こちらのページでは2004.4月〜2004.6月までに読んだ本をご紹介しています。
2004.06.27:建築家、都市計画から思想家に転じ、現代文明の批評家、特に大規模システムは内在する予測不能な事故が取り返しの付かない事態を招くとし、原子力発電等のハイテクシステムに対し警鐘を鳴らしている。
また自らを現象学者と位置付けているが、これは、人類社会の一般的な主観:客観から離れ超越論的還元からの視点で現代文明を再確認するアプローチを表明しているのだろう。
不勉強ながら簡単に纏めてみると、超越論的還元とは、目に見えるものの存在は、無意識のうちに客観的にも実在するものと思い込んでしまう訳だが、一端立ち止まって考えると、その実在性には意識上の現象にすぎない事が言える訳で、先ずは此れを認める、前提におくというのを超越論的主観性と呼ぶが、こうした視点から意識された世界を再構成してみる作業を超越論的還元という所だろうか。
本書では、可視領域外の光によって照らされる世界観を実在として理解している現代人という捉え方を示すことから幕を開ける、現代社会では夜でも照明を灯す事で昼間のように活動が可能になったばかりか、赤外線やレーダー等の光を使い、物の実在を認識している。
更にはビデオシステムと通信の組み合わせで距離と時間を超越してしまった。私たちは目に見えない所にいる事が隠れている事にはならず、何処に居ようと、恰も目の前にお互いが居るかの如く、見つめ合い、話し合うことができる。
当たり前のように理解しているものを先の超越論的主観性として捉えなおすと、見つめ合っている双方の同時性はか弱いばかりか、相手の実在性すら危ういという事実が剥き出されてくる。
我々はこのビデオと通信システムにより常に欺かれ、操作される危険性をもっている。一つの例として挙げられているのが湾岸戦争の際に繰り返し流された「少女ナイーラの証言」だ。これは、クウェート難民の少女が、イラクのクウェート侵攻の際、イラク兵が大勢の赤ん坊を殺しているのを見たと証言をしている映像で、これを観た米国世論は派兵へと一気に進んだが、実際はヤラセで、少女は駐米クウェート大使の娘であり、現地には居なかったばかりか、演技指導まで行った上で撮影されたものだったという話だ。
この事実が明らかになった頃には、後戻り出来ない位事態は進展してしまっていた。これはブッシュ(父)の時の話だが、現在進行形のイラク派兵も、大量破壊兵器の存在が契機となった訳だが、結果は出ずじまいで、その経緯自体も有耶無耶になりつつある。
親子で同じ様な事を繰り返すブッシュ家も凄いが、あっさり同じ手に乗っている一般大衆も情けないよね。スマート爆弾によるピンポイント攻撃は成功した時の映像は公開されるのに、誤爆の映像は一切出ないのも大衆を欺いていると言えるでしょう。
また、距離の喪失と、実在の抽象化、レーダーの画像なんかですね。により殺戮行為ですら実感のない行為にすり替えられてしまう。ゲーム感覚の画面とボタン操作で行われる攻撃ではもはや、相手国の死傷者数すら数えられない位離れて行われる。
更に本書はアインシュタインは哲学から、それまでの現実認識の箍を取り払い相対論の元となる洞察を得たがポール・ヴィリリオは、最新科学から哲学へのフィードバックを試みているようにも読める。彼の手によって再構成され、超越論的還元する事で浮かび上がってくる世界観とは。スピードを上げて疾走する現代社会と同調して進もうとする哲学的アプローチはスリリングだ。
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英国の哲学者(1919〜2001)ウィトゲンシュタインから直接教えを受けた弟子の一人で言語分析的哲学の発展に寄与した女性。本書は1957年の著作。
読みました。全部。残念ながらよく解りませんでした。普通は途中である程度は何とか追いつくものですが、本書は最期まで、追い付けませんでした。まるで最初から最期まで1つ文章で書かれているような手強さでした。
冷静になって考えると、サブタイトルの−−実践知の考察−−ですら意味を把握できてないかも。
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2004.06.26:ピュリッツアー賞2001年度芸術小説部門受賞の日本語版の本書は翻訳目的で著者自らが原典と比べて大幅に短くしたダイジェスト版を書き下ろしたものだ。翻訳目的のダイジェスト版?
著者のマイケル・シェイボンは1963年生まれで僕と同じ年生まれ。23歳でデビューした「ピッツバーグの秘密の夏」がベストセラーとなったのを皮切りに、「ワンダー・ボーイズ」はマイケル・ダグラスの主演で映画化。「悩める狼男たち」ではO・ヘンリー賞、本書でピュリッツアー賞、映画「スパイダーマン2」の脚本にも参加。アメリカ文学界の時代の寵児と目される人物そうだ。
ここ数年、アメリカ映画はバットマン、X−マンとアメコミを連発中で全盛だ。息子もどっぶりはまり込み、勉強していてるのかと思いきや鉛筆をセロテープで指先に巻きつけ「ウルヴァリン」に変身中だった事にカミさんもがっくしきていた事が記憶に新しい。
最近の娯楽映画は「ロード・オブ・ザ・リング」といい「ハリー・ポッター」といいイギリス人が作った物語で、でなければアメコミかディズニーだ。
「ロード..」に至っては昔の物語を引っ張り出したと言える訳で、要は映画化するに足る原作の供給が不足してきている、アメリカのエンターテーメント創造パワーには翳りが出てきたと感じるのだが、如何なものだろうか。
マイケル・シェイボン本人も筋金入のアメコミファンだそうで本書はそのアメコミに纏わる小説である。物語は1939年のWWUの影が忍び寄ってきている時代、ドイツから単身アメリカに住む親戚を頼り脱出してきたユダヤ人の少年ジョセフ・カヴァリエが従兄弟のサミュエル・ルイス・クレイマンと出会う所から始る。
脱出マジックを体得し、美術の心得のあるカヴァリエは、クレイの協力で「エスケーピスト」なるアメコミヒーローを生み出す。カヴァリエの「脱出」に纏わる知識と残して来た家族を脅かすナチスの影を物語りにフィーチャーする事でヒット作となり大金を手にするが、開戦、続く家族へ降りかかる悲劇により運命は再び大きく進路を変えていく。
1940年代の時代背景とアメコミ黎明期の業界史とを織り交ぜながら進行して行くは時代考証も恐らく正確で、ピュリッツアー賞の受賞に繋がったものと思われるが、こっちが読んでいるのはダイジェスト版。
そのせいか後半のストーリー進行にはいささか置いて行かれてしまいました。「エスケービスト」は現実アメコミとして出版され、本編は映画化も予定されているという、作者にとっては何度も美味しい結構な話ではあるし、これだけの本を書くのだからシェイボンの才能に疑うべき部分はないのだろうが、他の作家の不在という部分に目を向けてしまう僕はやっかんでいるのだろか。
最近電車に乗っていて気づいたのだが、本を読んでいる人よりも携帯でメールを使っている人の方が多くなっている。読者数が減少している事は明らかで、小説家は喰えない職種になっていくのだろうか。
DVDの普及に伴い映画館に向かう足は遠のき、新作で空振りするより、好きな映画を繰り返して見てしまう事から家ではレンタルビデオの会員も辞めた。家族で見ることを考えれば、新作だってDVDの方が安上がりだし。インターネット、デジタルコンテンツが小説とか映画というカテゴリを崩壊させていき、極めて少数の才能ある人物しか入り込む余地のない領域になっていくのかもしれないですね。
