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ここでは2005.01〜2005.03に読んだ本をご紹介しています。



「サイレント・ジョー (silent JOE)」
T・ジェファーソン・パーカー (T.Jefferson Parker)

2005/03/19:オレンジ郡の刑務官を勤める傍ら夜は郡政委員で養父のウィルの警護兼運転手を務めるジョー・トロナ。彼は生後9ヶ月の時に父親から顔に硫酸をかけられ、当時事件は新聞で話題になった。見出しは「溶岩ベイビー」。

ジョーは5歳の時に養護施設からウィルの家に引き取られて育ったのだ。育ててくれた事を感謝し、心から養父ウィルを愛していた。普段は帽子を目深に被り、礼儀正しく物静かな(サイレント)ジョーは火器と武術に長け、時としてウィルの為に政敵のオフィスに盗聴器を仕掛けたりするような、危ない仕事も引き受けていた。

ある晩、父に伴ってこなした仕事は最初から不穏なものだった。小声で交わされる会話。スポーツバックをテニスコート脇に置き去り、次に訪れた先で引き渡されたのは少女サヴァンナ。誘拐事件の引渡しのようなやり取りだが、そこに突然何者かが割り込み、ウィルはそこで銃撃されてしまう。少女を逃がし、一味の二人を撃つジョー。しかしウィルは帰らぬ人となってしまった。そしてサヴァンナの行方の所在も不明。

最愛の父を殺した男を追う事に静かな闘志を燃やす彼の所に、保安官事務所一の腕利き刑事とされる男がやって来て言う。「夕方のニュースを見ろ。そして明日の朝オフィスへ来てくれ。」ニュースではサヴァンナの父親ジャック・ブラザックの誘拐事件に関する記者会見が流れた。彼は州で最も裕福な男だが、政治的にはウィルと正反対の立場をとっている事で知られていた。

ブラザックの屋敷に呼び出されるジョー。彼にブラザックはサヴァンナを誘拐しているのは彼女の兄のアレックスだと告げる。実の兄が妹を誘拐し、父親に身代金を要求してきた事から、事件を表ざたにせず、内輪で解決しようとしていたというのだ。サヴァンナを救い出し、父を殺した犯人を追って独自で捜査を進めるジョーの前に、生前のウィルと事件の関係者を繋ぐ暗い絆が浮かび上がってくる。

2002年度アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作。当然だが外れなし。本書はミステリはこうじゃなきゃね〜。と言う程の出来だ。いいぞホントに。しかしT・ジェファーソン・パーカーはかなり息の長い作家らしい。らしいと言うのもあまり印象がないのだ。たぶん「パシフィック・ビート」は読んだ。と思う。位な感じだ。

それも今回で覆った。作者はかなりの車オタクらしい。郡政委員ウィルの車がBMW750ILなのだが、作者自身かなり惚れ込んでいると見た。これには読みながら激しく同意。実は僕も2年程の間同じ車のオーナーだった事があったのだ。勿論中古だったが。V12エンジンは強力の一言。そしてこの車は、そんな心臓を手懐ける為、フル加速時にはサスが反応して車全体が前屈みになるのだ。とんでもなく良い車なんだよね〜。こんなところで共通点を見出してしまえば、贔屓にならない訳にはいかないだろう。もう全部読むぞ。

「ブラック・ウォーター」のレビューはこちらから

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「レッド・ライト(RED LIGHT)」〈〉〈
「ブルー・アワー(THE BLUE HOUR)」〈〉〈
コールド・ロード (COLD PURSUIT)」
ブラック・ウォーター(BLACK WATER)」
サイレント・ジョー(silent JOE)」
凍る夏(SUMMER OF FEAR) 」
渇き(THE TRIGGERMAN'S DANCE)」
パシフィック・ビート(PACIFIC BEAT)」
流れついた街(LITTLE SAIGON) 」
ラグナ・ヒート(LAGUNA HEAT)」

T.Jefferson Parkerのオフィシャルサイトはこちら

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「ニューオリンズの白デブ吸血鬼
(FAT WHITE VAMPIRE BLUSES)
アンドルー・ジェイ・フォックス(Andrew Jay Fox)

2005/03/19:貧乏暇なしでこの連休も自宅で仕事をしないといけない、と言いつつレビュー(かなり手抜きだ)はアップ。ヴァンパイア、ジュールズ・デュション登場!って、ゲノムの科学読み物の次にこうゆう本を読んでしまうのが、オレ流。食い物に食わず嫌いせず、なんでも美味しく食べられる僕は、読まず嫌いもしない主義なのだ。

そしてもう一度、ヴァンパイア、ジュールズ・デュション登場!しかしこの吸血鬼は従来のスタイリッシュなイメージとは程遠い。ニューオリンズのタクシー運転手で、よくドラマに登場するようなオバカな超デブなのだ。彼は高コレステロールなニューオリンズの深夜の客を食料にしていた為に自らも肥満症になってしまった。そんな彼もかつては痩身の二枚目だった時期もあった。美女のヴァンパイア、モーリーンと暮らし、少年の相棒ドゥードゥルバグと共にドイツ軍の悪と戦う正義のヴァンパイア。その名も「恐怖ずきん」。

ローマン・ブラザーズ (BROTHERLY LOVE)のロイド・バーウェル役をやったマイケル・マクシェーン(Michael McShane)が演ったら面白いかもだ。

しかし、時は流れ、モーリーンに愛想付かされ、相棒ドゥードゥルバグとは、ある事が原因でコンビ解消。永遠の生命の元で自堕落で孤独な生活を垂れ流す日々だ。そんな彼の前に突然現れたのは、どこまでも高飛車な黒人ストリート・ギャング系ヴァンパイアのマリスX。「黒人の血は黒人の縄張りだ。今後一切黒人に牙をむくな!」

黒人以外で深夜に簡単に襲えそうな人間はそうそういない。白人を襲えば警察の捜査だって厳しいし。
あっさりと追い詰められてしまったジュールズは、遅まきながら反撃の為に鈍り切ったヴァンパイアの力を呼び覚まして行く。
状況説明的な会話がだらだら続くのには、やや閉口。抱腹絶倒には程遠いものの、
「池中源太80k」の西田敏行のように、「わーバガバカそっち行っちゃダメだっての」的に読者の心を翻弄する。あの番組で歯を食いしばる事に悦びを見出した方には超お勧めだろう。
アンドルー・ジェイ・フォックスは本邦初。ご当地では続編「How Jules Duchon, New Orleans Vampire, Got So Darn Fat」が出版されている。ジュールズ・デュションは如何にしてデブでどアホなニューオリンズヴァンパイアになったか。翻訳されたらとりあえず手を出してしまうかも。

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ゲノムが語る23の物語
(Genome: The Autobiography of a Species in 23 Chapters)」
マット・リドレー(Matt Ridley)

