This Contents


2009年度第二クール。8月でこのサイトも丸6年。併せて僕の40代も折返しです。こんな事でいいのだろうかと迷う事しきりですが、これからも続けて行きたいと思います。サイクリングとウォーキングで健康管理を実施中です。目標は5kg減!なんて無理だろうなぁ。


ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実
(Nickel and Dimed: On (Not) Getting By In America)」
バーバラ・エーレンライク(Barbara Ehrenreich )

2009/09/27:一体どこから手を付けようか考えあぐねているのだが、まずは先日レビューをアップしたスーザン・ジョージの「アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?」から。

 アメリカに仕事や遊びのために旅するヨーロッパ人は、たいていの場合、大西洋沿岸と太平洋沿岸にとどまり、そこを越えて足を伸ばそうとしない。この二つの地域は、その間によこたわる地域よりも魅力的で、ヨーロッパに好意的で、そして間違いなく愉快な所だとみなされているからである。ヨーロッパ人は、両海岸にはさまれた広大なハートランドの人々が何について考えているのか−−−あるいは考えていないのか−−−について何も知らない。ヨーロッパ人は、どうしてアメリカ人が自分たちに苦労ばかりもたらすような指導者を選出したのかを理解していないし、すぐに正気に返るだろうと確信している。このような奇妙な行動は一時的なものであって、別の政党と別の人材が国の指導者の地位に就けば終わりを告げるだろうと思っている。

この本のなかで紹介されていたのが、今回のレビュー対象であるバーバラ・エーレンライクの「ニッケル・アンド・ダイムド」だ。スーザン・ジョージは、一部の狂信的で頑迷で狭量なキリスト教原理主義者たちによって、多くの信者たちが集団的に操作され新保守主義者の極端な考え方に誘導され、政府はキリスト教原理主義・新保守主義の人間たちによって事実上乗っ取られてしまっている事。そしてその結果、イスラエルへの支援のような殆どの一般市民にとってなんの得にもならない支出が医療や学校などの本来必要な公共政策のかわりに行われている事。自己責任の名の下に単独主義的な小さな政府を目指すことで公共の機能をどんどん企業に切り売りし、ほんの一部の富裕層を除くと貧しく非常に厳しい社会を作りだしてしまったと云うような事を述べている。

その社会の貧しさ、厳しさは直撃している貧困層以外の人々には気づかれず、知らされずにいて粛々とその厳しさを増している。その実態に迫るものとして紹介されていたのが、この「ニッケル・アンド・ダイムド」だ。本書はバーバラ・エーレンライク、1941年生まれのコラムニストで現在はアメリカの社会民主主義政党の重鎮と云われる人物なのだが、彼女が1998年から2000年にかけ、ワーキングプアとも呼ばれる低賃金労働者の生活を実際に体験したルポルタージュだ。

この当時アメリカでは全労働人口の30%が時給8ドル以下で働いていると云う統計結果が発表された。一体どうやって時給8ドル以下で暮らしていけるのだろうか。エーレンライクにとっても、これには何か秘策があるに違いないと思わせるような低い数字だったのだ。それを確かめるには実際にやってみるしかない。

本書の企画が持ち上がった時、本人はだれか若くて元気の良い子がやるものとばかり思っていたのだが、編集者は行くのはあなただと言っている事に気づいてびっくりしたと書いている。50を過ぎたおばさんでもある自分がやるの?戸惑いや不安、そして実際に一緒に働く人たちとの関係をどうすればいいのか随分と悩んだようだが、結局彼女は決意して普段の生活を離れ、低賃金労働者の生活をおくる世界へと飛び込んでいくのだ。

この生活をはじめるにあたり、まず住む場所を見つけ一か月分の家賃と車は持ち込み、2ヶ月目以降の家賃と職が見つかった時点で賃金から日々の生活の費用を賄う努力をすると云うルールとした。

彼女はフロリダ州キーウェストでウェイトレスの仕事からはじめ、ハウスキーパーや、老人介護施設の介助、ウォルマートの店員などの仕事をすることで暮らす生活をはじめるのだ。

 職探しの過程でわかったいちばん大きなことは、これほど求人広告や就職フェアが盛んに行われていても、ポートランドもまた時給6、7ドルの街だということだった。これは経済学者にとって、天文学者が正体不明の宇宙線を大量に見つけたほどの驚きだろう。需用に比べて供給(労働力)が少なければ、価格は上がるはずではないか。それが経済の「法則」というものではない。私が応募したメイドサービス会社の一つメリーメイズでは、上司になるかもしれない人が1時間15分も私を放してくれず、その時間の大半が、信頼できる人員を見つけることがいかにむずかしいかという、彼女の愚痴に耳を傾けることに費やされた。解決法なら誰でもすぐに思いつくだろう。なぜなら、彼女が提示した給与は、週に平均40時間働くとして、週給200ドルから250ドルなのだ。「お給料の問題にはしないでね。」私が額にしわを寄せながら、たった三桁の割り算に取り組んでいるのを見て、彼女は警告を発した。「私たちはそんなふうには考えていないの」。だが、私はそんなふうに考えざるを得ない。彼女が正直に認めるとおりの、絶え間ないストレスで怪我する危険性も高い重労働であるなら、時給たった5、6ドルでは、計算のできる求職者なら全員手を引くのは目に見えている。ただ、キーウェストのときと同じように、一つの仕事ではとても足りないことだけは分かってきた。この需要と供給の新しい法則においては、仕事は−−−賃金で見るかぎり−−−あまりに安く、労働者はできるだけたくさんの職につこうという気になるのだ。

初めてみるまでもなく明らかだったのは、この低賃金労働者たちの生活にはなんの秘策も裏技もなく、可能な限り複数の職を掛け持ち、喰えないときは喰わないのだ。ウェイトレスの時給に到っては2ドル13セントが法定の最低ラインであり彼女たちは客から受け取るチップによって不足分が賄われてると云う考えに立っているのである。

しかも家賃がある。低賃金であるにもかかわらず家賃相場が非常に高く、収入に占める家賃負担の比率は50%近い数値になってしまうと云う。これはエーレンライクが贅沢をしているのでは決してない。低賃金労働者の生活ではトレーラーハウスですら高嶺の花なのである。決して清潔でも整備もされていないのに、単にバカ高いのだ。しかも治安は悪い。一目で普通でない人が紛れているのだ。そこで暮らす人々は家族や友人などと狭い部屋に肩を寄せ合って暮らす事でどうにか凌いでいるのである。これが現在のアメリカの本当の姿なのだろう。

 もし市場が、たとえば住宅のようなきわめて重要な必需品を、必要とする人すべてに供給できないなら、リベラル派から穏健派まで、政府の介入と援助を期待するのがふつうだろう。そういうやり方を、私たちはすでに医療の面では−−−半分腰は引けているかもしれないけれど−−−認めている。高齢者のための医療保障(メディケア)や、貧困家庭向け医療扶助(メディケイド)や、極貧層の子供たちのためのさまざまな州のプログラムなど、政府が施行している医療政策はいろいろある。ところが住宅となると、市場価格が極端に上昇するにつれ、公共部門はじりじりと撤退しはじめた。公設州宅への支出は1980年代以降、減りつづけ、賃貸料の公的扶助の伸びは、90年代半ばにぴたっととまったきりだ。それなりに、住宅を借りている人たちよりはるかに豊かなはずの住宅を所有している人たちへの助成は、あいかわらず気前よく振る舞われている。今回のプロジェクトで一時的に低所得者となった私の頭から離れないことがあった。私が本来の生活で通常受け取っている住宅所得助成金は、ローンの利子の軽減という形で、年に2万ドル以上支給されている。これだけの助成があれば、極低所得の家庭でもまずまずの暮らしができる。ミネアポリスにいたときにこれを月割りにしてもらえていたら、サウナとヘルスクラブとプールがついた「重役級」のコンドミニアムに入ることだってできただろうに。

そして仕事は休みなく絶え間なく一時も気が休まる事がない。そして体を壊したり、ミスをしたりして職を失えばたちまち生活は立ち行かなくなってしまう。エーレンライクと共に働いている人々はまさにギリギリの生活を強いられているのである。これは、ナオミ・クラインが「ブランドなんか、いらない」のなかで紹介していた、マック・ジョブやスター・レイバーも同じく、そして正にジョシュア・キーが 「イラク―米軍脱走兵、真実の告発」のなかで自らが入隊するに到る生活環境を語っている事でもあった。

エーレンライクは言う。仕事をしてみてわかった事は、自分が周囲で一緒に働く人たちと比べてなんら優れている訳でもなく、どの仕事も決して単純でも簡単でもなかったと。そしてこれらの仕事を必死にこなすことは、時給と云う形で時間を切り売りすることではなく、自分の生活、人生を切り売りさせられる事であると。

 どんなに短期間であろうと仕組まれたものであろうと、たしかに私は一時的に貧困層に属していたのだが、恐ろしいことに、そこから中流の上の階層に戻ったとたんに、私が落ちたウサギの穴は、私のすぐ後ろで、たちまち、そして完璧に、その口を閉じてしまった。私はどこにいて、何をしていたのだろう。富める者と貧しい者が両極端に分化した不平等な社会は、いとも不思議な眼鏡を生み出し、経済的に上位にある者の目には、貧しい人々の姿はほとんど映らない仕組みになっている。貧困層のほうからは裕福層を、たとえばテレビとか雑誌の表紙とかで、簡単に見ることができるのに、裕福層が貧困層を見ることはめったにない。例えどこか公共の場所で見かけたとしても、自分が何を見ているのか自覚することはほとんどない。さまざまな安売り店、そう、ウォルマートなどのおかげで、貧しい人たちがもっと快適な階層に属しているように見せかけることが、たいていはできるようになっているからだ。40年前、ジャーナリズムの熱い話題を呼んだのは、大都市の中心部やアパラチアの「貧困のポケット」ともいわれる山あいでの「貧者の発見」だった。今見聞きするとしたら、さしずめ「貧者の消滅」論になるのだろう。ほんとうに消滅したという説や、いや消滅したように見えるのは、中流階級の想像力が不足しているからだという説が飛び交うわけだ。

 この「消滅しつつある貧者」について書かれた記事のなかには、インターネット成金たちからすれば、「週給が246ドルの人は言うに及ばず、100万ドルを一財産だと思う人たちのことさえ、理解するのはむずかしい」のだと主張しているものもある。なぜ富裕層は「現実が見えなく」なってしまったのか。その理由として、富裕層が貧困層と場所やサービスを共有する機会がどんどん減ってきているという事実があげられている。公立学校やその他の公的サービスが衰退するにつれ、余裕のある人々は子供たちを私立学校に通わせ、余暇を地域の公園ではなく、ヘルスクラブなどの公でない場所で過ごすようになっている。バスにも地下鉄にも乗らない。種々雑多な人々の住む地区を離れ、遠い郊外か、周囲をフェンスで囲った高級住宅街か、守衛のいるアパートメントに移り住み、はやりの「市場細分化」に合わせて、富裕層ばかりに訴えるよう企画された店で買い物をする。富裕層は若者でさえ、夏にライフガードやウェイトレスやリゾートホテルの清掃係などをして、「恵まれない人々」がどんな生活を送っているのかを学ぶことが、ますます少なくなってきている。

日本はアメリカを標榜し、アメリカを追従する形で戦後を送ってきた。なぜならアメリカは自由で公正であると云う前提があったからだ。こうした前提に基づき、アメリカに追従する形で法改正をし、政策を実施してきた部分は数え切れないものとなっているハズだ。この流れで我々は派遣労働法や介護保険、そして年金等を改訂し、郵政なんかも解体しちゃった。

日本がキリスト教原理主義者たちによって乗っ取られる可能性は低いと思うが、新保守主義者たちによって政策立案や実行されていないと云う保証はないのだ。エーレンライクが云うように僕たちも、自分たちの社会で実際に起こっている事をちゃんと理解しようとしていなかったり、不平等から目をそらしてしまっていないだろうか。本当に民意に沿った選択が行われているかチェックできる仕組みを構築できているのだろうか。エーレンライクは共に働いた時に知り合った人たちと連絡を取り続けているようだ。相変わらず非常に厳しい生活からは抜け出せていないようだが、健気に逞しく生きているのはせめてもの救いである。

子供たちのために何があっても社会をこんな風にボロボロにしてしまう事がないようにしたいと思いました。


「スーパーリッチとスーパープアの国、アメリカ」のレビューはこちら>>


「荒廃する世界のなかで」を語ろう」のレビューはこちら>>


△▲△

犬の力(The Power of the Dog)」
ドン・ウィンズロウ(Don Winslow)

2009/09/22:ドン・ウィンズロウの新刊なので有無を云わず飛びついた。翻訳も東江一紀さんだし。なんと言ってもウィンズロウと云えば、ニール・ケアリーシリーズで、カミさんと二人で奪い合って読んだほど大好き。そしてニール・ケアリーと云えば東江さんにつきるのである。勿論その他のウィンズロウの作品も全部読でいる。しかし、僕は一つの不安を抱えていた。

僕ら読者の側が9.11以降アメリカ合衆国の化けの皮がずるりと剥け落ちて、その本性が見えた事で世の中が違って見えるようになってしまった。ウィンズロウの経歴はご本人のウェブサイトを覗いてもほとんど何も分からないが、僕は彼が何らかの合衆国の息が掛かった国外活動組織で仕事をしていたのではないかと思っている。こうした事を考え合わせるとウィンズロウは果たしてどっち側の人間なのかと云う問題を先ず見極める必要があると云う事だ。

最近の例では、フレデリック・フォーサイスが「褐色の元SAS大佐」等という、なんともがっかりなキャラクターを主人公に据えていたり、デイヴィッド イグネイシアス(イグネティウス、なんて一体全体何人なんだよ。ギリシャ人か?)。ジャーナリストだなんて云う肩書きを利用し、ブッシュUやポール・ウォルフォウィッツの片棒を担いで、イラク戦争が『現代における最も理想主義的な戦争』であるなんて云う事を油断している人々の耳元で繰り返しているような輩が書いた「ワールド・オブ・ライズ」のような糞を掴んでしまう可能性だってあるのである。

ご丁寧に「ワールド・オブ・ライズ」は映画にもなって気がつかずにいる大勢の人たちに「糞をまき散らしている」訳で、リドリー・スコットや、ラッセル・クロウ、そしてレオナルド・ディカプリオらは、金のためなのか本人の信条に基づいているのか知らないけれど、同じく片棒を担いでている事に違いはなく、僕自身はハリウッド映画にこれ以上身銭を切る価値はないとも思っている。

まぁそれは兎も角、いつから読書はこんな警戒心が必要になってしまったのだろうか。仮にウィンズロウの本でそんな本性が見えてしまったら、こんなに残念な事はないだろう。寧ろそれなら知らずにいた方がマシだ。つまり僕の不安というのはそのようなものだ。

1997年メキシコ、バハカルフォルニア州エルサウサル。DEAの捜査官であるアート・ケラーは無惨に惨殺された19名の老若男女の屍を前にして呟く。
「私の落ち度だ」凄惨なこの事件を引き起こした「原罪」1975年の事件へと物語は一気に遡っていく。その事件とはコンドル作戦と名付けられたもので、表面上、名目上はメキシコ政府の軍によって、シナロア州の谷間の広大な罌粟畑を焼き払おうとするものだが、この作戦の実権は「顧問」として参加しているDIAが握っており、そのDIAのメンバーの大半はCIA出身者なのだった。

この罌粟畑をはじめとするシナロア州の麻薬を牛耳っているのは、ドン・ペドロ・アビレスであり、この男はラスヴェガスを作った男、バグジー・シーゲルへの麻薬の供給者だ。アメリカ政府としては麻薬の供給源を断つと云う目的があった訳だが、メキシコ側からみれば軍や警察、政府組織にも根深く入り込んだ、麻薬カルテルの後釜争い、それもこれまで以上に大量の麻薬と金と流血を呼ぶ事態の幕開けなのだった。

特殊部隊から派遣されてきた、サル・スカーチは、

本気で、ベトコン殺しを”神から仰せつかった仕事”だと考え

共産主義者は無神論者で、教会を滅ぼそうとしている

と信じていた。

だから、われわれは教会を守るために戦っていて、それは罪どころが、キリスト教徒としての義務なのだ

アート・ケラーはカトリック教徒だったが、スカーチの持つ極端な信条に驚く。

「開けゴマ!」ウィンズロウは合格である。僕は何よりこの合い言葉のようなサインを嗅ぎ取ったことが嬉しかった。

あとは、ストーリーに専念して我を忘れて没頭するのみである。


バハ・カリフォルニア州エルサウサル(El Sauzal)


大きな地図で見る


モンロー主義によって、より具体的には、1823年のモンロー・ドクトリンによって中南米諸国に対するヨーロッパの介入を牽制したアメリカはこれらの国々に対する実質的な植民地化が進められ、反共のなのもとに武器や資金を送り込んでは、自分たちの意に適う政権・政策を立てさせてきた。そしてその目的達成の為には手段を選ばず、なりふり構わずで、反政府系のゲリラに肩入れして、政府を転覆させるような事だってお手の物。他国の地で好き勝手な行為を我が物顔で行ってきた。

オスカル・ロメロ(Oscar Arnulfo Romero y Galdamez)はエルサルバドルのカトリックの大司教であったが、国が行っている不正や、拷問や暗殺に反対し、アメリカの時の大統領、ジミー・カーターにも現政権への支援を止めるよう手紙を書いたりしていたが、1980年ミサの最中に何者かによって銃撃され死亡した。ミサの最中に銃撃すると云う非道この上ない行為を行った犯人を国連は、後に政権を握った国民共和同盟 (ARENA)の手によるものと認定した。そしてこの暗殺に関わったものは、「アメリカ陸軍米州学校」(U.S.Army School Of the Americas, SOA)で尋問・拷問・暗殺などの具体的な方法について学んだものだったという。

本書に登場するファン・パラーダはまるでこのロメロを彷彿とさせるような人物だ。

「−−−何百万ものメキシコ人の魂を救済する好機なのだ」
「魂など救済せんでよろしい!」パラーダはがなる。「メキシコ人を救済しなされ!」
「それは、きみ、まったくの異端だぞ!」
「異端で結構!」

ウィンズロウ、東江さん万歳。

gilligan's island



アダン・バレーラは次のような事を思い浮かべてほくそ笑む。

ケラーが復讐にこだわっているおかげで、短期的には経費がかさむものの、長期的には利益が増す。その辺がアメリカ人にはまったく理解できないらしい。連中のやることひとつひとつが商品の値を吊り上げ、おれたに儲けをもたらす。もし、連中がいなければ、どんなばかでも、おんぽろトラックや水漏れする旧式ボートを使って、国境の北に麻薬を持ち込むことができる。そうなったら労力に見合わないほど値が下がってしまうだろう。しかし、今の状態なら、麻薬の移送には何百万ドルもかかるので、いきおい価格は天井知らずになる。簡単に手にはいるはずの品物を、アメリカの捜査官たちが貴重な商品に変えているわけだ。

シウダー・フアレス(Ciudad Juarez)


大きな地図で見る

ウィンズロウがこれまでの作風を一変させている事に驚いた。麻薬組織の内情や麻薬戦争の実態、そして金を目当てに国境を跨いで暗躍する奴ら。

まるでジェイムズ・エルロイの「アメリカン・タブロイド」、「アメリカン・デストリップ」のように、史実・事実の間隙を埋め、見事なストーリー展開を紡ぎ出している。

登場人物は殆どすべてが架空だが、そこで繰り広げられているような行為はすべて殆ど現実に起こってきた事に近いものと受け取っても構わないだろう。

しかもその抗争、特に「シナロア・カルテル」と「フアレス・カルテル」の間では更に激化し、シウダーフアレスはメキシコで最も危険な街となった。ニュースによれば、麻薬密輸組織どうしの抗争、治安当局への報復攻撃などによって、メキシコ全土でこれまでに5千人以上の人命が失われているのだそうだ。

果たして本当の原罪はどこにあるのか。

ニール・ケアリーシリーズのレビューはこちら>>

「フランキー・マシーンの冬」のレビューはこちら>>

「サトリ」のレビューはこちら>>

「夜明けのパトロール」のレビューはこちら>>

「野蛮なやつら」のレビューはこちら>>

「紳士の黙約」のレビューはこちら>>

「キング・オブ・クール」のレビューはこちら>>

「ザ・カルテルこちら>>

「報復」のレビューはこちら>>
△▲△

アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?
(Hijacking America
(On the take-over of America by the religious and secular right with the aim of destroying enlightenment and civilization))」
スーザン・ジョージ (Susan George)

2009/09/20:ビン・ラディンらしき人物の声で録音された音声がネットに配信されているそうだ。その声が指摘しているのは、パレスチナの占領を続けているイスラエルとアメリカの親密な関係への警告とされ、オバマ米大統領を「戦争を止めることができない弱い男」と批判していると云う。同じく国連の人権理事会はこの時期、イスラエル軍のガザ作戦は「国際法違反」だとその行為を非難する声明を出した。本当はガザ地区での国際法に違反する行為は過去何十年も継続的に行われてきていた訳だが。国連とビン・ラディンらしき人物の主張が同じ相手に対して同じような非難をしていると云うのは奇妙な話しに聞こえるだろうか?

