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罪の轍
奥田英朗

2022/12/30:昭和38年3月礼文島では昆布漁が解禁を迎えた、住み込みで働く宇野寛治は見習いで周囲からはのろま、莫迦者扱いされていた。実際物覚えが悪く要領も悪かった。そして手の親指は脱臼癖がついており激しい作業をするとまもなく脱臼して仕事にならない始末だった。

母親は島の港町で居酒屋を営んでおり寛治の事を弟だと偽っていた。しかし町の者でそれが嘘であることを知らないものはいなかった。寛治は特殊学級で中学を卒業し集団就職で札幌の部品工場に就職したものの、職場で盗みを働きクビになり島に戻ってきたのだ。

しかし寛治は反省することもなく、礼文島でも空き巣を繰り返していた。昆布漁の先輩株である赤井は寛治の行動を嗅ぎ取りゆすりを働いてくるのだった。只管自らの行動によって居場所を失っていく寛治に赤井は雇い主で網元の家にある金庫を破れとけしかけてくる。その金があれば礼文島を離れて東京で自由に暮らせる。どこか茫漠として恐れや罪の意識が希薄な寛治は促されるまま深く考えることもなく行動に走っていく。

猛然と本を読み始めた娘は僕らが読んでいる本とはまた一味違う本を探し出して読んでいる。そして僕らの趣向を踏まえてお勧めしてきたのが本書であった。昭和38年、1963年は僕ら夫婦の生まれた年だ。東京オリンピックの前年、実際に起こった事件をモチーフに書かれた小説なのだそうだ。

作者の奥田英朗は1959年生まれで本作は『小説新潮』に2016年10月から2019年3月にかけて「霧の向こう」というタイトルで連載されていたもの。 まるでノンフィクションを読んているかのようなリアリティに息を飲みました。ガタゴトともがく寛治はどこまでも不器用で罪の轍から抜け出せない。冒頭から波乱万丈な物語はその後二転、三転心憎い手練手管で読者の予想を裏切ってくる。というか油断していた。気が付いたときにはどっぷり物語の中に入り込んで読んでいる手を止められなくなっていた。

正に第一級の犯罪小説、警察小説ではありませんか。着想、展開、構成、時代背景とどれをとっても見事としか言いようがない。この事件を前にして面白いと言ってしまうのはやや不謹慎ではありますが、素晴らしいエンターテイメントに仕上がっていると思います。娘のお陰で僕の読書の幅もまた広がりました。読みたい本の山に対して僕の残りの人生は短すぎるなー。


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時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙
(Until the End of Time: Mind, Matter, and Our Search for Meaning in an Evolving Universe )

ブライアン・グリーン(Brian Greene)

2022/12/30:ブライアン・グリーン久しぶり。振り返ると10年ぶりだ。彼の本によって僕はずいぶんと世界観を新たにしてきたことに改めて気づく。ミクロな世界を突き詰めていきプランク長を超えた先にはなんと時空が存在しないということ。プランク長以下の内側には時空が存在しない。どういう意味なのか未だにイメージすることもできていないけれども。一方で超マクロな世界に目を向けるとそこには、多元宇宙論という眩暈を覚えるような果てしなく広がる時空の広がりがあった。

近年ドラマや映画ではマルチバースが舞台設定として使われていることをよく見かけるが、どうやら登場人物たちは複数の世界を行き来しているみたいで僕にはどうにもなじめない。基本的に物理的関係がないからこそ他所の宇宙なのであって行き来できたりしないでしょと。頭堅いのかな。そういう問題でもない気がする。

マックス・テグマークは「数学的な宇宙」のなかでこんなことを書いていました。

私たちの住む惑星は銀河の中にあり、銀河は宇宙の中にあり、私たちの宇宙は私たちの分身が無数に住んでいると考えられるレベルⅠ宇宙の中にあり、これはもっと多様性の高いレベルⅡ多宇宙の中にあり、この多宇宙は量子力学的なレベルⅢ多宇宙の中にあり、さらにこの多宇宙は、すべての数学的構造からなるレベルⅣ多宇宙の中にあるのだ。


レベルⅡ、ましてやレベルⅢの宇宙について語るのは僕にはとても無理なのでレベルⅠの多宇宙についてすこし。物理法則が我々の宇宙と同じ宇宙はこの宇宙の外側に無限に存在するというもの。ひとつひとつの宇宙には始まりと終わりがあるが、生まれては消えていく宇宙は過去にもそして未来にも無限に存在する。物理法則が一緒で内在する物質の量も一緒の宇宙が取りうる歴史は有限で、有限である以上全く同じ歴史をたどる宇宙が必ず存在してその数も無限になるのだという。つまりは今僕がいるこの地球の歴史と全く同じ歴史を辿る世界が宇宙の向こう側に無限に存在し、それが果てしなく繰り返されているというのである。

〈目次〉
第1章 永遠の魅惑 始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉 過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー 宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力 構造から生命へ
第5章 粒子と意識 生命から心へ
第6章 言語と物語 心から想像力へ
第7章 脳と信念 想像力から聖なるものへ
第8章 本能と創造性 聖なるものから崇高なるものへ
第9章 生命と心の終焉 宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏 量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ 心、物質、意味 


僕らはどこから来てどこへいくのか。我々人類が遥か昔から抱えてきた大きな疑問。それに対する答えは時代によって変遷を重ねてきた。 それに対して明確な答えを持っているのは宗教的存在だった。

今ざっと眺めた五つばかりの宗教を合わせると、地球の人口の四人に三人を上まわる信者がいることになる。何十億人もの信者がいれば、宗教の実践や様式は大きく変わるし、今日世界中で実践されている、より小さな四〇〇〇ほどの宗教を合わせれば、献身の程度や具体的な教義の内容の幅はさらに大きく広がるだろう。それでも、あらゆる宗教に共通する、いくつかの特徴がある。たとえば、どの宗教にも尊ばれる人たちがいる。その人たちは、ものごとを大きな観点から見ることができるとか、ものごとの始まりと終わりや、われわれはどこに向かっているのか、そしてそこに到達するにはどうするのが最善なのかといったことが書かれた物語を知る立場にあるとされる。いっそう深い共通性として、どの宗教も、信者になれば神聖な心が得られるという、広く普及した期待がある。世界は、いかに生きるべきかを教える物語や、行動の指針になるとされる言葉に満ちている。それらをまとめた宗教の教義が高く位置づけられるのは、信者の心にある種の信念を生むからなのだ。


おっとまさか、本書で清水義範の「神々の午睡」と同じ主張に出会うとは。思いがけない程本書は人間、生物の存在へと踏み込んでいく。シュレーティンガーによれば生命は「負のエントロピーを餌として取り入れることでエントロピーの増大に抵抗しているのだという。宇宙はエントロピーを増大する方向で時間が流れている。これは全体的にも最終的にも避けられない流れなのだが、生命はエントロピーを減少させることができ、それが故に生命活動を営むことができるのだという。しかしこれは神秘的な力が働いているわけではない。あくまで物理法則に則っているのだ。

そこにはエントロピック・ツーステップという働きが絡んでいる。エントロピック・ツーステップとはエントロピーが時間とともに増大するという普遍的なプロセスの中で、ある領域ではエントロピーが減少し、別の領域ではエントロピーが増大する現象。それによって宇宙に秩序が生まれるが、足し合わせると全体としてエントロピーは増大し、普遍的法則を破ってはいないのだ。熱力学の第二法則からはそんな現象は受け入れがたいところがあるのだが、継続的に熱を与えられている領域では秩序だったパターンが自然発生することが明らかになっている。太陽のような恒星の周囲を回る惑星は正にそのような環境にあったのだ。

それにしても物理法則のもとで物質がどのように組み合わさることで「生命」を生み出せたのだろうか。また生命はやがて意識を生み出す。意識もまた物理法則に則って機能していることは間違いないが、我々はまだどのように意識が生み出され機能しているのかについて確かな理解にたどり着けていない。莫大な数の脳神経の間でやりとりされている信号がどうにかして意識を生み出しているのだろう。高度に発達した意識は言語を伴い、そして宗教を持ち、社会的な生き物として組織化して活動を営む。こうしたことは物理法則が量子から原子、分子、と階層毎に異なる性質を表す物性世界の性質の一つなののだろう。

