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福島原子力発電所は予断を許さない状況が続いています。漏れ出した放射能の影響範囲は全体像が掴めてない。はっきり見えてくるのはひょっとしたら10年後なのかも。これは非常に恐ろしい事態だ。

今だ「脱原発」について後ろ向きな発言を繰り返し、果ては隠蔽を行っている政治家・メディアがいる。それものうのうと。

広範囲に環境を破壊する放射能の脅威と利権を天秤にかけた結果が今。誰もこんな事態に責任を持てるものなどいなかったのだ。あり得ないと無視しても、結果は必ず具現化するものだ。

今回は震災がその直接の原因となったが、原発が壊れる原因となりえるものは他にも沢山あるはずだ。一日も早い方向転換と、利権に群がったものたちへの責任追及を。

ミドルワールド-動き続ける物質と生命の起原
(Middle World: The Restless Heart of Matter and Life)」
マーク・ホウ(Mark Haw)

2011/09/25:作者のマーク・ホウは天文学、ブラウン運動にかかわる物理学博士で現在はケント大学で教鞭をとっている模様だ。ブラウン運動は水などに浮遊する極小さな微粒子が、不規則に運動する現象だ。

ブラウン運動というからには、ブラウンという人が発見したのだろう。そして当然のことながらこのブラウンという人は物理学者なんだと僕は思っていた。

しかし、このブラウン。本人はロバート・ブラウン(Robert Brown)という人物で、本業は植物学者。しかも1773年生まれ。ブラウン運動と呼ばれる現象を発見したのは、1827年ごろのことだったのだというからちょっと驚き。全然思っていたのと違ってた。

ブラウンはダーウィンと交友もあった熱心なプラントハンターだったのだ。彼は当時植物の花粉を顕微鏡で覗くことで生命の本質を探ろうとしていたのだという。ブラウンは苦労してごく小さな花粉を割って、なかの粒子を水滴のなかに取り出して顕微鏡で覗いた。水滴のなかにでてきた粒子は、まるで踊っているように動き続けていた。


 花粉の粒子は、そこら中で動き回っていた。ただ動いているというよりも、踊っていた。跳んだり跳ねたり、あちこちさまよったり、ぐるぐる回ったり、まるで、顕微鏡でなければ見えないほどの小さな嵐の渦に取り込まれたようだった。我を忘れたような踊りは、一瞬の休みもなく続いた。ブラウンがいつまで見つめていたも、踊りは果てることがなかった。花粉の粒子は、とにかくじっとしていなかった。


池の水を顕微鏡で覗き、微生物を発見したアントニ・ファン・レーウェンフックもさぞ驚いたと思う訳だが、花粉のなかの粒子が踊っていたというのも、やっぱり目を疑うものがあったろうと思う。ブラウンはこの粒子の動きが生命に基づくものなのかを確かめるために何日も観察を続け、環境を変えたり金属や砂などを細かく削って同じ位の粒子を作ってみたりと試行錯誤を繰り返し、結果極小さな粒子の振る舞いには何か物理的背景があることをこの時代に見抜いたのだった。

しかしこの考え方はあまりに斬新で時代を先行していた。時代はニュートン力学や原子説の発見から決定論的な哲学に魅了され、曖昧さやランダムさが入り込む余地はなかったのだ。


 ニュートンが惑星の運動を見事に単純な法則に適用させたことと、物質がアトムからできているという考えは、とても都合がいい。ニュートンの法則は、惑星の大きな世界からアトムの極微の世界まで、一切合財を引き受ける。すべての物体が、すべてのスケールで、同じ単純な法則に従う。


ブラウンは時代から忘れ去られて久しい人物であった。本書はこのブラウンの人となりから幕を開き、科学史を大きさの尺度と、この決定論的な考え方がエントロピーという概念と激突し、アインシュタインが統計学を洗練させ、ついに分子の海のなかの粒子がランダムウォーク、つまりブラウン運動をすることを証明するまでの科学史を丹念に追っていく。

本書はマクロワールドとミクロワールドの間に存在する豊潤でランダムで混沌に包まれた「快楽の園」ミドルワールドの世界をつまびらかにしようとするものだ。

本書におけるマクロワールド、ミドルワールド、ミクロワールドの境界は以下の通り。


マクロワールド
ミクロン(1000分の1ミリメートル)以上の世界
宇宙(銀河、ブラックホール、惑星、恒星、彗星)、蒸気機関、自動車、自転車、バイク、大砲の弾、羽毛、砂、小石、動物、植物、微生物、ヒト

ミドルワールド
マクロワールドとミクロワールドの間の世界
細胞(DNA、RNA、たんぱく質、ミトコンドリア、リボゾーム、分子モーター)ウィルス、バクテリア、筋肉(アクチン、ミオシン)、天然樹脂(カンボージ、シェラック、ゴム)、合成高分子(シャンプー、リンス、界面活性剤)、石鹸、ミルクに浮かぶ脂肪の粒

ミクロワールド
ナノメートル(100万分の1ミリメートル)以下の世界
分子、原子、原子核、素粒子、光子、陽子、中性子、電子、陽電子


どうやら生命の神秘の根源はこのミドルワールドのどこかに潜んでいるらしい。ミドルワールドで営まれている分子の科学的特性はまるで目隠しして手探りで外出するような心細い状態であることが否が応でも明らかになってくる。

ところで先日、欧州合同原子核研究所(CERN)で名古屋大学などの国際研究チームがニュートリノの移動速度を測定実験を行った結果、光の速度よりも1億分の6秒速いニュートリノが検出されたと発表した。

いかなる物質も光よりも速く移動できないという宇宙の厳格な速度制限があるとする相対性理論と矛盾する結果に科学界は動揺が走っている模様だ。なかなかこれといった説得力をもつ回答が出せないダークマターの問題。そしてこのミドルワールドの広大で混沌とした世界。僕ら人類は科学だなんだとわかったつもりでいたことがなんとも心もとないことに過ぎない。我々はまだまだこの世界のことを殆どちゃんと理解できていないということを強く感じた。

ちょっと残念なのは後半この混沌とした広大なミドルワールドを前に本書も推進力を徐々に失い失速ぎみになってしまうところだ。やはり相手が手ごわすぎたというところだろう。




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スラムの惑星―都市貧困のグローバル化
(Planet of Slums:
Urban Involution and the Informal Working Class)」
マイク・デイヴィス(Mike Davis)

011/09/19:マイク・デイヴィス(Mike Davis)は、カリフォルニア大学で教鞭をとる都市社会学者だ、生肉工場やトラック運転手などの仕事に就き、そのなかで労働運動にも実際に参加するなどかなり異色な経験を持っている人だ。未読だが、「要塞都市LA」や「感染爆発――鳥インフルエンザの脅威」などを通じてネオリベラリズムによって推進されている世界的な巨大都市化やそれに伴う弊害などについて辛らつな批判を述べてきたという。

◆目次:
第一章 都市の転換期
第二章 スラムの拡大
第三章 国家の背信
第四章 自立〔セルフ・ヘルプ〕という幻想
第五章 熱帯のオースマン
第六章 スラムの生態学
第七章 第三世界を構造調整する=搾り取る
第八章 過剰人類?
エピローグ ヴェトナム通りを下って

本書もこれまでのディヴィスの視線を踏襲したものになっているようで、農村部からの人口流入が拡大増加し続けた結果、世界のあらゆるところでメガシティが誕生してきたこと。そしてこの新たに出現してきたメガシティでは夥しい人々が我々が夢想するような近代化・整備されたものではなく、生活に必要な社会インフラが殆どまたは全くない土地に、未加工のレンガや藁やプラスチックの廃材で建てられた建物にひしめき合って暮らしている。

世界人口は現在69億人、2050年には90億を超えるとする統計分析もある。ディヴィスは都市の未来をスラムに見ると警鐘を鳴らしているのである。



貧困の定義はなぜか必要以上に曖昧だが、一日一ドル未満で生活している人たちを指すとする考え方がある。この基準に沿って世界銀行は人口統計を行っており、南アジアに約522万人、アフリカには約290万人いるとしている。ユニセフではこの一日一ドル未満という定義は甘すぎるし曖昧すぎるとしている。ユニセフでは貧困で援助が必要な状態におかれた子どもの数だけで10億人いると述べている。

ディヴィスも具体的な数値は明らかにしてはいないが、しばしば政府は自国の貧困層の人たちの数を具体的に調べることができないか、または誤魔化している場合もあるという。

本書で紹介されている第三世界のメガシティとメガスラム。


                      単位:百万人
第三世界のメガシティ 1950年 2004年
メキシコシティ 2.9 22.1
ソウル・インチョン 1.0 21.9
ニューヨーク 12.3 21.9
サンパウロ 2.4 19.9
ムンバイ(ボンペイ) 2.9 19.1
デリー 1.4 18.6
ジャカルタ 1.5 16.0
ダッカ 0.4 15.9
コルカタ(カルカッタ) 4.0 15.1
カイロ 2.4 15.1
マニラ 1.5 14.3
カラチ 1.0 13.5
ラゴス 0.3 13.4
上海 5.3 13.2
ブエノスアイレス 4.6 12.6
リオデジャネイロ 3.0 11.9
テヘラン 1.0 11.5
イスタンブール 1.1 11.1
北京 3.9 10.8
クルンテープ(バンコク) 1.4 9.1
ハウテン(ウィットウォータースランド) 1.4 9.0
キンシャサ/ブラザビル 0.2 8.9
リマ 0.6 8.2
ボゴタ 0.7 8.0


                             単位:百万人
30巨大メガスラム
ネツァワルコヨトル/チャルコ/イスタバラ(メキシコシティ) 4.0
リベルタドール(カラカス) 2.2
エル・スー/シウダー・ボリバル(ボコタ) 2.0
サン・ファン・デ・ルリガンチョ(リマ) 1.5
コノ・スール(リマ) 1.5
.アジェグンル(ラゴス) 1.5
サドル・シティ(バクダッド) 1.5
ソウェト(ハウテン) 1.5
ガザ(パレスチナ) 1.3
オランギ地区(カラチ) 1.2
ケープ・フラッツ(ケープタウン) 1.2
ピギン(ダカール) 1.0
インパバ(カイロ) 1.0
エゼ・エル・ハガナ(カイロ) 0.8
カゼンガ(ルアンダ) 0.8
ダラヴィ(ムンバイ) 0.8
キベラ(ナイロビ) 0.8
エメアルト(ラバス) 0.8
シティ・オブ・デッド(カイロ) 0.6
スクレ(カラカス) 0.6
イスラムシャール(テヘラン) 0.6
トラルパン(メキシコシティ) 0.5
イナンダINK(ダーバン) 0.5
マンシェット・ナスル(カイロ) 0.5
アルティンダ(アンカラ) 0.5
マサレ(ナイロビ) 0.5
アグアス・ブランカ(カリ) 0.5
アゲゲ(ラゴス) 0.5
シテ・ソレイユ(ポルトーフランス) 0.5
マシナ(キンシャサ) 0.5


メキシコシティに注目しよう、1950年から2004年で都市の規模は7.6倍、そして18パーセントの人がスラムと呼ばれる場所で暮らしているのだ。その高い比率にも驚くが400万人が暮らすスラムというのはどんな場所なのだろう。ネツァワルコヨトルは地域にはびこった犯罪のせいでメキシコで最も危険な場所とされているのだそうだ。

スラムに共通することとして、フォーマルな住宅がなく、不法占拠した場所に手じかで入手できる材料で建物を建てて住んでいることが挙げられるが、当然そうした場所には生活に必要な社会インフラがほとんど、或いは全く存在しない。ここで云う社会インフラとは、病院や警察や学校を公共の交通機関、電気、ガス、上下水道だ。

新浦安の僕の住んでいる場所は先般の大震災時、上水道が11日間止まったがその時に強いられた生活の不自由さたるや相当なものがあったわけだが、このネツァワルコヨトルをはじめとするスラムに暮らす人々の苦しさはどれほどのものか想像するのも難しい。

なぜゆえ世界ではメガスラムが成長してきているのだろうか。その責任の一端をディヴィスはIMFと世界銀行とそれを後押ししているネオリベラルたちがいるとしている。


 責任の一端は、IMFに負わせるべきだ。第三世界の金融の番犬として、IMFはあらゆるところで公共サービスへの逆累進的な受益者負担や課徴金を提唱しているが、それに見合っただけの、富や顕示的消費や不動産に課税しようという努力をまったくしていない。おなじく世界銀行も、第三世界都市で、「良きガバナンス」のための改革運動を行っているが、累進課税をめったに後押ししないため「良きガバナンス」の可能性そのものを台無しにしている。


 アフリカとラテンアメリカの都市部は、IMFとホワイトハウスが画策した人為的な景気後退による大打撃をうけた---事実、多くの国では、1980年代をつうじてSAPsがおよぼした経済的な打撃は、長びく欠乏、高騰する原油価格、利子率の上昇、商品価格の下落とあいまって、大恐慌以上に過酷で長期化することになった。とりわけ第三世界の都市は、増加する移民、減少するフォーマル雇用、下落する賃金、崩壊する歳入の悪循環にはまり込んだ。



少しでもこうした事実にはっとさせられるものがあったのなら本書を読んで欲しい。

スラムが抱える問題は重篤だ。洪水や火災、しばしばスラムを排除するために組織された者たち、時には政府のさしがねによって人為的に放火されるものも含めた自然災害と人災に常に脅かされ、工場から排出される化学物質や自分たちの屎尿に汚染された水、HIVをはじめとする数々の疾病、それはスラム内部ではパンデミックの形相を示している場合すらありながら必要な医療を受けることすら叶わないのだ。

キンシャサの子どもたちに対するエピソードには言葉を失う。


 キンシャサ人は破滅した都市をとどめなきユーモアで上手に切り抜けるのだが、防弾チョッキとしてのアイロニーですら社会的状況の過酷さを前に挫けてしまう。平均収入は年収100ドル以下へと下落した。人工の3分の2は栄養失調である。中産階級は消滅している。そして成人の5分の1はHIVポジティブだ。同じく大人の4分の3にはフォーマルな医療を受けるための金銭的な余裕がなく、そのかわりに、ペンテコステ派の信仰療法や土着の魔術に訴えざるを得ない。そしてあとで述べるように、貧しいキンシャサ人の子どもたちは魔法使いに転生するのである。

病気や怪我や不幸なことがあると人々は祈祷師に頼る。祈祷師はしばしばその災厄の原因が子どもが魔法使いだからだと宣言するのだという。魔法使いとされた者は家族や親族と縁を切られその場で離れなければならないと信じられているのだ。そして子どもは捨てられてしまうのだという。その子がそのあとどうなるのかは誰も知らない。

