2007年度、電気製品との相性がトラウマになりつつあるオヤジが懲りずにパソコンでレビューを書くこのコーナーですが、最近の勢いで次はどんな攻撃に遭うのか、予断は許さず、このサイトもいつどうなるのか心配になってきている今日この頃です。
「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記(Notas de viaje)」
エルネスト・チェ ゲバラ (Ernesto Che Guevara)
2007/06/30:エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna)。1928年6月14日〜1967年10月9日。
「世界で最も美しい革命家」と呼ばれたエル・チェが友人のアルベルト・グラナード(Alberto Granado)とその若き日々、1952年1月4日から1952年7月26日に南米を縦断する旅行記。
バイクでの旅行。しかも二人乗りで悪路を行こうというのだからその精神には恐れ入る。生半可な体力では乗り切れないだろう。読んで行くと二人は転倒ばかりしている。ただでさえ不安定なのに、後部にかなりの荷物を積んでいるようで、フロントが浮き上がってしまうようなのだ。
悪路なので当然それほどスピードも出ていないのだろうが、大怪我もせずに旅が続いていくのはちょっと不思議な感じだ。バイクはちょっとくらい壊れても針金なんかで応急処置をして旅を続けていく。
バイクのツーリングは楽しい。流れる景色と匂いを嗅ぎながら。体中の節々が痛くなっているのを我慢しながら、道のその向こう何があるのかを好奇心いっぱいの眼を見開いてひたすらアクセルを開けていく。
しかし、本書は1/3も進まないうちにその主役のバイクが故障。ヒッチハイクの旅へとシフトしてしまうのだ。
うーむ残念。
しかも、行く先々で出会った人の好意に甘えて飢えをしのいだと云う話が延々と続くばかりで、革命家として目覚めるような出来事がある訳でもなく。マチュピチュやクスコのような古代遺跡のある場所に辿り着いても、特に目を引くような記述に出会う事もない。
情景があんまり伝わってこないのだ。旅行記なのに。また、彼の独自のものなのか、当時の文化なのか何かを形容している言い回しの意味するところがわからない部分が非常に多くて読みにくい。
これもまたうーむって感じだ。
本書は2004年に映画化され、「モーターサイクル・ダイアリーズ」として公開された。
映画は、ゲバラによる本書「モーターサイクル南米旅行日記」とこの旅に同行したアルベルト・グラナードによる著書「トラベリング・ウィズ・ゲバラ (Con
el Che por America Latina) の二冊を原作としている。
またエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナをガエル・ガルシア・ベルナル(Gael Garcia Bernal)。アルベルト・グラナードをロドリゴ・デ・ラ・セルナ(Rodrigo
De la Serna)が演じた。
またラストにはアルベルト・グラナードご本人が、本人役でカメオ出演して元気な姿をみせているようだ。
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「隠された神の山―モーセの遺産を追え
(The Gold of Exodus: The Discovery of the True Mount Sinai)」
ハワード・ブルム(Howard Blum)
2007/06/30:訳者が篠原 慎氏だったので何の迷いもなく手にとって読み始めた。 篠原 慎氏はフレデリック・フォーサイス、ロバート・ラドラム等と子供の頃からずっとお世話になってきた大好きな作者の数々の本を翻訳された方で、この人が翻訳してしる本なら読んでまず間違いがないと勝手に思いこんでいるからなのだ。
果たして実際そうなのだから凄い。
そして、本書も例外ではなかった。しかも実話だというからぶったまげる。
旧約聖書でモーセが十戒を授かったとされるシナイ山の場所は実は全然違う場所にある。
それも、シナイ半島ですらなく、サウジアラビアに。
サウジアラビア。
ラリー・ウィリアムズ(Larry R. Williams)は商品市場で一財を築いた男だが、成功してやや退屈し始めていた。そんな彼の趣味は古代遺跡の発掘だった。暇を見つけては遺物の掘り出しを行っていた彼の元に、一通のメールが届く。差出人はデイブ・ファソルド。
彼は中東で自作の金属探知機を使ってノアの箱船を探していた男であったが、1986年出会った男に旅先でシナイ山が本当はサウジアラビアにあり、その山の麓には出エジプトの際に持ち出された大量の財宝が埋まっており、これを金属探知機を使って堀だそうと誘われた。
サウジアラビアは極端に閉鎖的な国であり、そこで盗掘するとなると相当の危険を伴う事になるが、ファソルドは、その歴史的意味と埋もれた財宝から眼を背けられずその本物のシナイ山だとされる山に向かった。
麓に到着した彼らが発掘作業をはじめる前に一行はサウジの警察に取り囲まれてしまう。
警察に促され金属探知機を起動し反応があった場所を掘り返してみるとそこからは大きな黄金のブレスレットが出てきたと云うのだ。
