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詩人のための量子力学
―レーダーマンが語る不確定性原理から弦理論まで
(Quantum Physics for Poets)

レオン・M. レーダーマン(Leon Max Lederman)&
クリストファー・T. ヒル(Christopher T. Hill)

2016/03/27:
レオン・レーダーマンはノーベル物理学賞を受賞した物理学者。何冊か科学読み物の本を書いているのだが僕は今回この人の本をはじめて読んだ。

「詩人のための」なんてタイトルになっているけれども、これはつまり文系の数学に縁遠い人を婉曲的に指しているもので、ずばり詩人のために詩的な表現で書かれている訳ではない。それにしてもちょっと誤解を招きやすいかもね。

量子という言葉を耳にしてからずいぶん経つけれども、一体量子って何なのか。さっぱり解らない。

wikiにはこんな記述が書かれていました。


「量子(りょうし、quantum)は、量子論・量子力学などで顕れてくる、物理量の最小単位である。 古典論では物理量は実数で表される連続量だが、量子論では、「量子」と呼ばれるような性質を持った粒子である基本粒子の素粒子に由来するものとして物理量は扱われる。」


何度読んでも意味が解らない。量子の説明文のなかに「量子と呼ばれるような性質をもつ」というような曖昧でしかも自己言及的な表現が入ってきているように見えるのは、あまりにも僕が無知蒙昧だからなのか、単にこの文章が間違っているのか深く悩んでしまう。wikiの例に限らず量子に関する説明はどれもなかなかわかりにくい。

光子は粒子であると同時に波のように振る舞うがこれを量子的と呼んでいる。ここまではなんとなく解るのだが、結局では光子は粒子なのか波なのか。量子物理学の世界ではどちらも正しい。光子は粒子であると同時に波なのである。

 量子論への道を進んでいくと複素数が必要になるという、この意外な数学的展開は、避けることはできない。私たちが実験で測定できるのは、常に実数の値をとるものだけであることからすると、これは、私たちは量子力学的粒子の波動関数を直接測定することは決してできないことを強く示唆している。シュレーディンガーの立場では、電子は実際に、音波や水の波などと同じ、現実の波-物質波-だった。しかし、どうしてそんなことが起こり得るのだろうか?一個の粒子、たとえば電子は、きっちりと定まった位置に存在し、空間にわたって広がったりはしない。なのに、シュレーディンガーに言わせれば、それは波だなんて・・・。だが、たくさんの波を重ね合わせると、その総和を見たときに、空間の一か所で振幅がぐんと大きくなって、それ以外のところではほぼ完全に波が打ち消しあっているような状態をつくり出すことができる。このように波動は、工夫して重ね合わせると、空間的に非常に局所化されて、粒子と呼びたくなるようなものを表すことができる。


自分が誤解していることを覚悟で書くけど、つまりは、空間が持っているエネルギー、振動の波が局所的に高まった場所が一塊できたところが粒子のように振る舞っているように見えるという意味なんではないだろうか。

人に説明するのはこれ以上無理だけど、量子というものがどのようなものなのか。量子物理学が何を追求していっているのかも、なんとなく解ったような気になるところが嬉しい。


 「平方根をとる」ことの意味を見極めようとする努力が20世紀の物理学を推し進める力のすべての源泉であったことは、もっと注目されてもいいかもしれない。逆の見方をすれば、量子物理学とは、「確率の平方根の理論」を構築することだったと捉えられる。そしてその結果生まれたのが、二乗すれば!ある時間にある場所である粒子を見出す確率となる、シュレーディンガーの波動関数だった。