こんな事態が今現実世界起きている。我々はこうした人々の命を踏みにじりつつ気づきもせずに生きている。こんなことが起こり、放置され続けていることは理不尽というよりも最早不条理だと思う。そして彼らの現実は我々の未来かもしれないと。


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西瓜糖の日々(In Watermelon Sugar)」
リチャード・ブローティガン(Richard Brautigan)

2011/08/18:最後にとっておいたブローティガンの「西瓜糖の日々」を読んでしまった。

この「西瓜糖の日々」が最後になったことには特に理由がある訳ではない。たまたま最後の一冊になってしまったというだけだ。

しかし、最後の一冊ともなるとなかなか手が出せず本棚に大事にしまいこんで、手にしてはまたしまうというようなことを繰り返していた。

もう何べんも書いたが、30年ほど前にブローティガンの本に初めて触れた時点で本人が既にこの世の人ではなかったことに衝撃を受けた。ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」がはなつ散文の向こう側にいる本人のやさしさに僕は包まれるような安心感を受けていたからだ。

自死と云う本人の取った手段が僕にはあまりに重すぎて遠ざかっていた時期もあったが、身近で起きた出来事や僕自身がブローティガンの最後の歳にいよいよ近づいてきたなんてこともあって近年再び彼の本を手にするようになってきた。

そして最後の一冊。その最後の一冊に軽率に取り掛かるのはあまりに思慮に欠ける行為であるように思われたからだ。

え。「チャイナタウンからの葉書」があるじゃないかって。そうなんだよね。そうなんだがそれは藤本和子さんの訳ではない。ブローティガンと藤本さんは僕にとっては二人で一つなのだ。ブローティガンの本が僕にとってとても大切な本となっている理由にはかなり藤本さんの翻訳とあの素晴らしいあとがきにの存在がある。

こんなにも知的でクールで尚且つ友人でもあったブローティガンの生と死に向き合う藤本さんの姿にはまた心打たれるものがあった。藤本さんのあとがきがないブローティガンなんてやはりはげしく物足りない気がしないだろうか。

2011年7月25日、藤本さんのご主人のデービッド・グッドマンさんががんのためイリノイ州の病院で死去された。デビッド・グッドマンは日本の演劇や文学の研究者で、エール大学の「五ヶ年学士」制度の一環で、1966年来日し岡山市で1年間教鞭をとりながら演劇などの研究をしていたこともある方だ。

藤本さんはさぞ心を痛めていることだろうかと思います。そして日本を愛してくれたデービッド・グッドマン氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

9月に入ると僕が生まれたときからお世話してくれていた両親の友人が亡くなられた。僕の両親は勿論、僕ら夫婦そして子供までお世話になりっぱなしだった方でした。家族四人で葬儀に行き精一杯の感謝の気持ちを念じてきました。

「西瓜糖の日々」どんな中身かも知らず最後にとっておいた本書だが、読むならやはり夏だろう。なんせ西瓜だしと。そして「読むなら今をおいていつなのか」気がつくと僕はこの本を読み始めていた。

読み出してやや冷静な部分の僕はみんながこれをどう読んでいるのだろうかが気になりだした。散発的に目にしていた読書家の方々のコメントは面白い/クセになる/何度でも読み返すというようなことを書いている人が多かったのでもっと違う内容のものだと考えていたのだが、どうも様子が違う。

これは先般出版された「エドナ・ウェブスターへの贈り物」でブローティガンが背負い込んでいた重い重いその後悔と罪悪感の根っこの部分が明らかになり、すべての作品に対する解釈が大きく変わったからかもしれない。それとすこしは大人になり世の中の事情なども見えてきたこの歳で読むブローティガンだということもあるかもしれない。

「西瓜糖の日々」が描き出す世界観は途轍もなく重い。藤本さんが書かれているように何もかも西瓜糖でできた世界にはどこにも過度なものがない。そして<西瓜糖の日々>に対置されているのが<忘れられた世界>と<虎の時代>。

やはりここでも藤本さんの読解力は鋭く、忘れられた世界は向こう側だが、<虎の時代>は現在よりも過去であり、今は言ってみれば<鱒の時代>だと。そして鱒はなんでも知っている。のだと。

そしてもう一つの向こう側には<アイデス>がある、彼らはアイデスの近くで西瓜糖でできた小屋に暮らし、食事時になるとアイデスへ出かけていって仲間と食事をしたり話をしたりするのだ。

明らかに死を想起させるアイデスとはどこ、あるいはどのような状態を示しているのだろう。インボイルたちとの会話ではアイデスの場所は曖昧でなにか解釈の違いを生んでいるようでもある。人によってはアイデスは向こう側であり、ここがもう既にアイデスだという人もいる。

ここはおそらく圧倒的な後悔と罪悪感を抱え込んだブローティガンの心象世界。死と隣り合わせということもできるし、既に死んでいるともいえる曖昧な状態。

仮に死後の世界があるならそこはどんな世界なのだろう。スタンリー・キューブリックはスティーブン・キングに「死後の世界があると考えるのは楽観的な考え方だ」というようなことを言って笑っていたそうだ。

自分が死んだら死んだお袋に再び会えるのだろうか。会ったら最初になんて言おうか、なんてことを考えることがある。しかしそれ以上具体的なことはこれまで考えたことがなかった。

死後の世界でも時間と場所そして距離があり、そこにいる人たちとの間でいろいろな出来事がおこるとしたら。

<わたし>も含めて登場人物たちは<忘れられた世界>のことは全く知らないし思い出せない。<わたし>は<忘れられた世界>から訳のわからないものを持ち出してくる人たちに対して嫌悪感を覚える。そんなものを引っ張り出してくる意味なんてないと。

それは思い出したくない過去を蘇らせることになってしまうのだから。しかし過去を捨て去って、忘れ去っても日々は流れどんなにか穏やかに日々を過ごしていても人を傷つけてしまうことは避けられない。

死後の世界でも他人を傷つけてしまう畏れすらブローティガンは抱いていたのではないだろうか。

現実世界で親に捨てられ生きていくために兄弟とも別れざるを得なかったブローティガン。「エドナ」に本を寄贈し、贖罪と救済、あるいはその罪から逃れるためにオレゴンを脱出したブローティガンにとってそのような死後の世界は楽観的なものでは決してなかった。

死んでも罪悪感からは逃れられないとしたら、それは地獄なんじゃないだろうか。僕はこの「西瓜糖の日々」の世界を描いているブローティガンにそんな絶望をみたと思うのだ。

ブローティガンは思った。のだと思う。死後の世界があるとしたら、そこでもきっと自分たちはいつか必ず他人を傷つけ、そして後悔と自責の念を抱え込みながら暮らしていくことになるのだろうと。死後の世界で「死んだら」どこへ行く?死後の世界の死後の世界がないなんて誰が言える。そこにあるのは穏やかではあるが絶対的で決して抜け出すことが出来ない絶望がある。

そこまで自分を責めて追い詰めていたとは。

本を置いて今僕が思うのはブローティガンに対して感じる深い哀れみの気持ちだ。

悪いのはあなたではなくてそんな状況を生み出した社会なのだが、しかし今更そんなことを言っても本人にとっては何の慰めにもならないよね。

そしてブローティガンをここまで追い込んでいった貧困と不運に対してやけどのあとのような痛みを覚えるのだ。

久しぶりにブローティガンの声が聞こえる。そう今だって追い詰められ不条理に罪の意識を背負い込まされている弱い人たちが大勢いるんだと。そんな人たちのことにも少し心を配ってあげて欲しいと。

僕はブローティガンが今でもアイデスで机に向かってペンを走らせている姿が見える。


「アメリカの鱒釣り」と「ビッグ・サーの南軍将軍」のレビューはこちら>>

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藤本 和子「リチャード・ブローティガン 」のレビューはこちら>>

「エドナ・ウェブスターへの贈り物」のレビューはこちら>>




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ヌードルの文化史(Die Nudel)」
クリストフ・ナイハード(Christoph Neidhart)

2011/09/11:麺類。麺類とひとくくりにしてしまっているけれどもその形態、調理方法、素材にそれぞれ相当の種類があって麺類は膨大なヴァリエーションを持った集合体だ。

そして大好き。麺類とひとくくりにしてそれを嫌いだという人はあまりいないだろうけれども、我が家の場合は蕎麦もうどんもラーメンもパスタもどれも好きだ。

また素麺や白石の温麺、沖縄そばやフォーが食卓に登ることは珍しくなく、みなそれを喜んで食している。

「ヌードルの文化史」気になるじゃないですか。ちょっと読んでみたくなる。


目次: はじめに──ヌードル四千年の歴史

第Ⅰ章 ヌードル文化──九つの舞台 料理のアイデンティティ──パスタはイタリアの宗教? 麺づくりに挑戦──西安の細麺 中央アジアは文化のるつぼ──ドゥシャンベのラグマン 郷愁という名のレシピ──ソウルのネンミョン ソ連時代の料理──モスクワのスチームバスで食べるペリメニ マルガレーテ・マウルタッシェ伯爵夫人への中傷──ウラッハのマウルタッシェ 朝食に麺は重くない──ヴェトナムのフォー チャイルド・フード&コンフォート・フード──缶詰パスタ 麺を食べるとしあわせになる?──日本の年越し蕎麦

第Ⅱ章 麺と小麦 文明の東雲──小麦の起源 稗、粟、黍と小麦──中国の農耕 肉v.s.小麦──自然v.s.小麦

第Ⅲ章 ヨーロッパのヌードル ナポリの乾燥パスタ──バロック時代のファーストフード パスタの歴史 パスタと教皇と貴族──ジェノヴァ風ペストソース アルザスとドイツが果たした大きな役割 パルマのバリラ──世界最大のパスタメーカー

第Ⅳ章 アジアのヌードル 江戸時代の蕎麦──都市の発達と蕎麦 シルクロード──小麦ロード、麺ロード、箸ロード 山西のさまざまなヌードル 料理の思い出──北京の餃子 ラーメン文化──日本発の世界ヌードル

第Ⅴ章 ヌードルを超えた食文化 ヌードルは都会っ子──広州の点心

著者のクリストフ・ナイハードは1954年、スイスのバーゼルの生まれで南ドイツ新聞(Suddeutsche Zeitung)というリベラル・中道的とされている新聞の東京支社長を務めている人なのだそうだ。

東京在住。奥さんは中国人、まだ小さい娘さんがいる模様。取材でアジア・中東を回り、奥さんの実家の関係で中国へも通う、そして日本でも、行く先々で麺を食べ、自ら麺を打つほどの麺好きでもある。その彼がそんなに好きなら本を書いてしまえということになったようだ。

確かに文章から麺に対する愛情が滲み出ている。料理として麺が好きなだけではなく、素材から麺にこだわる製法についても強い興味を抱き、調理場へ入り込んだり、はるばる遠いスイスはポスキアーヴォの家内工業的なパスタ工場のなかに入らせてもらったりと縦横無尽だ。

しかしどうにも読みにくい。目次にある通り或る程度地域ごとにテーマは纏められているのだが、なかを読んでいくとぴょんぴょんとあっちこっちの麺の話に飛び、伝承伝来の昔の話から近代、そして自分たちが食べている時の逸話にと時代も言ったり来たりを繰り返しなんとも落ち着きがない。

日本に麺類が持ち込まれたのは奈良時代に唐からだということは定説のようだけれども、ここに円仁を持ち出している。円仁は、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人であるということと、麺を向こうで食べたらしいことはどうやらはっきりしているようだが、円仁が麺を持って帰ってきたという文献もなく、本書もよくよく読むとなんでこの円仁を出してきたのかはっきりしない書き方になっているように思える。

また日本最古の麺は索餅(さくべい)だとしながら円仁との関係は何も書かれていないなど、それぞれの挿話の連携もいまひとつの部分が散見される。

タイトルは文化史となっているけれども、どちらかというと固めのエッセイというべき内容で、紹介にあるような農耕文化の歴史を捉えなおすとか、麺の源流と未来の姿なんてものはどこにどう書かれていたのか集中力の足りない僕には読み取ることができなかった。また対象を麺類としたところがそもそも広すぎたということかもしれませんねー。パスタに絞っただけでもかなり違ったものになったと思うよ。


 カスピ海、ゴビ砂漠、中国西部に挟まれた地域の料理は深いつながりがある。この地域に昔からある麺料理は、もしかすると世界最古の麺料理といえるかもしれない。文化人類学者ルイ・デュプレによると、ヌードル料理はアフガニスタン北部、つまりドュシャンベ南方の山地で遊牧民の携帯食として徐々に開発されたという。


このあたりからじっくりと麺の文化が拡大してきた様子を概観できるような纏め方にしてもらえるととっても面白い本になったと思う。つくづく残念でありました。




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アンダーワールドUSA (Blood's a Rover)」
ジェイムズ・エルロイ(James Ellroy)

2011/09/04:「アンダーワールドU.S.A.シリーズ三部作」とか云われつつ第三部が出るのは一体いつなのか、ずいぶんとやきもきして待っていた。

本当はもう出ないのではないかとすら思っていた。

「アンダーワールドU.S.A.トリロジー」の第一作「アメリカン・タブロイド」が出たのは1995年。第二作「アメリカン・デス・トリップ」が2001年。実に16年。その第三部が漸く僕らの手に。

僕はこの第一部・第二部について「フォレスト・ガンプ」の暗黒版だなんてことを書いていたことを第三部を読んでいるときに思い出した。

「フォレスト・ガンプ」をご覧になったことがあるだろうか。監督はロバート・ゼメキス。トム・ハンクスが主人公フォレスト・ガンプを演じた。ガンプは「うすのろ」「間抜け」「愚か者」の意があるという。主人公はそれを地で行く男だ。物語は彼がヴェトナム戦争をはじめとするアメリカのエポックな文化・出来事を縫うように経験していくような形ですすむ。ガンプの人生をなぞっていくことで観客はアメリカの近代史を駆け足で俯瞰していくことになる。

ガンプの人生は苦難も多いが、全体として非常に幸運に恵まれたものだ。一方のガンプは最初から最後まで純朴で人を疑うことを知らず、欲に走ることもない、いわば良きアメリカ人の代表のような人物として描かれている。

実際の当時の映像にトム・ハンクスをはめ込み合成し実在の人物とガンプがやりとりしているように見えるなどの仕掛けをはじめゼメキスの見事な映画手法によってこの映画はとても面白いものになっていると思う。

