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  新年になってから、全く運動ができず本ばかり読んで過ごしてしまった。花粉症も一段落してそろそろ自転車で出かけたいなぁと真剣に感じています。新年度、世界同時不況の経済状況はまだまだ先の見えない状態のなか、自分の仕事だけは相変わらずどたばたと忙しい。

模倣犯」宮部みゆき

2009/06/28:「模倣犯」の方が断然良いのであるが、先ずは手始めに「あかんべえ」から読めと。と云うカミさんのありがたいお奨めに従って、「あかんべえ」を読み、いよいよ「模倣犯」である。それにしても文庫本で5巻もある。一気に読むとなるととっかかる時期も多少調整が必要な量である。

2009年の第一四半期のレビューをこの本で締めたかったのもあって、本の待ち行列を調整して一気に読みしました。どうにか間に合ったよ。

まず最初に結論から。

すごく面白かった。読む前に持っていた予想とは全く違う形で楽しめた。
5冊のボリュームなんて全く苦にならない。あっと言う間だ。全5巻を12日間で読み切った。自分自身記録的なスピードで読めたし、そもそも読書している時間がこの間増えた。だって止められないじゃないの途中でなんて。目が痛くなっても我慢して読んだ。

こんなお話だったんだねぇ。もうびっくりだ。


「あかんべえ」のレビューにも書いたが、本に関しては雑食性で、随分といろいろな分野に首を突っ込んでいるし、映画だって大好きであるにも関わらず恥ずかしながら宮部みゆきに関しては全くの初心者で予備知識はほぼゼロだ。

「模倣犯」と云う作品にしても、相当売れた事や映画になったと云う事は知っていたが、その中身については殆ど何も知らなかった。なんでこんなに何も知らずに来てしまったのだろうか。
自分でもどうしてなのかよくわからない。

しかし、知らずにいた事は幸いでした。
なんと云っても予備知識なしで本に当たることが出来た訳ですから。これから読む人は、出来るだけ何も情報を入れず、目と耳を塞いでおいて、おもむろに本を開かれるのが一番だ。

従って未読の方は僕のレビューなんかも読んじゃいけませんよ。勿論ネタバレなんかは書かないけれどもさ。と云う訳で、これを読んでくださる方々の読書を損なわない範囲で書かせていただきます。

くり返しになるけど、まずはこの本の分量。文庫本で5冊、2,535ページもある。一体どんな話でどんな展開を持っていると云うのか。

そして次はこの本のタイトルの「模倣犯」である。この模倣犯とは、どんな犯行に対する模倣犯なのか。そしてこの模倣犯とは誰で、模倣される側の犯罪者は誰なのか。

言ってみれば本書は、この二つがグルグルと回っている、これまでに見たことや乗った事のない新しいアトラクションのようなものだと思う。それでいて更に本書は単なる犯罪小説、警察小説、ミステリー小説、エンターテイメントの枠組みを越えて、社会の闇と云うか、人間の悪意、「悪」そのものをぐりぐりっとえぐり出してくるのである。

聞けば本書は週刊ポストに5年間(1995年10月10日号〜1999年10月15日号)に渡って連載されたものなのだそうだ。それにしても5年間である。

物語がはじまるのは、1996年9月12日である。これは1巻の冒頭に書かれている。連載がはじまったのは1995年の10月なので、最初の読み手の方にとっては約一年先の出来事だ。しかし、事件は人の目に触れる時には既に起こっていて、その罪は既に犯されている。読者は、ちょっとだけ将来の話を読んでいるようだが、実はこの犯行の段階ではリアルタイムに近づくのである。

リアルタイムでこの作品を読んでいた人はこの設定に背筋が凍ったろう。

この時間設定も超憎たらしい。この手練手管。宮部みゆきは只者ではないのだ。

当初にどの程度、構想を固めて臨んだのか、連載小説と云うものの裏側は全く知らないけれど、少なくとも本書の着地点をはじめ相当練られたものになっていたハズだ。だからこそのタイトルが「模倣犯」である訳なハズだからだ。

この長大で複雑に入り組んだ展開をみせる本を締め切りに追われつつも連載で書ききった、自分には出来ると思って取り組む事が出来た宮部みゆきと云う人はとんでもなく凄い人である事は容易に想像がつく。

「マジ半端ねぇ」と。

度々登場する「大川公園」は架空の場所だが。どのあたりを想定しているのだろう。明治通りを白鬚橋東詰の交差点あたりをグーグルマップのストリート・ビューであたりを見回してみた。

白鬚橋東詰


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こんな情景を塚田真一とロッキーは眺めていたのだろうか。

送信者 水門と橋


また、高井和明が家族と営んでいた蕎麦屋があると云う練馬区春日町も実際には6丁目までしかなく、7丁目は存在しない。

練馬区春日町


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架空の地名になってはいるけれども、そこには紛れもない東京が息づいている。本書のもう一人の主役は、東京なのだ。これだけの人が集中して重なり合って暮らしているのにも関わらず、実際に個人として認識出来ている人はほんの一握りしかいない。実際にはどの人も一人一人、生活があり、人生がある。

そんな事は解っている、当然の事なのだが、普段生活をしている時には自分にとって、外で行き交う大勢の人々は、単なる群衆に過ぎなくなってしまう。自分も、他人からみれば殆どの場合、群衆に溶け込んでいる点に過ぎなくなっているのだろう。この隙間に、互いを傷つけ合う要因が含まれてしまう事がある。

そして明らかな悪意を持ってこれを利用しようとするものがいるのである。

先日散歩をしていて偶然見かけたピピネラのような滑り台がある公園。


送信者 ドロップ ボックス





「黒武御神火御殿」のレビューはこちら>>

「きたきた捕物帖」のレビューはこちら>>

「あやかし草紙」のレビューはこちら>>

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「堪忍箱」のレビューはこちら>>



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戦争とプロパガンダ(WAR AND PROPAGANDA) <4>
裏切られた民主主義」
エドワード・W. サイード(Edward W. Said)

2009/06/21:「戦争とプロパガンダ」4巻目である。2002年11月から2003年4月にアル・アフラーム・ウィークリーに連載された7編に加えて、2003年4月London Review of Booksに掲載された「ラガドのアカデミー」の計8編が納められている。

■ヨーロッパVS.アメリカ
■イラクについての誤情報
■緊急課題
■ゆるしがたい無力
■偽善の金字塔
■責任者は誰だ?
■もう一つのアメリカ
■ラガドのアカデミー

2冊続けてレビューを書くのはしんどいなぁと思いながらも読み切ってしまった。そして予想以上に纏めるのに苦心しながらこれを書いている。

サイードはまだ知らかったがこのエッセイの時系列はイラク戦争が開戦した2003年3月に向かってまっしぐらに進んでいる。

2009年に居る今の僕はこの後起きる出来事と云うか事の経緯を既に知っている。大量破壊兵器も9.11に対する関与もまったくの出鱈目だったのである。にも関わらずイラクは侵攻され、フセインは文字通り穴蔵のような隠れ場所から引きずり出されて処刑された。

しかし経緯は知っていても、それが何故そうなったか、それにはどんな意味が含まれていたのかその時の僕は殆ど気が付かずにいた。一方でサイードは鋭敏にもそれを見通し、その危惧について書いている。書くばかりではなくそれをメディアにも公開した。しかし、それは殆ど衆目を引くことがないまま、サイードが危惧している事の中でも最悪だと思われる曲線をトレースして実現し続けた。

当時、イラクの次はイランかなんて云う話しが出ていたと思うが、現在その予測が実現化してしまいそうな方向へ進んでいる気配すらする。イランは先日大統領選挙を実施し、現職のアハマディネジャドが当選したと公式に発表した、対抗していたのは改革派で親米派と云われるムサビ元首相支持派だが、開票結果に不正があるとの疑いを拭いきれず、テヘランでは最高指導者であるハメネイ師の制止も効かず大規模な抗議行動が起こり、警察との衝突によって死者がでており情勢は混乱の度合いを強める事態となっている。

CNNではイランの外務省が海外メディアが国内情勢を揺るがしている「悪党」を支持していると非難したと報じた。一部ではテロリストと呼んでいる模様である。ニュースでは、フランスやアメリカに逃れたイラン人たちが、現政権に対する反対の意思を表明して集会を開いている様子が流れている。イランの選挙結果が不正なものだったのか、どちらの勢力が実際問題多かったのかは全く持ってわからない。アハマディネジャドに対する報道は相変わらず悪ければ狂犬、良くても変な汗をかいて一人事をぶつぶつ言っているような人物に見えるのである。アハマディネジャドは改革派には不支持だが保守層からは少なくとも一定の支持を取り付けている事は間違いなくて、性格が破綻してるほどの人ではないはずなのにである。

時事通信は、オーストリアの緑の党のスポークスマンが1989年7月にウィーンで起きたクルド人暗殺にアハマディネジャドが直接関与していたの情報を流した。

このニュースによれば、アハマディネジャドは当時ウィーンのイラン大使館でドイツ人の武器証人から武器を受け渡しや暗殺実行の役割を担っていたと言っていると云うのである。

クルド人の暗殺に関しては、直接自分で手を下した可能性もあるのだそうだ。直接手を下したと云うのはどのような状況を示しているのか不明だ。自ら拳銃を手にしてその引き金を引いたと云うのだろうか。それも20年も前の話だ。こうしたニュースが今このタイミングで流れてくるのはどうした事なんだろう。

こうした混乱はサイードが嘆いていた事態のまたくり返しに見える。アラブのイスラムのパレスチナの人々の将来をどうすべきか、イスラエルやアメリカ、ヨーロッパとどのように共存していくかの道を模索すべきであるのにもかかわらず、派閥のあいだで争いあってまとまることができないのである。


一方でイラクとの開戦にアメリカを猛進させた背景には何があったか。今となっては明らかな事であるがそれを推進していたのはネオコンたちであった訳だ。

ヨーロッパVS.アメリカから

 対イラク戦争を推進する圧力の黒幕は、リチャード・パールやディック・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツ、コンドリーザ・ライス、ドナルド・ラムズフェルドのようなネオコン第二世代である。ブッシュがこれに押し流されるのを止められるとは考えにくい。コリン・パウエルはあまりに用心深く、自分のキャリアを守ることを優先し、原則がなさすぎるため、このグループにとってたいした脅威になるとは思えない。なにしろ彼らの背後には「ワシントン・ポスト」の論説委員をはじめとする多数のコラムニスト、CNN、CBS、NBCなどに登場するマスコミの識者たち、アメリカの民主主義を世界に広めるため、どれほど多くの戦争が必要になろうが果敢に戦う必要があるという決まり文句を繰り返す週刊全国誌などの支持がついているのだから。

責任者は誰だ?では、こうしたネオコンたちが政治家の後ろについて政策を作り、巧妙にプロパガンダを展開することでそれを実行に移している事を以下のように書き下している。

 そういうわけでアメリカの国民は意図的に嘘を告げられており、彼らの利害はシニカルに偽って代弁され、偽って伝えられ、ブッシュ二世と彼のフンタ[クーデター後の軍事政権を指す言葉] の私的な戦争のほんとうの目的やねらいは、徹底した傲慢さで隠蔽されている。ウォルフォウィッツやフェイスやパールという、いずれも選挙で選ばれたわけではなく国防総省のドナルド・ラムズフェルド(彼も選挙を経ていない)のもとで働く官僚たちが、ある時期には(ネタニヤフが1996年に首相に選出された選挙戦のあいだ)彼の私設顧問という資格で、イスラエルは西岸地区とガザを併合し、オスロ和平プロセスを停止させるべきだと公然と主張し、イラクとの戦争(その後にイラン)や、非合法のイスラエル入植地の拡大を呼びかけていたということや、それが今では合衆国の政策になっているということも、いっさい問題ではないのだ。

サイードはヨーロッパVS.アメリカの中で選挙についてもこんな事を書いている。

 定的な力を持つ莫大な金と権力の結合によって、選挙と国家政策が意のままに操作されるということもない。ジョージ・ブッシュは二年前の大統領選挙で二億ドル以上も使って当選したことを思い出そう。ニューヨーク市長マイケル・ブルーンバーグでさえも、選挙費用に六千万ドルを使ったのだ。こんなものが、他の国々が希求するような民主主義とはとうてい思われず、手本になるなど論外だろう。にもかかわらず、大多数のアメリカ人はこれを無批判に受けいれているようだ。その明白な欠陥にもかかわらず、彼らはこんなものを自由や民主主義と同一視している。今日の世界におけるどの国よりも、合衆国は大多数の市民から遠く離れたところで制御されている。巨大企業と圧力団体が「国民」の主権を勝手にあやつり、真の反対派や政治変革が出現する機会はほとんど残されていない。

つまりは二億ドルもの大金を投じたり、弟が州知事を務めるフロリダ州でおかしな事が起こって当選した男、どうやらこの男はキリストに会った事があるらしい、が大統領になっているのは最早民主主義とは云えないだろうと云う訳だが、アメリカ人はお人好しなのか鈍感だから気がつかないのか大人しくしていると云う訳だ。オバマとクリントンが共和党候補を争っていた時点ですらクリントンの選挙費用が膨大だと云うニュースが流れていたのではなかったろうか。ハメネイ師などイスラムの指導者たちはムハンマドに会ったとか言っているのだろうか?

一方でイランでは生身の人たちによる抗議行動が起こっている。天安門事件のようだと書いたニュースもあった。北朝鮮では金正日の後継者問題が取りざたされているが、どうやら3男・金正雲氏が有力な模様だ。これに対して北朝鮮の国内では目だった動きはない。こうして並べてみると、アメリカは寧ろ北朝鮮に似ていると言う事もできるのかもしれない。


この「戦争とプロパガンダ」についてのレビューを書き終える前にもう一つ触れておきたい事がある。それはフランシス・フクヤマの事である。サイードはこのエッセイのなかで何度かフランシス・フクヤマについても痛烈に批判をしている。一つはインスティチュート・フォア・アメリカン・ヴァリューズの声明に著名していたこと。そして「歴史の終焉」について、これは大きな欺瞞だという。この内容はともかく、当時フランシス・フクヤマは確かにネオコンと呼ばれる人々と一緒にいた。そもそもポール・ウォルフォウィッツとは軍備管理軍縮局、国務省で一緒に働いていたのである。フクヤマがネオコンと決別(実際にはもう少し違う意味なのだが)したのはこのエッセイの後の事だ。個人的にはフクヤマの本を読んで、彼の主張がいろいろなところで誤解されていると考えている僕としてはちょっと残念だ。勿論一部は事実なのでこれは批判されても仕方がないとも思うのだが。


気をつけてみてほしいのは、フクヤマの場合、ネオコンだとして批判され、脱退宣言をした事でネオコンからも批判されていると云う二重の局面があるのである。彼を批判しているその人は果たしてどちら側の人かが肝心なのである。

少なくとも僕は彼が主張してるとおり多くの人々が同時に胸郭中の気概を満たす事ができる生き甲斐のある社会を自由民主主義は創り出す事ができると信じているからだ。


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戦争とプロパガンダ(WAR AND PROPAGANDA) <3>
イスラエル、イラク、アメリカ」
エドワード・W. サイード(Edward W. Said)

2009/06/14:
「戦争とプロパガンダ」その三巻目である。本書には、これまでに引き続きアル・アフラーム・ウィークリーに2002年5月から2002年10月の間で掲載されたものと、ちょっと遡って1999年11月のエッセイ計8編が納められている。

■アメリカのユダヤ人の危機
■パレスチナの選挙が浮上
■一方通行
■細目にわたる懲罰
■不統一と党派対立
■無力のどん底
■イスラエル、イラク、合衆国
■生まれついてか、選び取ってか

今になって考えればそもそも全く関係ない9.11事件とイスラエル西岸地区の問題は当時はほぼ抱き合わせで語れているかのようで、僕にとってはかなり縺れて解りにくいニュースであった。善人であるとばかり思っていたヤーセル・アラファートはいつの間にか大統領府に軟禁されており、西側諸国からも驚くことにパレスチナの人々からの信頼も失っているかのような状態となっていた。そもそも大統領府がイスラエル軍に包囲されて軟禁?日本で云えば国会議事堂が他国の軍隊に包囲されていると云うような状況だろうか。その場合その包囲されている側の国は国としての体を成していると云えるのか。何をどうしたらそんな事態に陥るのかなんだかさっぱり解らないと思った事を覚えている。

エドワード・W. サイードが特別なのは、聡明で鋭いその分析力とそれを見事に表現できる文章能力だけではなく、彼がアメリカ合衆国在住のアラブ人であったからである。アメリカ合衆国にいの知識階層にいるからこそ、ブッシュを初めとするキリスト教右派とイスラエル・ロビーによる途方もない行為にも、パレスチナの混沌とした現状から全く抜け出せないでいる現状にも同じくらいの体重を乗せた批判を読者としての僕らが違和感なく受け取れるからだと思う。

