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ここでは2004.7〜2004.09に読んだ本をご紹介しています。


ヘルズ・エンジェル−サニー・バージャーと
ヘルズ・エンジェル・モーターサイクル・クラブの時代
(Hell's Angel: The Life and Times of Sonny Barger
and the Hells Angels Motorcycle Club

ラルフ・"サニー"・バージャー(Sonny Barger)
キース・ツィンママン(Keith Zimmerman)
&ケント・ツィンママン(Kent Zimmerman)


2004.09.23:本書はそのヘルズ・エンジェルの創設以来のメンバーで長年頭目として君臨していた本人の手によるヘルズの実態。ヘルズ・エンジェルと云えば入会の時、デス・ヘッドのパッチを縫い付けたチョッキをバイクで轢き、ショットガンで撃ちみんなで小便とウィスキーをぶっかける。これを身に付け血の誓いで結びついた仲間達というのをどこかで読んでかなり真に受けていたが、チョッキについてはどうも、真っ赤な嘘だったようだ。

またデス・ヘッドのパッチは私物ではなくクラブの所有物であり、他の団体が使ったりする事はおろか、メンバー以外のものが身に付けたりする事もご法度な大切なものとして扱われている。また、バイクも自分たちでちゃんと整備しカスタムするにしても当初は自分たちで手作りしていたりと強い結束と意外な地道さをもっていたようだ。

その創設者の一人である、サニー。オークランドの片隅でクラブを結成し、多くの者を惹きつけ、ヘルズと共に生き死んでいった。地元の保安官からFBIまでを敵に回しながらもクラブの規模を全米から更に世界全土へと拡大する事を成し遂げた彼の才気は本物だったのだろう。

60年代、反ヴェトナム戦争のデモ隊と乱闘事件を起こしたり、ヘイト・アシュベリー地区のヒッピー達との交流、極めつけは、1969年11月アルタモント・フェスティバルでのローリング・ストーンズのコンサートでの刺殺事件だ。

外部の人間からはその行動基準の計りにくい彼らだが、その事実上の頂点にいたものから語られる数々の事件はとても興味深いものがある。

彼の主張はあくまで、バイクが好きで、ひたすら走って、みんなでわいわい楽しみたかったというものだ。

度重なる逮捕と時にして血を流してきたクラブの歴史からみる限り、かなり都合の良い話だとは思う。全てを額面通り受け取る訳にはとうてい行くまい。けれど喉頭ガンと闘い、生き抜いた今でもバイクに乗るために毎日ベンチプレスを欠かさないそうだ。このバイクに向き合う彼の姿勢には決して嘘はないのだろう。

ダーティハリー2今は子供が生まれて手放してしまったけど、遡ること1973年、映画「ダーティハリー2(MAGNUM FORCE) 」のあの白バイ警官がキックペダルを踏み下ろして徐にエンジンをかけて、走り去る姿に惚れたのを入り口に僕は17歳で中型免許を取り、18年近くバイクに乗った。

当時何より残念だったのは僕が免許を取った頃のバイクはセルスターターが装備された事から2ストかオフを除くと殆んどのモデルでキックペダルが取り去られてしまっていた事だった。

何も取らなくともいいじゃないか。キックペダル。キック廃止の初期の頃のモデルには、ペダルの軸が出るはずの穴をとりあえず塞いだもんねというようなエンジンを積んだモデルもあったのだ。残したとしてどれ程デメリットがあるといのか。おっとつい興奮してしまった。

何時か再び、バイクを跨ぐ日が来るだろうと思っている。純粋にパイクに乗る事はとても素晴らしいし、何よりバイクは美しいと心から思う。


Magnum Force
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映画でデビット・ソール演じる白バイ警官が乗っているバイクの車種が長い間謎だったんだがDVDを食い入る様に観て、あの横持ちVツインのエンジン形状、あれは紛れもなくモト・グッチ(MOTO GUZZI)のようだ。

なんとイタ車。すげー驚いた。

しかもたぶん750cc。調べてみるとMOTOGUZZI−USでは、当時の低く抱え込むような独自のラインを踏襲したモデルをちゃんと持ち合わせているじゃないか。

やっぱりキックはなくなっていたけど。

ところで日本ではバイクを持つにしても乗るにしてもどうしても肩身の狭い思いを感じざるを得ない、アウトローさというものが付いて廻るのが残念でならない。ロードレースの低調さや、日本のバイクメーカーの元気のなさというのも気掛かりではある。

自然対自己の交感を実現できるという意味でバイクによるツーリングの楽しさは他では出来ない体験だ。

バイクの場合、道路や流れ去る景色と体全体で語り合い、そして自己と向き合う。ここには一種の敬虔さといったものさえ漂うのだ。周囲の未経験者にこれを解って貰う事はなかなか難しい事だけどね。

60年代という時代を掘り起こす、海野弘「めまいの街―サンフランシスコ60年代」の読書日記はこちらからどうぞ

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ヘルズ・エンジェル−サニー・バージャーとヘルズ・エンジェル・モーターサイクル・クラブの時代

Sonny Bargerのウェブサイト


ロバート・M・パーシグの「禅とオートバイの修理技術」のレビューはこちら>>


Hell's Angels
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Hell's Angels '69
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ナイルの略奪―墓盗人とエジプト考古学
(THE RAPE OF THE NILE)」
ブライアン・M・フェイガン
(Brian M Fagan)


2004.09.17:著者はカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授。約400万年前、人類がアフリカから進出し長い年月をかけて南米大陸最南端まで拡大していく過程をフェイガンが始めて「グレート・ジャーニー」と呼んだ。この言葉は探検家の関野吉晴氏がその旅路を辿るという趣向でフジテレビが特番として放映した事で知っている方も多いのではないかと思う。

フェイガンは著書も多く、ざっと見ていくと目の付け所というか、ちょっと変わったアプローチで物事を捉えるのが巧い人のようだ。

本書もその例に漏れず、ナイル川流域の考古学的な歴史ではなく、17世紀以降ヨーロッパからやって来た探検家、冒険家がナイル川流域から石像等を持ち帰った事からヨーロッパでエジプトロジーが発展、当地への探検・冒険が新しいトレンドとして多くの者を惹きつけた。一方で乱暴な発掘や無理な移動で貴重な遺跡が傷付けられ、失われていった。本書はこの時代に活躍した冒険家達の姿を生き生きと描くとともに、「エジプト考古学」の黎明期にフォーカスした本だ。

ロゼッタ・ストーンの発見とフランソワ・シャンポリオンが解読に成功する話は、余にも有名だが、何故欧州人の彼があの場所にいたのか、何故翻訳する事が可能だったのか、彼の生い立ちや、当時の人々の姿が「エジプト考古学」という大きなトレンドの流れの中で改めて浮かび上がってくる。

冒険家達が描いた発見されたばかりで頸から下は砂に埋もれているスフィンクスのスケッチをはじめ、沢山の絵と、現代の当地の様子を撮った写真を配し、目にも楽しい。またそれらは探検家達のロマンを、そして神話と強く結びついた太古の人々の意思に触れる畏怖。そしてそれを土足で踏み荒らした現代文明の驕りを強く印象付ける事にも成功している。なるほど示唆に富んでいるではないか。

<ブライアン.M.フェイガンの著書を見る>
「古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史」
「古代世界70の不思議―過去の文明の謎を解く」
「歴史を変えた気候大変動」
「エデンを探せ―ハイテク考古学が古代の謎を解く」
「現代人の起源論争―人類二度目の旅路」
「アメリカの起源―人類の遥かな旅路」
「ナイルの略奪―墓盗人とエジプト考古学」

2005/10/30「古代文明と気候大変動」のレビューを追加しました。こちらからご覧頂けます。>>

「水と人類の一万年」のレビューはこちら>>

「千年前の人類を襲った大温暖化こちら>>

「 海を渡った人類の遥かなる歴史 」のレビューはこちら>>

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病むアメリカ、滅びゆく西洋
(The Death of the WEST)」
パトリック・J・ブキャナン(Patrick J.Bucha-nan)


2004.09.11:著者は3度の大統領候補に参戦、3度目の2000年には本選まで進んだ人物だ。敬虔なキリスト教信者で、政治的には保守派、極右として鳴らしている。元々は新聞の論説委員として名を馳せ、ニクソン、レーガン、ブッシュ(父)の3代の共和党政権で外交スピーチの執筆をしていたという経歴の持ち主だ。

