二冊通読するのに概ね二週間ほどかかってしまいました。

今回はアメリカ側の関係者だけではなく、イスラーム国の台頭の中心となっていく指導者たちの生い立ちや心情、現地の事情や背景などニュースでは知りえない情報が満載となっていました。結果、シリアの大統領にアサドが二人いたり、テロの首謀者たちのなかにも同じ名の人が複数でてきたりして、経緯を辿るのはかなり骨の折れる読書体験となりました。勿論書く方がずっとずっと大変だったろうと思うけども。

メモを取ったり、文章をEvernoteに書き写したりして整理していきましたが、それでも後半はなんだが誰が誰やらという状況に陥ってしまいました。それでも全体を通して見えてくるものは予想通りアメリカ政府の政策の失敗でありました。それも何度も繰り返される失敗の連続、失敗する毎に事態はどんどん手に負えなくなっていく。

その中でも超弩級の一発と云えば間違いなくこれ。イラク政府を転覆させてしまったことだろう。

「われわれはブラックホールを作り出してしまったのです」とマイクは言った。

侵攻後に治安を維持できなかったのは怠慢のなせるわざだったー侵攻を受けて民政が崩壊することをアメリカの当局者たちは予見していなかったのだ。その一方で、イラク軍を解体し、バアス党員を権限のある地位から追放するという決定は、きわめて意図的になされたが、大きな誤りだった。サダム・フセイン治下のイラクでは、学校長や警部から情報機関の部長に至るまで、管理職になりたければ、バアス党員になることが必須だった。大学に入ることも同様だ。だから何万人という専門職や経験豊富な官僚たちが一夜にして失職し、イラクに駐在するアメリカの当局者たちは、気づいてみれば二つの巨大な難問に直面していた。一つは秩序を維持し、不法な人的ネットワークを根絶するのに欠かせない、各地の治安組織がまったく存在しなかったこと。もう一つは、今や給料も年金も奪われて自活かることを迫られ、不満を抱えながらも強固な人脈を維持しているイラク人の公務員たちが大量に存在したことだ。

「われわれはあの人たちを路頭に迷わせた。スキルを持ち、その使い方を心得ている人たちをです」とロバート・リチャーは言った。2003年5月16日に発令された脱バアス党化の決定―連合軍統治機構(CPA)の「司令第一号」-に憤慨したことを覚えていた。「われわれは給料も与えずに彼らを追い出した。なかには15年も20年も軍に仕えた者もいるというのに、年金すら支払ってやらなかったのです」

こうした新たな構図になったイラクは、ザルカウィにとっては思いのまま移動でき、かつ彼らの狙いを喜んでサポートしてくれる強力で有能な協力者たちを得るのに格好の状況にあった。かつてサダム・フセインに仕えた大尉や軍曹らが今やザルカウィの武装集団に加わり、なかにはリーダーとして頭角を表す者もいた。ほかにも隠れ家、機密情報、現金、そして武器を提供する者もおり、捜査官らがのちに結論づけたところによると、航空爆弾や大砲や砲弾も供給されていた。ザルカウィの最大級の自動車爆弾の爆発力のもととなったものだ。


バアス党員を追放したことでイラクの国家機能は完全にマヒしてしまった訳だが、そんなことはやる前から予測がつく事だと思うのだが、どうした訳かその選択肢が選ばれ実行に移され、失敗が明らかとなった時点で引き返すこともなかった。それは僕も知っていた、ニュースでもこれはやっていたし、他の本でも何度か取り上げられていたからだ。知らなかったのはこれがイスラーム国台頭の直接の引き金となっていたことだった。

それでも、最初は単なるならず者ではみだし者に過ぎなかった。危険人物で脅威ではあったが外国の政府が国を上げて追う程の人物ではなかったはずだった。

しかし、ネットを駆使して情報発信することで世界中から注目を集め、信奉者や支持者を着実に増やしていった。そこは現代らしいと言えば現代らしい話であった。そんな一環で流されていたのが捕虜の処刑シーンであった訳だ。正視に堪えない、不愉快極まりない残虐な映像だが、こうした連中に惹かれて実際に参加しようと考えるやつもこの広い世界の中には残念ながらいる。「まるでゲームだ」といった感じで宗教も信仰も反米のような政治的信条も全く関係がないのに仲間入りしていこうとする者すらいたようだ。

ここでもアメリカ政府はありもしないでっち上げの情報を織り交ぜて発信することでザルカウィの後押し、イスラーム国のステータスを一気に高めてしまうのだった。2003年2月、パウエル国務長官は国連安全理事会でのスピーチでザルカウィがビン・ラディン、アル=カイーダと連携して数々のテロを実行している極めて危険なテログループであると宣言した。テログループであることは間違いないものの、ビン・ラディンやアル=カイーダも彼らの存在を煙たがっており、積極的な関係性や連携などは殆どなかった。

単にこれはアメリカ政府がイラク侵攻の理由の一つとしたかったのだ。しかし、アメリカ政府の高官に取り上げられたことで知名度はバカ上がりし、アル=カイーダとしても無視を決め込んでいるばかりではいられなくなっていったのだという。アメリカは結果自ら作り上げた敵と戦う羽目になっていった訳だ。

更に我々は彼らの目的を見誤っていた。反米のジハーディストという従来の枠組みではとらえきれないモノを彼らは持っていたのだ。それが冒頭に著者が書いていた世界に分断をもたらそうとしていたというものだ。国際社会のみならずイスラーム社会にも深い断裂を生み出し、その隙間に自分たちの価値観を生かせる場所を生み出そうとしていたのだ。

その労力と成果のバランスを考えると無謀で愚かな話としか言いようがないものだが、暗示にかかりやすく命を自ら捨てることを望む者が次から次へとやってくることで、そのような戦術が実行可能となっていったのだった。彼らのおかげで、シーア派とスンナ派の違いすら知らなかったような人々が対立し闘い殺しあうようになっていってしまった。イスラーム国の齎した暴力の嵐は二度と昔に戻ることが困難になるような激しく深い分断であった。イラク、シリア、ヨルダンと国境を越えて燃え上がる暴力の連鎖はまさに手に負えない事態へと発展していく。