世界の警察を自負していると云うハズのアメリカが何故、国連の決議を蹴飛ばしたり、WTOの決定に異を唱えたりするのであろうか。

オバマ大統領が大統領としては異例だと云う米上下両院合同本会議での演説を行った。演説の内容は、医療保険改革について不退転の決意で望むと云うような事であったらしい。ニュースの映像では、この演説中の大統領に対し「嘘つき!」とヤジが飛んだ。このヤジを飛ばした主は共和党のジョー・ウィルソン(Joe Wilson)下院議員で元は米軍に所属する弁護士でキリスト教の一派である改革長老派に所属する人物らしい。

ニュースでは医療保険に入っていない人たちのために、奉仕で治療をしようと云う活動が行われている様子が映し出されていた。それは野外に巨大なテントを張り、その下で大勢の医師たちが患者を診察していた。ここには保険に入っていない老若男女、車いすの子供までもが長い行列を作っているのである。

嘘をついているのは誰なのだろうか。

9.11の事件が起こった時、テレビには驚くべき光景が映し出されたが、その時僕が思ったのは、一体何所の誰がアメリカに対し、これほどの憎悪を抱いているのだろうか。捨て身でこれほどの事をしでかす程の事を何かされたと云うのだろうか。と云う思いだ。つまり一体何に対して怒っているのかさっぱり解らなかったのである。

ブッシュU(いちいち書くの画面倒くさいので、弟のフロリダ州知事と最高裁を操って大統領に再選されると云う出鱈目を突っ張り通したジョージ・W・ブッシュの事を僕はブッシュUと呼ぶことにしている)が就任演説の時に公共の学校が機能していない。非常に問題があると云うような事を言っていた。そしてオバマ大統領も。

ダーウィンの進化論が完全に証明されていない事と宗教的信条に合致しない事から教科から外すなんて議論が起こっている事は知っていたので、ブッシュUもオバマにせよ、大統領が主張している事もそれに近い事なんかを指しているのではないかなんて思っていた。

つい先日は、ダーウィンの自伝的映画「クリエーション」は、アメリカでは複数の配給会社が、進化論への批判の強さを理由に配給を拒否し上映を見送られる事になる見通しなのだそうだ。

僕は世の中がどのように動いてきているのか全く解ってなかった。何年も何十年も前から着々と進んできたアメリカの変節に全く気づいていなかった。一体何が誰によって進められてきたのか。上記のような出来事が本当はどんな意味を持っているのか。本書「アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?」には、こうした問いのほぼ全ての答えがあった。原題は「ハイジャッキングアメリカ」である。

アメリカ合衆国と云う国は、キリスト教原理主義・新保守主義によってハイジャックされており、こいつらの所業によって、ガザ地区では国連決議を無視して白燐弾などの大量破壊兵器を使用して一般市民を含めた虐殺行為が行われ、また、ずっとずっと昔からアメリカの国益の為に中東で行ってきた非道な行為を繰り返した結果、その仕返しとして9.11は実行されたのであり、医療も学校も、自己責任の名の下に富裕層の減税とセットでその予算を削減し続けてきた結果、国民皆保険は何度も見送られ、公共教育機関はお金が無くてボロボロになったのである。

黄色いレンガの道、或いは白いウサギを追え。

遡るとそれは、一方ではサッチャー主義、さらにフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(Friedrich August von Hayek)とシカゴ・ボーイズに辿り着く。かれらは投資家・企業から金を集め、自分たちの信条に合う研究所やシンクタンクに資金提供し都合のよい結果を世間に垂れ流す。彼らの目的は小さな政府。公共機関はどんどん民営化して政府をバスタブに沈められる位に小さくする事なのである。

大きな政府か小さな政府か、ここ数日随分ニュースで繰り返し聞くフレーズだよな。
 ネオコン系の財団がネオコン系のシンクタンクに資金提供するのは至極当然であり、財団四姉妹の資金提供先は、保守系シンクタンクの「六兄弟」と呼ばれているものに集中している。ヘリテージ財団(The Heritage Foundation)、アメリカン・エンタープライズ研究所(American Enterprise Institute)、スタンフォード大学フーバー研究所(The Hoover Institution on War, Revolution and Peace)、マンハッタン研究所(Manhattan Institute)、ケイトー研究所(Cato Institute)、ハドソン研究所(Hudson Institute)である。

英語名称追加は僕

もう一方の道は、キリスト教原理主義者、再建主義派、カリスマ運動、ペンテコステ派(聖霊降臨派)、千年王国派(ミレニアリスト)、ドミニスト等とイスラム教と同じように様々な宗派に分かれており、その信条もまちまちであるが、原理主義者として聖書を直解し、聖書こそが真の宗教であると固く信じていると云う点では同じだ。

 キリスト教原理主義者たちは、イスラム教の原理主義者たちと、少なくとも一つの点で共通の特徴を持っている。どちらの集団も、自分たちの宗教が支配的にならなければならず、さもなくば世俗主義の邪悪な勢力によって支配されることになる、あるいは−−−もっと悪いことには−−−他の宗教によって支配されることになると信じている。自分たちの宗教だけが「真の」宗教なのである。文化的・歴史的理由からして、キリスト教の狂信主義とイスラム教の狂信主義とはそれぞれ異なった現れ方をするが、同じような結果をもたらす。キリスト教原理主義者が大規模テロに従事することはめったにないが(もっとも、彼らは中絶クリニックを襲撃したり、時には医師を銃で撃ち殺したりしているのだが)、彼らの信念の結果は、イスラム狂信主義者の行動の結果と同じく、文明や社会にとって、そして無数の諸個人にとって破壊的である。そして、キリスト教右派が政治状況を支配するようになればなるほど。低水準の脅迫などを実行する必要性はますますなくなり、政治家たちが自分たちの代わりをしてくれる、しかもはるかに大きな規模でしてくれると、あてにすることができるようになる。

こうした二つの流れが現在のアメリカでは一つのまとまり、あらゆる組織に浸透してきているのである。

例えば、国防副次官補までを務めたウィリアム・ボイキン(William G. Boykin)はブッシュUをして神が選んだ大統領であると云うような、どこか激しく打ち所が悪かったみたいな発言をするヤツなのだが、こいつは実はコロンビアの麻薬王、パブロ・エミリオ・エスコバル・ガビリア (Pablo Emilio Escobar Gaviria)の隠れ家に踏み込んで撃ち殺した作戦や、ソマリアのモガデシュで「ブラックホークダウン」の事件として世に知られた作戦の司令官だ。この男こそ、ならず者国家のならず者の代表格的人物だと僕は思うのだが、キリスト教徒の連合は、こんな男を支持しているのである。狂信的なキリスト教原理主義者が大勢アメリカ軍に入隊していると想像してみよう。そしてそれはまず間違いなく相当の規模で行われているのである。

また、司法制度も滅茶苦茶になっている。

 フォーカス・オン・ザ・ファミリーはまた、2006年1月8日に「ジャスティス・サンデー」運動を組織した。これは、アメリカ全土の何百という教会にいっせいに、司法制度の重要性を礼拝参加者に説明する放送を行うという取り組みである。そうすることで、ブッシュ大統領が連邦最高裁やその他の連邦裁判所に超保守派の判事を指名するのを支援する取り組みを信者の間で強めようというのだ。司法の領域は、まさにキリスト教右派が巨大な成功を収めた分野である(それは、第1章で論じた世俗右派のフェデラリスト協会のおかげでもある)。2006年末までに、ジョージ・W・ブッシュは2名の保守派を最高判事に指名する機会を得ただけでなく、より下級の連邦裁判所の終身判事を250名以上指名する機会も得た。ブッシュによる指名だけで、今や連邦裁判所の全判事職の四分の一以上を満たしており、彼らの影響力はこれから何十年に渡って実感されることになるだろう。

更にはキリスト教原理主義者たちは教会や学校を通して、子供たちに原理主義的信条を根深く教え込んでおり、世俗的世界はこうした事態になかなか歯止めがかけられないでいるのである。

スーザン・ジョージは、こうした事態を「どんどんへんてこ(キュリアサー・アンド・キュリアサー)と呼ぶ。

 本章を読むと憂鬱になるに違いない。書いている私もそうだ。常軌を逸した神学、集団妄想、ありかたりの利己心、これらが組み合わさると、民主主義が不可能なものに思えてくるし、今日の困難な諸問題を解決することなどとうていできないように思えてくる。「諸機関を通じた長征」はついにその最後の数マイルに達したように見える。それでも、いくつかの希望のある徴候を読み取る努力をしよう。なぜならそのような徴候はたしかに存在するからである。

やつらがどんな名前と顔で、何所で名をしようとしているのかをはっきりと識別しよう。そしてスーザン・ジョージに習って、希望のある徴候を読み取る努力を続けよう。
そして、

 アメリカの公的インフラはぼろぼろになっている。公共交通はほとんどないに等しい。公立学校は特定の人種に偏り、しばしば危険である。それは、どうしてこれほど多くのキリスト教右派が在宅教育を選択するかその理由の一端を示すものでもある。まともな医療は、質の高い教育と同様、途方もなく高価であり、普通の低所得家庭にはとても手が出せない。彼らがちゃんと仕事を持っている場合でさえそうなのだ。主の再臨はそれだけに待ち遠しいものであり、宗教は、この困難な時代に絶望を感じている人々にとっていくらかの慰めを与えるものなのかもしれない。しかし、普通のアメリカ人は、携挙を待ち望んでいる人々も含めて、結局はこの状況のもとで生きていくしかないのだ。
アメリカの内外で生活している人々にとっての政治的課題は、理性の復権を助けることであり、民主主義や法よりも神学や宗教右派の圧力に従っている政治家たちを孤立させることである。

白いウサギを追え。


「これは誰の危機か、未来は誰のものか」のレビューはこちら>>

「ルガノ秘密報告」のレビューはこちら>>

「WTO徹底批判!」のレビューはこちら>>

「金持ちが確実に世界を支配する方法こちら>>

△▲△

セックス・アンド・デス―生物学の哲学への招待
(Sex and Death: An Introduction to Philosophy of Biology)」
キム・ステレルニー(Kim Sterelny)&ポール・E.グリフィス(Paul E. Griffiths)

2009/09/13:言いたい事にもう少しで手が届きそうで届かない。つまり自分で何が言いたいのか分かっているような気がしない。もう少しで分かるような気もするが、気のせいなような気もする。こんなモヤモヤ感を抱かせるのは一冊でありました。

最近の生物学・進化論の本はヘンテコな立ち位置から強引な球を投げてくる輩が紛れているので本を選ぶ時も、選んで読み出しても高い警戒心を持って臨むことにしている。なんだかサバンナで水を飲む動物みたいな感じだ。

本書はやや怪しげな雰囲気が漂っている。「セックス・アンド・デス」電車で鞄から出すのにやや憚られるタイトル。しかも何故ショッキングピンク。警戒しつつ読み進む。結果的には極端に偏っている事はないものの、どうも主旨が解らない。解らないと思っていたら、肝心な部分で読み違えをしていた。

それは副題となっている「生物学の哲学」と云うものが一つの学問領域、一つの名詞である事に気がついていなかったと云う事だ。僕は著者の二人が生物学者で、この二人が生物学的見地から哲学的問題を語っているのだと思っていたら、お二人は「生物学の哲学」を専門とする学者であり、この「生物学の哲学」の分野における最新のトピックを横断的に紹介しようと目論んだ本なのでありました。

僕は、文中に度々登場する「我々は」と云うのが著者の二人を指していると思って読んでは、あちこち躓いて膝小僧が擦り傷だらけになっちゃった気分だ。「生物学の哲学」と云うのが一つの分野だったとは。びっくりだよ。

本書の導入部分にはこんな事が書いてあった。

 この本の目的は、生物学の哲学における主要な議論を紹介することにあるのであって、こうした議論に関連するより広い哲学的問題に直接答えるものではない。よってこの導入部は、そうしたより広範な哲学的問題と、本書の後の章で論じるトピックの間のつながりをスケッチすることにあてたい。それには例えば、次のような問題があるだろう。

・本質的な「人間性」なるものはあるのか?
・真の利他行動は可能か?
・人間は遺伝子によってプログラムされているのか?
・生物学は、心理学や社会科学における問題に答えを与えることができるか?
・環境保全論者は何を保全すべきか?
 これらは、経験的な問題でもあり、概念的な問題でもある。そしてそれゆえに、こうした問題には生物学の哲学が関わってくるのである。

「生物学の哲学」には、「の」が入っている為、なんとも理解しづらくなるのだが、生物の本来の在り様から、哲学の修正を迫ろうとしているものらしいのである。

現在、ウィキペディアには「生物の哲学」と云うページがあり、そこには

 生物学の哲学または生物哲学(英: Philosophy of biology、稀にバイオ・フィロソフィ)は、科学哲学の分野の一つであり、生物学や医学における認識論的、形而上学的、倫理的な問題を取り扱うものである。

と掲載されている。「生物学の哲学」は生物学ではなく、哲学の一分野。どうやらこの分野には、哲学寄りの生物学者や、生物学寄りの哲学者がいて、そこで交わされている主な議論なのだそうだ。

分かりにくいものの原因として先ずは生物学そのものの混乱と云う問題がある。本書でも大きく取り上げられている進化や遺伝。これらの曖昧な概念は生物学では非常に多岐にわたり細かく細分化された研究分野の中で、または互いに角を突き合わせた激論が続いている。

例えば僕と娘。娘の外見は殆どカミさん譲りだが、爪や舌の形は僕にそっくりなのである。カミさんの皮を被ったおやじだと言ったら泣かれた。それは兎も角この誰某似は体質・外見から行動まで幅広い目線で発現するものだが、これは何によって遺伝しているものなのか。しかし何も泣くことはないと思うが。

このわかりにくさは生物分類一つとっても素人には何が何だか分からない状態だ。何所で分岐して幾つの幹と枝に、そしてそれは何時分かれたのか。詳しくみていくと、藻類や古細菌などまだまだ分類整理が必要な生きものが沢山いる上に、サルパ動物やミトコンドリアみたいな生物の単位を怪しくするもの、ヴィルスみたいな生物と無生物の境界を朧気にするものなんてものもいて、そもそも「生命」とか「生きている」と云う状態は何を指すのか、というよりも言葉の定義の方に問題があると考えるべきなのではないかと云うややこしさなのである。

これと同等のややこしさを持っているのが生物学の主義主張だ。この主義主張は生命樹に負けず劣らず激しく分化して盛衰を極めている。誰か生命樹のように分かりやすい生物学樹を書いてくれる人がいたらいいのにと思うくらいである。個人的には、「生物学は進化している」とか言って面白がっている訳でもあるが。

こうしたぐらんぐらんしている生物学を踏み台にしている事「生物学の哲学」は全体的に非常に危うい感じがするのは要らぬ心配だろうか。

また「生物学の哲学」が追い求めていると云う「人間性」や「意識」や「生命」と云ったものが生物学の延長線において明らかになると云う「前提」があると言っているようなのだが本当にそうだろうか。物理学は確かに哲学に大いなる影響を与えた。それは物理学は世界の在り様が明らかになるにつれて僕たちの存在そのものや生き方に影響を与えたのであって、哲学的な答えを物理学が持っていた訳ではない。

僕には生きものの体をどんなに細かく切り刻んでもそんな答えが得られるとは思えない。同じように「人間性」や「意識」が何によって発現しているかも。遺伝子なのか、DNAなのか、遺伝情報なのか、或いはもっと違うレベルで生み出されているかなんて事は分離できるものではなく、要はロバート・M・パーシグの言うところの「クオリティ」じゃないのかと僕は思うのだが。どうなんでしょうねぇ。


△▲△

地下街の雨」宮部みゆき

2009/09/06:宮部みゆきにすっかりのめり込んだカミさんは猛烈な勢いで宮部作品を読み進んでいる。彼女は僕よりもずっと集中力があって、読むスピードも速い。仕事が休みの日に本を文字通りほぼ丸一日読んでいる日もあるのだ。それは僕にはとても真似の出来ない事だ。ちょっと余談だが、読書スピードを上げるためには、まず呟くように音読しているなんてのは以ての外で、声に出さないまでも頭の中でも音読しないようにするといいそうだ。僕の場合、込み入った文章はやはり目で追うだけではなく、どうしても頭の中では音読してしまっていたようだ。

文の冒頭の一文字だけ読むとか、意味のない言葉をマントラのように唱えながら読むとスピードが上がるらしい。勿論頭の中だけでだが。ちょっとアホらしい手だが少し練習するだけである程度は読むスピードを早める事ができるようになってきた。仕事で読む本の場合、解っている事やあまり関係がなさそうなところを飛ばしたりしつつ、この方法を使う事でかなりちゃんと読めるのである。8月は仕事関係の本も含めて一か月で15冊以上の本を読んだ。この位が僕にとって情報量の限界ではないかと思う。レビューを整理する時間の関係からいってもかなりギリギリだろう。

読みたい本が尽きることはなく、限られた時間でどんな本を読んでいくか。本書は1994年に刊行された短編集。宮部作品に対して僕は周回遅れも甚だしい最後尾からの参加なので今頃こんな本を読んでいるという訳なのだ。

収録されているのは、
「地下街の雨」
「決して見えない」
「不文律」
「混線」
「勝ち逃げ」
「ムクロバラ」
「さよなら、キリハラさん」
の7編である。

短編集の面白さは、長編小説とはまた別の唐突感と云う愉しみがある。その面白さは、筒井康隆であったり、ジェラルド・カーシュもそうであるように、当該の作品はどんな時代で、どんなジャンルの物語なのかわからないその世界へ飛び込んでいく意外感である。この「地下街の雨」は正にそんな感じの構成になっている。幻想小説なのか、リアルな犯罪小説なのか、それともまた別の物語なのか、読者はその物語が幕を閉じるまで知らぬままその着地点まで飛翔するのである。飛び立つ為に必要なものは、ただ作者に対する信頼があればよいのである。

会社を辞め八重洲の地下街の小さな喫茶店でウェイトレスのバイトを始めた麻子は、度々やってくる女性客と知り合いになった。彼女は自分にもあるような心の傷を抱えているらしい。しかし、彼女は意外な本性を持っていた。代表作の「地下街の雨」をはじめ宮部みゆきは「予想通り」、予想外の場所に連れ出してくれるのでありました。


「黒武御神火御殿」のレビューはこちら>>

「きたきた捕物帖」のレビューはこちら>>

「あやかし草紙」のレビューはこちら>>

「三鬼」のレビューはこちら>>

「あんじゅう」のレビューはこちら>>

「かまいたち」のレビューはこちら>>

「ソロモンの偽証」のレビューはこちら>>

「ばんば憑き」のレビューはこちら>>

「ぼんくら」のレビューはこちら>>

「あかんべえ」のレビューはこちら>>

「模倣犯」のレビューはこちら>>

「初ものがたり」のレビューはこちら>>

「平成お徒歩日記」のレビューはこちら>>

「地下街の雨」のレビューはこちら>>

「火車」のレビューはこちら>>

「弧宿の人」のレビューはこちら>>

「魔術はささやく」のレビューはこちら>>

「小暮写眞館」のレビューはこちら>>

「チヨ子」のレビューはこちら>>

「堪忍箱」のレビューはこちら>>



△▲△

9・11―アメリカに報復する資格はない!(9.11)」
ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)