訳者は宮崎哲弥氏、TVを殆んど見なくなっている僕だが、この原稿を書いている時に本人がたまたま「TVタックル」に出ているのを見かけた。途中からだったので、何の話かわからないままチャンネルを替えてしまった。しかしほんの一瞬だったが目に焼きついた。よくもまぁあの年であんな尊大な態度を身につける事ができたものだ。あれでは、はなから人の意見を聞こうとする人を淘汰しているようなものだ。へたなお笑い番組よか子供に見せたくない絵だ。

しかし翻訳本としての本書の出来はまずまずで読み易かった。その点は誉めてあげよう。やはり過度に勉強したりすると性格が歪んだりするのだろうか。僕なんかの為に無理しないで欲しい。

また、宮崎氏はあとがきでブキャナン氏の殆んどの意見に反対で、そんな本の翻訳を請け負うこと自体、周囲から反対されたそうだ。つまりその周囲の人々(複数形だ)は翻訳された本書ではなく原著を読んでいた上に、敵に塩を送るような行為は止めろと言っていた訳だ。ついでに日本の出版会は本書で代表されるような海外の情報の流入に対して著しい偏りがあり公平さに欠けていているのだそうだ。しかしメディアの公平さを重んじる氏は周囲の反対を物ともせず訳出を行い漸く出版に漕ぎ着けたという事だ。めでたし、めでたし。

あのさ、はっきり言ってこうゆうのってただの自慢だと思います。

いかん、冷静さを失っている。

翻って本書の内容だが、ブキャナン氏の主張の底辺にはアメリカもヨーロッパも白人社会のものであり、キリスト教文化圏として存続させる義務があるというもののようだ。先進国の出生率の著しい低下から欧米のこのマジョリティは2050年までには崩壊、このままでは現在のマイノリティに今まで自分たちが築いてきた国家や文化が乗っ取られるぞという訳だ。

彼にとっての脅威とは、全国黒人地位向上委員会は勿論の事、インディアン(インディアンと書いている時点でどうかと思うけど)や、チカーノ、非キリスト教徒であり、更には同性愛者や中絶の推進者達だ。

これを基本に据えた後半の展開の中のやや結論めいた部分ではさらに白人優位の圧倒的優位があったが故に、貧しい者、虐げられた者達を移民として受け入れてきたがもう止めるべきだ。連邦最高裁判所を改造しマイノリティにばかりに有利な判決を出させないようにする。政治的公正も無視してマジョリティに軸足を戻すべきだ。誹謗中傷を含んだヘイト・クライム・プロパガンダへはプロパガンダで対抗しよう。少数民族の文化活動への資金援助を止めて窒息させよ。メディアは国家が検閲を実施する。マジョリティにとって正しいアメリカの歴史を義務教育で実施せよ。と云った意見が展開していく。

膨大な引用によって、あたかも格調が高いとか教養溢れるとかいったイメージを醸し出そうとしている様だが、都合が合いさえすれば引用元の信条などを無視していて、それこそ何でもござれだ。「イージー・ライダー」の酔いどれ神父ジャック・ニコルソンのセリフまで引用しているのには、さすがに吹き出した。ありゃモロ反体制派だろが。

冒頭の話題の出生率の低下は確かだが、それ以降の話はプロパガンダというより、意見を同じくしている集団、最初から聴きたい人だけの為に書いていると言った方が正しいだろう。これを読んで真に受けちゃうアメリカ人がどの位いるのだろうか。凄く不安になるような内容だ。

しかし彼の行為を鼻で笑う事はできないのかもしれない。ロス暴動や9.11事件に揺れるアメリカは、確かに大きな曲がり角に来ている。どこかの民族衣装を着ている人物がアメリカ合衆国大統領になったりしたらと考えれば確かに白人層は心穏やかでは居られないだろう。アメリカに内在する複雑な人種、宗教に根ざす問題とどのように折り合っていくかは、これからますます国家を揺るがす程の大きなものになって行く事は間違いないだろう。

宮崎氏が言っている、反対する殆んどの意見と賛成する幾つかの意見がどれとどれなのかが不明なので、しょうがねー、ほっとくしかないが、もう一言だけ言わせて貰えば、人の意見にただ反対を唱えるのは誰にでも出来る簡単な事だ。問題は、解決策を持っているのかという事だ。

また、翻訳を依頼するに当たり金を払う側でありながら、あとがきで公正さを直球で批判されている出版社だが、一回り考えを廻らせてみればヒールさの漂う宮崎氏に翻訳を依頼している点から、実はみごとなバランス感覚を持っていると暗に示しているのかもしれない。

結局のところ、この両者に何の共通点も見出せず共感も催さない僕はただの凡人なのだろう。しかし両者に激しく違和感を感じる自分の本心は今後突き詰めて考えていく必要があるだろう。そして大統領選も近づいている今日は9月11日だ。

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海のアジア〈2〉モンスーン文化圏 海のアジア
尾本惠市、濱下武志、村井吉敬、家島彦一 編集委員


2004.09.04:6冊のシリーズを成す、「海のアジア」の2巻目、1巻目のアジア圏域を海から見るという視線から、今度はモンスーンの海という範囲で捉えた広い範囲の海を考えようというものだ。

モンスーン文化圏という世界  家島彦一
■インド洋のモンスーン
モンスーンの卓越するインド洋  松山優治
インド洋伝統船の世界  深町得三
■歴史のなかの海世界
イスラム以前のインド洋世界 − ソコトラ島から垣間見る  蔀勇造
港を掘る − シナイ半島の港市遺跡  川床睦夫
アジアから見た東インド会社  鳥井裕美子
■くらしと海
マダガスカルとボルネオのあいだ  内堀基光
インド洋のカヌー文化 − マダガスカル沿岸漁民ヴュズの村から  飯田卓
■移動と交流
インド洋世界にひろがるインド系社会  内藤雅雄
ハドラミー・ネットワーク  新井和広
■口絵の言葉
鳳凰は海路で渡った  大村次郷
■座談会       

モンスーンとは季節風の事だが、その語源がアラビア語に由来する事はご存知だったろうか。アフリカ大陸の地中海から紅海そしてアラビア海に海岸線を持つ国々、アラビア海ではヨーロッパ大陸で同様に海岸線を持っている国が殆んどアラビア語圏の国だ。しかもほぼある緯度の幅に収まっている。

アラビア語は4世紀イスラム文明と共に拡大したと考えられている。しかしその更に前、1世紀頃には既に季節風はヒッパロスの風として知られており、その季節風を利用した航路開拓を積極的に行っていたのだ。

アラビア語圏はアジアという目線からはやや遠いと感じるが実は、遠い昔からこのモンスーンを利用してアフリカからインドへそして東南アジアへまた東南アジアからマダガスカルへと行き交い民族や文化を超えて交流を続けてきた強いつながりがあったのだ。本書はそのモンスーンによる海や風の動きや船の形態、それを取り巻く人々の歴史等様々な切り口でこの事実を検討していく。

読んでいて思い出したのがバックミンスター・フラーの「テトラスクロール」(Buckminster Fuller TETRASCROLL:Goldilocks and the Three Bears)だ。
昔の人は船で渡った先で、それを引っくり返して屋根に使った。船と屋根の構造を見ればその共通点から歴史が推測できるだろうというような事を書いていた。当時のフラーは直感的、啓示的に考えた事のようであったろうと思うのだが、本書を読むとインド洋でそれは本当にあった事であり、現代でも行われている事である事がわかる。しかもそれは、ヨーロッパを中心とした西洋文化とはひっくり返ったもう一つの大きな歴史を浮かび上がらせる。

シリーズ1「海のパラダイム」へ
シリーズ3「島とひとのダイナミズム」へ
シリーズ4「ウォーレシアという世界
シリーズ5「越境するネットワーク

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哲学のなぐさめ―6人の哲学者があなたの悩みを救う
アラン・ド・ボトン
(Alain de Botton)


