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  2007年度第4クール。年末年始は仙台に帰省しつつ伊坂ワールドにどっぷりはまるというちょっと得した気分を味わえる休養を取らせていただきました。2008年今年の夏には45歳になります。あまりにも膨大な時間をいたずらに無駄にして生きてきてしまった事に愕然しとしてしまいます。これからはもっと時間を大切に過ごしていきたいと新年の抱負を抱いたおやじでした。

異常気象の正体
(Climate Crash:Abrupt Climate Change and What It Means for Our Future)」
ジョン・D・コックス (John D. Cox )

2008/03/30:地球温暖化や異常気象と云った言葉を耳にする事が多い。

確かに僕たち人類の活動による二酸化炭素の排出量は産業革命以降増大の一途を辿ってきた事は事実であり、持続可能な社会を創り出していく事が今に生きている我々の責任。

一人一人が気をつけて出来る事をしようと云う考え方には微塵も間違いがない事だと思う。

しかし、一方で僕ら個人が努力する事で異常気象が防げたり、地球温暖化に歯止めがかかるかのような論調で押しつけてくる事については何か鼻白んでしまう。

そもそも、我々人類の自我が目覚めるよりも遙かな太古の時代から地球は寒暖の激しい震幅を続けてきた訳で、そうした過去の震幅は何かもっと大きな別の力が働いている事は間違いない。

更新世の終わり約1万2千年ほど前に起きたヤンガードライアスと云われる亜氷期の時期があるが、これは1930年代にスカンディナヴィアの湖床や湿地から採取された泥土が層状になっており、この層の違いを調べたところ温暖な時期の層には多くの植物の化石化した残片が見られるのに、色の薄い層ではツンドラを好むチョウノスケソウの花粉が含まれているくらいだった事がわかった。

チョウノスケソウは高山植物でラテン名をドリアス・オクトペタラ(Dryas octopetala)と云い、このチョウノスケソウが見つかる層のひどく寒く乾燥した時代のなかでも最も深いところに厚く堆積したシルト質埴土をオールディスト・ドライアス(最古のドリアス)。

次がオールダー・ドライアスに、最も浅いところがヤンガー・ドライアス(新ドリアス)と名付けられたのだ。

グリーンランドの氷床は、厚さが数キロに及びその自重で地盤が沈下している程の規模になっている。

この氷床は今も年々厚さを増しており、この厚さはその時の気象条件や大気の成分を閉じこめまるで年輪のように取り込まれていく。
この氷床を取り出すと、肉眼でもわかる程、色の濃さが違っているという。

この氷の成分を分析する事で過去を遡って当時の気象状況は勿論の事、その氷に閉じこめられた塵や花粉、生物の痕跡や大気成分までもを知る事ができると云うのだ。

氷床コアの写真はこちら

このグリーンランドの分厚い氷を氷柱として取り出すことができたら、数万年の地球の気象変化をこれまでにない緻密さで知ることができる。

こうして立ち上がったのが、グリーンランド氷床プロジェクト(GISP:Greenland Ice Sheet Project) である。

GISP2のサイトはこちら

2003年の夏、北グリーンランド氷床コア計画(NGRIP)は中断と再開を繰り返しながら7年間かけて3085メートルと云う驚異的な深さまで氷床を掘り進みついに基盤に到達した。

ここから得られた氷床コアによって11万年間分の気象データを得ることができたのだ。この氷が語る11万年間の地球史は我々の予想を遙かに超えたものであった。それは短期間で急激に寒暖の間を繰り返し変動する気象の歴史だった。

テーマとしては大変魅力的内容なんだけど、どうも本書は走らない。

氷床を掘り進むのは、極寒の地グリーンランドでなおかつ前人未踏の超深度。しかも相手は氷。

無理をすれば溶けてしまうし、再凍結してしまうというやっかいな性質。この達成には従来の技術では太刀打ちできず、特別な創意工夫が必要だった訳だが、この技術面についても踏み込みが中途半端で読んでいて達成感がない。

グリーンランドの氷床プロジェクトの挑戦を描くのであれば臨場感が足らなすぎだ。古気象学の話を織り交ぜつつ、このプロジェクトによってわかった事を読ませるのかと思えば、そーでもない。

ダンシュガー・オシュガー・イベント(dansgaard - oeschger event)とかD−O振動と呼ばれる1500年サイクルで気象が変動する理論が提唱されてきているそうだがこれも氷床と北大西洋の深層海流と大気の三つのプロセスが密接に関わり合いながら変動しているらしいという事までで、その原因にはたどり着けるところには至っていない。

ダンシュガー・オシュガー・イベントによれば、西暦1300年頃が最後の小氷河期になるらしい。ちょうどミケーネ文明が、突如勃興した海の民によって崩壊した頃だ。これは何か因果関係があるのかもしれぬ。となると次回は2800年頃になると云うことなのだろうか。

どうやらこのあたりが本書のタイトルである「異常気象の正体」に相当するハズなのだが、どーにもいつまで経っても正体が現れない。

読み終わった僕のなかでは、結局この気象変動は何が原因なのかよくわからなかった。一方で従来以上に急速に変動する事がわかった地球の気象。

僕たちはやっぱり出すゴミやこまめに電灯を消して歩いたりする事をすべきなのだろう。しかし、それが大局的、地質学的な気象変動を変えられるようなものではないらしい。

それほど自然は安直でもかければ、スケールも小さくないという事か。

本書はテーマがとっても興味深いものでしたが、だし急いで慌てて書いたのかと云う感じでした。学問的にも揺籃期と云うじゃないですか。一般人が手を出すのが速すぎる分野なのかもしれません。


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ハイ・シエラ(HIGH SIERRA)」
W.R. バーネット(W.R. Burnett)

2008/03/23:映画の「ハイ・シエラ」は1941年、ハンフリー・ボガートの出世作として知られる作品だ。監督はラオール・ウォルシュ。ジョン・ヒューストン 、W・R・バーネットの共同脚本。

残念ながら映画は見ていない。本書はその原作1940年に出版されたものだ。ドイツがパリに入場、第二次世界大戦の戦火がいよいよ拡大の一途を辿っているさなかの出版と映画化だった訳だ。物語も戦雲が立ちこめつつある時期という設定になっている。

翻訳は菊池光さん。菊池さんは2006年6月に亡くなられたそうです。

僕は訳者が誰かで本を選ぶことがあって菊池さんの本だったらとりあえず信用する事にしていた。

トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」やル・カレの本なんかが菊池さんだったな。他にもいろいろ面白かった本の訳者が菊池さんだったと思うのだが、翻訳者で集約されている情報はなかなかないみたいだ。誰かまとめてくれないだろうか。