一方通行から

 ジョージ・W・ブッシュが世界に向けて行なった中東に関する6月24日の演説は、もとよりすさまじく低級な彼の演説の規準に照らしても、ぎょっとするようなものだった。混乱した思考、実際に生きて生活している人間の現実世界にはなんら実質的な意味を持たぬ言葉、パレスチナ人への説教臭く人種差別的な敵対的勧告、イスラエルが戦争と平和に関する法規をことごとく踏みにじり侵略と征服を進めているという現実についての信じがたい、妄想に近い認識の欠如などのおぞましい組み合わせ。こうしたものが、神の特権を横取りした頑固で無教養な説教好きの審判者のうぬぼれきった口もとから発せられる。こんなものが、今やアメリカの外交政策に君臨しているのだ。しかも──このことはきっちり覚えておかねばならないが──これをやっているのは、事実上勝ってもいない選挙をごまかして大統領になった男であり、テキサス州知事時代の業績を見れば、最悪の汚染、ひどい汚職、投獄と死刑の比率は世界最高という記録が並んでいる人物だ。このように金と権力をやみくもに追い求める以外にはたいした才能もないような怪しげな資質の人物が、パレスチナ人に対し、戦争犯罪人シャロンのひどい仕打ちばかりか、ご本人の空疎な糾弾がもたらす悲惨な結果までも押しつける能力を持っているというわけだ。世界でいちばん金に弱い3人の政治家(パウェル国務長官、ラムズフェルド国防長官、ライス大統領補佐官)に両側を固められ、ブッシュは二流弁舌家のたどたどしい口調でスピーチを行ない、その結果としてシャロンが合衆国の支持する不法な軍事占領のなかで、さらに多くのパレスチナ人を殺傷することを許したのである。

当事者であるアラブ人だからこそ、ガザ地区の悲惨な抑圧に対する痛みを表明する事と同時にアラブ人が不統一、派閥闘争に明け暮れていることを非難できる。アメリカ合衆国の知識階級にいるからこそ、アメリカ合衆国の無条件で無節操なイスラエル支持に対して反対を唱え、国民を欺くネオコンのプロパガンダに対して警告を発する事ができたのである。

細目にわたる懲罰から

 イスラエルの安全は、いまや伝説の獣である。一角獣のように、それはどこまでも追い求められるが、決して見つかることはない。永遠に、今後の行動目標にとどまるのだ。時が経つうちに、イスラエルはますます安全ではなくなり、隣国からはいっそう疎まれるようになったが、そのことは一瞬の注意にも値しないらしい。

2009年5月オバマ大統領は、イスラエルに対し入植凍結を要求すると宣言した。イスラエルはこのアメリカ合衆国の急激な翻意にかなり動揺している模様である。オバマ大統領がどの程度本気で、この突然で頑なな行動の裏にあると思われる計画がどのようなものなのかはまだはっきりしない。しかし、これまでイスラエルがアメリカ合衆国と恐ろしいまでに同期の取れたタイミングでガザ地区への攻撃をくり返し行ってきた事を考えるとこの相違は非常に注目すべき事態であろう。

これまで無条件の同意と支持を表明し続けてきたアメリカが真逆の意見を平然と言い放った事にも驚くが、これまで支持してきた事の責任に対しても一切言及する事なくそれを実行している事にも僕は驚いた。国連を無力化して国際法も人道上も決して許されない残虐な行為にイスラエルが走れたのはアメリカの支援があったからに他ならない筈なのに。

オバマの言動からは、イスラエルとパレスチナの2国家共存と云うのがピック・ピクチャーであるらしいのであるが、ここまで事態を悪化させたアメリカの介添えでそれが実現するのは非常に困難であろうと思うし、このアメリカの遅すぎた翻意に対して感謝の涙を流す者がガザ地区に大勢いるとも思えない。サイードがこの話しを聞いたらどう思うだろうか。お墓からびっくりして起き上がってしまうのではないかと思うのだが、如何なものだろうか。


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パタゴニアふたたび
(Patagonia Revisited)」
ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin)&
ポール・セルー(Paul Theroux)

2009/06/07:ふとしたきっかけで妙な本を見つけた。それがこの「パタゴニアふたたび」だ。先日読んだ「パタゴニア」のレビューを書く際に、ブルース・チャトウィンの事はちょっと調べたりしたハズなのだが、この「パタゴニアふたたび」と云う本の存在はひっかからなかった。改めて彼のサイトを覗いてみてもそれらしい本はない。ウィキペディアにも本人のサイトにも記述がないのに本として存在している。これって変だよね。変ですよね〜。一体どんな事情なんだろうな。そしてどんな事が書いてあるんだろうな。やはりこれは一度手にしておくべきだろう。

と云う事で読んでみました。

てっきりこの共著したポール・セルーとパタゴニアに行ってたとか云う内容なのかと思っていたのだが違った。

あとがきによれば、本書は250部と云うほんの僅かだけ限定出版されたもので二人の著作リストに載っていない「幻の書」なのだそうだ。しかも本と云うよりは二人がパタゴニアにまつわる話しを対談と云うか往復書簡でやりとりしているような内容になっている。最後まで読んでも二人が同じ場所で語り合ったのかどうか、はっきりした事は何も書いていない。

1940年と41年生まれの二人は、それぞれ全く別の観点からパタゴニアに憧れ、実際にそこまで行ってやろうと思い立って実行に移している。ポール・セルーも若き日にパタゴニアを訪れ「古きパタゴニアの急行列車 -中米編(The Old Patagonian Express)」と云う本を一冊書いていたのである。セルーはこんな事を言っている。

 どこかに旅に出たくなると、なぜか南に足が向く。「南」という言葉には「自由」の響きがある。

セルーはパタゴニアとボストンが地続きで歩いていけると思っていたらしい。実際には思い違いな訳だが1万5千マイル歩いて行けたとしたら歩いて行ったのだろうかと。羨ましいなと。南を目指す前にそれを実行に移せる自由を既にセルーは持っていたのじゃないかとついつい思ったりしてしまう訳だが。

 同じようにパタゴニアを訪れたとはいっても、ポールと僕とではその目的は全く異なっていた。だが、二人とも旅行者として一括りにされるとすれば、我々はいわば「文学的旅行者(リテラリ・トラベラー)」なのだ。珍種の動植物だけでなく、文学作品に登場する土地や文学的連想にも、思わず興味をそそられてしまうところが似ている。そんなわけで、パタゴニアにまつわる文学にも、いくつか触れることになるだろう。

二人はハーマン・メルヴィルの「白鯨」やサミュエル・テイラー・コールリッジ「老水夫の歌」などの文学作品に埋め込まれたパタゴニアやまたはパタゴニア的な事象や表現を紹介していく。実際彼らはこうした事象を追ってパタゴニアに向かったのであろう。こうした本の読み方はチャトウィンの指摘どおりこの二人に共通するもののようなのだが、なかなかこれも羨ましいと思えるような本の楽しみ方をしてる事がわかったりするのである。


パタゴニアは地の果てだが、想像力が生まれる場所でもあったのである。或いは伝説が生まれる最期の場所だったのかもしれぬ。パタゴンが、巨人が、プレシオザウルスが消え、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドがいなくなってしまったパタゴニアは最早人々の想像力を刺激する事も少なくなってしまったのだろうか。もし今二人にそんな質問をしたら、ただちにかえってくる答えはきっと否定だと思う。

本書で紹介されているジョン・ダンの詩「南西航路」では西洋の文化が、黄泉の国、三途の川という東洋的な思想と合流し新たなイマジネーションを生み出している事に触れている。パタゴニアに住むインディオたちの生死感は全くもって東洋的なのである。これ自体ももの凄く驚くべき事なのだが、かくして東洋と西洋の交わる場所となったパタゴニアはまた再び新なイマジネーションを生み出し続けるハズであると二人は考えているだろうからである。そして地球には地の果てなんてものがない事は紛れもない事実だし、人間の想像力に限界なんてある訳がないと思っているに違いないからである。

「どうして僕はこんなところに」のレビューはこちら>>

「パタゴニア」のレビューはこちら>>

「ソングライン」のレビューはこちら>>

「ウィダーの副王」のレビューはこちら>>


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この世界、そして花火
(THIS WORLD,THEN THE FIREWORKS and Other Stories)」
ジム・トンプスン(JIM THOMPSON)

2009/06/07ジェィムズ・グレイディの「狂犬は眠らない」が三川基好の最後の翻訳となったものとばかり思っていた。あとがきに田口俊樹さんが三好さんのその最期の日々について書かれており、僕はそのあまりに思いがけない事に思わず涙が出た。翻訳家としての最期の日々に。田口さんとの友情について。そして三好さんの訳したトンプスンに出会えなくなってしまう事にも。

しかるに本書は出版された。ついついひょっとしてやり残していた仕事が見つかったのだろうかと思ったが実はそうではなく、三好氏がこれまでに訳し「ミステリ・マガジン」や「ジム・トンプスン最強読本」などに掲載された短編を集めたものを纏めたものなのだそうだ。唯一表題作の「この世界、そして花火」だけは、三好氏の訳出したものがジム・トンプスンオリジナルではなく、マックス・アラン・コリンズによって手を加えられた版であったため、オリジナル版を基に田口氏が補訳をしたものが載っている。僕はどれも初見なのでありがたい限りではあるが。詳しい事は解らないが扶桑社ではあちこちに散った三好氏の訳したトンプスンの作品を一つに纏めようと遁走してくれた模様だ。その努力の結実したものがこの本書の7編の短編集なのである。

■油田の風景(Oil Field Vignettes 1929)
■酒びたりの自画像(An Alcoholic 1950)
■システムの欠陥(The Flaw in theSystem 1956)
■四Cの住人(The Threesome in Four-C 1956)
■永遠にふたりで(Forener After 1960)
■深夜の薄明かり(Sunrise at Midnight 1988)
■この世界、そして花火(This World,Then the Fireworks 1988)

発行年を見るとついおやっと思う人もいるだろう。なんと言ってもジム・トンプスンは1977年に亡くなっているのに、1988年出版となっているなんてどうした訳だろうと。これはあとがきにもある通り、トンプスンは書きかけで長編で未完の遺稿が20作もありトンプスンの死後これらのうち幾つかは活字化され出版されたからなのだそうだ。また、「永遠の薄明かり」はおそらく1960年代に書かれたものらしいが未完で、明確な結末がないばかりか全体の話の辻褄が合っていない。しかし、かえってその不自然に置き換えられた時間軸と、みょうに合わない辻褄によって生まれる独自の雰囲気が非常に恐ろしい感じになっている。

エキセントリックでなんとも罰当たりで無軌道な主人公の言動ぶりは三好さんの訳ならではだと僕は思う。未完であるにもかかわらずこの一篇を読む為にだけでも手にする価値は十分にあると見た。何れにせよ今後三好版ジム・トンプスンの新たなものに触れる機会は永遠に失われてしまったという事だ。本当に残念な事である。僕はこの最期の、三好版ジム・トンプスンを読むのが勿体なくて勿体なくて仕方がなかった。マイナス1章目からはじまってみたり、掟破りの台詞回しがあったり、そしてお得意の時間も場所もないどこかで行われる主人公の独白の恐ろしさがあったりとトンプスンのエッセンスが十二分に詰め込まれた本書に触れることができたのは何よりであったと僕は思う。

「内なる殺人者」のレビューはこちら>>

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超音速漂流 (MAYDAY) 改訂新版」
ネルソン・デミル (Nelson DeMille)&トマス・ブロック (Thomas Block)

2009/06/07:本書「超音速漂流」が邦訳され出版されたのは1982年。当時はトマス・ブロック名義だった。これを手にした僕はその面白さの群を抜いていた凄さに腰を抜かしたものだ。当時の僕は大学生であった。

アメリカ海軍が違法なミサイルテストを秘密裏に実行。標的は500マイル先を高速で飛ぶ無人標的機だ。しかし何らかの手違いでこの無人標的機は最新鋭の超音速旅客機ストラトン797の飛行区域と重なっており、撃ち放されたミサイルは大きく認識できる方、つまりストラトンを標的と自ら定めてしまう。

ミサイルはテストである事から炸薬が装填されていないため、標的にはぶつかるだけだが、超音速で激突するミサイルの衝撃はストラトンの壁を破るのに十分だった。高度6万2千フィートを音速を超えて飛ぶ旅客機の横腹をぶち抜く形でミサイルは命中。穿たれた穴からは多くの乗客・乗員が機外へ放り出され、機内の与圧は全て抜けてしまう。

成層圏では呼吸が出来ないのだ。酸欠で混濁する意識のなか機長は自然呼吸ができる3万フィートへの急降下とその後の水平飛行をオートパイロットにセットする。しかしこの高度に到達する間に乗員・乗客はほぼ全員が死亡するか回復不可能な脳損傷を受けてしまう。機長は死亡、副操縦士は意識不明、オートパイロットによって漂流することとなったこの巨大な旅客機のなか難を逃れた者が数名いた。彼らは事故当時たまたまトイレなど機密が高い場所に居たため無事だったのだ。

物語の主人公はたまたまトイレに入っていて無事だったビジネスマン。彼らは果たして無事生きて還れるのか。これに空軍や旅客機を運航している航空会社や保険会社、そして脳損傷によって暴徒化する乗員・乗客たちが絡んできて正に手に汗握る展開となる訳です。これは改訂新版を元に書いているのだけれど、元のやつも骨子は一緒だったと思う。

この設定のリアルさと怖さを力点にして物語はどこまでもスリリングに進んでいく。当時本当に夢中になって読んだ。そして随分と周りの人に薦めたりしていたとも思う。読んだ本を人に薦めると云う行為を僕は昔からずっとやってたということだな。

2001年に訳出された改訂新版はテクノロジーや政治的な表現を90年代に合わせて修正したものになっているそうだ。古いヴァージョンの本は既に手元になく、緊急降下する場面の動きがちょっと違っているとか、主人公って結婚してたっけ、とか、ラストはこんなじゃなかったよなと云う程度の記憶しかなく、どのように手が加えられているのか判定できないが、改訂新版に全く違和感なく没頭できた。それにしても時代に合わせて書き直されて出版されてきた本書自体が異例なケースだと思う。単なるミステリーで他に同じような改編が行われた例を僕は知らない。この事実をとっても如何に本書の出来が良かったかを物語っている。

また、本書は2005年にテレビ映画としてだが、とうとう映像化され日本ではDVDで鑑賞する事ができるようになった。テレビ映画なので低予算で出来の方は今一つ、二つだったようだが。

記憶ではこの本、「トマス・ブロック改めネルソン・デミル」とか、「トマス・ブロック(ネルソン・デミル)」とか云うような表記で書店に並んでいた時期があったように思う。そして恐らくそのせいで、トマス・ブロックとネルソン・デミルは同一人物だと思っていた時期があった。更に時が流れ本書ではネルソン・デミル &トマス・ブロックという表現になっており、二人は別人だと云う。

そんなこんなでずっと気になっていた改訂新版だったのだがなかなか読む機会が作れずにいたのが漸く読むことができた。改訂新版の巻末にはワーナー・ペーパーバック発行人のメル・パーカーなる人物が二人の生い立ちやら共著に至った事情などを書いている。これを読むとネルソン・デミルとトマス・ブロックは小学校の同級生で随分と長い付き合いだった事が解る。

トマス・ブロック名義で出版された本が他にも幾つかあって、

「超音速漂流(Mayday) 」 1979年
「亜宇宙漂流(Orbit)」 1982年
「盗まれた空母(Forced Landing)」1983年
"Airship Nine" 1985年
「影なきハイジャッカー(Skyfal)」1988年
"Open Skies" 1990年

「亜宇宙漂流」や「盗まれた空母」は読んだな。でも「超音速漂流」のインパクトが強すぎた事もあろうが、これらの作品は精彩を欠き、印象があまりない。トマス・ブロックは早い段階からパイロットの道へ進みアメリカで最年少の機長となり、本業をパイロットとしながら本も書き続けている人だと云う。

一方でネルソン・デミルは大学生活を中断して陸軍へ入隊、幹部候補学校を経てヴェトナムへ。戻ってからは一貫して物書きとして生計を立てようとずっと努力をしていたようだ。今でこそ知名度の高い作家となったが売れ出す前には相当苦労をしているようだ。そんな中で旧友のトマス・ブロックと共同執筆という形で何編か作品を書いたりしていたらしい。

1978年、ネルソン・デミルが「バビロン脱出」を書きこれがかなり売れた。トマス・ブロックはこの「バビロン脱出」の航空機の減圧事故に関する下りを読んで、この減圧事故をテーマに本が一冊書けないだろうかと言った事が本書の出発点になっているそうだ。なるほどそうでしたか。随分と時間が掛かったがこの辺の事情も漸く明確になって僕的にはかなりすっきりした。

25年以上も前に読んだミステリー小説を再読すると云うのはなかなか希有な体験だ。さすがに初めて読んだ時のインパクトは薄れてしまっていたけれど、やっぱり面白いものは面白い。正に我を忘れてのめりこめるサスペンス。これから読む人が羨ましいよ。ほんと。


