This Contents

2012年度もいよいよ最終コーナーを曲がりました。今年はどんな年になるのだろうか。そんな思いで今年は初日の出を拝ませてもらいました。今年僕は数えで50歳。細々続けてきたこのサイトもまる10年です。気持ちも新たに頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくおねがいします。

RL-ロバート・ジョンスンを読む
アメリカ南部が生んだブルース超人

日暮泰文

2013/03/24:面白かった。予想以上に深かった。「ロバート・ジョンスンを読む」。本書なくして僕はロバート・ジョンスンも彼の曲の意味を知ることはできなかったろう。そもそもロックだブルースだといった音楽に対する理解も本書によって深まったと思う。

ロバート・ジョンソン本名はロバート・リロイ・ジョンスン(Robert Leroy Johnson)、1911年5月8日にミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれた。単にRLと名乗ることもあった彼は、短期間に見違えるようにギターの腕を磨き舞台に上がってきたことから悪魔に魂を売ってギターテクニックを手に入れたと噂された。RLはその取引をするために十字路で悪魔がくるのを待ち構えていたのだと云うクロスロード伝説を生んだ。それほど彼のギターは瞠目の技巧であったのだ。

演奏中周囲の友人が止めるのも聞かず封の切られたウイスキーを口にし、体調を激しく崩した彼は1938年8月16日苦しみのうちに絶命する。おそらくウィスキーにはストリキニーネのような毒が盛られていたのだった。27歳。短い生涯で遺した29曲の音源はブルースの枠組みを超えロックなどの大衆音楽の一大ストリームに多大な影響を与えていく。

そうそう、シャーマン・アレクシーの「リザベーション・ブルース」でスポーカン・インディアンの火起こしトマスが十字路で出会うのが、実は死んでなかったロバート・ジョンスンなのでありました。そのジョンスンから呪われたギターをもらってしまった火起こしトマスの物語も味のある作品でありました。

01."Kind Hearted Woman Blues"
02."I Believe I'll Dust My Broom"
03."Sweet Home Chicago"
04."Ramblin' on My Mind"
05."When You Got a Good Friend"
06."Come On in My Kitchen"
07."Terraplane Blues"
08."Phonograph Blues"
09."32-20 Blues"
10."They're Red Hot"
11."Dead Shrimp Blues"
12."Cross Road Blues"
13."Walking Blues"
14."Last Fair Deal Gone Down"
15."Preaching Blues (Up Jumped the Devil)"
16."If I Had Possession Over Judgment Day"
17."Stones in My Passway"
18."I'm a Steady Rollin' Man"
19."From Four Until Late"
20."Hellhound on My Trail"
21."Little Queen of Spades"
22."Malted Milk"
23."Drunken Hearted Man"
24."Me and the Devil Blues"
25."Stop Breakin' Down Blues"
26."Traveling Riverside Blues"
27."Honeymoon Blues"
28."Love in Vain"
29."Milkcow's Calf Blues"




 単刀直入に言ってしまえば、ブルースもまた、圧倒的にまずダンス音楽だったということ。その歴史の流れなしには、ブルースの歴史的展開もなかったと言ってもよい。ダンス音楽の意味としては、ブルースに合わせて特定のダンス・ステップを踊る、という部分もあるけれど、この音楽の生成、および発展は、ひたすら主に土曜日の夜の集まり、それを極めてシンプルに「ホップ」または「ダンス」と、昔もいまも呼び習わすことにあらわれているような、音楽の本質そのものを表すこと、これに尽きる。「ホップ」はロックンロール時代になって白人ティーンズにも好んで使われるようになったが、30~40年代に多く使われた、ダンスすること、を意味するブラック用語だった(70年代になってさらに、ヒップなホップというものも出てきて一大黒人文化としてメインストリームへも到達したわけだ)。このダンスという言い方は、日本人ならダンスを踊るという動作と結びつくのが一般的だが、ここでいうダンス、それはなにもブルースやR&B/ソウル/ファンクなどに限ったこと、さらに黒人に限ったことでさえないのだが、つまるところ、ライヴとかコンサートとか、ブルースの場合イメージは違うものの、そうした「場」そのものを指すのが常であり、そこの他偉大の機能となるものが踊るということ、となる。


このロック、ブルースの源流をたどるとそこにはジャッキー・ブレストンの<ロケット88>(Jackie Brenston - Rocket 88)があり、かれを見出し歌わせたアイク・ターナー(Ike Turner)がおり、ブラインド・ルーズヴェルト・グレイブス(Blind Roosevelt Graves)のギター・ブギ(Guitar Boogie)があった。しかしこうしたデルタのビートやブギウギは1890年代から南部で盛んになったホーリネス教会、サンクティファイド( Sanctified)教会の礼拝で歌い踊られたゴスペル音楽からスピンオフされたものだったのだ。つまり教会の外で歌われる、教会ではとても歌うことのできない、背徳的、邪教的つまりはヴードゥー的な要素が歌詞に入り込んでいたのが原初のブルースだったのだ。


 アメリカ南部に限らず、よくある魔術、おまじないの類、として笑ってこれを終わりにするのはかんたんだが、それではロバート・ジョンスンの生きた世界を把握することなど到底無理だ。フードゥは戦前にあった習俗にとどまらず、ずっと長く生き、20世紀後半になってもなお、黒人新聞には普通にフードゥ絡みのパウダーやオイルなどの宣伝が見られたものだが、19世紀から20世紀前半にかけてが、やはりもっとも盛んだったと思われる。歴史的には、米南部でフードゥがもっとも根付いたのはニューオリンズ周辺であり、その理由は18世紀末の配置におけるトゥーサン・ルーヴェルチュールによる奴隷革命の際、多くのハイチ人、ムラート、黒人、白人も含めてキューバーに逃れたり、米本土に移住しており、そのダイレクトな結びつきができたのが、地理的にも近いニューオリンズだったこと、しかもこの時点でフランス領であり、ナポレオンを打ち倒したハイチ人の流入によって一挙にアフリカ文化とのつながりも打ち立てられた町となったことによる。またフードゥの隆盛はここがカトリック圏であったことと大きく関係する。


奴隷解放が宣言されたとはいえ南部の黒人たちの暮らし向きが過酷なことはあいも変わらずで綿花摘みの仕事などの重労働に明け暮れる日々。土曜日の夜は一週間の労働から解放された大人たちはジューク・ジョイントと呼ばれる街道沿いの安酒場に集っては酒を飲みブルースマンたちが演奏する曲に合わせて踊ったのだった。

街角で歌い日銭を稼ぎ行く先々で女性と関係を持ち酒に溺れという自堕落な放浪生活を送り、そんな自分の生き様を歌にした。そして自作の歌を持ってジューク・ジョイントで舞台に上がる。このジューク・ジョイントで歌われるのは男と女の歌であったり、性的なものであったり、背徳的であったりもした。そんな歌が聴衆からも求められていたのだろう。そんな神の教えに背く歌を歌うブルースマンとしてのロバート・ジョンスンには罪の意識を強く持っていたのではないだろうか。

キリスト教世界では邪悪な悪魔とされたレグバは、ダオメーのフォン族にその源があるといわれるクロスロードの守護神で南部の黒人達にとってキリスト教の信仰と同じようにリアルに存在感のあるものだったのではないか。ヴードゥーの教えでは9日間墓場でギターを練習すると悪魔がやってきて手ほどきを受けることができるらしいという話があったのだという。ジョンスンは本当に過酷な労働から逃れるために墓石に座って夜通しギターの練習を行ったのだという。最後には黒い大きな男がやってきてギターを教えてくれたということを言っていたという話もある。

そして彼の歌う歌を聴いてみよう。確かに素晴らしい手練手管である。
しかし、驚くのはそのギターばかりではない、その歌詞だ。


「プリーチン・ブルース"Preaching Blues (Up Jumped the Devil)"」

朝おきてみたら
あ、ブルースが人間みたいに歩いている
朝おきてみたら
む、ブルースが人間みたいに歩いている
悩ましきブルースよ
右手をちょっと貸しとくれ

そんでブルースったら おいらに襲いかかり
もうぐちゃぐちゃにしてくれた


恋しい女を歌った歌なんかもあるのだけれど、その間に挟まっている何か前後の脈絡から切れた歌詞。
しかも絵が浮かばないようなあまりにも抽象的な歌詞。人間のように歩いているブルースって何だ。

