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高貴なる殺人(A Murder of Quality)
 ジョン・ル・カレ( John le Carre )

2023/12/31:ジョン・ル・カレの第二作。「高貴なる殺人」初読です。ようやくここにたどり着きました。なかなか縁がなかった。今となっては入手も難しく、読む機会を作れずにおりました。しかしたまたまみつけた古本を手にできました。 年末年始はやはりル・カレがいないとね。 
 
本作品は1962年に出版されたものでル・カレの作品第二作であります。当時のル・カレは30歳。外務省で働いている仕事の合間に執筆したものなのだそうだ。当時ハンブルグの領事だったル・カレは毎朝五時から八時までと週末を小説執筆の時間に割り当てていたらしい。 また同様にして書かれた処女作「死者にかかってきた電話」が英国推理作家協会賞の次席に選ばれ、出版社から次作を書くよう強く勧められたという背景があったようだ。 
続く本作も高い評価を得られた事から職を辞し、本格的に作家となることを決意した。そして「寒い国から帰ってきたスパイ」を上梓し間諜小説、エスピオナージュという小説ジャンルを確立するとともに、娯楽小説の枠組みを踏みこえて格調の高い作品へと昇華させ第一級の作家となっていくのだった。  
 
読了して改めて考えると、本作が30歳で書かれた作品であることというのはただただ驚くほかない。どんな若者だったのだろう。そして「死者からかかってきた電話」から一段も二段も成長した文体、描写、展開、設定にも舌を巻く。ここにどれだけの努力があったのだろう。 単なる才能だけではこうはならないだろう。熟慮と鍛錬の跡がまざまざとわかる。  
 
「死者にかかってきた電話」から「高貴なる殺人」へと読み進んでみるとこの二作は王道の英国ミステリであったことに気づかされる。ジョージ・スマイリーが主人公であることから間諜小説であるかのような印象を受けるが、それは僕が中期・後期の本を先行して読んでいるからに他ならない。 隠退した情報機関員であるジョージ・スマイリーが主人公であり背景には情報機関の人間関係や経験といったものが描かれてはいるけれども、物語の本筋である事件そのものは推理小説のそれであり、物語の展開もこの事件の謎解きに主眼がおかれているのだ。  
 
クリスチャン・ボイスという週刊誌の編集長を務めるミス・ブリムリ―の手元に一通の手紙が届く。差出人は親の代、この週刊誌が初めて冊子を出版した頃からの愛読者の一人。ステラ・ロードという女性だった。彼女は今、ドーセット州カーンにある名門パブリックスクールの教師の妻として学校敷地内にある教員宿舎に暮らしていた。  
 
その彼女の手紙には夫の様子が変で、今に自分が殺されるのではないかという懸念が書き込まれていた。助けに縋る相手が他にいないために困り切った彼女は信仰する宗教を共にするこの雑誌の編集長を頼ったのだった。  
 
こうした文化的背景は現在の僕らの感覚からはまるでピンとこないものがあるけれども、事態を深刻に受け取ったミス・ブリムリ―は熟慮の末、一人の男に助けを求めることにした。 
相手はジョージ・スマイリー、引退したイギリス情報機関の男だった。スマイリーとミス・ブリムリ―は戦時中同じ部署で働いていた仲間だったのだ。 ステラの手紙の内容と彼女の生い立ちをスマイリーに伝え、カーンへ訪問してもらえないかと依頼する。 
カーンの学校にはまたたまたま、彼らと一緒に仕事をしていた仲間の一人の兄が教師として勤めていた。T・R・フィールディング。弟のアドリアンは戦時中の作戦中に行方不明となったままだった。その兄とスマイリーは一度どこかの晩餐会で同席したことがあった。

なんの伝手もなしにカーンを訪れるよりもということでこのT・R・フィールディングに電話をかけ、ステラ・ロードの様子を確認するスマイリー。しかし相手からは驚くべき話が語られる。ステラ・ロードが殺されたというのである。
 
ステラ・ロードの夫に殺されるかもしれないという懸念は手紙を受け取ったミス・ブリムリ―以外に知るものはいない様子であり、事件捜査の手がかりとして警察へ知らせる義務もある。手紙を預かったスマイリーはカーンへと向かうのだった。  
 
ステラを殺したのはやはり夫の仕業だったのか、どうしてステラは殺されなければならなかったのか。カーンを訪れたスマイリーは閉鎖的で特権階級然とした学校組織の面々と会い、情報収集し事件の概況を追っていくのだが。学校内の教師同士、学校とその下町にある村の人々との確執、そこには愛憎入り混じる複雑な人間関係が渦巻いているのだった。  
 
繰り返すけれども、これ30歳代の人が書く話ではないですね。全然老練老成してる。1960年代というとアガサ・クリスティーやフレンチ警視で有名なF・W・クロフツなど英国推理小説全盛の時代であったのだろうと思う。  
 
ル・カレはここに引退した風采の上がらいな小太りの男、ジョージ・スマイリーを主人公に推理小説を書いていた訳だ。そしてその完成度はなかなかに高い。ひょっとしたらこのまま引退したスマイリーが毎回事件に巻き込まれて解決していく推理小説のシリーズが続いた可能性はある。
しかし、そうなったらどこまでシリーズが続けられ売れたのか・・・。僕にはわからない。想像もつなかい。
職を辞し、プロの小説家として生きていく決意を固めたル・カレは第三作目で大きく舵をきりエスピオナージュと呼ばれるジャンルの作品を繰り出していく。スマイリーの引退した静かな生活は古巣の情報機関からの招集によって東西をまたにかける大きな諜報戦のただなかへと引き戻されていく訳だ。  
 