イスラーム国の台頭とは正にそうした事態を指す言葉であり、その暴力の連鎖は未だまだ綿々と続いているのでありました。残念なことに事態は混迷を極めており、ニュースなどからこうした文脈を読み取ることはたぶん難しいだろう。知らないが故に、どんな事が進んでいるのか理解できない。誤った選択を政府がしていても検知することができないというのは恐ろしいことじゃないかと思う。そんな事が今も平然と進んでいるのである。


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核DNA解析でたどる 日本人の源流
斎藤 成也

2019/06/09:基本的に暑苦しい人たちと変な議論に巻き込まれるのは嫌なので遠巻きにしてきた面があります。それは寧ろ最近の方が神経質になっている印象がある。中国や韓国の話題になると条件反射的に感情的になってしまう人たちの存在は全く不思議でしかない。

どうしてそんなに侮蔑するのか、過去よほど嫌な目にでもあったのかとも思うけども、特定の個人ではなく人種や国民の単位で優劣や好き嫌いが生じるような嫌な目ってなんだ。どう考えてもそのような感情を抱いてしまうご本人に何か欠陥があるとしか思えないのだけれども。そうした連中をも含めた日本人というのは一体どこからやってきたのだろうかという話であります。

もう少し正確な表現をとるのであれば、いったいどこからやってきた人たちが日本人となったのか。という感じかもしれない。

従来から日本人の起源として二重構造説というものが提唱されていた。これは古代陸続きだったころに狩猟採集民族が日本列島となる地に移住してきて列島全体に広がり、その後島となって孤立した。やがて船で海を渡る技術を持った人々が日本列島のおそらく九州北西部あたりに上陸し、半猟半農の生活をしながら北上、先住民と交雑しつつ支配地域をひろげていった。この結果沖縄と北海道のアイヌの人々と日本列島に広く済む人々との間で二重構造が生まれた。こうした人々全体を包含する形で日本という国家が形成された。

これが超短縮版の日本人の生い立ちといったところではないかと思う。もちろんこの枠にはまらない個人や地域があるのだろうと思うがあくまで一般論としては概ねこうした形で進んだという意味だ。

陸続きを歩いて、海を船で渡ってきた人々はどこからやってきた人で、その人たちの祖先はまたどこからやってきた人たちなのだろうか。

人類の発祥はアフリカの大地溝帯周辺にあり、一説には火山活動の活発化により樹上生活ができなくなってきたサルたちが地上におり二足歩行を余儀なくされた結果として生まれたというものがある。僕は個人的にこの話がすごく気に入っていて、そうだったんだろうと思いたい。

二足歩行の結果、道具が使えるようになり知能も発達した。かしこいサルとなった人類の祖先たちはやがて狩猟採集民族として獲物を追い世代を重ねつつ地球全土に拡散していく。これらの人々の一部がいつしか日本にたどり着いているわけだ。

なので答えはアフリカから。というのでもありなのかもしれないけれども、僕らの興味としてはアフリカと日本の間をどう歩いてきたのかというところも知りたいと思うだろう。 そんな疑問にこたえるべく核DNA解析によって日本人と呼ばれるようになった人々の足取りを蘇らせたものが本書であります。

従来からもミトコンドリアY染色体のDNA解析により足取りを明らかにしようとする試みは行われてきていた。しかしミトコンドリアDNAは母親由来、Y染色体は父親由来であることから、どうしても断片的な推測にならざるをえない部分があった。これが近年、23本の染色体全体を対象とし100万か所を比較しその変化量に応じてその由来、分岐した時期、比較対象となる他の地域の人々との距離感などを精緻に数量化することが可能となったのだという。

目次
1章 ヒトの起源―猿人、原人、旧人、新人…人類はいかに進化してきたのか
2章 出アフリカ―日本人の祖先は、アフリカ大陸からどう移動していったのか
3章 最初のヤポネシア人―日本列島に住むわれわれの源流を探るアプローチ法とは
4章 ヤポネシア人の二重構造―縄文人と弥生人は、いつ、どのように分布したのか
5章 ヤマト人のうちなる二重構造―従来の縄文人・弥生人とは異なる「第三の集団」の謎
6章 多様な手法による源流さがし―Y染色体、ミトコンドリア、血液型、言語、地名から探る

正直、ゲノム、そしてその変動量をもとにした解析内容についてはあまりにも専門的すぎて僕の理解を超えておりますが、概ねどんなことをやっているのかは想像できる。遺伝子は極々小さな確率で異変を起こすので比較対象との違いの大きさを時間に置き換えることが可能になる。どのくらい前に分岐したのかが予測できるというわけだ。一方で複数の比較対象があった場合、同じものを持っているものとそうでないもの、部分的にそのような状態が入り混じっているものを並べていくことでどの集団とどの集団が合流・交雑しているかといったこともわかるようになってくる。

昔読んだ本では伝統的なレシピを例にして説明されていた。大きな集団のなかでとある料理のレシピの違いを分析していくと、Aという素材を使うグループとB、Cといった素材を使うグループ、また味付けが違うなどさまざまなヴァリエーションがあるとしたときに、地域に時間をかけて伝播していく料理のレシピが変化圧をうけて変わっていったものとみることができると。これを精緻に分岐することで共通のレシピをもっている集団から分岐・再統合した集団の動きと前後関係がわかるのだという話だったと思う。

そうして浮かび上がってきた日本人の源流はやはり予想を超えて複雑な経緯を持っていました。


第一段階
約4万年~4400年前
第一波の渡来民がユーラシアのいろいろな地域から様々な年代に、日本列島の南部、中央部、北部の全体にわたってやってきた。北から、千島列島、樺太島、朝鮮半島、東アジア中央部、台湾からというルートが考えられる。特に1万2000年ほど前までは氷河期であり、現在浅い海となっている部分は、当時は陸地だった。


第二段階
約4400年前~3000年前
日本列島中央部に、第二の渡来民の波があった。彼らの起源の地ははっきりしないが、朝鮮半島、遼東半島、山東半島に囲まれた沿岸部、およびその周辺の「海の民」だった可能性がある。彼らは漁労を主とした採集狩猟民だったのか、あるいは後述する園耕民だったのかははっきりしない。以下に登場する第三段階の、農耕民である渡来人とは、第一段階の渡来民に比べると、ずっと遺伝的に近縁だった。第二段階の渡来民の子孫は、日本列島中央部の南部において、第一波渡来民と混血しながら、すこしずつ人口が増えていった。一方、日本列島中央部の北部地域と日本列島の北部及び南部では、第二波の渡来民の影響はほとんどなかった。