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あかんべえ」宮部みゆき

2009/05/31:暫く前からカミさんが宮部みゆきにハマりだした。随分と売れている作家なのに我が家ではこれまで縁がなかったのである。

「模倣犯」なんてドラマ化もされているのに僕なんかはどんな話かすら知らないのである。ふとした機会に読み始めたカミさんは最近、宮部みゆきの本を立て続けに読んでいる。

「ほんと、面白いんだから」と云う。

僕ら夫婦は共にそれなりに読書家であり、共通の本も随分と読んできた。そんな訳で「面白い」と言う場合、特にそれを相手に勧める場合のハードルはかなり高い。

それを踏まえて一押ししてきたのは「あかんべえ」であった。

物語は孤児でもたくましく生きている一人の少年の話から幕を開ける。少年はあちらこちらで食べ物をかっぱらったりしてどうにか食い扶持を得ていたが、ある時天ぷらやの主人にふんづかまる。天涯孤独の身であることを察した主人はこの少年に七兵衛と名をつけ、自分の家に住まわせ天ぷらやの修行を受けさせる。

何年か立ってその根性と心根を認めた主人は七兵衛をとある仕出し弁当屋の見習いとして送り出す事にした。天ぷらやの主人は七兵衛の将来性を見て、仕出し屋へ託したのである。

何年も一緒に暮らした天ぷらやの主人との別れは悲しかったが、七兵衛はこの仕出し弁当屋でも一心不乱に真っ直ぐに働き、暖簾分けを受け独り立ちするまでに成長していく。後ろも振り返らず消えていく天ぷらやの主人の背中にまず心がわしづかみ。しかし七兵衛の物語は本書の物語のあくまで土台なのである。

七兵衛の正直な努力が実り、仕出し弁当屋「高田屋」は大きくなるが、七兵衛には子がない。その代わりに自分がそうだったように、身寄りのない子供を受け入れては包丁を覚えさせて店を手伝わせているのであった。

残念ながらどんな子供でも良いと云う訳ではなかった、その筋を見極める目も持っていた七兵衛は跡を継がせるものとして大勢の弟子のなかから選んだのは太一郎であった。更に七兵衛は自分がいつしか抱くようになった料理屋を営むと云う夢をこの太一郎に託すのである。

拾われて育てられた身である太一郎としては滅相もない話しである訳だが、七兵衛のたっての願いであった事から、ここは太一郎が七兵衛に借金をする形で店を作る事にするという条件で料理屋を開く事に合意する。料理屋の場所は七兵衛が探してきた海辺大工町の川辺の一角にあった居抜きで入れる場所。七兵衛と太一郎たちはこの店の屋号を「ふね屋 」と名付けるのだった。

太一郎と多恵の間には12歳になる一人娘おりんがいた。二人にはおりんが生まれる前にも二人子供があったが、何れも幼いうちに亡くなった。おりんは三番目の子供なのだった。そんな不
幸も重なって七兵衛にとっては目の中に入れても痛くない存在なのであった。

高田屋でおじいちゃんである七兵衛との暮らしを離れふね屋の開店に向けて準備をするため海辺大工町に移り住んだ矢先、おりんは病に倒れてしまう。食べ物が喉を通らず、高熱が続くおりん。彼女は気がつくと寂しげな河原に佇んでいた。どうやら話しに聞く三途の川の河原のようだ。

自分は死ぬのだろうか。

そんなところに飄々として不思議な雰囲気の老人が現れる。おりんと出逢ったこの老人は、心配する事はない。死んでしまう人はこんな場所ではなく橋の方へ現れる。自分は悪い奴を見張っているのだが、ときどき疲れてここに休みに来ているのだと云うような事を云う。老人の脇には綺麗な水たまりがあって、老人はここからどこかを覗いているようだ。おりんはこの水たまりを覗き込むばかりか、この水をぺろっとなめてしまう。ちょっと慌てる老人だが、「まぁこれも縁か」みたい話をする。

この老人が言うように程なく病から回復するおりん。ほっと胸をなで下ろす太一郎と多恵、そして七兵衛。しかしおりんにはこれを機会にある変化が訪れる。それはふね屋の屋敷には、お化けが何人も住んでおり、そのお化けとおりんは交流できるようになっていたのである。このお化けさんはみんなとっても魅力的なんだよね。いやいや宮部みゆきの繰りだしてくるキャラクターはどれも皆強力だ。

面白いのは、三途の河原で休んでいた老人も、ふね屋に住まうお化けさんも、自分たちの境遇を不思議がっている事だ。どうして自分はこうなんだろうかと。なんとなく考えたりしているのである。七兵衛や太一郎が生きる現実世界と、お化けさんたちの住む世界、三途の川原で一休みしている老人。この老人は生きているのか、そもそも人間なのかどうなのか。そして三途の川の向こう側には明らかに霊界がある。こんな階層になった世界をおりんは難なく同じ地平としてずんずん進んで行ってしまうのである。

彼らは何故迷い出てしまったのだろうか。そして何故この屋敷に住み着いているのだろう。それは30年ほど前に起こったある事件に遡った事情があるらしい。物語は小名木川のたゆたうような流れのようにゆっくりと流れていく。小さな川の岸辺に息づく人々の生活が丁寧に描かれていて心地良い。果たしておりんはどんな活躍を見せてくれるのだろうか。そしてお化けさんたちの運命は。活き活きとしたキャラクターが思い思いに動く事で物語りが勝手に走っている感じすらする。この本は逸る気持ちを抑えてじっくりゆったり読む本ですね。

僕は料理対決の話なんかじれてじれて仕方がなかった。話しの方向性を見失ったような気がしてしまったりしてましたが、これは宮部さん、ワザとやってますね。なるほど、こう云う手を使う方でしたか。真剣に欺されておりました。

そう。ここは宮部みゆきさんの意図通りじらしにじらされる場所だった訳ですね。皆さんじれて悶えて読みましょう。

本書に登場する海辺大工町はいまは消えてしまった町名だが実在の場所で、隅田川に合流する小名木川の南岸に沿った現在の江東区清澄2丁目、白河1丁目から4丁目あたりを指すらしい。今も小名木川に掛かる清澄通りの橋の名は「高橋」だ。ふね屋があったのはどの辺なんだろうか。


海辺大工町


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高橋

送信者

小名木川の歴史は予想以上に古く、完成したのが1590年頃なのだそうだ。安土桃山時代の事である。徳川家康が小名木四郎兵衛に命令して作らせた。だから小名木川なのだ。この運河を使って行徳あたりから塩や東北からの米や野菜などが運び込まれていたのだそうだ。大島には船のための番所、中川船番所があったそうで、「中川船番所資料館」なんて云うものもある。

僕が生まれ育ったのは宮城県の仙台市だけれど、縁があってここ深川にはちょくちょく訪れていた。同年代の子供のある家だったので、行けば路地裏なんかで近所の子供たちと一緒になって遊んだりしていた。僕にとって東京の原風景は門前仲町の街並みだ。宮部みゆきも深川の出身。ひょっとしたら赤札堂あたりですれ違ったりしていたかもしれない。

子供の頃の深川は親の友人がいた関係で行き来していた所詮見知らぬ街であった訳だが、このあたりは仙台堀なんてのもあって、仙台と江東区は深い縁がある間柄だったのである。

そして 今僕は、首都圏を生活圏として暮らし、正にこの小名木川を自転車で橋の写真なんかを撮って回っているのである。どうしてこんな事をしているのか自分でよく分かっていない男がここにも一人。僕はこの自分自身と云うもう一つ別の階層を勝手に付け加えて「あかんべえ」を存分に楽しませていただいた次第である。

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戦争とプロパガンダ(WAR AND PROPAGANDA) <2>
パレスチナは、いま」
エドワード・W. サイード(Edward W. Said)

2009/05/24:本書は一冊目に引き続き、2002年の初めから4月末までアル・アフラーム・ウィークリーに連載された記事6本が纏められたものである。9.11の事件から15ヶ月が経過している。
本書に収録されている記事は以下の通り。

■パレスチナに芽生えるオルターナティヴ
■一段の締めつけ
■アメリカについての考察
■オスロに何の価値がある?
■この先を考える
■イスラエルは何をしたのか

驚かされるのは、9.11の事件とパレスチナ問題が同じ枠組みのなかで語られ、それによってイスラエルの邪悪な行動が正当化されている事が強く非難されている事が事件直後から指摘されている事である。僕のような無関心な人間にとって、9.11の事件の前にガザ地区の惨状やイスラエルの暴挙についてどれほど理解していただろう。それはつまり無知につけ込んでひっそりと目立たずしかし着実に実行されてきた事なのであった訳だが、この9.11の事件を境に、より大胆にあからさまに恥じることもなく実行できるようになったのである。同様の指摘を挙げた人は他にも大勢いるハズなのだが、どうした訳かこれらの意見は簡単に手には入らない。膨大な情報の洪水のなかに飲み込まれて、紛れて見えなくなってしまうのである。本書のタイトルにあるとおり、戦争はプロパガンダとセットされ巧妙に大衆の思考や思想を操りながら進められるものなのだ。民意を操り国益を最優先する事に長けた国によってパレスチナはあらゆる面で敗北させられている訳なのである。

一段の締めつけから、

 合衆国で暮らすことは現時点ではとても苦痛な体験だ。主要メディアと政府は中東についてほとんど同じ論調を保っているが、インターネットや電話や衛星放送、また現地のアラビア語やイディッシュ語の新聞などを利用すれば、それとは別の見方に触れることも不可能ではない。それでも今のところ、平均的アメリカ人がいつでも利用できるようなものは、政府の発表する愛国的説明だけを残してほぼすべての海外事情を除去した写真や記事によるメディア報道の渦に飲み込まれている。アメリカはテロリズムの弊害と戦っている。アメリカは善良であり、異論を唱える者はみな邪悪で反米的とされ、アメリカの政策や軍備や考え方に対する抵抗はほとんどテロリズムと同義である。同じほど驚愕させられるのは、有力でそれなりに洗練された分析を行うアメリカ外交政策アナリストたちが、なぜアメリカのメッセージが世界全体(とくにアラブ人やムスリム)に受け入れられないのかが理解できず、またヨーロッパやアジアやアフリカやラテンアメリカなど世界中がアメリカの政策−−アフガニスタン政策、六つの国際条約の一方的な破棄、イスラエルに対する無条件の支持、戦争捕虜の扱いについての信じがたい強情な方針など−−に対して批判的な立場をとりつづける理由もわからないと言いつづけていることだ。アメリカ人が認識している現実とアメリカ以外の世界が認識している現実とのあいだには、筆舌に尽くしがたいほど巨大で埋めがたい溝が尊大する。

アメリカについての考察から、

 この声明は、悪とテロリズムに対するアメリカの戦争は「正義」に基づいており、アメリカの価値観に沿ったものであるということを大仰に説教するものであり、そこで言うアメリカの価値観とはわたしたちの国を解釈する役割を勝手に引き受けた者たちが定義したものである。これに資金と後援を与えたのはインスティチュート・フォア・アメリカン・ヴァリューズとかいう団体で、そり主な(そして多額の資金をつぎ込む)目的は、家族や「父親らしさ」・「母親らしさ」や神などを重視する考えを広めることにある。この宣伝にはサミュエル・ハンティントン、フランシス・フクヤマ、ダニエル・パトリック・モイニハンをはじめ多数の著名が載せされているが、基本的には保守派フェミニストの学者ジーン・ベスキー・エルシュテインによって書かれたものだ。その中の「正義の」戦争についての主な議論はマイケル・ウォルツァー教授が吹きこんだものだ。社会主義者とされるこの人物はアメリカのイスラエル・ロビーと手を組んでおり、その役割はどことなく左翼風にひびく信条に訴えてイスラエルのあらゆる行為を正当化することなのだ。この声明への著名によって、ウォルツァーはこれまでの左翼気取りをすべて返上し、シャロンがしたように、アメリカはテロや悪と戦う正義の戦士であるとする(疑わしい)解釈と手を結んだ。このことにより一層イスラエルと合衆国は似たような目的をもつ似たような国だという印象を強める役割を果たしているのだ。

ここで云う声明とは
インスティチュート・フォア・アメリカン・ヴァリューズ
The Institute for American Values
http://www.americanvalues.org/
の事である。

現時点でもガザ地区では秘密裏に物資の搬入を行っているトンネルの爆破のような封じ込め攻撃がイスラエルによって断続的に行われている。殆ど何も変わっていないのだ。知ることに遅すぎる事はない。簡単に欺かれない自分を作るためにも手を伸ばしてほしい。


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中国貧困絶望工場−「世界の工場」のカラクリ
(The China Price: The True Cost of Chinese Competive Advantage)」
アレクサンドラ・ハーニー(Alexandra Harney)

2009/05/24:導入部分には日本語版への序文が添えられている。中国の経済成長と日本の姿をだぶられつつ著者は次のようなことを書いている。

 要するに、本書は我々の目の前で展開されている産業革命の物語なのである。現在、様々な問題を抱えているが、今後も中国の輸出工場は多くの分野のグローバルサプライチェーンにおいて優位に立ち続けるだろう。

振り返って本書のタイトルは「中国貧困絶望工場」となっている。このギャップは激しい。確かに本書は中国の工場における過酷な労働環境やそれに伴う公害病など様々な問題の実体をレポートしている。しかし、その着地はどれも皆ゆっくりではあるが改善されつつあると云う繰り返しである。貧困はしていても決して絶望的ではないのだ。

現地へ出向き関係者への聴取も怠らず文章もなかなか読ませる。著者のアレクサンドラ・ハーニーはワシントンでジャーナリストの子供として育ち、プリンストン大学で日本語と日本の政治経済を学び親日家で日本語も堪能なのだそうだ。1997年自民党の中谷元の事務所で秘書として働く為に来日し、数ヶ月後、英紙フィナンシャル・タイムズの東京支局長に就任した。その後、中国語を学び香港大学の客員教授の立場で中国への取材を行い本書を上梓したという。

今日現在ウィキペディアでは日本語の記事はあるが英語にはない。アメリカ人の作家でこんな現象が起きているのははじめて見た。自民党の議員秘書になるために来日?そんなに日本語が堪能ならこのタイトルに違和感を覚えなかったのだろうか?しかも日本語の記事も書き方は妙な要約のされ方をしている感じがするのは気のせいだろうか。

本書を読み進んで感じるのは一種の歯がゆさである。繰り返すが孕んでいる問題にはいろいろ悲惨な事が起こっている。でもそれはゆっくりではあるが改善していると云うのが本書のスタンスだ。ここで話題に登らないものがある。それは反グローバル主義者の掲げる問題点であり主張だ。本書はナオミ・クライン(Naomi Klein)の「ブランドなんか、いらない―搾取で巨大化する大企業の非情 (No Logo: Taking Aim at the Brand Bullies)」などの本に言及する事もないのである。

それはつまり、農村部から大量に流入する労働力は、工場での労働環境の改善させるスピードを遅くする。つまり流入が続く限り賃金の上昇は限定的となり、チャイナプライスの維持に長い間大きな影響力を持つだろう。しかし、農業は流出する労働力によって弱体化が進むだろうとか。輸出志向と云うよりもすべてが輸出する為だけに使われる労働需要は国内経済の悪化を招くとか。極端な輸出志向は貨幣価値の上昇を招きインフレを呼ぶとか。そしてグローバル企業は工場を使い捨てにする。原価が上昇したら企業はさっさともっと安く作れる国へ工場ごと移転してしまう。と云うような事については全くと言って良いほど語られないのである。

本書に書かれない問題を探すように読むと著者がこの問題を避けている事がよく解る。触れたくもないのである。特徴的なところを一つあげてみよう。著者は中国で商社を経営する人物は次のように発言している。

 「米国が必ずしもよく理解していないと思われるのは、中国で生産しているからこそ得られた価値は中国にはほとんど残らず、その大半がブランド業界、小売業者、消費者に回されるという事実である。また、実際に生産を担当している工場は儲けが薄い。率直に言うと、中国で生産している工場はほとんど採算が取れていないと思う。」

ここで注目すべきは中国の価値が流出してしまっている実態ではないかと思うが、本書はそこには触れず、この問題が生じているのは中国の産業への参画時期のズレと、生産のモジュール化にあるとかなんとか。論点をはぐらかしてしまうのである。

更に驚くのはこの生産のモジュール化に対する彼女の理解だ。グローバル企業は出来るだけ安く生産する為に、部品ごとに最も安い生産方法をとる。このモジュール化こそ反グローバル主義の考える重大な問題の一つな訳だが、彼女はこれを「中国の工場はグローバルサプライチェーンにおける部品生産に特化することで圧倒的な競争力を持つようになった」と言い放つのである。

政治経済を学び非常に聡明な彼女の事、ナオミ・クラインを知らないとは反グローバル主義者の主張を知らぬ訳がない。本書は巧妙に意図を隠した偏ったものだと思う。「中国貧困絶望工場」このタイトルはワザと誤解させるようにつけてますね。非常に不味い飯を食わされた気分である。気に入らない。まったくもって気に入らない。気づかずに本書を手にしてしまった自分が非常に腹立たしい。

何より問題は、彼女の主張通り、中国は現状のスタンスでこのままゆっくりと成長し続けていく事が可能なのかどうか。日本における繊維業界に対するアメリカの肩入れが共産化を阻止しアメリカの盟友としてアジアの統合を阻んだのと同様に、モジュール化した部品だけの発注が中国にもたらす結果はどのようなものになるのだろうか。アメリカは中国が発展して自分の頭を土足で踏みつけられる程になる事を決して望んではいないハズだからだ。何よりも国益を最優先するアメリカがそんなに無防備な訳はないのである。