主人公のロイ・アールはジョン・デリンジャーの一味の一人という設定だ。ジョン・デリンジャー(John Herbert Dillinger Jr)は禁酒法時代に銀行強盗を繰り返した実在のギャングだ。

アメリカ政府はGメンを結成し、この時代に暗躍したギャング達を追い、特にこのデリンジャーに関しては「社会の敵No.1」("Public Enemy No.1")と名指しする等して追いつめていったが、銀行強盗の際に居合わせた客達に対して紳士的な態度で接した事から、世間からは義賊的な存在として受け入れられていた。

デリンジャーは1934年7月22日、シカゴの映画館で映画鑑賞し、劇場を出たところをGメンに待ち伏せされその場で射殺された。

物語は、デリンジャーの一味の最後の一人ロイ・アールが刑務所から特赦を受けて出所したというところからはじまる。このロイ・アールは架空の人物。

ロイの特赦には実は裏があり、犯罪組織の元締めをしているピック・マックが金を積んだ結果だったのだ。

ピック・マックにはカリフォルニアにある大きなホテルを襲う計画がありこの実行にはロイのような経験を積んだプロが必要だったのだ。

ロイは自分を請け出してくれた恩義に背くことは出来ず、ピック・マックの指示に従い実行部隊の準備拠点として用意された高地のキャンプ場へ向かうのだった。

キャンプ場では同じくピック・マックによって招集されていた二人の手下に加えて彼らが連れ込んだマリイと云う女性がいた。

女を連れ込んでしかも計画を漏らしてしまっている二人に激怒するロイであったが、話をしていくうちに彼女はこの手下の二人よりもよっぽど使えそうな事がわかってくる。

ロイが下見の為に山を降りハリウッドを通りがかると、道程で出会った一家に再び行き会う。

彼らは持っていたオハイオの農場をやむなく売り払いカルフォルニアを目指して移動中だった家族連れであった。この一家はヴェルマという孫娘を連れていた。

彼女は百万人に一人と言っても良い絶世の美女だったが片足が不自由であった。

ホテル襲撃の準備を進めるロイにマリイと他の手下達、そしてこの行きずりで出会ったヴェルマの家族達との関係が絡んでくる。

さすがに時代遅れな展開の緩さは否めないものの、ホテル襲撃と以降には意外な展開が用意されており、切り詰めて、時代設定を変える事で十分リメイク可能なストーリーだ。読み物としてはどうして第一級でした。


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タイガーフォース
(Tiger Force: A True Story of Men and War )」
マイケル・サラ(Michael Sallah)/ミッチ・ウェイス(Mitch Weiss)

2008/03/15:2002年12月ミシガン大学のハーラン・ハッチャー大学院図書館に小包が届いた。これは、7月に亡くなった元陸軍司令官ヘンリー・タフツ(Henry Tufts)が文書の公開を遺言として残していた事によるものだった。

この遺志を継いだ友人がこの小包の送付とその件をトレド・ブレード紙の記者に連絡を入れた。

事件から40年の歳月が流れ、タイガーの存在がはじめて世間の知る所となったのだった。

ベトナム戦争の悲惨さを訴える事件や出来事は数え切れない程ある。しかし、このタイガーの起こした事は正しく最悪のなかでも最悪の事件だろう。

タイガーフォースは陸軍第101空挺師団、第一旅団、第一大隊、第327歩兵連隊に属する45名の偵察小隊だった。タイガーは他の偵察小隊と違いタイガーは戦闘も行う事が任務に追加されていた。

それは、1965年11月にデービッド・ハックワース(David Hackworth)陸軍少佐が「ゲリラの非ゲリラ化」、リコネサンス(偵察)とコマンド(奇襲)をもつ「リコンド」を目的にして創設した小隊だった。

ハックワースは「地獄の黙示録」のキルゴア中佐のモデルとなった人物だそうだ。

これは、それまでの戦闘手法がベトナムでは通用せず、網の目のように張り巡らせられた地下道を移動して戦う北のゲリラに対抗する為には、ジャングルに紛れ込んで潜む必要があると気付いたからだ。

タイガーに入る為には、3ヶ月の実戦経験と指揮者選考を必要とし謂わば少数精鋭の奇襲部隊だった。このリコンド戦略は功を奏し戦果を上げはじめるが、指揮本部がタイガーを活用すれば、部隊が疲弊していく事は自明であった。

1966年2月ミカンで敵に包囲され隊長のジェームズ・ガードナー(James A. Gardner)中尉が命がけの攻撃によって辛くも脱出した。隊長はこの攻撃で戦死した。

1966年6月には後に「母の日の虐殺」と呼ばれる11名の戦死者を出す待ち伏せに遭遇した。

隊員不足を補う為、急拵えで志望者を募り戦闘経験の殆どない新兵を投入し休む間もなく捜敵を続けさせる司令部。

そこに新に下った指令はソンヴェと呼ばれる谷にある村から農民をキャンプに移住させる事だった。

しかし農民達に、その地に生まれ育ち祖先から守り続けてきた土地を捨てさせるのは困難な事だった。小屋を明け渡させてキャンプに移動させたにも関わらず、一夜明けるとまだ人が戻ってきてしまっている。

終わる事のない作業とその合間に起きるゲリラからの攻撃。業を煮やした司令部はこの谷をフリー・ファイヤー・ゾーンに指定。「動くものは撃て」

勿論これは大前提として戦闘員に関してのみ適用されるものだ。

しかし、大勢の戦友を一度に失って怒りに燃えていたメンバー達は兵士か農民かの区別なく撃ってしまうのだった。

一線を越えてしまったタイガーは次第に狂気の虐殺集団へと変貌を遂げ歩兵連隊のナンバーである327名の殺害を目ざし、その数を超える犠牲者を出すに至るのだった。

本書はメンバー達の生い立ちなどそれこそ気の遠くなるような調査を加えてこのタイガーの部隊の行動を詳細に渡って再現するばかりではなく、何故40年もこの事件が日の目を見る事がなかったのかを明らかにする。

驚くのはタイガーの所業だけではないのだ。当時も戦後も事件は防ぐ裁く事が出来たのにもかかわらずかくも長きにわたって隠蔽され続けてきたのだった。

兵士、司令部、CIDと時と場所を越えてどこまでも救いのない罪深い行為が繰り返されていく事には激しく怒りを覚える。

本書は2004年度のピュリツァー賞(調査報道部門)を受賞した記事を書いた二人の記者の手による本である。

僕はこの事件がニュースになった記憶がない。今日これを書いている時点ではネットでタイガーフォースで検索しても殆どヒットしない。

ここには、決して埋もれさせてはならない事実がある。罪は虐殺行為に走った兵士だけではない。そしてその罪は決してあがなう事のできないものだ。

しかもその罪は繰り返され今も続いているに違いないのだ。

トレド・ブレード紙の特集サイト


song ve valley



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chu lai



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My Lai



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コズモグラフィー シナジェティクス原論
(COSMOGRAPHY)」
R・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller)

