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2011年も下期に入りました。しかし、何度も書くが歳を追う毎に月日が流れるのがどんどん早くなってくる。人生が何年あるのかはわからない訳だが青年期を過ぎた後半部分は体感的には前半の半分くらいしかないのかもしれない。ますます一日一日を大切に過ごしていかないといけないななんてことをつい真剣に考える今日この頃であります。
今年うさぎ年は跳ねる年だとされていますが、東日本大震災に続いて強力な台風の来襲による風水害と日本列島は激しく踏みつけられた形になっております。被害にあわれたかた方には心よりお見舞い申し上げます。みんなして助け合って一歩一歩前進していかなければと、そんな国になればいいなと思います。

自動車爆弾の歴史
(Buda's Wagon: A Brief History of the Car Bomb)」
マイク・デイヴィス(Mike Davis)

2011/12/29:「スラムの惑星」でマイク・ディヴィスが僕らの前に曝け出してきた現実の重さには言葉を失うばかりだった。富をますます集中せんとする富裕層とその手先として血も涙もない行動をとる企業権力に国家・政府が跪き、国民から主権を奪い、国籍すらも奪うことでどんな法の庇護も受けられなくなった膨大な貧困層の人々は、存在すること自体が認識されない対象となる。

そのような状況に追い込むことを積極的に推進している勢力が存在する。彼らは巧妙にメディアを操り自分達の行為が大衆に気づかれないようにこっそりとしかし確実に進める方法を生み出してきていたのである。

おぞましい現実。今この世の中がこんなにも残酷で惨たらしいものだったとは。ここは正にスラムの惑星であった。

そんなマイク・ディヴィスの他の本を読もうと選んだのがこの「自動車爆弾の歴史」。2007年に出された一番新しい本だ。

1920年9月16日、アナキストであるルイジ・ガレアーニのシンパの一人であったマリオ・ブダ(Mario Buda)はトンネル工事現場から盗んだものと思われるゼラチン爆弾と鉄の散弾を積んだ四輪荷車を馬に引かせてウォルストリートを進み新連邦貴金属検定所の隣、J・Pモルガン社の真向かいに止めると雑踏のなかに消えた。

正午の鐘が鳴りはじめたところで荷車は爆発。38名が死亡した。史上初の自動車爆弾であった。

ここに実は新しい戦いがはじまったとマイク・ディヴィスは捉えている。つまり、これまでの戦争や争いが主に国家対国家によって巻き起こされるものであったが、体制と反体制派の戦いが生まれたのだと。

国家は軍隊や警察という近代的な兵器で武装した組織を持つが、反体制派はそうしたものを持ち合わせていない。組織の規模も兵力も甚だ劣った存在である反体制派が体制に歯向かう効果的な手段として生み出されたのが自動車爆弾。反体制派は自動車爆弾という手段を得たことで体制と戦うことができるようになったのだ。

史上初の自動車爆弾はこの1920年のウォルストリートで起こった。これが本書の原題"Buda's Wagon"となっているのだった。そして模倣するような形で体制を攻撃する手段として自動車爆弾は様々な組織で使用され、その手段は洗練されたものになっていく。


 乗物爆弾は、その後、散発的に用いられた。サイゴン(1952)、アルジェ(1962)、パレルモ(1963)、再びサイゴン(1964~1966)における悪名高い虐殺を生み出した。しかし地獄の門を本当の意味で開いたのは、四人の大学生であった。彼らは、ヴェトナム戦争に協力的なキャンパスに異議申し立てをするために、1970年8月ウィスコンシン大学の陸軍数学研究所の前で硝化アンモニウムと灯油を混合した爆薬(ANFO爆弾)の自動車爆弾を爆発させたのだった。


本書ではこの世界各地で実行された自動車爆弾テロ事件とその背景を丹念に追っていく。

シーア派の闘志シェイク・アハメド・カシールは、1982年11月11日スールの八階建ての司令部を攻撃し141人のイスラエル人を死傷させた事件をはじめ、イスラエル史上最悪の惨事の作戦を実行した。ヒズボラがこの作戦をビデオに撮影し、ネットで流したことから彼の名声は高まったのだという。この攻撃の日はヒズボラでは「殉教者の日」の記念日となり、南レバノン全体とベイルートのスラムで祝われているのだという。


 スールに対する攻撃とその周辺に繁茂した神話はまさしく、ベツレヘムに向かって不遜に更新していた自動車爆弾が大量破壊にとって一般的な武器となる、最も重要な分岐点をおそらく形成している。自動車プラス硝安油剤爆薬(ANFO爆弾)というマディソン/ベルファストの調理法に、第三の決定的な要素がベイルートという調理場で付け加えられた。破壊的な弾頭を大使館や兵舎のロビーへとまさに運び入れるために、警備検問所を突破し護衛をすり抜け、壮絶な覚悟とともに「カミカゼ」攻撃によって木っ端微塵となる、というのが、その第三の要素である。


ヒズボラがベカー高原に作った訓練所にはアメリカ大使館前のコンクリート防衛柵と寸分違わぬコースが設けられ、殉教者つまり自爆運転者たちはこの遮蔽物をかわしながら奥へと走りこむ練習を繰り返した上で本番に臨んでいたのだという。最大の効果を上げるために鍛錬を積んだ殉教者の参加によって自動車爆弾は正に強力な武器に昇華した。

9.11の事件が起こったときのことを覚えているだろうか。僕はあのときにこの飛行機を操り世界貿易センタービルへ突入していった複数の実行犯たちが一体どんな信条で、何に対してこれほどまでの怒りを持って行動しているのだろうかと考えたことを覚えている。

要するに何もわかっていなかったのだ。アメリカがそれまでどんなことをしてきた結果、あのような行為を誘発することになってしまったのかについて。

オサマ・ビンラーディンは自動車爆弾を飛行機に変え、テロの現場を中東からニューヨークへ移したのだった。そしてその効果はずば抜けていた。なんと云っても僕のような平和ボケをしている日本のサラリーマンでもアメリカ政府の暴挙に気がつく切欠となった訳だからだ。

勘違いしないでほしい。間違っても9.11のテロを擁護するつもりはさらさらない。

政府側がどんなに近代的な兵器で武装し数で圧倒しようとも、反体制派は自動車爆弾を使うことで自ら「大いなる恐怖」を撒き散らすことによって政府の腰を折り、反体制派の主張を広く世間に知らしめ、果ては世論を動かすことが可能であることを学んだのだということだ。

本書を読み進んでいくと、この自爆テロが繰り返される背景には文化的背景を無視した外国からの介入と無慈悲な軍事力の行使によって引き起こされる夥しい暴力があることが見えてくる。仲間を家族を見境もなく殺された人々や人権や誇りを奪われた人々が反体制派に併呑され続けることで紛争が止むこともなく続けられていくのだ。

僕にはひどく唐突に映ったのだが、2011年12月オバマ大統領は、「イラクの民主化や安定が達成された」とし、イラク戦争の終結と米軍をイラクから完全撤退すると宣言した。2003年から9年間150万人が従軍したという。米軍の撤退は前々から計画されてたもので、あれよあれよという間に撤退は完了していった。

イラクには世界最大のアメリカ大使館があるのだそうだ。そこはまるで要塞のようなものでこれの警備は民間の軍事請負企業が行っている。だから米軍は撤退できるのだろう。この軍事請負企業が守るのはあくまでアメリカ大使館であり、イラクの平和ではない。

当然のように、バグダッドではテロが多発している。12月22日は撤退後最大規模の同時多発テロが発生63人が死亡した。これらのテロの殆どは自動車爆弾によるものなのだ。スンニ派の犯行だとされ中心会派「イラキーヤ」に所属するハシミ副大統領に逮捕状が出されていたが、ハシミ氏はこれは陰謀によるものだと反論しているという。

そして自動車爆弾の歴史は続いていく。


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ミッション・ソング
(The Mission Song)」
ジョン・ル・カレ(John le Carre)

2011/12/17:ル・カレの新作「ミッション・ソング」何をさておき飛びつきました。新作といってもこれ2006年の本なんだよね。翻訳に5年かかる訳はなくて、要は優先順位が下げられていたということなんだろう。帯には「これはル・カレの"宣戦布告"だ」真山仁(小説家)なんて文句がうたわれている。真山仁は小説家なんだそうだが、ル・カレの本を初めて読んだのかな。きっと。

しかし、あとの真山氏の解説を読むとル・カレの作品群に対して正しい理解をされており、エスピオナージュ時代のル・カレと、「影の巡礼者」以降のものをきちんと分けて述べられていた。その文脈のなかでル・カレは資本主義に対して"宣戦布告"をし続けているというようなことを述べていた。

それが何をどうしたら「これはル・カレの"宣戦布告"だ」になっちゃうのか。こんなだから出版業界も不況になるわな。

真山氏同様、僕もル・カレが変わったことに気がついたのは「ナイロビの蜂」だった。映画だったけど。こんなディープに鋭く社会正義を貫くテーマを見事なドラマに描き出しているなんて全然予想もしていなかったのである。

現実に存在する人のような豊かさと深さを持った人物造形。その人のひととなり、人生をまるで知らない屋敷の部屋のひとつひとつを丹念に案内されているかのように語られ、いつしか読者は彼らを深く知り、いつしか旧知の友のように愛し始める。この筆致の見事なこと。

そんな彼らがぶつかるのは資本主義経済のみを信仰しているかのような守銭奴の権化であり、貧困国の人々の命などに毛ほどの価値も認めず利益の拡大のみが最優先される社会であり、またそうした世界の拡大に向け、公共のインフラを骨抜きにし、学校教育にも介入し若者たちから教育や知識の機会を奪わんとする教育植民地主義であり、多国籍企業の企業権力である訳なのだ。

彼らが陥っていく窮地と葛藤の渦に僕ら読者も沈み込みともに悩み、そして歯を食いしばり、こぶしを握り締めて怒り、彼らのおぼつかない足取りを追うのだ。

「サラマンダーは炎のなかに」でのル・カレの怒りはこれまでにみたことがないほどのものがあったと僕は思った。本を通じてル・カレは問いかけてくる。
ノーム・チョムスキー、スーザン・ジョージ、ナオミ・クライン、アルンダディ・ロイ、ジョセフ・スティーグリッツの本を一冊でも読んだことがあるのかね?何やってんだ、そんなのんきなことじゃいかんぞと。

恥ずかしながら僕は一冊も読んでなかった。慌てた、焦ったと言ってもいい。ル・カレの怒りとはつまり「投票箱よりももっと重要なこと」だと。

以来僕の読書は変わった。そしてちょっと大げさだが、人生が変わったとすら思う。知らずに生きていくこととは確実に違うものに。

僕らが知らないうちにこの世界はとんでもないことになってきているのだが、多くの人はまだ全く知らないし気がつく気配もない。この資本主義に染まりきった企業権力の台頭をこのまま放置していくと、世界は二度と復元できない限界点を超えて荒廃し、それでもお互いが奪い合うことを際限なく続けて最後には滅亡する以外になくなってしまうのではないかと本気で思う。

本書のテーマはコンゴだ。世界最貧国と呼ばれる国でもある。コンゴの国土からは、銅、コバルト、ダイヤモンド、カドミウム、黄金、銀、亜鉛、マンガン、錫、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱石、石炭、そしてコルタンが産出され、世界のトップクラスの鉱産資源国でもある。

なぜこれだけの鉱物資源に恵まれている国が最貧国となりえるのか。

1994年に隣国ルワンダではジェノサイドが起こり、100日間で80万~100万人の人々が虐殺された。昼夜を問わず一分間に5人以上だったという。新型の超大型爆弾によるものではない。一人ひとりナタや素手で殺されたのだ。理解できるだろうか。

国際問題となり国連が介入、ツチ族保護の名目と英米の支援により樹立された新しい政府の指導者となったポール・カガメは現職の大統領でルワンダを見事に復興した人物として理解されてきた。しかし、この人物はSOAの出身者であり、1996年、カガメの指揮のもとにルワンダ軍はフツ族を追跡して現在のコンゴ領に侵入、数十万のフツ族を虐殺していたという。そしてこの事実は去年までずっと隠蔽されてきたのである。

本書「ミッション・ソング」を読むとル・カレは既にそうした事実を掴んでいた。その上で本書は書かれているのだ。なんと云う情報収集能力。

SOA(US Army School of the Americas)は1946年、中南米に対するアメリカの覇権を実現すべくパナマに、反米的な諸外国政府・組織・思想家を転覆または排除することを目的として、親米ゲリラ組織にテロ、暗殺、拷問技術を教授する目的で創設された学校であり、ここで学んだものたちは世界のあちこちへ飛び、反米政府の転覆や親米政府に対する反政府勢力の殲滅やらなにやら、いわば手を汚す仕事をアメリカの代理としてせっせとこなす帝国の手先を育てるためのものだ。

ルワンダ同様ベルギーの支配下にあったザイールは、独立後も海外からの内政干渉が止まず情勢が安定しないままだ。そしてルワンダから大量のフツ族が流入し、更にこれを追うルワンダのツチ族が侵攻してきたこと、更にウガンダやブルンジなどからも入り乱れて激しい内戦状態となりザイール共和国、モブツ政権は瓦解した。

その理由は先にあげた鉱物資源を巡った争奪だ。直接的に資源を巡って戦っているのは、国内の勢力・諸族である訳だが、これを海外から支援しているものがいる。
資源目当てで金や物資を送り込む連中がいるからこそ、彼らは互いに戦うことができるという訳だ。


 私の名はブルーノ・サルヴァドール。友人はサルヴォと呼ぶ---敵もだ。他人の言うことはさておき、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国の歴とした一市民であり、職業はスワヒリ語とそれほど知られてはいないが東コンゴで広く話されている諸語の一流通訳である。東コンゴはかつてベルギー治下にあった、よって流暢なフランス語も、私の矢筒に入った矢の一本。


