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ラスト・コヨーテ(The Last Coyote)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2020/09/26:ボッシュシリーズ第四作。「ラスト・コヨーテ」1995年の作品だ。舞台は1994年4月。ロサンゼルス地震の三か月後という設定となっている。彼は直属上司のハーベイ・パウンズを殴ったかどで停職中の身となり、命令によりカウンセリングを受けさせられているのだった。

ロサンゼルス地震は1994年1月17日早朝、マグニチュードは6.7、震源は14.6キロと極めて浅く、広い範囲で商業施設や高速道路が倒壊するなど甚大な被害をもたらした。ボッシュの家はウッドロー・ウィルソン・ドライブを上った高台にあり彼が解決に導いた「ドール・メーカー事件」が映画化されそのアドバイザリー・フィーによって購入したものだった。それは刑事の給与では望むことのできない価格のものであった。

しかし家はこの地震で「倒壊」の判定を受け建物への立ち入りが禁じられていた。にも拘らずボッシュは調査官の目を盗んで家に入り込みそこで生活しているのだった。また一緒に暮らす関係に踏み切れずにいたシルヴィアは地震の直後に彼のもとを去っていた。

過酷な殺人事件の捜査の仕事に加えて地震とパートナーとの離別がボッシュに過度なストレスを加え、それがパウンズに対する暴力という形で爆発したのだろうか。刑事の職に戻る為にはどうしてもこのカウンセリングを受けて職場復帰可能という診断を手に入れる必要があったが、担当のカウンセラー、イノーホスのことを信用しきれないでいるボッシュは素直に投げかけられてくる質問に答えることができず悶々とするばかりだった。

質問に質問で答えるような態度を重ねるボッシュにイノーホスは「あなたの使命はなんなのか話して」と尋ねる。ボッシュは説明しようと努力するものの言葉にすることができない。壊れた家に戻り暗闇を見つめて今日起こったことをつらつらと振り返るボッシュに降ってきたのは、自分の使命が一体なんであったかというものだった。それは自分の母親が殺された事件を調査することだ。

ボッシュの母マージョリー・ロウは1961年、ボッシュが11歳の時に殺された。彼女は売春婦だった。当時彼女は子どもの親権を剥奪されボッシュは少年施設に送り込まれていた。ボッシュを施設から取り戻そうとあがいていたある日、彼女はハリウッド大通りにある路地で蓋のないゴミ箱のなかから死体となって発見されたのだった。

行きずりの犯行に見える事件で当時の捜査はおざなりなものに過ぎなかった。 停職中のボッシュはバッチも銃も車も取り上げられてしまっていた。彼はハリウッド署に立ち寄った際にパウンズの警察手帳からバッチを拝借してそれを使って過去の資料や聞き込みを始めるのだった。

入手した捜査資料から当時捜査にあたった刑事がクロード・イーノとジェイク・マッキトリックの二人だとわかった。調書を読むボッシュの目には捜査資料の一部が抜き取られていることが浮かび上がってくる。当時マージョリーのポン引きだったジョニー・フォックスという男は一番に怪しい立ち位置だが、尋問記録も残されず容疑者から外されており、また何故か事件に当時大物検事であったアーノウ・コンクリンという人物が絡んて来ているのだった。コンクリンがどう関係しているのか。ジョニー・フォックスはその後どうなったのか。

地震で通行不能になった道路を迂回してサンタモニカに向かうボッシュ。それは封印していた過去へ向かう旅だった。訪ねた先は事件当時母と常に行動を共にし、時にはボッシュの面倒をみてくれていたもう一人の売春婦であった女性、メリディス・ロマーンの家だった。稼業から足を洗い長く音信不通となっていた相手だが、数年前にふとクリスマスカードが送られてきたが、ボッシュは返事をしないまま引き出しにしまいこんでいたのだった。

幼かった当時のボッシュには知る由もなかった過去の出来事を辿り当時の関係者を訪ね回るうちに、母親が行きずりの何者か殺されたのではなく、何か裏に事情があって殺されたに違いないと確信していく。そしてボッシュの行動は過去を暴き出すと同時に新たな事件を呼び寄せてしまうのだった。

