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こちらのページでは2003.8月〜2004.3月までに読んだ本をご紹介しています。


めまいの街―サンフランシスコ60年代-カリフォルニア・オデッセイ3」
海野弘


2004.03.21:何故サンフランシスコはめまいの街なのか、それはLSD・マリファナでありスピードの街だからだ。またサンフランシスコはラブ&ピースでありフラワー・ジェネレーションだからだ。ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、グレートフル・デッドを生みだし、ビート、ヒッピー、サイケ、そしてヒップでポップでメロウなムーブメントの爆心地であるからである。

これらのムーブメント、全てふらふらと揺れ動き、ぐるぐると回転し、疾走・トリップの爆心地であるが故である。では何故爆心地足りえたのか。何故ニューヨークでもシカゴでもない。 カリフォルニアの中でも当地サンフランシスコなのか。

本書は、1958年に公開されたヒッチコックの「めまい」の進行に合わせ、その舞台となったサンフランシスコ巡りをするところから始る。

こんな風に映画が読み解ければなんと楽しいことだろうか。映画「めまい」が巡るのはサンフランシスコの歴史を遡る建造物・景勝地の観光ルートである。それはサンフランシスコの歴史を辿る道となる。

ここで本書は映画「めまい」をはなれサンフランシスコの歴史へと転じていく。この歴史の積み重ねが1950年代初頭からのビートを始め、フラワージェネレーション・ヒッピーから、ティモシー・リアリーを教祖とする LSDの「トリップ」での精神世界探訪等様々なムーブメントを生み出す原動力となった事実を掘り起こしていく。それにしても先週読んだ「続・科学の終焉」でトリップで悟を得る話の次にこの本でLSDの由来に ぶち当たるとは、世の中狭いな。

そしてそれは、1967年6月のモンタレー・ポップで一つの頂点を迎える。日本では1967年というとフォーク・クルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」 や森山良子の「この広い野原いっぱい」がヒットしたり、ジョーン・バエズが来日したりしているようだ。 またヒッピーというと「ゲバゲバ90分」だったと思うけどハナ肇がヒッピーの格好でギャグやってたなー。

その後このムーブメントはアートの領域でも革命を起こし、ヘイト・アシュベリー 地区を中心として音楽・詩や小説はもとよりサイケなポスター・アートやライト・ショー、モダンダンス等の分野へ裾野を広げていく。 これらは元来当地サンフランシスコの持っている「めまい」を 起こす性格によるものだという訳だ。




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なるほど計算された、見事な展開である。60年代の出来事と云えばケネディ暗殺、ベトナム戦争本格化(1963)、東京オリ ンピック(1964)、YS−11就航(1965)仙台・東京間で乗ったのは幾つの時だったんだろう。母もファンだったビートルズ来日(1966)、ボーリング・ブーム (1967)、三億円事件(1968)アポロ11号の月面着陸(1969)大阪万博(19 70)岡本太郎。1963年生まれの僕にとって、これらの出来事は大人の世界。この本は子供の頃の様々な記憶を呼び覚ます。過去と現在を行ったり来たりするめまいを呼ぶ本なのだ。

これを書いている今朝の新聞にはビートルズ日本公演 の前座バンドのリーダーであり僕たちの世代では「全員集合!!」であり、僕の息子には「わくさん」だったいかりや長介さんの訃報。合掌。

僕は今、あの頃の父や母と同年代になり、自分の子供はあの頃の僕と同じ年代だ。 そう、歴史はまるで転がる石のようにぐるぐると繰り返しつつ漸進的に進むものなのだ。

ラルフ・"サニー"・バージャー「ヘルズ・エンジェル−サニー・バージャーとヘルズ・エンジェル・モーターサイクル・クラブの時代 」の読書日記はこちらからどうぞ

もう一つの60年代リチャード・ブローティガン「アメリカの鱒釣り」、「ビッグ・サーの南軍将軍」の読書日記はこちらから

「めまいの街―サンフランシスコ60年代」のレビューはこちら>>

「癒しとカルトの大地―神秘のカリフォルニア」のレビューはこちら>>

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「秘密結社の世界史」のレビューはこちら>>

「陰謀と幻想の大アジア」のレビューはこちら>>

「新編 東京の盛り場」のレビューはこちら>>

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「書斎の博物誌―作家のいる風景」のレビューは こちら>>