サルヴォはとても仕事に誠実で優秀な通訳だ。しかも西側では殆ど誰も知らないアフリカの辺境で話されている諸語をネイティブに話せるという稀有な能力を持っていた。なぜセルヴォがそんな言葉を話せるようになったのか。そして彼の名の由来も。それはル・カレの見事な手練手管で描き出される人物造形をとくと味わってほしい。彼のひととなりを知った読者はセルヴォを心から愛おしいと思うに違いない。

そんなセルヴォにある日、英国情報部から一風変わった仕事の依頼が舞い込む。それは大英帝国の大儀のため、国の困難を解決するために防衛ではなく、先手を打つために実行される匿名のシンジケートの活動を推進する為に通訳として参加して欲しいというものだった。

この依頼は政府から出されるが、その事実は一切伏せられ、セルヴォ自身も偽名を使っての参加となること。そして勿論そこで交わされる内容は全て機密なのだというわけなのだった。匿名のシンジケート、匿名のコンサルタントが開催する会議に通訳として参加しろという訳だ。国の大儀のためならばとセルヴォはこの任務を引き受け、どこにあるのかも知らない小さな離島にある屋敷へと飛ぶ。

しかし、この会議の内容はセルヴォの生い立ちから、背景、価値観からみて決して看過できない謀略を交わすためのものであることが明らかになっていく。

派手なシーンは一つもないにも関わらずこれほどまでに息を呑む展開を見せるとは、ル・カレの手腕は衰えることがないばかりか老いてますます鋭敏となっている。本を握る手が痛くなり、目頭が熱くなる。そして深く長い余韻。正に傑作だ。

そして忘れてはならないのは怒り・憤りだ。物語はフィクションだが、これに近いことは現実に進められており、実際に夥しい人々が省みられることなく虫けらのように殺され続けていることに対する憤りだ。我々はこうした傲慢な行為が一部の富裕層の人々の手によってやすやすと進められていることを知り、阻止できるようになっていなければならないのだ。弱者のために、そして我々の将来のために。

ソマリア、アラブ、パレスチナ、チェニジア、イラン、リビア、シリア、スーダン、セルビア、クロアチア、グルジア、コソボ、エジプト、バーレーン、リストはまだまだ延々と続けることができる。我々はこうした暴力の連鎖に歯止めをかけなければならないことについてもっと考える、具体的な行動に移す必要があるのだ。


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砂 文明と自然
(Sand: A Journey Through Science and the Imagination)」
マイケル・ウェランド(Michael Welland)

2011/12/14:東日本大震災の日、帰宅難民となった僕は会社に泊り、早朝に再開された地下鉄を乗り継ぎ浦安へ辿り着いた。地下鉄東西線浦安駅から新浦安まではバス。やってきたバスは浦安高校線というシンボルロードを直進するものではなく、海楽、美浜、入船を回るルートを走るものだった。

初めて乗るルートでかなり遠回り。ものめずらしさと早く帰りたいので落ち着かない気分だったのを覚えている。そんな僕の目に飛び込んできたのは入船あたりからの普段とは違う光景。あちこちで縁石や塀が傾き、道路がくぼみ、あちこちから砂が噴出している姿だった。

そしてそれは新浦安駅、駅から自転車に乗り換えて明海へ向かうにつれどんどん状況が酷くなっていった。

新浦安駅前の歩道が滅茶苦茶に割れ、車止めが傾き、境川の堤防が地割れのように裂けていた。

「なんじゃこりゃ!」

そして明海小学校の東側の道路では大きく陥没し大量の土砂で埋まり、水がまだ噴出し続けていたのだ。

僕は家族をこんな場所にほったらかしてしまったのか。確か最初に思ったのはそんなことだったと思った。

それにしてもこの土砂と水はなんだ。「水道管が破裂してるのか?」と思った。

これは新浦安全体でおこった液状化現象の一つだったのである。

液状化現象というものをぼんやりと理解していた僕は、それは地震が起こった瞬間におこるもので、止めば収まるものだとなんとなく思っていた。

しかし、その後の体験で身にしみて理解できたこととして、液状化現象は一度起こると、地表にある硬くて重いものに押し出されて噴出を続けるもので、この明海小学校の場所のように一晩たってもまだ続くようなこともある。そしてその土砂が抜けてしまった分、地表の重い建造物は沈んでいってしまうのだ。

明海地区ではセブンイレブンが、富岡では交番が正に沈んだ。新浦安駅前の正面階段やエレベーターは地面との平仄が合わなくなり使用不能となり、マンホールが道路から1mあまりも飛び出したなんて場所も何箇所もあった。ディズニーランドもこの影響で休園。噴出した大量の土砂の始末と修繕には莫大な費用と期間が必要で、今日現在まだ復旧には至っていない。

公益社団法人 日本河川協会主催の講演会「2011年の大津波による海岸被害と被災を免れた神社」を拝聴してきました。講師は財団法人土木技術センター常務理事・なぎさ総合研究室長の宇多高明氏。

この講演会では興味深いお話が沢山でありましたが、その中でも僕の興味を引いたものの一つは砂の大きさの話でした。

東日本大震災後の沿岸部の状況をつぶさに調査して回られている氏は、地震前の調査結果と比較して、海岸の砂の質によっても被害の規模が段違いになっていることを指摘していた。砂の大きさは以下のように分類されており、どの海岸がどんな質になっているのかが把握されており、それが地震後どうなったかを調べたというのだ。

極粗粒砂 very coarse sand 2~1mm
粗粒砂 coarse sand 1~1/2mm (1,000~500μm)
中粒砂 medium sand 1/2~1/4mm (500~250μm)
細粒砂 fine sand 1/4~1/8mm (250~125μm)
極細粒砂 very fine sand 1/8~1/16mm (125~62.5μm)
粗砂(2~0.2mm)と細砂(0.2~0.02mm)に分ける場合もある。
粒径が2mm以上のものを礫、1/16mmより小さいものを泥(粘土とシルト)という

粒度が細かい砂で構成されている海岸の砂ほど今回の津波で持っていかれた傾向があり、細かい砂は内陸に運ばれ地層のように広い範囲でばら撒かれた。

一方で粒子の大きな砂で構成された海岸は津波被害の影響がない、或いは復元力があって直後から回復してきている。この違いは後々二次災害的な影響として顕著になってくるだろう。

海岸によって砂の大きさが違う?復元できる場所と出来ない場所がある?復元してきている場所の砂は一体どこからやってきているというのだろう?話されていることはわかっても、意味が全然わからない。

砂はどこからやってきてどうなっていくのだろう。

「砂 文明と自然」正にそんな心の隙間にはまり込むために送り込まれたかのような一冊。

まるで生きているかのように集まり、意志をもっているかのように流れ、移動していく砂。そんな砂の動きを科学的な見地で明らかにしてくれるばかりか本書は地球規模で営まれている砂の誕生から岩に戻るまでの再生の物語を語るかと思えば、そして砂に翻弄されていく我々人間、そこから生まれてきた歴史、文化。ボルヘスの本やスターウォーズのタトゥイーン等など、砂にまつわる思いかげない程の裾野の広がりをみせてくれる本でありました。

著者もまた砂に魅せられた人のひとり。ウェブサイトもなかなか楽しそうな気配です。

http://throughthesandglass.typepad.com/

そうそう、子どものころ、僕の家には小さいけれど砂場があった。父親が何を思ったのか友人の砂利屋さんから小型トラックで砂を買ってくれたのだったということを思い出した。会社につれていかれて、小山に積まれた砂や砂利を見せられて、この砂にしようなんて決めて帰ってきたのだった。

届いた砂を近所の友達と一緒に夢中になって掘ってダムを作り、水路を作って水を流してなんて延々と遊んでたっけ。記憶のひだの奥にしまいこまれてついつい思い出されることがなかったこんな日々を蘇らせてくれたというのがこの本の一番の収穫でありました。

あ、自分のことばかりになってしまいました。




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アンダーワールド(Underworld)」
ドン・デリーロ(Don Delillo)

211/12/11我が家は週末、映画やライブのDVDを家族揃って横目で観ながら晩御飯を食べている。初めて観るものだと食事や会話にならないので流すのは、もう何度も観ているものばかりだ。

面白い映画というものの定義はいろいろあると思うが、その一つに繰り返し観るに耐えられるかどうかというものがあると思う。何度観ても面白い。これは簡単なことではない。

我が家にあるDVDには二度観られないのもあれば、長いお休みから偶に呼び出されるもの、頻繁に観ているものがある。毎週末の晩御飯時に繰り返し流される作品は実は淘汰されて絞り込まれた結果だ。

そんな淘汰の力の下で長く間生き延びている一本に「パルプ・フィクション」がある。これを晩御飯食べながら子どもたちと観ているのってどうなの、という部分はあるかもしれないけれど、ヴィンセントとミアが食事に出かけるお話はそれこそ何度観ても面白い。のだ。

「パルプ・フィクション」は時系列が作為的にシャッフルされている。これ以前に僕はこのような映画や本に出会ったことがない。初めて観たときにはびっくり仰天。正にスクリーンに釘付けになったものだ。

タランティーノの狙いは物語と物語、登場人物と登場人物の繋がりが一体どうなっているのか、観客は目を皿のようにして映画の端々にあるハズの手がかりを求めて夢中で観るだろうということだった。と思う。

最後に全体がつかめて漸く観客は納得感を得る。しかし振り返って見ればその全体像は「パルプ・フィクション」。一体自分は何を握らされているのかと思えば「犬のクソ」のような話である訳で、なんだこりゃ、一体となり、一杯喰わされたということに思いがおよび、ちくしょうとすら思う。しかしやがて腹の奥底からこみ上げてくる薄ら笑いを押さえきれなくなる。そしてもう一度観なおそうという気にさせてしまうという次第だ。それがこの映画の面白さの真髄と言わずしてなんと言おう。

仕事もしないといけない週末にこんなことを書いている場合でもないのに、なんでだらだらこんな話を書いているのか。それは今回取り上げようとしているドン・デリーロの「アンダーワールド」もまた意図的に時系列をシャッフルして物語が紡がれていたからだ。

「アンダーワールド」は1951年10月3日、ブルックリン・ドジャーズとニューヨーク・ジャイアンツのプレーオフ第三戦。ニューヨーク・ジャイアンツの奇跡の逆転ホームランに人々が陶然または呆然となった日から幕を開ける。

この日はまたソ連が核実験に成功した日でもあった。熱狂するポログラウンド球場にフランク・シナトラらと観戦に訪れていたFBI長官エドガー・フ-ヴァーがおり、そこにその第一報の知らせが届けられていた。

この日を境に新しい時代が幕を開いた。米ソ冷戦時代のはじまりだ。

高く打ち上げられたホームランボールは外野席に吸い込まれるがそのボールの行方は誰もしらない。いやそのボールを持っているものしか知らない。らしい。

ソ連の作った核爆弾の中心部分は完全に大リーグの野球のボールの大きさと一致しているという。

消えたホームランボール。廃棄物処理業者、廃品を使ったアーティスト、兵器開発担当者、グラフィティ・アーティスト、映画プロデューサー等の数多くの登場人物。どうやら登場人物たちはそれぞれどこかで何かに繋がっているらしい。読者は「パルプ・フィクション」同様、この登場人物たちの相関を求めて、四苦八苦しつつ文脈を辿らされていく。しかし、難しい。注意深く読んでいかないと、誰が誰で、それぞれの関係を頭の中で再構築するのは難しい。

そして、ニューヨークの大停電があり、キューバ危機があり、JFKの暗殺がある。

発掘されたというセルゲイ・エイゼンシュテインの幻の映画は謎の光線によって体の形態を変質されてしまう人々が描かれており、それは放射能に襲われる人々を予見させるものだった。レニー・ブルースは「みんな死んじまうぞー」と大声で連呼している。人々は目に見えないものに怯えつつ謎と陰謀の渦巻く世界へと否応なしに押し流され飲み込まれていく。

大勢登場してくるキャラクターたちはみな断片的で朧げで影のような存在だ。そんな影たちが折り重なって濃くなっていく部分にみえてくるのは彼らの繋がり。それが実は怪しげな「ウワサ」のような実体のないものだったりする。つまり大勢が交錯しているこの影の濃いところには実在するのかどうかわからない空虚があるのだ。

人々は実体や事実よりも寧ろ雰囲気とかそうらしいとかいうウワサのようなものに追い立てられて生きていくものなのだろうか。

JFKが狙撃された瞬間を捉えたザプルーダー・フィルムを一コマ一コマ拡大し人々が目を皿のように見つめても影の部分や画面の外側にいる世界を見ることはできない。

最新の宇宙論の考え方の一つに、時空とはそれ自体が一つの実在として在り続けるのだというものがあった。時空はまるでアニメーションのセル画を重ねたような形で実在し、宇宙誕生の瞬間から終焉を迎えるその時までが完全な実在として存在し続けるのだという。

もしこの宇宙の時空を超えた世界からこの世界の実在を眺めることができたら、JFKを撃ったやつがだれでどこに居たのかなんてこともみれるはずだ。

しかし僕達の生きている次元ではそのような視野を持つことはできない、過去は全てあますことなくゆるぎなく実在しているとしても、僕達はそれを知ることはできないのだ。

僕らは紛れもなくこの時間のなかの一瞬一瞬を生きている訳だが、全体を俯瞰する能力はなく、一瞬先も見えなければ、過ぎ去っていった時間についてはどんどん忘却の地平線に向こう側へ消えて云ってしまう世界に生きている。今この瞬間についてはなんの曖昧さもなく明晰であるようで、実は現在と過去、未来の境界線はやはり曖昧でおぼろげなのだ。

そして「アンダワールド」の世界はループし始める。始まりもなければ終わりもない。実在と虚無の間を行き来する。その世界観は現実の僕らの世界へと染み出してくる。

すごい大技を決めてきたこの「アンダーワールド」読んでみないとわからないこの世界観。上下千二百ページの超重量級の一品ですが挑戦する価値はあると思いました。


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「ボディ・アーティスト」のレビューはこ ちら>>




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パナマ運河 百年の攻防
〔1904年建設から返還まで〕
)」
山本厚子