2004.08.29:サブタイトルは以下の通り。
1) 皆と群れることができない人へ (ソクラテス Sokrates:BC469年頃〜BC399年4月27日)
2) 充分なお金を持っていない人へ (エピクロス Epikouros:BC341年〜BC270年)
3) 思うように事が運ばない人へ (セネカ Lucius Annaeus Seneca:BC5年4月〜AD65年)
4) 自分自身を好きになれない人へ (モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne:1533年〜1592年)
5) 恋にやぶれてしまった人へ (ショーペンハウアー Arthur Schopenhauer:1788年2月22日〜1860年9月21日)
6) 困難にぶつかっている人へ (ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche:1844年10月15日〜1900年8月25日)

読んでみると登場する6人の哲学者はこの6つの問題で悩み通した張本人であり、彼らの著した哲学書の内容やその明言なんかよりも、一個人としての彼らの生き様を紹介することにほぼ紙面の殆んどを費やしている。必ずしも彼らが完全なる聖人君子であった訳ではなく、或いは哲学によって幸福な人生を過ごせた訳でもない、そんな彼らが自分自身の人生と向き合い時に深く苦悩しつつ哲学していた訳で、その姿勢と思考法は時代を超えた真理を正に含んでいる。だからこそ、彼らの哲学が後世に残った訳だが、本書はそんな彼らの真理のエッセンスをとても上手に汲み取っていると思う。

僕自身、何か強い問題意識があった訳ではなく、微笑ましい表紙なんかから手にしたのだが、お金に関しては現状不満足である事は間違いない。しかし十分なお金というものに対する自分のが持っていたイメージがもともと出鱈目で、それこそ貧相であった事をやんわりと突きつけられて納得。要所要所に差し入れらる著者が選んだという写真や絵も良い。

考えてみればそれなりに結構な困難にぶつかっているし、一般的なレベルから言えば皆と群れることができないタイプではあって、自分自身の事をそれ程好きな訳ではない。とても読みやすく楽しんで読み通した後で、なんとなく、そう自分なりに自分の事を肯定してしまうというか、癒されたのかもしれないな。

本書のタイトルは中世の西欧で『聖書』についで広く読まれた名著ボエティウス(Boethius:、AD480?〜AD524)の「哲学の慰め」(The Consolation of Philosophy)と同じ。こちらは岩波文庫で読む事ができる。ボエティウスも悲劇的な死を迎えた哲学者で、この本は死を前にした獄中で著されたものだそうだ。

あとがきを読むとペンギン・ブックス入りした事が一つの売りのように書かれていた。ペンギン・ブックス、あぁ、あのペンギンが背表紙にあるやつね。そう言えば丸善の洋書コーナーなんかで沢山並んでたが最近見かけてないな。また、ドン・ウィンズロウの「仏陀の鏡への道」で中国四川省の首都で幽閉生活中のニール・ケアリーが見つけて飛び上がって喜び、紹伍との友情やグレアムと絡む感傷的なラストで効果的に遣われる小道具として登場するのがペンギン・クラシックのトバイアス・スモレット「ロデリック・ランダム」とマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」だった。

トバイアス・スモレット(Tobias Smollet1721〜1771)は、18世紀の流行作家で「ロデリック・ランダム」の他に、「ペリグリン・ピックル」、「ハンフリー・クリンガー」等の著書がある。ニール・ケアリーはトバイアス・スモレットを研究している設定であった。

ペンギン・ブックスの日本での知名度はともかく、今も健在でしかもネットで注文が出来るようなIT化も立派に遂げていた。ついでなのでそのペンギン・ブックス検索してみたら「ハンフリー・クリンガー」
(THE EXPEDITION OF HUMPHRY CLINKER)だけはヒットした。いつかどこかで読んでおきたい作家としてメモリーしよう。

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哲学のなぐさめ―6人の哲学者があなたの悩みを救う

アラン・ド・ポトンの「もうひとつの愛を哲学する」のレビューをアップしました。是非こちらも合わせてお読み下さい。レビューはこちらからどうぞ>>

「旅する哲学」のレビューはこちらからご覧頂けます>>


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リチャード・ブローティガン
アメリカの鱒釣り
ビッグ・サーの南軍将軍


2004.08.15:この本は先般仙台の実家から浦安の我が家へ持ち出した数冊の本の内の二冊だ。この本を初めに読んだ大学生の時分から実に20年という時間が流れている。我ながらこんな事で感慨に耽ったり、書いたりする日が来るなんて、20年だよ20年。

かつて、これらの本にはまり込んで、何度も読み返したりしていたはずだが、今また読み直すと、大部分忘れてしまっている。こんな話だったっけ?「ビック・サー...」って。リー・メロンや登場人物はもっとずっと年上だとばかり思っていたのに。今読み返すとみんな若者だ。当時の自分はどの位解って読んでいたのか首をかしげるような部分が沢山あって、こりぁもうワンダー・ランドだ。しかもどちらもまた再び面白い。当時の僕とはまた違った味わいで読めるのは、少しは賢くなったからだろうか。

「アメリカの鱒釣り」の裏を見ると「1985年1月20日21刷」となっている。1985年1月時点で僕は大学3年生だった。あと残り1年で社会人として大人として世に出て行く事に対する不安、何より自分自身に対する自信のなさというか、その年になっても、自分が何者なのかわからないままで、ほんと大丈夫なんだろうかとか、深い悩みを抱えている最中で出遭ったのがブローティガンだった。

圧倒的な挫折感を自らの強固な土台として、淡々と直向に、焼付き乾いた白い道を歩いていくような力強さで語りかけてくる。そのスタイルはあくまでクールだ。「君の不安や挫折感なんて目じゃないさ。世の中もっと辛い事だって沢山あるんだぜ。そうそう、こんな話って聞いた事あるかい?」そんな声が聞こえてくる。

しかし末巻のキャプションに1984年10月に自殺とあって絶句した。そして更に「な。お前はまだちゃんと生きているし、自殺する程の理由なんてないだろ、俺に比べりゃ」ブローティガンは時間や時代を超越して、僕に語りかけてきていたのだ。

あの頃は本や心の中に蘇るブローティガンと向き合って過ごす時間が沢山あったという事に思い当たった。当時の僕は右も左もわからない若造だった。右も左もわからないのは今でもなんだろうが、それはともかく今に比べるとじっくり物事を考える、思索する時間は余りあるほど持っていたんだな。

アメリカ文学におけるブローティガンは詩人、散文作家、ビート・ジェネレーション、中には後期ビート・ジェネレーション世代としたりフラワー・ジェネレーション世代だとする記述が多く見られるが、訳者でブローティガンとも親交があった藤本和子さんのあとがきのなかで本人がビート・ジェネレーション世代である事をはっきり否定している。「あいつらの事は人間としてあまり好きじゃない。」ノース・ビーチには彼らがやってくる前から住んでいたけど彼らがやってきてたので引っ越したんだそうだ。

確かに「ビック・サーの南軍将軍」はタイトルからジャック・ケルアックの「ビック・サー」を連想させるし、執筆された世代もケルアックが1962年に対しブローティガンが1965年と近い。しかしその根底は全く違った土台に建っているのだ。

ビート・ジェネレーション、ヒッピー文化は好きでああ云うスタイルな訳だが、この本の主人公達は何も好き好んでそういう生活をしている訳ではなく、そこに移り住む主人公達はどうしようもなく貧しい。しかもそれは世代を遡って自分達の祖先が東海岸へ到達し、大地に足を下ろした事にこそ原因があり、そうならざるを得ないと言っているかの如く。

その後西へ西へと向かった祖先たちによって、自分たちの世代となり辿り着いたのが西海岸でありビック・サーだった。ブローティガンはビック・サーを「あわびや昆布の永遠のドヤ街」と呼ぶ。この「あわびや昆布の永遠のドヤ街」にして「欧州世界の岸辺」でリー・メロンはシケモクを探して路傍を彷徨い、蛙の大群と戦うのだ。確かに今の自分たちは何がしたいのかわからず彷徨っているが、それは祖先達も西へ向かう事以外に「ほんとは何がしたいのかわかってたのかい?」彼らの背中はそう語りかけてくる。



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「アメリカの鱒釣り」の中で僕が最も好きで、忘れることもなかったのが「木を叩いて(その2)」でこんな話だ。

