2010年度第一クール。新年度となりましたが経済も政治も混沌として先の見えない日々です。プライベートでは、せめての運動不足解消にと走り出した自転車が東京や千葉の運河、そして活きた都市の姿を僕にみせてくれ、本を読むように地図を読み、地図を読むように関東の川を走る楽しさを知り充実した日々送っています。今年度はいい年になりますように。
「光るクラゲー蛍光タンパク質開発物語
(Aglow in the Dark: The Revolutionary Science of Biofluorescence)」
ヴィンセント・ピエリボン(Vincent Pieribone)&
デヴィッド・F・グルーバー(David F. Gruber)
2010/06/27:2008年のノーベル賞に日本は湧いた。物理学賞で南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏が、化学賞で下村脩氏が受賞したのだ。一遍に4名と云うのだからびっくりだ。門外漢で下手の横好きな僕としては物理学、しかも量子論の世界で日本の学者が認められる事に何より喜ばしいものを感じたものだ。
受賞のニュースでは、益川氏のユニークなキャラクターが印象的で、そっちに目が行ってしまって、いったいどんな偉業だったのかが霞むような感じだったと記憶しています。そこで気になっていたのは下村氏、緑色蛍光タンパク質を発見したその功績を認められたものだと云うがそもそもこの緑色蛍光タンパク質ってどんなものなのだろうか。
正に出るのを待っていたのが、その宙に浮いた疑問に答えてくれそうな本書のような本だ。待ってましたとばかりに飛びつきました。 緑色蛍光タンパク質に触れる前に、生物発光について。生物発光と言ったとき誰でも思い浮かぶのはホタルだろう。ホタル以外で光りを放つ生物として、イカやクラゲ、キノコや藻類などじっくり考えると実は沢山ある。
陸上に住む生物には、生物発光は比較的まれなのだが、深海では90%以上の動物種が光を発光できる。太陽からの光子は水中では粒子によって散乱されたり水に吸収されたりするので、水深が75メートル増すごとに太陽光は10分の1に減る。海洋中で太陽光線が届く範囲はわずかで、大部分は常に暗闇に包まれているから、自分自身で発光できる海洋生物は有利になる。発光源をおとりにして獲物を誘ったり、光を利用して暗闇を探索したりできるから、食物を得るのに役立つのだ。また、光で目をくらませたり驚かしたりして敵を撃退もできれば、種に特異的な光のディスプレーによって異性を惹きつけることもできる。
光を複雑なパターンで明滅させる深海のクラゲがみせる光景は神秘的ですらある訳だが、果たして彼らは何のために発光する能力を獲得したのだろうか。実はこの発光する機能を本来備える必要がどこから来ているのかはよくわかっていない。自ら光る事で光合成を促進しているとか、体内の熱を逃がす為に発光している可能性もあるのだそうだ。
一般的な発光は熱を伴う発光であったり、反射率をあげる事で光る、つまり入射光がないと光る事ができなかったりする。生物発光では熱を伴わず発光する事ができると云う点で非常に特異な機能だ。属に云う「冷たい発光」であり、この仕組みがわかれば熱効率に多大な貢献が期待でき、その技術は様々な用途に利用できるのではないかと期待されている。古来から発光生物は我々の興味を惹き、利用されもし研究が重ねられてきた。しかし発光する仕組みがわかってきたのはごく最近の事だ。
本書はこの生物発光現象の謎に迫る科学者たちの奮闘の歴史を紐解くものであり、下村氏の来歴にも詳しく迫るものとして探していたのは君だと云うような本でありました。またこの冷たい発光現象だが僕は工学的な利用を想定されているものが多いのかと思っていたのだが、実はそればかりではなく、遺伝工学に活用されだしていると云う事でした。これは、遺伝子組み換えを行う際に、そもそもどの遺伝子がどうゆう働きをしているのか分析をしたり、活性度合いを測るために予め特定の遺伝子にこの発光タンパクを組み込んでおき、適宜光らせる事でその動きを追跡していこうというものなのだ。アルツハイマー病の発症やがんの転移のメカニズムの解明など医療の研究にも役立てられているのだそうだ。
この技術に主に使われているのが緑色蛍光タンパク質である訳で、それは発光する以外の機能を持たず無害である事が前提となっている。特定の遺伝病の原因究明等をするために、怪しい遺伝子に印を付けていると云う。
生物の遺伝子に手を入れる事にはかなり違和感がある。病気の解明は確かに大切な事だが、その解明のために未知のものを持ち込む事で手に負えない事態となる事は本当にないのだろうか。著者らは神経生物学などが専門の科学者だが、彼らは全く問題がないと思っているらしい。脳細胞に発光タンパク質を埋め込んだ人類は思考をコンピューターに直接送り込む事で、手足を使わずに乗り物の操作ができるようになると云うのも夢ではなくなるかもしれないと云うような事を示唆していた。
人工的なタンパク質を細胞内に埋め込んだ生物は元の生物と同じ生き物と云えるのだろうか。僕はちょっと迷子になりました。と云うかそんなのは嫌だなと。適応する範囲は慎重にかかる必要があると思うのだが、医学は金がかかるが、当たればその報酬がでかい事で先を争った事態となっている雰囲気すらある。ちょっと心配になりました。
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2010/06/27:月に一冊二冊はフィクションの面白いヤツを読みたいと思う。ルイス・ミゲル ローシャの「P2」なんかはどうかと思うのだが、候補が続かない。全体量として海外ミステリの最近の元気のなさは残念で仕方がない。読書における兵站として僕はロス・トーマスとか、ドン・ウィンズロウ、トニイ・ヒラーマン、ジョン・R・ランイズデールなどの本を引っ張り出して有事に備えざるを得なくなってしまった。
生家の家を引き払ってしまった際にマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールをはじめとする警察小説やジョン・ル・カレやレン・デイトンといったエスピオナージュの大量な書籍を手放してしまった事がついつい悔やまれる。手元に残しておいていたらもう一度読む機会を作れたかもしれないのに。
いやいやしかし、巷には本が溢れていて、これから読むべき本は尽きる事がない。振り返って郷愁にふけっている暇はないのだ。などと自分を奮い立たせつつ前進。前進。
新しいものに目星が付けられず選択に行き詰まるようならカミさんに聞けばよい。カミさんは既に宮部みゆきの本の殆どを読破しており、僕の好みもよくわかっているので、「なんかない?」と聞けば候補の一つや二つはすぐに持ってきてくれる。
さっと出してくれたのはこの「魔術はささやく」。殺人事件や自殺、事故のニュースがない日はない。一つ一つの事件・事故には痛ましい悲話があり、加えてそうなってしまった経緯もそれによって起こる影響も語り尽くせない程の深さと広がりがあるハズなのだがニュースの読者側で傍観者である我々は三歩あるけば何事もなかったかのように普段の生活に戻ってしまう。空の上から我々の行動を観察していたら、僕たちはまるで蟻のように見えるのだろうなとふと考える。この生き物たちは恐らく他のものの死に対して何の感情も持たないものだと思われてもおかしくないのではないかとも思う。
16歳になる守は何かの事情で故郷、親元を離れ伯母の家に暮らしている。その家に深夜にかかってきた電話は個人タクシーの運転手をしている伯父が事故を起こしたと云うものだった。相手は若い女性で殆ど即死だった。
深夜の交差点での事故。運転手側に非があると考えられて当然の状況だが、伯父は普段から慎重な運転をする人で、本人の主張は青信号を直進していたら、女性が交差点に走り込んできたと言っているようなのだ。
この飛び出してきた女性に先行してマンションからの飛び降り自殺と地下鉄への飛び込みと云う二つの事件があった。いずれも若い女性でこの三人にはある繋がりがあった。
守を中心とした事件によって大きくかき乱されていくく当事者たちの生活を描きつつ、この三つの事件の裏に隠れているある意思が徐々に浮かび上がってくる。
守はこの謎を追う事になっていくのだが、それは自分さえ良ければよいと云う血の通っていない心の持ち主たちによって繰り返される悪徳の蠢きを暴き出すばかりか、14年前に失踪した父の足どりにも迫るものになっていくのだ。
滑り出しこそ、この物語はどこへ向かうつもりなのかと一抹の不安を抱かせるものでありましたが、読者を良い意味で裏切り続ける計算されたプロット。面白いじゃないの。期待通り楽しんで、本書が暴いた社会の底に沈んでいるであろう毒の存在はまったく実在であるのだなと改めて気がつく自分に出会う。これぞ、ミステリの基本じゃないでしょうか。
本書は1989年、第二回日本推理サスペンス大賞を受賞した本で既に20年も前の本で当時テレビドラマにもなっていたそうだ。日本推理サスペンス大賞自体がもう既になくなってしまっている。あの頃はまだ海外ミステリも元気で僕は外の本ばかり読んでいた訳だが、どうして日本のミステリも頑張っていた訳だ。ほんと全く知らずにお見逸れいたしました。
宮部みゆきのような目線で今の日本の社会を斬る役割を担って書かれてる本を僕は見逃しているのだろうか。なんかそんな本が沢山ありそうな気がしてきた。少し真剣に探そう。
「黒武御神火御殿」のレビューは
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「きたきた捕物帖」のレビューは
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「あやかし草紙」のレビューは
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「三鬼」のレビューは
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「あんじゅう」のレビューは
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「かまいたち」のレビューは
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「ソロモンの偽証」のレビューは
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「ばんば憑き」のレビューは
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「ぼんくら」のレビューは
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「あかんべえ」のレビューは
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「模倣犯」のレビューは
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「初ものがたり」のレビューは
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「平成お徒歩日記」のレビューは
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「地下街の雨」のレビューは
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「火車」のレビューは
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「弧宿の人」のレビューは
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「魔術はささやく」のレビューは
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「小暮写眞館」のレビューは
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「チヨ子」のレビューは
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「堪忍箱」のレビューは
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2010/06/20:先日、中国大使館前で奇妙な事件が起こった。大使館前に立つ男性は明らかに落ち着かない雰囲気だ、背後をかこむ日本の警察。突然男性は柵を跳び越え、大使館の門に向かって走り出したが、既にその行動は予見されていたのか、警察官たちはこの男性を取り押さえると連行していった。あくまで大使館前のお話であって、門の入口に立っている中国側の警備員は微動だにせず静観している様子でありました。
この男性はウーアルカイシ氏。1989年の六四天安門事件学生指導者だった人物だという。この天安門事件は学生らのデモ隊を鎮圧するために、戦車を含む軍隊が派遣され、戒厳令が敷かれる事態となった事件だ。この時の死傷者数を中国政府は319人と発表しているが、実際には数百から数万とする説もある不気味な事件だ。
わからないのは、この事件の後政治亡命し、消息が不明となっていたウーアルカイシ氏が日本におり、中国へ送還される事を望んだにもかかわらず却下され、大使館に駆け込むと云う強硬手段に出ようとしているところを日本の警察が取り押さえていると云う構造だ。僕には読めないので何が書いてあるのかわからないけど、ウーアルカイシ氏はブログもツイッターも更新できる環境におり、消息不明だったと云うニュース自体がわからない。誰から見て消息が不明だと云うのだろうか。
2008年にはチベット、2009年には新疆ウイグル自治区で争乱がおこり、いずれも軍隊が出動しこれを鎮圧する事態が生じているがやはり犠牲者の数ははっきりしない。
中国三千年の歴史なんて言い回しとしての中国は三千年前からあったのような事になっているが、中華人民共和国が建国されたのは、1949年。たった60年、アメリカ合衆国よりも若い国である訳なのであり、それ以前に連なる三千年の歴史は数多くの王朝の趨勢と夥しい数の戦いによって血塗られた内容なのである。
1206年、チンギス・カンによって起こったモンゴル帝国は遊牧文化から生まれた騎兵による機動力の強さを活かしてその勢力を拡大し、ユーラシア大陸の大部分を支配下に治める巨大な連合国家パクス・モンゴリカを形成するに至った。しかし他の帝国の例に漏れずモンゴル帝国は瓦解しモンゴル人たちは草原に戻り自らの歴史も忘却し政治的には眠れる獅子となった。
再び彼らを目覚めさせたのは他でもない日本だ。満州に国を作ると云うお題目を掲げて大陸へとしゃしゃり出て行き、作り上げた満州国の支配をモンゴルの草原地域に広げた事からモンゴルの人々をも巻き込む事となった。その国の中で学校を作り現地の人々を教育した。この教育によって彼らは自らの民族的出立に再び目覚める事となったのだ。
モンゴル人は忘れ去っていたが、モンゴル帝国の強さ。漢民族やロシアにとってそれは忘れることのできない歴史であった。毛沢東にとって、漢民族としては過去の汚名をそそぐためにも、中国を統一するためにも、モンゴル人の民族意識の覚醒は何が何でも阻止すべき事態であった。その為に毛沢東が取った手段とは、モンゴル人とモンゴル人を戦わせると云う文化大革命、または陰謀ならぬ陽謀と云う名であからさまに行われたジェノサイドであった。
おそらくこれは、ウイグルでもチベットでも同じ手段を取ったものと想像するが、共産党員を募り彼らに民族主義的、反革命的な有力者たちを糾弾させ、知識者たちを蹂躙し、これを血祭りに上げた共産党員の首を、汚職や圧政、不当な弾圧を行ったと云う罪によって今度は地域に入り込んだ漢民族の幹部が跳ねるのである。こうした糾弾と追求は本人はもとより、その家族や親戚、友人たちをも根こそぎにすると云う徹底的なものだった。
本書が語るその様子には息を呑む、目を背けたくなるような描写の連続だ。このような甚だしい人権蹂躙と虐殺がたかだか40年前に行われている事だと云う事実はなかなか飲み込めるものではない。
こうして目覚め始めた民族意識を葬り去る事によって中国は成立した。その犠牲者はやはり不明だが、夥しい数に及んでいる事は間違いない。文化大革命による弾圧は徹底したものであったが、完全なものではなかった。だからこそ、こうして我々はその歴史を知る事ができる訳だし、時として、熾火のような火が炎を上げる事があるのだ。