「スパイダーマン2」を子供と一緒に観て来ました。その様子は「
出来事」でご紹介しています。
ご本人のサイトは
こちらから。しかしかなり難解
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2004.06.19:読書のジャンルを変えると言っても、どうしていいものやら、とりあえず小説に戻ろう。しかし結局冒険海洋ものやないか、そして更にはジャック・ロンドンじゃないか。好きで読んでいる本の範囲を変えるなんて、そう簡単な事ではありませんね。
ジャック・ロンドン(1876年〜1916年)ですが、サンフランシスコの貧しい家に生まれ、1893年17歳でベーリング海でアザラシ猟を行うスクーナー船ソフィー・サザランド号に漕艇夫として乗り込んだ。またこのとき小笠原諸島の小島に立ち寄り10日間の程の休息を取ったそうだ。1903年27歳の時僕の愛読書の一つでもある「荒野の呼び声」を執筆し反響を呼んだ。
本書は長編小説第二作目で先の遠洋航海の時の経験を生かして書かれたものだ。
彼のその強烈な彼の生き様は、この簡単な経歴から受ける印象とは程遠い事はご存知だろうか。アーヴィング・ストーンによる彼の伝記「馬に乗った水夫」(SAILOR ON HORSEBACK)から少しだけその中から補足してみよう。
彼の母フローラ・ウェルマンはオハイオ州の裕福な家系に生まれた。彼女は他の兄弟達とは違いノイローゼの傾向があり感情的に不安定な娘だった。彼女はある日突然家出し、その後2度と再び両親と連絡を取り合わなかったそうだ。サンフランシスコに流れ着いた彼女は占星術や神秘学へ傾注し、ピアノの家庭教師をする一方で交霊会の手伝いをして収入を得ていた。
また同時に複数の男性と交際し、一部の男性からは金銭を得ていたふしもある。
海野弘は「癒しとカルトの大地」で精神的に不安定な事から治療も兼ねて気候の良いサンフランシスコに移住しカルトに染まるのを一つの近代アメリカのムーブメントだと捉えている。正に彼女はこれを地で行っていた訳で、現代的な表現を用いると、トンでる女性だったと言う事になるのかもしれない。
ジャックを身籠った時に同居していたのは高齢の占星術や神秘学の実践家で、誰の子かについて二人の間で口論となった挙句彼女は自殺未遂事件を起こし別れた。彼は生涯ジャックを自分の息子として認めず、本当の父親が誰なのかは謎のままだ。
ジャックを出産後、彼女が主催する交霊会に亡くした妻に会うためにジョン・ロンドンという男性が参加した。どんなやり取りがあったのか不明だが二人は婚姻届を正式に出し、ジャックと彼の二人の娘の5人で暮らすようになった。
相変わらず貧しい事には変わりはなかったが、立派な体躯と不屈の精神を燃やした少年となったジャックは、生計を立てるためというよりも子供の頃に読んだ「アフリカ旅行記」に自分の未来を見出し、冒険の旅としてアザラシ猟の船に乗り込んだのだった。
前述の海野氏は、移民としてアメリカ大陸へ移住した人々は西へに西へと向かい、ついには西海岸へ到達したが、西へ向かう願望は簡単には消せず、東洋への憧れに繋がったという洞察を見せているが、ジャック・ロンドンは母と祖先の願望を体現し船に乗り込んで西に向かったと考える事もできる。
本書のあとがきには、ジャック・ケルアックの賛辞「狼ラーセンは、メルヴィルのエイハブ船長、コンラッドのノストローモに匹敵する」が紹介されているが、西へ憧れヒッチハイクムーブメントを作り出した彼をここで登場させているのも、偶然ではないだろう。
遠洋の旅から戻った後、小説家として世に認められ、ついには史上最高額の原稿料を受け取る作家となっていく過程も、1916年11月22日40歳で自らの命を絶つまでも、勿論途轍もなく長い物語がある訳だが、此処までで辞めて置こう。
自ら社会主義者と称し、ダーウィンやニーチェに傾注したとされる彼の世界観は「荒野の呼び声」と同様に本書でも存分に発揮されており、その中心となるのが「狼ラーセン」船長だ。彼は永遠の魂や神の存在を一切信じず、人間も弱肉強食、適者生存の法にのみ拘束されるという考えを持っている。また超人的な精神力と筋力を持ち、同時に独学とは言え大変な英知を備えている。
彼はその狡猾な知恵と常人離れした力で、自分の船に乗る如何なるものにもこの法の適用を強いる独裁者として船と船員たちの頂点に君臨し支配している。彼にとっては猛烈な嵐も反抗的な船員も克服すべき壁であり、打ちのめされて敗北するか、ねじ伏せて勝利するかのみが常に問題であり、勝ち進み生き残った者の遺伝子を次世代に引き継ぐ事のみが生命の目的だと考えているようだ。
冒頭文芸評論家であるハンフリー・ヴァン・ワイデンが客として乗り込んでいたサンフランシスコ湾を渡る蒸気船マルチネス号が沈没、この地獄船に救い上げられる。自分自身の面倒もろくにみられない上流階級者の姿を彼の中に見た狼ラーセンの気紛れにより、強制的にこの船の給仕係りとして遥か遠洋のベーリング海を目指すアザラシ猟の船旅に同行させられる事になってしまう。
「自分自身の足で歩く事を学ばせてやる」という訳だ。外洋を進む帆船に襲い掛かる大自然の驚異と船という閉ざされた世界で狼ラーセンによって扇動され争いあう船員たち、ハンフリーも嫌が上でも生き残りを賭けて行動せざるを得なくなっていき、その試練はやがて彼の精神力と体力、そして生命力に大きな変化を生じさせていく。
日本ジャック・ロンドン協会という会が運営されるほど、日本でも愛されており、プロフィールや著作リストは協会HPが詳しい。またIT企業のSUNが運営しているサイト
The Jack London Collectionは資料がすごく豊富だ。彼の写真や狼城The Wolf Houseのイメージがあるばかりか、ライブラリィが設置され原文ながら短編も含めて多数の作品を読むことができるようになっている。
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2004.06.12:最近地中海関連の本が続いているが、シュメール文明の本のレビューでそろそろ一端締めくくる事にしよう。本書は監修を三笠宮崇仁が行っているという点でも面白そうだったので手にとってみた。
古代メソポタミア文明に関する書物は読みにくいものが多いが、そのなかでも本書は読みやすい部類だと思う。また当時崇められていた神々に焦点を当てることでその時代の人々の考え方や文化を焙り出していくアプローチは、日本人にとって理解し易いものかもしれない。
シュメール人は紀元前9000年頃に東のイラン高原またはインドから肥沃三日月地帯へ移住し、農耕と云う人類史上最大の発明と言える偉業を成し遂げた人々だ。
約2万5千年前の最終氷河期にアフリカ大陸から進出した人類だが、1万2千5百年前には温暖期からヤンガードライアス期へ移行し海水面が急上昇し気温が再び低下する事態となった。シュメール人が今は地中海の海底となってしまった地域に暮らしていた人々だと考えると辻褄が合うのかもしれない。
干上がった低地では海抜こそマイナスだが淡水の川と湖のある地域だったが、海水の流入により大規模な淡水生物の死滅が起きた。急激に流入してきた海水に土地を追われ、見知らぬ生態系に囲まれた彼らは生きて行く上で必要な食物を必死で手探りして口にしていたと思われる。