子供時代の彼が移り住んだ街で街並みの向こう側に白く輝く滝を見出す。滝があるならクリークが有り、鱒釣りができるはずだ。彼は釣竿や釣針を手作りし、パン屑をポケットに丸め餌に、生まれて初めての鱒釣りに胸を躍らせ滝へ向かう。しかし、辿り着くとそこは滝ではなく、大きな屋敷に通じる白い大理石の階段だった。彼は鱒になって餌のパンをその場で食べた。何度読んでも僕には殴られたような感覚が伝わって来る。

僕はブローティガンは遅れてやってきたジョン・スタインベックなのではないかと思うのだが。また、藤本和子さんのあとがきが素晴らしい事も申し添えておく。

<Amazonでリチャード・ブローティガンの作品を見る>
■ 小説
ハンバーガー殺人事件(So The Wind Won't Blow It All Away)」(1982)
東京モンタナ急行 (The Tokyo-Montana Express)」(1980)
バビロンを夢見て―私立探偵小説1942年(Dreaming of Babylon)」(1977)
「Eye Novel」(1977)
ソンブレロ落下す―ある日本小説(Sombrero Fallout: A Japanese Novel)」(1976)
「A Perrerse Mystery」(1975)
「鳥の神殿(Willard and His Bowling Trophy)」(1975)
「ホークライン家の怪物(Hawkline Monster: A Gothic Western)」(1973)
愛のゆくえ(The Abortion: An Historical Romance 1966)」(1971)
芝生の復讐(Revenge of the Lawn)」(1971)
西瓜糖の日々(In Watermelon Sugar)」(1968 )
アメリカの鱒釣り(Trout Fishing in America)」(1967)
ビッグ・サーの南軍将軍(A Confederate General from Big Sur)」(1965)

■ 詩
「チャイナタウンからの葉書(The Return of thr Rivers)」(1957)
「The Galilee Hitch-Hiker」(1958)
ピル対スプリングヒル鉱山事故(The Pill versus the Springhill Mine Disaster)」(1968)
「ロンメル将軍(Rommel Drives on Deep in Egypt)」(1970)
「突然訪れた天使の日(Loading Mercury with a Pitchfork)」(1976)
東京日記(June 30th, June 30th)」(1978)

「芝生の復讐」のレビューはこちら>>

「不運な女」のレビューはこちら>>

藤本 和子「リチャード・ブローティガン 」のレビューはこちら>>

「エドナ・ウェブスターへの贈り物」のレビューはこちら>>

「西瓜糖の日々」のレビューはこちら>>


60年代を正しく理解する海野弘「めまいの街―サンフランシスコ60年代」の読書日記はこちらからどうぞ


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ラスト・ダイヴ―沈黙の世界に挑んだ父と息子その栄光と悲劇
バーニー・チョードゥリー(Bernie Chowdhury)


2004.08.12:艦名不明のUボートがアメリカ北大西洋沖合い100キロの海底で1991年9月に発見された。何処からきて何故こんな近海で沈没したのか、司令室付近への魚雷攻撃の傷跡が濃厚な「UWHO」の謎は水深約73mに沈んだ船体の中から証拠品を引き上げない限り解く事はできない。ダイヴィングに魅せられ、困難で有れば有るほど闘志を燃やす冒険家でもあった親子クリス、クリシー・ラウス(Chris and Chrissy Rouse)の挑戦と悲劇。

洞穴(ケイブ)ダイビングは閉所恐怖でなくても息苦しく感じる行為だが、沈船(レック)ダイブ、海底に沈んで以来誰も足を踏み入れたことのない船にわけ入るのは、更に空恐ろしい事じゃないかな。人並みはずれた潜水技術だけでなく、余程の肝っ玉の持ち主でなければやる気にもならないのではないかと思う。本書は、この親子がダイビングを始めた経緯や当時のダイビング事情、ダイビング誌「イマースト」の編集者でもある著者自らの、沈船ダイビングでベンズ(減圧症)に合い九死に一生を得るという背筋の凍るような体験談等を織り込み、経験したものにしか語りえないリアルさで描かれている。

ラウス親子がダイビングを習ったのは1988年の春だった、僕たち夫婦も90年代初め一緒にライセンス取得の為PADIで受講したんだけど、思えばダイビングに興味を持ったきっかけというか、その背景をちゃんと考えた事って余りなかったな。はっきりしているのは、テレビ番組の『すばらしい世界旅行』でジャック=イヴ・クストー(Jacques-Yves Cousteau)とカリプソ号、そしてその潜水チームのルポを、それこそ正座して観ていた。話は逸れるがこの番組は1966年から1990年までの24年間も続いた驚くべき番組で、それこそ物心付いたころからずっと日曜日の夜の定番だったものだ。うちの家では家族中が結構真剣に観ていたと思うのだが、中でもクストーの日は特別だった。

調べてみると潜水の歴史は意外に古く、古代ギリシャの時代約2300年前に遡るようだ。とは言うもののその活動領域はリスクに反してかなり限定的なものだったはずだ。

1650年には空気ポンプの開発が開発、1837年、金属製のヘルメットが作られ本格的な水中での活動が可能になったらしい。ジュール・ヴェルヌが「海底二万里」を書いたのは1869年。海産物の採取や船の修理等の実用面と、潜水=探検冒険というフロンティアとかアドベンチャーと云った熱っぽい世界が成立した。しかし、この時代の潜水はチューブで繋がった不自由なものだった。

こんなダイビングスタイルを一変させたのがクストーだった。1943年にクストーがアクアラングを開発したのだ。アクアラングの開発により、ダイバーはチューブの拘束を解かれ自由に海の中を活動できるようになったのだ。

1950年代に入ると海軍がこの新しい機材を使って安全に潜るために作った減圧表を元にして、指導団体等が設立され講習プログラムが行われるようになりダイビングは職業ダイバーや探検家たちだけのものではなく一般人にも解放され始めた。またクストーの「沈黙の世界」が1953年出版され、1956年には、同名の映画がカンヌ映画祭でグランプリ、更にはアカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。この時代はアクアラングによるダイビングが世界に知れ渡るようになったいわば黎明期と言える時期だ。

1960年代に入るとスポーツとしてのダイビングが世に出始める。その一つがケイブ・ダイビングだ。チューブに拘束されないダイビングスタイルを活用して今まででは入り込むことが不可能だった場所へと人類は進出し始めたのだ。偉大なるクストーにしてもわけいるべき海はあまりにも大きすぎたという事かもしれない。1966年、ケイブ・ダイビングの草分けシェック・エクスリー(Sheck Exley)は16歳の少年でダイビングも学びだしたばかりだ。

一方60年代はテクニカル・ダイビングの確立と共に、潜水と生理学の関係も明らかになりつつある時代で、最先端の人々は海ばかりではなく、内なる自分へも目を向け始めた時代でもあった。また60年代を象徴するもう一つのムーブメントはフリー・ダイビングだろう。フリー・ダイビングは映画「グラン・ブルー」でも紹介された無呼吸の潜水競技の事だ。ジャック・マイヨールが当時の世界記録を破り水深60mに達したのは1966年6月の事だった。これを機会に、エンゾとの宿命の対決が展開された。この時代にケイブだレックだ、ナイトダイビングだといったダイビングのフロンティア精神は沸点に達したと思う。僕のような40歳代前後のおやじは、そんな時代の最中に生まれた訳だ。

映画界では1965年に「007/サンダーボール作戦」、007は特に当時の一部の大人の男の心を直撃した事は間違いない。それら引き続き1975年に「JAWS/ジョーズ」1977年に「ザ・ディープ」というダイビングをモチーフとした作品が公開された。「JAWS/ジョーズ」、はスピルバーグの出世作であり、「ザ・ディープ」と共にピーター・ベンチュリーの小説の映画で、これらの作品によりアクアラングによるダイビングが広く認知されたと思う。私の記憶では「ザ・ディープ」でニック・ノルティ演ずる主人公は小説の中で、クストーの探検隊にスカウトされるのが夢で、30歳を過ぎた今でも筋トレを欠かさない男として描かれていたと思う。また映画のサントラのドナ・サマーのボーカルの艶っぽい事。レコードを買って繰り返し聞いたものだ。小説と映画ではちょっと違った結末が用意されていてこれまたおいしい映画だった。映画とノベライズを併走させるコマーシャル手法もこの時代がハシリだったのだね。

