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2012年度に入りました。子どもたち二人がそれぞれ大学と高校に進学。僕の参加しているプロジェクトも大団円を迎えるということで、こんなことが所謂人生の節目というものなんだなぁ。などと当たり前のことに今更気がついたりしている春であります。この5年間このゴールを目指して頑張ってきた訳でありますが、ここにきてその先がどうなるのかということにも少し思いが及ぶ時期になりました。果たしてこの2012年度はどんな年になりますでしょうか。先日であった東京湾の荒波に耐える鳥達のように、寡黙に直向に頑張って参りたいと思います。

歩く影たち
開高健

2012/06/30:ノーム・チョムスキーの「言語と精神」、僕の読書は一旦読み出したら殆ど途中で投げ出さないのだけれど、この本はどうにも咀嚼できず、泣く泣く半分で挫折。『デカルト、ソシュールを経て今日にいたる言語学・言語研究の歴史と世に「チョムスキー革命」として知られる変形生成文法理論の精髄を平易に解説したユニークな入門書』平易に!解説した入門書だというのにこの難解さ。


それでも悔しいのでちょっとだけ。世界では様々な言語が話されている訳だけど、この様々な言語の根底には、言語を理解し、使いこなし、更に新たな概念を言語として生み出していく人類共通のロジックがあるはずで、この共通のロジックを紐解いていくことが人間の精神構造を明らかにする手段になり得るはずだ。

視覚によってモノの形が見えるように、言語を解釈することで人間に共通する精神の姿かたちがみえてくるのではないか。精神の構造を理解することで人間そのものを理解する事につながる。こんな切り口で成文法を研究しているということらしいことがおぼろげだけど分かった。ような気がする。

これが実現できれば、個々人の精神の構造がどうなっているのか。とか人によっては欠けていたり、多かったり、歪んでいたりするようなことも見えてくるかもしれない。そして更にはそうした部分を補正・修正するようなことも考えられるようになるのかもしれない。なんてことを考えつつ読み進もうとするのだけれど、あっと言う間に腰まで泥沼にはまり込んで、前進も後進もままならない理解不能な文章にはまり込んでしまいました。

敬愛するチョムスキーの本だったのですが力及ばず。残念です。

諦めて、本棚から開高健の「歩く影たち」をひっぱりだして読んだ。開高健は1930年、昭和5年生まれで僕の父と同い年だ。そもそも両親が好きで読んでいたものをいつの間にか僕も読み始めたのだった。

本書はほぼ30年ぶりの再読。父や母が読み、高校から大学に進む自分がいた時代。30年というその歳月にも目を見張るものがあるけれども、その更に向こう側には開高健が原稿用紙にこの作品を書き込んでいる時間があり、更にその向こう側にはヴェトナムで待ち伏せに合い激しい銃撃を受けジャングルにつっぷす開高健とそのまわりでバタバタと人が死んでいく時間がある。本の奥に広がる時間軸の世界に僕はちょっと眩暈を覚える。

ヴェトナム戦争のあった時代から遠く離れ、今この世界で起こっている紛争の類からも離れた場所に暮らす僕らは平和に慣れきってしまい。その慣れ切ってしまっていること自体も既に自覚がない。

勿論僕にとってヴェトナム戦争は何から何まで間接的な記憶でしかないものである訳だが、僕が育った時代には常にヴェトナム戦争の気配が染み付いていた。共産主義対自由民主主義があり、反共・反戦、公民権運動に加え世代間・人種間の衝突に鳴動するアメリカがあり、戦争によって底上げされた景気があり、ビート・ジェネレーションにLSD、音楽、映画そして小説それらすべてには時代の臭いとしてヴェトナム戦争が深く混じりこんでいた。


  この都には、うまく説明できないけれど、何となく、愛するか憎むか、二つのうちどちらかだ、といいたくなることがあった。タマリンドの鬱蒼とした並木道に射す朝の日の光のたわむれか。チュ・ドー通りの冷たい眼つきの主人が暗がりに佇んでいるプーティクの飾り棚にあるフランス香水の壜の煌めきか。ショロンの町角の屋台で食べるヒヨコの入ったゆで卵”ビトロン”の味か。プラスチック爆弾で吹き飛ばされた酒場のコンガイ(娼婦)のハイヒールをはいたままの太腿の裂け口か。たえまない頭痛か歯痛のような武装ヘリコプターや偵察機の旋回音か。それとも阿片か。蟹か。鳩か。それらのどれかか。それともすべてか。さあ口に出していってくれといわれたら、たまちま、ただ口ごもって、眼をうろうろさせるしかないのだけれど、どう説明のしようもないままに、私は日々の泡におぼれとけこんでいった。


こんな文章に出会うと僕は一気のあの頃の僕の記憶に遡っていってしまう。

兵士の報酬
フロリダに帰る
岸辺の祭り
飽満の種子
貝塚をつくる
玉、砕ける
怪物と爪楊枝
洗面器の唄
戦場の博物誌


僕自身今のこの幸せな時代がいつか過ぎ去ろうとしていることをついつい忘れがちで、本当にそれがなくなってしまったときのこと等想像することすら難しい。しかし、このヴェトナム戦争の只中に開高健が踏み込んだその世界は正に明日をも知れず、夥しい人々が現実に死んでいく、死そのものが日常の世界だった。


日曜日になると母はタンスから着物をとりだし、ひとしきり出したり入れたりして迷いに迷ったあげく、声をたてて泣きくずれる。それから一枚、二枚をようやくのことで思いきって風呂敷に包み、モンペをはいてたちあがる。私は枯れかかった肩にリュックをひっかけ、母とそろって家をでる。満員電車に乗って田舎へいき、顔なじみの農家で、母がぺこぺこ頭をさげて着物をさしだし、かわりにジャガイモをもらう。わが家のタンスはどれもこれもからっぽになっているが、母が爪を剥がされる思いで着物を差し出しているのに農家の土蔵につまっているジャガイモはシャベルで二杯、三杯すくってリュックに入れたところで、牛から三本の毛を抜いたほどの痕跡も見せないのである。わが家の最後のタンスはもうすぐからっぽになるが、そうなるとジャガイモは手に入らなくなる。とっくに配給は切れてしまった。その日のことを考えるといつも私は体のまわりが暗くなり、冷たくなる。とらえようのない恐怖と孤独が潮のようにひたひたと迫ってきて、おしっこが漏れそうになる。焼夷弾で死ぬか、機銃掃射で穴をあけられるか、飢えてのたれ死にするか。考えようもなく、眼に見えるものもない。じわじわとトロ火であぶられるようでもあり、冷たい水が足から脛へ、脛から腰へと這い上がってくるようでもある。

 母と私はリュックをかついで村道をでていく。空にはB29の白い、みごとな航空雲が何本となく走っているが、もうとっくに慣れてしまって恐怖も危機も感じない。じわじわと長い時間をかけて私を始末してくれるはずの餓死の、あの、とらえようがないのにひたすら着実な恐怖と予感にくらべたら、焼死や爆死はいっそ一思いにやってくれるはずだから私にはありがたく感じられるほどである。


学校に通うために兄弟だけで仙台市内の家に暮らしていた僕の父らは自分達で炊事をしていた。当時は毎朝俺がご飯を炊いていたのだと父も叔父もみな口を揃えて言う。みんなで暮らしていて、同時にみんながご飯を炊くなんてあり得ないじゃないかというといつも決まって叔父たちは誰が間違っているとかいうでもなく皆で目を見合わせて笑って沈黙のなかに戻っていってしまうのだった。

ある日、庭に鶏が迷い込んできたことがあった。父たちはこれをすかさず捕まえるとつぶして食べてしまったのだという。バレると困るので羽はみんな集めて自分達の枕に入れてしまったのだとか。

それでもいよいよとご飯が食べられなくなっていった父は、ちゃんと飯が食えるということで陸軍の飛行兵学校へと志願していった。

母は学校の校庭にいるときに米軍の戦闘機に追われたことがあったと言っていた。走って逃げている時に振り返ると戦闘機の操縦席にいるパイロットの顔がはっきり見えたのだと。別の日にはその戦闘機の機銃掃射を浴びて死んだ人をみたという。銃創の入り口はまん丸に穴が開いて血も出ていないようであったが、弾丸が抜けた反対側の体にはおぞましいほど大きな穴がばっくりと開いていたのだ。

僕には戦後東京のアメリカ大使館で通訳の仕事をしていたことがあるという母が子供の頃のそんな出来事とどう折り合っているのかがどうしても理解できないでいたのだった。

そして今、海を渡れば、当時のヴェトナム以上に悲惨でその規模も格段に大きくなった殺戮の世界が広がっている。当時のアメリカには少なくとも一抹の正義があった。と多くの人が信じていた。反戦主義の人ですら、アメリカに正義がないと断言していた人は殆どいなかったろう。そんな時代だった。

しかし、今そのアメリカの正義はメッキがはがれ、その過去までも醜く歪んだものへと変質してしまった。更に共産主義国家が消滅しても尚戦い続けるアメリカを世界はまだ解釈しきれずただ戸惑うばかりなのである。現在と過去。そして今水平的に広がるこの世界と日本。

僕らの世界は止めることの出来ない列車のようなものなのだろうか。同時代に生きる人たちが乗り合わせる列車。生まる子どもらは新たな乗客で、死に行く者は降りていく乗客なのだろうか。

母も叔父達も開高健も今は列車を降りてしまった。

何の目印もない時空のある場所で、ふと列車から降りてしまった人たちは、呆然と遠ざかる列車の灯を見送る。そしてその時の光景や自分がその列車に乗り、他の人たちと交感した日々を懐かしんだりすることがあるのだろうか。僕らが亡くなった人を懐かしむのと同じように。

過ぎ去ってしまった時間は二度と戻らないけどそれはこの宇宙のなかに決して消えることのない実存として存在し続けるのだそうだ。遠く過ぎ去った過去からの視線を強く感じる一冊でありました。

後悔しない恥ずかしくない明日過ごすためにも

「輝ける闇」のレビューはこちら>>

「われらの獲物は、一滴の光」のレビューはこちら>>

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デモクラシー以後-協調的「保護主義」の提唱
(Apres la democratie)」
エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd)

2012/06/17:政府は関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働を決定。民主党はマニフェストを無視しだしたばかりか、TPPといい消費税増税民意といい、民意とは全く別の路線をひたすら暴走しているように見える。これこそまさに彼らが民意よりも企業権益を優先して動いていることの例証なのだろう。

原発稼動に反対していた地元の知事や議員からは次の選挙で支援しないと脅迫されたなどという話も出てきた。

自らの意思に、或いは価値観に照らして反対する方針・決定に、「支援されないと困るから」といって翻意しましたという政治家も情けない。脅されたので仕方なく賛成したということを言いたかったのだろうが、ではこの人たちは一体なんのために政治家になったのか。まさに政治家になること自体が目的だったとしか思えない話だ。大した志もなく政治家になって「次の選挙では・・」などと言われるとあっさり翻意してしまう。がっかりしすぎてなんと言っていいやら。