宇宙で生命が誕生するまでには長い時間が必要だった。若い宇宙には生命を生み出すために必要な部品が存在しなかった。今のこの環境は非常に安定しているようにみえるけれども、初期宇宙から今日までのこの宇宙の様相は激しく変化に富んだものだった。そしてこれからの宇宙もまたその姿を大きく変えていく。やがて地球は生命が生きられる環境ではなくなる。さらにもっと先の未来では宇宙のどんな場所でも生命が住める場所ではなくなる。宇宙全体の歴史のなかにおいて生命が生まれて暮らせる時間はほんの瞬く間なのだという。

来るべき時が来れば、生きとし生けるものはすべて死ぬ。過去三〇億年以上にわたり、単純なものから複雑なものまで、実に多くの生物種が、地球のヒエラルキーの中にその居場所を見つけてきたが、そうして花開いた無数の命の上に、死神の大鎌はつねにその影を落としてきた。生命が海から陸へと這い上がり、大地を歩きまわって、空を飛ぶようになるにつれ、生物の多様性は広がっていった。しかし十分に長く待ちさえすれば、銀河系の星の数よりも多くの項目が書き込まれた生と死の台帳は、公平な正確さでぴたりと帳尻が合う。どれかひとつの生命が生まれてから死ぬまでに起こることは予測の範囲を超えるが、その生命が最終的に迎える運命は、確実に予測することができるのだ。 不気味に迫りくる死は、沈む夕日と同じく避けることができない。しかし、そのことに気づいているのは、どうやらわれわれ人類だけのように見える。人類が登場するはるか以前から、雷鳴とどろく嵐の雲や、怒り狂う火山、わななくように揺れる大地は、おののく能力を持つあらゆる生き物をおののかせていただろう。しかし、何かに驚いて逃げ出すという行動は、目の前の危険に対する本能的な反応にすぎない。ほとんどの生物は、直接的な知覚から生じる恐怖を感じながら、その瞬間に生きている。遠い過去について思索をめぐらせ、未来を思い描き、行く手に待ち構える闇を理解することができるのは、あなたや私、そしてわれわれと同じ人類という種に属する者たちだけなのだ。


この世界は紛れもなく無から有を生み出し、生命を生み出す力がある訳だが、それが維持できるのはほんの瞬く間でしかない。間違いなく我々がお互いに憎しみ合ったり、奪い合ったり、殺し合ったりするために生まれてきたはずはないし、そんなところに価値観をおき、われわれに行動を導くような神が実在な訳がない。

ようやくここにたどり着いた。僕もすこしほっとしている。我々はどこから来てどこへいくのか。宇宙の行く末と生命に待ち受ける運命については残念ではあるものの、であるが故のかけがえがなく、貴重な存在であり、限られた時間をどう生きるのかという考えについて新たな座視を示してくれるだろう。無限に繰り返される宇宙の歴史のなかで瞬く生命の誕生という世界観の向こう側に神の存在を感じるのは決して間違ってはいないかもしれない。しかし何よりこの世界の成り立ちや行く末について僕たちが広く共通認識に立ち、その上で僕らの生きる目的や価値観を共有していくことが大切だ。ほんととんでもなく野心的な本でありました。

「時間の終わりまで」のレビューはこちら>>

「宇宙を織りなすもの」のレビューはこちら>>

「隠れていた宇宙」のレビューはこちら>>


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神々の午睡
清水 義範

2022/12/18:突如読書に目覚め猛烈な勢いで本を読み始めた娘。読んで面白かったということでお勧めしてきたのは清水義範の「神々の午睡」という本でした。僕はこの本のことも清水義範という作家のことも全く知らなかった。

調べれはものすごい数の本を書いている人でそれもSFから時代小説から探偵もの、青春小説など???と思ってしまうほど幅広いジャンルの小説を書いている方でした。丸山才一からは「注目すべきパロディスト」と評され、日本語にまつわる著作が多いことから、NHKの用語委員を務めているとのことでありました。筒井康隆のような作家さんのようですね。

「神々の午睡」一体どんな内容なのか知らないまま読み始めましたが架空の大陸、架空の人々の前に現れるのはアルカマ教、サライ教、ジブ教といった宗教。これは明らかに世界三大宗教のパロディなのだけど、まずは開祖が登場してくるところからひとクセもふたクセある人物であって、そんな彼らが思い込みなのか詐欺なのか、とにかく一部の人々に信じられていく経緯があり、そして開祖がなんだかんだの事情でいなくなると教会、宗教としての組織だった活動が細々と始まっていく様子が描かれていく。

なんか適当な流れで話が進んでいくのだけどこれめっちゃ説得力があるんだよね。もしかして世界の三大宗教なるものがうまく立ちいかなかったとしてもなんかまた別の似たような宗派が生まれて似たような経緯をたどってしまうとでもいうかのような話なのでありました。

我が家ではみんな毎朝仏壇で手を合わせ、クリスマスにはプレゼントを贈り合い、お正月には初詣に行き、厄年だといえばお祓いもする。僕は幼稚園がカトリックで、中学からはプロテスタントの学校に通いました。聖書を読み礼拝にも参加しましたが、どうにも僕にはキリスト教のどこをどう信じればいいのかいまだに理解できないままでおります。

本書は宗教が徐々に体系だったものに、組織だったものになっていく経緯を追いつつ並行して起こる宗教や民族の対立や紛争、戦争といった人類史を駆け足でなぞっていく。まるで紛争、戦争が避けられないものと言っているようだ。果たしてその通りなんだけど。

戦争という行為に、欲が絡まぬと、それだけで我が国の人には、理解し難いという傾向があり、ある面情けないことのようでもあるが、逆に言えばそれが我々の愛すべき単純さと言えるかもしれない。
たとえば信仰のために、たとえば名誉のために、たとえば正義(と自分が信じること)のために、何百年もの間戦い続け、何万人もの血を流せるという、脂っこい情熱をどうも我々は持ち合わせていない。イデオロギーに殉じる、という性向を持ち合わせていないと、宗教戦争というものの根本のところが理解できないのである。
しかしながら、そういう愛すべき迂闊さを持ち合わせているの、世界を丹念に見ていくと、はどうやら我々だけくらいというものであり、全体の傾向としては、理念によって他民族と戦えるというのが人間であるらしい。サライ教の徒であるモザンバの民にしろ、アルカマ教の徒である西方人一般にせよ、神の名のもとに平気で人が殺せるようなのである。


こんな文章に出会うと日本人の一般的な人たちの宗教に対するスタンスとして自分がすごい外れ値にいる訳でもないのではないかと思ったりもする。しかし、今世間を騒がせている旧統一教会の話をみていると必ずしも日本人が自分たちと同じようなスタンスの人ばかりではないということがわかる。

キリスト教にですら茫漠たる思いしか抱けない僕からすると統一教会の教えを信じるというのは一体全体どういう了見なのか全く理解不能だ。家財をなげうって寄付し自分や家族の人生を大きく狂わせてしまうようなことが果たして宗教活動と呼べるのかもわからない。しかし組織だった宗教にはこうした結果を生み出してしまうという側面も間違いなくあるのだろう。そしてもっと酷い事も生み出しうる。

今世界を丹念に見ていくと宗教や民族の対立は過去よりも更に激しさを増している。命を落とす人、人生を狂わされる人々の数はもしかすると過去よりも今、そしてこれから先の方がむしろ多くなってしまうのではないかという気すらする。そんな中で自民党政権はこの先5年間で43兆円を防衛費に投入し戦闘機やミサイルを買いあさるつもりだ。それに加えて安全保障関連3文書を閣議決定し、防衛のためとしながらも敵基地を攻撃する能力を保有するのだという。

本書が書かれたときの日本と今の日本はまた別の性格、性向を帯び始めているのではないだろうか。軍備増強は否応なしに対立や緊張感を高め、ふとしたボタンの掛け違い、行き違いがもとに暴力に発展する機会を増すだろう。我々がしたいことはそんな事なのだろうか。イデオロギーでも信仰でも対立しない相手と角突き合わせて戦う意思を我々は押し通せるのだろうか。そんな風に思う事自体、家が火事になっているのに呑気に居間でごろ寝しながらテレビを観ているように単純さと迂闊さ故なのだろうか。それとも愛すべき単純さと迂闊さを発揮して隣人たちと能天気に平和な日々を暮らすことを選ぶのだろうか。


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壊れゆく世界の標(Notes on Resistance)
ノーム・チョムスキー( John le Carre )
デヴィッド・バーサミアン(David Barsamian)