011/11/27:著者の山本厚子氏はラテンアメリカ等で民間・政府国際プロジェクトの技術翻訳者、通訳をしてこられた方なのだそうで、1979年からパナマでも仕事していたのだそうだ。

その時の経験から「パナマから消えた日本人」を上梓し、野口英世に惹かれ調査取材し続け本を出している。野口英世もまたパナマで黄熱病の病原体発見のため研究活動を行っていたのだった。

ここ数年僕は水門・閘門に興味を持って自転車を踏んで近所の運河を巡る生活が続けてきた訳だけど、身近な自力で行けるような場所ばかりを見ていて、水門や閘門を通してよその地域を見てみようなんてことは考えたことがなかった。

「パナマ運河 百年の攻防 1904年建設から返還まで」というタイトルは、そんなことから一瞬にして僕の目を引きつけた。パナマ運河の建設経緯について自分はまるで知らないじゃないか。世界三大運河というと、キール運河、スエズ運河、パナマ運河なのだそうだ。キール運河はドイツユトランド半島を98キロ。スエズ運河は地中海と紅海を結ぶ193キロ。パナマ運河は太平洋とカリブ海を結ぶ80キロ。これらの大運河は国際関係・通商関係における重大な調整事項の元に建設計画が進められ意思決定されたものであるはずで、その経緯を知ることは当時の世界史にとっても重要なファクターになっているものだと思う。

本書をひらくと、まず飛び込んでくるのが、2000年パナマ沖の真珠諸島の島のひとつサンテルモ島の海岸に国籍不明の朽ち果てた小型の潜水艇が打ち上げられたという話だ。この情報はパナマの情勢に詳しい山本氏に外務省から入ったもので、外務省担当者によればこの潜水艇はもしかすると旧日本軍のものかもしれないのだと。

旧日本軍の潜水艇がパナマ沖で活動をしていた?ますますこの本の先が気になるじゃないですか。本書は建設当時から敗戦まで日本がパナマ運河と強く結びついていた歴史を垣間見せてくれる思いも寄らない展開をみせてくれました。


目次

プロローグ

第Ⅰ部 パナマ運河をめぐる諸列強
第1章 太平洋と大西洋をつなぐ運河をどこに
サムライ姿に驚くパナマ人たち
地峡ルートはダリエンから
スペインに替わってパナマ支配に乗り出す米国

第2章 パナマ運河の建設
フランスによる建設の失敗
10年かけてアメリカが運河を完成する
運河建設に参加した日本人、 青山士
アルゼンチンの軍艦モレノ (日進)、 リヴァダビア (春日)
ラテンアメリカで最初のメキシコ革命が勃発
山本五十六がメキシコの油田地帯を視察

第3章 大戦間期のパナマ運河
ワシントン会議
太平洋で利害が一致する英・米
潜水艦隊で劣勢を補う
ロンドン軍縮会議
アジア大陸の混迷
日・独・伊三国同盟が結ばれる

第4章 1930年代、 緊迫するパナマ情勢
小型潜水艇の正体は謎のまま
スパイに間違われた日本人たち
ルーズベルトの防衛政策とパナマの国情
ヒトラーが南米大陸の制空権を獲得する
アストリア号訪日に寄せた日米関係修復への期待
運河閉鎖で緊迫する日米関係


第Ⅱ部 パナマ運河爆破作戦への道
第5章 真珠湾に配備された日本の潜水艦25隻
解読されていた日本の暗号
山本五十六連合艦隊司令長官の誕生
国際諜報網によるスパイ作戦
真珠湾に配備された日本の潜水艦25隻
米国の西海岸を砲撃する
ドイツはUボートで大西洋側から米国を攻撃

第6章 山本五十六暗殺指令を出した米国大統領ルーズベルト
ラテンアメリカ諸国は日本へ宣戦布告する
深海で実現されたドイツと日本の物資交流ルート
奇人参謀・黒島亀人と二人三脚
ブーゲンビル島で山本長官は暗殺される
「聖戦」 のために日本は潜水空母計画を復活


第Ⅲ部 パナマ運河をめぐる日米の攻防
第7章 パナマ運河爆破作戦
パナマ全土はアメリカの基地となる
急ピッチで建造された巨大潜水空母4隻
潜水艦に搭載される攻撃機は 「晴嵐」 と名付けられる
日吉に移った連合艦隊司令部
石川県、 七尾湾で攻撃訓練を行なう

第8章 作戦変更と巨大潜水空母の最期
パナマへの出撃を待つ潜水艦隊
ガトゥン閘門を死守する米国軍隊
米国の収容所に監禁された日系人たち
巨大潜水空母の目的地は南方に変更
有泉龍之介司令官は船上で自決
巨大潜水艦3隻は拿捕され横須賀港に

エピローグ ――戦後のパナマ運河
戦後のパナマ運河
それぞれの戦後
米国の関与はつづく
第三閘門建設計画
パナマ運河の未来と日本


参考文献
パナマ運河関連年表 (1501-2010)
あとがき
主要人名索引



パナマ運河は太平洋とカリブ海を結ぶ80キロの運河で最小幅91m、深さは一番浅い場所で12.5m。これが開通することで船はマゼラン海峡などを回りこむ必要がなくなり効率は格段に改善される。しかし難工事と資金難に加えてマラリアの蔓延などが重なり計画放棄される事態となる。この頓挫した計画をアメリカ合衆国が拾って再開し10年という歳月をかけて1914年に開通したものだそうです。


このパナマ運河建設という一大プロジェクトに沸くパナマには日本人も大勢流れ込んでいた。南米大陸に入った日本人が仕事を求めてパナマにも漂着していたのだ。




そしてそれ以外にも先に述べた野口英世が研究のために現地に入っていたり、博物学者の南方熊楠が採取調査で入り込んでいたりしていることに加え、運河建設に参加せんと志願して現地へ向かった青山士や列強の動きを把握せんと山本五十六が視察に来ていたり、諜報機関「東」の息がかかっているらしき人物などが出入りしていたという。

僕の親類には満州帰りの大叔母や、ブラジルへ移民する予定だったという叔父がいたっけ。満州ばかりか南米に対する移民も日本は国策として推進していたものだった。

パナマ運河の建設と開通、そしてその主導権をどこが握るかについては日本でも重大な関心を寄せていたという訳だ。

このあたりの経緯も本書では大変な読みどころになっているので詳しい経緯は省く。

1922年、ワシントン会議で日本は海軍の主力艦の比率をアメリカ・イギリスに対して10対10対6という制限を課されてしまう。この制約に対抗すべく編み出されたのが次の三点。

(1)超大型の戦艦を造る
(2)潜水艦隊を活用する
(3)航空部隊を増強する

でこの(1)の超大型というのがパナマ運河のサイズに基づくものになっていた。パナマ運河の最小幅は91mとなっているが、そこに設置されている閘門は32.3メートルしかない。この運河を航行できる船のサイズはこの32.3メートルに制限されてしまう訳だ。これを一般にパナマックスというのだそうだ。

日本海軍はこのパナマックスを前提に建造された戦艦に対抗できる超大型戦艦を開発しようと考えたのだ。相手の主力砲では届かない距離から攻撃できる大砲を積むという訳だ。こうして造られたのが大和とかなのだろう。そして(2)こちらは潜水艦技術に先行しているドイツと手を結び、水上排水量1000トン以上の一等潜水艦「伊号」の開発に着手する。この伊号は別称潜水空母とも呼ばれるもので、攻撃型爆撃機3機を搭載し、地球を一周半できるというもので、こちらも実際に完成していた。

1943年、敗戦色が濃厚になりつつある戦況下のラバウルで山本五十六が搭乗した機は、暗号解読しこれを追跡していたアメリカ軍によって撃墜される。山本五十六の懐刀として真珠湾攻撃や特攻攻撃などの作戦の発案を行ってきた黒島亀人は、この山本五十六の死に報いんと計画を作ったのが伊号によるパナマ運河の攻撃だったという。

しかし実際この攻撃は幻として消えていく。戦況が逼迫してきたことからパナマどころではなくなってしまったからだ。

アメリカ合衆国も勿論パナマ運河の通商上の重大性は把握しており、戦時からの防衛は勿論だが現地の日系人に対する警戒も怠らず、最終的には彼ら移民たちをすべて収容所へ、国外へと追放していく。山本氏の著書「パナマから消えた日本人」はこのあたりの事情に更に踏み込んだものになっている模様だ。

そして戦後、パナマ運河の重要性は戦略的なものから、経済的なものに移行していくが、その重要性は寧ろ増してきた。そんな背景からアメリカのパナマ侵攻が起こっていく。戦後の歴史について本書は残念ながらとても駆け足となってしまう訳だが、戦中の出来事も踏まえてパナマの反米意識や、日本人・日本企業の撤退が我々日本人の視野からパナマの情勢がみえにくくなってしまった経緯について目を向けさせてくれている。

パナマ運河は1999年12月末、パナマ共和国へ完全に返還された。パナマではその日お祭りのような騒ぎになったという。そして現在年間1万3千隻の船が航行。パナマックスの拡張という大工事も進行中で、この工事入札に日本はアメリカと組んで対応し敗退したのだそうだ。

やはり南米の近代史はもっと腰をすえてお勉強する必要がありそうですね。




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CIA秘録
(Legacy of Ashes: The History of the CIA)」
ティム・ワイナー (Tim Weiner)

2011/11/23:著者のティム・ワイナーは記者として30年近くもの間国防総省などの取材を続けてきた人なのだそうだ。政府の公式文書、インタビュー等によって収集し積み重ねてきた情報に加え、機密保持をとかれ公開された文書などを再構築することで秘密のベールの向こう側に隠されてきた歴史に光をあてる形で紡ぎだしたのが本書「CIA秘録」だ。その内容の緻密さと正確さは政府関係者をも驚かせるものがあったという。そしてさらにびっくりなのは、この本の内容には伝聞や匿名のリーク、憶測の類がまったくないというところだ。

上下二冊かなりのボリュームである訳だが、その中身は相当の駆け足にも関わらずかなり濃厚。CIA創設前から現代までの外交・国際関係がめまぐるしく展開していくのについていくのがなかなか大変なものがありました。

日本語版には、2章追加になっているそうで、一つは第46章の「経済的な安全保障のためのスパイ」日米自動車交渉であり、もう一つはおそらく第12章「別のやり方でやった」自民党への秘密献金だと思われる。

本書を読んで、何に驚くのかは、読み手側が何を知っていて、どんな前提に立っているかによって違ったものになるだろう。勿論僕もあちこちでびっくり仰天した。例えばCIAが「ウルトラ」という薬物などを使った尋問・拷問を開発するプロジェクトに先行して実験的に行っていた最初の例の一つが、北朝鮮のスパイ容疑者に対するものでCIAは日本の基地の施設を勝手に徴用してやっていたなんて話がこそっと出てきたする。これはもう立派な戦争犯罪だと思うのだがそれを日本の基地で?

とか、


 ソ連はシベリアから東ヨーロッパまでの天然ガス・パイプラインを建設しようとしていた。その圧力計と弁装置を制御するコンピューターを必要としていて、そのソフトウェアをアメリカの公開市場で探した。アメリカ政府は売却の申し入れを断ったが、ここなら貴殿がほしがっているものを持っているかもしれない、と抜け目なくカナダのある会社を紹介した。ソ連はそのソフトを盗み出すため、「Xライン」の情報部員を送り込んだ。CIAとカナダ側は共謀してソ連にまんまといっぱいくわせる。数ヵ月間、盗み出されたソフトは申し分なく動いた。ところが、次第にパイプライン内の圧力を上昇させた。そしてシベリアの荒野でパイプラインは爆発し、ソ連は何百万ドルという無視できない損害をこうむった。


それにしてもひどい話だ。

なんて話がぞろぞろと出てくる。

そしてなんと言っても圧巻なのはJFK暗殺事件の捜査に絡む問題だ。これを書くとこれから読む人の読書を重大に妨げることになってしまうので書きたいのだけど踏み込まない。ほんの触りだけ述べればCIAが行ってきた行為があからさまになるといろいろとまずい事態が起こってきてしまうため、事件の捜査を意図的に妨害していたというのだ。その実態を知ればなるほどな訳だが、改めてその実態そのものに目を向けるとそれはもう「ならず者」集団の行為といわずしてなんと呼ぶべきかというような極悪非道な行為な訳なのだった。

CIAは金をばら撒き、敵対する政府勢力を挫折させる、転覆させるために、国内外のギャングやマフィア等のならず者を雇ったり、メディアを買収して操作するなど、手段を選ばずやれることは何でもやってきた。本書を通して読むとその醜くい足取りがまざまざと浮かび上がってくる。

しかもまたそのCIAが展開する作戦は夥しい失敗の連続なのだ。

1949年、イギリスと手を組んで実行したアルバニアの反政府勢力への支援活動では、訓練しパラシュート降下で送り込んだ工作員がことごとく捕まるか殺されるかした。

何度やってもうまくいかないのは、CIA本部で秘密工作の安全に責任を持ち、二重スパイ防止の監視者であったジェームズ・J・アングルトンとイギリス諜報機関のキム・フィルビーが友人同士で情報を交換していたことによるものだった。ご存知の通りキム・フィルビーはソ連のスパイだった訳だ。降下作戦は先方に筒抜けだったのだ。

ソ連の暗号解読を行っていたアーリントン・ホールの中枢部のメンバー、ウィリアム・ウォルフ・ワイスバンドは実はソ連が送り込んだスパイで、朝鮮戦争勃発の前夜、正にこのワイスバンドの活動によりアメリカの通信諜報は壊滅。朝鮮の向こう側で中国やソ連がどんなことを考えているのかまるでわからない状態となったまま戦争へと突入していくことになってしまった。