2009/09/06:ノーム・チョムスキーの本を読む行為は他の大抵の本を読むのとは段違いの「体力」のようなものが要求される。それと集中力も。スポーツのようなものだと思えばいいのだろうか。ちょっとでも気をそらすと、何が書いてあるのか、チョムスキーが何を言っているのかがわからなくなる。
訳者の山崎淳氏は訳者あとがき・解説でこんな事を書いていた。

 原稿を一読して、驚いた。言語学者は世界政治の現実を曇りのない目で直視する政治学者でもあったからだ。本書を読まれた方の大半がそうであろうと想像するのだが、チョムスキーがつかみ出して、見せてくれる世界像、米国像は、米国や日本のいわゆる「主流」の新聞雑誌が描くそれとはまったく違うものである。私は、つい二年ほど前まで、20年間ほど毎週欠かさず「タイム」と「ニューズウィーク」を読んでいた。国際情勢の推移については、多少の知識はある、と思っていた。米国の事情にもある程度通じているつもりだった。しかし、実際は、多くのアメリカ人がそうであるように、本当のことはは何も知らなかったのである。私が、いかに迂闊であり、目が節穴同然だったか、本書はそれをみごとに証明してくれた。目から鱗が落ちた。本書を翻訳しながら、チョムスキーの他の本も読んでみた。ますます、その犀利なアメリカ分析に感じ入った。
アメリカの大学で教え翻訳家として立つ山崎氏のような人物ですら驚くのであれば、こんな僕がびっくりするのは当然なのだろうと思うと少し安心する。


第1章 真珠湾と対比するのは誤り
第2章 ブッシュが取るべき方法
第3章 なぜ、世界貿易センタービルか
第4章 アメリカは「テロ国家の親玉」だ
第5章 ビンラディンの「罠」
第6章 これは「文明の衝突」ではない
第7章 世界に「明日」はあるか

付録 世界のテロリスト集団

本書は、2001年9月11日に起こった世界貿易センタービルとペンタゴンに対するテロの直後から様々なメディア、インタビューアーが行ったノーム・チョムスキーへのインタビューを編集してまとめたものだ。殆どのインタビューはEメールでやりとりされていたようだ。最初は事故かと思われた旅客機の突入が二機目になりに及んで、一体全体何が行われているのかと固唾を飲んで事の成り行きを見つめた事は昨日のことのように思い出される。意図的に突入している。だとしたら一体誰がどんな目的で行っているのか。刻々と情報が更新され事態が動いているなかで、チョムスキーへインタビューを試みた人たちはどんな質問をぶつけていたのだろうか。そしてそれに対するチョムスキーの答えはどんなものだったのだろう。

アメリカは、グローバライゼーションの過程を仕切ろうとして問題を抱えているのではないでしょうか?
見て見ぬふりをしてきた米国の諜報機関の役割について何かお話しください。
アメリカの人々はこのことを理解できる教育を受けていますか?原因と結果について気づいていますか?
アメリカ政府の反応をどう見ますか?政府は誰の意見を代表しているのですか?
米国が「テロ国家の親玉」だというあなたの発言は、多くのアメリカ人に衝撃を与えるかもしれません。このことをもっと詳しくお話くださいませんか。

チョムスキーの答えを読むと、そこからは聞いたこともなかったような事実が機関銃の弾丸のように飛んでくる。驚く間もなくこちらは蜂の巣状態となって自失呆然となってしまうのである。こんな風に唖然とするような事実の開示はチョムスキーのどの本を読んでも同様なのだが、本書で特に驚かされたのは、1998年8月20日にアメリカが行ったスーダンに対する爆撃の話である。

この事件はこれに先立つ1998年8月7日、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの首都ダルエスサラームのアメリカ大使館で爆破テロが行われ、ナイロビでは大使館員と民間人など291名が殺害され、5000名以上が負傷、ダルエスサラームでは10人が死亡、77人が負傷するという事件が発生した。

朧気に記憶がある事件だ。これに対しアメリカはスーダンの首都ハルツーム郊外20キロにあり、アルカーイダの拠点と断定された化学兵器工場と、アフガニスタンのテロリスト訓練キャンプに対し、インド洋に展開している海軍艦艇からトマホーク巡航ミサイル数発で攻撃した。明確な証拠もないままで、テロに対して報復したこの件に対しチョムスキーは、IRAのテロに対して西ベルファストを爆撃したり、資金援助をしているからといってボストンを攻撃したりしないだろう。オクラホマ・シティの連邦ビル爆破事件に対して、アイダホやモンタナを攻撃しようという声が上がらなかったのに、何故スーダンを爆撃したのかと言っている。

その上、この科学兵器工場とされたアル−シーファ工場は、現実には薬品とミルクを製造し、スーダンの需用の1/3を賄っている重要な施設であったのだ。

ハルツーム


大きな地図で見る

ジョナサン・ベルケ

 「命を救う機械(破壊された工場)の生産が途絶え、スーダンの死亡者の数が静かに上昇を続けている・・・・・・こうして、何万人もの人々−−−その多くは子供である−−−がマラリア、結核、その他の治療可能な病気に罹り、死んだ。[アル−シーファは]人のために、手の届く金額の薬を、家畜のために、スーダンの現地で得られるすべての家畜用の薬を供給していた。スーダンの主要な薬品の90%を生産していた・・・・・・スーダンに対する制裁措置のため、工場の破壊によって生じた深刻な穴を埋めるのに必要な薬品を輸入することができない・・・・・・1998年8月20日、米国政府が取った作戦行動はいまだにスーダンの人々から必要な薬品を奪い続けている。何百万人もの人々が、ハーグにある国際司法裁判所は今度の設立記念日をどのように祝うつもりか、訝しく思っている。」

ヴェルナー・ダウム−ドイツの駐スーダン大使

 「アル−シーファ工場の破壊の結果、この貧しいアフリカの国で何人の人が死んだか正確に定めるのは困難である。しかし、数万人というのは納得できる推定に思われる。」

この工場が壊滅した事によって多くの人が死に追いやられていると云う現実について、注意深く情報の海に探りを入れない限り僕らは知らされないままでいるのである。
それに対してチョムスキーは驚愕する事実に言及している。

 そのような結果が続いている限り、スーダンの犯罪をムルンバの暗殺に比べることもできる。あの暗殺でコンゴは数十年にわたる殺戮の時代に突入し、それはいまだに続いている。あるいは、1954年に起きたガテマラの民主政府の転覆でもいい。この結果、40年にわたる虐殺行為の時代が始まった。ほかにもこのような例は枚挙に暇がないほどである。

 1998年のミサイル攻撃の直前、スーダンは東アフリカのアメリカ大使館を爆破した容疑で二人の男を拘束し、米国政府に通報した。米国の役人も確認した。しかし米国はスーダンの申し出を拒否した。ミサイル攻撃の後、スーダンは容疑者を「怒って釈放した」。二人は、その後ビンラディンの工作員であることが判明している。最近リークされたFBIのメモはスーダンが「怒って釈放した」理由をもう一つ加えている。メモが明らかにしているのは、FBIは容疑者の引渡を望んだが、国務省は拒否した。ある「上級CIA」筋はこのことと、スーダンの申し出をほかにも断ったことについて、9月11日の「恐るべき事件全体における情報活動の最悪のどじ」だと語っている。「いま現在あれが全体を解く鍵なのだ」スーダンが提供しようと申し出たのは、ビンラディンに関する膨大な証拠だった。「上級CIA」筋は、申し出を何度も断ったのは、政府がスーダンに「理屈に合わない憎しみ」を抱いていたからだ、と報告している。


このスーダンの事件で起こした「最悪のどじ」によって、9.11のテロは本当であれば防げたハズであったと云う事に言及しているのである。未読だが、先般出版されたローレンス・ライトの「倒壊する巨塔」はこのCIAとFBIなどのアメリカの政府組織の確執に迫る内容になっている模様だ。事件後1ヶ月間の間でやりとりされたメールにチョムスキーはここまで見通しているのである。

チョムスキーの本はどれも一読して通りすぎるには重すぎる情報の嵐だ。嵐に飲み込まれ、そこで直視させられる醜い現実に僕は吐き気すら覚えるのだ。

「第二次世界大戦後、米国が戦争爆撃をした国
中国(1945−46、1950−53)、朝鮮(1950−53)、ガテマラ(1954、1967−69)、インドネシア(1958)、キューバ(1959−60)、ベルギー領コンゴ(1964−)、ペルー(1965)、ラオス(1964−73)、ベトナム(1961−73)、カンボジア(1969−70)、グレナダ(1983)、リビア(1986)、エルサルバドル(1980年代)、ニカラグア(1980年代)、パナマ(1989)、イラク(1991−99)、ボスニア(1995)、スーダン(1998)、ユーゴスラビア(1999)、そして、現在、アフガニスタン」(アルンダディ・ロイ:ピーナッツ・バターにまみれた野蛮)

最後に付録 世界のテロリスト集団にあったFTOのリストはやや古かったので最新のものを追加しておく。勿論そのリストにアメリカが自分自身を書き込む日が来ることはきっとないだろう

Groups currently designated as Foreign Terrorist Organizations

1.Abu Nidal Organization (ANO) (International, Palestinian)
2.Abu Sayyaf Group (ASG) (Philippines)
3.Al-Aqsa Martyrs Brigade (Palestinian)
4.Al-Shabaab (Somalia)
5.Ansar al-Islam (Iraqi Kurdistan)
6.Armed Islamic Group (GIA) (Algeria)
7.Asbat an-Ansar (Lebanon)
8.Aum Shinrikyo (Japan)
9.Basque Fatherland and Liberty (ETA) (Spain, France)
10.Communist Party of the Philippines/New People's Army (CPP/NPA) (Philippines)
11.Continuity Irish Republican Army (CIRA) (Northern Ireland)
12.Gama’a al-Islamiyya (Egypt)
13.HAMAS (Islamic Resistance Movement) (Palestinian)
14.Harakat ul-Jihad-i-Islami/Bangladesh (HUJI-B) (Bangladesh)
15.Harakat ul-Mujahidin (HUM) (Pakistan)
16.Hizballah (Party of God) (Lebanon)
17.Hizbul Islam (Somalia)
18.Islamic Jihad Group (Palestinian)
19.Islamic Movement of Uzbekistan (IMU) (Uzbekistan)
20.Jaish-e-Mohammed (Army of Mohammed) (JEM) (Pakistan)
21.Jemaah Islamiya organization (JI) (South East Asia)
22.al-Jihad (Egyptian Islamic Jihad) (Egyptian Islamic Jihad) (Egypt)
23.Kahane Chai (Kach) (Israel)
24.Kongra-Gel (formerly Kurdistan Workers' Party) (KGK, formerly PKK, KADEK, Kongra-Gel) (Turkey, Iraq, Iran, Syria)
25.Lashkar-e Tayyiba (Army of the Righteous) (LT) (Muridke, Pakistan)
26.Lashkar i Jhangvi (Pakistan)
27.Liberation Tigers of Tamil Eelam (LTTE) (Sri Lanka)
28.Libyan Islamic Fighting Group (LIFG) (Libya)
29.Moroccan Islamic Combatant Group (GICM) (Morocco)
30.Mujahedin-e Khalq Organization (MEK) (Iran)
31.National Liberation Army (ELN) (Colombia)
32.Palestine Liberation Front (PLF) (Palestinian)
33.Palestinian Islamic Jihad (PIJ) (Palestinian)
34.Popular Front for the Liberation of Palestine (PFLP) (Palestinian)
35.PFLP-General Command (PFLP-GC) (Palestinian)
36.Tanzim Qa'idat al-Jihad fi Bilad al-Rafidayn (QJBR) (al-Qaida in Iraq) (formerly Jama'at al-Tawhid wa'al-Jihad, JTJ, al-Zarqawi Network) (Iraq)
37.al-Qa’ida (Global)
38.al-Qa’ida in the Islamic Maghreb (formerly GSPC) (The Maghreb)
39.Real IRA (Northern Ireland)
40.Revolutionary Armed Forces of Colombia (FARC) (Colombia)
41.Revolutionary Nuclei (formerly ELA) (Greece)
42.Revolutionary Organization 17 November (Greece)
43.Revolutionary People's Liberation Party/Front (DHKP/C) (Turkey)
44.Shining Path (Sendero Luminoso, SL) (Peru)
45.United Self-Defense Forces of Colombia (AUC) (Colombia)

「壊れゆく世界の標」のレビューはこちら>>

「誰が世界を支配しているのか?」のレビューはこちら>>

「複雑化する世界単純化する欲望」のレビューはこちら>>

「我々はどのような生き物なのか」のレビューはこちら>>

「チョムスキーが語る戦争のからくり」のレビューはこちら>>

「現代世界で起こったこと」のレビューはこちら>>

「グローバリズムは世界を破壊する」のレビューはこちら>>

「すばらしきアメリカ帝国」のレビューはこちら>>

「メディアとプロパガンダ」のレビューはこちら>>

「破綻するアメリカ 壊れゆく世界」のレビューはこちら>>

「チョムスキー、アメリカを叱る」のレビューはこちら>>

「9・11―アメリカに報復する資格はない!」のレビューはこちら>>

「「チョムスキーの「アナキズム論」」のレビューはこちら>>


△▲△

ナイロビの蜂(The Constant Gardener)」
ジョン・ル・カレ(John le Carre)

2009/09/05:前にも書いたが、「パーフェクト・スパイ」を読んで脈々と成長してきたエスピオナージュと呼ばれる小説世界は一つの頂点を極めてしまい、これ以上のものはもう望めないだろうと云う勝手な思いこみをし、勿論それにはソ連が崩壊し米ソが水面下で繰り広げてきたであろうと云う諜報活動が無用のものになってしまった事もあった訳で、現実の世界もスパイが不要となり、彼らは誰もが引退して静かな暮らしをするのだろうとも思った事もあって、エスピオナージュと云う小説は書店の本棚のなかで小さく萎びて枯れてしまう運命にあると思った。

大好きだったレン・デイトンのバーナード・サムスンは名前からして大味で、なんだかその行く末にあまり興味を持てずシリーズ半ばで離脱してしまった。ジョン・ル・カレの「ロシア・ハウス」も読もうかどうしようか考えている間に映画化されてしまい、そしてそれはなんだかラブロマンスみたいな売り方をされていて、果たして手を出して良いものなのか逡巡してしまった。

「パーフェクト・スパイ」以前と云うか「トゥインクル・トゥインクル・リトル・スパイ」以前、ル・カレとデイトンは競い合うように作品を出し合い、その面白さは拮抗していたと思う。

初期の頃の作品においてはデイトンの方が明らかに上だったとすら感じる。「イプクレス・ファイル」や「海底の麻薬」は本当に面白くてくり返して読んだものだ。特に「海底の麻薬」はとうの昔に絶版されていて、古本屋さんの本棚で発見したものなのだが、見つけたときは思わず声を上げてしまうくらい嬉しかったよ。

しかし、やがてル・カレは見事に織り込まれたプロットの手練手管をみせはじめるのである。「リトル・ドラマー・ガール」を推す人が多いようだが、僕個人としてはジョージ・スマイリーとカーラの宿命がぶつかり合う「スクールボーイ閣下」がやはり好きだ。「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」、「スクールボーイ閣下」そして「スマイリーと仲間たち」はスマイリー三部作と呼ばれるエスピオナージュの宝石なのである。

そんな具合に、足の先から頭までどっぷり浸っていた一つの小説ジャンルが頂点を向かえて枯れていくのを目の当たりに見た。と思った訳だが、それは咲いた花が散るように、ものの理に適っているように見え僕は振り返る事もなくその場から離れてしまった。

ちょっと前だが、居間でテレビを点けたら丁度ケーブルの映画チャンネルで「ナイロビの蜂」がはじまるところだった。おぉ。これはあの懐かしいル・カレじゃないですか。なんて懐かしさで観始めたのだが、心の片隅には、観てもいないのに勝手にラブロマンスチックな映画であろうと決めつけている「ロシア・ハウス」のような映画なのだろうと思っていたのだが、なんだか勝手が違う。

ハッとさせられるような切り口でこの世界の暗部に深く深くぶっすりと刺さるものを持っていたのである。

これはうっかりしていた、と思った。自分なりに問題意識を持って読む本を選んできたのに。してしまった事で後悔する事は枚挙に暇がないか、しなかった事で後悔する事は少ないと思う自分だが、しまった自分は一体これまで何を読んできたのだろう後悔して反省させられる程の出来映えだったのである。

折しも出版された「サラマンダーは炎のなかに」に僕は飛びつき、以来ル・カレの教えに従ってノーム・チョムスキー、スーザン・ジョージそしてアルンダディ・ロイと云う黄色いレンガを辿る事ですっかり世の中が違って見えるような読書体験をさせて頂いている。ル・カレはまだまだ健在で精力的に新作を繰りだしてきている。時間があるときには、是非未読の作品に触れておきたいと常々思っていた。と云う事でとっても前置きが長くなったが「ナイロビの蜂」である。映画を観てから原作を読むのは久々だったけど、主人公たちがまんま映像となって現れるのはなかなか楽しい経験だよね。

 その知らせは、月曜の朝九時半にナイロビの高等弁務官事務所を直撃した。サンディ・ウッドロウは、顎を引き、胸を突き出し、それを弾丸のように受け止めた。イギリス人の分裂した心をまともに撃ち抜かれた。彼は立っていた。そこまではあとで思い出した。立っていたところへ内線電話が鳴ったのだ。



大きな地図で見る


その知らせとは、テッサ・クエイルがトゥルカナ湖の東岸で殺されたと云うものだった。敢えて登場人物のリストが用意されていない本書において、テッサやサンディ・ウッドロウと云うのがどんな人であるかとか云った事を書き出すのは無粋だろう。この導入部の見事さは可能な限り事前情報を抑えて臨んで頂きたいと思う。

読み進めば読み進むほど、登場人物がまるで生きて本当の人生を歩んだ実在の人物なのではないかと見紛うばかりの深みのある思考と感情を持って浮かび上がってくるのである。

話しとは、この殺されたと云うテッサ・クエイルの死の謎を追っていくうちに、貧困にあえぐアフリカの人々を利用して莫大な利益を貪ろうとしているもの達の存在が浮上してくる事で、一気にエスピオナージュの世界へ引き込まれてしまうと云うものだ。
 「大したことじゃないよ。きみ。落ち着きたまえ。こういったことはときどき起こる。歯磨き粉がチューブからちょっと飛び出したのを戻すだけだ。そりゃ無理だと人は言うが、こんなことは毎日起こっている。奥さんは元気かね?」

高等弁務官事務所も、結核にまつわる件についても完全なるフィクションであると云う異例の作者本人の覚書が添えられた本書は、勿論フィクションであり、フィクションでありながら、一見平穏、何事も変わった事がないような日常が実は非情な意図を持ったものたちの蠢きによって粉々になってしまっているこの現実世界をぐりっと抉り出す事に成功しているのである。この切っ先が向かう奥の奥に潜む「悪」と云うものもは、「サラマンダーは炎のなかに」と全く共通であり、そしてその「悪」はやはり現実に蠢いているのであって、フィクションではない。僕たちが微睡んでいる間も着実にこの世界を破壊し続けているのである。

「シルバービュー荘にて」のレビューはこちら>>

「スパイはいまも謀略の地に」のレビューはこちら>>

「スパイたちの遺産」のレビューはこちら>>

「地下道の鳩」のレビューはこちら>>

「繊細な真実」のレビューはこちら>>

「誰よりも狙われた男」のレビューはこちら>>

「われらが背きし者」のレビューはこちら>>

「ミッション・ソング」のレビューはこちら>>

「サラマンダーは炎のなかに」のレビューはこちら>>

「ナイロビの蜂」のレビューはこちら>>

「シングル&シングル」のレビューはこちら>>

「パナマの仕立屋」のレビューはこちら>>

「われらのゲーム」のレビューはこちら>>

「ナイト・マネジャー」のレビューはこちら>>

「影の巡礼者」のレビューはこちら>>

「ロシア・ハウス」のレビューはこちら>>

「パーフェクト・スパイ」のレビューはこちら>>

「リトル・ドラマー・ガール」のレビューはこちら>>

「スマイリーと仲間たち」のレビューはこちら>>

「スクールボーイ閣下」のレビューはこちら>>

「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」のレビューはこちら>>

「ドイツの小さな町」のレビューはこちら>>

「鏡の国の戦争」のレビューはこちら>>

「寒い国から帰ってきたスパイ」のレビューはこちら>>

「高貴なる殺人」のレビューはこちら>>

「死者にかかってきた電話」のレビューはこちら>>

△▲△

カモメに飛ぶことを教えた猫(Historia de una gaviota)」
ルイス・セプルベダ (Luis Sepulveda)