第三段階前半
約3000年前~1700年前
弥生時代に入ると、朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から、第二波渡来民と遺伝的に近いがすこし異なる第三波の渡来民が日本列島に到来し、水田稲作などの技術を導入した。彼らとその子孫は、日本列島中央部の中心軸にもっぱら沿って居住域を拡大し、急速に人口が増えていった。日本列島中央部中心軸の周辺では、第三波の渡来民およびその子孫との混血の程度が少なく、第二波の渡来民のDNAがより濃く残っていった。日本列島の南部(南西諸島)と北部(北海道以北)および中央部の北部では、第三波渡来民の影響はほとんどなかった。


第三段階後半
約1700年前~現在(古墳時代以降)
第三波の渡来民が、引き続き朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から移住した。日本列島中央部の政治の中心が九州北部から現在の近畿地方に移り、現在の上海周辺にあたる地域から少数ながら渡来民がやってくるようになった。それまで東北地方に居住していた第一波の渡来民の子孫は、古墳時代に大部分が北海道に移っていった。その空白を埋めるようにして、第二波の渡来民の子孫を中心とする人々が北上して東北地方へ居住した。日本列島南部では、グスク時代の前後に、主に九州南部から、第二波渡来人のゲノムをおもに受け継いだヤマト人の集団が多数移住し、さらに江戸時代以降には第三波の渡来民系の人々もくわわって、現在のオキナワ人が形成された。

日本列島北部では、古墳時代から平安時代にかけて、北海道の北部に渡来したオホーツク文化人と第一波渡来民の子孫のあいだに遺伝的交流があり、アイヌ人が形成された。江戸時代以降は、アイヌ人とヤマト人との混血が進んだ


やはり最新の知見によって浮かび上がってきた日本人の源流というものは想像以上に複雑な経緯があったとはいえ、深く考えるまでもなく、大陸や半島からやってきた人たちにあったわけです。

そりゃそうだ、じわじわと生活しながら生活圏を移してきた結果日本にたどり着いたわけで古代の時代にイスラエルの民とかが突然日本を目指して一直線にやってくるなんてできるわけないじゃん。

そんなの子供でもわかるわと。と考えたときに、僕はヘイトの人たちが日本人の源流を否定している人たちだと思っていたのだけども、彼らが必ずしもそうではないかもしれないという考えが漏れていたことに気づきました。

自分たちの血に大陸や半島の人たちと同じものがあることを重々承知したうえで、彼らを嫌っているということになるとそれは、ここ数日世間を騒がせている登戸の殺傷事件や元事務次官の息子殺しのように親子間で憎しみあい、傷つけあう事件と家庭の事情から外で暴れている人たちは同じ「業」のようなものを抱えているからなのではないかという考えに至るわけであります。

8050問題と呼ばれる中高齢者の「ひきこもり」は推定では56万人くらいいるらしい。日本人の人口の0.5%に近い数字になろうか・・・・。

報道で「ひきこもり」=事件予備軍みたいな偏見の植え付けは避けるべきということが流されています。 それはごもっともで問題は家族間での憎しみあいが家庭内外での暴力に通じているということだ。 若年層の「ひきこもり」も同じぐらぃの人数がいるのではという推測もある。つまり、日本人の1%ぐらいつまり100人に一人ぐらいの割合で社会に溶け込めない人がいる社会だということだ。

それだけ価値観や好みに分散がない同一性が高い集団で柔軟性・鷹揚な部分が切り捨てられている可能性は高い。 旧約聖書に描かれた最初の殺人は家族間のものだったし、ジャレド・ダイヤモンドの本でもトライブ・部族で狩猟採集民族的な暮らしをしているひとたちも部族間の衝突よりも部族内・家族内でのいざこざによる殺人・傷害の方が 発生頻度が高かったと書かれていたのではなかったろうか。

実際の事件化するかどうかは別としても家族や親族間での憎みあいが生じるというのはなかなか避けにくいものがあるのだろう。 積年の積もり積もったうっぷんみたいなものが、ある日限界を超えて激しい暴力が起こってしまう。 登戸の事件も元事務次官の息子殺しの件も自暴自棄となって最大限の暴力を発揮してしまう。なんてことになってしまっているように見える。

半島や大陸のことになると骨髄反射的に怒り心頭になってしまう人たちはこの家族の業の印を踏んで民族の単位での業を抱えているということなのではないかという思いが浮かんできました。そしてこの考えにすごく納得している自分がいる。 生まれ落ちたその環境になじめなかったのか、環境の方が受け入れることを拒否したのか、あるいは両方なのかわからないけども、社会と対立し、社会や自分を生んだ親を怨み、激しい嫌悪を抱いた結果、ひきこもるか、家庭内暴力に走るか、クレーマーやヘイトとなって外で暴力をふるうか、反応も対象も異なるけれどもどうも共通点があるように見えてならないのは僕だけだろうか。


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インフルエンザ・ハンター: ウイルスの秘密解明への100年
(Flu Hunter: Unlocking the Secrets of a Virus)

ロバート・G・ウェブスター(Robert G. Webster)

2019/05/19:インフルエンザウィルスを人生かけて追ったご本人の自伝的な本だという。売り文句に「インフルエンザ界のインディー・ジョーンズ」なんてのがあるので、さぞやド派手な展開が待っているのかと思ったりしましたが、全然そんなことはなくて地道で王道をいく調査研究人生を歩んだ方でした。もっといろいろエピソードをちりばめて面白く書こうとしたらいくらでもできたのではないかと思うのだけど、専門的な背景や推論などに多くの紙面を割き、余談は最小限にしている雰囲気から、著者は非常に生真面目であまり冗談も通じないタイプなのかもしれない。

知られている範囲では最初のインフルエンザウィルスによるパンデミックが発生したのは1918年のスペインかぜパンデミックであった訳ですが、著者はこの起源から近い将来起こり得るパンデミックの可能性とそれに対する対応策までを本書のなかで一気に書き切りたかったのだろう。かなりの駆け足で本書は進んでいく。

