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進化の技法 転用と盗用と争いの40億年
(SOME ASSEMBLY REQUIRED Decoding Four Billion Years of Life, from Ancient Fossils to DNA

ニール・シュービン(Neil Shubin)

2022/03/27:ニール・シュービンの本は二冊目。一冊目は「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト」こちらは水生動物と陸生動物の合間をつなぐ中間種とされるティクターリクの発見と、この生物の手足の骨格が魚のヒレ由来であることの解明、そしてこうした拡張変化が、嗅覚や視覚、聴覚といったものも、従来水生生物が獲得していた機能、期間の発展転用であることを明らかにするものでした。

本書もその切り口でいえば類似のものですが、その対象となる話題はとても広くて深みのあるものになっています。ティクターリクのように水生生物が陸生生物へと移行していくためには、鰓呼吸から肺呼吸への移行が必要になる。嗅覚も水中のなかでは役立っていたものはそのまま陸上では役に立たたない。手足とひれの問題もしかりである。移行するには並大抵の変化では対応ができない。その一方で遺伝子レベルでの変化は歩みが遅く、大きな変化を短期間で実施するには不向きな性質を持っていると思う。

ではどうやって水生動物は陸生生物へと移行できたのだろうか。同じように鳥が空を飛べるようになるためには羽毛を持つ羽だけではなく、中空の骨のような極端な軽量化が必要になる。飛行する生物への移行も非常に大きな変更が伴うものになることは明らかで、中途半端な途中段階にある生物がいるとしたらそれは非常に不効率で無駄の多い生き物になってしまうのではないだろうか。

しかし魚に関して言えば多くの魚が浮力調整のために体の中に浮袋を持っている。陸生動物の肺はこの浮袋の転用なのだという。そして空気呼吸する魚は非常に多いのだという。つまり両生類のような生物が突如として陸生生物へと移行していく遥か昔から肺呼吸のような機能をもった魚がおり、これらの機能を受け継いだ両生類が地上へと進出していく、かなり前もって獲得された機能を上手に活用して生物は進化してきたのだという。

こうした生物の進化にかかわっているのは遺伝子になる訳だが、近年の遺伝暗号情報の解読や遺伝子操作による実験の結果、おどろくべきことがいろいろとわかってきた。本書の本題はここからはじまる感じだ。

整理のためにちょっと。ゲノムとは、「遺伝情報の全体・総体」であり生殖細胞にある染色体全体を意味するもの。真核細胞内にあるDNA二重らせん構造をとっているもの。ヒトの染色体は46本ある。遺伝子はこのDNAを担体として、塩基配列にコードされる遺伝情報のこと。わかったようでわからない。難しい。

長さ1・8メートルのDNAの鎖は、ぎっしりと巻かれ、針の頭より小さくなっている。想像してほしい。そのDNAの鎖が100万分の1秒ほどの間に開いたり閉じたりし、のたくったりねじれたりしながら毎秒数千個の遺伝子を活性化している様子を。卵が受精し、成長して、私たちが成年期を過ごす間、遺伝子は絶えずオンになったりオフになったりしている。ヒトはたった1個の細胞から始まる。やがて、細胞が増殖するとともに、種々の遺伝子が活性化されて細胞の活動を制御し、体内の組織や器官をつくり上げる。私がこの本を書いている間にも、あなたがこの本を読んでいる間にも、4兆個の細胞のすべてで遺伝子のスイッチが入っている。DNAには多数のスーパーコンピューターに匹敵する演算能力がある。そうした指令に基づき、全部で2万個という比較的少数の遺伝子が、ゲノムに散在する制御領域を用いて、線虫、ハエ、ヒトなどの複雑な体をつくったり維持したりしている。この驚くほど複雑で動的な機構に起きる変異こそが、地球上の全生命の進化の原動力になっている。絶えず巻かれたりほどけたり、あるいは折り畳まれたりしている私たちのDNAは、さながらアクロバティックなマエストロであり、発生と進化をつかさどる指揮者である。


常にスイッチがオンオフを繰り返して活動できなDNAの働きがあるからこそ、われわれは普段の生活ができているのだそうだ。こうした活発な活動を常に行っているDNAの姿というのはこれまで想像したことがない概念でした。どうしたら単純な生物から複雑な生物へと進化してきたのだろう。遺伝子レベルから考えるとこれまた途轍もない話だと感じる。しかし魚の浮袋の肺への転用を考えたとき、そもそも目的があって発明しているというよりも、たまたまそのような変化・進化が起き、それが有用であったことで子孫へと受け継がれていったと考える方が正しい気がする。

洞窟に暮らす生物が視覚機能を失っているように、手足や指も環境に応じて不要となった場合には退化していく。指も手足も失われていくのは発生した時の順番を必ず逆向きに進む。そして遺伝情報はオフになった状態のまま失われずに残るのだという。

酸素濃度や気温、明るさなどの外的環境がDNAのオンオフに影響を与え、遺伝情報の変化にも関与している。進化を後押ししているといってもいいかもしれない。他の本でミトコンドリアはそもそも独立した単細胞生物であって細胞内に侵入、共生することで動植物の複雑な細胞が誕生したという話を読んでいましたが、侵入してきたウィルスがDNAに取り込まれることで生物の進化を後押ししている痕跡がたくさんあることがわかってきたのだという。

ウイルスは分子 サイズの狡猾な寄生者だ。そのゲノムは極限まで切り詰められていて、感染と繁殖に必要な装置しか コードしていない。一部のウイルスは、宿主の細胞に侵入し、その核に入り、ゲノムに潜り込む。DNAに潜入すると、宿主のゲノムを乗っ取って借用し、自らのコピーをつくったり、宿主のものではなく自らのタンパク質を産生したりする。こうした感染が起きると、宿主の細胞が工場と化し、1つ当たり何百万個ものウイルスを生産する。HIVなどのウイルスは、細胞間を拡散していくために、あるタンパク質をつくって宿主の細胞どうしをくっつける。このタンパク質の役割は、細胞どうしを接着して通路をつくり、ウイルスがその間を移動できるようにすること。そのために、細胞間の境界に陣取り、交通整理をしている。この話、どこかで聞いた覚えがないだろうか。それもそのはず、シ ンシチンがヒトの胎盤で果たしている役割と同じなのだから。シンシチンは胎盤内の細胞どうしをくっつけて、胎児と母親の細胞の間での分子の交通を整理している。

調べれば調べるほど、研究者らの確信は深まっていった。シンシチンは、要するに、他の細胞への感染能力を失ったウイルスのタンパク質なのだ。哺乳類とウイルスのタンパク質が似ているというこの事実から、新たな説が導かれた。大昔のいつかに、あるウイルスが私たちの祖先のゲノムに侵入した。そのウイルスはシンシチンの原型を持っていた。しかし、私たちの祖先のゲノムを乗っ取って自らのコピーを無限につくらせるどころか、無毒化され、感染能力を奪われ、新しい主人のために使役されるはめになった。私たちのゲノムはウイルスと絶えず戦争をしている。この事例の場合、未解明の何らかの仕組みによってウイルスが感染に必要な部位を失い、胎盤にシンシチンを供給することになった。ウイルスが宿主のゲノムにシンシチンを持ち込み、相手を乗っ取るつもりが逆に自らのゲノ ムを乗っ取られ、宿主に使役されることになったわけだ。