2005/03/13:クリントン大統領とブレア首相は、ホワイトハウスで2000年6月26日、ヒトゲノム概要版の完成を同時公開した。本書はタイトルが「物語」となっており、お話のようにも取れるが、サイエンスライターのマット・リドレーによってゲノムの解読によって明らかになってきた内容をレポートしたものだ。

ただし、出版は先のゲノムの完全解読に先立つ1999年。今となっては若干古くなっている所もあるようだが、各染色体に発見された特徴的な遺伝子や役割を中心に展開される内容は、非常に良く纏っており、そして何よりエキサイティング。とても面白かった。

遺伝子には、我々の身体の設計図が収まっている、身体ばかりか。性格や心を作り出す?少なくとも影響を与えていると思われる遺伝子があるようだ。こう書くとまるで人間は機械で遺伝子というプログラムに従って動いているような印象に読めるかもしれない。

ダウン症のように遺伝子によって決定論的に発現する現象もある事は事実で、ゲノムを巡る問題では、こうした決定論的な例ばかり取り上げられて仕舞い勝ちな為、全てがそうだと受け止めてしまうような誤解も依然として数多いようだ。確かに目の色や髪の色を決定する遺伝子はあるが、その人個人の染色体のなかには大抵、他の色の遺伝子も持っていて、スイッチがオフになっているのだ。

これらのスイッチは一生を通じて決まった状態でセットされているものもあれば、状況に応じてスイッチがオンになったりオフになったりするものもある。

遺伝情報が設計図である事は事実だが、その設計図は多くのバリエーションを含んだもので、様々な外的要因によってどのパターンで出来上がるかが決定される場合が殆んどなのだ。外的要因を遺伝子が察知し、適切なプログラムを選んでいる訳ではない。外的な要因の強さやタイミングが遺伝情報のどのプログラムを活性化させるかを左右するのだ。

坂道に差し掛かると自動車のオートドライブがエンジンへのガソリン供給量を増加させる。クルマが坂道を感知してアクセルを踏み込んだように見える。良く出来たプログラムは意思があるように動くものなのかもしれない。しかし、ここには意識とか意思といったものはなく、単なる反応なのだ。

遺伝情報がプログラムだとするならば、こうした臨機応変さや幅の広さを予め含んだ柔軟なものを作り上げたものは一体何なのだろう。ドーキンスは「利己的な遺伝子」という表現を使ったが、ダーウィンの忠実なる僕である彼が遺伝子に意思があるといった主旨でこの言葉を使った訳ではないだろう。

彼の著書「ブラインド・ウォッチメイカー(見えざる時計職人)」というタイトルの由来が記されていた。イギリスの神学者ウィリアム・ペイリーは、地面に時計が落ちていたとすれば、どこかにその時計を作った職人がいるという例を使って、生物の精巧なデザインは神の存在を示す明確な証拠だという目的論的証明を行った。

ダーウィンは非常に長い時間に渡って繰り返される自然選択によってこうしたデザインが生み出された、この長い間に渡って繰り返される自然選択こそが、見えざる時計職人だという訳だ。つまり、利己的な振る舞いをする遺伝情報が自然選択で生き残ったからこそ、遺伝子が利己的なのだと言っているのだ。

入組んだ路地や高速道路、ワインディングもそして渋滞も苦も無く走り抜ける。華麗なドライビングテクで、隙があれば前の車を抜き去る事すら躊躇しない、オートドライブなのだ。

先般、国連総会は加盟各国に医療目的のヒトクローン技術の全面禁止に向けた法制化を求める宣言を採択した。しかし賛成派のアメリカと反対派の欧州の意見対立は深刻で、対立が深まったという。この意思決定が純粋な科学的見地でなされたものではない事は言うまでも無いだろう。

ゲノムの構造のコンピュータープログラムとの相似は恐ろしい程だ。ゲノムの操作によって生物のデザインを人為的に改造する事も可能だ。この解読によって我々は他の生物とヒトとの違いをはじめ40億年にわたる生物の進化の歴史が書き記した文書を手に入れた。

ゲノムは我々の過去と未来に新しい光を投げかけるものになるだろう。しかし、一方でこの問題は優生学、宗教との問題に直結し、国や人種や種といった集団としての我々と、個々の生き物である我々個人との問題を突きつけて来る。

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ダーウィンの使者 〈上〉 〈下〉
(Darwin's Radio)」
グレッグ・ベア (Greg Bear)

2005/03/06:SF小説の第一人者とされるグレッグ・ベアの1999年の作品だ。最近僕はSFを殆んど読んでいないので彼の小説自体初めてなので、どれほどの人なのか知らないまま読み始めた。しかしこれかなり凄い。

はみだしものの人類学者ミッチ・レイフェルスンは以前の恋人がアルプス山中の洞窟の中で発見したというミイラの確認の為に一緒に登る事にした。彼女は現在の恋人と二人で登山中に偶然とても古いものと思われる遺体を発見したというのだ。

もし、その話が本物ならネアンデルタール人のものでしかもすこぶる保存状態が良好なものだ。これはとんでもない世紀の発見になる。しかし、正式に手続きをとればあっと言う間に蚊帳の外に置かれてしまう。そこで彼らは極々内輪だけで登る事にしたのだ。
そして、訪れた洞窟のミイラは成人2体と乳児、なんと3人分あり、実際相当古いものだった。それは間違いなくネアンデルタール人のものと思われた。また、女性らしい一体は顔にマスクのような皮をつけている。

グルジアでバクテリオファージの研究を進めるケイ・ラングは医療経験を買われ、発見された集団墓地の遺体確認の為に現地へ向かう。殺されているのは女性ばかりでしかも全員妊婦だった。彼らの顔にはマスクのような皮が。遺体の程度から、数年前の事件だと主張するが、グルジア政府関係者はスターリンの圧制時代の犠牲者だという。

クリストファー・ディケンは国立感染症センター(CDC)のウイルス・ハンター。彼はこの三年間、正体不明の病気の蔓延を防ぐために集団で殺されたとみられる集団墓地の後を追い、ウクライナ、グルジア、トルコを捜索し続けてきた。

そして感染者が流産したとう胎児から発見されたのは感染力のあるヒト内在性レトロウイルスだった。人間の内在性レトロウイルスが水平感染、つまり他人への感染は今までに例のない事態だ。

CDC内部では内輪ではヘロデ流感と呼ばれている、これこそディケンが追い続けてきたものだ。風聞に過ぎないがウクライナでは、流産の多発と異常な姿で生まれた子供の噂や、まるごと消された村の噂が広がっており何らかのストレスがヒト内在性レトロウイルスを活性化させたのではないかとディケンは睨んでいた。