イントロ──毒をもられた運命の夜へいざ!
第一章「デルタの細道」──RLの亡霊を追いアメリカ南部を行く
第二章「悪魔を魅入った男」──アメリカ南部文化から読み解く十字路伝説
第三章「土曜の夜のデルタ・ブギ」──RLはロックの父か? ギターで起こした革命
第四章「生きのびたロバートの幻を追う」──もしRLが毒殺されなかったら……
第五章「29曲全訳」──誤訳を正し、RLの歌詞を生き返らせる
第六章「29曲を聴く」──ルーツと背景からわかるRLの詞世界の深さ
第七章「デルタ・デイズ~RLの生きた時代」──時代と社会から見つめるRLの生涯
第八章「ブルースに追われ続けた男」──ロバート・ジョンスンとは何者なのか


◆付属CD──64分デルタ世界一周
ロバート・ジョンスンと彼の生きた世界を知るための20曲(著者選曲・解説付)


僕はこの歌詞を読んでいてジム・トンプスンのことを連想してしまった。
まるで「内なる殺人者」の主人公ルー・フォードの独白のようなどこか壊れた不気味さがあるんじゃないかと思う。

ジョンスンは半信半疑で墓場通いをして最後に本当に悪魔に会ってしまった。過酷な労働から逃れたい一心ではじめたはずのギターレッスンだったが、今度は自分自身の運命からも逃れようとしている。どこまで行っても埋めることができない心。ここではない、今ではないどこかへとどうしても突き進んでいってしまわずにはおられない脅迫的な逃避感というものを強く感じてしまう。

29曲の全訳と舌を巻く解説のついた本書はロバート・ジョンスン、ブルースの世界を知るためには欠かすことのできない一冊となっておりました。
いやー、勉強になりました。




△▲△

ソロモンの偽証
宮部みゆき

2013/03/20:暮れにまとめ買いしていた宮部みゆきの「ソロモンの偽証」なかなか時間がとれず読む機会を先送りしてきた。

多くの社会人は年度末の3月に入りそわそわと落ち着かず、またはこの一年の走ってきた予算の追い込みに慌しくなっていくところかと思うのだが、僕の場合は昨年11月に5年越しのプロジェクトが本番稼動を迎え、端境期の混乱もどうにか切り抜け、感謝会のような催しなんかも企画され、ほっと肩の荷を降ろす束の間の日々なのでありました。

最大で800名を超える規模にもなったプロジェクトは終盤まるでジェットコースターのように激しくロールした。図体のでかい乗物で隘路を高速で駆け抜ける。まるで「スター・ウォーズ」のミレニアム・ファルコンか、「マトリックス レボリューションズ」のハンマー号のように機体を振るわせ体勢を翻してマイルストーンをすり抜ける。比喩でもなんでもなくプロジェクトルームが90度傾くような気分を何度も味わった。

ほんとにあんな光景ははじめて見たよ。

そんな訳で、ほっとしたところで、じっくり読む。丁度いい時機かと。

3冊各巻700ページを超えるボリュームでしたが順調に読み進み、なかだるみすることも飽きることもなく物語に没頭する時間はある意味ご褒美の時間でした

舞台は1990年12月24日クリスマス・イブ。架空の街、城東区にある公立中学校の屋上から一人の中学生が墜ちて命を落とすところから始まる。

彼はなんで死んだのか。

いじめによる自殺の可能性を嗅ぎ付けた軽はずみな報道によって事件は大きく拡大していく、しかしある重大な目撃情報が書かれた告発状が関係者のもとに届き事態は全く別の方向へと進みだす。

石を投げ込まれた池のように彼の死は次々と波紋を生んでいく。

亡くなった本人の家族はもとより、在学生、学校関係者、父兄、さらにはその隣人もがこの事件に関わることで人生の軌道を次々と変えていく。

事件の真相は、同級生や、教師、学校長らはこの先どうなっていくのか。

3.11のような天災で犠牲になった方々や9.11のような事件に巻き込まれて命を落とした人々。事故であれ、殺人事件であれ、自殺であれ、遺された我々は彼らの最期がどんなだったか、どんなことを考え、どんな気持ちでいたのか、本人と差し向かいで会話しない限り判り得ない、つまりは永遠に得られない問いを抱え込み割り切ることのできない思いに悶々と悩み苦しむ。

中学生という多感な時期に学友の死を経験するというのは衝撃的な事態だろう。
暗く深い穴を淵から覗き込むような畏怖を覚えるに違いない。

なんで彼は死に、僕はこうして生きているのか。

そうそう僕にも経験があるよ。

新潮社のサイトにある本書のページにはこんな言葉が書かれていた。

「その法廷は十四歳の死で始まり偽証で完結した。」

タイトルである「ソロモンの偽証」とは一体どんなものを指しているのだろう。

宮部みゆきはそのサイトのインタビューでこう答えていた「敢えて説明してしまうなら、そうですね、最も知恵あるものが嘘をついている。最も権力を持つものが嘘をついている。この場合は学校組織とか、社会がと言ってもいいかもしれません。あるいは、最も正しいことをしようとするものが嘘をついている、ということでしょう。」

これ以上触れると本書のネタバレに繋がるのでやめよう。

みんな本書をどんな風に読んでいるんだろう。読書メーターの感想なんかを読ませて頂くとその解釈にはすごく幅があるみたいだ。この本の主人公達と同世代の人たちや、今リアルタイムで中高生の人たち、そんな年頃の子供を持つ僕らのような世代の人間。読んでいる我々の世代間の幅も原因の一つになっているみたいだ。


僕がこの本のどこを偽証と読んだかは勿論書けないけれども、どうやらすごく少数意見であるようだ。僕はこの本がいわば宮部みゆきの優しさというか人間が持っている原罪に対する赦しのようなものが滲み出た作品になっていたと思う次第です。ほんとはこの解釈を巡っていろいろと議論してみたいところですが、ここでは書けない。これはカミさんが読み終わったら、二人でじっくりやらせて頂くこととしましょう。

皆さんはどう本書をどう読まれるのでしょう。じっくり愉しんで読まれることを祈念しております。


「黒武御神火御殿」のレビューはこちら>>

「きたきた捕物帖」のレビューはこちら>>

「あやかし草紙」のレビューはこちら>>

「三鬼」のレビューはこちら>>

「あんじゅう」のレビューはこちら>>

「かまいたち」のレビューはこちら>>

「ソロモンの偽証」のレビューはこちら>>

「ばんば憑き」のレビューはこちら>>

「ぼんくら」のレビューはこちら>>

「あかんべえ」のレビューはこちら>>

「模倣犯」のレビューはこちら>>

「初ものがたり」のレビューはこちら>>

「平成お徒歩日記」のレビューはこちら>>

「地下街の雨」のレビューはこちら>>

「火車」のレビューはこちら>>

「弧宿の人」のレビューはこちら>>

「魔術はささやく」のレビューはこちら>>

「小暮写眞館」のレビューはこちら>>

「チヨ子」のレビューはこちら>>

「堪忍箱」のレビューはこちら>>



△▲△

ゴースト・トレインは東の星へ
(Ghost Train To The Eastern Star)

ポール・セロー(Paul Theroux)

2013/02/24:ポール・セローの本書は、1973年に本人が辿った旅を元に書き上げた「鉄道大バザール」を33年後に再び辿ったものだ。残念ながら僕はまだ「鉄道大バザール」を読んでいなかった。そのコースとはロンドンからトルコ・イラン・インド・タイ・ベトナム・日本・ソ連といったところなのだという。セローは33年前に辿った道をできるだけ踏襲していこうとする。しかし中東は当時と情勢があまりにことなり難しいところもあったようだ。

前著をリアルタイムで読んでいた人たちにすればその33年後がどのように変貌し、同じ道を辿るポール・セローがやはり33才歳をとっていることに深い味わいを噛み締めて読むのだろうな。

前著からとりかかるという選択肢も考えたのだけど、今僕はこのセローの辿った国々が現在どう彼の目に映ったのかを先ず知りたいと思った。ロンドンからフランスへ、ハンガリーからルーマニアを通ってトルコ、グルジア、アゼルバイジャンへ。カスピ海を渡りトルクメニスタン、ウズベキスタンからインドへ。ベンガル湾を渡り、ミャンマー、シンガポール、タイ、カンボジア、ベトナムそして中国から日本へ。

セローはその殆どを鉄道や乗り合いバスを乗り継ぎ、時にはヒッチハイクをして渡っていく。そんな事してヨーロッパ大陸を渡って日本にやってくるなんてことってできるもんなの?そんな目線でみたこれらの国はどんな姿をしているのだろうか。その彼が日本に来たとき日本の街はどんな風に見えるのだろうか。