研究者らは次に、さまざまな哺乳類のシンシチンの構造を調べて、マウスと霊長類では型が異なっていることを突き止めた。さらに、複数のデータベースどうしを照合したところ、ウイルスの侵入事件が複数回起きたことで、種々の哺乳類に種々のシンシチンがもたらされたことも分かった。霊長類の型は、現生霊長類の共通祖先にウイルスが侵入した際に誕生した。齧歯類や他の哺乳類が持つシン シチンはまた別の侵入事件で誕生したもので、それぞれのシンシチンの型になった。こうして、霊長類や齧歯類や他の哺乳類が別々のウイルスに侵入されて、別々のシンシチンを持つにいたった。私たちのDNAは、そのすべてが祖先から受け継いだもので構成されているわけではない。ウイル スという侵入者が入り込んできて、使役されるようになった場合もある。つまり、私たちの祖先とウ イルスとの戦争が、数ある発明の種の一つとなってきたのだ。


そしてこの話には驚くべき行先があった、こうしたウィルスのDNAに対する編集機能を切り離し遺伝子操作の実験に活用できることがわかってきたのだという。ウィルス由来の遺伝情報の切り取りや挿入機能をつかって今や遺伝情報は思いのまま編集できるレベルへと達しているのだという。こうした研究を重ねることDNAのどこにどんな情報が納められているのか。どんな時にオン・オフになるのかといったことが今後わかってくるのだろう。しかし、その一方で実験とはいえ骨格や脚の向きや節の数のようなボディデザインを遺伝情報の操作によって変えてしまうというのは畏れすら抱かせるものがあると感じました。

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わが心臓の痛み(BLOOD WORK)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2022/03/19:「わが心臓の痛み」こちらも再読です。本書は1998年の作品で日本では2002年に出版されています。1999年度のアンソニー賞と、マカヴィティ賞(国際ミステリ愛好家クラブ主催)を受賞。またクリント・イーストウッドが監督・主演で映画化もされています。コナリーの本はどれも面白い、なんといってもボッシュシリーズが中核にある訳だが、どうしたことかボッシュのお話は一つも映画化されていない。この「わが心臓の痛み」やミッキー・ハラ―が主役となっている「リンカーン弁護士」などが映画化されるというのはなぜだろう。映画化権は売れているが実現できていない感じで、ファンとしては残念で仕方がない。

ロードショウで観る映画がビデオになりDVD、サブスクになり、「ダーティー・ハリー」や「ブリッド」のような刑事ものからマーヴェル映画へと主流が移り変わってきて、製作費は考えられないぐらい莫大なものになった一方、なんだか映画は一本の映画の価値というか重さというか観る側の思い入れというものはどんどん軽薄になってきた気がします。チャドウィック・ボーズマンの遺作となった「21ブリッジ」を先日観ました。遺作になることが分かって出演していた本人の思い入れは大変なものがあったと思う。映画としてもよくできていた。面白かった。しかし申し訳ない、本当に残念なんだけど、「ダーティー・ハリー」のように繰り返し何度も観る映画にはならない。それは観ている自分自身の思い入れの問題で映画のクオリティではない。ボッシュシリーズが映画化されたとしても似たようなことになってしまう気がする。

それにしてもクリント・イーストウッドがこんな大監督になるとは夢にも思わなかった。あらためて作品群をながめると、アンドリュー・クラヴァンの「トゥルー・クライム」やデニス・ルヘインの「ミスティック・リバー」や本作のようなサスペンス映画を立て続けに出したのを最後に、イーストウッドの作品は他のジャンルにまるっとお引越しした感がある。ミステリー小説を下敷きにした映画を作るのに向かないと思ったのか、売れないと思ったのかはわかりませんが、なんとなく「わかる気」がする。

ミステリ小説の醍醐味はやはり予想外の展開、落ちにあって、それが楽しいがために本を読むわけだけど、繰り返し読むのかと言われるとそうでもない。20年ぶりに完全に忘れた状態で読んで楽しむはアリだと思うが、分かった状態で繰り返し読んでもあまり面白くはないだろう。

一方で映画の楽しみ方というものは「予想を裏切る」というのとは真逆で「お約束」の展開を楽しむという面があると思う。映画なので何回観ても同じことが繰り返されることは自明なのだけど、この局面、このシーン、このタイミングでとある出来事が起こるその瞬間を何度も繰り返して観てしまうということがある。僕ら家族にはそんなシーンについて枚挙に暇がないぐらいだ。

振り返ると「ダーティー・ハリー」に予想外な展開はあんまりなくて、犯人もわりと最初から面が割れるし、その後の追跡劇も、ラストも誰の予想も裏切らないという点では予定調和なのでした。もしかしてだから何度も観れる映画になっているのかもしれぬ。

「わが心臓の痛み」も映画の興行的には今一つだったらしい。そこには一度観たらもう十分な「予想外な展開・落ち」があったらかなのかもしれない。 小説としての面白さと映画の面白さの違いがここにあるのかもしれない。

前置きがながくなってしまいました。何が言いたいのか、つまり本書は読者の予想の遥か上を行く展開が待ち伏せている本であるということだ。若干前段が重たくなっているけれども、疑うことなく猪突猛進しましょう。

元FBIの捜査官であるテリー・マッケレイブは心臓移植手術を受け、退院はしたものの経過観察中の身だった。連続殺人が専門でポエット、コード、ゾディアック、フルムーン、ブレマーといった犯人たちのプロファイリングを行い、いくつもの事件を解決し、解決できなかった事件について遺恨を抱えていた。マッケレイプは事件捜査のストレスが原因で心筋症を患ったのだった。

そして今はFBIを引退、カブリリョ・マリーナに停泊している父親が残した船、<ザ・フォローウィング・シー>号を我が家とし船のレストアをしながら回復を待つ日々を送っていた。

そんなマッケレイブの船に突然の来訪者があった。グラシエラ・リヴァースと名乗る見知らぬ女性は、妹が殺された事件を調べてほしいと告げる。マッケレイブにはこの事件を調べる理由があるのだという。それは殺された妹の心臓がマッケレイブに移植されたからだった。

移植された心臓の持ち主のことは関係者の間でも内密になっており、マッケレイブも本来であればグラシエラも知る由のないことであったが、元FBI捜査官に対する心臓移植の話は新聞報道され、グラシエラはそのタイミングから間違いないと知ったのだった。

グラシエラの妹、グロリアは仕事帰りに立ち寄ったコンビニで起こった強盗事件に居合わせ、犯人に背後から近距離で頭部を銃撃されて亡くなった。犯人は店主も射殺し、少額の金銭を奪って現場から逃走、事件は未解決のままとなっていた。

アメリカでは新たにスリーストライク法というものが制定されていた。スリーストライク法とは三回重罪の判決を受けた場合、自動的に恩赦なしの終身刑が確定するというものだった。その法律は確かに重罪犯を拘束するという点では有効だったが、その一方で絶対に捕まりたくない連中の犯罪が過酷で無慈悲なものになってしまうという余波を生んでいた。少額の金銭を奪うために、店主も居合わせた客も射殺するというのはまさに追い詰められた男の仕業と考えられる手口であった。行きずり強盗殺人で事件後かなりの時間が経過してしまった今となっては、犯人が再犯で捕まるようなことがない限り事件の進展は期待薄だ。しかし事情が事情であることから主治医の制止に関わらずマッケレイブはグロリアの事件について調べてみると約束するのだった。

担当する刑事から犯行に使われていた拳銃はH&KP7で逃走に使われている車がジープ・チェロキーの新型であることがわかった。どちらも高額な代物で、押し込み強盗犯の持ち物としては不釣り合いなものだった。盗難品だろうか。犯行にH&KP7が使われた複数の殺人事件が発生しており、その一つは昔一緒に連続殺人犯の事件捜査にかかわったことがある保安官事務所刑事であった。昔の付き合いの伝手をつかって事件調書を手に入れたマッケレイブは注意深く調書を読んでいく。それはかつてのFBI連続殺人捜査部門において血の負債を血で贖う「ブラッド・ワーク(bloodwork)」と呼ばれた任務を踏襲するものだった。

