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2006年度第二クォータに入っているのだった。朝からそんな事はすっかり忘れて相変わらず本に没頭してた僕は夜になって慌てて新しいページを追加する作業をしている次第です。歳をとると時間の流れが速くなると云うけれど、正に目が回る程早いっす。

ここでは2006.07以降に読んだ本をご紹介しています。


機体消失」内田 幹樹

2006/09/24:NIAサーガと敢えて呼ばせてもらうがNIAサーガ第二弾である。NIAサーガは、ニッポン・インターナショナル・エア(NIA)という国際線、国内線の旅客機を飛ばす日本の航空旅客企業でありここで働くパイロットの江波順一を主人公とする物語である。

シリーズものを紹介する際に、苦しいのはどんなに頑張っても前作の結末がどうしてもある程度見えてしまう事だ。

前作、「パイロット・イン・コマンド」では、第二エンジンが炎上、急減圧によって機長二人が操縦不能に陥ってしまい、三人目のクルーであった副操縦士の江波の活躍を描いた物語であった。

どうにか窮地を脱しジャンボ機を着陸させる事ができた江波であったが会社の健康管理室からは事件のショックから回復するまで暫く静養を取る事を命じられてしまう。

江波は下地島にある訓練所で検査を受ける。沖縄本島から更に西南西へ約300q、周囲わずか17qのこの下地島こそ、著者の内田氏が教官として勤めた訓練センターであり前著「パイロット・イン・コマンド」を著した場所なのだ。

しかし、回復にはまだ暫く時間が必要と判断されてしまう。この訓練センターには師と仰ぐ先輩パイロット滝内が教官として勤めており、隣接する伊良部島にある彼の自宅に滞在させてもらい、そのまま休暇を過ごす事にしたのだった。



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滝内は十年程前に妻と子を航空機事故で亡くしている。それが昨年再婚したと云う。相手は二十歳近く年齢の離れたサキと云う女性だった。孤児だった彼女の里親代わりになっていたのが滝波夫妻だったのだった。

二人は伊良部島の海に面したこじんまりとした一軒家で暮らしていた。サキはサバニを見事に乗りこなし自ら海で採った魚介を食卓に出すスローライフ、自然人であった。

八重山諸島の豊かな海に囲まれたすばらしい環境のもと、江波を客としてもてなす傍ら一緒に漁に出かけたりする事で江波の心も日々の喧騒やプレッシャーから開放され癒されていく。滝波とサキと過ごす江波の日常を丹念に追いかけていく。
石垣島フィーバーにどっぷりはまり込んだ時期があった僕ら夫婦にとっては、画が頭に浮かぶ幸せな描写がうれしい。

一方、海の上ではすぐ隣の台北では100億円規模の麻薬を密輸しようと計画を進めている男たちがいた。彼らの計画は台風に紛れて小型機を低空飛行する事で石垣島のポイントに密輸品を投下しようと云うのものだった。

輸送品の投下装置を作り、実験も済ませ、後は手頃な台風が発生するのを待つだけだった。

ここで言う手頃な台風とは、十分強力な勢力であり、且つ投下ポイントを通過するコースを取る台風の事なのだ。なかなか思ったような台風が発生せず、待ち続けるメンバーは次第に焦燥感を積もらせていく。

そしていよいよ絶好の条件の台風が発生した時、伊良部島で平穏な日々を送っている江波たちをも巻き込む事件が動き出していく。

ネタバレになるので詳しくは書けないが、前作が結構小さく纏めて来たので油断してたら、今回は意外に大きなスケール感で展開と着地が用意されているのだ。

やや会話の剪定がもう少し必要な感じがしたり、B747−400を指して「車で言えばキャデラックかな」僕はキャデラックに乗った事はない。けどさ、誉め言葉と取りにくいんですけど....。みたいな、部分が気にならない訳ではないが、旅客機のパイロット経験があればこそ書ける描写と設定には相殺して余りあるものがあると思うのだ。

操縦不能」のレビューも是非。


「拒絶空港」のレビューはこちら


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パイロット・イン・コマンド」内田幹樹

2006/09/24:内田幹樹は、実際に全日空の機長として国際線、国内線を飛んだパイロットであり、本書を執筆した時点では、離島にあるパイロットの訓練施設で教官を務めていたそうで、持ち込んだ本を全て読み尽くしてしまった事から本を書いてみることにしたのだそうだ。

著者の処女作品である「パイロット・イン・コマンド」は1997年第14回サントリー・ミステリー大賞で優秀作品賞に選ばれ1999年3月原書房から出版された。それが今回全面改定され文庫化された。

以降内田幹樹は、江波順一を主人公とした本として
「機体消失」
「操縦不能」

シリーズ外の小説として
「査察機長」
「拒絶空港」

の都合5冊の長編小説を上梓しており、どれも好評をもって受け入れられているようだ。

うちのカミさんは飛行機大好き、旅客機大好きで内田氏の機長時代の経験をエッセイにまとめた

「機長からのアナウンス」
「機長からのアナウンス第2便」

を既に読んで知っていたようだ。今回、本書「パイロット・イン・コマンド」が文庫化された事から一気にまとめて読んだ結果僕の周りに未読の本がどっさりある状態になってしまった。

この「パイロット・イン・コマンド」、

「かなり面白かった!」

と感想を言っていた。「亜音速漂流」という忘れられないマイベスト航空小説を胸に抱く僕としては、

「あれと比べてどうなんだ?」

とすかさず聞かざるを得なかった訳だが、「うーん、そういうんじゃないのよね〜。」だと言う。

「だってエンジンの一部が火を噴いて、機体も急減圧して機長二人も倒れちゃうんだろ〜。それってモロ『亜音速漂流』じゃないの?」

「うーん。旨くいえないけど、そういうんじゃないのよね〜」

なんだか解らないけど、これは読んでみるしかないようだ。

かねがね、日本人のエンターティメントな小説で何か国際的なとか、大掛かりな舞台を用意すると大味になってしかも二番煎じであるものが多いと感じていた事もあって、若干不安な面もあった。