先日行われたフランス第五共和政における10回目のフランス大統領選挙は、現職大統領のニコラ・サルコジを破りフランソワ・オランドが当選した。サルコジは国民運動連合であり新自由主義・新保守主義的政策を推進。前回は極右層からの支持も取り付けての地滑り的な当選を果たした人物。そして対するオランドは社会党の前第一書記。雇用創出や富裕層への課税強化を主張しての当選となった。このオランド氏だが前回の大統領選でサルコジと対決したロワイヤル候補とは以前夫婦関係にあったのだという。

一般のニュースでは現在オランド大統領の事実婚状態にあるバレリー・トリユルバイレールが下院議長候補のロワイヤルの対立候補を応援とかいうどうでもいい話や、サルコジ任期終了に伴う司法特権保護措置の終了により、前回の大統領選挙や財務相時代に行っていた賄賂工作で私腹を肥やしていたことが明るみにでるのではないかといった報道がなされている一方、経済誌では押並べてオランド氏に否定的な報道が繰り返されている。

オランドはサルコジがやっていた緊縮財政路線を変更し、公共投資を拡大することで雇用の拡大を目指そうというもので、そのために必要となる財政を富裕層に対する増税で対応しようとしているように思える。たぶん。

こうしたことは自由市場原理主義者たちにとっては考えることすら受け入れられるものではなく、だからこそこうした拒否反応や否定的な報道が出てきてしまうのだろうと思う。つまりメディアがオランドに対して声だかに悪口をたれるのは負けたからであって、このような遠吠えを聞くというのはなかなか心穏やかなものがあると思う次第だ。

日本の次の選挙では是非日本のメディアがそろって遠吠えするのを聞けることを楽しみにしていたいと思う。

さて、エマニュエル・トッド。今度は本当にご自身の著書を拝読。サルコジを毛嫌いしているトッドは本書においては極めて辛辣。現職の大統領に対してここまで書けるトッドの根性の座り方はすごいと思います。がしかし自国で彼の言動を正面からみているトッドにとっては許しがたいものがあったのでしょう。


 ニコラ・サルコジは、自立的で安定した代議制度の枠内で、得票率53%を得て当選した。それも移民とその子どもたちとイスラーム諸国を、問題として、敵として名指しする、ほとんどサブリミナル効果的なメッセージの担い手として選ばれたのである。彼一流の才能は、民衆階層向けのスケープゴートを仕立て上げることに成功する一方、その施策を、ラシダ・ダティ(司法省)や、ラーマ・ヤード(人権担当閣外大臣)や、ファデラ・アマラ(都市政策担当閣外大臣)を重要なポストが名誉職的ポストに指名するというような、上層階層向けの煙幕で覆い隠したことである。


このような流れで政権をとったサルコジ政権をひとまとめにしてトッドは「サルコジ局面」と呼んでいました。


 サルコジ局面とは、政治的慣習が吹き飛び、イデオロギー的伝統が姿をくらまし、礼節が消えうせるへんてこな局面なのである。議員と活動家たちは、いかなる重力系からも、とりわけ自分自身の歴史から、抜け出しつつあるように見える。


冒頭からのサルコジ攻撃には少々面食らうのだけど、よくよく調べるとこの男の品のなさというか粗暴な振る舞いは恥ずべきものがあった。新保守主義に加えて、極右層の支持をとりつけて、ろくな政治思想も政策も不明瞭なまま大統領選に勝ち、失業率を拡大させ、長年培ってきた諸外国との外交関係をぶち壊し、アメリカの帝国主義に同調するなど無節操ぶりを撒き散らしていたのである。

ウィキペディアをみると「香港は魅惑的な都市だが、東京は息が詰まる。京都御所はうらぶれている。有名な庭園も陰気だった」「ポニーテールの太った男同士が戦うことがなぜそんなに魅力的なのか。(相撲は)インテリのスポーツではない」とか、「髷を結った太った男達による、美しいとはいえないスポーツ」とか云う発言を繰り出し、日本相撲協会は「フランス大統領杯」を廃止したなんてこともあったそうだ。こんなニュースみた記憶あります?

しかし本書の目的はサルコジを攻撃することにあったわけではない。自由市場主義者たちを攻撃するために書かれたものですらない。


 自由貿易は、もはや知的に興味深い主題ではなくなっている。10年ほど前には、自由貿易に賛成・反対の議論は、そのプラスとマイナスの帰結を予測してそれに備えることを目的としていた。それらの帰結はいまや目の前にある。リカードが理論化した比較優位の効用をくどくど繰り返し述べる---経済が分からないENA出身者のいつもの駄弁---のは、最大多数の所得の低下、1%の超富裕層の行き過ぎた富裕化、福祉国家の収縮、不安定、恐れ、といった現象を、分裂病的に否定するだけにすぎない。要するにこれは、ジャック・アタリの報告と構造改革の世界なのだ。そこでは、すでに見たように、労働の全世界的コストによって圧縮された賃金に比例して、すべてが削減されなければならないのである。各専門職の所得は雪崩のように減少し、数世紀にわたる社会闘争の果てに獲得した社会保障の数々も次から次へと減少し、労働者や病院や教員の数、授業時間や裁判所の数も、減少していく。そのうちフランス人の人数の削減の番が回って来るぞ!


つまり自由貿易に向かう潮流からいかにフランスを離脱させるかに眼目がおかれているのだ。


目次

日本の読者へ 民主主義をめぐる普遍性と多様性
民主主義の危機 / 識字化による興隆と高等教育による衰退 / イデオロギーの消滅と現実の直視 / 世界の普遍性と多様性 / 自由貿易という戦争、 保護主義という協調

序 章 サルコジ局面
第1章 この空虚は宗教的な空虚である
政治的解体 / 裏切りの比較研究 / 最も重要なのは宗教的解体 / 無神論の困難 / 無信仰からイスラーム恐怖症へ

第2章 教育の停滞と文化的悲観論
教育の停滞と文化的悲観論 / 空虚vs空虚 ――国民共和主義vs単一思考 / 歴史の方向 ――1690年から2008年までの長期間における教育水準 / アメリカ・モデル / イギリス
の楽観論 / 原因の確定は可能か?

第3章 民主制から寡頭制へ
教育による階層化とエリート層への拒絶 ――マーストリヒト条約 / 大衆識字化と民主制の出現 / 教育と革命 / 教育上の階層化の再開と寡頭制の誘惑 / イデオロギー・ピラ
ミッドの終焉 / 社会党の例 ――平等主義から戦闘的ナルシシズムへ / 新人間の心理学 ――説明は後でいいから、 まず確認だけしておこう

第4章 フランス人と不平等――人類学からの貢献
フランス人とアングロサクソン / 権威主義的文化 ――ドイツ・ロシア・中国 / フランスの地域別の多様性 ――初めは暴力的で次いで穏当なものとなった複数政党制の土台
/ 平等主義的価値システムはフランスで生き残るか?

第5章 民族化か?
フランスの場合 ――種族闘争から階級闘争へ / 大都市郊外の暴動 ――フランス的危機 / 大統領選挙の最中に郊外の暴動が / アラン・フィンケルクロートと 「反共和主義
のポグロム」 / 民族化に反対する労働者と若者たち / 選挙の後 ――社会経済的テーマの回帰

第6章 自由貿易は民主主義への阻害要因
フランス人は自由貿易反対 / 社会主義者たち、 中国、 そしてインド / 2006年11月、 シラクはヨーロッパ保護主義をめぐる論争を凍結する

第7章 階級闘争か?
社会の総体、 有権者の総体 / 教育と富の分離 / 支配集団の収縮とアトム化 / 給与についての自覚から階級意識へ / 宗教的信仰なき階級意識は可能か? / ボボ神話 / 資本
の陶酔 / イスラームと中国の間に挟まれたわが国の指導階級 / 階級闘争か民族闘争か

第8章 人類学的土台の極めて緩慢な変化
出生率の変遷 / ヨーロッパの出生率 / 減速 / 家族と国家 / 女性と不平等 / 人類学的基底の自律性と優位

第9章 デモクラシー以後
寡頭制的システムのポピュリズム局面 / 中産諸階級の闖入とポピュリズムの終焉 / 解決1 民族的共和国 (白人の、 キリスト教以後の) / 民族的解決は挫折の可能性が高い / 解決2 普通選挙の廃止

結 論 保護主義、 ヨーロッパ民主主義の最後のチャンス
ヨーロッパの転用


訳 註
原 註
〈資料〉 ケインズ 「国家的自給」 を読む (訳・解説=松川周二)


それにしてもトッドの本は読者に極めて高い集中力を要求してくる。フランスの実情や登場してくる政治家たちの政治的信条もわからないのでますます難しい。たどたどしくも論旨を辿るのが精一杯でありました。それでも、事前に「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」を読んでいたことか助けになっていたと思います。そちらの方が遥かに読みやすく、内容がかなり重複しているからです。

「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」では、平等を目指して進められた高等教育の発展・発達が教育格差を生み、結果的に格差社会の素地を生んでいる。そしてこれが政治的イデオロギーを解体したという視線を与えてくれるものになっていました。そして現在我々が迎えている危機があるのだと。本書ではこれらの事象について更に深く検証がなされていました。なんと鋭い洞察に溢れた人なのだろう。凡人の僕としてはただただ感嘆するばかりでありました。

また、自由貿易を標榜して推し進めている人々の認識として、二つの根本問題が無視されているということを指摘しておりました。一つは各国の国民経済システムの破壊によってもたらされる全体需要の傾向的遅れ。企業が収益拡大のために世界市場に向けて生産を行う場合、第三世界の労働コストと真っ向から競争する必要が生じ賃金は圧縮に向かわざるを得なくなる。どこの国の企業もが需要拡大のために市場を国外に捜し求め始めれば、状況が好転することは決してないというもの。


 手短に言うなら、戦後の各国の国民経済体制が分解したことで、資本主義は、生産に対する需要の遅れ、国外販路の狂騒的探求、この探求が最後には国際関係の中に産み出すことになる緊張という昔ながらの矛盾に再び直面することになる。調節を受けることのない自由貿易は、全体主義的自給自足経済体制と同じように、確実に諸国民間の憎悪を助長する。


もう一つは、アメリカ経済の途方もない特化について。それぞれが得意分野に特化することが最適化を生むというリカードの比較優位理論をもとにアメリカは消費に特化したとトッドは言う。