ボッシュが家の近くや裏庭からコヨーテを見かけるシーンは非常に印象的で心に残るものだった。僕はこのシーンがどの物語で描かれていたのか完全に忘れていたのだけど、それは本書であった。都市化が進み、ボッシュの住む高台も宅地開発が進んでおり、コヨーテの姿は希少なものになりつつあって、ボッシュが見かけた痩せたコヨーテは、その地域に住む最後のコヨーテかもしれない。そんなコヨーテの姿にボッシュは自分自身を投影して見ていたのだった。

少年期から突然の喪失感と解けない謎を抱え過酷ともいえる人生を送ってきたボッシュが己の「使命」として母親を殺した真犯人を追う物語は間違いなくボッシュシリーズの中核にある物語であり、そしてやっぱり本書も予想の遥か上に向かう結末は瞠目すべき展開でありました。

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COSMOS コスモス いくつもの世界(Cosmos: Possible Worlds)
アン・ドルーヤン( Ann Druyan)

2020/09/19:ふと見かけて衝動買いしました。類似の企画かと思ったりしていたのだけど、本当に40年前の「コスモス」の続編というスタンスなのでありました。なんでだってカール・セーガンは既に亡くなっているじゃないかと思った訳ですが、著者のアン・ドル―ヤンはセーガンの妻であり前作「コスモス」の編集に携わっていた人物なのだという。カール・セーガンの妻というと僕の中では生物学者のリン・マーギュリスだったんだけど、「コスモス」の編纂作業中に出会った?さては略奪婚かと思ったら、ご本人はセーガンの三人目の奥さんなんだそうで。へー、という感じであります。

そしてこの続編の「コスモス」はテレビ番組にもなっているようで企画モノとしても前回を踏襲した形になっているのだそうだ。40年。そんな前だったか。「コスモス」自体つい最近まで本棚にあったんだけど先般ついに断捨離してしまった。でもそのちょっと後にだされた「グランド・コスモス」という大型本は手元に残しておりました。引っ張り出してみるとこちらは35年前だ。

新しい「コスモス」読み始めるとさっそくでてくるのが宇宙カレンダーの話でした。

科学が語る時間の物語は138憶年とあまりにも長いので、人間の感覚に置き換える必要がある。宇宙カレンダーは、その物語を地球の一年でわりやすく表したものだ。1月1日のビックバンで幕を開け、12月31日の真夜中で終わる。1か月は11憶年、1日は3800万年だ。1時間は200万年ほど、1分は2万6000年、1秒は440年。ガリレオが望遠鏡で人類初の天体観測をおこなってから、まだ1秒も経過していない。

宇宙カレンダーに意味があるのはそこだ。宇宙が始まって最初の90憶年は、地球は存在していなかった。全体の3分の2を過ぎたあたり、カレンダーでは夏も終わりかけの8月31日に、太陽の周りを回るガスと塵の円盤から私たちの惑星ができあがったのだ。太陽でさえ、宇宙の歴史のなでは、存在しなかった時代が圧倒的に長い。これでは謙虚にならざるをえない。


そうそうあったあった!宇宙カレンダー!これも最初の「コスモス」で描かれていた宇宙像でありました。そしてこうした壮大なドラマに僕ら少年たちは胸を躍らせていたのだった。手元にある「グランド・コスモス」の冒頭にはこんな文章がありました。

約150億年前、宇宙は大爆発、ビッグバンとともにはじまった。宇宙はそれまで、高温・高密度の世界に閉じ込められていたが、大爆発と同時に膨張を開始し、150億年という気の遠くなるような年月をかけて多くのものを生み出していった。

そうした年月を1年のカレンダーに置き換えることができたら、宇宙がどのような経過を経て変貌を遂げたかがよくわかるに違いない。 まず、ビッグバンのあった日を1月1日としよう。2月のはじめに最初の恒星と銀河が誕生し、3月になるとさらに多くの銀河が生まれた。4月になると銀河系が誕生し、5月の初めに最初の恒星が銀河系の中で誕生した。銀河系を含む銀河の中では、以後、無数の星が生まれ、なかには明るく燃え、超新星となって爆発し、爆発したもののなかからまた新しい星が生まれたりしながら、宇宙は進化を続けた。

9月9日、太陽系が形成され、5日後の9月14日に地球が生まれ、9月25日ごろになって海の中に、生命を生み出すもとになる要素が形成された。10月2日、最古の岩石がつくられ、その1週間後、現在知られる最古の生物、細菌とラン藻類が現れた。11月12日、光合成を行う植物が出現し、11月15日に、核を持った最初の生物が誕生した。