この形式をアメリカの暗部に展開させたものが「アンダーワールドU.S.A.トリロジー」なのである。と僕はその時に思ってそう書いたというわけなのだった。

この第三部を読みながら僕がつらつらと考えていたのは、次のようなことだった。映画「フォレスト・ガンプ」はその映画を通して一体何が言いたかったのだろうか。なぜならそれはこの「アンダーワールドU.S.A.トリロジー」ではどうなのかということを考えるさきがけとなるのではないかというものだった。

そして僕は戸惑った。焦ったと言ってもいいかもしれない。それはなぜか。僕は実は「フォレスト・ガンプ」という映画が一体何が言いたかったのかよく理解できていなかったからだ。僕にはガンプは主人公だが、物語を走らせるための狂言回しのような存在にしか見えなかった。

あの時代を共に生きたアメリカの人たちはこの映画をどう受け止めているのだろうか。とどのつまりお人よしで純朴で純粋だったアメリカの人たちが昔を懐かしんで、「あぁ、あった、あった、そんなことが」と観ることを狙ったものだというのだろうか。

ガンプの人生は幸せなものかもしれないが、それはいわばアメリカの人たちの総体であって、言ってみればそんなに幸運に恵まれた人はいない。どんなに知恵がまわらずとも純粋で努力を続けることできっと夢は叶う。一途で信じることが大事だということを言いたいのだろうか。作者の意図で沢山の幸運を受けるガンプを例にそんな可能性がなんて言われても説得力はあまりない。

では、「アンダーワールドU.S.A.シリーズ」はどうなのだろう。

「アメリカン・タブロイド」は1958年からケネディ政権とジョン・エドガー・フーヴァーの反目。そしてキューバ侵攻を目論むCIAが、そしてジョン・F・ケネディの暗殺。「アメリカン・デス・トリップ」は1963年11月。CIAとマフィアの結託。ヴェトナム戦争と公民権運動。そしてマーティン・ルーサー・キング、ロバート・F・ケネディの暗殺まで。

本書は1968年6月から幕を開ける。そしてどんな幕切れを迎えるのか。第三部の主軸となるものは中南米の囲い込みとコインテルプロ。

ジョン・エドガー・フーヴァー配下のFBIが盗聴などの不法な手段で個人情報を収集していた話は今となれば既知の話だが、それをコインテルプロと呼ぶのだということを僕はつい先日知ったばかりだ。チョムスキーが「現代世界で起こったこと」のなかで触れていたのだ。


 この作戦はルーズベルト以来、歴代の大統領のもとで行われていましたが、本格化したのはケネディ時代のことです。名前をコインテルプロ[「反諜報プログラム(COINTELPRO)」の略]と言い、この作戦のもとで様々な工作が実行されました。

 活動にはブラックパンサーやフェミニズム運動への攻撃などがあり、まさになんでもござれでした。また、FBIは15年にわたって、社会主義労働者党にも活動妨害を仕掛けました。18番である窃盗の手口を使い、党員名簿を盗んで脅迫に使ったり、党員の勤め先に働きかけて彼らを解雇させたりといったことをしたのです。


政府は収集した情報を用いて反体制政治勢力の活動を妨害し、一般大衆の人心を操作していた訳だ。チョムスキーはこのコインテルプロの事件は政府機関が行ったこと、その範囲と期間が非常に大きかったことからウォーターゲート事件の千倍も重要であるにも関わらず一般の人々には殆ど知られていないことを指摘していた。

ヴェトナム戦争が激化し反戦・左傾化、ブラックパワーやフェミニズムなどの台頭によりアメリカは国の屋台骨を揺るがす事態となりつつあった。権力者にとってアメリカの覇権を維持するためにも中南米の囲い込みと、国内の反政府勢力の無力化が必要となったのだ。

こうした状況下で老いてますます老獪と化すフーヴァーや異常性が極致に達しつつあるヒューズなどの私利私欲が物語を走らせ続ける。いやはやその悪事の疾走感たるや摩擦熱で煙が出そうなほどのものがありました。

三部作に共通しているのはアメリカのダークサイドの事件の内幕を実在の人物と虚構のキャラクターを入り混ぜて一つの物語としてまとめていく手法だ。

大統領暗殺などの事件の内幕は表の歴史において実行犯とされているリー・ハーヴェイ・オズワルドやサーハン・ベシャラ・サーハン、ジェームズ・アール・レイらの背後に陰謀をめぐらせている者たちがおり、彼らは権力と金と女を巡って互いに盗み合い、奪い合い、殺し合っていながらその悪行が世に暴かれることなく逃げおうせている。

事件の関係者や正に陰謀の糸を引いている者たちのなかに実在の人物が「フォレスト・ガンプ」的に絡み合ってくる。読者はそこに驚き、「そんな訳ないだろう」とつぶやいたりしてしまう。

猜疑心の塊と化したジョン・エドガー・フーヴァーや、潔癖症が高じて最早奇人の域も踏み越え、テッシュの箱をスリッパ代わりに履いたりしているハワード・ヒューズをはじめとする魑魅魍魎たちが跋扈する世界。

フォレスト・ガンプという男は存在感がなく実態のないものだが、エルロイが描くアンダーワールドは非常にリアリティに溢れ説得力がある。両者は物語の手法こそ似通っているがその物語の持つ力がまるで違っているのである。

エルロイの描くアンダーワールドが虚構なのことは読者の事前了解事項だ。

エルロイが描くアンダーワールドは虚構だが、物語が示唆するものは、表の歴史をうかうか信じててはいけない。背後には今だのうのうと隠れとおしている本物の悪がいる。そんな奴等が生きるアンダーワールドは確かに存在し今もあり続けているのだと。キャラクターが暴走し、物語が疾走すればするほど、では実際には誰がどんな悪事を働いていたのかと考えざるを得なくなるように仕向けられていくのだ。

ついでながらドン・クラッチフィールドは実在の人物だったそうで、びっくりでした。そしてまたクラッチのキャラクターの半分はエルロイ自身なのだということだということで、最終章"NOW"には目頭が熱くなるものを感じました。本当に見事な幕切れを生み出したエルロイは鬼才であります。


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三陸海岸大津波
吉村昭

2011/08/28:幼稚園の遠足。弟が幼かったこともあって僕の遠足に付き添ってくれたのは父方の祖母だった。行き先は菖蒲田海岸。到着してゴザを広げてお弁当を食べ始めたところに地震がおこり、津波警報が発令された。僕たちは慌てて広げた荷物をまとめると駆け足で避難した。らしい。

僕はこの話を何度も何度も祖母から聞かされた。しかし、実は二人で遠足に行ったことも、避難したことも全く覚えていないのだ。思い出そうとして目に浮かんでくるのは、砂浜の防砂林の松のおぼろげな姿だけだ。

「津波警報が出て、二人で手をつないで走ったんだよ」とっても怖かったと。亡くなって久しい僕の祖母は繰り返し繰り返し語っていたものだ。でも僕には津波の恐ろしさなどは皆目理解できず、それにしてもどうして何度も同じ話をするのだろうとその度に思ったものだった。

そう、祖母は津波が何かとても恐ろしいものだということを繰り返し語っていたのだ。祖母は松島の西、大郷の生まれであった。大郷村は津波被害が過去なんども起こってた地域であったのだった。また考えてみれば孫の多い祖母と生まれるのが遅かった子供だった僕。二人に共通する思い出としてこの遠足は本当に稀少な時間でもあった。

僕が中学三年の時に起こった宮城県沖地震。激しい揺れで呆然となった。その時の光景は今でも鮮明に思い出すことができる。しかし当時周囲の人も報道も津波がどうのということを言っていた記憶はない。自宅が仙台市内の中心に程近い場所にあったからだろうか。勿論おそらく津波の心配があるので、海に近づくな位の警報は出ていたのだろうが、「津波」が自分たちの生命に直接の脅威をもたらすものだという認識は僕の周囲には全くなかったと思う。

学校の郷土史の授業で地震や津波について学ぶ機会があったのだろうか。思い出せない。授業があったとしても僕にはピンとこなかったのかもしれない。

カミさんの親戚にはチリ地震津波でご両親を失ったという叔父がいた。まだ子供だった頃のその叔父の家は突然襲って来たチリ地震の津波によって流され、ご両親を一度に亡くしたのだという。

チリ地震津波。僕はこの叔父の生い立ちを伺ったときまでチリ地震について殆ど何も知らなかった。チリで起こった地震によっておきた津波が太平洋を渡ってきて、大勢の人が亡くなるような災害をもたらしたという話はやはりどこかピンとこない、実感の伴わない話だ。

そんな形で親を亡くしてしまうなんて、なんて不憫な話なのだろう。津波がそんな風に突然やってきてしまうものなら、警戒も防御もし切れないのじゃないだろうか。この時も津波の持つその禍々しい恐ろしさは全く実感を得るには至らずじまいであった。加えてそのことについて立ち止まってちゃんと調べてみるようなところにも辿り着けていなかった。

そして3.11、東日本大震災はやってきた。帰宅難民となった僕は会社の机で携帯のワンセグから映し出される怒涛の勢いで地表を進む津波の映像に凍りついた。その映像は仙台東部道路と思われる道路の土手に車や瓦礫もろとも激突する波浪を映し出していた。


なんということだ。仙台が沈む。こんなに驚いたのは間違いなく人生で最大だった。
津波というものはこのようなものを云うのかと。そしてそれはこれまで想像していた津波のイメージとはかけ離れたものであった。

震災後、いろいろなことが明らかになってくるわけだが、そのなかの一つに波分神社の話がある。仙台市若林区霞の目2丁目に波分神社という神社があり、これは貞観地震の際におそった津波が届いた場所に建立されたものだったという。

また松島の宮戸島では津波が到来した高さの場所に石碑が建てられ、これより下は危険だと警告が刻まれていたという。岩手県宮古市や?ヶ埼では1896年の明治、1933年の昭和の地震による津波被害を期に記された警告の碑が見つかったという報道もなされた。

地質学の調査も進み、気仙沼の大谷海岸では約千年おきに巨大津波が押し寄せた痕跡として海中の石の層が発見された。津波堆積物は6層見つかった。約5400年前に降り積もった火山灰などをもとに年代を推定したところ、古い方から、約5500~約6000年前の津波▽約4000年前▽約3000年前▽約2000年前▽869年の貞観津波▽1611年の慶長津波――の痕跡の可能性があるという。

三陸沿岸は何度も何度も津波による甚大な被害を経験してきた場所だったのだ。

吉村昭は三陸海岸を愛し、繰り返しこの場所に通ううちにその話を聞きつけ、津波被害の調査を行い一冊の本を出していた。

吉村昭は「高熱隧道」、「少女架刑」など何冊が読んでいた。綿密な調査に基づく史実性の高い歴史物にとても信頼がおける作家の一人だ。しかし、僕は彼が三陸についてこうした本を書いていることに気がつくこともできなかった。

こうして書いていて思うのは、今回の地震によっておきた途轍もない喪失感と、その失われた人々の命と生活、そして地域社会に対する罪悪感のようなものがごたまぜになったものをどうしても拭い去ることができないことだ。

時がたつと人々の記憶は薄れ、徐々に起こったことが忘れ去られていく。石碑に刻まれても神社を建立しても記録を本に残しても、読むものがいない、気にかけるものがいなくなればそれはなかったも同然のものだ。

そして悲劇は繰り返されてきた。吉村昭が調べた限りで18回近くもの津波が三陸を襲いその都度被害を繰り返してきていたのだ。


(1)貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)、大地震によって死者多数を出し、家屋の倒壊も甚だしかった。と同時に津波が来襲、死者千余名に及んだ(「三代実録」による)
(2)天正13年(1585年)5月14日、津波来襲。(但し本吉郡戸倉村口碑に刻まれたものによると、同年11月29日、磯内、東海、東山、北陸大地震の後に津波来襲の記録があるが、これと同一のものかどうかは明らかではない)
(3)慶長16年(1611年)10月28日、地震の後津波来襲。伊達領内で死者1,783名。
(4)慶長16年11月13日大地震の後、津波が三度来襲、伊達領内の溺死者5,000名を数える。(これは「駿有政事録」によるが、(3)と同一のものか不明)
(5)元和2年(1616年)7月28日、強震後、大津波あり。
(6)慶安4年(1651年)宮城県下に津波来襲。
(7)延宝4年(1676年)10月、三陸一帯に津波。人畜多数死亡し、家屋の流出も大。(弘賢筆記泰平年表による)
(8)延宝5年3月12日(1677年4月13日)、三陸海岸岩手県下に数十回の地震後、津波によって宮古、鍬ヶ崎、大槌浦等で家屋が流出。
(9)貞享4年(1687年9月17日)、塩釜をはじめ宮城県下沿岸に津波来襲。
(10)元禄2年(1689年)、三陸沿岸に津波あり。
(11)元禄9年(1696年)11月1日、宮城県石巻の河口に津波来襲、船300隻をさらい、溺死者多数を出した。
(12)享保年間(1716-1736年)に津波あり、田畑は海水におかされたが、人畜に被害なし。
(13)宝暦元年(1751年)4月26日、高田大震災の余波として、岩手県下に津波。
(14)天明年間(1781-1789年)に津波来襲。
(15)天保6年(1835年)、仙台地震にともなう津波によって人家数百が流出、死者多数。
(16)安政3年(1856年)7月23日午後一時頃、北海道南東部に強震。北海道から三陸沿岸にわたって大規模な津波あり。
(17)明治元年(1868年)6月、宮城県本吉郡地方に津波。
(18)明治27年(1894年)3月22日午後8時20分頃、岩手県沿岸に小津波。これにつづいて、明治29年6月15日の大津波が発生したのである。


石碑を建てるばかりではなく、高台に移住しようという働きかけも現実に起きていたことが本書には書かれている。しかし。日常生活の不便さから徐々に人々は海の近くへと生活の基盤を遷していってしまったと。

特に海の近くに住む人々は今回の事態をこの本に付け足して、後世に伝える義務がある。これ以上被害を繰り返すべきではない。もう十分われわれは津波によって不幸を背負い込んできているのだから。

地域で生活・事業をするものたちはちゃんとその地域の歴史や風土を把握しているのか再確認が必要だろう。福島の原発では十メートル程度の津波を想定して安全だと判断していた訳だが、過去を紐解けばそんなことは竹やりでB29に立ち向かうような行為に等しかった訳だったのだ。


正にブラック・スワンを無視した結果が今回の事態を招いていたのだ。


 1755年11月リスボン大地震によって発生した大津波、1812年フランスのマルセーユを襲った津波がそれぞれ歴史的にも記録されているが、ことに1883年のジャバ島付近のクラカトウ島火山大爆発によって起こった大津波は、36,000名の人命をうばうという世界最大の大惨事であった。