これは読まずにはいられない。


1.ユーロスター
2.もう一つのオリエント急行
3.ベシクタシュ行フェリー
4.アンカラ行夜行列車
5.トビリシ行夜行列車
6.バクー行夜行列車―ザカフカス鉄道
7.夜行列車でアシガバートからマリへ
8.タシケント行夜行列車
9.デリー行「パンジャブの栄光」急行
10.ジョードプル行夜行列車―マンドーレ急行
11.ジャイプル行夜行列車-マンドーレ急行
12.ムンバイ行夜行列車-「超速」急行
13.バンガロール行夜行列車-ウディヤン急行
14.チュンナイ行シャタプティ急行
15.ガル・ハンバントタ行海岸線
16.キャンディ行鈍行列車
17.マンダレー行幽霊列車
18.ピンウーリン行列車
19.ノンカイ行夜行列車
20.ハートヤイ・ジャンクション行夜行列車-特別急行
21.シンガポール行夜行列車-ランカウィ急行
22.「東の星」行スロートレイン
23.プノンペン行きボート-「サンタビアット」号
24.メコン・エクスプレス
25.フエ行夜行列車
26.ハノイ行昼行列車
27.トーキョー・アンダーグラウンド
28.北海道行夜行列車-特急「はやて」号
29.特別列車-サロベツから稚内へ
30.京都行夜行列車-「トワイライトエクスプレス」号
31.シベリア鉄道
32.ベルリン行夜行列車、およびその先



より大きな地図で Ghost Train to the Eastern Star を表示

訪れた街では人々の様子を知る
ために物怖じせず出会った人に突撃していく。

僕はセローのことをチャトウィンとの対談でしか知らない。ほぼ同世代の二人はそれぞれ旅をして文章を書き残した。チャトウィンは自分達のことを「文学的旅行者」だなんてことをその本では言っていた。

同じ文学的旅行者であってもセローのスタイルはだいぶ異なっているようだ。チャトウィンが孤高の旅人を装っていたのに対してセローは、どこまでも人間くさく、彼自らが旅を続ける上で孤軍奮闘し、地団太を踏む姿を曝け出す。訪れた国の文化を知るにはその国のエロ本を読むのが一番早いなどといって、風俗街などにずかずかと入っていってしまうのだ。

まぁチャトウィンなら絶対しないし、書かないだろうという感じだ。
しかも悪びれることもない。
冒頭にはこんなことがしれっと書いてあった。

ロマンを求めて他人の人生を覗きたがる人種の中でも、旅人は抜きん出て貪欲であり、その人格の奥深くには、虚栄心と厚かましさ、そしてほとんど病気に近い虚言症が解きがたくもつれ合っている。だから旅人にとって最大の悪夢は、秘密警察でもまじない師でもマラリアでもなく、自分以外の旅人に出会う可能性なのである。

旅行記のほとんどは結論に飛びつく傾向を有し、それゆえ、なくなっても誰も困らない。見え透いた独白、きわめて軽薄な書き物であることが多い。[退屈許可証」もいいところだ。文学ジャンルは数ある中で、これほどやりたい放題のジャンルはない。その気もないのに文句をつけ、創作と称して嘘をつき、無意味に大騒ぎし、四六時中格好をつけなければ気が済まず、ほとんどがミュンヒハウゼン症候群に罹っている。


このセローの人間くささは好き嫌いがあるものと思うが、読み物としては大変面白い。上下二段組500ページを超える本だけど退屈することもなく読み進むことができました。それは何より次々と訪れる国々の多様性だ。ほとんどが地続きなのにこの多様性は一体どうしたことなのかと思うほどに文化も宗教も価値観も違う。更に際立って異なっているのがその統治のされ方と貧富の差であった。


インドは変転する世界における例外である。インドの大躍進、インドの現代性、インドの大富豪について誰もが噂し、「バンガロールの変貌ぶりは必見ですよ」と言う。欧米の新聞、雑誌、どれを見ても「インドの奇跡」の大合唱だが、アムリッツァルの状況に照らすと、この主張は戯言であり、単なる趣味の悪い冗談、というより残酷極まりない皮肉でもあった。


またセルーは作家であると同時に大変な読書家でこれらの国々の状況や宗教についても深く学んでいた。特に宗教の多様性についてセルーは大変寛容な考え方を持っており、異なる宗教間で起こる紛争、たとえばインドのシク教徒とヒンドゥー教徒であったりキリスト教とイスラム教の間の対立であったりについては深く胸を痛めており、ビルマやベトナムで行われた戦争についても強く反対していた。平和主義で反戦的スタンスを持った彼の目に映る国々はニュースでは決して報道されない姿をしていた。


お隣にある「スタン」、トルクメニスタンは、サバルムラト・ニヤゾフという狂人の治める独裁国家だった。ニヤゾフは「すべてのトルクメン人の指導者」という意味の「テュルクメンバシュ」と名乗っていた。彼は地球上で最も裕福で権力のある気違いの一人であり、一国の統治者だった。国民はその名を聞くと縮み上がり、牢獄は彼に反対する人間で溢れ、この国の道路は私のような人間に対して門を閉ざしていた。最近ニヤゾフは、預言者と自称するようになった。一般市民であれば罪のない世迷言で済むが、専制君主となると、これは致命的とは言わずとも病的な傾向ではあった。自分は救世主であるという主張の裏づけに、彼は「ルーフナーマ」という一種の国家的聖書を著し、自らを大作家とみなしていた。そんな人間は明らかに狂っている。この男とこの国について聞けば聞くほど、私はそこへ行ってみたくなった。


そして日本へ。

はるか昔でさえ、日本は未来的に思えた。それは今も変わらなかった---少なくとも、未来の一つの形ではあった。最悪の社会問題が解決され、貧困率は低く、識字率は高く、平均寿命は長く、戸惑うほどに四角四面に礼儀作法が実践され、誰もが屋根の下に住み、公共交通機関が発達した未来。別の形の未来とは、トルクメニスタンのディストピアであり、インドの農村の憂愁であり、ビルマの公開刑務所であり、シンガポールの社会実験室である。成功した未来のために支払った代償は、空間とプライバシーの放棄だった。日本のとったのは、ミニマリスト的解決策であった。整備はされているが狭い道路、小人に合わせて設計された部屋、すし詰めの地下鉄、狭いレストラン、どこもかしこも縮小され、セメントで固められた風景。


さらに鉄道。

セローは鉄道があれば必ずそれを使って移動しようとしている。インドでも、ミャンマーでも、シベリアでも。シベリア鉄道というのはウラジオストクからモスクワまで9,297Kmも伸びる世界最大の路線なのだそうだ。セローなんと一週間風呂なしで移動することになるこの鉄道を使って大陸を西に帰っていくのだ。


シベリア鉄道に乗るということは、まったくのところ船に乗るのによく似ている。それも単なるおんぼろ船ではなく、クルーズ船の定期便でもなく、凍った海を難儀しながら進んでいく古い鉄製の貨物船であって、仏頂面の甲板員、まずい食事、姿を現さない船長まで揃っているのだから完璧である。

なんで新潟からウラジオストクに飛行機で向かうのかとおもったらそういうことでありました。

これは本で読むもので実際にやることじゃないなー。ほんとかいなと。

行く先々で出会う忘れがたい人々。時に憤慨することもあるけれども、思わず涙してしまうような出会い。

そして冒頭にもどる。

旅行記のほとんどは結論に飛びつく傾向を有し、それゆえ、なくなっても誰も困らない。見え透いた独白、きわめて軽薄な・・・・。

セローあっぱれであります。


「パタゴニアふたたび」ブルース・チャトウィン&ポール・セルーのレビューはこちら>>




△▲△

民主主義のあとに生き残るものは
アルンダティ・ロイ(Arundhati Roy)

2013/02/11:ノーム・チョムスキーやナオミ・クライン、スーザン・ジョージなどと並んで読み飛ばしてはならないのがアルンダティ・ロイの本だ。そのロイの新しい本が出たというので早速手にしてみた。

冒頭、彼女は東京に向かう飛行機に乗っているという話が書かれていた。日付は2011年3月10日。迂闊にも彼女が日本に来ていたことを気づかずにいたと慌てたが、その日付をあらためてみて僕は更に驚いた。