しかし、本は冒頭からリアルで臨場感のある展開が待っていた。それは、物語や設定以前の背景がきっちりしているからだ。当然と云えば当然だがさすが機長経験のある著者だ。

ここで、本書を巡る見事な背景を若干。

主人公の江波が所属するのはNIA〔ニッポン・インターナショナル・エア〕と云う架空の日本の航空旅客企業である。このNIAは国際線、国内線をかなり大規模に展開する大きな組織である。

NIAでは、長距離フライトのコクピット・クルーは機長二人と副操縦士一人の三人編成をとる。一機に機長が二人というのは、フライトの総指揮をとるパイロット・イン・コマンド(PIC)機長とPIC機長が休息時間などで機長席を離れたときに機長業務を行う第二指揮順位の機長、セカンド・イン・コマンド(SIC)機長がいるという意味だ。

本書の主人公の江波は機の三人目のクルー副操縦士として乗り込む事になるのがNIA〔ニッポン・インターナショナル・エア〕202便なのである。

このNIA202便は物語の本当の主人公とも云える存在で、物語の中ではヒースローから成田へ飛ぶボーイング747−400と云う設定だ。

B747はジャンボジェットの愛称で知られた旅客機で初飛行は1969年に遡るロングセラー、ベストセラー機なのだ。ダッシュ400と云うのはジャンボジェットの長い歴史の中で生まれた数々の派生機の重要な節目を示すもので、このダッシュ400以降の機体をハイテクジャンボ、それ以前の機体をクラシックジャンボと呼ぶのだそうだ。

これは航空旅客業界の業績不振からコスト削減と安全管理の両立を要請する中で機体をハイテク化する事で従来、機長、副操縦士と航空機関士の三名の搭乗か必要であったものを機長、副操縦士の二名でフライトを可能にしたものだ。

一昔前に航空機関士の搭乗を廃止する事で随分と揉めていたのはニュースになった記憶がある。この業界はまた元々労組が強くてかなり大変なのだそうだ。

物語の背景として重要な一面としてこの経営合理化を推進しようとする経営層とパイロット、客室乗務員、整備士と様々な業務を行う社員。

コスト削減と安全管理の両立、そして自分たちの生活を守る為に、それこそ三つ巴四つ巴の衝突を繰返し深い確執を生み出していた事がある。

このように現実に起きてきた事を背景に、この202便、B747−400はヒースロー航空を飛び立つ訳だが、どうにも頑迷な砧機長や様々な考え方を持っている客室乗務員の人々。

そして要注意旅客(トラブルパッセンジャー)としてマークされている問題人物の搭乗に加えて、国際密輸組織の一員として逮捕され日本に護送される事になった男が乗り込んでくる。男と手を結んでいた組織は彼が日本の地を踏む事を望んでいないらしいのだった。

このように問題課題を抱えた機上では、要注意旅客は予想通り客室乗務員の対応に対して横柄なクレームを突きつけてきたりといろいろな出来事が起こる。

やがてトイレにライフジャケットが投棄されている事が判明するに至り漂う不穏な空気が。

緊張が高まるにつれて人間性がむき出しになってくる。そこに登場してくる砧機長の言動にはどうにも歯噛みしてしまう。驚いた事にこれにはどうも実在したモデルとなる人物が存在するらしい。

砧機長は経営層や管理サイドの確執を見事に現場にそのまま持ち込んでしまう。その行為によって確執を更に決定的なものにしている事に気付いてもいないらしいのだ。

こんな人物と、彼を取り巻くクルー達との間に、これほど緊張した人間関係が生じている状態で、乗客は何も知らずにいるのが実話に近い話だと云う事には愕然とする。

それはエンジンが故障し、急減圧によって機長二人が倒れた後、江波一人に乗員乗客の命が圧し掛かっていく後半で頂点を向える。本書は僕が懸念していた大味な展開に拡散して崩れる事なくそつのない着地点に文字通り着地するのだ。

ほほう。こういう本でしたか。これは面白い。

操縦不能」のレビューも是非。


「拒絶空港」のレビューはこちら


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バッテリーT〜Y」あさのあつこ

2006/09/10:終らないで欲しい。このままずっと続いて欲しいと祈るような本であった。

そんな本に出会った事がありますか?

僕は、これまでも何冊かそんな本に出会いました。どの出会いも、他とは比べられない特別な出会いであって、どれが一番かとかなんてないし、どう違うのかなんて簡単にはとても伝えられるものではない。

しかし、本書との出会いはかなり強烈な部類に入るだろう。出会う前と出会ってしまった後、僕の思考回路を変えてしまう程の本とは一体。この本のどこにそんな力があるのだろうか。

実は本書「バッテリー」はとっかかるのにかなり躊躇した。だって六冊もあるんでしょ。結構時間かかりそうだし。出版からかなり時間が経過して、既に大ベストセラーになっている。

その間自分的には全く無風、ピンとくるものが何もなかった。そんな本を後追いで読んでレビュー書いてもな〜。

第一、野球って僕は全くの門外漢。一般的な基準からは恐らく考えられない程無知なのだ。しかし、最近になって会社の同僚達の何人かが既に読んでいて、その口々に

「良いですよ〜。」

「野球はあんまり関係ないし」

「子供にも読ませている」なんて聞かされた。

更には「貸したげましょうか?」なんて言われて。

本来へそ曲がりな僕は普段なら恐らくパスしていただろうと思う。「流行になんて乗るか」とか言って。

しかし、今回はどうゆう訳か心が動いた。主人公が長男と丁度同じ今年中学に進学したところだったからかもしれない。

主人公が絶大な才能を持っているが故に周りを寄せ付けず、周囲の人達が変わっていくというような普通の、良くある話ならという展開じゃない。兎に角意外な展開なんだという点であったのか、それともそう言って薦めてくれている人達の熱意こもった視線だったのかもしれない。