その世界観は一作目、二作目からの跳躍も目覚ましく、鮮やかだ。当時の読者もきっと度肝を抜かれたに違いない。 
ここにもル・カレの考え抜かれたビジョンと物語を語る才能と地道な努力の積み重ねがあったことに疑いはない。 
さて残すは「ドイツの小さな町」のみとなりました。そしてその本は今僕の脇にあり手にされること待っている。 
読んでしまうのはあまりに名残惜しいのだけど、できたらお正月、長い旅を終わらせようと思っております。 
皆さまも良いお年をお迎えください。 
 
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バルコニーの男(Mannen på balkongen)
マイ・シューヴァル(Maj Sjöwall),
ペール・ヴァールー(Per Wahlöö)

2023/12/13:マルティン・ベックシリーズ第三作「バルコニーの男」僕は間違って先に第四作目の「笑う警官」を先に読んでしまった。事件自体は独立していて作品としても完成しているのだけど、物語はそれぞれ一年ずつ時間が過ぎていてシリーズ全体では10年の歳月にわたる登場人物たちの人生とスウェーデン、ストックホルムの街や文化が描かれているところはシリーズ最大の読みどころであって、これを順番通り読み進んでいくことは結構重要なポイントだと思う。

まーしかし間違ってしまったものは仕方ない。

1966年。夏。年の初めにベックは警部に昇進していた。また人事異動で本人とオーケ・ステンストルムはスウェーデン警察本庁刑事殺人課へ配属となり、コルベリ、メランダーはストックホルム警察刑事犯罪課へ配属となっていた。ベックは本庁勤めという肩書だが、なぜか執務室は南に新しくできた警察署に設けられており、一方のストックホルム警察刑事犯罪課は官庁街の中心クングズホルムガータンにあった。

今日、ベックはこのストックホルム警察刑事犯罪課へ立ち寄っていた。モーターラ―の刑事アールベリの事件捜査に協力する形でメランダーの記憶を頼りにやってきたのだった。アールベリは12年前に事件捜査に浮上した盗品売買にかかわっていた業者の名前をいともたやすく思い出すのだった。

部屋には新顔のグンヴァルド・ラーソンとエイナール・ルンもいた。グンヴゥルドは海軍上がりの190cmを超える大男で金髪碧眼。この日は連続して発生している公園での強盗犯が捕まえられないことにいら立っていた。
そのためベックとの会話もかみ合わずベックをいら立たせていた。

そこに一本の電話が入り。グンヴゥルドが取るのだが、横柄で食って掛かる物言いで相手を怒られてしまう。なんでも老女からの電話で窓から見える建物のバルコニーに1日中男が立っていて様子が変だと通報してきたのだという。

ベックは盗品売買の業者の名前をお土産にモーターラ―へと向かう。コルベリはベックがこれを機会にモーターラでアールベリと舟遊びして酒を飲んで休暇を楽しもうとしているだろうとその魂胆を見透かされてしまうのだった。

ベックの家庭の隙間風はますます冷たくなっていてモーターラ―での気晴らしは仕事と家庭の両面からのものであるらしかった。ベックがこのお気楽な旅を楽しんでいる間に事件は起こった。
ストックホルムの北側にあるヴァーナディス公園では例の連続強盗の9件目となる新たな事件に加え、8歳になる少女の死体が公園の植え込みで発見されたのだ。そして暴行の痕跡も。
強盗事件は夕方に発生、その後雨となり翌日の朝に浮浪者の二人組が公園内で少女の死体を発見したのだった。強盗事件で襲われたのは近所で青果店を営む老女で背後から頭を殴られており何も見ていなかった。殺された少女の死体は一晩降り続いた雨で洗われ、付近にあったはずの足跡もすべて消えていた。

ベックはモーターラ―から戻るや否やこの殺された少女の母親から事情聴取するという憂鬱な役割を引き受けまたもやストックホルム警察刑事犯罪課の自分の机もない仕事部屋で仕事をする羽目になる。同一犯か。それにしても手口とプロファイルが一致しない。しかし目撃証言も物証も乏しく捜査は初動から立ちすくんでしまうのだった。
v 足踏みする捜査を嘲笑うかのように新たな犯行が行われ、スウェーデンの街は震撼するのだった。

「バルコニーの男」も2度3度と読み返していたはずなのだが、正直すごく印象が薄かった。しかし今回再読してどうして印象が薄かったのかまるで理由がわからない。サイコパス的な連続少女殺害犯と弱者を襲い続ける強盗犯を追う本書は強盗犯の目線も時折差しはさまれてくること、そして読者しか知らない「バルコニーの男」こそ、この連続少女殺害犯であるらしいという構成で強いサスペンスと物語の緊張感と推進力を生み出している。 そして狂言回し的な役割を担う、ストックホルムのお隣ソルナ警察のパトロール警官、クヴァントとクリスチャンソン。
今となって見れば繰り返し模倣されているであろうこの手法の原点がここにあった。

マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーは警察小説の形を本書で生み出していたのだ。いはやは傑作だ。
推測だけど当時の僕はまだサイコパスなるものの存在とその意味が理解できていなかったのかもだ。


「ロセアンナ」のレビューはこちら>>
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自然、文化、そして不平等 ―― 国際比較と歴史の視点から(NATURE, CULTURE ET INEGALITES -
UNE PERSPECTIVE COMPARATIVE ET HISTORIQUE)