マッケレイブはグロリアが殺される瞬間が撮影された防犯ビデオを繰り返し見ていて、彼女がその日につけていた小さな十字架のピアスが無くなっていることに気づく。犯人が戦利品として奪っていったとしたら、この事件はコンビニ強盗に見せかけてグロリアを殺すことが目的であった可能性がでてくる。しかもその手口は連続殺人犯のものだ。マッケレイブの捜査によって第二の事件が、そして不気味な犯人の影が浮かび上がってくる。

カブリリョ・マリーナはこんな場所でした。



本書は本当に何度もびっくりさせられる予想外の展開が待ち構えています。それは映画とも異なる展開となっていて、映画を観てしまった人でも楽しめる内容になっていると思います。主人公がボッシュではないという点でもサスペンスさ、スリリングさが上がっているとも思います。

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エンジェルズ・フライト(ANGELS FRIGHT )
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2022/03/08:本書はマイクル・コナリーの長編小説としては第8作目、『トランク・ミュージック』に続くボッシュシリーズ第6作。1998年に刊行されました。2001年『隋天使は地獄へ飛ぶ』のタイトルで日本語版が出版されました。間にボッシュシリーズではない『ポエット』と『わが心臓の痛み』が入っています。『ポエット』にはジャック・マカヴォイとレイチェル・ウォリングが、『わが心臓の痛み』にはテリー・マッケレイブが登場しています。

9作目以降のコナリーの本は作品ごとに主人公が入れ替わりながら他のメンバーが脇役として関わってくる。シリーズがすすむにつれ徐々に登場人物はさらに交錯しはじめ、作品の深みと広がりを大きなものにし、またストーリー展開のスピード感もぐんとあがって行ったことが再読してわかりました。

2001年と言えば僕ら家族は横浜から浦安に戻ってきたところで、長男は小学生、下の娘はまだ幼稚園だった。きっと京葉線の通勤電車で読んでいたのだろう本書の内容はやっぱり全く思い出せない。お引越しやら子供たちの転校。自分自身のあたらしい仕事とか目まぐるしい日々だったことは間違いない。過ぎ去ってしまった20年という歳月の流れに圧倒されつつ、再読しました。

ボッシュ、エドガー、そしてキズミン・ライダーの三人チームは突如、アーヴィン・アーヴィングから現場に招集されて戸惑っていた。事件を割り振られる順番を無視したものでしかもその現場はハリウッド署の管轄からは遠く離れた場所だった。

現場はダウンタウンのバンカーヒルにあるエンジェルズ・フライトの頂上駅だという。



当時はGoogleMapなんて便利なものはなかったので想像するばかりだったわけだけど、もっと大規模な乗り物だと思っていました。ストリートビューでみてみるとおもちゃみたいな乗り物なのにびっくりしました。確かに登るにはそれなりの体力がいる坂ではあるけれども日常でお金を払って乗る乗り物とは思えない代物でした。

事件はこの乗り物の中で発生していた。その日の最終便を走らせ、戸締りをしようとしていた運用者が車両のなかに二人の射殺死体があることを発見したのだ。

殺されていたのは家政婦のカタリナ・ペレスと弁護士のハワード・エライアスだった。カタリナの職場はエンジェルズ・フライトのすぐ近所であった。エライアスは人権弁護士として有名な人物で、ロス警察の人種差別的な行動を裁判でつるし上げることでその地位と富を築き上げた男だった。彼の事務所もまた近所にあった。そして彼は明らかに怨恨と思われる形で殺されていた。折しもエライアスはブラック・ウォリアー事件として世間を騒がせている事件の訴訟が始めようとしていたところだった。

ブラック・ウォリアー事件で訴えられているのは他でもない、ロス市警本部の強盗殺人課の刑事たちだった。そのため彼らは利益相反となり事件を担当できない。そればかりか最も怪しい容疑者たちとして世間の目に映っているのだった。

ブラック・ウォリアー事件は自動車王として呼び名を馳せているロスのカーディラー会社のオーナーの孫娘の誘拐殺人事件に伴うもので、事件捜査中犯人と確実視された黒人の男に対する取り調べの最中に暴力行為があったというものだった。

少女の誘拐殺人事件はこれ以上ないぐらい最悪な展開となっていた。少女は自宅の寝室から深夜にさらわれていた。部屋にあった教科書から検出された指紋により特定されたのがマイクル・ハリスという黒人男性だった。ハリスには住宅侵入と暴行で有罪判決の前歴があった。強盗殺人課の刑事たちがハリスを拘束した時点で少女は行方も生死の沙汰も不明。刑事たちはハリスから少女の行方を引き出すという強いプレッシャーの下にあった。しかし自白は得られず、その四日後、少女は死体となって空き地に遺棄されているのが発見されたのだった。

誘拐殺人の裁判における物証は教科書の指紋だけだった。ハリスは一貫して犯行を否認していた。この裁判において少女の祖父が証言台で人種差別的な発言をしたことで裁判の流れが大きく変わり、ハリスは無罪放免で釈放されることになる。今やハリスは冤罪を着せられ暴行を受けた被害者の立場となり、その弁護士であるエライアスへの銃撃事件はつまりロスの人権問題に火をつけるに十分な燃料を抱えたものとなってしまったということだ。

ロス暴動の再来を憂慮する警察上層部は穏便な解決を望んでいた。そこで白羽の矢がたったのがボッシュのチームなのだった。三人とも肌が白くない。そして彼らはIAD内部監査課のメンバーとチームを組んでこの事件に取り掛かるよう命令を受けるのだった。IADから送られてきたチャスティンは以前ボッシュを調べたこともある人物で二度と関わり合いになりたくない相手であった。

ロス市警本部の強盗殺人課の刑事たちはかつての同僚であり、ハリスの有罪が確実なものでエライアスが訴えている暴行が虚偽であることはボッシュにとって自明の話であった。だとしたらエライアスは誰にどんな目的で殺されたのか。警察内部の人間の犯行なのか。強盗殺人課の元同僚たちはハリスに暴行を加えるようなことをしたのか、しなかったのか。そしてハリスは少女誘拐事件の犯人だったのか。ロス市警の見守り役として民間人の監査員やFBIが関与してくることになり、事件捜査は初動から見動きがとれない状態へ陥っていく。

ちょっと書き過ぎてしまったかもしれない。物語は前半、エライアスの銃撃事件からブラック・ウォリアー事件、そして少女誘拐殺人事件へと一枚一枚ベールをめくるように奥へ奥へと進んでいく。前半はカミさんはもたもたしててつまらないと言っていました(笑)。しかしこの複数の事件が重層的に進むのは警察小説でいえば定石的な展開であるわけでして・・・。

前半丁寧に描きこまれた事件の細部に埋め込まれた伏線が後半徐々に束なっていき予想外の展開を何度も繰り返しながら怒涛のラストへと突き進んでいきます。「エンジェルズ・フライト」と「隋天使は地獄へ飛ぶ」まるで真逆なイメージのタイトルの意味合いと後の改題。読み終えてこれもまたなるほどなーという頷けるお話でありました。

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ブックセラーズ・ダイアリー:
スコットランド最大の古書店の一年
(The Diary of a Bookseller)

ショーン・バイセル(Shaun Bythell)

2022/03/05:学生時代、こんな店は10年以内に絶対につぶれるとつぶやいたことがあった地元の書店。クリスマス休暇で帰省した折に本を探しに足を踏み入れたのは12年後。そこで店主からこの店を買わないかと持ち掛けられたのだという。銀行からお金を借入れお店を買い取ったのはその1年後の2001年、著者が31歳の時だった。期せずも古本屋の店主となった著者はこの業界のし烈さや訪れる客たちの奇人変人ぶり、傍若無人さについては全く理解していなかった。