12月、大気中の酸素がまし、12月16日以降、新しい生命がつぎつぎと生まれ、19日には最初の魚、23日には最初の爬虫類、26日には最初の哺乳類、そして12月31日午後10時30分に、最初の人類が登場した。


35年前の当時の最新の知見では150億年前になっていました。そうかこの35年の間で科学の知見はいろいろと新しい世界観を見せてくれていたのだな。当時のビッグバンは高温・高密度の世界が解き放たれたような形で始まったと理解されていたようだ。そしてその後の宇宙の進化においても「宇宙の晴れ上がり」という大きなイベントが描かれていない。

新しいコスモスでは一足飛びに地球の歴史に飛んでいました。地球に関する最初の記述は後期重爆撃期に関するものでした。

地球は出来てから最初の10億年間、激しい攻撃を受けることが多かった。前半は、小天体との衝突によって成長しながら、軌道上に残る小天体を排除していった。後半は、木星と土星が引き起こした大混乱のあおりを受けた。太陽系の中でも巨大な両者の公転軌道が変化し、その重力の影響を受けた小惑星が惑星や衛星に衝突したのだ。いわわる後期重爆撃期である。


さらりと書かれているけれども、土星と木星の公転軌道の入れ代わりにより太陽系が混乱に陥った時期があったというのもここつい最近の知見でしたね。いまでもどうしてそんな事がわかったのか不思議な話の一つだな。

そして更に時代は飛び哺乳類の登場。

宇宙カレンダーを見ると最後の一週間に劇的な変化が起きている。このカレンダーに祝日を設けるならば、12月26日がふさわしい。この日、すなわち約2億年前に哺乳類が出現したのだ。


そして人類の登場。


宇宙カレンダーの12月31日、午後11時56分、言い換えれば、今からおよそ10万年前、世界中のホモ・サピエンス-合わせて1万人ほど-は全員アフリカで暮らしていた。1万人というのは、心配になる数字だ。もし宇宙人が地球の調査に来ていたら、絶滅危惧種と思われただろう。


哺乳類の登場時期は一緒でしたが人類の登場時間は少し遅くなっていました。宇宙全体の歴史が12億年ほど短くなっている訳だから、哺乳類の登場は以前考えられていたよりも早かったと考えられており、その一方で人類の登場はより最近だと考えられるようになったということか。

プロローグ
1. 宇宙の星への足掛かり
2. ハビタブルゾーンのはかない恩寵
3. 失われた生命都市
4. バビロフ
5. 宇宙のコネクトーム
6. 1兆個の世界をもつ男
7. 地球の知的生命体を探して
8. 土星探査機カッシーニの犠牲
9. 正真正銘の魔法
10. 2個の原子の物語
11. おお無敵の王よ
12. 人新世の成熟期
13. いくつもの世界
謝辞
索引

大変失礼ではあるが、全般的に科学的知見の違いは細やかなものに映る。この半世紀の間に進んだ科学の進化はこれまでの科学史のなかでは細やかなものだという意味で悪意はありません。それよりも新旧の「コスモス」を比較して大きな違いとして僕らに迫ってくるものは、前者が、拓かれた宇宙に 対する希望と自信に満ち溢れ、僕らの未来をとても明るく幸せなものだと強く捉えていたのに対して、今回のそれには悲観的とまでは言わないまでも、カール・セーガン自身がそうであったように宇宙や地球、人類の未来について少年のような憧れと希望に満ちたものから数段大人になり、度重なる絶滅の危機を奇跡的に生き延びてきた生命の尊さと儚さを踏まえ、このような危機を自ら生み出すことができるようになった人類の将来を大いに憂いつつ、科学する心が我々を救うと信じるという祈りのような気配を全体的に孕んでいることでありました。

僕もそう信じたい。

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スパイはいまも謀略の地に(Agent Running in the Field)
ジョン・ル・カレ( John le Carre )

2020/08/23:イギリスがEU離脱に大きく揺れているなかナットは40代後半に差し掛かりこれまでSISの要員運用者として現場で一匹狼としての仕事からいよいよ引退の時期を迎えていた。彼は大使館詰めの外交官であると思いこんでいる一人娘がいる家庭と、またもう一つ別の顔があった。それはロンドンで自らが会長を務めるバトミントンクラブでの活動だった。