性交渉で感染するが発病するのは全て女性のみ、症状は風邪のような喉の痛みから始まって、妊婦は流産してしまう。或いは、感染する事で妊娠したようにみえる例もみられるのだ。解決を急がないと人類は次世代を作れなくなってしまう。やがてヘロデ流感と思われる症状を呈した流産の例がアメリカでも発見され、事態は全世界的なクライシスへと発展し始める。

ケイ・ラングはかつて、ヒト内在性レトロウイルスが活性化し水平感染する可能性についての論文を書いており、事態を重く見たCDCのチームへ召集され一躍時の人となる。彼女はこの病気がヒト内在性レトロウイルスによるものである以上、人類は過去もこのような事態を経験しており、それに対する何らかの解決があったはずで単なる病気以上のものではないかと考える。

物語の後半の展開と着地点には好みが分かれるところだろうが、本書の前半で展開されるヘロデ流感の原因特定や政府の感染予防措置は非常にリアルで背筋が凍る。本国では続編「Darwin's Children」が既に出版されている。

レトロウイルスはその起源を遥か生命の発生時期にまで遡る古いもので、宿主へ進入しそのDNAへ逆転写によって合成したDNAを進入させる事で水平、垂直感染するRNAヴィルス。

生物は全てこうしたウイルスの脅威に晒されて来ており、なかでも内在性レトロウイルスは、過去において自己のDNAに進入してきたレトロウイルスを宿主が無毒化、非活性化した名残と言える物だ。ヒトのゲノムにも多数その存在しており完全型の内在性レトロウイルスだけでも、全ゲノムの約1%を占めると言われている。

この内在性レトロウィルスが活性化し水平感染する例は幾つかの生物種で確認されており、人間で起きる可能性は勿論、接触や内臓移植等によって種を跨いで感染する可能性を危惧され研究もされている。

グレッグ・ベアのオフィシャル・サイトはこちらから>>

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「壜の中の手記
THE OXOXOCO BOTTELE and Other Stories)」
ジェラルド・カーシュ

2005/02/19:本書は12編の短編が収められており、これらの作品は、ミステリだったりSF、はたまたホラーだったりとそれこそ縦横無尽。ジャンル設定すら明かされずに進む物語は端から書き手に有利な訳だが、背景情報を多く語らない幕開けは、どんな着地を目論んでいるのか皆目見当がつかない。そして実際の着地点は正に予想もしない所に用意されているのだ。

短編ならではのコースター感。そしてこの何というか作品の背後に潜む「毒」というか、「暗黒面」。率直に言えば屈折してる。これまで、全く知らなかったジェラルド・カーシュだけど、かなり凄いぞ。

本書のタイトルにもなり、1957年のMWA最優秀短編賞受賞作となった「壜の中の手記」について。

オショショコと呼ばれている壜についての学者たちの諸々の意見が唐突に述べられる。読み進むうちにその壜はメキシコの山村で発見されたが、奇妙にな形をしていて用途不明。行商人から買ったというその壜が何故、学者たちの注目するところとなったのか。

彼はそれをテーブルから落としてうっかり割ってしまうが、手紙がなかから表れ、それがアンブローズ・ビアス直筆のものだった。アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce)は「悪魔の辞典」で知られるアメリカの作家。1913年、彼は71歳の時に革命に揺れるメキシコへ向い、そのまま消息を絶った。
最後に彼は、もう戻らないとか、どこに行くかは決まっていないといった事を言い残しており、自ら失踪した、革命軍と何らかのトラブルに巻き込まれた等、様々な憶測が流れ、事件は米文学史上最大の謎となった。そしてその壜から表れた手紙の文面にはとんでもない事が書かれていた....。

■豚の島の女王(The Queen of Pig Island)
■黄金の河(River of Riches)
■ねじくれた骨(Crooked Bone)
■骨のない人間(Men Without Bones)
■壜の中の手記(The Oxoxoco Bottle)
■ブライトンの怪物(The Brighton Monster)
■破滅の種子(Seed of Destruction)
■カームジンと『ハムレット』の台本(Karmesin and the Hamlet Promptbook)
■刺繍針(The Crewel Needle)
■時計収集家の王(The King Who Collected Clocks)
■狂える花(The Terribly Wild Flowers)
■死こそわが同志(Comrade Death)

ジェラルド・カーシュは1911年8月26日イギリスでユダヤ系の家庭に生まれた。2歳の頃に重病にかかり、看病の甲斐なく心停止、医師が死亡の宣告を下したが蘇生した。これは葬儀の際に棺から起き上がった伝説となって残っているそうだ。

生計を立てるためシネマのマネージャ、レスラーや用心棒からフィッシュ&チップス屋台等様々な職につきながら執筆をしていた。逞しい体躯で多少荒っぽい事でも朝飯前だったらしい。

1938年ハリー・ファビアンを主人公にした物語「ナイト・アンド・ザ・シティ」は高い評価を受けた。これは映画化されたが、作品の本質は骨抜きとなりカーシュは「使われたのはタイトルだけ」と皮肉った。この作品は1992年、ロバート・デ・ニーロが主演でリメイクされている。

第二次世界大戦が勃発すると軍に志願し、戦地に赴き負傷、後には従軍記者として活躍した。戦後になりアメリカ、カナダへと移住し1968年11月5日に亡くなった。生涯で千以上の記事、400の短編、および19冊の小説を書いたという。

読んでいて筒井康隆の本をまた読みたくなった。殆んどの本を持っていたが今は寄付してしまったので手元にはない。
彼とジェラルド・カーシュは作風もかなり重なっているね。筒井氏がカーシュを知っていたのかどうか興味が沸くな。同人誌に載せた「お助け」が江戸川乱歩の目に留まったのが1960年。最初の短編集を出版したのが1965年頃というから、二人は入れ違いに文壇を出入りした形だ。


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「わが手に雨を
A FISTFUL OF RAIN)」
グレッグ・ルッカ (Greg Rucka)

2005.02.06:ポップ・ミュージックで人気上昇中のテイルフックは3人組のバンド。リードギターのミムはポップ・ミュージックには不似合いな程ギターが巧い。彼女は本物のアーティストだった。

しかし、バンドの人気と彼女のアートは相関が薄い。大衆の視線を集めているのはルックスでありクールな雰囲気であった。そして今や預金も数百万ドルを越える押しも押されぬ立派なセレブだった。しかし彼女は全く自覚がない。

一方、彼女は酒に手を出さずにはいられないという問題を抱えていた。それもかなり深刻な状態だ。長期のライブツアーで演奏中にまで深酒をするようになるに及んで、メンバーからとうとう強制的に休養を命じられてしまう。飲酒は演奏に何の影響もしていないと主張するミムだが、聞き入れてもらえない。

一人ポートランドへ帰る事になったミムだが、彼女を玄関先で待っていたのは拳銃を手にした男だった。いきなり拳銃を突きつけられ誘拐されるミム。「殺される」恐怖におののくミムだったが、車で数時間運ばれた後、開放されたのは自分の家の玄関の前だった。何も盗られず、何も危害は加えられていない。