トマ・ピケティ(Thomas Piketty)

2023/12/10:ピケティの新しい本だと思って手にしましたが、これはピケティの講演を文書に起こしたもので正確には著書ではありませんでした。講演は2022年3月に行わたものです。現時点でのピケティの最新の著書は2023年8月に刊行された「資本とイデオロギー」です。1128ページ。「21世紀の資本」は728ページだったので倍近いボリューム・・・・。

「21世紀の資本」は通勤時間で読みました。途轍もなく重かった。当時は週5で出勤してて電車での移動時間が長かったので常に本を持ち歩いていました。勤務地がかわり電車での移動が減り、在宅が増えた関係でパソコンを背負うようになってきたことから今は通勤時に本を持っていけなくなってしまいました。その現状から考えるに「資本とイデオロギー」読める気がしない。

「21世紀の資本」を読んでいる時、結構な確率で「何を読んでいるの?」と聞かれましたがピケティのことを知っている同僚は皆無でした。
新聞にも広告がでかでかと出ているし本屋さんの店頭には山積みになっているのに知らないんだと驚いたことを覚えています。
当時は2015年。コロナ禍も潜り抜け僕の勤めている会社は無事に存続しているけれども、不幸にしてそううまくいかなかった会社やお店は多々あった訳で、当時よりも今の方がさらに格差が広がっていると感じる。

しかし当たり前に生活している人たちは格差が拡大していることに気づいてもいないのではないだろうか。15%近くの子供が1日に3回食事ができていない。子供を持つ親の方では50%を超えているのにだ。貧困であることは表面化しづらい、会社の同僚や隣人たちが実は貧困に苦しんでいるということに気づけない。だから格差が拡大していることにも気が付きにくいのは確かにあるとは思う。

ましてニュースも見なければ本も読まないとなればますますこうしたことに注意がいくこともなくなってしまうだろう。
一般の人々が政治や経済に関心がない、低いことを盾に自民党政権は好き勝手なことを続けてきた。その結果が「失われた30年」と言われている訳だ、無事に会社勤めをして毎月給料をもらってきた自分だって、そんなことが30年も続いてきたことに思い至ることはなかった。当事者たちが自分たちの置かれている状況を客観的にみて理解することは難しいものなのだろう。

〈目次〉
*自然の不平等というものは存在するか? 平等への長い歩み
*不平等および不平等を生む体制の歴史的変遷
*所得格差
*資産格差
*ジェンダー格差
*ヨーロッパにみられる不平等への歩みのちがい
*スウェーデンの例
*福祉国家の出現——教育への公的支出
*権利の平等の深化に向けて
*累進課税
*債務をどうするのか?
*自然と不平等
*結論

ピケティはこうした格差の拡大の原因がどこにあるのかについて、正に鋭い一撃を加えたというのが「21世紀の資本」の真髄であろう。本書において格差拡大に関する部分を一言で云えばそれは「不労所得の有無」「資本の有無」であろう。不労所得、資本を持つものは富を蓄積し拡大していく傾向があるが、そうでないものは富を蓄積することが難しい。結果的にこうして貧富や格差が拡大していく。

そして資本や富を持つものが世の中のルールを作っていくことに大きな影響力を発揮する、故に自分たちにとって不利になルールは成立しづらく、結果的に富裕層はデメリットを受けにくい場所で更に自分たちの富を増やしてきたというもの。

こうした結論をピケティは過去の情報を只管かき集めてデータベース化しそれを分析した結果として導きだしていた。ピケティがすごいのはこの情報収集力と分析力にあった。

彼の結論は原理とか原則とか法則ではなく、人の営みとしてそのようなことが行われてきたという事実を暴いたのだ。日本ではそんなことは起こっていないなどと反論している経済学者もいるようだけど、そもそもデータが取れてないなかで反論もなにもないと思う。江戸時代以前はわからないけれども、この近年の自民党政権下では欧米同様のことが起こっていたことは明らかではないだろうか。

しかし「21世紀の資本」は読むのが大変だ。大変な集中力と体力を要求されることはの間違いない。
そこで本書「自然、文化、そして不平等」である。本書は「21世紀の資本」を土台に駆け足で語っていく。講演であるがゆえに情報量は圧倒的に薄いが、論旨、結論は辿りやすく解りやすい。なんといっても96ページしかない。僕のような一般人はもうこっちで良かったんじゃないかな。あの努力と苦労は何だったんだと空を仰ぎ見るような思いであります。

「資本とイデオロギー」もこれをベースにした講演と書籍化を待望します。


「21世紀の資本 」のレビューはこちら>>
「自然、文化、そして不平等」のレビューはこちら>>

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蚊が歴史をつくった-世界史で暗躍する人類最大の敵-
(The Mosquito: A Human History of Our Deadliest Predator)
」ティモシー・ワインガード(Timothy C. Winegard)

2023/12/03:読むには読んだ。読んだと言えるのか微妙だ。レビューも書くのはやめようかと思っていた。しかし残るモヤモヤ感。これは一度まとめてみた方がすっきりするのではないかと思います。すっきりするかどうかはわからないけども。
著者のティモシー・ワインガード氏はコロラド メサ大学の歴史学の助教授で専門は、米国史、比較政治、石油の歴史などらしい。カナダ軍とイギリス軍で将校として勤務した経験を持ち、軍事史、先住民族の分野で4冊の著書があるそうだ。
本書はその最新の一冊。他の書籍は未訳。
何が大変だったかというとこれ大変読みにくい。