時間があればいつもクラブに出かけてはメンバーと試合に臨み腕を磨き、クラブにおける最強位を長く守っていたのだった。そんな自分が現地から引き離されてどこかわからないが何かの閑職につく事に納得がいかず、いっそ早期退社して別の仕事に移るべきなのか。そんな思いをぶつけるかのようにバトミントンの試合に打ち込むナットの前に現れたのはエドという独りの若者だった。

自分と試合をして欲しい。挨拶もそこそこにぶしつけなお願いをしてくるのだった。ナットがとても強いという噂を聞きつけてクラブに入会したばかりなのだそうだ。せっかちに日程調整を進めるエド。自分に割り振られる新しい仕事は何なのか、それを受けるにしても異動の合間に休暇を取って家族でスキーに行こうと考えていたナットは少し先の日程で試合をするスケジュールを作ってあげるナット。

ナットに提案される新しい仕事はロンドンにあって忘れ去られて久しい、どうしてそこが未だに残っているのか誰も知らないと言われているロシア支局通称「ヘイブン」の立て直しというものだった。ここは再定住させた無価値な政治亡命者と落ち目で五流の情報提供者をまとめて捨てる廃棄処分場という評判であった。ここの支局長が定年引退することからナットへ後任人事の案が作られたのだった。少なくとも情報部には残れるし対象がロシアであれば申し分ないというには程遠いがナットはこれに応じるのだった。

ヘイブンに着任するとそこには配属二年目というフローレンスがいた。彼女は期待の新人であると同時に若干未熟な点があるということからロシア課ではなく、このヘイブンの所属になっているのだという。

彼女は<ローズバッド>という作戦名のプロジェクトを進めていた。これはロシアのオルガルヒ<新興財団>のウクライナ人の男暗号名<オルソン>がモスクワ・センターやウクライナ政府の新ロシア分子と繋がりをもち大規模な資金洗浄にも手を出しているのではないかという調査を行っているもので<オルソン>の愛人<アストラ>をリクルートして決定的な情報を入手する糸口を模索していた。

時に感情を報告書にたたきつけるように書き込んでしまう未熟さがあるフローレンスと作戦<ローズバット>は磨けば一級品になる可能性があることを即座に見抜いたナットはフローレンスに協力し支局のリソースを<ローズバッド>へ注ぎ始める。

エドは寡黙でフェアなプレイヤーだった。一戦目はナットの勝ち。負けた時は毒づいたりもしたが、直ぐに平静を取り戻してナットにビールを奢り、懲りた様子もなく次の試合の日程を要求してくるのだった。<ローズバッド>の仕事の都合で予定は再三変更されることになるが、辛抱強く待ち続けるエドと二度目の試合を行い、負けた方がビールを奢る。二人はお互いのバトミントンの腕を認め合い、以後予定が合う限り一緒に試合をする仲になっていく。調査員をしている?広告業界?の仕事をしているらしいエドは殆どプライベートのことを話さないが、ビールを飲んでいる間に時折、トランプ大統領の暴政のことやブレグジットに対する憂いをぶつけてくることがあった。

曰く「ドナルド・トランプの時代にイギリスがEUから離脱し、結果として根深い人種主義とネオファシズムにまっすぐに向かっているアメリカに全面的に依存することは、紛れもなく、最低最悪の大くそ災害だ」、ナットあなたはどう考えますか?どう答えろというのか、SISに努め女王陛下に忠誠を誓っている身分を隠している立場としてのナットはこれに当たり障りのない回答をするしかないではないか。

この痛々しいほど若いエドとの新たな友情。愛すべき家族、ヘイブンで推進していく作戦<ローズバッド>は思いがけないところで複雑に絡み合い、予想外の結末へと結実していく。ページをめくる手がもどかししい、その一方で彼らの行く末が心配で読み進むのが辛いと感じるような複雑な思いは、ただ単に登場人物がみな愛すべきキャラクターであるだけではないだろう。まるで本物の、実在の人物かと思えるような深い人物描写とストーリ展開が我々を物語に引き込み当事者としてともに悩み悶絶していくことを強いられるからなのだろう。