こんな話もぞろぞろと出てくる。これら諜報活動の失敗に関する情報は或る程度既知のものである訳だが、こうして時系列で並ぶと或る意味壮観ですらある。

国内外に嘘をつき続ける。大統領を騙し、最終的には大統領自身にも嘘をしゃべらせるのだ。


 CIAの網領によれば、秘密工作はアメリカの関与が目につかぬように巧妙に行わなければならないことになっている。しかし、ウィズナーはそんなことはほとんど気にしていなかった。「作戦を実行すれば、中南米の人たちの多くがアメリカの関与を見て取るのは疑問の余地がない」とウィズナーはダレスに語っていた。しかし「アメリカの関与がはっきり見えることを理由に」「成功作戦」を縮小しようというのなら、「この種の作戦を冷戦の武器として利用することの是非に重大な疑問が投げかけられることになる。いかに挑発が大きくても、いかに有利な徴候があってもだめなのか、という疑問である」とウィズナーは主張した。アメリカが作戦に関与を認めない限り、そしてアメリカ国民の目から隠されている限り、作戦は秘密だと考えていた。


大統領が国民に対して平気で嘘を言うというのは最近のアメリカ政府ではお家芸のようなものになっている訳だが。

なぜCIAはこうした諜報活動に失敗してきたのだろう。ここからは全くの私見だが、このCIAの失敗にはそもそもアメリカが移民の国であったからだという面がありそうだ。

イギリスや中国、ロシアなどの古い国の人々はディアスポラ的に世界に拡散し、それぞれの国に漂着し文化的に溶け込みならが生活をしている人々が少なからずいる訳だが、アメリカは若い移民の国であるが故によその国のなかにこうしたネットワークがそもそも存在しない。また国内の文化的な面でも国外へ出ていこうという気運というか発想はあまりないのではないだろうかと思う。

彼らはグローバルなんて言っているけれども、進んで外国語を学んで海外の文化に溶け込むというよりも英語で自分達の文化を持ち出そうと考えるのが普通なのではないだろうか。故に第三諸国と彼らが呼ぶ国々の現地語をネイティブに話すアメリカ人なんて存在も殆どなく、こうした国々に対する諜報活動がそもそもできる人材がいなかった。

結果的にこうしたあまり良く知らない国に対する諜報活動は現地の人を金で雇い、雇った彼らの言うことをある意味鵜呑みにして進めていくことになってしまった。なかにはギャングやマフィアも可愛く見えるほどの人物、コンゴのモブツやチャドのハブレやノリエガなんて輩と手を結んでしまう。そして誤った情報に基づく誤った判断による杜撰でいい加減な作戦が失敗していくのだ。というかそんなのが巧くいく方がどうかしている。

そして誤った行動、暴力を伴う無分別な行動の結果が、新しい敵を生み出し暴力の連鎖へとつながっていく。

本書は第一級の歴史記録で読み物としては大変貴重で重要なものとなっていることは間違いない。しかし、本書を読む上で注意する必要もあるように思える。著者のティム・ワイナーもやはりアメリカの国益・大儀の実現のためには諜報活動は勿論のこと、他国への準軍事活動や要人やテロ組織の首謀者に対する暗殺はやむをえないものとして捉えているという点だ。CIAは失敗の連続で問題が多い訳だが、要するにもっと巧くやれと言っているという点を見逃してはならないと思う。

この暴力を伴う政策実行の対象となる政敵達がなぜアメリカの政敵なのかについて、本書では殆ど言及されていない点も気になった。一体なぜ彼らの政権がいけないのか。どうしてその政権を転覆させる必要があるのかが書いていない。人権蹂躙やジェノサイドを実行しているからだとかというものではなく、それは単に共産主義的であるからとか、親ソ連的であるとか、単にそこにいると邪魔だからといった理由に近いものがあるように思える。アメリカの国益に反しているというのが尺度である訳なのだった。

そしてもっと問題なのは何よりバレなければ何をしてもよいと考えていることだ。アメリカの国益のためには手段を選ばず実行してもよいと考える人間が政府におり、政策を進めてきたアメリカ政府の存在がどんなに異常な状態なのかということだ。著者はこの点についても特に違和感がない模様で、その反応は僕にとってやはりかなり不気味なものに読めてしまうのでありました。


ジョン・K・クーリーの「非聖戦―CIAに育てられた反ソ連ゲリラはいかにしてアメリカに牙をむいたか」も是非ご参照ください。記事はこちらからどうぞ

スティーヴン・グレイの「CIA秘密飛行便―テロ容疑者移送工作の全貌」も是非ご参照ください。記事はこちらからどうぞ

ロバート・ベアの「CIAは何をしていた?」も是非ご参照ください。記事はこちらからどうぞ




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荒野のホームズ
(Holmes on the Range)」
スティーヴ・ホッケンスミス (Steve Hockensmith)

2011/11/13:1892年のモンタナの春。二人の若者が地面から穿り出しているのは、牛の群れによって踏みにじらればらばらになってしまった人間の遺骸だった。

二人は兄弟。兄はグスタフ・アムリングマイヤー、26歳通称オールド・レッド。弟はこの物語の語り手でもあるオットー。通称ビック・レッド。

二人はバー・VRという牧場に二ヶ月前から雇われているのだが、その牧場で起こった事件について回想録的な形で物語は進んでいく。

バー・VRのオーナーはイギリスの貴族で牧場には不在。牧場は土地が50万エーカー以上もあり、3万頭を超える牛がいるとされているがそこで雇われている男はせいぜい10名くらい。そして徹底した秘密主義のベールに覆われていた。1886年から87年にかけてやってきた大寒波によってモンタナの大牧場の多くは大打撃を受けているなかで、このバー・VRの存在はとても胡散臭いものがあった。

オールド・レッドとビック・レッドは、父と兄を天然痘で亡くし、その4年後には洪水で母や妹、親戚が流されて二人っきりになった兄弟だった。以来二人はどこへ行くにも一緒に助け合って生きてきた。ビック・レッドは1年間だけ学校に通ったことがあるため、簡単な計算と字が読めるがオールド・レッドは父や兄の代わりに働きに出たこともあって非識字だった。

ある晩、兄にシャーロック・ホームズの「赤毛連盟」を朗読してあげたことが切欠でオールド・レッドはホームズのような洞察力を駆使した探偵になることをそれこそ天啓のように信じ、ことある毎に本を繰り返し朗読してもらっては学んだことを実践しだしていた。

バー・VRが2月という季節はずれに働き手を募集しようという話に二人が乗ったのは、何より手持ちのお金が底をついていたということに加え、このバー・VRには何か大きな秘密があるということをオールド・レッドは嗅ぎ付けていたからだった。

推理小説といえばコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ。その存在はあまりにも有名で知らない人はいないだろう。いつかちゃんと時系列でシリーズを読んでみたいとは思っているのだけれど僕は実は殆ど読んだことがない。子供の頃に「緋色の研究」を読んだくらいだ。本書のなかで取り上げられている「赤毛連盟」などの内容を熟知していたらもっともっと楽しめたのではないかと思う。しかし、シャーロック・ホームズのことをおぼろげにしか知らない僕でも十分に楽しめる内容になっていた。

俄仕込みの探偵願望をもったオールド・レッドとビック・レッドが潜入したバー・VRには確かに秘密とそして陰謀が渦巻いている訳で、二人はその事件に結果的には自ら望んで巻き込まれていってしまう。

また西部開拓時代とホームズの取り合わせは確かに異色なものがある訳だが、時間軸としては完全に同期しており、ホームズの事件は「赤毛連盟」が1890年。アムリングマイヤーたちはそこから遅れること2年ぐらいでこうした情報に接している訳だ。しかもどうやら彼らはホームズのことを実在の人物だと思っているっぽかったりする。

そんな訳でこの取り合わせは寧ろ実際の当時の現状に沿っているということができるものなのだ。

こちらの勝手な思い込みとして、ランズデールのような果てしない下品さがくわわったものになっているのかと変な期待をしていた訳だが、その線ではとても大人しい或る意味お行儀のよさすら漂うところはやや食い足りないものがありました。しかし物語の構成も、伏線の張り方もかなりの手練手管。なかなかに読ませるものがありました。

この荒野のホームズはシリーズ化され現段階では長編が5冊。

"Holmes on the Range"   2006  本書
"On the Wrong Track"    2007 「荒野のホームズ 西へ行く」
"The Black Dove"      2008
"The Crack in the Lens"   2009
"World's Greatest Sleuth!"2011

そして短編が6冊

"Dear Mr. Holmes"             2003
"Gustav Amlingmeyer, Holmes of the Range" 2005
"Wolves in Winter"             2006
"Dear Dr. Watson"             2007
"The Devil’s Acre"            2008
"Greetings from Purgatory!"        2009

1作目の"Dear Mr. Holmes" は兄弟が初登場する物語になっている模様だ。日本でもかなり好評だったようで、是非シリーズ全部ちゃんと出版されることを期待したいですねぇ。

「荒野のホームズ、西へ行く」のレビューはこちら>>




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続・墓標なき草原――
内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録

楊海英

2011/11/06:現在ダライ・ラマ14世が来日し、被災地を訪問し犠牲者の冥福を祈るとともに遺族たちへの慰問を行っている。

ダライ・ラマがチベット密教の最高指導者として未曾有の被害にあった東日本大震災の被災地に対する慰問という行為はなんら政治的意図のないものとみるべきものなのだろうと思う次第だが、中国政府はダライ・ラマの動きを牽制したり、日本でも自由報道協会と、まぁなんと言っていいのかわからないけども従来からの報道機関というか、それ以外の人たちの間でひと悶着起きてしまったりと、何かとダライ・ラマ本人の本来の意図とは全く違ったところで扱われてしまうのがなんとも残念である。

中国政府がダライ・ラマの動向に神経質なのは、中国が1950年に人民解放軍によってチベットを制圧、自国の領土としたことから動乱が起こり、最終的にはインド北部逃れた人々はともに逃れたダライ・ラマを長とする所謂チベット亡命政府を樹立し、中国政府の行った人権蹂躙等の行為に批判を行っているからだ。

ダライ・ラマの言動が中国国内の自治州に暮らす少数民族の独立気運を後押しし、反政府活動につながることを恐れているのだ。

英国に本部を置くチベット支援団体「フリー・チベット」らよれば、中国の抑圧に抗議する焼身自殺が相次いでおり、国慶節を迎えた先月、10月17日には四川省で二十歳になる尼僧が焼死したと伝えている。こうした行為が引き金になり、あちこちでデモも起こっている模様だ。

さて、本書は「墓標なき草原」の続編。前作を上梓した後に得られた情報やそれに基づく取材の結果をまとめたものだ。

前著では、漢民族は中国政府の後押しにより、モンゴルの平原へと侵入し、文化大革命の名の下に遊牧民達の平原を強引に農地化し、モンゴルの有力者や知識人たちに対するジェノサイドを行ったことがまざまざと描かれていた。その非道さは本当に目を覆うようなものばかりだった。

中国共産党のやり口は巧妙かつかなり徹底したもので、僕にはこうした非人道的な弾圧が前時代的な出来事ではなく、近代に入った後で起こったということが簡単に信じることが出来ない程だった。

本書で新たに集まった情報もまた、前著に負けず劣らず陰惨で心が締め付けられるような暴力の連続であるわけなのだけれど、また更に重要なこととして、このモンゴル人たちに対する弾圧は現在まだ続いていると本書では主張している点だ。

文化大革命以前から、漢民族はモンゴル人のことを全く信用しておらず、弾圧の先頭を切ってきた連中はモンゴル人のことを根絶やしにすることを望んでいるかのような言動を繰り返していたという。

確かに当時のような虐待や私刑のような暴挙は止まったが、中国政府は正式にそうした過去を清算したことはなく、ジェノサイドについてもきちんと調査をしてきていない。

更に近年、中国政府はそれまで「民族」と呼んでいた少数民族たちのことを、「エスニック・グループ(Ethnic Group)」と呼ぶようになってきたという。「モンゴル民族(Mongol Nation)」や「チベット民族(Tibetan Nation)」と呼ばれていた人々のことを「エスニック・モンゴル(Ethnic Mongol)」とか「エスニック・ティベタン(Ethnic Tibetan)」と。そして中国には55の少数民族がいるとされているが、彼らのことを総称して「エスニック・マイノリティ(Ethnic Minorities)」と呼ぶのだそうだ。

こうした表現の置き換えは心理的な意味で少数民族の属性を落として中国政府に属するものであるという刷り込みを図り、長期的に少数民族の漢民族への併呑を狙ったものだと本書は訴えている。

つまり中国政府による民族浄化は今も続いているのだという。

前著の記事でも触れたが、日本は日中戦争や満州事変、そして南京虐殺事件などの歴史的背景を踏まえて、こうした中国国内の少数民族への弾圧に対して敢えて何かを言ったり行動に移したりする気配は全くといってない。

こうした国際社会の無関心さは、中国政府が自由に動きやすい状況を作り出してしまっているとも本書では述べられていた。耳の痛い話である。現代社会で、こんな不平等で不当で非人道的な行為は許されることではない。それは中国政府だけではなく、中東でもイスラエルでもアメリカ国内であってもだ。

こんな時代錯誤的な、力で抑え込むような暴挙を許してはならない。我々市井の市民がきちんと政府にノーというべきなのだ。我々がきちんと意見を表明し、手を結び合って、自分達ができること、ボイコットや不買運動、署名や集会などを地道に繰り返すことで、彼らの動きが牽制できるかもしれない。

中国の55の少数民族が自決権を持った国家を樹立するのは無理にしても、不当な弾圧を禁じ、彼らの主権を守る手伝いをしてあげる。ガザの孤立化をとどめ、イスラエルの強引な入植活動にストップをかける。アメリカ政府の行っている反アメリカ的な中東諸国へのならず者的な暗殺や弾圧だって、好き勝手には進められなくすることだってできるのではないかと思うのだが、皆さん如何なものだろうか。