その食糧事情の悪化が農耕の発明に繋がった訳で、彼らがアトラ(ム)・ハシース物語という洪水伝説という神話を抱えた民族である事は当然の事だろう。その後農耕技術を発達させる事に成功した彼らは紀元前2000年前頃からのバビロニアの増強等によって次第に没落してゆくまでの7000年間もの間に現代社会の主だった基盤の殆んどの文明を発達させたのである。彼らはこの間文字を発明し、都市と国家を形成し、軍隊と政府を組織、更には大規模な神殿を建築するまでに至った。
大規模に発展した都市はそれぞれ固有の神と結びつき、人格と意思を持った神として他の都市と信頼し協力したり、呪いあい戦ったりした。その都市に住まう人々はその神の予言や神託に基づき考え行動していた。
正に神の体の一部として、他の都市へ農作物を与えたり、攻撃を仕掛けたり、命をなげうって守ったりしたのであろう。彼らにとって神は対峙するものではなく属するものであり、そこでの一般大衆は個人としての人格が希薄で、全体の中の一部としてのみ存在している状態に近い。そしてその個の集合体として都市が神として生きていたのであろう。それは我々の身体で言えば手足や内臓と脳、1つ1つの細胞と意識の関係である。このような自動的で機械的な個の喪失と全体での意思を持つかのような振る舞いはメーテルリンクの「白蟻の生活」に描かれた白蟻たちのようだ。
また各々の都市がそれぞれ神から預言者が神託を受けていたのなら、地域全体として不整合が生じていたはずで、理由も解らず突如として侵攻され滅ぼされた都市もあっただろう。現存する神話は戦いに勝ち残りその物語を書き記すことが出来たものに限られている訳で、滅ぼされた都市の物語は文字通り徹底的に消し去られ、過去という暗闇の向こう側から再び決して現れることは出来ないだろう。数千年前に生きた人々は思いがけないほど文明的でありながら、現代人とは懸離れた宗教観と生死感に愕然する。
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2004.06.05:ロサンゼルス郡自然史博物館館長で地質学者でもある著者の手による本書は恐竜の絶滅の原因を巨大な隕石の落下によるものとする説が認知されるまでの長い道のりをレポートし、近年の最新情報に基づき、その白亜紀と新生代第三紀の境目を作った6500万年前の大事件の状況を解り易く解説してくれる。
1960年代初頭生まれの僕の子供時代、恐竜絶滅と氷河期は何か宿命とも云えるような原因不明の環境循環の一環で起こった悲しい出来事として描かれていた。氷河期が到来した直接の原因は火山の噴火によるとされるものが大半で、「良く解っていない」と後を引くような締め方をしている図鑑とかが多かったと記憶している。
寝入りばなの布団の中で僕は恐竜の絶滅や氷河期についてあれこれ想像を巡らしていたものだった。しかし同時にその頃大人たち、科学者達もこの同じ謎に取り組んでいたんだなと改めて感じさせられた。
事の起こりはノーベル物理学賞の受賞者でもあるルイス・アルヴァレス(Luis Walter Alvarez 1911年6月13日〜1988年8月31日)が息子で地質学者のウォルター・アルヴァレス(Walter
Alvarez 1940年〜)とグッピオにあるK/T(Creteceous/白亜紀) ・(Tertiary/第3紀)境界と呼ばれる地層の成り立ち、そしてこの地層の地質の年代特定する方法について語り合った事だった。
父のルイスはノーベル賞科学者とは云え地質学では門外漢だが、並居る専門家たちに怖気づく事もなくまた、専門外で在るが故に先入観のない直感に導かれてK/T境界が巨大隕石の落下によるものではないかという仮説を唱える。落下の衝撃とこれによって引き起こされた大規模な天変地異によって大量絶滅が起きたという訳だ。
当時の地質学会にとってこのアプローチは到底受け入れがたいものであった。というのは1830年キュビエが天変地異説を唱えたことに端を発し学会を揺るがす大激論に発展した事に由来する。
この天変地異説は突き詰めていくと、人類の優位性、更には宗教観にも抵触する大問題を孕んでいたからである。つまり人間は神によって、神をモデルにして創造された択ばれしものであり、それは人類誕生以来普遍のものであるという前提を覆してしまうからである。
これに対しチャールズ・ライエル(Chales Lyell 1797〜1875)は「斉一説」地球上の自然は全体的にみると斉一的、一様で変化が無く、これは時間軸で見た場合にも当てはまるとし天変地異説を否定する考えを唱えた。この主張は広く受け入れられ天変地異説をご都合主義として自然科学の本流から葬ることに成功した。
この宗教観は1859年チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809〜1882)が著した「種の起源(Origin
of Species)」において、今では小学生でも知っている動植物の自然淘汰について語るに留まっているにも関わらず大変な物議を呼んだ事からも窺い知れる。
地質学会にとって大規模な絶滅や天変地異の話題は、過去の苦い大激論の時代を想起させる言わばご法度だった。そんな事情も知った事ではないばかりか、型破りでただでさえ喧嘩っ早いルイスがよりによって巨大隕石の落下という天変地異説で殴りこんできた訳で学会が激震しない訳には行かなかった。
本書は自然科学史上最も醜悪と評されることになる議論(というよりも寧ろ人間性むき出しの戦い)と様々な証拠の発見から次第に認知されていく過程を詳細に描いていく。
やがて、我々は、6400万年前ユカタン半島に恐竜が絶滅し地球全土にK/T境界という明らかな地層を形成する程の巨大な規模の隕石が落下した事を知るに至る。
この事実はまた更に大量絶滅のビックファイブが全て同じく巨大隕石によって引き起こされており、そしてそれがおよそ6500万年毎に繰り返されているという事実を突き付け、未発見の惑星やオールト雲等の太陽系宇宙に対する新たな洞察をもたらした。
そして考察は再び地球物理学へ、隕石の落下はプレートテクニクス、地磁気逆転、ホットブリューム等の大規模変動が隕石落下によって迎起されており、恐竜を絶滅させ人類の誕生の原因を作ったというとする新たなパラダイムを提供するというのだ。ずげー
バリンジャー・クレーター(アメリカ・アリゾナ州、直径1200m、深さ180m)
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地質学会を揺るがす新しい仮説
ガブリエル・ウォーカーの「スノーボール・アース」は
こちらからどうぞ
2005/8/28:ピーター・ラーソン&クリスティン・ドナンの「
SUE スー 史上最大のティラノサウルス発掘」レビューを追加しました。
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2004.05.29:本書は第3回児童文学ファンタジー大賞(1997年)を受賞した作品。時代は弘仁5年(814年)嵯峨天皇の世は、薬子の乱の余韻を引き摺り遷都や征夷等の政に揺れ動く都を背景に物語は始る。
主人公は他愛も無い悪戯心からやった事で可愛がっていた異母妹を死なせてしまい生きる目的を見失った少年。名を小野篁(おののたかむら)という。