「武蔵野を歩く」のレビューは こちら>>

「海賊の世界史」のレビューはこちら>>

「ビーチと肉体」のレビューはこちら>>

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ジョン・ホーガン(John Horgan)
続・科学の終焉(おわり)―未知なる心
(The End Of Science: Facing The Limits Of Knowledge In The Twilight Of The Scientific Age)


2004.03.13:書棚で目にしていたにも関わらず長い間てっきり既に読んだ前作の「科学の終焉(おわり) 」だとばかり思い込んでおり、続編である事に気づいてなかった。

まずは前作から、量子物理学や宇宙論は実証実験可能な領域での発見をし尽くし、ここ数十年は優雅で美しい理論的洞察を発明しているに過ぎない。これはもうSFとなんら変わるところがなく、要は「科学は既に終焉っている」のではないか。これが全体を通じる著者のスタンスであった。

科学ジャーナリストであり続ける以上、科学者へ媚を売りおだてて情報を集める事は欠く事が出来ないという従来の規定概念を覆す辛辣な質問を飛ばすインタビューの数々。

著者の前でロジャー・ペンローズ、リチャード・ドーキンス、スティーブン・ホーキング、フランシス・クリック等一般人が半ば神聖視しているような現代科学者の最高峰の人たちが、自らの著書などでは決して表さない人間臭さや苦悩を吐露していく。

こんな事書いちゃって再び相手に会って貰えるのか。真正面からライバルの理論や矛盾点を突きつけられておたおたしたり、怒り出したり、笑い飛ばしたり彼らの姿はまるでこの本の監修者となっている筒井康隆の小説に登場する偏執狂気味の人物のようだ。

そして読み進むうちに現代物理学の百家争鳴ぶりと、究極の真実までの道程の遠さを我々は気付かされる。

今回続編として登場した本書は、前作が量子化学や宇宙論等が実は終わっているとした一方で神経科学の分野は実はまだ始ってもいないというものだ。

冒頭前作を読んだ英国生物学会の重鎮ルイス・ウォルパートに神経科学はまだ始ったばかりだと云うのに「もう終ったとは、貴様何をほざくか」と激昂されるシーンから始る。

著者はその主張を素直に認めた上で、脳は自分自身を説明することが出来ないのではないかつまるところ心は解明できるのかという問題へ迫っていく。

現代科学は様々な切り口で心と意識の問題へアプローチを行っている。それは純粋科学の研究であったり、脳神経医学のように医学の分野や薬物学、製薬会社が企業競争の基でしのぎを削る分野もある。しかしその成果は果たして「始った」とも言えないような分野も数多いようだ。

フロイトから始った精神分析はその原因として呼び覚まされた幼児期の虐待の記憶が治療師によって作られたものだとの訴訟や謗りを受け窮地に立たされている。

脳神経医学はロボトミー手術の台頭とその効果が疑わしい事から世間から異常・不気味なものとして定着してしまった。神経の化学物質の働きに対する知識は玉葱の皮のように剥いても剥いても心や精神の実態を表さない。

心理療法は、「信じるものは救われる」的で祈祷師並という批判を跳ね返す証拠を明示できない。精神薬理学はプラシーボ効果との競争に白黒付ける程の効き目を示せずにいる。

遺伝工学は正体が怪しげな遺伝子の発見や優生学等によって、似非科学や人種差別主義者たちによって踏み荒らされてしまっている。

進化心理学、進化心理学とは現代人の心の構造や精神活動を自然淘汰によるものとして説明しようとするものだ。慈善団体へ巨額な寄付や、子殺しや連続殺人、異性の好みやゲイ等、現代人の精神活動の個人の善行や悪行の精神活動を進化心理学によってに説明しようとすると、なんか屁理屈っぽく、信憑性がうすくなってしまう。またこの理論は何々の形質を持つものは子孫を多く残せる的に理論を展開する訳だが、突き詰めると心や精神の構造の成立に遺伝子が関与するのかどうかという優生学的思考との迎合が避けて通れず、苦しい展開となっている。