"The Book Shop"はイギリス、スコットランド地方ニュートン・スチュアート、ウィグタウンにある。著者が生まれたころのウィグタウンは蒸留所と乳製品製造所を中核としそれなりに活気に溢れていた街だったそうだ。しかし乳製品製造所が閉鎖され蒸留所が廃業すると街のホテルやお店は次々と閉めていってしまった。しかし2000年ごろから風向きが変わりはじめ乳製品製造所がレコーディングスタジオになり、蒸留所が再開され、ウィグタウンは書店と古本屋が集まる特別な街へと生まれ変わっていった。

著者はその流れの波がしらにおり地元の同業他社のメンバーらと協力して街の年中行事としてブックフェスティバルを企画。その規模を年々大きくし、書店店舗に作家などの招いたりと様々なイベントを企画し街の活気とお店の経営に奮闘している模様だ。本書ではこのイベントの最中に裏方としてゴミ収集したり、給仕と間違われて呼びつけられたりしている様が描かれたりはしているが、決して功績をひけらかすようなところはない。

タイトルにある通り本書は日々、著者がお店にやってきた客やお店のメンバー、友人たちとのやりとりを日記風に切り取った内容になっている。書棚から抜き出した本を元に戻すこともなく、何も買わずに出て行ってまったり、本を値切って断られるやその本をカウンターにたたきつけて出て行ってしまったりは日常茶飯事で、これでもかという変人が次々と登場してくる。

しかし、それに負けず劣らずなのが誰あろう。著者そのものだ。「探している本があるのだけど、著者の名前を忘れてしまったので教えてほしい」という電話に、「だれか分かったけど教えない。だって名前をきいたら、それをアマゾンで買う気だろう」などと答えたりしているのだ。お店には自らショットガンでバラバラにしたキンドルが盾にされて飾られていて、アマゾンの電子書籍を最大の敵と捉えている著者は巨人に敢然と立ち向かうドン・キホーテなのだ。

子供の頃から本屋さんに入り浸っていた僕としては古本屋経営というのは常に興味のそそる仕事の一つでした。いわれるまでもなく、巷の書店は次々と姿を消し、僕個人としても書店で本を買う機会というものはめっきり減ってしまった。古本屋の運営がそんなに生易しいものではないことはある程度想像できてはいたけれども、しかし、著者が足を踏み込んだ頃以上に僕は全くその経営サイドの世界観について理解ができていなかった。

曰く、ベストセラーとなった最近の本は初版本でも何万部も刷られているので価値はない。イアン・フレミングの「カジノロワイヤル」の初版本は数千冊しか刷られなかったためにとても価値が高いのだそうです。曰く、セットものの欠けた一冊を他と同じエディション、装丁、色のものを探し求めるのは失われた聖杯を探す旅と一緒だ。などなど。そもそも古本屋としてセット崩れの本は基本的に仕入れないしばら売りもしないのだそうだ。

本書でもいろいろな本を探してやってくる人たちが大勢でてくるのだけれども、僕が知っている作家だったり作品はほとんどといってなかった。それらの本の価値を見定めて買い取りをし、値付けをして分類保管し、客の問い合わせに対して在庫の有無を即答するというのはたやすいことではない。そう著者は丁寧に装丁されているものや、美しい挿絵が入っているものに限らず希少本を愛している。そしてこうした本を大切にしている人から人へと本が渡り歩いていくあゆみを素晴らしいものだと感じる感性を持っているようでした。

決して金回りが良いとは言えない業界で、言ってしまえばかつかつの生活なのではないかと思う。そしてウィグタウンはとても田舎なんだという。 しかし、その街並みは目を見張るほど美しかった。ちょっとした余暇を使って父親や友人たちと行く釣り場や島の景色の素晴らしいこと。

ウィグタウン



エルリッグ・ロック



アレサクレイグ島



冬場は外よりも寒くなったりするという店舗の様子や庭に咲く花々など四季折々の様子を楽しんでいる著者の暮らしはなかなかの読みどころでありました。しばし読書の手を休めてグーグルマップ、ストリートビューで見惚れてしまいました。きっと多分一生行く機会はないと思うのだけど、訪ねてみたい場所が一つ増えました。また機会があったらジョゼ・サラマーゴの「白の闇」は読んでみたいと思っています。

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ブラック・ハート(THE CONCRETE BLONDE )
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2022/02/20:「ブラック・ハート」を読み飛ばしてしまった、と思い込んでいた。カミさんに確認したら「読んだ、面白かった」と言われ自分は再読しなかったんだと思っていた。それで読み始めたのだけど、他の本と違い本書はあちらこちらシーンに覚えがある。

コナリーの本は概ねでるやいなやすぐに読んでいるので25年以上も昔のことですっかり忘れてしまっているのに、この本は主人公たちの会話やシチュエーションが具体的によみがえるのはどうしてだ。おかしい。そう思って読書メーターの記録を調べてみたら「ブラック・ハート」ちゃんと「ブラック・アイス」に続けて2020/06に再読していました。

飛ばしていたのはレビュー。そして再読した事実を忘れたということらしい。2020年度初めは職場環境が変わりどたばたした最中で、そんななかで忘れてしまったようです。

しばし自失茫然であります。読んだ本をすべて記事にしているわけではないのだけれどもコナリーの本を読んで記事にし忘れるとは。よっぼどこの時期テンパっていたに違いない。

あちらこちら覚えている部分はあったものの、だれが犯人だったかし結局忘れていた。1年ちょっと前に読んだ本なのにだ。こうして考えると僕はもの凄い勢いであらゆるものを忘れていっているらしい。

忘れる力を「老人力」と呼んでいる人がいたっけな。その意味で僕はすごい力を備えているのかもしれない。一方で、読書メーターやブログなどに読んだ本や出来事を書き散らしておくというのはとても大切であるということを身に染みて感じました。そうでもしておかないと何も思い出せないままになってしまう。

前置きが長くなりましたが「ブラック・ハート」はシリーズ三作目。1994年の作品。原題は"THE CONCRETE BLONDE"コンクリートで埋められたブロンドの死体が事件の発端となっています。お話はシリーズ第一作「ナイトホークス」よりも前に遡る。第一作でボッシュはロサンゼルス警察本部強盗殺人課の刑事からハリウッド署の殺人課へいわば左遷されたばかりだったのだが、それは本部で特別捜査班を組んでいたドールメーカー事件の捜査の中でボッシュが単身容疑者とおぼしき人物の部屋に押し入り当事者を射殺してしまったことによるものだった。

ドールメーカー事件は犯人が殺した女性の顔に死化粧を施していることから名付けられた名称であった。わかっている範囲で10名以上の女性を殺していた。

頭髪も体毛も一切ないその容疑者は全裸でベッドのわきにたたずんでいた。「警察だ」「動くな」と叫んだにもかかわらず男はベッドの枕元に手を伸ばして何かを取り上げようとし続ける。ボッシュはやむなく発砲。男はその場で死亡した。

枕元を確認したボッシュの目に飛び込んできたのはカツラだった。この男の部屋からは殺された女性たちが使っていた化粧品と同じものがでてきたことから真犯人であることが間違いないとされ事件は解決した。

4年後、ボッシュは今、ドールメーカー事件の真犯人とされたノーマン・チャーチの妻から過度の実力行使をしたとして訴えられ裁判を受けているところであった。実際の被告はロサンゼルス警察であるのだが、この裁判に負けるようなことがあればボッシュの立場も危ういものとなる。しかし、このノーマン・チャーチが真犯人であると信じて疑っていないボッシュはそれほど心配はしていなかった。メモがとどくまでは。