また1958年7月にアラスカのリツヤ湾を襲った津波は史上最高のもので、500メートルの高さにまで達したという。


 日本を襲う津波は多く、しかも規模が大きい。津波被害国と称されるのもやむを得ないことなのだ。
主なものとしては、明和8年(1771年)4月24日、地震津波が沖縄南方の石垣島に来襲、島民17,000名のうち8,500名を死者と化した。津波の高さは85メートルあったといわれている。

 寛政4年(1792年)には、火山噴火にともなう津波が島原に来襲、死者は、15,000名を数えた。
安政元年(1854年)、房総半島から九州にかけて大津波が発生、死者は3,000名に及び、大正12年(1923年)には関東地方をおそった大地震による津波が相模湾沿岸に被害をあたえている。また昭和19年(1944年)、同21年にも地震による大津波が南近畿地方をおそい、それぞれ、1,000名、1,300名の死者を出した。


どこまでの事態に備えるのか。それとも5百メートルの津波を前提として原発依存から脱却するか。それは単に可能性の問題ではすまされない。千年に一度の事態でも一度発生してしまった以上、それは世界を覆いそこから逃げ出すことは決してできなくなるからだ。




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現代世界で起こったこと
ノーム・チョムスキーとの対話 1989-1999

(Understanding Power: The Indispensable Chomsky
(edited by Peter R. Mitchell and John Schoeffel))」
ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)

2011/8/28:この本のなかでチョムスキーは民主的でほんとうに人々のためになる政策を実施しようとすると何か起こるか考えてみようと提案を行っています。彼によれば、こうしたことを進めようとするとたいてい二つのことが起こるという。一つはクーデター。もう一つは投資資本の流出。

オバマ大統領が先日、国債のデフォルト問題ですったもんだしていた背景は、メディケア(高齢者医療保険制度)やメディケイド(低所得者医療保険制度)といった社会保障コストにかかる問題だ。オバマ政権はメディケアの前進を標榜していたわけで、これは正に貧困層も含めた民主的な政策な訳だが、進めようとするたびに妨害にあう。

今回は借金の限度額引き上げに対する法案通過で揉め国債がまさかの債務不履行に陥る可能性が表面化した。上院・下院の抵抗に加え、ムーディーズ・インベスターズ・サービス、スタンダード&プアーズから国債格下げの可能性が示唆された。

そして、法案通過後になってスタンダード&プアーズは実際にアメリカ国債の格下げを発表。アメリカの株式市場は一時「パニックモード」と言われるほど下落した。これって正にチョムスキーの指摘どおりのことが起こっているのだと思う。そしてそれは株式資本の流出を実現させて政府を揺さぶっているものに他ならず、実際の権力は誰が握っているのかがきっちりと見えた形になった。

本書は1989年から1999年にかけてチョムスキーが各地の政治集会に招待されて行ったワークショップでのディスカッションの内容を一冊にまとめたものだ。訳者がチョムスキーにインタビューした際に語られたことを読むと、当時のディスカッションの内容が具体的な形で残されているということをチョムスキー自身全く知らなかったという。

共同編集者のピーター・R・ミッチェル、ジョン・ショフェルは弁護士で、二人はチョムスキーにある日過去のディスカッションの内容をまとめたので一冊にまとめないかと提案してきたのだそうだ。彼らの努力のお陰で僕たちは一冊の本として読むことができるようになったものだ。

そんな訳で各ディスカッションの場所と時間ははっきりしているのだが、参加者でチョムスキーに率直に意見や質問を投げかけている人々が誰なのかは全くわからないのだそうだ。彼らは地元の政治集会に興味を持って参加した人で、職業も背景も様々なごく普通の一般人だ。

チョムスキーが本書のなかで繰り返し述べていることでもあるが、チョムスキーは政治的指導者でもなければ、市民運動のリーダーでもない、自分が得意なのはあくまで調査・分析なのだ。

そうした結果を自分たちの頭できちんと吟味し、集団でそれを共有した上で具体的な活動に移していくのはあくまで草の根的なグループの働き。各地で自分が招待されてこうしたディスカッションに参加できているのは、地元でこうした集会を企画して人を集めることができる運動を率いている人たちのお陰であって、本当に市民運動のリーダーたる人たちは正にこうした人たちのことなのだ。

こうした地道な活動はチョムスキーの過去のここ数十年間の経験から照らし、政府の横暴、勝手な振る舞いに対して確実に抑止力を持ってきた。その証拠にケネディ政権ではあからさまに行動に移せた暴力的侵略行為のようなものはレーガン政権では選択肢と成り得ないものにすることができたという。


 1960年代のケネディ政権と80年代のレーガン政権を比べてみましょう。一般に言われてることとはうらはらに、この二人には共通点が非常に多いのです。まず両者とも、前任者が臆病でふがいないからソ連に先をこされてしまったという、偽りの非難をすることで政権につきました。つまり、ケネディの場合は「ミサイルギャップ」という偽り、レーガンの場合は「国防の脆弱性」という偽りです。そして両者には軍拡競争を激化させたという共通の特徴があります。それによって国際紛争が増え、納税者の納めたお金が軍事費という形で国内の先端産業への補助金として大量に流れました。さらに二人とも強硬論者で、ヒステリックな軍事優先主義と主戦論を操って一般市民の恐怖をあおろうとしました。彼らはまた、世界中で非常に侵略的な外交政策を展開しました。たとえばケネディはラテンアメリカでの残虐行為を激化させました。ラテンアメリカの市民運動の鎮圧は1980年代レーガン政権のもとで頂点に達しました。これはもとを正せばケネディが音頭を取った政策によるところが大きいのです。


今から20年も前の対話なので当然ながらまだチョムスキーも若い。(といっても60だが)。そして今よりもずっと尖っていて、その怒りは大きい。それでもまだそれ以前よりはずっとましになってきたという。

まだ知名度が低く、彼の語る話のあまりに常識から外れた内容に対する理解も薄い頃の人々の反応は相当にハードで、チョムスキーがこの道に進むことを決めた時点では収入がなくなることを覚悟したという。リンチに合いそうになったことも何度もあったし、警察に警護をつけて貰わないと講演ができないなんてこともあったという。実際に彼の友人たちのなかには、政府の行っている不正を暴こうとしたことが原因で仕事を乾されてしまったなんていう人たちもいるのだそうだ。

一方で政府やメディアが行っている極端に現実を歪めて人々に実態を気づかせないようにするその周到さは徹底しており、チョムスキーの著書も出版間際になって企画している会社自体が吸収合併の手段によって解散に追い込まれ出版の話が立ち消えになったなんてこともあったようだ。こうした二枚舌、嘘の情報によって人々を欺き、その隙に侵攻攻撃などの既成事実を作り出して紛争へとなだれ込んでいくのはアメリカ政府の常套手段だという。

こうした手段・手法の一つとして特徴的な言葉の使い方があるという。例えば「テロリズム」はたんに他の国の人たちが行う行為であり、自分たちがこれを行うときには「封じ込め」や「和平プロセス」と呼ぶのだという。「共産主義」というのも定義が間違っており、ソ連が厳密な意味で共産主義だったことはなく(それは革命直後に崩壊した)、ソ連が崩壊したのも共産主義の失敗なんかではなかった。等というちょっと立ち止まって何度も読んでしまうような記述に溢れている。

そうチョムスキーの本はパラダイム・シフトの連続だ。目からうろこが落ちるというのは正にこうしたことを言うのだと。

彼にかかるとかのハルバースタムもこんなことになってしまう。


 当時批判的だと思われていた記者、デービッド・ハルバースタムやニール・シーハンなどの発言をよく見ると、彼らが批判していたのはアメリカがしていた失敗だということがわかります。彼らはこう言っていました。「もちろんわれわれは高貴な目的を掲げていて、この戦争に勝つことを望んでいる。だがお前たちが失敗してせいでこんなことになってしまった。もっとうまく戦ってくれ」---これが批判的なるものの正体です。


驚いたことにニール・シーハンの「輝ける嘘」には重大な欠落があるという。この本の主人公であるジョン・ポール・ヴァンが記者たちに漏らしたある覚書について一切触れられていないというのだ。


 覚書の趣旨は次のようなものでした。「南ヴェトナムでは民族解放戦線(NFL)、いわゆる「ベト・コン」が国民の支持を勝ち取り、彼らを自分たちの側につけた。NFLが国民の支持を得て、彼らを自分たちの味方にできたのは、人々のためになる政策を行ったからだ。農民がNFLを支持しているのは、それが自分たちにとって正しい選択だからだ。われわれも彼らの政策を支持すべきだ。南ヴェトナムには社会革命が起きていて、その革命は現地で切望されている。NFLは革命を組織していて、だからこそ彼らは農民に支持されている。われわれがこれについてできることは何もない」。さて、そこからヴァンが出した結論は「アメリカは戦争を激化させなければならない。そして、NFLは叩きつぶさなければならない」というものです。その理由は、ウォルター・リップマンのような連中と、西欧の「民主主義」思想化の主流の伝統に従う人びとの主張と根本的に変わりません。すなわち、民主主義ではエリート階級が意思決定を行い、自分ではものごとを考えて決める能力がない一般市民のために国政への同意を「形成」する、ということです。

 つまり、ヴァンの考え方はこういうことです。「ヴェトナムの愚かな農民たちは、まちがったことをしている。社会革命を起こすことができるのは、我々のように賢い人間だ。
村をかけずりまわって自分たちを組織しているNFLが、革命を指揮できるなどと彼らは思い込んでいる。しかし、本当にそれができるのはわれわれだけだ。世界の貧しい人びとに対する義務として、彼らの思い通りにさせてはならない。放っておけばどうせ彼らは愚かなまちがいをしでかすだろう。だからわれわれがNFLを叩きつぶして戦争に勝ち、ヴェトナムを破壊する。それから彼らのために社会革命を起こしてやる---歴史上、世界中でいつもアメリカがしてきたように」。基本的にこれがヴァンの言い分で、ニール・シーハンの本の要点でした。この考え方のおかげで、ヴァンは一躍ヒーローになったのです。


そしてコインテルプロ。ウォーターゲート事件とほぼ同時期に実施され、ウォーターゲート事件なんかよりも千倍も重要な問題なのに人々には全く知られていない重大な犯罪。それがコインテルプロだという。


 この作戦はルーズベルト以来、歴代の大統領のもとで行われていましたが、本格化したのはケネディ時代のことです。名前をコインテルプロ[「反諜報プログラム(COINTELPRO)」の略]と言い、この作戦のもとで様々な工作が実行されました。

 活動にはブラックパンサーやフェミニズム運動への攻撃などがあり、まさになんでもござれでした。また、FBIは15年にわたって、社会主義労働者党にも活動妨害を仕掛けました。18番である窃盗の手口を使い、党員名簿を盗んで脅迫に使ったり、党員の勤め先に働きかけて彼らを解雇させたりといったことをしたのです。

 FBIが15年もの間合法的な政党の事務所に侵入し、その活動を妨害したという事実だけ見ても、ドジな共和党員が一度だけ連れ立って民主党全国委員会本部に忍び込んだ事件よりもはるかに重大です。社会主義労働党も合法的な政党のひとつです。政党として大きな力はありませんが、だからといって民主党よりもわずかな権利しか認められないということにはなりません。しかもチンピラの仕業ではなく、れっきとした国家警察のしたことですから、事態ははるかに深刻です。さらにウォーターゲートのオフィスビルで起きた一回きりの事件とは違い、この作戦は15年もの間、すべての政党で延々と続けられていたのです。しかも社会主義労働党の件は、作戦全体の規模からするとごく小さな事件でしかありません。これに比べればウォーターゲートなど本当にちっぽけなものです。


今ウィキペディアでCOINTELPROを検索するとちゃんと出てくる。でも僕らはこうしたことがあったことを知らずにいる。なんともおかしなことじゃないだろうか。僕らが不勉強だから?チョムスキーは確かに個人の努力が足りないというのはあるが、政府は人々の注意をそらすためにメディアを活用して狡猾に情報を操作している。

我々の気をそらす、言葉の使い回しを巧妙に行って重大なことをさも何事でもないかのようにしてしまうからだという。

チョムスキーの意図することの背景には、現在進められている資本主義の活動が曲がり角にきており早晩今のまま続けていくことができなくなってしまうことが明らかだという現実解釈がある。その一つが環境問題だ。そしてもう一つは国際経済圏の変遷。ヨーロッパ、アジアの経済圏の動向からアメリカの持っている経済圏の優位性は明らかに閉塞感を帯び始めているという。こうしたことから社会構造をかつてないほどの規模で改革していかないとアメリカという国は立ち行かなくなる。だからこそ、今の方向性を変えていく必要があるという考え方に立っているのだ。

チョムスキーはカナダによく招待され講演を行う機会があるという。チョムスキーの話にカナダの人々は拍手喝采するのだという。しかし、それはチョムスキーの話がアメリカの話だからだと述べる。普段自分たちの頭を踏みつけているアメリカの話だからカナダの人々は喜んでこれを聞くのだと。カナダが行っている欺瞞に触れると怒り出す人々がでてくるのだと。

そう、チョムスキーの本を読んで繰り返し頭に浮かぶのは、では日本の政治とメディアをチョムスキーのような視線で捉えたら一体どんな光景が見えてくるのだろうかということだ。

大事なのは、こうした切り口を押さえて自分たちが情報を収集し、自分たちの頭で考えられるようになることだ。チョムスキーが本書で繰り返し噛んで含むように教えようとしてくれているのは正にこうしたことだ。そして孤立せずグループで根気強く不正に対して異議申し立てを続けること。こうした地に足がついた地道な活動意外に世の中を変えることは出来ない。

先ずは何より僕達一人ひとりが日本の政治とメディアにもっと関心と疑問を持って真剣に考える姿勢を習慣づけていくことが大事だと思います。


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アメリカの暗殺者学校
(School of the Assassins: Guns, Greed and Globalization)」
ジャック・ネルソン‐ポールミヤー
(Jack Nelson‐Pallmeyer)

2011/08/20:本書は、ヴィンセント・A. ギャラガーの「豊かさの向こうに―グローバリゼーションの暴力」で紹介されていた本だ。「豊かさか向こうに」では何冊も引用されている本があったのだけど、和訳されている本はあまりないのが残念だ。