1980年代に入るとダイビング中の生理現象もほぼ解明され、ヘリウムガス等を混合したエアの取り扱いも科学的に計算できるようになった事から、深海域での活動領域の拡大と、活動時間可能時間も安全に管理できるようになった。経験を重ねた指導団体による管理下で行われるレジャーダイブが本格的に復旧しだしたのがこの1980年代以降だ。一方この年代は急速に拡がる裾野と向上する技術によるボトム・アップのバイアスがかかり始め、最先端付近では更なるフロンティアを目指す危険な圧力が高まり始めたと僕は思う。なんと云っても新規参入は簡単だったのだ。勿論商売だから当たり前な訳だが、当時のPADIは来るもの拒まずで、その何と言うか、ダイビングを始めるとか、ライセンスを取るイコール仲間に入るみたいな雰囲気で、遇った瞬間からもうお友達、その敷居の低さは夫婦で参加する事を不安にさせる程だった。

更に決定打として1988年には「グラン・ブルー」が公開され、ダイビングが我々の内面に、太古から受け継ぐ生理現象に眼差しを向けたストイックなスポーツである事を表明した事だ。ダイビングは巷のスポーツより精神世界へよりトリップした世界観で行われる行為な訳だ。
カラフルなダイビングスーツとギア、そして何よりダイビングができるというクールなイメージ。こうして僕たちのようなレジャー目的な半ば陸ダイバーを吸収しつつ、80年代は拡大の一途を辿った。

1990年代に入って間もなくの1992年10月12日に本書の主旋律であるクリス、クリシー・ラウス親子が事故死。1994年4月6日にはシェック・エクスリーがメキシコのケイブ、マンテで死亡。僕たちはこんなニュースを横目で睨みつつオープン・ウォーターに出かけたりしたんだろうか。1997年6月ジャック・イブ・クストー、87歳で死去。2001年12月23日、ジャック・マイヨールがイタリア領エルバ島カローネの自宅にて、自殺。享年74歳。とダイビングの世界を大きく変えた重鎮たちが次々と鬼籍に入り、一つの時代が終わった。僕ら夫婦はこの開拓時代とも言える時代の幕切れに居合わせた事になるようだ。結局僕たちは華奢なかみさんにはEXITに掛かる腕力が大変な負担で危険でさえあるという事とライセンスの維持にかかる手間隙から講習時点で途中下車しちゃいましたので、傍観者に過ぎなかった訳だが、実際水中では沈黙の世界どころか、地上よりも騒がしく無重力状態である事が初心者にとっては地表より不自由な事を学ぶ時間はあり、本書を読んで肝を冷やす事ができる程の想像力は得たのだ。

本書でシェック・エクスリーを知ったが、名前といい、その死に様といい、凄い人であってようだが、カナ読みではネットで検索しても殆んど何も掴まらない。興味を持ち暇と時間のある方は(Sheck Exley)でクグッてみてほしい。また、UWHOだが、ジョン・チャタートン(John Chatterton)らが事故後も調査を継続し1997年8月31日ついに船内でU869のタグを発見。一連の悲劇と大きな謎に終止符を打った。この模様はテレビでも放映されたりしたようだ。
現在ではレック・ダイビングの名所の一つに数えられU869、LOSTSUBのキーワードで検索すると海底のU869の様子がFLSHで見れたりと臨場感のある情報へのアクセスも可能だ。
時代はただ移ろい行くばかりなのだ。

2005/8/28:ロバート・カーソンの「シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち」のレビューを追加しました。

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太古の海の記憶―オストラコーダの自然史
池谷仙之阿部 勝巳


2004.07.25:オストラコーダって?というと、オストラコーダは大きさが数ミリ程度の、ウミホタルを含む甲殻綱介形虫。シジミ等の二枚貝に入った小さなカニのような生き物で、この二枚貝の様な背甲が特徴。

彼らは4億年以上も体構造を保ち続けている、言わば生きた化石の代表格であり、最古の性別、オスの発現が確認された生物でもある。

生物分類学はいつもすごくややこしいと感じるが、ここでも例外ではない。詳しく書き出してみると、
動物界Animalia-節足動物門Arthropoda-大顎亜門Mandibulata-甲殻綱Crustacea-貝虫下綱Ostracodaであり、貝虫下綱Ostracodaはムカシカイムシ目(Palaeocopoda)ウミホタル目(Myodocopida)カイミジンコ目(Podocopida)の3目54科5650種以上と分類されている。といった感じになるようだ。

つまり甲殻綱、エビ、カニに代表される網の下に属する貝虫下綱がオストラコーダ。介形虫は貝形虫とも記載される。うーむ、やっぱりややこしい。

生きた彼らを採取し生態を研究したり、石灰質の背甲の化石などから種の特定したりと云った研究活動や調査方法が綴られつつ、研究者の間で生まれる友情や確執等も描かれていて、ややポイントがぼやけ気味ではあるものの、悠久の時を超えた営みに魅せられて追い続ける著者達の熱い思い、研究活動に没頭する彼らの姿勢には胸を打たれる。

本の中では、海外の研究者に比べて日本の研究者は、煩雑な書類手続きやイベントに振り回されて、本来の研究活動に没頭できないとぼやいているが、それでも仕事に追われて走り回る日々を送っている僕からは羨ましい生き方に写りました。
また、筆者のひとり、阿部勝巳氏は1988年に千葉県富津で事故死されている。富津でウミホタルを採取している最中だったのかもしれない。

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「光速より速い光-アインシュタインに挑む若き科学者の物語
ジョアオ・マゲイジョ


2004.07.17:現在我々が住んでいるこの世界の制限速度である光の進む速度が、実は可変かもしれない。

アインシュタインは、光が進む速度がばらばらだと、事象の前後関係が狂ってしまう事に気づき、この制限速度を設け、過去の事情を、その後の事象が追い越すことのない、言ってみれば秩序のある世界をデザインした。これは、相対論の中核を成す概念で、ここから絶対時間の考え方が崩壊し、有名な E = M c2 が導き出された。この発見は、人類に従来の世界観から凄まじい概念的跳躍を強制するとともに、それに続く多くの発見と発明に繋がった。
著者のジョアオ・マゲイジョは、この人類史上最大の洞察とも言える、この原則に真っ向から挑む、VSL(Varying speed of light cosmology 光速変動理論)を引提げて、登場した。

入り口で感じるのは、こりゃトンデモ本か?という感触だが、本人は理論物理学者で、しかもロンドン大学インペリアル・カレッジの教授。主張はあくまで、科学論文として厳しい査閲を通ったマジもマジ、大真面目な理論なのだ。本書は理論物理学者の世界では最早掟破りとなっている相対論への反論となるようなこの理論を、そもそも閃いた時から論文を世に生み出し、大きな波紋を呼び、更には現在進行形で、相対論や量子論を繋ぐ理論への発展へと進化させていく自伝的過程を綴ったものだ。

理論物理学者なのに相対論へ反論なんて、正にトラブル・メーカーそのもので、それこそ、ジョン・ホーガン「科学の終焉(おわり)」を髣髴とさせる人間味溢れる学者連中の、完全無視、瞬間激怒、妨害行為等数々の修羅場を生み出したようだ。そんな事に怯んでいたら大きな仕事は出来ないと言わんばかりの著者は、飄々とした文体で語りかけてくる。しかし、その実態はポルトガル人でラテン系、血液が沸騰しやすい血筋で、激論、怒鳴りあい上等、183pの空手使いで、しかも二枚目。そのままのキャラクターを使って小説が書けちゃうような人物だ。

また同時に本書は、相対論との比較を行う上で、一般の読者に対し相対論の概念を非常に分かりやすく解説している。特に相対論が導き出す地平線問題や平坦性問題にも詳しく言及している。相対論や宇宙論の入門書としても是非お勧めしたい内容だ。

こんな本に出逢える事こそ、正に活字中毒者冥利というものだろう。相対論や宇宙論の科学読み物は、見つけると手を出さずにはいられなくなる僕だか、この本を読んで何故自分がこの分野の本に手を出すのかが分かった。それは、物理学が要請する概念的跳躍感にあるようだ。全くの素人で、下手の横好きに過ぎない僕でも、天動説、落下速度、空間の曲率、ブラックホール、ビックバン、等の今までに聞いた事もないような考え方に出会い、概念的跳躍を果たしたときに感じる浮揚感だったのだ。著者は物理学の研究はアドレナリンが噴出すると言っている。アインシュタインが、水星軌道を自分の理論で計算したところ、実際の軌道と完全に一致した時には、数日間我を忘れて恍惚感に浸っていたという。物理学の本を読む事は、物理学者が味わうその高揚感の一部を共有化する行為という事なのかもしれない。