勿論それは警察によって没収され、他言を禁じられると共に本人も永遠に国外追放されたと云うのだ。
みんなが信じているシナイ山は全く見当違いな場所で、本物は殆ど誰も知らない別な場所にあり、その麓には大量の財宝が埋まっている可能性がある。
ラリー・ウィリアムズはこの謎の魅力にとりつかれ、パートナーに元SWATの隊員であるボブ・コーニューク(Robert Cornuke)を誘って、綿密な調査と計画を立ててシナイ山に登ろうとする。
サウジアラビアは当時プロジェクト・ファルコンという秘密の軍事計画が動いていた。これはイスラエルに対峙するべくアメリカから購入した大規模な防空システムに、中国から秘密裏に購入した核弾頭搭載可能な弾道ミサイルを組み合わせる事で、強力な戦略システムを構築しようとしていたのだった。
レーガン政権はこの動きを衛星写真の分析によって早期の段階で把握していたが、サウジアラビアもイスラエルも同盟国である関係からこの問題を見て見ぬふりをする事にした。
しかし、アメリカの情報機関にはイスラエルの情報機関モサドのスパイが侵入しており、この情報はすべからくイスラエルの知るところとなった。
モサドは、このプロジェクト・ファルコンの情報を追跡していくが、同盟国アメリカにも秘密で進んでいるサウジアラビアのプロジェクト・ファルコンの情報はそうそうに手に入るものではない。サウジは防空システムやミサイル基地の周辺は警察、軍のみならずベドウィン達をも招集して警備に当たっているのだった。
真のシナイ山はこの世界情勢の渦巻く陰謀の地のまっただ中にあるらしいのだった。
ラリー・ウィリアムズとボブ・コーニュークは何も知らずにこの諜報機関の駆け引きの中に巻き込まれていくのだった。果たして二人はサウジに渡り、本物のシナイ山を発見する事ができるのか。
これは実話である。事実は小説よりも奇を正に地で行く展開。非常に面白い。夢中で読みました。
しかし果たして彼らが向かった山はほんとうにシナイ山だったのか。モーセは本当にシナイ山の麓に財宝を残していったのか。
シナイ山の頂上で何か起こったのか。読む前以上に謎を残す本でもあったのだ。
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ラウズ山(Jabal-Al Lawz)おそらくこの辺
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「オリンポスの雪―
アーサー・C・クラークの火星探検 水と緑の「惑星誕生」ものがたり
(The Snows of Olympus - A Garden on Mars)」
アーサー・C. クラーク (Arthur C. Clarke)
2007/06/17:テラフォーミングとは、他の惑星の環境を地球に似た人間が住めるような環境に造りかえる事なのだそうだ。SF小説や映画ではお馴染みの考え方だけど、これに真剣に取り組むとするとどんな手段を使ってどのくらい時間と費用がかかるものなのだろうか。
火星
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/56/Mars_Valles_Marineris.jpeg
こんな思考実験を行っているのが本書「オリンポスの雪」だ。そしてその思考実験に取り組んでいるのが、誰あろう、アーサー・C. クラークなのである。更にこの試みにはもう一つある革新的な技術が活用されている。
それはVistaproと云うコンピューターグラフィックのソフトウェアだ。
火星の地形の正確な数値をこのソフトを使って映像に起こした上で、そこにテラフォーミングの過程で起こるであろう植物の広がりや、湖の出現などの変化を加えた状態を描き出す事で、その場に居合わせたような体験を重ねながら更にその先にあるものを想像していこうとするものだ。
云うまでもないが火星(Mars)は地球の次に太陽の周りを回っている星で、その直径は地球の約半分。地表には水が一切なく赤く灼けた砂漠が広がるばかりの星だ。
詳しく地形を調べると、かつて火星には水が流れていたと思われるような痕跡が沢山ある事が分かる。ひょっとしたら地下には水が存在するかもしれない。
大気は希薄で地球の約1/100。その殆どが二酸化炭素である。更に気温が低く激しい砂嵐が度々吹き荒れている事が確認されている。
極地には雪のようなものがみられるが氷ではなく二酸化炭素、ドライアイスだ。
人間が住める環境に変えるには少々時間が掛かりそうな状態な訳だ。それでも太陽系の惑星のなかでは最も可能性のある星である事は間違いないらしい。
遙か昔火星は今の地球のように水の惑星だった事があったのかもしれない。そしてそこには生命が息づいていた可能性もある。今だって、地表のずっとずっと下の地底には、豊かな生態系が広がっている可能性だってあるのではないかと思う。
テラフォーミングを開始する前には火星の環境調査を徹底的に行う必要があるだろう。地球の生命に都合の良い環境に変更する事は火星の環境に適応している生命に取っては環境破壊になってしまうからね。