 ふつうの数の平方根をとると、虚数や複素数が出てくるといった、奇妙なことが起こる。実際、量子論形成期では平方根に関連する奇妙なことがたくさん起こった。私たちも当時を振り返った際に、悪名高きマイナス1の平方根i=√-1が登場するのを目撃した。量子論は、本質的に平方根に基づいているため、必然的にiを含んでおり、これを回避することは不可能だ。だが、それだけではかなった。「量子のもつれ」や「重ね合わせの状態」など、他にも奇妙なことにいろいろと出会った。これらもまた、確率の平方根に基づいた理論をつくった結果生じた、「日常感覚に反するケース」である。どういうことかというと、確率を計算するにあたっては、まず各状態の平方根(つまり、波動関数)を足し合わせて(あるいは、その差を取って)、それから和(または差)を二乗するので、どうしても項の打ち消しあいが起こり、ヤングの実験で見られるような干渉の現象が起こるのである。自然がもっているこのような側面が私たちに奇妙に感じられるのは、ギリシャなどの古代文明の人々がi=√-1のことを知ったなら、完全に直感に反すると感じたであろうと思われるのと多分同じだ。古代ギリシャ人は、無理数でさえも、それが登場した当時は、とても受け入れられないと感じていたのである。


平方根!!これも現実世界で何に使えるのかわからないまま話を無理無理進める数学の授業が苦痛で苦痛で仕方なかった。こんな風に現実世界を表現するツールとしての数学の立ち位置を平行して教えてくれていたらもっと勉強が楽しくなったんじゃないかと思う。残念だ。

量子、平方根、これ以外にも話題満載で読者を飽きさせない一冊でありました。

ところで近況です。実家の仙台にいる義母が体調を崩して入院。そんな中今度は実父が肺炎で入院という事態になり家族で仙台に行ったり来たりを繰り返している年度末というこれまでにちょっと見たことないくらいに忙しい。

先週実父の方は退院しましたが、高齢者の肺炎は繰り返される傾向にあって、入院する度に生活能力ががっくりと低下してしまう。次にまた入院したら、一体どうなるんだろう。

また来週末は義母の病院が引っ越しなんだそうです。もちろん義母諸共。

年度末、新年度と仕事の方面でもやること目白押しでありまして、気が遠くなる思いだ。

ところで一個一個の仕事にも作業タスクが複数あってってこれ仕事の量子化だな!

そして量子は重なり合って、時として三角波のような巨大な波を生み出すことがあるのだそうで、そう僕は今それを身をもって体験していたのである。

重力波が実在をする証拠を初めて観測したというニュースが先日ありましたが、重力波って何と子供たちに訊かれて、何も答えられなかったよ。次はこんな本が読みたいと思っております。


「対象性」のレビューはこちら>>


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遺伝子から解き明かす 昆虫の不思議な世界
大場祐一 大澤省三 昆虫DNA研究会(編)

2016/03/06:普段からあまり普通の人が読まないような本ばかりを読んでいるのは周囲の人たちも承知であまり反応することはないのだけれども、この本が机にあったのを見かけた会社の女性は恐る恐る「昆虫好きなんですか」と聞いてきた。

本で読むのは好きだけど昆虫は大の苦手でチョウやトンボですら触れないタイプです。

一方本好きは世の中にたくさんいるけれども、本書を通勤電車で読破する人はおそらくレアであろう。分厚くて重たいしね。

昆虫DNA研究会は冒頭なにやら少年少女の同好会みたいなものだなどと書かれていて、趣味の延長で編集したのかななんて思ってしまったけども、超専門的な人たちのめちゃくちゃ真剣、ハードな研究会でした。

苦手な人の多い昆虫の分厚くて重たい本を読んで「楽しい」と思えるのはやはりかなり変わった趣味なんだろうけども、これはすごい本でしたよ。

普通の人にも是非読んで欲しい一冊だ。図版も豊富でどれも大変な労作。グラフにせよ、系統図にせよ、昆虫の姿にせよ斜め読みしてしまうのが惜しい。

子供の頃、恐る恐るページをめくっていた昆虫図鑑を彷彿とさせる美しさでありました。

それにしてもこの専門さは半端ない。


 節足動物64種から得られたDPD1、RPB1とRPB2という3遺伝子のアミノ酸配列を用いて最尤法とベイズ法で系統解析を行った。その結果、昆虫類は単系統群であり、ミトコンドリア遺伝子による解析では、内顎類昆虫と外顎類昆虫の間に入る甲殻亜門の鰓脚類網と軟甲網は、昆虫類すべての外群となった。すなわち、昆虫類は共通祖先に由来していると考える従来の説が支持された。