ナオミ・クライン「ブランドなんか、いらない」のレビューはこちら>>

スーザン・ジョージ「WTO徹底批判!」のレビューはこちら>>


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アマゾンの悪魔
(Mi alma se la dejo al diablo)」
ヘルマン・カストロ
(Germ´an Castro Cayced)

2009/05/17:本書、ヘルマン・カストロの「アマゾンの悪魔」と云うノンフィクションの本だ。上梓されたのは1986年。当時南米ではベストセラーになった本なのだそうだ。ヘルマン・カストロはコロンビアでノンフィクションを幾つも書いているという。どれも、ある事件やニュースを当事者や記録を執念深く追い書き上げているようだ。

1972年、コロンビアの奥地に広がる熱帯雨林(セルバ)のまっただ中で男の白骨死体が発見された。死骸の傍らには聖書とボロボロになった日記があった。日記の最後に震える字体で綴られていたのは、次のような言葉であった。





 私はこの地獄で死ぬ。
 ここには毎日、昼過ぎに、
 私を迎えに悪魔がやってくる。
 今はまだ神が私を守ってくれているが、
 死ねば、
 魂は悪魔が持っていくだろう。
 悪魔が私を見ている。
 豚のような面構えだ。
 今日の悪魔は犬のように黒い顔をしていた。
 角もあった。
 私の魂を欲しがっている。
 私には熱があり、
 もうほとんど歩くことができない。
 フェルミン(兄さん)
 私の代わりに子供たちをお願いする。
 かわいそうな犬たちを殺して食おうとは思わない。
 私は犬たちと同じように飢えて死ぬ。
 私の魂は悪魔に進呈する。
ヘルマン・カストロはこの男が何故ここで死ぬハメに陥ったのか、追って追って追い続けて書き上げた。なかには5年かがりでとうとう巡り会った人もいるほどで、まずこの執念には恐れ入る。

こうして集めた証言や日記や資料などを元に事件の経過が明らかになってくる。白骨死体は、ベンハミン・グビジョスと云う男のもので、彼はセルバのなかで妻と子供たちとギリギリの生活をしていたが、ある日アメリカ人で元軍人であった男に仕事を持ちかけられる。その仕事とは外国人の客を相手にセルバの奥地にハンティングや釣りのキャンプを作る手伝いをしないかというようなものだった。クビジョスは家族を残して一行に加わるが、この試みは尽く失敗と挫折の連続を重ねていき大きな悲劇を向かえるのである。

それはまるでアラン・ムーアヘッドの「恐るべき空白」やジョン・トレハンの「ガラパゴスの怪奇な事件」のようなものだ。

プトマヨ川、カケタ川、ジャリ川、アパポリス川周辺


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昼間でも日の射さない程の深い深いセルバの中で、動物ばかりか植物までもが訪れる者を飲み込もうとするような情景。アマゾン川には下ってもどこにも辿り着けないような場所があるのだ。この川を時には舟を担いで、森や断崖を抜けながら進む脱出行は息詰まって胸が苦しくなる程である。

また、ここで問題解決を阻んでいるのは、アメリカ人のような海外からやってくる者たちと、コロンビアのヨーロッパ系の人々とインディオとの間にある深い確執という溝。本書は、それぞれの立場にいる当事者本人の言葉をそのまま本書に持ち込むことでこれを浮かび上がらせてくる。そしてその向こう側から立ち上がってくるのは、内戦によって傷つき奪い合ったコロンビアの歴史なのである。

残念ながらこの事件はネットで追っても全く詳細が掴めない。事件が起こった場所ですら、大まかなセルバの位置としてしか把握できない。まるで茫漠たるセルバに飲み込まれてしまったかのように。


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戦争とプロパガンダ
(WAR AND PROPAGANDA) <1>」
エドワード・W. サイード(Edward W. Said)

2009/05/16:そもそもを辿って考えてみるとジョン・ル・カレが作り上げた「サラマンダーは炎のなかで」と云う見事な装置によって物事がちょっと違った方向から見えるようになり、更には足下にあるその黄色いレンガの道を行けと指し示された。もちろんこの黄色いレンガは前からそこにあった訳で、それまでは見えていなかっただけだ。見えていなかった理由は「無関心」だったからだ。自分たちは、自分たちの仕事があるし、生活がある。とても国際情勢や法改正の中身を理解してそれに意見している暇なんてない。自由民主主義を標榜し、公平な選挙によって選出された公人たちが、民意にそぐわないような行為を、国内外で行使し続ける事なんて出来るはずがないと云う前提。つまり、いい加減な事ができる訳ないので、ほっておいてもきっと大丈夫だろう。そんな無関心だ。

しかし、あらためて見てみよう。本当にいい加減ではなく、ちゃんとした事が出来ているのだろうか。バラマキだと非難された国民給付金は、やっぱり給付され、どう考えてもエネルギー効率が悪い高速道路の料金をしかもETCが付いている一般車両のみと云う、そうしようとした意図から著しく偏重した千円走り放題も、狡猾なメディアの後押しもあって認知され、お盆には平日までもが適用されそうだ。その背後で進んでいるのは京都議定書の弱体化だ。

ミサイルだったのか、ロケットだったのかはっきりしないのは、寧ろその定義だろうと思われるあの「飛翔体」に対するヒステリックな圧力は、北に、より具体的な核実験の実施という方向に押し出すという結果を生む事は実は最初からわかっているのに実際に行われしかも継続されている。この圧力をかけている主体は誰か。それはアジア地域を自分のコントロール下に置きたいと考えるアメリカである。

オバマ大統領は先日、ブッシュ前政権時代のイラクやアフガニスタンのテロ容疑者への虐待を記録した写真を公表しないと発表した。理由は、「写真の公表は反米感情を激化させ、米兵を危険にさらす恐れがある」からだそうだ。虐待された人々は「容疑者」である事に注意しよう。疑わしいと云うだけで、その光景を見れば必ず反米感情が湧く程の行為を行っていた事をはっきり言っているのだが、この被害にあった人たちには謝罪の言葉は一言もないのである。アメリカ合衆国は殺してから身元を確かめる「黒いジャガー」なのである。

加えて国連主催の世界人種差別撤廃会議はその開催を問う再検討会議は、アフマディネジャド大統領が演説でイスラエルを批判したことから紛糾してしまった。この時、アフマディネジャド大統は、イスラエルによるパレスチナ占領を「国際人道法違反だ」と断じる条項など、直接的なイスラエル非難を含んだ文書の採択に反対する、アメリカ、ドイツやオランダ、ポーランド、オーストラリア、ニュージーランドがボイコットを宣言したことを受けたものだった。

ガザ地区の封じ込めとその中にいる人びとに対する虐殺行為は国際法上も人道上も許されない行為であるにもかかわらず非難される事が気に入らないと云う訳だ。ガザの攻撃によってアメリカ、イスラエルは世界の嫌われ者となったハズであったが、彼らに追従する事にしたらしいドイツやオランダ、ポーランド、オーストラリア、ニュージーランドはどうやら違っていたのか、或いは翻意する事にしたようだ。アフマディネジャド大統領は、相変わらず悪ければ狂犬、良くても変な汗をかいて一人事をぶつぶつ言っているような人物に見えるような報道のされ方をしている。一方その発言内容の詳細には容易に辿り着けないのである。

このボイコットを先頭で引っ張っているのは、オバマ大統領のアメリカ合衆国であることもうっかりすると読み飛ばしそうになる書き方をされている。それは何故か、中東地域に埋蔵されている石油資源をアメリカ合衆国のコントロール下に置くためなのである。アメリカの国益のためには、ちょっとした人道上の問題や国際法は無視されるのだ。

民主党の小沢一郎が代表を辞任したが、この際、小沢氏は「私は政治資金の問題についても一点のやましいところもありません。法律に従ってきちんと処理して報告しております。 また今回は政治的な責任で身を引くわけでもありません。皆さんのお力添えのおかげで、私が3年前に代表職を引き継いだときには本当に(世論調査で)1ケタ台の支持だったと思いますが、今、皆さんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、20%以上の支持をもって自民党とほぼ拮抗(きっこう)しております。」と言ったと報道されていた。

ここで言っている「皆さん」と云うのは、その場所で小沢氏を囲んだ記者団に対するものであり、当てつけである。西松建設の献金問題は捜査中であり、これがどのような結果となるのか不明だが、はっきりしている事は、政権を取った事がない民主党、もしかしたら問題かもしれない献金を受け取ったかもしれない代表と、愚行を繰り返している麻生太郎を執拗に比較することで0になるのではないかと思われた自民党の政権支持率がじりじりと戻ったという事である。実はこの二つは比較すること自体ナンセンスだというのに。

この例からも明らかなのは、政府はほっておいたら何でもやりたいようにできるようになっているし、それが妨害されたり非難されたりしないように報道もコントロールされているのである。ほったらかしにしていたら、僕らは問題のある行為や意志決定を知ることすら出来ないまま物事は進んでいってしまうという事なのである。だからちゃんと黄色いレンガを辿ってエメラルド・シティへ向かい、そこにいるオズをひっつかまえて奥歯をガタガタいわす必要があるのである。

エドワード・W・サイード(Edward Wadie Said)は1935年、エルサレムでキリスト教徒であるパレスチナ人の息子として生まれた。本来の実家はエジプトのカイロにあったが、エルサレムには母が暮らしており、サイードはこの叔母の家で幼少を過ごしたらしい。その後アメリカに渡りプリンストン大学やハーバード大学で学び、コロンビア大学で英文学と比較文学の教授となった。学校で教鞭を執る傍ら、サイードは、パレスチナ問題の発言者として活躍し、長年パレスチナ民族評議会の一員も務めている。

1993年のオスロ合意についてはサイードは反対の立場、サイードはヨルダン西岸とガザ地区についてイスラエルとパレスチナの分割よりも民族や宗教を越えたアラブ人とユダヤ人の共存をを目指した統一する方向で解決すべきであると主張しヤセル・アラファトと袂を分けた。その後、白血病の長い闘病生活のおくったサイードは2003年9月25日ニューヨークで息を引き取った。

本書、「戦争とプロパガンダ」は、アル・アフラーム・ウィークリー(AL-Ahram weekly)において2001年の9.11事件の直前に書かれた「プロパガンダと戦争」から12月末の「イスラエルの行きづまり」までの7本と、9月末に実施されたディヴィッド・バーサミアンによる緊急インタビューの計8編が収録されている。

■プロパガンダと戦争
■集団的熱狂
■反発と是正
■無知の衝突
■ふるい立たせるヴィジョン
■危険な無自覚
■イスラエルの行きづまり
■「9.11」をめぐって−インタビュー

まず何より事件の直前に書かれている「戦争とプロパガンダ」

 テレビを見、エリート紙を読む教養のあるアメリカ人に「あなたはパレスチナ人の独立と自由のための闘争に共感するか」と尋ねたら、その答えはたいてい「はい」である。しかし、同じ人が「パレスチナについてどう思うか」と訊かれれば、ほとんどつねにその答えは否定的なものである−−つまり、暴力とテロリズムだ。パレスチナ人のイメージは、非妥協的で攻撃的でそして「異人」である。つまり「われわれ」とは違う、というものだろう。投石する若者たちは、わたしたち「パレスチナ人」にとっては巨人ゴリアテに対して闘う少年ダビデであるが、たいていのアメリカ人はヒロイズムよりも攻撃性をそこに見るのだ。アメリカ人はいまだにパレスチナ人が和平プロセスを、とりわけキャンプ・デーヴィッドにおける合意成立を妨害しているとして責めている。自爆攻撃は「非人道的」であるとみなされ、例外なく非難されるのである。
 また、アメリカ人がイスラエル人に対してどのように思っているかは、パレスチナ人に対してよりもずっといいというわけではないのだが、しかし人としてのイスラエル人に対する共感はずっと大きい。もっと気がかりなのは、質問をさけたアメリカ人のほとんど誰もがパレスチナ人の物語をまったく知らないということだ。1948年の出来事についても何も知らないし、イスラエルの34年にもわたる非合法な軍事占領についても何も知らない。アメリカ人の考え方に支配的な影響を及ぼしている語りのモデルは、いまだにレオン・ユリスの1950年の小説「エクソダス」であるようだ。それと同じくらい不安にさせるのは、この世論調査においてもっとも否定的なものとされたのがヤセル・アラファトであるという事実だ−−彼の服装(不必要に「好戦的」に見える)について、彼のスピーチについて、彼の存在についてアメリカ人が考えたり言ったりすることは、きわめて否定的である。

そして、事件の直後に書かれた「反発と是正」

 せめてもう少し多くのアメリカ人、またはそれ以外の人々が理解してくれたらと思うのは、この良心と相互理解の共同体こそが、長い目で見て、この世界の希望がおもに宿るところだということである。また、憲法上の権利の擁護においても、アメリカの支配力の犠牲になっている罪のない人々(たとえばイラク)に手をさし伸べることにおいても、理解と合理的な分析に依存することにおいても、「われわれ」にはまだずっとよい仕事ができるはずだということも、もっと多くの人々に理解してもらいたいものだ。もちろんそれが直接に、パレスチナに対する政策の変化をもたらすわけではないだろうし、防衛予算の偏りが是正されるわけでも、環境やエネルギー問題への取り組みの姿勢が賢明なものになるわけでもないだろう。しかし、この種のまっとうな方法による行き過ぎの是正をさしおいて、他のどこに希望をつなぐ余地があるというのか?こうした方向の支持層は合衆国においては増加するであろう。しかし、ひとりのパレスチナ人としては、アラブやムスリムの世界においても類似の層が育ってくれることをわたしは願わずにはおれない。わたしたちは、貧困、無知、文盲、抑圧がわたしたちの社会にはびこるようになったことに対する自分たちの責任について考えはじめなければならない。わたしたちはシオニズムや帝国主義について不満をとなえているにもかかわらず、このような弊害が自分たちの社会に根をはることを許してきたのだ。たとえば、わたしたちの中の人が、宗教とは無関係の政治を率直に公然と擁護し、イスラエルや西欧におけるユダヤ教やキリスト教の世論操作を非難するときと同様の真摯で徹底した非難を、イスラーム世界における宗教の利用に対してぶつけてきただろうか?たとえわたしたちが植民地入植者に略奪された非人道的な集団懲罰を受けているとしても、わたしたちはもうこれ以上、自分たちになされた不正義を盾にとってその裏に隠れていることはできないし、わたしたちの評判の悪い指導者たちをアメリカが支援しているからといって消極的にそれを嘆いてばかりいることはできない。新しい非宗教的なアラブの政治を今こそ世に知らしめねばならないが、それに際して一瞬なりとも、無差別な殺戮をいとわぬような人々の戦闘行為(狂気の沙汰である)を容赦したり、支持したりするようなことはあってはならない。この点においては、これ以上曖昧さを許す余地はいささかもない。

パレスチナ問題について殆ど無知であるにも関わらす非妥協的で攻撃的なイメージは間違いなく意図的に植え付けられたものだ。そして本来は、ブランチ・ディヴィディアンのディヴィッド・コレシュやガイアナの人民寺院のジム・ジョーンズ、オウム真理教の麻原彰晃と同列で語るべきであるウサマ・ビンラディンは、イスラムやパレスチナ問題と混ぜ合わせられ利用されていくのである。それもこれも人々が無知で無関心であることにつけ込んでいる者がいると云う事だ。

サイードはその出自に基づき、現在のこの世界情勢のありようはパレスチナの政治手腕や失敗にも勿論その責任はあるとしている。その意見は、長い経験と知識に基づていいるもので、大変バランス感に溢れたものとなっている。これは足下に目を向ければハッキリと張り巡らせられている現代の黄色いレンガである。これを辿ってエメラルド・シテイへ到着するだけでは解決はしないのだが、まずは辿り着く事を目指して歩きはじめる必要があるのである。


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戦場から生きのびて
(A Long Way Gone: Memoirs of a Boy Soldier)」
イシメール・ベア (Ishmael Beah)

2009/05/09:本書は、1991年から2002年まで続いたシエラネオネの内戦で家族を失い、逃げ場も失いやむにやまれず少年兵として戦闘に参加させられてしまった、たった12歳の少年本人の手による手記である。

本書の冒頭には、日本の読者に向けた本人のメッセージが添えられている。

 人びとに戦争がどんなものかを知っていただきたいと思い、ぼくは本書を書きました。そしてそれが人間の魂、人間性にどんなに影響を及ぼすかを分かっていただきたいのです。戦争を賛美する人びともいますが、戦争にはロマンなどはなく、あるのは悲惨さだけです。人間を殺すことは相手を非人間化させる行為ですが、同時に自分の人間性も失ってしまいます。本書から、戦争は問題を何も解決しないということを学んでいただければと思います。

シエラネオネは西アフリカでイギリスの最初の植民地の一つでありその歴史は古い。植民地でありながら首都はフリータウンと呼ばれているが、これは、奴隷廃止によって解放された人びとがこの地へ送り返されていたからなのだそうだ。そのシエラレオネは1961年に独立。共和国として歩み出したが、度重なるクーデターによって内政は混乱。新に樹立された政府も公金横領などの腐敗を繰り返した。

この背景には、シエラネオネが持つダイヤモンド鉱山の権利を巡ったものがあった。軍の武力を持ってダイヤモンド鉱山を守ることで権力を握り、これを維持する為に不正が横行するという訳である。また隣国リベリアもクーデターや内戦を繰り返しており、シエラネオネはこのリベリアの動静にも大きく影響を受けていた。