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江戸の自然災害
野中和夫

2011/11/05:浅間山が噴火したことから土石流が江戸に被害をもたらしたらしいということを知り、いろいろ調べようと思っているのだけど、なかなかはっきりした資料に行き当たらない。天明の大飢饉の原因となったらしいというお話もあるのだけど、どうもこの飢饉は噴火よりも前に起こっているらしいとか。

浅間山が噴火したのは天明三年(1783年)、小噴火から鳴動、降灰と小休止が春から三ヶ月ほど続き、7月には火砕流に引き続き大噴火を起こした。「鬼押し出し溶岩」と呼ばれるものだ。これが土石流を発生させ、利根川、江戸川を流れ下り太平洋にまで達したという凄まじいものだったようだ。

江戸では多くの遺体が流れ着いたという記録もある。

浅間山は世界でも有数の活火山であり、本書でも指摘しているように東京のような大都市にして200キロ圏内に複数の活火山があり、なかでも富士山からは100キロ、浅間山からは140キロという位置関係にあるというのは世界でも例がないのだそうだ。

宮城県の蔵王のお釜が噴火した噴石は青森まで500キロ以上も飛んだという記録もあるというのにだ。

にも関わらずそうしたことに触れた本がなかなか見つからないというのはまた一体どうした訳なんだろう。僕の探し方が悪いのだろうか。

本書ではこの浅間山の噴火で埋もれた嬬恋村での発掘で鎌倉堂石段の最下段に当時のまま埋もれた被害者の人骨が発掘されたなんて記事も紹介されていた。

こうした地道な研究も勿論大切だし、そこから得られた情報を役立てていかないと悲劇を繰り返すことになってしまうことを今年日本人はまざまざと学んだハズだ。

本書は僕にとって貴重な浅間山の歴史に触れるものがあったわけだけれど、残念ながら極々僅かであり、もっと頑張って探して調べていきたいと思う。

本書のテーマはもっとずっと広くて、江戸時代に群発した地震被害と風水害、そして江戸時代は、浅間山ばかりか富士山も噴火したのだ。

【目次】
第一章 地震と江戸(記録にみる地震日数の推移と大地震の発生/元禄大地震と江戸/安政江戸大地震)

第二章 風水害と江戸(記録にみる江戸の風水害/享保二年八月の大風災/四点の大工手間(本途)史料にみる基準値の作成と時間的変遷/寛保二年の大水害)

第三章 噴火と江戸(富士山の噴火/天明三年浅間山噴火の史料と遺跡)

第四章 江戸の自然災害における地球科学的背景(江戸の地球科学的な立地条件/なぜ江戸の地震は大震災になるのか/江戸の水害の背景/富士山と浅間山/江戸の自然災害は東京の自然災害)

そしてその著者

第一章三
安藤眞弓 
日本大学通信教育部インストラクター

第三章二
大塚昌彦
渋川市教育委員会文化財保護課

第三章一
小野英樹
河津町役場

第四章
橋本真紀夫
バリノ・サーヴェイ株式会社 調査研究部長

矢作健二
バリノ・サーヴェイ株式会社 調査研究部分析センター 岩石鉱物グループリーダー

上記以外は
野中和夫
日本大学講師


こうした様々な災害に起因する家屋や城、橋・運河や治水施設などの倒壊や焼失、江戸時代は災害と戦う日々でもあったのだ。


 安政の江戸大地震のおきた安政二年(1855年)頃の日本列島は、地震の多発した時期であった。二年前の嘉永6年2月2日(1853年3月11日)には関東の小田原付近で、翌嘉永7年6月15日(1854年7月9日は伊賀、伊勢、大和近辺で、同閏7月5日(8月28日)陸奥、三戸、八戸で大きな揺れを感じており、11月4日(12月23日)の地震は東海・東山南海諸道にまで及ぶ、現在では安政東海地震と呼ばれている大地震であった。この時の死者は3000人前後であったという。直後の11月5日(12月24日)におきたのは畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道を中心とした安政南海地震で、この地震の被害は九州まで広がり、死者の数も数千人規模の広がりを見せた。11月7日(12月26日)伊予西部、豊後で、安政二年に入っても、各地でマグニチュード6以上の大地震が確認されている。これらの被害は、関東、関西を中心としてほぼ日本列島全体に被害が及んでいた。


災害復興にかかる費用や人的損失に疲弊し弱体化している江戸湾にペリーが軍艦でやってくるのである。ペリーがやってきたのは1854年1月16日。日本列島が地震で正に揺れに揺れているときにやってきたという訳なのだった。

この時期、ロシアからやってきた軍艦ディアナ号は駿河湾で地震による津波で沈没するというような事故も起こっていたのだそうだ。

この切り口で江戸を描いたらこれはかなり興味の沸く内容になるのではないだろうか。しかし、残念ながら本書は江戸の普請やら、ご門橋の屋根瓦の大きさみたいな話に入り込んでみたりとあまり思う方向に走ってくれない。

歯がゆい。惜しい。勿体無い。




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戦争報道 メディアの大罪―
ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったの か

(Media Cleansing: Dirty Reporting Journalism
& Tragedy in Yugoslavia)」
ピーター・ブロック (Peter Brock)

2011/11/03:ボスニア、クロアチア、セルビアの話は遠く離れた僕にとってはあまりに込み入っており、それこそ聞きなれない地名で聞きなれない名前の人々が入り乱れて歴史の流れをたるのはとても根気のいる作業になってしまう。

縁遠い場所の悲劇というものは兎角そのような形でディテールとともに現実感が失われ日々の些事のなかに埋没して忘れられてしまいがちだ。しかもそれが今起こっていることではなく過去の出来事となればなおさらだ。

1986年にチェルノブイリ原子力発電所がメルトダウンを起こしソ連が崩壊に急加速し始め、ソビエト連邦軍はアフガニスタンからの撤退を表明。1989年にはポーランド人民共和国が崩壊。ベルリンの壁が破壊された。90年に入るとバルト三国が独立に向けてソ連政府と対立が生じ、91年にはユーゴスラビアからスロベニア・クロアチア両共和国が独立を宣言し、内戦状態へと突入していった。

ユーゴスラビアはナチス・ドイツへの抵抗勢力であったチトーをリーダーシップに立ち上がった国家だったはずだが、戦後左傾化したばかりか、そこからもさらに逸脱し続け、ソ連邦とも袂を分かちチトー主義とも呼ばれるファシスト的で閉鎖的な国家となっていく。そのユーゴはそもそもが多様化して対立を歴史的に繰り返した宗教・信条をもった人たちの集まりであった。

ソ連が、そしてチトーが蓋をがっちり押さえ込んできたその重しが外れ、一気にそれまで溜まりたまった心情を互いにぶつけ合う形で悲劇は起こっていく。ここでもう既に僕は物事の単純化を行い、相容れない価値観を持つ人々たちが必然的にぶつかり合ってしまうというような絵を描いてしまう。

ソ連の影響力が及ばなくなった場所に繰り返されるパターンは似通っている。どこも民族・宗教間の衝突と内戦だ。ソ連が撤退したあとのアフガニスタンには今誰が踏み込んでいるのだろうか。

小国は押並べて必ずどこかの大国の支配下に置かれなければならないものであるらしい。そして小国の支配は大国同士が直接戦うのではなく、小国のなかでどちらの大国に組したいと考える人々の間で戦われるのだ。

そして西側に対して抵抗するものたちはすべて狂信者やテロリストと呼ばれる。

 クロアチアやセルビアやスロベニアの人々の大半は戦争が始まることを恐れていたが、最大の恐怖はボスニア・ヘルツェゴゴナの動向だった。クロアチアとスロベニアには紛争が起こるだろう。問題はそれがどれだけ激しくなるかということだけだ。だがボスニアには狂気が襲うだろう。セルビア人が、500年に及ぶオスマン帝国の支配を生き延びるためにイスラム教に改宗したセルビア人と戦うことになるのだ。カトリックのクロアチアに対し、正教のセルビアという組み合わせも、同様に和解は困難だ。

 西側メディアは一般に、ユーゴの内戦は純然たる内戦であって、古来の宗教的対立ないし分裂に由来するものではないと反論してきた。報道機関は残虐行為の発信源はベオグラード、ザグレブ、サラエボの政治勢力にあると主張していた。

 だが、いかにうかつなバルカン専門家でも、南スラブ、特にカトリックのクロアチア人と正教徒セルビア人の長年の対立から、宗教の影響や介入を切り離すことなど考えられないと認めている。ジプシーの惨殺を座視し、教唆し、あるいは関与したことを忘れない世代の中に、あまりに多くの目撃者が残っていた。


新世界秩序のもとで、アメリカはその世界支配に抵抗する新興国に対し、かつてない破壊力をもつ大量殺戮兵器を完成しつつある。すなわち経済制裁で始まり、政治・社会の崩壊へとつながり侵攻と占領で終わるセルビア・モデルである。


いやいや一つ大事なものを忘れているだろう。それはメディアによる周到なプロパガンダだ。自分で書いている本のテーマを忘れちゃいけない。このメディアによる後押しというか見事に息のあった連携プレーがなければ、経済制裁も、紛争も軍事介入もすべて非人道的でグロテスクな殺戮行為に見えてしまう。それでは実態が西側の一般市民にバレてしまうじゃないか。

現地の無人機や超高高度から落とされるスマートな爆弾で消し去られる街や人々は関係ない。死んでしまえば新聞も読めないし、そんな連中はインターネットだって使えないからだ。

要なのはそんな現地の地獄のような実態について西側の人々に気づかれず知らずにいればよい。君達の平和は我々政府に任せておけば大丈夫という訳だ。

ユーゴ内戦では、当時のボスニア政府がアメリカの広告代理店「ルーダー・フィン社」とPR契約を結び、効果的なメディア対策をおこなった。そしてこのメディア対策の尻馬にのったジャーナリストたちが、戦闘が起こっている現地から遠く離れた場所から、政府が公表する情報を鵜呑みにして西側へ垂れ流したことから、その裏で進められていた残忍なセルビア人たちのジェノサイドがすっかり隠蔽された形で進んだという話だ。

本書の著者ピーター・ブロックは、こうした政府の提供するホテルに居座ってただ情報を垂れ流したジャーナリスト達を徒党(バック)ジャーナリズムと呼び名指しして非難している。なかには実はなんの証拠もない事件をもとに書かれた記事によってピューリッツァー賞を受賞した記者もいるのだという。

つまりメディアは死んだのだと。

このルーダー・フィンのPR活動というのもどこまでも不気味なものがある訳だが、その更に後ろにはジョージ・ソロスの名前も見え隠れしている。そしてなんとバチカンも。彼らはハンガリーやクロアチアをイスラム教徒や正教徒からカトリック教徒のものにせんとメディアを使って西側の世論を操作していた可能性すらあるというのだ。


 91年8月17日、ついにペーチェでハンガリー人とクロアチア人からなる汗だくの群集一万人の前に立った教皇は、クロアチアのクハリッチ枢機卿と5人のクロアチア人司教を情熱的に出迎えた。その発言は間違いなく、会場で話を聞き、あるいは国境のすぐ向こうでテレビの前に集まった400万以上のクロアチア人に対して、セルビア人とのさらなる対決を促すものだった。ペーチェのお膳立ては前日ブタペストでなされた。教皇はそこで、クロアチアに住む60万のセルビア人を含む少数民族の保護規定を廃止する、クロアチア憲法の改正案を支持したのだった。

 ヨハネ・パウロ二世は平和、赦し、寛容、暴力の放棄といったテーマを取り上げるのではなく、外交官の一段を前に---だが現実にはクロアチアの聴衆に向けて---「少数民族は自分たちが住んでいる国の憲法を受け入れなければならない」と述べた。それ以外の、平等の権利を訴える言葉はほんの付け足しにすぎなかった。


これはさすがに腰が抜けるようなお話だが、冷静に過去を振り返れば彼らがそのように動いていたことは寧ろ当然といえば当然で、座視していたとするならその方が不自然だとすら言えるものだ。ソ連の影が消えた政治的空白地帯に、経済的・武力支援と、宗教的指導者の後押しとメディアのプロパガンダをセットで流し込めば反対勢力の浄化は簡単に進めるということなのだろう。

そんな活動が進んでいる記述にはやはりズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Kazimierz Brzezi?ski)やデイヴィッド・イグネイシアス (David Ignatius)の名前が紛れ込んでいた。ブレジンスキーはポーランド出身。ソロスはハンガリー。彼らが目指すものは自分達の歴史を遡り自分達の祖先の国を復活させることなのだろうと思う。

僕らが住んでいる世界はそんな世界だということだ。

本書はユーゴ内戦で繰り広げられたバック・ジャーナリスト達の愚考、そしてその裏で糸を引く民族・宗教的信条を持った権力者達の意図を抉り出す内容になっている。しかしながら本の構成が非常に難解。文章もそもそもの文脈が乱れているのか、訳が悪いのか読解しにくいことこの上ない。

もっともっと磨けば鋭いものになったのにとつくづく残念でありました。

何より、数えられることもなく夜霧のごとく消し去られた人々の魂に救いが訪れんことを願って止みません。



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ルガノ秘密報告 グローバル市場経済生き残り戦略
(The Lugano Report:
On Preserving Capitalism in the 21st Century)」
スーザン・ジョージ (Susan George)

2011/10/22:野田政権はTPPへの参加に向けた動きが活発化している。野田首相はTPP推進論者なんだそうで、僕はこのTPP参加に関するニュースから逆引き的に野田さんのこの政治信条を知った。しかしなぜ推進論者なのかについては、ちょっと調べただけではわからなかった。

TPP、環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Partnership、またはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)は、加盟国の間での関税障壁を撤廃しようとするもので、その対象となるものは工業品や農業品をはじめ政府・自治体による調達(購入)、知的財産権、労働規制、金融、医療サービスなどにおけるすべての貿易障壁の撤廃をめざそうとする自由市場主義そのものだ。