警察は怪我も物証もない事から事件性すら疑う素振りで、実の兄からすら自分自身にまで嘘を付くのはいい加減にしろと諌められる。しかし自分を欺くという兄の言葉にミムは全く心当たりがない。

無茶な飲酒によって途切れ途切れになりがちな自己の記憶。誘拐そのものも自分が作り出した創造の産物なのだろうか?再びウィスキーのボトルに浸りこんでいくミム。

数日後、撮られた記憶が全くない自分の裸の写真がネットに流出した。しかし、泥酔していたとしたらどうなのだろう。自分でも確信が持てずにいた。その写真を拡大してみると手には数日前の怪我の跡があり自分の家のベッドだという事が判った。自宅は盗撮されているのだ。

この辺りの酒で記憶を無くしている可能性も含め不安感が盛り上がるところはかなり読ませる。自宅を捜索すると通信装置とビデオ機材が屋根裏から発見され、盗撮されたのは写真ではなくビデオでしかもかなり長時間のものがあると思われるという。犯人はそれをまだ持っているのだ。

数日後、兄からトミーが出所してきたと伝えられて驚くミム。トミーは二人の実の父親であり、泥酔した挙句、母を轢き殺した罪で服役していたのだった。今は兄のマンションに居ると言うのだ。事件によって家族があっという間に失われ、変わってしまった。

里子に出されたミムは里親を転々とし、兄とも離れ離れになってしまったのだ。遇うことを拒んだミムだが、ある朝トミーは家を訪ねてやってくる。しかし父親をミムは決して赦すことができない。呪いの言葉を吐きかけて追い返す。

ネットへの流出事件はセレブを追う悪質なストーキングかと思われたが、事件は家族を巻き込んで意外な展開を見せ始める。幼い頃に負った心の深い傷を引きずり気丈に振舞うミムが哀しい。プロットはしっかりしていて、最後の着地も捻りが効いたものになっていてなかなか、よろしい。しかし終ってみれば設定にやや難ありか。

僕は初めてだったけど、作者はプロのボディーガード、アティカスを主人公にしたシリーズが結構イケてるらしい。と言うのだが。

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「サラマンダー―無限の書
SALAMANDER)」
トマス・ウォートン (Thomas Wharton)

2005.02.06:1759年ケベック、フランス軍のブーゲンヴィル中佐は崩壊した書店の奥で美形の女性に出会う。男性の印刷工の様な服装だが、こんなところで何をしているのか誰何する中佐に対する落ち着き払った立ち居振る舞いから高貴な出である事が伺える。

二人の会話はとても奇妙で、後の物語を示唆する重要なものだ。爆弾にやられなかった本は一冊だけ、しかし彼女はその本をまだ読んでいない、にも係わらずその本の内容を説明するのには一晩かかっても終らないという。その本を説明するには、その本とは別の数冊についても話をしないといけないとも。

しかもその本に文字はなく黒い扉のような帯が並んでいるだけで、どこから開いても構わないものだという。中佐は興味を示し、それでは説明を聞こうと言う。
そして、今回はどこから説明するのかと問うと、でも本の説明は既にもう始まっていて、それを説明する為にはお城の話をしなければならない。お城の話をするには、ほかのどこからか話をはじめなければならない。と言うのだ。そして物語は戦いからはじまる。

1717年サヴォイのキリスト教軍とオスマン=トルコ軍の戦場でオストロフ伯爵は共に戦っていた愛する息子ルードヴィヒを失う。失意の伯爵は戦場より暇乞いし、故郷のスロヴァキアへ戻る。失意の底にある伯爵は自分の城を世にも奇妙なものへ改造する事に没頭していく。

そして出来上がった城は部屋という部屋、家具という家具が四六時中動き回る機械仕掛けの城。伯爵は、その仕掛時計の様な城で、召使たち人間の気配を極力に廃し、娘のイレーナと機械仕掛けの人形ルードヴッヒと暮らす。ある日、伯爵は本のなかから本が次々に現れる入れ子構造になった本を眼にし、その印刷工を呼び寄せることにした。

その印刷工の名はニコラス・フラッド。フラッドはイレーナに魅かれ、伯爵の永遠に続く本を作るという注文を請け城に移り住む。そして本の制作を行う傍ら
徐々に魅かれ合って行くフラッドとイレーナ。

しかし、二人の密会はやがて伯爵の知るところとなり、フラッドは印刷機を取り上げられ、地下牢へ幽閉されてしまう。扉越しに向き合うフラッドの前で伯爵がイレーナの顔を剥ぐと、なんと彼女は機械仕掛けだった。

人の数だけ物語があるように、この本の登場人物もそれぞれに物語を持っており、物語と物語が接したところでまた物語が生まれていく。まるで知らない街の路地裏で思いつくまま角を曲がっていくような展開だ。曲がった途端にそれまでとは全く違った街並みに出遭う。

作者のトマス・ウォートンは1963年カナダ出身。Icefieldsに次ぐ長編第二作目が本書に当たる。日本語訳は本書が初だ。カナダの文学はなかなかどうして難解ですな。

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「リザベーション・ブルース
(Reservation Blues) 」
シャーマン・アレクシー (Sherman Alexie)

2005.02.05:ロバート・ジョンソンは悪魔と四辻で魂と引き換えにギターテクニックを自分のものにしデルタ・ブルースの天才と称された男。その腕前は約半世紀も後のクラプトンをも瞠目させるものだ。彼は1938年浮気相手の夫の怒りを買い毒殺され短い一生を終えたはずだった。
リザベーション・ブルース
しかし彼は悪魔の目をかい潜って逃げ延びていた。捨てても、壊しても再び自分の下に戻ってくるギターを手に、夢に表れた悪魔との呪縛を解く力を持つ丘の上に住む老婆を捜し彷徨い続けてきたのだ。

そんな彼が辿り着いたのは、スポーカン・インディアンの保留地(リザベーション)の四辻だった。そこで出会った「火おこしトマス」は保留地の外れに住んでいると信じられている「ビックママ」を紹介する。彼女はメディスンマンのようであり、精霊のような存在でもある不思議な女性だ。

ジョンスンはギターをトマスの車に残して彼女の元に向かった。火起こしトマスは同じ保留地で育ち、同じように仕事もなく長期的な展望など持ち合わせていない二人の仲間とバンドを結成する。ギターは時に心を震わせるように泣き、時には火花を散らして鳴った。

その演奏でリザベーションの人々が集まりだしやがて、その噂はその外へも伝わりだした。ティピ・ポール酒場での演奏で出会ったフラットヘッド・インディアンの姉妹、温水のチェスとチェッカーズの二人が加わり、彼らはバンドで食っていこうという目的を持ち、努力する事に目覚めていく。そしてリザベーションの外へと足を踏み出して行く。