彼女は3.11のあの日あの時、東京港区六本木にある国際文化会館にいたのだった。なんと。

あの時、会議室で余りの揺れの大きさにメンバーともどもビルの出入り口付近まで非難し、その外に見える建築中のビルのクレーンが大きく揺れる姿を愕然と見ていた。その時彼女はすぐ近くにいて同じ体験をしていたのでありました。彼女は街がどこも壊れず、人びとは整然としてパニックも起こさず、互いに気遣っていることを奇跡だと書いていた。

僕は忘れようにも忘れられないあの時の記憶をふいに呼び覚まされて目頭が熱くなった。

本書は10年越しに実現した日本初来日で行う予定だった講演会の原稿と、救援活動中で被害状況もまだ定かではない時期に行われたインタヴューに加え、ウォール街の占拠運動の際に行ったスピーチ、最新のエッセイの一編などを一冊に纏めたものでした。

1 帝国の心臓に新しい想像力を―ウォール街占拠運動支援演説
2 民主主義のあとに生き残るものは―2011年3月13日に予定されていた東京講演
3 資本主義―ある幽霊の話
4 自由―カシミールの人びとが欲する唯一のもの
5 インタヴュー 運動、世界、言語―20113月11日の翌日、東京にて

本書でもアルンダティ・ロイは静かではあるが燃えるように怒っていた。インドの情勢はこれまで以上に悪化し、良くなる気配はまだ見えていない。インドは無慈悲に推し進められるヒンドゥーと自由市場という二つの原理主義によって不平等が拡大し続けこれ以上社会が支えきれないほどのものになりつつあるらしい。


 新しい役割を帯びたインド政府は(当時政権を握っていたのは国民会議派である)、二つの鍵を開け、そこからヒンドゥー原理主義と市場原理主義という二種類の原理主義が解き放たれた。この二つはその後の20年間で、自国のなかに仮想の、そして現実の難民を生み出す---軍事力で侵略する「ヒンドゥー」国家によって、文化も社会も経済も周縁化されたムスリムと、「開発」によって土地を奪われ難民とされた何百万もの人、とくに「開発計画」によって村を追われたアディヴァシやダリットといった人びとがそれである。これらの難民から、いまや政府が「テロリズム」と呼ぶ二つの脅威が生まれた。その脅威とは、イスラーム主義者のテロと毛沢東主義者の反乱のことで、今ではそれが戦争に近いものになっている。


これはナガランド、カシミール、アルナチャル・ブラデシュのような国境地帯のみならず、グジャラート、アンドラ・ブラデシュなど中央インドにも広がっているのだという。タタ、ジンダル、エッサール、リライアンス、スターライトといった新興の巨大企業が出現し、上位100名の富豪がGNPの四分の一を所有する一方で全人口の8割以上の人びとが一日50セント以下での生活を強いられているのだという。政府主導による民族の衝突が引き起こされ、大勢の人が暴行や強姦、虐殺され、地方の農業労働者25万人が自殺したのだという。

これはインドが自由市場経済というものを盲信しIMFや世界銀行の言いなりとなり社会の改革を推し進めた結果だという。


 こうした改革とはいったいどのようなもので、「改革」の20年がもたらしたものは何か?

 改革が意味したものは、水資源、電気、電信、医療、住宅、教育、交通といった基本的なインフラの私有化だ。それは労働者の権利を守る法律の破棄でもある。IMF(国際通貨基金)、世界銀行、アジア開発銀行のような国際的な金融機関は、借款に合意する前に、そうした法律の破棄をはっきりと条件として要求する。それを示す言葉が「構造調整」である。巨大な私的資金が流入したため経済成長が急激に上昇した。こうして作り出された膨大な中産階級が、突然の富とそれに伴う突然の尊敬に酔ったようになる一方で、それよりもずっと膨大で絶望的な貧困層が作り出された。何千万という人びとが、無差別な環境破壊や、ダム建設や鉱山開発、経済特区(SEZ)のような大規模な社会整備事業によって引き起こされた洪水や日照りや砂漠化によって、財産や土地を奪われた。すべては貧困救済のためと言いながら、実際には新たに作り出された特権階級の要求を満たすために行われた開発である。経済成長の急激な上昇にもかかわらず、国連開発計画の人間開発指数でインドは134位にすぎず、赤道ギニア、ウズベキスタン、キルギスよりも下位に位置する。栄養失調の子どもが世界でもっとも多いのもインドである。

僕は主義主張や宗教を変えつつも相同形でロシアや中国そして本場アメリカでも推し進められているのではないかと思う。だからこそウォール街の占拠運動が起こった時、彼女は以下の主張をしたのだろう。ウォール街を占拠した人びとに彼女は自分達のことを「リッダイト」蓋をするものと呼ぼうと呼びかけた。


 私たちは、不平等を生産するこのシステムにふた(リッド)したいリッダイトだ。

 ふたをして覆いをかけたい者として、私たちは次のことを要求します。

一つ。企業活動における重複所有の禁止。たとえば、武器生産企業がテレビ局を所有したり、鉱山会社が新聞を発行したり、企業が大学に資金を提供したり、製薬会社が公共の福祉健康予算をコントロールしたりすることがあってはならない。

二つ。企業活動における独占の禁止。つまり、ひとつの企業は市場で一定の株しか所有することができない。

三つ。天然資源や基本的な社会設備。たとえば、水の共有や、電気、健康、教育システムなどは私有化されてはならない。

四つ。あらゆる人に住む場所と、教育と健康保障の権利が認められなくてはならない。

五つ。親の富が子どもに引き継がれてはならない。
この闘いは、私たちの想像力をふたたび喚起してくれました。どこかでいつのまにか資本主義は、正義の概念をたんに「人権」を意味するものに矮小化してしまい、平等を夢見ることを罰当たりだと貶めてきました。私たちが闘っているのは、システムを改良しようとしていじくるためではない。このシステムそのものを置き換えるためのものなのです。


安倍政権となった途端にアベノミクスとかメディアも経済界も(同じ連中なのだが)こぞって持ち上げ、IMFが支持を表明だなんていよいよ胡散臭いというかきな臭い。彼らが肯定したり歓迎したりするということは企業活動の自由度が増し富裕層が得をして結果すべてのツケがその周縁にいるものたちに回ってくるというのが定番なのである。

嘘を嘘で塗り固めて頑なに自分達の身を守ろうとしている東京電力は一つの象徴だろう。原子力発電所を新たに作るのか、今の発電所を動かすのかという前に市場独占的な電力会社が私有化されて収益を株主に還元している。国の支援をうけてまだ上場していること事態が異常なことなのだ。

政府もメディアも経済界もそのことについて真正面から答えようとするものはいない。利害関係が我々一般人とは違うのである。一体世の中ではどんなことが今進められているのか。僕らの社会はどのような姿を目指しているのか。それをきちんと自覚するためにも彼らの本を少しでも多くの人に読んでもらえたらいいと思う。

日本でも着実に不平等は広がっている。目に見えて目立つようになってしまった時点では遅すぎる。そうなる前に僕らは方向転換する必要があるのだ。先を争って、他人の頭を踏み台にして周縁に弾き飛ばされないようにする、あるいは中心に向かって少しでも近づく努力をし続けることが「自由」であるのであれば、僕は御免だと思う。できれば子供達をそんな油断もすきも無い殺伐とした世界に送り出したいとは思わない。

今あるシステムをちょっと手直しするだけではダメらしい。システムを置き換えるためには大変なエネルギーが必要となる。こうした原動力が出せるかどうかは僕らの力が残っているうちに行動に移せるかどうかにかかっているのだろう。そしてその為には「想像力」がいる。

彼女の主張する五つのことに目を向けてその反対のことがこの日本で進んでいないかを一つ一つ確かめよう。そしてそれが拡大していくことでどんな事が起こりえるのかを想像しよう。


「小さきものたちの神」のレビューはこちら>>

「わたしの愛したインド」のレビューはこちら>>

「帝国を壊すために」のレビューはこちら >>

「ゲリラと森を行く」のレビューはこちら>>


△▲△

三重スパイ――CIAを震撼させたアルカイダの「モグラ」
(The Triple Agent:
The al-Qaeda Mole who Infiltrated the CIA)

ジョビー・ウォリック(Joby Warrick)

2013/02/10:自宅でこの本を見かけた娘は三重県のスパイかと思ったらしい。三重県にスパイがいるものなのかどうなのか考えたこともないので判らないが、勿論そんな話ではない。しかしではこの三重スパイとはどういう意味なのか。つまりどっち側なのかと考えるとなんだかおかしな表現ではないか。原題は”The Triple Agent”三つの組織から雇われているというようなことのようだ。