人類誕生以来、マラリアと黄熱という蚊の有毒な双生児は、死と歴史の変遷の有力なエージェントであり続け、今後も人間と蚊の間における延々と続く年代記的な戦いでおおかた敵役を務めるだろう。


この一文だけではわかり難いかもしれないけれども、「双生児」、「有力なエージェント」のような文言が文章に入り込んでくるために読解するのが大変難儀であり、しかもこういう文章が延々と続いていくので文脈を見失ってしまいがちなのである。

もう少し普通に書けないかな。

人の命を最も奪った動物は蚊であり、かのビル・ゲイツも蚊・マラリアに対する研究に自身の財団から巨額の助成金を出したりしている。しかしこの蚊と人間のかかわりは我々が考えている以上に長く、その中で命を落としてきた人類の数は想像以上に夥しいものがあった。

目次
第1章 蚊がもたらす有毒な双生児―マラリアと黄熱
第2章 適者生存―熱の悪霊、フットボール、鎌状赤血球のセーフティ
第3章 ハマダラカ将軍―アテネからアレクサンドロスまで
第4章 蚊軍団―ローマ帝国の興亡
第5章 悔い改めない強情な蚊たち―宗教危機と十字軍
第6章 蚊軍団―チンギス・ハーンとモンゴル帝国
第7章 コロンブス交換―蚊とグローバル・ヴィレッジ
第8章 偶然の征服者―アフリカ人奴隷制度と蚊が米大陸に加わる
第9章 順化―蚊の環境、神話、アメリカの種
第10章 国家におけるならず者たち―蚊と英国の拡大
第11章 疾病という試験―植民地戦争と新たな世界秩序
第12章 不可譲の刺咬―アメリカ独立戦争
第13章 蚊の傭兵たち―解放戦争と南北アメリカの発展
第14章 「明白な天命」と蚊―綿花、奴隷制度、メキシコ、米国南部
第15章 自然界からの不吉な使い―南北戦争
第16章 蚊の正体を暴く―疾病と帝国主義
第17章 こちらがアンだ、君にとても会いたがっている―第二次世界大戦、ドクター・スース、DDT
第18章 沈黙の春とスーパーバグ―蚊の復活
第19章 今日の蚊と蚊媒介感染症―絶滅の入り口?

遺伝的な類似性と共通の起源を考えると、人間の病気のうち二〇パーセントは、人類の親戚である類人猿から、蚊を含むさまざまな媒介者を通じ共有され移ってきた。蚊と蚊が媒介する病気はダーウィン説を抜け目なく正確に体現し、進化系統樹を経由して私たちに忍び寄った。化石から明らかになったことによると、マラリア原虫のある種は一億三○○○年間前に初めて鳥類の中に現れ、六〇〇~八〇〇万年前には初期の人類の祖先を苦しめた。これはちょうど、初期のヒト科動物と、DNAの九六パーセントがヒトと同一であるヒトに最も近い親戚であるチンパンジーにとって、最後となる共通の祖先が存在し、ヒト科の動物と大形類人猿の系統が分岐した時期にあたる。

原始時代からわれらの道連れであるマラリア原虫は、ヒト科の動物と大型類人猿、両方の進化系統に影を落とし、現在は人間と全ての大型類人猿に保有されている。現に学説では、ヒト科動物の系列は徐々に分厚い毛皮を脱ぎ捨ててアフリカのサバンナで涼しく過ごすようになり、これによって人体寄生生物や刺咬昆虫を見つけて戦うことが容易になったとされている。歴史学者のジェームズ・ウェッブは著作『人類の課題』でこの病が広範囲に及んだことを説明し、次のように強調する。「マラリアは人間の感染症の中では最古参で累積的な死亡率は最も高く、人類の歴史のまさに最初期に入り込んできた。したがって古くて新しい災いである。その歴史の大部分で痕跡を残すことはほとんどなかったが、私たちが経験を記録できるようになるはるか前から、初期の人類を感染させていた。一一世紀以降でも、あまりに一般的な病気だったため注意を引かず、人間の過去のさまざまな記録において鳴りを潜めることも多かったが、同時に世界史における各所にわたってマラリアはすさまじい勢いで流行し、死と苦しみを残していった。」


歴史を紐解いていくと蚊による被害が拡大したのは他でもない人類の営みがあったからこそであった。その人類の営みとは侵略と戦争である。

ローマ帝国の興亡は、キリスト ユダヤ教内部の分派、すなわちイエス崇拝として始まった。現在では蚊媒介感染症として知られている症状の治療と、この感染症を取り巻く儀式、治療者の神性や役割をめぐる議論も理由として元のユダヤ教から決別した。当初は困難も多かったが、ほどなくして救済のための宗教としてヨーロッパと近東全体にわたって住民の心と聖職者たちに根付き、完全に地上の勢力図を再編成した。 しかしローマ帝国滅亡直後のヨーロッパは内向きになった。君主制、領主制、教皇制という独裁的な封建制度が頂点にあった。キリスト教は癒やしの信仰から反転して運命論的なものになり、地獄の責めを背負い、精神的、経済的な腐敗を一掃した。古代の進歩、学問の世界、知識が集団的記憶から消え失せたため、ヨーロッパの住民は尻込みをして暗黒時代に身を潜めていた。病と宗教と文化における不安定さによってヨーロッパが暗黒の中にいた一方で、中東では別の宗教的、政治的な体制が開花し、全盛を極めていた。七世紀初頭にメッカとメディナに出現したイスラーム教は、中東全体にわたって文化黄金時代を創出した。ヨーロッパが学問においてで最底辺まで滑り落ちたとき、発展を続けるイスラム世界全域では教育と進歩が隆盛を極めた。必然的に、領土と経済の覇権をめぐり、これらの二つの勢力が無宗教である蚊の大群の真っただ中で争うことになり、文明同士十字軍がひき起こされることになる。


