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ここでは2005.04〜2005.06に読んだ本をご紹介しています。


科学を捨て、神秘へと向かう理性(RATIONAL MYSTICISM)」
ジョン・ホーガン(John Horgan)

2005/6/11:科学が究明できることには限界があり、その限界点に現代科学は既に達しているのではないだろうか?「科学の終焉」で人々をあっと言わせた切り口を見せたジョン・ホーガンの最新作。僕はこの人大好きだ。

「科学の終焉」が指摘するように、物理化学等の物質を扱う科学はその検証方法で壁にぶち当たり、これを打ち破る方法はどうもなさそうだ。宇宙の起源は以前に比べればかなり詳細に解ってきたとは言うもののその絶対的な証拠は提示できない。そしてその宇宙創造のその前 そこには何があるのだろうか これに対して宇宙論は答えることができない。やはり宇宙は神が創造したのだろうか?

我々の心に度々浮かび上がるのは次のような問いだ

わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか?
なぜ 創造なのか? なぜ 無ではなく何かがあるのか?

一方、「続・科学の終焉」でホーガンは生命や意識に対する科学は まだ黎明期どころか始まってもいない状態だとした。それらは似非科学、人種差別主義、宗教問題が複雑に絡み合い 本当のところ どれがほんと?という状態になっているという訳だ。

世界を全知全能の神が創造したのなら なぜこんなにも不公平なのか?
神はなぜこの世界を創ったのか?

現代科学はこれらの問いに上手に答えられているとは とても言えない。

僕たちはいつか必ず死を迎えこの世からいなくなる訳だが、とどのつまり死んだらどうなるのか?
死後の世界はあるのか?
魂は存在するのだろうか?
はかないこの瞬間ともいうべき僕たちの人生には どんな意味があるのか?
僕たちが家族と愛し合い 慈しみあうのは なぜなのか?

心霊現象や奇跡を見たりUFOや宇宙人に遭遇したという話や超能力等のような超常現象は 本当の事なのだろうか?
事実なのか心が勝手に本当だと思い込んだ結果なのだろうか?

「続・科学の終焉」の中でホーガンは自らをミステリアン主義と位置付けた。ミステリアン主義とは神秘体験がもたらす啓示こそ、心の謎に迫る道である可能性を信じるとする立場だ。この本は彼のこの表明で幕を閉じた訳だが、今回紹介するこの「科学を捨て、神秘へと向かう理性」は正にここから幕が開く形になっている。

「続・科学の終焉」のレビューはこちらでご覧頂けます。

今回のホーガンのアプローチは、神秘主義者達が神の奥義に近づこうと瞑想したり、幻覚剤を試したりとありとあらゆる事を試している。こうした試みはいつか本当にこれらの究極の問いに対する答えに我々を導いてくれるのだろうか?と云うものだ。

ホーガンは超常現象に対する人々の立場は以下の3つに要約されると考える。
1.サイ現象は奇跡であり、自然法則を越えた神業だ。
2.テレキネシスや透視は、自然現象で、おそらく量子力学に関連した、未発見の自然法則によって何時の日か説明できる。
3.この世のカオスから意味のあるパターンを抽出したいという、抑えがたい欲望から、サイ現象が生じる。

それぞれの立場を表明する科学者、医師、思想家、求道者達を訪ね、ホーガンはまたしても 世界中を駆け巡り 自らも「神の機械」を試し、幻覚剤アワヤスカ(インドの言葉で「死者の蔓」)を飲み問題の核心へと迫っていく。
そして更には感動的な結末を迎える本書は素晴らしい本になっている。

<目次>

・プロローグ リーナの羽
  われわれは誰?どこから来てどこへ行くの?
  そもそも神秘主義ってなんだろう?
  天国と地獄の幻影

・永遠の哲学
  エンセオゲン
  神秘主義と科学主義
  神の多重人格障害

・ポストモダン主義
  スティーブン・カッツはくもりガラスから見透かす
  聖なる狂気

・トランスパーソナル心理学
  フラットランドを見下ろして
  菩薩は虫をバシッと払いのける
  ニルヴァーナの逆説を解決する
  瞑想、望遠鏡、そして脳のスキャン