それにしてもうちの娘はレクサスのエンブレムがカタカナの「レ」だと思っていたとかどこか意表をつくところで非常識なのがちと心配だ。

タイトルはいま一つなんだけど、本自体は情報に富んでおり構成も一級。訳も黒原さんなのでとてもよく出来ている。この本は2009年12月30日にアフガニスタン南東にあるホースト州(Khowst)にあるアメリカのチャップマン基地(Camp Chapman)内で自爆テロが起こった事件のノンフィクションだ。

基地内に入り込んだ実行犯フマム・ハリル・アブムラル・バラウィ(Humam Khalil Abu-Mulal al-Balawi)はヨルダン側のスパイとしてタリバンに潜入させた男であったが実は二重スパイで、情報提供のためとして現われ基地の司令官やCIA、ヨルダンの王族の一人で総合情報部員であった者等9名が犠牲となった事件だ。

自爆テロの犠牲者
ジェニファー・マシューズ(Jennifer Lynne Matthews)基地司令官 CAIオフィサー 45歳
ハロルド・ブラウン(Harold Brown Jr)CIAオフィサー 37歳
エリザベス・ハンソン(Elizabeth Hanson)CIAオフィサー 30歳
ダレン・ラボンテ(Darren LaBonte)CIAオフィサー 35歳
スコット・ロバーソン(Scott Michael Roberson) CIAオフィサー 39歳
デイン・パレシ(Dane Clark Paresi) XeサービシズLLC 46歳
ジェレミー・ワイズ(Jeremy Wise) XeサービシズLLC 35歳
アル・ビン・ザイド(Al Shareef Ali bin Zeid) ヨルダン総合情報部 大尉
及びアフガン軍警備兵一名



大きな地図で見る


本書では、この事件をオバマ大統領やCIAのパネッタ長官、犠牲となった人々、そして犯人フマムとその家族たちの生い立ちや心情に踏み込んだかなりの労作でもありました。

しかし、ここには著しい非対称がある。欠如と呼ぶほうが相応しいかもしれぬ。本書がアメリカでアメリカ人の手によって、アメリカ人の為に書かれたものであるということを差し引いて考えても不気味と呼ぶ以外にないような欠落が。


何よりこの事件で犠牲となったアメリカ人たちはその人生をしめやかに辿りその死を悼まれるが、かたやアフガニスタンの戦士と呼ばれる者どもは名前すら明らかにはならない。実行犯のフマムの人生にはそれなりに踏み込まれるが、彼の本当の動機とか信条というものがまるで見えてこない。

フマムはヨルダンで妻と幼い二人の娘の家族を持った医師として働く男であった。彼にはもう一つの貌があった。ネット上では極端な原理主義と反米を高らかに叫ぶその世界では有名なハンドルネームを持っていたのだった。これがヨルダン総合情報部に探知され拘束、そしてタリバンへ潜入するスパイとなることとなって行く。そんな彼が自爆テロの実行犯となって戻って来ることになるのは一体どうしてなのか。

また、群居し互いに銃を向け時には殺し合いにまで発展するというまるで前時代的なタリバンの戦士たちの動機や信条に至ってはその存在すら認識がないのではないかと思うほど無配慮だ。

この事件の端緒を掴むのは難しい。なんせどこまで辿っても血と暴力の応酬が続くばかりだからだ。しかし敢えて切り出すのならビン・ラディンの居所がつかめず苛立つアメリカ政府にタリバンの一味に特別な装置を使って仕返ししようとしている者がいるという情報が入ったところからはじめることができるかもしれない。

生物化学兵器か、放射性廃棄物を撒き散らす爆弾か。しかし相手はアフガニスタンの山奥で泥煉瓦の家に暮らす山賊のような者たちだ。その一味と目される人物がCIAの網にかかった。


 6月23日、イスラマバードでジェイムズ・L・ジョーンズの一連の会合が終わろうとしていたとき、メスードと謎の装置を探索中のCAIが重要な足がかりを得た。タリバン支配地域でメスードの組織の中堅幹部フワズ・ワリ・メスードを発見したのだ。その幹部を殺害し、その葬式に出るバイトゥラ・メスードを襲う計画が急いで立てられた。

 その幹部はまだ生きているが、まもなくこの世を去るわけだ。

 6月23日の夜明け前、一機のプレデターがラタカ村の上空を飛んでいた。ラタカは南ワジリスタンの中心的な町ワナから北東へ60キロ離れたところにある。二発のミサイルが未明の湿った空気を切り裂いて、自身が生み出す音波より早く突き進んだ。センサーは村はずれの泥煉瓦の建物にロックオンしていた。通りにいた者には小さな光がひらめき、岩と土と煙が吹き上がって建物が内部から壊れるのが見えただけに違いなかった。近所の人が崩れた壁や焼けた家具やマットレスの上にあがると、5人のタリバン戦士とその司令官フワズ・ワリ・メスードの破損した死体が転がっていた。


この意味が伝わるだろうか。なんか分からないがアメリカを攻撃する意図があるらしいという情報に従い、その連中を攻撃するために先ずは一人を殺し、その葬式に集まってきた仲間も殺そうという計画だという意味だ。無人機プレデターのこうした攻撃は正確無比で巻き添えを食う一般人の比率は非常に低いのだそうだ。だから問題はない?他人の国で危険な思想を持っているらしいということだけで無人機で爆撃を行うことがどうして許されるのか僕には理解ができない。

これが一国の、アメリカという大国がやる行為なのだろうか。ドン・コルネオーネだってもう少し節度というものがあったと思うのだが。

しかも無人機で攻撃するばかりで現地で捜査はしない。だからいつまで経っても真相は分からないのだ。現地で捜査するには人が行かなければならない。だからフマムが行くことになったのだ。


 マシューズが入局したのは1980年代で、当時のCIAは今とはかなり違い、女性局員は比較的まれだった。まだ冷戦の真っ最中で、何と言っても花形は、ウィーンやブタペストのいかがわしいバーで情報提供者とひそかに会ったりする男のケース・オフィサーだった。それに対してハンソンは、9.11以後に採用された新世代の局員の一人だった。そのなかには自分たちを”ウィンドウズ世代”と呼ぶ者もいる。若く、高学歴で、テクノロジーの力を信じている世代だ。情報提供者を使うケース・オフィサーは今でも必要だが、9.11後はもはや主役ではない。


高学歴でITにも強く恐らく育ちも良くて更には敬虔なキリスト教信者であろうCIAの者たちだが、人として何かえらく欠けているものがある気がしてならない。

フマムの自爆テロはアメリカ政府に激震を起こす。そして何が起こったか。これまでにない無人機による猛攻撃だ。そしてその謎の装置なのかなんなのかはついぞ見つからないのに誰も責任を問われないというお決まりのお粗末さなのだが、本を書いている人も登場する政府高官たちも記憶喪失にかかったかのようだ。

プレデター、正式にはRQ-1プレデターと呼ばれる無人機は当初偵察目的に開発されたものだったと記憶しているがいつのまにかヘルファイヤミサイルや本書でも言及されているより破壊力の小さく、発射後の飛翔も精密にコントロールできるスコーピオンミサイル等を搭載し、実際に目標物を攻撃する機能が備えられ、アフガニスタンのプレデターをラングレーから直接遠隔操作することができるようになっているらしい。

航続距離は3700km、高度7,620mまで上昇することができるプレデターはどこを見ているのかわからないが上空から人々の顔を識別できるカメラで監視をし、ふいに理由も告げずにミサイル攻撃をしてくる。頭の上を常にこんなものが飛んでいる生活というのはどんな気分なのだろうか。

タリバンたちは眼に見えないインクや極小のマイクロチップを仕込まれているなどといった真偽の定かでない影に怯え内通者と疑われれば惨たらしい死が避けられない状況にあったのだ。

もちろんアメリカ政府はテロリスト集団とは違い犯行声明は出さない。こんな形で肉親を殺されて、おとなしくしている人なんていないんじゃないかと思う。

タリバンの司令官の1人はこう述べていた。

「無人機が一回攻撃するごとに、三、四人の自爆攻撃志願者が来てくれるんだ」

どこまでも続く不幸の連鎖だ。

国際的に信頼性を著しく失墜させたアメリカ政府だが、彼らはこれまで行ってきたこの非道で無益な行為のブローバックが恐ろしいためこうした行為をやめたくともやめられないところまで来てしまっているのだと思う。彼らが振り下ろしている拳を下ろし、眼を閉じたら首を落とそうとするものが群がるのは間違いないからだ。原理主義者同士の対立というものは相手を滅ぼさずには済ませられないものなのだろうか。