ヨーロッパの民族が大陸内、そして海を渡り他の民族と接触する度に蚊と疫病はその勢力を拡大していった。そして初めて接触した人々はなすすべもなく次々と病気に斃れて死んでいった。

これはジャレド・ダイヤモンドの「銃・鉄・病原菌」でも描かれていた話だが、南米に限らず過去の歴史における侵略・戦争にはほぼすべて蚊と疫病の拡大がセットになっていたというのである。
行く先々で衝突を繰り返し、そして双方蚊によって甚大な被害をだしていく人類の歩みを読んでいくと若干うんざりしてくる。 そしてこの迂闊さというか無謀さは一体どうしたことなのかと首をかしげたくなる。
疫病の原因が蚊によるものであることがわからなかったということはあるとは思う。しかし現実に病に斃れ死んでいく人がいる。それも甚大な被害を出し続けているのに止まれないというのはどうした事なんだろうか。

それには単なる衛生観念の違いとかで片付けられないものがあるだろう。

まして、遺骸や死者が使っていた毛布などを敵地に送り込んだりしていることからはっはりとした原因はわからないまでも伝染病が蔓延していることを明らかに自覚していたのは間違いない。

本書を読んでいる僕に見えてきたものとしては蚊の恐ろしさよりも寧ろ人類の愚かさであったと思う。 一方で本書は夥しい事例をこれでもかとばかりに重ねてくるのだけれども、そうした事についてでう考えているのかは全く記載がない。 僕がモヤモヤしていたのはこうした肩透かし感にあったということに今気が付きました。


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日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす
青木透子

2023/11/21:今回もまた透子さんの本二冊連続になります。前著「日航123便 墜落の波紋」は2019年。情報公開を求める裁判へ向かう過程を追ったもの。しかしこの裁判はわずか10秒に満たない時間で棄却された。

前著はこの裁判の結果が出る前に出版されていました。今から思えば棄却されたことも含めて一冊にまとめたほうがよかったのでは?とはおもう。

しかし棄却されることに心折れることもなく透子さんは前進していく。

アメリカで開示されている公式文書などを丹念に調べ上げ新たな矛盾点や新事実を暴き出していく。

本書の肝は2点ある。
一つは垂直尾翼の内圧に対する強度テスト。つまりは圧力隔壁の破損によりどの程度の内圧がかかり尾翼が破壊されるのかを検証してみたといもの。これを事故後に行った結果が「事故調査報告書解説書」の別紙の更に付録としてつけられてるのをみつけたのだという。 結果、内圧による尾翼の破損は現実的な数値の範囲では起きないとされながら、破壊はされうるのようなおかしな結論になっているのだった。 こんな大事な検証の結果がおかしな事になっていることだけでさえ十分に不自然だ。

もう一つはDFDR(DigitalFrightDataRecorder)に残されていた異常な加速度だ。 これはちょうど相模湾上空で機内に「どーん」という音が響き渡ったとされる時刻に起きているのだ。 モーションセンサーなどの数値から導きだされた異常な加速度の起こった場所は垂直尾翼の中央付近だという。 時速800kmで飛ぶジャンボ機に真横かやや後方から衝突して機に挙動を与える程の物体って何だというのか? 

この2つはつまり、圧力隔壁の崩壊ではなく、何らかの物体が垂直尾翼の真ん中あたりに衝突したことで垂直尾翼が破壊されていることが導き出される事になる。 

それぞれ別の出所からきているこの2つの資料だが、何故か圧力隔壁の金属疲労は取り上げられ、DFDRは無視されていく。 しかし、ここは本書の肝の部分なので詳しく書くのはやめておく。知りたい方はぜひ本書を手にしてほしい。本当に信じられないような杜撰さがうかびあがってくるのだ。

やはり。圧力隔壁の金属疲労が事故原因だなんて、最初から嘘だったわけだ。

この事実は重すぎる。521名の犠牲者をだしながら政府も企業もぐるになって嘘をついたのは何故なのか。

第1章 事件の真相―時空の闇(私たちが騙された“あの日”;外務省は事件とわかっていた;事件を事故に―驚くべき詭弁の実態;反省なき政府の大罪;嘘の正当化―そのプロセス;自衛隊と米軍は何をしたのか;防衛庁の威信をかけた国産ミサイル開発中)

第2章 異常外力着力点(隠されてきた公文書;異常外力の正体;隕石は横から当たらない;米国の情報開示;ボイスレコーダーの不自然な解析会議)

第3章 沈黙と非開示―罪を重ねる人々(答申書―嘘も詭弁もつきたい放題;在日米軍の情報開示―FOIA;心地良い言葉に騙されるな―元米兵と元自衛隊員からの提言;日航安全啓発センター―情報操作の役割)

終章 521人の声を聴く

桜を見る会の出席者名簿が破棄されていたとか、議事録は取ってない。文書はすで破棄されていた。 失言、賄賂だ不倫だで毎日のように政治家の記者会見など、そんな訳ないだろうというようなデタラメを平気で言う政治家や官僚に僕らは慣れきってもはやいちいち驚いてはいられなくなっている。