・神経神学はわたしたちを救えるか?
  アンドリュー・ニューバーグの疑義
  修道女の脳を検査する
  悟りとオルガスムスとスパンドレル
  側頭葉症候群

・神の機械
  大きなニッケルの故郷で
  おでこにタコの鉢巻き
  マインドコントロールとニューロンの暗号
  サイと神とパターン認識

・ヤギになったヒツジ
  サイ現象は燻製ニシンか?
  ミームの夢から覚めて
  永久の幸福の問題
  過呼吸と現実感喪失

・禅と脳
  オースティンのアイダホ私生活
  孔雀を探して
  説明上の大きな溝
  まやかしの扉

・LSD誕生の地で
  意識の世界
  石橋を叩いて渡る幻覚剤志向者
  アルバート・ホフマンの再考
  共感覚、クルーヴァーの図形、そして、超唯物論

・神の精神分析医
  フロイトをおいてけぼりにして
  輪廻転生と占星術
  本当のところ、わたしは誰でしょう?
  超空間に住むDMTエイリアン

・紫色の絢爛たるスーツの男
  ミレニアム・ホテルでしゃべりまくる
  映画「マトリックス」と小説「ザービル」
  最後のトリップに向かって
  自然は無関心さ、という原理

・アヤワスカ
  アンとサシャの助言
  乾杯!
  DMTのデミウルゴスに会って
  われわれがしっているものとしての生命の終わり
  ロープの結び目をほどく

・畏怖あふれる真実
  科学と神秘主義は和解した!
  アート、反語、そしてゴミ
  お楽しみの問題
  ワンネスと悟りのミームを退ける
  自由意志と他の慰め

・エピローグ 冬の満月

愛すべき本書の主な登場人物の方々

・ウィリアム・ジェームズ(William James )
1842年1月11日〜1910年8月26日
プラグマティズムの代表的人物。

 <著書>
  「心理学原理」 (1890)
  「信ずる意志」(1897)
  「宗教的経験の諸相」(1901)
  「純粋経験の世界」(1904)
  「プラグマティズム」(1907)
  「根本的経験主義」(1912)
  「哲学の諸問題」(1911)

ウィリアム・ジェームズによる神秘体験の定義
1.言葉では言い表せないもの
2.純粋知的(ノエシス)なもの
3.過渡的なもの
4.受身なもの
更に補足として
5.至福
6.万物との一体化(ユニオン)の感覚

・ケン・ウィルバー(Ken Wilber)1949年〜
アメリカの現代思想化、トランスパーソナル心理学の代表的理論家
「事実だけでは絶対に満たすことが出来ない、驚異的な神秘がある。」
マトリックス・アルティメット・コレクションの「哲学者による音声解説」にも参加している
 <著書>
  「統合心理学への道―「知」の眼から「観想」の眼へ」
  「万物の理論-ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで」
  「ワン・テイスト―ケン・ウィルバーの日記」(上) (下)
  「科学と宗教の統合」
  「量子の公案―現代物理学のリーダーたちの神秘観」
  「グレース&グリット―愛と魂の軌跡」(上) (下)
  「進化の構造」 (1) (2)
  「アートマン・プロジェクト―精神発達のトランスパーソナル理論 トランス  パーソナル心理学」
  「万物の歴史」
  「空像としての世界―ホログラフィをパラダイムとして」
  「構造としての神―超越的社会学入門」
  「無境界―自己成長のセラピー論」
  「エデンから―超意識への道」
  「意識のスペクトル」(1) (2)

オフィシャル・サイト
http://wilber.shambhala.com/

・ヒューストン・スミス(Huston Smith)
神智学的立場をとる宗教哲学者。「永遠の哲学」を提唱。
永遠の哲学が解決しようとしているのは
1.現実は、見かけより統一されている
2.現実は、見かけより良い状態にある
3.現実は、見かけより神秘的なものだ

 <著書>
  「忘れられた真理―世界の宗教に共通するヴィジョン」

・バーナード・マッギン(Bernard McGinn)
 <著書>
  「アンチキリスト―悪に魅せられた人類の二千年史」
  「フィオーレのヨアキム―西欧思想と黙示的終末論」

・スティーブン・カッツ
「究極の現実は、まさにその本質によって、われわれを逃れる。」

・アンドリュー・ニューバーグ(Andrew Newberg)
オフィシャル・サイト
http://www.andrewnewberg.com/default.asp

・ユージーン・ダキリ(Eugene D’aquili)

  「脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス」
アンドリュー ニューバーグ (Andrew Newberg), ヴィンス ローズ (Vince Rause), ユージーン ダギリ (Eugene D’aquili)の共著

脳神経学者のニューバーグとダキリが神秘主義的な主張を信じる4つの理由
1.神秘体験は、あらゆる文化にわたって同一な形態で起きている。
2.神秘体験は、他の体験より真実味を感じさせる。
3.神秘体験には神経的な対応がある。
4.神秘体験は自然で有益なものである。