正に、ポール・コリアーの指摘している紛争の罠、天然資源の罠、劣悪な隣国に囲まれている内陸国の罠、そして小国における悪いガバナンス(立法、司法、行政 に及ぶ広義の統治)の罠と云う4種類の罠全てに掛かってしまった国なのである。

ポール・コリアーの「最底辺の10億人」のレビューはこちら>>

1991年、時の大統領、ジョセフ・サイドゥ・モモ少将に対し、リビアで軍事訓練を受け、リベリアの支援を取り付けた、アハメド・フォディ・サンコー (Foday Saybana Sankoh)率いる革命統一戦線(RUF)が反政府軍として攻撃を開始し、10年に及ぶ内戦へと突入した。

政府側も腐敗が進んだ状態であった模様だが、このフォディ・サンコーも高い政治思想や志を持ったものではなく、目指したのはダイヤモンド鉱山の支配権であった。そして手にしたダイヤモンドの原石は、支援しているリベリアへ売却、この金を武器の調達に当てていたのである。

彼らの戦術は見境なく村を焼き、捉えた者を老若男女を問わず虐殺するか、兵士や性的奴隷にするという残虐かつ非道なものなのであった。

 反乱軍は、マトゥル・ジョングから北東に30Kmあまりのスンブヤという町に駐屯しているらしかった。ほどなくこの噂にかわって、反乱軍によるスンブヤ虐殺をまぬがれた人たちが、手紙を運んできた。内容はたんに、「反乱軍がやってくる。われらのために戦っている彼らを歓迎してほしい」というものだ。使者の一人は青年だった。使者たちは、熱した銃剣で身体に、革命統一戦線のイニシャルであるRUFの三文字を刻みつけ、親指以外のすべての手指を切り落としていた。この切断を、反乱軍は「一致団結(ワンラブ)」と呼んでいた。戦争が起こる前、人びとは親指を立てて「ワンラブ」の合い言葉を交わしていた。レゲエミュージックのブームで広がった表現だ。


この内戦によって大勢の人の命が奪われシエラレオネは平均寿命が世界一短い国の一つとなってしまったのである。

1993年1月、当時12歳であったイシマールは隣村(といっても25kmもあるのだが)へやってきた芸能人のイベントを見に友人たちと出かけている時に反政府軍の攻撃を受ける。

モブクウェモ(Mogbwemo)


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 いまやぼくらは沼の真裏の、低木が生い茂る丘の頂上にいた。そこは見通しのきく原っぱで、逃げ道はもう、すぐ目の前だった。民間人が逃げだしかけていると知るや、反乱兵たちは、携行式ロケット弾(RPG)や機関銃、AK47、G3(ドイツ製の突撃銃)など、ありったけの武器を使って原っぱを直撃した。それでもぼくらは、そこをつっきるしかない。それは自分たちでもよくわかっていた。少年の場合、町にとどまっているほうが、逃亡を試みるより危険なのだ。たちまち兵士にとられ、熱した銃剣でイニシャルの「RUF」を、身体のどこでも反乱兵たちの好きな場所に刻みつけられてしまう。そのしるしは、一生消えない傷跡になるばかりか、反乱軍から決して逃げられないことをも意味した。反逆者のイニシャルの刻印をつけて逃げるのは、殺してくださいと言っているようなものだ。政府軍の兵士がそれを見れば一も二もなく殺すだろうし、好戦的な民間人だってそうするだろう。

イシマールは子供たちばかりの6人で孤立無援の状態でこの内戦の地を逃げていく。失敗したら、運が悪ければ、確実に死ぬのであり、現実にイシマールは人の死を嫌という程目にしていくのである。

この旅は熾烈を極め、涙もでないくらい過酷なものなのであるが、イシマールの試練は決してそこでは終わらない。ここまでか。と云う程悲惨だ。

しかし、彼は生きのびた。生きのびたからこそ本書があるのである。実際にその場にいて実際に目にしたもの、少年兵として何度も戦闘に参加させられたものでなければ絶対に書けないものを彼は書いている。僕はこの本を読んでうなされた。鉛を載せられたみたいにひどく頭が重くなってしまった。それでも読んだ。読み切った。何故ならこの現実を知る事はまず僕たちの最小限の義務だと思うからである。


the cotton tree


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謝辞にはこんな事が書いてある。

自分が今日まで生きているなんて、ましてや本を書くことになるなんて、思ってもみませんでした。

ふと顔を上げてあたりを見回せば、日本のこの平和な食べるものにも遊ぶ物にも溢れかえった国。イシマールはボロボロのズボンのポケットに入っているラップミュージックのカセットテープが唯一の持ち物で宝物なのだ。そして命がけで沼を渡り、野原を逃げた。

今でもガザやパレスチナを初め沢山の国で現実にそのような目にあっている人びとがいる。そしてその多くはその経験を語る機会もなく命を落とし続けているのである。

http://www.alongwaygone.com/index.html

今必要なのは僕たちにできることは何かという事を我々一人一人が真剣に考え、実際に行動に移す事なのだと思う。


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サラミスの兵士たち
(Soldiers of Salamis)」
バビエル・セルカス(Javier Cercas)

2009/05/09:バビエル・セルカスはずるい。タイトルの「サラミスの兵士たち」にしても、作者本人の名を持ったキャラクターを主人公に据えていることも。

主人公のバビエル・セルカスは小説家を目指したものの激しく挫折し、新聞社の記者を務める中年の男である。彼はあるときインタビューをした作家ラファエル・サンチェス・フェルロシオ(Rafael Sanchez Ferlosio)から、一つの話しを聞く。

その話しとは、スペイン内戦の後期、フェルロシオの父でありまた作家であり、ファランヘ党の要人でもあったラファエル・サンチェス=マサス(Rafael Sanchez Mazas)は逃亡先のチリからスペインへ帰国した後に逮捕され、クリェイの修道院の奥の森で他に拘束されていた50名の人々とともに処刑されかけた。ほぼ全員が銃弾に倒れる中、マサスは辛くも銃撃の混乱に紛れて身をかわすが、捜索に出た一人の兵士に見つかってしまう。しかし、何故かこの兵士は彼を見逃し、マサスはこの虐殺のたった二人の生き残りとなったのだというものだ。

物語はこの話に惹き付けられた、バビエルが「サラミスの兵士たち」と云う本に纏めよう考え、当時の話を聞くために様々な人に出逢っていくと云うお話なのである。

なので、「サラミスの兵士たち」は本来、物語のなかで語られるだけ完成もしていない。なので現実の本である本書とはまた違った「本」なのである。そして書き手であるバビエル・セルカスも同名ではあるが、書き手である実在の人物と小説中の主人公とはまた別人だ。

ところでタイトルである「サラミスの兵士たち」であるが、これは訳者である宇野和美さんによれば、
 「サラミスの兵士たち」というタイトルは、紀元前480年、少数のギリシャ艦隊が市民とともにペルシャの大艦隊を破って戦争に転機をもたらし、ギリシャ文明を救ったサラミスの海戦に由来する。あいにくセルカスはこのわかりにくいタイトルについて説明していないが、ファランヘ党の党首であったホセ=アントニオ・プリモ=デ=リベラがよく引用していた、「最後のときに文明を救うのは一団の兵士たちである」という文句と関連して解釈されるべきものだろう。

だと云う。このタイトルがこの小説につけられているのは一体どうした訳なのか。

一方で、サンチェス=マサスも、その子供であるフェルロシオ、そして後半重要な役回りを持って登場する、やはり作家でもあるロベルト・ボラーニョ(Roberto Bolano)などは実在の人物であり、サンチェス=マサスのクリェイの銃撃事件も実話だという。

バビエル・セルカスはずるい。こうした現実と虚構がないまぜとなった設定を作りだしておきながら、小説のなかではそんな外部の混乱を微塵も気にする事なく、バビエルは小説を完成させようと壁にぶつかり悶々としたりしている。

読者は果たして小説中の小説「サラミスの兵士たち」はちゃんと完成するのか。とか。クリェイの銃撃事件はどこまで実話だったのか。等とこの辺りをぐるぐると回りながら話しが進んでいくのをやきもきと読まされてしまう。そもそもどうしてこの森の銃撃事件にバビエルは拘り続けているのか。そして小説を完成させる為に必要だと云う物語に欠けているものとは一体何なのか。

最後まで読み通してその鮮やかな着地を知ってはじめて、このややこしい舞台装置の理由も、作者の深い意図も、ストンと読者の心に落ちてくるのである。

お見事でした。ここで書けるギリギリの線で一言。実在の「サラミスの兵士たち」は小説中のものよりも絶対に良い出来である。

本書は映画化されていて既に公開されている事がわかった。映画のなかでは、主人公が女性に変更されていたりするものの、登場人物の一部に実在の人が同名で登場したりしており小説のような魔術的な構造を持ち込んだものになっている模様である。




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パタゴニア
(IN PATAGONIA)」
ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin)

2009/05/03:初手からくだらないことを書くが、南米は恐ろしく広い。その南米大陸をブエノスアイレス (Buenos Aires) からウスアイア(Ushuaia)まで汽車や船を使っているとは云え基本は徒歩。ところどころでホテルに投宿しつつ、訪れる者など殆どいないような村々へと徒歩で向かっていく。そしてそこで出逢った人たちと一緒に食べて飲んで、宿を提供してもらったりしつつ、沢山の話しを聞き、また別の場所では聞いた話を呼び水にして人の話に肉付けをしていく。チャトウィンは人の話を聞くために歩いていくのである。

旅のはじまり

ラプラタ自然史博物館 The La Plata Museum


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チャトウィンがパタゴニアを目指したのは一つの理由があった。それはプンタアレナスに居たと云う叔父のチャーリー・ミルワードの足跡を辿ろうと云うものだ。子供の頃チャトウィンの自宅には、プロントサウルスのものだと云う毛皮があった。それはほんの小さなボロボロの断片であった。この毛皮を発見したのがチャーリー・ミルワードなのである。

彼は商船の船長をしていたが、マゼラン海峡で船が沈没。生還した後はプンタアレナスで船の修理工場を営んでいたらしい。そんな叔父がある時、氷河のなかからプロントザウルスを発見した。叔父はこれを引っ張り出して解体し塩漬けにしてロンドンへ船で送ったが、ロンドンに着いた頃にはひどい腐乱状態になってしまった。そんな訳でロンドンの博物館にあるのは骨格標本だけであり、チャトウィンの自宅にはほんの少し残った毛皮の一切れがあると云う訳なのである。

幼い頃にこの話しを恐らく繰り返し聴かされていたチャトウィンは遙か彼方の辺境のパタゴニアに生きたプロントサウルスや、それを発見してロンドンへ送ろうとしている元船長の叔父についてのイメージが鮮明に焼き付いていたのだ。しかし伝えられてる叔父の話はどこも曖昧で所々明らかに間違ってもいた。

どんな人であっても人には語られるべき歴史がある。それは歴史に名を残す人物であろうと、辺境にひっそりと暮らす一人の人物であっても変わることがない。しかし大部分の人のその歴史は自分自身と一部身近な人の記憶の中にあるだけで、やがてそれは風化して消えていってしまうものだ。チャトウィンはこの叔父を知る人物たちが歴史の向こう側へ消えていってしまう前に訪ね歩き、残っている「お話」を集めていこうとしているのである。

一体全体荷物はどんな具合だったろうか。次の場所へ行く時にどんな風に計画していたのだろうか。乗せて貰ったトラックが立ち往生したり、馬から落ちて大けがをしたりしたと云うような事がちらりと書いてあるばかりで、チャトウィン本人の旅の様子は殆ど伺い知れない。

本書では、行く先々で出逢った人たちがチャトウィンに語った、彼ら自身やとある人物、出来事の出自なのである。チャトウィンは旅先で大勢の人と出逢い、恐らくは飽くことなく問いかけをすることで、思いもよらない人々の営みや繋がりを見いだしたのだろう。チャトウィンは地元の人々の記憶の中にだけある過去の点と点を繋いでいく。

長く続く道をひたすら歩いて辿り着いた場所で出逢った初対面の人たちから、「あぁ、知ってるよ」とか「その話しなら」と云う反応があった時の喜びは一塩のものがあったろう。僕たちが本書を読むとき、空振りに終わった質問や袋小路に入り込んだ会話はすべて切り捨てられ、点と点が線になりやがて一つの面としてある人物や出来事が浮き上がってくる貴重な瞬間にのみ立ち会うことができるのである。


 ガイマンでは、教師の妻がピアニストを紹介してくれた。ピアニストは神経質そうなやせた少年だった。血の気のない顔をして、風にあたったせいか、目をうるませ、丈夫そうな両手は赤らんでいた。そもそもウェールズ人聖歌隊の夫人たちが彼を採用し、聖歌を教えたのである。以来彼はピアノのレッスンを積み、音楽学校で学ぶために、近々ブエノスアイレスへ発とうというところだった。
 そのアンセルモの家は食料品店で、その裏に彼と両親が住んでいた。母親はお手製のパスタをつくった。彼女は大柄なドイツ人で、しょっちゅう泣いていた。イタリア人の夫がかんしゃくをおこしたといっては泣き、アンセルモが遠くへ行くことを思っては泣いた。母親はピアノを買うために貯金をはたき、そして息子は家をでようとしている。夫は、自分が家に居るときはピアノを弾かせなかった。これからはピアノから音が出ることもなくなり、母親の涙がパスタを濡らすことだろう。しかし心の底では、彼女は息子が行くことを喜んでいた。すでに彼女にはホワイトタイが見え、観客総立ちの拍手喝采が聞こえていたのである。

また、チャトウィンが探し求めてた別の「お話」に、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの物語がある。ワイオミングの山奥を拠点として壁の穴ギャング団として知られた強盗団の一味であったこの二人は1909年12月ボリビアのサンヴィセンテで軍に包囲され激しい銃撃戦の末に死亡したとされている。この話は「明日に向かって撃て」として映画化されている。僕はこの映画が大好きだ。この映画のストーリーは史実とは違っているものの、彼らの最期は実話だと思っていた。

サン・ヴィセンテ San Vicente


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いまでも一般的にはそれが事実だとされているものが多いが、一方でその後も二人は生きていてアメリカに帰ったとか会った、見たと云う言い伝えが沢山あるのだそうだ。そんなことを知ったのはトニイ・ヒラーマンの「コヨーテは待つ」だったのだが、これを僕はあんまり本気にしていなかった。プレスリーやデリンジャーがまだ生きているとか云う類のものだと思っていたからだ。

しかし、先日読んだルイス・セプルベダの「パタゴニア・エキスプレス」と本書を読んでどうやらこれは通説の方が怪しいような気がしてきた。

 1915年以降にブッチを見た、あるいは見たと思った人が、ぞくぞくと現れてきたのである。いわく、メキシコでパンチョ・ヴィラのために銃を運んでいた。いわく、アラスカを保安官ワイアット・アープとともに踏査していた。いわく、T型フォードに乗って西部を旅していた。いわく、昔のガールフレンドたちを訪問していた。(彼女たちは彼が少し太ったと言っている)。いわく、サンフランシスコのワイルド・ウェスト・ショーに登場していた。
 私は、ブッチの帰国を裏付ける証人の中ではピカ一の人物、ブッチの妹に会いに行った。彼女はルラ・パーカー・ビーテンソン夫人といい、90歳を超えていたが、率直にものを言うエネルギッシュな女性で、民主党の奉仕活動に生涯を捧げていた。彼女には疑いようがなかった。1925年の秋、兄がサークルヴィレに戻ってきて、家族と一緒にブルーベリーパイを食べたのだ。1930年代後半に兄はワシントン州で肺炎のために死んだ。そう彼女は信じている。また一節には、彼は鉄道技師を退職し、嫁いだふたりの娘に看取られてイースタン市で死んだとも言われている。


リオピコ Rio Pico


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チャトウィンは二人の足跡を丹念に辿って「お話」を集めて回る。この二人のグリンコのお話は茫漠たる過去に飲み込まれ朧になってしまっているのであるが、彼らがどんな景色を見、どんな匂いをかいだろうか。そしてどんなことを考えどのような最期を向かえたのだろうか。

遙か彼方のパタゴニアの更にその向こう側。

プエルトナタレス Puerto Natales


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ブルース・チャトウィンは1944年イギリスのサウスヨークシャー生まれ。サザビーズで美術鑑定家となり、持って生まれた才能によって頭角を現し、若くして同社の取締役を務めるまでになったが、目を患い同社を退職し、エジンバラ大学で考古学を学んだ後、サンデータイムズのジャーナリストを経て1977年に小説家としてデビューした。

本書はその処女作であり高く評価され数々の賞を受賞した。特に紀行文学の傑作と呼ばれている。正に傑作。

本書は、出来ればいつも傍らに置いて繰り返し開いてあーだったろうか、こうだろうかといつまでも戯れていたい一冊です。



「どうして僕はこんなところに」のレビューはこちら>>

「パタゴニアふたたび」のレビューはこちら>>

「ソングライン」のレビューはこちら>>

「ウィダーの副王」のレビューはこちら>>


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死都ゴモラ―世界の裏側を支配する暗黒帝国
(Gomorra)」
ロベルト・サヴィアーノ (Roberto Saviano)

2009/004/26:金持ちとそうでない人の違いは、買った本や見に行った映画がつまらなかった場合、さっさと読む・観るのをやめるかどうかだなんて話しを聞いた事がある。これが正しいなら僕はお金持ちにはなれないのだろうな。やめるタイミングは多々あったと思うのだが、悔しくて最後まで読んだ。読んだと云うよりは目で追っていただけかもしれないけど

そもそも冒頭の数行目「人体の頭部が本物の頭蓋骨のように割れた」で確信すべきであった。これは実際の死体がコンテナからまけ出て落ちた時の話しなんだけど。そして、「括約筋の大きな苦しみとともに広がる海の肛門のような」なんて文章も出てくる。訳わからんしょ。

ノンフィクションは大好きで沢山読んできた。そんな本のなかで当事者でもなく専門家でもないのに著者が自分自身で本のなかに登場してくるものに面白い本はないのではないかと僕は思う。それにはいろいろ理由があるのだがなかでも最も重罪なのが本人が登場する度に本編の流れを断ち切ってしまうからだと思う。

ところがなんと本書はほぼ一人称で作者自身が語っていると言って良いだろう。暴挙だそれは。そもそも本書には全体を通した話しの筋はない。カモッラと呼ばれるマフィアの抗争によって引き起こされた悲惨な死をひたすら追い続けているのである。

沢山あるらしいクランやそのカポたちについても何も体系的に纏められる事はなく、これらの事件と事件の関係性はちりぢりに破れている。「私が生まれてからの死者数、3600人」と書かれていることからも窺えるように、サヴィアーノは子供の頃たまたま居合わせた人の死に様に心を奪われたらしい。彼は警察無線を傍聴し、事件や抗争だと聞けばヴェスパを駆って現場に向い死に様の断片を寄せ集めたのである。あくまで自己中心なのが嫌だ。

エピソードや登場人物が暴風のように吹き抜けていくため、一体何が起こっているのか僕にはよく理解できなかった。加えて非常に文章が読みにくいのである。これほど喰えない本ってそうそうないんじゃないかと思う。

訳者あとがきで紹介されているイタリア紙の書評では、「シェイクスピアのような激越さをもつ、圧倒的なフレスコ画を描きあげた」と書かれてたそうだ。激越?フレスコ画。これもよく読むと意味がわからん。そもそも誉めてるのか?