その裏で政府と企業は手を結び紛争、戦争も含めて商売のネタとあれば手を突っ込んでいく。

日航123便の事件の先に控えていたのは日本航空の完全民営化であり、ボーイングに対する大型発注であった。 中曽根政権は犠牲者を切り捨てこの2つを予定通りすすめたのである。
もちろん彼が最初からどこまで知っていたのかはわからない。
しかし口を噤むことにしたことは間違いなく。その点では他の関係者と同罪だ。

そう臭いものに蓋をして口をつぐんでこんな重大な事件隠蔽していた連中が一人や二人ではないということ。

国益を守るためとか言う思いがあったりするのだろうか?金のためなのか、自分たちの生活のために仕事にしがみついたのか、わからないけれども。そんな仕事は仕事じゃない。
ひとでなしのすることだとおもう。

そしてやはり本書の着地点も今の日本は自分たちが思ってるよりもずっとずっと醜く汚れきっているのかもしれない。


「日航123便墜落 遺物は真相を語る」のレビューはこちら>>

「日航123便 墜落の新事実」のレビューはこちら>>

「日航123便 墜落の波紋」のレビューはこちら>>

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」のレビューはこちら>>


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日航123便 墜落の波紋: そして法廷へ
青木透子

2023/11/21:透子さんの本は三冊目。大きな事故や事件では何故か陰謀論のようなものが絡みついてきて、更に事態が訳わからなくなるというのが常道のようだけど、そうなった方が良い人たちいるからなんじゃないのかと邪推したくなることがあるんじゃないだろうか。

9.11の世界貿易センタービルに突入した飛行機の映像がCGだなんて云う人たちがでてくるのには呆れて何も言う事がないよ。

こうした陰謀論と同じ世界線で見てほしくないのはこの日航123便の墜落事故だ。 本書は2021年に事故原因に納得していない遺族らと、ボイスレコーダー・フライトレコーダーの生データの開示を求め東京地裁へ提訴したが、この提訴に至る過程を纏めたものだ。しかし裁判は既に2022年10月13日東京地裁は請求を棄却された。 何で棄却されたのか。

被告のザ:ボーイング:カンパニーおよび利害関係人であった被控訴人との間で、ザ・ボーイング・カンパニーおよび非控訴人が連帯して本件和解金として同事件の特定の原告らに対しそれぞれ特定の額の金員を支払い、同原告らは今後本件事故に関し、いかなる事情が生じても、ザ・ボーイング・カンパニーおよび被控訴人はもとより同社の役職員、代理人、関係会社、下請け会社および納入業者に対し、国内外問わず、日本法または外国法を理由として、裁判上裁判外で一切の異議を述べず、また何等かの請求をしないものとするなどの内容を含む訴訟上の和解がある。

異議申し立てしないという合意の上での和解があるからだというのだ。

しかし遺族のなかには事故原因について異議申し立てしないなんて合意をしたつもりはないという人がいるのだ。 

そもそも異議申し立てしないとしたから裁判もしないってなんとも理不尽じゃないのか。

目次
はじめに 波のうねり
第1章 「外国人」遺族(消された存在;SAKURA ほか)
第2章 隠蔽の法則(英国人ネットワーク;政治的干渉という妨害 ほか)
第3章 情報公開への道(執念と信念;保存が原則―公文書への認識 ほか)
おわりに 次世代へ(公文書は未来のための記録;世界の輪)


ボーイングは事故からさほど日が立たないうちに事故の原因は全面的にボーイングにあると一方的に認めてきたらしい。 そしてその原因とされるが有名な圧力隔壁の金属疲労であった。 しかし尻もち事故のあとのこの修理はどこで誰がやったのか。何が問題だったのかについては一切明らかになっていない。 そして御巣鷹山から見つかった圧力隔壁は運搬のためと称してバラバラに切り刻まれているのだ。

この圧力隔壁というのは旅客機の客室を地上とほぼ同じ一気圧に保つためのものだ。高高度で飛行する飛行機の外界の気圧は当然ながら低くこの差を隔壁が支えてる形だ。 気圧の差はさほどではないものの大型の旅客機の場合この圧力隔壁にかかる荷重はかなりなものにはなるらしい。

しかし、圧力隔壁が壊れたことで果たして尾翼がちぎれるものなのか。客室の当時の様子は比較的落ち着いたものでホワイトアウトも急減圧もしてる気配がない。

海に沈んでいる尾翼は場所も概ね特定されているのだけど先の裁判同様合意してるんだから今更調べる必要はないというスタンスなのだ。 なんかおかしくないか?

事故の経緯を本書含めて調べていくと更におかしなところが多々あることがわかるのだ。

日航123便を追尾しているかのようなファントム機や日航123便の腹の部分に刺さっているかのようなオレンジ色の物体の目撃情報。
山間に散らばった被害者達の遺骸のなかには骨まで炭化している人がいたこと。
現地の検証でベンゼンと硫黄というジェット燃料には使われていない成分が検出されたこと。
また向かい側の山にバラバラになって発見されたエンジンはなんと松の木にぶっかったことによるものだとされていること。松の木にジェット旅客機がぶっかってエンジンがバラバラはいくらなんでも無理がある。