中国が漢民族と50を越える少数民族の国に分離すると云う事は多分あり得ないだろう。我々はその火がたまたま上がったものではなく、日本の歴史としっかり地続きでその責任もある事である事をはっきりと自覚しなければならない。覆水は盆にかえらない。しかし、その事実を認める事が問題を解決する方向への第一歩となるのである。
そして日本。大陸に侵出し、日中戦争をも引き起こした日本として、こうした中国国内の内政に関与しづらいと云う状況に陥っているのは事実だが、だからといってすべてを黙殺し続ける事が正しい事だとは決して言えないものだ。ウーアルカイシ氏は公式には身元不明のまま釈放と云う政治問題に発展する事を避けた。ようは誤魔化したのだと僕は思う。
「続・墓標なき草原」のレビューは
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2010/06/20:手強いというよより以前に歯が立たない本でありました。あとがきを見ると、本書は「青銅の神の足跡」、「鍛冶屋の母」、「白鳥伝説」に続く四部作となっていると云う事で、前三部を読まずに手を着けたのがそもそもの間違いであったが、予めもっとこの時代の事について知識をもっている事を前提に書かれているからなのだろう。本書が辿る道筋が見えてこない。章が切り替わる度に場所も時代もテーマも切り替わり、それが意味するところがわからない。
四天王寺には物部守屋が祀られた廟がある。この四天王寺は聖徳太子が、物部守屋との戦いの勝利祈願をした事から建立されたもので、そもそも物部守屋はこの戦いにおける敵であり、結果的に倒された相手なのだ。
この四天王寺に倒した敵を祀っているのには事情があった。そもそも物部守屋と争っていたのは蘇我馬子で聖徳太子は蘇我氏側についていた。物部守屋は排仏派、蘇我馬子は崇仏派つまり宗教戦争でもあったのだ。仏教が伝来した時期は諸説あるが、538~552頃に欽明天皇の治世に百済から渡ってきた。これを受け入れるかどうかで争乱が生じ、軍事氏族であった物部氏が587年に滅ぼされるまでに至った。欽明天皇は571年、宇佐に八幡神社示顕したとされており、仏教の受け入れについて否定的であったと考えられ、八幡神社は折に触れて政や人事についても大きな発言力を持っていたらしい。
そこにやってきたのが仏教であった。蘇我氏をはじめ一部の氏族たちはこれを受け入れ帰依し、私邸に寺を建立し信仰をしはじめていく。神の詔によって国事をなしていた当時にあってこうした動きが衝突の原因を作ったのだろう。
合戦に勝利した聖徳太子は、祈願成就の為に約束した四天王寺を建立し、そこに排仏を唱えた首謀者物部守屋を祀った。こうして仏教は深く日本の政へと入り込んでくる。
仏教伝来は我々日本人の生死感を変える事態となったらしい。
常世を道教の匂いのする蓬莱島に似た原郷、それから導き出される不老不死の世界と見なす古代人の他界感、つまりに日本古来の常世感から道教の影響を受けた常世感に変質した七、八世紀頃を考えると、赤染氏が常世連を賜ったということが納得できるのである。不老不死は民間道教の最大の目標であり、そのためにさまざまな仙薬が用いられた。それを大別すれば植物の草根木皮から採取した本草薬と、鉱物から採取した石薬の二つがある。つまり植物性の仙薬と鉱物質の仙薬である。香春岳は多くの鉱物にめぐまれていた。赤染氏はそれらを採掘し、調合し、石薬を作り、家伝薬として伝えていったのではないか。
つまり古代の日本人は死んであの世へ行けば、未来永劫そこで暮らす事になると考えていたものが、この世において不老不死を実現すべく植物・鉱物の採集と仙薬の調合が流行ったのだそうだ。
聖武天皇は743年東大寺と盧舎那仏像が発願。この仏像へ張る金箔が不足し遣唐使を立てようとするが、八幡神社は近々日本の土地から金が出るので心配ないとの託宣した。そしてなんとその託宣通りに金が出たのだそうだ。その場所は、宮城県遠田郡涌谷町。ここには黄金山神社が延喜式内社ある。発見したのは百済王敬福と云う貴族で、彼はその名の通り百済の血を受け継ぐものだ。涌谷の砂金は確かに存在したようだが、大仏に塗布するに足る量ではなく、唐からの影響力を削ぐために、百済から密かに持ち込まれたものなのではないだろうか。
大仏の一件に神社の託宣が入ってくるのだから面白い。しかもそれに涌谷町が出てきたのにはたまげました。こりゃ帰省した時に寄らなきゃねぇ。
鉱物資源の収集とその加工技術は明らかに渡来してきたものであり、こうした技術は武器やシンボルの作成に欠くことのできないものであり高度な機密的知識でもあったハズだ。半島との繋がりを持ち新しい知識、技術を持つ事で世を治めようとしていたのだろう。本書は半島から与えられた文化、宗教、経済、そして権力の振動の根本を探っていく。
仏教伝来に鳴動する日本。この時代、もっと掘り下げて勉強しなくちゃ。
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「かくして冥王星は降格された―
太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて
(The Pluto Files:
The Rise and Fall of America's Favorite Planet)」
ニール・ドグラース・タイソン(Neil deGrasse Tyson)
2010/06/12:水金地火木土天海冥(すいきんちかもくどってんかいめい)こう習った。暗記させられるような授業があったんだろうか。
惑星軌道の模型をはじめて見たのは仙台の天文台だったと思う。太陽の回りをグルグルと色の違う玉が違うスピードで回る機械仕掛けのやつだった。太陽の回りを地球がグルグルと回っており、この地球の周りを月が回っている。同じように他の惑星の回りにもいくつかの衛星があってそれぞれはやっぱりグルグルと回っている。事実として理解は出来ても、回り続けられるバランスというものがどんなものなのかイメージする事は難しいのではないだろうか。いまだに僕にはすっごく不思議に思えるのだ。
太陽系は自分たちの住む場所であるにもかかわらずまだまだわからない事が沢山ある訳だが、近年太陽系内の探索も進み新しい知見が得られてきた。ボイジャー1号が送ってきた、木星の環や大赤斑の様子は大興奮だった。2002年にクワオアー、2003年には、セドナ、エリスと云う太陽のまわりを回る星が見つかった。我々が知らない星が太陽のまわりを回っていたというのはびっくりじゃないか。
僕のような素人がこんなニュースにワクワクしているその向こう側で天文学者たちは新しい難問にぶつかっていた。それは「惑星の定義」だ。衛星、彗星、隕石など太陽のまわりを回る物質には様々なものがある訳で、細かい部分が見えてくる事でどんなものを惑星と呼ぶのかといういうものだ。なにしろ冥王星は直径が2,320kmと月(3,474km)よりも小さい星なのだ。
発見者である御大クライド・トンボーや、プルートと云う名の持つイメージなどが相まって冥王星から太陽系の惑星と云う地位を剥奪するのは予想以上の反発を生んだ。
本書は、ニール・ドグラース・タイソンが、自らが長を務めるヘイデン・プラネタリウムの展示物に冥王星がなかった事から、冥王星の地位剥奪の黒幕と云うか、諸悪の根源として、世間から痛烈に批判を浴びるハメに陥った事から、惑星の定義にゆれる天文学、そしてこれを煽るメディアの実際にあったドタバタを描いたものだ。
ヘイデン・プラネタリウムでは、この惑星の定義に先立って展示物を企画していた訳だが、当然彼一人で決めた訳でもなく、天文学の専門家による委員会によって決定されたものであり、冥王星をめぐる議論にも当然考慮していた。
彼らが出した結論は、惑星と云う定義に触れる事を避け、太陽系の星をその性質によって五つのグループに分け、そのグループに属する星についての展示を行うと云う方法だった。この5つのグループとは、地球型惑星、小惑星帯、木星型惑星、カイパー・ベルト、オールトの雲だった。この分類によって展示を整理した結果、冥王星は展示されなかったと云う訳だ。
企画展示物を通してみた客たちのなかから冥王星がない事が指摘され、それがニューヨーク・タイムズにやや刺激的に取り上げられた事から、事態は炎上。ヘイデン・プラネタリウムは早急に冥王星を展示物に加えるべきだ。と。子供からアマチュア天文学者、プロの科学者をも巻き込んだ大変な論争となったのだ。
押し寄せる非難や悲鳴や中傷にも怯まず、明らかに氷の塊であってなおかつ他の地球型惑星よりも小さい冥王星を展示物に加える事を断固として拒否するのである。真摯な態度で自分たちの考えを表明するドグラースの姿は、正に尊敬に値する。
世界には二種類の科学者がいる。研究対象のなかに、よく似たものを見つけ出し、それらが互いにどのように異なっているかを探究する者たち、そして、研究対象のなかに異なるものを見つけ出し、それらがどのように似ているかを探究する者たちだ。自然界の深い理解に到達するためには、これら二つの陣営を一定の期間にわたって支配するが、最終的には解消される緊張関係が必要となる事が多い。
僕はそもそも超アバウトで、迎合的。仕事でもそんな部分が恐らく全面に出ているのだろう。しかし、時としてその曖昧さが故に行き詰まってしまったり、かえって事態をややこしくしてしまう事がある。予想外な事に本書は自分のこれまでのテキトーな言動の数々への気づきを与えてくれるものとなりました。頂いた教訓を真摯に受けとめて行きたいと思います。
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「なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―
記憶と脳の7つの謎
(The Invention of the Jewish People)」
ダニエル・L・シャクター(Daniel L. Schacter)
2010/06/06:会社の同僚が飼っているミニチュアダックスは14歳を越え、散歩からの帰り道、自分の家の玄関前を通り過ぎてしまうようになってしまったそうだ。
渡辺謙は「明日の記憶」で若年性アルツハイマーにかかってしまう中年男性の役を演じていた。この映画観てないのだが、恐ろしくて観れないと云うのが正直なところだ。我が身として考ようにもどうしたらいいのかわからない。
転んで頭を打ってから様子がおかしいので病院に行ったら梗塞が発見されたなんて云うお知り合いの方のお話もあった。
脳の仕組み、記憶や思考の働きと云うのは驚異だと思う。一体どのようにできているのだろう。
ここ二年間、仕事での打ち合わせの密度はどんどんエライいことになってきており、90分の打ち合わせが日に6個入ってしまう事もざらになってきた。合間には届いたメールの処理やら、事前の準備や、調査・分析の宿題の作業、そして複数のメンバーとスケジュールの調整。気がつくともう夜なんて感じの毎日だ。
打ち合わせも目まぐるしいが、出入りするメンバーの関係も錯綜していて、自分では言ったつもりが相手は聞いていない。本当に聞いていなかったのかもしれないし、その人にはその話しをしていないのかもしれない。どこで誰とどの話しをしていたのか、お互いだんだん怪しくなってしまってきた。
昔だったらもっとピシッと頭は切り替わったし、明晰に物事が理解できた気がするのだが・・・・。単に思い過ごしかもしれないけども。
以前もかなり長期にわたって打ち合わせが延々と続くプロジェクトに居たが、現在の濃さは今まで以上で、頭の切り替えがなかなかできなくて四苦八苦するのもこれまでにはない位大変になってきた。プロジェクトの濃さもあるけれど、これは年取ってきたからじゃねーの?と云う不安がよぎってきた。
イチョウの葉っぱがいいなら、僕は明日からそれを主食にするわ。
「忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私」の著者でもあるジル・プライスは8歳以降の出来事を日付と曜日とともに完全に記憶しているのだそうだ。忘れずにいられると云うのはなんとも羨ましい話しに聞こえるが、実際はタイトルにもある通り、あふれかえる記憶の洪水に溺れるような日々で、しかもその時の感情はまったく薄れる事なく蘇るため非常に辛い事だったのだ。
この本のなかで紹介されていたのが、「なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎」であった。シャクターは人々がものごとを実際に起こったこととゆがめた状態で記憶してしまうエラーを7つのパターンに分類しているという。
最初のSin(「罪」または「過失」、「エラー」)とは、"transience"(誤帰属、混乱)
第二のSin"absentmindedness"(うわの空、不注意)
第三のSin"blocking"(妨害)
第四のSin"misattribution"(誤帰属、混乱)
第五のSin"suggestibillity"(被暗示性)
第六のSin"bias"(バイアス、歪曲、偏向、書き換え)
①"consistency bias"(コンシステンシー・バイアス、一貫性を保とうとするために起きる書き換え)
②"change bias"(チェンジ・バイアス、変化の書き換え)
③"hindsight bias"(ハインドサイト・バイアス、後知恵の書き換え)
④"stereotypical bias"(ステレオティピカル・バイアス、固定観念)
⑤"egocentric bias"(エゴセントリック・バイアス、自己中心的書き換え)
第七のSin"persistence"(つきまとい、執拗さ)
「忘れられない脳」から上記の7パターンとその説明を拾い出すのは結構大変だったが、ネタ本に行けばもっと詳しくわかるのではないかと、なので是非読んでみたいと思った。おぉ、珍しく本に辿り着いた元ネタが掴めたぞ。
1986年、大リーグの優勝をかけてエンジェルスとボストン・レッドソックスが戦った試合の9回表、エンジェルスは5対2でリードしていた。しかし、この回ボストン・レットソックスは強烈な追い上げみせ、ツーアウトながら、5対4にまで追い上げた。ストッパーとしてマウンドに上がったのは、ドニー・ムーア。彼は打者を2・3にまで追い込んだ。だれもがエンジェルスの優勝を想起した最後の一球はレフトスタンドへ飛び込むホームランだった。
エンジェルスはこの後、不調に陥りシーズンの優勝を結局逃してしまった。ドニー・ムーアはマスコミに繰り返し取り上げられた事もあったのかもしれないが、この一球の件が忘れられず選手生命も結婚生活も自分の人生も壊してしまったのだそうだ。
1986年、ムーアの転落は暴力的な形で終わりを遂げた。「たった一球の記憶に苦しめられて」とAP通信の速報は伝えている。「思ったような成績をあげられず、家庭内トラブルにも悩まされた元カルフォルニア・エンジェルスのドニー・ムーア投手は、警察によれば妻を銃で数発撃った後、自殺した」。ムーアの代理人は次のようにコメントした。「たった一球でシーズンが決まることはない、と告げられても、ムーアはその記憶を克服できなかった。彼はあのホームランに殺されたのだ」。
ムーアの転落のすべてをただ一つの出来事に帰すことはできないだろうが、彼の死は記憶の7番目のエラーであり、おそらく本人をもっとも衰弱させる「つきまとう記憶」の恐ろしさを如実に示している。
我々は適度に忘れていく事で現状のバランスを取ろうとしている訳なのだ。脳の働きはなんとも奥深い。それに反してネタ本なので、もっと体系的、専門的な話しが読めると思っていたのであるが、エピソードも乏しい上に、この7つの記憶のエラーが生じる原因も対処方法も薄い。残念ながら整理不十分、踏み込み不足でありました。そもそもまだまだ脳や記憶のメカニズムはわかってない、テーマそのものが奥行きがありすぎて本書に多くを期待しすぎていたという事でしょう。
ジル・プライス&バート・デービス「忘れられない脳」のレビューはこちら
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2010/06/05:「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」はとっても面白かった。動物はサイズによって心臓が鼓動する間隔が違う。大きい動物は小さい動物にくらべて心臓が鼓動する間隔が長い、鼓動の速度は体の大きさに比例しており、どんな動物も心臓が15億回鼓動すると寿命がくる。物理学的な時間は平等に流れるが、生物学的時間はサイズによって異なるのでないか。小さい動物は大きい動物に比べるとぎゅっとテンションの高い状態で時間を駆け抜ける。寿命が短くても体感的な時間は同じような長さに感じているのではないか?