人工知能、大方の知識人の予想に反してコンピューターがチェスで人間をコテンパンにしたり、意識を持って話し始めたり、人間に反逆を企てる事も当面はなさそうな気配だ。僕個人としてコンピューターと人間のチェスの試合に関して言えば、チェスに勝つことと意識や心の問題にはかなりの乖離を感じるし、勝つことだけを目的で考えるのであれば全くチェスの素養もなくコンピューターゲームもドヘタな僕にはIBMのアプローチにも問題が在りそうに感じるのだが。

ところで本書でも触れられている「2001年宇宙の旅」に登場するHALについて少々。劇中BBCのアナウンサーはボーマンに対して「HALは意識があると思うか」と尋ねるがボーマンは「ある様に見える」というような答え方をしている。

更に設計者が人間が対応しやすいように意識があるかのように作ったのだというのだ。ボーマンが自力でモノリスへ接近し受け入れられる事を考えても全編を通じてHALに意識があると明確に示していない。

これは製作当時、2001年の時点で人間と会話可能な、更にはある程度自立的に考え問題解決をするコンピューターを作る事はできても、人間の意識や心が完全に解明できてはいないだろうというメッセージなのだ。更に人間の心が完全に解明できていない時点でコンピューターの意識の存在を証明すること等は困難だ言っている訳だ。

さすが、深いな。本書の主要参考文献にリストされた「HAL(ハル)伝説―2001年コンピューターの夢と現実ディヴィッド・G・ストークはこの映画やHALについての研究本で、このような真剣な学術本が書かれる事もこの映画の偉大さを物語っている。人工知能に興味がある方、この映画が好きな人は是非ご一読をお勧めします。

キューブリック関連情報
2004.10.19:ヴィンセント・ロブロット「映画監督 スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick: A Biography)」を追加しました。

話を本書に戻すと、上記のような様々な切り口も心や意識の問題を解決するには遠いのみならず、ここの理論単独で達成するのは土台無理な話だと感じざるを得ない。というより寧ろ、犬や猫に心があるかはおろか、隣人に心があるかどうかすら怪しくなってしまうのだ。

更に本書はドラッグや瞑想等によるカルト的な精神世界の探索やノーベル賞科学者のジョセフソンの神秘主義者化を紹介する。神秘主義へと自分を向かわせたきっかけについてジョセフソンは物理学の難問についてあまりにも一所懸命に取り組むあまり殆んど眠らずにいたときにある種奇妙な体験をしたと告げる。

著者はここで自分の信条、ミステリアン主義を表明する。要は神秘体験がもたらす啓示かなんかでもない限り、心の謎にはせまれないだろうというのだ。

なるほど。

最終章で著者は怪しげな発明家が持ち込んだ「肉体的・精神的苦痛を和らげる」というゴーグルとヘッドフォンを組み合わせた装置を試し啓示を授かる一歩手前まで行く。この件から著者が神秘体験もその信憑性について疑わしいと思っている事は明らかで、宇宙論と同様、科学にせよ宗教にせよ説明可能な領域には自ずと限界があり、究極の問いに対して答えを用意できるほど強力な論理は生み出せないであろうとする考えに残念ながら反論できるものは当面出現しそうもない。


2005/06/11:「科学を捨て、神秘へと向かう理性」のレビューを追加しました。レビューはこちらからご覧頂けます。


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ウィリアム・ライアン&ウォルター・ピットマン
(William B.F. Ryan & Walter C. Pitman )
ノアの洪水
(Noah's Flood: The New Scientific Discoveries About The Event That Changed History )


2004.03.06:アフリカで今からおよそ700万年前第三紀中新世、類人猿がゴリラとチンパンジーそして人類の祖先へと枝分かれしたらしい。アフリカ大陸では今から約400万年前にホットブリュームにより大地溝帯が出現、東側の森が消失しサバンナとなった。その際この草原に孤立した一握りの集団は大地溝帯に阻まれ森に戻ることができず、樹上生活が出来なくなってしまった。その為、木の実を取る為にも、熱い太陽からの照射面積少なくする為にも二足歩行を余儀なくされてしまった。これが所謂イースト・サイド・ストーリーである。