2009/08/30:僕のなかではブルース・チャトウィンとルイス・セプルベダはセットになっているらしい。特に意識した訳でもなく「ソングライン」に引き続いて手にしていたのはこの「カモメに飛ぶことを教えた猫」であった。何遍も書くが、僕はこのルイス・セプルベダの「パタゴニア・エキスプレス」でチャトウィンの存在をきっちり自覚した。

セブルベダはチリで共産党員であった事から、逮捕投獄された挙げ句に国外追放を受け、出奔先のヨーロッパでチャトウィンと出会い、一緒にパタゴニアへ旅行する計画を立てたりしていたのである。

残念ながらセプルベダのパスポートが取れずその旅は実現する事なく、チャトウィンは1989年1月に世を去ってしまう。

一方、セブルベダは異国の地で雑誌のルポを書いたり、グリーンピースの活動に参加したりする傍ら執筆活動を続け、1989年に出版された「ラブ・ストーリーを読む老人」で本格的な作家活動に入り現在に至っている。

本書「カモメに飛ぶことを教えた猫」は1996年の作である。大西洋をオランダを目指して飛ぶ銀カモメの集団の一羽ケンガーは、ニシンを捕りに海に入った際にタンカーが清掃の為に排出したオイルの波を被り集団からはぐれてしまう。

黒い油にまみれた翼で必死に辿り着いたハンブルグでケンガーは遂に力尽き、一軒のアパートメントのバルコニーに墜落してしまう。バルコニーで微睡んでいたのは、黒猫のゾルバ。ケンガーは、瀕死の状態でゾルバに懇願する。それは、これから生む卵を育てて、生まれてくる子に飛ぶことを教えてくれと云うものだった。ゾルバはこの願いを聞き入れ、ケンガーに誓う。卵は食べずに育てて生まれてきた子には必ず飛ぶことを教えると。

「しかし、港の猫に、二言はない。わしはここに、われらが仲間、ゾルバがひなの誕生まで卵の世話をすることと、同じくわれらが仲間の博士が、そのひょっこ、ひゅっこ・・・・・・要するにその書物で、飛ぶことについてのあらゆる方法を調べることを、命じる。さあ、人間の手による災難の犠牲になったこのカモメに、最後の別れを告げよう。月を見た上げ、港の猫の、惜別の歌をささげよう」

本書に説教くさい解説を加えるのは無粋と云うものだろう。それでも、主義主張の為に熾烈な環境の監獄に投じられたり、国外追放となり故郷に帰る事もままならないような目に遭ったセプルベダが、主義主張を越えて結び付き合う事があってもいいじゃないか。そうした出会いによって、第三者には奇異に見えるような行為に、その価値を見いだし守ろうとするものたちがいる事をもう少し理解する心があってもいいじゃないかと言う時、その全てを見通したような達観した視線の向こう側にある、彼の人生や知識のほんの一部でも想像してみる必要があると思うのである。

ところで牧かほりの絵だが、猫は良いのにカモメがな。西原りえぞうが割り込んできたみたいになっちょるぞ。

「パタゴニア・エキスプレス」のレビューはこちら>>


△▲△

ソングライン(The Songlines)」
ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin)

2009/08/30:「パタゴニア」は多くの人に語られる通りに紛れもなく傑作であったのだが、チャトウィンと言えば「ソングライン」と云う思いが残る。これは僕がチャトウィンの名を知ったのがモレスキンと云う手帳の謂われであった事だろうと思う。モレスキンは、チャトウィンをこんな風に紹介している。

チャトウィンの物語

 このノートブックは、ブルース・チャトウィンのお気に入りで、彼がこのノートブックを「モレスキン」と呼んでいました。しかし、1980年代半ばに、このノートブックは次第に少なくなり、そしてついに完全に消えてしまいました。チャトウィンは著書「ソングライン」の中で、小さな黒いノートブックについて語っています。1986年、フランスのトゥールにある、家族経営の小さな製造業者が倒産してしまった。"Le vrai moleskine n'est plus,"(本物のモレスキンはもう存在しない) : これは彼がいつもノートブックを購入していた、ランシエンヌ・コメディ通りの文房具店の店主に残した言葉です。チャトウィンは、オーストラリア旅行に備え、手に入る全てのノートブックを購入しましたが、それでも十分ではありませんでした。

一年くらい前まで僕はA5サイズのシステム手帳を常に持ち歩いていた。営業だった頃からなのでかれこれ10年以上になると思う。A5サイズは、左利きで凄く字が汚い僕にとってはギリギリの小ささだ。それにスケジュール、連絡先やメモ等を差し替え差し替えて使ってきた。これは今でも大変重宝しているのだが、如何せん重い。電車のなかでちょっとメモしようと思っても嵩張るのでちょっと憚られる。システム手帳を会社に置いておき、移動の際にはもっとメモが書けるだけの手帳を持ち歩きたいと思っていろいろ探した結果行き当たったのがモレスキンだ。

ヘミングウェイやピカソなどが愛用していたと云うモレスキンだが、ただの手帳でそんなに使い勝手が違うものだろうか?やや半信半疑ながら最もポピュラーだと云う「ルールド」、横罫線付きのものを購入して使い始めた。実際に使ってみると確かに表紙が非常に固い為、立っていてもメモを書くのが楽なのだ。電車で立って本を読んでいる最中にもさっと鞄から取り出し気になる記述やポイントなどをページ数と一緒にちょこちょこと書き込むなんて事が出来るようになったのだ。リング式のシステム手帳では仮にサイズが小さくてもこれはかなり難しいと思う。と云う訳で最近は読みながら書きとめたメモを元にレビューを纏めるようになり作業効率自体が非常に良くなったのだ。

そんな訳で今はシステム手帳は会社に置き、鞄にはモレスキンが入っている。「ソングライン」のなかでチャトウィンはモレスキンの事をこんな風に書いている。

 このノートはフランスではモールスキン手帳の名で知られている。モールスキンとは模造皮革のことで、私がもっていたのは黒いオイルクロス張りのものだった。パリに行くとかならず、私はアンシャンコメディー通りの文房具店でこのノートを買った。ページは正方形で、ずれないように、ゴムバンドでとめられていた。私はノートに番号をふった。そして拾った人が謝礼をもらえるよう、最初のページに名前と住所を書き入れた。パスポートを紛失してもどうということはなかった。だがノートをなくしたとなれば、それは一大事だった。

 旅に明け暮れた20年のあいだに、なくしたノートは二冊だけ。一冊はアフガニスタンのバスのなかで消え、もう一冊はブラジルの秘密警察に取られた。秘密警察は鋭い洞察力で、私が書いたバロック様式のキリストの傷に関する記述を、警察が政治犯に対して行った所業を暗号で記述したものと考えたのだ。

 オーストラリアに出発する数ヶ月前にその文房具店を訪れると、店のマダムは”本物のモールスキン”がだんだん手に入りにくくなっていると言った。製造業者は一軒しかなく、それもトゥールの小さな家内工場なのだ。手紙を出してもなかなか返事が来ないということだった。

 「100冊注文したいんです」私はマダムに言った。「100冊あれば一生もつでしょうから」

しかしマダムが連絡を取ると製造業者は既に亡くなっており、跡継ぎは工場を売り払ってしまったと言う。チャトウィンに対しマダムは

 眼鏡をはずすと、死を悼むかのように言った。「本物のモールスキンはもうありません」

 私は自分の人生の”旅”の季節が終わりつつあることを予感していた。定住生活の重苦しさが覆いかぶさってくる前に、これらのノートをもう一度開いてみなければ、と思っていた。私を楽しませ、あるいは私の心をとらえた思想の断片や引用文、人々との出会いなどを書きとめておかなければならなかった。それらが私にとってのもっとも重要な問い、人間のなかに潜む放浪性について、光を投じてくれるのではないかと思ったからだ。

Wills Terrace / Todd St, Alice Springs, NT, Australia


View Larger Map

「ソングライン」の事を僕は「パタゴニア」のような本、場所をオーストラリアに変え、アボリジニ達が遠い過去から語り継いできたソングラインを辿る旅の本なのだと思っていたのだがそれは思い違いだった。本書が執筆されたのは、1987年、チャトウィンが中国へ旅行した際に罹った骨髄の難病によりかなり体調の悪い時期でその2年後の1989年1月に亡くなっしまったのだ。

 初めに・・・・・・

 初めに、大地は果てしなく暗い平原で、空と灰色の塩の海からわかれ、ほのかな光に覆われていた。太陽も月も星もなかった。けれども、はるか遠くに、”空に棲むもの”がいた。それは若々しく、ものごとにこだわりをもたない生きもので、人間の胴体にエミューの脚をもち、金色の髪の毛は夕暮れどきのクモの糸のように光り、年令もなく、歳も取らず、”西の雲”の果て、緑生い茂る、水豊かな楽園に住んでいた。

 地上にあるものといえば、将来水が溜まるであろう窪地だけだった。動物はおろか植物もなかったが、水溜まりの周囲にはどろどろとした塊が集まっていた。それは音をたてず、目も見えず、息もせず、覚醒することも眠ることもない原始のスープで、それぞれが生命の素を、あるいは人間となる可能性を内包していた。

「ソングライン」はチャトウィンが書いているように、病気から自らの”旅”の季節の終わりを予感しつつも、コンラート・ローレンツ、マリア・ライヒェをはじめとする数え切れない人々との出会い、そしてブラジル、カメルーン、アフガニスタン、スーダン、ギリシャ、そしてパリと巡った場所を回想しつつも、ついには時間の拘束から解き放たれて有史以前から内包されていたはずの放浪性、何故人は放浪し続けたいと強く願望を抱くのかと云うチャトウィンにとっての人生の問いそのものに、内省的に踏み込んで行くのである。

僕は地元を離れ首都圏に暮らすが常に抱いている思いは「余所者」だ。旅する余所者として僕は自転車で川を巡り、見知らぬ街を走る。そして読書。本との出会いは人との出会いだ。読書は旅をしているのと同義ではないかと思っていた。新しい一日。人は誰も今日という日では余所者だ。人生は旅なのである。

「どうして僕はこんなところに」のレビューはこちら>>

「パタゴニア」のレビューはこちら>>

「パタゴニアふたたび」のレビューはこちら>>

「ウィダーの副王」のレビューはこちら>>


△▲△

平成お徒歩日記
宮部みゆき

2009/08/22:宮部みゆきがはじめて小説以外の本を出したと云うのが本書「平成お徒歩日記」である。お徒歩と書いて「おかち」と読む。徒【かち】とは「徒歩」の意の雅語的表現なのだそうだ。

この本が書かれるようになった訳は、そもそも駆け出しの頃の宮部みゆきは時代ものの本を書くときに当時の人が徒歩で移動するのにどのくらい時間がかかるのか確かめるために実際に歩いてみたりしていた事があったようだ。

更に小説新潮に、深川散策記と云う短いエッセイを書いた事が直接の引き金になり、「お散歩もの」を書かないかと云う企画が持ち込まれたのだそうだ。実地検分を自分でやる必要があるところを仕事として回れる!こんな割の良い仕事はないだろうとほくそ笑んでほいほい引き受けるミヤベだった訳だが、楽して儲かる仕事はないと言わんばかりに過酷な道程を組まれては実行させられていく。しかもミヤベは毒婦の役で。楽しそうに嬉しそうに毒婦ミヤベは八丈島へ島流しになったりして行くのである。

読者をあっと言わせる驚きのプロットを紡ぎ上げ、しかもそんな小説を連載で複数同時にこなすと云う離れ業を見せる宮部みゆきが、締め切りの合間を縫ってお散歩の旅に出ている訳だが、これが至って無邪気なのである。最も締め切りに追われて追いつめられてしまうような性格だったら、とっくの昔に潰れてしまっているととるべきなのかもしれないけど、そのあまりの普通さには感心してしまいました。そしてまた、どこへ行っても嬉しそうなのである。読んでいるこっちまで楽しくなってくる。

お散歩は全7道程。平成6年7月から平成9年10月にかけて実行されている。きっと余程忙しい仕事の合間を縫ってのお出かけだったのだろうな。

■目次
前口上
其ノ1 真夏の忠臣蔵
 両国(吉良邸跡)〜鉄砲洲(浅野上屋敷跡)〜高輪(泉岳寺)
其ノ2 罪人は季節を選べぬ引廻し
 小伝馬町〜堀端〜鈴ヶ森〜小塚原
其ノ3 関所破りで七曲り
 小田原〜箱根湯本〜箱根旧街道
其ノ4 桜田門は遠かった
 皇居(江戸城)一周
其ノ5 流人暮らしでアロハオエ
 八丈島
其ノ6 七不思議で七転八倒
 本所深川
其ノ7 神仏混淆で大団円
 善光寺〜伊勢神宮
剣客商売「浮沈」の深川を歩く
いかがわしくも愛しい町、深川

前にも書いたが、子供の頃からのお知り合いが深川にいた関係で、しょっちゅう行き来していた僕は門前仲町界隈は東京の原風景だ。またミヤベは最初のコースを両国から泉岳寺を目指す。なるほど、田町は赤穂浪士が泉岳寺へ向かった道程にあったのですね。僕は会社帰りたまにだが、田町から八丁堀まで歩く事があって、向きは逆だがかなりコースが重なっているのだ。勝海舟と西郷隆盛が会見した地であることを記した石碑は日常見る風景の一部だったりするのである。自分が歩いて知っている場所だった事もあって非常に親近感の湧く内容でした。

カミさんとこの本や「初ものがたり」を持って深川を散策したら楽しいのではないかと話しをしているところである。先ずは回向院、昼飯は深川飯かなやっぱり。

小塚原刑場跡地

小塚原刑場跡地で首切地蔵がある延命寺。隅田川を遡上する機会には是非訪れてみたい。



大きな地図で見る


「黒武御神火御殿」のレビューはこちら>>

「きたきた捕物帖」のレビューはこちら>>

「あやかし草紙」のレビューはこちら>>

「三鬼」のレビューはこちら>>

「あんじゅう」のレビューはこちら>>

「かまいたち」のレビューはこちら>>

「ソロモンの偽証」のレビューはこちら>>

「ばんば憑き」のレビューはこちら>>

「ぼんくら」のレビューはこちら>>

「あかんべえ」のレビューはこちら>>

「模倣犯」のレビューはこちら>>

「初ものがたり」のレビューはこちら>>

「平成お徒歩日記」のレビューはこちら>>

「地下街の雨」のレビューはこちら>>

「火車」のレビューはこちら>>

「弧宿の人」のレビューはこちら>>

「魔術はささやく」のレビューはこちら>>

「小暮写眞館」のレビューはこちら>>

「チヨ子」のレビューはこちら>>

「堪忍箱」のレビューはこちら>>



△▲△

コテコテ大阪弁「聖書」
ナニワ 太郎 , 大阪弁訳聖書推進委員会(翻訳)

2009/08/23:僕の読書時間の大部分は電車の中だ。最近は土日のお休みに家でも本を読むようになったが、本当にこの一年くらいの話しで、それまで自宅では殆ど本を読んでいなかった気がする。そんな訳で毎日肩に掛けているバックには必ず読みかけの本が入っている。日によっては二冊入っている日もある。途中で本が読み終わってしまったら、読むものがなくなってしまうからだ。

また、会社の机には、常に数冊の本が重なっている。所謂、仕事読みの本だ。会議の間隙を縫ってちょっとした時間ができる事がある。今僕がやっている調査や分析、企画立案みたいな仕事の性格上、10分や20分の隙間の時間ではやりようがない。こんな時は無駄な悪あがきはせず、仕事関係の本を読むことにしている。仕事関係の本だから気兼ねもないしね。また夜仕事が一段落した後で30分なんて形で読んいる。

趣味と仕事とあわせて次に読む本が常時4〜5冊重なっていないと安心出来ないのである。

こうして仕事関係の本はこの一年間で50冊くらい読んだ。なかには斜め読み、飛ばし読みのものも含まれているが結構な量だと思う。また、日々の仕事に意外なヒントをくれたり、気づかされる事も多いので非常に役に立っていると思う。

先般、そんな仕事読みのなかで石黒 圭と云う方の「よくわかる文章表現の技術〈4〉発想編」と云う本を読んだ。これは筆者が早稲田大学第一文学部、一橋大学で実際に行った授業に基づいたものなのだそうで、文章を書く上での発想法について受講者の解釈や意見などが取り入れられた内容になっている。なかなか示唆に富んでおり参考になる本なのであったが、この本の中で紹介されていたのが、この「コテコテ大阪弁「聖書」」なのだ。登場人物であるイエスをはじめ、弟子達や予言者達、そもそもこの聖書の語り部自体がコテコテの大阪弁なのである。

この「よくわかる文章表現の技術」のなかでは、賛否両論あるとしながらも表現の発想法としては肯定的に捉えており、登場人物の心情は大阪弁であるが故に伝わりやすくなっているとみているようだ。ここで一部引用されていたイエスと弟子たちのやりとりは正にコテコテの大阪弁。引用されていたのはこの辺り。

 夕暮れ近くになったんで、お弟子はんらばイエスはんのそばに来て、こう言いよった。「ここは人里離れたとこで、もう遅うもなりましたよって、ここで群衆を解散させた方がええかと思います。
 そしたら、自分たちで村まで行って食いもんを買うことができまっしゃろ」
 イエスはんは言わはった。
 「行かせたらあかん。あんたらが彼らに食いもんを与えたらええんや」
 ほいで、お弟子らは言うた。
 「ここにはパンが五個と、魚が二匹しかおまへんがな」
 イエスはんは、「しゃあないな。ほならここへ持っといで」と言い、群衆を草の上に座るように命じはったんや。
 ほいでから、五個のパンと二匹の魚を取って、天を向いて賛美の祈りを唱え、そのまんまパンを裂いていき、次々とお弟子はんらに渡していかはったんやと。
 それをお弟子はんらは群衆に渡していくと、全てのもんが腹一杯になったそうや。
 ほいでから、余ったパンの屑をかき集めたら、何というこっちゃろか、一二個の籠一杯になったそうや。
 食べたんは、女子供を別にすると、大人の男だけでも五千人もいたことになるんやと。

これはイエスの奇蹟が記された有名な下りなのだが、普段目にする新約聖書と比べると、明らかに臨場感や心情がはっきりと読みとれるようになっているような気がしないだろうか。

かと言ってこの本が礼拝で朗読されるようになるとは思わないけど。やはりこれは実際に読んでみたいなと。と云う事で読ませていただきました。

まずこの本は「聖書」とされているが、底本として、「マタイによる福音書」のみを取り扱っている。この翻訳者の意図はどのようなものなのだろう。と云うかそもそもこの人達は誰なんだろう。ネットで調べても現在、ナニワ太郎と云う人も 大阪弁訳聖書推進委員会なるもののその中身は全くわからない。わからないけど、要所、要所で補足と云うか注釈が入ってくる際に添えられているおっさんのイラストがナニワ太郎なんだろうと思う。このおっさんのコメントやコーヒーブレイクは所謂噛んで含ませるような内容になっていて、表現こそコテコテの大阪弁だったりするものの、至って真摯な布教を意図した内容になっているのである。分かりやすい、伝わりやすい手段として日常使っている言葉で表現した訳で、単に面白かろうと云う事だけでコテコテの大阪弁を使っている訳ではないのだ。

コテコテの大阪弁で語られるイエスの言葉は時に激しく、改めてマタイによる福音書で描かれていたイエスの物語と云うものがこんなお話だったのかと思うところが幾つかあった。僕個人の宗教観は、かつてプロテスタントの学校へ通っていた頃毎朝必ず礼拝に参加して聖書を読み、聖書の授業もあってイエスの物語なんかの勉強もした身なれど、初詣から初まりクリスマスで暮れる一年を過ごし、史的イエスは実在したのではないかとは思う一方、八百万の神がいるならキリストも神だと云うなら神だし、僕の死んだお袋も仏だろうと極めて曖昧模糊としたものを持っているに過ぎない。

それでも2千年近くの長きに渡って語られてきた、聖書のなかには少なからず真理と云うものが含まれており、曰く

 悪もんには歯むこうたらあかん。
 どいつかが、あんたはんの右の頬をぶちかましよったら、左の頬かて向けたれや
 おまはんを訴えてパンツを取ろうとする奴には、こっちから身ぐるみはいで上着も一緒に渡したれ