げき‐えつ〔‐ヱツ〕【激越】
[名・形動](スル)感情が激しく高ぶること。感情が高ぶって言動が荒々しくなること。また、そのさま。「―な口調で演説する」

大辞泉


セコンディリアーノ(Secondigliano)


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シェイクスピアが激越だったと思うフシは個人的には殆どないんだけども。イタリア語ってどんななのか僕には全くわからないのだけれど、そもそも原語ではなんと言っているんだろうか。

そんな目線で文章を追うと、「渾名の詞華集」だとか、「小心翼々たる管理は、輸送というチーターを緩慢で重苦しいナマケモノに変える」なんてな表現に重ねて、郷紳(きょうしん)、混淆(こんこう)、饗応(きょうおう)のような小難しい漢字が多用されているのである。

そう言えば昔っからフランスやイタリア文学はすっごく読みにくかったな。ってふと翻訳者の大久保昭男氏の事に目を向けるとこの方は1927年生まれで御歳82!かなりのご高齢でいらっしゃる。1979年生まれの激越な表現をとっていると思われるロベルト・サヴィアーノとイタリア文学の翻訳者の重鎮の組み合わせが読解の不幸を生んだと僕は思う。

仮にもう少し読みやすく翻訳されていたとしても、本書が断片化された構成となっている事自体は手の施しようがないものだが。

本書は既に映画化され予告編youtubeでチェックできるようになっている。こっちはちゃんとした筋がある映画になっているようで、なかなか渋い作りになっている模様である。スタッフはきっと素晴らしい読解力の持ち主なのだろう。


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パタゴニア・エキスプレス
(PATGONIA EXPRESS)」
ルイス・セプルベダ (Luis Sepulveda)

2009/04/25:中南米について、あまりにも無知で、そのままにしておく訳にはいかないと云う気になってきたものの、何から手を付ければよいのか。

ラテン・アメリカ文学はひとときちょっとしたブームになって、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」は世界傑作文学100に選ばれたりしているのに、僕はまだ読んでない。

本としてはとっても気になっているのだけれど、僕が知りたい事はこの本に書かれている事とはちょっと違うような気がする。

わからないながらも見つけてきたのが、このルイス・セブルベダの「パタゴニア・エキスプレス」だ。独裁政権下を逃れた。パタゴニアに帰還した。トラヴェローグ。入り口としては丁度良い感じだと思った訳だ。そしてこれは当たってた。入り口として良かっただけでなく、とっても面白かった。

本書は、祖父の影響で、共産主義者となり、ピノチェト大統領による独裁政権下で過酷な場所として知られたテムーコの収容所に収監されていた事がある著者が、その生い立ちと投獄時代から出獄、国外へ出、再びパタゴニアへ向かい、そしてマルトスへと向かうトラヴェローグなのである。

旅のはじまりはこんな風である。

祖父が小型の本を持って出てくるのが見えた。ぼくを呼びつけた。話を聞いているあいだにぼくはその本の背を読んだ。ニコライ・オストロフスキー「鋼鉄はいかに鍛えられたか」

「さて、ぼうず。この本はおまえが自分で読まんといかん。おまえに渡すが、そのまえに二つのことを約束してくれ。」

「なんでも、おじいちゃん」

「この本は大旅行への招待状になるはず。そんな旅をすると約束してくれ」

「約束するよ。でも、おじいちゃん、どこへ旅するの?」

「たぶん、どこでもない場所へ。でも、してみる価値があるのは確かだ」

「じゃあ、二つ目の約束は?」

「いつか、マルトスへ行くんだ」

「マルトス?マルトスってどこにあるの?」

「ここだ」と言って祖父は手で胸をたたいた。

セプルベダは祖父の教えを忠実に守り、刑務所へ行き、国を追われ、押し流されるような形で大旅行へ出かけていくのである。
当時のチリは社会主義の国からアメリカの支援を受けたアウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ(Augusto Jose Ramon Pinochet Ugarte)によるクーデターで独裁政権下へ移行したところである。ピノチェはこの時期、大勢の人びとを虐殺、セブルベダのように投獄した。セブルベダによれば、この時期にチリから百万人以上の人が脱出したという。

書き出しが印象的な作家は多いが、セプルベダは何故か二段目が良い。

サンティアゴ空港でチリの軍人たちはぼくのパスポートにLという謎めいた文字を押した。泥棒(ラドロン)?狂人(ルナテイコ)?自由人(リヴレ)?明瞭な男(ルシド)?ペスト患者という単語がLで始まるような言語があるのかどうかは知らないが、ぼくのパスポートは船会社で見せるたびに嫌悪感を引き起こしたのは確かだ。


そこは深鍋(ラ・オージャ)と呼ばれ、いつも煮えたぎっている。たえず腐っていく何千トンものバナナがぷつぷつ泡を立てる。むかつくような濃いペーストを作っている。役に立たないものはなにもかもそのラ・オージャに放り込まれる。そのぞっとしないシチューの材料となっているのは植物だけではない。政治的大物の敵たちもそこで腐っている。体に何オンスかの鉛をくらったり、山刀で手足を切り落とされたりして。ラ・オージャは休み無く煮えたぎる。その悪臭は海の香りを追い払うほど強烈で、ヒメコンドルさえ寄りつかない。

こうしてセプルベダは旅先で出逢った様々な人々とのエピソードが語られていくのだが、どれも印象深い。刑務所で出逢ったスペイン語の先生ペユーコ・ガルベス。マチャラの作家志望のカナダ人。エクアドルのスペイン統治時代を色濃く引きずるフィゲロア家。

そしてブルース・チャトウィン。はて。ブルース・チャトウィン。どこかで見た名だ。お恥ずかしながら僕はチャトウィンを知らなかった。

ブルース・チャトウィン(Bruce Charles Chatwin)はイギリスの作家で、「パタゴニア」は紀行文の傑作とされているのだそうだ。はてさて、ではチャトウィンの名を僕はどこで見たろう。どうやらモレスキンの説明書きのようである。旅に出る時チャトウィンはこのモレスキンをありったけ買い占めて持って出かけたそうだ。

このセプルベダとチャトウィンはバルセロナで出逢い、一緒に旅をする計画を立てたりしていたのである。残念な事にセプルベダが出国許可を得て旅立てるようになる前にチャトウィンは既に別の旅、恐らくはオーストラリアへ旅立ってしまった後で実現はしなかったが、二人が目指したのは、なんとブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの墓を訪ねる事なのであった。

なんと。なんと。

実現していれはそれは素敵な本になっていただろう。本書に何度か登場してくるブッチ・キャシディとサンダンス・キッドだが、ボリビアで軍に包囲され最期を遂げた二人は当地では悪人とされ映画も上映禁止になっている。

しかし、セブルベダの行く先々では、生きてどんどん南下しており、幾つか小屋を建てて暮らした場所があると云う。そして良きアメリカ人として認知されてもいるのである。

チリで英雄視されているのはチリ・ボリビア間の戦争の記憶などが影響しているのかもしれない。二人は生き延びてアメリカに帰ったなど沢山伝説があって本当のところはどうなのだろう。余談だが、トム・クルーズとジョン・トラヴォルタが出演してリメイクされるという話しがあるらしい。どんなラストが用意されているのだろうねぇ。

そして、マジック・リアリズムの入り口も見つけた。インディアス古文書館に保管されていると云う報告書。1570年時のチリ総督ガルシア・ウルタード・デ・メンドーサ(Garcia Hurtado de Mendoza)は、アリアス・パルド・マルドナードにパタゴニアの探検を命じた。


トラパンダの住民は背が高く、けむくじゃらで怪物のようです。足が桁外れに大きいため、歩みはのろくてきごちなく、おかげで火縄銃兵たちの楽な標的です。トラパンダの住民の耳はあまりにも大きいため、眠るときには毛布など上からかぶるものは必要ありません。その耳で体をすっぽりとくるむからです。トラパンタの住民は自分たちどうしでも我慢できないくらいひどい異臭、悪臭を放ちます。そのため近づきあわないし、夫婦にもならず、子供ももちません。

アリアス・パルド・マルドナードがトラパンダにいたかどうか、パタゴニアに足を踏み入れたかどうかは問題じゃない。彼とともにアメリカ大陸で書かれる幻想文学が、ぼくたちの並外れた想像力が始まるのであり、そのことが歴史的人物として彼の地位を正当なものとするのだ。


インディアス総合古文書館(Archivo General de Indias)


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そして、マルトス。

僕はこのあまりに思いがけない終着点に涙が飛び出してしまった。
本書はこちらの勝手な期待以上に大きく中南米への扉を開いてくれたのでした。

「カモメに飛ぶことを教えた猫」のレビューはこちら>>


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チョムスキー、アメリカを叱る
(What We Say Goes)」
ノーム・チョムスキー (Noam Chomsky)

2009/04/19:
ここ数年貯蓄はマイナスです。個人資産の多くは持ち家に姿を変えていますが、持ち家の基盤はかなりもろいものです。株式バブルの崩壊を上回るほどの住宅バブルが発生していると考え させる確かな証拠があります。住宅バブルがはじけると大変深刻な事態になるはずです。実は住宅市場はすでに傾きかけているのです。もう一つの現実的な危険性は、アメリカの債権者、と くに中国や日本などの国々が通貨保有の多様化に踏み切るかもしれないということです。

自動車会社をごらんなさい。アメリカではいまや衰退の兆しが見え始めており、おそらく、今後、果てしなく衰退していくでしょう。彼らはこうした事態をかなり前から把握していましたが、対応を 怠ってしまいました。短期的な利益と市場シェアに関心が向いていたからです。エネルギー危機、公害、渋滞などを考えると、馬鹿でかくて、必要以上に馬力のある大型車が売れ続けるはず はない。それでも、短絡的な利益を上げることはできたのです。長期的に見ると、彼らは倒産に追い込まれつつあります。戦後もっとも保守主義的であったレーガン政権が、優れた日本の競争力を前に、事実上、二重の保護主義的措置をとって、自動車、鉄鋼、その他の産業の巨大な経営破綻の克服と再建に努めなかったなら、おそらく、1980年代に倒産していたでしょう。

2007年に出版された本にはっきりとここまで書かれていると云う事を今読んで受けるこの愕然とした思いは他の時代の人には解らないものなのだろうな。僕のような凡人は、サブプライムが破綻した事もアメリカの自動車産業がこれほど急激な減速。減速と云うよりも寧ろ壁に激突して止まったみたいな状態に陥った事についてただただ驚くばかりであった。

本書は「すばらしきアメリカ帝国」と同様、ディヴィッド・バーサミアン(David Barsamian)がノーム・チョムスキーに実際にインタビューした際のコメントから原稿を起こしたもので、本文中にチョムスキーが

コロラド州ボウルダー在住の某氏も、さまざまな情報を発信しているそうですよ。

と悪戯っぽく言及しているのが、ディヴィッド・バーサミアン(David Barsamian)本人の事なのである。

http://en.wikipedia.org/wiki/David_Barsamian

今回のインタビューは2006年初頭から2007年春にかけて行われたものらしいのだが、その時期に既にこの冒頭にご紹介したような話しが飛び出してきているのである。これだけではなく、本書ではさまざまな国際関係のなかで今正に実際に起こっている事を次々と明らかにしてくれる。この途轍もない情報収集・分析能力とその驚くべき解釈。そのどれもが、言われてみれば、調べてみれば、正に確かに、その通りなのである。恐ろしい程に。

話題に登る主なものは、イスラエル、、レバノン、アフガニスタン、イラン、イラクの中東から。チリ、ボリビア、ベネゼエエラ、ニカラグア、エクアドル、メキシコ、キューバの南米。ソマリア、エチオピアのアフリカ。そしてバングラデシュ、インド、中国の東アジアまで非常に広範なものになっている。

南米やソマリアのニュースは積極的に取りにいないとかなり断片的で実際何が起こっているのかよくわからない。ソマリアを例に取ると、長い間英国植民地領であったこの地域は、クーデターによって社会主義の国となった(1970年)。エチオピアのソマリ族によるオガデン州分離独立運動が起こり(1977年)ソマリアは内戦状態になる。

このため、ソマリア民主共和国は首都のモガディシュを除くと殆どの地域では無政府状態となってしまった。1993年にアメリカがコマンド部隊を派遣して大変な失敗を起こした「ブラックフォーク・ダウン」はこのモガデシュに派兵したものなのである。念のためも一度書くが、無政府状態になっていたのはあくまでモガデシュ以外だったのだ。そして現在アデン湾ではソマリアの海賊行為が横行し、きな臭くなっている。正にその場所へ海上自衛隊も援護として参加中な訳だ。ソマリアでは何が起きているのか。

ジブチにはかつてフランス軍の基地がありましたが、それをアメリカが引き継ぎました。隣国のソマリアは世界有数の原油産業であるアラビア半島の真向かいにあります。ジブチと国境を接しているエチオピアは今やアメリカの強力な同盟国ですが、イスラエルと同様、最終的な国境線を決して公表しません。おそらく、ソマリアとエリトリアにまで国土を拡大しようという狙いでしょう。エチオピアはアメリカの支援を受け、国連決議を完全に破ってソマリアに侵入し、かなり安定しているように見えたイスラム教徒の政府を排除しました。2006年12月、アメリカ主導のもとに国連決議1725が採択され、国土のわずかな一角にしがみついているソマリア政府が承認されました。決議はソマリアの内政に隣国諸国が干渉してはならないことも明確に求めています。エチオピアの侵略はその直後でした。ここで強く支持されたアメリカ主導の決議に違反し、アメリカ支援のもとにエチオピアの傀儡政権を樹立したのです。


これでアメリカに向かうタンカーが海賊に狙われる理由が少しは理解できただろうか。こうした情報は単にニュースを読んでいるだけでは正しく把握できない。

何故か。ニュースは自分たちの帰属する母体にとって都合の良い内容に非常に巧妙に書き換えられているからなのである。何故か。それは世論を操作し、社会の大半を思い通りに動かす事で、国益を守るためだ。それでは国益とは何か。

「国益」とはどういう意味でしょうか。それは「現実主義的な国際関係論」と呼ばれる分野で用いられる不可思議な用語です。ミアシャイマーとウォルトもこの分野の出身ですが、現実主義の伝統では、国は国益を追求すると主張しています。では、その国益とは何でしょうか。私は「国益」とは政府の「主な立案者」たちの利益である、と言ったアダム・スミスは正しかったと考えています。当時それは商人であり、製造業者でした。今では多国籍企業がそうです。

超大国であるアメリカはこの国益を守る為に三つの大原則に全精力を注いで国際関係を形作っているとチョムスキーは指摘しています。
その三つとは、
トゥキディデスの格言から「「大国は己の欲するままにふるまい、弱小国は己の受け入れるべきを受け入れる」

アダム・スミスの提起した法則から、国の政策の「主要な立案者」である「商人と製造業者」は、国民を含めた他者にどれほど「悲惨」な結果がもたらされようとも、自分たちの利益確保に「全精力を傾注する」