8千億ドルというアメリカの貿易赤字について経済学者たちが沈黙を続けているのは、この事態に対する説明は経済学という学問の効力の及ぶ範囲をすでに超えてしまっているからだと。もはやこの事態は論理的にも現実的にもあり得ない状況であるにも関わらず、世界の基軸通貨としてのドルをアメリカはせっせと印刷して消費し続けているというものだ。


 しかしそれもあと何年続くやら。しかし1999年から2008年までの間に、ユーロに対して4分の1も安価になるというドルの凄まじい下落は、終わりが近いことを告げている。それでも真面目な人々は迫り来る破局から目を背け、現在の生活を、不平等をせいぜい利用しようとしている。何事も短期という強迫観念は、金融市場を侵しているだけではない。もはや形而上学的展望を持たぬ世界の法則そのものとなっているのだ。「すみません、あと一分だけお待ちください、死刑執行人殿」というわけである。


つまるところ自由市場主義とは世界の格差を国内にそのまま持ち込むことそのものに他ならないということだ。それをどうにか留めているものが何かと云えば不条理な基軸通貨ドルによって進められている「消費」なのだとしたら、その先に待っているものは一体何なのだろう。

ふと立ち止まって周囲を見渡そう。10年前、15年前の日本の状況と今を振り返るに、何が見えてくるだろう。給与は下がり続けていませんか?格差の広がりを感じませんか。

ユニセフが発表した子どもの貧困率の調査結果で日本はなんと先進35カ国中ワースト9位だったという。これは2000年以降ずっと悪化の傾向にあるのだといいます。貧困率のワーストはルーマニア、次いで米国だ。我々が目指す社会がアメリカだというのであれば、その目論見は順調に進んでいるという次第だ。それでも我々はアメリカの信条に追従し続けるか。日本政府はアメリカの傀儡から脱する見込みは全くない。そろそろいい加減袂を分かつべきだと思うのだけれども。

全くもってトッドの本は今この日本で沢山読まれるべきものであると思います。


「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」のレビューはこちら>>

「デモクラシー以後」のレビューはこちら >>

「帝国以後」のレビューはこちら>>

「家族システムの起源こちら>>

「トッド 自身を語る」のレビューはこちら>>

「エマニュエル・トッドの思考地図」のレビューはこちら>>

「パンデミック以後」のレビューはこちら>>

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燃えさかる火のそばで―シートン伝
(By A Thousand Fires)」
ジュリア・M. シートン(Julia M. Seton)

2012/06/09:物心ついた頃にはすでに我が家の本棚には「シートンの動物記」と「ファーブル昆虫記」が並んでた。
今思えば両親が僕らの為にと買ってくれたものだった訳だ。僕は果たして全部読んだのだろうか。それでも時折本棚から引っ張り出して繰り返し読んでいた記憶がある。
また確か映画も連れて行ってもらったっけ。
随分と大事にされて育ったのね自分は、と今更ながらに思い、感謝もするのだけれど、それに答えられるような大人になっているのかどうかは甚だ自信がない。

シートン。なんて懐かしい名前だろう。
シートンと云えば「狼王ロボ」だったり「ツキノワグマの一生」だったりが頭に浮かぶのだけど、シートンの著作はなんども、そしていろいろな形で出版されているようでタイトルがみんなバラバラだ。
「ロボ - カランポーの王」なんて書かれてもピンとこないよな。もう一遍全部読んでみるのも楽しいかもな。などと眺めていたら、おや?「灰色グマの一生」か「ツキノワグマ」じゃなかったんだっけ。あれれ。灰色グマの原題は"Grizzly"。ツキノワグマはグリズリーだったっけか。調べてみるとツキノワグマ(月輪熊、Ursus thibetanus)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)クマ科クマ属に分類される食肉類。別名アジアクロクマ、ヒマラヤグマ。グリズリー、ハイイログマ(灰色熊・学名Ursus arctos horribilis)は、北アメリカに生息するクマ科の大型動物で、ヒグマの一亜種で種が違う。

要はツキノワグマってヒグマの一種で北アメリカ大陸にはいない種じゃないか。幼い頃に観た映画に出てきた熊は間違いなく胸に白い三角形があるツキノワグマだった。親子が雪山で、滑って遊んだりしているような光景がやけに記憶に残っている。

ということは、記憶している映画はシートンの映画じゃなくて別のものだということか。あらまー!びっくりですよ。ずっとツキノワグマだと思ってましたよ。僕の記憶にあるあの記録映画は一体どんな作品だったんだろう。それがどこかで映画とシートンの本が一緒になってタイトルがごっちゃまぜになっていたみたいだ。なんか狐に摘まれたような気分だぞ。

シートンの人となりというものを全然知らなかった。懐かしさもあって読んでみたわけだけど、こんな驚きの勘違いが判明するとは。

ちょっと気を取り直して。先に進もう。

本書はシートンの二番目の夫人であったジュリア・M. シートンによって書かれたものだ。書かれたのは1967年。シートン本人が亡くなって20年も経ってから書かれた本になる。

最後までシートンと連れ添ったジュリア・M. シートンはシートンと29歳も年下で、最初はシートンの秘書をしていた方らしい。またご本人はインディアン文化の研究家で、その関係の本を何冊か書いている。シートンの死後は残されたシートン・ヴィレッジの博物館の管理をしながら講演会などを続けていたという。1975年没。

そんな彼女がシートンとの思い出や本人から聞いたり、残されたりした書き物などを寄せ集めて一冊の本にしたものでとても愛情が溢れる作品になっておりました。

しかし、シートンが彼女に明かした彼の子ども時代の話は意外を通り越してびっくりするようなものだった。

アーネスト・トンプソン・シートン(Ernest Thompson Seton)は、1860年8月14日イギリスのサウスシールズで12人兄弟の末っ子として生まれた。親の家業が傾いたことからカナダに移住したのだという。

家柄こそ由緒あるものだったようだが、事業に失敗してカナダに落ち延びたというのに彼の父親は仕事らしいことをほとんどせず家で暴君のような振る舞いを続けるなどかなりの奇人だった。また母親はその反動もあったのか信仰活動に全身全霊を投じた生活を送り、子どもたちにも終始聖書の勉強や祈祷に時間を費やすように強制するという非常に歪んだ家庭だったのだ。

そんな家庭事情を背景にしつつ、シートンはカナダの大自然に魅せられ、そこに暮らす動物達を追っては様々な手段で観察・分析をし、スケッチを描きその生態をくまなく記録していった。

どこにどうしてそんな時間を捻出することができたのだろうか。唖然とする緻密さ、忍耐強さだ。

また本書はシートンの人生の時間軸に沿って進まず、前後したかと思えば飛ぶ。そして時にシートン本人の書き残した文章が長文で入ってくるため、誰目線での話しか時折わからなくなってしまう部分がありました。

シートンは青年時代にイギリス渡り絵画の名門のロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校で学んだということで、これは父がシートンに絵描きになることを進めたこともあったようだ。

シートンはイギリスにいる間大英帝国博物館にいりびたり、絵を描き図書館で学んだ。この時の経験がシートンを博物学者への道へと向かわせたのだという。また、この時の博物館通いに無理がたたり体を壊して学業を全うする前にトロントに帰らざるを得なくなってしまったようだ。

これもシートンの根気強さというか、猛烈な集中力が伺えるエピソードだと思うし。またシートンのその後の活躍からみると非常に重要なエピソードだと思うのだが、このあたりの事情については殆ど描かれていなかった。

シートンはトロントで体調が回復すると牧場の手伝いなどをするのだが、やがて仕事を求めてアメリカ、ニューヨークへと向かう。この時シートンの所持金はわずか二ドル。出版社を回れば絵を描く仕事が手に入るという確信があったのだろう。

シートンは程なく仕事を手に入れるのだが、やがて本格的に博物学への道へと進み始める。そして僕もお世話になった「シートン動物記」をはじめ多数の本を著し、環境破壊を防ぐために政府に働きかけたり、カナダとアメリカの間の政府間の調整役をかってでたり、講演会などを通じて一般の人々に語りかけたり、ボーイ・スカウトの創設にも尽力したりと調査研究や執筆活動のみならず幅広く活動しておりました。

繰り返しになるけど、一体どうやってそんな時間を作っていたのか、どうやったらそんなに膨大な仕事をこなすことができたのか。シートンの仕事ぶりにはほんとうに驚かされるものがありました。縦横無尽。正に偉人と呼ぶに相応しい人であったのでした。

そして何より限りなく深い自然・動物に対する愛情。これこそ、まさにシートン。

シートンが描く動物達は考えたり感情も持っている。この姿は当時の社会的価値観においては甚だ擬人化されたものであり、寓話的だとの批判もあったのだという。

特にキリスト教に篤い信仰を向けている人々にとっては受け入れにくいものがあったのだろうと思う。シートンが育った環境に反して、無宗派の立場をとったというのは誠に感慨深いものがありました。なるほどシートンの複雑な人格が垣間見えてくるエピソードがつまった一冊となっていたわけでありました。




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水と人類の一万年
(Elixir: A Human History of Water)」
ブライアン・フェイガン(Brian M Fagan)

2012/06/03:先日、千葉、埼玉の水道水を作っている利根川系の複数の浄水場で基準値を超えるホルムアルデヒドが検出され取水が停止、5市の約35万世帯で断水が起こった。その後とある人から「浦安の震災の時の断水がどんなに大変だったかわかったよ」といわれました。

そうそう、今回の断水は短期間でしたが、あの時、新浦安では10日。ほんと大変だったのよ。
というのと同時に、考えてみれば断水や停電なんて実は最近ほとんど起こらなくなっていたんですね。

停電も断水も僕らが子どもの頃はよく起こってたと思う。停電でテレビが観れなくてがっかりするなんてことがありましたが、そんなに慌てることもなく。子どもなりに対処していた気もする。

水や電気が何時も使えることが当たり前になっているからこそ、突然の断水・停電に手の打ちようがわからず途方に暮れてしまう事態となってしまうのだ。

また今回の事態でみんなが驚いていたのは浄水場がある場所だった。北千葉浄水場(流山市)上花輪浄水場(野田市)栗山浄水場(松戸市)野菊の里浄水場(松戸市)三郷浄水場(三郷市)など影響を受けた浄水場は地図でみてもわかるとおり、随分と下流だ。当然その上流にはたくさんの人も住んでおり工場もある。そして今回はそのまた遥か上流の群馬県をながれる烏川に廃棄業者が排出したものだったのだ。

千葉県の水道水の供給ルート

これらの浄水場は実は僕にとってはなじみの場所。普段自転車で走っているときにランドマークにしている場所だ。つまり僕のようなものが海っぺりの新浦安から自転車で走っていける場所にある。それだけ海に近いということなのだ。僕も最初にこの浄水場の存在に気がついたときにはその場所があまりに下流だったことに面食らってしまった。