つまりDNAの大規模なデータが集まり、解析手法が洗練され、コンピューターの性能が高度化し、大規模データを手軽に分析できるようになってきたことで、従来は見えなかったようなものが見えてきたという事だ。

めでたく共通祖先に由来していることが明らかになった膨大な数に及ぶ昆虫類だがこれが一体どのように枝分かれしてきたのか。

いろいろ面白かったのだけどなかでもサボテンで生きるショウジョウバエについて。


 サボテンはコレステロールやシトステロールをもっていないので、本来ならばサボテンだけに頼って生きていける昆虫はいない。しかし、メキシコにはサボテンだけを摂取して生きるショウジョウバエがいる。ここではこれをサボテンショウジョウバエと呼ぼう。

 サボテンショウジョウバエは、一見すると(あの、捨てられたバナナやブドウの皮にどこからともなく集まってくる)ごく普通のショウジョウバエとそっくりな、特徴のないハエである。しかし、このハエは、コレステロールから脱皮ホルモンをつくる一連の生合成経路にかかわる最初の酵素(コレステロール不飽和酵素、ネパーランドという名前がついている)のアミノ酸が変異して、サボテンがもっているラソサステロールをコレステロールやシトステロールの代わりに使えるように基質特異性が変化している。そのため、サボテンショウジョウバエは、ラソサステロールから脱皮ホルモンを生合成でき、サボテンだけに依存して生きていくことができるのである、


先日読んだ「植物が出現し、気候を変えた」には上陸を果たした植物の進出によって酸素濃度が上昇、昆虫類の巨大化を招いたことが書かれていた。昆虫類の多様化は地質年代学的な歳月で変動する地球環境が後押ししていたのだ。

従って本書の守備範囲もまた幅広い。日本にいる昆虫たちもまた非常に多様だが、この多様性は日本列島の生成に溯るものがあるという。


 2300万年前からはじまる中新世の前期には、海洋プレートの沈み込みによる大陸辺縁部の分離が活発化し、やがて日本列島が大陸から引き裂かれるような地殻変動が発生した。2100万~1100万年来前にはさらに離裂が進み、西南日本は時計回りに回転し、一方、東北日本は反時計回り回転したとされる。また、1600~1500万年前がより激しい回転運動であったとされ、このころの東日本は小さく分断された飛島状の島嶼群であったと考えられている。このような日本列島形成プロセスは「観音開き型離裂説」と呼ばれている。


犬や猫を始め魚などの動物の模様は実は波動関数によって決められていることがわかったという話を別な本で読んだ。

三毛猫の毛並みが波なのか。見方を変えるといろいろのものを波のように捉える事ができる一例だろう。

光が波だったり粒子するようなものなのかもしれぬ。


地質気候などの環境、植物たち他の生き物との関係。様々な環境のなかで強かに生きる昆虫類。いまだその全体像が掴めぬ昆虫類だがこの昆虫類の多様性ももしかしたら波のようにうねりながら変化し続けているのかもしれないと感じた。


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戦後日本の宗教史: 天皇制・祖先崇拝・新宗教
島田 裕巳

2016/02/21:ずいぶん長いこと読んだ本を記事にしてきましたが、初めて野外で書いております。今日は市川の妙典橋の架橋工事があり、自転車で見学に駆けつけ、河川敷の芝生に座ってこれを書いております。これも文明の利器スマホ、エバーノートのお陰。それと漸くスマホに入力することに慣れてきたお陰であります。しかし気配が慌しい、光景も気になるところで落ち着かない感じですが、頑張っていきましょう。外で書くのも悪くないね。

戦後の日本の宗教史。なるほど日本人の宗教観というものは戦後、どのように変化してきたのだろうか。

先日よんだ松山恵氏の本「江戸東京の都市史」には、現人神 天皇や神道は明治維新後の日本政府が日本という国造りの一環として新たに生み出した宗教であったことが書かれていた。