様々な形で進められた近年の規制緩和を振り返ればそれが僕達の生活にもたらしたものがろくでもないことばかりだったのは明らかな訳で、つまり規制緩和も自由化もグローバル化も聞こえはいいが、結果的に自由になるのは常に企業側であり、僕ら一般人で被雇用者側からすると殆どの場合企業の都合でどうにでもなる弱い立場に追いやられることを意味すると思う。

農業の自由化なんて、自給率の低い我々日本の農業が農作物を輸出してこうなんて考え方が出てくること自体意味不明だ。日本が進める必要があるのは我々が美味しく食べている、そしてこれからも食べていく日本の農作物を作る農業を全力で守って維持していくことだと思うよ。

人件費の安い地域で作られた農作物は、例え遠くても高く買ってくれる市場へと流れ、人件費の安い地域では自分たちの作った農作物を自分たちで食べることができなくなり、人件費の高い地域では農業をやるメリットがなくなり農業が衰退してしまう。廃れた職業は職場もインフラもそして肝心なノウハウもあっと云う間に喪失し、二度と元に戻せなくなるのだ。

アメリカでは1%の富裕層が全体の40%の財を保有しているのだという。格差是正を求めてウォールストリートを占拠せんとデモが出た訳だが、これだけの格差を生んだのも自由市場主義者たちの推進した政策の結果だ。

しかしもっと状況が深刻なのは中南米や東南アジアであり、成果よりも弊害を生むことの方が大きいことがここまで明らかになってきた自由市場主義者は巨大隕石落下後の恐竜のような存在だと僕は思う。当時の恐竜たちは想定外の気象変動に入ったことに気がつく前に絶滅した。今の彼らも落ちてきた隕石を見たかもしれないがそれの意味するところがわかっていないのだ。

そんな状況になっているのに周回遅れでパーティーに加わろうとしているなんて愚の骨頂だ。にも関わらず一般市民の意識は薄い訳だが、これにはやはりメディアの後押し、政治家ばかりか日本のメディアもTPP参加に前向きだらかだと思う。

TPPに反対している議員がいるとか反対集会をしているなどといった報道はされてはいるが、肝心な推進派と反対派の意見そのものはほとんど報道されていない。

こんなニュースを読んでも一体何が議論されているのか見えてこない。これは敢えてそのような報道の仕方をしているのだろう。結果、一般の人たちの関心は薄くなり、上滑りした議論と数合わせの合議によって政策決定されていってしまうのだ。ほんとにこれは非常に危険なことだと思う。

さて、そんな懸念を抱えつつ読んだ本がこの、スーザン・ジョージの「ルガノ秘密報告 グローバル市場経済生き残り戦略」だ。

この本はスイスのルガノに、ある自由市場主義者たちによって秘密裏に作業部会として招集された知識人たちが、これから先、永続的に西欧社会が生き残っていく上でどんな戦略をとるべきかについて極秘の報告書という体裁をとって書かれたものになっている。出版されたのは1999年。

勿論書いているのはスーザン・ジョージな訳だが、敢えて真逆の立ち位置にいる架空の組織が書いたという形で語られるそのレポートは衝撃的な内容になっている。

それは現在の世界人口の動態を分析した結果、今のペースで人類が増え続ければ行き着く先は破滅しかないという見込みを前提に語られている。


 これだけの数の人間を地上に保持するためには、地球規模の「環境警察」や厳しい司法制度によって徹底した環境保護対策が実施され、尊守されることが必要である。だがそれでも地球上に80億~120億もの人間がいては、大規模な森林伐採や生物の生息地破壊、居住を不可能にする市街地の汚染、産業廃棄物による湖や海の死滅などを防ぐこはできない。止まることを知らない人口増加によって事態はさらに悪化し、ついには地球全体が荒廃し、破滅にいたるのである。


これを回避するために取り得る唯一の生き残り戦略は、人口削減。

人口を削減しながら我々の世界が目指すべきものとして挙げられているのが次の目標だ。

第一の目標---好ましい経済環境を創造すること
第二の目標---住むのに適した環境を保護すること
第三の目標---文明社会と西欧文化の永久的な存続


人口削減とこの目標を同時に達成するためにはどんなことを進めていく必要があるのか。そんな調子で本書は大量な人口削減を着実に進める方法の検討結果を淡々と語り始める。その冷徹さには背筋が凍るものがある訳だが、更に本書は災害なども利用できることは利用すべきだとまで言ってのける。それは黙示録の四人の騎手だと。

白い馬---征服
赤い馬---戦争
黒い馬---飢饉
青白い馬---疫病

こうした災いを底辺層で誘発させていくことで余計な人間を消滅させ自分たちが生き残っていくのだと。滅茶苦茶な話だが、荒唐無稽でそんなことを考えているやつなんている訳ないとはっきり言い切ることができるだろうか。仮に意図的ではなにせよ、一歩引いて今の我々の世界を鳥瞰すれば寧ろこのレポートが標榜したとおりの世界になっていることに寧ろ愕然とさせられるものがある。

では、僕らにはどんなことができるのだろうか。


 この報告書には三種類の読み方がある。第一は拒絶だ。「作業部会が提起した”世界最終解決案”は考慮するにはあまりに恐ろしすぎる。だから考えない」というもの。この種の反応をする人には、現実逃避主義者同士で現実逃避的な瑣末な議論を戦わせるままにしておく他ない。彼らに対して、私のできることはない。

 第二の読み方は、作業部会の結論が恐ろしいかどうか---私から見れば火を見るよりも明らかだが---ではなく、その結論に論理的必然性があるかどうかを問うというものだ。だがいっん作業部会の前提を受け入れてしまえば、同じ結論に達するのは目にみえている。

 そして第三の読み方は、結論は前提から導かれることを認識し、前提そのものを根本的に問い直すというものだ。


ここでスーザン・ジョージが提言しているものこそ、本当に大切なものだ。


 しかしここでは、いつも「何をすべきか」という質問をされるのを逆転して、ネガティブな提案から始めてみたい。第一は、「するべき」や「しなければならない」にとらわれ、「相手を責め立てればすむと考える」のをやめることだ。いくら正義や平等や平和に資することだからといって、「説明」しさえすれば相手が理解し、変化が訪れると考えるおめでたさには、腹立たしくも悲しくなる。善良で知性も十分あるはずの人たちが、権力者やその組織が、危機の重大性と緊急性を理解しさえすれば、たちどころに改心して非を認め、一瞬のうちに180度方向転換をすると思い込んでいるのだ。

 無知や愚かさはもちろん正さなければならないが、ほとんどの場合、物事がある方向に進むのは権力を握る者がそう望んでいるからに他ならない。


僕らが数と力を、そして同盟を結び立ち上がることこそ、我々にできる唯一のことだということだ。ネットワークを張り、互いに協力しあってこうした自由市場主義者たちのから本来の権力を奪い返すしかないのだという。

手をこまねいている場合ではない、全体主義に染まった世界で支配されて生きるか、世界を弱者である我々のものにするのか、それは二つに一つだ。
疫病、食糧そしてエネルギー、紛争、そして増え続ける人口問題。険しくも困難な道だが、不可能ではない。結束して彼らと戦おう。

そして必ずもっと別の解があるはずだ。スーザン・ジョージは勇ましくも賢い。彼女に続け。


「これは誰の危機か、未来は誰のものか」のレビューはこちら>>

「WTO徹底批判!」のレビューはこちら>>

「アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?」のレビューはこちら>>

「金持ちが確実に世界を支配する方法こちら>>

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ゴーストタウン-チェルノブイリを走る
(Ghost Town)」
エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ
(Elena Vladimirovna Filatova)

2011/10/16:ブログを振り返ってみると2009年2月16日の記事に僕はこのエレナのチェルノブイリの旅を読んで取り上げていることがわかる。

一体どんな経路でこのエレナのサイトに辿り着いたのかは不明だが、無人となったチェルノブイリの汚染地域をバイクで往くというやや無謀とも思える彼女の行為にびっくりした。

チェルノブイリ原子力発電所から半径250キロ圏内では2000を超える町が放棄され廃墟と化した。そして公式な検問所を事前に取り付けた許可証を提示してくぐるとそこから先は今後600年、人が住むことが出来ない死の地域だ。

誰もいない見渡す限りの廃墟のなかを通る道。この圧倒的な黙示録的世界をバイクで駆け抜けようという訳だ。

それもどうやら同行者はいても一人くらいか。

一つ間違えば事故を起こすし、バイクが故障する可能性だってある。そんな場所では救助なり救援はあまり期待できないだろう。

なんちゅー心臓なんだと。


道は閉鎖されている。誰も住んでいない場所に向かう道。
自動車は通れないけれど、バイクなら通れる。
いい娘は天国に、悪い娘は地獄に行く。バイクで飛ばす娘は、どこにだって行ける。


しかもクール。

そんな彼女が相棒として選んだのは147馬力のニンジャだ。

そのセンスは素晴らしい。大のカワサキ党である私の胸にぐっと迫るものがあった。

ちょっと脱線するが、この場合舗装道路とはいえ、人の手入れが入らなくなって四半世紀たつ死の街を往くのであればセローだってアフリカツインだって良かったハズだ。

いや寧ろその方が取り回しもいいし荒地でも走破性が高いハズだ。カワサキ党ならKLとかKDXという選択肢だってあったろう。

しかし、彼女はニンジャを選んだ。弾丸のように速いからだと。確かに。

バイク乗りは、どこのメーカーが特別に速いなんてことはないことは十分承知している。そしてバイクのスペックは確かに重要な要素ではあるものの、本当に速く走らせることができるかどうかは乗り手の技術によるところも大きいことをもっとよく理解している。

それでもカワサキ党の連中はカワサキのバイクが特別速いと信じている。それは所謂、信仰のようなものだ。そしてカワサキ党の連中はカワサキのマシンが醸すスパルタンでタフなワルっぽさに胸を焦がすのだ。

エレナのチェルノブイリの旅が特別なものになっているのはこの弾丸のように疾走するカワサキのイメージが付与されているからだと僕は思う。

だからニンジャが弾丸のように速いなんて書いたからといって、カワサキ党以外の方は笑って読み飛ばしてほしい。

大勢で防護服を着こんでエンデューロとサポートのSUVなんかで隊列を組んでこの地域に入っていったことを書いた記事だったらもしかしたら僕は読まなかったかもしれないとも思う。甚だ不謹慎ではあるのだけれど、エレナの行為は知的でクールでしかも肝が据わった姿はかっこよかった訳で、その文書も詩的ですばらしかった。

しかし、そのチェルノブイリの事故はやはり当時はあまりにヒトゴトであった。



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われわれのピラミッド

 石棺の放射能は、少なくとも10万年残る。エジプトのピラミッドは、5000年から6000年前に作られた。文化はその区切り区切りに、消えないものを残してくれる。ユダヤの時代は聖書を、ギリシャの文化は哲学を、ローマは法律を、そしてわれわれは、この石棺を残す。石棺は、この時代の何よりも長く、ピラミッドよりも長く残るだろう。


もしかすると福島の原発、福島はそうならなかったとしても、これから事故を起こす原発はきっと10万年コンクリートでがちがちに固めてやる必要が生じるのだろう。それも僕達のピラミッドになる。結構なことじゃないか。その石棺には是非原発建設に踊った者たちの名を刻もう。10万年後に生きる知的生命体にその名を晒すことで少しは胸もすくというものだ。

福島の原発がチェルノブイリのそれとどう違うのか、あれから7ヶ月経過して僕らはどれほどのことがわかってきただろうか。水素爆発の映像に心臓が止まる思いをし、メルトダウンかと思えば、いやいやあれはメルトダウンではなくメルトスルーだとか。

メルトダウンとメルトスルーもどこがどう違うのか、放出された放射性物質の量は何億ベクレルだったのか、勿論チェルノブイリも事故当時ソ連の徹底した隠蔽工作があったため実情が把握できないという面もあろうが、日本政府も東電も一般市民の我々が理解できるような説明に努めてきているとは言い難い。


1000マイクロレントゲンが、1ミリレントゲン、1000ミリレントゲンが1レントゲン。1レントゲンといったら、一般の都市の10万倍の放射線ということになる。5時間以内に500レントゲン(5シーベルト)が人間の命にかかわる量だ。

1000マイクロレントゲン=1ミリレントゲン=10マイクロシーベルト=0.01ミリシーベルト
1000ミリレントゲン=1レントゲン=10ミリシーベルト=0.01シーベルト


シーベルトという単位も目新しくて僕らにはどの程度が問題で、どこから問題なのかがとてもわかりにくい。

シーベルトは、放射線によって人体受ける影響は、その放射線の種類と対象組織によって違うため、その補正を行うために修正係数を乗じたもの。そしてこのシーベルトは被曝している時間との乗数になるので更にややこしい。

先日の世田谷区のホットスポットのニュースを読み返すと、区が、国際放射線防護委員会の基準などを基に区が独自に算出した安全の目安とする空間放射線量は毎時0.23~0.25マイクロシーベルト(μSv/H)。自然界ではだいたいこの程度が普段の状態で健康にも害がない値だということなのだろう。

福島の事故直後のデータをみると福島県 双葉郡大熊町(本原発のモニタリングポスト)では短時間ではあるが11,930μSv/Hなんていう数字が測定されている。

そしてセシウム137の航空モニタリングではチェルノブイリの事故後の測定値を大幅に上回る結果を得ているとか、海や地下水に流れ込んだ放射性物質による影響など、懸念されることは山のようにあるにも関わらず、いまだに明確な答えがでないというのは隠蔽だと言われても仕方がないのではないかと思う。

事故当時のニュースでは自分たちは大人になってからちゃんと子どもを生み親になれるのかと質問していた女の子の姿が報じられていた。政府関係者だったのか東京電力の人間だったのかわからないけど相手は返す言葉を持ってはいないようだった。


福島の避難地域はいつか解除されてもとの暮らしに戻れるかもしれない。でも発電所のそばの地域はやはり戻れないかもしれない。

しかし、原子力発電所の事故がチェルノブイリのように人が近寄れない広大な地域を生み出してしまう可能性があること、そうなったときにその地域はどうなるのか。僕ら人類が選択を誤り核を乱用するとか、チェルノブイリを越えるような事故を起こせば地球上がこのような土地になってしまう可能性だってある。