どういう経緯でこれらの浄水場の場所が決まったのかはちょっと興味の沸く話だと思う。

さて今回はブライアン・フェイガンの「水と人類の一万年」であります。ブライアン・フェイガンは地球の気象の歴史を踏まえて古代史へアプローチする切り口でなかなか面白い本を書く人だ。僕はこの本を読み始めたところで脹脛の肉離れをおこして伏せってしまい、途中に長い中断を挟んでしまったため、読みきるのに半月もかかってしまった。

狩猟生活を行っていた頃の人類にとって水は、それがある場所に自ら行って使うものであった。どこにあるのか、どうやって見つけるかを知っていることは死活問題であったろう。水筒のようなもので持ち運ぶことはあってもその量はごく限られていた。水を集めるという概念は狩猟生活では不必要なものだったのだ。

これが農耕へ移行したことにあわせてパラダイムがシフトした。農耕生活への移行は定住化を意味し、飲み水ばかりではなく、農耕のため、そしてその効率化の面から水を集めることが非常に重要性になった。気候変動などに左右されず常に十分な水を確保することが収穫を大きくし、大きな収穫に支えられて集団は大きくなっていく。当然必要となる水の量は拡大していった。

近東地域で農耕がはじめられたのは前1万年。キプロス島にある井戸は前7千年のもので現存する最古の井戸なのだという。

古代メソポタミアの都市であったウルクは前5千年ごろから発展したものだと云われているがこうした大規模な都市の成立には治水・土木技能の高度化が前提となっていた。


 生産性が劇的に向上し、それに伴って大量の余剰穀物が備蓄されなければ、ウルクのような都市は決して出現しなかっただろう。だが、変化のプロセスには、生産性の向上とより多くの余剰食糧、および人口増加の直接的な結びつきをはるかに超えるものがかかわっていた。細長い農地のシステムやそこに掘られた何本もの畝間は、家族や血縁集団を超えたレベルの監督体制を必要とするものだった。新たな社会的要素が加わったのだ。かなり大規模な灌漑と農耕を監視する一種の中央権力である。これは農業でも灌漑でもある程度の標準化を達成させるメカニズムだったのであり、過去の気ままで不安定な村の灌漑システムとはまるで異なるものだった、のちの時代にできた監督手段の一つがグガルム、つまり(用水路検査官)だった。グガルムは用水路の浚渫と維持管理の責任を負っていたかもしれない。これらの役人は、そのような職名がついていたにもかかわらず、粘土板の記録にはほとんど登場しない。彼らははまず間違いなく地元の人間であって、その責任の範囲は共同体の灌漑システムに限られており、仲間の人間と一緒になって作業に当たっていたのだろう。


本書は人類がどのように水を利用してきたか、またもっと云えばこの水を利用するために家族や血縁を超えたレベルでの社会的・集団的な行動様式を備えて云ったかを俯瞰しようというものになっている。

我々が生きていくうえで必要となる飲料や農業に利用可能な淡水は地球にある水の僅か3%に満たない。しかもそのだい部分が氷河や地下水という形で手の届きにくい場所にある。一方で世界人口は70億を超え、近い将来100億を突破するであろうとの予測が出ている。過去を振り返ってみると確実なものではないが人口が1億を超えたのはわずか2~3千年たらずも前のことなのだ。

フェイガンはこの増大する世界人口と低下の一途を辿る地下水面の動きに対して警鐘を鳴らしている。イスラエルは入植地で水源を強引に確保したことで激しい憎悪を向けられているのだという。それでも足りないようでイスラエルには世界最大の逆浸透法海水淡水化プラントがあるのだそうだ。

増え続ける水の需要に科学技術が解決策を見出し更に増加に進むのか、曲がり角を迎えて減少へと向かうのか。もしかしたらこれも我々の意思の問題なのかもしれない。


「ナイルの略奪」のレビューはこちら>>

「古代文明と気候大変動」のレビューはこちら>>

「千年前の人類を襲った大温暖化こちら>>

「 海を渡った人類の遥かなる歴史 」のレビューはこちら>>

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コンニャク屋漂流記
星野博美

2012/05/13:著者の家は戸越銀座で小さな町工場を営んでいた。祖父は外房の岩和田からこの戸越銀座にやってきたという。祖父はどうしてこの戸越銀座にやってきて町工場をはじめたのだろうか。足取りをたどって行くと岩和田から東京に出稼ぎに来るにあたって、岩和田出の人脈を伝ってきていたことがわかってくる。

先に上京し足場を築いた人たちを頼って続いてきたのだ。受け入れる側としても人を雇うにあたり、素性の知れぬ人物よりも、故郷の親戚・知人筋の子弟を受け入れる方が信頼できるという背景もあったようだ。

曽祖父は岩和田で漁師をしていた。今でも親戚筋の大半がこの岩和田に固まっており漁師をしている人もいる。岩和田では屋号を使って呼び合っており、曽祖父の家は「コンニャク屋」であった。漁師の屋号が「コンニャク屋」というのは一体どうした訳なのだろうか。

星野博美は、親戚たちのところへ昔の話を掘り起こしに訪ね歩いていく。祖父の工場設立までの悪戦苦闘の日々から、曽祖父の在りし日々。やがてその話は戦前・戦後の下町東京の人々の暮らしぶりを。そして400年前のドン・ロドリゴの遭難の話へと一気に遡っていく。

1609年(慶長14年)、エスパーニャの植民地であったマニラの総督を退任し、祖国へ帰還する途上のロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ(Rodrigo de Vivero y Velasco)とその一行を乗せた戦艦3隻の艦隊は台風に遭遇。ロドリゴの乗った「サン・フランシスコ号」は岩和田沖で難破し田尻の浜に漂着した。岩和田の人々は300人を超える遭難者たちを献身的に救助保護した。岩和田の親戚たちはまるでその場にいたかのようにその時の話をするのだった。

この話を更に紐解いていくと当時岩和田と江戸との太い通商関係が築かれていたことが浮かび上がってくる。今では小さな漁師町にすぎない岩和田が近隣の地区とは違う扱いを受けていたのだろうか。

岩和田の祖先たちの足取りを追って作者は紀州、和歌山県の加太へと向かう。

蘇ってくるのは鰯を追って加太と岩和田の間を行き来していた網元たちの姿であった。彼らは過酷な環境のなかで、そうであるが故、仲間達と協力し助け合って生きた。そんな人々のなかに岩和田へ定住することを選んだ二人の兄弟がいた。二人は隣り合わせに家を建てこれまでと同様、お互いに助け合い協力しあって岩和田の生活を築いていったのだ。鰯漁で食えない時期にはコンニャク屋や床屋なども兼業して糊口を凌いでいた。こうした事実がそれぞれの家々の屋号となっていったのだった。

東北大学院の加齢経済学を研究する吉田浩教授らのグループは過去の減少率を基に999年後、日本の子どもはゼロになる可能性があることを示唆する内容を発表した。

実際日本では2005年から人口が減少に転じ一日あたり344人減少しているという状況だ。

岩和田に残る彼女の親戚筋のお年寄り達も毎日の仕事が終わるとみんなが一軒の家に集まってわいわいがやがやとおしゃべりに興じていたという。

それが毎日の楽しみだったと。戸板一枚下は地獄と呼ばれた過酷な仕事を続ける毎日。帰宅すると仲間達で底抜けに能天気な話をしてげらげら笑っていたのだという。

集まったみんなは這っていたと。話が可笑しくてちゃんと座っていられず、みんな這って笑ってたと。

そんな岩和田の人たちも都心へ働きにでるもの、寄る年波、そして少子化によって徐々にそして確実に細くなってきていた。彼女は人々の頭のなかに残っている過去の記憶を記録として残す最後の機会を掴んだのだった。本書はチャトウィンの「パタゴニア」を彷彿とさせるような切り口になっているのだ。また親戚たちの集まった時の様子は僕の原風景と共通のものがあると思う。本書を読む行為は僕の昔の記憶を呼び覚ます過去への旅となっていく。

僕の父は8人兄弟。祖父もやはり大勢兄弟姉妹がいて、父の実家で何かあるとものすごい数の人が集まる一大イベントになるのが普通だった。

長男だった僕はこうしたイベントに必ず連れていかれたものだった。
行く度に相手から「誰の息子?」と何度も聞かれるし、聞かれているこちらとしてもお相手の方が一体自分から見てどんな関係にある人なのか正直よくわからない、お年寄りなので誰がだれと兄弟でどっちが上かなんて全然わからない状態であった。

そしてこうした光景を踏まえて現在の僕らの状況を振り返ると愕然とするものがあった。

急速に家族形態が縮小し、僕の子供らには従兄弟がいないのだ。ゼロなのだ。子どもたちの僕が経験した親戚たちの集まりの様子を話して聞かせても、おそらく想像できないだろうと思う。

こうした事態はおそらくあちこちで起こっているのだろう。僕らが子どもの頃にみた原風景は忘却の彼方へと消えていこうとしている。これは考えてみると非常に深刻で大変な事態だと思う。日本は正に大きな曲がり角を曲がってしまった。これから僕らはどうしていくのだろうか。子どもたちが老齢を迎える頃、この日本はどうなっているのだろうか。そしてまだ見ぬ僕らの子孫達はどうしていくのだろうか。

日本全国どこの小さな町でも若い人たちが家庭を築いて子どもたちを安心して育てられる社会を目指していかなければならないのではないかと思う。岩和田に生きた作者のそして僕の祖先をはじめとする日本に生きてきた人々がそうだったように、手を取り合い力を合わせて難関を乗り越えていってくれることを切に願う。




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フクロウからのプロポーズ
―彼とともに生きた奇跡の19年

( Wesley the Barn Owl)」
ステイシー・オブライエン
(Stacey O'Brien)

2012/05/12:本書の主役はメンフクロウだ。名前はウェズリーと云う。
翼を傷つけて保護された生後4日前後の幼鳥だったウェズリーは、その傷の深さから自然界で生きていくのは無理な状態だった。保護したのはカルテク、カルフォルニア工科大学でフクロウの研究施設。

そこで働いていた著者のステイシー・オブライエンは研究所の教授から、親としてこのフクロウを引き取って暮らさないかと提案を受ける。

目もまだ開いていないこの幼鳥にうまく接すれば、親として刷り込みができ、間近でメンフクロウの生態が観察できるまたとないチャンスにもなるのだ。

ステイシーは責任を全うすることができるのかどうか逡巡しつつも、この愛らしいメンフクロウの幼鳥の魅力に惹かれ、養子として引き取ることにするのだった。

ステイシーの見よう見真似で歯ブラシを使い、洗面所で水浴びをするウェズリー。水で遊ぶフクロウが確認されたのは初めてだったという。
しかし、ウェズリーは人に慣れた訳ではなくあくまでステイシーを伴侶として選んだ。決して他の人間を信用することはなかった。