こんな大胆な仮説に基づく理論を軽妙な語り口で語る本川さんは大好きだ。
あんまり面白いので、「絵ときゾウの時間とネズミの時間」も買った。子供たちに読ませたいと思ったのだ。ご覧の通り僕はやや活字中毒気味というか、中毒で本がない生活は考えられない。カミさんもほぼ同様で切れ目なしになんらかの本を読んでいる。当然子供たちも本を読んでくれるだろうと思っているのだが、どうした訳か我が家の二人の子供たちはあまり本に近づいてくれない。押し付けると逆効果なのかもしれないので、あまり突っつかないようにはしているのだが、沢山でなくともいいので、ちゃんと本を読む大人になってもらいたいものだ。
この本川さんだが、仙台ご出身なのだそうで、僕ら夫婦が沖縄にはまって通い、カミさんと浜辺でナマコを拾って遊んだりしていた頃、そのちょっと先の研究所で正にナマコの研究をしていたと云うなんだか不思議な縁を感じる人なのであります。
本書は、いろいろな雑誌に寄稿されたエッセイをまとめたもので、ナマコばかりがテーマとなっている訳ではない。若干動物のサイズの話しが繰り返されるところに難があるのだが、進化論の本質である淘汰圧の冷酷ともいえる合理性や、東洋と西洋の根本的な価値観の違いに対する言及は、その語り口とは裏腹に非常にハードでゆるぎない思考がしっかりと根ざしており、時としてはっとさせられるものがありました。
今の社会は持続可能ではない。資源やエネルギーは食いつぶすし廃棄物をどんどんためていく。そして子供は作らない。
生命は38億年続いてきた。進化の過程で試行錯誤を繰り返し、個体が不死になるのできなく、子供を作って個体は死んでいくことを繰り返せば何十億年も持続可能なのだという答えを、生命は出してくれているのである。これを参考にしないという手はない。
右肩上がりで成長をせねばならぬと経済人や政治家は考えているが、右肩上がりとは状況がどんどん変わっていくことである。これは真っ直ぐに進んでいく時間に裏打ちされたものであり、進んでいった先が天国なのかどうかは不明である。
生命は、親の世代から受け継いだ環境を、そっくり子供の世代に引き渡す、今自分が生きている環境とは、安心して生きていけることが既にわかっている環境である。だからこうして世代を交代しながらその場で回転していれば持続可能なのである。
そう、僕たちの世界を持続可能な社会にし、子供たちやそのまた子供、百年、千年先の我々の子孫たちが笑顔で暮らせる世界にして引き渡してあげられる事を目指していくべきだと云う考えに激しく同意します。カミさんはウニが大好物、僕も好きだ。カミさんはダメだが、僕はナマコも大好きだ。ウニもヒトデもナマコも棘皮動物。食べるのも好きだが、生物学も楽しい。読んだらナマコが食べたくなったが、ナマコの酢の物の季節は冬で、今はスーパーに行っても見当たらない。あの独自の噛み心地はこの本を読むとまたひと味も二味も違ってくるのでありました。
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「ユダヤ人の起源
歴史はどのように創作されたのか
(The Invention of the Jewish People)」
シュロモー・サンド(Shlomo Sand)
2010/06/05:正月は近所の神社にお参りをして、身内の不幸ではお寺でお葬式をあげる。子供たちはクリスマスにはプレゼントが貰えるものだと思っている。自分が子供の頃から、そんな暮らしが当たり前になっている。
中学からプロテスタントの学校へ通っていた。毎朝礼拝があり、授業には聖書の時間と云うものがあった。聖書の時間では、新約聖書や旧約聖書に含まれる書の名前を丸暗記したり、描かれてる出来事の解釈を教えてもらったりした。かなり高齢だった聖書の先生は、旧約聖書の出来事を一人何役もの登場人物になりきって大変熱のこもった一人芝居をやってみせてくれたりしてたっけ。
そんな訳で、キリスト教徒でもないのに、旧約聖書や新約聖書は身近なものだ。そんな立ち位置からみた聖書の世界は、史実と云うよりも例え話か、教訓といった類のものであり、イエスの復活は創世記のアダムとイブの話しやモーセの十戒の話しも同列で伝承・伝説の類なんじゃないかと思う。こんな事を書くのは不信心で、罰当たりなのだろうが信者と呼ばれている人たちは何をどこまで信じているのだろうかと思う。「信仰」ってホントの所一体何だろう。
バーバラ・スィーリングの「イエスのミステリー(死海文書で謎を解く)」は、聖書がペシャルと言われる共同体内独自の言い回しによって歴史的事実を物語に変換したものだと云う解釈が述べられた本だった。この共同体は荒れ野にエルサレムやその近辺と地名と同じ名前をつけて暮らし、どこそこからどこへ移動したと云うような話しは、実際の場所ではなく、ミニチュア化して名付けられた共同体の暮らしている場所で起こった話しであり、描かれている奇跡も共同体内でのある意味「隠語」だったと云うのだ。
当時のユダヤ人たちは旧約聖書で約束された、ユダの国が成就されることを深く信じており、問題はそれが何時かという事だった。神学者たちはいろいろな計算に基づきその約束の時の到来を指折り数えていた訳だが、史的イエスが誕生したのは、正にそれがもう間もなく目の前に来ていると云う時期であったのだ。
史的イエスはダビデ王の血を引くと云われた権力者の息子であり、彼を取り巻く共同体の人々はユダヤ人の王の国が成立されると云う神の約束が果たされる事を信じてひたすらな宗教的儀式を繰り返していた。その宗教的活動のなかの物語をペシャルによって書き記したものが、新訳聖書の物語であったと云う訳だ。つまり、史的イエスは実在したが、奇跡を起こしたり復活をしたわけではない。
アメリカ政府がキリスト教原理主義者たちによって事実上乗っ取られ、一般市民には殆どなんの関係もない、イスラエルと云う国に対し長年にわたって巨額の支援が行われてきた。どうしてアメリカ政府はイスラエルに支援をし続けているのだろう。
第二次世界大戦では膨大な数のユダヤ人が虐殺されたが、その贖罪のために作られたようにも見えるイスラエルだが、ヨーロッパではユダヤ人を中東へ追いやった事でEUの統一化が達成できたと云う事を言っている人もいるらしい。またヨーロッパの人々が二階の窓からユダヤ人をパレスチナ人の上に落っことしたとか。
こうまでして疎まれたユダヤ人ってどんな民族なんだろう。ユダヤ人として思い浮かぶのはユダヤ教のラビの服装な訳だが、現実にそんな格好をしているのは勿論ラビだけで、ユダヤ人と呼ばれている人たちの風貌はどこか朧気だ。イスラエルの国の政府高官や街の人々はやはり、まったく特定の人種的色合いはない。実際イスラエルはユダヤ人の国ではないのだ。イスラエルはその名の通りシオニストの国であり、特定人種の国ではないのだ。
史的イエスはどんな風貌、髪や肌、瞳の色はどんな色だったのだろうか。
聖書の記述を額面通り受け取るつもりが殆どない僕でもダビデ王や出エジプトに描かれた世界は史実に近いものなのだろうと思っていた。しかし、科学的考古学的見地から浮かび上がってくる歴史は全く別のものだった。なんと神殿の破壊も追放もそして更には出エジプトの物語ですらその痕跡が見当たらず捏造された歴史であったと云うのである。
すごい反響をもたらしたと云う本書だが残念ながら、イスラエルにおける歴史教育がどのようなもので、どんな常識と云うか、一般的な前提があるのかは伺い知れず、ちょっとばかり聖書の内容を知っているだけでは、本書が暴き出している歴史の嘘が彼の地での深い信心を持っている人々の衝撃度合いは想像できない。しかしこんな僕でも顎が外れる程びっくりした訳なので、それは間違いなく壊滅的な衝撃だったのだろう。
ユダヤ民族と云う概念やシオニストの思想は近代に複数の神学者や思想家たちによって意図的に強められてきたものらしい。そもそもありもしなかった王国の再建という使命を帯びて傷つけあい血を流し続けるなんてまるで悪夢としか云いようのないものだ。
先日ガザ地区に対する支援船を突如イスラエル軍が拿捕し、乗り込んだ兵士によって乗組員10名が殺害された。銃が乱射されたと云う情報すらある。ご存じの通り、ガザ地区は、イスラエルによって包囲され断続的にその地域を侵攻され続けている場所だ。取り囲んで兵糧攻めにしているイスラエルをアメリカは支援し、「ユダヤ人のちっぽけな土地を守るためだ」等というとんでもない戯言で世の中を渡って行こうとしている。
折しも日本政府は、鳩ぽっぽが突如辞任し、恐らく茶番劇だと思われる首相選出のどたばたで当該の事件は完全にスルーした形になっている。国際法的にも人道的にも決して許されない事態が起きているというのに、新首相の夫人は自分の生活の方が大事らしい。政治に多くを期待するつもりはないが、無駄なことや最低限やらなきゃいけない事だけはちゃんとして欲しいと思う次第だが、おっと完全に脱線したぞ。
つまりユダヤ人がユダヤ人であると云う事は近代作られた幻影であり、古代からの歴史を冷静に紐解けば中東の人々は互いに血が繋がったもの同士である訳で、諍いあう事自体がそもそも不毛な事だと思う。一日も早くこの流血の事態からの脱却を願うばかりだ。
ユダヤ人の朧気な神話から歴史につながるこの歴史観と云うものが、日本人の持っているものに非常に似ている事を度々思い起こさせられた。古事記や日本書紀と旧約聖書の世界観は何か似通ったものがある。天地開闢の物語は古代信仰の原点なのであちこちの信仰に残されている。それは自分たちの来歴を示すもので、我々が何者であるかを教えるものなのである。国や民族の境界が曖昧であれば曖昧である程、自分たちの出自にこだわった内容のものを残そうとしていると見るのは歪んだ考え方だろうか。
信仰とは自分たちの来歴を信じる事なのだろうか。アメリカでは進化論を子供に教えるかどうかを大の大人が大論争をし、なんと決着が付けられない事態となっている。過った歴史観を植え付けられ、価値観は歪められてしまう。リチャード・ドーキンスは人類は宗教を捨てるべきだとまで言う。
世界中であがっている紛争の火の手を眺めるに、宗教だけではなく、民族意識も捨てる必要があるように思う。おしなべて我々は一人残らずアフリカの森のなかから出てきた一団の子孫である訳なので。
バーバラ・スィーリングの「イエスのミステリー(死海文書で謎を解く)」のレビューは
こちら>>
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「「感情」の地政学―
恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか
(The Geopolitics of Emotion: How Cultures of Fear,
Humiliation, and Hope are Reshaping the World)」
ドミニク・モイジ(Dominique Moisi)
2010/05/30:道を歩くときに注意したいものに犬のうんこと電柱脇のゲロを踏まないようにすると云う事がある。
朝の出勤中の田町では近寄らない方がいい電柱がある。どうした訳かこの電柱の袂はゲロられている事が多い。多分電柱に寄っかかってやっているんだろう。いちいち確認するだけでも朝の気分が悪くなるので、基本的には近寄らないようにしている。
普段から気をつけているつもりでもやっぱり踏んでしまう時は踏んでしまうものだ。犬のうんこもゲロも大抵同じような場所にあるので、やってるヤツも実は極一部の少数が繰り返しやっているだけなのかもしれない。
本書は正にそんな本だ。それも第一級のヤツだ。「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿していると云う点で、警戒信号が点滅していたのだが、タイトルに惹かれてついつい、踏んじまったよ。まったく。
途中で辞めようかとも思ったのだが、あまりに仰々しい文章と、ブッシュ政権に限りなく近い人物とか、どこどこ政府高官に近い筋によればとか、挙げ句の果てには、長男によればだってよ。どんなニュースソースで本書いてんだと。このアホさ加減にはホント思わず笑ってしまう程で、あんまり凄いので全部読んで、見事な分析とか、気品ある一冊とかいって引用されてる連中についてもここで記録しとくべきだと思った次第だ。
また踏まないために。
蓼食う虫も好き好き。で、それはそれで勝手にやってもらって結構だが、どこでどう活動しているかはしっかり監視しておく必要がある。勝手に歩き回られたら困るからだ。まして息がかかる程の距離では絶対に会話したくない。
ダニエル・コーエン
南半球の出生率の穏やかな低下は、アメリカのテレビシリーズの人気がもたらした直接の結果だ。
なんのテレビ番組でしょう?「セックス・アンド・ザ・シティ」かな、「24」かもね。どうやら本気で言っているらしいところが怖いですね。
マーティン・ウルフの見事な分析によれば、グローバリゼーションの原動力となっているのは、輸送と通信のコストを削減し、市場原理へのさらなる依存を促す、技術や政策の変化である。だがこの経済面でのモノの自由な流れは、政治面での感情の自由な流れを示唆する。そしてこの感情には、野心、好奇心、自己表現の欲求といった建設的な感情だけでなく、国家や宗教、、民族集団間の増悪をもたらす怒りの激情といった、有害な感情も含まれるのだ。かくしてテロリズムが、グローバリゼーションの暗く悲劇的な顔になった。
見事に偏ってて、身勝手すぎる分析だ。
エドワード・ルース「インド-厄介な経済大国」は、インドの奇跡に関する最近の研究では間違いなく出色の出来であり、参考になる。
パヴァン・K・ヴァルマは著書「だれも知らなかったインド人の秘密」の中で、この回復力を数世紀にもわたる逆境の中で培われた特質として説明する。「インド人に、受け入れられがたいものを受け入れる精神的な覚悟がどれだけあるか、他国人にはわかるはずもない」とヴァルマは述べている。変化を信じる気持ちが、社会の隅に追いやられた底辺層の心をとらえ続ける限り、希望はインドに広がるだろう
ここで云う「インド人」て何者を指しているんでしょうか。なんと乏しい認識なんでしょうか。歴史も民族も実態もわかってないで書いていますね。
著名な中東専門家オリヴィエ・ロワが、著書「グローバル化するイスラム-新たなイスラム共同体を求めて」の中で鮮やかに論証するように、西洋化に対するイスラム教徒の強烈な反発は、イスラムの伝統的国境を越えた拡大への必然的な反応であるとともに、相次ぐ失敗をもたらした無力感への反応でもある---「あいつらが支配し定義する世界では、成功できるはずがないし、成功しようとも思わない。自分なりの成功の基準を定めた、自分だけの世界を作ろう。」
テロの原動力がこんな感情から沸き上がっていると思い込んでいるからダメなんでしょうね。ほんとダメだこりゃ。
アメリカが世界覇権を狙うなかで「アメリカの約束を裏切った」ことが原因だとする見方がある(トニー・スコットの最新作「悪魔との契約---世界覇権を狙うワシントンと、アメリカの約束の裏切り」)これには、一理ある。アルカイダの最大の成果は、ブッシュ政権下のアメリカに、自らの基本的価値観を裏切らせたことにあった。
だがわたしなら、この時期起こったことをちょっと違うふうに言い表すだろう。アメリカは希望の文化から恐れの文化へ移るなかで、世界を引きつける生来の魅力を失ったのだ。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは、至らない点も多かったが、それでも世界に夢を与えた。ジョージ・W・ブッシュのアメリカは、とかく世界を震え上がらせた。ただし、こうした恐れには過剰で不当なものもあったかもしれない。
あったかもしれない。開いた口が塞がらないよ。
「アメリカ人が自国の価値観や普遍的価値観に寄せる信頼が、世界への架け橋になる」とアン・マリー・スローターは気品に満ちた著書「アメリカという観念---危険な世界の中でも価値観を見失わない」の中で述べている。現在の西洋の考え方を支配するのは不安だが、それでも彼女の言う通りかもしれない。
この価値観が架け橋になるかどうかは、先ずアメリカの一般大衆の民意が歪められず、捏造もされず、そして政策に確実に反映されていると云う前提があればこそでしょうがね。二重三重に嘘がありますね。
世の中にはまだまだこんな輩がいて、デタラメな事ををまき散らしている。努々油断してはいけないのであります。
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2010/05/22:内田樹氏の本。こちらもツイッターのなかで教えていただいたものだ。どなたにご紹介いただいたのか案の定わからなくなってしまいました。大変申し訳ありません。でもとっても感謝しております。「内田樹の研究室」というブログを運営しており、この本はどうやらこのブログの記事を本にしたものらしい。リアル、ネットで活躍している人の本を読んで記事にするという行為も僕にとっては初めての事だ。
内田氏の事をここで書いても意味がないだろうから省きます。
この本の中で、世界的な作家というのは、読み手がどうして自分の事を知って、本に書いているのだと云うような錯覚を覚える程の事を書くことができるかどうかだというような事を書いていた。なるほど、僕たちが本を読むとき、アット驚くようなパラダイムシフトを経験して脳が活性化するだけではなく、そうそう、そうなんだよな。とか常々俺が言っていたのと同じじゃん。やっぱり俺正しい!と激しく共感する時に、嬉しいのであり、こうした嬉しい思いをするために本を読んでいる訳なのだ。
ああ、なるほどと思う部分と、やっぱそうだよなと自分の意見と一致するもの、これが絶妙に混じり合ったものが「良い本」と呼ばれるのであろう。内田氏の本にはそれがある。書かれている事には同意できないものや、ちゃんと意味が理解できないようなものも確かにある。はっきり反対の意見を持っている部分もある。
それでも、芯がしっかりしていてよく考えられて書かれている事は間違いなく、読んでいて非常に心地良いのである。
特に共感を受けたのは、世の中を住みよく正しくしていくためには、手の届く、自分でなんとかできるところで常に正しく、心地良く暮らせる環境を作る事だと云う部分だ。えてして人は、自分の裁量では何もできないような領域について、意見をしたり、直せとか、こうすべきだとかしたり顔を繰り返す割に、本当は自分でなんとかしようとすれば直せる部分を放置していたりしがちなものだ。手の届かないところに不平を言う前に、すべき事があるだろうと云う訳だ。それと、誰の仕事でもない仕事は僕の仕事って部分。これって僕の仕事のやり方、考え方に完全に一致していると思う。ちゃんとできているとは言い難いけれども。
みんながみんな、この手の届く、やれば直せる部分を着実に直していく事で世の中は絶対に良くなる。但し急いではならない。正に正論です。みんな頑張って世の中を良くしましょう。世直しをするのは、自分たちが自分の手でするしかないのです。
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「取るに足りない殺人
(Nothing More Than Murder)」
ジム・トンプスン(Jim Thompson)
2010/05/16:ゴールデン・ウィークは、前々から読みたいけど、勿体なくて手を出せずにいた「取るに足りない殺人」を読みました。
どうして勿体ないか?