ところで、この本のテーマであるVSL(Varying speed of light cosmology 光速変動理論)だが、ビック・バン直後の初期宇宙はインフレーションを起こし急速に膨張したと言われているが、このインフレーション理論は地平性問題と平坦性問題と解決する事が出来る強力な理論だが、一方でこの理論は、この宇宙が開いているのか、閉じているのかという疑問、何故、宇宙定数は、非常に少ない確立でしか発生し得ない、現在の宇宙の存在を許すの値であるのかというラムダ問題を生じさせている。
VSLはE = M c2 のcが変化すると捉える事で、Eが変化する、即ちエネルギー保存則を破る事を許している。これによって平坦性問題を解決をしつつ、ラムダ問題を同時に解決可能にする理論なのだ。
最近の観測で、宇宙の膨張速度は過去に比べて早まっている、加速しているという結果が相次いで報告されている。VSLはこの問題の解決策にも成り得ると考えられるというのだ。
また、更には量子重力理論との接近である。絶対時間・絶対速度を認めない特殊相対性理論と量子重力は、相容れない概念となっており、これはアインシュタインの目指した「大統一理論」を完成させ物理学を完成させる目標を阻む大きな問題になっている訳だが、VSLは、超ひも理論との融合を進める事で、この問題に対しても解決策を提示できる可能性が秘められているというのだ。

勿論、このVSL理論はまだ生まれたばかりの理論であり、批判的な意見も当然存在し、実験的に確かめられたものではない。しかし、しかし、これは楽しみな旋律が割り込んできたものだ。

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海のアジア (1)海のパラダイム
尾本恵市、濱下武志、村井吉敬、家島彦一 編集委員


2004.07.10:6冊のシリーズを成す、「海のアジア」の1巻目だが、12名の様々な分野における知識人の専門知識を駆使し、アジア圏域を海から見つめ直した時、どんなパラダイムが得られるだろうか。

本書の目論見は見事に成功し、非常に幅広い分野から溢れるような情報量と、眩暈を覚えるような思考転換により新しいパラダイムを提供してくれる。目次と著者をざっと並べてみよう。

 「海のアジアが開く世界」 濱下武志
■海のパラダイム
 「海と人類」 秋道智彌
 「アジアの海洋環境と生態系」 加藤真
■海のアジア史
 「西からみた海のアジア史」 家島彦一
 「東からみた海のアジア史−朝貢と倭寇」 濱下武志
■海から考える時代
 「海を渡った女性たち」 森崎和江
 「国際海洋法の新しい思想」 布施勉
 「アジア都市の流転−リポートシティへ」 村松伸
■海の感受性
 「海と疫病−つなぐ海、へだてる海」 飯島渉
 「傷ついた海−苦悩するフィジーのインド系住民と新しい南太平洋の文学」 中村和恵
■口絵の言葉
 「海へのまなざし」 門田修
■座談会
 「海とは何か、アジアとは何か」 尾本恵市・濱下武志・村井吉敬・家島彦一

狩猟採集生活をしていた初期人類は、大型獣を追って鮮新世約250万年前にアフリカ大陸から世界中へと進出した。その後、その子孫で肥沃三日月地帯にいた集団が農耕技術を発明し、自らが農作物を持って、又は農耕の伝播という形で再び拡散した。農耕民族と農作物の伝播は東西方向に進んだが、本書の「海のパラダイム」では、その移住民族が海に行き当たり、漁労、航海技術を身に付け、フィールドを海に移すことで南北方向に展開した姿が鮮やかに描かれている。僕たちはアジアの広い海域に拡がる豊富な資源とそれを覆うように拡散し、今もその海からの恵で生かされているのだ。

新石器時代、既にオーストロネシア語族は太平洋のほぼ全域とインド洋、マダガスカル島へ拡散していた。この時期はヤンガードライアス期が終わり現在の海水位に向かって上昇し続けており、それまでは徒歩で移動が出来た場所が広く海に飲み込まれ、食料事情も悪化、舟を使って外洋へ進出せざるを得ない背景があったのだろう。

しかし、アジア圏のこの水域、赤道中心に低・中緯度のフィリピン南部からインドネシア東部の海は、地球上で最も豊富な魚類相を持つ地域だった。更にこの広い範囲を南北の軸で捉えると、北太平洋西部、日本海、オホーツク海と北上するに従い、魚類相の多様性は減少するが、個体数は逆に大きくなる。この海洋資源の豊富さがオーストロネシア語族の南北方向への拡散、アジア海域での展開と繁栄の鍵となった。ジャレッド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」の東西方向の発展と対をなす南北方向への展開は、両立してはじめて僕たちアジア人、そして日本人の歴史的バックボーンとなる。

また、こうして海を通じて、海の道で繋がりあった文化圏では、舟による交通を前提として集落や都市が生まれた。海をフィールドとして捉えると、砂漠地帯に点在する都市やオアシスと同等の配置と関係になっているのが分かる。これらの都市や人々はこのネットワークにアクセスする事で様々な取引を行ってきた訳だ。

海は我々に日々の糧を恵み人類の進歩に大きく関わってきたものである事は言うまでもないが、一方で悲劇も生んできた。海は疫病を運び込み、民族や家族を引き裂き、またその海をめぐって我々人類は互いに戦って来た。ここには、陸地と海の区別はない。そして、人種差別、領海問題という、現在進行形の未解決な問題も存在している。

現在の国際条約では、海は海岸線を基線とし領海十二カイリ(約二十二キロ)、接続水域二十四カイリ(約四十四キロ)、排他的経済水域二百カイリ(約三百七十キロ)、そのその側を公海と定めている。これは1982年4月30日、国連海洋法条約の草案が可決、1994年に発効したものだか、1967年11月1日国連総会でアービド・パルドーが海洋を人類の共同財産としようとする演説によって提起された事に遡るという。

200カイリ問題、何も解ってないまま子供の頃ニュースで繰り返し流れていたのが思い出される。
泳いで渡れたり、隣国が対岸に見える国もあれば、全く海岸線を持たない国もある。日本は国境を接する大陸とは違い島国だから、というように考えがちだが、本書はそういった規定概念も軽く乗り越えて僕の心に迫る。

シリーズ2「モンスーン文化圏」へ
シリーズ3「島とひとのダイナミズム」へ
シリーズ4「ウォーレシアという世界
シリーズ5「越境するネットワーク

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書斎の博物誌―作家のいる風景
海野弘


2004.07.09:書斎、今書斎を持っている日本人ってどの位居るのだろうか。これ以上ない程大人の響きを持つ「書斎」ではあるが、そんな書斎に案内された事はおろか、持っているという人にも遇った事がない。勿論この僕もリビングの片隅に置いたパソコンに向かい、カタカタと文章を打ち込んでいる。その「書斎」で、しかも博物誌と来たもんだと。しかし海野氏の目論見はタイトルからは思いもよらない所にあったようで、冒頭から読者は意表を付く裏切りに遇う事になる。

マルセル・プルーストは「失われた時を求めて」の殆んどを蒸気化した喘息の薬で煙る全面コルク張りの寝室のベットに横になり、抱き抱えた膝頭に乗せた紙に書いたそうだ。更に本人の語った逸話として、紙とペンさえあればどんな場所ででも書くと言った話が紹介されている。

ヘミングウェイは、パリのカフェのテーブルでメモ帳に鉛筆で書いていたそうだ。ガタイに合わない小さなメモ帳に背中を丸めて書き、鉛筆がちびると、ポケットから鉛筆削りをだして、くるくる削ったりしているヘミングウェイが見えてくるようだ。つまり、二人は絵に書いたような「書斎」とは無縁な状況で後世に語り継がれるような歴史的傑作を書き下ろした訳だ。

また書くための道具に目を向けると、「書斎」が屋敷の中で孤立した存在になっていき、書き物机が、ライティングビューローのように、閉鎖的でクローズドされた作業スペースへと変遷していく一方、筆記具は羽ペンから、万年筆へとモバイル化、アウトドア化して来ているのが興味深い。