目次
モンスターの出現―1918年のスペインかぜインフルエンザ
インフルエンザ研究の夜明け
オーストラリアの海鳥からタミフルまで
研究はカナダの渡りガモへ
デラウェア湾―最適な場所で、最適な時期に
動物種間のウイルス遺伝子伝播の証明
ウイルス学者の中国訪問
インフルエンザウイルスの温床「香港」―生鳥市場とブタの処理過程
世界探究―1975~1995年
動かぬ証拠―The Smoking Gun
鳥インフルエンザ―H5N1亜型の出現と拡散
21世紀最初のパンデミック
SARSとヒトに感染する第2の鳥インフルエンザウイルス
1918年のスペインかぜインフルエンザへの答えを掘り起こす
1918年のスペインかぜインフルエンザウイルスの蘇生復活
パンドラの箱を開ける
未来へ向けて―十分な備えはあるか?


エピソードは乏しい反面、本書はいくつも重要な情報を僕らに与えてくれる。最初の衝撃は、スペインかぜインフルエンザウィルスが何故突如強毒性の殺人ウィルスとして登場してきたのかという問題。

これについて推測の域はでないものと前置きしつつ、第一次世界大戦で使用された化学兵器の影響を示唆するものだ。

引用もするけど、短く云えば戦場で使用された化学兵器によってインフルエンザウィルスの遺伝子に変化が起こり強毒化した可能性がある。病原体の発生起源がスペインではなく、ヨーロッパの戦線だった。これは戦時中であることから疾病者の情報は秘匿されていた。伝染が広がったことが民間で最初に検知されたのがスペインであったため、スペインかぜパンデミックとして知られるようになったのだという。

なんとマジか。詳しくは下記を。

戦争において化学兵器の使用を禁じるハーグ条約が1907年に締結されていたにも関わらず、第一次世界大戦では両陣営によって毒ガス兵器が使用された。ドイツは化学工業が最も発達した国だったので、ドイツ軍が最も頻繁に化学兵器を使用したのは驚くに値しないが、当然ながら他の軍隊でも化学兵器は使用されていた。化学兵器使用のピークは、インフルエンザが前線の兵士の間で蔓延していた時期と重なっていた。主な化学物質は、塩素ガス、ホスゲン(塩化カルボニル)ガス、マスタードガスだった。 主な化学兵器は致死的でないことが多いが、皮膚の爛れや失明、そして呼吸器の障害を起こすため、軍隊を弱体化させる結果をもたらした。失明していたり負傷していたりした多数の兵士を前線から後方に退かせなければならず、そのために弾薬・食糧・新兵の供給ラインが妨げられることとなった。塩素ガスは心理兵器としても有効であり。こちらに向かって近づいてくるガス雲は、兵士たちを恐怖に陥れた。私の父もこの恐ろしいガス雲を経験した兵士の一人であった。

ホスゲンガスとマスタードガスは、細菌の中で遺伝子DNAが複製する際に読み間違い(=遺伝子変異)を起こさせる突然変異発物質として知られている。遺伝子研究の実験では、インフルエンザウィルスの病原性の強弱に関与する遺伝子コードを調べるために、意図的に突然変異誘発物質を用いてウィルスに変異を入れる実験も行われる。当時のヨーロッパの塹壕戦においては、インフルエンザウィルスに感染した兵士たちが、マスタードガスという突然変異誘発物質に晒されることによってウィする遺伝子に変異が入り、そのため比較的病原性の低かった第一波のウィルスが、殺人ウィルスに変異してしまった可能性がある。ひとたび変異した殺人インフルエンザウィルスが出現すれば、何千人もの衰弱した兵士で溢れかえった塹壕は、そのウィルスが増殖・伝播するのに理想的な場所であった。


どうだろう。こう書かれているのを読むとほんとありそうな話に読めるけどもなー。

インフルエンザウィルスには大きく 型(type)と呼ばれるものがあり、一般にはA型、B型が知られているが、C型、新たにD型の存在が提唱されているという。B型はヒトの間で流行している季節性のインフルエンザ。B型以外のウィルスには亜型 (subtype)があり、A型では16種類がみつかっており水禽類にこれらに感染しているという。

A型のインフルエンザウィルスの遺伝子は8つの分節に分かれており、そのうちHA(ヘマグルチニン), NA(ノイラミニダーゼ)と名付けられた2つの分節の遺伝子タイプにより亜型と呼ばれるサブタイプが生まれている。

感染した動物の体内でインフルエンザウィルスは遺伝子を交雑し次々と新しい組合せを作り出してしまい、それのどれが強毒性、高感染性を有し次のパンデミックを生み出すのかは予測が難しい。

毎年のように流行する季節性インフルエンザと強毒性のインフルエンザの違いはどこにあるのだろうか。そしてその強毒性のインフルエンザに罹患した場合我々の体はどうなってしまうというのだろうか。

ところで なぜスペインかぜインフルエンザウィルスの感染によって、あれほど膨大な数の犠牲者が出てしまったのだろうか。前述の人工的に作成したスペインかぜインフルエンザウィルスによる動物実験の研究から、このウィルスは感染動物の呼吸器で非常によく増えた(マウスの場合、他のH1N1亜型ウィルスに比べて最大100倍も増殖効率が高い)、ヒト肺の培養細胞においても極めてよく増殖した。このように、ウィルスが高い効率で増殖することによって、肺サーファクタント(呼吸の際に肺胞を膨らませるための表面活性物質)や抗ウィルス作用をもつ何十種類もの生化学物質(サイトカインなど)を分泌する呼吸器の細胞上皮が大きな損傷を受けた。そのような大量のウィルス増殖に反応して、体内では大量のサイトカインが無制御に過剰分泌され、「サイトカインストーム」と呼ばれる反応が引き起こされた。大量のサイトカインの分泌は、ウィルスを殺すための毒性だけでなく、自分自身の体に対しても強い毒性を示してしまうのだ。そのため、スペインかぜインフルエンザウィルスに感染した人々の体内では、呼吸器における大量のウィルス増殖による直接的な強い細胞障害に加えて、本来は感染防御に働くサイトカインの過剰反応によって、自分自身のさまざまな臓器・組織を破壊してしまったのだ。それらが組み合わさった結果、肺の出血や中枢神経の損傷が起こり、多臓器不全によって死亡したのである。患者の肺は肺出血とともにサイトカインストームの結果分泌された大量の滲出液で満たされ、そのため酸素欠乏状態となった患者の皮膚はチアノーゼを起こして青色に変色し、患者は最終的には溺死状態で死んでいったのだ。