「ブラック・フラッグス」のレビューはこちら>>


△▲△

血と涙のナガランド
―語ることを許されなかった民族の物語
(Nagaland and India - the Blood and the Tears)

カカ・D・イラル( Kaka Dierhekolie Iralu)

2013/02/03:ナガランド。聞き慣れない地名だ。インド、ナガランド州はビルマとの国境地帯で、かつて第二次世界大戦では、日本軍がインパール作戦で侵攻した地域なのでありました。

ナガランドに隣接したアッサム州インパールはインドに駐留していたイギリス軍の主要拠点となっていた。インパールはビルマ:インド間の要衝であり、連合軍の物資を中国へと連携する重要な補給路であった。ビルマを攻略した日本軍はこの補給ルートを絶つためにビルマからナガランド・アッサム州へと侵攻したのだった。

場所を確認してみるとナガランド・アッサム州はインドから飛び地的に東にはみ出したような形になっている。これらの地域にはほかにシッキム州やアルナーチャル・プラデーシュ州がある。それらの州の歴史はどこもみなビルマ、ネパール、中国やパキスタンの歴史と分かち難く縺れ合っていた。

ここに、日本軍が侵攻してきたことで更に事態はこじれる。日本軍はナガ族たちの自立を促しイギリスと戦うように仕向けていたのだ。そしてナガランドはインドがイギリスから独立する前日に独自で独立宣言を行った。しかしインド政府はこれを完全に無視したのだ。ここからインド、ビルマにまたがるナガ族の60年以上のわたって続く長い独立への戦いが始まったのだという。

著者カカ・ディエヘコリエ・イラルは1956年生まれでナガ族出身のジャーナリスト。本書はその抄訳。僕個人の期待値としてはこうした独立運動が生まれた歴史的背景をナガ族のひとたちからみた歴史観を彼らの生きた言葉で読みたかった。知りたかったというものだった。

しかし残念ながら本書はインド、ビルマの軍隊と戦うために政治信条を超えて手を結んだ中国政府から物資を貰い受けるべく執拗に追いすがる各国の軍隊と戦いながら中国へと向かった兵士たちの行軍の記録に大きく紙面をさいたものになっておりました。

その行軍は熾烈を極めナガ族にも、インド、ビルマ軍にも大勢の死傷者を出す悲惨な旅で、こうした事実はもちろん大切な記録であることは間違いがない。

しかし、やはりもう少し背景が欲しかった。インドがかつてムガル帝国であった頃、これらの地域では複数のそれぞれ民族も歴史も文化も宗教も異なる王朝が栄えていた。1760年代に入りイギリス東インド株式会社が入り込みマラッカ、ペナン、シンガポール、カシミール地方、アフガニスタン、シク王国などへと拡大していったことで各地の王朝時代は終わりイギリスによる植民地時代へと移行した。

1945年に第二次世界大戦が終わり疲弊したイギリスから1947年8月14日にはパキスタンが、その翌日にはインドが。1948年にはビルマが独立した。つまりナガ族は、インド独立の前日、パキスタンと同時に独立宣言をしていたという訳だった。

インド政府はパキスタンのことは容認するがナガ族の独立宣言は拒絶した。インドとパキスタンの国境の線引きはヒンドゥー教徒とイスラム教徒の支配地域かどうかにかかっていたらしい。もっと言えばインドは非イスラム地域を取ったのだった。

独立当時のパキスタンはインドの地を挟んで1000キロも離れた現在のバングラデシュを含んで東西に分断された形での国家成立となった。またビルマはコンバウン朝ビルマが支配していたアッサム州などを植民地時代にイギリスに奪われ国土が半分を失っていた。

ナガランドの人々はアッサムと同様、1816年、ビルマが侵攻してきた時期にその支配下に入ったものの、イギリス東インド会社によってインドへと併呑された。植民地時代にイギリスの宣教師たちが入り込んだことからキリスト教徒のものも多かったようだ。ナガ族は、大国の都合でビルマだったりインド領だったり、インドだったりと紆余曲折を繰り返していた訳だ。

限られた時間でこの地域の歴史を紐解くのは困難ですが、駆け足、斜め読みする週末となりました。インドでは過激なヒンドゥー原理主義が台頭してきているとか、またパキスタン、アフガニスタンの歴史はちょっとつまみ食いしただけでは皆目理解できずもっと時間をかけて調べていく必要を強く感じました。




△▲△

告発!エネルギー業界のハゲタカたち
(Vultures' Picnic: In Pursuit of Petroleum Pigs, Power Pirates, and High-Finance Carnivores)

グレッグ・パラスト(Greg Palast)

2013/01/27:お正月は浦安で過ごし、成人の日の連休をつかって仙台に帰省するのがお決まりのパターンとなっています。今年は長男が試験の準備だということで留守番。娘と三人、二泊三日で慌しく出かけてきた。そして連休明け。夫婦でインフルエンザにかかってしまいました。

仕事が忙しいからといって短い帰省をしてきたのに、結局明けの週はほとんど出社できず自宅療養となりました。僕個人としては8年ぶり。夫婦で寝込んだなんていうのも結婚以来二度目?か三度目か?という珍しい事態となりました。

ひたすら横になっているしかない日々。あれよあれよと進んでいったのがアルジェリアのイナメナスにあるガス田施設で起こったイスラム勢力による襲撃事件だった。大規模なプラント設備は800名ともいわれる政府軍によって警備されていたが、およそ40名のテロ組織によって占拠され、多くの人が人質となったのだった。

テロ組織は隣国マリ共和国から進入してきたものたちで、フランス軍のマリ侵攻に反対するためにこのガス田施設を攻撃したらしい。地元アルジェリア人たちを見逃し、外国人労働者を積極的に捕らえ、人間の盾として立て篭もっている。とか、人質の身体に爆弾をくくりつけている。とかいう報道が断片的に流れてきた。そしてこの施設には日本人も技術者として派遣された人たちが17名程おり、そのうちの10名の安否が不明だという。

国際社会は揃って人質の完全確保を優先するようアルジェリア政府に働きかけを行ったが、当初から立て篭もり籠城というよりは戦闘状態に近い様相だった現地の勢いは止まらず、政府軍は戦闘ヘリからのミサイル攻撃などを繰り返し日本人10名が死亡するという最悪の事態となった。

この事件で犠牲となった方々には心よりご冥福をお祈りしたい。

マリはフランスの植民地であったがその後独立。天然資源に恵まれた旧植民地にありがちな内政不安定で貧困から抜け出せずにいる国だ。このマリではイスラム武装勢力との衝突が絶えずマリ政府からの要請でフランス軍が侵攻する事態となったが、これに反応する形で北部のイスラム武装勢力アンサール・アッ=ディーンがイナメナスの襲撃へと向かわせたのだった。

なんで隣国へと、なんで外国人を思う訳だが、突然自分達の土地にやってきては天然資源を勝手に持ち出している連中というように見えているのかもしれない。少なくとも間違いないのは、このイスラム勢力の人々にはこうした天然資源の輸出からの恩恵は殆どまったく届いていないのだろう。

このガス田施設もまた同様な事態を現地で生んでいるのではないか。ここは現在、アルジェリアの国有企業であるソナトラック(英語版)社、イギリスのBP社、ノルウェーのスタトイル社が開発を行っているプラントらしい。もともとはフランスのBRPと石油開発会社エルフ・アキテーヌ、オランダのロイヤル・ダッチ・シェルが石油を掘っていた場所らしい。

前置きがながくなったが本書「告発!エネルギー業界のハゲタカたち」を読むと石油会社。とくにセブン・シスターズとかスーパー・メジャーとか呼ばれる企業には国籍なんかは最早意味をなさず、彼らはお互いに了解がとれればどこの国の政府であっても大抵は自分達の思い通りに事を運ぶ力があり、そして実際にはそうしてきたことがまざまざと浮かび上がってくる。

セブン・シスターズとは1970年代まで石油生産を独占的に行ってきた企業群だ。そしてそれらはこんな名前だ。
1 スタンダードオイルニュージャージー(後のエッソ、その後1999年にモービルと合併しエクソンモービルに)
2 ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダ60%、英国40% )
3 アングロペルシャ石油会社(後のブリティッシュペトロリアム、2001年に会社名の変更でBPに)
4 スタンダードオイルニューヨーク(後のモービル、その後1999年にエクソンと合併してエクソンモービルに)
5 スタンダードオイルカリフォルニア(後のシェブロン)
6 ガルフオイル(後のシェブロン、一部はBPに)
7 テキサコ(後のシェブロン)