もちろん天皇家が綿々と過去から引き継がれてきたことは事実だが、一般市民が天皇を神として自覚し、信仰していた訳ではないのである。

なるほど、そりゃそうだな。と思った。市井の人々が信じていたのは土地の氏神などであって、お地蔵さんや樹や岩に宿ると言われている神さまであったはずだ。

とここまで書いた時点で架設工事が始まり、始まったと思ったら、雨が降りだし、早々の撤退であります。

しかし、外で書くのはなかなかいいな。春になったら積極的にやっていってみよう。

おっと脇道に逸れました。こうして、神社を取り込むことで、日本を束ねることに成功した日本の新しい政府は、本来耶蘇教の暴力を牽制するためのものだったはずなのに、帝国的性格を強め、やがては敵視していた暴力的な国家へと変貌を遂げ、最終的には戦争、そして夥しい犠牲者をだして敗北する。

本書はこうして焼け野原から始まる日本の戦後の宗教について、著者の島田氏は三つの軸があると述べている。

それは天皇制、祖先崇拝、新宗教だ。急場しのぎで半ば場当たり的に作り出した天皇制は、戦後、天皇に人間宣言させることで、アメリカは幕引きをしたとみなした。

しかし神道は生き残った。なぜなら天皇自身の皇祖皇崇は、アメリカ人の宗教観からみて天皇個人のものであって、政府まして海外の政府が関与すべき事項ではないとみなされたからだという。

しかしこの個人的な天皇の信仰こそまさに神道の中核である訳で、しかもこれは一般的な歴史観と異なり、明治政府の成立とともに創り出した新しい役割そのものであったのである。


 神仏分離が行われたのは、神道を中心とした国造りがめざされ、中世から近世にかけて日本の宗教界を支配した「神仏習合」という状態を好ましくないと判断されたからである。京都御所では、三種の神器の一つである八咫田鏡を天照大神の御神体として祀る賢所(温明殿、内侍所)が設けられてきたが、東京への遷都にともなって賢所が皇居に移されるとともに、歴代の天皇、皇后、皇妃、皇親を祀る皇霊殿が1871(明治4)年9月に創建された。さらには天神地祇八百万神を祀る神殿が72年に、神祇省の廃止にともなって移された。これによって、「宮中三殿」が成立し、天皇は皇祖皇宗、それに天神地祇を祀る司祭としての役割を担うようになる。これは、繰り返しになるが、それまでにはなかったことである。


結果、生み出された時点から孕んでいた矛盾や問題点に加え、近代化、高度成長を遂げていく新しい日本の文化との間で生まれる様々な問題を解決できないまま、天皇制はねじれ歪みながらも歩んできた。

また、戦後の高度成長に伴って都市部への人口移動や過疎化が進む農村部との間では、祖先崇拝、新宗教という問題が互いにに関係しあいながら浮上してきた。


 この家督相続の制度は、新しい民法では廃止され、均等相続に移行したわけだが、農家では、それほど多くの耕地をもたなければ、それを分割して相続するわけにもいかず、戦後も、長男などが全部を相続するやり方がとられた。他の兄弟姉妹は、他家に嫁いだり、養子に出たり、あるいは都会に働き口を求めるなど、家を出て行かざるを得なかった。その際に、いくばくかの支度金などが与えられたかもしれないが、戸主の権限は依然として強く、御先祖を祀る祭祀権も依然として戸主に独占された。それによって、先祖崇拝は戦後の農家に受け継がれていったのである。


なかでも記憶に新しいものの筆頭はオウム真理教である。彼らが暴力的であったこと、ほんの一握りの人々によってかくも脆く社会治安が毀損してしまうのかという事に驚愕した人も多かったのではないだろうか。

しかし、振り返れば彼らが暴力的であったばかりではなく、宗教というものにはとかく暴力が伴うものであるという自覚を我々が認識すべきであることを思い知るべきなのではないだろうか。