遠征に出かけた彼らとホテルマンとの会話
「お支払いはどうしますか?」
「何考えてんだ?貝殻で払うとでも思ったのかよ?」
「現金かカードってことよ」
「じゃあ現金だ、インディアンがカード持ってる訳ねぇーだろ」

リザベーションのなかですら大人になっても存在を確立できない貧しさと侘しさをユーモアを失わない心で描く。アイディンティティを奪われ、自らをインディアンと呼び、そして余にも世間知らずなのが哀れだが思わず笑わってしまった。
ヴォーカルだけが注目されるというギャグもかなりいけてました。

本書はインディアンの伝統と現代がクロスオーヴァーする不思議な物語だ。どこの部族か誰も知らず何時の間にかリザベーションに住み着いた「おそらくラコタの男」をはじめ、ユニークな登場人物が次々に現れてくる。

音楽プロモーターのシェリダンはインディアンを殺戮し「良いインディアンとは、死んでいるインディアンのことだ」という有名な言葉を残した実在の人物との間で揺らめく妖怪のような人物だ。「ビック・ママ」は実在の人間のように振舞ったかと思えば、すべてのインディアンの母のようだったり、そしてプレスリーにも音楽を教えたとされる音楽の精霊だったりする。

現実と幻想世界の境目が緩やかで軽がると境界線上を行き来し、物語はインディアンの悲惨な歴史と彼らの伝統を融合させていく。その手腕は素晴らしい。正にトリック・スターだ。作者のシャーマン・アレクシーはこの物語の舞台になっているスポーカン・リザベーションで1966年に生まれた。これはかなりいい読み物でしたよ。

シャーマン・アレクシーのウェブ・サイトはこちら

「インディアン・キラー」のレビューを追加しました。レビューはこちらからどうぞ。

2005/8/13「ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う」のレビューを追加しました。こちらからどうぞ



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インディアン・キラー (Indian Killer)」
リザベーション・ブルース (Reservation Blues) 」
ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う(the lone ranger and tonto fistfight in heaven)」

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「ドラゴンフライ―ミール宇宙ステーション・悪夢の真実〈上〉〈下〉
(Dragonfly: Nasa and the Crisis Aboard Mir) 」
ブライアン・バロウ(Bryan Burrough)

2005.01.29:小学5年生の夏の夜、僕は近所の友達と二人で「スカイラブ」が通り過ぎるのを夜空を見上げて待っていた。あれは1975年の事だった。仙台上空を通過するチャンスは限られていて、運良く晴れ渡ったその日、通過予想時間と時計を見比べながら待っていたのだ。

「宇宙ステーション」という響きに格別の芳香を感じる。当時は映画に、そしてテレビのSFドラマやマンガにも様々な形の宇宙ステーションが描かれ、僕たちの想像力を駆り立てたものだ。

巨大な資本と高い技術が要求される宇宙開発はアポロ計画が月へ人類をというロマンを現実のものにした後、更にもっと遠くへ、という文脈のなかで生まれた宇宙ステーションだった訳だ。

当時はソ連との競争という云わば予備エンジンもあってアメリカの宇宙開発は多くの人々の視線を集めアストロノーツはスターだった。しかし、現実はシブいもので、ステーションというには程遠い、スカイラブの意味するラボラトリーというのが実情だった。次に向かうべき目標はどれも余に遠すぎるのだ。

その後1991年にソ連が崩壊、ロシアは深刻な経済状況から宇宙開発も重大な危機に陥ったが、1986年に打ち上げられたミールの使い道に関して言えば、民族の誇りを守るため、そして何より外貨獲得の手段へと、その切り替えは西側とは対照的に素早かった。

一方アメリカは、宇宙開発の目的を見失い、1986年1月に起きたスペース・シャトル「チャレンジャー」の悲劇的な事故。そしてソ連が崩壊し、国威発揚という補助エンジンも止まり、その力を失いっていった。漂流するNASAは税金の無駄遣いと非難され、宇宙飛行士の栄光は過去のものになりつつあった。

ビル・クリントンとロス・ペロー(イランで人質になった社員を自力で救出部隊を作っちゃった人だね→「鷲の翼に乗って() () 」ケン・フォレット!!懐かし〜、おとっと脱線しそうだ)を破り再選を目指すジョージ・H・W・ブッシュ(父の方ね)は支持率アップの為に何か一発ブチかます必要に迫られていた。

そこで目を付けたのがミールとスペースシャトルのドッキング計画だった。それは安価な宇宙ステーションの実現によりNASAを建て直すと同時に、ロシアとアメリカが宇宙で手を結ぶ冷戦が終結し新しい世界を印象付けるイベントとして何よりだった。そしてロシアは現金を手に入れる。

これはもう端から目的と手段が転倒していたというべきだろう。

更にNASA、ロシア航空宇宙庁の宇宙飛行士達は組織の中で重大な問題を抱えていた。NASAの宇宙飛行士は飛ぶためには、組織を牛耳る男ジョージ・アビーに嫌われないために批判的な事は一切口に出来ない状態だった。

一方、ロシアの宇宙飛行士は西側の基準ではとても贅沢とはいえない程度にすぎない成功報酬の為には危険を顧みず悪い話は決して報告しないという体質になっていたのだ。

また彼らはそれぞれの飛行経験のない地上管制官達との不信感を募らせてもいたのだった。

本書は、こうした複雑にうずまく人間関係と、困難に出会ったときにこそ表面化するそれぞれの価値観の違いを綿密な取材に基づき再構成していく。組織の壁、利害関係の絡んだ人間関係に左右される意思決定、そして昨日までは敵だった国との共同ミッション。

ようやくミールに辿り着いた宇宙飛行士を待っていたのは、雑然としてあちこちが故障しているのが常態化しているボロ車のようなミールだった。
次々に襲ってくる問題課題の波、そして事故。これはビジネス書として読んでも十分示唆に富む内容だ。

ミールは老朽化と資金の枯渇により計画が維持不能となり2000年6月には最終的に無人化し、2001年3月23日地球に落下した。現在は日本も参加している国際宇宙ステーションプロジェクトISSが進行中。コアモジュールの製造と運用のノウハウはロシアから供与されている。

ISSを見よう」今度子供たちと夜空を見上げて捜してみよう。1975年のあの時のように。

そうそうあの1975年の夜、僕は確かにスカイラブを見つけたんだよ。思っていたよりずっと明るく素早く空を横切る小さな星を見たんだ。

アメリカ航空宇宙局

ロシア航空宇宙庁飛行管制センター

ロシア航空宇宙庁

宇宙航空研究開発機構(JAXA)