2022/11/27:チョムスキーの新しい本が出たで飛びつきました。折しもル・カレの本に続くとかなにか導かれたような気持ちです。本書はデビッド・バーサミアン(David Barsamian)によるインタビューにチョムスキーが答える形で口述したものです。バーサミアンはアルメニア系アメリカ人で、ラジオ放送局、Alternative Radioの創設者兼ディレクター。今回と同様の形式で出した「グローバリズムは世界を破壊する」という本もあります。またバーサミアンは他にもエドワード・サイードやハワード・ジン、アルダディ・ロイなどにもインタビューしているようです。

インタビューにあたっては事前に質問事項の確認や調整などなしに一発本番的な形で実施されている模様で、それに対して途轍もない情報収集能力を基盤としてびっくりするような事実を繰り出してくるチョムスキーのすごさが光る内容となっていると思います。

第1章 命を守らない国家 2020/5/5
第2章 アメリカを覆う「被害妄想」2020/10/9
第3章 スローガンを叫ぶだけでは何も変わらない 2020/11/30
第4章 変革は足元で始まっている 2021/3/15
第5章 可能なる平和を求めて 2021/6/21
第6章 持続可能なる社会への道標 2021/9/30
第7章 知性の悲観主義、意思の楽観主義 2021/12/9

たくさんある書籍のなかで一貫して資本主義は富裕層エリート層が自分たちの利権を維持強化するために生み出したものであり、統治され搾取されている市井の人々にそれを気づかせないようにあの手この手で見えにくくする枠組みが世の中には張り巡らされていると主張しています。

「流行を追う消費行動のような、人生における表面的な事柄」へ関心を集中させる、「不毛の哲学」の導入によってそうするのです。公共の領域とは無縁であるべき大衆を、物事の進行を任されている者たちに介入させるな、というわけです。 この考え方をもとに、広告会社から大学までに及ぶ巨大な産業が育ちました。いずれも、態度や意見をコントロールしなければ人々は危険すぎるという強信念に基づいています。
ーーー「すばらしきアメリカ帝国(Imperial Ambitions)」


いやいやまさか、陰謀論か?というような切り口ではあるけれども、チョムスキーの本を読めばそれが事実であることが見えてくる。彼の本には丹念に調べ上げ、普段の僕らが目にしたり知る機会のない驚くべき事実が次々と紹介されています。読んでびっくり。本当かと思って調べてみるとやっぱり本当だったということで二度びっくりするような内容に溢れていると思います。ちゃんとニュースを見て新聞も読んでいるのにどうしてこうした事実を知らずにいるのか。それはそもそもメディアが権力者側に立っているからに他ならない。

「ニューヨーク・タイムズ」は企業であり企業としてひとつの製品を売っているのだが、その製品とは読者・視聴者である。人が新聞を買ってもこの企業は儲からない。だからただで世界中で読めるウェブサイトに記事をそのまま載せている。人が新聞を買えばたぶん計算上、企業は逆に金を失うだろう。読者・視聴者が製品であるわけだが、その製品とはつまり特権層の人々であって、新聞を書いているのも同様の人々、社会の頂点にあって決定を下している人たちだ。製品は市場に売りに出さなくてはならず、その市場とはもちろん広告主である。テレビだろうが新聞だろうがメディアとは視聴者と読者を売るビジネスなのだ。企業が他の企業に視聴者を売るのであり、エリートメディアの場合はそれが大企業ということになる。
ーーー「メディアとプロパガンダ(Letters from Lexington: Reflections on Propagand)」


言語学者でもあるチョムスキーは例えば大統領の演説と米軍の行動を結び付け口では平和と言いつつも相手をなぐりつけているなどという本意を抉り出せるのである。そのためには膨大な情報を収集分析する能力がなれけば決してできるものではない。例えばニュースで誰がなんと言ったかということよりも、何回、何分報道したか、或いは報道されなかったのはどんなニュースかといったことをメディア事に収集分析するようなことをやっていたりしているようだ。

ファルージャ制圧では初期に一般病院を占拠しています。重大な戦争犯罪です。「誇張された市民の死傷者数」を発表する、「同盟国軍へのプロパガンダ拠点」だったという理由が挙げられています。まず、どうして誇張されているとわかるのか?私たちの敬愛する指導者が、そう言ったからです。また、死傷者数を公表しているから病院を占拠するという発想には、胸が悪くなります。
ーーー「すばらしきアメリカ帝国(Imperial Ambitions)」


ファルージャを制圧したのは他でもないアメリカだ。テロとはアメリカ以外の国や連中がやるものであってアメリカが行う行為はどんな類のものでも正当化される。アメリカ政府には一貫してアメリカ例外主義というものがあり、それは共和党政権でも民主党政権でも大きく変わることがないとも指摘されていました。

たとえば国際刑事裁判所(ICC) を批准していない件について。
そのとおり。批准していない。厳密に言うと、アメリカは加盟国ではないわけだ。それどころか、自分たちの政府の意に沿わない行動をとろうとしたICCを阻止するため厳しい行動に出たし、制裁まで科した。きみも記憶していると思うが、ジョージ・W・ブッシュ (子)政権中、ヨーロッパで「オランダ(ハーグ) 侵略条項」と呼ばれる法案が可決された。これは、国際裁判管轄の問題で拘束されたアメリカ人の救出に軍隊の使用を許可する権利を大統領に与える法案だ。この権利が認められているのはアメリカだけだ。
アメリカはほかにも興味深い方法で、国際司法機関を避けてきた。たとえば、国際法に反するとして旧ユーゴスラヴィアが関連NATO (北大西洋条約機構)諸国のユーゴ空爆による人権侵害を国際司法裁判所に提訴したとき、アメリカ以外のNATO諸国はその司法権を受け入れた。もちろん、この訴えはのちに却下されたものの、当初は受け入れた。だが、アメリカは受け入れなかったアメリカは言い訳して辞退し、国際司法裁判所は ジェノサイド この言い訳を認めた。ユーゴスラヴィアが申し立てのなかで大量虐殺に言及していた、というのがその言い訳だった。アメリカはジェノサイド条約から、自らを免除しているからね。アメリカはたしか四〇年ほど、ジェノサイド条約を無視していた。その後ついに署名した――が、ひとつだけ条件を出した。アメリカを免除しろ、と。これにより、アメリカは公式にジェノサイドを行なう権利を手に入れた。それを根拠として、セルビアへの爆撃に関する国際裁判から逃れたのだ。
ーーー「壊れゆく世界の標(Notes on Resistance )」


それにしてもトランプは際立って酷いやつだと言ってましたけれども。そんなトランプのような人物が共和党の大統領候補として登場し、現実に大統領になってしまったことに多くの人が驚いた訳だけれども、その原因と思えるようなことが書かれていました。

ネオリベラリズム(新自由主義)が台頭した過去30年に、民主党も共和党も右へ舵をきった。現在の民主党主流派は、昔なら「共和党穏健派」と呼ばれただろう。一方、共和党の大半は驚くほど右傾化した。保守派の政治アナリスト、トーマス・マンやノーマン・オースティンが「過激な反乱分子」と呼ぶほどであり、通常の議会政治を放棄したも同然だ。
この右傾化に伴い、共和党派は富や特権を極度に重視するようになった。当然ながら富裕層のための政策を掲げても、一般有権者からの票は得られない。そこで別の支持者を動員しなければならなくなった。共和党が掘り起こした新たな支持基盤が、イエスの再臨を待つキリスト教福音派や、拝外主義者、頭の中が南北戦争以前のままの人種差別主義者、現状におおいに不満だが原因を勘違いしている人々、さらには簡単に扇動されて反乱分子になる人々だ。
近年、共和党主流派は、動員した支持基盤の声をなんとか抑えてきたが、すでに限界にている。2015年末にはこの状況について、主流派が困惑や悲壮感を表明するようになった。共和党の支持基盤をコントロールできなくなってきているのだ。

この右傾化に伴い、共和党派は富や特権を極度に重視するようになった。当然ながら富裕層のための政策を掲げても、一般有権者からの票は得られない。そこで別の支持者を動員しなければならなくなった。共和党が掘り起こした新たな支持基盤が、イエスの再臨を待つキリスト教福音派や、拝外主義者、頭の中が南北戦争以前のままの人種差別主義者、現状におおいに不満だが原因を勘違いしている人々、さらには簡単に扇動されて反乱分子になる人々だ。