鮮新世約250万年前になると、この集団の子孫は体型と脳容量が大型化し、徐々にアフリカ大陸から拡がり始めた。また東アフリカではクロマニヨン人が10万年前に出現し、5万年前までの間、再び大きな変革を遂げた。この時期、彼らの喉頭が発話可能な構造へと変化し、言語能力の大幅な向上があったと見られる。

彼らは石器のような単純な道具に代わり銛、投槍等の複雑な構造の道具を作り出したばかりではなく、高度に洗練された武器を集団で使う事で非常に効率よく狩を行うことが出来るようになったのだ。

従来不可能だった大型の動物を捕獲したり、鳥や魚も採って食べられるようになった。また住居を建て縫製衣服・装身具を纏い、宗教的意識も発生した。

人類はこの時期に社会的生活や高度な文明を生み出し知的・創造性の大躍進を遂げたものと思われる。そのクロマニヨン人達は約4万年前ヨーロッパやオーストラリアへ進出したらしい。

彼らはこの時点で既に船を作り海を渡る技術を持っていたということだろう。またヨーロッパではネアンデルタール人と接触。直接衝突して戦ったり交雑した痕跡もなく、ネアンデルタール人を数千年の間で絶滅させてしまった。恐らくはクロマニヨン人の進出で急激に地勢が変化し、栄養状態が悪化したせいではないかと思われる。

地球は約2万5千年前から気温は徐々に下がり始め最終氷期に突入、約1万年続いた。最終氷期では地球全体の平均気温で7度から8度も低下、極地方の氷床が拡大し大陸に大きく拡がった。この氷床拡大により海水が減少、海岸線が大幅に後退する現象を引き起こした。

クロマニヨン人達は、この頃更に地域的な拡大を続けシベリアを超え、南北アメリカ大陸へも進出を遂げた。減少した動植物を追い求める、生き残りを賭けた移動だったのだろう。

最終氷期が過ぎ温暖化が進んだが1万3千年前になると極地に凍結状態であった大量の氷が融け海水へ流れ込み、海洋深層循環が停止、再び急激な寒冷化が進んだ。氷床極大化に匹敵するこの時期をヤンガー・ドライアス期と呼ぶ。

その後1万2千5百年前頃を堺に、地球は温暖化に向かい氷床が後退し海水面が上昇し始めた。

人類にとって食糧事情が劣悪な環境となったと想定されるこの時代、紀元前1万年から8千年頃にはメソポタミア周辺で最初の家畜飼育と農耕が行われ始めたと考えられている。この時代を先頭に中国が独自で飼育栽培を発見。インダス川流域、エジプトなども農耕技術を導入し始めていたと思われる。

紀元前5,600年前、その当時淡水湖であった黒海では湖面より海水面が高くなってしまった為、ボスポラス海峡の淡水から海水への流れが急激に逆転、黒海へ大量の塩水が流入する事態となった。この時を境に黒海の水は塩水となり文字通り海となったと云う訳だ。

湖水近くで村を形成し、豊かに暮らしていた人々は、突然の出来事にそれこそ動転地変したに違いない。彼らは着の身着のまま黒海周辺からヨーロッパ全土に逃れて行った。出土する土器や装飾品の特徴から、その足取りはかなり解明されてきているものの、まだまだ謎が多い。しかし彼らが持って逃げたものの中には間違いなく農業技術や宗教観、そして洪水に纏わる神話が含まれており、彼らと一緒に大陸の東西へ拡大していった。それが「ギルガメシュ」の口頭伝承で語り継がれた叙事詩であり各地の洪水神話である。

その後シュメール文明紀元前3千年前に文字の発明があった。しかし物語や神話を文章化するにはまだかなりの時間が必要だった。やがて十分に期が熟した後に旧約聖書のノアの洪水の物語が書き記され、現代に継承された。