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「海のアジア〈4〉ウォーレシアという世界」

尾本惠市、濱下武志、村井吉敬、家島彦一編集委員

2005.01.22:全6冊のシリーズを成す、「海のアジア」の4巻目。インドネシア・スマトラ沖地震津波の犠牲者は2005/1/19時点で全世界で22万人。インドネシアの犠牲者の数は166千人を越えまだ増える気配だ。

インドネシアの犠牲者だけで浦安市民とディズニーランドの来場者を全部を合わせた程になる。しかし正直全く規模感が掴めない。そして更にこの被害から直接・間接的に波及する様々な問題は、どんなものになるのだろう。

いまなぜウォーレシアか 尾本惠市
■ウォーレシアの自然
ウォーレシアの自然史 速水格
第二ウォーレス線 − 進化論と人種論 新妻昭夫
スラウェシ島マカク七種の謎 竹中修
■人と生活
サゴヤシ文化圏 大塚柳太郎
セラム島のクスクス猟 笹岡正俊
■歴史のなかのウォーレシア
香料と人類史 生田滋
ザビエルの訪れた香料列島 沖浦和光
スールー海域世界 − スペイン領マニラと中国貿易 菅谷成子
■口絵の言葉
トリバネチョウとウマノスズクサ 松香宏隆
■座談会    
マルク「宗教抗争」はなぜ起きたのか − ウォーレシアの歴史と現在 −
 尾本惠市 笹岡正俊 新妻昭夫 弘末雅士

ウォーレシアはダーウィンが進化論を発表する重要なきっかけを与えたアルフレッド・ラッセル・ウォーレス(1823−1913)Alfred Russell Wallaceによって発見された生物相の境界線であるウォーレス線から来ている言葉。東南アジアとオセアニアにはさまれた多島海地域を指す。

ここは生物地理区の東洋区とオーストラリア区との生物地理上の境界となる地域だ。近年の研究でオーストラリア区が南極大陸から分離し東南アジアと肩をぶつけた形で大陸移動した事がわかり注目が集まっている。本書はこの特異な地域の「自然」「人と生活」「歴史」「現在」という4っを柱に深堀していく。

地域的にはこれまでのシリーズのなかでは最も狭い領域にフォーカスしながら、
地質学的な時間の元で発展してきた生物相、世界規模で繋がる航路の重点、錯綜する人種、それ故に起きてきた歴史。これまでのシリーズ以上の多様なパラダイムが用意されている。

なかでも面白い話を一つ、1498年5月20日、ヴァスコ・ダ・ガマが「キリスト教徒と香料を探しに」インドのカリカットへ到着した事に代表されるようにヨーロッパが香料を求めた理由として、長期に保存された肉の味を誤魔化す為だという話を良く聞くが、最近の研究では香料を手に入れる事ができる程裕福な人々なら新鮮な肉を手に入れる事もできたと考えられているそうだ。

では何故ヴァスコ・ダ・ガマは香料を求めていたのか?

本書はこの背景に「ヨーロッパのインド洋貿易圏への進出の惨憺たる失敗の歴史」があったと解く。アレキサンドリアのイスラム教徒の地中海世界に対する貿易に対抗する為、ヨーロッパはインド洋貿易圏の開拓を目指すが、ヨーロッパはインド洋貿易圏の持つ綿織物、香料を手に入れる為の輸出品を持ち合わせていなかったというのだ。

従ってヨーロッパにもたらされる香料の量は、需要を全く満たせず高価にして貴重な薬種として使われる程度だった。ヨーロッパは完全に足元を見られていたという訳だ。また中国は仏教の布教に伴い、お香、料理にと香料の需要が高まり支払いから金銀が枯渇する事態になった。香料を手に入れる為の輸出品として開発したものが生糸、絹織物だったというのだ。

そして今、マルク諸島では、イスラム教ととキリスト教の宗教抗争が激化している。以前は同じ地域で肩を寄せ合い協調して生活してきた人々が今では、街を二分するバリケードを築き銃を手に対峙する関係へと急変した。

しかし、この事態の急変には軍関係者が絡んでいるとか、政治・権力疑いなく金銭が絡んだ陰謀によって抗争が引き起こされたという背景がある。民族や宗教対立は作為的に引き起こされたものだという。そしてそれは世界で起きている紛争に等しく当てはまるというのだ。

一部の人の利害の為に民族・宗教が利用され、無垢な信者たちがお互いを傷つけ合う。なんとも悲しい現実だ。そしてそれはヒトゴトではなく、正に今我々もその渦中、もしかしたら気付かずに加担しているというさえある。
知識を得ることは、より目覚める事。目覚めよ人類。

シリーズ1「海のパラダイム」のレビューへ
シリーズ2「モンスーン文化圏」のレビューへ
シリーズ3「島とひとのダイナミズム」のレビューへ
シリーズ5「越境するネットワーク」のレビューへ

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「泡のサイエンス―シャボン玉から宇宙の泡へ
(from cappuccino to the cosmos)」
シドニー・パーコウィツ(Sidney Perkowitz)

2005.01.16:著者はエモリー大学の物理学教授で物質の光学的性質の研究が専門、泡の実験室を主宰している泡好きの人だ。

泡の集まりが形状を時間と共に変化させていく様子に忘我して見惚れる事ってないだろうか。僕は大好きだ。バスタイムには泡の塊を手にすくって、色とか反射とか動きを眺めている。

こうゆうのってメタルフェチなんだろうか。

そんな僕にとって見過ごす事が難しいテーマだ。しかも宇宙論と直結するとなれば尚更だ。「泡」の持つ特性はノロウィルスのような超微細な世界から宇宙のグレートウォールのような超大規模構造までに共通して表面化する。

<目次>

1 泡とは何だろう―シャボン玉の幾何学
2 泡を調べる―撮影装置、レーザー、コンピューター
3 食べられる泡―パン、ビール、カプチーノ
4 実用的な泡―コルク、エーロゲル、シェービングクリーム
5 生きている泡―細胞、ウイルス、医療用の泡
6 地球上の泡―火山、海洋、気候
7 宇宙の泡―量子、彗星、銀河

身の回りには「泡」は予想以上に溢れている。目次にもあるように、それらは食べたり、上手に利用する事で我々は恩恵を受けたり、環境を汚染したり病気を引き起こしたりしている。

そして気象や地殻変動、そして宇宙。しかし、著者も述べているように、大変面白く幅広い領域で世界に影響を与えている「泡」は数学的に非常に複雑で物理学的にはまだまだ謎な部分が多いのだそうだ。

そのせいもあって残念ながら、本書には深みが足りない。同じ話題が繰り返されている。物足りないのだ。捉えどころがなくて、脆く儚げでそれでいて目まぐるしく表情を変え、虹色で世界を映し出す。幅広い領域で表面化する「泡」の眩惑するような世界観には程遠いのだ。