上司のハーヴェィ・バウンズから裁判の合間を縫って事件現場に来てほしいと呼び出しがかかる。裁判中なので事件捜査を担当することはできないが、事件現場をみて参考意見を聞きたいのだという。その事件現場は警察署の受付窓口に何者かがおいていったメモに示唆されていたものだという。

そのメモはボッシュに宛てられたものであり、ドールメイカーがいまだに娑婆を闊歩している。その証拠に新たな犠牲者の死体のありかを示した地図が添えられていたのだという。

かつてはビリヤード場であったその建物はロス暴動の際に完全に焼け落ちていた。本来であれば瓦礫の山となった建物は撤去されるべきだったものだが、そのままの状態で放置されていた。犠牲者の死体はこの建物の土台部分の隙間に押し込まれ上からコンクリートが流し込まれていた。ミイラ化した遺骸はブロンドに染められ豊胸された形跡があった。そしてその足の爪には白い小さな十字がペディキュアされていた。それはドールメイカーの仕業であることを示す重要な手がかりだった。その十字について捜査の間は公にされていなかった。

問題はこの被害者が殺されたのはチャーチが死ぬ前なのか後なのか・・・。そしてメモ。明らかに利き手ではない方の手で書かれたメモは稚拙な韻を踏んだ詩のような内容になっていて、直接ボッシュに語り掛ける内容となっていた。それは紛れもなくドールメーカーの仕業だった。

ボッシュについた弁護士は裁判の延期を求めるが判事はこれを一蹴。継続審議となる。原告側の女性弁護士ハニー・チャンドラーは警察を憎んでいるような人物で、ボッシュがチャーチを射殺し部屋に化粧品を置いたと考えており、徹底的な断罪を下そうとしているのだった。チャンドラーは売春婦を殺した犯人に対する過剰な暴力はボッシュの生い立ちに由来するものでいわば私怨を晴らすために発砲したのだとして彼の過去を並べ立て心の傷口を踏みにじってくる。

証拠を残さないために全身の体毛をそり落とし、偽名で借りた部屋には殺された女性たちが持っていたものと同じ化粧品があったというのは強い疑いを持たせるものではあるものの事件と直接つながる証拠にはなっていなかった。

果たしてノーマン・チャーチは本当にドールメーカーだったのか。本書はこのボッシュの銃撃の正当性を問う裁判の行方と、新たに浮かび上がった犠牲者を殺した犯人を追うボッシュ。裁判は予想外の証人の出現によりボッシュ劣勢の展開に陥り、新たな事件はドールメイカー事件の隠れていた別な側面が明らかになっていく。物語は二転三転。手に汗握る怒涛のラストへと突き進んでいく。面白い。何度読んでも楽しめる一冊です。


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トランク・ミュージック(Trunk Music)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2022/02/06:新作とシリーズ初期の本を同時並行的に読破しカミさんが猛然と追い上げてきております。僕もお付き合いで再読してきましたが、初期の作品の内容をほぼ完全に忘れていて、まるで初めて読むかのようでとても面白い。この際なので行ける限り再読して行ってみようと思っております。

コナリーの本は1992年の「ナイトホークス」から最新作の「警告」まで34作が訳出されています。こちらのサイトは2003年に開設しており、「暗く聖なる夜」から紹介を始めています。途中読み飛ばしていたことがわかり、「夜より暗き闇」を追加したりしているけども。そして今回、「ナイトーホークス」から始めて今回「トランクミュージック」まで28冊。そしたらなんと「ブラックハート」を飛ばしてしまいました。タイトルがなー。紛らわしいんだよなー。

昔読んであんまり面白くないみたいな反応していた本を再読したらすごく面白かった・・・。多分僕のリテラシーの問題なんだろうと思う。であればこそ、今この時期に初期・中期の本を再読しコナリーの本を全部揃えるというのは悪いアイディアではないだろう。ちょっと頑張ってみましょうかね。

さてこの「トランクミュージック」は第6作。1997年の作品。マルホランド・ドライブを上った先の空き地はハリウッド・ボールを見下ろす断崖絶壁の上だった。当日LA交響楽団がレイバーデイ・ウィークエンド公演の演奏真っただ中。遠くから交響曲が聞こえるその空き地に一台のロールスロイスが止められていた。

付近を警邏中のパトロール警官が不審な駐車車両を発見。匂いから死体があることに気づきトランクをこじ開けて男の死体を発見したのだった。頭部に22口径の銃弾が二発。ギャングの処刑の手口だった。

殺された男はハリウッドで映画製作会社を経営する男だった。アントニー・N・アリーソ、イタリア系の男だった。当日ラスヴェガスから飛行機でロスへ戻ってきたらしい。札入れには大金が入っており、高価な腕時計もそのままだった。しかし、荷物はなにもない。

ボッシュは「ラストコヨーテ」の一件の後、強制ストレス休暇の後に降格され、盗犯課へ異動となったが、殺人事件の解決率が過去最低にまで下がり殺人課へ呼び戻されていた。キズミン・ライダーとジェリー・エドガーの三人のチームを組み三級刑事であるボッシュがリーダーだった。

事件を取り上げられるのが嫌なボッシュだが渋々組織犯罪捜査課(OCID)に照会をかけると、そんな男は知らない、事件にも興味がないと意外な回答を得る。ボッシュの手に事件は留まり三人で事件捜査を猛然と進めていく。

アリーソが住んでいた高級団地には残された妻ヴェロニカがいた。夫の死を伝えに向かうボッシュ。ヴェロニカは元映画女優で、といっても出演したのは一本だけで、その監督が夫であった。映画製作にはあまり才能がなかったが、若手の脚本などを投機的に買い取る商売には長けており、最近はもっぱらそんな取引で金を稼いでいたらしい。

そして頻繁にラスヴェガスに通い賭けをしていた。夫は仕事で用事があって行っていると説明していたが彼女はまったく信用していない様子であった。

ボッシュらがアリーソの仕事をさらに調べていくと彼は制作費用を架空にでっちあげてギャングの金を資金洗浄する仕事が本業であるらしいことを突き止める。そして最近国税庁がその仕事ぶりに疑いの目を向け監査実施の通知を受け取ったばかりであったことが判明する。

また、ハリウッドにある賃貸の事務所は何者かによって侵入されていた。監視カメラには侵入したと思われる男の姿がとらえられており、侵入したのはアリーソが死んだあとであることがわかった。事務所内は物色された様子はなく、この男は事務所内に仕掛けていた盗聴器を回収しに侵入したのではないかという。

ボッシュはアリーソの足取りを追うためにラスヴェガスに向かう。アリーソはポーカーを好んでしていた。彼が勝負している監視カメラの映像に、エレノア・ウィッシュが同じテーブルにいることに気づく。またやがてアリーソの皮のスポーツジャケットに残された指紋からラスヴェガスにいるギャング団の幹部クラスの人物が捜査線上に浮かんでくるのだった。

しかし事件は思いがけない形で急展開を迎え、二転三転と予測できない方向へと突き進んでいく。しかし、これこんなに面白くて重要な出来事が起こるのだけど、全く完全に忘れている自分が恐ろしい。

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精霊に捕まって倒れる 
医療者とモン族の患者、二つの文化の衝突
(THE SPIRIT CATCHES YOU AND YOU FALL DOWN
 A Hmong Child, Her American Doctors,
and the Collision of Two Cultures)

アン・ファディマン(Anne Fadiman)

2022/01/30:映画「グラン・トリノ」をご覧になっただろうか。クリント・イーストウッドが監督主演を務めた2008年の作品だ。主人公はミシガンで独り暮らしをしている老齢の男。彼の隣人となったモン族の人々とふとしたきっかけで知り合い心を開いていくというお話で数あるクリント・イーストウッドの作品のなかでも一二を争う仕上がりになっているものではないかと思う。ほんととてもいい映画でした。