ジム・トンプスンの本で日本語で読めるもので且つ未読のものが本書と「深夜のベル・ボーイ」だけだから。未約の作品が仮に出版されるとしても訳者の三川さんが鬼籍に入られてしまった事で他の誰かになってしまうから。だ。「ゲッタウェイ」が復刻されないかな。してくれ。
さて、単に楽しむつもりで手にしたこの「取るに足りない殺人」でしたが、これって保険金目的の殺人がテーマで、読みながら横目で流れるニュースを見ていたら大阪府高槻市で起こった殺人事件は徐々に状況が明らかになり、それは本書を地で行く保険金目的だった。また去年随分騒がれた何人も保険金目的で殺してた千葉・東京・埼玉連続不審死事件や、こっちも何人なのか殺してた鳥取の不審死事件を振り返ると、現実に行われている事の方か遙かにノワールな事に改めて行き当たってしまった。
連休なので重い本を避けたつもりだったのに。
どうやら、高槻の事件は、それ以前にも犠牲になった人がいる模様で、更に仰天する事に今回の犠牲者の方は施設に預けた子供がいたようで、犯行に及んだやつらにとってそうした事情も関係なかったらしい事だ。千葉・東京・埼玉連続不審死事件の小太りの女は派手な生活をするためにやっていた感じだが、高槻の事件も、鳥取の件も犯人ははっきり言ってしまえば、それでもようやく暮らしている感じだ。暮らしていく、生きていく為には食べなきゃいけない訳で、食べていく為に人を殺していると言えばいいのだろうか。人を殺して生活していると言えばいいのか。
保険は審査が緩いところを選んでかけていたらしい。あまり考えたくはないけれど、絶対他にもそんな事をやっているのがいて、今も人混みに紛れて暮らしているのだろう。捕まったやつらのニュースを見聞きしても動じることもなく、殺した事に対する良心の呵責もなく、殺した相手に対する憐れみもない。江東区のマンションで隣人を殺しバラバラにした男は公判で、死刑になる事を恐れて取り乱したそうだ。自分さえ良ければ他人のことはどうでもよいのだ。
こうした事をやるヤツには「心」がないからでなんじゃないかと僕は思う。見た目の形が人なだけと云うべきか。しかし彼らから心を奪った原因があるのではないか。きっと何か心だけが死んでしまうような出来事があったのではないか。心が死んでも保険金はおりない。心を殺されるような行為を受けても相手が罪に問われない場合だってあるだろう。そんな心ない人による殺人事件によって生じる保険金は織り込まれて保険料は設定されているハズだ。
本書の主人公ジョー・ウィルモットもその妻エリザベスも恐らく心はとうの昔に死んでしまっていた人たちといえるだろう。彼らは親に捨てられたり伴侶に捨てられたり、子供を流産するなどと云う形で自分のものを奪われている。そうしたものは決して取り戻す事のできないものだ。取り返せないものを奪われる事で心が死んでしまうのだ。しかし、彼らは取り戻せないにもかかわらず取り戻そうとしている。過ぎ去った歳月や、円満な夫婦関係、家族のような掴む事のできないものの代わりになるものとして金を欲し、そしてそれを力づくで手に入れようとするのだ。
奪われる事で心が死に、追いつめられていけば、僕たちは罪の意識も覚えることなく非道な行為に走ってしまうかもしれないのである。ジム・トンプスン恐るべし。
「内なる殺人者」のレビューは
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「サヴェッジ・ナイト」のレビューは
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「死ぬほどいい女」のレビューは
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「取るに足りない殺人」のレビューは
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「 天国の南 」のレビューは
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「反撥」のレビューは
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2010/05/16:繰り返し書くが、海野弘の本が好きだ。荒俣宏も好きだが、今は海野さんの本を追っかけている。お二人とも夥しい本を出されているので、読み切ってしまう心配はないと言うか、死ぬまでに全部読めるだろうか。多分無理なような気がする。
なんのために歩くのだろうか。なんのためでもなく、また、すべてのためでもある。はじめの、なんのためでもない、というのは、歩くことは、ただそれだけですばらしい、ということだ。私ははじめ健康のために多摩川の土手をあるいたのだが、ある時ふと、歩いていることがすばらしく感じられた。今ここを歩いている、そのことはもう二度とないのだ。そう思うと、歩いていることがかけがえのないように感じられたのである。
これ。これですよ。なんでこうなのか。場所を入れ替えたら、これそのまま僕のことだ。僕は今、会社帰りに東京の東側を歩き、週末には自転車で江戸川、荒川を遡上して回っている訳だが、寄り道している神社仏閣や建造物の前で僕の心に浮かんでるは正に上記の通りなのである。
内田樹氏は「邪悪なものの鎮め方」のなかで、読み手が思わず自分の事だと思い込んでしまうような事を書くのが作者の技量だと云うような事を書かれていた。読書体験には二通りの喜びがあって、「あぁそうか、そうなんだ」とか云うブレイクスルーやパラダイムシフトを浴びると云うものと、「そうそう。そうなのよ。常々僕もそう思っていた訳よ」と云う激しく同意するというか、書き手に自分の考えを支持してもらったかのような錯覚をする喜びがある。考えてみると両方が程よく含まれている本がよい本なのだろう。
武蔵野と云うと思い起こすのは、都内で営業をし始めた頃、取引先の方から、「だったら武蔵野に行ってみたらいいよ」と云うような事を言われた事だ。だったら、が一体何だったのか今では思い出せない。散策するならとか、或いは丘陵や坂道の話しだったのだろうか。当時の僕は新浦安から東に向かう電車がどうして府中へ着くのか暫く理解出来ていなかった程、東京に全くの不案内で、武蔵野と云われてもどこの事なのかわからず、いろいろ教えて頂いたのでした。教えてもらったもののあの頃は、仕事に子育てにと忙しい日々でてとも週末に散歩なんて云う状態ではなく、そのままになってしまった。
地形を足で確認して回る楽しさにはまっている方が実は凄く多いと云う事が最近解ってきた。だって楽しいですもんね~。更にこうした場所を舞台にした小説があって、本と回っている場所がシンクロするとその楽しさは更に倍増する。
武蔵野線に乗って海野さんの回っている場所に行ってみようか、それとも、山本周五郎や永井荷風、 池波正太郎たちの本を抱えてもっと近所を回ろうか。行きたいところ、読みたい本にキリはなく、時間は限られている。忙しい。忙しい。
「めまいの街―サンフランシスコ60年代」のレビューは
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「癒しとカルトの大地―神秘のカリフォルニア」のレビューは
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「スパイの世界史」のレビューは
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「陰謀の世界史」のレビューは
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「秘密結社の世界史」のレビューは
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「陰謀と幻想の大アジア」のレビューは
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「新編 東京の盛り場」のレビューは
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「海野弘 本を旅する」のレビューは
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「書斎の博物誌―作家のいる風景」のレビューは
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「武蔵野を歩く」のレビューは
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「海賊の世界史」のレビューは
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「ビーチと肉体」のレビューは
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「差別と日本人」
辛 淑玉&野中 広務
2010/05/09:部落問題について全く無知のまま大人になった。同和問題と云う言葉も会社に入るまで知らなかった。僕が生まれ育った仙台ではこんな事はあまり聞いた記憶がない。故人だが父の親友の一人は中国籍の方でしたが、父とこの方は戦後食べ物がない時期にあるものを分け合っていたようで、その後も互いに助け合う関係は生涯続いていた。また隣に住んでいた台湾からの留学生人とは仲良しになって、帰国後訪ねていくような間柄になっていた。僕も何かと面倒をみてもらったりもしていたのだが、彼らはまた人柄もよく頭の良い人たちでした。
高校生だった頃、同級の悪ガキ友達はよく朝鮮人学校の連中と揉めていた。もともとは誰某が喝上げされたとか、そんな事がきっかけだったんだろうと思うが、繁華街で集団で追っかけたり、集団で喧嘩したり。僕はおとなしかったのでそんな事に巻き込まれる事も誘われる事もなかったが、もともと揉める理由なんて僕には全く無かったのだ。この衝突がヒートしてきた頃、ヒートアップしていたメンバーの一人が実は韓国から帰化している家系だと云う事を親に告げられると云う事があった。
本当の名字が別にあってそれは明らかに日本の名字のそれではなかった。「あいつ泣いてたってさ」こんな話を僕は友達から聞いた。先頭切って相手をぶん殴ったりしていたのが実は自分が相手側の人間だった訳だ。そりゃびっくりもするだろう。僕たちの学校のなかの世代ではこれを機に潮が引くように朝鮮人学校との衝突はなくなった。
そもそも「在日」と云う言葉があるが、僕はこれを「在日外国人」と云う意味で受け取っていたのだけれど、現実にはそうではなく、「在日韓国・朝鮮人」だと云う。なんで韓国と朝鮮人だけこう呼ぶのだろう。僕はこの学生時代の朝鮮人学校との喧嘩だって、差別問題とは全く別のものとして理解していたのだけれど、どうやらそれは世間知らずと云うべきものらしい。
塩見鮮一郎の「浅草弾左衛門」では、1590年頃から1868年まで、なんと13代も続いた穢多頭、弾左衛門の最後の代を務めた弾直樹の人生と被差別民としていわれのない虐げを受けた穢多・非人身分の人々の存在を知った。この弾左衛門は江戸時代から明治のはじめにかけてお話で、それも江戸のなかでの事である事に僕は二重にびっくりしてしまった。
こんなにも目と鼻の先の場所でしかも極々最近の事なのに、これらの史実は知られていないのだ。
この本によって僕は穢多寺と云うものの存在を知ったのだが、読み書きができない事をいいことに非常に侮蔑的な戒名をつけていた事、墓をみれば穢多であることがわかる、死んでまでも虐げるような扱いをしていた事にショックを受けた。
僕が特に強く感じるのはこうした差別をする側の人たちの心根の醜さと云うか悪意の黒さだ。日本人と云う時そもそもこの日本人って誰なんだと云う問題もあるのだけど、一般論としての日本人にこうした悪意と云うか歪んだ心を持っている人たちがいて、それはどうやらいまだに大勢いる事に吐き気のようなもの感じると同時に、被差別側の人たちの頭を土足で踏みつけない限り自分の立ち位置がおぼつかない幼稚さと云うものも嗅ぎ取ってしまうのだ。
政治家のなかにもとんでもない見識の人がいて、本書でもとりあげられている石原慎太郎とか麻生太郎のような人を見下したり、差別が当然のような人がいる事に驚くばかりか、そうした人が何度も選挙で当選してしまうのにもびっくりだ。
また当選した途端に失言と云うか暴言を吐いて辞任したりする人がよくいて、あれは一体どうした訳なんだろうと思う事がちょくちょくある訳だが、これは物議を醸し出し、世間を騒がせても、それによって溜飲を下げるような、つまりは他人を貶めることでしか自分の優位性を最早持ちこたえられなくなった旧世代の化石のような支援者層に対するリップサービスなんじゃないかとも思ったりする。石原慎太郎が悪びれることもなくそうした発言をするのは、確信犯的にそれに拍手をする人たちがいる事を知っているからだろう。
こうした差別思想の根底に何があるのか、個人的にはそもそも「日本人」と云う民族の曖昧さに根ざしたものなのではないかと思う。アジアから日本を見たとき、日本人とはいろいろなところからいろいろな時代にやってきた人達同士が混じり合ってきた人たちなんだろう。鎖国をするためにも、或いは日本のナショナリズムを高揚させるためにも「日本人」とかましてそれを「単一民族」とかとも呼びたいがためにも、他者と区別をする必要があって、そもそも曖昧なところに一線を引くために差別が持ち込まれたのではないだろうか。
政策や政治思想、国民の為に政治を行おうなどと云う高い志などがあるかないかに関わらず、こうした特殊な信条によって信望や結果的に票を集める事で議席を手に入れ、自分勝手にやりたい事を進める。こうした行為はアメリカのキリスト教原理主義者たちによってアメリカがハイジャックされた事を想起させるものだ。
僕たちは差別する奴等をきちんと見分けて余計な事をしないように目を離さないようにしっかりと見張っていかなければならない。
1998年2月19日、新井将敬はホテルパシフィック東京で首を吊った死体として発見された。当時彼は証券スキャンダルが浮上、逮捕許諾決議が下されると云う事態に陥っていた。
野中 亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死 んだ状態だった。しかし、まだ高輪の警察も知らなか ったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さ んがおらなかった。亀井が僕に言うには、「発見から 警察がくるまでに二時間ぐらい間がある。その間に何 があったのか、その謎が僕には掴めない。この事件 はおかしい」と。
辛 殺されたと?