拭い去れない罪の意識と忘れることの出来ない妹の面影を求めて彷徨う篁。妹が落ちた古井戸へ向かう途上、都の端に掛かる五条橋の上で出会った不思議な少女阿子那(あこな)。彼女は身よりも無く橋に住み着いている。
古井戸の上で哀しみに暮れた挙句生きたまま三途の河原に辿りついた篁を待っていたのは、橋を守る番人である鬼だった。あわやその鬼達に生きたまま喰われるところへ現れたのは先年亡くなった坂上田村麻呂だった。
篁の辿った冥界への道を遡って現世に現れる鬼たち。阿子那と謎の大男非天丸との出会い。英雄坂上田村麻呂の苦悩。生と死、人間と魔物。運命の糸に結ばれたものものが縒りあって紡ぎだす物語はゆったりと、そして確実に進み、そして少年篁もまた大人へと成長していく。
小野篁は、夜な夜な冥府で閻魔大王を手伝ったという伝説がある実在の人物で、冥府に通ったとされる古井戸のある六道珍皇寺は鴨川に掛かる五条橋を渡った先に今もある寺だそうな。後人の作とされる「篁物語」は篁と恋仲となった異母妹が引き裂かれたことから死に、亡霊となって現れる話だそうだ。
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一方、あの世との境界で魔物を防ぐ役割を背負わせられている坂上田村麻呂も、日本最大の国書の叢書「群書類従」(ぐんしょるいじゅう)によれば亡くなった際、天皇の勅により、甲冑・兵杖・剣・鉾・弓箭・糒・塩を持たせ立ったまま葬られたとされている。更にその墳墓は国家の非常事、鼓を打つ、雷電が鳴るように響くという。
本書のあとがきで伊藤遊はファンタジーの賞を貰ったにも関わらず「ファンタジーとは何なのか今もって私はかわりません」と述べているが、謙遜というより寧ろ、冥府や鬼を実在のものとして捉えていた当時の生死感を踏まえた物語として書いたのだろう彼女の心を表していると思う。面白い!!
読書日記「えんの松原」は
こちらからどうぞ
2006/04「
つくも神」のレビューを追加しました。
2006/07「
ユウキ」のレビューを追加しました。
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2004.05.09:クルースタッフとの諍いや、歯痛の話が突然割り込んできたりするわりには、あまり臨場感が沸くわけでもなく非常にとっつきにくく、旨く言えないが、状況が捉えにくい本でした。しかし、ネットで色々調べてみると本書の評価は非常に高い。
それは地中海海底を掘削して得られたサンプルを調べることで古代の地球規模の出来事を組み立てるという壮大な計画DSDP(深海掘削計画 Deep Sea Drilling Project)の一環として1970年8月に出発した第13節航海の調査船グローマー・チャレンジャー号(Glomar Challenger)に地球物理学者として乗り込み、地質学者の旧来の否定的な考えを覆し、今では小学生でも知っているプレートテクニクスの考え方を不動のものとした言わば、エポック・メイキングな事件に発展した発見をした航海の記録であるからである。
本書は航海日誌と学術書を合わせたような体裁になっている。この中で彼らが海底拡大の明らかな証拠となる試料を手にする過程や、この本のタイトルともなる太古の時代に地中海が干上がったという仮説の根拠となる、地中海海底深部の試料に岩塩からなる蒸発岩の発見から、掘削を続けていくに従って確信に変わっていく模様が描かれている。そしてそれはジブラルタル海峡が、ナイアガラの滝の100倍規模の滝だったという革命的な発想に繋がっていく。にも関わらずあくまで素っ気無く繰り返しで悪いけどとっつきにくい本だが。
ジブラルタル海峡
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また未読だが同じ著者による「地球科学に革命を起こした船――グローマー・チャレンジャー号」という大著が後に出版されている。
そして、この航海中もう一人の主席科学者であるビル・ライアンは、以前の読書日記でも紹介した「ノアの洪水」を著しているが、この本もこの第13節航海と1961年10月から実施されたウッズホール海洋研究所(WHOI)のチェイン号(Chain
(ARS-20) )によるボスポラス海峡の音波調査によって得られた知識に基づいている。
では、DSDPとグローマー・チャレンジャー号について少し、1908年、ユーゴスラビアの地震学者によって地震波の走査曲線が折れ曲がる現象から地殻の下に不連続面が発見され、その名に因んでモホロビチッチ不連続面(モホ面)と名付けられた。
その後、このモホ面内部で対流するマントルによって地殻が変動するプレートテクニクス理論が説かれた。このモデルは地殻が玄武岩、マントルはより重いカンラン岩から成っているとされその境界が、モホロビチッチ不連続面だとする形態をとっており、この理論を証明する為には境目が実際に玄武岩とカンラン岩にあるのか掘削して確かめる以外ないことから1961年に米国が独自の資金で「モホール計画」と銘打ち実施されたが失敗、資金面でも頓挫した。
その後複数の科学機関から資金を集めた国際プロジェクトとして1968年に設立されたのが深海掘削計画(DSDP)だ。そして南大西洋、太平洋掘削航海、メキシコ湾の掘削航海を経て本書で取り上げられている地中海の掘削航海がグローマー・チャレンジャー号によって行われた。
この船は元々が海底油田開発を目的とした掘削船を改造して作られた船でモホール計画で掘っていた船と比べ性能が格段に良かったようだ。しかし、必ずしも潤沢とは言えない資金でどこをどの位掘削するかは、賭けの伴う作業だったようで、この第13節航海は不吉な数字のジンクスを破り大きな成果を挙げた。
計画拡大に合わせ新造船グローマー・エクスプロラー号(GlomarExplorer) が加わったが、この船はCIAが1974年にハワイ沖に沈んでいた旧ソ連の潜水艦引き揚げに協力した事に絡み、プロジェクトから離脱せざるを得なくなった。
核兵器を搭載していたこの潜水艦は1968年3月8日に沈没したK-129で、米国原潜ソードフィッシュと小競り合いの上衝突したと推測されている。K-129は乗組員98名が死亡。ソードフィッシュは事故の6日後横須賀で潜望鏡を修理している事が確認されているが真相は藪の中だ。
この時期の米ソ間はキューバ危機、北爆、原子力の開発競争と関係が激化した最中であり、グローマー・エクスプロラー号は米国のこの核弾頭の引き揚げに加担したという訳だ。またこの船がヒューズ社によって作られており、この核弾頭回収計画にハワード・ヒューズ本人の影がちらついていたりする。
K-129の一件でグローマー・チャレンジャー号が早々に退いた関係で、プロジェクトにはジョイデス・レゾリューション号:JR号(JOIDES Resolution)が参入し掘削を行った。
余談だが1968年に起きた原潜事故K−219はドキュメント「敵対水域」で本になりハリソン・フォード主演で映画化されたが、これとは全く違う事件だ。紛らわしいので書いてみた。
その後1975年には日本が資金提供で参加し名前も国際深海掘削計画(IPOD)へと改められた。またグローマー・チャレンジャー号は1983年の11月まで調査航海を続け1980年には日本にも寄港し、青森県沖等の掘削も実施した。