読めば読むほど恐ろしい。インフルエンザウィルスの毒性というのはその増殖力にあるらしい。スペインかぜインフルエンザウィルスに匹敵する、あるいはそれを超える増殖力を持ったウィルスが出現し対応が遅れた場合将来甚大なパンデミックが起こる可能性がある。

本書ではそれを検知するためのネットワーク、組織、病原体の研究、抗体や薬品の開発が進められている。しかし、変異する力の強いインフルエンザウィルスとのいたちごっこは続いており決定打が見つかる可能性は低い。

本書は最新のインフルエンザウィルスに対する知見を得るという点では非常に有用な一冊であったと思います。

ただし、エピソードは薄い。スペインかぜインフルエンザウィルスと云えば鉄人みたいな人がいたよなと思って振り返ると、ピート・デイヴィスの「四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う」に登場してきたヨハン・フルティン(Johan Hultin)。当然本書でも接点があるはずと思って読み進めていきましたが、でてくるはでてくるものの、凍土のなかから当時のインフルエンザウィルスを発掘したその話すら、「幸運だった」みたいなうっすいコメントで済まされていて、びっくりしたわ。この人はほんとものに動じないというか、世間に興味がないのではないかとすら思う寒い人柄が垣間見れるという点で一風変わった本でした。

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脱落者(THE TRANSGRESSORS)
ジム・トンプスン(Jim Thompson)

2019/04/30:さて平成もいよいよ最終日となったGW最中の夜に記事をかいております。TVはどの局も退位と過ぎゆく平成の話題で持ち切りであります。人生の重要な局面の大部分を平成の世で過ごしましたが、だからといってさほど「平成」という時代そのものにはに思い入れはないなー。

個人的にはとても幸せに過ごしましたが、世の中的には後世に誇れるような時代では決してないと思う。

明日からは令和という新しい時代がはじまる訳ですが、政府が民意をきちんとくみ取り、若い世代を育て上げ、地球環境や経済や国際情勢において次代につなげられるような政策が実行できるようになってほしいと思います。

トンプスンの未約の作品が近年ちらほらと出版されてくる。大変喜ばしいことの上ない。先般は「ドクター・マーフィー」。

つい最近だったと思ったのにもう二年も前だった。年とってくると過去の出来事の遠近感がどんどん怪しくなる。そして出来事同士の前後関係も・・・。 鮮明な出来事だけが脳裏に残って普段の当たり前の日常はただひたすら怒涛のように流れていってしまうからなのではないだろうか。

もっと毎日毎日を大切にして生きていかないと、ただでさえ残り少ない余生があっという間に終わってしまうじゃないか。

本書「脱落者」は1961年12月に出版された長編小説19番目の作品だ。「ゲッタウェイ」と「グリフターズ」の間に書かれたものになる。

テキサス州の西のはずれ、夏の終わりを迎えようという昼下がり、田舎道をコンヴァーチブルが走っている。乗っているのは保安官補のトム・ロード。同乗しているのは娼婦のジョイス・レイクウッド。

トム・ロード自身、話がしたくてクルマで出かけたと言っているくせに、わざとはぐらかしているのかちぐはぐでかみ合わない会話が続く。更には故意にクルマのサスペンションを折り、近隣の建物に助けを求めて近づいていく。

そこは石油の試堀井で登録された検査員にはトム・ロード本人、現場責任者はマクブライドの名前が記されていた。

トム・ロードは何かこの石油会社との間で問題を抱えている模様で、少し前にマクブライドを街中でコテンパンに叩きのめしていた。彼はそうなる機会を虎視眈々と待ち構え、保安官補の立場を最大限利用して行動に出たのだった。

試堀井の施設には数名の男たちがいたが機械が壊れてしまったため工事が中断したためクビになったところだという。行くところもないので施設内の小屋で過ごしていたのだった。クルマの修理に必要な機材は倉庫にあり、その倉庫は会社が施錠してしまったため開かない。

トム・ロードは弁償するからと断り、彼らの前で倉庫をこじ開け道具を取り出すとクルマの修理を始めたのだが、そこにマクブライドが現れる。倉庫をこじ開けたトム・ロードの姿に激高したマクブライドは拳銃を持ち出してトム・ロードに迫っていく。

二人は激しいもみ合いとなり、結果マクブライドは自分の銃で自分の頭を打ち抜き死んでしまうのだった。

マクブライドが死んだのは事故なのか故意なのか。

保安官補を辞めジョイスと酒浸りの日々を送るロード。一方でマクブライドには年の離れた若い妻がいた。彼女は出産間近だった。しかしマクブライドの死のショックで死産となり夫と子供の両方を一度に失ってしまうのだった。彼女はトム・ロードがマクブライドを殺したのだと信じていた。

「ひとにはこの世界があるだけだ。あとは花火だ。この世界、そして花火。ひとはそんなに長く生きられない」

未完の短編「この世界、そして花火」でも描かれていた世界観がここでも登場していた。明日のことよりも今この瞬間をどう生きるかという一点のみに集中し利己的に振舞う。それこそが誰一人、自分自身ですら信じられないこの世界で生きる最善の方法なのだという哲学。

長く生き続けることよりも、その時楽しめればいいじゃないかという刹那的に達観した人生観がここにある。なんども取り上げられていることから明らかだと思われるのはこうした世界観や人生観はトンプスン自身の考えなのではないかということだ。

トム・ロードは拳銃を携行していない。話のはぐらかしかたや周囲の人たちとの関係性など、それはまんま「内なる殺人者」のルー・フォードが時と場所を変えて登場したかのような設定。そして一緒にいる女性もジョイス・レイクランドと完全にかぶっている。ここからして本書はめっちゃ曲者だ。