野中 うん、だから新井は口封じされたんだと。
野中氏がここまではっきりと語っているのには驚く。日本と云う国はこういう国でもあるのである。
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「エドナ・ウェブスターへの贈り物
故郷に残されていた未発表作品
(The Edna Webster Collection of Undiscovered Writings)」
リチャード・ブローティガン(Richard Brautigan)
2010/05/08:再びブローティガンに逢える日がこようとは思ってもいなかった。しかもこんな形で。本書は1992年にブローティガンの故郷であるオレゴン州ユージーンにいるエドナ・ウェブスターが本人から贈られたと云う未発表作品群を保管している事がわかったことから、日の目を見る事ができたものだ。
ブローティガンは彼女にこの作品群の著作権一切を譲り渡し、「エドナ、ぼくが金持ちで有名になったら、これはあなたの社会保障手当に役立つよ」と言ったそうだ。エドナはどうやら当時のプローティガンの恋人の母親らしい。
かれが拳銃自殺したのは1984年、死後発見された「不運な女」から更に2年後の事だ。
ここに一つの投げ出された問いがある。どうしてブローティガンはエドナにこの作品群を贈ったのだろうか。
僕がブローティガンの本「アメリカの鱒釣り」に出会ったのは、自分はまだ若く自分自身が何者かもわからず、何がしたいのか何をしたらいいのかもわからず悶々としていた頃だった。悩んで悩んで終いには何に悩んでいるのかすらわからないくらいになっていたような気もする。そんな僕にプローティガンと訳者の藤本和子氏は本を通じてやさしく語りかけてくれたばかりか、こちらの話しを聞いてくれるかのような包容力をもって僕を支えてくれた。
読み終わった僕を待ち受けていたのは、そのブローティガンは実はその時点でこの世の人ではなかったと云う衝撃だった。それはかれが自殺した翌年1985年だったのだ。
僕の悩みなど悩みのうちになんてはいらない。大丈夫。きっとなんとかなるさ。僕にはブローティガンがこうささやいてくれている気がした。かれが抱えていたのは、父親の顔も知らず、母親にすら捨てられ、圧倒的な貧困の中で、苦しみあえぎ、そしてその生き方を激しく恥じていると云う、ズタズタな心であった。心の傷を作品を通してさらけだすことで僕らの誰しもが持っているであろう、悩みや苦しみやささやかな喜びといった共感を呼び覚ます。これがかれの作品が愛されている理由なのではないかと思う。
彼の死後発見された「不運な女」を去年読んだ。かれが自殺する直前まで手を入れ「完成」していたこの作品は、それまでのブローティガンの作品群にあるような読者に対する包容力や共感を呼び覚ますような鮮やかな描写が失われ、ひたすら後悔の深い海の底へと沈みこんだかれの姿を映し出すものだった。
~「不運な女」の本文から
これまでに書かれたことと少なくとも同等の時間を与えられて書かれるべきだったのに、ここに書かれなかったすべてのことがわたしを苦しめる。苦しみに取り憑かれている。こうしてわたしは、ペンの一筆、またもう一筆をもって、わたしにとってのみ貴重だとしても、貴重であるには違いないことを記してこの空間を利用している。それでは誰が語られなかった者たちのためにたたかうのか。
かれを自死についに追い込んだかれのこのあまりにも強い後悔の念はかれのどの時期に生み出されたものなのか、かれの生い立ちはここまでもかれを追い込んでしまうものなんだろうか。僕はそんな事を考えつつ「不運な女」を読んだ。
なぜ彼は死を選んだのか。これは訳者であり友人でもあった藤本和子氏にとっても重大な問いであり、それは答えるもののない永遠の謎であり、問うても仕方のない事だ。僕たちはそう思っていた。本書「エドナ・ウェブスターへの贈り物」に出会う前までは。
~「エドナ・ウェブスターへの贈り物」の藤本和子氏のあとがきから
つまるところ、かれのオレゴンからの「亡命」は過去からかれを解放する機能をそなえてはいなかった。むしろ亡命は幽霊になった過去を道連れにする旅だった。光をはなちつつ、暗い翳を背景にもっている作品がかれのなかではもっとも上質だと思う。それらは、かれ自身の表現でいえば、「いまはなくなった家の壁に耳をおしあてて、過去の音を聞こうとする」行為を描いている作品だ。うしなわれた家とは故郷のことだが、その家の壁に耳をおしつけるという惨めな格好で、かれは断絶したはずの過去の記憶を回収しようとしている。その姿を思い描けば、どこへいっても根を生やすことのできなかった異邦人の姿がひしひとと感じられる。
かれは過去と現在によって引き裂かれていた。そして、そのような状況がもたらす緊張感の中で、かれの作品は書かれた。
「円環が閉じる」これほどこの言葉を実感した事はいままでにない。もちろん、われわれはこの本によってすべてが「わかった」と言える訳ではないが、この本の前と後では彼のすべての作品の意味合いがすべて違ってくる。すべての作品群の起点となり、そして最後に表れた本書は最終電車が行ってしまった後の終着駅でもあるのだ。再びブローティガンの描いた円環を辿りなおす事は勿論可能だが、僕も藤本さんと一緒で、暫くこの終着駅のベンチにすわり心が落ち着くのを待とうと思う。
「アメリカの鱒釣り」と「ビッグ・サーの南軍将軍」のレビューは
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「芝生の復讐」のレビューは
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「不運な女」のレビューは
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藤本 和子の「リチャード・ブローティガン 」のレビューは
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「西瓜糖の日々」のレビューは
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「ジャンゴ・ラインハルトの伝説
音楽に愛されたジプシー・ギタリスト
(Django: The Life and Music of a Gypsy Legend)」
マイケル・ドレーニ(Michael Dregni)
2010/05/05:ジャンゴ・ラインハルトをご存じだろうか。ジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリの「マイナー・スウィング」。抒情豊かなこの曲は聴いた事があると思われる方もきっと大勢いらっしゃるのではないかと思います。このマイナー・スウィング、初めて聴いたのは今では思い出せないくらい昔の事ですが、ジャズでギターやバイオリンを使うと云うのも斬新で非常に印象に残る曲でした。僕も正直この一曲しか知らないと言って良いくらい殆ど何も知りませんでした。知らないと言えばジプシー・スウィングと呼ばれたジャンルも、何故ジャンゴ・ラインハルトが伝説とまで呼ばれる事になったのか、そもそもジプシーと呼ばれる人々の来歴も知らない。
ジプシーと云えば、アラン・ドロンの映画に「ル・ジタン(Le Gitan)」と云う映画があったな。どこかエキゾチックな人たちが貧しく虐げられた形でパリの片隅で肩を寄せ合って暮らしていたっけ。アラン・ドロンの青いサングラスも妙に印象に残る映画だったなぁ。アラン・ドロン演じるジタンと呼ばれる男は、ジプシーの差別に対抗する形で反社会的な行動を取り、それがもとで更に追いつめられていった。
「スペインのジプシー女」を意味するジタンと云うタバコのブランドもあるが、ジプシーはフランスにおいて被差別民族なのである。ジャンゴ・ラインハルトの伝記を読めば、ジプシーの来歴や差別された民族の生まれでありながら、ジャズ・ミュージシャンとして名声を得ることができたのか、果たして一体ジャンゴ・ラインハルトのどこが伝説なのか。門外漢の僕でもなにがしかの事がわかるかもしれない。
そんな興味からこの本を手にしてみたと云う訳です。
ジャンゴはマヌーシュ・ジプシーである。ロマニー語がサンスクリット語に似ていることから、ジプシーの祖先はインドに住んでいたと考えられている。1001年にマホメット率いるイスラム教の軍隊がインドに侵攻したとき、これに対抗するためインドでは、カースト制度の中で低い身分のものから徴兵を行って軍を組織し、以後30年に渡って北インドからペルシアを舞台にムスリム文明との戦いが続いた。終戦後、インド戦士たちはペルシアからインドに帰郷するか、あるいはペルシアに樹立された新国家に傭兵として帰属したが、さらに西方に向かって移動した集団もあった。彼らの移動経路がいわゆる「ロマニー・トレイル(ジプシーの軌跡)」と呼ばれる道で、ビザンチウムを経てヨーロッパまで達した。ヨーロッパにおいては1300年に彼らがセルビアに初めて到着したことが歴史上の書物にも記されている。
ヨーロッパに辿り着いたジプシーたちは迫害を受け続ける。ヨーロッパの人々は彼らがエジプトからやって来たと勘違いしたばかりか、ジプシーがキリストを十字架に架けたときの釘を作ったと信じた事から、邪悪な敵としてみなされてすらいたらしい。ジプシーたちは、追放や奴隷と云う扱いを綿々と受け続ける。
ジャンゴが生まれた1910年当時、ジプシーは馬で引くキャラバンを住まいとし、行く先々で演奏や踊り、動物や民芸品の売買で生計を立てながら季節に応じてヨーロッパを渡り歩く生活をしていた。しかし、こうしたジプシーの歴史を紐解けば、彼らが根無し草のようにヨーロッパを漂流してきたのは、望んでなったものではなく、行き場を失ったから故であった事がわかる。
改めてジャンゴの肖像をながめると、由来がインドと言われると確かにそんな血を感じさせる容貌をしている気がしてくる。狩り立てられるように兵士に徴用され、使い捨てにされヨーロッパに流れてなんと千年。このジプシーたちの歩んだロマニー・トレイルの話しも俄然興味の湧くお話なのだが、何かのゲームのキャラクターとかぶっているらしく容易に辿り着けない。いつかこれも追っかけてみたいテーマだ。
フランスの音楽は移民の歴史とともに振動し混じり合いながら変貌を遂げてきた。
「ミュゼット」とは、特定の時代と場所で特定の集団が用いた、ひとつの音楽形式のことをいう。ニューオリンズがジャズを、ミシシッピ・デルタがブルースを、ブエノスアイレスがタンゴを、セビリアがフラメンコを、リスボンがファドを生んだように、パリがミュゼットなるものを生んだのである。元来ミュゼットとは、オーヴェルニュから羊飼いたちが田舎暮らしを捨てバグパイプを携えてパリへやって来たことから生まれたものだ。
10歳のジャンゴは、やはり音楽や楽器が日常にある暮らしのなかから、バンジョーを手に入れめきめきと上達し、ダンスホールで演奏するミュゼットのバンドメンバーに抜擢されるまでになっていた。しかし、ミュゼットは唐突にその歴史の幕を閉じる。イタリアからアコーディオンがやってきたのだ。ここでもジャンゴはアコーディオンの伴奏と云う形でバンジョー弾きとして生計を得る事に成功する。彼のバンジョーの腕前は幼いながら相当のものだったのだ。
そして更に第一次世界大戦の勃発によってアメリカ兵と一緒にジャズが上陸。ジャンゴは一遍でジャズの虜となってしまう。
パリの人々の多くは、ジャズを「悪魔の音楽」だと考えていた。ダンスホールの常連からインテリまで、「ジャズ」というのは口にするのも憚られる低俗なものというのが共通の見解であり、恐ろしい不協和音の塊、音楽の無政府主義、野蛮な黒人だけのための、土人が叩く太鼓の音だと考えられていた。ダンスホールはこぞって、神聖な「バル」にジャズが侵入してこないよう扉を閉ざした。ラ・ジャヴァではアコーディオン奏者モーリス・アレクサンダーがジャンゴをホールの片隅に引き寄せ、父親のように心配してジャンゴに注意した---あの音楽には近寄るな。
本書はまた、このフランスにおける黎明期のジャズ・ムーヴメントを丹念に追っていく。譜面も字も読み書きできなかったジャンゴは人並み外れた耳をもっており、間違いなく絶対音階だったろうが、複雑な和音を含んだ楽曲を聞き分けこれを覚えて演奏する事が出来た。その彼が、これまで聴いたことのない不協和音にその美しさを見出したのだ。彼はあくまで我流ながら、ジャズの流行曲を彼なりの解釈で演奏した。ここでもジャンゴの腕前の確かさを物語るが、彼はジャック・ヒルトンと云う有名だったシンフォニック・ジャズ・オーケストラの指揮者にスカウトされる。ジャンゴにヨーロッパを回るツアーに参加して欲しいと云うのだ。
ジャンゴにとってそのオファーは天にも昇るものであった。しかし、それは実現しなかった。その夜、ジャンゴは帰宅直後にキャラバンの火事によって右足はあわや切断、左手の小指と薬指は神経の切断と火傷による引きつりで動かない状態になると云う重篤な火傷を負う。1928年10月26日の夜明けの出来事だ。
ジャンゴの本当の伝説はここから始まる。僕たちが現在触れる事ができるジャンゴの音楽はこの怪我を負って左手三本指で演奏しているものが殆どだ。
ジャンゴの音源を網羅したサイトがありました。
http://papabecker.com/All_About_Django_Reinhardt.htm
誰もが復帰は不可能だと考えていたにも関わらず、ジャンゴは残った三本指で独自の演奏法を生みだし、それまで以上に饒舌な演奏によって再び舞台へと戻っていく。
セッションに参加したメンバーやその経緯、そして演奏そのものに対する非常に専門的なコメントの入った本書と平行してこれを聴くと、俄然生き生きと沸き立ち、なるほどジャンゴのすごさが素人の僕でも理解できると云うものでした。
加えてギターの歴史が交わる。単なる伴奏楽器に過ぎなかったギターは、ジャンゴの登場にによって主役となり、それを支えるためにギターは改良されていく。そしてエレクトリック・ギターの登場によって、それまで他の楽器に負けない音量を出すことが最大の課題であったものが一変した。ジャンゴはこのエレクトリック・ギターの表現力とパワーを見事に引き出したのだ。セルマーはジャンゴのために無償でギターを提供し、彼の要望を取り入れていた。またレス・ポール本人もジャンゴと個人的な付き合いをし、彼の遺族のために著作権保護などの手配について尽力したりしていたそうだ。いやはやギターは深い。
再び戦争がジャンゴの人生を翻弄していく。ジプシーを駆逐する事を標榜しているヒトラー率いるナチスがマジノ線を越えてフランスへ侵攻してくる。
第二次世界大戦の時期は、ジャンゴにとってもジャズにとっても、最良の時代でもあり、同時に最悪の時代でもあった。アドルフ・ヒトラーとナチスは1933年にドイツの政権を握ったが、彼らのイデオロギーの基本は、まさにジャンゴ・ラインハルトのような存在を否定することだった。彼はジプシーであり、ジャズマンでもある---前者はナチスの民族的純潔という信念に反する存在であり、後者は秩序を乱し社会を堕落させる存在だった。ヒトラーは、ゲルマン民族が数世紀前から標榜してきた反ジプシーの法律を受け継ぎ、ユダヤ人抹殺よりも前に、ジャンゴの属するジプシー民族を駆逐しようとした。そして最終的には、ヨーロッパ全土で約60万人が消滅した。ヒトラーと宣伝大臣ゲッペルスは、ジャズの原始的なリズムとブルー・ノートを聞いて、これをドイツの文化的偉大さを脅かす音楽とみなし、ドイツの若者の倫理観と思想を破壊しようとするアメリカ=ユダヤ=ニグロの国際的陰謀だと考えた。