メンフクロウの生態は興味深いものがあるが、人間の生活サイクルとはややかけ離れており一緒に暮らす生き物として考えるとかなりの困難が伴う。

ウェズリーのために心を鬼にして食事のマウスを集めて殺し、ボーイフレンドに振られ続けるステイシー。

成長したウェズリーはメンフクロウの本能にどんどんと目覚めていき、ステイシーにもメンフクロウとして生きることを強いているように見える。

そんなウェズリーをステイシーは真正面から受け止めていく。これはなかなかできることじゃないよ。ほんと。

二人の生活はなんと19年!。19年という長い歳月に渡る。互いに信頼し、愛し合って暮らした日々が綴られていく。

彼女は正にすべてをなげうってウェズリーの母であり伴侶であることを選んでいったのだと思う。

ふたつの命の響きに心が震えるものがありました。




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都市という劇場―アメリカン・シティ・ライフの再発見
( City: Rediscovering the Center)」
ウィリアム・H・ホワイト
(William H. Whyte)

2012/05/04:数年前のことだが災害時に歩いて帰宅できるかが話題になった。その時15年以上も通う田町と浦安の間の道路のことを殆ど知らないことに気づいた。

東京の地理をちゃんと知っておきたい。ついでに日頃の運動不足を解消したいそんなことから会社帰りに歩き始めた。

これがとても面白かった。

うっそうとした愛宕山と付近の神社仏閣。延々と飲食店が連なる新橋。堂々とした庁舎が並ぶ霞ヶ関の官庁街。あまりに場違いで腰が引けるような夜の銀座。そして昔の面影を色濃く残す新富・八丁堀界隈。

あちらこちらと歩いて東京はいくつもの貌をもっていることがわかってきた。

更には「東京建築ガイドマップ」という本を手に通勤路線を離れて夜の建築鑑賞のためにあちらこちらへと足を運んだ。

そして路地。見知らぬ路地の角を曲がって現れる光景の楽しさ。どの路地にもそれぞれの生活感というか物語があるように感じる。東京の路地には味わい深いものが非常に多いのだ。

銀座の中心は夜でももの凄いひとごみで歩きづらい。それでも行きかう人々の様子を眺めながら歩くのは悪いものではない。

反対にまるで人気がない道は居心地が悪い。エアポケットに入ったみたいにストンと人気が全くない場所に突如出て肝を冷やしたなんて機会も何度かあった。

歩きやすい街。人を寄せ付けないような気配を漂わせる街。そこにはどんな違いがあるのだろうか。

ジェイン・ジェイコブズの本にもあるとおり街の活性化の根底に存在するものは人と人とのつながりでありコミュニティーだ。このコミュニティーを形成できない街は人気がなくなり徹底的に衰退する。

どうしてこんな風になってしまうのだろうか。

ウィリアム・H・ホワイトは、アメリカの都市社会学者、人間行動学者、都市計画コンサルタントで、都市計画に関する本をいくつも書いた人だという。

彼は歩道を歩く人々の様子を定点からコマ撮りして分析し、歩く人々の行動様式から人口密度。通りの長さやら歩道の幅やら、ペンチや階段手すりの幅など、測れるものは全て測ろうと迫っていく。

そこから見えてくるものは何か。

彼は広すぎる、空間が大きすぎると人は集まりにくいという分析をしている。狭すぎてもダメだけど、だだっぴろいのに、閑散とした場所に人は長居しないという訳だ。

うーむ。そりゃそうだろう。もちろんそれはそうなんだろうけども、しかし、これは利用者の立場から見ればそんなことは自明じゃないのかと。

また建築物は建築家、設計者の意図とは全く関係がない利用者達の行動。階段や手すりに座るひと。人々の往来の激しい歩道の真ん中で話し込む人たち。足を乗せられるテーブルや縁石。

なかには人に座られないようにわざわざ突起物を埋め込んだ手すりを設けている場所まである!それに対して利用者は新聞紙などを尻のしたに敷いて座っていたりするのだった。

このような事例を俯瞰していくと、アメリカの大都市における都市計画や建築家の設計が如何に的外れなものに溢れているのかということに気付かされる。それが故に彼のようなコンサルタントの登場ということなのだろう。


 東京の街路でもっともおもしろいのは、ありふれた、なんでもない通りだ。どこまで行っても、ともかくアメリカの街路よりもいつも刺激的だ。いろいろな理由があると思うが、街が線状に発達していること、喫茶店、食堂、赤ちょうちんなどのお店が延々と続いていること、ネオンの華やかなこと、通りいっぱいの人々、なにより人々が通りを実に楽しんでいることがあげられる。新宿は、アメリカ中のどんな都市より通りが味わい深いし、単純に感覚的なインパクトだけを比べても、炭火焼きのにおい、もうもうと煙のたちこめる裏通りにはかなわないだろう。

 日本の人々は、歴史の恩恵を享受している。日本の都市は、歴史的に店舗や生活行動などが線状に延びていって形成されたものであり、道路はかなり狭い。ほとんど昔と変わっていない通りの例をあげると、浅草観音の門前通りがある。17フィート(5.2メートル)ほどの幅があり、両側に開けっ放しの店舗が続くために実質的な通路幅は約15フィート(4.6)メートルである。幸いなことに、私たちは好例の観音祭りの当日に居合わせ、一年で最大の人出のときの門前通りを見ることができた。人の流れは都心の歩道の通行量と同じで、つまり朝のラッシュ時の一時間あたり4000人という割合であった。ペースはゆったりしていて、かなり自己誘発型混雑がみられた。人々は商品を眺めるためにたびたび立ち止まり、連れを待ったり、食べるものを買ったりしている。ビラ配りが二人、人の流れのまんなかに陣取っていた。それでも、これは和気あいあいとした人混みであり、その時と場にふさわしいものであった。


東京の建物の殆どは西洋の真似事洋風建築に溢れている訳だけれども、街並みは江戸の歴史の韻を踏んでいる。

このホワイトがいみじくも述べている通り、東京の街並みは歴史の恩恵を受けて成り立っている。それはすなわち我々の生活様式に根ざしたサイズで街が出来ているからではないかと思う。

東京の路地が楽しいのは、どの路地にも赤提灯がぶらさがっていたり、味わい深い定食屋やこじゃれた小さいレストランがあったり、小物・雑貨などのお店があったりと、この通りを利用して生活している人と交じり合って一体となったお店が必ずといって言い程あるからだ。こうした路地は終始人が行き来して活気がある。そんな路地が延々と続いているのはよくよく考えると驚異的なことだ。だからこそ、東京のそんな路地を散策するのが楽しいわけだ。

つまるところ、そのような基礎を無視して、通りの長さや歩道の幅を計っても同じものを作り出すことはできない。ホワイトの分析は緻密だけれども、どうにもこの肝心な部分に届いてる感じがしない。ジェイン・ジェイコブズが訴えていたように人々のコミュニティーなしに都市に生命が宿ることはないと思う。

東京だって、路地の活気が失われた場所が増えれば、いつかそうならないとも限らない。活き活きとした路地を守っていくために僕らはどうしたらいいのだろうか。東京の日本の活性化を考えるに実は最も重要なのはここではないかと思うのだが。




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堪忍箱
宮部みゆき

2012/05/02:GW最中でありますが、カミさんも息子も断続的に仕事が入っていることもあり、全員揃ってのお休みは皆無。僕はここんとこ週末仕事でずっと手が回らずにいた壊れた本棚の入れ替えなどをしたりと家でのんびりしております。

ここしばらく堅い本ばかり続いたので、一息入れたくなったので、宮部みゆきにご登場いただきました。

宮部みゆきの本を選んでいるのはカミさんだ。僕はいつも「なんかある?」と訊くだけでいいのだ。そうするといつも彼女は本棚からさっと一冊出してくれる。僕は黙ってそれを読み始めるという訳だ。本の内容なんて敢えて何も聞かない。今回は短編集らしい。個々の短編につながりがあるのかどうなのか。それも勿論知らない。

こうした本は白紙の状態で本に向かうのが一番だ。だってわかってしまったら本の面白さが半減するじゃないですか。だから今回は内容には極限まで触れないことにします。ちょっとでも内容に触れるとネタバレになってしまうからです。何もGWだからって手を抜いた訳では決してございませんよ。

堪忍箱
かどわかし
敵持ち
十六夜髑髏
お墓の下まで
謀ごと
てんびんばかり
砂村新田

どれも面白い。短編の醍醐味を十二分に濃縮した作品群でありました。

僕は特に「敵持ち」と「砂村新田」が好きでしたねー。

江戸を見下ろす鳥瞰的な視線から眼下の家に灯る一つのあかり。視線はぐっと降下してその家の前へおりたち。窓から入り込んでその家に暮らす人たちの姿を。そして更には彼らのしぐさ。表情、そして心のひだのなかにまでぐぐぐっとパンフォーカスしていく。この迫り方は実に映像的でありながら、決して映像では表現できない描写だと思う。唯一無二であるひとりの人間の生き様が積み重なって江戸という街が息づいている。活き活きとした江戸の世界観を生み出していると思う。それは正に息を呑むような光景でありました。


また宮部みゆきの本を読んでいつも思うのは勿論その巧さもさることながら、時代劇の体裁をしているけれどもそこで展開している人間ドラマが現代に通じる人間の怖さや憐れさであるところだ。今僕らもこうした機微を抱えながら暮らしていることを見通しているのだ。ほら空を見上げると宮部みゆきが見つめているのが見えるだろう。


「黒武御神火御殿」のレビューはこちら>>

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自由貿易は、民主主義を滅ぼす
エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd)

2012/04/29:エマニュエル・トッド。初挑戦。というつもりだったのだけど、本書はトッドの本そのものではなく、トッドを日本に招致して御厨貴等の日本の政治学者らと対談をしたときの内容を本にしたものでした。日本の有識者らが出す質問に対してトッドが答える形でご本人の考え方が極めてわかり易く読めるものになっており、僕のようなトッド初挑戦というものには丁度良い内容になっていました。

エマニュエル・トッドは、1951年生まれのフランス人。歴史人口学者、家族人類学者というちょっと変わった肩書きを持った人です。25歳の時に書いた「最後の転落」のなかで乳幼児の死亡率の変化を論拠として旧ソ連の崩壊が近いことを提起し、これが的中したことから一部では預言者と呼ばれるようになったという。

預言者などと聞くとなんとも胡散臭いものを嗅ぎ取ってしまうけれども、ご本人はあくまで実直な人口統計を駆使する学者であり、当然ながら非常に論理的でまた極めて鋭敏な方でありました。