自分なら、自分たちなら果たしてどうするのか。EUから離脱すべきなのかすべきではないのか。忠誠を誓った女王陛下や所属する組織の決定や命令にどこまで従うのか、自分たちの国や組織や仕事を自分たちのものとして運命をともにするのか訣別するのか。その境界線はどこにあるのか。 アメリカ人たちが今直面している民主党か共和党なのか、トランプなのかトランプ以外なのかと同様に、日本でも安倍政権なのか自民党なのかをはじめ様々な価値観に深い分断が縦横無尽に走っている。

イギリスはかつてない迷走ぶりを延々と続けた挙句にEU離脱が決定された。傍からみている僕らからするとどっちが正しいのか、どうして決められないのか、まるで文脈が読めないくらい混迷してしまった感がある。ル・カレは果たしてこの事態をどうみているのかと思っていたのだが、このエドの発言で明らかなように正にくそ大災害だということなのだろう。

しかしイギリス政府はそっちへ進む道を選んだ。EUは確かに素晴らしい理想のもとでかなりのことを実現した成果はあるんだろうと思う。しかし、イギリスやフランスやドイツといった国体を解体して一つになるということは難しかった。その越えられない壁がEUとしての制度・運営に無理が生じているように思える。僕は無知が故にこのような合理的な判断のなかで離脱か残留かが問われているのかと思っていたのだが、当時のニュースにも繰り返されていたように、イングランドやアイルランドなどとの境界線をはじめとする国粋主義や人種主義の価値観に押されて離脱が決まったのだとするならばそれは正に大災害としか言いようがないかもだ。

国が政府が政治家がもしかりにこのような信条・主義主張に基づき行動しようと考えている国民を誘導しようとしている場合、正しいのはその方針に沿って活動する組織なのか反政府勢力なのか、そしてその境界線はどこにあるのか。

トランプ大統領を後押ししていたスティーブ・バノンは国境の壁建設の寄付に関する詐欺容疑で逮捕・起訴された。逮捕したのはバノンが政権運営側にいたときからトランプ政権が一貫して攻撃してきた郵政公社の捜査機関だったそうだ。日本も検察が河井議員の逮捕に踏み切るなど安倍政権に対する切り崩しに動きとみれなくもない動きがあるが、どちらの国も遅いし手ぬるいと思う。こんな風に政府や政治家のやりたいようにやらせていたら、金をどぶに捨てるばかりか国民の命がどんどん失われていく。本書ル・カレのこの新作は正にこのような事態に直球ストレートで剛球を投げ込んでくる一品なのでありました。ご本人89歳だそうです。すごいなこと人はほんと。

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あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続
宮部みゆき

2020/08/12:長梅雨で通勤は何かとしんどい時期です。直前の本が超ヘビー級だったので何か文庫をということでカミさんがひっぱりだしてきてくれたのがこちら宮部みゆきの「あやかし草紙」観た瞬間、「けっこう厚いやつやん」とつい一言でてしまった。短編集なのだよね。二度見するぐらいの厚さでそれもそのはず600ページを超えている。五話だそうです。全体的に長めな短編という感じでしょうか。

それでも単行本を抱えて通勤するよりは全然楽だし、内容的にも(多分だけど)重すぎず暗すぎず位の本が読みたかったところなので丁度良い塩梅なはず。ここはカミさんと宮部みゆきを黙って信じて読み始めることができる、外れなく裏切られることもない安心感というのは本当にありがたいことだなーと思う。 カミさんが度々言うことに「人生残り少なくなってきて無駄はしたくない」というのがある。本当に読みたい本を読むのだという訳だけど、読む前にそれが本当に無駄にならないのかどうかは読んでみないと分からない訳だけど、信頼できる読書家や信頼できる作家の存在は得難い存在だと思います。

読書量は年々減少傾向にあり、集中力も低下の一途にあるなか、本当に自分が読みたい本って一体なんなのだろうかなどと考える。カミさんのように迷いもなく前進していく姿と比較すると僕は過去にしがみつき、背伸びをし、自分を偽って時間を浪費しているのではないだろうかなんてことまでに思い至るにあたり焦りのような感情すら湧いてくる。こうした感覚は男性と女性の人生や時間に対する考え方が違うというところからきているのかもしれないな。彼女のようにいつか自分が達観する日がくるとは思えないなー。