2008/03/08:バックミンスター・フラーの遺作である。読んだと云うより、拝読させて頂いた。いやいや。見せて頂いたという程度か。

恐らく殆ど理解出来なかったんだと思うという自覚はある。

現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと目されていながら、ちゃんと評価されていない。いやいや、そもそもそれ程の人物ではない等とその評価も分かれるところらしい。

バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller)は数学者、哲学者、エンジニア・デザイナー・建築家と複数の顔を持ち、アメリカでは25の特許を持ち、ノーペル平和賞の候補になったこともある人物だ。

1895年7月、アメリカ合衆国マサチューセッツ州に生まれたフラーは、ハーバード大学へ進み、海軍に入り第一次大戦後除隊。事業を興すが失敗、娘に病死され失意のどん底に陥った。

これをどうにか立ち上がり研究に没頭する人生を歩み始める。

この時、強烈なインスパイアを与えたのがアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)だった。

アインシュタインとの出会いは本書でも大きく一章を割り当てられている。

それはアインシュタインの理論構築の手法は一般の人が行っている思考法とは大きく異なっており、それが彼の一般相対性理論の発見に繋がったとするもので、フラーはその理論構築の手法をまとめて出版しようとした。

それは、「経験を思考へ、そしてその思考を体系的に組織化し公式化すると云うものだ。アインシュタインがエレベーターに乗っている状態を深く熟考する事によって加速と重力が同じものだと気付いたと云う話があるが、例えて云えばそのような話なのだろう。

出版社は無名だったフラーの著書を出す事に躊躇したが、これを読んだアインシュタインが強く擁護した事で本は出版。

フラーはアインシュタインによって世に見いだされたとも云え、以後の生涯を1983年7月に亡くなるまで思考・研究に没頭した。

残念ながら日本では彼の著書はほんの一部しか訳出されていないようで、一体どんな考えなのかなかなか掴む事ができない。

フラーの提唱する「エネルギー/シナジー幾何学」がどんなものか僕には説明ができない。

それでもこれまでに読んだ内容から類推するに自然は常に最小のコスト、最も効率の良い状態になるように出来ている。

そして自然が取り得る最小のシステムの単位は三角形、正四面体であり、これ以下では成立しない事は間違いない。この最小単位を無理数の入り込む余地のない数学体系にまとめる事ができれば、最も効率よく計算ができるハズだし、それを使う事によって今以上に正確で新しい地平線がみえてくるバスだと、そんな考えが元になってると思う。(たぶん)

三角形の辺の長さや、円周率に無理数が入り込んで計算がややこしくなるのは誰しも経験している事だが、どうしてここに無理数が入るのか。そもそも自然が永遠に小数点が続く有限の長さを持った線分を持っているのはおかしいだろうという事だ。

実は僕が今書いているのは「テトラスクロール」によるところが大きい。

「テトラスクロール」はフラーが二女のアレグラに読み聞かせしてあげるように自分の考えをわかり易く伝える為に書き起こした本だ。

もう20年も前に読んだ「テトラスクロール」は大事な本として本棚にしまい込んであった。「コズモグラフィー」のレビューを書くに当たり、引っ張り出してきて読み返したという訳だ。

この「テトラスクロール」のおかげで、どうにか本書「コズモグラフィー」も文脈を追う事ができたようなものだ。「コズモグラフィー」はフラーを知らない人にとってはかなり取っつきが悪い事は間違いない。

この自然には本来無理数が不要だろうと云う考え方は、僕のような数字オンチにはとっても当たり前のように聞こえる。つまり現在の数学システムにどこかゆがみがあり、その帳尻を合わせる為に無理数を使っている。これにはとっても説得力があると思う。

フラーはこの考え方に信念を持ち、これを証明する事に生涯を捧げたのだ。また三角形、正四面体を最小単位として、建築やデザインを行ったが、なかでもジオデシック・ドームのデザインは、後に炭素60と云う、クラスター状分子が全く同じ構造を持つことが発見され、彼にちなんで、「フラーレン」、「バッキー・ボール」と命名された。

フラーは歴史的にみても、斬新な発明・発見が世間に受け入れられるまでには相当の時間が必要で、それはまず発明・発見とそれをどのように利用するかが見いだされるまでの差だったと云う。そしてその発明・発見が斬新的であればある程その時間は拡大する。

また、それは権威や利害が入り込む事で鈍化する。効率化する事で損をする一部の権力者によって一般人は眼を欺かれてきたというような歴史感を持っているのだ。彼自身の発明が正しく評価されない事もそんな斬新すぎるからだと。

フラーの数学は完成される事なくその生涯は閉じられてしまった。しかし、いつか量子の世界がもっと明らかになった時にフラーの正しさがあらためて見直される日がくればいいなと僕は思う。

シナジェティクス研究所


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王になろうとした男
(AN OPEN BOOK)」
ジョン・ヒューストン(John Huston)

2008/03/08:ジョン・ヒューストン(John Huston)の自伝である。

何時か読みたいと思っていたが漸く手にする事ができた。アメリカで出版されたのは1980年。亡くなられたのは1987年だそうだ。

日本で出版されたは2006年もう亡くなって随分になるのはどうした訳だろう。因みにこの2006年はヒューストン誕生100年なのだそうだ。

1906年8月5日、ミズーリに住む俳優一家に生まれ、紆余曲折を経て映画監督として多くの作品を残した。びっくりしたのは、娘がアンジェリカ・ヒューストンだった事だ。すげー親子だ。(見た目が)

ヒューストンの映画は何本か観ているけれど、なかでも忘れられないのは、「マッキントッシュの男」。これは、僕が父にはじめて観に連れて行ってもらったハリウッドのアクション映画の一本なのだ。

当時ロードショウは二本立てで、もう一本は「ダーティハリー2」だった。正直「マッキントッシュの男」はまったく筋が理解できなかったのだけど。この映画を観た事で洋画とそして読書にはまりこんで今の僕が居る。

そんな恩人のような映画の監督な訳だがその人柄は全然知らなかった。どうやら本書の書評を見るとかなり奇想天外な人生を送った人らしい。とっても気になる本だった訳だ。

2段組で500ページになんなんとする分量。自伝としても相当多い部類なのではないだろうか。持ってみるとやや腰が引ける感じがする程ではあったが、読み始めてみるとこれがやたらと面白い。