近年、共和党主流派は、動員した支持基盤の声をなんとか抑えてきたが、すでに限界にている。2015年末にはこの状況について、主流派が困惑や悲壮感を表明するようになった。共和党の支持基盤をコントロールできなくなってきているのだ。
ーーー「誰が世界を支配しているのか?( Who Rules the World?)」


支持基盤にキリスト教原理主義者やヘイト、不満分子、勘違いしたり扇動されやすい連中を取り込んだということだ。トランプがバイデンに敗れた直後に議事堂に突入した人たちは正にそんな人たちだったのだろう。どのように彼らの支持を得ていったのか、細かい事はわからないけれども、中絶は神から禁止されているとか、メキシコからの移民によってアメリカは盗まれているなどというようにスローガンで釣っていたということは容易に想像ができる。そうした人たちを支持基盤に取り込んでいった結果がトランプだったと理解するのが正しいと思う。

はてここで既視感はないだろうか。「温暖化のおかげで北海道のコメがうまくなった」。「「政治に関心がないのはけしからん」とえらそうに言う人もいる。しかし政治に関心を持たなくても生きていけるというのは良い国です。考えなきゃ生きていけない国のほうがよほど問題なんだ。」などと言った麻生太郎や共産主義が「夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました」とか「LGBTは生産性がない」などと述べた杉田水脈のような人物が集まっている自民党政権である。麻生太郎はクリスチャンなのに神道に加えて統一教会からの支持を得ているんだそうだ。嫌韓や女性差別や中国人蔑視みたいな人たちがどうして旧統一教会とべったりな自民党を支持しているのかというと自民党の政治家が度々差別的だったり時代遅れの発言でリップサービスしているからだ。こうしたならず者のような発言に拍手し、これに対して抗議の声をあげる人々を嘲笑うような連中が自民党の支持基盤に取り込まれているのだ。

トランプも選挙戦で繰り返しやってたね。確かに。みんな同じ手を使っているということ。

安部が銃撃された結果自民党と旧統一教会がずぶずぶの関係にあったことが明らかになり、自民党は今後一切関係を断つと言ってますが、一方的に言われっぱなしになっている旧統一教会の様子をみるに一段地下に潜って関係を続けることで何らかの合意が得られていると考える方が正しい気がしています。

今回の新しい本は2020/5/5から2021/12/9に行われたインタビューとなっていることからコロナとトランプが中心的な話題になっています。アメリカにおけるコロナ禍はトランプの存在によって非常に酷い状況に陥ったと述べていました。確かにアメリカの死者数は他国に比べて群を抜いて多く、現時点で1,079,196人でおよそ世界の死者数の6人に一人はアメリカ人という状況だ。

トランプとその取り巻きの思考を理解するには、おそらく彼が提案した次年度の予算案を見てみるのが最も手っ取り早いだろう。トランプがまだ「風邪」と呼んでいたパンデミックの脅威が世界各地に広がりつつある二月一〇日に、予算案は提出された。その内容は? まず、予算が削減された分野と、予算が増額された分野があった。保健の分野はどうか? 疾病対策予防センター(CDC)の予算は九パーセント削減されている。実際、トランプは就任後毎年、一貫してCDCの予算を削減してきた。そしてバンデ ミックの最中だというのに、さらに予算をカットしようと考えたわけだ。それだけではない。保健に関連する分野や国民に奉仕する機関の予算はすべて削減されている。では、増額された分野は何か? 数世代後には人間社会が存続できない状況を作りだすべく環境汚染に励む化石燃料産業の予算は増額されている。トランプにとって何よりも大事なのは、利益が出るかどうかだ。「化石燃料産業―つまり、富裕層や大企業は私の支持層だから、資金を投入しよう。将来、地球がどうなろうとかまうものか。そして、国民に奉仕する分野や、国民の命を救う機関の予算は削減しよう」われわれが相手にしているのは、そういう男だ。まさに悪意の塊とも言える男が、この国と政界を治めているのだよ。


なに、自分以外の人がどうなろうと知ったことか。という態度というか考え方。こうした考え方をしているのは何もトランプに限った話ではなく、我々のような市井の人々の間でもじわじわと広がっているのではないだろうか。

ここで重要なのは、死者の大半、つまり最も被害を受けるのが、貧困層や黒人など、特権を持たない国民であることだ。だからトランプは、こう考えた。「よし、彼らに関する プロパガンダをでっちあげよう。死者が多いのは貧困層のせいだ。移民やプエルトリコ系や悪人がひしめく腐敗の中心である都市部が悪い」。それが彼らのプロパガンダの概略だ。数十万人に及ぶ犠牲者が出ても自分の政策のせいでブラジルの死亡率が増加していると非難されたボルソナロが言ったようにーーー「だから何だ?」というわけだ。 アメリカで勢いを増しているこの種のファシズム的なメンタリティや社会パターンの根底には、「だから何だ?」という考え方がうごめいている。私はこれをファシズムとは呼ばない。ファシズムと呼ぶほど大層な思想ではないからね。ファシズムにはイデオロギー があった恐ろしいものではあったが、少なくともイデオロギーが存在した。しかし昨今のアメリカにあるのは「自分と仲間の金持ち連中の私腹を肥やすこと」だけだ。おそらくそれが来るべき大統領選に向けたトランプの戦略なのだろう。


格差が拡大しようが、貧困や飢饉が広がろうが意に介さず、紛争や戦争で難民が生まれようが「だから何だ」というスタンスは恐ろしい結果を生む。

私が先ほど挙げた三人のうち、最もたちが悪いのはトランプだ。次はそのクローンとも言える、北半球で二番目に大きな国ブラジルの大統領ボルソナロ。そして世界最大の民主主義国家―いや、元民主国家と言うべきか――インドを支配するモディ。モディはかつての民主主義の名残をぶち壊すかたわら、膨大な数のインド人を殺害し、イスラム教徒の権利を踏みにじり、カシミール地方を破壊して、インドをヒンドゥー教を国教とするエス ノクラシー(注:支配的な民族集団もしくはグループにより、その利益、権力、資源を促進するために国家機関が支配されている政治構造)に変えようとしている怪物だ。


トランプは抜きん出て悪いが似たようなことを推し進めている連中が世界にはいるのである。ボルソナロは先日の大統領選で負け、選挙が盗まれたとかまるでトランプの負け際と全く同じような展開になっていましたっけ。

そればかりではないイスラエル、トルコ、イラン、そしてロシア。

きみが言うように、アゼルバイジャンは間違いなくトルコの支援を受けている。イスラエルの武器が大量に持ちこまれたこともわかっている。(イスラエルの)ベングリオン空港の動向を観察していた人々が、その他の航空機は一機も飛んでいないのに、イリューシ ン輸送機が頻繁に発着するのを目撃しているからね。イスラエルは、アルメニア人住民が大半を占めるナゴルノ・カラバフの人々を殺す武器をアゼルバイジャンに運んでいるのだ。つまり、きみの言うとおり、紛争は拡大している。ロシアは両側に関与し、イランはアルメニアを支援している。非常に危険な状況であり、ナゴルノカラバフの住民にとっては恐ろしい事態だ。早急に、緊張状態を緩和するための国家間外交と交渉を行うべきだろう。 紛争拡大の裏にいるのは、控えめに言っても不快な連中だ。トルコの大統領レジェッ プ・タイイップ・エルドアンは、基本的にはオスマン帝国のカリフの地位を再生させ、自らイスラム国家の最高指導者になろうと、至るところで職権を乱用し、トルコに残る民主主義を潰しにかかっている。イスラエルは武器を売ることにしか興味い。彼らは自分たちの武器で誰が殺されようと意に介さず、誰にでも武器を売る。武器とセキュリティ機器の輸出が、あの国の経済を支えているからだ。


「ナイト・マネジャー」でル・カレが見事に描き出した武器商人の台頭は規模と悪質さをますます高めて今に至るという訳だ。 アメリカの例外主義は結局のところロシアや中国の自由を身勝手に制限するものでありそれは我が物顔で傲慢だ。そしていざ相手が逸脱しようものなら経済制裁などの手段で相手を攻撃妨害する。こうした一貫とした態度がロシアや中国との関係を硬化させていることは間違いがない。勿論ロシアのウクライナへの侵攻や中国の新疆ウイグル地区での人権侵害など決して許されるべきではないことは言うまでもない。しかし、アメリカをはじめとする西洋諸国の振る舞いもお世辞にも正当とはいえないようなことが実際には行われているということもきちんと認識しておく必要がある。 そのためにもチョムスキーのような真の意味での知識人たちが捉えている世界観を少しでも共有していくことが大事だと思う次第です。さすがのチョムスキーもいよいよ本当に高齢となり、彼が失われたら僕らは誰に縋ればいいのだろう。今からとても僕は心配しております。