トンプスンは読者が「内なる殺人者」を読んでいる可能性を踏まえて敢えて重ねてきている。同じようで同じにはならないということを最初から宣言している訳だ。主人公が全く信頼のおけない人物であるという状態のまま進んでいく訳だが、案の定全く先が読めない。行き当たりばったりなのか、それとも念入りに練りこまれたプロットなのか。一癖も二癖もある登場人物が何人も登場し物語は混迷を極めていく。そうなるとこの本の行きつく先は一体どこなのか。


「内なる殺人者」のレビューはこちら>>

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わたしの町は戦場になった
(シリア内戦下を生きた少女の四年間)(Le journal de Myriam)

ミリアム・ラウィック (Myriam Rawick),
フィリップ・ロブジョワ (Philippe Lobjois)

2019/04/28:先日はスリランカのコロンボで大規模な同時多発テロが発生し多くの人の命が奪われた。その後の捜査でテロ組織のアジトがみつかり警察隊との間で銃撃戦の末自爆、近隣の住民にも死者がでるという事態になっているようだ。アジトからはイスラム国(IS)の旗が見つかったという。イスラム国はスンニ派の過激組織だ。

こうした報道を見ているとイスラム過激派と国際社会が衝突しているのか、キリスト教社会とイスラム教社会の波がぶつかりあうところで争っているのかという印象をどうしても持ってしまうのだが、中東の紛争も含めて物事はそんなに単純な話ではないようだ。単純な話ではないらしいところまでは解ったつもりなのだけど、では実際のところどうなのか。ずいぶんといろいろな本を読んできたつもりだけれども、やはりちっとも理解できた気がしない。

本書は2011年あたりから急速に先鋭化していったシリアの内戦に巻き込まれた一人の少女の日記をもとにしたものだ。少女の名はミリアム・ラウィック。

ミリアムは、アルメニア系シリア人のクリスチャン。彼女の先祖は、1915年にオスマン・トルコ帝国で起きたアルメニア人大虐殺の生き残りです。一世紀前、祖先はシリアに逃げ延びて、アレッポ北部のジャバル・サイデ地区に住み着きました。そこはミリアム一家が暮らしていた地区でもあります。しかし、2013年に一家はジハーディストによって、この地区を追われることになったのです。 2011年、アレッポでバッシャール・アサド大統領に抗議デモが次々と起きました。ミリアムが七歳の頃のことです。その一年後の2012年、ミリアムは初めて生で銃声を聞き、次いで、爆弾が炸裂する音を知ります。それでも日が経つにつれ。銃声や爆発音にも少しずつ慣れはじめ、むしろ爆撃がないことのほうが不思議に感じられるようになっていきます。その後、ミリアムは人の死というものを経験します。次々と大好きだった人たちの命が奪われていきました。そんな凄まじい恐怖と深い悲しみが、2016年まで続くことになります。


10歳そこそこの少女が暮らすアレッポの街は美しい色彩と様々な美味しそうな匂いが漂う素晴らしい場所だった。古い歴史を持つ建物がある一方で近代的で現代的な暮らしを営んでいた。逆に僕はアレッポの街がこんなにも平和で美しい場所だったことにまごついてしまう。僕らはアレッポの町はボロボロの廃墟のような場所の方が見慣れてしまっていたからだ。そのような平穏な生活に徐々に抗議デモや銃声が近づき街は荒廃していく。暴力の気配に慄きながらも荒れていく街並みを見つめる彼女の日記が心をえぐる。果たしてアレッポは何に襲われているのか。

ここでは一言反体制派という表現を取っている。宗教や人種的な集団もあるにはあるようだが、宗教的・人種的対立や差別といったものが直接の引き金になっている様子は基本的にないのだ。そして対する政府側、バッシャール・アル=アサド大統領はアメリカからは国民を虐殺しているとかテロ支援国家だとかならず者のような取り扱いになっていたはずだが、ミリアムも両親も政府側を非難したり非道な政策や行為が起こったりしている様子も全くない。上述の通りミリアムも両親もクリスチャンだが、通っている学校のクラスメートはイスラム教の子だったり人種が違っていたりするのだけれども、とても仲良しで困ったときには助け合ったりもしているのだ。

ここでwikiの助けを借りよう。

シリアで内戦の激化には主に四つの理由があるという。

①敵対するイスラエルと国境が接している

②シリアバース党政権は親露、親イランで、スンニ派の湾岸諸国は親欧米・親NATO諸国と対立している

③クルド人の問題でトルコ政府と対立している

④アサド大統領はシーア派の分派でありキリスト教の影響も強いアラウィー派、反政府勢力であるスンニ派イスラム主義勢力と対立している

何度読んでも訳が判らなくなるなこれ。

欧米・NATOが支援しているのがスンニ派でどちらかというとイスラム主義よりなのはなんでなのかというところから迷子になる。しかもそれもそのはず親米の代表格であるサウジアラビアは未だ絶対君主制を引き、ワッハーブ主義に基づく厳格なイスラム教義を国の根幹した国なのである。そのサウジと欧米が協力関係にある理由は単純明快、石油供給が必要だからだ。

つまり反政府勢力を支援しているのはだれあろう。我々自分自身だったのである。映画「エンゼルハート」の戦慄を現実は遥かに凌ぐ悪魔的な状況であった。

石油供給を自由経済だと呼べば呼べるのかもしれないけれども、その一方で厳格なイスラム主義やまして絶対王政のような政治体制を容認してしまっているところに矛盾があり、この矛盾とねじれが中東情勢を複雑怪奇なものにしている。そしてそれが未曾有の紛争・虐殺、膨大な難民といった事態を代表とする不幸を生んでいるのだ。西欧諸国の、そして日本の安定したエネルギー供給を基盤にした平和と現代的な生活は中東のこうした不幸と相殺されている形になっている訳だ。人命に値段が付けられないとう前提に立ったとき、果たしてこの構図は底なしにマイナスなはずだ。

このような状況は西側諸国としては非常に都合が悪い。都合が悪いのであまりおおびらにならないように蓋がされている。複雑な話がますます複雑になるように念入りに事態をややこしくしているのではないだろうか。現代人はみんな忙しくて、じっくり状況を調べたりしている時間はない。簡単なニュースでもちゃんと理解することが難しい。