そして墜落現場の特定に難航した結果救われた命も奪われている可能性がある訳だが、現地には既に米軍が到着していて何かしてたらしいというのである。 

例に漏れずこの事故も陰謀論のような話で混ぜかいししてくる人たちも大勢いるらしい。

こうした人たちも含めて世の中は自分たちが思ってるよりもずっと醜くよごれているということなのかもしれませんね。

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」のレビューはこちら>>

「日航123便 墜落の新事実」のレビューはこちら>>

「日航123便 墜落の波紋」のレビューはこちら>>

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」のレビューはこちら>>


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笑う警官(Den skrattande polisen)
マイ・シューヴァル(Maj Sjöwall),
ペール・ヴァールー(Per Wahlöö)

2023/10/29:久しぶりに読み返すことにしたマルティン・ベックシリーズは折角の機会なので順番通りじっくりゆっくり大事に読んでいこうと思っていたのに、うっかり迂闊にも順番間違って読んでしまった。シリーズ第三作目は『バルコニーの男』なのに先に第四作目の『笑う警官』を読んでしまった。

記事を書く気持ちが一時的に失せる程心が折れました。

シリーズとしての読みどころは多々ある訳ですが、一年ずつ進んでいく時間軸のなかで、登場人物たちの関係や心情がどう変化していくのかという部分をきちんと受け取るためにはやはり順番通り読み進むことがとても大事だと思っていたのに。こんなうっかりをやってしまうとは。 グンヴァルド・ラーソンは唐突に登場してくるし、ステンストルムの成長もなんだか飛躍的だなと思ってたらそういうことだったか。 覆水盆に返らず。悔やんでいても仕方ない。
前進します。

1967年11月、ベトナム戦争に反対するデモが街を揺るがす寒い雨の降る夜のストックホルム。ダブルデッカーの路線バスがストックホルムとソルナ市の境界近くのノラ・スタションスガータンの坂道を下っていた。坂を下り切った先のカーブを曲がると終点だった。しかしバスは曲がり切れず道路をはみ出し貨物列車の線路の柵に衝突して止まった。

ソルナの無線パトロールの警官クリスチャンソンとクヴァントは慎重に人に出会わないコースを選んでパトロールしていた。余計な出来事に巻き込まれないためだ。ソルナ市の境界へたどり着き、さて次はどこへ行こうかと思案しているところに老人が大慌てで駆け寄ってきた。 バスが事故を起こしたらしい。渋々ながら老人の指し示す先へ向かうと案の定バスが柵に衝突して止まっていた。 ヘッドライトも車内灯も点灯したまま、乗車口は開いている。

クリスチャンソンが車内をのぞき込むや拳銃を抜いた。それをみたクヴァントはパトカーのサーチライトとフラッシュライトを点灯し同じく拳銃を抜いてバスへ駆け寄る。車内は凄惨を極めた状態であった。運転手、乗客が多数の銃弾を受けて斃れていたのだ。

コルベリとチェスをして夜遅くに帰宅したマルティン・ベックはリヴィングのソファベッドの寝支度。妻のインガとは最近寝室を別にしたのだった。タバコを吸いながら読みかけの本を開いて眠れない夜を過ごしているところへ通報センターから連絡が入る。 路線バスで複数の乗客が撃ち殺されている。殺された乗客の一人はベックが所属する殺人捜査課の者であるらしい。

散歩すると別れたコルベリの身を案じたベックはコルベリの自宅に電話するが本人は不在。殺人捜査課のメンバーを狙った犯行なのか。それともたまたま衝動的な大量殺戮の事件に巻き込まれたのか。

現場に駆け付け、規制線内に入り、バスに足を踏み入れるベック。そこにはすでに到着していたコルベリがいた。サーチライトに照らし出された事件現場の壮絶さは想像を超えるものがあった。後方から撃たれハンドルにもたれるようにして死んでいるバスの運転手の顔は原形をとどめてはいなかった。それでもベックは吐き気を催すこともない。さらに奥に進むベックの目に入ってきたのは座席に座ったままこと切れているオーケ・ステンストルムの姿だった。その右手は上着の内側の拳銃を握っていた。

ステンストルムは殺人捜査課でただ一人の若手であった。まだ駆け出しの若者のステンストルムをコルベリとベックは叱咤激励し一人前の捜査員に育てようとしてきた。そしてステンストルムもそれに応えるべく努力してきた。当日の彼は非番。通勤経路とは遠く離れた路線バスで彼はどこからどこへ行こうとしていたのか。そしてなぜ非番の日に拳銃を携行していたのか。

被害者は彼を含めて9名。一人瀕死の重傷の男を除いて8名はほぼ即死に近い状態で亡くなっていた。犯行に使用された銃器は発見されておらず、最初に現場に到着したパトロール警官がバスの内部もバスの周辺も歩き回ってしまったために犯人の足跡はたどるれなくなってしまっていた。 そのため初動捜査の段階では犯人が単独なのか複数なのか、どのような凶器を使用したのかも不明。

ストックホルムのバス大量殺人事件。ニュースは国内外に大事件として大きく報じられていく。しかしその一方で捜査班は手がかりも乏しく世間の注目に応えられないまま日々が過ぎていく。モータラから応援に駆けつけてきたアールベリらの協力を得てベックらは乗客たちの人物像やあのバスに乗り合わせた事情などを丹念に捜査していく。やがてこうした粘り強い地道な捜査で事件の細い糸口が見えてくるのだが、それは事件の様相を一変させていくのだった。