・マイケル・パーシンガー(Michael A Persinger)
ローレンシア大学精神生物学、 超心理学者
側頭葉に対する電気刺激と思考の関係を研究、
側頭葉に電気刺激を与えることで幻覚を生じさせる「神の機械」を作成。
装置を装着したらあとは「ジブーンのチカーラをシンジールだけ!」

・アーサー・ダイクマン(Arthur J. Deikman)
トランス・パーソナル精神医学者
オフィシャルサイト
http://www.deikman.com/index.html

・スタニスラフ・グロフ(Stanislav Grof)
旧チェコスロヴァキア生まれ1950年代に同国で初めてLSDの研究にとりかかる1967年アメリカに移住、ジョンズ・ホプキンズ大学の精神医学研究所で研究1973年主流の学究的な世界を離れ、人間の潜在能力復活運動の揺籃の地、エサレン研究所で教えはじめるのちにカルフォルニア統合学研究所の教師になる。Holotropic Breathworkを主催

天地創造について「説明する事ができない神秘に閉口させられる。」

 <著書>
  「スピリチュアル・エマージェンシー―心の病と魂の成長について」
  「魂の危機を超えて―自己発見と癒しの道」
  「意識の臨界点 トランスパーソナルヴィジョン」
  「死者の書―生死の手引 イメージの博物誌」
  「深層からの回帰―意識のトランスパーソナル・パラダイム」
  「脳を超えて」
  「ホロトロピック・セラピー 自己発見の冒険」
  「個を超える(トランスパーソナル)パラダイム―古代の叡智と現代科学」
  「イメージの博物誌」 (10)

Holotropic Breathworkのウェブサイト
http://www.holotropic.com/index.shtml

・スーザン・ブラックモア(Susan Blackmore)
英国ブリストル大学の脳知覚研究所の講師
リチャード・ドーキンスが提唱したミーム理論を推し進める。無神論、科学主義的
 <著書>
  「ミーム・マシーンとしての私」
  「生と死の境界―「臨死体験」を科学する」

問い「あなたにとって悟りとは?」
答え「全面的な自己超越、いいかえると、ミームの夢から目覚めること。」

オフィシャルサイト
http://www.susanblackmore.co.uk/index.htm

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マンモスの運命―化石ゾウが語る古生物学の歴史
(Le Destin du mammouth)」
クローディーヌ・コーエン(Claudine Cohen)

2005/05/14:本書はクローディーヌ・コーエンが1994年に著し、フランスではロベルヴァル賞と ジャン・ロスタン賞を受賞した。内容は、サブタイトルに寧ろ明確だ。古生物学の夜明け前から、今日までの発展をマンモスの存在を人間がどのように認識してきたかを背骨として語ろうというものだ。

第1部 イメージ(マンモスの出現)
第2部 神話(聖アウグスティヌスと巨人
ライプニッツの一角獣
あるゾウの鑑定―ロシアの「マモント」とゾウとノアの洪水)
第3部 物語(「驚くべきマムート」とアメリカ国民の誕生
マンモスと「地表の革命」
ヴィクトリア女王時代のマンモス
マンモスと人間)
第4部 シナリオ(系統樹の中のマンモス
アフリカからアラスカへ―マンモスの旅程
マンモスの生と死―絶滅のシナリオ
マンモスのクローニング?―ゾウとコンピューターと分子
結論―古生物学史のために)

古生物学の歴史を語る上で、マンモスに対する認知の変化を主軸に持ってくるというアイディアは、かなり良いアイディアだ。あっと言わせるものがあると思う。言われてみれば至極当然。解りやすく読み物としても大変面白いものになるであろう。と思わざるを得ない視点だ。

マンモスの頭蓋骨を巨人の存在した証拠だとしていたり、山頂で発見される貝や魚の化石を生き物の痕跡なのか偶然そんな形の石なのかで激論を戦わせたり、はたまたこれこそ旧約聖書に書かれた洪水の証拠だとしていたりしていた時代から現代まで、それは古生物学の歴史ばかりか我々人類の哲学的宇宙観、宗教観を浮かび上がらせてくる。

巨大なマンモスの臼歯をかつて地上に存在した巨人のものだと自分も思い込んでみよう。当時の人が感じた畏怖と神に対する畏れを少しは共感する事ができるような気がする。素直な心で読みきれば、大変示唆に富んだ良書という事ができるだろう。