ややこしい話は埋没していき誰も何が進んでいるのかわからなくなってしまう。わからないから誰にも邪魔されずにやりたいことをどんどん勝手に進められるのである。かくして自体はどんどんややこしくなり、不幸はとどまることがない。 こうした不幸の輪廻から世界は脱出することができるのだろうか。その為に僕らが自分たちでできることは何があるのだろうか。


△▲△

リベラル vs. 力の政治: 反転する世界秩序
(Is This the End of the Liberal International Order?: The Munk Debates on Geopolitics)

ニーアル ファーガソン(Niall Ferguson),
ファリード ザカリア(Fareed Zakaria)

2019/04/21:「リベラルな国際体制は終わったのか」というテーマについて対談を行い、視聴者がその勝ち負けを決めるという趣向のイベントでのやりとりを本に起こしたものなのだそうだ。ずいぶんと白熱した議論が行われ、視聴率も高く内容的にも高く評価されているものだという。ホストがおり、対談というか対決する二人、そして会場でネットでリアルタイムでこれを聞き勝敗を下す視聴者がいる。ずいぶんとドラマチックな演出です、そこで闘わせられるテーマは非常に重要な話ですが、果たして日本でそんな番組が成立するのかしら。すっかり平和ぼけして軽薄短小となってしまった日本人にはこのようなややこしい問題を取り上げる番組が作られてもおそらく喰わないに違いない。

番組の名前は「ムンク・ディベート」カナダの著名な討議番組なのだそうで、お国柄なのか、どうなのか気になるところです。

この番組のホストはラッドヤード・グリフィス(Rudyard Griffiths)。カナダのオーリア財団のプレジデントで政治、歴史、国際問題の分野に造詣が深く方。 そして対決する二人。まずはリベラルな国際体制は終わっていないという立場をとるファリード・ザカリア(Fareed Zakaria)。インド・ムンバイ出身で『フォーリン・アフェアーズ』の編集者に若くして抜擢され、CNNの人気番組『ファリード・ザカリアGPS』のホストを務めるなど、アメリカを代表するジャーナリスト・国際問題評論家。

反対の立場を取っているのはニーアル・ファーガソン(Niall Ferguson)、スコットランド出身。ハーバード大学で歴史学の教授を務める人物。タイム誌は「世界で最も影響力のある100人」の一人に選んだ人なのだそうです。事前の視聴者の投票ではザカリアの意見に同意する人が多数だという。果たしてスリリングな討議が展開され視聴者の意見はどう変化することになるのか。

制限時間着きで主張を重ねていく二人の話がほぼそのまま収録されている形になっているようで、非常にコンパクトな一冊ですが、これがなかなか重たい。 このなかでファーガソンが主張している大きなポイントの一つは現在の国際体制の最大の受益者は中華人民共和国とそれを一党独裁している中国共産党だ。リベラルな国際秩序の最大の受益者が共産党だという時点で現在の状況がおかしなことになっている査証ではないかというものです。

そして格差・貧困・紛争は現在の国際体制を蝕んできている。かつてはこの国際体制によって平和になったかもしれないけれども、今は終わりの始まりだという。さらにこの国際秩序は繁栄とアメリカの強い推進力があったからこそ成立していたにすぎないとも述べていました。

ザカリアはこれに対して、戦後のこの国際秩序が多くの国を貧困や戦争状態から脱却させてきたこと、中国は確かにいま過渡期にあるが今後徐々にリベラルな思想に転換してくるはずで、リベラルな国際体制は盤石とまでは言わないまでも終わってはいないという立場で議論を進めていきます。

巻末に収められている解説も読みどころがある内容となっておりこれを書いているのが山下範久氏社。この方は日本の社会会学者・歴史学者。専門は、歴史社会学、世界システム論だそうです。山下氏は解説のなかで以下のように述べていました。


今日やはり最も大きな問題は、このリベラルな国際秩序の前提である「繁栄」、すなわち世界経済の持続的な成長への期待が縮小していることでしょう。すでにご覧の通り、このディベートは「リベラルな国際秩序は得終わったのか?」という論点をあらかじめ設定して行われ、ザカリアがリベラルな国際秩序は依然として有効であると主張し、ファーガソンはそれに反対しました。両者が意見を闘わせると、ザカリアはリベラルであるため、相対的にファーガソンは保守の立ち位置で語っているように見えます。

たしかに、彼の反グローバリズムの主張は、ある面では、国益のリアリズムの論理に貫かれています。しかし、議論の全体を見れば、両者の対立軸は「リベラルVS保守」つまり左と右の対立ではなく、「中道VS両極」と表現すべきでしょう。ザカリアが擁護しようとしているリベラルな国際秩序はいわば左右両極から挟撃されているのです。


更には日本の取るべき立場についても主張されていましたが、とても常識的な意見だと思います。今の日本政府に残念ながら常識はなくて、この主張に近づいてくる可能性はほぼゼロだと思うけど。

現在の先進国が直面している問題は正にこの中道VS両極という一言に尽きると僕も思います。中道が多数派として存在し続けることができなくなった時国際体制なのか一国の政治体制なのかどこから崩れるかはわからないけれども、そこでは取り返しのつかない方向へ倒れてしまうと思う。そして繁栄への期待が縮小している現在、その可能性は高まっていると思う。

自民党は消費税増税するかどうかで激しく揺れている模様だが、経済の先行が暗いのは先刻からすでに解っていることじゃないだろうか。一機140億もする戦闘機が海に墜落して行方不明となって数日が経つがそんなことに税金を使うのではなくもっと生産的な使い道があろうに。

また中国の動向について僕は中国共産党がどうなるとかエリートの人たちの信条がどうなっていくのか想像の域を超えているが、激しく人口縮小の波に襲われることは予想できる。そうなったときに中国における中核層と両極のバランスが保てるとはとても考えにくい。どこの国でもエリート層は少数派だからだ。世界最大の人口を抱える中国がその小さな中核層をのみこむのにそれほど時間は必要ないのではないかとも思う。

問題はそのあとに出現する政府なのか、勢力なのか、民族なのかがどう動くのかということで、それがリベラルで平和主義な集団な訳がなかろうと思います。それは脅威ではあるけれどもしかしそれに対して日本にF35はいらんよね。難民にステルス戦闘機で攻撃しないでしょ。天安門でもそんなことは起きなかったよ。