しかし、前述の通り第13節航海によってプレートテクニクス理論も不動のものとなり、目を見張る発見はあくまで初期の段階で達成されており、著者も革命は終わったと独白し現在も巨額が投じられているIPODに対しては否定的で痛烈に批判をしたりしているようだ。
関連書籍 「ノアの洪水 」
ウィリアム・ライアン&ウォルター・ピットマン
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2004.05.01:すごい話もあったものだ。これぞ本読みの幸せ。謎が謎を呼ぶこの物語の中心はフランスはラングドック・ルシヨン地方ピレネー山脈の麓にある小さな村レンヌ・ル・シャトー(Rennes-le-Chateau)。イエスの妻であるマグダラのマリアの生地だという伝説を持つこの村には1059年に立てられたというマリア教会が建っていた。1885年この教会に若い神父ベランジェ・ソーニエール(Francois
Beranger Sauniere)が赴任。教会の修復の際に柱の隠し穴から新約聖書の一説が書かれた羊皮紙を発見した。しかしそれは中途半端な改行や奇妙なスペルの間違い・余計な文字の挿入があるばかりか、意味不明の図が書き込まれているものだった。
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またこの村には、1208年のアルビジョア十字軍によって滅ぼされたアルビジョア派・異端カタリ派の最期の生き残りとされたドープール・ド・ブランシュフォール(Blancheforts)の侯妃マリー・ド・ネグリ(Marie
de NEGRE)の墓があるが、1781年に没した彼女の墓石も大文字と小文字の使い方が誤っており、羊皮紙と同様中途半端な改行と誤字、意味不明の図が彫られていた。この二つの奇妙な文面は実は暗号で、ソーニエールはこのこの謎を解いたと云うのだ。
村人に施しを受ける程の貧しい生活を強いられていたソーニエールであったが、ある時、県都カルカソンヌ(Carcassonne)から出所不明の大金を手にして戻り、現在のお金に換算して数十億とも推測される資金で教会を大改修した事に由来する地元の噂話である。これが単なる噂話に止まらないのがこのお話しの面白いところだ。
改装されたこの教会もまた謎の塊ともいえる代物で、入り口では悪魔の像が出迎えていたり、向かい合って立つマリアとキリストの像はそれぞれ赤子を抱き、キリストが十字架へ向かう場面を描いた道行きの留も、不思議な仕草をする余計な人物が書き込まれているのだ。
羊皮紙と墓石からどんな謎を解いたのか村人達は噂しあった。アルビジョア派・異端カタリ派の隠し財宝を発見したとか、聖杯を発見したというものや、中には、マグダラのマリアの生地であるこの土地にイエスの直系がおり、その秘密をローマに伝えた褒美だという話まであったという。
しかしソーニエールはその件について一切何も語ること無く世を去り、片田舎の村に不相応な教会だけが残った。やがてこの片田舎の不思議な話は歴史に中に埋没し、世間からは忘れられていった。
BBCで放送され、当地は宝探しのメッカともなり、
ネット上でも羊皮紙やマリーの墓石の写しや教会内部の像なども見ることができる。この土地には本書で紹介されていない暗号めいたものが彫られた石碑や像等が他にもたくさんあるようで、ネットで検索するのもなかなか楽しい。
これらのブームの仕掛け人とも言うべき著者の手による本書は、近年この謎に三度挑み、新たな発見と更に新たな謎を見出した最新レポートといった体裁で書かれている。その新たな謎とは一体どんなものなのか?この詳細はネタバレになるのでここでは触れない。興味のある方は是非どうぞご一読を。
ここで、オード県の県都カルカソンヌについて少し、フランス南部のこのラングドック・ルシヨン地方はワインの産地として知られているが、カルカソンヌはその歴史を紀元前1世紀の古代ローマ時代にまで遡る城塞都市で世界遺産にも認定されている。
ローマ帝国の都市として産声を上げたこの都市は、5世紀には西ゴート族、8世紀にはイスラム、フランク族、その後トゥールーズ伯爵領,子爵領へと遷移した。トゥールーズ伯爵領の時代にゾロアスター教に起源を持つ、二元論とキリスト教を融合させたアルビジョア派が現れ広く信者を増やした。
カタリ派とも呼ばれるこの教義を異端としたフランス王国が放ったアルビジョア十字軍によって信者は殲滅され、1247年にフランス国王領となった。
このトゥルーズ伯爵とアルビジョア派は自らの教義と資産を十字軍から守るために、命がけの戦いを繰り広げ最終的には全滅したとされるが、地下に潜り密教として受け継がれた可能性は十分に考えられる事であり、見つかれば極刑を免れない信者達が暗号や奇妙な図によってメッセージを伝えたと考える事は寧ろ自然な事とも思える。これは確かにこの地に何かある事は間違いない。
「レンヌ=ル=シャトーの真実」のレビューは
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「マグダラのマリアと聖杯」のレビューは
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2004.04.29:本書は1989年頃からオレンジ色の背表紙が本屋さんで目を引き始めたミステリアス・プレス文庫の一冊。この文庫にはロス・トーマスとか読み応えのある作品が多く、随分読んだが、中でもトニイ・ヒラーマンは僕の大のお気に入りとなった。
また先般実家から持ち帰った数少ない本のうちの一冊でもある。作者は名前から伺える通りドイツ系の白人だが、ナヴァホ・ネイションで育ったという特異な経歴の持ち主。その育った環境である北アメリカ西部の色彩豊かな大自然を舞台に、人種、愛憎、思いがけない大金を巡って起きる事件を追うナヴァホ族警察のお話で、伝統を重んじて生きるナヴァホ族の登場人物達の直向な生き方と、毎回唸らせる様な急展開が素晴らしい。
しかし、日本での人気は今ひとつだったようで最近では書店はおろかブックオフとかですらも見かけることが少なくなり、寂しい限りだと感じていた。シリーズ物なのに翻訳出版された順序が変で、しかも欠けもある。今後日本で最新作を読めるのかどうか心配だ。とっても面白いのに。
ここで、ちゃんとしたリストを書き出すことは有意かもしれない。頭に数字が入っているものがジョー・リープホーン&ジム・チーのシリーズでその正規な順番、数字なしはシリーズ外の作品。日本語タイトルがあるものは、翻訳があるもので、お尻の括弧付きの数字は翻訳本の出版された順番だ。
1 『祟り』The Blessing Way (1970) (1)
2 The Fly on the Wall (1971)
■The Boy Who Made Dragonfly (1972)
3『
死者の舞踏場』The Dance Hall of the Dead (1973) (8)
■The Great Taos Bank Robbery (1973)
■New Mexico (1974)
■Rio Grande (1975)
■Indian Country (1977)
4 Listening Woman (1978)
5 People of Darkness (1980)
6『