しかし、どこかひねくれもののおやじの心は一歩引いて本書を眺めてしまうのだ。先ずスティーブン・ジェイ・グールド(Stephan Jay Gould)の序文。彼が序文を寄せるという事は大変な名誉であろう。それ自体はなんら問題は無い。しかし、彼は本書の着目点を必然的として受け流しているばかりか本書の概要を堅苦しい文章で慌しく説明してしまうのだ。みんなはこれから読むんだぞ。しかもこの本を手にしようという読者層はプロたる彼の言うところの「おしゃべり知識階級」とかポップカルチャーとかと見下してる人々ではないのか。というなんとも感じの悪いものなのだ。

まあいい。あくまで序文である。しかし、本文に入ると著者のクローディーヌ・コーエンは何かにつけグールドを引き合いに出してくるのだ。これはもう「おべんちゃら」だ。「すぐれた進化論学者」で「寛大な愛書家」のグールドが「所有している貴重な本」だと。椅子から落ちそうになりました。おっと読んでるときは電車で立ってたのでこれは嘘。

しかも、進化論を交え一般書の体裁をとりつつリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)は名前すら出てこないのだ。ただの一度も。そしてあの序文だ。部外者にとって、本書に登場する人々がどんな関係にあるのかなんて解らない。彼ら研究者のネットワークで気付かないうちに偏った情報を与えられてしまうというのは、気に入らない事この上ない。

こうして更に一歩引くと彼ら科学者達は古臭い村の論理でネットワークを築きその中で生息する生き物なのかと感じないだろうか。そう今時そんな生き方でやってられるのは政治家だけかと思ってたが。

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スピード・クイーンの告白(THE SPEED QUEEN)」
スチュアート・オナン(Stewart O'Nan)

2005/05/04:行きずりで大勢の人間を殺し、スピードクイーンと呼ばれた女性死刑囚が死刑執行を待つ間に、この事件をノベライズする権利を買ったスティーブン・キングと面談し、彼が出した質問に答えている。キングはカセットテープに彼女の回答を録音している。本書はこの彼女の返答だけで成り立っている。

彼女が話しかけているのはスティーブン・キング本人なのだという事、そして彼女の口から語られる事で垣間見えてくる事件の実態は、いかにもキングが題材にしそうな偶発的で悲惨な出来事である事。ジャンクフード、TV、合成麻薬、そしてマッチョな車。本書全体から醸し出されるキングっぽさは見事だ。そして、カポーティーの「冷血」を彷彿とさせる物語の奥底に潜む闇の重さ。薄い部類な本の厚さに騙されてはならない。数多くのギミックを駆使するスチュアート・オナンはなかなかのやり手のようだ。

アメリカではかなり高い評価を受けているスチュアート・オナンだが、翻訳されているのは本書のみだ。あとがきでは、当初本書のタイトルを「Dear Stephen King」にしようとしたが本人と裁判沙汰になり敗訴し現在のものにしたというような事が書かれているが、定かではない。

最近オナンとキングは「Faithful」という本を連名で出版している。二人は熱烈なレッドソックスファンでメールのやり取りが発展し実際の2004年の試合についてアナウンスをオナン、解説をキングが行ったもののようだ。これが日本で出版される事はなさそうだが、かなり楽しい内容になっているもののようだ。

訴訟相手とこんな本出すのだろうか?

更にオナンのオフィシャルサイトでは、自身が作家になった経緯にキングの名を挙げているばかりか彼の本「The Night Country」にはキングが感想を述べたりもしている
“...scary, sad, funny...mesmerizing read...”- Stephen King

二人はかなり仲が良いと考える方が普通ではないかと思うのだが。もしかして訴えたとかその事自体が彼らの悪ふざけではないかという気もする。彼の本が訳出されないのは、この悪ふざけで出版社をコケにしたからなのではないか等と嫌味な妄想も広がっていく。

本の厚さを越えて読者を翻弄する本書はキングっぽい悪意とギミックに満ちている訳だが、その描かれているその事件の核心との微妙な距離感を置くための装置として機能し、読後じわじわとその実態を表すような仕掛けになっているのだ。その実態についてはもう読んで頂くしかない。

スチュアート・オナンのオフィシャルサイトはこちら

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やわらかな遺伝子(nature via nurture)」
マット・リドレー(Matt Ridley)

2005/04/28:サイエンス・ライター、マット・リドレーの「やわらかな遺伝子」、前著の「ゲノムが語る23の物語」での語り口がとても心地よかったので、さっそく手にしてみた。前著同様、期待通りの鋭い切れ味と時折見せるちょっと毒の有るユーモアが楽しい仕上がりになっている。この人ほんと面白いな。