そして読み始めた。

主人公は、原田巧小学校を卒業した春休み。父広が体調を崩した事もあって岡山から新田市に一家は転勤となった。

新田市は母真紀子の故郷であり真紀子の実家で一人暮らしをしている祖父井岡洋三と一緒に暮らす事になったのだった。

それまで住んでいた街に比べるとかなりの田舎暮らしとなる事が真紀子にとっては、夫の体調とそして生まれつき病弱な末っ子、青波の体にとっても良かったと思っている。

巧は少年野球チームのピッチャーとして活躍をしてきたが、そのピッチャーとしての才能はなみなみならぬものを持っていた。生まれ持った天才。

巧は小学生にして既にこの力を存分に発揮する事こそ全てであると悟り、そのように全生活を傾けているような子供であった。

真紀子はそんな大人びて他を寄せ付けない巧を持て余している一方で、天真爛漫で無邪気な青波を割物を扱うように大切に育てているのだった。

青波は、この時小学4年生であったが年齢よりもずっと小さく見える。未熟児で生まれた時から病弱で入退院を繰り返しながら育ってきたのだった。

青波は祖父の家を訪れるのは今回がはじめてだが、巧は青波が生まれた時に一時あずけられていたことがあったのだった。

巧があずけられていた頃は祖母もまだ健在であったが、今は亡い。

祖父井岡洋三はかつてこの地の高校の野球部の監督として全国にその名を馳せていた人物であるが今はその広い家で一人静かな生活を送っているのだった。

祖父が野球一辺倒で家庭を顧みない人物であった事の反動か、真紀子は父洋三を理解しきれずにおりこれまで疎遠になりがちだった。真紀子は巧が野球に心を奪われている事にも今ひとつ納得できない面があるのだ。

祖父洋三は自分が若い頃に家庭を顧みずにいた事と娘がそれを許していない事も受け入れているようだ。

そして妻との間の最期の日々に暖かい光を投げかけてくれたのが預かった巧の存在であった事を素晴らしい思い出として胸に抱いている。

そして巧の試合を娘の反発をおそれて内緒のまま観戦に行ったりしていたのだった。

一方巧は祖父の家に住まう事に対して一つの目的を持っていた。それは祖父に野球を教えてもらうこと。

引越しそうそう近所で出会った少年は出会い頭に言った。「原田巧じゃろ。」見るからにキャッチャー体型の少年は名前を永倉豪と名乗った。

彼は真紀子の学生時代の友人節子の息子でもあった。

「投げてやろうか。」

「おれのボールを受けてみるか。」

こうして出会った二人はバッテリーとして心と体をぶつけあう真剣で妥協のない関係へと進み始め、やがて周囲の人々をも影響を受け共鳴し大きな力となって二度とない宝石のような時間を生み出していくのだった。

借りた本を5巻まで読みきった時点で、これは家族にも是非読ませようと決心し、全巻購入させていただく事にしました。今回最大の教訓。食わず嫌いはやめよう。

その才能故に孤高の存在である事を運命づけられた少年巧。巧を取り巻く近所の少年たち。そして病弱な弟の青波。巧の厳しさとは反対にみんな優しく、風のように爽やかである。

本は登場人物達の会話を挟んでどんどんと進んでいってしまうが、物語自体は巧の父の転勤から引越し、中学校の進学へとゆるゆると進んでいく。

それなのに物語とはまた別の濃くて、熱いものがうねる様に激しく流れている。これは一体、全体どうゆう訳だ....。

この物語では、登場人物が一人一人が明確な考え方や価値観を持っているように描かれておりそれはどれも互いにかなり隔たっている。

誰が正しいとかレベルが高い低いといった事は殆んどない。どれも十分納得できるものであり正しいのだ。

それはぶつかり合う感情であり、価値観だ。

互いに理解しあえるところまではどうしても今一歩いけないのだ。

もどかしい。それがなんとも苦しい。

物語に入り込んで歯噛みして、地団駄を踏みながら考えていけばいく程、現実の僕の生活がシンクロを始める。

立場やその人の性格や考え方は十人十色まったく違ったものである事は言われるまでもない事だろう。

でも普段生活している時、他人の価値観や考え方を至極簡単に単純化してわかったような気になってなかったか。

わかっているという前提で更によかれと思って人の心を踏むような無神経な事をしてきていなかったと言い切れるのだろうか。

どうなんだろうか。僕はこれまで、
独善的に走っていなかっただろうか。
親切の押し売りをしてこなかっただろうか。
わかったふりをして慰めの言葉を安易に吐いていなかっただろうか。

いろいろな考え方、価値観がある事を無視して他人の思いを踏みにじってなかっただろうか。

僕は本書を読んで改めてその事を突きつけられた気がした。

真剣で妥協を知らずにどこまでも突き進んでいこうとする巧の物語には揺るぎがなく、読めば解ったようなつもりになれる。

しかし、僕の身の回りの世界、人達の事は「読んで理解する」事はできない。僕はやや途方に暮れた。

一方、巧のように決して揺るがず自分の力を信じて力一杯に生きていく事の美しさに心を奪われる。

本書を読んで得られる経験も感想も全ての人が違った受け取り方をするのだろう。

そしてこう考える事にした、どれだけ真剣に考えてどれだけ精一杯「生きている」か。

その為に他人とぶつかり合う事を恐れて生きてはいけないと。

中途半端で不真面目な生き方で他人とぶつかりあってしまう事とはまったく意味が違うと。

つい人とぶつかる時、事態を回避する為だけに中途半端に折り合ってしまっている自分が思い起こされる。

自分が真剣で自分の考えが信じられるのなら妥協せずにぶつかるべきであると。

もし、まだあなたが読んでいないのなら、是非「バッテリー」をご一読される事をお薦めします。

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ガラパゴスの怪奇な事件(THE GALAPAGOS AFFAIR)」
ジョン・トレハン(John Treherne)

2006/08/20:ガラパゴス諸島と云えばなんと云ってもチャールズ・ダーウィンだ。ダーウィンが軍艦ビーグル号に乗って世界を回ったのは1831年から1836年にかける約5年間であった。