第一話 開けずの間
第二話 だんまり姫
第三話 面の家
第四話 あやかし草紙
第五話 金目の猫

宮部みゆきのお話に相通じるものとしてこの世とあの世の境には何かしらが存在する余地があって要するに次元が三つある。そしてその境目はこの世と重なる部分と重ならない部分が多分にあって、その一方であの世とは等しく接点がないような世界観があると思う。この名前がない境目には何等かの無念さを抱えあの世に渡れなかった人びとの念がある。身体はこの世で死に失われているのだけど、この念のようなものはこの世に何か影響を及ぼす力を持ちながら境目の部分でどっち着かずの状態にとどまっている感じだ。文章にすると多少違和感があるかもしれないけれども、これって僕ら昭和世代のお化け・幽霊の類に関する世界観と完全に一致していると思うし、それってフィクションだとかファンタジーではなくて、現実とは言わないまでもかなりリアルな自分たちの世界観に近いものがあるんじゃなかろうかと思う。

亡くなった親や親戚に対して、化けてでてくるとは言わないまでも、時として何等かの知らせのようなものを送ってくれる場合があることを「信じて」いて、そこに確かな「繋がり」を感じている自分がおり、それはあの世からというよりもこの境目に残っている念のようなものから送られてきているのではないかと考える自分がいたりしないだろうか。毎朝仏壇に向かう時も、お墓詣りで墓前に座る時もちゃんと伝わっていると思っている自分がいるのではないか。それは何も僕やカミさんの価値観だけが特別な訳もなく、日本人に広く行きわたった世界観なのではないだろうか。そうでなければ、お墓詣りに行ったときにあんなに大勢が自分たちの家族のお墓に手を合わせているはずがないじゃないか。

そしてこれは「信仰」というものなのではないかと思う。教義も教祖も聖典も聖地もないけれども極めて広く共通認識を有するアミニズム的な宗教観と呼べばいいのだろうか、という「宗教」なんだろう。

強く確信があるのかと言われれば一歩も二歩も引くけれども、強く否定するのは難しい、そんな信仰のようなものだ。

宮部みゆきの作品群はどれも「お話」であり物語で小説である訳だけけれどもそのフィクションの根底にある世界観にあるリアルさというものが彼女の本を読んでなんとなく落ち着くというか、確認というか追認というか、納得感のようなものが降ってくるところに本領があると思う。

特に僕は第二話の「だんまり姫」の話が大好きだ。この全編に流れる大いなる「赦し」の心は突き抜ける力強さがあり、物語を通して読者にそれを届けることができる宮部みゆきという人というのがどこまで凄い人なのかと感嘆するしかない。

本書ではここまで続いてきた大きな物語が節目を迎え大きく動いていく。ネタバレになるので書きませんが、やむを得ないのとはいえ、ちょっと残念、寂しい、惜しいところでありました。

しかしその一方でこの三島屋の「百物語」は九十九話完結を目指して粛々と続き、書き手の宮部みゆきはやり遂げるとこに強い自信を浮かべている様子なでありました。そこには何か超然とした余裕すら感じられると同時に途中でやめたり百話目を語ったりすると「凶事が起こるとされている」などということを飄々と宣ったりしているのでありました。

百話でも十分驚きなのにそんなものを背負って走っていたとは・・・「凶事がおこるとされ うふふ」うふふとは言ってないけども、正にそんなほほ笑みすら聞こえてくるほどの自信なのだと思う。僕としてはカミさんと二人で九十九話完結する日を、凶事が起こらないためにも祈りつつも楽しみにしていきたいと思います。全部読めるかな僕・・・。

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シークレット・ウォーズ:
アメリカ、アフガニスタン、パキスタン 三つ巴の諜報戦争(DIRECTORATE S: The C.I.A. and America’s Secret Wars in Afghanistan and Pakistan)

スティーブ・コール(Steve Coll)

2020/07/25:どうやって取材したらこんな本が書けるのか。まるでその時に現地にいてみていたのかというような内容が全編を通じて描かれている。 しかし、長大で物理的にも重たい本を読み切るのは気力と体力と根気が必要でした。

また事態はもつれにもつれている上にアフガニスタン、パキスタンの方々の名前は覚えにくくて、結局誰が誰やら・・・・。 読破したと言いたいところだけど、最早後半は惰性で文字を追っているというのが正直なところでありました。