彼はわずかばかりのものをあとに残して逝った。握りのところが象牙になったコルト44の拳銃。金時計。直刃の剃刀二本。私の名前も彼が残していったものだ。ジョン・マーセラス・ゴア。私の祖父である。

本名、ジョン・マーセラス・ヒューストン(John Marcellus Huston)の自伝の幕開けである。どうだろう。この先にあるものを知りたいと思わないか。

南北戦争をかいくぐり、西部開拓史を正に生き抜いた祖父から父そして自分自身の誕生からラス・カレタスに隠居するまでの長くそして驚く程濃厚なヒューストンの人生。

ヒューストンは10歳の頃、死の病と云われていた「ブライト病」と誤診され療養中にたまたま通りがかったチャールズ・チャップリンがお見舞いに現れた。あこがれのスターの突然の来訪に天にも昇る気持ちだったそうだ。

チャップリンはその当時人気を集めハリウッドのスーパースターに登りつめている真っ最中だ。ヒューストンの伝記はサイレント時代から現代までの映画界を駆け抜ける内容にもなっている訳だ。

当然登場する人物達も見逃せない、エロール・フリン(Errol Flynn)やハンフリー・ボガード(Humphrey Bogart)、クラーク・ゲイブル(Clark Gable)、モンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)、グレゴリー・ペック(Gregory Peck)、ポール・ニューマン(Paul Newman)、ショーン・コネリー(Sean Connery)、マイケル・ケイン(Michael Caine)。

女優では、ベティ・デイヴィス(Bette Davis)、ローレン・バコール(Lauren Bacall)、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)。

そして映画監督のウィリアム・ワイラー(William Wyler)やリチャード・ブルックス(Richard Brooks )また、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)やロバート・キャパ(Robert Capa)らとも親交があった事。こうした錚々たる人物とエピソードや友人としての付き合い。

驚くべき交友関係の広さと深さ。彼の人生はこうした人々との深い繋がりによって飛び抜けて豊かになっているのだと思う。そして本人もその友情を何よりも大切にした生き方をしていた事がよくわかる。

本に書かれている逸話の数々はあまりに上手く行きすぎててちょっと鼻につくところがない訳ではないが戦時にあっても、アフリカでの撮影にあっても、剛胆でかつユーモラス。

何より僕は映画監督として作品の準備をしたり、映画の手法について語ってくれているのがとっても嬉しい。

本のボリュームはだてではない濃い本でした。

《目次》
ラス・カレタスにて
両親の結婚、そして別れ
チャップリン、ボクシング、絵画
ユージン・オニールとの出会い
世界最低の新聞記者
ロンドンどん底生活
『マルタの鷹』で監督デビュー
エロール・フリンとの一騎討ち
『サン・ピエトロの戦い』
やけっぱちの三度めの結婚
赤狩りの時代
『黄金』ができるまで
『キー・ラーゴ』でワーナーを去る
ヘミングウェイの肖像
呪われたカルト映画『勇者の赤いバッジ』
父ウォルター・ヒューストンの死
『アフリカの女王』とジェイムズ・エイジー
『赤い風車』の色彩デザイン
アイルランドのキツネ狩り
セント・クレランス狂
アイルランド時代の終わり
『悪魔をやっつけろ』とボギーの死
『白鯨』から『黒船』で
デイヴィッド・O・セルズニック
『自由の大地』のアフリカロケ
『荒馬と女』のマリリン・モンロー
『フロイド』とサルトル、モンゴメリー・クリフト
『イグアナの夜』とテネシー・ウィリアムズ
私の大好きな動物たち
最大の大作『天地創造』撮影秘話
カーソン・マッカラーズの思い出
観客に見放された『ファット・シティ』
『風の向こう側』のオーソン・ウェルズ
念願の企画『王になろうとした男』
私はスタイルを持った映画監督ではない
低予算の冒険『賢い血』
ふたたびラス・カレタスにて

監督作品
「マルタの鷹」"The Maltese Falcon" (1941)
「追憶の女」 " In This Our Life" (1942)
「太平洋を越えて」 "Across the Pacific"(1942)
「アリューシャン報告」" Report from the Aleutians"(1943)
「サン・ピエトロの戦い」 "The Battle of San Pietro"(1945)
「光あれ」 "Let There Be Light"(1945)
「黄金」 "The Treasure of the Sierra Madre" (1948)
「キー・ラーゴ」 "Key Largo" (1948)
「我々は他人だった」 "We Were Strangers"(1949)
「アスファルト・ジャングル」 "The Asphalt Jungle" (1950)
「赤い勇者のバッチ」 "The Red Badge of Courage" (1951)
「アフリカの女王」 "The African Queen" (1951)
「赤い風車」 "Moulin Rouge"(1953)
「悪魔をやっつけろ」 "Beat the Devil" (1953)
「白鯨」 "Moby Dick" (1956)
「白い砂」 "Heaven Knows, Mr. allison"(1957)
「黒船」 "The Barbarian and the Geisha"(1958)
「自由の大地」 "The Roots of Heaven" (1958)
「許されざる者」 "The Unforgiven" (1960)
「荒馬と女」 "The Misfits" (1961)
「フロイド 隠された欲望」 "Freud-the Secret Passion" (1962)
「殺人秘密計画」 "The List of Adrian Messenger" (1963)
「イグアナの夜」 "The Night of the Iguana" (1964)
「天地創造」 "The Bible" (1966)
「007 カジノ・ロワイヤル」 "Casino Royale" (1967)
「禁じられた情事の森」 "Reflections in a Golden Eye"(1967)
「華麗な悪」 "Sinful Davey" (1969)
「愛と死の果てるまで」 "A Walk with Love and Death" (1969)
「クレムリンレター」 "The Kremlin Letter" (1970)
「ファット・シティ」 "Fat City" (1972)
「ロイビーン」 "The Life and Times of Judge Roy Bean" (1972)
「マッキントッシュの男」 "The MacKintosh Man" (1972)
「王になろうとした男」 "The Man Who Wouls Be King" (1975)
「独立」 "Independencr" (1976)
「賢い血」"Wise Blood" (1979)
「恐怖症」 "Phobia"
「勝利への脱出」" Escape to Victory"(1980)
「アニー」 "Annie" (1982)
「火山のもとで」 "Under the Volcano" (1984)
「女と男の名誉」 "Prizzi's Honor" (1985)
「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」 "The Dead" (1987)





The Asphalt Jungle
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The Misfits
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「北」の迷宮(A Corpse in the Koryo)
ジェイムズ・チャーチ(James Church)