フランス大統領選挙の決選投票は5月6日とあと1週間。現職のサルコジ大統領と最大野党である社会党のオランド前第一書記との一騎打ちという状況であります。

選挙戦について支持率などが日々報道されているわけだけれども、このサルコジにしてもオランドにしても支持政党がどこかぐらいで、実際にどんな人物なのか、僕にはよくわからない。

先日、ちょっとびっくりしたのはサルコジの「フランスには外国人が多過ぎる」という発言だった。フランス2テレビのインタビューに答えたものとして、サルコジは、「われわれは問題を抱えている」「わが国を統合する制度が機能悪化の一途をたどっているのは、国内にあまりに多くの外国人がいるためだ。もはや彼らのための住居や仕事、学校を見つけることはできなくなった」と述べたという。敢えて選挙前にこんな発言をするんだなぁと。

彼の支持母体は右派与党に加え極左・左派らしい。これはフランスの地位低下や経済低迷から抜け出せない同国の国民の強い不満を背景に、他の候補よりも急進的な主張をすることで支持を取り付けているということのようだ。

世界情勢から照らしてそのような反応というかフランスの社会情勢がそのような形で進んでいることにはある程度想像はつくものの、甚だフランスらしからぬ反応ではないかなと思いました。あ、こんな人が大統領だったのね。と。


 まず2007年5月の大統領選挙でニコラ・サルコジが当選したということは、大変大きな衝撃でありました。もちろん民主主義的な手続を経て当選したわけですが、しかしそれまでのフランス伝統とは、いわば対極にある人物が大統領になったわけです。特にプライベートライフを臆面もなくさらけ出したり---離婚とか再婚とかいう話ですけれども---、それから乱暴な言葉遣いで若者を罵ったりするような、とにかく平等原理でいう、フランスが最も大事にしてきたものを公然と破るような政策を打ち出したわけです。


え。というか、やっぱりというか、でもこうしたことは普段ニュースを見ている・聞いているだけでは絶対にわからないよね。そういえば、フランスは公共の場で顔面を覆い隠すイスラム教の服装を禁止する法律が施行したなんてこともありました。

2007年の大統領選挙の時もサルコジと対峙したロワイヤル候補ともども、政策議論や政治信条そのものも開示もなければ、あっても殆ど相違点のないものだったという。大してその主張に違いなんてないのにあたかも異なる主張をしているかのような演出をし、いわばムードのようなもので浮動票を獲得し雪崩的に勝利したのがサルコジだった。国旗を揚げようとか、「ラ・マルセーユ」を唄おうなんてことで選挙戦をやってたそうだ。このあたりの経緯は政党・政治家の名前を日本のものに置き換えただけでそのまま問題なく読めてしまうほど日本の政治状況と似ていると思いませんか。

日本の政治家たちも特に何がしたいというか何を成したいのか、そもそもそんなもの本当に持って政治の道に入ってきたのかわからないような人たちばかりで、長けているのはメディアに登場しては一目を引く発言をし、リテラシーと云うかいろんなものが弱い連中の浮動票をかき集める事で選挙に勝つことばかりだと思う。

こうしたことはほんとに有権者をバカにしてると思うけどもね。と。僕なんかはこの辺で頭に来て思考停止してしまうわけだけれども、トッドのような人はその先の先の先まで行く。

トッドの主張している事の基底にあるのは識字率の向上だった。識字率の向上は社会の平等化・均質化、そして更には民主主義の推進をもたらすものとして統計指標に使えるという前提があった。彼は旧ソ連の崩壊の分析を行った際にも乳幼児の死亡率に加えて識字率の変化も追っていたのだ。

確かに戦前・或いは戦後の復興期についてはこれが当てはまった。しかし、識字率、学校教育が普及し行き渡りきった現代において、これが大きな曲がり角を迎えているという。


 これに対して戦後進んだことは、中等教育・高等教育の発達です。とくに大学への進学率が上昇し、ちょうど1968年頃、そうした矛盾が爆発する段階に入る。古いイデオロギーが次第に崩れ、高等教育が発達することによって、このフランス社会を成す大きな要素として、教育水準の格差が次第に広がっていきます。多くの先進国と同様に、今日ではフランスでも、若者世代の25%が高等教育に進みます。つまり「エリートが大衆化した」という現象です。中等教育まで進むのは25%で、それ以外は義務教育止まりになる。このように教育水準による社会の階層化が進みました。長い間フランスでは、教育システムは平等を推進すると考えられてきました。共和国の学校は、機会の平等を与え、階級上昇の道を開くものであると。ところが、そうした教育システムが高度化することによって、むしろ不平等が生まれてきたということです。初等教育的なレベルで言うところの識字率の普及化、これは無意識のうちにフランス人に「平等」という感覚を植え付けました。しかし高等教育が進んだことによって、教育水準の不平等な分配がフランス人に無意識のうちに「不平等」への感覚を植え付けたと考えられます。


平等を目指した義務教育と高等教育の進展が教育水準の不平等を招き格差社会の素地を生んでいるというわけだ。そしてこれが政治的イデオロギーの解体してきたことだという。そして現在我々が迎えている危機がある。


 まず明らかなことは、まだ我々は、世界的な経済危機のただ中にいる、ということです。幻想にすがる人々は、この危機からすぐに脱出できると信じようとしている。しかし、世界的な危機はまだまだ続き、何らかの再編が必要になってくるでしょう。確かに幻想を維持しようという努力がなされていて、何らかの再編が必要になってくるでしょう。確かに幻想を維持しようという努力がなされていて、これがアメリカの力をなしている。つまり、現在、唯一残されているアメリカの力とは、アメリカ自体の力ではなく、世界中の指導者たちが、空虚を恐れているという点にある。世界中のエリートたちが、リーダーのいない世界を想像できないでいる。それがおそらく、オバマ大統領の人気の理由となっている。人々は、アメリカが今も解決策を持っている、解決策をもたらしてくれると信じようとしている。オバマ大統領が、何か大きなことをやってくれるだろうと期待を寄せている。このように幻想を求める気持ちがある。だからこそ、オバマ大統領は、まだ何もしていないのに、ノーベル平和賞を受賞することになった。


アメリカはまもなく崩壊するか激しく衰退するというのがトッドの予言になっています。勿論この予言も旧ソ連の崩壊を提言したときと同様、冷静な分析結果に基づいたものだ。そしてこの崩壊または衰退をかろうじて押しとどめているものは何かというと世界の中心的リーダーたちによる幻想だという。

しかるに我々はどこを目指すのか。トッドはフランス人の学者として国を守るというスタンスを取っている。アメリカが推し進めている「自由貿易」に巻き込まれることは自国の衰退を意味し、アメリカは決して自由貿易の信条から脱出することができないとも推測している。また教条的・原理主義的な自由貿易という政治信条は、旧ソ連が抱えていた共産主義と同様、現代における失敗した狂気であるとまで言い切っていました。

この狂気が世界を危機に陥れている。だから国を守るために我々は選択し行動をとっていかざるを得ない。ではどのようなオプションがあるのでしょう。


 では、危機はどう打開できるか。『デモクラシー以後』では、三つのオプションを示しました。第一として、フランス社会全体が民族化して権威主義的な政体が生まれ、それで民主主義が否定されるという方向です。第二として、普通選挙が否定されるという方向です。そして第三として、保護主義の方向です。つまり一時的な合理的保護主義をヨーロッパレベルで行うという方向です。私は初めの二つのオプションを肯定していません。第三の保護主義の道こそ、現実的なに経済政策としては有効ではないかと提言しています。これはフランスでもあまり理解されていない提言ですが、少なくとも現時点では、こうした一時的合理的な保護主義こそ、民衆の希求に答え得る現実的な経済政策だと考えています。


こうした打てば響くような知性に触れるのはある種の爽快感すらある。繰り返すが日本も正にイマココという状況だと思うが如何だろうか。

「自民党をぶっつぶす」などと云う掛け声に乗せられて投票したなんて経験を思い出しませんか。そんでさらには自民党はもうだめだということで、民主党に投票した?でも結局何が変わるわけでもなく、東日本大震災という未曾有の事態から日本は復興に向けて前進していかなければならないという事態において、原子力発電所の再開であったりTPPであったり、消費税増税に加えて、電気料金の値上げ?じゃ次は自民党かっていう堂々巡りをまだ続けますか?

どこぞの行政の首長のような権威主義的で全体主義的なリーダーを選んで民主主義を否定するのか、普通選挙そのものを否定するのか、トッドが提言する現実的な経済政策としての保護主義をとっていくのか、これは正に日本の選択肢そのものでもあるわけです。

エマニュエル・トッド。恐るべしであります。これはトッドの本を残らず読む必要があると強く感じております


「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」のレビューはこちら>>

「デモクラシー以後」のレビューはこちら >>

「帝国以後」のレビューはこちら>>

「家族システムの起源こちら>>

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「エマニュエル・トッドの思考地図」のレビューはこちら>>

「パンデミック以後」のレビューはこちら>>

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帝国解体――アメリカ最後の選択
(Dismantling The Empire: America's Last Best Hope)」
チャルマーズ・ジョンソン (Chalmers Ashby Johnson)

2012/04/22:著者のチャルマーズ・ジョンソンはカリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア大学サンディエゴ校教授を経て、民間シンクタンクJapan Policy Research Institute(日本政策研究所)の所長や中央情報局顧問などを務めた人物だという。沖縄問題にも詳しい親日家だったのだと思う。

1982年、著作のなかで戦後日本の高度経済成長が通商産業省主導による産業政策を通して達成された点を指摘したり、2010年には普天間基地代替施設移設問題に大して、基地を返還し海兵隊を引き上げるべきだとし、「私は憶病な鳩山由紀夫首相よりも、傲慢な米政府を非難する。基地を維持することに取り憑かれ、受け入れ国のことを顧みない」と指摘し、「普天間の返還とともに、米国は沖縄の人々に対して65年間もの辛抱に感謝すべきだ」と述べたという。

2010年11月に79歳で亡くなられた彼の遺作が本書である。CIAが「ブローバック」という用語を使っていることを僕は本書ではじめて知った。この用語は1953年、ブリティッシュ・ペトロリアムの権益を守るためにイラン政府を転覆させた反応について述べている下りで使われたのが最初らしい。


 「ブローバック」とは、単に歴史的な出来事に対する反応ではない。もっと厳密に言うと、アメリカの民衆と議員に秘密にしたままでアメリカ政府が行った工作に対して起きる反応を指す。ということは、アメリカの民間人が復讐による攻撃の犠牲になったとき、最初のうちは、そのできごとを大きな構造で把握したり、あるいはそれへと導いた一連のできごとを理解したりすることが、アメリカ人にはできないということだ。しかしアメリカ人自身が自分たちの国の名の下に行われたことを知らなかったとしても、やられた側の人々はちゃんと知っている。その立場に立たされたのは、イラン(1953年)、グアテマラ(1954年)、キューバ(1959年以来現在まで)、コンゴ(1960年)、ブラジル(1964年)、インドネシア(1965年)、ベトナム(1961年から73年まで)、ラオス(1961年から73年まで)、カンボジア(1969年から73年まで)、ギリシャ(1967年から73年まで)、チリ(1973年)、アフガニスタン(1979年から現在まで)、エルサルバドルとグアテマラとニカラグア(1980年代)、そしてイラク(1991年から現代まで)などの人々だ。これらの犠牲者たちがときとして仕返しを企てようとするのも、驚くべきことではない。