前置きが凄まじい事になってしまったが、700万年の歴史だ。長すぎるなど決してないだろう。本書は18世紀末以来からの近代の探検家・冒険家の歴史と物語、そして海底ソナー探査やボーリング技術等考古学や年代測定技術の科学的進歩の歴史の話題と行きつ戻りつしながら、底流に流れる洪水に纏わる大きな歴史を遡っていく。

歴史を探る彼らの偉業は、あたかもギルガメシュが二枚潮のボスポラス海峡の流れを石の錘に曳かれて遡るかのようだ。おかけで我々人類は1万年前この叙事詩の出来事も洪水という大事件も確信を持って理解する事が出来たという訳だ。

関連書籍 「地中海は沙漠だった―グロマーチャレンジャー号の航海」ケネス・J・シュー


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癒しとカルトの大地―神秘のカリフォルニア
カリフォルニア・オデッセイ4
海野弘


2004.02.28:海野弘氏の著作は既に100冊を超えていおり、一体専門はなんなのでしょうか。物凄く広い領域です。

本書はカリフォルニア・オデッセイと題された全部で6冊からなるシリーズの一冊。このシリーズは全体でカリフォルニアが現在の姿となった由来をサブカルチャーや映画・小説・音楽の視点から紐解いていく。ゴールドラッシュ以降「夢のカリフォルニア」としてあらゆる人々をひきつけてきた背景には一体何があったのか。

本書はこの土地が新興宗教や占い師や占星術師はたまはヒーリング等の多くを生み出しまた世に広めてきた背景に迫る。野球の名選手スポルディングの老後の暮らしから始まるカリフォルニアの癒しとカルトの文化は、その後東洋と西洋の融合を果たし、様々な才能を持った者を呼び集め、数々のムーブメントを生み出した。

そして結果的に映画の都ハリウッドを作り出していく。物語は60年代70年代を通り過ぎ、やがて現代へ、おぼろげに覚えている事件や、ニュースの背景に潜むあっと驚く事実の数々が面白い。

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沖縄/草の根・根の意思」目取真 俊


目取真俊「沖縄/草の根・根の意思」60年沖縄生まれの芥川賞受賞作家。僕たち夫婦は沖縄が大好きで、何度となく遊びに行きました。しかし、ただのリゾート巡りに終りたくなかったし、沖縄の空気や音がなにか懐かしくて心地よいのは何故なのかを探るためにも沖縄関係の本を読み漁った時期もありました。そこには琉球王朝としての華麗な歴史もあれば、幕府、そしてその後の日本政府による蹂躙があり、そして太平洋戦争の悲惨な歴史がある。

現在に目を向けるとアメリカ軍基地問題や環境問題等、過去の外部からの度重なる身勝手な介入によりウミンチュとしての価値観も大きく引き伸ばされて散り散りになってしまった沖縄がある。僕たちはそんな波乱万丈な歴史によって彩られた現在に生きて、そして沖縄を愛している。

本書は99年〜01年の沖縄サミット、普天間基地問題等で大きく揺れた時期に琉球新報に連載されたエッセイを纏めたものだ。二千円札の絵柄や15年の基地の使用期限等の茶番劇を続ける役人と翻弄される民衆。サミットを前に緊迫していく沖縄の雰囲気がひりひりと伝わってくる。それは小渕首相(当時)が開催直前に急死する事態でピークを迎える。著者が容赦なく鉄槌を振り出す問題は根深く、沖縄の今がいかに複雑な事情を孕んでいるかを示している。

確かに沖縄は近代多大な犠牲を強いられてきたし、それが現在進行形であることも紛れのない事実である。しかし、どうだろう著者の持ち出してくる主張、県の役人も、県民もアメリカ政府も日本政府もダメで、基地にすがるのも、琉球王朝の栄光にすがるのも問題があるとするならば、一体何に依存していればいいというのか。沖縄の将来に対する明確なビジョンがなく、どうあるべきかについてご本人の意見が見えない本書はただひたすら暗く重い。


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レスリー・J・ロジャース(Lesley J. Rogers )
意識する動物たち―判断するオウム、自覚するサル
(Minds of Their Own: Thinking and Awareness in Animals )