2008/02/16:北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国を舞台にした小説だ。主人公は人民保安省の捜査官のオはある日上司のパクから奇妙な命令を受ける。

命令の内容は、統一道路を走る車を見張れというものだった。場所も時間も車の車種も定かではない。

しかし、この統一道路は、30年前に首都におわす方の命令によって作られた唯ひたすら真っ直ぐな道路であり、この道路を使うものは殆どいない事から疑問を挟む必要もない。

オは車がトンネルから抜けてくる音が聞こえるような場所に陣取りカメラを構えて待ち伏せる。

統一道路とは、これの事だろうか?描写通り真っ直ぐだし、トンネルもある。

以下に示す場所は僕の勝手な判断で載せています。全然違う場所である可能性がありますのでご了承ください。



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朝日が昇る前に現場に着き車が通るのをじっと待ちかまえるオ。暫くするとクラクションを鳴らしながら猛烈なスピードで黒のメルセデスが走ってきた。

車に向けてシャッターを切るがカメラは不調で一枚も撮れない。電池が切れていたのだ。


事務所に戻ったオを待っていたのは、上司のパクだけではなかった。そこには対外情報捜査部カンと統一戦線部キム。二人はオの仕事に不満だ。

悪びれる風でもないオに対して、取りなすパク。パクとオは長い間上司と部下の関係におり、私的な付き合いこそなかったが互いに信頼しあえる関係なのだ。

カンとキムは一緒に来たが二人の目的はどうやら一緒ではないらしい。謎のメルセデスの背景にはどんな出来事があるというのか。

ほどなくオにはカンから連絡が入ってくる。

「高麗ホテルで逢おう。」




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そこで知らされたのは、件のメルセデスは張り込んでいた場所から程なく進んだ場所で溝にはまって停車しており、中から死体が発見されたというのだ。そして側には少年の死体。少年はのどを切り裂かれていたというのだ。

カンが接触してきた事を聞いたパクは急遽オに休暇を取らせ、江界行きの切符を握らせた。
ほとぼりが冷めるまで戻ってくるな。

早朝の汽車に乗り込んで江界へ向かうオだったが、彼を待ち受けているのは二重三重に張り巡らせられた陰謀の渦だった。


平壌。



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そして江界



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国境の町、満浦



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北の文化も地理も価値観もよく知らない。そんな場所を舞台に展開する物語は正に、レン・デイトンや、ジョン・ル・カレを彷彿とさせるスパイ・スリラーである。

大きく政治的な問題に切り込んだりせずある意味肩肘を張らずに楽しむ事ができる内容になっている。中盤やや中だるみもたつく面もあったが、着地といい全体的なトーンといい、かなり良いできだと言えると思います。

また何より実際に諜報員として潜伏していた事があると云う著者ならではの街や人々の雰囲気、臨場感には並々ならぬものがあると思います。惜しむらくは、登場人物達の所属している組織や街の様子をもっと詳しく書いて欲しかったな〜。


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陽気なギャングが地球を回す
伊坂 幸太郎

2008/16:映画にもなっている程なのでかなり実は期待していた。タイトルもかなりそそられる。これまでの伊坂ワールドの清々しくて明るく陽気なそして何か運命を大きく変えてしまうような展開を待っていた。

しかし、走らない。そもそも走り出す前に彼ら銀行強盗の目的って一体何なのか。犯罪の動機を「ロマンだ」の一言で回避しているぢゃないか。伊坂ワールドの最も大切なものは根底に流れる倫理感なのだと思っている次第だが、自らをギャングと呼びつつもロマンを追うためだけに、銀行強盗をするという設定自体が相容れないものなのではないだろうか。

4人組の彼らの出会いから銀行強盗に走る事になる経緯の何から何までもがどーして、そーなる必要があったのか僕にはしっくりこない。舞台が横浜になっている事も。

「ラッシュライフ」や「ゴールデン・スランバー」のように主人公に正当性や説得力のない設定。そのせいか、主人公達の会話は何か一人芝居のように個性がなく上滑りして余白を埋めている感すらある。

肌に合わない本というのは何処にでも何時だってあるものだ。読んでいる時に起きた現実の経験や気分そもそも本に対する期待値とのギャップというようなものもあると思う。どうやら自分は開けるべきではない時に間違ったドアを開けてしまったと云う事だと思う。

こんな日もあるさ。

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ナスカ地上絵の謎―砂漠からの永遠のメッセージ
(Between the Lines:
The Mystery of the Giant Ground Drawings of Ancient Nasca, Peru) 」
アンソニー・F. アヴェニ (Anthony F. Aveni)

2008/02/10:ナスカの地上絵。高い空から見ないかぎり決して全体像を見ることができない地上絵。いつ誰がどんな目的で作ったのか。巨大な人造物でありながらその目的が解明されていないという点でこのナスカの地上絵の魅力はとてつもなく強い。

最初にこれを空から発見した人の驚きはもの凄く強烈なものだったのではないかと思う。僕なら速攻で吐いていたかもしれぬ

僕の世代は子供の頃、このナスカの地上絵にUFOだ宇宙人だというカルチャーがシンクロして強烈な光を放っていたものだ。

その手の随分と怪しげな本を貪るように読んでいた訳よ。僕の少年時代は。恐らく同じように影響を受けた少年少女はとっても沢山居たに違いない。

国立科学博物館で「ナスカ展」が開かれている。アンコール開催だ。

一回目も「行きたいよね〜。」等と言いつつ機会が作れなかった。今回アンコール、是非行きたいな〜。行けるかな〜。どうせ行くならその前に少し知識を仕入れておこうと思って手にしてみたのが本書であった。

本書はニューヨーク州コルゲート大学の教授長年マヤ・アステカなどの古代文明と天文学の研究をしていた方なのだそうだ。

かなりの分量で「謎」というタイトルから、かなりそそられる感じだった訳だが、どうやら僕が読みたいと思っている方向で話が進まない。最大の原因は、調査研究の過程とそれで判明した事が交互に書かれている事だと思う。

そこにさらに盗掘だ、研究者同士の足の引っ張り合いだ、政府の態度だといったエピソードが語られ結果的にどちらも断片化してしまって、事態が把握できない。学者の方が書いた本にこうした傾向の本をたまに見かけるけどどうしてなんだろうか。素材は良いのに気が殺がれてしまう。

思い出されるのは、ケネス・J・シューの「地中海は沙漠だった―グロマーチャレンジャー号の航海」だ。正直、もっと念入りにした感じだ。その為僕には残るものは非常に少なかった。