信者でなくともこうした事が正しい事はわかる。では何故「敬虔な信者」が時として人を傷つけ、殺し合ってしまうのか。歴史を振り返っても、現代の国際情勢を見ても、流される血が止まる事はない。ブッシュUはキリストに逢った事があるのだそうだ。出会い頭にキリストにぶん殴られたりした訳ではなかったようだが。そんなこんなで僕は「信仰」や「敬虔」と云う言葉に全く実感を持つことができない。

 信仰心の薄いやつやな。なんで途中で疑ごうたんや

本書でイエスはんとお弟子はんの間で共有しようとしている信仰心と云うものの概念は少しは理解できたように思える。


△▲△

哲学入門(The Problems of Philosophy)」
バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)

2009/08/23:ふと振り返ると僕はどうしてこの本を読んだのだろうか、何がきっかけになっていたのかすぐには思い出せない。もう少し違った言い方をするとどうして僕はこんなレビューを書く上で到底歯が立たないような本を選んでしまったのだろうかとも考えている。予想どおり纏めようにも纏められない。ハードル高すぎだよ。レビューを書くために読書をしている訳ではない。読みたいと思ったから読んだ訳で、レビューなんかパスしたって良いのではないか、書かなかったからと云ってそれで何がどうなる訳でもなかろう。なんてブツブツと呟きつつ、僕はパソコンに向かって悶々としているのである。

本の中には物語や論旨、筋道と云うものがある訳だが、本読みの人たちが読んでいく本と本の間には見えないけれどそれなりに道筋のようなものがあるものだと僕は思う。同じ作者の作品を端から読んでいくのも有りだし、ジャンルのようなもの、引用や紹介を辿るなんて云うようなものは分かりやすい。更には連想や逆転みたいなちょっとわかりにくい筋道を辿っていく場合もあるだろう。

本書は、バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが「プリンキピア・マテマティカ」を書き上げたその翌年の1911年に書かれたものだ。本書に添えられているジョン・スコルプスキの解説によれば、「プリンキピア・マテマティカ」を書くための長期間の作業のせいで、「知性が伸びきったまま、もとに戻らなくなった」状態で哲学的問題に取り組んだ結果生まれたものだと云う事だ。その哲学的問題と云うものは、「絶対的な真理とは」と云うものである。誰にも疑えない確実な知識とはどのようなものなのだろうか。ラッセルは本書のなかで認識論を探究していく。そして更にその考えを掘り進めていく事でこうした認識・知識の対象となる「もの」そのものの実在に迫っていくのである。邦題として哲学入門が選ばれているのはこうした所以であろう。

ラッセルは、本書のなかで

 哲学だけが、統一した全体としての宇宙に関する、そして根底的な実在の本性に関する知識を与えることができるのだと信じている。

と述べている。実験化学が限界を迎え量子論等の論理物理学や宇宙論の進展を遙かに見通したかのような一言ではないだろうか。

僕がどうしてこの本に辿り着いたのかを考えるに、おおもとのおおもとはダグラス・R・ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」に辿り着く。20年以上も前だ。お恥ずかしながら数学門外漢の僕はこの本の中で、バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの名や、「プリンキピア・マテマティカ」の存在を知った。ホワイトヘッドだって?それにしても凄い名前だよなと。

「ゲーデル・エッシャー・バッハ」の中核にあるものは、「不思議の環」であった。不思議の環は、

 ある階層システムの階段を上へ(あるいは下へ)移動することによって、意外にも出発点に帰っている。

と云うような現象を指すと云う。現象と言っても普段我々が直接経験するような出来事を指している訳ではなく、数学、特に集合論の世界で生じるパラドックスを表している。らしい。これを体現していたのがバッハのカノンであり、視覚的にこれを見せてくれたのがエッシャーだった訳だ。

「プリンキピア・マテマティカ」は、ラッセル自身が発見した「ラッセルのパラドックス」をはじめ数々の矛盾や欠陥のある数学体系を論理学から無矛盾で完全なもの、そしてこの不思議の環を打ち破るものとして導き出す事を目論んだものであった訳だが、これらの公理系は31年後ゲーデルの不完全性定理の証明によって修復不能な「穴」が指摘されてしまったと云う。いやはや人間の思考能力には限界と云うものがないようだ。

敢えて検討するまでもなく僕には「プリンキピア・マテマティカ」に全く歯が立たないのは明らかな訳で、これを「不完全である」事を証明したゲーデルはもっと歯が立たない。そもそも「ゲーデル・エッシャー・バッハ」だってどこまで理解できているのか自体はっきりしない。はっきりしない、もやもやしている事が気になるから、そこへ行ってみようと思う。過去に生きた人々が想像も出来なかったような、世界観、概念に僕たち現代人は触れることが出来る。識る喜びを得る事ができるのである。

日本人は論理的にものを考える事が習慣付けられていないなんて言う人もいる。演繹とか帰納法とか云われると確かに僕も途方に暮れてしまう訳だが、「プリンキピア・マテマティカ」の誕生からあと少しで100年。哲学は論理学とそして物理学と衝突し、まだまだ新しいものに生まれ変わり続けている。こうした論理学が人類を大きく進歩させてきた事は疑いようがない。にも関わらず自分は最近、読書する本を選ぶ際に、レビューが書きやすい、纏めやすい本を選んでいる傾向があった事を認めるべきだと今気づいた。難解だったり、歯が立たなそうな本は避けていたのである。みっともなかろうが、無様であろうが構うことはない。纏める事が全く出来なくても、こうした知識に積極的に飛び込んでいくべきだろうと。そして吸収できるものはなんでも吸収する前のめりな姿勢が大切なのだ。読書は終わりのない旅のようなものなの、人生そのものなのである。



△▲△

アンティキテラ古代ギリシアのコンピュータ
(Decoding the Heavens: A 2,000-Year-Old Computer--and the Century-Long Search to Discover Its Secrets )」
ジョー・マーチャント(Jo Marchant )

2009/08/15:読もうか止めとこうかじくじくと悩んだ本だ。この手の本で懸念されるのは、なんだかんだと引き回されて挙げ句に、「これは宇宙人の仕業だ」みたいな膝が折れるような結論を押しつけられるかもしれないこと。または、結局謎が謎のまま終わる。「おいおい、何で本にしたのさ」みたいな。しかも本書で対象としているのは「アンティキテラ島の機械」。オーパーツなのである。

オーパーツ。小学生の頃に随分とハマった。僕ら60年代生まれはUFO世代、この手の話は大抵得意分野なのである。オーパーツとは"Out Of Place Artifacts" を略したもの (OOPARTS)で、場違い、時代考証的にあり得ない代物の事で、有名どころとしては、クリスタルの髑髏やピリ・レイスの地図、はたまたロケットに乗る人が描かれてるアステカの石版みたいなものがあるね。これら当時の技術力では創り出す事ができないハズのものであったり、未発見であるはずの大陸が書き込まれていたりする訳である。

これらオーパーツは、そもそも創られた時代の推定や解釈自体が間違っているとか云うオチと云うものが紛れていると思われる。この手の本を読むときに覚悟してかかる必要があるもう一つの問題は、結論が地味。なんだそうか。そう云う事ね。と云うガッカリ感を味わってしまう可能性があると云う事だ。

そんな訳でじくじくと悩んだ。「古代コンピューター」?タイトルも怪しいと云うかいかがわしいのである。

見開きの添え書きを読むまでは。

二千年以上前の物と推定されるアンティアキラの機械。
そこに使われているテクノロジーは、
一八世紀以降のものとしか考えられない水準である。
まさしく歴史の基礎を築いた最大の機械発明に数えられるだろう。
本書をきっかけ、いまなお正しい評価がなされていない
この古代の出土品に、
ふたたび感心が高まることを願ってやまない。
−−−アーサー・C・クラーク
アーサー・C・クラークが本書に言及しているのである。それもどうやら間違いなく2千年前の出土品が、18世紀の技術水準を持っていると言っているようなのだ。それまでゆらゆらと揺らいでいた僕の気持ちは定まり、この本に突入した次第である。

アンティキテラ島


大きな地図で見る


そしてその結果は、アタリ。事前の懸念を粉々に吹き飛ばす内容でした。1901年、アンティアキラ島の沖で発見された古代の沈没船から引き上げられた遺物のなかには、複雑な歯車を組み合わせたとしか解釈が出来ないブロンズ製の物があった。これはどうやら紀元前150-100年にローマへ運ぶ途中で沈没した船のものらしい。引き上げた当時は潜水服が登場したばかりで正にダイビングを試行錯誤している時期であった事もあり、沈没船の調査は十分になされていなかった。このアンティアキラの機械もその一部のみしか引き上げられておらず、古代ギリシャ語でなにやら説明が書き込まれた時計のようなものであろうと解釈され、その物の利用目的も謎も十分解明される事なく長い間アテネ国立考古学博物館のなかで眠っていた。


しかし、やがて再びこの機械は日の目を見る。クストーがこのアンティアキラの沈没船にチャレンジするのである。ダイビング技術の進展によって、前人未踏であった海の底へ辿り着く事ができるようになった事で、アンティアキラの機械の部品が更に出土してくる。

そして、遺物の解析技術の進展。X線や放射性元素による年代特定やコンピューター・グラフィックなどの新しい技術。そしてこの機械の謎を追う科学者達の人間ドラマ。これらが絡み合ってこれまでには知り得なかった機械の実体が明らかになっていく。

それは正にこれまで我々が思い描いていた古代ギリシャ人たちの生活、技術力の常識を覆す驚くべき機能を備えていたのである。この現代のテクノロジーが古代のテクノロジーを解明していく様は正にスリリング。そして思いは2000年前に生きた人たちの暮らしぶりへと漂う。憎い構成。良書であります。読んで良かった。


△▲△

複雑な世界、単純な法則−ネットワーク科学の最前線
(Nexus: Small Worlds and the New Science of Networks)」
マーク・ブキャナン(Mark Buchanan)

2009/08/15:ダンカン・ワッツ(Duncan J. Watts)とスティーヴン・ストロガッツ(Steven Strogatz)は1998年、スモール・ワールド現象と呼ばれるある現象についての論文を発表した。

このスモール・ワールド現象とは、「ケビン・ベーコン数」とか、「六次の隔たり」または普段よく僕たちに「世間は狭い」と口にさせる出来事、これは友達の友達は皆友達式に人と人との繋がりを辿ると世界中のどんな人とも大凡6次のステップで辿り着くと云うもので、二人はこの現象をネットワーク理論を使って論理的に説明しようとする試みていたのである。

このスモール・ワールド現象はそれ以前から知られてはいたが、1960年代にスタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)が実際に実験した結果によって広く知られるようになった。このミルグラムの実験と云うのは、カンザス州とネブラスカ州に住んでいる人をランダムに選び、この人達に、ボストンに住んでいるが具体的な住所が分からないある人物へ手紙を転送してもらうよう依頼した。そして転送する際には、自分たちの知り合いのなかでそのボストンの人物に近いと思われる人を選んでもらったと云うものだ。結果手紙の大半は概ね6回の転送で目的の人物に届いたのである。

さらっと纏めてしまったが、世界中の人々が互いに6次程度のステップで繋がり合っている?時の総理大臣麻生太郎や酒井法子、バラク・オバマであろうが、キャメロン・ディアスであろうが、と僕との間にたった6次の隔たりしかない?勿論最短のルートであればと云う事な訳だが、最も効率のよいルートで人づてで紹介してもらえばたった6回目でモニカ・ベルッチにご挨拶させて頂く機会が得られると云うのは、全く信じられない話ではありませんか?なんか変なテンションになってしまいましたが。

しかし、どうやら世間はそのようになっており、この複雑なネットワークは人間社会だけではなく、電力網であったり、群生して同時発光するホタルやインターネット。そして人間の大脳皮質の脳細胞、ニューロンのネットワークなども同じ理屈で繋がり合っており、その繋がり方には至ってシンプルな法則があった。

本書はこの複雑系ネットワークを形作っているのがスモール・ワールド性などと呼ばれる法則として説明可能である事を発見するに至るお話と、そのネットワークモデルの概念、また近年の研究によってこの法則が経済や分子物理学などの様々な分野に多大な影響を与え始めている事を分かりやすく解説してくれるものである。

 原因と結果が織りなす網構造に対する理解は、社会的世界についても悲しいくらい欠けている。経済学を例にしてみよう。世界のどの国でも、人々のあいだの富の分布は明らかにいびつで、富の大半をごく少数のグループが所有している。この基本的な事実は100年以上も前から知られていた。これは何が原因なのか?資本主義経済の原理には、そのような富の集中をもたらす何かが深く根づいているのだろうか?それとも人間の性質にかかわりがあるのだろうか?富の分布は、人々の蓄財能力の分布を反映しているのだろうか?政治信条を異にする経済学者たちは、いろいろな見解を支持して声高く感情的に論じているけれども、正統とされる経済学の理論はこの問題にはほとんど口を出せないでいる。たとえ経済を「進化する複雑なネットワーク」として理解しようとしても、経済学理論はそのための手だては何もなく、したがって、現実の経済でもっとも普遍的にみられ、社会的にも重要なこの富の偏在という事実を説明することができない。

正にグレゴリー・クラークみたいな奴の事を言っているのだな。

著者のマーク・ブキャナンは、物理学者で自然科学のコラムを書いたりしている人で本書の主題でもあるネットワーク、複雑系が専門。2009年トリノでラグランジュ賞特別賞を受賞したそうです。また随分前に読んだマルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwell)の「ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか (The Tipping Point)」が度々引用されていた。これも面白かったな。こちらの本は、若者達に流行がどのように広がるかを追跡調査し、コネクターと呼ばれる流行を広げる役割をしている人達に影響を与える事で商品のプロモーション効果を増大させる事ができたと云う興味深い事例を紹介していたのが記憶に新しい。これらの理屈を使う事で、現代の富の集中なども説明が付くのかもしれない。世の中が効率よく情報を伝達しうまくまわっていく為にはコネクターとなる人達にある程度富を集中させてやる必要があるのかもしれない。これが余りに集中しずきたりしないようにコントロールできる世の中がいつかやってくるのかもしれないな。


△▲△

10万年の世界経済史
(Farewell to Alms: A Brief Economic History of the World)」
グレゴリー・クラーク(Gregory Clark)

2009/08/09:

 この本は、歴史を大胆な切り口から論ずるものである。本書では、その多くは不完全で互いに矛盾することもある、雑多な経験的データのなかから、人類の長い歴史を説明する単純な構造を浮かび上がらせていく。この構造は、本書で詳しく説明する、人類の歴史や現代社会に関する驚くべき事実にも、矛盾なく当てはまる。いわゆる「ピック・ヒストリー」の解明に臆面もなく取り組んだこの書は、「国富論」、「資本論」、「西洋世界の勃興」、もっとも最近では「銃・病原菌・鉄」などの文献の系譜に連なるものだ。

マルクス「資本論」、スミス「国富論」、ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」に匹敵する、人類の「ビッグ・ヒストリー」を描くなんて書かれたら、読んでみたくなるじゃないですか。開くと序文にも確かにこんな事が書いてある。ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」は知的興奮に溢れる非常に面白い本でしたからね。

結論から言おう。読む価値なし。これほど酷い本にはお目にかかった事がない位酷い。何故か。

 社会環境が容易に再現できなかった理由のひとつは、世界のさまざまな社会が、それぞれ比較的長い歴史をもっていたことだと考えられる。ジャレド・ダイヤモンドは著書の「銃・病原菌・鉄」で、地理学的、植物学的、動物学的条件は宿命的なものだと論じた。ヨーロッパやアジアが経済面で早く発達し、現在でも先進的な地位にあるのは、偶然の地理的条件による。これらの地域には家畜化できる動物が生息していたうえ、ユーラシア大陸は、栽培品種化した植物や家畜化した動物が、他の社会に広まりやすい地形だったというのだ。しかし、この主張には大きな欠陥がある。豊かさが工業化をつうじて実現されるこの現代社会で、なぜ不機嫌なシマウマやカバが、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国の経済成長を妨げる原因になるのだろうか。アフリカやニューギニア、南米の諸国が産業革命によっても旧来の地理的なデメリットを克服できず、むしろその後進性が強まった理由は何か。


わざわざ自分から、その系譜に連なると書いている「銃・病原菌・鉄」に対して欠陥があると言うのだが、その書きっぷりの失礼さ加減は如何なものか。しかも甚だしい曲解である。この男は本当に「銃・病原菌・鉄」をちやんと読んだのか。そしてこの訳者の久保恵美子も。ジャレド・ダイヤモンドも怒っているよ絶対。

因みに名著「銃・病原菌・鉄」でジャレドは、突然変異によって種を落とさない稲が生まれた事、それが起こったのがチグリス・ユーフラテスであった事こそ偶発的なもので、この栽培可能な種を利用することで農耕による定住生活が広い範囲で可能になったと論じているのである。

この植物の生態は気候的に東西は広がる事が出来ても、南北や高々度には広がりにくい事と大陸の地理的条件が重なってユーラシア大陸では定住化が進んだ。また定住と農耕技術の発達によりそれまでの小さな集団が、徐々に大きな社会へと発展し分業化が進み文化や文明の発展の原動力となったと云うものなのである。

南米大陸や離島、高々度の土地ではこの農耕に適した植物を育てる事ができなかった為、狩猟採集生活から定住農耕社会への移行が遅れるか不可能であった。この違いが後になって大きな文明の差となって現れ、16世紀インカ帝国はコンキスタドールのピサロ率いる極々少数のスペイン人達に蹂躙されてしまった。

ジャレドはこうしたスペイン人にとってのインカの人々、アメリカ人にとってのアフリカの黒人奴隷達のように自分たちよりも劣った存在だと思い込んでいた人々が実は単にこうした背景によって文明社会を生み出せたかどうかの違いがあるだけで、能力などの違いでは決してなかったと言い切っているのである。勿論このジャレドの説が全て正しいとは言い切れない。しかしこの人類は平等でその肌の色や血統によって能力に違いはないと云う点では決して間違ってないと僕は信じている。

グレゴリー・クラークには不機嫌なシマウマやカバがこれにどんな関係があるのか解らなかったようなので更に加えると、定住生活には植物だけでは栄養価が足りず、家畜化可能な動物がセットになっている必要がある。豚や鶏以外の野生動物で家畜化できる動物は殆どない。カバは凶暴なので家畜化に不向きなのだ。ユーラシア大陸にはたまたま豚や鶏がいたが他の大陸にはいなかったと云うのがお話の一つめ。

もう一つは社会化が進み分業化が高度に進んでいった段階で人類は車輪を発明した。これによって輸送手段とその効率は格段に向上した訳だが何故インカ帝国では車輪が発明できず、ユーラシア大陸で発明できたのかと云う事。これに馬の存在が絡むのである。牧畜化され使役動物として古くから使われてきた馬がいたからこそ車輪が活かされたのである。馬が手に入らない場所では車輪の存在は意味を成さず、仮に発明する事が出来ても文化・文明として定着する事が出来なかったと云う訳だ。

で、シマウマの話しだが、シマウマは気性が荒く使役動物として適さない事が解っている。その為シマウマしかいないアフリカ大陸、そもそも馬がいなかったインカ帝国では車輪が使われていなかったと云うお話だった。と思う。忙しくてちゃんと読み返していないので。

であるが故に後進性が高まったと云ってもこれは文明の曙から近世までのピック・ヒストリーであって、近代・現代の貧富の差をそのまま説明している訳ではない。ジャレド自身もそんなつもりでは書いていないハズなのである。と云う事でグレゴリー・クラークは二重三重に文脈を取り違えていると云うかワザと曲解していると思う。虎の威を借る狐だ。

10万年の世界経済史なんてタイトルを付けているが、本書は産業革命前後の話に焦点が絞られており、原題には10万年なんて謳ってない。グレゴリー・クラークの専門はイギリスとインドの経済史らしい。経済そのものでもないのだ。

そんな彼が目を付けたのは古典経済学者のトマス・ロバート・マルサスが人口論で提唱したマルサス的均衡をイギリスがどう抜け出したかと云う点に絞られていると思ってよい。マルサス的均衡はその社会の収穫量に応じてその限界まで人口は増えると云うもので、技術革新などの様々な要因でこの収穫量は動くので生存可能な限界人口は変動すると云うものだ。これは動態人口を表すモデルとしてはよく考えられていると思う。生存可能な限界近くまでの人口を抱えるとその社会は食べるのが精一杯でギリギリの生活になると云う事も理解できる。これをマルサスの罠と云うらしい。