1970年代以降、セブン・シスターズの独占状態は終わりをとげる。しかし結局は新興勢力たちと統合・再編したにすぎず、一部の企業による独占でその力は一国の権力を超えたところにあるところは殆ど変わりがないように見える。

スーパー・メジャーと呼ばれる企業はこんな会社だ。
1 エクソンモービル(2008年度・売上高4773億ドル)
2 ロイヤル・ダッチ・シェル(2008年度・売上高4584億ドル)
3 BP(2008年度・売上高3657億ドル)
4 シェブロン(2007年度・売上高2209億ドル)
5 トタル(2008年度・売上高1799億ユーロ)
6 コノコフィリップス(2007年度・売上高1885億ドル)


彼らは自分達の都合に合わせて関与している国の法律を変えたり、買い上げる資源の値段を決めたりとやりたいことは大抵なんでもできる。そして都合の悪い事態は隠蔽して葬り去るのである。

1989年3月24日、5300万ガロンの原油を積みアラスカのバルディーズ海峡を進むバルディーズ号はBligh Reef(暗礁)に乗り上げた。この事故でおよそ積載量の20%にあたる1100万ガロンの原油がプリンスウィリアム湾に流出した。 運輸安全委員会はタンカーの座礁を惹き起こした要因を次の4つに絞った。

1.三等航海士が正しく操舵しなかった。当時船は自動操縦装置が作動していた。
2.船長が航路の目視確認を怠った。 アルコールによる判断力欠如とみられる。
3.Exxon Shipping Companyは船長を監督する責任を果たさず、休養十分の適切な人員を配置しなかった。
4.沿岸警備隊が有効な船舶交通システムを提供できなかった。

しかしパラストはまやかしだと言う。


 エクソン・ヴァルディーズ号が座礁した夜、ゲアリー・コンブコフ首長の村における石油の流出事故対応チームのメンバーは仕事も職権も装備も奪われ、どうすることもできずに、ただ大量出血のような石油流出を呆然と見守るだけだった。

そこで私は、監督官庁へのでまかせ報告は言うに及ばず、先住民に対する4つの不正行為を次のようにまとめた。

約束1---最先端技術のレーダーの設置。なし。その不稼動を隠蔽。 
約束2---原油流出に対応する備品。なし。欠如を隠蔽。
約束3---流出原油回収はしけ。稼動せず。運用できていない状況を隠蔽。
約束4---流出対応チームの取り組み。仕事は打ち切られ。危険は隠蔽された。


ついでにもう一例。ハリケーン・カトリーナがとてつもない被害をニューオリンズに与えたことは記憶に新しい。この時報道ではカトリーナがスーパー・ハリケーンだったとか。政府が防災対策のインフラとチームを引き上げてしまったことで起こったとか。ニューオリンズの人々は享楽的で自堕落な人々なので天罰が下ったのだとか、いろいろな意見が噴出した。

しかし、どうもどれもみんな嘘っぱちだったらしい。ハリケーン・カトリーナが甚大な被害を生んだ原因は「ミシシッピ川湾岸放水路「MR-GO」(Mississippi River-Gulf Outlet)と呼ばれる運河にあるのだという。この運河は石油運搬の効率化のためにアメリカ陸軍工兵司令部が1965年に造ったもので、長さは122キロ。メキシコ湾の河口から直線的にニューオリンズへと繋がるものだった。


 50年前に工兵司令部がミシシッピ・デルタにアホなパイパスの放水路を建設するまでは、スギ林とマングローブがニューオリンズを保護してきた。放水路の目的は、曲がりくねったミシシッピ川だと大型船が遡航するのに不便なため、メキシコ湾からニューオリンズまで直線の運河を開削したのだった。だが同時に、ハリケーンの波もたちどころに呼び込むことになった。

 ヴァン・ヘーデルの説明によると、もし工兵司令部や産業界が延長5キロに近くのスギ林を残していれば、それが天然の障壁になって、ハリケーンの強風や高波を和らげ、ニューオリンズはさして被害も受けずに済んだかもしれない。
「カトリーナは、決してスーパー・ハリケーンではなかった」と、彼は評する。


このカトリーナの被害に加えて湿地帯の侵食など地域環境の悪化に対する批判を受けMR-GOは2009年に閉鎖されている。

東京電力がやっちまった杜撰な防災対策の結果大量の放射能が太平洋に流出したわけだが、僕はどうして諸外国の政府がこの事態に対して責任追及してこないのか不思議だった。福島の原発が放出した放射能の環境影響は計り知れないものがある。この保証を求めることがそもそも無意味だという意味なのだろうか。しかし、実態は違った。どこの国も大体が同じ企業の設計・運用で進められており、日本の原子力発電所の欠陥を指摘することは自分の首を絞めることになるからだった。

しかも本書がやり玉にあげているハゲタカたちは、タイトルにあるようなエネルギー業界にとどまらない。金融業界にはもっともっとたちの悪いハゲタカたちが跳梁跋扈しているという訳なのだ。


驚いたことにパラストはシカゴ大学であのミルトン・フリードマンのゼミの学生だったのだという。デリバティブ取引のまやかしに当初から懸念を覚えたパラストは他の学生達が金融業界で荒稼ぎしフェラーリに乗るような生活へと進むなかひとり決別して調査報道の世界へと踏み出した男なのだった。


金の流れを調査分析する明敏な手法で物事の確信に迫っていくパラストに対して、ハゲタカたちは色仕掛けのスキャンダルをしかけてきたこともあるのだという。思い出して欲しいIMFの専務理事だったおっさんも同じような事件で恥辱にまみれて失墜した事件がなかったろうか。

色仕掛けなんてまだ可愛げがある。


 1995年、サザン社はミシシッピ、ジョージア、フロリダ、アラバマの各州で操業していたが、法的には不可能だと思われていた方向へ向かって進んでいた。海外の会社を買収することだ。最初に目をつけた海外企業は、イギリスのサウスウエスト電力会社だった。私には、彼らがアメリカの公共事業持ち株会社法をどうやって回避できたのか、疑問に思った。だが私が答えを得る前に、産業ロビイストたちは法律を葬ってしまった。

 ジェイク・ホートンは、その持株会社法違反の罪をかぶった会社の上級副社長だった。彼はサザンのためにフロリダ州の取締官に不法な支払いをしたかどで逮捕されていた。
この会社は、ジェイクの罪の証拠を握っていたが、ジェイクのほうは会社の罪のさらなる証拠を握っていた。たとえぱ、会社は、自社の鉱山から採取した石炭の代金を数百万の電力消費者に請求していたが、石炭輸送列車の積荷はただの石だった。まだまだたくさんあるが、ジェイクは司法長官に真実をすべて暴く決意をして、会社の専用機を使った。
 搭乗機は離陸して数分後に、爆発した。


まるでジョン・ル・カレの小説を地で行く事件ではないかと思う。というかル・カレの小説がこうした実情を踏まえたものになっているということだ。背筋が凍らないかい。

しかもこのイギリスの電力会社の買収劇はこの後、沙汰闇になるどころか、追従者も現れ先を争う事態となっていくのだが、その連中の中にはヒラリー・クリントンの息がかかる企業も含まれていたのだ。


そんな修羅場をくぐってきたパラストをも仰天させたのが他でもないIMFだった。スティグリッツとのインタビューの中で彼はこんなことを言ったそうだ。


 特に気になったのは、エクアドルの件だ。調理用ガスを30倍も値上げするように命じたあと、世銀は政府にこう警告した。「社会的混乱」が起きると思えるので、「政治的解決策」を用意しておくべきだと。

 なんだって?世銀とその相棒IMFは、遠まわしにこう言っているように思えた---厳しい緊縮政策は暴動を招きかねないから、政府は弾圧のための警察力を用意しておかなければならない、と。私の妄想だろうか。
スティグリッツの答えに、私はひっくりかえりそうになった。
「『IMF暴動』と呼んでいる」

 それは冷酷きわまる戦略だ。銀行は退屈だなんて、大間違いだ。スティグリッツによれば、IMFは、「苦境に陥っている国を見れば、それを利用して最後の一滴まで血を絞り取る。鍋が煮えたぎって割れてしまうまで、火を炊き続ける。」


心配なのはパラストにはやや敗色が見えてきていることだ。なにせハゲタカたちは大勢いてあとからまた加わってくる者たちも止まる気配もなく、パラストは優秀なメンバーに囲まれているとは云え、広い意味では一匹狼で孤立無援なのだ。