ダーウィンはガラパゴス諸島に訪れ、鳥の嘴の形状の変異から自然淘汰の概念に辿り着き、進化論へと昇華させたとされる。

しかし、今回はダーウィンは全く関係ない。本書はダーウィンが訪れたその約100年後にガラパゴス諸島の小さな島フロレアーナ島で実際に起きた奇妙な事件について書かれたノンフィクションなのだ。

1929年、ニーチェの哲学を信奉し世界から隔絶された世界で超人として生きる事を目的に医師のフリードリッヒ・リッターがドール・シュトラウヒを伴ってフロレアーナ島にやってきた。

フロレアーナ島はここ↓



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北側の入江が郵便入江。ここには樽がポストとして設置されており、通りがかったた船が郵便物を持って行くのが慣わしとなっている。

18世紀には海賊達の隠れ家として使われたりした事もあったが、当時の島は漁を営むものが不定期に暮らしたりしている程度で定住するのはかなり困難な程過酷な場所であった。

また彼らは法的には夫婦ではなかった。それぞれ結婚した相手がいたのだが、ドールが病気になった事で出会った二人は、家庭を捨てガラパゴスでの冒険に旅立ったのだった。

背景にスキャンダラスな気配があった事もあって、当時二人の移住は大きなニュースとなったらしい。

このニュースによって知名度が上がったのか、ガラパゴス諸島の二人の所にはいろいろな人が訪ねて来るようになる。

1932年8月島にはウィットマー家が子ども連れで移住してくるが、妻のマルグレットはなんと妊娠中であった。この島で子どもを生もうと云うのだ。突然の移住者が妻の出産の際、医師として技能に期待していると知り憤慨するフリードリッヒ。

暮らしを安定させる術に長けたウィットマー家に比べ、思想や理想だけで移住してきたフリードリッヒとドールは理想と現実のギャップに苦しんだ事だろう。

仲の良い家族として移住したウィットマー家に比べ半ば衝動的に連れ添ったフリードリッヒとドールはお互いが重荷になりがちであった。

加えて、もともと他人の干渉から逃れたいと考えていたフリードリッヒにとっては招かれざる客であった事もあって、この二つの家族は必ずしも円満に暮らした訳ではなかったようだ。

しかし、この二つの家族の緊張感などとは比べ物にならないような客がやってきたのであった。1932年10月バロネス(女男爵)と名乗る女性がロバに乗って従者と現れ、島に定住すると宣言したばかりか、土地や動植物に対して所有権を主張しはじめたのだった。

彼女によれば、島に豪華なホテルを建て世界中の金持ちを呼び寄せる計画があるというのだ。

しかし、彼女の女男爵と云う爵位も怪しげなら、口から出るのはデマカセばかりのようなのだ。また、従者としてつれてこられたルドルフ・ロレンツはまるで奴隷のように働かされているらしいのだった。

彼女の登場によって島では多くの確執や疑惑が生まれやがて悲劇的な事件が発生する事になる。このバロネスだが、ジム・トンプスンの登場人物を地で行くような人物である。

結果的にバロネスと愛人のロバート・フィリップソンは忽然と姿を消し、更に何人かが命を落とす事になるのだが、本当に何が起こったのかは依然として謎のままだ。

破滅に向かって止まることが出来なかったバロネスと謎が謎のまま投げ出されると云うのもトンプスン的である。

しかも、これはノンフィクションなのだ。

フリードの二人
フリードリッヒ・リッター(Friedrich Ritter)
ドール・シュトラウヒ(Dora Strauch Koerwin)

ウィットマー家の人々
ハインツ・ウィットマー(Heinz Wittmer)
マルグレット・ウィットマー(Margarita Wittmer)
ハリー・ウィットマー(Harry Wittmer)
ロルフ・ウィットマー(Rolf Wittmer)
インゲボルグ・ウィットマー(Floreana Ingeborg Wittmer)

アシェンダ・パラディソの人々
バロネス(Baroness Eloisa von Wagner)
ルドルフ・ロレンツ (Alfred Lorenz)
ロバート・フィリップソン(Robert Phillipson)


本書の救いのなさは更に後の彼らの証言が事々に食い違っている事であった。それも当事者全員が自分に都合よく話しをしている感じがするのだ。

勿論、事件後には亡くなった人もいる訳なので、伝聞によるものも時間がかなり経過してしまって曖昧になった面も多々あろうと思う。

一体何が本当だったのか。

一つには、ちょっとした事でも相互に影響を与え合ってしまうような非常に狭い環境でのぎりぎりの生活という事があるだろう。

一方、隔絶されたものであるハズの島の生活は訪れた旅行者等からの話に嘘をまぶして報道され暫くたってから本人の目に触れるといった事が繰り返されていたらしい事。隣人同士で話し合った事よりも、言ったとかやったと書かれる新聞の方を信用してしまい勝ちになってしまうのだ。

この報道はまた、面白おかしく書くことを優先し、裏も取らずに適当な事を書いているっぽい。その為、本当の所、他人を信用できない社会になってしまっていたようだ。

そして妬みや嘘が事態を拗らせていく。

孤立した小さな社会であったが故に、その振幅は激しくなってしまったのかもしれない。

でもこの現実はそのまま今の社会にも当てはまるものだな。もし自分だったら、或いは、今ここでこうして生活している僕たちだってこんな風に自分に都合よく生きてやしないだろうか。些細なことで諍いあって奪い合って、不平不満をぶつけ合って生きてやしないだろうか。

この抉り出されるような醜い人間性には不安を抱いてしまう。

世界から隔絶した小さな島に三つのグループ。そしてその二つが人格的、人間関係の構築に問題があったとしたら。

こう考えるとウィットマー家が事件後、そして今も島で暮らしているという事は一つの驚異である。ウィットマー家の人々は唯一地道で根気強く他人に左右されない揺ぎ無さを備えていたと云う事だろう。これが唯一の救いだと思いたいものだ。

ロルフが経営するショップのサイト
http://www.rwittmer.com/eng/index.asp


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死の海からの生還
―― エストニア号沈没,そして物語はつくられた ――
(Det som inte kunde ske)」ケント・ハールステット(Kent Harstedt)