本書のテーマは、前著でも触れられていた最新の遺伝子研究に得られた理解から「生まれ」か「育ち」かという議論を更に掘り下げた形になっているものだ。

要は本能や能力のにように、元々個体に備わっているかのように見えるものは、本当に「生まれ」によるものなのか、精神や行いの貴賎は「育ち」で調整が可能なものなのかという考えが、その線引きをはっきり明確にできるのかどうかという問題だ。

プロローグ 12人のひげづら男
第1章 動物たちの鑑
第2章 幾多の本能
第3章 語呂のいい便利な言葉
第4章 狂気と原因
第5章 第四の次元の遺伝子
第6章 形成期
第7章 学習
第8章 文化の難題
第9章 「遺伝子」の七つの意味
第10章 逆説的な教訓
エピローグ 麦わら人形

遺伝子によってに才能や能力に差が生じるという考えはかつて、優生学は遺伝子を調べたら泥棒や殺人者の遺伝子が含まれているとか、天才、公正無比で温厚な性格の遺伝子がある人の子孫を増やすといった類の議論を巻き起こし、更にはナチスによる残虐な事件を起こした事で造り上げてしまった悪いイメージから敬遠され続けてきた。

しかし最近の遺伝子の解読によって個体の体質から能力や性格等の差異がある特定の遺伝子によって発現したり、言葉を話す能力やその個体の性格を左右したりする遺伝子の働きの発見によって再び議論が再燃しつつある。

しかし、一方こうした遺伝子のは働きは当時考えられていたような決定論的なものではなく、例外は常にあるとしても一般的には複数の遺伝子が関わり、それらによって生み出されるタンパク質によって生じる差異であり、これらの相関は非常に複雑な組み合わせによって起こってくるものである事も明らかになってきた。

同じ遺伝子でもスイッチの入り方によって発現する結果が大きく異なったりする。その発現にはなんと、外的要因によるスイッチのセットという条件がついているというものだ。これは育つ環境が遺伝子のスイッチのオンオフに関わっているという事であり、つまり「生まれか」「育ちか」のどちらか一方ではなく、「生まれ」によって元々持っている遺伝子が「育ち」によってスイッチが入れ替わって行く事で個体間の差異が生じるという事なのだ。

それは互いに影響を及ぼしあい、また外的環境によっても柔軟に発現をコントロールしているように見える。なので、本書のタイトルは「やわらかな遺伝子」となっているのだ。

ブラッド・ピットやアインシュタインからテッド・バンディ、アンドレイ・チカチーロと僕の遺伝子上の差異は限りなく小さい。

また身体を造り上げている設計図として見ると、サルやゴリラはおろか、マウスもハエも共通の遺伝子をパーツとして利用している。

この事実を付きつけられて先ず感じるのは、この英知は如何にしてもたらされたものなのかという事だろう。「神の見えざる手」を実感する人もいるだろう。

ところで、知的好奇心を満たす上では、スティーブン・ジェイ・グールドよりリチャード・ドーキンスだと思う。またグールドの本は、優等生っぽく、どことなく性格の悪さが滲み出ているようであまり好きではない。ミーム論はやや走り過ぎだろうと思うけど、ドーキンスの方がずっと実験的、野心的な発想を持っていると思う。

この二人が互いの著書で相手を時折攻撃していたのは知っていたが、意見の相違が具体的にどこなのかは、どうもハッキリしていなかったのだけど本書を読んでよく解りました。リチャード・ドーキンスとスティーブン・ジェイ・グールドの確執の起点となったこのポイントはこの「生まれ」か「育ち」かであったのだ。ドーキンスはある程度「生まれ」が影響するという姿勢でいたのに対し、グールドは優生学を強く否定し、「育ち」だけで全てを説明しようとしていたのだ。ほほう。

本書については、もっといろいろ掘り下げたいのだが、今日から仙台へ帰省する為、この辺で失礼します。




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「ブラック・ウォーター(BLACK WATER)」
T・ジェファーソン・パーカー (T.Jefferson Parker)

2005/04/24:T・ジェファーソン・パーカーの本が初めての方。この本からとっかかってはいけない。何故ならシリーズ第3作目だからだ。「サイレントジョー」がとても良かったので早速手にした本書だったが、本書は「ブルー・アワー」と「レッド・ライト」に続くシリーズ第3作目。僕は気付かないまま読みきってしまいました。大失敗。

本書の出版当時この2冊は共に未訳だったが、現在は講談社文庫から出版されている。しかも何故かAmazonの検索では「レッド・ライト」のだけ著者名がパーカー.T.Jとなっており一緒にヒットしてくれないという念の入れようだ。
解説を注意深く読めば気付いた事が尚更悔やまれる。「サイレントジョー」のレビューで「全部読む!」と意気込んだが、早速旗を下ろします。