黒い風』The Dark Wind (1982) (4)
7 The Ghostway (1984)
8『
魔力』Skinwalkers (1986) (2)
9『
時を盗む者』A Thief of Time (1988) (3)
10『
話す神』 Talking God (1989) (5)
11『
コヨーテは待つ』Coyote Waits (1990) (6)
■ Hillerman Country (1991)
12『
聖なる道化師』 Sacred Clowns (1993) (7)
■ Finding Moon (1995)
13『
転落者』The Fallen Man (1996) (9)
14 The First Eagle (1998)
15 Hunting Badger (1999)
16 Wailing Wind(2002)
17 Sinister Pig (2003)
『死者の舞踏場』は1974年のアメリカ探偵作家クラブ最優秀長編賞(MWA)受賞作。ジョー・リープホーン&ジム・チーのシリーズと書いたが、元々は別々の作品の主人公として登場したものだ。『黒い風』や『魔力』あたりから同じ作品上で交錯しはじめ、この二人の距離感なんかも作者の手腕を感じる部分だったと記憶している。
また、ロバート・レッドフォードが将来出版される本も含めて映画化権を買ったそうで、実際に『黒い風』はジム・チーをルー・ダイヤモンド・フィリップが演じ1991年に「ダーク・ウィンド」のタイトルで映画化された。
残念ながら日本では劇場未公開、レンタル/セルビデオでのみ観ることができるようだ。本書「コヨーテは待つ」は、この映画公開前年の1990年の作品で、物語の中心となる事件の遠因になるのが有名なアウトロー、ブッチ・キャシディだ。彼はボリビアで軍隊に包囲され銃撃戦の後に死亡した筈だったが、実は辛くも逃げ延びアメリカに舞い戻った上に強盗を続けていたという話が使われている。
ブッチ・キャシディ?という方に、映画「明日に向かって撃て」でポール・ニューマンが演じた実在の人物で、西部開拓時代の黄昏に登場した「壁の穴」ギャング団の頭目である。ロバート・レッドフォードはこの映画で相棒のサンダンス・キッド役として競演、この映画は二人にとっての出世作ともなったが、B・J・トーマスとバート・バカラックによる歌「雨にぬれても」は余りにも有名な名画だ。
僕は今はなき仙台の「名画座」でこの映画を観て、本格的に映画狂になってしまった。
驚いたことに実際にブッチ・キャシディの親族の間ではボリビアから生還し帰国後ナバァホ居留地内で暮らしていたという言い伝えがあるのだそうだ。
ヒラーマンがいつこの逸話を取り入れようと思い立ったのか、レッドフォードがいつヒラーマンの本の映画化権を買ったのかは不明だが、興味深い話じゃないですか?本作が映画化される日がくるんだろうか。続編製作の噂も聞けず、やきもきされられる話でもある。
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「黒い風」のレビューは
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2004.04.24:1908年6月30日におきたツングースカの大爆発から始る本書は、2001年8月著わされたミラーマターに関する本だ。ミラーマター、聞き慣れない言葉だ。其れも其の筈著者の造語で、彼は本書でこのミラーマターなる物質の存在を予言しているのだ。
宇宙論における中心的な議論の一つに「この宇宙は閉じているのか、開いているのか」という問題があるが、これは宇宙の全質量にかかわる問題で、この宇宙が十分に重ければ、現在の膨張を続けている空間ややがて縮小に転じて、ビッククランチへと向かうが、軽ければ永遠に膨張を続ける事になる。宇宙論、天文物理学等の分野でこの宇宙の全質量を証明する研究と議論が続いている。
銀河等の大規模な星の集団の運動を観測すると明るさから計算した質量より、角回転運動から計算したものの方が大きくなる事が解ってきた。これはつまり、目に見えない隠れた質量の存在を示唆するもので、ダークマター、ミッシングマス等と呼ばれている。
ダークマターの候補は大きく分けると、銀河ハロー内にその存在を予測されている大質量の年老いた天体、MACHO(マッチョ)とニュートリノに代表される素粒子で,
WIMP(ウィンプ)の二つが挙げられる。
ニュートリノの観測は各国で大規模な実験が実施されており、中でも日本は小柴昌俊氏の提唱により始った「スーパーカミオカンデ」の実験や氏によるニュートリノの質量の証明と活発な働きを行っている。氏がこれらの研究成果によりノーベル賞を受賞された事は記憶に新しい。
しかし、氏のこのニュートリノの質量の証明によって、ミッシングマスを占めるには軽すぎる事も明らかになり、ダークマターの謎は深まったとも言える。
一方、MACHOは銀河ハロー内に原始ブラックホール, 褐色矮星や星間ガス等の発見を目指しており、2001年には実際に重力レンズ効果によって非常に暗い赤色矮星が発見された。
そんな議論白熱する現代物理学の先端に著者はミラーマター物質という大胆な発想で切り込んで行く。コバルト60の崩壊過程の結果から素粒子の物理的基本法則に対象性の破れが判明したが、この左利きのみの物質に対して鏡像対象性を持つ素粒子をミラーマターだとしている。
このミラーマターは反物質と異なり正の質量を持ち、ミラーマター同士で陽子や中性子はもとより原子を構成し完全に通常物質との鏡像関係をつくるというのだ。という事はミラー惑星やミラー星人がいてもおかしくないという訳だ。
俄かにSFめいてきたが本書は全く真剣なのだ。このミラーマター仮説を前提として理論を固めて行くと、このミラーマターが様々な点でミッシングマスを説明する事が明らかになってくる。ミラーマターはSFのようなミラーワールドを形作っている訳ではなく、我々に世界に混在し、唯一質量のみでしか検知できない為、普段は気づくことができないというのだ。
例えば近年恒星の挙動を測定する事で太陽系外惑星の存在を計算する試みが進んでいるがその数値に驚くべきものがあるという。オシリス(HD 209458b)は大きさが木星の1.3倍という大きさにも関わらず水星よりも遥かに近い距離で恒星の周りをたった3.5日という公転周期で回っている。このように大質量のガス惑星が恒星に近接して猛スピードで回転している現象が相次いで発見され、惑星の生成過程は説明不能な謎となっている。
このような惑星が、通常物質とは熱交換しない重力のみで相互作用するとされるミラーマター物質で構成された大規模ガス惑星だと仮定すると矛盾なく説明できるという。
我々の太陽系も角運動量から算出される質量が見かけの質量を上回っている事から、ミッシングマスの問題を抱えておりオールトの雲やダークマター等の諸説あるものの、決定的な回答を見出せずにいる、本書は太陽系外延にミラーマター物質が存在するとするとし、冒頭のツングースカの大爆発は大きなミラーマター物質が大気圏内へ飛来した結果だと云う論証へと展開していく。
鏡像対象性をもった物質の存在は説得力があり何よりエレガントである。更に著者はこのミラーマターは実験によって発見可能であるとさえしており、この主張どおりの発見が成されれば、宇宙の生成や大統一理論をも揺るがす大発見となる訳だが、果たして一体?