2006/08/05:エストニア号(EATNIA)が沈没したのは1994年9月28日であったそうだ。852人もの死者を出す大惨事であったものの、既に遠い記憶となっているし、当時ニュースそのニュースにはあまり詳細に入る事が出来ていなかった感じがする。お恥ずかしい話ではあるが事故があった事を知っている程度であった。

1994年を振り返ってみると、リレハンメル・オリンピックの年であり、アイルトン・セナが事故死したり、松本サリン事件がおきた年でもあった。

個人的には営業職として都心を駆け回り、帰りも遅い。長男が漸く一歳を迎え、真夜中に二人で風呂に入るのが日課であった頃である。忙しくて時事のニュースに乗り遅れていた時期であったのかもしれない。

ドキュメンタリー、ノンフィクション系の本大好き。海が見えるところに住む事に固執する程に海が好きなのが合体して何故か海難ものを手にしてしまう。

海難ものである事に一抹の矛盾を感じないではない。

しかし、幸せな海の事件でしかもノンフィクションってどんな事件だ?

結果息詰まるような災害、事件、事故ものになってしまうのは仕方が無いのだろう。しかし、どうして人はこんな事件、事故の物語に引かれて読むのだろうか。

エストニア号は1994年9月27日乗客乗員1049名を乗せ、エストニア共和国の首都タリンからスウェーデン王国の首都ストックホルムに向け出航した。当日のバルト海は大しけで高波の中の船出であった。

28日に日付が変った0時頃船首部分の車両格納デッキの内側扉から浸水がはじまった。数十分の間には船体が左側に大きく傾き、その後まもなく沈没した。その間、エストニア号はたった一度SOS信号を発信しただけであったそうだ。

大半の乗客が寝静まった深夜の出来事であった事に加え、避難誘導が全く無いなか、大半の乗客乗せたままあっという間に沈没した事で犠牲者は拡大。

幸運にも船から脱出できた人々も10度を下回る海水温度の大しけの海を救出されるまで6時間以上も漂流。その間に次々と命を落としていったと云う。

結果無事生還できたのは137名に過ぎず、912名が死亡・行方不明となるバルト海の海難史上最悪の事故となった。

その後の調査により、このエストニア号の事故はRORO客船の建造上の問題による浸水事故である事が判明した。

RORO客船とは、日本では一般的にカーフェリーと呼ばれる船の事で、車輪つきの貨物を運び込み/運び出しができるような構造をした船である事からロールオン・ロールオフ船の、Roll on/Roll offを略称したものがRORO。貨物専門の船をRORO船、フェリーのような客室を持ったものをRORO客船という。

船体に仕切りの無い広いスペースが生じる為、一度大規模な浸水に見舞われると大きく体勢を崩し更に浸水が拡大し短時間で沈没してしまう。エストニア号は大しけのなか正にこのような事態に陥った訳である。

本書は、この未曾有の事態に直面し奇跡的に一命を取り留めた乗客ケント・ハールステットの手により書かれたものである。

本書が特徴的なのは、先ず沈み行く船の上でたまたま出会った女性サラと、「生きて帰ったらディナーを一緒に食べよう」と約束し、協力し合って事態を打開し、協力する事で漂流中の過酷な環境を凌いだという経験を被害者の立場で語っている事である。

そして救出後このケントとサラの話がマスコミの知るところになった後、ロマンスとしての物語が捏造され報道されていく顛末。同じ様に生き延びた人々や遺族たちと事故について語り合うことで癒されていく過程。そして生還した人々を向かえる街の人達の反応。についても腰を引かず且つ冷静に語っている点である。

彼の生還を自分の事のように喜びどんな事にでも手助けしようとするチェチェン人のタクシー運転手オクタイのエピソードには咽が詰まった。

ケントとサラの出来事と後に実現するディナーを面白おかしく追うマスコミや人々がいる一方、バルト海周辺には国を追われ、家族を奪われた経験を持つ人達が大勢おり、こうした人達は特にエストニア号のような悲劇に対する実感がより強く感じられるようで、積極的に救いの手を差し伸べようとする姿が描かれている。

僕は少なくとも本書を読む事で、少しだけ彼ら経験した事がわかった。そして日本はあまりに平和すぎるのだろうと云う事も。

そしてケントは事故を経験した事を振り返り述べる。

一度生命を失いそうになると、今この瞬間の重みを実感する事が容易になる。それはまったく偶然にであって、自分で奮闘し習得した結果ではない。実際のところ、未来に大きな関心をかけすぎることはなくなった。その部分が消滅したみたいだ。これは、今、この文章を書きながら思い当たったことだ。
未来に特別なあこがれも感じなくなり、まさに「今」を生きている。これから起こることを明るい気持で待ってはいても、具体的な計画や夢に重きを置かなくなった。今僕の周囲にあるものに感謝するだけだ。

生を実感し、最大限に活用して「今」を満喫することが出来るようになった事こそ事故から得た贈り物であると云うのだ。

僕たちは普段「死」を遠ざけ消し去る事にやっきになり結果「生」は当たり前のものとなり、見えにくくしてしまっている。そして「生」が意識されず「今」に重きをおかずに生きる傾向を強めているのではないだろうか。

僕は本書を読んで、ケントが船を脱出し凍てつく海を漂流しながら大勢の死を目撃する経験のほんの爪の先程を分けて貰い、正に「生」と「今」について感覚を研ぎ澄ます事を思い出した。

そうそう、僕が海難系の本を読む理由はこんな所にあるのかもしれない。

ケント・ハールステットのサイト
http://www.kent.harstedt.pp.se/

残念ながら英語ではないので、僕には全く歯が立ちません。しかし元気そうなケントの顔がみられるのは幸せな事である。

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旅する哲学−大人のための旅行術(THE ART OF TRAVEL)」
アラン・ド・ポトン(Alain de Botton)