ジプシーは守ってくれるものもなく逃げ場を失い迫害されていく訳だが、ジャンゴはナチスによるジャズ撲滅運動に反し大衆音楽として黄金期を迎えると同時にパリに進行したナチスの兵士たちによっても支持され一気にスターダムへと上り詰めていく。ジャンゴはフランスのみならず、ヨーロッパ、アメリカへも渡り演奏活動を展開していくのだが、その人生は正に波瀾万丈。
そしてあの青いサングラス。ザズーと自ら名乗る、第二次世界大戦後に登場したフランスのジャズフリークの若者たちは、青いサングラスが一つのトレードマークとなっていたそうで、これは、戦時中の灯火管制によって窓ガラスが青く塗られていた事に由来し、彼らは親の世代や戦争を起こした政府に対する反抗精神を現しているのだそそうだ。映画のジタンはそれを語っていた訳だ。
最後に「マイナー・スウィング」。僕はてっきり古い映画音楽として使われていたので知っていたものかと思っていたら、違っていた。それも映画で使われているのは唯一「マトリックス」だと云うので驚いた。DVDを再生して確認したところ、ネオがオラクルと面会するシーンの背景ですごく遠くから流れていました。ところで僕はこの曲とどこで出会ったのだろう。
腹はち切れんばかりでなお、噛めば噛むほど味のでる一冊でありました。
△▲△
2010/05/03:僕が読んでいる本はどうした訳か、同じ本を読んだとか、「それ面白かった」と云う人にあまり出会うことが少ない。まるで荒野を一人で彷徨っているみたいだと時々思う。彷徨える読書とか漂流する読書だなんてちょっと格好いい事を言ってみるが、負け惜しみだ。
基本的に他人と一緒なのはつまらんとか、ちょっとと云うかかなりへそ曲がりなところがこんなところにも出ているのかとも思う次第だが、本に求めるものそのものが人と違うのかとか、更には大勢の人が楽しんでいる読書が僕には理解出来ていないのではないかと考えるとやっぱり正直ちょっと不安にもなる。
そんな不安がそうさせるのか、繰り返し繰り返し戻ってくる場所が僕にはある。その一つが開高健だ。学生時代からずっとずっと読み続けてきて、そして繰り返しこの場所に戻ると、懐かしさとある種の安心感を覚える。
両親もいたって本好きで僕の家には本が溢れていた。僕らは同じ本を回し読みし、本について話しをしたりしていた。親と一緒に読んだ作家の一人が開高健であった。開高健は僕の父と生まれ年が一緒。そもそも両親が開高健の事を大好きだったのだ。この開高健の本は、まだ全くの世間知らずの僕と両親では同じ本を読んでもそこから受け取るメッセージと云うか意味合いの深さが全く違う。つまり同じ世代を生きた人間でないとわからない事がある。これは僕にとって非常に残念な事だった。
なんと云ってもこの現在進行形の今のありようを現実のものにたらしめているのはこうした過去の積み重ねがあればこそであって、僕ら若い世代はこうした自分たちの生まれる直前の歴史や出来事についてまるで無知なのだ。歴史や背景を知らなくても楽しめる部分はあると思う。しかしこれで近代の日本の文学を読んでちゃんと理解できるなんて事があり得るのだろうかと。僕が近代史や出来事の背景にこだわっているのもこんなことがあったからなような気がする。
一方、開高健は僕からみて文字通り「大人」であって、しかも親とは臆してとても話せない哲学や文学。そして人生、生き方そのものを教えてくれる大切な師でもあった。「風に訊け」なんかは、常に届くところにあって暇があればパラパラとめくって読んでいたものだ。屈託なく胸襟を開いてどんな話題でも真っ正面から受けとめて答えてくれる度量のようなものが開高健にはあった。こうして繰り返し繰り返し通い詰めるのは、きっと僕の人生に沿ってこの開高健の本との特別な関係があるからなのであって、僕と親の世代同様、他の人、他の世代の人にはピンと来ないものなのだろう。
本書は、開高健のエッセイを集めたもので、昭和33年から平成元年、死の直前に書かれたものまでが納められている。「輝ける闇」やベトナム従軍にまつわる貴重な話しが読めると云う事も勿論だが、開高健の読者としての批評を読めるのもまた愉しい。
開高健のエッセイを読むと、ご本人の読書量と幅は相当のもので、第一級の読者である事がわかる。
師に倣えとばかり開高健が面白いと云うものに手当たり次第に当たったりした時期もあった。サルトル、ヘミングウェイ、スウィフト、そしてマーク・トウェイン。マーク・トウェインの「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー」は随分と探し回って手に入れたっけ。サルトルの「嘔吐」は一度読んでも全く訳が解らず随分悔しい思いもした。
孤独について童貞だった私は、「嘔吐」を読んでしたたか打撃を受けた。この打撃はひどかった。ここにある解体や孤独の形相はそれまでのどの書物にもないものであった。これにくらべるとチェホフやドストエフスキーの孤独は外堀のそれであった。ジョイスの「ユリスーズ」はこの濃縮ぶりにくらべるといたずらに散漫で膨大すぎると思われたし、プルーストのやったことは豊熟した貴腐の香りにくるまれた余技のように感じられた。「不安と再建」を書いた文学の外科医、パンジャマン・クレミュがもしこの作品を取り上げたらどのように適切な言葉で位置をあたえてくれるだろうかと思ったが、その本がでたころサルトルは無名のはにかみ屋の文学青年だった。
ヘミングウェイの短編「殺人者」には、ギャングに追いつめられた男がでてくる。彼は逃げ場に窮して下宿にこもったきりである。殺し屋がやってきたことを知らせにいくと、彼は薄暗い部屋の、壁ぎわのベッドに服を着たまま寝っ転がって、知らせを聞いても、
「そうかね、ありがとうよ」
というばかりで、なにもしようとしない。撃ち殺されるのをじっと待っているだけである。この、たくましい大男が切迫する死を待ってベッドにゴロリと寝ころんでいるというイメージはヘミングウェイの抒情のキー・ノートで、その後の彼の数多い短編や長編にくりかえしヴァリエーションをもって登場する。
こんな文章に出会うとドキリとしてしまう。僕は読者としてもまだまだで、そのエッセンスを抽出して文章にするに至っては全くなっていないのであります。
そして思い出すのは僕は若い頃から、開高健をして、こんな大人になりたかったと云う事だ。その目的はその半分も達成されていない事にも気づかされ、自分に喝を入れるのだ。日々精進怠ることなかれ。そして「悠々として急げ」と。
「
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△▲△
2010/04/29:待ってましたヒエロニムス・ボッシュ。本書はボッシュ・シリーズ12冊目「ナイト・ホークス」と出会ったのは1992年なのでかれこれ18年のお付き合いです。一気読みしてコメントをツイッターでつぶやいたら、
まさかの翻訳された古沢嘉通ご本人からフォローを頂戴し天にも昇る気持ちを味わいました。
本書は一気果敢に読み切るべし。短距離走者のごとく息を止めて最後まで走ろう。矛盾する事を書きますが本書にまつわる情報は一切排除、僕のサイトは基本的にネタバレなしですが、ここから先は未読の方はやっぱり読まない方がいいと思います。背表紙も帯も主な登場人物も全部目をつぶって、本文のみに集中してかかりましょう。これらすべては読書の妨げとなります。余計な情報を一切入れずに、だぁーっと読み始めた方が絶対に面白いです。そして間違いなくがっかりさせられる事がないハズです。
また、マイクル・コナリーやボッシュをまだご存じない方。海外ミステリを読んでみたいと思う方は是非「ナイト・ホークス」から順番にどうぞ。コナリーの本の登場人物たちはシリーズ外の本といろいろな形で繋がっており、複雑で奥行きの大変深い世界観を造り出し、これがまたシリーズのもう一つの魅力となっている部分です。個々の作品には多少の波があり、勿論各自の好みの問題もあろうかと思いますが、細々とですが海外ミステリファンとして30年以上過ごしてきた僕から見ても高品質の作品群である事は間違いないと言えるものです。
最近のコナリーの本はスタートダッシュが見事で、あくまで実直な警察小説、海外ミステリの枠組みのなかでアイディアと己の技量を総動員する事で勝負しようとしている執念のような気配を感じるようになってきたと思います。それはボッシュがあくまで刑事であり続ける事が生きる事と同義であるように、コナリー自身も現役のミステリー作家であり続ける事が生きる事になりつつあるのかもしれません。ボッシュシリーズ外の本がボッシュの世界観とリンクしているのもこうした意気込みを自分に課しているとみる事も可能なのかもしれないなと思います。
それは奇をてらわずともミステリー小説の世界ではまだまだ面白い事が出来るのだと云う事を叫んでいるようにも見える。訳者の古沢氏も昨今の不況によって、海外ミステリの売れ行き不振を嘆いておられた。確かに僕自身ミステリ小説を読む機会ががくっと減ってしまった。ノンフィクションの本に傾倒していると云う事も勿論あるのだが、同時に書店の本棚を眺めると海外ミステリの分野の本棚は動きが非常に少なくなってきている。選択肢が大幅に狭まっているのを感じる。ハヤカワ・ミステリなんてかつては選ぶのに困るぐらいの作家と本が並んでいたものだ。選ぶのに迷ったらMWAの動向を調べればよかった。受賞またはノミネートされた作品はどれも読んでハズレなしだったものだ。それが今や翻訳されてこないものがあるのである。
想像するにこれは何も日本に限った話しではなく、本国アメリカであっても同様の現象が起こっているのではないだろうか。僕がミステリー小説の世界に魅了された30年前はアクション映画も全盛で、勿論僕は当時ハリウッドのB級アクションムービーにどっぷり填っていた訳だが、クリント・イーストウッドの「ダーティー・ハリー」だ、スティーブ・マックイーンの「ブリット」だ、そしてジーン・ハックマンの「フレンチ・コネクション」だなんて云う映画を貪るように観ていた。そうそうチャールズ・ブロンソンも忘れてはならない。こうした映画の背景には豊かなミステリ小説の土壌があった訳で、本を読んで楽しんでいた人々が映画館へも通っていたハズなのだ。
一方現在のアメリカの映画を振り返ると、アメコミ、特撮が売りでアクション映画は寧ろ地味な存在になってしまっている。世の中の趨勢なので致し方ない部分なのかもしれないけれど、往年のアクション映画を未だに繰り返して観ているようなファンの僕としては寂しい限りなのでありまして、このコナリーの魂の叫びが聞こえるのは決して気のせいではないとも思う訳です。
エスピオナージュのジャンルが正に立ち枯れしていくのを目の当たりにして愕然とした経験を持つ僕としては海外ミステリの凋落はなんとしても阻止したいと思う。そんな事はあってはならないと思う次第です。コナリー頑張れ!そして僕たちはこれをちゃんと応援してあげなければならないと思います。みんな書店へ走れ。
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「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争
(The Coldest Winter: America and the Korean War)」
ディヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)
2010/04/29:新年度に入って4月は組織変更にレイアウト変更、送別会に歓迎会だと慌ただしく過ぎ、あっと云う間にG.W入りしてしまった。一体この一月僕は何をしていたのだろう。こういうのを「きりきり舞い」って云うのかなぁ。今年度は少し丁寧に本を読んで行こうと思っていたのだが、更新待ちの本を三冊も滞留させてしまい最初の月から躓いている。時間が足りない。困った。
丁寧に読んで行こうと云う野望が照らし出していたのは、江戸末期以降の日本や世界の近代史をなぞる読書の旅。そこに重畳的に重なってくるのがハルバースタムであった。ハルバースタムが不慮の交通事故で亡くなったのは2007年。ノンフィクション、ドキュメンタリーを追っかけている身ながらハルバースタムの本を一冊も読んでいなかった。実は既に本を読んだ気でいたのだが、読んでなかった。驚いた。
思い起こすとこうしたノンフィクションのジャンルに僕を引き込んだ本にはニール・シーハンの「輝ける嘘」や開高健の「ベトナム戦記」があって、どうした訳か僕にはベトナム戦争に何か惹かれるものがあるらしい。にも関わらずハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」も「静かなる戦争」も読んでいなかった。云うまでもなくハルバースタムの名前を広く知らしめたのは「ベスト&ブライテスト」であり、それはベトナム戦争をテーマにしたもので、これを読んでいないと云うのは個人的には大問題な訳だ。
この度、ハルバースタムの遺作「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」が出版された。どうせ読むなら事実関係の時間軸に沿って読んだ方が理解しやすいはずだ。なのでまずはこの本から入る事にしたらどうだろうか。近代史をなぞる読書の背骨にするにはまさにうってつけではないだろうか。そんな事を考えて本書を読んでみたのでした。
そしてハルバースタムの本は手強かったです。半端ない濃厚さで読み終わるまでに20日近くかかっちゃいました。何よりその情報量の多さ。どうしたらこんな取材が出来るのか。60年も前の出来事で、関係者の多くはこの戦争で命を落としているにも関わらず、まるで目の前で見たこと書いているかのような臨場感と生き生きとした人々の様子。当事者達の生い立ちやエピソードを丹念に追いつつ、進行するテーマを描き出す事で紡ぎ上げるように実態を浮かび上がらせるこの手法はハルバースタムの特徴的なものなのだそうだ。
読者はこうした一つ一つの逸話に引き込まれ噛み締め咀嚼していく事となるため、読み進む速度はどうしてもかなり低速となってしまう。
更には当時の日本の港湾労働者達の中には筋金入りの共産党員がおり、米軍の動向は中国側に筒抜けだったなんて事が書いてあれば尚更だ。一言一句集中して読まないといけないのだ。
上下で千ページ。特に上巻は主題と逸話の時間軸の置き換えに頭をかきむしりながら極低速を強いられしんどい思いをいたしました。この苦しみの半分はハルバースタムの手法にもある訳ですが、半分は読み手である僕側の問題。
朝鮮半島の歴史と地理について、僕は全くの無知だからだ。
自らの無知を晒すのは恥ずかしい限りだが、朝鮮戦争が大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で戦われ、38度線をはさんで今も緊張状態にある訳だがこの戦争に至る経緯は全く知らなかった。
先日は黄海上の南北境界線近くで韓国海軍哨戒艦「天安」が沈没。乗員46名が死亡または行方不明となった。どうやらこの沈没は北朝鮮による魚雷攻撃だったのではないかと云うニュースが流れてきている。北朝鮮は金正日の後継者の問題や、もはや飢饉状態なのではないかと云うような食糧事情に加えてデノミの失敗と国内の情勢が不安定化してきている。