ナスカの地上絵の調査に生涯を捧げ、その保護にも献身的に動いたドイツの女性マリア・ライヒェ(Maria Reiche、1903年5月15日〜1998年6月8日本書では「ライヘ」と表記されている。)の存在をはじめてしりました。彼女の存在はナスカの地上絵を語る上では欠かすことの出来ないもののようだ。



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一方、彼女はかなり気難しく本書によればハワード・ヒューズの様な変わり者と云えるような面もあったようだ。

僕はこの彼女の事が少し気になる。機会があればもっと調べてみよう。

また、もう一人とってもきになる人が登場していた。それはエーリッヒ・フォン・デニケン(Erich von Daniken)と云う人物だ。

ナスカの地上絵が一般的に知られたのはこのデニケンの書いた本によるところが大きいそうだ。

その本とは 1968年に書かれた「神々の戦闘馬車(Chariots of the Gods)」と云う本らしい。これはこの地上絵が太古のUFOの飛行場であり、当時のナスカの人々は宇宙人と交流があったという。

彼の主張は要するに、「もしそれが飛行場のように見えるなら、それは本当に飛行場だったのだ。」

宇宙の彼方からやってきた宇宙人との関係でナスカの地上絵を読み解いたという点で、正に宇宙時代を先取りしており、たまたま本が出版された年には「2001年宇宙の旅」が公開された事が本の注目度を上げる事になったとも云う。

まだご本人も健在であられる。→オフィシャルサイトへ

このデニケンさんは元スイスのホテルマンだったそうで、彼がパンパに滞在したのは実はほんの数日だけだったそうだ。

いずれにせよ、このナスカ→宇宙人の関係はサブカルチャーに強いムーブメントを呼び起こし、遠く離れた日本でまだ何も知らない子供だった僕たちの前に現れきたという訳だ。ははーん。犯人はチミか。

でも、デニケンが提示してきた刺激的なお話は十分に僕たちの想像力をかきたて、遠い過去の人たちの姿や遙か彼方の宇宙からやってくる知的生命体の事を果てしもなく考えるというとっても楽しい時間を与えてくれた事は事実なのだ。

ナスカの地上絵。やっぱり何が目的でその絵を使ってどんな事をしていたのか。やっぱりよくわからない。謎のままであり続けていくというのもいいんじゃないだろうか。


△▲△


クモ学―摩訶不思議な八本足の世界」小野 展嗣

2008/02/10:「なんかすごい本読んでますね。」昼休みに読んでいたら、同僚から声をかけられた。気付くと、彼の方から表紙のクモのイラストが丸見えになっていた。しかも食事直後。



おっと失敬。

この本を電車で開くはちょっと考えものかもしれない。かなりリアルなクモのイラストだもんね。もう少し周囲に気配りすべきと反省しております。

実は僕も昆虫・クモの類が大変苦手。お付き合いするのは嫌だけど、いろいろ知りたい。怖いもの見たさというべきかも。

子供の頃持っていた図鑑も昆虫のヤツは絵に出来るだけ触らないようにして見ていたものだ。あの時の図鑑は確か動物、植物、昆虫、魚と巻が分かれていて、そのなかは種毎に全部綺麗なイラストが整然と並んでいるとってもすてきな本だったっけ。
そんな絵ですら触るのが嫌なほど苦手なのに、「うわ〜」とか「ひぇ〜」とか言いながら繰り返し本を眺めていたものだ。


今、図鑑って云うと写真のものが多いよね。やっぱり絵の図鑑の方が良いと思うのだけど。

おっとっと脱線。


本書は文字通り「クモ」に関する本だ。蜘蛛。八本足の著者は小野展嗣(おの ひろつぐ)氏。小野氏はは国立科学博物館の動物研究部昆虫第二研究室の室長を務めている方である。(2008年2月時点)

今回この本を手にしたのは、やや強い理由があった。それは、ちょっと前に読んだ「眼の誕生」にクモの話が全く登場してこなかった事だ。

この「眼の誕生」は動物が眼を獲得した事によって起きた捕食者と被食者の激しい生存競争が進化圧となってカンブリア紀の爆発が起こった可能性があるというものだが、クモの系譜についての説明が抜けているように感じた。

クモはご存じのように八つの眼を持っているという点で他の動物と異質だ。しかもこの眼は昆虫とは違い単眼なのだ。以前どこかでクモは他の動物と比べてあまりに異質な事から、宇宙からやって来た可能性があるという話を読んだことすらある。

こんな事がとっても気になってきてしまった僕はネットでいろいろと調べてみたりしたのだが、どうもクモの話はなかなか奥に進んでいけない。

節足動物門は動物界において最大の多様性・構成種数を持つ巨大な門なのだが、この起源や系統はまだまだ謎に包まれているのだ。

近年、分子系統学の進展により従来の分類が大きく塗り替えられてきている。クモを含む節足動物門についてWikipedia日本語版では暫定的としながら、以下の分類を提示している。

大顎亜門 Mandibulata
甲殻綱 Crustacea:エビ、カニ、ワラジムシ、ミジンコ、オキアミ、フジツボ
昆虫綱 Insecta
ヤスデ綱(倍脚綱)Diplopoda:ヤスデ
ムカデ綱(唇脚綱)Chilopoda:ムカデ
エダヒゲムシ綱(ヤスデモドキ綱、少脚綱)Pauropoda - エダヒゲムシ
コムカデ綱(結合綱、祖形綱)Symphyla
鋏角亜門 Chelicerata
ウミグモ綱(皆脚綱)Pycnogonida
カブトガニ綱(節口綱、剣尾綱)Xiphosura:カブトガニ
クモ綱(蛛形綱)Arachnida:クモ、ダニ、サソリ、カニムシ、ザトウムシ

本書もやはりこの先に進む事はできず、まだまだ全容解明には時間が必要な模様だ。それでも、クモの呼吸器官や循環系が一般的に昆虫よりも原始的で劣っている事から持久力に欠けている事。

クモの「まどい」や「バルーニング」等興味深いお話満載で満足のいく一冊でした。


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永久凍土の400万カラット(The Ice Curtain)」
ロビン・ホワイト (Robin White)


2008/2/2:グリゴーリィグ・ノーヴィク登場。シリーズ第2弾である。嬉しい!