△▲△

ブラック・ハンド
(The Black Hand:The Epic War Between a Brilliant Detective and the Deadliest Secret Society in American History)

スティーヴン・トールティ(Stephan Talty)

2019/04/14:先日、「グリーン・ブック」を観てきた。2018年のアカデミーで作品賞を取った作品だ。個人的にはロード・ムービー大好きという立ち位置から観ていたのだけど、その点では若干消化不良でした。映画としては非常に面白かったですよ。実話なので車で移動もしたのだろうけども、ロード・ムービーとして観るとちょっと残念だけど中途半端だったな。

本作が賞をとったことで、スパイク・リーがやけになった発言をし、 「ブラック・パンサー」のチャドウィック・ポーズマンも不満を表明してて、黒人差別の実態を描いている踏込が浅いとかに留まらずいろんな批判の声もあがっているようです。

ドクター・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリは商業映画である以上、多くの観客が観にきてくれる内容のものにならざるを得ないというようなことを言っておりました。

僕も同感で、目を背けたくなるような内容だったり、過度に反感を持っている人を刺激するような内容だったりするものを作っても売れないし、分断の溝は深まるばかりだろうと考えます。

また映画のなかでは、ドクター・シャーリーと運転手兼用心棒のトニー・リップが対立するシーンでは王宮に住んでいるかのような生活をしているドクター・シャーリーに対し、腕時計を質屋に入れて家賃を払う、まさに爪に火をともすような生活をしているトニーが、黒人差別って云うけども自分とあんたを比較したら自分の方が「黒い」と言い返しておりました。

ドクター・シャーリーはそういう意味で黒人文化からも白人文化からも切り離された存在であるのだけれども、誰からもそれを理解されない疎外感を抱えている男だったというのが映画の中核になっている訳で、黒人全体の差別の歴史をおいている訳ではないので、踏み込みが浅いみたいな批判はそもそも的外れですらあるとも思う次第であります。

ところでこのトニーが言うところの、イタリア人だって貧困で差別されてんだ。という主張についてですが、いきなり本書「ブラック・ハンド」はそれを背景に起こった一種の社会現象と、それに立ち向かった刑事の物語なのでありました。

イタリアが戦争により経済が疲弊し暮らし向きが非常に厳しくなった関係から、アメリカに渡ろうという人があとを絶たなくなる。東海岸に着の身着のままでたどり着いた大量のイタリア人はよそ者であるばかりか、変な話し言葉でおかしな物を食べている妙な連中で、先住しているイギリス、アイルランド系の人々はらは敬遠され、差別を受けるようになっていったようだ。貧しいが上に安い賃金で半端な仕事や危険な仕事を割り振られ、補償もろくにされず使い捨てのような扱いだったようだ。

リトル・イタリーはこうした差別と分断によってイタリアからの移民たちが寄り集まってできた街で、結果的にそうして固まってしまったことで更に距離感も縮まらず分離が続いたのだろう。「グリーン・ブック」では差別されているのは黒人だけじゃなかったのだということもそれとなく主張していた訳なのでありしました。

「ブラック・ハンド」はこうした云わば社会的弱者のような集団のなかで、少しでも成功した者たちの足を引っ張るような形で登場した犯罪集団だった。子女を誘拐したり、建物に爆弾をしかけたりする、あるいは予告をすることで被害者たちから金を巻き上げていくのだった。彼らは脅迫状に記された黒い手の絵からブラック・ハンドと呼ばれるようになった。

黎明期のブラック・ハンドは脅迫状の書き方や手口を真似た模倣犯が個々に無関係に行っていたものだったようだが、犯罪者同士が連携し次第に大規模なネットワークになっていったようだ。

ジョーゼフ・ペトロシーノは1860年8月30日にイタリア、カンパニア州サレルノにあるパドゥーラという町で生まれた。イタリア王国誕生の前年である。近代国家として生まれたイタリア王国だが、経済の停滞と貧困は長く続き、カンパニア州を含む南部は特に酷かったようだ。

ペトーシーノが13歳の時に、父は渡米を決意する。これはイタリア移民が大量に発生するよりも少し前のことだった。いわば先駆的な行動だったのだ。であるが故に少年ペトロシーノが受けた迫害は激しいものがあったようだ。それにさらに追い打ちをかけたのが父のビジネスの失敗。

彼は学校を辞め、靴磨きで家族の生計を支えざるを得ない状況になってしまうのだった。

このままで終わる訳にはいかない。ある日靴磨きの道具を蹴散らして一大奮起し、よりよい仕事を探して転々とし一所懸命に働いた。そして手に入れたのは市のごみを海に運んで投機する平底船の船長。ここでも頭角を現すペトロシーノは、その働きぶりを目にとめた刑事から「警察で働かないか」とスカウトされるのだった。

1900年初期のアメリカの文化というものがこんなにも見慣れないものだったとは。何よりイタリア人に対する扱いのひどさといったら何これというくらいひどいものだった。「グリーン・ブック」のトニーは時代がもっと下り、貧しいとはいえあからさまな人種差別と呼べるほどの扱いはされていなかったが、ペトロシーノの時代はそうではなかった。もっとずっと深刻で厳しい扱いを受けていたのだ。

ペトロシーノは警察官になったが当時の警察社会はほぼアイルランド系の人々で占められており、イタリア人は稀であった。ここでも差別と戦わなければならなかったのだ。さらにはイタリア人たちからも裏切り者としてみる者もいて彼は正に四面楚歌という状況に陥ってしまう。しかし彼はこの状況を静かに受け入れ戦い抜く気概を持っていた。彼はイタリア系だアイルランド系だではなく、アメリカ人としての誇りを持っていたようなのだ。

イタリア語のそれも方言も聞き分けられる言語能力と人の顔を覚える抜群の記憶力を駆使して彼は警察のなかでもめきめきと頭角を現していく。こうして組織力を高め、犯罪数を伸ばしてきたブラック・ハンドと激しく正面衝突する舞台が整っていく。ペトロシーノの人間業を超えた活躍には瞠目するしかない。聞けばディカプリオで映画化されるらしい。これはなかなか面白いものになりそうだ。

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