そんな訳で稀少な一冊ジャック・ネルソン‐ポールミヤーの「アメリカの暗殺者学校」。

ジャック・ネルソン‐ポールミヤーは1951年生まれのアメリカ人。ミネソタ州の 聖トマス大学で「正義と平和の研究」という講義を受け持つ大学教授だ。

聖三位一体ルーテル教会のメンバー。ミネソタ民主労農党の上院議員候補者だったこともある人のようだ。ヴィンセント・A. ギャラガーもそうだったが、非暴力に関わる社会運動の草の根的な活動家だと思われる。

さて、本書「アメリカの暗殺者学校」。いかにも目を惹く本書だが、原題は"School of the Assassins: Guns, Greed and Globalization "。この本は1997年に"School of the Assassins"として出版されていたものを2001年に加筆編集されたものだ。アメリカ暗殺者学校というのは表紙にもでかでかと書かれているSOA/WHINSECのことで絵空事ではなく実在するアメリカの政府組織だ。


 SOA/WHINSECは、米国の”必要ならば手段を選ばない”外交政策の道具である。1946年から現在に至るまで、SOA/WHINSECの戦術は明らかに変化してきたが、これは地政学的状況の変化に基づくものであることを強調しておきたい。この間、”必要ならば手段を選ばない”政策は依然として変わっていない。地政学的状況における力学の変化を理解することで、過去とと現在のSOA/WHINSECの役割を把握できるだろう。


SOA (US Army School of the Americas)は1946年、中南米に対するアメリカの覇権を実現すべくパナマに、反米的な諸外国政府・組織・思想家を転覆または排除することを目的として、親米ゲリラ組織にテロ、暗殺、拷問技術を教授する目的で創設された学校なのだ。

SOA WATCH等、非暴力、人権運動の組織的反対運動が功を奏して、2000年SAOは閉鎖されたが、それは人々の目を欺くための煙幕に過ぎず、実際にはWHINSEC (Western Hemisphere Institute for Security Cooperation)、西半球安全保障協力研究所と名称と場所を変えてその活動は続けられている。

そしてここで学んだ人々は地元の国へ戻り、アメリカ政府の国益に沿った国家樹立または維持のために着実に活動が進められる。そしてその足跡には惨たらしい暴力の傷跡が残されていく。

先日、2003年にアブグレイブでイラク人の収容者たちに対して暴力行為ならびに人権蹂躙を行っていたことで、逮捕され収監されていたチャールズ・グレイナー・JR(Charles Graner Jr)が刑期を短縮され刑務所から出てきたことが一部の報道機関によってひっそりと報道されていた。

どんな経緯か不明だが、事件当時同じく罪に問われていたリンディ・イングランド(Lynndie England)と婚姻関係を結んでいるらしい。服役したことで法的な責任を取ったことになるのだろうが、彼らの価値観がまっとうなものになっているとは思い難い。

あくまで一部の素行の悪い兵士による暴走という形でかなり強引に幕引きをしたアブグレイブの事件だが、実際にはSAOの教えが正しく守られていたに過ぎないと考える人は多い。

ビンラディンの潜伏先に特殊部隊が突入し処刑のような形で殺された事件は記憶に新しいが、この時、CIA長官のレオン・パネッタはビンラディンの潜伏先の情報入手元として拘束中のテロリストを「水責め」にして得たものだと認めている。

この例からも明らかなようにアメリカ政府は公然と拷問による尋問を組織的に実行する集団であり、当然ながらそうした技術はより洗練され効果的・効率的になっていき、そうした知識を集団知として引き継いでいく学習要領も整備されていると考えるのは極自然なことだ。

これらは人権・国際法に抵触するものになっているのは自明で、悪事によって燃え上がった火はそう簡単に消し止めることは出来ないものだ。

どうやら組織的な拷問の指示を行ったかどでドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド(Donald Henry Rumsfeld)が告訴されることになったらしい。ちゃんと地道に悪を追っている人たちがいるというのは、なんとも心強いことである。

こんなやつはしっかり法廷で裁いて刑務所にぶちこむべきだと思うわ。ほんと。

 本書は「暗殺者学校」、「SOA/WHINSEC」というタイトルに反して残念ながらその学校の内容には全くといっていいほど踏み込めていない。授業の内容や実態は機密だからだ。その点ではもう一歩どうにかして踏み込んで欲しかった。本書で示されるのはこの学校を卒業したものの果たした事例だ。それも夥しく、惨たらしい。


 たとえば有力な米国企業にとって重要な、あるいはそうした企業が取り決めた利益を守ることを抜きにして、米国の外交政策やSOA/WHINSECの有効性を理解するのは不可能だろう。企業利益を守るために実行した戦略と作戦は、1946年から現在にいたるまで目まぐるしい進化と転換を遂げて来た。読者には次に挙げる年代と概略をあまり厳密にとらえすぎないようにお願いすることにして、米国の外交政策を四つの段階に分けて後の章で説明する。

・第一段階(およそ1946から1979年まで)は、軍事化と独裁政権の時代だった。

・第二段階(およそ1980から1990年まで)では、米国は必要に応じて(中央アメリカなどで)弾圧を強化し、別の状況ではできる限り(いわゆる第三世界のいたるところで)一種のレバレッジ(目的を達成するための影響力)として債務を活用するという二重路線戦略が特徴だった。この段階では、国際通貨基金(IMF)や世界銀行(WB)といった期間が米国の外交政策の中で絶大な力を持つ手段として機能しており、外交政策を履行する上で現在も引き続き重要な媒体となっている。

・第三段階(およそ1991から1997年まで)では、米国の外交政策にとって様々な形態の経済力とレバレッジが、主要でより好ましい手段となった。第二段階で成功した二重路線政策をもおな特徴とする弾圧と構造調整の組み合わせが、第三段階では北米自由貿易協定(NAFTA)のような貿易協定を通じた利益の制度化の基礎を築いた。

・第四段階(およそ1998から現在まで)もまた、二重路線政策が特徴である。世界貿易化機関(WTO)と南北アメリカで自由貿易協定を拡大する努力を通じて、経済レバレッジと支配力のさらなる制度化を外交政策の手段とする一方で、この段階では二つの要因に直結した激しい再軍事化の時代というもうひとつの特徴がある。ひとつめの要因は情勢の不安定化で、これは企業主導の経済のグローバル化が必然的に行き着く結果であり、もうひとつは復活をみせる米国の軍産連邦議会複合体の勢力である。


ここに書かれている通り、アメリカ政府が推し進めている国益は基本的に一握りの富裕層が実権を握る大企業の利益を確保することが目的であり、特に紛争や治安維持に必要なインフラやマテリアルを生産する軍産連邦議会複合体にとって、暴力は車のガソリンのようなものである訳で、武力で石油を奪おうとする行為は、仮に本来的にその必要がなかったとしても、彼らにとっては行う意味のあるものになっているという訳だ。

そして作り出される神話はアメリカの覇権であり、アメリカ政府だけは、自分たちが思うとおりにすべてを進めることが許される強国であり、決して手向かってはいけない、手向かえばコテンパンにとっちめられるという具体例の夥しいリストだ。

なるほど、軍産複合体が見出した石油と暴力という混合燃料がこの世界の治安を後戻りできないほど悪化させているわけだ。

また本書が示唆しているものの一つに中南米の麻薬戦争がまやかしだというものがあった。


 麻薬戦争を戦うという口実のもとにプラン・コロンビアを推し進めているのはペンタゴンである。しかし、おもな犠牲者は今なお、貧困や土地所有権や石油問題に根ざした残忍な対ゲリラ戦で標的にされた人たちだ。プラン・コロンビアからの資金の大半は、ヒューイやブラックホーク・ヘリコプターを売却するユナイテッド・テクノロジーズやシコルスキーといった米国の兵器会社、また空中散布に使用する除草剤のグリホサートを生産するモンサントに流れている。除草剤の散布は、コカ作物を狙ったものと米国政府は説明しているが、数万エーカーもの食用作物や熱帯雨林が破壊されている。

 正規軍との共同で行動する準軍事組織によって行われてきた数々の大虐殺と人権蹂躙は、数十年ものあいだコロンビアにおける戦争の最大の特徴である。

 カンペシノ(零細農民)はほかに生きるすべがない。ほかの合法的な作物は、自由貿易のせいでもはやなんの儲けにもならない。輸入作物は、合法的な作物を生産しようとする人たちを破滅に追い込んできた。カンペシノの作物が処分されたり台無しにされたりしてしまえば、大規模な土地所有者に土地を売ってしまうほかに道がない。奇妙なことに、こうした土地は通常、お金のある麻薬ディーラーの手に渡る。そうしてカンペシノはジャングルのさらに奥深くに分け入って、非合法の作物を植えるのだ。この農民は、以前は二、三エーカー分のコカでやってきたが、今度は四、五エーカー分を植えなければやっていけない。ジャングルの奥へ行けば行くほど、生産が高くつくからだ。それでこの零細農民は、生き延びるためにさらにジャングルを伐採してもっとたくさんのコカを植えるのである。コカを枯らすために除草剤を散布しても、実際にはコカ栽培地の面積が減るのではなく拡大しているのはこのためだ。ほんとうにばかげた政策だ。そこで、その目的が不法作物をなくすためのものではないはずだと気づかなくては。目的は戦争や暴力と同じでカンペシノを追放すること。彼らの地域社会と組織を潰すことである。


こうした事実を一つ一つ読んでいって先ず明らかになってくるのは、僕の中南米諸国の歴史に対する無知さ加減だ。それは秘密でも何でもないことなので、ちょっと調べれば簡単に手に入るものなのに、僕は殆ど何も知らずにいたことには驚くばかりだ。

中南米の国々の歴史についてどこまで何を知っているのだろうか。正直からっきしというのが実際のところだ。どこでもいいどこかの国の現職大統領や首相が誰なのか言える国はいくつあるか。というか中南米には国がいくつあるのかすら怪しい。

現状の政権がどんな政治信条に基づいているのか、どんな政治形態をとっているのか。そもそも民主的な選挙が実施されているのかどうか。人口は経済はなんてことになるともはや問題外の状態だ。

往々にして、どんな国にであれ、近代に植民地として支配されていた歴史を持つ国々が今決して裕福でもなければ幸せでもなさそうな事は、恐らく例外はない。

多少ましなところはあるのかもしれない、東アジアにはそんな風に言えるかなり政治的にも経済的にも持ち直している国があるにはある。しかし、圧倒的に多いのはどちらかというとかなり酷い状態にあり、それもかなり長期間にわたってそんな状況にあり、ここに来てその状況は寧ろ悪化してきているようにすら見える国々があることは事実だろう。

それには地域的な例外はなく、アフリカ、中東、アジア、そして中南米、どこでも同じだ。

植民地から脱することが出来た経緯はそれぞれ国の歴史があると思うが、脱植民地に成功した国々を並べてみると結果的にどこの国も大体似たり寄ったりの時期に、似たり寄ったりの経緯で離脱していると思うが乱暴だろうか。

それで結果的に植民地支配側からの支援が断ち切られ、勿論その後も何かにつけて邪魔をされ、意地悪をされて、政治情勢が不安定化したり、経済がうまく回らなくなったり、あげくの果てにはクーデターだ内乱だといった暴力行為が全面に出、多くの人の命が奪われ、血が流されていく。

こうした判で押したようなシナリオが頻出するのはなぜか、それは現地の人々の能力や文化や国民性にある訳ではなかった。

それは圧倒的な暴力も含め手段を選ばず外部から思い通りに働かせようとする強烈な圧力がかかっているからだ。僕らはこうした醜く、おぞましい世界に生きている。

そしてそうした事実に大勢の人々が気がつかないように巧妙に情報を操作されているのだ。

繰り返すが、これらのことは絵空事ではない。現実に今も着々と計画され、実行されている現実なのだ。




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アリの背中に乗った甲虫を探して―未知の生物に憑かれた科学者たち (Every Living Thing)」
ロブ・ダン(Rob R. Dunn)

2011/08/14:地球には一体何種類の生き物がいるのだろう。絶滅危惧種の深刻な話題が度々ニュースになる一方で、新たな種が発見されたというニュースも結構頻繁に流れる。目を地質学的な時間軸で遡ると生物の多様性には目を見張るばかりだ。

先日、白亜紀後期の時代に生きた大型爬虫類の「首長竜」が胎生、つまり子供を出産していたことを裏付ける化石が発見されたことが報じられた。

1987年に発掘された首長竜プレシオサウルスの化石の胎内に子どもの骨格化石が残されていることが分かったのだという。爬虫類や鳥類で胎生を持っている生物は現存していないハズで、このプレシオサウルスが本当に子供を生んでいたとしたらそれはバック転してしまう位びっくりなニュースだと思う。

過去の生物多様性の時代から現代は縮小に転じているのだろうか。なぜ過去のある時期は爆発的に生物種が増大したのだろうか。そして今は逆に安定・縮小しているように見えるのだろう。一説には過去を見るとき我々は地質学的年月を俯瞰するが、近代は非常に短期間の事象だけを見てしまうために、昔は変化が大きかったように見えているだけだとするものもあるらしい。

3億年後に今を振り返れば、多種多様な生物が覇権を奪い合って明滅する目まぐるしい世界に見えたりするのだろうか。

そもそも現在、この地球にどれだけの種類の生き物が存在するのか想像もつかないほどの状態なのだ。こうした事実は僕達の直感にすごく反していると思う。

ちょっと前まで、高熱に耐えられる生物の上限は80度と想定されていたが、深海底火山の火口という高熱高圧という考えられない環境のなかで群生している生物が発見された。同じように高塩濃度、地中深くの高圧、極低温、高紫外線、無酸素、放射線等、従来生きるのは不可能とされていた場所から、どっこい生きてるとんでもないやつらが次々見つかっている。

地中生物について言えば、もしかすると地上のバイオマスを越えているのではないか、とか、ある種の微生物は地中で石油を作り続けているという説も真剣に研究・調査されているのだ。

石油生成を行っている微生物が実際に発見されたら地政学的な問題が持ち上がってそれこそ世の中がひっくり返る事態になるだろう。生物学の読み物では度々言及されているのだが何故か一般的なニュースには可能性としてですら、のぼった記憶はない。ふと発見したりした科学者は即失踪とかしてしまいそうな感じがするよ。

生物の種類がいくつなのかはつまり分類と命名に基づく。そんな訳で本書はリンネの時代へ飛ぶ。

リンネの生涯をはじめ、そもそもリンネがどんな人物だったのか知らなかった僕はこの導入部分から随分と楽しく読んだ。リンネ。こんなに嫌なやつだったとは驚きだよ。確かに既知の生き物にも勝手にどんどん名前をつけてそれがスタンダードだと言い張った訳だから、これが傲慢でなかったらそれこそ意外なんだが。