本書の内容についてはもうあまり多くを語るまい。どこかわからないが前作のネタバレになっている筈だからだ。共に愛し合っう理想の夫婦であった保安官補とその妻だが、妻が射殺され、彼は頭部に銃弾を受け瀕死の重傷を負う。

読者は最初からこれが何者かの手によるものだと知らされているが、事件は夫である保安官補の無理心中という線で捜査が進む。しかしここれがどうにも展開がなくて動きが悪い。そこに過去からの複線が多く絡んでくるのだが、シリーズ物と知らずに読んでいた僕は、それ自体が本書の後半で明かされると思い込んでた。最初からまるっきり読み違いしていたという事だ。順を追って読んでくれば、評価も違ったであろう。

ちゃんと調べずに読んだ自分が悪いのは認めよう。出版社も会社である以上利益を上げていかなければならないのは判るが、自己都合優先の結果が、寧ろ不利益になっている。こうゆうのは昔っからだけど、ちょっと不親切じゃないか?という事でいろいろ思い出してきた。

トマス・ハリス(Thomas Harris)は大部分新潮社だったが「レッド・ドラゴン」だけはハヤカワ文庫で確か前後逆に1月違いで出版された。この時は危うく難を逃れた。ハンニバルが出るのを待ちきれずランダムハウスの原著を手に入れた。読み終わる前に翻訳本が出たときは泣けた。

ロバート・ラドラム(Robert Ludlum)のジェイソン・ボーンシリーズ3部作は出版社が泣き別れした。「暗殺者」がとんでもない出来だったので、奪い合ったのね。きっと。

マイクル・コナリー(Michael Connelly)のハリー・ボッシュシリーズは扶桑社から講談社へ引き継がれ時間軸が前後しだしてる。

ドン・ウィンズロウ(Don Winslow)のニール・ケアリーシリーズが完結してない。(2006年漸く全てが刊行されました。安堵。東江一紀さんに大感謝だ。)

ミステリアス・プレスのトニイ・ヒラーマン(Tony Hillerman)は抜けがあり「転落者」がDHCから出たきりで音沙汰がない。面白いんだよ。ほんとに。

J.J.マリック(J. J. Marric)のギデオンはシリーズなのに1冊だけ?向こうでは大御所ですよ。

ましてジョン・D。ジョン・D・マクドナルド(John Dann MacDonald)のトラヴィス・マッギーシリーズはシカトですか?賭けで手に入れたハウスボート「バステッド・フラッシュ号」に住み、車を「ミス・アグネス」と呼ぶトラヴィスに惚れた。何でジョン・Dが売れないのかとっても不思議。原著に挑戦したが余の力不足でこれも断念。誰か僕の為に訳出してくれ。

ジョン・ル・カレ(John le Carre)のジョージ・スマイリー物はまだまだ追いやすい方で、レン・デイトン(Len Deighton) となると、そもそも「海底の麻薬」がそう簡単には手に入らないだろう。古本屋で発掘した時は狂喜したっけ。

角川のマイ・シューヴァル&ペール・ヴァール(Maj Sjowall & Per Wahloo)のマルティン・ベック・シリーズは最初は文庫で出版順が飛んでた。売れ出したら後半から単行本になった。

ちょっと前に書いたデニス・レヘイン(Dennis Lehane)がデニス・ルヘインなのかデニス・レヘインなのかはまだ序の口。

こうした事を発見したり一喜一憂してた。それは一つ一つが楽しい思い出。こうして考えるとこのなんとも不親切で不案内な海外ミステリの世界。複数の名義で書き分けている作家も大勢いるこの複雑な世界を、外れを引きながらもエクスプロールする事が楽しいのだ。怒っちゃいけない。

最近は本棚がちゃんとしている書店が少なくなってきている。知っている作家、知らない作家もどんな本を書いているのか本棚を読むのだ。本読みにとってはちゃんとした本棚を揃える書店をサーチしたり、大きな書店の本棚を読むという行為も読書の大切な領域だ。これを怠ると面白い本にも出遭えなくなるのだ。
そして出版社のこの不親切さも実は「ねぇねぇ、ほんとは わざとなんでしょ?」辞められませんね。この世界。


「サイレント・ジョー」のレビューはこちらから

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ハートブレイカーHeartBreaker)」
ロバート・フェリーニョ(Robert Ferrigno)