上九一色村のサティアンには警察の特殊部隊が突入し、暴力的に幕を閉じた事はまた、半宗教というか、宗教を否定するためにもまた暴力が伴いがちだということだ。

本書はこうした宗教問題を浮き彫りにすることで、瞠目するような日本の戦後史を描き出していく。

なるほど、そういうことだったのか。とまさに膝を打つような思いを何度もしました。

本当にこれは慧眼でありました。

しかし、判らないまま残ったものとして、こうした様々な宗教を信仰している、あるいはいた、信者の人々というのは、一体何を信じていたのかということだ。

天地を創造したとされる神もいれば人と同じような姿をして幸運や死後の救いを実現する神もいる。こうした様々な宗教の一つを選んでそれを信じるとした人は一体何を信じているのかというところが僕にはわからない。自分が幸福になることだろうか。神の教えとされるその「教え」だろうか。神と呼ばれる人そのものだろうか。それとも本当にかの人が「神」であるという事だろうか。


△▲△

植物が出現し、気候を変えた
(THE EMERALD PLANET
How Plants Changed Earth’s History )

デイヴィッド・ビアリング(David Beerling)

2016/01/31:早いもので一月も最終日であります。でも10月以降の超慌しさからはやや解放されてちょっと肩の力が抜けているところであります。さて今回は「植物が出現し、気候を変えた」です。植物が気候を変えたことは少なくとも誰しも察しているところではないかと思いますが実際それはどのように変化したのか。

少し前ですが土屋健氏の生物ミステリーシリーズ、これは毎回楽しく読んでいるのだけど、その「ジュラ紀の生物」に、この頃草原というものは存在しなかった。草原が出現するのはずっと後のことだというようなことが書かれていた。植物が陸上に進出したのは約5億1000万年前。藻類から進化したものだったようだ。藻だ。僕はここから徐々に植物が大きくなっていったイメージを持っていたのだけれども、そんな単純なものではなかった。世の中すべてだいたいそうなんですけどもね。植物の進化系統樹を改めてみてみると自分か理解しているイメージとかなり違っていることに改めて気づかされる。動物のものはよく目にしているけれども、植物はあまり注目されてこなかった。本書もそんな日の目の当たりにくい植物にしっかり目を向けようという目論みであることを冒頭明言していた。なるほどであります。


 このように地味なスタートを切ったのち、植物は繁栄しはじめた。それから6500万年前-4億2500万年から3億6000万年前までのあいだ-は、史上空前の爆発的進化と多様性が続いた。この時代のことを、植物における「カンブリア大爆発」と呼ぶ人さえいる。カンブリア紀の大爆発とは5億4000万年前、地質学的にはわずか一瞬ともいえるような期間に、海洋無脊椎動物が単細胞から複雑な多細胞生物へと進化した時代である。一方、その植物版ともいえる「大爆発」では、陸上植物が変化し、現在見られる植物の青写真ともいえる姿を獲得した。たった数個の細胞でできた単純な姿が、あっと言う間に驚くほど複雑な構造と洗練された生活史をそなえるようになる。しかし、こうして進化は目まぐるしく展開したのに、葉はなぜか、その最後の瞬間までなかなか植物界に広がらなかった。


この間地球の大気成分は劇的な変化を遂げていたという。それは二酸化炭素濃度の激減と酸素濃度の急増だった。植物が上陸し多様化はこの高い二酸化炭素濃度にあったようだ。有り余る二酸化炭素によって植物は繁栄を謳歌した。しかし、増え続ける植物によって今度は二酸化炭素が不足ぎみになっていった。この不足する二酸化炭素を補うため、植物は最後になって葉を進化させたというのだ。


 いろいろな証拠から、二酸化炭素の濃度は初期の植物が登場したころとても高く、その後急激に低下したと推測される。この低下は、植物版カンブリア大爆発の時代に起こった。また化石記録から、葉が徐々に登場したこともわかった。葉は、最初は小さかったものがだんだん大きくなった。そしてそのあいだにも、二酸化炭素が乏しくなるにつれて気孔の数は増えていった。大きな葉の進化は異常に遅れたが、これを理解する鍵もここにある。気孔という小さな穴の数が、植物の体を涼しく保つことにもつながっていることに気づけば、もうわかるだろう。気孔は今まで見てきたように二酸化炭素の摂取をコントロールする弁の役割を果たしている。しかし、気孔の役割はそれだけではない、気孔は同時に、蒸散によって水を逃し葉を涼しく保っているのだ。気孔が多くなるほど、葉を涼しくする能力が高まる。葉が大きくなると、小さい葉に比べて風が吹いても冷えにくくなるため、涼しい環境を維持することがどんどん難しくなる。だから大きな葉ができるには、大気中の二酸化炭素濃度が下がるまで待たねばならなかった。二酸化炭素濃度が下がれば、気孔をたくさん作ることで大きな葉でも涼しさを保てるようになる。