しかし、どんなに書く道具がモバイル化しても、書く行為自体が内証的な行為である事に変わりはない。携帯でメールを打ちながら歩くOL達も、正に内証的な行為を遂行中なのだろうが、極端な牛歩状態で蛇行してあるいているのは、まるで泥酔したサイやゾウのようだ。中にはヘッドフォンを付けていたり、その上チャリに乗っているという剛の者もいたりする。ありゃいい加減法律で禁止すべきで、実際すごく危険だ。メールなんだから、落ち着いた時と場所でやりゃいいのにねー。

いやいや、そんな話ではなかった。内証的な行為である以上、場所がどこであろうと本来、構うことではないという話だ。勿論他人に迷惑を掛けない限りは。そして純粋に内証的な行為であっても、外界との接触が不要な訳ではなく寧ろ、外部からの適切な刺激が、内証活動に影響を及ぼし、本人の意図せざる形で創作活動に生き生きとした味わいを付け加えることもある。目指せワンダリング・スカラー(遍歴する学者)なのだ。

ワンダリング・スカラーの代表格、松尾芭蕉は、外界からの刺激を内証的な創作活動へ転化する天才だったのかもしれない。海野氏本人も旅をし、旅先のホテルの部屋に据えつけられたテーブルで書いているようだ。当人が何と言おうと正に紛れもなくワンダリング・スカラーだ。そして必要なのは、筆記用具と圧倒的な孤独であると説く。これは万人に共通する書く事の条件なのかもしれない。徹底的に内証に向かう旅こそ正に書く行為であり、この内証行為にストイックに立ち向かう戦いこそ、ワンダリング・スカラーである。僕もせめてワンダリング・ステューデント位を目指して頑張るとしよう。


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人間性はどこから来たか―サル学からのアプローチ
西田利貞


2004.07.08:そう、人間の人間たる特質は一体どこから来たのか、どの時点で我々のものとして確立したのか、という本だ。僕にとっては、つかみは十分すぎるタイトル。しかし一方相変わらず懲りない男だと自分でも思う。「どこから来たか」に引っかかったのは間違いなく明らかだで、手にした瞬間は、全く気付いていないのが情けない。これはもう習性というべきかもしれない。

導入部で我々が肥満になるのは、狩猟採集民族時代に獲得した倹約型遺伝子が目の前にある食べ物がある以上飲み食いを続け、無くなったら我慢するという、当時に適合した命令を、現代のこの飽食の時代にあっても尚、活性状態にあるが故に起こると云う話が出てくる。このエピソードは先般読了した佐倉統氏の「わたしたちはどこからきてどこへいくのか」にも同等の内容が紹介されていたのでびっくり。佐倉氏はそれに続けて、僕たちは狩猟採集民族時代の遺伝子を持っているが故、現代の文明社会には本来合わない体だという主旨の事を書いている。痩せる為には文明を離れ、狩猟採集生活に戻るべきで、体には最も合っていると言わんばかりだ。肥満の原因に400万年前の話を引き合いに出されてもねぇ....

一方本書で西田氏はこのエピソードを、サルと人間の分岐を辿る足がかりとして捉えている。人間は狩猟採集生活をしていた類人猿の集団から分岐派生したと考えられ、狩猟採集生活から農耕生活への移行を進める過程で現在の人間性という特質を獲得したと見るという全く違ったアプローチを取っているのも興味深い。

ちょっと二人の経歴を調べてみたら西田氏は京大の教授を2003年3月末で定年を迎えている。一方佐倉氏は1990年に京都大学大学院理学研究科出身という事で、佐倉氏が西田氏の授業を受けているとか、このオーバーラップは京大の経歴と何か関係があるのかもしれない。装丁こそ、全く異質だが、タイトルといい、内容の重複具合は、偶然とは思えない。不思議な話ではありますね。

本書で西田氏は長期間に渡って人間性という特質を形成してきた過程ではなく、類人猿から人間へジャンプしたごく少数の人類の祖先がどのような特徴を持った集団であったのかという極めて瞬間的な時代を映し出す事に主眼をおいている。つまり現代の人々が持つ人間性がどこから来たかではなく、寧ろどんな類人猿の集団から派生し、選択的に生き残こり、先鋭化してきたかという事であろう。想定されている分岐の時期は所謂イースト・サイド・ストーリーに添う形を取っているようだが、残念ながら具体的な年代特定はぼかしてあり、明言を避けた形になっている。こうして振り返って見てみると本書のタイトルは「人間性はどこから来たか-サル学からのアプローチ」というより、「どんな類人猿から人間は分岐したか-サル学からのアプローチ」のような感じかな。

ところで、本書で取り上げられている分岐時期の頃の類人猿というかヒトの特徴とは、父系集団であった事、互恵的社会を作っていた事、家族という概念を持っていた事、高い知能(問題解決能力)を持っていた事、不完全ながらも二足歩行を行っていた事、等が挙げられている。

大変面白いので読解能力は拙いが、もう少し具体化してみよう。分岐時期の類人猿とヒトの橋渡しとなった集団は、雄のボスを中心とした父系社会を構成する集団であった。しかしボスを中心としてはいるものの、集団内に複数の家族が並存する重層的社会を作っていた。家族意識は明晰で、近親相姦を避ける行動を取り、集団内で自分の家族と他の家族との識別も曖昧さのない識別が常に可能だった。家族や同一集団に対する帰属意識が強い一方、他の家族、集団に対する許容性が非常に高く、他人の子供の世話を進んで行ったり、他の集団とも非暴力的な関係で接する事ができた。また一方で、戦う段になると武器を使用し、徹底したジェノサイドに発展する傾向を持っていた。

個体の特徴として、雄は雌に比べ大型で雌雄の形態の差異が大きい性的二型と呼ばれる性差を持ち、この違いから性的分業が起こり、雄は狩猟活動、雌は採集活動と、より食物の効率的収集が可能になった。子供を抱き抱えて採集生活を行う雌は殆んどが右利きであったようだ。左手に子供を抱き、空いた右手で木の実などを潰す都合上道具を使うようになった上に、右手で道具を使うことで、言語野が発達し、言語能力を獲得したのではないかという西田氏独自のアイディアも紹介している。また彼らは場合によっては二足歩行もし、他の動物や類人猿に比べ著しく高い問題解決能力を保持していた。子供に対する教育行動が発達しており、互恵行動や道具の扱い等を他の類人猿に比べて非常に上手に行うことができた事が、社会や集団文化の維持に貢献した。

これらの特徴は現代社会の人間たちと大差なく、400万年前の祖先の姿を容易に想像させるものである。先日小学2年生になる我が娘が「ゴリラは何時か人間になるのか?」という問いをぶつけて来た。人間になる事はなくとも、言語能力を獲得したり、火を使うようになったりとマジであれこれ思いを廻らせていると、この400万年前にはそう大きな相違のない類人猿が何故此れほどまでの差異を生み出したのかについて、我々は依然として何もわかっていない事に気付く。そして次の400万年の間で「ゴリラは何時か人間になるのか?」についても僕らは答えを持っていない事にも。

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失踪
ティム・オブライエン


2004.07.03:ベトナム戦争は様々なジャンルでモチーフに使われている。しかし文学で語るべきものがある作家というと、このティム・オブライエンと開高健が浮かぶ。個人的には作家としても好きな二人だ。
この二人とは、ベトナム戦争に興味を持って手当たり次第に読んでいた時に出会った。何故ベトナム戦争なのか云うと、学校での歴史授業が江戸時代前後で終ってしまい、近代についてちゃんと教えてくれていなかった事に端を発していると思う。中学校の頃、歴史の教科書には太平洋戦争等の近代史の項目や記述があるのに、学年末では最期まで行かずに途中で終りになってしまったというのが強い印象として記憶に残っている。僕はどうして今現在がこの状態になっているのかが知りたかった、何となく教科書を最期まで勉強すればそれが解る様な気がしていたのに。

また、その頃は洋画にハマってB級アクション映画なんかを貪るように観ていた訳だか、当時のアメリカが何故そんな在り様なのかの知識抜きでは理解できない所が沢山ある事に気づいた。僕が物心ついた頃には既にベトナム戦争は泥沼化していた。時事問題やニュース、映画や小説あらゆるものに、アメリカの、アメリカとの、そしてベトナム戦争を起点とする関係、問題、そして文化に溢れていた。