しかし、あくまで火星が不毛の地で生命が存在しない星であるなら、人間はいつか火星のテラフォーミングを開始する時がくるし、それは必要な事だろうと本書は述べる。唯一の母なる地球に関する危機管理上の問題然り、人間のフロンティア精神に火を灯し、将来に向かって進む力を増す為にも推進すべきでそれは実現可能だと。
隣り合う隣人と揉めたり、人種や宗教でいがみ合って命やエネルギーを消費するよりも、もっともっと広いビジョンを持って同じ目的を持って努力する事で人類の将来だけではなく、今の世も変えられるのではないか、そんな示唆が含まれているのだ。
どうにかして水を手に入れる事ができれば、植物を移植、最初は地衣類のようなものから徐々に大きな植物へと、そしてその生息地域も徐々に拡大していく事で酸素濃度を上昇させ、大気の環境を変える事ができるだろう。
4段階で描いた火星のテラフォーミング
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7f/MarsTransitionV.jpg
こんなアプローチによって火星をテラフォーミングしていく過程を深く深く突き詰めてていく。僕たち読者はそのアーサー・C. クラークのあふれる想像力によって長い歳月をかけて行われるテラフォーミングの過程をタイムトラベルしていくのだ。
このテラフォーミングの過程でシンボリックに語られるのが、オリンポス火山である。その標高はなんと27km。頂上にあるカルデラの直径は約80km。裾野の直径は600km近くもあると云う桁違いのスケールなのだ。
オリンポス山(火星)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/Olympus_Mons.jpg
仮に火星の大気や水の環境が地球に近づける事が出来たとして人間が移住できるような日が来たとしたら、山頂は今と違って雪が積もるようになり、そしてその更に将来にはカルデラは湖になるハズなのだ。
アーサー・C. クラークのビジョンには、オリンポスに雪が積もり、その凍結したカルデラ湖でオリンピックが開催される事も含まれている。こんな将来だったらいいなと。実に楽しいビジョンだよね。
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2007/06/10:地図によって地下鉄の線路が走っている場所が違う。では本当に地下鉄が走っている場所はどこなのだろうか。パラパラとひらいた本からそんな内容があふれ出してきた。
地下鉄の線路が地図によって違う事に気付いている人って実は結構たくさんいるのではないでしょうか。駅の場所は合ってても線路の描き方が違うんだよね。
僕としては単に見やすさや解りやすさを優先している結果なのだろうと思っていた訳だが、これに何か隠された事情があるらしい。
これは持ち帰ってちゃんと読まなきゃ。
本書では、地下鉄のトンネルは戦前から既にあったものを流用しており、東京の地下にはまだまだ秘密のトンネルが随所に存在しているという事がコンスピラシー・セオリーになっている。
着想としては悪くない。地上から窺う事ができず、実際地下鉄に乗っている間も何処を走っているのか解らないもんね。
言われるまでもなく、都内のJRや地下鉄は、その路線の接続駅の配置、駅の場所そして構造に疑問を抱く事が多い。
そもそも普段使っている京葉線の東京駅だってどうしてあんな場所なのか。
京葉線の東京駅は成田新幹線構想の新幹線駅施設予定地であったという事たが、あの場所である本当の理由は本来が貨物線であった事にあるのだろう。人の乗り降りを想定していなかったのだ。
地下鉄網にも普段は表に出てこない連絡線等があって、開発計画によってこれらの支線が使い回されるという事は秘密のトンネルよりか説得力があるね。
また戦前から掘り進んできたトンネルである訳だが、戦後GHQが帝都東京に乗り込んできた時点で相当の調査されているらしい。
地図を改竄する事を「改描」と呼ぶので、国防上の理由から改描は昔からある手法の一つなのだそうだ。
しかし、駅の出口など地上との接点は誤魔化しようがない。線路の位置を一部改描する事にどんな意図があるのだろうか。
著者はこれらの証拠となりうる図面等を持っているとするもののこれを掲載すると出版ができなくなると云うのだ。
どんな秘密があると云うのか。しかし、その秘密に読んでも読んでも近づかない。
本書はこの圧力が全ての理由なのかどうかわからないが、駅や路線の構造について殆ど図を使わずに文章だけで、述べようとしているところに最大の読みにくさがある。
そもそも取材している相手とのやりとりですら状況が不明確になってしまうような悪文の人に、複雑な立体構造を文章で記述させようというのだから、それは無理があるだろう。
後半の匿名の情報提供者との面談の場面などは、何度読み返してもその場の状況が全然見えない酷さなのだ。
更には本書は、国会議事堂のデザインの話になったり、首都高速道路のトンネルの話になったりとめまぐるしい。
既にあるトンネルを使う工事をした時点でそんな話は漏れるのが普通だろうと思う。それに元々あったトンネルを使えば大幅に工費が浮くだろうと思われるが、「秘密」である事の必要性は寧ろその浮いた金の行き先にあるのではないかと思うのだが、これについては仄めかす事すら不十分な書き方。あとがきですら何か途中で筆を置いたかのような印象を残す本書はなんだがそれ自体が「謎」な一冊でした。