独特でなんとも風変わりな民族衣装や生活様式を持つモン族の人たちはいったいどんな経緯でミシガンにたどり着いたのか。映画を観たときにも気にはなっていたのだけれども敢えて調べてみる機会もないままにしてしまっていた。本書はモン族の家族のことが描かれたノンフィクションであり、そうした疑問に答えてくれるかもしれないと思い読んでみることにしました。

リア・リーは1982年にアメリカで生まれたモン族の子供。彼女は乳児のころに癲癇を発症、医療機関で治療を受けることになる。ところがリアの両親は英語が全く話せず、読めない。そもそもモン族は文字を持たない民族なのだという。

そんな彼らが生まれ育ったラオスの山岳地域では西洋医療などに触れる機会はなかった。伝統的なアニミズムに基づいた価値観と世界観を持った人々なのだ。群立の病院は誠心誠意リアの治療を進めようとするのだが、この価値観と世界観の違い、言葉の壁によって両親との間で不信感を募らせ対立していく。

決まった時間に決められた量の薬、複数の薬を与えるよう説明するが、両親は一言も理解できず、仮に理解できたとしても薬の瓶に書かれた薬の名前読めず、時計で時間を知ることもできなかったのだ。そんな彼らを行政は育児放棄しているとして、リアを里親に預からせるような手段にでるのだった。

作者はリアの両親や家族と交流を深め心を開いて対話ができる関係となった。医療機関の主だった面々からは感情の起伏に乏しいとか、知能レベルが低いのではないかと揶揄されていたモン族の人々が実は非常に賢く、深く豊かな感情を持った誇り高い民族であることを知る。そしてリアに対する医療行為が彼らの目にどのように映っていたのかを知り愕然とするのだった。さらには彼らがリアの病気の原因だと考えていたものが、実は正しく。当時の医療機関はそれを見逃していたということ。

また、本書は平行してモン族の歴史からアメリカへ難民として渡ってくることとなった経緯や、15万人ともいわれる難民のモン族たちがアメリカでどのような苦難に出会っていたのかについても丹念に追っていく。

モン族はラオスの山岳地域に点在して暮らしていた少数民族だ。
ウィキペディアではこのように説明されている。

ミャオ族(中国語: 苗族、拼音:Miáozú) は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。自称はモン族(英語: Hmong、Hmongb)であるが、Hmongは狭義にはミャオ族の一支族に用いられる呼称である。中国では55の少数民族の一つである。


ラオスにはまた別のモン族がいるようだ。
同じくウィキペディアではこんな説明がなされていた。

モン族( - ぞく、Mon)は、東南アジアに住む民族の一つ。古くから東南アジアに居住しており、ハリプンチャイ王国を建てたことで有名で、後にミャンマーのペグーに移り住んだのでペグー人(Peguan)とも言う。ラーマン(Raman)あるいはタライン(Talaing; ビルマ語: တလိုင်း IPA: [təlã́ĩ]、ただしこれは旧称で現代ではムン မွန် [mʊ̃̀][2])と呼ばれることもある。その後一部が中国の雲南から南下してきたタイ族やビルマ族などと混血した。


もともと中国に暮らしていたモン族だったが少数民族であったこともあり、迫害されてしまった。しかしモン族は他の少数民族よりも非常に強い独立心と自尊心を備えており、大衆に迎合したり同衾することがなかった。迫害の度合いは強まり、モン族は徐々に人里離れた山岳地域に追いやられ、中国領土からも追いやられてラオスの山岳地域にたどり着いたという経緯があるようだ。

モン族の歴史は、長きにわたる血なまぐさい乱闘の連続で、その合間にときおり平和が、とうてい十分とはいえない期間ながらも訪れている。モン族は幾度となく迫害や、同化を求める圧力に対して闘うか移り住むかのどちらかで応じてきた――このパターンがあまりに何度も、さまざまな時代と場所で繰り返されてきたので、それは彼らの直毛や、小柄でがっしりした体格が必ず再現されるのと同じように、ほとんど遺伝形質のように思えてくる。紛争の大半は中国で起こったが、先史時代のモン族の祖先は、ウラル山脈を出て、数千年間シベリアにとどまったのち、中国に移り住んだと考えられている。


ミャオ族と呼ぶ方が区別しやすいが、どうやらこの呼称は中国で彼らを差別的な意味合いで呼んでいた名前であって彼ら自分たちのことをミャオ族とは言わずモン族と言っているのだそうだ。

中国人はモン族苗族と呼ぶ。その意味は、どの言語史家の説をとるかによって「野蛮人」「田舎者」「話し方が猫のような民族」「未開地の野草」とさまざまだが、いずれにしても侮辱だった(彼らが好んで自称する「モン」という名は、一般に「自由な人びと」を意味するとされているが、一部の学者は、「イヌイット」や「ディネ」をはじめ世界各地の部族のように、たんなる「人びと」の意味だと言う)。モン 族は中国人を犬の息子と呼んだ。中国人はモン族を恐れ知らずで、粗野で、手に負えない輩とみなした。彼らが中国文化の洗練された慣習を採り入れることになんの関心も示さず、むしろ外部との交流を避け、同じ民族どうしで結婚し、独自の言葉を話し、独自の民族衣装をまとい、独自の宗教を信じるのを好むのは、中国人の顔をたて続けに平手打ちするようなものだった。モン族は、食事に箸を使うことさえしなかった。中国人をおせっかいで抑圧的とみなし、数かぎりない大小の暴動を起こしてその統治に逆らった。双方は同じくらい暴力的だったが、対称をなす関係ではなかった。モン族は、中国人だろうとほかの誰だろうと自分たちが支配することになんの興味もなかった。望んだのはただ放っておかれることだけだったが、その後の彼らの歴史からもわかるように、それはマ イノリティがマジョリティの文化にできる要求のなかで最も難しいものかもしれない。


山岳地域を追われるようにしてラオスへ移動していったモン族であったが、そんなラオスは小さな国でありながらベトナム戦争を前後して国際戦略上の立ち位置をおおきく変えていた。ラオスはタイ、ビルマ、ベトナム、カンボジアと国境を接していて行き来に不自由さがない。北ベトナムの支援を受けたラオス愛国戦線は反共産を掲げるラオス王国政府軍と衝突を繰り返していた。1955年ごろからラオス王国を秘密裏に支援してきたアメリカは共産化の脅威に対し更にその支援を強化していく。

ここにモン族が登場する。アメリカは、なんとしてもラオスの反共主義政府を支援し、北ベトナムが ホーチミン・ルートで南ベトナムに輸送している兵站線を断ちたかった。ホーチミン・ルートは、ベトナム国境に近いラオス南東部に入り組んだ兵站補給網である。でもどうやって、曲がりなりにも正当である体裁を保ちながら介入できるだろうか? 協定を破らずに、ベトナムへの米軍派遣は可能かもしれないが、ラオスへは無理だ。その解決策が、代理戦争だった。ケネディ大統領は、CIA軍事顧問団 ――それ自体は「外国の部隊」ではないが、今にして思えば明らかに「軍事要員」だった――を派遣し モン族の秘密ゲリラ部隊を徴募、訓練し、武装させるという手で、この問題を一刀両断に解決した。その後、ジョンソン政権とニクソン政権の支援を受け、モン族の秘密部隊は最終的に三万人を超える規模にまで膨らんだ。モン族兵士たちは地上戦を戦い、空中戦をおこない、エア・アメリカ(設立した民間航空会社)のパイロットによる空爆を誘導し、撃墜されたアメリカ人パイロットを救出し、ヘリコプターから パラシュートで降下して敵陣に潜んで戦い、パテート・ラーオと北ベトナム軍の動向に関する諜報活動をおこない、道路や橋の破壊工作をおこない、敵部隊に送信機をしかけて爆撃の位置を特定し、ホーチ ミン・ルートで軍需品を奪い取った。