2004.02.21:動物に意識があるのか。犬を飼ったことのある僕には全く違和感のないこの考えも、西欧文化ではなかなか受け入れがたい思想なようです。これは賢馬ハンスの事件による苦い思い出もあれ、デカルトの二元論、もっと遡ると魂の存在に対するキリスト教の思想にいきつくからだそうです。

つまり人間以外は天国に行けないという訳で、犬や猫に心の存在を認めると人間の特別性を脅かす事になり具合が悪い事から、長く自然科学界でもまともに取り合ってもらえない不幸な時代が続いていたようです。


一寸の虫に魂を認める日本人にはなかなか馴染めない考えではないかと思いますが、如何でしょう?本書ではチンパンジーやヒヨコ等を使った様々な実験から、彼らの心、考え方を推し量る事で心の存在を論証していく。そして決して人間が特別な存在ではない事も。また著者が飼っていたという盲目の犬の話が感動的。うちのシェットランド・シープは15年以上生きましたが、随所で彼女との思い出が蘇り、それが決して思い過ごしではなく本当に心が通じ合っていたと確信できることで大いに心が安まされました。


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モーリス・メーテルリンク(Maurice Maeterlinck)
白蟻の生活(The Life of the White Ant )


40を過ぎても相変わらず自分の無知を思い知らされる毎日です。本書は1926年に著された博物文学で、メーテルリンクは誰しも知っている「青い鳥」の著者。本書は「蜜蜂の生活」、「蟻の生活」と三部作になっており、いずれも名著の名高いのだそうです。

ネットで検索するとメーテルリンクに詳しいサイトも数多く、詳しくはそちらにお任せする事とし、「白蟻の生活」に話を戻すと、これがまたたまげた内容でした。白蟻は我々が本能とか無意識と呼ぶ状態で、協力して餌を集め、女王や子孫を養い、敵とて戦う。問題はここから、ここでは完全に無私であり、優先されるのは絶対的な種の保存である。

その目的のために彼らは視覚や生殖機能を捨て去り、徹底して分業した役割にそれぞれ特化した身体を作り上げる。

減れば強制的に孵化を促し、増えれば仲間を食料とする事で個体数を常に調整する。化学物質を駆使して障害物や侵入者を排除する。敵の襲撃が起これば躊躇することなく仲間を外に残して出入り口を封鎖する。

こんな生活を何百万年もの間、彼らは巣全体を覆う熱狂的なリズムにのって生涯を暗闇のなかで眠ることもなく営み続けてきた。

メーテルリンクは人間社会と対比し彼らのこの恐ろしいまでの非情な世界を究極的な叡智と言う。白蟻たちは人間で云えば個々の細胞こそ対比されるべきものであり、白血球や内臓、脳のそのものの働きのように意識されることなく営まれているものと捉えている。

個々の単位が何故それらの働きを感知し緩急を調整し得るのか、また何故その機能を得るに至ったのか、その目的は何かを問うても、永遠にその答えを得られることはないだろうとしている。

白蟻の生態に関する博物学的知識もさることながら、これらの哲学的な深い洞察。ロシア革命、忍び寄る全体主義と人間社会の進むべき方向性について大いなる不安の影が翳されはじめた1926年という著された時代と考え合わせると白蟻の生態を通じて人間社会の遠い未来を畏れるメーテルリンクの苦悩が伝わる一冊です。


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猪熊博行
風の民―ナバホ・インディアの世界


2004.02.15:著者は会社を準定年で退社し、アメリカへ、そして念願のナバホ・ネイションへ留学、その体験を軸にナバホの文化を語ってます。

僕は以下の3つの点で本書に深い感銘を受けました。1つ目は著者の生き方。偶然手にしたナバホ織りに魅せられ定年過ぎて留学。そしてその経験を元にこんな立派な本を上梓している。人生こんな選択肢があったんですね。

2つ目はナバホの信仰、考え方の根底に流れる多神教を自分の経験に照らして理解できる日本人が捉えるというアプローチが大変心地よく分かりやすいという点でした。

最後はナバホの現状とそれを通して見たアメリカという国を鋭く批判している点です。

白人には自分たちが侵略し迫害を行った事は認められても、まだ現在進行形だと言うことまでは受け入れられないだろう。海外からの留学生という立場であるがこそナバホ自身に内在する問題も挙げつつ公平な視線で書く事ができたのだろうと思います。