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2007/06/10:たまたま次に読む本を選びあぐねて、自宅の本棚から手頃な本を引っ張り出す事になり目についたのがこの開高健の「開口・閉口」だった。
最後に開いてからもう随分と年月が流れたものだ。本の背を開くと、昭和57年3月九刷とある。
25年前である。
確かにちゃんと読んでいるハズの本なのになんだか目新しい。当時読んでどんな感想を持ったのかも全然思い出せない。
しかし、例えばアート・バックウォルド(Art Buchwald)のコラムが面白いなんて事が書いてあって、確かにそういえば、この本がきっかけでバックウォルドの本を読み出したりしたんだっけなんて事が思い起こされる。
そうそう、かなり好きだったんだよな。バックウォルド。
全巻揃っていたハズのバックウォルドだったけど、泣く泣く全部寄付してしまったんだった。
今振り返ると自分の中に本のあちこちから感化された痕跡が残ってるのがはっきり解る。当時かなり開高健に入れ込んでおり、自分は開高健のように歳を取りたいと思っていたのだった。
そして今僕は、開高健が本書のエッセイを「サンデー毎日」連載していた時期と正に同年代なのだ。
開高健は昭和5年生まれで僕の父と同じ歳である。そもそも僕が開高健の本を読み出したのは、両親が好きで読んでいたからなのだった。
当時の僕の両親がどんな考えで本書を読んでいたのかはわからないけど、同年配である事ははっきり解って読んでいた事は間違いない。
あらためて本書を読み返していった時、エッセイは文章もすばらしくとっても面白い。
どうしたらこれだけ歳月が流れた後でも読んで深く浸み渡るような内容を書き残す事が出来るのか、また、人生を生きている実感に満ちているのだろうかと深くあらためて考え込んでしまった。
おそらく若かりし頃にこの本を読んだ僕は開高健の造詣にばかり眼を奪われ、広く知識を求めてみたり、あれが面白いとか、すごいという本や趣味に走る事に躍起になっていたのだと思う。
識ることについて、開高健は自らの足でその地彼の地へと縦横無尽に出かけていって、現地の人と実際に語り合う事で得ている点で、ただ知っているとは訳が違う。
それは、文学についてでも然り、釣りの話でも、食い物の話でも、そして戦争の話でもそうなのだ。
こうして体でぶつかっていく事で物事を識る姿勢とそのバイタリティには恐れ入る限りである。
そして、今現在の自分をみると.....。
あまり考え込むと挫折感に押しつぶされそうになるのでやめよう。それよりも川も海も目の前にあるのだから釣りでもはじめようか...。
「われらの獲物は、一滴の光」のレビューは
こちら>>
「珠玉」のレビューは
こちら>>
「輝ける闇」のレビューは
こちら>>
「歩く影たち」のレビューは
こちら>>
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「CIAは何をしていた?
(See No Evil: The True Story of a Ground Soldier in the CIA's War on Terrorism)」
ロバート・ベア(Robert Baer)
2007/05/27:スティーヴン・グレイの「CIA秘密飛行便―テロ容疑者移送工作の全貌」を読んだ。
非常に中身が濃い本でありましたが、この本の背景情報が不十分なところは理解しきれない部分がどうしても出てきてしまう。
もっと時間を掛けて背景情報を並べて見比べながら読んだりするともっともっとこの本を堪能する事ができそうな感じでした。
そこで背景情報の収集を兼ねて、ロバート・ベアの「CIAは何をしていた?」を引き続き手にしてみた。こちらの本は時間軸で云うと1970年代以降CIAの情報収集能力が著しく低下していく過程の中で長年に渡って中東で実際にケースオフィサーとして活動してきた経験を語っている本なのである。
そんな訳で時間軸に沿って「CIAは何をしていた?」からご紹介しよう。
しかし、やっぱりこの本も更なる背景情報が判らないと何がどうして起こっているのか、今ひとつ理解しずらい。もう一段前の時代から流れを少し整理してみよう。
ニクソン政権によって疎んじられていたCIAはその間にチリやアンゴラでの工作に失敗し更にホワイトハウスとの間の溝を深める結果となった。
そこにウォーターゲート事件が起きた。この時の盗聴工作を行ったメンバーに元CIAの工作員が絡んでいた。ニクソンはこのスキャンダルの責任を取って辞任。CIAも長官が交代する事態となった。
ウォーターゲート事件のスキャンダルの直後の1973−74年CIAは大粛正を行った。
これにはもう一つの背景としてデタントがある。冷戦がその終結に向けて緩みはじめると同時に巨額の資金を使いつつもその説明責任が果たし切れないCIAには大幅な予算削減の逆風が吹き付ける事になったのだった。
CIA長官に就任したジェームズ・R・シュレージンガーは次に長官に就任する事になるウィリアム・E・コルビーに対し大幅な人員整理と長年のゴミやウミの大掃除を命じた。
その際最も問題とされたのが秘密工作部門で、経歴に問題がある人物の活用を禁じる規則が出来、そうした人物とのネットワークを断ち切ったのだった。