なんとモン族の人々はCIAに協力して共産主義と戦っていたのだ。

1975年。北ベトナムがサイゴンを占領したその7か月後、600年続いたラオス王国は廃され、社会主義体制のラオス人民民主共和国が成立した。アメリかに協力した多くのモン族はラオスに置き去りにされ、長い逃避生活が始まる。リア・リーの両親は幼い子供たちをつれて国外脱出し、その間何人かの子供を亡くしながら複数の難民キャンプを経てアメリカにたどり着いたのだった。

「グラン・トリノ」では自ら朝鮮戦争で出兵し、子供のように若い北朝鮮兵士をシャベルで殴り殺したことがあるその老齢の男は、いったい自分はなんのために戦い、人を殺したのか自問していた。モン族の人々は自分たちの国を守るために戦ったのだが、アメリカはそんな彼らを見捨てた。難民化した彼らが流れ着いた場所が自分の家の隣だったという訳だ。映画は誰のため、なんの為に人は命をかけて戦うのか。というようなことがテーマになっているのだろう。しかし、主人公はモン族が隣に越してきた事情を知っている気配がないようだった。それともそんな事は知っているのが前提だったのだろうか。もしかしたらそうなのかもしれない。

リア・リーの治療に携わった医療機関の人々でモン族の事情を知るものはほとんどいなかった。そして僕もこの本を読むまでそんな事実があったことを知らずいた。何か重要なことが起こっていたのに何年も何十年も経ってから知るということがよくよくあることを最近嫌というほど思い知らされることがある。だからこそ政府や企業はやりたい放題なことをますますあからさまにやっても大丈夫だと認識して行動しているようにも感じる。僕らにできることは好奇心の扉を広く開いて知る努力を精一杯頑張ってやり続けるという事しかないのかもしれない。

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警告(FAIR WARNING)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2022/01/23:マイクル・コナリーの第34作目。「ポエット」から実に24年後のお話ということになる。「ポエット」のジョン・マカヴォイは34歳、本作品では58歳というところか。同い年なんだな僕は。

「警告」原題は"FAIR WRANING"。「公正なる警告」といったところだろうか。またマカヴォイが勤めている報道機関の社名でもある。いわゆる事件報道ではなく、消費者保護の観点から商品やサービスの不正を調査し報道することを主たる目的とした会社なのでした。

そんなマカヴォイのもとに二人の刑事が訪ねてくる。今回はマカヴォイ本人が容疑者であるという。一人の女性が自宅の寝室で首をへし折られて殺された。環椎後頭関節脱臼。顔を真後ろまでねじり折るというひどい殺し方であった。マカヴォイは一年ほど前にこの女性、ティナ・ポルトレロと出会い関係を持ったことがあった。そのことから捜査線上に浮かんだのだった。

ティナとは一回限りで、もう一度会うことについて先方から断られてしまった。最近彼女は知人に自分がデジタル・ストーキングされていたと話をしていたという。バーで出会った初対面の男が本来知るはずのない自分のことを知っていたというのである。遺体には犯人のDNAが採取されており、マカヴォイはDNAの提供を要請され否応もなく応じるのだった。

この事件をデジタル・ストーキングの線でフェア・ワーニングの仕事として追うマカヴォイ。ティナのinstagramのコメントから彼女が最近片親違いの姉を見つけていたようだった。ティナの母親に会って聞くと、彼女はDNA鑑定によって片親違いの姉の存在を知ったことのだという。そしてそのことで母親は夫と離別したのだった。またティナは次々と複数の男性と関係を持ち結婚には全く興味がなかったこと耳にする。

マカヴォイは検屍官たちが情報交換している掲示板サイトに潜り込み、環椎後頭関節脱臼で亡くなった類似の事件がないか質問を投げかける。その結果複数の事件事故が浮上してくる。一つは交通事故を装っているが故殺と判定され捜査中であった。そしてその被害者のプロフィールを調べていくと彼女が最近またいとこのこどもであることを最近知ったする人物からお悔やみが送られていることをみつける。

DNA鑑定が共通事項となっている可能性を感じるマカヴォイはこの細い線をたぐって事件を追う。そこに浮かび上がってくるのはDNA鑑定情報が野放図に売買されていることだった。本来はDNA情報とその本人とを結びつけられない状態で売買されているはずだった。しかし犯人はどうにかしてこのDNA情報と個人を特定し、獲物として捕らえて殺しているらしい。

マカヴォイは身元調査会社の経営者となっているレイチェル・ウォリングのところに事件のあらましを伝えアドバイスを求めに訪れる。マカヴォイの推測はFBIの元捜査官である彼女の捜査官魂に火をつけ、一緒に調査に参加させてほしいと申し出てくるのだった。

本書はまだまだ奥が深くて思いもよらない、そして繰り返しこれでもかというほどの仰天の展開を見せてくれる。そして事件記者魂に燃えるマカヴォイと捜査官魂に目覚めるレイチェルの関係は時に協力しあい時に愛し合い、疑い、対立を重ねていく。二人の関係性がどうなっていくのかも本書のもう一つの読みどころにだ。

24年の歳月を跨いだ二作を続けて読み比べたわけだけど、まずは文章が非常に簡潔になっている。すごい切り詰め方をしていることがわかる。その分物語にスピード感があり、最初から最後までの勢いが止まらない。そこに二転三転と読者の予測を裏切る展開が用意されていることで面白さが倍増している感じだ。

また人物描写もかなり計算されたものになっている。ややステロタイプな登場人物が多かった感じがなくなっているようです。そして本書はDNA鑑定を安くやるかわりにそのデータを企業に売りつけることで商売する危険性、社会問題を鋭く切る目線が加わることで単なるミステリーの枠組みを超えてきていると思う。その意味でも24年前のコナリーとは格段に腕を上げている。


そのためにどんな努力しているのかわからないけれども、そうやすやすとできることではないことは間違いない。そしてこんな作家はほかにいない、今後もでてこないのではないかと思う次第です。 そんな作家の本に浸れる我々は幸せだ。

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ザ・ポエット(The Poet)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2022/01/23:コナリーの新作「警告」はジャック・マカヴォイが主役だという。カミさんはマカヴォイの本をまだ読んでいないという。折角読むなら少なくとも最初に登場した「ポエット」を読んでおいた方がいいだろう。実際に読み始めるとこれがすごく面白いという。

僕が細々とこのサイトを立ち上げて本のレビューを始めたのは2003年。コナリーの本をここで紹介したのはボッシュが主人公の「夜より暗き闇」でした。読み返してみるとこれを僕はあまり面白くなかったと書いている。

マカヴォイが主人公であった「スケアクロウ」は2014年4月。これを読み返すと面白く読んでいるものの、「ポエット」はそうでもなかったと書いていた。実際「ポエット」が出版されたのは1996年。今や僕は作品のみならず何をもってあまり面白くないなんて書いたのかすら思い出せない。それを今カミさんはめちゃくちゃ面白いと言って猛然と読み進んでいる。

何か激しく読み違えてしまったのか、それとも他の何かと勘違いして書いてしまったのか・・・。僕もこの機会に再読。20年以上も前の自分よりも僕の隣にいるカミさんのリテラシーの方が全然信頼できるしね。

ジャック・マカヴォイはデンバーにある小さな地方紙、ロッキー・マウンテンニューズの事件記者である。普通の記者と違い、締め切りもノルマもない特別扱いだ。ロッキー・マウンテン全域で起こる殺人事件をしらみつぶしに調べ、これはという事件を一つの記事にまとめるのだ。読者は殺人事件の記事を待っている。読者の期待に応えるハイブロウな記事を書くことでマカヴォイは地位を築き守っていた。