ベックの私生活や亡くなったステンストルムの人生のみならず、バスで亡くなった人々。彼らは看護婦、自動車修理工、移民。それぞれ接点はこのバスに乗り合わせただけなのだが彼らの生活や人生はこの時代のスウェーデンの世相を表したものになっているのだと思う。こうした世相を見事に切り取り、それを背景に事件を描き出している本書は本当に本物の傑作であり、これを超える作品はなかなかないと思います。 この歳になってあらためて再読したのは本当によい選択であったと思っています。
またこれまでずっと想像のなかの街並みであったノラ・スタションスガータンの坂道はGoogleMapのストリートビューでみられました。執筆当時とは道路も貨物の線路の様子もすっかり変わってしまっていましたが、ここがその事件現場だろうと思うところを見られたのは何よりの贈り物でした。


「ロセアンナ」のレビューはこちら>>
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煙に消えた男(Mannen som gick upp i rök)
マイ・シューヴァル(Maj Sjöwall),
ペール・ヴァールー(Per Wahlöö)

2023/10/09:マルティン・ベックシリーズ第二弾は『煙に消えた男』、『蒸発した男』から改題。『ロゼアンナ』から約1年半後、物語はうらぶれた小さな部屋で撲殺された男の事件を捜査するストックホルム警察本部殺人課の様子から幕をあげる。マットレスのかわりに新聞紙がつみかさねられたベッドと椅子、戸棚しかなく、殺された男は斃された戸棚の下敷きになってこと切れていた。

殺したのは部屋で一緒に酒を飲んでいた知人の男。ふたりは酩酊するほど酒を飲んでおり、その最中に被害者が犯人を「ナチのクソ野郎」と激しくなじってきたことに激高し何度も殴りつけ死なせてしまったらしい。

マルティン・ベックは捜査する前にすでに解決してしまったこの事件に興味はなく、思いは明日から始まる1か月の夏休みのことだった。親戚が所有するストックホルム群島のなかの小さな島にあるサマーハウスを貸してもらって家族はもう1か月前から現地入りしてした。

早々に職場を引き上げ、翌日支度をすませて群島へと旅立つベック。列車や船を乗り継ぐ旅路を楽しみ、夏休みは家族と過ごすことよりむしろ舟遊びできることに心躍らせていた。しかし到着の翌日朝、すぐに本部に出頭してほしいとの緊急の連絡が入ってくる。

「刑事はあなた一人じゃないのにどうして行かなければならないの」という妻の声を背中に浴びながら別荘を後にするベック。

本部に出頭し上司ハンメルに面談するが、自分からは何も話せない、外務大臣の側近の人物に接触しろという。 外務省大臣の側近の男はアルフ・マッツソンというジャーナリストの男がハンガリーのブダペストで宿泊していたホテルから出たのを最後に消息を絶っており、マルティンに現地で行方を探してほしいという。

背景にはヴァレンベリ事件という事件があった。
スウェーデン大使館で外交官だったラウル・ヴァレンベリは1945年、第二次世界大戦終戦直後のブダペストで消息を絶った人物。戦時中ヴァレンベリはハンガリーのユダヤ人を逃がすことに手を貸していた人物だった。ソ連軍がハンガリーへ入った直後にヴァレンベリはソ連軍司令部へユダヤ人保護の問題について会見しようとしているところで行方がわからなくなったらしい。アメリカのスパイだという容疑でソ連に拉致され強制収容所へ送られたのではないかという説もあったが真相は闇の中のままとなっていた。

1957年に当時のグロムイコ外務次官が、1947年7月17日にヴァレンベリがソ連のルビヤンカ刑務所で死亡したことを認めたがその後もソ連国内の刑務所などでヴァレンベリを見たと証言する者が後を絶たず、ヴァレンベリ救出運動はその後も続けられたのだという。

本作は1966年の作品。マッツソンの雇い主は彼の失踪に関してヴァレンベリ事件を引き合いに出したニュースを流すと宣言。スウェーデン政府は国際問題に発展することを厭い、これを押しとどめるためにマッツソンの行方を優秀な刑事に探させようとしていた。そのために白羽の矢がたったのが他でもないマルティン・ベックなのだったという訳だった。

死体が上がった訳ではなく、事件性があるのかどうかも不明で、ハンガリーの政府や警察の協力も仰がず、ベックの身元も伏せたままの捜索となる。 言葉も通じない東側の国へ。事件なのか事故なのか、それとも本人の自由意志でどこかへ雲隠れしているのか。単なる旅行者として現地入りして真相の糸口をつかめるのか。

どう考えても細すぎる線を追う、マルティン・ベックだが、手掛かりになりそうな情報すらつかめないまま、やるべきことは尽き、あてもなく街を彷徨う日々が過ぎていく。しかしベックは何者かに見張られ、尾行してくる者の気配を感じるのだった。一方ストックホルムではコルベリ、ステントステルムら殺人課刑事たちは陰ながらベックの後方支援に動き出し、マッツソンの身辺を知る友人・知人たちの情報収集を始める。 不穏な空気が漂うなかベックに接近してきたのはハンガリー政府の情報機関の男だった。

主人公、キャラクターはすべからず1年歳をとり、ベックとその家族も1年歳が経ち、妻や子供たちとベックの関係は一見大きな動きはないものの、打ち手がないほど頑なな溝がみえてくる。

警察小説としても間諜小説としても読める一級の作品であり、マルティン・ベックのシリーズをシリーズとしての立ち位置を不動のものにしたといえるのが本作であると思います。いやはやこんな展開をしてるなんてすっかり忘れておりました。

それにしてもブダペストの街並みもストックホルム群島の美しいこと。これも当時は知る由もなく読んでいたとはなんと勿体なかったことか。

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