「泡」に魅せられ、没入する気持ちは良くわかる。しかし解るからこそ尚、もっとマニアな世界を見せて欲しかったと思うのだが

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「凍土の牙(Siberian Light)」
ロビン・ホワイト (Robin White)

2005.01.15:シベリア地方イルクーツク州にある小さな街、マルコヴォ市。経済は停滞しどこもかも氷点下に凍りき、まるで世の中から忘れられたような所。

経済の血流を辛うじて流しているのは、アメリカ資本による油田開発企業アメラスだ。アメラスは湯水のように金を使い大規模な施設を運営しているが肝心の油田は一向に成果が出ていない。この油田開発で経済が建て直ると皆が期待していた。しかし現在は、わずかながらこの企業が街に落とす金によってなんとか凌いでいる状態なのだ。

民警への給与の支払いは滞り、司法すら崩壊しかけているこの街で一人の男が襲われ、通報を受けて駆けつけた民警二人と共に殺された。男はかつてのモスクワでは大物だった男の息子。街では数少ない裕福な人間だった。

その仕事は手配師であり通訳、父譲りのコネを使った外国企業とのパイプ役だった。そしてその主な取引相手はアメラス。

民警の組織が頼りにならない事と外国企業が絡んでいる事からイルクーツクの検察は市長自らが事件を調査する事を指示してきた。マルコヴォ市長であるノーヴィクは音楽家の家庭に育った鉱物学者で、停滞し沈みつつある街に対し、何もせずにおれず立った正義漢だったが、経済は以前に増して悪化、妻は数年前に航空機事故で死亡。挫折しつつある30代の男だ。

しぶしぶ現場に向かうとそこにはアメラスの警備を一手に引き受けている警備コンサルティング会社を経営するカズニンが既に到着している。彼は元KGBの少佐で事件の隠蔽が得意分野だと目されている人物だ。

被害者の家に出入りしているという女の写真を見てノーヴィクは愕然とした。死んだ妻にそっくりなのだ。そしてノーヴィクは現場であるものを見つけたが、どうもそれはシベリアンタイガーの骨の一部らしい。

密輸すれぱ大金になるシベリアンタイガーは密猟され絶滅に瀕している。殺された男は密輸に絡んでいるのだろうか。この骨がシベリアンタイガーのものかどうかを同定できる者を捜すノーヴィクだが、この付近でそれが可能なのはアメリカの保護団体からシベリアンタイガーの保護の為にやってきた研究者だけだった。

しかもその者はなんと、被害社宅に出入りしていた女性で今はアメラスの施設内に居るというのだ。忠実にして一筋縄ではいかない運転手兼警護のチューチンとともにアメラスの施設へと向かうノーヴィクだが。

前半なかなかエンジンがかからないのもロシアっぽいというか、後半のスピード感は心地よい。一癖も二癖もある人物が錯綜し武骨な展開を見せる本書はなかなかお勧めだ。むこうでは続編がもう出版されているようで、こちらはネルソン・デミルも絶賛というから楽しみだ。

このロビン・ホワイトの名だがどこかで聞いた覚えが、、、と思っていたが「敵対水域」の作家だった。

こちらは1986年10月3日バミューダ沖で沈没したソ連海軍の原子力潜水艦K−219の実話だ。

搭載しているミサイル燃料が暴発して穴が空き、放射能漏れからメルトダウンの危機に陥ったというものだ。

冷戦下の事件から、事件の概要と軍司機密を把握する為同海域に急行するアメリカ軍との息詰まる展開、乗組員は元より、原子炉の行方よりも国益を優先させるソ連軍上層部。そして刻々と迫る酸素切れ。そして艦長の下した大英断とは。涙なくして読めない傑作だ。

シリーズ第2弾「「永久凍土の400万カラット(The Ice Curtain)」のレビューはこちら

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「ストリート・ボーイズ(Street Boys)」
ロレンゾ・カルカテラ(Lorenzo Carcaterra)

2005.01.10:第二次世界大戦の最中に起きた実話、「ナポリの4日間」を基にした物語。イタリアではよく知られた話だという事だが、児島襄の「ヒトラーの戦い」にはそれらしい記載は見当たらない。ネットでもいろいろ調べたけど実態は良くわからなかった。

「ナポリの4日間」と言われているのは1943年9月28日から10月1日の四日間を指すようだ。ここに至る戦況の流れ簡単に纏めてみよう。

ドイツ勢はヨーロッパ全土とアフリカ大陸に迄及ぶ広い範囲に支配下の地域を拡大してきた。当然だが、部隊の展開もそれにつれて広がり、広く遠い地域の数多くの場所で連合軍側と対峙する事態になってきていた。

ドイツ勢がその生い立ちから必然的に持っている独裁的命令系統では、距離と情報量の増大から意思決定が徐々に遅延、現場との乖離という致命的な弱点が露呈し始めた時期ともいえる。

1943年が明けると北アフリカに展開していた部隊がチュニジアで降伏。これに前後してイタリアは連合軍からの激しい空爆とクレタ島、シシリー島への上陸作戦が実施され戦火が全土へ広がった。

1943年7月、イタリアへの支援を検討し始める総統本営「狼の巣」だが、ヒトラーはムッソリーニの統率力に対する過信と彼の面子を守る意味等の事情から決定を先送りしていたが、水面下ではバドリオ元帥と国王エマヌエル三世との間ではクーデーター計画が進んでいた。

この情報を察知したヒトラーはムッソリーニとの会見を行い、国王を排除し、ムッソリーニに全権を掌握させようとした。しかしムッソリーニは神経梅毒が悪化しつつある状態で、やせ衰えかつての威厳が消えうせた状態だった。

ムッソリーニの姿を見たヒットラーは翻意し、何も具体的な支援策の提示をしないまま会見は終了した。ドイツの支援も得られず、連合軍側からは無条件降伏の要求の可能性もあり、祖国を維持する為にはどうすべきか揺れるイタリア政府、ファシスト党。しかし7月25日国王に接見した直後のムッソリーニは逮捕され、バドリオ政権が誕生、ファシスト党は解散に追い込まれた。

この政権交代劇はヒトラーにとっては裏切り行為に写る一方、連合側にとっても寝耳に水という状態だった。そんな事から、事後になって連合側から提示された条件は唯一つ、無条件降伏だった。

こうしてイタリアは連合側との打開策を模索しながら表面上は独伊連合で連合側と戦うという困難な立場に立たされる事になった。

ローマを無防備都市とする事を宣言し、連合側の空爆を止めつつ、瀬戸際の交渉を続けるバドリオ政権だが9月2日ついに停戦協定に漕ぎ着けた。しかし情報伝達のまずさからイタリア軍はドイツ勢の目の前で突然停戦合意を知らされ、成す術もなく武装解除され無力化した。