こうした得体の知れない人物に得体の知れない資金が流れていた事も事実であった訳だが、特に反政府勢力の人物等の場合、その国からみればお尋ね者であったりする訳なので、全てを断ち切るという事は目をつぶり耳を塞ぐ行為であった事も事実であったのだった。
ロバート・ベアの本を読むと、CIAの内部告発にFBIやシークレット・サービスが関与し、嘘発見器を使った尋問を含む取り調べが横行し、相当ぎくしゃくした組織となった模様だ。
このような告発によって逮捕されたり退社したりする局員が大量に発生し、運が良い、いやいや行いの正しかった工作員達でもこうした時代の流れに嫌気が差し、ロバート・ベアのような叩き上げの現場のケース・オフィサーはどんどんCIAを辞めて行ったようだ。
こうして、弱体化していくアメリカの情報収集能力の向こう側の中東情勢は沸騰にむけて徐々に温度を上げていった訳だが、ホワイトハウスの面々はそれを知るよしもなかったのだった。
ロバート・ベアは1952年に生まれ、自由奔放な母と共にヨーロッパを旅して生活した経験から海外する仕事に惹かれ1976年にCIAのDO(Directorate
of Operations)つまりケースオフィサーとして採用された。
DOとは、その派遣先の国で情報提供者や現地の工作員をスカウトし、本部の指示を如何に実行していくかの具体的な行動を立案実行する仕事なのである。
本書は、ベアがDOとしての活動を一から学んだ頃の話からベテランになっていく過程を、時に命がけで乗り越えてきた事態を交えて語ってくれる。
時に戦闘地域を砂と泥でカモフラージュしたニッサンのトラックで反政府勢力の党首に会いに出かけたり、現地工作員から得られた情報を地元の情報機関の追跡を振り切って入手したりと挿入される逸話はどれもスパイ小説を凌駕する手に汗握るような経験ばかりである。
しかし、本書の大きなテーマは、こうした冒険的な活躍にある訳ではなく、こうした地に足がついた情報工作員がいてはじめて、国交のない国のなかで何が起こっているのか、起ころうとしているのか。更には、反政府勢力の組織では何を感じ何を考えているのかという事を知ることが出来たといいう事なのである。
先に述べた背景に加えてベアが語るようにCIAは政治的公正さの名の下で弱体化され、政争や出世を優先する事なかれ主義によって組織的に破壊されてきた。
もう一つCIAが軽んじられた背景として情報収集手段のハイテク化を上げるべきだろう。衛星やステルス戦闘機によって得られる情報が従来では考えられない程具体的な事がわかるようになってきたのだった。
衛星写真をみれば、そこに集結している兵力や戦闘能力が分析できてしまう時代になった。それなのにどうして危険を賭してまで現地に工作員を派遣させる必要があるのかという訳である。
実は見た目だけではその部隊の士気や目的などを知ることが出来ないハズだが、利便性即時性がこうした常識を捨てさせる力があったという事かもしれない。
また、国家安全保障の枠組みがいつしか、私企業の利益であったり、国民の消費生活を守る事に偏り、よその国の国内で起きている国家的犯罪や不公正、そして人権無視に目をつぶる事態となった時、多くの国々のなかにアメリカに対する不信感を生んでいる事に気づけない構造を生んでしまったのだった。
そして、事態は9.11のような事件を引き起こしてしまうのだった。アメリカはこの事件を教訓としてCIAの予算を大幅に増額したそうだが、ベアのような工作員の育成には何年もかかるだろうし、育てる為にはそれを指導できる適切なベテランの存在が不可欠なハズである。予算だけで解決できない事は明らかである。
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「CIA秘密飛行便―テロ容疑者移送工作の全貌(GHOST PLANE)」
スティーヴン・グレイ(STEPHEN GREY)
2007/05/27:ロバート・ベアの「CIAは何をしていた?」に引き続き「CIA秘密飛行便―テロ容疑者移送工作の全貌(GHOST PLANE)」である。
ガルフストリームやボーイングの737の豪華なビジネスジェットが実はCIAのもので、その飛行機の真の客人はテロリストの容疑を掛けられた人物だ。
彼らは現住国や旅先の国で拉致され、秘密裏に移送される為に機に乗せられてるのだった。
飛行機はどこからどこまでも超豪華な作りで至れり尽くせりの装備を備えているが、拉致された人々は手枷、足枷をされ自由を奪われた状態なので、快適な旅とは言い難い状態である。
移送に関わる乗員達は目だけが見える黒い覆面をしており、必要な事は何も教えてくれない。
拉致された人物は、行き先も告げられずにこの飛行機に乗せられており、確実なのは今のこの状態がまだマシな状態である事だけだ。
現実に拉致された人物は、その容疑を明らかにされる事もなければ裁判に掛けられる事もなく、どこの国かも判らない場所にあるおよそ想像の付く範囲を超えた劣悪な状態にある場所に長期間に渡って監禁され拷問を受け尋問される事になるのだった。
そこには、人権も、正義も期待できない。本当の地獄に送り込まれるのだ。
これらの施設は地球規模で広がっており、囚人を利用価値があると考える国の施設から施設へと移動させられていく。