ある日彼の元にデンバー警察の刑事が二人訪ねてくる。二人が持ってきたのはマカヴォイの双子の兄が自殺したという知らせだった。兄のショーンはデンバー警察で殺人事件を捜査する刑事だった。ショーンは郊外にあるベア湖のほとりに車を止め拳銃自殺をしたというのだ。曇った車のウィンドウには指で書かれた「空間の外、時間の外、」という遺書めいた謎の文章があった。

ショーンが最後に捜査していた事件はテレサ・ロフトンという女性が殺害された事件であった。学校関係の仕事をしていた彼女はある日突如行方不明となり、上半身と下半身が真っ二つに切断された死体となって発見された。殺害状況からテレサ・ロフトンの事件は「ホワイト・ダリア」事件とも呼ばれていた。ショーンはこの事件捜査にのめりこんでおり、妻の進めでカウンセリングを受けるほどになっていた。

しかし、ジャック・マカヴォイはどうしても兄の自死を受け入れられない。彼はこの件を記事にすることを決意する。真相を探り出すために兄のこと、そしてホワイト・ダリア事件を調べ始める。記者であること、自殺した人物の弟であることを盾に半ば強引に情報を収集していくマカヴォイ。彼は兄の残したとされる一文が、アラン・ポーの作品のものであること。そして同様にアラン・ポーの文を残して自殺したとされている事件が起こっていることを突き止める。

マカヴォイはシカゴで起こった刑事が自殺した事件に関係する捜査官を訪ねて状況を調べていく。パートナーだった刑事は本人とは幼馴染であり、マカヴォイ同様、自殺を受け入れられていなかった。一番の疑念は自殺したパートナーが二発銃弾を発射していたことだった。床に一発、口に一発。検視結果では自殺するにあたり床に向けて試し撃ちをしたものとされていた。しかし二人は生前、自殺について語り合ったことがあり、自分が自殺するなら金の弾丸を使うと言っていたこと。そして実際に金の弾丸を持っていたことを知っていた。そしてその金の弾丸は自殺した部屋のベッド脇のクローゼットにしまわれたままだった。

ワシントンにある法執行財団(LEF)はFBIの企画を受けて警察官の自殺について情報を収集分析している機関であった。マカヴォイはこのデータペースにアクセスすることでもっと多くの事件があぶりだせるのではないかと考えたのだ。広報担当者は元事件記者であった。情報提供の依頼はFBIによって即決ではねられてしまうのだが、この元事件記者が匿名の情報源となってデータベースの情報を提供してくれることとなる。類似の自殺が13件あることがわかった。何者かが殺人課の刑事を自殺と装って何人も殺しているというのか。

刑事殺害に先行する陰惨な事件はどれも手掛かりが乏しく暗礁に乗り上げていた。単独犯なのか複数犯なのか、連携しているのか独立したものなのか。奇想天外な発想に懐疑的であった捜査員たちも状況証拠から事件性に目覚め始める。そして走査線上にやがて子供をさらい残虐な手口で殺害している不気味な男の存在が浮かび上がってくる。

マカヴォイは事件報道を差し控えることでFBIの捜査チームに同行することになるが、物語はこの後、二転三転、先の読めない展開に本を読む手がとめられなくなってしまいました。どうしてこんなに面白い本を僕はあまり面白くないなどと書いていたのだろうか・・・・。

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シルバービュー荘にて(Silverview)
ジョン・ル・カレ( John le Carre )

2022/01/09:ル・カレが亡くなったのは2020年12月12日。僕の父と同世代。89歳という年齢からいつかはと思っていたのだけど、本当に惜しい人を亡くしたと思う。 いや、そんな一言では片づけられない。ル・カレを失ったことは世界の良識に対する重大な損失であったと思います。 ル・カレはエスピオナージュ、間諜小説、いや海外ミステリーというジャンルのレベルを大幅に引き上げて文学・文芸としても一級品の作品を生み出した。グローバリズムによって変容していく世界を深い洞察によって俯瞰し、変質していく価値観や政治信条のなかで何が問題なのか。巨悪のもとでどんな人たちが犠牲になっているのかを鋭くえぐりだし、作品を通じて読者の前にその醜い姿をあらわにできる稀有な作家でありました。矮小な読書生活な僕ですが、この点については自信をもって断言できる。

また僕はル・カレの本によって世界観や価値観が変わった。ノーム・チョムスキー、ナオミ・クライン、スーザン・ジョージ、アルンダディ・ロイといった知識人の存在、そんな彼らが今世界で起こっていることをどう捉えているのかを知ったのは非常に大きなことでした。知らずにいるのとでは全く違う生き方をしていたとと言っても過言ではないと思う。そして間違いなく僕のような読書体験を経て世界観・価値観を変えた人たちが少なからずいる。いや本の売れ行きをみれば相当数いることは間違いがない。こんな偉業を成し遂げた作家が他にいるだろうか。もし仮に僕が無知なだけでそんな作家さんや作品がたくさん世にあふれていとしたら、今の世界がこんなっているわけがない。

一昨年出版された「スパイは今も謀略の地に」が遺作だと思ってたのだが、実は最後まで推敲を重ねていた作品があった。それが本書「シルバービュー荘にて」。あとがきによればル・カレの末の息子で作家になったニック・コーンウェルは生前のル・カレから万が一のことがあった場合には本書を仕上げて世に出すように言付かっていたのだという。未完成の原稿を引き継ぐことは大変な重圧であったろう。また息子に作品を託したル・カレの思いとはいったいどんなものだったのだろう。原稿の完成度は非常に高く、ほとんど手を加える必要がなかったのだという。

ロンドン、雨の中乳母車を押した女性が一軒の家を訪ねる。母親から言付かった手紙を渡すためにやってきたのだという。受け取ったのはプロクターというイギリスの情報機関の保安部門の責任者だった。女性の母親はかつて情報機関で働いていたが今や重篤な病床にある様子。母親からは手紙のなかみも知らされず、内密にプロクターのところへ行くよう指示され、父親にすら言わずにやってきたのだという。

その場で手紙を読んだプロクターは娘に「答えは三つともイエスだ」と伝えるようにと言う。「メッセージは誠実に受け止められ、心配事は対処され、提示された条件は満たされる」と。父にはなんと言えばいいのかと質問すると、内密にするようにと告げられるのだった。

イースト・アングリアの海沿いの街に小さな書店を開いたジュリアンはかつてシティで大物トレーダーとして名を鳴らした男であった。しかし故あって、故郷の街に戻ってきた。小さな街の小さな書店で開業早々、客足はまばらであった。閉店間際に足を踏み入れてきた老紳士エドワード・エイヴォンはジュリアンの父親と同窓であったことがわかり交流を深めていく。

しかしこのジュリアン、ノーム・チョムスキーも、地元の紀行作家であったW・G・シーボルトのことも知らず、読書家とは縁遠い人物であった。エドワードはそんなジュリアンに書店にそろえるべき書物のリストを提案してくる。ジュリアンもその提案を具体化せんと準備をゆるゆると始めていくのだった。これ以上書いたらネタバレになってしまうのでこの辺で・・・。

物語は手紙を契機に内偵を進めていくプロクターと小さな街で交流の輪を広げていくジュリアンの話が前後しながら進んでいく。いったい何が進んでいるのか。なかなか物語の本筋が見えてこない。プロクターが主役なのだろうか。それにしては今一つ精彩がない。それともジュリアンなのか。ジュリアンがこの先どうなりようがあるというのか。当然のことながらその向こう側から思いもよらない物語が立ち上がってくる。そして物語の着地点には予想をはるかに超える問題提起が待っていました。ここは慌てず急かさずじっくりと登場人物たちの造形を堪能しつつ読み進んでいってみてほしい。

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