本書ではこのブローバックの引き金となったアメリカ政府の活動を概観していく。例示されるものの大部分はチョムスキーなどの本でも取り上げられているもので、僕個人としては既におなじみの顔ぶれとその言動でありました。しかし、本書の主たるテーマは帝国の解体、そしてそれはブローバックが主因であると言っているわけではない。

本書の主眼は、こうした行為に耽るアメリカ政府の正に帝国主義的な活動によって政府の財政状況が悪化の一途を辿り早晩立ち行かなくなるというものであり、そのためにアメリカ政府がとるべき、或いは直ちにやめるべきことという問題に真摯に向き合おうとするものだ。

 アメリカの債務危機には、三つの大きな特徴がある。まず第一に、アメリカの安全保障とはまったく関係のない「国防」計画に不合理な金額を費やしている。同時に、アメリカの人口の中で最も富裕な階層に対する所得税負担率を、驚くほど低く抑えたままでいる。

 第二に、国内の製造業基盤の衰退がスピードを増していて、雇用がどんどん海外に流れ出て行くのを軍事支出でカバーするという、いわゆる軍事ケインズ主義をいまだに信じ続けている。「軍事ケインズ主義」とは頻繁に戦争を行い、武器や軍需品に莫大な額を出費し、常備軍を抱えることによって裕福な資本主義経済を維持できるとする誤った考え方だ。実際には、まったくその逆なのだ。

 第三に、(資源は限られているにもかかわらず)軍国主義に夢中になっているため、アメリカは社会的インフラや経済の長期的繁栄に不可欠な投資を怠っている。こういうことを経済学では別なことに出費したためにものごとが果たされない「機会費用」という。たとえば、アメリカの公立学校への教育制度は恐ろしいほどに衰えてしまった。また、アメリカは全国民に健康保険を提供できず、世界第一の環境汚染国としても責任を果たせずじまいだ。最も大切なことは、国民のニーズを満たす製造業が競争力を失ってしまったことだ。こちらのほうが武器の製造より、限られた資源をもっと効率よく使えるのに。


2008年度アメリカの軍事費は6230億ドルに達している。これは世界の全世界の軍事総支出のなんと57%を締めているのだ。こんな額になっているのは特定の年の特別な事態ではなく常態的に増加傾向にある。このような軍事負担を国がいつまでも続けていけるわけがないのは明らかだろう。

最後に提示される帝国解体の10か条はアメリカ国民で知識人でもある彼の希望でもあろう。それは至極常識的で理性的なものだ。そうしたことが進んでいけばいいと僕も本気で思う。しかし、残念ながらたぶんそれは難しい。キューバ問題を見ても明らかなように、ずっと足で頭を踏み続けてきたアメリカとして、いきなりその足を外して同じ目線の高さで相手と対話することなどできるわけがないと思う。そんな勇気はおそらく誰が大統領になっても無理だろう。同じように反撃される「恐れ」を放棄して軍事費を削減することだって難しいだろう。アメリカはどこの国からいつブローバックを受けるかわかったものではないからだ。




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コロンバイン銃乱射事件の真実
(Columbine)」
デイヴ・カリン(Dave Cullen)

2012/04/15:コロンバイン高校の銃乱射事件のことを覚えているだろうか。1999年4月20日、コロラド州ジェファーソン郡コロンバインのジェファーソン郡立コロンバイン高等学校でエリック・ハリス(Eric Harris)とディラン・クレボルド(Dylan Klebold)の二人が銃を乱射し、13名が死亡、24名が重軽傷を負った。地元の保安官が取り巻き、学校へSWATが突入する展開となったが、踏み込んだときにはすでに二人は自殺していた。

この事件は日本でも繰り返し報道された。生徒による学校襲撃。それもトレンチコート・マフィアと呼ばれる者による報復であったらしいというその内容は非常にセンセーショナルなものだったと思う。

後にこの事件は、マイケル・ムーアによって取り上げられ「ボウリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画となった。マイケル・ムーアの取り扱う題材というものには非常にシンパシーを感じるのだけれどもどうした訳か縁がなく通して観た作品は一本もない。

映画では全米ライフル協会の会長だったチャールトン・ヘストンの自衛する権利を声だかに叫ぶ姿が映し出されており、その西部開拓史時代から抜け出してきたみたいな古典的な主張に絶句し、また日本と違って銃器類がばら撒かれているアメリカの事情として、自衛手段を放棄することがいかに難しいものがあるのかという問題に改めて気付かされたりもした記憶がある。いつかちゃんと時間を作って観たいと思う。

なによりこのコロンバインの事件について、もっと詳しく事情が知りたいと思っていた。して本書。

事件が起こったのは4月だったということを本を読み出して改めて知った。そうかもう13年も経っているのか。しかも19日はFBIにとっては特に危険な日なのだという。それはFBIがテキサス州ウェイコ近くのカルト教団ブランチ・ダヴィディアンの施設に突入、大火災が発生し施設内にいた子どもも含む約80人の信者の大半が焼け死ぬというFBI史上最悪の事件が起こった日であり、その二年後のおなじ日にはその報復としてオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件も起こっていたからだった。

FBIの懸念を現実化させようとしている者がいた。エリック・ハリスとディラン・クレボルドは正にこの4月19日をターゲットとして、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を上回る惨劇を引き起こそうと計画を進めていたのだった。

コロンバイン高校の銃乱射事件は、これまで報道され、見聞きしていたものとは全く違う事件だったのだ。目を疑うというか、全く予想外の展開に冒頭のこの時点で僕は仰天してしまった。読後ウィキペディアを読んでみたけれども、事件の真相部分については本書に書かれている内容とは全く食い違ったものになっていた。


 トレンチコート・マフィアが神格化されたのは、それが映像的で、インパクトがあって、はみだし者の一匹狼というそれまでの学校銃撃犯のイメージにもぴたりとあてはまったからだ。コロンバイン神話のすべてはそのようにして、それも驚くような速さで生まれた。悪名高い通説の多くは、犯人の遺体が見つかる前からすでに定着していた。

 コロンバイン高校の事件についてわたしたちは、次のように記憶している。はみだし者でゴス趣味のあるトレンチコート・マフィアの二人組みが、ある日突然、学校を襲って、ジョックにたいする積年の恨みを晴らしたと。けれどもそのほとんどが事実とは異なっていた。ゴスでもはみだし者でもなければ、ある日突然起きたわけでもなく、ターゲットも、積年の恨みもなく、トレンチコート・マフィアでもなかった。そういった要素はコロンバイン高校に確かに存在し、通説がまかり通る原因となったが、実際は、犯人となんの関係もなかった。それ以外の少数派の説---マリリン・マンソン、ヒトラーの誕生日、マイノリティー、キリスト教との関連など---も、やはり根拠のない噂であった。

 この事件を熟知している人々のなかには、もはやこの手の通説を信じている者はほとんどいない。報道関係者、捜査員、被害者の家族、その弁護士、それにもかかわらず一般の人々の多くは、当然のようにこれらの話を信じている。なぜなのか。


そう、彼らはトレンチコート・マフィアと関係がなかったばかりか、いじめられたりしていた訳でもなかった。警察がやってくるのを遅らせるために、郊外の空き地に時限爆弾を仕掛けるという陽動作戦も実施していたのだ。

本書は事件当時の関係者たちの克明な行動を追う。またエリック・ハリスとディラン・クレボルドの部屋に残されたビデオやメモなどの情報から犯行に至るまで彼らが一体何を考えていたのか、どんな人物だったのかを再構築している。

また噂に翻弄される報道機関、振り回される被害者・加害者の家族達。ひょっとしたら事件を防ぐことが出来たかもしれない重大な情報を隠蔽し続けた保安官事務所。事件後も含め事態に敢然と立ち向かっていったコロンバイン高校の教師の姿を丹念に追っていく。

そしてまたもう一つの読みどころとして当時息子がコロンバイン高校の在校生でもあったドゥエイン・フュゼリエ監督特別捜査官がいる。彼は当時FBI国内テロ対策チームのデンヴァー支部を率いており、ブランチ・ダヴィディアンの立てこもり事件での人質交渉にあたっており、デヴィッド・コレシュと最後に話をした人物でもあった。彼はコロンバイン高校の事態を耳にするや現場に駆けつけるのだが、結果彼は政府の捜査機関として最初に現場に到着した人物となり、その後の捜査にも大きく関わっていくことになっていく。

このフュゼリエ捜査官の捜査こそ、まさに二人の実行犯の真の姿を蘇らせるものとなるのだが、闇の向こうから徐々に明らかになってくるこの二人。特にエリック・ハリスの人格は正に最悪に壊れたものがあったのだ。彼の存在は不気味としか言いようもなく、またどうすれば防げたのか、どう対処することができたのかなどと云う諸々の問いをすべて拒絶してしまう。

今我々にできることはこの現実に向き合い、こうした事件が繰り返される可能性に備えることしかないのかもしれない。


「息子が殺人犯になった」のレビューはこちら>>


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最初の刑事:
ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

(The Suspicions of Mr Whicher or
The Murder at Road Hill House)」
ケイト・サマースケイル(Kate Summerscale)

2012/04/07:「最初の刑事」。ノンフィクションの本書は、1842年スコットランドヤードが初めて地域管轄にとらわれずに重大犯罪の捜査を統合して行う組織として刑事課を創設。その時初めて刑事に任命された8人の男たちの話だという。直球。ズドンと来た。これは読まねばと。

1860年7月15日。パディントン駅には最初の刑事の一人、ジョナサン・ウィッチャーがトロウブリッジへ向かう姿があった。それはトロウブリッジの近くにあるカントリーハウスで起きた殺人事件の捜査に加わるためだった。ロード・ヒル・ハウスと呼ばれるその屋敷では当主の3歳になる息子が何者かの手によって惨殺された。

殺された子どもは施錠された屋敷から何者かが連れ出し外の使用人用のトイレで首が落ちるほど深く切りつけてられていた。目撃者も物証も動機もなし。

犯人は家族か。使用人か。混迷する捜査に、新聞はセンセーショナルに書きたて、一見裕福で非の打ち所のない一家であるものの、その実態は不貞や精神異常の秘密を抱え込んだ家だったのではないかと世間が注目を向けていた事件であった。