そして最後は、こん棒を持つ側の人間は過去のことは記憶にないと主張するものだ。

という事である。

この国益を守る為のアメリカの最終的な目標は「われわれの思い通りにことを運ぶ」事であると云う。この「われわれの思い通りにことを運ぶ」こそ、本書のタイトルになっているものだ。この言葉は、1991年2月、第一次湾岸戦争の終わり近くにブッシュTが述べた言葉でもあるのだそうだ。つまり、本書はアメリカが如何に思い通りにことを運ぼうとしているのかについてを明らかにしていくものなのである。

もう一度云う、国益とは、国民を含めた他者にどれほど「悲惨」な結果がもたらされようとも企業の利益を確保する事なのである。
どうしたら、このような情報を分析できるのだろう。チョムスキーはそれについて、国家と企業、アメリカとイスラエルの関係において、意見が一致しているところを見ても互いの影響力や価値観の違いは分からないので、意見が分岐しているところに注目していると述べている。

なるほどさすがである。先日の北朝鮮の飛翔体についてはどうだったろうか。中国と北朝鮮では意見の不一致が明確になったがあの背景には何があったのだろう。


「すばらしきアメリカ帝国」と一緒で本書もインタビューが基となっているために、レビューに纏めるのはなかなか難しい。

そこで、本書で言及されている人たちとそれについてチョムスキーがどんな事を言っているのか、興味深い部分を抜き出してみた。何れにせよもっとちゃんと理解する為には、本書を読んでちゃんと調べてみていただくしかない。本書を読めばわかるのではない。本書は入り口に過ぎないのである。これはモーフィアスが差し出すピルなのである。

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンナ・アーレント

人種差別主義はまさに征服の結果です。誰かを征服して押さえつけるときには理由が必要です。「私はろくでなしです。だから彼らを強奪したいのです」などとは言えないでしょう。これは彼らのためになることです。彼らにはそうしてもらう資格があるし、実際に利益が得られるはずです。私たちは彼らの手助けをしているのです。と言わねばなりません。


ジュアン・ウィリアムズ(Juan Williams)
http://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Williams

スターリン時代のソ連の非常に忠実な人民委員を思わせるような言い方ですね。私たちはあなたを支持したいのです、天才スターリン閣下。私たちがもっとあなたを支持しやすいようにしていただいたいのです。あまり綿密に類似点を示そうと思っているわけではありません。それではスターリン時代の人民委員には不公平です。人民委員たちには少なくとも、恐怖心を理由に情状酌量を申し立てることはできるのですから。


マイケル・ウォルツァー(Michael Walzer)
http://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・ウォルツァー

彼の考えに批判的というより、むしろ、彼の考えがその程度だという事実を述べているのです。あなたが引用された「戦争を論ずる」には二つの問題があります。まずそこにはまったく論理展 開がないのです。ただの一つとして。すべて「私は信じる」とか「私が思うに」とか「私にはそう思える」という言い方になっています。それは論理ではありません。またもう一つ面白い事実は、そこには反論する者がいないということです。彼は主張を繰り広げていますが、いったい誰に向かって言っているのでしょう?「急進的な平和主義者」とか「大学内の論者」といった程度です。知的な面で実に嘆かわしいことです。


ジーン・ベスキー・エルシュテイン(Jean Bethke Elshtain)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーン・ベスキー・エルシュテイン

ウォルツァーの同僚の一人、ジーン・ベスキー・エルシュテインも同じようなひどい著書−−私の意見では知的には常軌を逸していて倫理的に堕落している−−を著しています。彼女はアフガニスタンが正戦論の勝利であったとして、いくつか理由を挙げています。問題は彼女が挙げている理由のどれ一つをとっても完全な誤りだということです。


モハメド・エルバラダイ(Mohamed Elbaradai)
http://ja.wikipedia.org/wiki/モハメド・エルバラダイ

おそらくそういうことでしょう。1981年にイスラエルがイラクの核施設を爆撃したとき、オシラクで何が起こったのか思い出してみましょう。この攻撃で核兵器開発をストップさせることにはなりませんでした。核兵器開発を加速させることさえありませんでした。開発を開始させたのです。

ラファエル・コレア(Rafael Vicente Correa Delgado)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラファエル・コレア

エクアドルには大規模な軍事基地が一つ置かれています。南アメリカに今も残る最大の米軍基地の一つです。コレアは選挙運動中にそれを閉鎖するかどうか尋ねられ、レポーターに答えました。「マイアミにわが国の軍事基地を置かせてくれるなら、エクアドルに基地を残すことを受け入れましょう」説得力のある見事な回答です。


エドワード・ハーマン(Edward S. Herman)
http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_S._Herman

ハーマンは経済学者ですので、アメリカの援助と拷問の関係について綿密な検討を行い、きわめて衝撃的な相関関係を発見しました。


ハワード・ジン(Howard Zinn)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハワード・ジン

ハワード・ジンは全く正しいと思います。権力への従順さと服従は、この国にとどまらず、あらゆる国にとって重大な問題です。ただ、この国が非常に強大なので、ルクセンブルグなどの小国に比べると、はるかに重大そうに思えますが、問題は同じです。


アラン・ダーショウィッツ(Alan Dershowitz)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Dershowitz

レバノン人の80%以上がヒズボラの抵抗を支持しているのだから、すべてのレバノン人をターゲットにするのは正当だと語った、アラン・ダーショウィッツのような狂信的な人物もいます。したがって、もしも誰かがイスラエルという神聖国家に対する抵抗を支持すれば、彼らは破壊の正当なターゲットとされるのです。


ウゴ・チャベス(Hugo Rafael Chavez Frias)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウゴ・チャベス

「ニューヨーク・タイムズ」には、興味深い一文が掲載されていました。記者は、チャベス大統領をたたえる「盛大な拍手がいつまでも鳴り止まなかったので、(国連の)職員が、拍手を送り続ける聴衆を制止しなければならなかった」と書いています。まじめなジャーナリストや有識者なら、こんな疑問を抱くでしょう。チャベス大統領は、なぜ鳴り止まないほどの拍手喝采を受けたのかと。ジョージ・ブッシュを悪魔呼ばわりしたからでしょうか。いいえ、違います。世界に広く受け入れられるような見解を表明したからです。要するに、それが世界の世論の大勢なのです。チャベス大統領の発言は「物議を醸し出す」と言われていますが、まったく逆です。物議を醸すのは、アメリカのメディアや識者の見方の方なのですから。


ジェイムズ・トラウブ(James Traub)
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Traub

トラウブもよく知っているように、アメリカは国際法にはまったく拘束されない、卓越した無法国家であり、自ら公然とそう言い放っています。われわれの思い通りにことを運ぼうというわけです。 事実、アメリカは、国連憲章に対する重大な侵害であるにもかかわらず、イラクに侵攻しました。


アウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ(Augusto Jose Ramon Pinochet Ugarte)
http://ja.wikipedia.org/wiki/アウグスト・ピノチェト

「ニューヨーク・タイムズ」が力説するポイントの一つは、ピノチェトはあまり立派な男ではなかったにしても、シカゴ・ボーイズの指導で異常なまでの好景気を残したということです。「ニューヨー ク・タイムズ」はわかっているのですが、事実は−−注意深く読んだ人なら、その中に含まれる警句に気づくでしょう。−−シカゴ・ボーイズは、恐怖の下にある経済のかじ取りを行っただけでなく、 この国に史上最悪の不況をもたらしたのです。1982年には、国民経済を救うために国家が介入しなければなりませんでした。ピノチェト時代は完全に失敗でした。


アブドル・ハク(Abdul Haq)
http://ja.wikipedia.org/wiki/アブドル・ハク

アメリカと親交の深かったアブドル・ハクやその他多くの反タリバンのアフガニスタン人たちは爆撃に激しく反発しました。爆撃が始まって二週間ほどたってから、長時間のインタヴューの中で、彼は次のように痛烈に非難しています。アメリカは爆撃によってアフガニスタンの人々を殺し、内部からタリバンを倒そうとする私たちの努力を台無しにしています。アメリカはただ力を誇示したいためにやっているのです。と。


トマス・フリードマン(Thomas L. Friedman)
http://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・フリードマン

チャベス大統領の政策がベネズエラを窮地に追い込むのではないかとも指摘していますが、フリードマンにそんなことを言う資格はありません。フリードマンが支持する経済政策は、多くの途上国に危機的な状況を生み出してきました。最近の四半世紀を見れば、彼の政策を取り入れた国の経済成長率が急激に低下したことがわかるでしょう。非常に良好な成果を上げている国々(中国、韓国、台湾)は、フリードマンが擁護するルールを破ることで、それを成し遂げてきたのです。


ジョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheime)
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Mearsheimer
スティーブン・ウォルト(Stephen Walt)
http://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Walt

イスラエル・ロビーに関するジョン・ミアシャイマーとスティーブン・ウォルトの最近の論文を読んでください。イスラエル・ロビーのことを、武力侵略や残虐行為などを含むイスラエルの政策への支持を引き出すために、意見や態度をコントロールすることを目指す活動部門と定義しています。


ムハマド・ユヌス(Muhammad Yunus)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ムハマド・ユヌス

それは一つの賢明な方策です。それですべてが解決するわけではありませんが。女性をエンパワーすることは、第三国はもちろん、ほとんどの社会において非常に重要なことです。意欲が持てず、生きるだけで精一杯のような社会で非常に顕著なのは、女性が男性よりも有能に見えるということです。


コンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)
http://ja.wikipedia.org/wiki/コンドリーザ・ライス

もしも他国の選挙に口出しすべきでないとお考えなら、米国民主主義基金は即刻業務を停止し、ちょうど今ニカラグアの選挙に大規模な介入を行っている国務省も手出しをやめなければなりません。米国大使は−−コンドリーザ・ライス国務長官の命を受けたものと、私は推測しているのですが−−ニカラグア国民に対して「アメリカの言う通りに投票しなければ、締めつけを行う用意がある」という趣旨のことを述べています。


「壊れゆく世界の標」のレビューはこちら>>

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墜ちていく男 (Falling Man)」
ドン・デリーロ(Don DeLillo)

2009/04/12:崩壊し瓦礫と化した世界からガラスと埃と血にまみれた亡霊のような姿となった男は離婚した元の妻と子供が暮らす家に辿り着く。何故前妻の家を目指したのか男は理解できずにいる。前妻の方も這々の体でやってきた男を気遣いつつも、何故彼がここへ来たのか解釈できないまま受け入れていく。

子供は、WTCへ向かって飛ぶ飛行機を見たらしい。それ以来近所の友達と三人で何やら暗号めいた会話を交わしている。それは「空」と「ある男」に関する秘密の話しだと云う。それはどうやら、あの日に関する子供なりの解釈が関係しているようだ。


「恐ろしい戦争、聖なる戦争、神は明日にも空に現れるわね」


「神が救った人々についてはどうなの?彼らは死んだ人たちより善人なのかしら?」




男と別れた妻は子供たちに今回の事態をどのように説明したらいいかについて話し合う。妻は週に一度ダウンタウンで認知症の初期段階にある老人たちとストーリーラインのセッションを行っていた。メンバーの老人たちはあの日の事をテーマに選びたいと一斉に言い出す。彼らなりの解釈を表現したいというのである。元妻は彼女の母と語り合う。舞い戻ってきた元夫の事。母が付き合い続けている美術商の男の事。そして神の事。


リアンは神という概念と格闘した。彼女は、宗教とは人々を従順にさせるためのものだと教わった。それが宗教の目的なのだ、人々を子供のような状態に戻すことが。畏怖と服従、そう母は言った。だからこそ、宗教は法律において、儀式において、罰において、あんなに力強い言葉を発するのだ。そして宗教は美しい言葉も発する。音楽や芸術を生み出し、ある人々の意識を高め、ある人々の意識を萎縮させる。人々は恍惚状態に陥り、文字通り地にひれ伏す。長い距離を這って歩き、あるいは、群れをなして行進し、自分たちを刃物で刺したり、鞭で打ったりする。そして他の人々、我々のような人々は、もっと穏やかに揺さぶられたり、魂の深い部分で交わったりする。力強く美しい、と母は言った。我々は超越したい、安全な理解の領域を超えたい。そして虚構を作り上げる以上に、そのための良い方法があるだろうか。


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物語は三部に分けられ、それぞれ人の名前が付けられている。

第一部ビル・ロートン
第二部アーンスト・ヘキンジャー
第三部ディヴィッド・ジャニァック

一方で登場人物たちは名前も霞がちで、その物語はちりぢりに分断されてしまっている。生き延びた男は、WTCにあった職場も、友人も、ポーカー仲間も、彼の生活を形作っていたもの全てを失い、唯一戻れる場所は前妻の家であったのだろう。

本来生きた一人の人間としての深みと広がりを持っていたハズの人が名前もなく個性も喪失してしまった群像として扱われているようだ。死んでしまったものも、生き残ったものも、その周囲の人々にとっても多かれ少なかれ個人のアイデンティティのようなものは、あの日あの時ビルと共に崩壊してしまったのである。

それはまるで短い銃身から発せられたマズルブラストのように周囲のものを吹き飛ばしてしまったかのようだ。

読者は読み進むに従って登場人物たちの関係性やそこで語られる出来事を再構成し、彼らのパーソナリティを再構築されていくのを見る。そして各部に名づけられた名前が誰の事なのかを知る。彼らの生活はまるで水紋のように離れて広がり続け失われたものが戻ることはないが、僕たち読者は全く別の核心へと向かっていく。

見事だ。

「コズモポリス」のレビューはこちら>>

「ボディ・アーティスト」のレビューはこちら>>

「アンダーワールド」のレビューはこちら> >


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ホテル・ルワンダの男
(An Ordinary Man)」
ポール・ルセサバギナ (Paul Rusesabagina)

2009/04/11:フィリップ・ゴーレイヴィッチの「ジェノサイドの丘」を読んだ。「ホテル・ルワンダ」も観た。少しばかりではあるが調べ物もしてみた。

しかし、1994年に起こったルワンダの「ジェノサイド」について、何か解った気がしてなかった。一体全体なんでこんな事態になってしまったのか。それはどのように起こったのか。ルワンダとポール・ルセサバギナをはじめ、意図しようとしまいとそこに居合わせてしまった人々にとってはまだ終わってもいないこの出来事。にも関わらずルワンダの事はネット上あくまで断片的だ。まるで些細な事であるとでも言わんばかりに。

勿論、実際にその場に居合わせ、虐殺された人。家族や友人を殺された人。この虐殺に参加した人たちのこころを完全に理解する事など到底不可能な訳だけど。少しでも、事実のほんの一部でも多く僕は知りたい。そんな僕の前に現れたのが本書「ホテル・ルワンダの男」である。

結論から言おう。本書は期待以上に欠けていた情報を沢山与えてくれた。また文章が素晴らしい。これもまた予想外の事。大変失礼だが、ノンフィクションで、作家でもない当事者が書いている本でこんな文章に出会うとは。

ルワンダでは歴史が深刻な意味を持っている。歴史が人々の生死を定めてきた。この国では貧しいバナナ農家の人間でさえも、これまでルワンダで重大な出来事が起きたのは何年だったかよどみなく答え、それが自分と家族にとってどんな意味を持つのか正確に語ることがでぎる。それらの年号はルワンダにかけられたネックレスのビーズのようなものだ。1885年、1959年、1973年、1990年、1994年、この国はひどく貧しく、学校も西欧の水準には満たないが、自国の歴史を分析する能力にかけては、我々はいかなる国の国民よりも優れていると言えるかもしれない。だからといって、こんなことは手放しで誇れるようなことでもないのだが。
ジョージ・オーウェルはかつて「過去を支配する者が未来をも支配する」(『1984年』より)と言ったが、ルワンダほどその言葉が真実味を帯びている国は他にはない。大勢の普通の人々が隣人に鉈を振り下ろしたあの1994年の恐ろしい春、彼らは犠牲者に対してではなく、過去の亡霊に向かって鉈を振るっていたのだということを私は強く確信している。彼らは人の命を奪うことよりも、過去を支配することに必死だったのだ。

ポール・ルセサバギナは自らの生い立ちも含めて丁寧にそして見事に美しいルワンダ自然、ブルンジ、そしてコンゴに跨って広がるツチとフツの人々に降りかかってきた不幸な歴史について丁寧に描き出していく。やがて歴史は1994年に近づき、人々がヒートアップしていったのか。そして遂にミサイルによってジュヴェナル・ハビャリマナ大統領の搭乗した飛行機が撃墜される4月6日。

Hotel des Mille Collines


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1993年から1994年の初めにかけて、乾いた草に炎が燃え広がるような速さで、この<フツ至上主義>という単純なイデオロギーはルワンダじゅうに広まっていった。先にも言及したように、実際にはその真の目的は60年前にツチ王朝に味わわされた屈辱に対する復讐ではなかった。それは表向きの話しに過ぎず、政府を支持するように群衆を煽るための安易なごまかしだった。そしてそれこそが革命に名を借りた運動の真の目的だった。すべてはハビャリマナとその取り巻きたちが政権の手綱を握り続けるためだったのだ。35年間にわたってフツは権力を欲しいままにする立場にあり、ツチは当時のルワンダの悲惨な状況を改善したいと思っても、影響力は皆無に等しかった。革命だったことは間違いないが、そこに倒すべき相手は存在しなかった。