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2004.04.10:聖書を読んだことがない人でもイエス・キリストの名前を知らない人は殆んどいないだろう。
僕にとって聖書はプロテスタント系の学校に通い朝の礼拝で読む生活を6年間過ごした事もあって割合身近なものです。
キリストの復活をはじめ聖書には有名な奇跡が述べられていますが、それ以外に聖書にはなにか辻褄の合わないというか、意味不明の出来事が色々あるのは、ご存知ですか?
新約聖書の中には共観福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカによる福音書とヨハネによる福音書の4つの福音書がありますが、内容が似通っている(共観)と云われる福音書間ですら、なんか前後関係がすっきりしない部分があります。
これらは、口頭伝承されたキリストの事件を後の時代になってから継ぎ接ぎし記述された為と推察され、新約聖書に含まれない当時の他の文書も加え、これらを比較研究する学問も発達した。これらの研究を通して「Q資料」と呼ばれる未発見の文書の存在を主張する説も登場した。
1947年に発見された死海文書は発見直後から宗教的・国際政治的諸問題により、1990年代の国際チームでの研究、公表されるまで、長期に渡って全貌が伏せられた状態が続いていた。
一時は死海文書こそ「Q資料」だとする主張などもあったが、聖書の記述と事実関係が食い違う、そもそも時代が別などの諸説入り乱れ、その中の一説として埋没していった。
本書はシドニー大の神学教授である著者が、聖書と死海文書を長年研究してきた結果を纏めた物で、ここで明かされる研究結果は驚くべき内容になっている。ぺシェル(ペシァリーム)は聖書の読解技術だが、これは表面的に語られる聖書の物語の下層に埋め見込まれた歴史的事実について、この宗派のスペシャリストのみに解釈を可能にするものだという。
ちょっと例としてはどうかだが「ネットに行ってググる」が部外者に意味不明なのと同様な感じ?だという。でこの技術を使ってこれらの文書を再解釈した時、死海文書と新約聖書は正に同時代に書かれた文書であり、辻褄が合っていない、不可解な言動が、実は史実に完全に忠実な下層の記述を優先させたために生じたものだというのだ。
そこから明らかになってきたものはどんなものだったのか。
ユダヤがヘロデ王の治世、既に多くのユダヤ人は国を離れローマをはじめ広い地域で商業活動を活発に行っておりディァスポラのユダヤ人として知られていた。
その各地の裕福なユダヤ人の心の故郷であるユダヤの国自体は、辺境の貧しい小国にすぎない存在であった。ローマから派遣されてきたヘロデはユダヤ人ではなかったが、当地の宗教団体と結束し、エルサレム神殿を再建する等、宗教的・民族意識的の結束の旗で国外の裕福層からの寄付を集めた。
当時のユダヤ教は、ローマ文化の影響から幾つかの宗派に分かれ主導権争いを行っていたが、事を複雑にしているもう一つの要因として暦の問題があった。
創世記にその起源を持つユダヤ教は太陽暦・太陰暦のどちらを採用するかによって、今が何年に当たるかの見解が分かれる上に一年を何日とするか、閏年の挿入方法によっても解釈が分かれるという問題を抱えていた。
なぜならこの解釈の差は旧約聖書による予言が成就するのがいつかという重大な問題に直面する事になるからだ。
ユダヤ教では世界は490年を一つのサイクルとして10回続くとされ、最期の審判によって終ると解釈されていた。当時のユダヤでは、創生から4000年が経過し、最期の千年王国の入り口前後にいるという認識だった。その為に暦の計算に莫大な労力と知性が傾けられている時代でもあった。
旧約聖書の創世記ではアブラハムが神の命に従い息子イサクを犠牲に捧げんとし、その信仰心を認めた神はその直前に止め、二人に祝福を与える。
ユダヤ人の太祖はこのアブラハムとされ、この血を引くダビデ王が紀元前千年頃にイスラエルの名の下で12の氏族を統一したが、アッシリア、バビロニアに滅ばされ10氏族は行方が不明になってしまう。ヘロデの治世当時のユダヤ人はダビデ家の復興と、その元で結束して国を再興しようという願望を持っている者が数多くいたと考えられている。
そのダビデ家の血を引くヤコブ=ヘリにエルサレムを中心として西方、ローマをも従属させる天の王国を創造する計画を持ちかけ、言ってみれば象徴的皇位を提供すると申し出たのが、かのヘロデ王であったという訳だ。
この天の王国は正に聖書に予言された千年王国であり、その成就は神に約束されたものであった訳だ。そしてその成就がいつかは暦を数えれば自明の事である訳だが、実際数えるといろいろな説が浮上するという事になる。
このヤコブ=ヘリ・ヘロデの新しいユダヤ教は各地のディアスポラのメンバーの共感を獲得し順調に資金を調達。王を約束された家系の長ヤコブ=ヘリにはヨセフという息子がいた。そのヨセフの婚約者マリアが身籠り、長男を出産した。
その長男は「イエス」と名付けられた。しかしこの妊娠が婚前交渉だった為、イエスの正当性を認めない宗派やエルサレム神殿の計画で敵対化したヘロデがイエスを亡き者にしようと捜索する事件が発生した。
イエスの合法性の問題はこの後も事態を複雑にし、イエスの弟ヤコブを世継ぎとする集団との衝突等、政治的な問題を引き起こしていく。
このイエスを王位継承者として支持する者の立場からみた史実をぺシェルの技術で物語にして述べたものが新約聖書、彼を「悪しき司祭」として「義の教師」をリーダーにして対立した集団が残した文書が死海文書だという。そしてここに正真正銘史的生身の人間としてのイエスが生き生きと蘇る。
「黙示録の謎を解く」のレビューは
こちら>>
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2004.04.04:息子が図書館で見つけてきた本をカミさんが読んで絶賛。んで僕も進められたという次第。しかし読んでみてびっくり。
こりゃ児童図書の枠組みを超えている。子供だけに読ませるのはもったいない。著者は第3回児童文学ファンタジー大賞を「鬼の橋」(1997)で受賞した方で、本書は文壇デビュー3作目。
音羽丸は身寄りをなくし、やむなく女と偽り、帝に仕える女性のみの住まい温明殿(うんめいでん)で働く少年だ。
そんな彼の前に現れたのは「憲平」と名乗る幼子。一目で音羽丸を男子と見破る憲平は東宮、生後まもなく皇太子となった言わば次期の帝であった。
権力争いに明け暮れる大人たちによって翻弄される孤独な皇太子、更には怨霊の影におびえる憲平に自己の境遇との共通点を見出し同情を寄せ、いつしか堅い絆で結ばれていく音羽丸。
生き生きとした人物描写と、女装した少年。女子に生まれる運命だった男子。人になれた雀と鳥のような姿の怨霊等相対比する複数の設定が自然に物語を紡ぎ出すかのように進行していく。
背景の史実を少し整理すると本書は950年頃第62代村上天皇の時代が舞台となっている。
村上天皇の右大臣であり政治の実権を握る藤原師輔はその娘安子の生んだ第二天皇を生後まもなく皇太子としたが、この子が憲平親王(950〜1011)である。
その少し前の醍醐天皇の世(901年)、菅原道真は時の左大臣藤原時平のざん訴により大宰権帥に左遷、903年流刑地で憤死した。都ではその時から落雷が相次ぎ、また藤原時平が急死(909年)、醍醐天皇も亡くなった(930年)。
更に疱瘡が大流行(947年)、するに至りこれらの凶事は道真の怒りが怨念となったものとされた。