本書はこのロード・ヒル・ハウスの殺人事件のあらましとその捜査の過程を縦糸に。捜査を担当するウィッチャーら最初の刑事たちの活動とその姿を横糸として浮かび上がってくるのは彼らを題材に小説を書いたディケンズなどのお話しなどをはじめとするヴィクトリア朝時代のイギリスの文化・風俗だった。

この時代のロンドンは都市人口が膨れ上がり、都市そのものが新たな形相を見せはじめて来た時代であった。つまり、お互いに顔も名前も知っている者同士の人間関係に加えて、縦横無尽に広がる都市に集まる、顔も名前も知らない、そして二度と会うことのない人同士の関係の拡大だ。

日常生活における顔も名前も知らない者との関係の比重は都市の拡大に比例して大きくなっていく。そしてその隙間に付け込んでくるのが犯罪であった。ロンドンでは増える犯罪がまた大きな問題となっていった訳だ。

スコットランドヤードではこの新しい問題に新たらしい組織で対処していく。


 1842年、首都圏警察の委員会は、小規模な刑事課の創設許可を内務省に願い出る。そして、グッド(愛人を殺してばらばらにした御者)の捜査のような殺人事件捜査や、複数の警察管区にまたがる重大犯罪の捜査を統合するには、中央集権的な精鋭集団が必要なのだと説いた。その警官たちが私服でいいとなれば、なおいっそうの成果があがるはずだ、と。それぞれの受け持ち地域を放棄し、制服を脱ぎ捨てて、自分たちが捜索する悪党と同じように匿名の神出鬼没の存在になったのだ。ジョナサン・ウィッチャーとL(ランベス)管区のチャールズ・ゴフは、最年少ながら、両名とも数週間のうちに部長刑事(サージャント)になった(通例は昇進に最低限必要な巡査としての勤続5年に、ウィッチャーはほんの一ヶ月足りなかったが)。こうして、その課で二人の警部のもとに仕える部長刑事の数は6人となる。


社会生活の変容は私生活にも大きく影響を与えていく。外での生活の変貌・変化の圧力が家庭内の人間関係に影響を与えていたのだ。そしてそれは家族全員の人生に多大な影響を与えるほど大きな波紋を生むものすらあった。

やがて明らかになってくるロード・ヒル・ハウスの家族が抱えていた複雑な家庭事情。それは膨れ上がるロンドンの喧騒なかで生まれた所業がひっそりとそして確実に家庭内に忍び込んでいった結果として不気味な不協和音を奏で出していったのだった。行きずりの人間関係と違い、家庭内での人間関係は逃げ場がない。そこで起こる不幸な或いは理不尽な出来事は個人を追い込んでいく。

犯人はだれか。そしてその動機はといったこの事件の経過と真相だけでも十二分に驚くべきものがある訳なのだが、この事件を足がかりとして浮かび上がってくる大都市ロンドンの暗部というものもまた予想を超えた姿で僕らの前に立ち上がってくる。見事だ。圧巻であります。

この事件の核心は大都市に顔のない群集の一人として生きる我々現代人と我々が直面する事件・犯罪と全くもって同等であることに気付く。日本でも今現実に起こる殺人事件はどうみても、行きずりの名前も知らない他人同士のものよりも、家庭内、家族同士で殺しあったものの方が多い気がする。これらくり返される夥しい事件の動機となるものはやはり外の社会との繋がりのなかで生み出されたものに起因しているということなのだろうか。ほんと本書はすご本でありました。




△▲△

ルポ アメリカの医療破綻
(SICK:
The Untold Story of America's Health Care Crisis-
-and the People Who Pay the Price)」
ジョナサン・コーン(Jonathan Cohn)

2012/04/01:本年度最初の一冊です。2010年アメリカ、オバマ政権は大変な難産を経て国民皆保険の導入が決まった。上院で揉め、下院でも医療保険改革法案を賛成219、反対212という僅差で可決というぎりぎりの攻防だった。導入前のアメリカ国民の6人に1人は無保険状態なのだという。

数年前に流れたニュース映像では、無保険の人たち向けに医療を施すボランティア活動が実施されている様子が映されていた。それは公園に大きなテントを建て、集まってきた人たちに治療をしているところや、受診を待つ人たちの様子などがあった。様々な人種、老若男女入り乱れていて、中には車椅子の少年の姿もあったことに僕は驚いてしまった。

無保険?

僕の母は白血病で亡くなった。闘病は数年間に及んだが高額療養費の給付が受けられたため手厚い治療を受けることができた。

母の件があるまでこうした病気治療にかかる費用は各自がかけている生命保険のオプションで賄う必要があるものだと思っていたのだけれど、いろいろと条件はあるものの高額な負担が生じないよう給付が受けられる制度が用意されているのを知ってとても安心したことを覚えている。

半年以上の長期入院をくり返した母の治療費の大部分に給付があったことは本当にありがたいものでした。

僕は比較的頑丈なので今のところ普段病院のお世話になるのは、インフルエンザの予防接種や花粉症や高血圧の薬をもらう程度なんだけど、健康保険のお陰で治療費や薬の代金の一部を負担するだけですんでいる訳だ。

病院で支払うお金を仮に全額負担だったとしたらとつい計算して愕然とすることがありますよね。え、実際にはこんな値段なのかと。

ここから二つの話が進む。

先ずはこの金額が果たして適正なものなのかどうなのかというものだ。必要な治療なのかどうなのか一般人の我々にとってはわからない。言ってみれば向こうの言いなり、言い値なわけだ。風邪や花粉症程度なら比較もできようが、命に関わる大病や重症の場合には正にケース・バイ・ケースで、比較している暇もないだろう。果たして医療費の適正性はどこまで徹底できるのかという問題。

そしてもう一つの話は無保険で突如隕石のように病気や怪我が降りかかってきたらどうなるのかということだ。高血圧を放置して、花粉症で痒い目や止まらないくしゃみを我慢して仕事をする?それがもっと深刻な病気だった場合にはどうする、というかどうしろというのだろうか。

アメリカでは現実にこの無保険者が病気や怪我によって治療もできなければ、働きにでることもできなくなり、生活が崩壊してしまうという事態が現実に起こっている。そして政府はそれを放置してきたのだ。

オバマ政権の国民皆保険の導入は、こうした無保険者たちを社会保険制度で救済しようという至極当然の政策であるように見える。しかし、この国民皆保険の導入はクリントン政権時代から繰り返し頓挫してきたのである。

アメリカは皆保険の導入で新たに3200百万人の医療保険加入が見込まれているという。無保険のアメリカ人は5000万人ともされており、つまりはそれでも尚膨大な無保険の人たちが残されるのだ。こんな事態に対して導入に反対に回る政治家たちやそんな主張を支持する有権者達というのは一体何を考えているのだろうと思う。背景をよく知らない僕にとって最も違和感があったのはこの反対に回った人たちの信条だ。

直前に公表されたラスムセン全米世論調査では大統領の改革案への賛成は41%、反対は54%だったという。何よりこの医療にかかる費用の調達をどうするのかという議論がある。しかしその背後には保守派、中道派は「国営が民営を圧することでの民間産業の活力の衰え」や「医療面での個人や民間の選択の自由の政府による抑圧」だという声があり、その根底にはアメリカ合衆国の原点である個人の自由と権利という次元に戻る哲学的な拒否反応があるのだという。

それでも僕には全然ピンとこない。来ます?

日本ではTPPの導入に対してセンシティブな反応が巻き起こっているがビートルズのポールこと野田のおっさんは政治生命をかけて導入に邁進する所存らしい。あっと政治生命は消費税増税に賭けてたんだっけか。つまりは失敗したら政治家をやめるということなハズなので、先ずは目先の消費税増税に失敗して早く視界から消えて欲しいと思う次第だ。ほんと。ビートルズだってよ。わはは。カバか。間違ったバカか。

TPPの導入にあたって米通商代表部(USTR)は日本に国民皆保険などの公的保険制度の変更を求めない意向を示しているとは云うものの、農業であったりアメ車を買えとか個別分野でろくでもないことが起こり、日本というか一般市民にとって不利だと僕は思う。政府は国民に対する説明不足を反省するというようなことを言っているけれども、この件に関しては日本政府もアメリカの米通商代表部の連中も基本的に信頼できない相手にしか見えていないため、どんなに説明したって無駄な気がする。だってそんな説明読む気しないもんね。全然。

本書は、「ニューリパブリック」のシニアエディターで「ニューヨークタイムズ」や「ワシントンポスト」、「ローリングストーン」にも寄稿するジャーナリスト。アメリカの福祉や医療問題が専門で何度も受賞暦のある人なのだという。

序章  ある急患の死―ボストン
第一章 普通の市民の医療破産―ギルバーツヴィル
第二章 悪徳医療保険に気をつけろ―デルトナ
第三章 “市場原理”にはさからえない―オースティン
第四章 行き詰まる退職者保険制度―スーフォールズ
第五章 メディケイド(低所得者向け医療保険)―ローレンス郡
第六章 病院は敵か味方か?―シカゴ
第七章 無保険者は死ととなり合わせ―ロサンゼルス
第八章 精神疾患医療は誤解だらけ―デンバー
結論  国民皆保険の実現に向かって―ワシントン
解説 「健保弱者」への対処は日米共通の課題---鈴木研一


ここで語られるケースはそれこそ悪夢としか言いようのない無保険者の人たちの窮状だ。読んでいて激しい憤りを感じるような事態の連続に僕の血圧もかなり上がってしまったのではないかと心配になるほどでありました。

また、この本にはアメリカ合衆国が歴史的に国民皆保険の導入とは反対の方向へ進んできた歴史も紐解かれていた。読んでみればなるほどなのだが、やはり手厚い社会保険に守られている僕らの目線から見るとその過去面々と採られてきた選択には違和感というか、後知恵だが愚かなものに映ってしまう。

しかし、巻末の鈴木氏の解説にある通り、日本でも「健保弱者」は存在し、財政の問題と医療費の問題は現実の課題である。日本がかつてのアメリカのように国民皆保険の制度自体を捨てるようなことは当面起こりそうもないことではあるが、この「健保弱者」とその不利益を拡大する方向に制度改正を行ってしまう可能性は常にある。

政治家が財政つまりお金がないことを理由にしているときには疑ってかかるべきだと僕は思う。破産して無一文にでもなれば話は別だが、そうでない以上どこにどう金を使うかの問題はつまり、意思の問題だ。それはつまり日本という国、社会が老人や障害者の福祉に金を使うか、もっと別なことに金を使うかという意思の問題だということだ。アメリカの轍を踏んではならないし、そうならないように近視眼的な政治家に目を光らせ彼らがのこのこ舞台にあがってこないようにしなければならない。




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