そしてレーウェンフック。アントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek)は自作の顕微鏡で微生物の存在を発見した人だ。彼は顕微鏡で近所の池の水を覗き、水のなかに信じられないくらい小さい生きているものを発見した。生き物として最小のものはノミだとされていた時代にあってその顕微鏡が映し出した世界は正に違う星の世界ぐらい予想を超えたものだったに違いない。

生物の種類は勿論、分類と命名にある訳だが、生物を分類する生物学的認知は過去と現在では著しくその内容が異なる。現在の主流である生物五界説になる前は三界説だった。この三界説はつい先日まで通説だったもので僕のような年代の人が学校で習ったのは三界説だったはずだ。

従来原生生物としてひとくくりにしていたものが実際には著しく異なる生物であったことがわかってきたことから、原生生物、モネラ、菌に界を分けたのだという。しかしこの分類もそのなかにいる生き物たちを詳しく調べていくと、構造や由来がどう考えても別なやつらが次々と見つかるという状態なのだ。

細胞内のミトコンドリアやゴルジ体の構造がまるっきり違う生き物はおそらく生物樹のなかでも接点がないか、或いは寄生、共生が一度ではなく複数のものたちの間で繰り返発生したことを示唆している。彼らの持っている歴史物語はかなり異なるものになっていることは想像に難くない。

本書はこうした生物の命名と発見史をたどることで僕達の生物観の変遷を浮き彫りにしていくことに成功している。非常に読みやすい。そして面白い。とてもためになる一冊でありました。

個人的にはもう少しご本人の得意分野である甲虫についての話を掘り下げて欲しかった。

ロブ・ダンの専門はアリと甲虫の共生関係だ。ご存知の通り社会性の昆虫であるアリは集団で巣を作り見事な差配で分業して暮らしている。このアリの巣にまんまと紛れ込んで暮らす甲虫がいるのだそうだ。

こうした甲虫はアリによって育てられ、アリが集めた食料を頂戴している。巣のアリは自分たちの仲間かどうかを化学物質によって嗅ぎ分けるがこうした甲虫はその巣のアリと同じ化学物質を分泌することができ、アリたちは完全に仲間だと思って一緒にいるらしい。

「黒い絨毯」なんていう映画ですごく有名になったグンタイアリ。こいつらは巣を持たず、獲物を求めて集団で移動しながら暮らしている。映画ではグンタイアリに人や家畜が襲われるようなシーンもあってそんな印象が強く広まってしまったらしいが、実際には通り道にいる昆虫やカタツムリなどが餌食になっているのだそうだ。そんなグンタイアリにも共生している甲虫などが沢山いるのだそうだ。


 アリのコロニーの行動パターンはいくつかの段階にはっきりと分かれる。まず、ビバークを中心にその周囲を侵略する時期が数週間つづく。次に体内アラームらしきものが鳴ると、今度は夜間にコロニー全体が、ある場所から別の場所へと移動する時期がつづく。運がよければ、もしくは根気よく探せば(あるいは根気よく探してなおかつ運がよければ)、この移動時期のコロニーを見つけることができる。

 ここで移動するのは、グンタイアリのコロニーという、ひとつの生態系である。コロニーの黒っぽい構成員が、れぞれ時おり散会しては、移動先で再び合流する。まずはグンタイアリが出発し、雑多な寄生生物の一団がそれにつづく。一部の甲虫やダニの大半はアリの背中に飛び乗るか、その腹部にしがみつく。目を凝らせば、甲虫がミニチュアのカウボーイのように、通り過ぎようとするアリの背中に飛び乗る姿が見えるかもしれない。その他の寄生生物は、アリが残した化学物質の痕跡を触覚でたどりながら、自力で移動する。50~100メートル移動したところで働きアリがビバークを形成すると、コロニーの構成員が先着順に列を成してすばやくなかに入り、やがて寄生生物の後続部隊がぞろぞろとなかに入っていく。


グンタイアリのビバークは働きアリたちが互いの足を絡ませて体を固定して作り上げたアリの構造体のようなものだそうだ。そしてその中央には女王アリが鎮座するエリアがあり、女王が鎮座するやすかさずお付のアリが甲斐甲斐しく面倒をみるのだという。

このアリの構造体は再び移動の時期がやってくるまで数時間から数日維持される。働きアリたちはその間じっと足を絡ませ合っているという。

そこに当然のような顔をして入り込んでいく寄生生物がいるとは。ほんと生き物たちの奥深い世界には驚かされることがつきない。だからこそ生き物に関する本はやめられない面白さがあると思います。


「ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること」のレビューはこちら>>

「アリの背中に乗った甲虫を探して」のレビューはこちら>>


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死角 オーバールック(The Overlook)」
マイクル・コナリー (Michael Connelly)

2011/08/07:週末に海外ミステリを読み耽る贅沢。土日で読むのに丁度良い厚さ。

出たらすぐに読みたかったボッシュの新作だったのだけど、いろいろ都合が付かず漸く辿り着いた。

ボッシュも今や五六歳。作品世界のなかで着実に歳を重ねていくこのシリーズ。

ほんとのほんとに迎えるエンディングとはどんな形になるのだろう。ボッシュは他のコナリーの作品とも世界観が連続しているので、ボッシュの退場はシリーズ外の作品の物語にも少なからず影響を与えることになる。コナリーも当然そんなことも含めてこれからのことをいろいろと考えているに違いない。

こんなに続くとは誰も思いもよらないことだったろうが、ここまでくると最期まで是非見届けたいな。


物語の導入はロサンジェルスを見下ろす展望台で処刑めいた形で殺された一人の男。彼は市内の医療機関の放射性物質を取り扱う技師だった。

ハリウッド貯水池を抜けマルホランド・ドライブの東端ということはこのあたりだろうか。例のハリウッド・サインの真下という感じだ。



大きな地図で見る


そして彼は死の直前に放射性物質を持ち出しておりその行方が不明となる。

悪意を持って使用されれば大勢の被害者が生じるという国家安全保障を脅かす事態となる。

本編はこれまでにない国際テロリストの陰がちらつく事件の展開になっていく訳だが、

明らかに国際テロが物語の主軸となれば、ボッシュ一人の手に負える事態ではなくなってしまう訳で一体なんでこんな事件を取り上げたのか。とか。

そんな訳で出だしのスケールがでかいがやや先細り感があるね。とか。

トンネル・ねずみのフラッシュバックはやや冗長で、この位置にある意味はあったのか。とか。

縄張り争いの確執でみせるボッシュの主張は、その時の起こっている展開を踏まえるとやはりやや行き過ぎで不自然に写るな。とか。

そもそも、この男は脅迫され誘き出されている訳なのだけど、なんで一度も家に帰らないのか。僕なら先ず家に帰ると思ったのだけど、読み違いでしょうか?とか

とか云う気になるポイントはいくつかある訳だけど、それでもやっぱり警察小説としてきちんと轍を踏み、押さえるべきポイントはちゃんと押さえ、おおっとこうきたか的な着地にひらりと降りている訳で、一級のミステリとしての作品クオリティは持っていると思う。


何より週末リビングでごろりと横になって夢中になって楽しめるステキな時間を過ごせたことは何よりの贈り物でありました。

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ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質
(The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable)」
ナシーム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)

2011/08/07:先日読んだアマンダ・リプリーの「生き残る判断 生き残れない行動」で度々引用され、とても気になった一冊。

「ブラック・スワン」ネットでも、会社でも、自宅では娘から「映画の原作?」という主旨で話題に上った。

読んだ時期が悪かった。本書は映画の「ブラック・スワン」とは全く関係がないと思う。たぶん。混乱させてすまぬ。

「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?アマゾンの商品の説明をそのまま引用させていただく。


「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地には黒い白鳥がいることがわかった。白鳥は白いという常識は、この新しい発見によって覆ってしまった。

 「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。つまり、ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりすることだ。


リプリーの本で、9.11の際、WTCからほぼ全員を避難させたモルガン・スタンレーの警備責任者リック・レスコラはビルがテロ攻撃の対象となる可能性を現実のものとして捉え、普段から避難訓練を在勤のメンバーに強制していた。

他のテナントではそんなことを考えているものはおらず、避難訓練はおろか、非常階段の場所すらしらない人が大勢いたということが描かれていた。レスコラにとってテロ攻撃は黒い白鳥ではなかったのだ。

東日本大震災では、大きな津波がやってくるということが繰り返し防災無線から流されていたにも関わらず、その場にとどまったり、海の方へ移動したりしたことで犠牲になった方が大勢いた模様だ。彼らは黒い白鳥が目の前に迫っていることを正しく認識することができなかった可能性が高い。

そして福島第一原発。事故後関係者の口から繰り返し語られた言葉は「想定外」だった。想定外の津波による想定外の事態。つまり黒い白鳥だ。

また彼らが想定していたという地震の規模が実は大した規模ではなかったというのも世間の目を驚かせた。

この程度の規模に耐えうることを前提として原発は安全だということを言っていた訳だ。

本書を読むと、地震の規模を予測する、どれだけ大きな地震が起こりえるかをガウス分布、ベル型の確立分布を使った上に、ある程度の規模以上を想定外として切ったこと。そしてその切った部分の規模で地震が起こるような事態が黒い白鳥になったということがわかる。

人間が行動をする上で世の中を誤って解釈してしまう原因として「不透明の三つ子」と呼ばれる原理が働くとタレブは言う。


1.わかったという幻想。世界は実感するよりずっと複雑なのに、みんな何が起こっているか自分にはわかっていると思い込んでいる。

2.振り返ったときの歪み。私たちはバックミラーを見るみたいにして、後づけでものごとを解釈する。

3.実際に起こったことに関する情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。とくにものごとの分類をはじめたりすると、つまり「プラトン化」すると、それに縛られてしまう。


こうした講釈の誤りが黒い白鳥を僕らの視界から遠ざけ見えなくする。そして見えないものはないものだとさらに解釈してしまうことで
さらに人間は判断を誤っていく。

黒い白鳥を見るのに不自由だと起こること。


A 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化する。つまり追認の誤り。

B はっきりしたパターンをほしがる自分のプラトン性を満足させる講釈で自分をごまかす。つまり講釈の誤り。

C 黒い白鳥なんていないかのように行動する。人間は生まれつき、黒い白鳥に向かないようにできている。

D 目に見えるものが全部だとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、黒い白鳥の起こるオッズを見誤らせる。つまり物言わぬ証拠の歪み。

E 私たちは「トンネル」を掘る。つまり、私たちは素性のはっきりした不確実性の源のいつくかばかりに集中する。しかしそれらは、黒い白鳥のリストとしては具体的すぎる。


タレブはレバノンで生まれた。当時レバノンの人たちの大半がレバノンはヨーロッパに帰属していると思っていたという。イタリアやギリシャと同じように。

そして内紛なんて起こる訳がないと。しかし内紛は始まり、ヨーロッパはレバノンを中東として位置づけた。

タレブも周りの人もヨーロッパの報道をみてはじめて自分たちは中東の一部だったと思うようになったという。

内紛が始まってもまだ、人々はすぐに終わると思っていた。それから何年も紛争は続くわけだが、いずれすぐ終わると思い続け、国外に避難した人ですらそう考え、ホテルなどでの仮住まいを何十年も続けた人もいるのだという。

タレブが紛争地域のレバノンからやってきて、ニューヨークのウォール街でデリバティブトレーダーとして長年働き、認識論の研究者となったという経歴に僕はやっぱり少し驚いてしまった。


すべてのズーグルはブーグルである。ブーグルを一つ見かけた。これはズーグルだろうか?そうとは限らない。ブーグル全部がズーグルというわけではないからだ。大学進学適正試験でこういう問題を間違う若者だと、大学には入れないかもしれない。でも入試で高い点をとる人が、街の危ない一帯から来た人がエレベーターに乗り込んでくると震え上がったりする。私たちは知識や見識を、状況から状況へ、あるいは理論から現実へと自動的に移し変えたりすることはできない。そんなふうに生まれついたせいで、私たちは大変な目に遭っている。


僕も漏れなくタレブの言うところの行きと帰りの問題で簡単勝手な思い込みをしていた訳だ。

タレブの取り扱う問題は非常に鋭く難しい、というよりも私たちが間違いやすい問題なのである。

そんな訳でこの「ブラック・スワン」の内容を僕がどこまで理解できているのか甚だ自信がない。

そのうえどこかしらに非常に相容れないものを感じる。

自分のことを時にNNTと呼んだりするタレブの本はとても面白い。文章そのものも上手で辛らつでウイットもあり、書き手のタレブがいかに賢い人なのかがよくわかる。


私が言っているのは不透明ということだ。情報は不完全で、世界のジェネレーターは見えないということだ。歴史は私たちに種を明かさない。私たちは推し量るほかないのである。


確かに。現実世界の物理的な原理を理解するためにはモデル化が必要で物理学は数学を基礎として現実世界をモデル化している。

しかしその理解には限界があるという。当然ながらそれは起こったことに限って当てはまるモデルであって、そのモデルが本質的に正しいかどうかは確かめようがないという訳だ。そりゃそうだ。この宇宙が終わるかどうか。そしてそうなったら何がどうなるのか。現在のモデルが予測する通りのことが起こるのか、想定外の原理が働きはじめるのかは確かめようがない。

起こってみないとわからないのだと。その通りだと思う。


だからこそ、黒い白鳥が存在する可能性には常に注意を怠らないようにしないといけない。

それもその通りだと思う。

しかし、どうもタレブはこの理屈を市場経済にも当てはめようとしているように読めてしまう。

先週、アメリカ政府は債務の上限の引き上げをぎりぎりの線で承認。国債のデフォルトという最悪のシナリオから切り抜けることができた。

しかし、スタンダード&プアーズはアメリカの国債の格付けをAAAからAA+へと一段階格下げにすると発表した。

来週の経済市場がどうなるのか、ニュースはそんな予測を繰り返し流している。

勿論市場経済も実態経済とリンクしているので、アメリカの債権の格下げや地震や事故、新薬の発明やウルトラ省エネルギー技術などによって市場は動く。

そのせいで我々の想定を超えたどでかい黒い白鳥がどしんと墜ちてくる可能性は勿論ある。しかし、市場経済は物性物理の原理と違い人間がルールを作って動かしているものだ。想定外のことは起こりえるが、限度を超えた場合にはルールを変えることができるハズだ。