では、何故イギリスはこの罠を抜け出す事が出来たのに、インドやアフリカ諸国、ニューギニア、南米諸国がはたまたどこかの島のなんとか族は抜け出せないでいるのか。これについて本書はグラフや表を沢山持ちだしてはくどくどと説明をしている。数字やグラフの正確な意味もその算出根拠も出典も追い切れない。そしてイギリスなのかイングランドなのか国と云う体を成し、海を越えて植民地を奪いまくった集団と、どこでどの時代にどのような暮らしをしていたのか、どのくらいの規模で生活していたのかも全く知らないマラウィとかクン族とか云う人々を比較して何がわかると云うのだろう。

イライラしつつも読み進むと「ダーウィン」とか、「遺伝的」と云った単語が端々に目に付く。この男はイギリスがマルサスの罠を抜け出したのは遺伝的なものだと語っているのだ。

曰く、インドの労働者は一時間に15分しか働かない。だから時給が安い訳でもない。

何故なら怠惰でちゃんと働けない劣った人種だからだと云わんばかりだ。

最悪。こいつ隠れ社会進化論主義者じゃん。

ジャレド・ダイヤモンドの「氏か育ちか」と云えば間違いなく「育ち」だと云う主張に大きな欠陥があると言っているのだ。一度本を床にたたきつけておいた事を申し添えよう。もうほんと久々頭に来た。つーか。本を読んでこれだけ怒りを感じたのは初めてかもしれん。

お清めの塩と口直しを誰が僕に下さい。まぁ世の中いろんな人がいますわな。

とろこで、「氏か育ち」かについて広い意味では「育ち」だと間違いなく思うのだが、「のりしお事件」とか云ってここ数日世間を騒がせているあの人達、特に酒井法子は弟が指定暴力団員でつい最近覚醒剤で捕まってたそうだ。こんな事件を見るとつい「氏」だな。と思ってしまうのは矛盾なのかなんなのか。

△▲△

ホーチミン・ルート従軍記―ある医師のベトナム戦争 1965‐1973(The Central Highlands:
A North Vietnamese Journal of Life on the H^o Chi Minh Trail, 1965-1973)」レ・カオ・ダイ (L^e Cao D`ai)

2009/08/08:レ・カオ・ダイはハノイ103病院で幹部として忙しく働く都会の医師であった。第一次インドシナ戦争が終結した1954年からの短い平和な日々がトンキン湾事件によって破られ、モクモクと沸き上がってきた暗雲を驚きと不安でいっぱいの目で見つめつつも、やがて向かえるベトナム戦争の泥沼化は予想を遙かに超える事となろうとは知らずにいたのである。

ある日彼は軍の医務局から出頭命令を受け取った。出向いたダイに申し渡された命令は予想通り「南へ行け」と云うものだった。それも中部高原戦線のラオス、カンボジア国境の戦闘地域の中に大規模でかつ秘密の野戦病院を立ち上げろと云うものなのであった。

前線の戦闘地域は噂以上のものではなく、その前線に向かうジャングルを抜ける道の過酷さについても全く未知の世界だ。ありったけの想像力をかき集め手探りで病院設立の計画と必要な物資の調達を進めていくが、出発してみると想像と現実は全くかけ離れたものなのだった。

プレイク・アンケー及び14号・19号線の周辺地域


大きな地図で見る


 敵は中部高原の国道と省道をほぼ支配下に置いている。血まみれの戦闘はこれらの道路沿いで起こってきた。
 14号線はいくつかの道路に分岐して中部高原とカンボジア国境へ向かう。そのなかの19号線は戦略的に重要なルートで、プレイクからチュオンソン山脈のアンケー(米陸軍第一機動師団のヘリコプター基地があった)、マンザンといった危険な峠を越えて沿岸部ビンディン省クイニョンへ通じる。
 19号線から別れて低地へ通じる道路は、チュオレオを経てフーイェンに通じる7号線、パンメトートからカインホアへ至る21号線がある。
解放区にいる我が方は森林の中に秘密の通路網を作らねばならなかった。以前これらは森林の中の徒歩道で、我が軍の兵士は北の後方から南の戦場へこれらの徒歩道をたどった。その相当部分はベトナム−カンボジア国境を通る。また国境から中部高原へ入る東西の徒歩道が多数あり、これらはもっと短い。これらの徒歩道は名前はないが、化学式のような、たとえばCO2、CO5、CO9といった軍用符牒名がある。誰がこういった符牒名を考えたのかわからない。
 これらの道は地図にはないし、戦闘や秘密行動に応じてルートも変わる。一度中継所ガイドがハンモックとゴムタイヤのサンダル、木に立てかけたAKライフル1丁を発見したことがある。ライフルの木の部分はシロアリに食われて鉄の銃身が残るだけだ。ハンモックに骸骨が一つ横たわっていた。名前も部隊もわからなかった。マラリアで死んだのか。飢えてか、化学兵器を浴びたのか。その徒歩道は長年通る者もなく、死者は発見されることがなかったのだ。


当初ダイはハノイの自分たちが働く病院のように衛生的な手術室や病室がある近代的な病院を想像していたが、現実には高原の山間に横穴を掘り竹で作った屋根をかけただけの施設を広い地域に病院施設を散開させ、自給自足、そしてなだれ込む問題課題を解決しては、合間にハンモックで仮眠を取ると云う生活。それもアメリカが北爆や枯葉剤を散布していた地域よりもずっと南に入り込み、ジェット戦闘機やヘリが頭上を飛び交い、白人がゆでたエビのように真っ赤に日焼けした上半身を見せて闇雲に銃撃したりしている姿が見える山腹の森で、病院スタッフと患者約千人の人々が息を潜めて運営していたのである。

気配が察知されれば即爆撃され、病院諸共木っ端微塵となる事間違いなしの状況に加え、飢えにマラリア、油断すれば命を落としてしまう程深いジャングル。この過酷すぎる状況下で彼らは水、食糧を自給自足し、電力を創意工夫で調達し、血液は足りなければスタッフが提供して手術を行い患者を救った。

本書は8年にも及ぶ病院開設準備から激しい戦闘の最中で病院運営、そして患者の治療と不眠不休で当たったダイの日記を妻のヴー・ザン・フォンが編集し本になったものだ。南側、アメリカ軍側に立って描かれる事が多いベトナム戦争のノンフィクションの中にあって、北のしかも戦闘地域にあった野戦病院の模様は、僕が事前に思い描いていたものとはかけ離れた驚きの連続であった。

北南の図式も単純化しすぎていたし、北側でゲリラ的に横穴を掘ってしぶとく闘いアメリカ軍を悩ませた人達のこともステロタイプに単純化して理解していた。本書を読んで初めて血が通った人として北で闘った人たちの事が想像できるようになった気がする。彼らもスペインや南米で起こった左右勢力の衝突に巻き込まれ翻弄された人々と全く同様に人生を奪われたのである。被害者と云う点では勿論アメリカの片田舎から引っ張り出された兵隊達も同様に。

しかし、一方でこのかくも大きな傷跡を残したアメリカと云う国には反省の色はほとんどない。流された血は忘れ去られ、累々と重なる屍の上で相変わらず国旗を振り続けているのだ。
ダイは無事ハノイに帰還し、戦後ずっと枯葉剤、エージェントオレンジの人的被害についての研究を続け、2002年にその汚染被害によって命を落としたと云う。


△▲△

アンデスの奇蹟-
南米アンデスの高山に墜落した旅客機生存者みずからが語る72日間の真実
(Miracle In The Andes:72 Days on the Mountain and My Long Trek Home)」
ナンド・パラード&ヴィンス・ラウス (Nando Parrado&Vince Rause)

2009/08/01:ウルグアイのオールド・クリスチャンズ・ラグビー・クラブはチリのラグビーチームとの試合をするため、メンバーやその家族や友人、そしてサポーターたちを伴ってウルグアイ空軍から借り受けた、双発のターボフロップエンジンを付けた、フェアチャイルド機FH-227Dに乗ってモンテビデオのカラスコ国際空港から、サンティアゴを目指して飛び立ったのは1972年10月12日の事であった。搭乗者は乗員5名、乗客40名の計45名であった。

天候不良のためアンデス山脈越えを阻まれた一行はメンドーサで足止めを食った。アンデス山脈はその最高峰のアコンカグアが標高6959メートルをはじめ、6千メートルを超える山々が幾つも連なっているが、フェアチャイルド機の巡航高度の限界値は6800メートルであり、悪天候を突いてアンデスを越えるのは無理なのだ。

翌13日、僅かな天候回復の合間を縫って一行はメンドーサを出発した。しかし、アンデス山脈の中で乱気流に巻き込まれて高度を稼げなかった機は、山腹に激突・墜落した。
この事故はウルグアイ空軍機571便遭難事故と呼ばれた。


 フェアチャイルド機は、両翼が胴体に接する辺りで稜線をこすり、その結果、致命的な打撃を受けた。まず、両翼がもぎ取られて、右翼はそのままくるくると峠の上に落ち、左翼は後方へすっ飛んでいって、プロペラが機体を切り刻んだあと、山肌に突っ込んでいった。その間に飛行機の胴体は、私の頭上辺りが縦に裂け、尾翼部が裂け落ちた。私の席より後部に掛けていた人たちは全員−−−航空士も、客室係も、カードに興じていた三人の若者も−−−死んだ。

〜〜〜中略〜〜〜

 その後もなお恐怖の飛行は続いていた。両翼も、エンジンも、尾翼も取られて胴体だけが、まるで誘導装置を失ったミサイルのように、突進していった。
 この時点で私たちは、連鎖して起こる奇蹟の最初のひとつに恵まれた。胴体はふらふら揺れたり、回ったりしなかったのだ。代わりにフェアチャイルド機の残った胴体は、流体力学の原理に則って、そのままの姿勢でもう一列、黒い岩稜を飛びすぎた。だが、推進力は徐々に失われ、ついに機首が下がって落下し始めた。そこで、第二の奇蹟に恵まれて、フェアチャイルド機の胴体の俯角が、山肌の急な下り勾配にほぼ一致した。胴体の角度がわずか数度、深くても浅くても、山に当たってでんぐり返しになって、粉々になってしまっただろうが、そうはならずに、雪に覆われた山肌に腹から着陸し、猛スピードで橇のように滑り降りていった。乗客たちが絶叫し大声で祈る中、胴体は時速3百キロを超える速度で、散在する大岩と露岩を避けながら4百メートル以上も滑り落ちていき、向かい斜面の付け根の雪堤に突っ込んで、いきなりガツンと停止した。


この墜落で12名が死亡し5名は行方不明となった。機内で奇蹟的に生き残ったのは28名であった。この28名は生き残ったとはいえ、ナントはこの事故で投げ出され壁に激突して頭蓋骨骨折し、3日間意識不明。彼以外にも重傷者が何名もいた訳なのだった。

1972年、30年以上も前の出来事だし、映画化も何度もされた。観てないけど、なんでこんなにこの事故が人の目を引きつけているのかは知っていた。アンデス山中に墜落し、生き残った人たちは発見されず、生きるために犠牲者の遺体を食べたからだ。カニバリズムと云う響きはおぞましいものを想起させる。それを映画とはいえ観るのも、自分だったらどうするのだろうかとか云うヘヴィな問題に向き合うのもどうにも苦手。辛すぎると思って、僕はこの話を避けてきた。意識的に積極的に避けていたのである。



大きな地図で見る


本書は、この事故で生き延びた一人。ナント・パラード本人の手による本だと云う。それも30年の経ってから、どうして本を書こうと思ったのだろうか。読もうかどうしようか悩んでパラパラとめくっていると、なんと彼らは発見されたのではなく、この著者らがこの墜落現場から徒歩で脱出して救助を求めたのだと云うではないか。
装備はおろか、服装も普段着を寄せ集めてアンデスを?これはやはり読んでみなければ。

シャックルトンは名誉のために自ら高いリスクを取り、冒険へ挑んだが、このウルグアイ空軍機571便の一行はラグビーの試合とは云え至って気楽な旅行気分でいたものが突如富士山頂と同じくらいの標高の場所に文字通り着の身着のまま投げ出されてしまったのである。そして襲いかかる猛烈な吹雪や雪崩。やがて28人の中からも命を落とすものが出てくる。

壮絶。正に壮絶と云う以外にない。ナントが書いているように、胴体部分が山の俯角にたまたま合っていた事から、大勢が生き残った墜落事故が奇蹟だと云うなら、果たしてその後に起こったこの壮絶な状況は果たして幸運だったと云えるのか。飛行機が墜落前にアンデス山中を彷徨った事、実は機の高度計がずれていた事などによって、墜落機の捜索は見当違いの場所で行われ、最終的には絶望視され捜索は打ち切られてしまうのである。

彼らの強みと云うか幸運だったのは、ほとんどのメンバーがラグビー選手で屈強な体を持っていた事、彼らは互いにチームとして働く事に通じていた事。このチームワークは事故直後にすぐさま発揮され、負傷者を助け出し、居場所を確保し、と様々な課題を短時間で決定し、組織だって行動が出来たのである。そして医師が居た事だ。この医師の働きで重傷者の治療が適切に行われた。また飢餓に陥ってとうとうどうにもならなくなる前に遺体を切り出す事も医師が関わったのである。人食と云うショッキングなところばかりがフォーカスされてしまうが、それはもう本当にギリギリで選択の余地のないものであり、彼ら自身も嫌悪感と罪悪感を抱きながらも否応なしに受け入れざるを得なかったものなのである。

しかもただその場所に留まり続けても発見される可能性は殆どない。このままで行き着く先には全滅。どうにかするには、救助を求めて移動するしかないのである。
地図もなく自分たちの居る場所がハッキリしない。操縦席の高度計の表示から標高2千メートル付近に居ると思い込んでいたが、実際には3千7百メートル近い高さにいたのである。南北に横たわるアンデスで向かうべきは、西か東か。脱出行では5千メートルを超える高峰に挑まなければならなかったのである。アンデス山中は周囲のものがあまりに巨大なのだが、その大きさや距離を推し量る比較対象になるものが全くない。そのため見通しで見える山の稜線は思っているよりもずっと高くて遠い。一日登り続けても全く近づいてこないのである。

日本では2009年自殺者が過去最悪の人数に迫る勢いだと報じられている。命を絶つ事には人それぞれ深い事情があるのだろうと思う。死にたいと思った事は誰しもあるだろう。悶々と悩んで落ち込む日もあるだろう。そんな時は本書を読んでみる事をお奨めします。選択肢の極めて乏しい状況下で生きて帰れる事を信じてひたすら努力を続ける彼らの姿は、きっと僕たちに勇気を与えてくれるだろう。何故今この本をナントは書いたのか。それは彼が生還した後に大勢の人々に出会い語り合った事で解った事。この奇蹟の生還の物語が人々に勇気を与えるからなのである。


△▲△

FBIの歴史(The Historiography of the FBI)」
ロードリ・ジェフリーズ=ジョーンズ (Rhodri Jeffreys‐Jones)

2009/07/26:「FBIだっ!」なんて叫びながら遊んでいた記憶がある。当時テレビでやっていたのを正座して観ていた。ところでFBIってなんの略なのか、実は全然分かっていなかった。「それは聞くな」と。

数々の海外ミステリを読み漁って、FBIだ、ATFだ、DEA、はたまたCIAだと云った組織が横行する話しが大好きなのにそれらの出自とか本当の組織の事って実はあまりよく知らない。「FBIの歴史」だなんて心のスキマ直撃だよな。読まずに居れようかと。

連邦捜査局(FBI)はその前身である捜査局(BIO)そして捜査部(DIO)から改名され組織が大規模化してきた組織だ。その創設期であるBOI(Bureau of Investigation:捜査局)は、1908年7月26日、セオドア・ルーズベルト政権下、司法省内に設立された。


 その日、合衆国司法長官は、以下の布告を発した。「今後、司法省の捜査は、本省スタッフによって行われるものとする」−−−この布告によって司法長官の直接の指揮下に永続的な捜査官部隊が創出されたのである。連邦犯罪的初活動のイニシアティヴは、初期には1870年代のKKKが提起した脅威という一時的な危機、1890年代にはスペインのスパイ活動が契機になった。それらとは対照的に、1908年のイニシアティヴは、連邦警察機構の威力を永続的に増大させることが特徴だった。

 このイニシアティヴの直接の契機は、議会の腐敗をめぐる大統領とキャピトルヒルとの戦いにあった。1904年、司法省に貸し出されたシークレット・サービスの捜査官らは数名の土地詐欺師たちの有罪判決に繋がる証拠を集めていたが、その中にジョン・H・ミッチェル上院議員(共和党/オレゴン)がいたのである。ミッチェルは、判決が出る前に死亡した。同議員がこうむった捜査が気に食わない議会は、シークレット・サービスに向けて雨あられと批判をぶつけた。この紛争が頂点に達したのが、1908年の春、財務省に対抗して、シークレット・サービスをいかなる他省庁に出向させることも厳禁とする措置だった。この禁令に対抗して、大統領府は司法省専用の捜査機関を創出したのである。

シークレット・サービスと云う組織は、1865年7月5日、経済犯罪、主として偽造通貨の取り締まりを目的として財務省が作った組織で、連邦政府として組織だった捜査機関が唯一この組織であった事から、要人警護や他の省庁へ出向する形で経済犯罪以外の捜査にも関与していた模様だ。

本書によれば、それまでの司法省はシークレット・サービスの捜査官だけではなく、ピンカートン探偵社等の民間から探偵を雇い入れて捜査をするような事もしていたのだという。要人警護はその後もシークレット・サービスで行われるのが慣行となり現在も財務省管轄のこの組織が大統領の警護を行っているのである。


J. Edgar Hoover Building


大きな地図で見る

1933年8月10日、DOI(Division of Investigation:捜査部)、1935年7月1日FBI(Federal Bureau of Investigation)に改された。

司法省に入省し有能さを認められたジョン・エドガー・フーヴァ(John Edgar Hoover)は、捜査部の副長官を経て、1924年5月10日、弱冠29歳でBOIの局長に就任、以後FBIへ組織改定により初代長官に就任、亡くなる1972年5月まで総じて48年間と云う長期間その座に留まった。

著者のジェフリーズ=ジョーンズ,ロードリはエディンバラ大学教授で、もっぱらの専門はアメリカの諜報機関の歴史なのだそうだ。著書も多数で、シークレット・サービスやCIA等の歴史について書かれた本もある。本書を読む限り至って公平な内容でありました。


Quantico, Virginia FBI Academy


大きな地図で見る


FBIはシークレット・サービスや民間の探偵社からのリソースが使えなくなった事から、自前で捜査官を育成し、捜査技術そのものも磨く、磨くために予算を取り、結果を出すことで組織を大きくしてきたのである。本書はこうしたFBIの歴史を紐解きながら、公民権運動や人種差別問題、ギャングの横行やマフィアの台頭、シリアルキラーの登場、そして無差別テロとアメリカ社会が向き合う犯罪や、大統領やキング牧師の暗殺、ウォーターゲート事件のような政府の犯した犯罪のような政治色の強い事件を孕み、アメリカと云う国自体が微妙なバランスを取りつつ進んできた(その上でフーヴァが更にバランスしていたとも言える)様子を改めて外観する。

アメリカの行政は大統領と政府機関、政府機関同士、州政府と連邦と複雑に利害が絡み合っており、結果一般人には分かりにくい経緯・結果を生む事も少なくない、こうした事情が陰謀論のような憶測やデマの類をも飲み込んで巨大なものとしてしまった背景にもなっていると思う。

あくまで史実にこだわる本書は、こうした陰謀論を生んだ事は認めても、その内容に触れることはない、ケネディ大統領の暗殺についても取り上げられているのは、真犯人や真相ではなく、FBIの捜査ミス、フーヴァの判断ミスについてなので、かなり歯がゆい。

取り上げられている事件はどれも非常に興味深く、個人的にはテーマとして是非掘り下げていきたいものばかりなのだが、本書はその導入のほんのさわりのさわり程度しか触れられていないと云うのも残念。もっと面白く纏める事が十二分にできるだけの情報量と中身があるのになぁ。