起こる可能性のあるものは、いつか必ず起こるのだそうだ。

エレナは超クールでかっこいいが、将来エレナが日本の地を疾走しに来る日はこないことを祈ろう。

本書はエレナのブログを訳者が許可を得て日本語に訳出しサイトとして公開していたものを本にまとめたものだ。

今でも一部はウェブで開示されているし、本人による原語のサイトは当時のままだ。

少しでも多くの人がチェルノブイリの事故が生んだ死の街の光景を脳裏に焼きつけ、二度とこうしたことを繰り返さない選択を行っていけることを期待したい。

一部日本語版はこちら
http://www.geocities.jp/elena_ride/

ご本人のサイトはこちら
http://www.elenafilatova.com/index.html





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想定外」の罠―大震災と原発
柳田邦男

2011/10/16:

カミさんが買ってきた本なんだけど、僕が先に読ませてもらった。


 東日本大震災の惨禍を目の前にして、作家として何ができるかと考えた時、第一にやるべきことは、災害と事故の問題を半世紀にわたって追跡してきた経験と知識を活かして、なぜ国難と言われるような事態が生じたのかを調査・分析して、その報告としての作品を書くことだと、すぐに思った。その仕事は時間がかかるだろう。そこで、もう一つやるべきことは、これまで長年にわたって書いてきたドキュメントや評論の中で、災害と事故に関するものを再編集して本にまとめ直し、読者が現在直面している問題を考えるうえで役に立つようにすることではないかと考えた。


柳田邦男が述べているように、本書は災害と事故に関するものを再編集したものだ。更にその書かれた時期を見ると、80年代に既にしてこんな問題意識を持ち、警鐘を鳴らし、対策を提案していたのかと愕然とするものがある。

柳田邦男の鋭さに改めて驚かされる訳だが、一方で同じくらい進歩もなければ学ぶこともできないでいる我々がいることにも驚く以外にない。

<目次>

第1章 絶対安全神話の崩壊―東日本大震災からの警鐘
・3.11「想定外」の虚構(2011.5)
・原発周辺から追われて(2011.4)
・福島第一原発事項は「組織事故」(2011.5)
第2章 放射能が世界にバラまかれた日―チェルノブイリからの警鐘
・「破壊された建屋」写真の罠(1990)
・被爆者「救命治療」の限界(1990)
・原発・ミサイル・原潜の連続事故(1990)
・冷却装置スイッチは切られていた(1990)
第3章 炉心溶融―スリーマイル島からの警鐘
・恐怖の二時間十八分(1986)
・事故情報の不備がもたらすパニック(1988)
第4章 臨界事故―東海村からの警鐘
・巨大システムの死角(2001)
・バケツ作業をもたらした密室(2001)
・作業員という犠牲者(2001)
・想像を絶する放射能被曝死の経過(2006)
第5章 原爆被災の記録―広島からの警鐘
・現場でしかわからないこと(2000)
・原爆直後に広島を襲った台風(1997)
・主婦が見た「マンハッタン計画」の真実(2001)
・米国のプルトニウム人体実験(2001)
・広島・長崎を知るためのブックリスト61冊(2001)
第6章 防災の思想とは何か―災害王国からの警鐘
・バックアップ用発電機が動かない(1988)
・建築災害はなぜ繰り返されるのか(1988)
・ビル倒壊の三つの原因(1989)
・下町の庶民が作った防災研究所(1988)
・危機一髪 生死を分ける条件(1988)
・過去の災害を我が事とせよ(1997)
・身体で覚えないと自分を守れない(2000)
第7章 大災害は必ず「常識」を覆す―阪神・淡路大震災からの警鐘
・巨大直下型地震の衝撃(2000)
・長田区の焼け跡に立って(2000)
・喪われた「心」を取り戻すために(1997)
・新しいボランティアのかたち(2006)
第8章 復興へ希望の灯―新潟県中越地震・スマトラ沖大地震からの警鐘
・災害ブレーンを官邸に(2004)
・スマトラ沖大地震と大津波(2005)
・山古志村 復興への「百年の計」(2006)

柳田邦男の鋭い分析によって炙り出されてきた航空機や巨大システムの事故やインシデントそして災害に関する本はこれまでも沢山読んできた。つもりだった。いやいや実際に読んではいた。しかし、わかってなかったのだ。全然。

当然本書の中には既に読んでいる本が何冊か含まれていた。その既に自分が読んだと記憶している本を今改めてこの本のなかで読むとそこには吉村昭の「三陸海岸大津波」についてきちんと言及されていたりするのだった。

僕は三陸の津波についても全く心当たりがなかった訳だが、そんな自分は柳田の本のなかで吉村昭の「三陸海岸大津波」について書いた文章をちゃんと読んでいたとは。

絶句。

前にも書いたが、僕は津波の被害というか、津波の恐ろしさについてこれまで全くわかっていなかった。

何メートルの津波が襲ってきたとか、何千人の人が津波に飲まれて亡くなったとかいう文章を読んでも、3.11以前の僕にはちっともピンとこないものがあった。

津波を知らないものが、津波に関する文章を読んでも、やっぱりわからないのだ。3.11のときに撮られた津波の映像をみてはじめて津波というものがどんなものなのかわかった気がする。それでもそれは極々ホンの一部に過ぎないはずだ。なんと言ってもそんな映像を見ている僕は、その場所から何百キロも離れた安全な場所にいるからだ。

そして思う。柳田邦男が鳴らす警鐘には多々あるものの、ピンとこないまま、自分でもそんな気もないのに軽く読み飛ばしてしまっている部分がものすごく沢山あるのだろうと。

“You can take the horse to the water, but you cannot make it drink.”

『馬を水飲み場へ連れていくことはできるが飲ませることはできない』

また僕らはすぐに油断してしまう。少しぐらい大丈夫だろうが、いつの間にか日常・常態化してしまう。過信して更に慢心してしまう。

そして僕らは忘れっぽい。すぐに忘れてしまう。大事なことまでも。

柳田邦男はそんな僕らのこともすっかりお見通しだ。

だからこそ、今本書がある。

実感の伴わない範囲が大きければ大きいほど、「想定外」の罠にかかりやすくなってしまうだろう。少なくとも巨大システムの安全管理を司る人々にあっては、津波や地震、放射能、関係のある事故・インシデントの状況について単に文章ではなく、現地に赴きその実態を目と耳と身体で実感してきた人が参加していることを期待したい。


「砂漠でみつけた一冊の絵本」のレビューはこちら>>


「『人生の答』の出し方」のレビューはこちら>>




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夜明けのパトロール
(The Dawn Patrol)」
ドン・ウィンズロウ(Don Winslow)

2011/10/15:週末のお休みに寛ぎながらウィンズロウの本を読み耽る。僕はこの手の探偵小説大好き。
なんともありがたい贅沢な時間だと思う。

しかもなんと僕の琴線、ジョン・D・マクドナルドのトラヴィス・マッギー・シリーズを彷彿とさせる設定。つーか、完全にウィンズロウはこの線を狙ってきたに違いない。どこまで波長が近い人なんだウィンズロウ。しかしジョン・Dやトラヴィスなんて最近の若い人はご存知ないですね。

以前シリーズ9作目の「薄灰色に汚れた罪」についてレビューを書いていたので詳しくはこちらをごらんください。

このトラヴィス・マッギー・シリーズは海外ではかなり高い評価を受けていたし、実際にどれもかなり面白い本だったのだけれど、日本ではどうにもあまり売れなかった模様で、シリーズは21冊もあるのに、訳出されたのはほんの一部だけに留まってしまった。僕は当時のあの文庫本の表紙の酷さにも一因があったのではないかと思うのだが、今となっては何を言ってももう遅い。

このトラヴィスはフロリダが本拠地で家はバステッド・フラッシュ号という船だ。彼はポーカーの賭けに勝ってこの船を手に入れた。懐が暖かいうちは基本的に仕事はせず、友人たちと釣りやらなにやらで日々をただ楽しく暮らしている。というかそういう暮らしをしてくことが彼の人生の目的でもある。

お金が心細くなってくると彼は人助けとしての探偵家業にとりかかる。大抵は騙されたり盗まれたりした財産の行方を追い、取り戻せた場合にはその半分を報酬として頂くというような仕事をしているのだ。

取り戻した財産の半分を要求するなんて随分法外な気もする訳だが、実際悪意を持って騙したり、盗んでいったやつらを追う訳で、当然ながら相当危ない目にも嵌りこんでしまう。

またトラヴィスは曲がったことが大嫌いで、弱きを助け強きをくじくたちだ。事件を追ううちに何時しかトラヴィスは報酬なんてそっちのけで正義を全うするべく火中の栗を掴まんと核心へと踏み込んでいく。結果的にはろくな報酬ももらわずに事件は解決、物語は幕を下ろす。そんなことからトラヴィスは現代のロビン・フットと呼ばれたりしていたのである。

金に執着がなく、信義を重んじ曲がったことが大嫌いなブーン・ダニエルズはじめ一癖も二癖もあるドーン・パトーロールの面々。舞台をサンディエゴ、現代に移しているけれど、方向性はトラヴィスと全く同じで韻を踏んでいるとそう僕は思った訳だ。

ドーン・パトロールは、サンディエゴのパシフィック・ビーチを根拠地とするサーファー仲間だ。パトロールなんて名乗っているけれど、あくまでサーファーのチームなのだ。しかしその結束は滅茶苦茶高い。そんな彼らは何時になく浮き足立っていた。それは数日後にやってくる気配が濃厚となってきた巨大な波のせいだった。

単なる巨大な波ではない、史上空前のパキパキ、ホレホレの波。ってどんなだ。

ともかく生涯で二度あるかどうかわからないビックな波がやってくるのだ。そんなときに海にいなくてどうする。



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しかし、サーフショップ兼探偵事務所となっているパシフィック・サーフにブーンが戻ると客が待っていた。

客は弁護士事務所から派遣されてきた助手のペトラというやや高慢な女性だった。彼女が持ってきた仕事は、ストリップクラブのオーナーが所有する倉庫で火事が発生。それを調査したところ放火の疑いが浮上。保険会社が保険金の支払いを拒否したところ裁判になったというもので、それに対して保険会社側であるペトラのの弁護士事務所は放火しているところを目撃したというオーナーの店のストリッパーを証人として裁判に出頭させる段取りまで漕ぎ付けた。

しかし、裁判が明日というところまできてこのストリッパーが行方不明となってしまったというのだ。

そこで依頼はこのストリッパーの行方を捜せというものだ。

一世一代の波がやってくるというのに、仕事なんてしている場合ではない。訳だが、このサーフショップ兼探偵事務所の他、パシフィック・ビーチの不動産をいくつも所有し、尚且つブーンの探偵事務所の会計を無償で引き受けているチアフル爺さんはひとこと、「是非引き受けろ」
「まさか立ち退けなんて言わないよね」

後ろ髪を強烈に引っ張られつつもブーンはこの失踪したストリッパーを追い始める。

しかし、この事件は思いも寄らない闇の世界の扉を開く道程へと続いているのだった。

ウィンズロウはなぜこんな古風なトラヴィスのようなキャラクターを持ってきたのだろうか。金に執着がなくロビン・フッドのような信義に厚い面々。

物語の背景にある闇の世界を生み出しているのはメキシコとアメリカの国境線に広がる激しい格差がある。現実にメキシコでは麻薬戦争が猛威をふるい、虫けらのように殺された人々のニュースが途切れることがない訳だが、一説にはアメリカ政府が国内の農業を優遇し、安価な作物をメキシコに輸出するのと同時に、麻薬撲滅に乗じてメキシコの農業を壊滅の危機に追い込んでいるのだという。国境地帯にはアメリカが築いた壁がある。この壁もここまで醜悪なものはないほどひどい代物なのだが。

こうして行き場を失ったメキシコの農民たちはどんどんと奥地へ逃れつつ麻薬など耕作に手を染めるか、国境を越えるか、何れにせよ法の庇護の下から脱落するしかない状況に追い込まれていくのだという。

そしてストロベリー・フィールズ。

Let me take you down, 'cos I'm going to Strawberry Fields.
Nothing is real and nothing to get hungabout.
Strawberry Fields forever.