主人公音羽丸の両親もこの疱瘡で亡くなった設定となっている。一方村上天皇の更衣祐姫に第一皇子広平がいるにも関わらず、右大臣の藤原師輔は自分の娘安子の生んだ憲平を東宮に立坊。祐姫の父である藤原元方は953年失意のまま亡くなった。この元方の祟りに怯えているのが憲平親王という訳だ。
憲平親王は後の第63代冷泉(れいぜい)天皇で在位期間は967年5月25日から969年8月13日。病弱で奇行や夜中の徘徊等を繰り返し精神的に問題を抱えていたとされ、安和の変により約2年で退位した短命な帝であった。
読書日記「鬼の橋」は
こちらからどうぞ
2006/04「
つくも神」のレビューを追加しました。
2006/07「
ユウキ」のレビューを追加しました。
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1920年代の西洋文化と日本の風俗を捉える際、日本は大正・昭和に二分される為、それぞれ個別に考えてしまいがちだ。その結果重要なポイントを見落としているかもしれない。そんな仮定を東京の「盛り場」の変遷を通じて検討するというのが本書のアプローチだ。
「盛り場」の最大の特徴は一般人とアンダーグラウンドの人が同居している事である。1920年代初頭、「盛り場」とは男性の為の遊び場であり、女子供の来るところではなかった。そして当時の東京の最もホットな繁華街は浅草・吉原だった。ここは正に軍人・役人から遊女が遇い行きかう街だった
。そんな浅草の情景を川端康成の「浅草紅団」を引用しつつ分析し、1920年代の都市として黎明期の東京を焙り出す。
話は逸れるが先日僕は仙台の実家で本の整理をして来たんですが、両親の古い本棚から「浅草紅団」が出てきた。1938年(昭和13年)に出版された川端康成選集の第三巻、パラパラめくるとなんと川端康成ご本人のサインが、うわぉびっくりしましたよ。
その後「盛り場」も百貨店の登場により街の主役は女性・子供へと交代し、「盛り場」としての舞台も銀座、新宿へと移し浅草は衰退していく。「盛り場」を通して東京の街の文化とその変遷を辿っていく。そしてその移ろい易い儚げな「盛り場」が愛しいと海野氏は語る。
そして、橋。東京の情景を語る際、橋なくしては語れない。京葉線ベイエリアから田町が通勤フィールドである僕にとっても東京は水上都市だ。隅田川を上り景色と橋を語る船旅は再び東京の歴史を遡る旅へと趣を変えていく。
江戸の築城やとぐろを巻くお堀と風水の関係からその歴史を語る荒俣氏の「
風水先生―地相占術の驚異」では、風水に則り街を丸ごと竜脈を呼び込む装置として江戸城を中心に寺等の様々なポイントを設置したという。寺に通じる参道に商店街が栄え、背後に「盛り場」が生まれ様々な人々がそこへ渦を巻いて吸い寄せられていく。
それらの風水ポイントを掠めるようにお堀が渦を巻いて江戸城へと向かっている。これは正に曼荼羅だ。更にこの風水先生は風水上重要なポイントである淀川浄水を廃し1991年に東京新都庁を立てた事で都市としての竜脈を呼び込む機能がが損なわれたと主張する。折りしもバブルが崩壊、2004年現在今だに抜け切れていない大きな爪あとを作ったが、あなたはどう考えますか?
「めまいの街―サンフランシスコ60年代」のレビューは
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「癒しとカルトの大地―神秘のカリフォルニア」のレビューは
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「スパイの世界史」のレビューは
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「陰謀の世界史」のレビューは
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「秘密結社の世界史」のレビューは
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「陰謀と幻想の大アジア」のレビューは
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「新編 東京の盛り場」のレビューは
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「海野弘 本を旅する」のレビューは
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「書斎の博物誌―作家のいる風景」のレビューは
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「武蔵野を歩く」のレビューは
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「海賊の世界史」のレビューは
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「ビーチと肉体」のレビューは
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タイトルで思わず手にとって表紙でグッと来て解説が荒俣宏で迷わず読み始めた。しかし作者は1739生・1811没。あれ?すごく昔なのね...作者ヨハン・ベックマンはドイツ生まれ。
本書は原著「Beytraege zur Geschichte der Erfindungen」の抜粋版で1780年から25年もかけて執筆したそうです。岩波文庫「西洋事物起原」は省略なしの翻訳モノで、特許庁内技術史研究会訳で全4冊でているようです。ほほう。
それにしてもモノのはじまりを18世紀の本で学ぶのか?やや不安な気配を感じつつ読み進み、取り上げられている「モノ」に目を向けると、古代ローマ時代ではドイツ製の洗濯石鹸が最高のものとされ.....古代ローマ時代にドイツ製の石鹸?どうもこれは全然違う時代の話をしているようだが、何度読んでもそう取れるな。これ。「バタヴィア地方の泡」と呼ばれていた?バタヴィアってインドネシア共和国の首都ジャカルタの旧名じゃないの?なんで古代ローマと関係があるの?
蒸気機関の項目では紀元前120年頃の既に蒸気を利用した木製の機械が利用されていた?キリストの時代に蒸気機関があったって?こりゃ「パッション」観に行かなきゃ!!消化ポンプは紀元前2世紀クテシビウスが発明した。
クテシビウスをネットで検索したら水時計とか水圧も発明・発見した人のようだ。なるほど、で時計の項目をみると時計を発明したのはクテシビオス?あれ?脚注をみたらいきなり、圧力ポンプ・消火器、水時計・水圧オルガンの発明家ってこれって同一人物じゃないの?
荒俣先生の解説でまたびっくり。そもそもモノの由来のような言ってみれば出所が明確でない、〜と言われている。のような知識を雑学、博物学として世間は取っており、未だに知恵として一つ下に見られている。
しかしこの博物学の存在なくして、知恵の豊かさや大切さ人間の営みは伝えられず、現代の百科事典の編集においても、重要な役割を担っている。本書は、17世紀末という時代にあって堂々と、博物学的見地を披露して憚らない著者のスタンスに驚きと敬意を感じるというような事を書かれておりました。論外に博物学ここに始まる。でも間違ってても良いの?訳注くらいちゃんと付けてくけよ〜。
ページをいつ切り替えようかと悩みながらとうとう新年度になってしまいました。気分一新で4月の更新分からはこちらの新規ページでいく事にさせていただきます。今年度もどうぞ宜しくお願いします。
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