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ナイト・マネジャー(The Night Manager)
ジョン・ル・カレ( John le Carre )

2022/11/20:驚いたことに本書は前作「影の巡礼者」と地続きだった。それはつまり「寒い国から帰ってきたスパイ」から綿々と続く壮大な世界観の一部となっているということであり、そんな風になっていることをいままで知らずにいたとは。このまま知らずにいた可能性もあった訳で、いやいや危ないところだった。しかしこの部分を明らかにしている記事がないのはネタバレになるから?いやいやそれはないだろう。小説、読み物として大事な仕掛けになっていることは間違いないけれども地続きであること自体を事前に知ったからといって読書を損ねることにはならないはずだ。むしろ繋がっていることを知ることは本を読む動機にもなると思う。

と自分を納得させて書き進もう。地続きってつまりシリーズものということかというとそうではない。主人公、主要な登場人物が中心に物語が続くというのとはちょっと違うのだ。ジョージ・スマイリー引退後のイギリス情報機関のメンバーが登場人物となっているが主人公は作品ごとに異なっていてる。「ロシア・ハウス」で法律顧問として登場したポールフリは「影の巡礼者」にも脇役的な形で登場し、「ロシア・ハウス」の責任者であったネッドは「影の巡礼者」においては主人公となった。

ここから先はさすがにネタバレが避けられませんでした。「影の巡礼者」をこれから読まれる方は読まずにお進みください。

ネッドはソ連との長く厳しい冷戦の終結とともに引退していく訳だが、そんなネッドの目の前に現れたのは戦う機会もないままとなる新しい敵の姿であった。それは自分たちの私利私欲のためなら法を破ることも他人の命が失われることなども屁とも思わぬビジネスマンだったのだ。物語の最期にネッドがつぶやくのはこんな言葉だった。

わたしはそれまでずっと制度化された悪と戦ってきた。相手はつねに名を持ち、国も持つこともしばしばだった。集団の目的を有し、集団の死を迎えるが常だった。だが、今目の前に立つのは、われわれの中で破壊をはたらく幼児であり、こちらも一幼児になってしまった。武装を解かれ、言葉を失い、裏切られた一幼児。


本書「ナイト・マネージャー」には「影の巡礼者」でイギリス情報部の責任者であったレナード・バー、そしてボールフリが登場してくる。バーは情報部を辞め新しい組織、設立されたのかしようとしているかその存在自体が曖昧な組織を率いようとしていた。

それは正にネッドが見出した新たな敵と戦うための組織だった。しかもその敵とイギリス情報部は手を組んでいるのではないかという疑いをバーは抱えているのだった。ポールフリは依然イギリス情報部の法律顧問ではあったが、仕事では隅に追いやられており、かつての上司バーに情報部の情報をリークする役目を負わされているのだった。

ジョナサン・パインはカイロにあるクィーン・ネフェルティティ・ホテルのナイト・マネージャーであった。クィーン・ネフェルティティ・ホテルは武器商人としても悪名が高いハミド三兄弟が所有するホテルだった。三兄弟の末っ子フレディは特に怒り出すと手が付けられなくなる凶暴さで知れ渡っている男だった。フレディは二十代だが、その情婦であるソフィーは四十代でホテルを自分の家のように利用していた。ある晩ふらりとやってきたソフィーはパインにとある書類をコピーしそのコピーをパインの金庫に内々で保管してほしいと頼んでくる。その書類は取引されるミサイル、誘導システム、神経ガスなどが連なる在庫のリストであった。

最新鋭の武器を含む在庫リストの存在は、単に武器商人のみで揃えることは不可能なもので、それが存在するということはイギリスそしてアメリカの政府も取引に一枚嚙んでいることに疑いの余地はない。

末期がんの美人のドイツ人の母、イギリスのポストコロニアル時代の戦争で死んだ歩兵軍曹の息子にして孤児。イギリス特殊部隊に所属していた経歴のあるジョナサン・パインは金庫にしまった書類を勤務時間の深夜に一人もう一部コピーをとる。

パインのコピーはバーのアンテナにかかり、パインはまたその行為によって自らを陰謀渦巻く闇の武器商人の世界へと引きづりこまれていくのだった。

世界各地で起こる紛争に武器供与することで莫大な利益を得る取引に政府が秘密裏に関与していたとした場合、しかもそれが国の情報機関であった場合、これを暴き償わせることが果たして可能なのか。パインの向かう先には米英の情報機関の作戦が同時並行で進んでいる気配も漂ってくる。

今、ノーム・チョムスキーの「壊れゆく世界の標」という本を読んでおります。実はチョムスキーの存在を知らしめてくれたのもル・カレだったりします。そのなかでチョムスキーは、他人がどうなろうと「だから何だ」という態度、考え方が広く広がってしまっていると述べています。自分さえよければ他人がどうなろうと知ったことではないという態度、考え方とそれに伴う行動というものは実は、資本主義の根底に根差すものであり、富裕層やリーダーたちがその特権階級的な立ち位置を堅持するために当初から巧妙に仕組まれてきたものでもあるとも書かれていました。かつては密かに巧妙にやっていたことが今ではあからさまに堂々とできるようになってしまった。今はそんな世の中になっているという訳です。

新たな敵というものが私利私欲に走る企業、ビジネスマンであると書きましたが、実は政府や権力者たちがそういう考え方に染まっており、企業やビジネスマンはその実働部隊として行動しているということなのだと思います。

冷戦終結直後にこうした世界観をきっちりとつかみ取り、みごとな小説として切り出して読者に差し出してきていたル・カレの聡明さにはただただ恐れ入るばかりであります。そしてこんなに面白い本であったとは。この緊迫感、後半襲い掛かってくる怒涛の展開、正に手に汗握る一冊でありました。参りました。


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コロナ禍のアメリカを行く:ピュリツァー賞作家が見た繁栄から取り残された人々の物語(Fucked at Birth: Recalibrating the American Dream for the 2020s)
デール・マハリッジ(Dale Maharidge)

2022/11/06:「ヒルビリー・エレジー」の著者J・D・ヴァンスがいつの間にか政治家になっていて共和党でトランプ支持だったというニュースを聞いて椅子から落ちそうになった。なんだか騙された気分だ。そしてご本人実はヒルビリーを故郷にしている訳でもなく本も実態とはかけ離れているいう批判も出ているとか。なんだそれ。それにしてもトランプ支持とはね。

これまでアメリカではコロナによって1,072,561人が亡くなっている。人口のおよそ0.3%ぐらいになるだろうか。率として日本の10倍だ。 感染者数は97,729,653に上り全人口の29.1%だ。(日本は18.1%)感染者数の比率に比べて亡くなっている方の多さは途轍もない数字になっている。国民皆保険というものが存在せず、自己責任という考えが根強いアメリカでコロナ禍を乗り切っていくのはかなりシビアなものになっているのではないかと思っていたのだが、具体的な報道はあまり流れてこない。

一方で最近流れてきているアメリカの雇用統計は強気の数字が続いていて人手不足、失業率の低下、平均給与の増加とかいう文字が並んでいる。そして深刻な人手不足から企業は賃上げ圧力を受けこれがインフレの要因になっているのだという。

具体的な失業率は3.7%分母は16歳以上の人口で経済ニュースはこれを低い状態にあると表現している。(2022年9月の日本は2.6%)で実際どのくらいの人が失業しているのかというと失業者のうち、一時解雇の失業者は78万2,000人、恒常的失業者は135万4,000人なのだそうだ。これを少ないとは決して言えないけどな。

コロナに限った話ではないのだけども、自分自身がコロナに感染しなくとも、営業縮小により解雇されるなど職を失ってしまうことについて自己責任を問うのはあまりにも理不尽だと思う。そして失業して家賃や家のローンを支払えなくなった人たちが不法占拠だと訴えられてホームレスになっていくケースがこれからますます増加していく可能性があるのだという。