2005/04/16:マイアミの麻薬組織の一員バル(バレンタイン)・デュランはある日ボスに呼び出された。同じ組織で働く相棒であり親友のステファノが潜入捜査官だったと告げられ、目の前で惨殺される。ステファノは死ぬ前に拷問に掛けられるがバルの事は何も語らなかったという。シロだ。ステファノが何かを白状すれば自分も同じ目に会うところだった訳だ。

8ヵ月後バルはロスアンジェルスにいた。逃亡してきたのだ。微かな警告も見逃さずにいる事が生き延びる秘訣。今は映画のアクションアドバイザーとして働いている。足取りをうまく消したのだろう。しかしまだ全く油断はしていない。同じアパートの住民とも接触を避けているバルだが、階段でダイビング機材を抱えた魅力的な女性カイルと出遭う。

金持ちの家の御曹司キロ。彼はキロ単位のマリファナを所持していた事で逮捕されそう呼ばれるようになった。キロは四つ星のレストランで豪遊しているところで出遭った赤毛の女ジャッキーにかどわかされる。金持ちを襲って金品を奪う強盗だった。相棒は野獣の様な巨体のデッカー。親に信用のないキロは換金できるもの何も持っていない事から二人に殺されかける。そんな二人にキロが持ちかけた取引は「幾ら払えば母親を殺してくれるか」だった。

主人公がセミノール、正確にはセミノール族と白人の混血という設定。何故かまたインディアン繋がりだ。切り詰めた断片がガシッと束ねられる前半のダッシュが素晴らしい。キャラも立っている。それだけで読む価値はある。

本書はポスト・チャンドラーと呼ばれるロバート・フェリーニョの1999年の作品。難点を言わせて貰えば、断片が繋がり出すとどんどん重くなって、動きが悪くなって行く事だ。前半のスピード感が心地良い分惜しまれるところだ。そして本は厚みでエンディングまでの距離を体感しながら読んでいる訳だが、この後半のスピード感でどう着地しようとしているのか、ちょっと心配させられました。まさか、そんな所を狙ってませんよね。

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ハートブレイカー(HeartBreaker)」

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時を盗む者A Thief of Time)」
トニイ・ヒラーマン(Tony Hillerman)

2005/04/09:インディアン繋がりで懐かしくなった僕は「時を盗む者」を引っ張り出して再読。うーむ何度読んでも面白い。

遺跡からアナサジの壷を発掘していた女性文化人類学者エリナー・フリードマン−バーナルが失踪。最愛の妻を亡くし無為な日々を重ねているナヴァホ警察の警部補ジョー・リープホーンは彼女の失踪を捜査する事になった。

彼女の部屋を見る限り自分の意思で失踪したという線は殆んどなさそうだ。ナヴァホ警察の巡査にして歌い手(ハタタリ)になる事を夢見るジム・チーは警察署の駐車場からいつの間にか盗まれていたトレイラーの事件のミーティングに退屈していた。時に心ここにない事を見透かされ、警察署の駐車場と表通りを巡回パトロールするように命じられてしまう。

悔やんでも仕方がない。真面目にパトロールを繰り返すチーだが、コンビニで発生したトラブルの対応をしている間に今度はバックホウを盗まれてしまう。

退職願が受理されたリープホーンは、彼女のスケジュールに書き込まれていた福音伝道師スリック・ナカイのところを訪れた。彼の所に来る信者は貧しく献金の代わりに壷を持ち込むインディアンもおり、エリナーはその壷がどこから出土されたか調べたがった事から彼と接触していたという事だ。

彼女はアナサジのなかでも特徴のある壷からある陶工を特定し、その足取りを追っていたのだ。スリック・ナカイの所へ持ち込まれている壷は合法的であるという建前だが、盗掘によるものだという事は明らかだ。

墓を曝く行為は、死者の魂を尊び、死を恐れ、死と接する事をタブー視するナヴァホにとって忌むべき行為だ。それは時を盗む者と呼ばれる。

そのナカイ氏の場所に現れるジム・チー。
「ヤー・テー」

彼は駐車場の盗難事件の犯人を追ってこの場所に行き着いたという。

リープホーンの老練な推理による地道な捜査と、直感と行動が先行するジム・チーの物語が前後して進む展開は、こんなに薄い本なのに内容が非常に濃い。リープホーンの捜査能力に敬意を持ち、時として蚊帳の外に置かれ静かに怒るジム・チーとリープホーンの親子にも似た愛憎が絡み正に繰り返し読み続けたいと思わせる第一級のスリラーだ。