うん?あれ?ノーヴィク?ノーヴァク?前作は既に僕の父にあげてしまったので手元にない。ずっと勘違いして「ノーヴァク」と読んで書いてきてしまっていた。前作のレビューも慌てて訂正させていただきました。

このシリーズはボリス・エリツィン政権下のロシア、それも永久凍土に囲まれたシベリアが舞台。登場人物も大部分がシベリア人という事で、人も車も飛行機も耳慣れない名前ばかりなのだ。

冒頭、永久凍土に囲まれたダイヤモンド鉱山の街、ミールヌイ。ここから500キロも北上するとそこはもう北極圏である。正に陸の孤島ともいうべき孤立した街だ。



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高さが三階建ての建物ほどある巨大なトラック、ベラズ7530がセキュリティを破って走り出した。目指すのはファブリカ3、ダイヤモンド鉱山の中心をなす選別工場。この街最大の建物だ。運転しているのはこの日21歳の誕生日を迎えるアレクセイ。その目的はストライキであった。

事前の計画通り、大勢の労働者達が駆け寄りベラズによじ登った。正面入り口に辿り着き口々に「もうたくさんだ」と叫ぶ。

ストライキが成功したかに見えたその時、蜂起したメンバー達は、鉱山総支配人の下で働く男によってトラック諸共大爆発してしまう。

世界の供給量の4分の1を占める産出量を誇るミールヌイだが、現地で働く労働者にはまともな報酬が支払われていない状況が続いていた。そしてまもなくシベリアは冬を迎えようとしていた。

前作でマルコヴォ市長の座を辞したノーヴィクは友人であり師とも仰ぐアルカーディイ・ヴォーリフスキー、シベリア連邦区大統領全権代理の補佐して働いていた。

ヴォーリフスキーはこのミールヌイの状況を非常に憂慮していた。この問題の鍵を握っているのは、モスクワにいる国家ダイヤモンド委員会議長イェフゲーニ・ペトロフ、またの名をダイヤモンド・プリンスと呼ばれる男であった。

二人はこのペトロフと会談を持ち、ミールヌイの労働者の窮状を理解してもらうべくモスクワに向かう。

しかし、ノーヴィクが会談に遅れたまま不調に終わり、レストランを出たヴォーリフスキーは何者かによって銃撃され命を落とす。

ノーヴィクはヴォーリフスキー殺害の第一容疑者として民警に拘束され、その間にヴォーリフスキーはミールヌィの労働者の利益を横領しているという嫌疑がかけられてしまう。

ノーヴィクは敬愛していたヴォーリフスキー殺害の犯人を追うとともにその汚名を濯ぐ事、更にはヴォーリフスキーが守ろうとしていたミールヌイの人々の財産を取り戻すために運転手兼ボディーガードのチューチンと共にミールヌイへ向かう。

ミールヌィは、単に孤立した場所にあるばかりではなく、ダイヤモンド鉱山を守る為に強固なセキュリティと独自の経済、通貨を流通させ中央の統制から干渉されない無法地帯のような街なのだった。

そこに待ち受けているものは、400万カラットという驚くべき量のダイヤモンドを巡る陰謀なのだった。

前回以上にパワーアップ、スタートダッシュも見事。大変満足な一冊でした。凍土に浮かぶ孤立した街というのも舞台設定が抜群に良い。ダイヤモンド鉱山のミールヌイは実在の街。Google Eathでは、更に鉱山の間近の写真などもみれて楽しさ倍増です。

しかし、実際のミールヌイはどんなところなんでしょうか。

前作「凍土の牙」のレビューはこちらからどうぞ

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石垣島自然誌」安間 繁樹

2008/2/2:安易に沖縄と一口に言ってしまいがちだが、石垣島は沖縄本島から約400q離れた場所にある島だ。

九州の南から台湾にかけて沢山の島が文字通り列なして連なっており、全体で南西諸島と呼ばれている。南西諸島は北から大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島、尖閣諸島、大東諸島からなっている。石垣島はそのなかの八重山諸島属している島。

石垣島と隣り合う西表島の間に広がっている400種を超える造礁珊瑚によって形成された珊瑚礁の海域は、石西礁湖(せきせいしょうこ)と呼ばれ日本最大の大きさなのだ。

石垣島、黒島の海の美しさはほんとうに素晴らしくて、息をのむような光景をみせてくれます。側にいてずっと眺めていたくなる。そんな大好きな石垣島の本だったので、早速手にしてとってみました。

「石垣島自然誌」本書は、自然誌と銘打ってあるが、石垣島の自然についてのお話ばかりではない。本土復帰前の1970年の石垣市立崎枝中学校に体調を崩した先生の代わりにやってきた、作者ご本人と子供達、そして地元の人たちとふれ合いを描いた本だ。そうしたふれ合いのなから生まれたかけがえのない珠玉の人間関係。

著者は静岡の方なのだが石垣島に惚れ込み、と言っても僕のような脳天気にただ好きという事ではなく、沖縄の動植物に学術的興味を持ちそこに住んで研究をしたかった。そして復帰前の沖縄で教えられる教員免許を取り、石垣島での教師の職が空くのを待ちかまえていたのだ。

そして、短期間の仕事とはいえ、幸運にも崎枝での代用教師の職がきまり移住したのだ。


石垣市立崎枝中学校のサイトはこちら
学校の様子や校歌なんかも聴けて読書を深めてくれる事間違いなしです。


崎枝は川平湾よりも西に広がっている地域で、ここは戦後沖縄本島などから自由移民という形で移り住んできた人たちがそれこそ砂を噛むような思いで苦労に苦労を重ねて開拓した場所だったのだ。

安間さんはこうした話を地元の人たちから聞かされ驚いたと書いておられる。

快く地元の方々に迎えられ、こうした背景をよく知ることで本当に解り合える関係が作れたのだろうと思います。

そして更に子供達と校外学習として野や山を駆けめぐり、真剣に向き合う事で強く慕われていく。
子供達とのエピソードは気持ちの良いものばかりだ。

タイトルからは予想しない展開をみせる本でしたが、読んでいてとても清々しい。何より石垣島、とっても行きたくなってしまいました。


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眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く(In the Blink of an Eye)」
アンドリュー・パーカー(Andrew Parker)

2008/1/27:生物化石はカンブリア紀と呼ばれる約5億4千3百万年よりも前のものは見つからない、このカンブリア紀を境に突如として生物化石が現れる。この約5億4千3百万年前から約5億3千8百万年にかけて急激に生物が多様性を拡大した事はカンブリア爆発と呼ばれている。

具体的にカンブリア爆発とは一体どんなものだったのだろうか。

カンブリア紀の爆発とは、
現生するすべての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得した出来事なのである。(ただし、海綿動物、有櫛動物、刺胞動物は例外)。それと同時に、軟体性の蠕虫という原型から、個々の動物門に特徴的な複雑な形状(「表現型」ともいう)への変化が。地史的なタイムスケールからすると「またたくま」に起こったことなのだ。