例えばローリング・ストーンズがツアーの移動の為に使用するような737ビジネスジェットを使う事で、余計な詮索をされることなく移動している要人や超裕福層の人々のように拉致した人々を施設へ移動させているのだった。
本書は、著者がアメリカ政府が組織的に外国人を拉致しているらしいという情報から正に地を這うような調査によって地球規模に展開している秘密の監禁所の存在とその場所へ囚人達移動させる手段として前述の豪華なビジネスジェットを使った大規模なネットワークが存在している事を明らかにしたものである。
アメリカ政府は都合の悪い行為を海外や企業にアウトソーシングする事で法的追求から逃れ、短絡的な目的達成の為に金を出した形だ。慌てて増額したCIAの予算の一部はこうした費用として使われた。
ビジネスジェットの運航には多額な経費がかかるばかりか、カモフラージュだったのか乗員達は訪れた国のホテルなどでかなりの浪費をしている事までが明らかになっているのだから、開いた口がふさがらない。
こうしたネットワークの構築は長年の組織的破壊活動によってCIAが骨抜きになってしまった事。正に晴天の霹靂であった9.11事件に狼狽したアメリカ政府が身勝手な考えによって法を曲げ真相解明の為に取り乱した手段をとった事が重なり、事態は当初想定されている範囲を逸脱して暴走していった模様だ。
拉致された囚人達はエジプトやシリアのような収監されれば、激しい拷問を受ける事が明らかな国に有無を云わさず送り込まれ、場合によっては何年にもわたって過酷な環境に置かれる事になった。
マナデル・アル・ジャマディ(Manadel Jamadi)は2003年11月アルグレイブの刑務所で尋問を受けている間に死亡してしまったのだった。彼は拘束される際に受けたと思われる暴行で瀕死の状態であったのだった。
彼の死は、死体の前で笑い顔で記念撮影した写真が流出した事で明らかになり、アルグレイブ刑務所の組織的暴行は一大スキャンダルとなった。
政府は素行の悪い一部の兵士によるものとしたが、それが「嘘」である事は誰の目にも明らかだろう。
また、カナダ国籍の男性マヘル・アラルは2002年、旅行中アメリカに立ち寄った際に拘束されシリアの刑務所に移送され約一年に渡って激しい拷問に合うのだが、その間本人が何処に行ったのか家族に知らされる事がないままであった上に、結局テロ組織とは何の関係もなかったと云う酷い話だったりするのである。
本書が暴く政府の問題のなかでも最悪なのはジュネーヴ条約の無視だろう。
アメリカ政府のこうした態度や事実の露呈は当然ながら敵対する組織へと波及して拡大する。
アメリカの兵士が敵対する組織に捕らえられた場合に相手がジュネーヴ条約遵守する事を期待する事ができなくなるという事なのだ。
こうした行為の積み重ねが宗教的不寛容さを増大させ、根深い憎悪を広げていくのが何よりも残念である。
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「応酬(THE BIG SCAM)」
ポール・リンゼイ(Paul Lindsay)
2007/05/02:仕事をされている方々には申し訳ないが9連休の半ばでゆるみきった生活にすっかり体がなじんでしまっている今日この頃である。連休中にやるつもりで持ち帰ってきた仕事を毎日先送りしている自分がいる。明日はもしかしたら仕事をするかもだ。こんなでちゃんと社会復帰できるのか。
大好きなポール・リンゼイの新作を堪能。
FBIのニック・ヴァンコーが率いる組織犯罪専門の秘密捜査班は支局とは別のカモフラージュされた建物に拠点をおきコードネームは「グローバル・フィッシュ」と云った。別名「オペラ座」ヴァンコーは過去、犯人追跡中に事故に遭い顔に酷い傷跡を持った男だ。
支局では、以前からいろいろな理由によって持てあました捜査員を次々とオペラ座へ異動してきた。これはヴァンコーはこうしたメンバーを何故か上手に使い、期待以上の成果を常に上げてきた事、そして更にはヴァンコーが班のメンバーのみで動く事を好み、それは支局長も顔を合わせたことがない程で、捜査班の動きはつかみ所がない。
支局としては成果も得られるし、捜査員のやっかいばらいもできるという大変都合が良い事から支局ではオペラ座に一定の距離を置きいて自由にさせているのだ。
ある日支局に監査が入ることになった。支局長としてはこんな時にいろいろとほじくられると困った事になりそうな捜査員を予めオペラ座に預かってもらう事で監査官の目に触れないようにしてきた。
この監査官ははなから嫌な奴なのだが、そんな彼とかつての同僚だったのが副支局長なのだった。特に仲がよいとか云う訳ではなく、互いに手柄を上げる事で一致協力する事にするのだった。副支局長は監査官に調べるのなら、ぜひヴァンコーの班を調べるように促す。
ヴァンコーの班に新に加わるメンバーは、捜査手腕には問題がないもののどうもゲイではないかと局内で噂が立っている男。おとり捜査の為に証券取引会社に潜入中に自らインサイダー取引で利益を懐に入れ逮捕された秘密捜査員。そして、少女の殺人事件の捜査から、この犯人が凶悪な連続殺人犯だと確信し事件に執着しすぎて私生活が崩壊してしまった女性捜査員だった。