人間が作った経済市場の原理であれば自分たちの意思で場合によっては変えることだって出来るハズじゃないかと思う。

物性物理の原理の背後にあるジェネレーターとは本質的に違うもののはずだとも思う。

彼が力説しているお話はどうしても極端すぎる気がしてならない。未来が予測できないなら計画を立てる意味はないなんてことを言ってみたり、「全てに当てはまると言っているわけではない」などというようなことを書いていたりする。どうもわくわからない。

僕は難しかったよ。

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チヨ子」宮部みゆき

2011/07/31:早いもので今日で7月もおしまい。人生は短い。

休日カミさんがずっと本を読んでいた。なんの本かと思っていたらこれだった。

読み通しで読み切ったらしい。「なかなか面白かったよ」と。

なるほどでは読ませていただきます。

好きな作家の本は出たら読む訳だけど、なるべく事前の情報は入れずにおいて読むようにしている。背表紙の解説も帯も見ない。先に情報が入ればその分読書の楽しみが減ると思うからだ。

この本は幸運なことにほんと全く何も知らない、白紙状態で手に取った。


目次

「雪娘」
「オモチャ」
「チヨ子」
「いしまくら」
「聖痕」

手にとってめくって目次をみて、ああ、短編集なのねということがわかった位だった。

何も知らずに手に取った方がいい。短編集は特に。

あぁ、なんて同じようなことを繰り返し書いているのだろう。

ということで出来る限りこれから読む方の読書を損なわないように配慮して先に進みます。

収録されている短編のうち「雪娘」と「オモチャ」は「異形コレクション」からのもの。

この「異形コレクション」は各巻のテーマに沿って国内外の作家よって書かれた短編を集めたホラーアンソロジーで、廣済堂文庫から15巻、光文社文庫から29巻、カッパ・ノベルス、徳間文庫、角川ホラー文庫からも出版されておりかなり膨大なものになっている。そしてその監修は全て作家井上雅彦が行っているものなのだそうです。

「雪娘」はカッパ・ノベルズの「雪女のキス」、「オモチャ」は光文社文庫の「玩具館」に収録されているもの。

「チヨ子」は日本文藝家協会の短編ベストコレクション。「いしまくら」は 日本推理作家協会編集による光文社文庫の日本ベストミステリー選集。「聖痕」は河出文庫の「NOVA 書き下ろし日本SFコレクション」に収録されていたものだという。

僕はあまり馴染みがないのだけれど、短編でアンソロジーを何巻も出していくという企画が走っているんだねぇ。

そんな背景を持つ短編集なので作品同士のつながりは全くなく。それぞれの持っている雰囲気はかなりばらばらだ。「雪娘」、「オモチャ」、「チヨ子」の三作と「いしまくら」、「聖痕」とはかなりかけ離れたものがある。

特に「聖痕」はその離れ方が桁違いになっている。週末寝っころがってぱらぱらと気楽に読める本かと思っていたら大変な裏切りに合いました。勿論良い意味でだけど。とっさに思い出したのはボルヘスの「砂の本」でした。

ボルヘスの和製マジック・リアリズムを追及していくというのもありだと思う。しかしそれには全身全霊をかけて短編の製作に打ち込む必要があってなお成功するかどうかわからないので挑戦することも難しいでしょうが。

なるほど日本人のホラー好きと、怪奇・幻想小説とマジック・リアリズム。日本とラテンアメリカの文化は血筋の面でも西洋文化よりも繋がりが古くて近しい部分があるからなのかもしれないなぁなどと取りとめもないことを書いておく。

小松左京が26日にお亡くなりになりました。正に巨星墜つ。合掌。


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運河と閘門―水の道を支えたテクノロジー
久保田稔、竹村公太郎、三浦裕二、江上和也

2011/07/30:河や運河沿いを自転車で走り回っては水門や橋、排水機場を探しては写真に撮ってるなんて言うと、大抵は一体なんでそんなことをと云う顔をされる。意味がわからないと。

そうだろうな。僕もうまく説明するのも、わかってもらうのにも全く自信は全くないよ。

川沿いを自転車で走ることは仙台に育ちで広瀬川が身近だったという懐かしさと水門や排水機場のような不思議な施設や斜張橋やニールセンローゼ橋、トラスドランガー橋、ブレースドレスアーチ橋といった変わった形状の見慣れない橋があったからだった。

まだ行った事がないこの先にある橋まで、次の水門までと少しずつ足を伸ば続けてきた結果が今だ。なんでかなんていうこと自体実はあまり意味がないのかもしれない。

また、自分が走っている脇を流れる川が実は川ではなく運河だっとわかった時の驚き。

運河(Canal)とは、人・ものを舟で運ぶために人工的に開削した水路(Waterway)である。もちろん舟が航行できる自然河川もあるが、それは運河とは呼ばず可航河川(Navigable River)として区別する。両者合わせて水路という。また、外洋の波浪を避けるために沿岸内陸部に建設された沿岸運河(Intracoastal Watrway)と呼ばれるものもあり、アメリカ東海岸ニュージャージー州とフロリダ州を結ぶ大西洋沿岸内水路やメキシコ湾フロリダ州とルイジアナ州を結ぶメキシコ湾沿岸内水路、わが国では、旧北上川河口と阿武隈川河口を結ぶ貞山運河がそれと知られている。


ここではさらりと大型の運河について述べているが、荒川、江東区内を縦横に流れているのは全て運河で、中川、江戸川も人の手が全く入っていないということはなく、寧ろこれらの一級河川もなんらかの方法でその流れを制御、つまり飼い慣らされた竜となっていた。

その運河の開削は治水、農耕地の拡大、そして人や物資を運ぶという水運と合目的的な都市計画に基づき実施されてきたものだった。

そこに気がついた時僕は更に驚いた。

今では時折、プレジャーボートや建築資材を運ぶ船や作業船などが時折通る程度のひっそりとした運河だが、行徳・江戸を結ぶ旧江戸川には、蒸気船の定期便が行き来する活気に満ちた時代があった。

人々の生活の中心に水運があった時代があった。運河に向かって町が開いていた。現在の建物は基本的に道路に面した側を正面にしているが、その当時は活気のある表通りは道路側ではなく、運河側だった時代があったのだ。

そうした人々の生活を支える水運を支えているのは治水技術、治水施設の建築技術だ。地味だが大切な掘割からはじまり、切通し、水路開削、瀬替えと大規模な治水工事まで様々。溜池、用水路を配し、堰、伏越し、懸渡井、樋管、水門、閘門を配置することで水運と治水を実現し、それを基礎として、農業、商業が発展し街は生まれ育ってきた。

首都圏における農業は既に衰退し、住宅地へと置き換えられ、かつての姿を知るものは極端に少なくなってしまっているが、当時の面影はあちらこちらに脈々と生きている。


水運の重要度は今ではかなり低くなってしまってはいるけれども、運河の治水は今も都市を支える重要なファクターだからだ。浚渫から護岸工事、橋の建設や修理補修には、作業船が運河に入り込んで作業する必要があるからだ。船には船の道がある。そんな訳で運河の周辺には、いまだキチンと維持管理されている排水機場、ポンプ所、水門、樋門そして閘門がひっそりと佇んでいる。

都市を支えるべく飼い慣らされた竜。運河。その上を行き来していた舟運。単に川を下るだけではだめで、運輸として成立させるためには行き来する必要があった。舟で川を登るにはいろいろ問題がある。


河川・運河舟運にとって克服すべき課題は流速の制御と水位差の調節であった。流速の制御は堰を設置することで解決できるが、そこに生じる水位差は舟運の障害となる。後に述べるように、古代中国は運河の先進国であった。紀元前から存在していたとされる中国の水門は、洗い堰の一部に木材(角材や堰板)による落とし堰(SluiceGate'Flash Lock)を設けた形態と推測される。これらの施設では、舟の移動に多量の水が消費され、堰を遡る際に大掛かりな人力を要した。そこで登場したのが、短い河川空間(舟溜まり/Pound)を挟み二つの水門(閘門/Lock)の開閉で巧みに水位を調節するポンド・ロック(Pound Lock)であった。


本書は、2007年4月に発足した「日本の閘門を記録する会」によって閘門確認調査を行った163箇所の閘門をもとに全国の閘門の代表的なものを具体的に紹介している。
末巻には詳しい一覧も添えられている。

本文ではその対象となる閘門の地理的背景から建設時の様子、生い立ちを丹念に追っていく。閘門完成時期と構造を俯瞰することで技術の進歩に伴う閘門の構造変化の歴史、運河を利用しようとするその時代の雰囲気が見えてくる。


そしてまたその時代、運河開削や閘門建設に活躍した角倉了以や河村瑞賢といった人たちのことも触れられていた。彼らもまた歴史にやや埋没してしまっている(失礼!)が、是非もっと詳しく知りたいと激しく思いました。

ここでは時代ごとの構造タイプについて少しだけ紹介する。

閘門は、閘室に接続した扉室の数で、単扉室閘門と複扉室閘門に分けられる。現存する単扉室閘門は福岡県大牟田市三池港の三池港閘門。完成年は1908年(明治41年)なのだそうだ。

複扉室閘門には、マイター・ゲート(合掌式)のものと引き上げ式ゲートに大別される。マイター・ゲートは構造上水位の低い方に扉が開いてしまうため、逆方向にも扉を設ける。この形式の閘門は木曽川と長良川を結ぶ船頭平閘門が最初で、1902年(明治35年)に完成した。マイターゲートには片開きのものがあり、これはスイング・ゲートと呼ばれる。

マイターゲートはおよそ1880年から1934年ごろに建築された閘門で、近年は景観を考慮したラジアル・ゲートとの併用も行われるようになってきた。引き上げ式ゲートは1927年以降主流となり、ストーニー・ゲートが中心だったが、1943年以降はローラー・ゲートのものに移行した。

ラジアル・ゲートとは、円盤状に取り付けられた扇状の水門が使用目的によって回転。構造物が大きく地上に張り出さないため景観を乱さないという利点がある。ストーニー・ゲートは、ゲートにローラーがなく、ゲート端部が接する戸溝の間に梯子状に並んだローラーを挟み込んで開閉するもの。毛馬第一閘門がその例。ローラー・ゲートはゲートにローラーが着いているもので現在作られる閘門・水門は概ねこの形式で作られている。

陸を行く僕らは彼らが活躍しているところはなかなかお目にかかれない。しかししっかりと都市を支えてるのだ。

そんな光景を求めて運河を走るのはかなり楽しい。

老後は海にほど近い場所で犬と一緒に暮らそう。そんなことをカミさんと二人で話しをしていた。貞山堀の内側に手頃な一軒家を手に入れてのんびり暮らす。引退後の生活もそうそう遠い未来の話しではなくなってきた今日この頃、僕たちの将来がどんな形になっているのかこれまで以上にはっきり見えたと思った。
自分たちの進むべき方向性が見えたと。

実際に地図に向かって、ここはどうかとか、こっちはどうだと云ったことを晩酌しながら盛り上がって話合っていた。貞山堀に近ければ、今と同じように水路を巡って自転車にも乗れるじゃないか。こんな素敵なことはない。
そう思っていました。

地震がくるまでは。

3.11の東日本大震災はおぞましい勢いで東北大西洋沿岸部の人々の命と暮らしを飲み込んだ。僕らの老後の夢も。
本書で紹介されている野蒜の閘門もまた海に沈んでしまった。


蒲生南閘門付近


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新潟・福島では先日来からの記録的に激しい豪雨が続き、最大でおよそ41万人に避難の指示や勧告が出される事態となった。亡くなった方もいる。なかには湾岸部から地震の被害で避難した先で被災している方もいるということだ。

人工の土地に暮らし、管理された囲われた場所で暮らしていると大自然の猛威は一度荒れ狂えば我々の手に負えなくなってしまうものだということをつい忘れがちだ。

それでもどうにかして僕らは生きていく。なんとか今の状況をよりよいものに改善しようと挑んでいく生き物なのだろう。
時には矢がつき刀が折れ、心も折れてしまうことだってあるだろう。でもそれでもやっぱり前に向かって進みだす。
僕らはずっとずっと昔からそうして暮らしてきた。

今この関東に広がる運河と治水施設を眺めるとそんな過去の人たちの地道で根気強い生き様も見えてこようというものだ。
どんなにささやかでもひとつずつ。そうすればいつかきっと必ず。



△▲△

ヨーロッパ戦後史
トニー・ジャット(Tony Judt)

2011/07/24:折しも今日の世界では、ノルウェー・オスロで極右・キリスト教原理主義者とみられる男が車爆弾と銃の乱射。100名近い人命が一瞬で消された。この男は流入する他民族・他宗教に反発、移民排斥論、さらには反イスラムという思想が過激化し凶行に及んだ模様だ。

また、アルジャジーラは、イランの原子力科学者が自宅前でオートバイに乗ってやってきた男たちに射殺されたことを報じている。イランの原子力発電所はスタックネットと呼ばれるサイバー攻撃が繰り返され、先日は付近で無人偵察機が撃墜されたらしいという報道もなされている。やったのは誰だ。

一体なんでこんな事態が繰り返されるのだろうか。表面化してくる事態にわれわれは驚かされるばかりだが、それがなぜ起こるのかについて、僕らはどこまで理解できているのだろう。

さて、2011年第二クウォーターの幕明けはトニイ・ジャッドの「ヨーロッパ戦後史」。先日ジャッドの「荒廃する世界のなかで」を読んで彼の歴史を非常に高い位置から見下ろす視線に驚き、そしてそんな目線で描き出される世界の見事なまでの再解釈に敬服した。

その彼の評価を徹底的にしたものが「ヨーロッパ戦後史」だったという。それを漸く知った時点で既に彼は鬼籍に入っているという僕のこの亀のような歩みはつくづく情けないと痛感する以外にない。

本書は上下巻、各ページは上下二段組みで合計千ページを超える圧倒的なボリューム、そして内容も非常に濃厚。その濃さはほんと途轍ない。

どこをとっても綿密精緻。一定のトーンで淡淡と描きつつも読者を飽きさせない。なるほどこうであったかとぐいぐいと先へ先へと引っ張っていってくれる。

とは云うものの途中で息抜きをしてしまったというのもあったが、読み切るのに三週間以上かかってしまった。

朝夕の通勤時間に電車で読んだ訳だけど、なにぶん重い。本が。持ってると手が疲れてくる。これで殴ったら殺傷能力すらあるのではないかという重さが何より大変でありました。

まずは目次から。

目次
『ヨーロッパ戦後史』を読むために(長部重康)
はじめに
第1部 戦後・1945-1953年
I 戦争が遺したもの
II 報 復
III リハビリテーション
IV 不可能な決着
V 冷戦到来
VI 粛清旋風のなかへ
VII 文化戦争
結び 古きヨーロッパの終焉