ビートルズの唄う、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のストロベリー・フィールドはリヴァプールにある戦争孤児院の名称。

現代の格差社会における紛争による孤児たちは国境付近の苺畑の茂みに潜む子どもたちだということなのだろうか。

ウォール街ではじまった格差是正を求める市民のデモは各地に飛び火し拡大の傾向を見せている。漸く動き出したかという気がする。よく今まで、或いはこんな事態になるまでアメリカの市民は黙って見過ごしていたものだと思う次第だが、やはりそこにはメディアもぐるになった民意の操作というか、合意の捏造があったのだろうと、それはとても酷い仕業が行われていたのだろうとも思う。

こうした徹底した自由市場主義を標榜し上流に金と情報が集約され格差が拡大することを望む人々とその人々が支配する政府と企業に対しては徹底して草の根的な抵抗が必要なのだと思う。

ちょっと強引だが、こうした世の中にあってロビン・フッドのような勧善懲悪的な大衆のなかのヒーローが求められているとウィンズロウは考えたのではないかと思う。
やや地味な展開だというのはキャラクターらの素地からして避けられないものがある訳だが、こうした地に足が着いた物語が日本でも受け入れられて読まれることを望んで止まない。


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隠れていた宇宙
(The Hidden Reality:
Parallel Universes and the Deep Laws of the Cosmos)」
ブライアン・グリーン(Brian Greene)

2011/10/10:ブライアン・グリーンの最新作「隠れていた宇宙」。折しも宇宙論に関する重大なニュースが二つ。

先ずは光よりも速く飛ぶニュートリノが観測されたというもの。イタリアのグランサッソ研究所(Gran Sasso National Laboratory:LNGS)に設置された「OPERA(Oscillation Project with Emulsion-tRacking Apparatus)」というニュートリノ検出装置を使った研究を行っていた名古屋大などの国際研究グループの研究者が測定結果を公表した。

研究グループメンバーの小松雅宏・同大准教授は「私自身も最初に見た時は、間違いだろうと思った」と振り返る。3月から約半年間、どこかに間違いがないかと検証作業を続けてきたが、「実験の事実としてこのまま世に出さないわけにはいかない」と思うようになったという。

 同メンバーの中村光広准教授も「精神的な抵抗はあったが、最終的な測定結果には確信を持っている」。最終的に論文に名前を連ねることを拒んだ研究者がいたことを明かし、「物理学者としての常識が邪魔をして、解釈に関する議論については、深いふちをのぞき込んでいるような気持ちがする。受け止め切れていない」と複雑な表情を見せた。

という。更なる検証が続けられるということらしいが事実だとするとこれは正に天地がひっくり返る事態だ。


そしてもう一つは今年のノーベル物理学賞。「宇宙の加速膨張」の発見に対する功績によって米国のソール・パールマッター、アダム・リース、オーストラリアのブライアン・シュミットの3氏が受賞した。観測結果に基づく考察によりこの宇宙は約70億年前にこれまでの膨張速度を変え急激に加速した形跡が明らかになったというものだ。

そうそうつまり宇宙定数が一定であるとするなら、そして十分な質量をこの宇宙が持っているとすれば膨張する宇宙はやがて減速し、さらには縮小に転じるはずだと信じられていた。抵抗があれば減速し、ないなら一定の速度で進み続けると考えるのがとても自然なことであることに反してこの宇宙の膨張速度がなぜか加速に転じたという話は、なんとも不気味で不安な感情を呼び起こす事態ではないだろうか。

一体この宇宙はどんな風に成り立ってきて、これからどうなろうとしているのだろうか。そんなことを少しでも識りたい、理解したいと自分のあさはかさを棚に上げてそんな本をみつけては読んできた。

自然科学の一般図書は科学史、特に何かを発見した人物像に迫る伝記的なものと抱き合わせになって語られるものが多い訳だが、このグリーンの本はやや毛色が違う。必要に応じて背景的に発見史や、その当時の人々のエピソードに触れることはあってもあくまで読者にその概念を理解させるために必要最低限なものに絞られている。

グリーンの本はあくまで最新の宇宙論の概念を読者に伝えることに主眼をおいたものになっているのだ。そしてその最新の宇宙論は今様々な推察に基づくアイディアで多彩な世界観に満ち溢れていた。

相対性理論と量子力学との整合を図ることができず足踏みを続けている現代物理学はひも理論こそ最後の切り札だという方向に傾きつつあるようだ。ひも理論を使って相対性理論と量子力学を統合し量子重力理論が完成できれば宇宙の起源がいよいよ明らかになるのだとされている。


原子核の存在が発見されたときも、素粒子が発見されたときもこの世界を構成する最小の単位がみつかりこの宇宙の起源がわかるはずだと皆が思った。しかし、わかったもののその働きを調べ、それらの相互作用を見極めようとするとその豊穣さと複雑さの靄に包まれ世界は再び予測不能の大海に飲み込まれた。

そしてひも理論こそはとなったものもまた例外ではなかった。ひも理論が生み出す世界観はなんと無限に広がる並行宇宙。プランクサイズの最小単位で振動するひも。これ以下の距離も時間も意味がなくなるというその境界。いよいよ世界の最小単位を暴き出し、まねぎのように次から次へと現れてきた世界の構造もいよいよその根源が見えたかと思った矢先にそれが示すものがなんと超巨視的スケールで、無限平行する宇宙というとんでもない世界だったとは。この激しく幻惑を覚える話に僕は酔う。

今この平行宇宙のバリエーションとして様々なものが考えられているのだということを本書は見事なたとえ話を添えて我々に提示してくれる。数式や物理に対して理解の浅い僕のようなものでも、この本を読むことで漠然とだがイメージを掴むことができるというありがたい一冊なのだ。


さまざまなバリエーションの平行宇宙

パッチワークキルト多宇宙
無限の宇宙内の状態は必然的に空間のあちらこちらで繰り返され、平行宇宙を生み出す。

インフレーション多宇宙
永遠の宇宙インフレーションが泡宇宙の巨大ネットワークを生み、私たちの宇宙はその一つである。

ブレーン多宇宙
ひも/M理論のブレーンワールドシナリオでは、私たちの宇宙が存在する3次元ブレーンは、ほかのブレーン---ほかの平行宇宙---も存在する可能性のある、より高次元の場所に浮かんでいる。

サイクリック多宇宙
ブレーンワールド間の衝突がビックバンのような始まりとして現れ、時間的に平行するいくつもの宇宙を生み出す。

ランドスケープ多宇宙
ひも理論の余剰次元のさまざまな形は、インフレーション宇宙論とひも理論を合体させることにより、さまざまな泡宇宙を生み出す。

量子多宇宙
量子力学によると、確率波に具体化される可能性はすべて、巨大な平行宇宙集団のいずれかで実現する。

ホログラフィック多宇宙
ホログラフィック原理の前提によると、私たちの宇宙は遠くの境界面で起きている現象、すなわち物理的に平行宇宙に相当するものを、まさに映し出したものである。

シミュレーション多宇宙
技術の飛躍的発展は、宇宙のシミュレーションがいつも可能になるかもしれないと示唆している。

究極の多宇宙
豊饒性の原理が主張するところによると、ありうる宇宙はすべて実在の宇宙であり、したがって、なぜ一つの可能性---私たちのもの---が特別なのかという疑問は回避される。これらの宇宙はありうる方程式すべての具体例である。


グリーンはこのなかでホログラフィック多宇宙の前提となるホログラフィック原理こそ、ひも理論を基礎として今後の物理学の灯台となるものだと主張している。

果たしてどうなのか、素人の僕としてはただ結論が見えてくるのを待つしかない。本書は読みやすく面白いのだけれど、どうしても立ち止まってしまう部分がある。

それは多宇宙、平行宇宙の描く宇宙の姿そのものに対する違和感というか不自然さにあると思う。

永遠に或いは無限個生まれる宇宙のなかではありえる可能性はすべて実在する。とか、そして実在する以上それは無限回繰り返されるという。つまり今僕達の生きているこの世界は取りえる可能性のある別ヴァージョンの世界が必ず実在するばかりかそれらもひっくるめてその多宇宙は無限回繰り返すというのだ。

僕と全く同じ姿で同じ人生を送る存在が無限回繰り返している?それは「僕と」同じなわけではなく、無限の過去から繰り返されているパターンを今自分が単に踏襲しているだけだと。それが意味するものはなんだろう。

まぁ一歩譲ってそれが仮にそうだとしても、ではこの永遠に繰り返されるすべての宇宙を包含したこの世界の起源はどこにあるのか。残念ながらひも理論の先にははやくも濃い靄が立ち込めていると感じずにはおれない。

僕らはいずれまたこの深い靄のなかを抜け再び仰天するような世界の根源的実在だと思われるものに辿り着くのだろうか。

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昭和史 1926-1945
半藤一利

2011/10/02:僕の読書生活が持っているいくつかの糸の一つに近代史を辿るというものがある。その糸は細くて時に途切れがちな甚だ頼りのないものである訳だが、一方でしぶとくもある。
それは学校で教えられる歴史の授業はどうにも現在の在りように繋がってくれず、今がどうして今のような在りようになっているのかその事情が知りたいというもどかしい思い。そして日々流れてくるニュースを見て、ふと思うのはやはりどうしてこうなった?という肝心な部分が実はよくわかっていないという思いからくるものだらかだろう。

原発が止まるか或いは再開が見送られ、節電が必要で、代替策としての火力発電所に頼るためには原油価格が高騰しているから、電気料金は値上げだとか。本当に東京電力の財務内容をだれかちゃんと見ているのか、原発を誘致するために流れた資金や、どんな事情にせよいずれかならずやってくる廃炉の費用はどーするつもりだったのかとか。

そんなこと一つ考えるとやはりそれは建設計画に踊っていた時期に僕らはどんなことを知らされどんなことを考えていたのかと思わざるを得ない。と思う訳だ。

そこに立ち戻ってはじめて反省ができる。歴史を学ぶ大切さはの一つはその部分だと思う。政府主導で行われる義務教育のなかで、近代史に対して反省を織り込もうとすればそれば自己否定そのものになる訳でそんな形で授業するのはそもそも無理な話だ。

つまりちゃんと学ぶには自分たちでやるしかないのだ。これを怠るとどんなことが起こるのかというと杜撰な計画で巨額の金が浪費され、そのツケが全部自分たちに回ってきたり、鉄砲を渡されて国のために戦えと云われたりする羽目になるのだ。

かつての太平洋戦争のときのように。

先般、半藤さんの「幕末史」を読んで漸く明治維新のことが見えてきた。そこに描かれている明治維新は僕の既成概念をかなり修正するものがあった。本書の冒頭ではそれを簡潔にした文章があった。


 それまで朝廷は、「開国などとんでもない、外国人は追っ払え」という「攘夷」の政策をとっていたのですが、徳川幕府がアメリカの大砲におそれをなして国を開いてしまった。それがけしからんというので、薩摩や長州の「勤皇の志士」といわれる人たちが、幕府を倒さなくてはならない、攘夷を貫かねばならない、といわゆる明治維新の大騒動となったわけです。ところがそうはいっても結局、日本の力では外国人を追っ払うことはできない、国を開いて世界の国と付き合わざるを得ないと京都の朝廷も決定せざるを得なくなった、「攘夷のための開国」というわけです。これが慶応元年なんですね。日本はこの時、国策として開国を決め、そこから新しい国づくりといいますか、世界の文化と直面しつつ自分たちの国をつくっていかなければならなくなりました。


欧米はアジア各国に外交を迫まり、結果的にはことごとく植民地化して食い物にしていく訳だが、日本はこれをどうにか回避することができた。なぜ日本はアジア諸国のような植民地化されることなく国体を維持できたのだろうか。この部分については半藤さんの本を読んでもやや不明瞭だ。

江戸幕府の頃から政府の司法制度が働き民衆を統制していたこと、維新後廃藩置県から議会政治の導入など近代的な国家としての要件を満たしていることを内外に強くアピールしたこと。そして江戸幕府が結んだ欧米との不平等条約の改正を迫っていったことが大きかったのだろう。この不平等条約の改正を迫った外交交渉の物語はもっと詳しく知りたい。

何れにせよ大変な努力で近代国家の形成と、欧米と平等の地位を求めて奮闘する日本はやがてアジアを見下していた欧米と同様の視野を持ち、いつしか更には驕慢な大日本帝国を生み出していった。

近代国家の成立を超駆け足で進んだ日本政府にはあちこちに歪みを孕んでいた。その最大のものは尊皇攘夷の思想と議会政治の矛盾だ。天皇を王として掲げ、一般市民をも戦闘に巻き込んで倒幕というクーデータに走った、その直後に議会政治だという訳だから、そりゃ一体なんだったんだといわれて当然といえば当然だったろう。

その矛盾を乗り越えるために編み出されたのが天皇機関説だった。


 天皇機関説とは、どうやら考え方は三つに分かれるようです。一つは、帝国憲法(明治憲法)にいう天皇の絶対的権威を認める。だけども天皇はそれを駆使しないで、国家の上にの乗っただけの機関であるべきだとする。

 二つめは、天皇が国家を統治することも陸海軍を総指揮することも一応は認めるが、むしろ政府が主体的にできるだけ立憲的に(憲法の範囲内で)自由主義的に国家を運営しようじゃないかという機関説。つまり議会や内閣の権限を、天皇のもつ大権威に対して相対的に認め、徐々にそれを強めようというもので、これが美濃部さんの説です。

 三つめは、天皇の権威や地位はそんなものじゃない、絶大であり国家主権の絶対のものである、その力を使って国家をよりよい方向に運営してゆこうという説です。要するに後の日本国がそうなってしまい、絶対である天皇の権威と力を利用して国家がどんどん運営されてゆくのですが、これを唱えた中心人物が北一輝というわけです。


近代国家として歩みだした日本はまた議会政治も参加している政治家たちも志はともかくやはりまだ成熟には程遠かった訳で、よろよろと頼りない。頼りないのだけれど、自分たちの地位や力については何の裏づけもないのにも関わらず妙に自信たっぷりなのだ。いやいや自信というよりも寧ろ無謀だ。

こうした議会政治がまだ十分に機能していないなかで欧米に追いつき追い越せ的な海外への勢力拡大は何時の間にかやって当然の傾向を政府も国民も共有していってしまう。そしてそこでは負けるわけにはいかないという話が何時の間にか負ける訳がない、になり、そして万が一負けたら後はないみたいな瀬戸際極論に走り、最後には万が一のことがあった場合など考えても仕方がないみたいな雰囲気のなか実行に移っていってしまうのだ。

ずるずると太平洋戦争へと突入し敗北を受け入れる機会をも漫然と逃してしまう日本の足取りには暗澹たる思いを感じる以外にない。この時期の日本の歴史は日本人の悪い部分の特質が強く出ている気がする。

そしてそれは原発導入に走った時にもやはり出ていたと。

震災による放射能漏れ後に噴出してきた醜聞には、集会に地域住民や農家を装って発言していたとか、地域の有力者を接待漬けにしていたとか、政治献金をしたりパーティー券の購入に5千万とかいう資金が使われていたとか、問題発生前にはメディアも尻馬にちゃっかり乗っかっていたとか、そして面倒で費用が嵩む事態はとりあえず想定外にしていたとかなんてものが出てきた訳だが、本書を読むと日本人の悪い部分というのは昔から変わっていないのだなぁとつくづく感じる。

そして僕らはそうしたことを非難するだけではなく自分自身の戒めとしてしかと心に命じる必要がある訳なのでありました。




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