彼女の主張する連続殺人犯説に捜査班は殆ど誰も賛同せず孤立してしまっている事、仕事にのめり込みすぎている事から転属させられてきたのだった。誰も自分の言う事を信じないし、自分が正しい事も証明できない。ヴァンコーはそんな彼女に内密で班で捜査してみる事を約束する。
加えて支局長にはもう一つの依頼があった。それは最近失踪した判事の件である。マフィアの立件に積極的だった判事が失踪し行方不明となり捜査は暗礁に乗り上げ進展がないままになっているというものだ。ヴァンコーの捜査班にこの件で何か解決の糸口が掴めないか改めて要請してきたのだ。
ヴァンコーの班は判事の失踪がギャラントファミリーの仕業であると目をつけており、場合によっては罠を仕掛けて落とすようなことも行っているが監査官に行動を逐一監視されると何かとやりづらい。
監査官を煙に巻きつつ本来は許可されていない事件の捜査も行おうと云うのだ。監査官が班のメンバーを一人一人との面談のやりとりはどれも悔しい位可笑しい。
マフィアのギャラントファミリーのドンは脳卒中で倒れたばかりだ。療養中のボスの代わりとなっているのは叩き上げでやり手の右腕デミリアであった。彼はギャラントファミリーを追求していた判事の失踪に関わっているらしいと目されている人物でもあった。
彼はボスの跡目を継ぐ事を目的として着々と組織の中の地固めをしているところであった。最も邪魔な存在なのがボスの娘婿となったマイク・パリシであった。彼は元々素人の男であったが、娘婿となった事からボスの息によって支部長に就任した。
パリシ本人としても、自他共に「よそ者」である状態から抜け出せずにいたし、現状以上に高い地位を強く望んでいる訳でもなかった。そもそも本来暴力とは無縁な男なのだ。
しかし、デミリアはパリスに対しかなり危険な仕事を引き受けるように仕掛けてくるのだった。パリスとしてはこの仕事を引き受けるか、それ以上の成果を上げる仕事を見いだす必要があった。
そんな窮地に立たされたパリシの部下の一人マニーの元に亡くなった父親が預けた銀行の金庫室の契約期限切れの連絡が届く。その期限は20年と云う非常に長いものだった。
金庫を開けてみると、その金庫には結構な価値の宝石と紙幣に加えて古い地図の片割れが入っていた。調べてみるとそれは「ダッチ・シュルッツの宝」として知る人ぞ知る昔マフィアの一人が財宝を埋めた場所を示す地図らしいというのだ。
→「ダッチ・シュルッツの宝」と表記していたが、「ダッチ・シュルツ」の方が一般的だったようです。
ダッチ・シュルツ(Dutch Schultz)は1920年代に実在したニューヨークのギャング。
本名はアーサー・フレゲンハイマー(Arthur Flegenheimer)。禁酒法の時代にビールを密造して名を馳せたがそれ以外でもあらゆる違法事業に手を染め、問題はすべて暴力で解決するような人物であったらしい。最終的には1935年10月に商売敵によって暗殺されている。
その地図の片側のありかは証拠書類として没収していったFBIの倉庫に眠っているらしい。もしも地図が本物で埋蔵されている財宝にたどり着ければ数千万ドルの価値がある可能性があるのだ。パリスはデミリアに宝探しをしようと持ちかける。
宝を目指して出かけたはいいがホテルが満室でキャンプ場に泊まるハメになるのたがここもまた底抜けに可笑しい。
ポール・リンゼイはどうやってこんな事を思いつくのだろうか。紹介したいのはやまやまだが、これは是非読んで笑ってください。
オペラ座と監査官、FBIとマフィア。そしてパリシとデミリア。そもそもその宝の地図は本物で、宝にたどり着く事ができるのか。そして新に発生した少女失踪事件は果たして連続殺人犯の仕業なのか。
そしてどれが物語の本線で伏線はどれなのか、皆目見当がつかない状態でどんどんと物語は絡み合って展開していく。
ラストはこれまで以上に見事な着地を見せるポール・リンゼイはますます快調。やっぱ、本はこーでなきゃね。
ポール・リンゼイ の「目撃」、「宿敵」、「殺戮」はこちらからどうぞ。
また、「鉄槌」のレビューもあわせてどうぞ。
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「さらばベルリン(THE GOOD GERMAN)」
ジョゼフ・キャノン(Joseph kanon)
2007/04/29:1945年7月、荒廃の限りにあるベルリンに向かう輸送機には先に行われる予定のポツダム会談の取材の為にコリアーズの敏腕新聞記者ジェイク・ガイスマーが乗り込んでいた。
ジェイクはかつて暮らしたこのベルリンが終戦をむかえて何が起きるのかこの眼で
見届けたいと思う一方、もう一つの目的があった。それは駐在中に知り合い恋に落ちた女性レーナを探し出す事であった。
彼女はドイツ人で数学者の妻であった。迫る戦火に追われジェイクが去らざるをえなくなった時、彼女は夫とベルリンに残る事を選んだのだった。終戦を迎え消息がしれないレーナを捜し出そうと云うのだ。
ベルリンに到着し町に足を踏み入れたジェィクは言葉を失った。ベルリン市内全土が壊滅状態だったのだ。想像を絶する荒廃ぶり。ベルリンにソ連が駐留してから二ヶ月が経過しているというのに、市内は死体の放つ異臭にあふれ、倒壊した建物下から遺体や遺物を掘り起している人々もいる状態なのだ。