更にはサレルノに上陸した連合軍とドイツ軍を正面衝突させてしまい、文字通りの大激戦を招いてしまう。バドリオ政権は状況を沈静化させる能力に欠け、連合側との関係は険悪なものになっていき、国王、政府、軍の首脳陣は首都を捨て脱出、連合側から再度突きつけられた無条件降伏の勧告に9月8日、応じる事態となった。ここにきてイタリア政府はほぼ瓦解した状態に陥った。

9月12日ヒトラーは逮捕後軟禁状態にあるムッソリーニの救出作戦を実行。その目的はムッソリーニに対する友情とイタリアのファシスト党の残党を決起させる為、その生死に係わらず強行しようというものだった。

救出されたムッソリーニが共和政府樹立を宣言したのが、9月26日。イタリアは連合、ドイツそれぞれの思惑の上で蔑ろにされていく。兵役に付いた男たちは皆、武装解除されたか、捕虜になっており、それ以外にもドイツ国内へ数十万人規模で出稼ぎにいったままの状態であり、街にはそれこそ老人と女子供しか残っていない状態だった。

こうした徹底的に疲弊した状態で、しかも国も守ってくれる家族も解体したナポリの町へ昨日までは盟友だったはずのドイツ軍が侵攻してくる。



大きな地図で見る


本書はバリー・レビンソンが監督、ジョージ・クルーニーの主演によって映画化が決定しているようだ。誇りを持ってナポリっ子の意地を示す出来事となっている反面、あまりといえばあまりな政府の不甲斐なさと国際政治に翻弄された経験はカモラに代表される国家の枠組みに帰依しない血縁、地元意識で結託するマフィア等のアウトサイダーを多く輩出する結果も生んでいる。

△▲△

「箱ちがい (The WRONG BOX)」
ロバート・ルイス スティーヴンスン , ロイド オズボーン
(Robert Louis Stevenson& Lloyd Osbourne)

2005.01.01:言うまでもないがあの「宝島」のステーヴンスンである。共著として名を連ねているのはその息子のロイドだ。「宝島」はステーヴンスンが子供が係わって出来た話だというのは有名な話だが、物語の発案のきっかけを作ったのは子供の方で、しかもその子供というのがこのロイドなのだそうだ。苗字が違うのでおやっと思ったが奥さんの連れ子だったからだそうだ。

本書ではストーリーの大筋を考え付いたのはロイドだと前書きでスティーヴンスンが説明している。出版されたのが1889年だから、ロイドは成年になる直前、やがて彼は児童文学作家となる。こんな事からも随分とロイドを大事していた事がわかるだろう。

最も長生きした者だけが手にする事ができるという「トンチン年金」の生き残りとなった二人の兄弟。マスターマンとジョゼフ、ジョゼフの面倒を見るモリスは何としてもマスターマンよりジョセフを長生きさせて年金を自分のものとしようと、金目当てで叔父の面倒を見ている。モリスはジョセフに対し体に障るような事はおろか殆んどの自由を奪い、療養地で静養をさせる事にしたが、移動中に列車が事故に会う。ジョセフとそっくりな服装の死体をてっきり叔父と思い込んだモリスはこの死体を隠蔽し、叔父が生きているかのように振舞うことにしたが、死体を隠した箱が手違いによって無関係の人の手に渡り箱を追うモリスと、自由を手にしたこれまたかなり変人のジョセフ。

ドタバタ・コメディやこの時期にはまだ生まれていないサイレント・ムービーの原型的な展開になっている。今でこそ内容はかなり古臭くなってしまっているが、なかなかどうして骨組みは確かなストーリー展開を見せている。

本書のあとがきに詳しく述べられているが、注目すべきはやはりこの本が書かれたタイミングだろう。アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの「緋色の研究」が1886年に発表され、イギリスで推理小説がトレンドとして立ち上がりつつある時期に書かれているのだ。

ミステリーの起源は一般的にエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe 1809−1849)の1941年に出版された『モルグ街の殺人』とされている。この小説にはオーギュスト・デュパンという探偵が登場している。

起源繋がりで、では探偵はどうなのだろう。探偵の起源はイギリスで、1748年、国家組織として設立。民間ではフランスで1833年に、フランソア・ヴィドック(又はビドック)(Francois Vidocq 1775−1857)が創設したのが最初とされているようだ。映画の「ヴィドック」は、そう当人の事だ。

創設当初の彼らの役割は現在では探偵というよりも寧ろスパイに近いものだったようだ。港湾労働者等の組合運動に潜入してスト破りを勧誘したりするような活動をしていたらしい。

犯罪捜査を行う職業としての探偵は、1850年にアラン・ピンカートン(1819−1894)によってアメリカで誕生した。という事でピンカートン探偵社は最古の私立探偵社、しかも現存しているという事になる。

余談だが、映画『明日に向って撃て!』でブッチ・キャシディとサンダンス・キッドを執拗に追い詰めていく追跡者はピンカートン探偵社の者だったそうだ。映画ではボリビアに逃げ延びた二人は軍と激しい銃撃戦の末射殺される。というか、を暗示させるシーンで幕を閉じるが、彼らはこの局面を逃げ延び再びアメリカに戻ったという噂がある。この説をうまく使った小説がトニイ・ヒラーマンの「コヨーテは待つ」だ。この本は読書レビューでご紹介しています。実際にピンカートン探偵社では捜索の中止を公表せず、現在の社のサイトでも同様の主旨の事が確認できる。(http://www.pinkertons.com/)

また、1991年に、二人のものとされていたサン・ビセントの墓を掘り返しDNA鑑定をしたが満足な結果が得られなかったそうだ。つまり他人のもののようだという事だ。
興味のある方はどうぞ→(http://www.bolivia.freehosting.net/Butch.htm)

翻ってこの事件は、本書の書かれた時期よりも後の1908年なんだよね。

1888年のロンドンでは切り裂きジャック(Jack the Ripper)が現れ、人々を震撼させていた。1889年4月にはチャールズ・チャップリン(Chaplin,Charles)が、4日遅れてオーストリアでアドルフ・ヒトラー(Hitler,Adolf)が誕生している。こんな時代背景を味わいながら読んでみるのはなかなかおつな本だ。

ところでこの本のドタバタを巻き起こしているのが「トンチン年金」だが、1653年にナポリの銀行がパリで販売したのが始りで生命保険、年金の原型となったと言われている。発案者のロレンゾ・トンティ(Lorenzo Tonti)に因んで名付けられたものだ。実際かなり流行った時期もあったようだが、道義的に問題があり、実際に事件が起きたりした事からイギリスでは最終的に禁止されたようだ。

こんな世相、トレンドを織り込みながらも「メタ・探偵小説」、「メタ・ミステリ」と呼ばれるように探偵も登場せず、敢えて韻を踏まず、種明しではなく結末への着地へのサスペンドで進むストーリーを思いつくというのは、なかなか素晴らしい着目で、古典と云われる所以でもある訳だ。

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