混迷するアフガニスタンに民主的な政府を樹立し安定化させる。一見常識的に見えるアメリカの戦略は何故か事態を泥沼化し、アフガニスタン、パキスタン政府、軍部、情報機関の利害が複雑に絡み合って前進せず、ここにタリバーン、アルカイーダの動きによって翻弄されていく。

アメリカ政府はアフガニスタン、パキスタン政府と時に折り合い、時に決裂することを繰り返しつつ、アルカイーダ、ビン・ラーディンをはじめとするテロ組織とも戦っていた。無人機による爆撃攻撃はテロ組織の首謀者のみなならず一般市民、子供を巻き込んで死傷させることを繰り返し、市中の偵察活動では傍若無人な行動によって、やはり一般市民を巻き込んだ事故を起こして顧みることもなかった。そんな光景を目の当たりにしていたアフガン軍の兵士や警察官の中から突如アメリカ人に対して銃口や爆弾を向けてくるものが徐々に増加していく。現地での実態は三つ巴どころでは済まされない緊張した状態にあったのだった。そしてアメリカ政府もまた政権スタッフと軍とCIAのそれぞれの価値観によって意見が異なり衝突を繰り返していた。 現在大統領候補の一人となっているバイデン氏も度々登場してくる。なかでも、カブールの大統領宮殿でカルザイ大統領と夕食をともにした際に起きた激しい口論の様子はほんとそこに居たでしょ。でなきゃ一体誰から聞いたの?という臨場感でありました。

目次

第1部 手探りの開戦
 第1章 「ハーリドに事情ができた」
 第2章 審判の日
 第3章 かくのごとき友人たち
 第4章 リスクマネジメント
 第5章 破滅的な成功
第2部 遠のく平和
 第6章 ささやかな変化
 第7章 タリバーンのカルザイ支持
 第8章 謎
 第9章 「あの人のやり方は自分たちとは違っていた」
 第10章 ミスター・ビッグ
 第11章 大使対決
 第12章 海の中に穴を掘る
 第13章 過激派
第3部 誠意
 第14章 自爆の謎を解明せよ
 第15章 プラン・アフガニスタン
 第16章 暗殺と闇の国家
 第17章 ハードデータ  第18章 愛の鞭
 第19章 テロと闇の国家
 第20章 新たなボス
 第21章 カルザイの離反
 第22章 国民にチャンスを与える戦争
第4部 幻想の消滅
 第23章 ひとりCIA
 第24章 紛争解決班
 第25章 キヤニ2・0
 第26章 人命と負傷者
 第27章 キヤニ3・0
 第28章 人質
 第29章 ドラゴンブレス弾
 第30章 殉教者記念日
 第31章 戦闘と交渉
 第32章 アフガン・ハンド
 第33章 殺人捜査課
 第34章 自傷
 第35章 クーデター
エピローグ 被害者影響報告書
謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注

それにしても事態はどうしてここまで混迷を深めてしまったのだろうか。本書の内容から少し離れてアフガニスタン、パキスタンの近代史を振り返ってみると、意外にも日本が第二次世界大戦で行ったインパール作戦の失敗がインドのイギリスからの独立を促進し、それがパキスタンの分離に繋がったことがわかった。

日本は1945年8月15日に連合国に降伏した訳だか、それに先立って日本軍はビルマ戦線でイギリスに押し返されていた。このインパール作戦で日本側につきイギリスの排除を試みたインド国民軍の将兵は極刑にされることとなった。このニュースがインド国民に伝わると大暴動となりこれがインド独立の契機となったのだという。

この独立運動のなかでイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立が生じ、ヒンドゥー教徒地域がインド、イスラム教徒地域がパキスタンとして分離独立をすることとなったのだという。更にこのとき、パキスタンに組み込まれたインド東部のイスラム多数派地域は、後にバングラデシュとして分離独立。パキスタンの西南、アフガニスタン南部にあるバルチスターンは1952年にバルチスターン藩王国連合として独立するが、パキスタンに軍事併合され、1955年にはバローチスターン州とされた。