北朝鮮が内部崩壊するにせよ、韓国と紛争が再燃するにせよ、世界情勢としてはロクな事にはならないのは間違いないし、かといって今の独裁政権が続く事は、北朝鮮国内で非常に栄養状態が悪いまま暮らしているらしい人々にとって不幸な事で、正に大変やっかいな状況だ。云うまでもなく、北朝鮮の背後には中国があり、韓国側には国連軍がいる。この国連軍の中には在韓米軍が3万7千人もおり、在日米軍とはほぼ同数。普天間基地の問題がニュースとなっているが、国際情勢上の観点からは日本がアメリカから中国に軸足を切り替えようとしていると見られているフシもありその成り行きが気になるところだ。こうした非常にあやうい状況のなかでギリギリバランスを取っている現在の状況を更に理解する為にはやはりこの朝鮮戦争前まで一旦時間を遡ってみる必要があるだろう。
にも関わらず、朝鮮戦争の実態を知らないのは僕だけではない。一般的にも認知度が低いのである。ハルバースタムは冒頭こんな事を書いていた。
この本を執筆中の2004年、わたしはたまたまフロリダ州キーウェストの図書館を訪ねたことがあった。書架にはベトナム戦争関係の書籍は八十八点あったのに朝鮮戦争のものはわずか四点しかなかった。これはアメリカ人の意識を反映したものだ。
しかし、この戦争でアメリカ人の死者は三万三千人。負傷者は十万五千人。韓国側の死者四十一万五千人。負傷者は四十二万九千人。そして中国・北朝鮮側では百五十万人が犠牲となったと云う。たまウィキペディアではこの戦争全体での犠牲者を400万人~500万人としており、数字には極端な乖離がありどれが本当かわからない。これは朝鮮半島のなかを戦線が繰り返して通った事によって大勢の一般人が巻き込まれたこと、中国側から義勇軍として入ってきた兵力がどのくらいの人数だったかが未だに明らかになっていないからだ。
いずれにせよ夥しい数の人命がこの戦争で失われた訳でその戦闘は凄惨を極めた。ここにはマッカーサーの傲慢さとその彼の暴走を止められない軍の上層部たちのミスリードがあった。太平洋戦争での功績によって当時のマッカーサーは神のような存在となっており、周囲のものがもの申せる状況にはなく、本人も大統領すら見下していた。
そのマッカーサーが中国が参戦してくることはないと云う根拠のない確信をもって、北朝鮮軍を中国国境付近の軍隅里まで軍備も訓練も不足したままで押し進めたところで史上最大規模の待ち伏せ攻撃に出会い米軍は敗走するのである。伸びきった戦線と隘路が続く山々によって、軍隊組織はほぼ壊滅し、孤立無援状態となった米兵たちは斜面を埋め尽くすほどの中国兵の大軍に飲み込まれるようにして消えていったのだ。当時の中国は蒋介石を追いやった毛沢東がおり、この毛沢東の後には更にソビエト連邦のスターリンがいた。共産圏との境界線となり波がぶつかり合う場所が38度線だった訳である。
空しく命を落としていった膨大な数の人々が一握りの人間の愚かな判断によって生じた事を思うとやりきれない思いで一杯になります。またマッカーサーはこの朝鮮戦争を現地ではなく、日本の有楽町にある第一生命ビルから指令を出し、ほとんど現地には行くこともなかった事、アメリカ政府の意向を完全に無視して暴走していった事は日本帝国陸軍と関東軍の関係と非常に類似しており、皇居のすぐ脇で同じようなことが繰り返されていた事の不思議さも感じざるを得ませんでした。必読の一冊であります。そしてまだまだ本当であれば健在で本の執筆を続けられたハルバースタムの死につくづく惜しまれるものがあります。彼のジャーナリスト魂に合掌。
「ベスト&ブライテスト」のレビューは
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「輝ける嘘」のレビューは
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2010/04/17:本書は、アメリカ在住の日本人ジャーナリストエリコ・ロウ氏による最新のアメリカの政治・社会に関するルポルタージュであります。
9.11事件の日。テレビから流れる信じられない光景を呆然と眺めていると、二機目の飛行機が世界貿易センタービルへ消えていった。
一体何が起こっているのか。見ているものが全く理解できない。飛行機がビルに突っ込んだら、あんな風に手品みたいに跡形もなくなるものなのなんだろうか。そしてその時僕が思ったのはハイジャックは一人や二人じゃできない仕業で、乗り合わせた恐らくは全く無関係な大勢の一般人を巻き込んで自爆するなんてメンバーは皆それ相当の怒りと云うか憎しみを抱いているに違いがない訳で、ハイジャッカー達は一体何に対してそんなに憎しみや怒りを抱いていたというのだろうかと云うものだ。
お恥ずかしい話しだが、当時の僕は全くもって世界情勢が見えていなかった。アルカイーダもヴィン・ラーディンもタリバンもその信条や宗教観も全くだった。
勿論、あの時に巻き込まれて亡くなられた方や遺族の方にとってあの事件はあってはならない、非道であまりにも酷い出来事であった訳でありますが、いろいろとその後調べていくうちに解ってきた事は、あの事件を起こした人々の思考の背景には、9.11の事件ような突然の一般人を巻き込んだ大量殺戮を何度も何度も繰り返してきたアメリカと云う国に対する仕返しをしようという感情があったと云う事でありました。
そして更には、阿片戦争まで遡る麻薬問題と共産主義と戦う為に狂信的な原理主義者たちをプロのテロリストに育て上げた欧米の身勝手な行為があった。
旧ソ連国境地帯や中東や南米では、共産主義者たちの士気をくじくために麻薬をばらまき、血も涙もない原理主義者たちによるテロで無差別で無慈悲な虐殺を行い、今度はこのテロと麻薬を排除するために、スマート爆弾やプレデター、そして白リン弾やクラスター爆弾によってテロリストと目される人影が見えれば街ごと廃墟にしてしまうような攻撃を加えていた訳だ。
こうした虐殺行為は家族や友人を失ったものたちを更なる暴力行為へと走らせていった事は想像に難くない。
そして今や敵を潰すために解き放った麻薬と狂信的で非寛容な原理主義者は世界中で血と暴力と不幸を止めどもなく生み出し、まるで原子炉がメルトダウンして制御不能になったかのような状態になってしまっているのではないかと云うのが現在の状況ではないかと僕は思っている。
え?ちょっと何言っている分からない?そりゃそうでしょう。普通にニュースでは報道されていないからね。ここ最近なかり積極的に固い本を読んで情報収集してきた。そこで出会う事実のとんでもなさは正に世の中が違って見える程の内容の嵐だ。
読んでいてどんどん不気味になってくるのは、こうした事実は操作され容易に辿り着けない。だから殆どの人は知らない。最初は単に自分が無知なだけかとも思っていたが、アメリカの大学教授でノーム・チョムスキーの本を翻訳された山崎淳氏のような方までもがこうした事実に驚いているのである。白昼堂々と傍若無人な行為を行っておきながら、問題にならないのはプロパガンダによって合意を捏造し世間を欺き、大衆の心理や感情を操作しているからだ。
本書は2010年の今、バラク・オバマが大変な期待をよせられつつ大統領に就任したアメリカの実態、本当の姿を識る為に開くべき最初の扉だ。
先月は、オバマが国民皆保険の導入に関する医療保険改革法案を下院本会議で通過させる事に成功した。オバマは大統領としてかなり異例な事もやってどうにか法案を通過させる事が出来た模様だが、これに反対する者達によって、民主党議員が脅迫されたり事務所が破壊される事件が相次いだと云う。
先進技術で世界をリードしてきたアメリカは、8年続いたブッシュ政権が温室効果ガス排出源の産業擁護のために地球温暖化を否定し続けたため、再生エネルギー関連の技術開発や次世代自動車開発、エコロジー対策で、日本などに大きな遅れをとった。
GMが電気自動車計画を自ら潰している間に、アメリカでトヨタのプリウスが新たなステータス・カーとしてもてはやされる結果となったのは国益に反すると認識したのだ。
プリウスはその後、アクセルペダルにまつわる不具合が表面化し、問題を隠蔽した容疑まで浮上しアメリカ運輸省から約15億円の制裁金が科せられたとの報道が流れている。この問題については、ユーザーからの集団民事訴訟も100件以上起こされているようだ。レクサスも設計上の問題が指摘されており、GX460は販売停止に追い込まれている。
エリコ・ロウ氏がいみじくも「国益」と云う言葉を使っているのが印象的である。ノーム・チョムスキーは「国益」について以下のような説明を行っている。
「国益」とはどういう意味でしょうか。それは「現実主義的な国際関係論」と呼ばれる分野で用いられる不可思議な用語です。ミアシャイマーとウォルトもこの分野の出身ですが、現実主義の伝統では、国は国益を追求すると主張しています。では、その国益とは何でしょうか。私は「国益」とは政府の「主な立案者」たちの利益である、と言ったアダム・スミスは正しかったと考えています。当時それは商人であり、製造業者でした。今では多国籍企業がそうです。
そして選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)をはじめとする、効能に問題がありそうな医薬品の流通と薬漬けになる国民と莫大な利益を貪る製薬会社の存在。因みにインフルエンザ治療薬のタミフルは元アメリカ合衆国国防長官のドナルド・ラムズフェルドが会長を務めていたギリアド・サイエンシズ社によって開発され、その使用量は日本が世界一だ。
薬の安全を取り締まるFDA(米食品医薬品局)に製薬会社の弁護士を抜擢したり、牛肉産業の出身者を狂牛病予防に努めるはずの農務省の官僚にしたり、国土の自然を守る内務省の職員が、国土での石油採掘を望むエネルギー産業の出身者だったり、ということが、ブッシュ政権下では普通になっていた。
そもそも、政府による規制を減らして自由市場の成り行きに任せれば資本主義社会は繁栄する、とする共和党の新自由主義の信条からすれば、規制当局が規制される側の産業の事情に通じていることも、企業に好意的なのも、悪いことではないのだ。
正に大企業の利益を極大化させるために国策はこうした企業からの代理人によって練られ実行されてきた訳なのである。日本も、日本人も微睡んでいると国をこうした人たちに乗っ取られ、好き勝手にやりたい放題の事をやられ、国も、社会も、そして家庭もボロボロにされかねないと云う事だ。
アメリカの大統領が弟が知事を務めるフロリダ州で票を誤魔化して再選されたブッシュⅡからオバマに代わったことで良くなる事はいくつか出てくるだろう。しかし、アメリカがあくまで国益を最優先し、自分たちが世界のリーダーとして立つためにその努力を惜しまない国である事は変わっておらず、メディアの殆どは利益を最優先する企業に牛耳られ牙を抜かれるか、もしくは自らが信じる宗教・信条に沿ったメッセージを垂れ流している。そしてその宗教観は、中東のイスラム原理主義者たちと鏡像関係にある、キリスト教原理主義的なものなのである。
歴史を振り返ってみれば、アメリカは、キリスト教徒が宗教の自由を求めて集まって創った国である。憲法でも宗教の自由と政教分離を誓ったが、そもそも建国の父たちが意味した宗教の自由とは、実はキリスト教内の宗派の違いに過ぎなかった。
とエリコ・ロウ氏は書く。
チョムスキーは更に踏み込んだ事を書いていた。
アメリカはその起源から非常に信心深い国でした。ニューイングランドを開拓した過激な宗教原理主義者たちは、自分たちはイスラエル(神の選民)の子孫であり、彼らがアマレク人(古代パレスチナの遊牧民)の土地を掃討した際に崇拝していた軍神の命令に従っていると信じていました。ピークォット族(アメリカ先住民)の虐殺などの描写を読むと、聖書の最もジェノサイド的な章を抜き出してきたかのようです。
チョムスキーは更に云う。
アメリカで一般的に遭遇するような度合での過激な宗教的信条や不合理なコミットメントは、他の工業先進国には見られません。進化論を教えることを回避したり、教えている事実を隠したりしなければならないという発想は、先進国では特異なケースです。
だからこそ、アメリカはイスラエルを支援し続けているのであって、イスラエルの実現は多くのアメリカ人にとって神の存在を裏付けるものであって、信じるとか宗教ではなく現実の事として理解しているのだ。
折しもイスラエルでは、フルバ・シナゴーグと云う礼拝所の再建が開始されたと云う情報が入ってきている。この礼拝所の再建は18世紀、あるラビは預言でこのフルバ・シナゴーグの三度目の再建の後にハルマゲドンが起こり、その最中に救世主が再臨し世界は千年間の至福の時代を向かえるとした事に関係しているらしい。
そして今回のこのフルバ・シナゴーグの再建は正に三度目にあたるのだそうだ。
イスラエルはエルサレムの入植地問題でアメリカに背き、これまで通り自分たちがやりたいようにやると云うような強引な姿勢を貫こうとしているが、これをアメリカが止めきれない。それはアメリカ国内にはこのイスラエルの計画を熱烈に支持している人々の存在があるからなのだろう。
努々油断することなかれ。そして相手をちゃんと見極め、追い払う努力に躊躇したり、手加減したりしてはならないのだ。
え?何言っているのか全然分からないって?だったらまずこの本書からはじめよ。半日もあれば読めるから。
ここ最近読み漁ったアメリカの実態と国際政治情勢に関する本を紹介している記事へのリンクをここに置いておきます。何かの参考になれば幸いです。
バーバラ・エーレンライク
「
スーパーリッチとスーパープアの国、アメリカ―格差社会アメリカのとんでもない現実」
「
ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実」
ナオミ・クライン
「
ブランドなんか、いらない―搾取で巨大化する大企業の非情」
ハワード・ジン,レベッカ・ステフォフ
「
学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」
ジェイン・ジェイコブズ
「
壊れゆくアメリカ」
ロバート・ポーリン
「
失墜するアメリカ経済―ネオリベラル政策とその代替策」
ジョセフ・E・スティグリッツ&リンダ・ビルムズ
「
世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃」
ジョン・クラカワー
「
信仰が人を殺すとき - 過激な宗教は何を生み出してきたのか」
スーザン・ジョージ
「
アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?」
「
WTO徹底批判!」
ノーム・チョムスキー
「
9・11―アメリカに報復する資格はない!」
「
チョムスキー、アメリカを叱る」
「
破綻するアメリカ 壊れゆく世界」
「
すばらしきアメリカ帝国」
「
メディアとプロパガンダ」
エドワード・W. サイード
「
戦争とプロパガンダ<1>」
「
戦争とプロパガンダ<2>パレスチナは、いま」
「
戦争とプロパガンダ<3>イスラエル、イラク、アメリカ」
「
戦争とプロパガンダ<4>裏切られた民主主義」
ジョン・J・ミアシャイマー&スティーヴン・M・ウォルト
「
イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策Ⅰ・Ⅱ」