はっきりとは明言されてはいないが、この大統領機の撃墜は、フツ族が自らの地位を守る為に仕掛けた謀殺であったのではないかと感じられる。なんと言っても当時キブツにこれだけの攻撃を計画し実行するだけの力を持ったツチの勢力は存在しなかったと言っているのだから。

「背の高い木を切り倒せ」ジェノサイドの幕は切って落とされる。

ジュヴェナル・ハビャリマナ大統領の飛行機がミサイルで撃墜された4月6日からツチ族の反政府軍がキガリを制圧した7月4日までに、およそ80万人のルワンダ人が虐殺された。これはまともに考えても到底理解できない数字だ。あえて例えれば、宇宙にはガスのかたまりである太陽のような恒星が何十億と存在しているということが、にわかに理解しがたいのと同じようなものだ。どれだけ数字なのか理解できないだろうが、考えてみてほしい。百日間で80万人の命が奪われた。つまり一日に8千人、一分間に5〜6人。それぞれの生命にそれぞれの小さな世界があり、笑い、泣き、食べ、考え、感じ、傷つきながら生きてきた。

百日間ずっと10秒に一人。ピンと来るだろうか。それが自分たちの住んでいる街で。ここでは敢えて紹介しないが、想像を絶する残虐な行為が行われたのである。それも有りもしない脅威と偽りの歴史によって煽られたごく普通の人々の手によって。

こんなにも人は残虐になりうるのである。そして、世界は間違いなくこの事態に加担している。ツチとフツの対立を生んだベルギーの植民地、政策も鉈をはじめ大量の武器を送り込んだフランスも、手をこまねいて何もしなかった国連も、僕たちの国も。そして僕自身も。この事実に僕は目をそらすことができない。

映画では歪曲され、端折られていたホテル・ミル・コリンとそこで起こった本当の出来事。映画ではホテルを出たところで終わるが、事実は決してそこで終わっている訳でなく、本書ではその後の出来事。不幸の歴史はまだ現在進行形で積み重なり続けているのである。これを読んで事実のいくばくかであってもそれを知る事。こうした事を人間はなし得るものである事。決してそれが遠い国に単なる偶発的な事件として起こった出来事ではない事。そして僕たちに出来る事ってなんだろうという事を考えるのは、この世界に生きる人の責任であると思う。


「ジェノサイドの丘―ルワンダ虐殺の隠された真実」のレビューはこちら>>

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神と科学は共存できるか?
(Rocks of Ages)」
スティーヴン・ジェイ・グールド (Stephen Jay Gould)

2009/04/10:進化論について。嫌いな訳ではない。寧ろ大好きで随分と本も読んでたハズなのだが。振り返ってみるとここ数年余り進化論に関係する本を読んでない。

何故か。進化論を巡る論争が部外者にとって非常に解りにくいものになってしまったと云う事がある。しかもその戦いぷりがひどく醜い足をひっぱりあい、揚げ足のとりあいで著書にそれが浸みだしていることが読んでも面白くないものなったという事もある。

もう一つ大きな問題として宇宙論が神の存在をピック・バンの向こう側へ追いやってしまったのと同様、進化論も神の存在を最古の単細胞生物の誕生のもっと前のアミノ酸の合成前夜まで遡らせてしまった。

このことが旧約聖書・新約聖書に非常に強いアイデンティティを持つ西洋の人々の危機感をつのらせ、具体的な対抗策を実行に移しだした事である。それも様々な手段で。

つまり宗教と科学の衝突だ。

例えばどう見ても似非科学であろう考えがまるで科学的であるかの様相をして科学の本棚に紛れ込みはじめたのだ。ちょっと見見抜けないのでこれはタチが悪い。

気をつけなければならないのは本棚ばかりではない。

【ニューズウィーク】
完全に神であるとともに人間でもあるイエスという、キリスト教の難解な概念を考えてみよう。この二重性に似たものが量子物理学にあることが判明するだろう。20世紀のはじめに、物理学者たちは、電子をはじめとする粒子と考えられている実体が、波動としてもふるまいうることを発見した・・・・・この奇妙な状態の正統的な解釈は、光は波であると同時に粒子であるというものである・・・・同じようなことが、イエスについても、イギリスのオープン・ユニヴァーシティの物理学者F・ラッセル・スタナードによって示唆されている。イエスは人間の姿をしているが実は神なのだとか、間違いなく人間だが神として働くのだといった見方はされいはならない、とスタナードはいう−−「彼は完全に両者であった」。

【ウォールストリート・ジャーナル】
驚くべきことに、宗教と科学を再統一した一人はダーウィンであった。参加者たちの議論によれば、ダーウィンは「いまは不在の、時計のねじを巻いた存在」という神の概念を破壊し、「詩編」のつねに存在する神性を復活させたのだという。アーサー・ピーコックによれば、ダーウィンは「古代の洞察について強調の復興」を許すことにより、「神はつねに創造をつづけている」ことを示した。

【出展不明】
ビックバンは、いまでは150億年前に起こったと信じられているが、「創世記」とかなり一致している。

【ウォールストリート・ジャーナル】
これが意味するのは、炭素を基本にしてできている複雑な生命−−すなわち私たち−−は、物理学的な定数がまさにそのように調整された宇宙にのみ存在できるということである。重力と電磁気気力との比を考えてみよう。もし重力がいまよりほんの少しでも強かったならば、私たちはばらばらに引き離されてしまうだろう。もし電磁気力がちょっとでも強かったなら、出来損ないのスフレのようにへたってしまうだろう。

最後のはだけちょっと補足するとこれは「人間原理」と云われている考え方に基づいていて、要するに人間を住まわすために宇宙はすべてが調和した形で作り出されていると云うことを根本的な考えにおいているもので、その主張は実は何も言ってないのと一緒じゃねーのと云うものだ。

更にはノーム・チョムスキーも主張しているように、進化論を学校教育で教えるかどうかを法律で争うと云うなんだかヘンテコな話しになってしまっているのは、宗教的信条が強力に割り込んできている事でアメリカの学校教育が崩壊してしまっていると云うのである。

つまりは世界は数千年前に神によって創り出されたと信じる事の権利を守れと云う事らしい。そんな事やってたら国が滅ぶと思うが。

と云う事でちょっと気になって中学3年の理科の教科書を息子に見せてもらった。中学校の理科。なんて楽しい。今授業受けて良いよと云われたら飛んでいきたいくらいだ。

しかし、進化論についてはまともな記述がほとんど無い。無いのである。

中学校の理科は、物理、科学を扱う、1分野と、生物、地学、天文学を扱う2分野に分かれている。それぞれ一年間の教科書は上と下があって都合4冊の構成となっている。一年間の授業で下の後半には辿り着かなかったそうだ。辛うじて【理科2分野上】には、
地球の過去の長い時代を通じて生物の種類は一定ではなく、栄えた生物の種類が変化したため、時代の違う地層には、ちがった種類の化石がみられる。化石のなかには、ある限られた時代の地層にしか見られないものがあり、その時代を示すよい目印となる。とくに広い地域にわたって栄えた生物の化石は、はなれた地域の堆積岩の地層を対比するときの重要な手がかりになり、これを示準化石という。見つかる化石などのちがいから、地球の歴史の時代区分(地質時代)がなされている。年代の新しいほうから、新生代、中生代、古生代などと名づけられている。

ダーウィンを探すと、下巻の本文の外の裏表紙にいた。コペルニクスやワトソンとクリック、アルヴァレス親子と一緒に載っていた。

「生物の多様性は科学的に説明できる」
ダーウィンは1859年に「種の起源」という書物で、生物の多様性とその理由について新しい考えを示した。ダーウィンはガラパゴス諸島を訪れたとき、島ごとに食物の種類によく対応したくちばしの形をしたフィンチがいることにを観察した。これらのフィンチには一つの祖先がいて、それぞれの島の環境に適したものが生き残ったことで、このような多様性が生まれたと説明した。


たったこれだけ・・・・・。高校の生物Uに行って漸く生物の進化、生物界の変遷、進化の仕組みが登場するのである。僕が中学校だった頃と比べて教えられている事って殆ど変わってなくて、絵や写真ばっかりで寧ろ薄くなってしまった感じだ。もう少し日本の教育内容も検討する必要があると思うな。

おっとと脱線。ここで問題にしているのは、宗教と科学の衝突である。

考えてみればこうしたものに対する反動でもあった訳だが、ドーキンスは「ブラインド・ウォッチメーカー」から「悪魔に仕える牧師」そして「神は妄想である」とどんどん過激になって行った。本を読むまでもなくドーキンスは自らを無神論者であることを表明するばかりか、宗教の存在自体が不要なものであると云うスタンスを取り始めた事がわかるだろう。このドーキンスの先鋭化は僕をかなり困惑させるものでありました。

突如とした宗教観の表明は周りの人を居心地悪くするものだが、一方で無神論者である事を主張するのもやはり同じ思いをさせる。

そんな訳で進化論は好きだし、ドーキンスも好きな人なんだけど、その著書はちょっと敬遠してた。だってやっぱり電車じゃ表紙を出して読みにくいよね。「神は妄想である」なんて。

一方で本書は、自身どの宗派にも属さない。自分は信仰的立場は神学的懐疑論者であると表明し進化論裁判とも云われる、1982年のアーカンソー州の授業時間均等法裁判に証人として証言台にも立ったグールドが、宗教と科学は対立についてマジステリウムとかNOMA原理と云った概念による解決策を提示しているものなのである。

例示されてくる、宗教と科学の対立の実例の数々はもうもの凄く根深いものがあってこれは一読の価値がある。なかでもウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennings Bryan)に対する深い洞察はグールドの鋭さを裏付けるものだ。

本書のスタンスは宗教と科学が共存可能なものとして歩み寄ろうとしたもので、ドーキンスの極端な先鋭化に比べて、ずっと宗教より。どうやら科学界からは譲歩しすぎた内容だと批判されているような面もあるようだ。しかし、このマジステリウムとか、NOMAは解りにくい。そもそも、やっぱりこの対立が理解仕切れていないと思う。

曼荼羅の概念が比較的身近な東洋に生まれたせいか、人類誕生や創世の歴史を抱えこんだ宗教観を持っていないせいか、そもそも大まかな性格のせいなのか、僕にとってそんな科学の進歩が神の存在を脅かしいているようには正直全く感じられていなかった。科学は科学だし、神は神だろうと。

勿論これはあくまで個人的な考え方に過ぎない。

宗教はあくまで人間が生み出したものだと思う。神の存在はその宗教を超えた向こう側にもともと在るもので、特定のものであろうと、全般的なものであろうと宗教を否定する事と無神論である事はまた違うものだあろう。そもそもこうした信条は通常殆ど表立って話し合う類の問題ではないだろと思うのである。にも係わらずアメリカの科学や学校教育では、このような問題と直接対峙して、解決していかない事には前に進むことも後ろに下がる事もできなくなってきているのである。
それはつまりやっぱり、ドーキンスをして「もう、たくさんだ」と言わしめるくらい、面倒くさいテーマなのだ。

それほどに根深い、やっかいな問題によって、少なくとも何が起こっているのかを知る為には読んでおく必要があるといえる本なのでした。


リチャード・ドーキンスの 「進化の存在証明」のレビューはこちら>>


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不運な女
(An Unfortunate Woman: A Journey )」
リチャード・ブローティガン
(Richard Brautigan)

2009/04/11:本書はリチャード・ブローティガンの遺作である。1984年10月に拳銃自殺を遂げた彼の遺品の箱のなかから発見されたものだ。この本の遺稿が発見されたのは、1990年頃、翻訳されたのは2005年になってからのこと。僕の手に届くまでには随分と長い歳月が流れてしまった。

ブローティガンは20年以上も前、僕がはじめて「アメリカの鱒釣り」に出会った時、既に彼自身は過去の人となっていた。ブローティガンが自殺したのは47歳の事。僕は今年の夏46歳になる。年齢的に同じくらいの目線でものが見られるようになってきたと云う訳だ。また最初から終わりを迎えてしまっていた人と出会い、今漸くその最後に辿り着いたと云う事もできる。

こうして再び、ブローティガンに出会えるのは喜ばしい事である。そして翻訳者の藤本和子さんにも。藤本和子さんは、ブローティガンの著書の殆どを訳出し、時には原文以上とまで評された文章の素晴らしさに加えて、あとがきのただ驚くばかりの知性の溢れるするどく明敏な解説もブローティガンの本の価値を高めてくれるものになっているのだ。


さて、「不運な女」である。以前の作品にあったような、はっとさせる書き出しがある訳でもなく、いつのまにか波長が同期して本を読んでいると云うよりは、こちらの話しを聞いて貰っているかのような懐の広さに触れられる訳でもない。

徹頭徹尾、本書に登場するブローティガン本人かと思うような、孤独で人生を見失ってしまった人物の姿が描かれており、その男が語りかけ続けてくる感じなのである。この内容は、こっちの気持ちなんて関係なく、本人の思いや寂しさを聞いてくれと云わんばかりだ。

僕らのような未来の読者の心の奥底まで手を伸ばしてその辛さや寂しさを共有し癒す事にすっかり消耗したのだろうか。あまりに重い人の思いを受け取りすぎてしまい、哀しみを背負いすぎて死に向かいつつあったブローティガンの心を映し出したものなのだろうか。


これまでに書かれたことと少なくとも同等の時間を与えられて書かれるべきだったのに、ここに書かれなかったすべてのことがわたしを苦しめる。苦しみに取り憑かれている。こうしてわたしは、ペンの一筆、またもう一筆をもって、わたしにとってのみ貴重だとしても、貴重であるには違いないことを記してこの空間を利用している。それでは誰が語られなかった者たちのためにたたかうのか。

まるで彼は過ぎ去ってしまった過去の凍り付いた時間のなかに閉じこめられてしまったかのようだ。いや、これは過去とも違うものだ。ブローティガンは、ある時、ある場所で起こった事、起こらなかった事と一緒にそこにとどまり続ける。

そこは「後悔」と云う名の地獄なのかもしれない。

後悔と云う名の世界に住む彼は、今目の前で起こっている事や、明日起こるかもしれない事、つまり矢のように進み続ける現在進行形の「現在」や「未来」に対する興味も関係も希薄で、寧ろ起こってしまったこと或いは起こらなかった事、「可能性のあった過去」の多重世界にあるようだ。時間の進行に伴い可能性のあった過去は増大する。あったかもしれない過去が膨らみ続け持ちきれない程になってしまったのかもしれぬ。

そして藤本和子さんのあとがきにはこんな事が書き添えられていた。
1983年のある日、「ハンバーガー殺人事件」の原作が出版されたあとのことだったが、その翻訳もしてもらえるかとリチャード・ブローティガンにいわれて、だいぶたってからでないと時間がとれそうもないから、こんどは遠慮させてほしいと、わたしは重い心で答えた。それがかれに会った最後だった。その一年ほどのちの1984年10月、プローティガンは自殺した。そのとき、そうか、「東京モンタナ急行」を訳して、かれの翻訳者としてのわたしの役目はすでにおわっていたのだと思った。

この「不運な女」は、1990年ごろ、未整理の遺品が入っていた箱のなかから発見された小説である。作品はすでに完成していた。フランスでは1994年に翻訳が出た。アメリカで出版されたのは2000年になってからのことだ。かれの死後17年もたってから、わたしは「リチャード・ブローティガン」と題した評伝ふうのものを発表した。そして、そのあと、「不運な女」の翻訳にとりかかった。いまその仕事をおえて、こんどこそ、彼の翻訳者としての役目はおわる。

それは事実なのだが、これが最後のわかれだと思ってみることには、どこか不自然な感じがある。遺体のかたわらに散乱していた詩の一篇に、「わたしはどこへもいきはしない/これまでもいたところへ/いくだけなのだから」とあったことにも、わたしはこだわりをもっているのだろう。

最近「アメリカの鱒釣り」と「西瓜糖の日々」が文庫本になり、まもなく「ピック・サーの南軍将軍」も文庫になって再登場する。そういう動きが最終的な別れをはばんでいるのかもしれない。これからの読者の大部分は、「アメリカの鱒釣り」の日本語翻訳の初版が出た当時(1975年)は、まだ生まれてもいなかった人びとだろう。

どうかこれからブローティガンに接する若い読者の方々は初期のブローティガンから是非接して欲しいと思う。


大好きな作家の本を続けて全部読んでしまう事ってあるだろう。しかし、出会った時に既にこの世にいない作家を好きになった場合には、全部読んでしまったらもうその次には読むものがなくなってしまうのだ。だから僕はブローティガンをちびちびと、ちびちびと読むのだ。去年読んだ「芝生の復讐」はやっぱりすごく良かった。

でもまだ大丈夫僕には「西瓜糖の日々」が残っている。

「リチャード・ブローティガン」のレビューはこちら>>

「「アメリカの鱒釣り」「ビッグ・サーの南軍将軍」のレビューはこちら>>

「芝生の復讐」のレビューはこちら>>

「エドナ・ウェブスターへの贈り物」のレビューはこちら>>

「西瓜糖の日々」のレビューはこちら>>

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