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問題解決プロフェッショナル構想力と分析力」
齋藤嘉則


2004.02.08:おっと2週間もブランクしてしまったよ。でも本を読んでなかった訳ではないのだ。まとめて更新しちゃいます。純粋仕事の為に読みました。基本中の基本のお題ではあるものの、やはり基礎こそ最重要でしょう。小難しい理屈を捏ねるより、基本に沿って実践できるかどうかをまずは試すべきなんでしょうね。


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クリストファー・ストリンガー&ロビン・マッキー
(Christopher Stringer & Robin McKie )
出アフリカ記 人類の起源
(African Exodus: The Origins of Modern Humanity)」


続いて先週2004.1.30は2冊。最初は印象的な一文、森で出会う二組の野生ゴリラより、地球の反対側で暮らす人間間の方が遺伝的に近い、のだそうです。母系遺伝子であるミトコンドリアDNAの分析により明らかになる壮大な人類の2足歩行・出エジプトから現代へ。ジャレド ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄 」と共に現代古代人類学を紹介する名著である。


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野内良三
実践ロジカル・シンキング入門


論理学の入門書。集合論をかいつまもうとしましたがやはり一筋縄ではいかず、むずかしー。

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ぼくのキャノン
池上永一


2004.01.18:家には池上永一の「風車祭(カジマヤー)」が2冊あります。一冊は読むため、そしてもう一冊は門外不出の保存版として。池上永一本人または実家以外でこんな事してるのは間違いなくうちだけでしょうね。夫婦で共通したお気に入りの作家となった彼の新刊表紙も見ずに買ったので、最初カメラの話かと思ってました。したらキャノン砲なのね。強引な状況設定とそれに負けないオバア。そんなオバアを理不尽だと感じながらも愛する若者たち。そしてゆっくり流れるオキナワン・タイム、池上ワールドは健全なり。

池上永一氏のプロフィールとその他の著作は「読書日記+1」でご覧頂けます。(2004.09.25)


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ジェイムズ・エルロイ(James Ellroy)
クライム・ウェイブ(Crime Wave )


2004.01.11:本書は1993年から1998年の間にGQ誌に寄せた短編を一冊に纏めたものだ。つまり「ホワイト・ジャズ」の後から「アメリカン・デス・トリップ」前の間の仕事。

本書に詳しいエルロイの母の殺人事件を爆心地として、エルロイの過去の著作を思い起こすと、何故彼があの時代あの街を生きた人々を再構成することに囚われ憑かれたように書くのかが理解できるような気がします。

残念ながら翻訳本なので、頭韻を重ねるエルロイの文体がどれほど再現できているのかは不明ですが、もう一つの特徴である当時の有名人や大事件・ゴシップ記事を蒸留し危険なまでに濃度を高めたディフォルメされた世界観は本書でも遺憾になく発揮されています。

「背信の都 」のレビューはこちら>>

「アンダーワールドUSA」のレビューはこちら>>


「アメリカン・タブロイド」のレビューはこちら>>


「アメリカン・デストリップ」のレビューはこちら>>


「獣どもの街」のレビューはこちら>>


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ネルソン・デミル(Nelson DeMille)
アップ・カントリー(Up Country )


2004.01.03:久しぶりのミステリ、のんびりじっくりを読みました。映画化された「将軍の娘」の主人公ポール・ブレナー(映画ではジョン・トラボルタ)が再登場、30年以上経ったヴェトナム戦下で起きた殺人事件の目撃者を探すという密命を受け、観光客を装い再びヴェトナムへ。

あいも変わらずシニカルで減らず口のポール・ブレナーの言動や一癖も二癖もある登場人物とのやり取りに思わずニヤリとさせられながら、徐々にヴェトナムのアップ・カントリーへの旅へ。