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時を盗む者 (A Thief of Time)」

「黒い風」のレビューはこちら>>
「魔力」のレビューはこちら>>
「話す神」のレビューはこちら>>
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蛍に、照らされた女。The Woman Lit By Fireflies)」
ジム・ハリスン (Jim Harrison)

2005/04/09:現代のヘミングウェイとも目されると云うジム・ハリソンの1990年に出版された短編集「蛍に、照らされた女。」。「ブラウン・ドッグ」「サンセット特急」「蛍に、照らされた女。」の3篇が収められている。

「ブラウン・ドッグ」B.D、ブラウン・ドックのあだ名を持つ主人公は湖に沈む船から金目のものを引き上げる違法な行為を生業にする男。ある日単独でダイビングした際に湖底でインディアンの死体を発見する。

この湖の底では死体が腐敗しないのだ。

死体を欲しがっている奴がいる。引き上げた物を買い受けている業者から告げられたB.Dはインディアンの死体を引き揚げる事にした。成り行き任せで生きているB.Dの生き様が乾いた放物線を描くピカレスク小説。

「サンセット特急」人里を離れた牧場を細々と営む中年の女性の元に転がり込んできた男は20年前に学生運動で一緒に活動した仲間だった。その名もワイルドバンチ。

傷を癒す間もなく再びいずこへと。

そしてある日男がメキシコで投獄されたというニュースが。良くて禁固50年。

彼を救い出すために離れ離れになったメンバーの元を訪ねるべく女はサンセット特急に乗り込む。

どれも登場人物の設定が見事で物語の展開も良い。なかでも本編は驚くべき展開を見せる。途中までうっかり時代背景を読み飛ばしていた僕は2度びっくり。

「リチャード・ブローディガンは2年ぐらい前に死んだ。」と言っているので彼が自殺したのは1984年だから1986年という事になる。これは是非映画にして欲しい。

「蛍に、照らされた女。」傍目では何不自由ない生活。優しい夫。何か満たされない自分を否定する毎日だ。そんな彼女はある日旅先のフリーウェイ休憩所から、衝動的に着の身着のままトウモロコシ畑へ踏み出していく。

「死ぬには、もってこいの日。」のレビューが、こちらでご覧頂けます。>>
「神の創り忘れたビースト」のレビューが、こちらでご覧頂けます。>>

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蛍に、照らされた女。 (The Woman Lit By Fireflies)」

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インディアン・キラーIndian Killer)」
シャーマン・アレクシー (Sherman Alexie)

2005/04/09:「リザベーション・ブルース」がかなりイケてたので、こちらも読んでみた。ミステリ仕立てとか、殺人鬼といった謳い文句が並んでいるが、実態は全く違う物語だ。

未成年の母親から誕生直後に裕福な白人家庭に引き取られた主人公は、母親の顔は勿論自分の種族が何かすら知らず、アイディンティティを持つ事ができないまま大人になった。冒頭のベトナム戦争を髣髴とさせる海兵隊ヘリがリザベーションを急襲し出産直後の赤ん坊を受け取ると重機関銃を掃射しながら飛び去るシーンはトリックスター、シャーマン・アレクシーの面目躍如たる所だ。

白人社会からはインディアン扱いされ、インディアンの中に溶け込む事も出来ない。そんな彼は、インディアンの牧師の自己矛盾と失踪に大きな衝撃を受け、只管愛情を注いてきた養父母にも心を閉ざし、徐々に精神のバランスを失っていく。唯一居場所として見出した都会の高層ビル建築工事の現場作業員としての職場も失う。

そんな彼の心に降ってきた言葉は「白人を殺せ」。彼が重ねる殺人は白人社会が絵に書いてきたようなステロタイプなインディアンの所業だった。

彼の行動に共鳴するアーバン・インディアン層。あからさまにインディアンの好きにさせるなと殺気立つ保守派。インディアンの虐げられた歴史を恥じ入り、その文化を愛し、更には同化を望む者もいるリベラル派。種族のアイディンティティを優先し、理解を示し歩み寄ろうとする部外者に心を閉ざす者。そして都市の底辺にはあらゆる人種がアイディンティティを失い路上生活をしている。それぞれの立場の登場人物達が交錯し、縺れ合い物語は一つの結果を抉り出してくる。それはインディアン・キラー。それは白人社会が北米大陸に第一歩を踏み出した瞬間から決して止むことなく続いているものだ。

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インディアン・キラー (Indian Killer)」
リザベーション・ブルース (Reservation Blues) 」
ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う(the lone ranger and tonto fistfight in heaven)」

「リザベーション・ブルース」のレビューはこちらからどうぞ

2005/8/13「ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う」のレビューを追加しました。こちらからどうぞ

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