植物が上陸した当時はその二酸化炭素濃度による温室効果でかなりの高温多湿な状態であった。しかし植物の働きよって地球の気候は大きく変動していく。それまで地球規模での気候変動は隕石の衝突や火山の噴火などによる地質学的な要因によるものばかりだったが、はじめて生物由来で気候が変動するようになったのだ。

一方で急激に上昇した酸素濃度は動物界の激変を呼んだ。現在の酸素濃度は地表で酸素が20.95%だが、約300万年前には35%を超えるほどになっていた時期があったらしい。そしてこの酸素濃度が昆虫の巨大化の引金になっていたのだという。

また、こうして自ら潤沢な二酸化炭素濃度の環境を変えてきた植物は、薄くなっていく二酸化炭素を得るために新たな戦術を生み出す必要性に迫られることになった。

この事態に対処する新たな戦術は驚くべきものだった。C4光合成と呼ばれる新たな植物は従来の光合成テクニックを更に
洗練したものだった。


 決定的に違っていたのは、光エネルギーを使った二酸化炭素ポンプである。それが、糖の合成を触媒するルビコス酵素のまわりに、二酸化炭素を送り込んで集めていたのだ。この方法では、二酸化炭素はある特殊な運送用化合物に捕まり、くっつく。その後、葉脈のまわりを冠のように囲んだ特殊な細胞に送り込まれる。この細胞のなかで「積荷」が下され、二酸化炭素の充満した小さな温室ができあがる。特殊な並び方をしたこの細胞では二酸化炭素の濃度が外の大気の10倍になり、濃厚な二酸化炭素に浸かったルビコスは、これをすごく効率よく有機酸そして糖へと変えていく。他の植物では考えられない効率のよさだ。このことを知れば、サトウキビやトウモロコシと同じ「C4植物」が世界でもっとも生産性の高い穀類や最悪の雑草として幅をきかせていることも納得できるだろう。4炭素化合物の謎はハワイ、ロシア、オーストラリアの研究者を悩ませてきたが、その核心は冠状の特殊細胞へ二酸化炭素を送り込む輸送化合物だった。


この植物によって変動した大気の下で動物が大躍進を遂げてゆく。なんとダイナミックな光景なんだろう。

植物と動物、生物と地球は切り離すことができない、密接な関係にあって、互いに影響を与えながら変化し、変化し続けることで、永続的に命を育んできたのだ。

今、僕らはこうした地質年代学的な時間単位で起こってきた大きな変化を化石燃料の燃焼によって、極端に短時間で再現させようとしている。それはもしかしたら、生命が過去数回経験した大絶滅を引き起こした巨大隕石の衝突に匹敵する事態を巻き起こしてしまうかもしれない。


かつては化石燃料の枯渇が近いとされていたが、近年の掘削精製技術の進歩によって、従来手にすることができなかったシェールオイルを商業ベースに乗せることができるようになった。

このシェールオイルの産出によってアメリカはサウジアラビアを抜いて、石油産出の世界一に躍り出た、


原油価格は昨年来から低下の一途をたどり、ピーク時の四分の一に迫る勢いだ。


このシェールオイルの埋蔵量は向こう1000年ほどにもなるらしい。アメリカ政府はツバルとかの水没なんかより、自国の経済発展を優先させているということなのだろう。オバマの愚かさはもしかするとブッシュⅡを凌駕したかもしれん。

石油価格の下落は、これまでの省エネ意識を退行させ、環境活動にブレーキを踏むものになるだろう。

そしてそれは地球温暖化へ加速する。これが地球環境のしなやかさ、弾力性、復元力を破ってしまうのではないか。海底などに埋蔵されているメタンハイドレートを融解させるなど温暖化に歯止めが効かなくなってしまう、後戻りができないところまできてしまったのではないか、という懸念は今脇に追いやられようとしている。