第2部 繁栄と不満と・1953-1971年
VIII 安定の政治学
IX 失われた幻想
補章 経済二国物語
X 豊かさの時代
XI 社会民主主義の季節
XII 革命の亡霊
XIII ことは終わった

目次
第3部 景気後退期・1971-1989年
XIV しぼみゆく期待
XV 政治の新基調
XVI 移行の時
XVII 新たな現実主義
XVIII 権力なき者の力
XIX 旧秩序の終焉

第4部 崩壊の後で・1989-2005年
XX 分裂に向かう大陸
XXI 清算
XXII 古いヨーロッパ――そして新しいヨーロッパ
XXIII ヨーロッパの多様性
XXIV 生き方としてのヨーロッパ

エピローグ 死者の家から――近代ヨーロッパの記憶についての小論

1945年終戦直後のウィーン。ヴェストバーンホーフ駅で扉を開く本書は2005年まで、時にアメリカ、アジアも視野入れつつ正にヨーロッパの戦後を圧倒的な筆致で描き出していく。

戦後も昭和30年も後半生まれの僕としては、近代史ヨーロッパの有り様と歴史的背景について沢山の素朴な疑問を持っている。

それは、東西ドイツの分離、ベルリンの壁、そして冷戦。またプラハの春やアイルランド、フォークランドの紛争やミュンヘンオリンピックのテロ事件。気がついたら僕らはそんな世界にいた。

そしてマーガレット・サッチャーは「鉄の女」と呼ばれ、スターリン、ド・ゴール、そしてフィデル・カストロがいた。

学生たちは左傾化しデモだゲバだと気勢を上げる一方で、アカ狩りだ、亡命だ、ハイジャックだといった事件が唐突に発生していた。一体世の中はどないなっとるんやと。

そして大人になった、それも中年の曲がり角をもしかしたらもうだいぶ前に曲がってたのに気付けもしないままきちゃったみたいだなと思うような今となってもまだ、世の中の事がよくわからん大人になってしまった。

いつかは何れそうなるのではないかと思っていたソヴィエト連邦があれよあれよという間に崩壊し、それこそゴルバチョフ、エリツィンはどんな政治信条に基づいて行動しているのかちっとも理解できなかったり、崩壊直前からきな臭くなっていった東側諸国の盛衰と、その過程で巻き起こった民族なのか宗教なのか対立点そのものもみえないままの大規模で救いのない地域紛争の乱発。

イスラエル・ガザ地区からパレスチナ全域で起こっているゴールの見えない争い。はたと気がつけば、英米の主従関係はいつのまにやらすっかりと逆転し、イギリスはアメリカに従属しているばかりかパシリみたいな使い方をされており。EUは統合されたもののその複雑さは統合前に比べてより増したようにも見え。中東・東欧との接点では宗教色の強い、出口の見えない衝突、暴力、が絶える気配はない。

本書の冒頭には、経済学者の長部重康氏が本書を読む上での解説が加えられていた。


第一に、ヨーロッパの衰微の歴史である。ヨーロッパはファシズムから開放を自力で勝ち取れず、アメリカの支援なしでは共産主義を阻止できなかった。西、蘭、英、仏などかつての海洋帝国も、いまやヨーロッパ内国家に縮退し、内向きになってしまった。

第二に、偉大なる一九世紀の様々な歴史理論が姿を消した。1989年以降、ヨーロッパでは左右を問わず、全体包括的イデオロギーの提起はおこなわれなくなった。「ヨーロッパにおけるイデオロギー政治の180年間のサイクル〔フランス革命以降の〕が終わりに近づいていた。

第三に、脱イデオロギーの「ヨーロッパ・モデル」が登場し、子育てから国家間の規範にいたる全てを包括し「アメリカ的生き方」と競合する。とりわけ1992年に誕生したEU(欧州連合)が折しも欧州分断が終わるポスト冷戦を受けて東方拡大戦略を開始し、2004年には25EUに飛躍した。

第四に、欧米関係の複雑な、そして誤解されがちな展開である。ヨーロッパのアメリカ化はしばしば誇張されており、1989年以降の中東欧におけるアメリカ・モデルによる自由主義化とは、一時的な動きに過ぎず、時代逆行的でしかなかった。




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誰に聞いたらいいのか、そもそも何を質問したら解るようになるのか。
学校で歴史や社会の勉強をしてもちっともそんな中身が見えてくることもなく、自分が知りたい事はそんなことじゃないと。

ハブスブルグ家や英国王室の家系図なんてそんなものはどうでもいいからもっと実際な内容について知りたいんだと。今現実に起こっている出来事の意味が理解できるような背景・経緯を知りたいのだと。

正にそれに答えてくれるのが本書なのだ。

そのなかからいくつか。


II 報 復

 解放されたヨーロッパの各国政府が自らの正当性を確立し、適性につくられた国家としての権威を持っていると自ら主張するためには、まず何よりも戦時政権の権威失墜の名残を払拭しなければならなかった。ナチとその協力者は打倒されたが、彼らの犯罪の規模からすると、それだけでは不十分なことは明らかだった。戦後政府の正当性がファシズムに対する軍事的勝利だけに依拠するなら、戦時中のファシズム政権となんら変わりがないではないか?後者の諸活動を犯罪と定義し、その定義に基づいて処罰することが重要だった。この背後には十分な法的・政治的な道理が控えていた。しかし報復欲のほうにも深い根があった。大方のヨーロッパ人にとって、第二次大戦は政治活動や実際の戦闘としてよりも、日常生活の荒廃として体験されていた---誰も彼もが裏切られ、侮辱され、日ごとにちょっとした犯罪行為や堕落行為に手を染め、その過程で誰もが何かを失い、多くの人びとがすべてを失う羽目になった。


キャパの写真等で解放に沸くパリなどはイメージしやすい。確かに終戦は大変な歓喜を持って迎えられたが、それは決して長続きはしなかったのだ。この終戦後の実態は僕の既成概念をかなり覆すものがあった。


III リハビリテーション

 1947年という年は決定的な岐路で、この大陸の命運がかかった転機となった。この時まで、ヨーロッパ人は復旧作業・再建作業で疲れきっているか、長期的な復興を目指して制度的なインフラの整備に忙殺されていた。連合国側の勝利につづく最初の18ヶ月のあいだに、大陸全体のムードは平和の到来や新出発がもたらす安堵の気持ちから、前途によこたわる課題の大きさに直面して茫然自失やつのりゆく幻滅へと揺れた。1947年年等の時点で、最も困難な決断がまだ下されておらず、もはや先のばしはできないことが明らかだった。

 まず何よりも食糧供給という基本的な問題が克服されていなかった。次に襲ってきたのが1947年の冬で、これは1880年以来最悪だった。運河は凍結し、道路は何週間も立て続けに通行不能となり、凍結地点が鉄道網全体を麻痺されたのだ。


なんだかんだと資源・重工業はドイツ頼りだったヨーロッパで、終戦後ドイツという国家が不在のまま復興を遂げることが実はできないという大変なジレンマを抱えていたという。


V 冷戦到来

 スターリンが東ヨーロッパで自分の権威をわざわざ繰り返し主張しなければならなかった大きな理由として、彼がドイツで主導権を失いつつあったということがある。

ドイツの取り扱いを巡って西側は妥協のないフランスの主張との折り合いがつけられず交渉を重ねていくがこの過程でソヴィエトは蚊帳の外へと追いやられていく。そしてその事自体が互いの不信感を生み、執念深い冷戦の世界が生み出されていく。


IX 失われた幻想

 スエズの教訓の第一は、イギリスが地球全体におよび植民地を維持するのはもはや不可能、ということだった。スエズではっきりしてしまったのだが、この国には軍事的、経済的資源がなく、イギリスの限界がかくもあからさまに立証された今となっては、独立要求の増加という事態に直面するだろう。イギリスとのきずなを断ち切ったのがスーダン(1956年)とマラヤ(1957年)だけだった10年近い小休止の後、この国はこうして日植民地化の加速局面をとくにアフリカで迎えることとなった。


戦後の復興に一役買っていたのは実はヨーロッパから遠方にあった植民地の資源であった。この植民地の存在が復興を後ろ支えしていたのだ。しかし、諸国家が統廃合を繰り返し、国境が動くことで事態が変わっていく。イギリスは主権を守るためにスエズで陰謀を図るがこれがアメリカの怒りを買い、手痛いしっぺ返しを受けることになる。

この事態こそ、アメリカとイギリスの主従関係を逆転させる大きな転機となった。



XII 革命の亡霊

 60年代はきわめて重要な10年間でもあった。ボリヴィアから東南アジアにかけての第三世界が激動していた。ソヴィエト共産主義の「第二」世界が安定していたのは表面上のことで、これから見ていくように、それも長くは続かなかった。さらに西側を主導する強国は暗殺や人種暴動に震撼されつつも、ヴェトナムでの全面戦争に乗り出していた。アメリカの国防費は60年代中期に絶え間ない上昇を続けていたが、1968年にピークに達した。ヴェトナム戦争は政治スペクトルの全域で不評を買ってはいたが、ヨーロッパにおいては重大問題ではなかった。しかし大陸挙げての動員の触媒作用を果たした。イギリスにおいてさえ、この10年間で最大規模のでもが組織され、それははっきりとアメリカの政策に反対してのことだった。1968年、「ヴェトナム連帯運動」の数万人の学生デモがグロヴナースクェエアのアメリカ大使館目指してロンドンの街中を行進し、ヴェトナム戦争終結を求めて怒りの声を上げた。


単なる自由民主主義対共産主義ではなく、宗教、人種、民族、世代間でもつれ合うように不信感と諍いが広がっていくことで現代社会の今のありようの基礎が作り出されていく。


XVII 新たな現実主義

「サッチャー主義」は減税、自由市場、自由企業制度、産業やサービスの民営化、「ヴィクトリア時代の価値観」、愛国心、「個人主義」などさまざまなことを表すものだった。これらのうちいくつか---経済に関する諸政策---は、保守党の一部や労働党の一部でもすでに広まりつつあった政策案の延長線上のものだった。その他、とくに「倫理的」テーマは有権者全体よりも農村地帯の選挙区における熱烈な保守党支持者のあいだでいっそう人気があった。だがそれらは60年代の自由意志尊重主義に対する変動の後にやってきて、この時期に公共の問題で支配的地位を占めていた進歩的インテリといっしょでは本当の安心は得られないという労働者階級や下層中産階級のサッチャー夫人ファンの多くに訴えるものをもっていたのである。


サッチャーが保守党・労働党を背景として政府をリードしながらまるで自由市場主義の権化のような振る舞いをした文脈が明らかにされる。そしてその行為は彼女を支えていた保守党・労働党の屋台骨そのものを瓦解させていくのだが、彼女を止める力は当時誰も持ち合わせていなかったのだ。


XIX 旧秩序の終焉

 ソヴィエトの指導者たちが直面していた真の軍事的ジレンマは、ヨーロッパにおけるものでもワシントンにおけるものでもなく、カブールにおけるものだった。ソヴィエトの戦略的野心を遅まきながら感じ取ったジミー・カーターは失礼ながら、1979年のアフガニスタン侵攻は共産主義の自由世界に対する戦略的闘争の新戦線を開くものではなかった。それはむしろ国内の不安から生まれたものだった。1979年のソヴィエトの国勢調査で、ソヴィエト中央アジアにおける人口(ほとんどがイスラム教徒)の前例のない増加が明らかとなった。ソヴィエト・ブロックのカザフスタンと、アフガニスタンと国境を接している共和国---トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン---では、1970年以降人口が25パーセント以上増加した。それにつづく10年間にわたり、ウクライナの人口増加は4パーセントに過ぎなかったのに、タジキスタンでは50パーセント近くに達した。


カブール。時のアメリカ、カーター政権はポーランド出身で国家安全保障担当補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Kazimierz Brzezi?ski)によって、カブールに流入し反ソ抵抗勢力となりつつあった力ムジャヒディンを秘密裏に支援し、カブール市内で反乱を起こし、市の東南にあるバラヒサール古要塞を占拠させた。この古要塞からは市内の大半の要所を大砲の射程内におさめることが出来たのである。ブレジンスキーはこの足下からの圧力によってソ連の侵攻の蓋然性を高めたと発言している。

1978年バチカンはヨハネ・パウロ二世にポーランド人のカロル・ヴォィティワを選出した。就任後彼がポーランドに初めて訪れたとき、彼は熱烈に歓迎された。そして彼を起点にポーランドの教会は「真の信仰」として東側の無神論と、西側の物質主義の双方に対して「鏡」であり「剣」となることを目指しだしたという。

そしてアフガニスタン、ポーランド、チェコと足元がずるずると崩れ去っていくことに歯止めがかけられないなか、チェルノブイリが爆発するのである。ゴルバチョフ大統領は、グラスノスチ、ペレストロイカなどと改革路線を標榜してはいたがあくまでまっとうな共産主義であったという。その彼が目指した共産主義国家ソヴィエト連邦の維持はこの原子力発電所の爆発によって短期間での崩壊へと急加速していく。

本書は読みどころ満載なのであるが、この下りは特筆すべきものがありました。

クーデータによってゴルバチョフは拘束されてもまだ事態の進行がきちんと理解できず、なおソヴィエト連邦の維持を信じていたのに対し、エリツィンは早い段階から全てを見通していた。エリツィンはゴルバチョフを救出する一方でロシアの建国に向けて全力で走っていたのだ。

誰もが予想しないスピードで内部から瓦解するソヴィエト連邦の姿に僕たちはだだ驚き立ちすくむばかりであった。しかし東欧ではこの事態をすばやく受け止めて、新しい社会づくりに向けて動き出す人びとがいた。人種・民族、宗教の主権を唱える人たちだ。東欧ではこうしたことが引き金となって悲惨な内紛・テロ、暴力が連鎖していく。


本書の先の地平から上がってくるもの。それは今の世界でありました。
原題は”POST WAR”正に戦後の世界の国、人種、民族、宗教、主義主張、世代が入り交じり縺れ合い、せめぎ合うことで紡ぎ出されてきた歴史を紐解くという大変野心的な本であり、しかもそのテーマは完遂され、現実のものとなっている。出された時点ですでに古典と呼ばれるに相応しい名著でありました。

「失われた二〇世紀」のレビューはこちら>>

「ヨーロッパ戦後史」のレビューはこちら>>

「荒廃する世界のなかで」のレビューはこちら>>

「真実が揺らぐ時」のレビューはこちら>>

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