ゲイリー・ブラーシはUCLAのロースクールの名誉教授で、公益法の権威である。労働者階級の救済に情熱を注ぎ、一か月かけてデータを分析してUDデイのレポートを書き上げた背景には、彼のたどってきた人生があるのかもしれない。このレポートは、アメリカにおいてかつてないスケールで難民キャンプが次々と誕生することを予言している。二週間前(2020/05/28)に発表されたレポートは、確かなデータに基づいていないなら煽情的と思われそうな恐ろしい数字にあふれている。解雇され、失業手当を「もらったとしても」使い切って家賃を払えなくなり、住まいを立ち退かされる労働者についての数字である。やがて"UDディ"が訪れる。カリフォルニア州司法委員会が4月に決定した債務の一時支払い猶予が停止されたあと住居の”不法占有(unlawful detainer)”の訴えが次々と起こされ、人々が家から強制的に追い出されるのだ。

支払い凍結はいつ解除されてもおかしくないし、ゲイリーは猶予期間が今年じゅうに停止されると予測している。最悪の場合、『今後数か月でロサンゼルス郡で18万4000人の子供を含む12万世帯が少なくとも当分の間ホームレスになる可能性がある』とレポートは推測する。最も少ない場合でも『5万6000人の子供を含む3万6000世帯のホームレスが増える』。つまり10万人から40万人近くという範囲であり、そのうち一部はすでにカリフォルニアのスネーク・ピットに向かった。ロサンゼルス郡の住居の54.2%は賃貸で、その割合は『全米の大都市圏で二番目に高い』。一番目はニューヨーク・シティだ。だがアメリカ合衆国住宅都市開発者の統計によると、ニューヨークで保護施設に入っていないホームレスがたったの5%なのに対して、ロサンゼルスでは75%にもなる。ニューヨークは保護を保証している。ロサンゼルスはしていない。


このUDデイだがその後のニュースを追ってみたが州によって対応がまちまちでところによっては猶予が続いていたり、停止されていたりするようだ。これについて日本でまとまった報道がされている感じがしない。また日本ではどうなっているのかもあまりよくわからない。コロナで個人の債務の支払いが猶予されているような話は聞いた気がしない。

本書ではカリフォルニアのアメリカ川の河川敷にあるスネーク・ピットという場所に集まってきているホームレスの数がものすごい数になりつつあるということが書かれていました。ふとした不幸が重なり生活が破綻し転げ落ちてしまった人々についてアメリカ政府は救済しようという姿勢がみられない。それは共和党でも民主党でも一貫した態度なのだそうだ。

著者はこうしたいわば見捨てられた人々のなかに入って行ってインタビューを重ねていく、彼らが経験したこと、経験していることはあまりにも厳しく、救いがない。読んでいて息苦しくなってくる程の恐ろしさだ。

そして気になるのは日本は大丈夫なのかという話。先日報道されていたのは日本の相対貧困率の高さについてだった。 相対貧困率とは、生活状況が自分の所属する社会の大多数よりも、相対的に貧しい状態にある人の割合を指すもので、日本の場合、 厚生労働省が「国民生活基礎調査」において、2018年の日本における貧困線は127万円、相対的貧困率は15.4%なのだという。 つまり日本人口の6人に1人は、相対的貧困ということになるのだそうだ。日本の貧困率は、2012年には16.1%、2015年には15.7%、2018年には15.4%とわずかに改善傾向にあるものの先進七カ国G7のなかでアメリカに次いで二位の高さなのだという。

そもそも雇用統計と貧困率のニュースは表裏一体のものなはずなのだけれども真逆な方向感なのはなぜなのだろう。まるで失業率が日いことが悪いことのようにも読めるのではと思う。

首都圏では昔に比べてホームレスの人を目にすることがどんどん減ってきて先般の東京オリンピックの前にはほとんど見かけなくなった。しかし、貧困に喘いでいる人は現実には相当数おり、やはりかなり厳しい現実に対峙していることは間違いない。彼らはどこにいるのだろうか。

旅行支援でお得。今旅行しないと損だ。みたいな半ば浮かれすぎじゃないのかというような雰囲気すら漂う今の日本だが、その前にもっといろいろとやるべきことがあるのではないのかという思いであります。


△▲△

影の巡礼者(The Secret Pilgrim)
ジョン・ル・カレ( John le Carre )

2022/11/3:深く考えもせず読まずにすませてきてしまったル・カレの本に立ち返る旅は続く。「ロシア・ハウス」に続くのは本書「影の巡礼者」だ。ジョージ・スマイリーが登場していたなんて全然知らなかった。そして本書の語り部はネッド。ロシア・ハウスの主任だった人物だ。本書はネッドが一人称で語る体で進んでいく。

ネッドはバリー・ブレアが壁の向こう側へと消えたことの責任を問われイギリス情報部の新人研修部門へと追いやられてしまっていた。ネッドは自身のキャリアとしてここが終着点であることを自覚していた。そして若い男女の新人たちに贈るものとしてジョージ・スマイリーに登壇してもらおうと考える。当然断られるものと思いつつ書いた手紙だったが、意外にも快諾の返事がくる。

数々の伝説を生みなかば神格化されていたジョージ・スマイリーは再び召喚されたという訳だ。情報提供者とのかかわり方、偽の情報と本物の情報の見分け方、身内にいる二重スパイのあぶり出し方、豊富な経験と深い知識に基づき滔滔と語るスマイリーの話を研修者たちと一緒に耳を傾けるネッドだったが、スマイリーのふとした一言から自分自身の経験した出来事が走馬灯のように蘇ってくる。

そしてスマイリーの語りに触発されてネッドは自分自身の見聞きしてきたことを語り始める。しかし、それは物語のなかにいる研修者たちではなく、本を読んでいる読者に直接語りだしているのである。何故ならそれは研修生相手に話をするべき豪胆な冒険活劇でもなければ、手に汗握る脱出劇でもない。自分たちがやってきたことが必ずしも正しくない。正しいと思ってやってきたことが誤りであったばかりか問題を起こしてきてしまっていたかもしれぬということだったからだ。

スマイリーの語りは冒頭からどんどんと遠のいていき、背景になっていく。そしてネッドの物語は情報機関で自分が研修員であった頃に遡っていく。

寮で同部屋となったベン・アーノウ・カヴェンディッシュとは親友となり、学業でも運動でも肩を並べる高い能力を持っていた男だった。最初の任務が割り振られたのはベンの方が先であった。密かに悔しい思いを抱くネッドを尻目に壁の向こうの東側へと単身潜入していったベンだったが直後から音信が途絶えてしまう。そして東側に張り巡らされていたネットワークは次々と崩壊していった。ベンをよく知る人物としてネッドは尋問されるのだった。

二重スパイなのではないかと疑いつつも関係をもってしまったラトヴィア人の女性ベラ。しかし彼女が怪しいという情報はビル・ヘイドンがでっちあげたマリーン、ウィッチクラフト情報からもたらされたものだった。別れ際にベラからは言われたのはこんな言葉だった。

「あなたたちは、人を危ないところへやっておいて、どうなるか見物しているだけ。撃たれなかったら英雄。撃たれたら殉教者。持つ価値のあるものが手に入らないと、あたしの同胞に自殺行為をうながす。いったいあたしたちに何をさせたいの?蜂起してロシアの圧政者を殺せというの?あたしたちがなにかしでかしているときは、自分たちではなにもできないからなのよ。あたしたちにとって、あなたたちは百害あって一利なしなのよ。」


またとあるものは

「これは罪なき者と罪ある者の戦いよ」、「自分の敵はシオニストだけではない。ブルジョワ支配の力学、人間自然の本能の抑圧、民主主義の皮を被った専横的権威の維持、それらは皆敵である」
と言い、またあるものは

「キッシンジャーの爆弾は、いくら自分が標的に向けるのを手伝ったところで、問題の種をまくだけのことだ。再三再四そう警告した。」、「情報部は地獄に堕ちろ。西側世界は地獄の底の底まで落ちろ。こんなところまできて戦争し、自分たちの宗教の処方箋を押し売りする権利なんてない。われわれはアジアに対して罪を犯してきた。フランス、イギリス、オランダ、そして今度はアメリカだ。エデンの子らに対して罪を犯したんだ。神よ。われらを許したまえ」
と叫んだ。

1990年、音を立てて崩れ始めたソビエト連邦を前にただただ唖然とするしかない僕らの前にル・カレがあぶりだしてきたのはネッドという情報機関で働くメンバーの目線で西側社会の独善的で傲慢な振る舞いによって生み出してしまった暴力、対立、分断であった。 そしてスマイリーは滅びゆくソ連を前に研修生にこんなことを言う。