また心配はつきないが、チェルノブイ周辺で発見された木の実には巨大隕石落下に伴う大絶滅の時期のものと酷似しているのだという。

福島では山間部の除染ができないという、そんなのはじめからわかってたんじゃないのか、というような事実が明らかになり、環境省が出した補償を東京電力が蹴飛ばし、東京電力の当時の経営者らに対する刑事責任は東京地検が却下するという、常識からは真逆な方面へと暴走しているように見える。

原子力は生物環境にとっては巨大隕石よりもずっと現実的な脅威なのである。

人々の反原発意識も震災直後から徐々に薄まりつつあるように感じられる。果たして我々は世の中をうまく軌道修正して、引き返すことができるのだろうか。


△▲△

崩壊5段階説: 生き残る者の知恵(The Five Stages of Collapse: A Survivor's Toolkit)
ドミートリー・オルロフ (Dmitry Orlov)

2016/01/24:年が改まって最初の一冊はこの「崩壊五段階説」です。著者のドミートリー・オルロフは1962年旧ソビエト連邦、レニングラード生まれ。12歳のときにアメリカに移住、現在はピークオイル論を中核に作家活動をしている人らしい。

住まいは帆船でアメリカ東海岸を再生可能エネルギーのみで家族と暮らしているのだそうだ。

背景には超大国であった祖国ソビエト連邦の全世界が仰天する勢いでの崩壊という経験値があるのは間違いない。

そこにピークオイル。石油産出量がピークを迎えるとあとは減退していく一方であるとする考え方だ。

石油産出量が減退していくと何が起こるのか。

それがまさに崩壊五段階説な訳だが、その前にもう少し、ピークオイルの話ね。

オルロフは基本的にピークオイルに近く
まもなくは到達すると考えているらしい。

我々の社会生活の原動力はエネルギーであり、この中核は石油産出量に支えられている。石油なくして我々の生活はままならない。石油産出量が減退に転じ、社会が必要とするエネルギー供給に不足が生じる事態となった場合、社会活動は急減速を強いられる。

そしてあっという間に崩壊してしまうというのである。

自ら帆船を自活可能な避難所として暮らしている彼の危機感は本格的なものだ。

彼の思い描く最悪のシナリオがどのように進んでいくのか。それが崩壊五段階説である。


崩壊五段階説
第1段階――金融の崩壊
「平常通りのビジネス」という信頼が失われる。未来はもはや、リスク評価や保証付き
の金融資産を可能にした過去とは違うものだと考えられるようになる。金融機関が破産す
る。預金が一掃され、資本調達が損なわれる。
第2段階――商業の崩壊
「市場が供給してくれる」という信頼が失われ、通貨が減価するか希少なものとなる。
あるいは、そのどちらもが起こる。商品価格が高騰し、輸入および小売りチェーンが支障
をきたす。そして、生存するうえにおいての必需品が広範囲で不足する事態が常態となる。
第3段階――政治の崩壊
「政府があなたの面倒をみてくれる」という信頼が失われる。市販されている生活必需
品が入手困難となり、それを緩和する公的措置が奏功しなくなるにつれて、政界の支配層
は正当性と存在意義を失うことになる。
第4段階――社会の崩壊
権力の空白を埋めるために現れるのが、慈善団体だろうと他の集団だろうと、地方の社
会制度は資源を使い尽くすか内部抗争の果てに機能しなくなり、「周りの人々があなたを
気遣ってくれる」という信頼が失われる。
第5段階――文化の崩壊
人間の善良さへの信頼が損なわれる。人々は、「親切さ、寛大さ、思いやり、情愛、正
直さ、もてなしのよさ、同情心、慈悲」(『ブリンジ・ヌガグ』)といった能力を失う。
家族はバラバラになって、希少な資源をめぐって骨肉の争いとなる。新しいモットーは、
「お前は今日死ね、俺は明日だ」(『収容所群島』)というものになる。