2006/07/29:ド・ポトン先生の明晰な文章に惚れた僕は貪るように「旅する哲学」を読んだ。いやいや面白かった。なんと言っても「旅する」哲学。"THE ART OF TRAVEL"、つまり「旅」の「技巧」なのである。

どうして僕がこんなに「旅」の技巧にこだわりを持っているのか。それはその昔、バイクに乗っていた頃、独りでよくツーリングに出かけてた事に由来する。

当時僕はただ只管自分のバイクで何処かへ行きたいという想いからツーリングの計画を立ててたものだった。

KAWASAKIの我が愛車。これはもう限りなく自分の持ち物であり、移動の手段を超えて、自分の一部であったと言える。

はっきり言って行くのなら何処でもよかった訳だ。

しかし、そうは言っても、資金も必要なら学校にも行かなけりゃならない。予定を告げて出かけなければ家族だって心配する訳で、只管行き当たりばったりと云う訳には行かない。



な訳で何時何処へ向かうのか等それなりに具体的な計画を立てて、バイクの整備も自分でやって。逸る気持ちを抑えて暖機運転なんてしちゃってから、おもむろにバイクに跨り出発するのだ。

バイクでのツーリングは日常生活との決別でもあった。

一度道路に出れば、誰も子ども扱いしてくれず、初心者もベテランもない。道を走ると云う事は、交通社会の掟を学び、それに従って生きる事を学ぶのだ。

ひょっとしたら事故にあったりして生きては還れない事だって有り得る。車や電車の旅行と違ってバイクの旅は緊張するのだ。

そして途中で思いがけないトラブルに巻き込まれたり、或いは驚くほど美しい光景に出会ったり適当な場所でちょっと休憩して誰かと話しが出来たりという旅の過程。

いろいろな目にあいながらも目的地に到着。そこは予め決めていた滝や海であったり、特に目立った到達点のない都市や県境であったりする訳だ。それはえてしてあっけないものである。

そこは自分が勝手に作っていた目的地であって、目の前の道はまだまだ同じ様に続いている訳だ。そしてその道はこれまで走ってきた道と同様に何だか随分と単調でもあり、何かを期待させるようでもあったりするのだ。

しかし自分は引き返さないといけない。そこで一旦バイクを路傍に止めて、休憩しつつあたりを眺めたり、逡巡したりする。しかしこの先に進むお金も時間もないのだ。そして心はすぐに帰路の事、ガソリンの残量や財布の中身、さらには明日の予定ややり残した課題なんかに向かいはじめてしまうのだ。

無事帰宅して緊張から開放された痺れるような疲労感や、行く前とは違って見える日常の光景、忘れられないコーナー、胸のすくシフトダウンやアクセルワークがふと蘇ってくる事。旅先での光景は決して忘れられる事がない事も全て「旅」なのだった。

そんな時間を僕はいまだに胸に抱いていて昨日の事のように思い出すのだ。だから、本書の旅する技術についての記述はいちいち全てその通りだと膝を打つような事ばかりであった。

うーん。またバイクに乗りたくなってきたぞ。

当然だがド・ポトン先生が書いた本が単なる旅の技術にとどまる訳もなく。旅の技術はそのまま人生をより良く生きる為の技術として利用する事を薦めてくる。
人生が旅であるなんて使い古された言い回し!なんて不謹慎に失笑したりするなかれ。なんと言ってもド・ポトン先生なのだ。それは深淵な思慮が埋め込まれているのだ。

旅とは地図を見て計画を立てるところからはじまる全ての過程であり、日常から非日常への脱出である。目的地は一つの経過点に過ぎないものなのだ。

広大な自然に触れる事で崇高なるものを見出し、己の小ささを実感する。美しい景色やここではない何処かの雰囲気や空気。これに単に触れ味わうだけではなく、日常との違いを深く観察して理解する。

そして、僕は故郷を離れ知らない大都会の街で見知らぬ人に囲まれて電車に乗って毎日旅をしている事に改めて気付かされたのであった。

目次

T計画の愉しみ―出発を前に

 第1章大いなる期待―デ・ゼッサントのロンドン、わたしのバルバトス島
 第2章船旅の詩情、ドライヴ・ウェイのポエジー―ボードレールの港、ホッパ    ーの旅路の情景

U日常脱出の愉しみ―わたしたちを衝き動かすもの

 第3章エキゾティックなものの誘い―フロベールのエジプト、わたしのアムス    テルダム
 第4章未知なるものの魅惑―フンボルトの新大陸、わたしのマドリッド

V自然と向き合う愉しみ―風景の言葉に耳を傾けながら

 第5章自然は都市生活者を癒す―ワーズワスの湖沼地帯、わたしの湖沼地帯
 第6章崇高なるものとの出会い―ヨブのシナイ半島、わたしのシナイ・ツアー

W眼の愉しみ―芸術は現実を濃縮する

 第7章目から鱗が落ちる―ゴッホのプロヴァンス、わたしのゴッホ・ツアー
 第8章美を自分のものにするためにラスキンの方法、わたしの実習

X帰宅後の愉しみ―習慣がわたしたちを目隠しする

 第9章日常生活の再発見―ド・メーストルの室内旅行、わたしの近隣旅行


以下から、アラン・ド・ポトンの他の本のレビューがご覧になれます。

哲学のなぐさめ―6人の哲学者があなたの悩みを救う
もうひとつの愛を哲学する

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難破船(THE WRECKER)」
ロバート・ルイス スティーヴンスン&ロイド オズボーン
(Robert Louis Stevenson& Lloyd Osbourne)

2006/07/22:ロバート・ルイス スティーヴンスンの「難破船」である。大人版「宝島」と云う触れ込みで冒頭はこの期待を更に煽るどうにも胸躍る幕開け。これは楽しみでした。

しかし、本編に進んだ途端に物語は停滞。もったいぶった会話と見慣れない価値観に振り回される。後半に突入しても本編のストーリはどうにも走らないまま求心力を失ったままだ。