「いったい我々は熊を信じていいのか。と。ロシア人を人間同士として話すことができ、多くの分野で彼らと共通の理念を見出せるということに、みんな意外な思いをしつつも、どこか不安なようでもある。その問いには、いくつかの答えが同時にだせる。
一つの答えはノー。熊は決して信じられない。だ。なぜかというと、ひとつには熊が自分自身を信じていないからだ。今熊は脅かされ、熊は恐れ、熊はばらばらになろうとしている。熊は自分の過去を嫌悪し、現在に飽き飽きし、未来が不安でならない。これまでにもよくあったことだ。熊は文無しで、怠惰で、不安定で、無能で、つかみどころがなくて、危険なまでに誇り高く、危険なまでに武装し、ときに才気煥発、しばしば無知蒙昧だ。その爪がなければ、たんに第三世界の破滅的一員でしかないだろう。だが、爪持たぬわけではない。断じてない。熊はまた、自国兵士を外国から一朝一夕に引き上げることができない。理由は明白、彼らに家と食と仕事をあたえることができず、彼らを信頼してもいないからだ。わが情報部は、雇われて自国の不信を維持する機関であるから、親熊あるいはやんちゃな子熊に対する監視を一瞬でも緩めたら、職務怠慢ということになる。それが第一の答えだ。
第二の答えはイエス。われわれは熊をどこまでも信じていい。だ。熊がかくも信頼できることは、これまでになかった。熊はいまや自分も仲間に入れてくれと言っている。重荷を分担してくれ、銀行口座をひらかせてくれ。本通りで買い物をさせてくれ、自分たちの森ばかりでなく、こちらの森にも一人前のメンバーとして迎え入れてくれと言っている。社会と経済が破綻し、資源が乱獲され、企業長たちが信じがたいほど無能であるだけになおさらだ。熊がそこまで切実にわれわれを必要としているからには、われわれも熊を信頼して、そこまで必要とされているのだと思っていい。熊の願いはその悍ましい歴史を巻き戻して、過去70年、或いは700年の暗黒から抜け出ることである。熊にとってわれわれは光明なのだ。
問題はわれわれ西側が、生来熊を信じようとせぬことで、それは白い熊であれ、赤い熊であれ、或いは両方であれーーーいましもそれだがーーーすこしも変わらない。われわれが助けなければ熊は地獄かもしれないが、われわれのなかには、熊には地獄が相応だと考えるものが大勢いる。1945年、敗戦ドイツをそのまま人類の歴史の終わりまで、瓦礫の荒土にしておけと主張した人々がいたことと、正に軌を一つにする。」


今ロシアはウクライナへ侵攻したことで西側社会と真っ向から対立している。西側社会も熊もお互いにお互いを信頼してともにメンバーとして暮らすことに失敗してしまったと言えるだろう。今回の侵攻は明らかにロシアの暴挙と言えると思う。しかしそうし向けてしまった西側に責任はないのか。

そして最後にネッドが対峙する敵とは・・・。ただただル・カレの先見の明にただただ驚き、こうして一冊の本にまとめてきたル・カレの思慮深さにただただ感心するしかない。この時期の今こうして本書に立ち返ったのは本当に幸運だったと思っております。


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ドナウ川の類人猿: 1160万年前の化石が語る人類の起源
(Wie wir Menschen wurden: Eine kriminalistische Spurensuche nach den Ursprüngen der Menschheit - Spektakuläre Funde im Alpenraum)

マデレーン・ベーメ(Madelaine Böhme)

2022/10/17:読むか読むまいか本書はずいぶんと躊躇してしまった。でたらめなのかはたまたトンデモ本なのではないかと疑ったのでした。 所謂、イーストサイドストーリーという人類のアフリカ単一起源説を真っ向から否定する内容になっているようなのだ。そんなことってあるの?と思った訳だ。

人類のアフリカ単一起源説は200万年前に東アフリカに生きていたホモ・ハビリスを祖として、徐々にサバンナ化していく気象環境に適応していく上で発話能力や二足歩行能力を獲得した原人たちはアフリカ大陸から他の大陸へと進出したというもので、言い方はあれだが、非常に尤もらしい話で僕はこれを強く信じてきた。

それが間違いだっただと?

パラパラめくってみたりして感じでは、適当なことを言っている雰囲気はなく、大真面目のようだ。疑心暗鬼は完全に消せないまま読み始めてみました。だってなんだかんだ言っても、僕らがどこからどのようにやってきたのかという疑問に対する好奇心は僕の読書体験の中心課題であり、横目でみながら通り過ぎるには勿体なさすぎる。

実際読んでみたらこれは大真面目も大真面目、そしてとっても面白い。スリリングで知的興奮に溢れる本でありました。

まずはサバンナ仮説について。どこか場所はともかく、サバンナ仮説とは樹上生活していたサルたちが、乾燥気候の時代に入り、後退していく森林の樹々を離れざるを得なくなり、サバンナのような風景の地面で生活をするようになったという説だ。暑い土地の地面で暮らす生活に適応するために、直立、二足歩行するのに適した骨格体系へと進化していったという訳だ。

サバンナ仮説に説得力があるのは、環境および気候の変化を進化の推進力とみなして中心においていることにある。しかし、アフリカでますます古い化石が発見され、アフリカにおける気候史が正確に復元されていくとともに、サバンナが広範囲に拡大したのは、猿人がすでに二足歩行をするようになったのちだということが明らかになった。


そしてヨーロッパ大陸の方がサバンナ化するのが早かったのだという。

グレコピテクス(Graecopithecus) は1944年にギリシャのアテネ、ピルゴスで発見された大臼歯を含む下顎の骨1 本によって特定されたもので約720万年前の中新世後期に生息していた人類の絶滅種だ。「エルグレコ」の愛称で呼ばれていたこの骨を著者は現代の知見を最大限活用して詳細に再調査し、その結果、最古の人類であるという調査結果を発表した。

本書はその調査方法と結果をまとめたものになっていました。エルグレコが最古の人類であるという結論は異議が唱えられており、学会でも議論が続いているようだ。

はじめに
  第一部 「エル・グレコ」――チンパンジーと人類の分離
第1章 人類の起源――痕跡調査の始まり
  第2章 ギリシャの冒険――ピケルミで発掘された最初のサル
  第3章 女王の宮殿の庭園――ブルーノ・フォン・フレイベルクの発見
第4章 忘れられた宝を求めて――ニュルンベルク・ナチ党大会の地下墓地へ
第5章 磁力計とマイクロコンピュータ断層撮影を使って――ハイテク・ラボにおける古代の骨の分析

第二部 サルの惑星
第6章 人類の起源探索史
第7章 アフリカの初期――類人猿進化における最初の黄金時代
第8章 ヨーロッパにおける進歩――オークの森に棲む類人猿
第9章 アルゴイのサル――「ウド」とチンパンジー前段階

第三部 人類発祥の地――アフリカか、ヨーロッパか
第 10 章 最初の祖先――サルなのか、それとも猿人か
第 11 章 クレタ島の足跡化石――太古の二足歩行生物の謎めいた跡
第 12 章 砂のなかの頭蓋骨と〝秘密〞の大腿骨――疑わしいサヘラントロプスのケース
第 13 章 猿人から原人へ――アフリカ単一起源説はもはや通用しない?