△▲△

中国が隠し続けるチベットの真実
ペマ・ギャルポ

2009/07/26:北京オリンピックでは、チベット問題がかなりフォーカスされたが、今度は新疆(しんきょう)ウイグル自治区で騒乱が発生していると云うニュースが飛び交っている。中国政府は、ウイグルでの死者が150人とか、200人と言っているが、7月11日のニュースで「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長は、現地から得た情報として死者が1千から3千人に達すると言明したと報じている。トルコ政府は、この騒乱を鎮圧するために派遣された解放軍の行動を指してジェノサイドだと非難している。

ちょっと前だが、同じウイグル地区のロプノール核実験場付近では、中国が1964年から46回もの核実験が行われ、放射能汚染による影響で周辺に居住するウイグル人らに19万人以上の急死者を出し、129万人にのぼる健康被害者を出しているとの報道がなされた。このニュースを額面通り受け取るなら、尋常ならざる状況が起こっていると考えるのが普通だと思うが、我々国際社会の反応は極めて鈍い。

チベットで暴動が発生したのは2008年3月。この影響で北京オリンピックは複数の国や聖火ランナーなどの間でボイコットが発生、その開催が危ぶまれた時期もあった。チベット暴動は、オリンピック開催が間近な事から政府が強行な手段に出にくい時期を狙って起こされたものだとか云う話もあるようだ。何れにせよこの暴動による死者は、中国政府が22人と発表しているのに対し、チベット亡命政府は少なくとも140名以上の多くのチベット人が虐殺されたと主張している。単に死んだのではなく、それは虐殺だった言っているのである。

しかし、中国政府の厳しい警護もあって大きな事件もなく、北京オリンピックは無事閉幕した。台湾や開催地の開発に伴う地域住民の弾圧的な立ち退きの問題など、あちこちと胡散臭いと云うか、権力と金にものを言わせた非道が行われているらしい臭いがプンプンとしているのにも関わらず、ショー化されたイベントがゴリゴリと進んでいく様子。そしてなんのかんの言いながら、メディアもそれを見ている僕たち大衆も結局はそれを受け入れて楽しんで観てしまうと云うなんとも無力で無神経で、振り返ると薄暗い嫌悪感を感じずにはいられない現実がある。

チベットやウイグル地区では一体何が起こっているのだろう。僕は同じアジアに居ながら、あまりにこうした事態に気を止めなさすぎた状態で暮らしているのではないだろうか。或いは情報が洪水のように押し寄せる世界の中で操作され誘導されていつの間にか洗脳されしまっているのだろうか。


ラサ(拉薩)


大きな地図で見る


 今回の大規模な抵抗運動について日本の報道を見ていると、「チベットの周辺地域にまで波及した」という表現を使う事が多いようです。しかし、これは誤りです。チベット人の感覚からすると、これは”チベット全土”で起きていることなのです。このことを理解してもらうためにも、チベットの概念を明確にしておく必要があります。そしてその歴史を知ってもらった上で、中国共産党の侵略の経緯を説明したいと思います。

「チベット」とはどこなのか?
 現在、一般にチベットと呼ばれているのは、中国が”チベット自治区”として認めている領域ですが、これはチベットの一部に過ぎません。なぜなら、中国はチベットを武力併合した際にチベットを分割統治したからです。本来のチベットとは、ウ・ツァン、カム、アムドの三つの地方(=チベット3州)から構成されています。このうちウ・ツァン、カムの一部が「チベット自治区」になり、ほかの領域は青海省、甘粛省、四川省、雲南省それぞれに編入されました。私の故郷、カム地方のニャロン(新龍)も、現在では四川省ということになっています。


ダラムシャーラー(Dharamsala)


大きな地図で見る

政府による計画的で大量な殺戮行為が自国内で進んでいると云う状況。今の平和にどっぷり浸かり込んで惚けてしまった僕たちに、この状況を思い浮かべるのは困難なのかもしれない。

ペマ・ギャルポは1953年、チベットのカム地方ニヤロン(現在の中国四川省)生まれで、中国のチベット侵略によってダライ・ラマと共にインドへ亡命し難民キャンプで少年期を過ごし、2005年に日本に帰化した政治学者である。彼の家族は中国の軍隊が侵攻してきて、自治区にすらなれなかった場所からインドへ亡命を余儀なくされたのである。


 面積を見ると、いわゆる「チベット自治区」は120万平方キロメートルですが、チベット全体では230万平方キロメートルになります。中華人民共和国という国の総面積が960万平方キロメートルなので、実に4分の1近くがチベットなのです。(ちなみに新疆ウイグルや内モンゴルなどチベット同様、中国が不当に植民地化している領域を除けば、中国固有の領土は現在の4割に満たない)。

 チベット3州には、約600万人のチベット人が居住しています。少数民族と呼ばれますが、それは中国の13億人という数字と比較しての印象で、一国家としと決して少ない人口ではありません。チベット人とはツァンパ(煎った大麦の粉を練り団子状にした食べ物)を主食とし、日常でチベット語を使用し、チベット仏教を信仰する人々のことです。そして、1951年に中華人民共和国の「人民解放軍」が武力によってチベットを侵略するまでは、チベット人はラサにあるチベット政府が自分たちの政府だという認識を持っていたのです。税もラサにあるチベット政府に納めていたので、その支配下にあったことは間違いありません。つまり、宗主権という象徴的な主権はともかくとして、1951年まで中国がチベットを実効支配したことはないのです。

チベットやウイグルを押さえたいと考える中国の事情は明らかにその土地と天然資源(ひょっとすると特に欲しいと思っているのは水資源かもしれないけれど)であり、この資源なくして中国13億人の将来は考えにくいのかもしれない。本書で明らかにされる中国政府のチベット人に対する弾圧と非道な行為は目を覆うような話は、吐き気すら催すようなものばかりだ。中国が隠し続けているこれが事実なら、それは中国の本当の姿なのである。


△▲△

イケナイ宇宙学―間違いだらけの天文常識
(Bad Astronomy: Misconceptions and Misuses Revealed,
from Astrology to the Moon Landing "Hoax")」
フィリップ・プレイト(Philip C. Plait)

2009/07/19:コンビニで買い物をしていたら、店内に流れているラジオの番組は占いで、そのバックグラウンドが「X−ファイル」のテーマ音楽だった。なんじゃ、そりゃ!と。

7月22日は日本では46年振りとなる皆既日食の日だ。東京では、約75%程度の食なのだと云う。次は26年後の2035年9月2日なのだそうで、僕は生きていれば72歳になっている予定だ。次回元気で7月22日を思い出す為にも、一目今回の日食を見ておきたいな。

宇宙論や天文の話は大好きなのだが、最近なかなか食指が動く本に巡り会えない。つーか、胡散臭いものが混じっているので選ぶのが大変なのだ。ちょっと前に月の話だと思って手に取ったら、月は古代文明が造りだした人工物だなんて本だった事もあったよ。アポロって本当は月に行ってねんじゃねーのみたいな本なんてのもあったな。

そんな経験から、この手の本を選ぶ時には、著者のプロフィールがしっかりしているかどうか、索引や引用物の記載がちゃんとしているかどうかをチェックするようにしている。本書「イケナイ宇宙学」はやや悩んだ。第一に見た目怪しい。「イケナイ」も良くないが、「間違いだらけの天文常識」?これを読んだら目からウロコが落ちる程僕の天文常識は間違っているだろうか。少なくともそんなメチャクチャな常識は持っていないハズなのである。しからばどうしてこの本を読む?

著者のフィリップ・プレイトのプロフィールも微妙だった。「天文学者」である。これはいい。しかし「ハッブル宇宙望遠鏡などの観測機器のサポートなどの仕事に従事」していると云う。「などの」が二度も入っている上に「観測機器のサポート?」天文学者なのか、技術者なのかはっきりしない感じだ。

パラパラ目次をめくってみると、「なぜ空は青いのか」、「月と潮汐」「月の錯覚」等と月の話がいろいろ書かれているらしい。そして「『アポロ計画陰謀論』を暴く」。本書は一般的に持ちやすい天文学上の勘違いから、似非科学?疑似科学?のようなものにまで幅広く反証をしようとするものなのだ。半信半疑ながら読んでみる事にした。

空が何故青く見えるのか、とか、何故一日に二度潮汐があるのか、等と云う天文学上の一般常識について書かれた部分は非常に面白く読めた。当たり前だけど、なんでなのかは知らない身近な事がこんなにいろいろあるのかと変に感心してしまったよ。

一方で、疑似科学の事についてはやや旗色悪い。本書の目的はこうした疑似科学に反証する事だったりする訳だが、以下に紹介する創造科学にスティーヴン・ジェイ・グールドが負け、疑似科学に対してカール・セーガンが負けているなか、本書でのアポロが月へ行っていないのではないかと云う事に対するフィリップ・プレイトの反論もはっきり言って大した事ないのである。残念だが。負けはしない。科学なので負けないが、やはり勝てないのである。


疑似科学




スーパー・ミステリー




まずはヤング・アース・クリエーショニストについて。この人たちは、キリスト教徒の一派で、聖書に書かれている事が完全無欠な神の言葉なので、その全ては正しいと頭から信じているのである。こうした考え方は、インテリジェント・デザインとか、創造科学とも呼ばれ、アメリカの学校教育に強い影響力を及ぼし、進化論を学校で教える事を禁じるべきだなどと云う論争が巻き起こっている。

この件についてはスティーヴン・ジェイ・グールドの「神と科学は共存できるか?」にも詳しいが、かなり深刻で憂慮すべき状況なのである。何がどう深刻かって言えば、当然進化論の方が正しいハズな訳だが、この創造科学やキリスト教根本主義に対して決定打を打ち、その考え方の息の根を止められる見込みがあんまりないという事だ。圧倒的な量の観察可能な証拠に基づく論理的推論であるハズの科学が、こうした議論に勝てないのである。これほど理解に苦しむ事ってあるだろうか。そしてこんなに残念な事ってあるのだろうか。

本書は、更に別な例として、イマヌエル・ヴェリコフスキーを紹介する。ヴェリコフスキーは1950年「衝突する宇宙」と云う本を出した。この本と続編「激変の宇宙」は紀元前1500年頃に木星から金星が生まれ、太陽系内を彷徨った。その時に地球に非常に接近したりした為、天変地異が起こったと云う事を唱えたのである。これに対して我らがカール・セーガンが反論をしたそうなのだが、これがまたしても勝てなかったのである。

1950年代に出版されたこの「衝突する宇宙」だがこれはいまだにアマゾンで購入する事が可能だ。アマゾンで商品を検索するとお奨めの商品が表示されるが、「衝突する宇宙」で検索するとお奨めとして出てくる本は「ネフィリムとアヌンナキ―人類(ホモ・サピエンス)を創成した宇宙」とか、「2012地球大異変―科学が予言する文明の終焉 」とか、「オバマ 危険な正体」みたいな、相当香ばしい本がヒットしてくる。創造科学は陰謀論と結びついて訳がわからない世界観を造りだしてしまっているのである。

9.11のテロはアメリカの陰謀だったとか、エルビスは生きているなんてね。きっと、マイケルも実は死んでないとか云う話しになっちゃうんだろうな〜。信仰の自由や言論の自由は、勿論の事だとは思う。しかし、間違った事を信じる自由や、嘘やでまかせを言う自由はないとも思うのだ。海野弘のようにいっそ楽しんでしまうつもりで手にするなら許せるが、結局科学はこうした、訳分かんないものに負けてしまいそうで恐ろしい。へんな考えに感化される前に、とっとと空飛ぶスパゲッティ・モンスター教に入信しときますか。スパモン教によれば、天国にはストリッパー工場とビール火山があるらしい。しかも女性やゲイのための男性ストリッパーも居るのだそうだ。地獄もほぼ同じだが、違うのはビール火山のビールは気が抜けていてストリッパーは性病持ちなんだと。こりゃとても怖くて罪は犯せないな。


△▲△

初ものがたり」宮部みゆき

2009/07/18:我がカミさんのお薦めする、宮部みゆき第三段は、これ「初ものがたり」である。本書は回向院の裏手に住むことから、回向院の旦那と呼ばれる岡っ引きの茂七の捕り物と江戸下町の情緒溢れる人情劇6編が収められた短編集である。収められているのは以下の6作。

■お勢ごろし
■白魚の目
■鰹千両
■太郎柿次郎柿
■凍る月
■遺恨の桜

この一連の作品は、未読でこちらも短編集「本所深川ふしぎ草紙」に初登場した回向院の茂七を主人公に捕物帖を書きたいと宮部みゆきが思って「小説歴史街道」と云う月刊誌に連載していたものなのだそうだ。残念ながらこの雑誌は連載半ばで廃刊となり、シリーズは中断してしまった。

短編一作、一作は捕物帖として事件が解決、一旦の結末は見せているのであるが、茂七が通う、深川富岡橋のたもとにある、屋台の稲荷寿司屋は、どうやら元お侍らしく、地回りやくざの頭目瀬戸の勝蔵と何やら因縁があるらしいとか、もの凄い確率で当たると評判の日道と呼ばれる子供霊媒師の存在などが大きな筋として跨っており、この先一体どうなるのか非常に気になる展開を含んでいるのである。

文章も走る。走る。

 梶屋というのは黒江町の船宿のことである。が、深川の者なら、誰もそれをそのとおりに受け取ったりはしない。梶屋は、この地の地回りやくざ連中を束ねる頭目である瀬戸の勝蔵という男がとぐろを巻いている根拠地だ。店そのものは造りの小さい小綺麗な船宿以外の何物にも見えないが、そこの畳を叩いてみれば、たちまち前が見えなくなるほどの埃が立つというところだ。


回向院正門


大きな地図で見る

そして何より本書の読みどころは、別名閻魔道橋とも呼ばれていた富岡橋のたもとの屋台で季節の移り変わりに合わせて稲荷寿司屋の親父が出す料理だ。1月、蕪の味噌汁、2月、白魚蒲鉾、5月、沖鱠、10月、柿羊羹、12月、小田巻蒸し、4月、桜餅。これがまたどれもこれも旨そうなのである。酒を出さない屋台なのだが、年老いた酒の担ぎ売りの猪助が加わり、その旨さは倍増なのである。
こんなお店があったら僕も通うんだけどな〜。


深川 富岡橋跡


大きな地図で見る

しかし、どこまで上手いんだ宮部みゆき。

どの時点で、茂七を主人公にしようと思い立ったのだろう。この稲荷寿司屋の親父にしろ、瀬戸の勝蔵にせよ、連載をはじめる前にどのくらいの事を決めて書き始めているのだろうか。

機会があれば、連載はまだまだ続く気配十分で本人もどうやら何時かは必ずと思っているらしい。各々の事件の着地は勿論の事、料理だ着物だと云った事に気配りして、更に背景にそつなくビックピクチャーを忍ばせる。いくつもの連載と締め切りを抱えてこんな芸当をこなしている事自体がもう尋常ではない。

回向院と云えば鼠小僧の墓におじゃましたっけな〜。

「黒武御神火御殿」のレビューはこちら>>

「きたきた捕物帖」のレビューはこちら>>

「あやかし草紙」のレビューはこちら>>

「三鬼」のレビューはこちら>>

「あんじゅう」のレビューはこちら>>

「かまいたち」のレビューはこちら>>

「ソロモンの偽証」のレビューはこちら>>

「ばんば憑き」のレビューはこちら>>

「ぼんくら」のレビューはこちら>>

「あかんべえ」のレビューはこちら>>

「模倣犯」のレビューはこちら>>

「初ものがたり」のレビューはこちら>>

「平成お徒歩日記」のレビューはこちら>>

「地下街の雨」のレビューはこちら>>

「火車」のレビューはこちら>>

「弧宿の人」のレビューはこちら>>

「魔術はささやく」のレビューはこちら>>

「小暮写眞館」のレビューはこちら>>

「チヨ子」のレビューはこちら>>

「堪忍箱」のレビューはこちら>>



△▲△

エンデュアランス号漂流(ENDURANCE)」
アルフレッド・ランシング(Alfred Lansing)

2009/07/18:この本を読む機会はそれこそ何遍もあった。椎名誠が面白いと書いていたのを読んだのは遙か昔の事だった。

椎名誠が面白いと云う本に外れなし。それは絶対に面白いハズだ。何度も実際に手にとっていたのだけど、どうした訳かその機会を逸し続けてきた。

先日読んだ「敵中漂流」の冒頭、スティーヴン・E・アンブローズの序文にも本書が『壮大で胸躍る、ほとんど信じがたい−−−実際にあったという一点を除けば−−−冒険』が描かれているとして本書の事が紹介されていた。間違いなく僕はこの文章も10年前に読んでいたのである。

そうだ、こんなに面白いらしい本を僕はまだ読んでいなかったのだっけ。

本書は1914年、イギリスの探検家アーネスト・シャックルトン率いる探検隊が南極大陸を南極点を通って横断を目ざしたものの、17ヶ月に及ぶ漂流の末、28人全員が奇跡的に生還を遂げた実際の出来事を書き記したものだ。


僕が読む前に知っていた事と云えばこの程度の事しかなかった。

タイトルから、「エンデュランス号」と云う船で漂流してしまったのだろうとも思っていた。
しかし、実は大分違うのである。

では、どう違うのと云うのか。

知りたければ、本を手にしよう。僕は書かない。

それは正にアンブローズが書いているようにほとんど信じがたい話だ。その壮大さも、群を抜いて凄い。想像を絶する過酷な環境に取り残された探検隊の状況は胸が苦しくなる程のものだ。そして彼らは先の全く見えない状況のなかで強い意志を持って選択をし、その環境の中で創意工夫を重ね、昼夜の境なくもみくちゃにされてフラフラになりながらも、生き残ると云うただ一つの目的に向かって努力をするのである。

これは正に読まずに死ねるか級の一冊でした。



大きな地図で見る


ここ10年と云うもの僕は会社の色々なプロジェクトに参加するような仕事ばかりやっている。プロジェクトは、大きなものだと数年がかりなんてものもある。

プロジェクトの完了期限に間に合うのか、とか、出来た仕掛けが上手く機能するのか、とかちゃんと効果が上がるのかと云った、様々な不安を抱えながら、目の前に浮上してくる課題を解決すると云うような日々だ。

この「エンデュランス号漂流」を読んでいて、僕は自分たちの今の生活が、激しく規模の小さく、危険は全くないものの彼ら同様「漂流」しているのだなとわかった。

どっちへ行くべきか、とか、或いは留まるか。備蓄された心細い食糧を横目で睨みながら、生き続ける為に意志決定をしている探検隊とプロジェクトチームでやっている意志決定は非常に類似点が多いのである。

どんな難題でも、どんなに僅かしか情報がなくとも、何らかの決定はしなければならない。何も決定しない事も結局は一つの意志決定なのである。

なんと自分は小さい事にこだわったり、くよくよしたりしてるんだろうか。彼らのストレスに比べたら僕の仕事なんて、昼寝してるようなもんだろう

僕の意志決定が間違っていても、命を落とす心配はない。帰れば笑顔で向かえてくれる家族がいて、美味しい晩ご飯とビールが待っている。

もっと上を向いて、肩の力を抜いて、行かなきゃね。
そして、もっともっと前向きにしぶとく生きなけりゃいけないと。

本書は極地での漂流を追体験する事で仕事をはじめとする日々の不安を払拭してくれると云う点でも逸品なのでありました。


△▲△

イエメンで鮭釣りを(SALMON FISHING IN THE YEMEN)」
ポール・トーディ (Paul Torday)

2009/07/12:なんとも風変わりな小説だ。全編、誰かの手記や手紙なのだ。読者は誰かから誰かへのEメールやら書簡、そして個人的な日記のようなものをまるで神の目線で覗き見している感じで読まされる。


書き手が違うそれぞれの文章を次々と読み進んでいくうちに、その背景で実際に起きている出来事が繋がりはじめ全体像が分かってくる。

そして、それぞれの書き手が描く関係者のエピソードや言動によって、個々の人物は本来のキャラクターをまといはじめ、ついには活き活きと動き出していく。

これは一言。素晴らしいとしか言いようがない。ただもうびっくりだ。物語はイエメンの富豪シャイフ・ムハンマドが自国のワディへイギリスの鮭を導入しようと云う奇想天外な計画をとりまく人々の悲喜こもごもの出来事が語られていく。