そしてあちこちで鍋は煮えたぎり火勢はさらに勢いを増すばかりだ。

テロは勿論許されるものではない。しかし鍋が割れるのも構わず火を炊き続け最後の一滴まで血を絞り取るようなハゲタカたちの行動もまた許されるものではないのだ。向かってくるにはそれなりに理由があると考えることもまた必要だと思う次第だ。




△▲△

紳士の黙約
(The Gentlemen's Hour)

ドン・ウィンズロウ(Don Winslow)

2012/01/03:お正月の悦楽として仕込んでおいたのがこの一冊。ル・カレに続けてウィンズロウだとはなんて贅沢な年末年始なんだろう。しかも期待以上に面白いときたらもう何も言う事はありませんねー。

ということで2013年の最初の一冊はこの「紳士の黙約」。ブーン・ダニエルズ、ドーン・パトロー ルのシリーズ二冊目です。

はじめての方は是非「夜明けのパトロール」からどうぞ。

8月のパシフィック・ビーチの海は『カンザス状態』、つまり波がない真っ平ら。そしてブーンもロクな仕事もなく干上がりつつあった。沖でひたすら波を待っているブーンに近づいてきたのは、サーファー向けのアパレルブランドで成功した男・ダン・ダニエルズだった。妻が浮気しているようなので調べて欲しいと。浮気調査は探偵業のなかで最も気の向かない仕事だが、万年金欠状態のブーンに選択肢はなく引き受ける。

ティファナではドラック市場の奪い合いで苛烈な抗争が続いていた。バハ・カルテルを率いるクルーズ・イグレシアスは自宅を襲撃されたことで、これ以上ティファナに留まるのは危険すぎるということでこの場所を捨てる覚悟を決める。行き先はサンディエゴ。パシフィック・ビーチ。

海で思いがけず仕事にありつき事務所に戻るブーンを待ち受けていたのはバーク・スピッツ・アンド・カルバー法律事務所の助手を務めるペトラ・ホール嬢だった。彼女が持ち込んできたのは引き受けることなど論外な事件だった。

コーリー・ブレイシンガム事件。

バーク・スピッツ・アンド・カルバー法律事務所は図らずも、両親の友人であり、かつ偉大なサーファーとして数々の伝説を残したケリー・クーヒオ。ブーン、サニーにサーフィンの手ほどきのみならず、サーファーの哲学・生き方そのものを伝授した古き良き時代の紳士サーファーの体現者であったあのK2を酔った勢いで殴り殺したコーリー・ブレイシンガムの弁護を引き受けたのだった。

この事件で開いた人生の大きな穴の間隙を今だ埋めることができずにいるブーンにコーリー・ブレイシンガムの弁護のための調査に協力して欲しいというのだ。

コーリー・ブレイシンガムはブーンのみならず地元のサーフィン仲間たちにとって最大の敵であった。勿論ドーン・パトロールにとっても。そして尚悪いことにこの事件の捜査に関わっているのはメンバーの一人、ジョニー・バンザイだった。更なるとどめに自宅軟禁状態の身の麻薬王レッド・エディーはクーヒオとハワイ同郷であることから復讐を誓っている始末だ。

ブーンの財務状態を勝手に自らの管理責任としているチアフル爺さんですらこの事件に関わるのは賢明ではないと考える。「地元の評判ガタ落ち」な仕事だ。

しかしブーンはこの仕事を引き受けることにする。

パシフィック・ビーチでも近隣のラホーヤでも近年、地域の開発が進み人口が増大してきたことと歩調を合わせるかのようにストリート・ギャング達の類の連中が横行するようになり徐々に暮らし向きの様子が様変わりしつつあった。海でも。

地元の海を縄張りとして余所者を受け入れない風潮が強まってきていたのだった。そして消えつつあるのがサーファー同士の暗黙の了解事項であったはずの紳士的なマナーだった。

不動産業でひと財産築き上げた裕福な家庭に生まれたコーリーは19歳。ロックパイルと呼ばれるブレイクポイントで下手くそなサーフィンをしていた。
そして彼は他の地元の連中と組んでスキンヘッドに袖を切り落としたスウェットシャツに迷彩柄のズボンを履きロックパイル・クルーと名乗り、その場所にやってくる余所者を阻んでいたのだった。

なんとか第一級殺人ではなく傷害致死と司法取引に持ち込みたい弁護士事務所だったが、当のコーリーは「しゃべる気なし」と頑なな姿勢をとり続けている。地元住民を敵に回し、下手をすれば仮釈放がない終身刑を下される可能性があるというのに、この態度は親が金で解決してくれると思っているのか、本物のバカなのか。

気の進まない浮気調査と並行してコーリーの身辺調査を開始するブーンだったが、コーリーの弁護側に参加することが自分の生活にどれだけ溝を作るかは予想を超えるものがあった。しかも事件は予想外の展開をみせていく。


前にも書きましたがジョン・D・マクドナルドのトラヴィス・マッギーシリーズを彷彿とさせる見事な、そしてあっと言わせるストーリー展開。がしっと纏まってくる伏線の心地よいこと。期待以上に面白かったよ。近年多忙を極めるウィンズロウ。本シリーズの次回作は未定ということのようですが、是非沢山続きを書いて欲しいと思います。

余談ですが、14wordsは実在の話でディビィッド・レーン(David Lane)が考え出した"We must secure the existence of our people and a future for white children."というスローガンの隠語だということでした。

現代に再び蘇ったロビン・フッドはこうした新しい悪と戦う設定となっているというウィンズロウの立ち位置も全くもって安心感と信頼を覚えるものがあります。


「キング・オブ・クール」のレビューはこちら>>

「野蛮なやつら」のレビューはこちら>>

「夜明けのパトロール」のレビューはこちら>>

「シブミ」のレビューはこちら>>

「フランキー・マシーンの冬」のレビューはこちら>>

「犬の力」のレビューはこちら>>

ニール・ケアリーシリーズのレビューはこちら>>

「ザ・カルテルこちら>>

「報復」のレビューはこちら>>
△▲△

HOME
WEB LOG
Twitter
 2024年度(1Q)
 2023年度(4Q) 
 2023年度(4Q) 
 2023年度(3Q) 
 2023年度(2Q) 
2023年度(1Q) 
2022年度(4Q) 
2022年度(3Q) 
2022年度(2Q) 
2022年度(1Q)
2021年度(4Q)
2021年度(3Q)
2021年度(2Q)
2021年度(1Q)
2020年度(4Q)
2020年度(3Q)
2020年度(2Q)
2020年度(1Q)
2019年度(4Q)
2019年度(3Q)
2019年度(2Q)
2019年度(1Q)
2018年度(4Q)
2018年度(3Q)
2018年度(2Q)
2018年度(1Q)
2017年度(4Q)
2017年度(3Q)
2017年度(2Q)
2017年度(1Q)
2016年度(4Q)
2016年度(3Q)
2016年度(2Q)
2016年度(1Q)
2015年度(4Q)
2015年度(3Q)
2015年度(2Q)
2015年度(1Q)
2014年度(4Q)
2014年度(3Q)
2014年度(2Q)
2014年度(1Q)
2013年度(4Q)
2013年度(3Q)
2013年度(2Q)
2013年度(1Q)
2012年度(4Q)
2012年度(3Q)
2012年度(2Q)
2012年度(1Q)
2011年度(4Q)
2011年度(3Q)
2011年度(2Q)
2011年度(1Q)
2010年度(4Q)
2010年度(3Q)
2010年度(2Q)
2010年度(1Q)
2009年度(4Q)
2009年度(3Q)
2009年度(2Q)
2009年度(1Q)
2008年度(4Q)
2008年度(3Q)
2008年度(2Q)
2008年度(1Q)
2007年度(4Q)
2007年度(3Q)
2007年度(2Q)
2007年度(1Q)
2006年度(4Q)
2006年度(3Q)
2006年度(2Q)
2006年度(1Q)
2005年度(4Q)
2005年度(3Q)
2005年度(2Q)
2005年度(1Q)
2004年度(4Q)
2004年度(3Q)
2004年度(2Q)
2004年度(1Q)
2003年度
ILLUSIONS
晴れの日もミステリ
池上永一ファン
あらまたねっと
Jim Thompson   The Savage
 he's Works
 Time Line
The Killer Inside Me
Savage Night
Nothing Man
After Dark
Wild Town
The Griffter
Pop.1280
Ironside
A Hell of a Woman
子供部屋
子供部屋2
出来事
プロフィール
ペン回しの穴
inserted by FC2 system