これはスティーブンスンが「宝島」を期待している読者の裏を読んだストーリーにした結果なのかもしれない。
或いは僕が「宝島」と同じ展開だけを期待しているとか、準主役級の登場人物の名が「ピンカートン」だったりしているところなんかもあって、勝手にストーリーを読み違えた結果なのかもしれない。

良し悪しはともかく「えっ、こっちへ行っちゃうの?」とか思いも寄らない方向へ物語が進んでいる事は事実なのだが。個人的には「乗り遅れました。」

ロバート・ルイス スティーヴンスン(1850年11月13日〜1894年12月3日)はイギリススコットランドのエディンバラに生まれ、小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイストそして弁護士と云う複数の顔を持つ多彩な人物であった。

一方で体が病弱で体にあった気候の土地を求めて結果各地を旅行して回る人生ともなった。旅先で出逢った女性と結婚し、その連れ子であったロイドの為に書いたとされるのが「宝島」である。

三人はその後も旅を続け、最後はタヒチに腰を落ち着ける事になり、スティーヴンスンは当地でその生涯を閉じる。本作「難破船」は1892年の作品で「箱ちがい」同様息子のロイド・オズボーンと共著となっている。

ネガティブな評価になってしまいましたが、なにせ集中力を欠く出来事の多い時期だった事もあり、これは僕の読書失敗による所が多いように思います。

△▲△

ボディ・アーティスト(The Body Artist)」 ドン・デリーロ(Don Delillo)

2006/07/16:ドン・デリーロに初挑戦である。デリーロは現代アメリカ文学最大の巨匠と評される作家の一人でいつか読んでみたいと思っていたのだが、どれもかなりの長編ばかりでなかなか手が出し難い。

先ずは小手調べとして手頃な厚さの本書を手にしてみた訳だが、これがまた難解な代物であった。

読後、いろいろな人の書評にも目を通して見たが、みんなそれなりに悩んでいるようだな。

僕自身もこの小さな作品が心の中の収まり場所が見つかるまで随分と座り心地の悪い日々を過ごした。

レビューを書くにしても、この作品はシンプル極まりない物語の粗筋を語る事も、如何に難解であったかの「謎」について語るのも他人の読書を損なう恐れが生じる程にコンパクトに圧縮された構成になっているのだ。



ここから先は、未読の方の読書を損なう内容が含まれている可能性があります。


もう読んだ方。恐らくたぶん今後読む予定のない方(笑)以外は読まない方が良いと思います。


この「ボディ・アーティスト」の物語は、ローレン・ハートキがその夫であり映画監督のレイ・ローブルスと朝食を取っているところからはじまる。

夫はこの食事を済ますと家を出て前妻の家に行き唐突にピストル自殺を遂げる。

レイの葬儀のあとも悲観にくれるローレンの前に現れたのは、夫と暮らしている間から知らぬ間に同じ屋根の下に潜んでいたと思われる青年であった。

夫は何故唐突に死を選んだのか、そして一体この青年は何者なのか。一方で経済的な理由で追い詰められていくローレン。

そんな彼女が生み出していくのは、体から色を奪い、老廃物をこそげ落とし限りなく自分自身のみの体になっていく事。そして難解で複雑に込み入ったパフォーマンスを演じる事であった。

粗筋だけで語るとざっとこんな感じである。ここで何が起きているのか。

冒頭の朝食で繰り返されるのは二人の間で、何がどちらのものかというやり取りであった。トーストは?オレンジジュースは?それはラジオのニュースや朝食の時間と云うようにものまでをどちらのものかとしようとするものだが、そんなものは分かち難い事は自明である。

一方で、夫の自殺で明らかになるように二人の人生は交わっていても一つのものではない。どんなに結びついていたとしても、二人の人生はそれぞれ一人一人のものである訳だ。

完全に自分のものではない、決して知る事のできない「謎」。

それも夫の人生における「謎」は夫の自殺によって、もはやその事について語れるものは誰もいなくなってしまった。

この喪失感の大きさはどれ程のものであろう。長く暮らした夫婦であれば、それは自分の一部いや大部分が「死んだ」「失われた」としてもいい程の大きさであろう。

なので、屋根裏部屋から現れる青年は、ローレンの作り出した夫の「未知」の語り手であると僕は読んだ。

ローレンは、彼に生前の夫の謎について問いかけるが、自分自身で作り出した幻影である「青年」にその「未知」を語らせる事は出来ないのだ。

また、ローレンは、自分の体を血が滲む程こすって老廃物を落とす事に執着し始めるが、これは分かち難い夫と重なった自分の人生の部分を指していると感じる。

夫に死なれたローレンは再び一人の人間として生きていく必要があるのだ。こうして共に歩き人生の一部を共有しあいながらも最後まで全く重なることのできない我々。

そして、出会いと別れに苦悶する僕たち。

その苦悶から生み出されているのがローレンのボディ・パフォーマンスである訳だ。

それはつまり今僕たちがやっている事、人生を生きるという事そのものではないか。

ドン・デリーロの狙いは恐らく、この人生の苦悶を焙り出す事。しかもそれを、要約不可能な程に切って、切って、圧縮したこの物語にしたかったと云う事ではないかと思う。

僕自身の心での収まり具合を簡単にまとめてみた。どうだろうか。うまく表現できているだろうか。

読んだ直後ではなく、数日後になって凄まじいインパクトを受けた本書は紛れもなく忘れられない本になった。


「コズモポリス」のレビューはこちら>>

「墜ちていく男」のレビューはこちら>>

「アンダーワールド」のレビューはこちら> >


△▲△

海のアジア〈5〉越境するネットワーク」
尾本惠市、濱下武志、村井吉敬、家島彦一編集委員

2006/07/02:全6冊のシリーズを成す、「海のアジア」の4巻目。アジアの島嶼地域の島々は海を通じてネットワークを形成し、相互に依存しながら生活を続けきた。

これまでの長い歴史の中では、国が変わり、国境が変わり、宗教が変っても、このネットワークはその時代、その時代に合わせて様変わりはしつつも損なわれることはなく存続してきた。しかし、それは安泰と云うには程遠い状況であった。