ソビエト連邦の崩壊、無政府状態の紛争地域や難民たちの姿を思うに、社会の崩壊は恐ろしい事態を生む。

こうした現実を報道で日々目にしながらも、僕らが安寧として暮らす社会がある日崩れ始める姿はなかなか想像できるものではない。

しかし思い出してみよう。東日本大震災の際、道路やライフラインが機能不全に陥るためには、ほんの一部が壊れるだけで十分なのだ。

橋が一カ所陥るだけで交通は広い範囲で麻痺してしまう。ガソリンスタンドにガソリンがないためクルマは移動できなくなる。

スタンド前には長蛇の列がならび道路が渋滞し、そこにたどり着くこともできない人ができる。

電気が止まることで身動きもままならなくなってしまった高層マンションの人々は都会の上空に孤立した。

ソビエト連邦が崩壊したとき報道を通じて見ていた僕らは正直何が興っているのかよく分からなかった。

モスクワで暮らしていた一般人の人々にはどのように物事が見えていたのだろう。


歴史が教えてくれることは、GDPの6パーセント以上が石油に費やされるときには景気が後退するということだ。石油利用の衰退が救い難いことだと考える十分な理由もある。地質学者が新たな資源を発見するペースよりもはるかに速く、世界は石油を使っているのである。すべての石油生産の四分の一を生産するような超巨大油田[サウジアラビアのガワール油田に匹敵]は、恐らくもう残っていないだろう。そして今日では、世界の石油消費量の二、三日分を供し得るくらいの油田の発見で祝福しているというありさまなのだ。

石油利用の伸びが止まって、やがて石油利用が減じるにつれて、経済もまた成長を止めて縮小することになる。そして、楽観的な見通しに基づいた貸し出しによって生じた貨幣の海も
同じく干上がることになる。人口もまた、ついには急降下しはじめるだろう。私の推測では、人口減は出生率の低下ではなく、むしろ死亡率の上昇によって引き起こされる


石油産出量の減退から社会活動が機能不全に陥るというシナリオは、あり得ると思うものの、僕はやはりやや懐疑的だ。

なぜならそこまでに至る前にもっと大きなリスクを僕らは抱え込んでいると思っているからだ。

まずは地球温暖化。石油によるエネルギー供給に危機が訪れるまで果たして僕の棲む場所は生活に足る環境を保っていられるのだろうか。

淡水や生物多様性の問題が環境破壊から加速する可能も示唆されている。そして人口。先進国は人口のピークを超え
減少に転じ始めている。人口が減り高齢化が進む社会は地方から崩壊する、もしかしたら崩壊し始めているのかもしれない。

いやいやそんな将来的な話よりも何より、トランプが大統領に就任して内外に紛争の火の手が上がり、核戦争に突入するなどという事態もあり得るのではないかとも思う。

危機を察知する優れた預言者は評価されにくいのだそうだ。何故なら、それを信じた統治者がうまいことその危機を回避してしまうからだという。

僕らはこうした危機をうまく乗り切っていけるのだろうか。著者の示唆するものは熟慮に値するものであることは間違いない。
なかでも最も僕の目を惹いたのは次の一文でした。


効率という曖昧で恣意的な答えを追求する際にはほとんど考慮されることがないのは、回復力というおよそ両立し得ない概念である。効率的なシステムは、特定の用途や条件でこそより良く最適化される傾向があるため、システム自体はますます脆弱で回復力に乏しいものになってしまうのだ。最適化過程の段階を踏むごとに、システムはますます特異的な環境に適合するようになるので、環境変化が起こるとシステムは効率的でなくなるどころか、機能不全に陥ってしまう。


社会でも会社の仕事でも回復力というものは効率性に劣後して語られることが多く、結果的には余力で、出会いがしらにどうにか対応しているというのが現実なんじゃないだろうか。

社会はますます一極集中で格差は拡大の一途を辿っている。その分脆弱さ増し回復力も失われてきているのは間違いない。恐らく求められているのは多様性なのだが、社会としてこれをどう実現していくのかというのは非常に難しい課題だ。


△▲△

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