戦前戦後を通じて語られる文化や物語は勿論多々あるが、戦争を前後して歴史の断絶が起きてしまう一面もあると云う考え方がある。例えば第2次世界大戦後の日米関係は、対戦前の関係とは直接関係がなく、戦争により一方が勝ち、一方が負けた事、それが現在の日米関係の在り様に影響を与えているのだとする考え方だ。至極尤もな考え方だが、そう考えると今のアメリカが何故今の在り様なのかは、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争を起点として考えないと解らない事になる。

本当の意味で映画や小説を理解する為には、時代背景や文化風俗を知らなければダメだと思った。これはもう自分で調べるしかない。こうして辿り着いたのが、1950年代以降のアメリカの歴史であり、文化でありベトナム戦争なんだろうと思う。ベトナム戦争前後というキーワードで当時のニュースや出来事を読み返すと、随分と違ったものが見えてくると思うのだが。

ベトナム戦争を起点とする上で何か本を探すのであれば、ニール・シーハンのノンフィクション「輝ける嘘」が、アメリカが参戦していく事になる過程から読める最良の著書だと思います。この辺りから入られる事をお勧めします。

さて、本書「失踪」だが、中年域の夫婦者と思われる二人が交わす会話で幕を開けるが、最初のうちは前後の脈絡がないので、何の話をしているのか解らないが何か奇妙な緊張感と殺伐とした雰囲気が漂っている。一方で法廷での証言のような記述が割り込んでくる。この証言内容も前後の脈絡が不足していて、この夫婦とどんな関係のある話なのか、時間軸がどうなっているのかは不明で、こちらも不安を感じさせる内容だ。そして両者は何か重大で悲しい出来事を予見させる。

読み進むに従って当初は意味を成さない何気ない会話や、証言が結びつき、徐々に読者の頭の中で寄り合わさって、読者に二人の関係と彼らの過去、そして文中には描かれていない将来が明らかになってくる。平行した物語を重層的な時間軸で描くという従来の書き方とは異なる小説技法を取り、強烈な余韻を残す事に成功した傑作だ。原題は、”In The Lake of Woods”レイク・オブ・ウッズはミネソタ州とカナダのオンタリオに跨る実在の湖だが、タイトルは「失踪」の方が読後感を体現していて寧ろ相応しい。

また、こちらはこの作家全体を通じて言えることだが、登場人物たちは、ベトナム戦争というか、戦争の是非を叫ぶこともなく、政府や国民の非を唱えることもない。描かれるのはあくまで、個人の経験としてのベトナム戦争であり、ただひたすら戦争と、戦争という経験とに向き合い続ける。物語の設定ももはや戦場を離れ、戦後に視点を移した。この厳しい体験を抱えた普通の人々の生き様に、そしてこうした体験を抱えた人々がいるアメリカの現代を見つめる、自ら従軍し目撃者となったティム・オブライエンの悲しくも優しい眼差しがある。
ご本人のサイトはこちらから

作品リスト

「世界のすべての七月(July, July)」 (2002)
"Tomcat in Love" (1998)
「失踪(In the Lake of the Woods)」 (1994)
「本当の戦争の話をしよう(The Things They Carried)」 (1990)
「ニュークリア・エイジ(The Nuclear Age)」 (1985)
「カチアートを追跡して(Going After Cacciato)」 (1978) 
"Northern Lights" (1975)
「僕が戦場で死んだら(If I Die in a Combat Zone, Box Me Up and Send Me Home)」 (1973)

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わたしたちはどこから来てどこへ行くのか-科学が語る人間の意味」 
佐倉統/木野鳥乎


個人的には何より気になる、手に取らざるを得ないタイトル、哲学書という分類と罪のない可愛らしげな絵。しかし侮ってはならない。数ページ読み進んで私は途方にくれてしまった。私には著者が想定している読者像すら読み取れないのだ。誰が言ったか知らないが、駄作、失敗作程学ぶべき点が多いという説を頭から信じている私は、こういった理解不能な本や映画に出会った時、途中で投げ出せず、隅から隅まで探らないと気がすまなくなってしまうのだ。僕にとってこの本のアプローチのどこが壁になってしまうのか。そんな事を考えながら読みきった。

私たちは何処へ行くのか、死んだらどうなるのか?ん?タイトルに反してやや個人的な話だな。死んだら親族や友人の心の中に面影としていつまでも生きている?まぁひとまず考え方の一つとして置いておくとして、それで十分じゃないの?って、これで終わりかい!!顎外れました。誰がそんな答えを欲してわざわざ哲学の本を開くのか。この程度で十分、とか、だいたいこんな感じかなで終ったら学問は死ぬんじゃないの?疑問に対し妥協せずに熟考してきたからこそ、今の人間社会があって私たちが居ると思うのですが。この本の提示してくる落着点の距離感はなんなんだ。

ドーキンスやミームを度々持ち出して科学的という体裁をとっているが、私には詭弁に写る。進化論にしても遺伝子にしても、集団としてある一定の幅で生態や行動が固定されるものを説明するものであり、その幅は環境変化に対応する必要からもかなり広く、その中にいる個体が具体的にどのような行動をとるべきかのという話とは、そもそも直接的な関係はない。集団としての行動傾向と捉えてはじめて、遺伝子的、進化論的傾向が見出せるものだろう。まして個人的な生死感とは直接関係がない話だ。

子供を作らず他人の子供を育てたり、社会的な支援活動をする等の互恵的な行動は、遺伝的な場合もあれば、ミーム説によって巧く説明できる場合もあると思うが、ある個人が子供を作るべきかどうかは別の問題だ。

更に本書で述べられる生死感について、魚は死を恐れないという記述がある。だから人間が高等で、だから死を恐れるというような趣旨だ。経歴を拝見する限りサル学等の動物行動学にも精通しているとみられる著者が、動物に心がないと言っているように聞こえる事に非常に違和感を感じる。これも誰か想定している読者向けに書いたのだろうか。

ここで突然だが金子みすゞの「大漁」をご紹介しよう

朝やけ小やけだ 大漁だ
大ばいわしの 大漁だ
はまは祭りの ようだけど
海の中では 何万の
いわしのとむらい するだろう

更に脱線するが、浜田広介の「椋鳥の夢」という素晴らしいのもがある

むくどりの 夢のかあさん 白い鳥 さめて見る かれ葉の上の白い雪

勿論これらは比喩だが、本当のところは当面の科学技術では確かめようがないというのが正解だろう。僕個人としては動物にも心があると考えたいし、自分の子供たちにもそう感じて欲しいと思っている。

いろいろ調べてるうちにぶつかったのが「進化倫理学」という言葉だ。そう確かに本書は個人的にどう行動すべきか、どう考えるべきかという点で倫理的ではある。個人として倫理的である事は大変結構なことだが、この進化倫理学というものは、どうも曲者で倫理学に軸足をおいて、というか人が倫理的なのは、人類の進化の過程で要請されたものだとしているようだ。つまり、倫理的な事が生き残る上で優位であるという訳だ。なるほど種全体としてそう考える事には無理はないかもしれない。問題なのは進化倫理学はここで更に個人の行動にブレイクダウンする事だろう。特定個人がどのように行動すべきかを進化論的に諭されてもね。僕個人が他人の子供より、自分の子供を大事にする事に対して、貴方のやっている事は進化論的に正しく、それは遺伝子によって要請される行動だと言われても、じゃ、どうしてという疑問は相変わらず丸々残っており、これじゃ堂々巡りだと思う。進化論で特定の殺人事件や、誰某がホモだといった事の説明は出来ないのだ。倫理は宗教と結びつき宗教は当然の事ながら神と魂に結びつく。これらは歴史的にも進化論とは水と油の関係だった訳で、個人レベルの問題では特に混ざり合わないものだと思う。

これら倫理上の問題は結局、個人的な感性な訳で、良し悪しやレベルの高い低いを語れる類のものではない、しかし人類を霊長類として特別な存在に置く前提を含んだ倫理に、私は傲慢を見る。あえて言えばこの格差というか考え方の幅こそが進化が要請しているものだというまとめで終ろう。

2004年度も7月に入り、第2クオーターとなった事でページを新設しました。

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