アフガニスタンは1919年に第三次アフガン戦争に勝利しイギリスからの独立。1926年、国名をアフガニスタン王国とする。1939年に開戦した第二次世界大戦では、日本やドイツなどからなる枢軸国、イギリスやアメリカ、ソ連からなる連合国の、どちらにもつかない中立国であった。しかしパキスタンがバローチスターンに加えてアフガニスタンも併合しようとしたため、アフガニスタンはパキスタン領内のパシュトゥーン人を支援して「パシュトゥーニスタン独立運動」を起こし牽制し両国の対立が鮮明化した。

1958年、パキスタンはクーデターにより軍総司令官だったアイユーブ・ハーンの軍事独裁政権が誕生。続いて1973年、アフガニスタンでもクーデターが発生、国王が追放となりアフガニスタン共和国が誕生した。アフガニスタン共和国は社会主義を標榜、社会の近代化と軍事近代化を目指しソ連に接近していくことになる。これによってイスラム主義者たちの弾圧がはじまる。ソ連の共産主義は無神論で宗教・寺院を排除する方向で政策運営されていたからだ。

1978年、ムジャーヒディーン(イスラム義勇兵)が蜂起し、アフガニスタン紛争が始まった。ソ連のブレジネフはアフガニスタンやソ連国内へイスラム原理主義が飛び火することを恐れ、12月24日にアフガニスタンへ軍事侵攻する。

この動きを受けてアメリカはパキスタン経由でムジャーヒディーンに対しスティンガーミサイルをも含む支援を開始していくこととなる。この結果、ソ連の対ゲリラ戦を熾烈なものにし、1988年のアルカイーダの誕生、そして1989年にはソ連の撤退とタリバーン政権誕生に繋がっていった。ソ連軍の撤退後に事態が収まることはなく、今度は国内の支配をめぐって2001年まで続くアフガニスタン紛争が始まるのだった。

このアフガニスタンの国内紛争にアメリカが介入はかつて支援を行っていたイスラム義勇兵たちにしてみれば完全な裏切りであり、アメリカとイスラム原理主義者たちとの対立の激化を生んでいく。

アルカイーダは1993年に世界貿易センター爆破事件、1994年にはフィリピン航空434便爆破事件等を起こし、国際的テロ組織との闘いが開始された。 1996年、タリバーンがカブールを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言。米国の指示にタリバーン政府カブールマ・ビン=ラーディンの国外追放を実行、ビン=ラーディンの率いるアルカイーダはアフガニスタンに入り、タリバーンと接近していく。

アルカイーダは1998年、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件、2000年10月、アルカイーダはアメリカのミサイル駆逐艦コールに自爆テロ攻撃、そして2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件を起こし事態は全面戦争の形相を呈していく。

こうした経緯を経ながらもアメリカ政府はアフガニスタン紛争を終結させアフガニスタン政府の安定的樹立を目指しつつ、ビン・ラーディンを探し出すことを同時並行的に進めようとしていた。アフガニスタンもパキスタンもアメリカも互いのことを信用がおける相手であるとは考えておらず、ビン・ラーディンの居所も意図的に隠されている可能性があった。またアフガニスタン紛争の終結に向けた計画の脚をパキスタンは引っ張ろうとしている、アメリカ政府もアフガニスタン政府の転覆を目論んでいるのではないかと互いに深い疑心暗鬼に陥っていたのだった。

本書はまさにこの同時多発テロ以降、アフガニスタンとパキスタンを舞台に、CIA、ISIといったインテリジェンス機関、各国政府や軍の主要当事者の言動を丹念に追うとてつもない労作となっていました。

山場はなんといってもビン・ラーディンの追跡劇となる訳だが、本書はこの急襲作戦をサイドストーリーとし、作戦実行に向けて動いたオバマ大統領や政策運営スタッフなどの関係者の動きを追っていく。

2009年のアフガニスタンの大統領選挙や現地語を操る技能を買われて派遣された米軍士官の物語などニュースを読んでいても決して知ることのできないエピソードに溢れていました。気力・体力に自信がある方はぜひ挑戦してみてください。

ビン・ラーディンは複数の選択肢から選ばれた方法、処刑に近い形で殺害され水葬という名目で海の藻屑となって消えていった。しかしその後イスラム国の台頭等中東情勢は引き続き不安定で散発的な戦闘やテロによって現地の人々は非常に苦しい生活を強いられている。 果たして何が間違っていたのだろう。どうすればよかったのだろう。 またどうすればこの泥沼から世界は脱することができるのだろうか。

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