第四部   気候変動は進化の原動力
第 14 章  重要なのは骨だけではない――環境変化の復元は進化を理解するキーポイント
第 15 章 時間の塵に埋もれて――「エル・グレコ」時代の風景と植生
第 16 章 大きな障壁――広大な砂漠が越えがたい障害に
第 17 章 塩湖のある灰白色の砂漠――地中海が干上がったとき

第五部 人間を人間にするもの
第 18 章 自由になった手――創造が可能に
第 19 章 旅行熱――未知のものへの好奇心
第 20 章 無毛の長距離ランナー――走るヒト属
第 21 章 火、精神、小さな歯――脳の発達に食習慣はどのように影響したか
第 22 章 声が結ぶ社会――警告から文化へ

第六部 だれかが突破口を開いた
第 23 章 複雑な多様性――系統樹の持つ問題
第 24 章 謎のファントム――デニソワ洞窟のヒト
第 25 章 多種のなかから残った〝賢いヒト〞

サルと類人猿、ヒトとの違いはどこにあるのだろう。前述のとおり直立、二足歩行に適した骨格というのは足の骨から頭蓋骨まで全身に様々な差異がある。

そしてヒトは稀に見る長距離ランナーなのだという。短距離ではヒトより早く走れる動物はたくさんいるが、長距離でヒトに勝る動物はいないのだそうだ。サバンナ化した陸地で動物たちを追って狩る。追われた動物たちはやがてスタミナ切れになって動けなくなるのだという。

二足歩行で早く走る、長距離を走るためにヒトは様々な進化を遂げている。走っていてもブレない視覚イメージを生み出す、前庭動眼反射。四〇〇万個以内の汗腺による冷房機能。そしてエネルギーを脂質として蓄える能力。

また歯にも大きな差がある。犬歯が小さい、歯の根の形状も、エナメル質の層にも違いがある。これは食生活に火を使うようになったことから生まれたのだという。

肉や木の実などに火を加えることで栄養として取り込めるエネルギー量が莫大に大きくなり、食べるにも消化するにも必要なエネルギーが大幅に減少したのだそうだ。そして余剰となったエネルギーを原人たちは脳に振り向けた。それによって脳容量が拡大し言語や抽象的な思考などの新たな能力を獲得してきたのだという。

本書を読むと地質年代学の最新の知見で得られた大陸移動や気候変動のタイミングとエルグレコの誕生の時期がぴったりと合致していることがわかる。二足歩行能力を獲得した原人たちはサバンナの広がりに合わせてアフリカ大陸へ再進出したのではないかという大胆な仮説を唱えていました。これが本当なら従来の我々の理解は大きく書き換えが必要となることになる。

果たして本書が正しいのか、誤りなのか。結論はでていないし、僕が出せるものではないけれども、これはかなり信憑性が高いと感じます。どうなんだろー。ワクワクするなー。


△▲△

ロシア・ハウス(The Russian House)
ジョン・ル・カレ( John le Carre )

2022/10/08:本書は1986年の作品。日本で出版されたのは翌年の1987年。文庫化されたのは1994年。僕はこれを横目に手にすることはなく通りすぎてしまった。

1991年に公開された映画はなんだかメロドラマみたいで。ショーン・コネリーとミシェル・ファイファーって歳離れすぎだったし。なんて言っている間にソ連の状況は刻々と移り変わり、同年12月には崩壊してしまった。これには本当にびっくりしたものでした。まさかあのソ連がこんなにもあっけなく崩壊してしまうとは。

前にも書きましたがソ連の崩壊とともに、軍備増強競争、冷戦は終結、長きにわたったイデオロギーの対立は解消され、世界はただただ平和に向かうものだと思った。そして間諜小説も同時に過去のものとなったのだと考えた。あとでこれがとんでもない勘違いであったことに気づかされる訳だが、当時は深くものを考えることもなくただそう信じたのでした。

「ロシア・ハウス」はまさに、ペレストレイカ、グラスノスチが進むソ連を舞台にした物語で途轍もなく時世に適った作品であった訳だけれども、ソ連があまりにも早く崩壊してしまったことで中身が古くなってしまったように見えてしまうというちょっと残念な側面もあったように思います。

そんな時代背景のなかで僕は本書を読まずに通り過ぎてしまった。しかしそれは大きな判断ミスだったのではないか。今僕は読み飛ばしてしまったこれらの作品を読んでいこうとしているところであります。その第一弾が本書であります。

モスクワ、レーニングラード駅からほど近い古びたホテルではブリティシュ・カウンシル主催の英国文学・英国文化を紹介するオーディオ・フェアが開催されていた。

その一角にはだれもいないアバクロンビー&ブレア社の展示スペースがあった。そのとなりに展示スペースを構えていたニキ・ランダウに一人の女性が話しかけてくる。「バーリー・ブレアさんですか?」バーリーはアバクロンビー&ブレア社の社長で知人だが、今回は名何故か来ていないのだと告げる。するとどうしてもバーリーに渡してほしいものがあるのだという。

ペレストロイカが進んでいるとはいえここはまだソ連。当然このオーディオ・フェアも監視下にあり、ソ連の市民から何かを受け取って西側に持ち出そうとしていることが知れれば厄介なことになる。とはいえこの女性の真剣さとおびえた様子からランダウはこれを何気ない仕草を装いながら受けとる。渡された数冊のノートは一概に素人がみても軍事機密のようなものが細かく書き込まれている非常に危険な代物だったのだ。これをランダウは手荷物のなかに巧妙に隠して英国に持ち帰る。

帰国するやランダウはバーリーを探すがどうにも行方が知れない。困り果てたランダウはホワイトホールへ出向き、英国情報機部門の責任者に面会を申し出る。ホワイトホールの窓口では突然現れたこの中年の男の振る舞いを真剣に取り合わず紆余曲折があるのだが、ランダウの強引さといくつかの幸運が重なり、ノートはロシア担当の情報部門の責任者の手にわたり詳細な分析が進められていく。それと同時にバーリー、スコット・ブレアの捜索が情報機関主導で進められていくのだった。

本書のとっかかりは正直あまり良くない。というか難しい。誰が主人公なのか。物語はどう進んでいくのか。皆目見当がつかないのだ。しかしこれは敢えてこうしていると言ってしまおう。主人公はバーリーであり、例の数冊のノートは一体どんな代物で、それは本物なのか罠なのか。なぜ不在であったバーリーに手渡されようとしていたのか。をめぐる物語なのだ。

そしてこの物語を語っているのはポールフリ、ホレーショー・B・ド・ポールフリ。通称ハリーと呼ばれている英国情報部の法律顧問という人物だ。振り返ると冒頭から語っているのがハリーであることに気づくのにずいぶん時間がかかってしまった。これも敢えてわかり難くしている感じだ。

ハリーは個人的な事情や心情も口にする。このジャンルの本では珍しいというか例外的な存在ではないだろうか。彼が見て、聞いた話としてバリーの物語を語っているのだが、バリーの心情について推察するが語らない。そもそもどうしてハリーが語り部なのか。こうすることで文章の向こう側にバリーの存在、心情が浮かび上がってくるのという仕掛けなのである。これは傑作としかいいようがない。

またル・カレはバリーの口を借りてこんなことを言っていた。

軍縮は軍事問題でも政治問題でもない。人間の意志の問題だ。われわれは戦争と平和のどちらがいいかを決めて、それに備えなければならない。


もしもアメリカが月に阿保を送り込んだり、歯磨き粉にピンクの縞を入れたりするのと同じぐらい、軍縮に真剣になっていたら、とうに軍備撤廃は実現していただろう。
西側が犯した大きな罪は、軍拡競争をエスカレーションさせてソ連の体制を破産させられると思ったことだ。そうやって彼らは人類の運命を賭けていたのだ。


核兵器は40年間平和を維持してきたと思わないかときいた。わたしはそれを詭弁だとこたえた。火薬がワーテルローからサラエボまでの平和を維持してきたというのと同じだ。だいたい平和とはなんだ、とわたしは聞き返した。核爆弾は朝鮮戦争を防がず、ヴェトナム戦争を防がなかった。チェコ蹂躙を、ベルリン封鎖を、ベルリンの壁作りを、アフガニスタン侵攻を防がなかった。それが平和なら、ひとつ爆弾なしでやってみようじゃないか。わたしはいってやった。


残念ながらソ連が崩壊しても核兵器の危機はなくなるどころか今現在寧ろ増しているではないか。

折しもイギリスは鉄の女と呼ばれたサッチャー政権下にあり、激しい痛みを伴う経済再建が進められていた。かつての世界的優位は失われそれがもとに戻ることはとても期待できない状況にあり、そもそも国、国家は誰のものかということを考えさせられる事態にあった。 と思う。

そんな状況の中で降ってわいてきたこの数冊のノートによって、ソ連、イギリス、アメリカの三つ巴の間諜活動に否が応でも巻き込まれ翻弄されていくバーリーの運命は。

あの時のあのやりとりはそういう意味だったのか。あの時バーリーはこう考えていたのか。とあれやこれやが繋がりラストに向かって収束していくそのスピードは途轍もない緊張感に溢れた展開となっていました。

どうやったらこんな本が書けるんだろう。

追い詰められたロシアが核兵器を使用するのではないか。キューバ危機の再来のような状況にある今。ロシアはどこに向かうのか。プーチンはどうなるのだろうか。そしてまたもや「鉄の女2.0」と呼ばれるリズ・トラスがイギリスの首相に就任。世界はどこに向かうのか。そんな時期である今この時期に本書を読むことになったというのはまた不思議なめぐり合わせだと思います。

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