ロンドン
セント・ジェームズ通り
不動産売買およびコンサルタント
フィッツハリス&プライス

ロンドン
スミス広場
環境食料農村地域省
国立水産研究所
アルフレッド・ジョーンズ博士

五月十五日

親愛なるジョーンズ博士
 外務省のピーター・サリヴァン氏(中東・北アフリカ局長)より、博士をご紹介いただきました。実は、非常な資産家の依頼人に成り代わりましてこうしてお手紙を認(したた)めているのですが、この依頼人は、イエメンに鮭を導入し、娯楽としての鮭釣りを紹介するプロジェクトを起こしたいとの希望を表明しておられます。
 このようなプロジェクトはなかなか難しいものであろうとは思いますが、そちらの研究所でしたら、そのような企画のための調査を行ない、プロジェクトを管理できる専門家がきっといらっしゃることと存じます。むろん、このような企画に携わった水産学者は、国際的に認められ、また、じゅうぶんな報酬を手にすることとなるでしょう。今回はこれ以上の詳細には立ち入らず、まずは一度お会いして、そういった企画をどのように立ち上げ資金供給すればよいものかご相談し、それを当方の依頼人にご報告してさらなる指示を仰げるようにしたいと存じます。
 イエメンでは非常に高い社会的地位にあるその依頼人が、これを祖国にとっての最重要プロジェクトとお考えであることを強調しておきたいと思います。理不尽な財務的制約はいっさいない由はっきりお伝えするように、と指示されております。本プロジェクトはイギリスとイエメンの協調体制の象徴として、外務省の支持も得ております。

敬具
(ミズ)ハリエット・チェトウォド=タルボット

セント・ジョージ通り


大きな地図で見る

イエメン・アデン湾


大きな地図で見る

主人公は水中生物を専門とする生物学者のアルフレッド・ジョーンズ博士で、彼はイギリスの国立水産研究所(NEFE)に務める質素で慎ましく、はっきり云ってしまえば退屈な人物である。こんないきなりメールを貰ったところで、どうなるものでもない。
それにそもそもイエメンにはいわゆる川がない。あるのはワディだけなのである。

wadi
wa・di /w?di|wdi/
―【名】【C】 ワジ,かれ谷 《アラビア・北アフリカ地方の雨期以外は水がない谷川》.
[アラビア語「谷」の意]

そんな場所に鮭を持ち込むなんて無理に決まっている。端から無茶な話しなのである。

しかし、これに時の首相が興味を示す。イエメンとの友好関係を想起させるいい絵になると。そしてもう一人、アルフレッドの上司。首相のお眼鏡にかなう事が出来る上に、渋い運営を余儀なくされている研究所へシャイフの有り余る財力のいくらかを回してもらえるという事だ。彼らからの圧力によって、アルフレッドはこの「鮭プロジェクト」の推進を余儀なくされてしまうのである。

あまりの無謀な計画に成功する見込みが殆どないと腰が引けた状態となっているアルフレッドに、シャイフはこんな事を言う。

 「あなたも信じる心を学ばれるべきですよ。アルフレッド博士。信じる心こそすべての苦悩を癒す薬であると、私たちは思ってます。信じる心なくして、希望も愛もありません。信じる心は希望以上のもの、愛以上のものなのです。」

シャイフの言葉に少なからず心動かされたアルフレッドは精力的にプロジェクトを推進していく。シャイフの有り余る富を利用して。巨大なプロジェクトに成長していく「イエメン鮭プロジェクト」はアルカイダの刺客までも誘き寄せはじめる。

とにかく可笑しい。冒頭に書いた文体も相まって、俗物のような首相や政府高官の言動や、(ミズ)ハリエットに恋人から届いた軍の査閲済みで黒く塗りつぶされた手紙。声を出して笑ってしまう程でした。

ポール・トーディは、1946年生まれで、若い頃は英文学を学んだが、イングランド最北部で家業である船のエンジンを修理する会社を引継ぎ、以来ずっとビジネスマンとして生活してきた人で、60を間近に会社を引退し、仕事で関係のあったイエメンと大好きな鮭釣りを物語の題材に小説を書き上げたのである。

しかし、読書レビューでは☆☆☆★★と平均的な評価を下してしまった。僕は、なんで鮭釣りなんだろう。とか、イエメンってさアデン湾に面していて、ソマリアと対面してんだよな。とかと、物語の向かう方向性に対して深読みをしすぎた。そして最後の着地に対する違和感。ポール・トーディはどうしてここに着地させたのだろうか。

全くもって身近でない「鮭釣り」の意味がやっぱり僕には理解できなかったのであろうか。それとも単に肌が合わないと云う事なのか。途中までが大変良かっただけに残念である。


△▲△

犬の愛に嘘はない(Dogs Never Lie About Love)」
ジェフリー・M・マッソン(Jeffrey Mossaieff Masson)

2009/07/05:久々のジェフリー・M・マッソンである。以前「良い父親、悪い父親」を読んで随分と感銘したものだ。動物に魂があるか?心や感情があるか?聞くまでもない。あるに決まっているだろう。しかし残念ながら世界全体の基準から見ると必ずしもそう思っている人ばかりではないのだ。

高校の時の生物の先生がこんな事を言っていたのを思い出す。人々が「青色」と言う色は実際に自分にみえている色と他の人に見えている色が同じかどうかは分からない。これは証明のしようがないと云うのだ。もし僕が誰か他の人の体にどうにかして入っていって、その人の目と脳で外を見たら「青色」が違う色にみえている可能性があると云う訳だ。「2001年宇宙の旅」に登場するHALはまるで意識があるように振る舞うが、ボーマン船長はあくまで意識があるようにみえると言った。HALには意識があったのだろうか。

「ブレードランナー」の冒頭、レプリカントを識別する為に捜査官は感情を刺激する質問を投げかけて反応を見ようとする、全く人間と区別のつかないレプリカントだが、砂漠にいるカメの話や母親と云う言葉にどう反応すれば良いか分からないのである。このレプリカントは言葉を知らなかったのだろうか。それとも刺激される感情そのものがなかったのだろうか。

動物に心があるか?それは犬と一緒に暮らしてみればすぐにわかる。

僕が大学に入った1982年、お袋が突然犬を飼いたいと言い出した。当時習いだした弓道の先輩の家でシェットランド・シープドックの子供が生まれた事で、まずは見せてもらいに行こうと云う話しになったのであるが、その時点でお袋の腹は決まっていたに違いない。勿論子犬が可愛くない訳がない。いきなりどの犬が良いかなんて話しを先輩のおばさんと相談しはじめた。

その家では、母と娘の二匹シェットランド・シープドックがおり、ほぼ同時に子犬を生んだ。おじゃました時は、わらわらと7〜8匹の子犬が庭で遊んでいた。
穏やかな犬の方が飼いやすい。注意を惹き付けたた時に一番最後にのそのそやってくる犬がいいのよ。などと教えて頂き、その通り最もぼーっとしている牝の子犬にしようなんてその場で決めてしまったのである。オヤジに相談してた気配もないのにだ。

いいの?勝手に決めちゃってなんて言ってもお袋は聞く耳を持ってない。そして母犬から離せる時期を待ってその子犬は我が家へやってきたのだった。さすがにオヤジも突然犬を飼う事にしたと言われて面食らっていたと思うのだが、やって来た子犬は勿論可愛くない訳がない。この日から我が家の主役は僕たち息子ではなく、この子犬になったのである。

その子犬の名はロンであった。これはオヤジの命名である。え〜。牝なのに?と反対したものの。いやいやこれでいいのだと。なんだかバカボンのパパのような遠くを見る目で言い放ったオヤジに対して、勝手に連れてきたお袋もここは一歩譲る事にした模様だ。血統書付きのシェットランド・シープドックの牝犬で正式な名称は確かエリザベスなんたらと長々とした名前が付けられているにもかかわらず彼女はロンと呼ばれて自らも間違いなくそれは自分の事であると自覚していた。

大学生活は気ままで自由な時間が沢山ある。学校がすぐ近かったので、一日に学校と家を行ったり来たりする事もあった。そんな僕は暇さえあればロンと一緒に遊んでいた。子供の頃にも犬を飼っていたのだが、こちらが幼かったため犬に何かを教えたりするような関係ではなかったが、ロンには沢山教えた。そしてロンはよく学んだ。非常に賢かったのである。

当時僕が住んでいた場所は無理すれば車が3台入る程の庭と云うか地面があって、そこは門もなくそのまま道路へ出られる場所だった。ここからロンが勝手に出て行くと困るので、出てはいけない線はここだと教えた。彼女がこれをどのように理解していたのか正確にはわからないが、道路から呼んでも、出てこない。散歩の時以外はこの線から先へは行ってはいけない場所だと云う事を理解する事ができたのだ。

僕が庭でバイクを掃除したり、本を読んだりしている間、ロンを放していても庭の外へ勝手に出て行く心配はなかったのである。性格が穏やかだったので、郵便や宅配の人が突然やってきても走り寄る事も吠えることもないのでほったらかしていれば、一人で遊んでいたり、僕のしていることを不思議そうに見ていたり、日向で眠っていたりしているばかりで全く心配がなかったのである。

後になって知ったのだが、当時同じ敷地に住んでいた従姉妹は家事をしている間、幼かった娘を外で遊ばせてても、道路に出そうになるとロンが吠えるので分かったと云う。ロンはこの子を一緒に遊びながら見張ってもいたのである。

散歩の時に使っていた綱は取り外し自由自在で、ロンは散歩の時自分で首を入れて出発し、いつもの河川敷までやってくると自分で外した。帰る時は呼べば戻ってきて、また綱に首を入れ、家の前ではまた外して庭に駆け込む。ロンが普段いる柵の中は呼べば飛び越えて出入りする事も出来たのである。

散歩に行くよと云うと自分から柵を出て、首に綱をつけてくる犬って皆さんどう思います?

<目次>

犬の心を探して
犬の感情を認識する
人はなぜ犬を慈しむのか
愛―犬を支配する感情
忠誠心と英雄的行為
犬は人の目には見えないものを嗅ぐ
服従、支配、そして感謝
犬にとっての最大の恐怖―孤独と放棄
思いやり―犬の内なる生活の神髄
威厳、屈辱、そして失望
犬は夢を見る
本能対本能―働く犬と遊ぶ犬
犬と猫
犬とオオカミ
犬の攻撃性―本物か偽者か
孤独―犬たちの悲しみ
犬の心で考える
犬の魂を探して

ジョージ・グレアム・ベストは19世紀にミズーリ州の裁判所の門前で飼い犬を殺した男を訴えた男の代理人としてスピーチをした人なのだそうだが、彼はこんな事を言ったそうだ。

 陪審員のみなさん。この世の中では親友でさえあなたを裏切り、敵となることがある。愛情を込めて育てた息子や娘も、深い親の恩をすっかり忘れてしまうかもしれない。あなたが心から信頼している、もっとも身近な愛する人もその忠節を翻すかもしれない。富はいつか失われるかもしれない。もっとも必要とするときにあなたの手にあるとはかぎらない。名声はたったひとつの思慮に欠けた行為によって、瞬時に地に墜ちてしまうこともある。成功に輝いているときにはひざまづいて敬ってくれた者が、失敗の暗雲があなたの頭上を翳らせた途端に豹変し、悪意の石つぶてを投げつけるかもしれない。こんな利己的な世の中で、けっして裏切らない、恩知らずでも不誠実でもない、絶対不変の唯一の友はあなたの犬だ。

 あなたの犬は富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも、つねにあなたを助ける。冷たい風が吹きつけ、雪が激しく降るときも、主人のそばならば冷たい土の上で眠るだろう。与えるべき食べ物が何一つなくても、手を差し伸べればキスしてくれ、世間の荒波に揉まれた傷や痛手を優しく舐めてくれるだろう。犬は貧しい民の眠りを、まるで王子の眠りのごとく守ってくれる。

 友がひとり残らずあなたを見捨て立ち去っても、犬は見捨てはしない。富を失い、名誉が地に墜ちても、犬はあたかも日々天空を旅する太陽のごとく、変わることなくあなたを愛する。たとえ運命の力で友も住む家もない地の果てへ追いやられても、忠実な犬はともにあること以外何も望まず、あなたを危険から守り、敵と戦う。すべての終わりがきて、死があなたを抱き取り、骸が冷たい土の下に葬られるとき、人々が立ち去った墓の傍らには、前足の間に頭を垂れた気高い犬がいる。その目は悲しみに曇りながらも、油断なくあたりを見回し、死者に対してさえも忠実さと真実に満ちている。

本書を読み進む事はなかなか容易ではなかった。気がつくとロンとの思い出に彷徨い出て、目は本から離れて遠くを見つめてしまっているのである。あんな時、こんな時のロンはこうであったのか。こう感じ、こう考えていたのだろうか。正に走馬燈のようにロンとの思い出がやって来ては胸が苦しくなる。

ロンは雪の日も雨の日も真夏の猛暑の中も嬉々として散歩して、一緒に遊び、僕たちの家族に常に笑顔と素晴らしい時間を与えてくれた。そしてくよくよしたりせず、常に今、この一瞬を精一杯生きる事、そして愛と云うものを体現して教えてくれたのだと思う。

ロンが僕や弟、そしてオヤジやお袋を実際問題何だと思っていたのかは解らない。しかし間違いないのは、ロンは僕たちの事を信じていた。信じきっていた。そして愛していた。それは僕たちの心の中でロンを愛しているよりもずっとずっと広く大きいものであった。僕たちには、仕事や学校や趣味やら何やらと色々沢山抱えこんでいるけれど、ロンは食べ物の事以外、物に執着する事もなくいたってシンプルな生活をしており、その心の大部分と云うかほとんど全てが僕たちへの愛だったのである。

ロンの持っていたその愛情を思い浮かべると今でも胸が締めつけられるように苦しくなる。もっともっと僕はロンの愛情に応えられたのに、学校、仕事そして結婚だとやむを得ない事だったとは云えどんどんと遠いところへと離れなければならなかった。僕が家を出た時にロンは一時すごく元気がなくなってしまったそうだ。

僕に続いて弟が結婚し、お袋が病気で亡くなり、とうとうロンはオヤジと二人になってしまった。誰もいない家で一人いるときのロンは一体何を感じどのように現状を理解していたのだろう。

実家に帰ればいつも、目を輝かせて走ってきて、抱き上げると子犬の時と変わらず猫のように喉を鳴らしてぴったりと身を寄せてくるロンに、寂しい思いをさせてごめんなと言っても、沢山の単語を理解していたとはいえ、その理解を超えている時いつもする耳を立てて首を傾げ不思議そうな顔をしていた。なんで謝られているのか理解できなかったかもしれない。悪いと思っているこの気持ちを受け取っててもらえていない事が余計に辛かった。ロンが注いでくれる愛情と同等のものを僕がロンに与えてあげる事はできない事が辛い。だって犬の愛に嘘はない。そう犬の愛には、限界や嘘がないのである。

「良い父親、悪い父親」のレビューはこちら>>

「ゾウがすすり泣くとき」のレビューはこちら>>


△▲△

敵中漂流(THE WAR JOURNAL OF MAJOR)」
デイモン・ゴーズ(Damon"Rocky"Gause)

2009/07/05:かれこれ10年前に読んだ本なのだが、なんとなくもう一遍読みたくなって再読。記憶はかなり断片的になっていたのだけど、日本兵が大勢雑魚寝している間を息を潜めて通り抜ける場面は映像になって残る程鮮烈なシーンだった。当時は読んだ本の背景を調べたりするような事をちゃんとしていなかったので、検めて読み返してみたい。

1941年12月、日本軍はフィリピン最大の島、ルソン島に上陸した。アメリカ軍はフィリピンの軍隊と共にマニラからバターン半島及びコレヒドール島へと撤退した。南進する日本軍の勢いを止める事ができず、1月にはマニラが占領され、3月には、ダグラス・マッカーサーが"I shall return" と云う有名な言を残してコレヒドール島の要塞から脱出。4月にはアメリカ・フィリピン軍が降伏しコレヒドールの要塞も遂に陥落した。




コレヒドール島(Corregidor Island)


大きな地図で見る

この際、日本軍はアメリカ軍フィリピン軍から7万人を越える捕虜抱える事となったが、そのあまりの規模の大きさに対処できず、炎天下で食糧や手当が十分でないにもかかわらず、捕虜を88kmに渡る距離の後送を実行し、アメリカ軍の捕虜から2300人もの死者を出し、後に「バターン死の行進」と呼ばれる事件を起こした。

食糧不足に加えマラリアやその他にもデング熱や赤痢が蔓延し、監視にあたった日本軍の兵士たちも悲惨な状況に追い込まれたのであるが、これは捕虜の予想を上回る規模を無視したずさんな計画によって必然的に生じたものに見える。

この後送は、上述のような事情で現場は相当の混乱状態にあった模様で、その混乱に乗じてかなり大勢の脱走に成功する者がいたらしい。デイモン・ゴーズはこの脱走者の一人なのである。彼は、この死の行進の最中に脱出し、正に敵中を身を隠して逃げ延び、泳いで島を渡り、哨戒艇から鮫や潜水艦からも逃れて、ついに5000kmも先のオーストラリアまで辿り着いてしまうのである。

ルバング島(Lubang Island)


大きな地図で見る

彼の強靱な体には驚くばかりなのであるが、もっとビックリなのは彼の脱出行はそれこそ危機また危機の連続であって、生き残る事が出来たのはもうただ幸運としか言いようがないのである。本書はこの逃亡中に彼が書き残したメモをもとに彼の息子が本として出版したものなのである。
デイモン・ゴーズが逃げながら、起こったことをかなり克明に臨場感溢れる文章で書き留めていた事によって、今僕らはこの脱出の顛末を詳細に知る事ができる。

事実は小説よりも奇なりと申しますが、この脱出劇は正にそれを地で行く内容なのですよ。本書は「脱出記」に並ぶびっくりノンフィクション・ノベルであります。

「脱出記」のレビューはこちら>>

「バターン死の行進」のレビューはこちら>>


△▲△
HOME
WEB LOG
Twitter
 2024年度(1Q)
 2023年度(4Q) 
 2023年度(4Q) 
 2023年度(3Q) 
 2023年度(2Q) 
2023年度(1Q) 
2022年度(4Q) 
2022年度(3Q) 
2022年度(2Q) 
2022年度(1Q)
2021年度(4Q)
2021年度(3Q)
2021年度(2Q)
2021年度(1Q)
2020年度(4Q)
2020年度(3Q)
2020年度(2Q)
2020年度(1Q)
2019年度(4Q)
2019年度(3Q)
2019年度(2Q)
2019年度(1Q)
2018年度(4Q)
2018年度(3Q)
2018年度(2Q)
2018年度(1Q)
2017年度(4Q)
2017年度(3Q)
2017年度(2Q)
2017年度(1Q)
2016年度(4Q)
2016年度(3Q)
2016年度(2Q)
2016年度(1Q)
2015年度(4Q)
2015年度(3Q)
2015年度(2Q)
2015年度(1Q)
2014年度(4Q)
2014年度(3Q)
2014年度(2Q)
2014年度(1Q)
2013年度(4Q)
2013年度(3Q)
2013年度(2Q)
2013年度(1Q)
2012年度(4Q)
2012年度(3Q)
2012年度(2Q)
2012年度(1Q)
2011年度(4Q)
2011年度(3Q)
2011年度(2Q)
2011年度(1Q)
2010年度(4Q)
2010年度(3Q)
2010年度(2Q)
2010年度(1Q)
2009年度(4Q)
2009年度(3Q)
2009年度(2Q)
2009年度(1Q)
2008年度(4Q)
2008年度(3Q)
2008年度(2Q)
2008年度(1Q)
2007年度(4Q)
2007年度(3Q)
2007年度(2Q)
2007年度(1Q)
2006年度(4Q)
2006年度(3Q)
2006年度(2Q)
2006年度(1Q)
2005年度(4Q)
2005年度(3Q)
2005年度(2Q)
2005年度(1Q)
2004年度(4Q)
2004年度(3Q)
2004年度(2Q)
2004年度(1Q)
2003年度
ILLUSIONS
晴れの日もミステリ
池上永一ファン
あらまたねっと
Jim Thompson   The Savage
 he's Works
 Time Line
The Killer Inside Me
Savage Night
Nothing Man
After Dark
Wild Town
The Griffter
Pop.1280
Ironside
A Hell of a Woman
子供部屋
子供部屋2
出来事
プロフィール
ペン回しの穴
inserted by FC2 system