ジョン・ストーバー&シェルドン・ランプトン
「
粉飾戦争―ブッシュ政権と幻の大量破壊兵器」
ジョン・K・クーリー
「
非聖戦―CIAに育てられた反ソ連ゲリラはいかにしてアメリカに牙をむいたか」
アルンダティ・ロイ
「
帝国を壊すために―戦争と正義をめぐるエッセイ」
「
わたしの愛したインド」
△▲△
2010/04/11:さて鈴木理生の「江戸の川・東京の川」であります。鈴木氏の本はこれが二冊目。ひょんなきっかけから橋や水門に興味を持ちはじめ鈴木氏の本に出会った経緯は「江戸の橋」に書かせていただいたので割愛させて頂きますが、東京の川はその殆どが運河であって、この川を利用して生活することに長けた人々がこの地に移り住んできた事からやがて現代のこの世界的にも例のない規模の大都市を生み出したのだという事を川を歩いて実感し、見慣れていたつもりでいた風景が全くちがうものに見えるようになったという経験をした。この都市計画の遠大さと気の遠くなるような労力に正に眩暈を覚えた訳でした。
そしてこの都市の成立にかかった長い長い時間を想像の世界で遡っていくと、そもそもこの関東を開いた人々とは一体どこからやって来たのかという素朴な疑問に突き当たり、それはまた日本人って一体誰なのかと云う問題に行き着く。
僕の読書生活の根底にあるものは”僕たちは一体どこからきて、どこへ行こうとしているのか”という激しく根本的な疑問だ。それは宇宙論でも、生物学でも、哲学でも、歴史でも、常にそれがある。本を読むように川を遡り風景を眺め、地名を読むと僕の中ではこの根本的な疑問と結びついてくるのだ。
そんなもやもやとした疑問はあるものの、とりつく島が見つからず右往左往としていた僕に天から降ってきたのがこの「江戸の川・東京の川」でありました。本書は、ヤマト政権以降の関東平野への侵出と拡大の歴史を川と水運の関係から、そしてこの起点となる江戸湊、浅草寺から内陸へ、その逆として海へ、そして大陸・半島との関係を照射し、これらが互いに影響し合いながら発展してきた状況をみごとに描き出しているものだ。
少し長くなるが、鈴木氏の切れ味の素晴らしさをご理解頂くために引用させていただきます。
この江戸氏の武蔵野台地を中心とする分散現象の背景は、たんに江戸重長が頼朝からにらまれた結果などではなく、「東国」の範囲が「広義の利根川」の境界を越えて、東北地方まで北上したことと深い関連がある。すなわち関東は鎌倉幕府の崩壊---建部中興---室町幕府の成立という一連の政治的変動の過程で、室町幕府の勢力圏の一部に組み込まれた結果、京都政権の動向とともに関東も変動し、また関東自体が広範な利根川流域を中心に諸々の勢力の争いの舞台となった。
ここでとりあげる関東の争乱期は、貞和五年(1349)、足利尊氏の子の基氏が関東管領として関東に派遣されたときにはじまり、永禄七年(1564)に戦国大名としての後北条氏が鎌倉・古河公方勢力を、ほぼ制圧した約215年間の期間をさす。そしてこの時期を大別するとつぎのように区別できる。
第一期・・・・・・関東管領勢力の室町幕府からの独立期。中央集権的存在そのものである幕府機構の中で、関東管領制度ははじめから異質のものであった。そもそもこのような旧鎌倉政府の遺構ともいうべき”機関”ができたのは、足利尊氏直義兄弟の抗争と、その収束のための妥協の産物であった。初代官僚は尊氏の子の基がなり、その後、持氏まで四代続いた。
この期間に、関東管領の勢力は当時の関東地方の生産力の向上にともなって、独自のものに成長していった。つまり関東管領は関東土着の勢力の増大によって、室町幕府に対してより独立的なものになっていった。
第二期・・・・・・関東管領(鎌倉公方)勢力の分裂期。前期のような状態の中で、将軍継嗣の問題が起こったことに関連して、幕府は関東管領の人事を関東側勢力の意向を無視して実施しようとした。しかし現地の鎌倉側では、無条件に幕府からの”天下り人事”を承認することはなかった。---それほど関東の勢力は強くなっていたのである。こうした将軍人事問題をめぐり、関東管領の支配は、人的関係においても、地域的にも二分される結果になった。すなわち幕府に対して独立的勢力になった関東管領勢力は、それゆえにさらにその内部に独立的勢力を発生させ、ついに利根川対岸の古河に「古河公方」と呼ばれる勢力を実現させた。
第三期・・・・・・戦国時代のはじまり。鎌倉公方側の内部分裂及び両公方を含む旧勢力の衰退---戦国大名としての後北条氏勢力の台頭による、両公方の敗退期。
関東におけるこのような時期区分は、列島と大陸・半島との国際関係の変化の忠実な反映でもあった。端的にいえば第一期は、はじめは主に朝鮮に対し、のちには中国に対する第一次の”倭冦”が盛んだった時期であり、第二期は、足利義満による日・明公貿易時代に相当し、第三期では国内はいわゆる戦国時代になり、対外的には再び中国大陸に対する第二次”倭寇”現象がはじまり、いったんは盛大になるが、明側の防備力の充実とともに鎮圧されていった時代であった。
この江戸氏というのは、江戸湊の支配者として1180年頃に登場してくる一族なのだそうだが、今の皇居東御苑あたりに居を構えていたらしい。日本史を紐解くときどうしても近隣の地域どうしで勢力争いをしている部分に目が行きがちだが、大陸・半島と直結した経済関係を持ち互いに共鳴し合いながら、場合によっては人々が流入し合い混ざり合いながら生きてきたということなんだろう。この江戸氏の事は更に深掘りしていくともっと面白い事がわかりそうだ。
この調査分析能力といい、そのかける情熱といい、拍手喝采いたします。地道に自分の足で調べていくその姿に惚れました。僕もこんな仕事がしてみたい。仕事に読書に川歩きとますます忙しい年になりそうな気がしてきたぞ。
「江戸の橋」のレビューは
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「江戸はこうして造られた」のレビューは
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2010/04/10:年度があらたまり2010年度に入りました。僕の会社では4月が定期人事異動なので、組織改編や転勤、配置転換にフロアレイアウトの変更、異動のない人でも玉突きで引っ越ししなきゃいけないなどとばたばたと慌ただしい。また環境が変わるとはじめは誰しも落ち着かないものですよね。
さて、僕は先日読んだダニエル・V・ボツマンの「血塗られた慈悲、笞打つ帝国。江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか?」でボツマンが提起している、何故日本は他のアジア諸国のように西洋の不平等な植民地政策により搾取され経済的にも文化的にも踏みにじられる事なく、近代化を遂げ、西洋を向こうに回し戦争をけしかけていくような帝国主義的国家へと変貌していったのかと言う問題について、細々とした読書の時間を割り当てている。
「血塗られた慈悲、笞打つ帝国。江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか?」のレビューは
こちら>>
半藤一利氏の「幕末史」では、江戸時代末期の倒幕運動の盛り上がりから開国、そして戊辰戦争の勃発と明治政府の樹立を、これに勝利した薩長側ではなく一歩引いた第三者的な視線で冷静に紐解いていた。僕はこれまで尊皇攘夷のレトリックがどうしても腑に落ちなかったのだが、本書を読んでやっと霧が晴れた気分だ。そもそもこの大義名分は天皇を山車にした徳川幕府と薩長の反政府同盟との間の権力争いであった訳で、開国や近代化は避けられない事態であったろうが、必ずしも正しかった訳ではない事がよくわかった。
つまり政府を転覆させた直後の明治初期に壇上に登場してきた偉人と呼ばれる人々はよくその背景を見る必要があると云う事も。
明治維新後の近代日本の歩んだ道、繰り返すが、右傾化し帝国主義的、全体主義的な国家となってアジアへと拡大していくその後の日本の変貌は、江戸時代の市井人々の暮らしぶりとも、2010年現在の大半の日本人の立ち位置ともまた違う、豹変とも云うべきかもしれないぐらい違う人に見えないだろうか。それとも、僕たちは猫を被って普段の生活をしているだけで、一皮剥けば攻撃的で力ずくで相手を踏み倒すという本性をもっているのだろうか。
もう一冊、僕の読書生活の灯台的存在である海野弘氏の「陰謀と幻想の大アジア」でノモンハン事件は陰謀によって起こされたのではないかと云うような事を書いていた。ノモンハン事件自体よく知らない僕にとって、このアジア拡大路線を進み始めた日本に隠されたある意図があり、なんとそれは日本人の血統にかかわるものであり、その起源はメソポタミアに通じており、だからこそアジア圏にシルクロードに沿って広がるウラル・アルタイル民族を巻き込んで大東亜共栄圏を形成し、世界の中心たらんとしたと云うの話しはなんだか狐に摘まれたかのような感じがして仕方がない。
渡来人を受け入れ吸収してきた経緯を考えれば日本人の起源が大陸にある事は間違いない訳だが、メソポタミアから脈々と天皇の血筋が受け継がれていたと云う話しなのだから、もうびっくり仰天するしかない。しかし、これは絶対に間違いないと思い込んでいた人がいた事もまた事実な訳である。
本気で信じていたのか、他人を利用するために語っていただけなのかは定かではないが、こうした人たちによって、東方拡大路線を既成事実とし後戻りできないようにしようとしたのではないか。その少なくともその先頭きって走っていたのが、ハルハ河付近で軍事行動を強引に推し進めた辻政信ではないかと云う訳だ。
えっ?ちょっと何言ってるのかわかんないって?そりゃそうでしょう。だって陰謀論なんだから。詳しく知りたい方は「陰謀と幻想の大アジア」を実際に手にして読んでみて、一度椅子からおっこちるような気分を味わってみられたし。
「陰謀と幻想の大アジア」のレビューは
こちら>>
ですが、ネタバレになるので詳しい事は書いておりません。
と、この二冊によって与えられた視線を持って臨んだのが今回のこの本「ノモンハンの夏」であります。三宅坂の現在憲法記念館がある場所は、かつて陸軍参謀本部があった。この場所について、半藤氏はこんなことを書いている。
いまこの地に立ってみると、おかしなことに気づかされる。ここは左手の皇居と右手の国会議事堂や首相官邸の、ちょうど中間にある。国政の府が直接に天皇と結びつかないように、監視するか妨害するがごとく、参謀本部は聳立していたことになる。
世論は反英に向かいつつあった。イギリスは中国大陸に進出した日本人を襲うテロリストたちと裏で手を結んで、密かに日本側を押し戻していた。中国での反日活動の反動が反英であった訳だ。当時の天皇は、外国との衝突は本意になく、どこの国とであっても戦争は反対。尽く陸相を問いただし叱咤して勝手な行動を慎むよう繰り返している。
しかし、参謀本部特に第一部第二課(作戦課)はエリート中のエリートが集められ、他を寄せ付けない閉鎖的な集団となって政府とも天皇の意図も顧みない、命ずる事はあっても聞く耳を持たない存在となりつつあった。
「こんごは、わたくしの許しなくして一兵たりとも勝手に動かすことはまかりならん」 叱責どこ吹く風で、陸軍はこんども大元帥を無視して軍を動かした。「朕の命令」なくして軍旗を捧持した大部隊が動いたのである。陸軍は自分の意志を押し通すため、外には統帥権の独立を強調し、利用した。しかし自分に都合の悪いときには都合のいい理屈をつけて、これを完全に無視したのである。彼らは「天皇の軍隊」を誇示しながら、天皇に背くことにまったく平気だ
った。
その更に向こう側の満州には関東軍がいた。関東軍は満州に司令部をおき、日本とは遠く離れて、意思の疎通も意識も、日本政府とも参謀本部ともそしてやはり尊皇の意識も希薄となり、
あるのはただ勝手に引いた満州の国境と、負けるはずがないと云う身勝手な思いこみのみであった。
戦車の装甲も武器も兵力も圧倒的な差があり、しかも兵法も旧弊であったにもかかわらず、精神論で勝てると信じているから負けないというような、とりつく島もない頑迷さに凝り固まった状態なのである。
それに加えて暗殺。当時は反論するものがあれば首を狙い、正に暴力で意見を通すやり方が常態化していたらしい。山本五十六などは暗殺の影に晒されながらも陸軍の暴走と戦争行為に
反対だったのである。
昭和日本ではいつのころからか暗殺ということが英雄的行為となった。専制君主が絶対の権力者で君臨していて、これをのぞくことが立派な行為であったという中国の歴史に、日本人が親しんでいらいのことであろうが、昭和の日本にはそのような圧制者などいなかった。にもかかわらず、浜口雄幸、井上準之助、団琢磨、犬養穀、そして二・二六事件の斎藤実、高橋是清とつぎつぎに要人が暗殺されている。テロの目標とされた人をあげれば牧野伸顕、一木喜徳郎、美濃部達吉、湯浅倉平、西園寺公望、鈴木貫太郎と穏健派と目される人すべてである。日本の政治史とは暗殺史ではないかと思わせられる。そして調べて情けなくなるのは、暗殺が国家にとってつらい損失であるにもかかわらず、犯人が英雄視されるのが普通、というだけではなく、なぜか世論がそれを是認することであった。それを望んでいたといってもいい声や動きが、世の中にひろくあることである。
こうした日本人観は敢えて探しに行かないと見つからない状況ではないだろうか。幕末も暗殺やテロが横行していた模様で、こうした状況は今のこの平和な日本の姿とは全く結びつかないと思うのは僕だけではないだろう。
結局、世論は操作され、辻政信は日本から遠く離れた場所で暴走し、反英は親独とぴたりと重なり、山火事のように広がった。火の手は止める事ができずやがて第二次世界大戦へとまっすぐに突き進んでいってしまうのだ
。
僕は辻政信の事をこの本ではじめて知ったが、シンガポールやフィリピンでも暴走を続け、戦闘から戻った部下に対して「死守せよと言ったのに、おめおめ生きて帰りおって」と言って回りから止められる程の暴力をふるったりするようなヤツだったらしい。
それでも戦後は参議院議員になったりしているのだからびっくりで、最後はラオスで失踪。行方不明のまま死亡宣告されているのだが、暗殺されたらしいと云う噂もあるらしい人物なのだ。
どうやら辻は北一輝率いる皇道派に反対する東條英機や石原莞爾に繋がる統制派の息がかかっている模様だ。
石原莞爾と云えば、満州事変を起こした張本人だ。この海外のカリカチュアから抜け出してきたかのような辻政信によって、ソ連も日本もそしてアメリカも多くの命を落としてしまったのかと思うと、やりきれなさに加えて大衆が如何に流されやすく弱いものなのかとつくづく感じてしまいます。
海野氏が掘り起こした陰謀論のような考え方について辻はどんな理解をしていたのか、今となっては知る由もない。しかし、歴史の影に埋没させて隠蔽してはならない重大な教訓がここにはあると僕は思う。日本人がどんな道を歩んできたのか。どんな非道な事をやってきたのか。これをちゃんとまず認めるところから日本史ははじまるべきだとますます強く感じる一冊でありました。
「幕末史」のレビューは
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「昭和史」のレビューは
こちら>>
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