ジェイクはかつてレーナが暮らしいていた家を訪ねるが、その途上に目印になるものは殆どなく、建物も完全に消滅していた。
ジェイクは会談のために民間人も新聞記者も立ち入りが禁止されているポツダムにカメラマンの助手として入り込む。
米軍のジープに乗り込んで市内全土に非常線が張られたポツダムに入り、会談の舞台であるツェツィーリエンホーフ宮殿へ。
ツェツィーリエンホーフ宮殿
大きな地図で見る
ベルリン市内とは別世界のような平穏さ無傷さで佇む宮殿施設。そして手入れの行き届いた庭。宮殿の前庭で首脳陣の登場という段になって背後が騒がしくなる。湖に死体が浮いていたのだった。
警備の兵達が死体を岸に引き上げるとその死体は、ジェイクが乗ってきた飛行機に乗り合わせていたアメリカ陸軍中尉のものだった。そして彼は大量の連合国軍マルクを身につけたままで、その体には明らかな弾痕が開いているのだった。
物語は、ポツダム会談が行われた1945年7月17日の直前から、8月の日本の原爆投下と降伏と云う時代を背景にジェイクがこの中尉を殺害した犯人とレーナの消息を追って展開していく。
間諜小説大好き、なかでも大好きなジョン・ル・カレやレン・デイトンを彷彿とさせる時代背景と幕開け。しかし、どうした訳か走らない。方向性がなんだか定まらない。
レーナの数学者の夫が実はナチで、V2ロケットの設計に関わっているらしい事、終戦直後からロシアとアメリカの間でドイツの知的財産である科学者を巡り奪い合いをしていたらしい事などがちらついてくるのだが、それでも何かもたもたとしている。
ブライアンとブライマーにブラントだとか、レーナにレナーテ。そしてタリーとジーニーにマラーにダニー?
どうした訳か登場人物は誰も彼もが似たり寄ったりの名前なので紛らわしい。
紛らわしい名前でキャラの薄い登場人物が交わす会話。特に複線がバリバリに張られている訳でもなく、こんな会話を読まされている自分って一体何よとつい思ってしまう程だ。
せっかくの歴史的舞台背景を殆ど使い切れていない。かなり残念な一冊でした。久々の大型スパイ小説だと云う思いこみで読んだ自分の読み違えという事なのかもしれませんね。
なんだか無性に渋いエスピオナージュを一冊読みたくなってきたぞ。
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2007/04/08:本書は、単行本「四千万人を殺したインフルエンザ―スペイン風邪の正体を追って」を文庫化にあたり改題したもの。
トリインフルエンザの感染爆発、あるいは汎発流行、いわゆるパンデミック(pandemic)が近いのではないかと懸念されているが、このパンデミックは、毎年我々が経験しているインフルエンザの流行と云う、一般的な生活の中で経験しているものとは、規模の面でも、その被害の面でも桁違いなものを指す。
仮にインフルエンザのパンデミックが発生した場合、世界人口のうちの一億人前後の人が命を落とす可能性があるというのだ。
これは、エイズや、HIVそして悪名高きエボラ出血熱などよりも被害規模が甚大になるという事だ。
インフルエンザは大きく、A型B型C型の三つの型に分類される。このうちのA型インフルエンザの遺伝子は次々と変異を起こすため、免疫が利かずひとたび感染が始まると歯止めが効かず大流行となってしまう。
人類が経験した最初のインフルエンザによるパンデミックは1918年に世界的に起こったスペインかぜだった。このパンデミックにより、当時の世界人口8〜12億人に対し、感染者は6億人、死者は4〜5千万人にのぼったとされる。
このパンデミックを引き起こしたインフルエンザウィルスの遺伝子を手に入れることができれば、その正体をかなり解明できる可能性がある。
このウィルスを追ってある研究チームはノルウェーのスバルーバル諸島の村を訪れ、永久凍土の下に葬られているスペインかぜによる死者の体からインフルエンザウィルスの遺伝情報を入手しようとするのだった。
正直、どうしてもインフルエンザと云われれば、周囲の発症者の程度を前提に考えてしまいがちだが、スペインかぜと同様の被害を引き起こす「インフルエンザ」は我々が通常理解している病気とはその重篤度は全く違う。別な病気といってもよいほどのひどいものなのだ。
これが、発達した交通機関によってあっと言う間に世界に拡散していった場合の被害は計り知れない破壊力を発揮してしまうことになるのかもしれなと云う訳だ。
本書に描かれているスペインかぜの当時の記録を読むとインフルエンザのパンデミックに関する脅威は、それこそ背筋を凍らせるに十分なものがある。
永久凍土の下のインフルエンザウィルスを発掘しいうアイディアも卓越でうならせられるが、本書は単に「掘ったら入手できました」とはならないびっくりするような展開が用意されているのだ。
永久凍土から埋葬された死者を掘り起こす計画とは全く別のあるひらめきが、突如としてこのスペインかぜのインフルエンザウィルスの遺伝子タイプを蘇らせることになるのだ。
そして、スカンジナビィアの超人ヨハン・フルティン(Johan Hultin)。この人一人で何冊も本が書ける程の男。本書は、正に読ませる一冊でしたよ。
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