カンブリア紀以前の生物化石が見つからないのは、動物が硬い殻を持っていなかった為化石として残る事がなかったと云う訳だ。

ではどうしてこの時期に突如として動物たちは一斉に硬い殻を身に纏うような進化を起こしたのだろうか。

これまでにもこのカンブリア紀の爆発に関して様々な説が挙げられてきたが、科学的な精査に耐えられる説はひとつもなかった。

本書は、この生物の爆発進化が「またたくまに」起こった謎に迫るというお好きな方にはたまらないとってもスリリングな本なのである。

本書はこの謎に自ら迫り驚くべき洞察の連続によって解き明かす事に成功したご本人の手によって書かれた本であり。読者は実際にこの答えに一緒に辿り着く事ができるような構成で書かれている。

そしてその新しい見地から見直すことで浮かび上がってくるカンブリア紀の動物たちの姿はこれまでの想像を遙かに超えたものだったのだ。本書が与えてくれる新しい知見の数々は決して期待を裏切らない豊かなものだ。

唯一の難点は、ややまどろっこしいという事だ。ここから先をどう書くか非常に悩んでしまう。

僕がこのサイトで本を紹介させて頂く上で気をつけているのは何よりネタバレ。
しかしこの本はネタバレなしに書く事が困難な事情がある。

本書の原題は"In the Blink of an Eye"であり意味は「まばたきするまに」といったところでしょうか。これは先ほど引用させて頂いたカンブリア紀の爆発が地史的なスケールでみればまばたきする間に起こった事を指している訳だ。

実際に本書はこの謎に迫り解き明かしていくように進んでいく。

ところがこの本の邦題は「眼の誕生」。もちろんこれだけで完全に理解する事はできないまでも察しの良い方ならそれが何を意味するかは「わかってしまう」だろう。

ミステリー小説では読者にどの時点で犯人を明らかにするかは当然ながら大変重要な問題である。シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロに代表される推理小説では、物語の最後にこの有名な探偵達によって驚くべき謎解きが語られる。

こうした小説では怪しげな人物が複数いて、だれが真犯人であってもおかしくない状態が最後まで継続していくものだ。

しかし本書は、怪しげな人が一人しかいないにも関わらず、ほのめかすばかりでいっこうに種明かしが始まらないのだ。(もちろん最後にはちゃんとありますけど)

これは邦題のタイトルが悪いのだろうか。それとももともと本書の構成が誤っているのだろうか。邦題のタイトルを一旦忘れて本書の構成を再度辿り直してみたが、やはり種明かしのタイミングが遅すぎているようだ。

日本の出版社も悩んだのかもしれない。

カンブリア紀の爆発の謎を解くという快挙を成し遂げた意味はとてつもなく大きい。実際にこの進化の爆発を推し進めたプロセスを再現してみせてくれるという意味でも本書は読みどころ満載なのだ。

多少まだろっこしい事は我慢してでも手にする価値のある本だと思います。

△▲△


ラッシュライフ」伊坂幸太郎

2008/01/13:仙台に向かう新幹線に乗り込んでいる画商戸田と愛人らしき女性。画商はかなりの金持ちらしい。彼の信条は「金で買えないものはない」

黒澤は自宅のマンションの廊下で隣人と出会う。お互いに初対面である。隣人は飲み過ぎで正体をなくしたという友人を抱えて廊下に出てきたところだったのだ。黒澤は彼らが落としていったらしい奇妙な紙切れを拾う。

仙台駅のなかに出来た喫茶店。新興宗教の信者らしき二人の男。相手が尊敬する格上の信者から呼び出された事を光栄に感じつつも恐縮している男。先輩格からの問いかけは「神を知りたくないか?」であった。

朝に外から自宅へ電話をかけてきた夫の電話を取る妻。夫の電話は「別れよう。」であった。

連続40社から面接で落とされた失業中の男。名前は豊田といった。彼は座り込んでいた仙台駅のペデストリアンデッキから重い腰をあげると歩き出した。そこで薄汚れた老犬に出会う。

一見関連のない人たちが仙台駅で交錯しているようだ。しかし、各エピソードの時間軸の前後関係を惑わす数々のトリックがあることがわかってくる。

登場人物・場面が変わっていくに従い、それらは次第に関係や接点を持ちだしてくるが、描写の細部に注意を払って時間軸を正しく並べようと類推を働かせても最後まで読まないと本当の物語が見えない仕掛けになっている。

本書はまるで飛び出す絵本のようにページをめくっていくととんでもないものが飛び出してきたり、予想外の繋がり方をみせる。

伊坂幸太郎は単にこのトリッキーな展開を味あわせる為だけに本書を書いている訳ではない。一つは各作品は独立しており読み進む順番はどれからでも良いようになっているが、登場人物達の多くが他の物語に接点持っており、全体で巨大な伊坂ワールドが浮かび上がるような事を目論んでいるらしいという事だ。

「無重力ピエロ - 伊坂幸太郎さんファンサイト」(ネタバレになるのでと敢えて但し書きをされているので注意)をみるとその大きさがかなりのものになっている事がわかる。

先に読んでしまった「ゴールデン・スランバー」が他の作品とどんな関係にあるのか僕にはまだわからないけど何らかの接点が仕込まれている可能性はかなり高いのではないかと思う。

もう一つは小説のなかでは伏せられている主要な登場人物達の持っている倫理観だ。犯罪だとか違法かどうかではなく倫理という点で正しいかどうかという事だ。

この倫理観によって物語は動いていく、結末が変わってくるという事だ。必ずしも倫理観を正しく持っていれば全て上手く行くという訳ではないけれど、「イッツオールライト」な訳だよという優しいメッセージが込められているという事だ。これも伊坂作品のなかに共通しているものなのではないかと思う。

つまり本書は巨大な構築物は概観と細部が似通っているように伊坂ワールド全体の縮小版なのである。

それもちょうどボッシュ・サーガで云えば、「天使と罪の街」のように全体像の中心になるような作品なのかもしれない。

一方で、こうした巨大な構造になってくると関係が複雑になっていって書き手も制約を負うとともに読解がむずかしくなる。

またこうした接点やエピソードに不自然なものや無茶な接点があると作品全体のエモーションや信憑性が一気に崩れてしまう危険性すら孕んでいる。

書き手の整合性を保つ為の労力と読み手の喜びの損益分岐点がどこかにあるような気がするな。

背表紙には「現代の寓話」とあるがはたしてこれは寓話なのか伊坂ワールドのなかでのリアルな群像劇なのか。

僕は寓意を含んだ物語であるがあくまで小説と捉えたい。本作が寓話ならリンクしている他の作品も伊坂ワールド全体も寓話だという事になってしまう。

これは決して寓話ではないと思うけどな。この立ち位置は非常に重要な点だと思うので敢えて書かせていただきました。

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