「ポップ1280(Pop. 1280)」
1964年にFawcett Gold Medalより出版。58歳。
後の1981年にフランスで映画化される。
タイトル"Coup de torchon"
監督ベルトラン・タヴェルニエ(Bertrand Tavernier)
人口1280(Pop. 1280)の小さな町ポッツ郡の保安官のニックは程高い報酬と住居を与えられ申し分ない身分だ。この職がある限り。この職に留まり続けるには、何事にも目をつぶり揉め事に巻き込まれず、誰も逮捕したりしない事だ。
何不自由ない生活であるにも係わらずニックは悩み事、心配事が沢山あって夜も全然眠れない。たった8時間で目が覚めてしまう。朝食も喉を通らない。ポークチョップ5,6切れに目玉焼きを2,3個グレイヴィーをかけて粗挽きしたトウモロコシを添えたビスケット一皿なんて、とても全部は喰えない...。
そして考えに考えて得た結論とは、「どうすればいいか皆目見当がつかない」というものだった。
女性相手には不自由しない程もてるのにも係わらず、妻のマイラには三行半を突きつけられ鼻にも掛けられない関係だ。そしてその弟のレニー。レニーはもう大人だが知能程度は幼児並でマイラはレニーの面倒にかかりきりなのだ。その上、何かにつけ食って掛かってくる。
ある日、近隣の郡で保安官を勤める友人のケン・レイシーを訪ねる。本当はマイラとレニーの事を相談したかった。しかしケンとその助手のバックの愚鈍なやり取りを聴いていて気が変わった。別の大きな問題を相談する事にした。町外れにある売春宿のヒモの二人組みがナメてかかってくるのだが、どうしたらいい?
ブラックな笑いが散りばめられた本書は紛れも無く傑作だ。他の作品同様、本編も主人公の一人称で語られるが、本人の考えている事が殆んど何も語られない為、読者は次の展開に翻弄され、予想もできない展開になっていく。
平然と人を踏みつけ、殺人を繰り返すような主人公ニックは、何もしない、何も判断しない事で町を治めようとしている。彼には彼なりの哲学があるのだ。それは、悪行も善行も見ようによっては逆に解釈する、反対の反応を示す人々が常に居るだろうというものだ。この彼の理屈に周囲の人々はきちんと反論できない。
その彼が後半でみせる姿は、物語を通して読み手にまで、善悪の基準そのものに疑問を投げかけてくる。そこには驚く程理性的なジム・トンプスンのしっかりした哲学がある。
吉野仁氏による<解説>「カルト作家ジム・トンプスンの代表作」は一読の価値ありだ。
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