島嶼地域では、長い間を陸上の資源だけで暮らすには無理があるのだ。そこに暮らす人々は当然のように海にたより海を利用して生活の糧を得る。海は、漁場となり、田畑となり、そして道となるのだ。

そのような生活を送っている人々にとって地理的な条件からお互いに影響を及ぼさないようにするとか、不干渉で居続ける事は不可能なのだ。

こうして生まれたネットワークはお互いの考え方や宗教等の違いを寛容な態度で受け入れ尊重しながらも非常に緩やかなものになっていた。そうする事がお互いを生かしていく手段でもあった訳だ。

海によって繋がるネットワークは支配を目論む権力者達は覇権を奪い合いにより、常に翻弄され風に揺れる蝋燭の炎のようにゆらめいてきた。さらに時代は下り大航海時代を向かえると、そこには新しい文化、新しい技術そして新しい宗教が持ち込まれた。

どの時代をとっても支配者は島嶼地域の文化的特性を理解する事はなく、蝋燭の炎は更に大きくゆらめいてきた。日本はこの事態を鎖国という手段で守ろうとした訳だ。

しかし、この条件を無視してコントロールしようとしても、それは端から無理というものなのだ。どんなに頑なに閉じこもろうとしても、海を使って生活をする以上、人々は海上で出会ったり、あるものは難破・漂流という事故によって接触が途切れる事はなく、情報は伝達されていく。

ほんの僅かな情報であっても、大航海時代にあっては、人々はその情報を頼りに船を仕立て危険な冒険に狩りだしていく力が存在したのだろう。

それは、まだ見ぬ財宝であったり、この上ない名誉であったり、深い信仰心であったりした。人々に限りない動機を与え続ける力と島嶼地域という地域特性が越境するネットワークを生み出していきたのだろう。

炎と風(空気)は本来不分別であり、片方だけでは大きく燃え上がる事は不可能なのだ。

移動技術、交通手段の向上に伴い島嶼地域のネットワークはやや時代遅れになりつつあるのだろうか?人々は海で繋がりお互いに依存しあわずとも生きていける時代になってきたのだろうか。

現在、アジアの海には急速に不寛容が広がりつつあるが、これはこのネットワークが時代遅れとなり本来そこに住まう人々の本心が現れてきたとでも云うのだろうか。

それとも一時の支配者の都合で情報を操作された事によって人民が翻弄されているだけに過ぎないのだろうか。

いつの時代も海はひろがり、つながっているのにも関わらず。


【目次】
「海」からのアジア論に向けて 濱下武志
■環シナ海世界の特性
中国の海認識 茂木敏夫
環日本海 古廐忠夫
■歴史のなかの海世界
18世紀ジャワとはどんな世界だったのか−−東南アジアの「歴史のリズム」再考 白石隆
海底考古学−−新安の沈没船を中心に 森本朝子
海の支配−−南シナ海をめぐる国家間紛争の歴史と現在 浦野起央
■くらしと海
漂流民の世界 春名徹
航海守護神と海域−−媽祖・観音・聞得大君 豊見山和行
■移動と交流
海を越えた宗族ネットワーク 瀬川昌久
東アジア海域世界と倭寇 真栄平房昭
■口絵の言葉
沖縄の生活時間 児玉房子
■座談会          
東アジア海域のネットワーク 曹永和 村井章介 濱下武志

シリーズ1「海のパラダイム」のレビューへ
シリーズ2「モンスーン文化圏」のレビューへ
シリーズ3「島とひとのダイナミズム」のレビューへ
シリーズ4「ウォーレシアという世界」のレビューへ

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ユウキ」伊藤遊

2006/07/01:伊藤遊の本は家族全員で大好き。土曜日の朝、ちょっとだけ先に読ませてもらおうなんて手にしたがなんと、そのまま最後まで一気に読みきってしまいました。素晴らしかった。面白かった。涙を流して読みました。

主人公は札幌に住む小学六年生の男の子、カードバトル。ミニ四駆そしてサッカーとその姿はそのまま我が家の長男と重なり合う。そして転校。胸が震えるような気持でした。

仲良しになる友達の名前は何故か「ユウキ」。親の事情で転校して行ってしまった「ユウキ」。その後学校に来た新しい転校生の名はまたもや「ユウキ」。そしてその「ユウキ」も転校し、かわりにやってきた新しい転校生も「ユウキ」だった。しかし今度は女の子だった。

うーむ、こんな話、ちゃんと纏まるのかよ。と思ったのもつかの間。今回はすべて主人公の一人称で語ると云う表現方法も新境地を開いていてしかも無理がない。

いやいや、今まで以上に主人公の感情をストレートに表現する事で物語にも文体にもリズムが生まれていて読んでいてとても楽しい。

うちのお兄ちゃんはもう中学一年生だけど、友達と同じような会話したり、この主人公のようにいろいろ考えたりしているんだろうか。もっとずっと子供だと思いこんでしまっていたけど、これは親の勝手な思い込みなのだろうね。

いつまでも小さい子供の頃のように考えたりしていると、どうしても考えやすいけど、本当はこの物語の子供達のように、いろいろと悩んだり怒ったりしいるんだよね〜。親としても反省だ。

伊藤遊は小物の使い方が上手だが、今回も意表を付く使い方をみせてくれる。カードゲームは、ついぞ息子と一緒に遊ぶ機会を作ってあげられなかったよな。オヤジはルールを覚えるのがしんどかったのだ。そんなカードゲームやミニ四駆も玩具の世界観をしっかりと把握している伊藤遊にかかると生き生きとした見事な小道具となり物語の旋律を奏でだすのだ。この本の登場人物達は本当に活きている!と云う程の仕上がりである。

しかも三人目の「ユウキ」という突飛な出だしだった物語の着地は、もうお見事。拍手喝采である。こんな着地点を見出す伊藤遊はまた只者ではない。今後も絶対目を離せない作家である。

以下のリンクから伊藤遊の他の作品のレビューをご覧いただけます。

つくも神

えんの松原

鬼の橋

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