気づくと我々はヴェトナム戦争の当時のそして今の現実に向き合わざるを得なくなる。

あまりにも重く微妙な問題を内省しつつ進む捜査の旅。職業軍人として参戦経験のあるポール・ブレナーの目を通して語られるのは壮絶で黙示録的な戦闘と激しい憎しみと狂気。そして何故あの時戦わなければならなかったのか。何故ある者は死にある者は生き残ったのか。

アメリカという国家としての意思と個人の意思。そして今、何を成そうとしているのか。

ページ数はかなりな分量だが中だるみもなく十分に堪能できる内容でした。旅の目的は目的地にあるのではなく、その過程にこそあるのだという真理は、この本に関してもいろいろな意味で正にその通り。ところでネルソン・デミルってトマス・ブロックだったんだよね。

トマス・ブロックの「亜音速漂流」をこちらでご紹介しています。

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量子の宇宙のアリス―現代科学が開いた新しい世界像を体験する
ウィリアム・シェインリー(William B. Shanley )


アリスが再び迷い込んだ不思議の国は、現代を代表する物理学者、哲学者、芸術家が15名が描く量子の世界。原典同様奇天烈なキャラクターと出会いながら体験するのは、1+1が2にならない常識に反した捕らえどころのない量子の動きや、量子の目線からみた宇宙論から生物・精神の働き等の眩暈がするほど折り重なった世界。

アリスが持つ基本的な疑問は「我々はどこから来て、どこへ行くのか」「何故現在は今のありようになっているのか」だ。僕はこの疑問こそ人生の解くことの出来ない問いでありながら、問い続けること自体が生まれてきた目的そのものとだと思っています。皆さんはどうですか?人生の疑問とはなんでしょう?今週は頑張って2冊読みました。


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知の歴史―世界を変えた21の科学理論


歴史時代以降の知の歴史かと思いきや、natuer誌が掲載した科学理論で、全くの近代科学史的領域。読みようによっては発掘した科学理論の自慢話で鼻につく部分もないではないが、世界を変えた理論であることは間違いない。故にその果たした役割は確かに大きい。2003.12.13


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ウィリアム・ブルム(William Blum )
アメリカの国家犯罪全書
(Rogue State: A Guide to the World's Only Superpower )」


2003.12.06:9.11のテロはなぜ起こったのか?テロリストは何故自分の命をなげうって事件を起こすのか?そもそもテロの定義は?そして本当のならず者は誰なのか。ここに書かれていることは全て真実なのか。

WWU以降アメリカが密かにまたは半ば公に行ってきた蛮行の数々。言われてみれば、確かに。でなきゃこんな結果になってないよなー。大衆はお人好しで忘れっぽい。

完全に足元を見られて操作され、利用され、そして捨てられている。ジェームズ・エルロイのアンダーワールドUSA三部作を地で行く悪辣ぷりと、人命軽視の価値観。読め!!

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「死に至る病」から会社を救う―企業統治・風土改革の実践手法
桑畑 英紀


2003.11.30:今日で11月も終わり、歳をとると時間の感じ方が実際に早まるそうですが、ほんとにそれを実感する今日この頃です。サブタイトルは企業統治・風土改革の実践手法、この手の話題で悩みを抱えている人は、たぶん少なくて、その問題を抱えている企業は大変多いと思います。

企業の中で僕は抱えている側で仕事をしている。少なくとも自分ではそう思っています。問題意識を持ち方法論で悩んで手にとってみました。著者の実経験に基づくリアルな事例は示唆に富み新たに気づかされる事もたくさんありました。

またその生々しさは「そーなんだよなー」と気の滅入る事しばしでした。しかし一方で、示される解決策は企業ぐるみでないと実施出来ない事なので、読んだから問題解決へ即GO!とい訳には行きません。その為、読む前より問題意識だけ高まりストレスがたまる本でした。問題意識のない方は是非これを読んで素直に胸に手を当てて頂きたい一品ですが、それが出来れば苦労はないな。


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生物時計の謎をさぐる
(The Living Clock: The Orchestrator of Biological Rhythms)

ジョン・D・パーマー(John D. Palmer)




2003.11.24:一読してこの人を大好きになりました。文章ににじみ出る人柄の良さは、近年見かけた覚えがないと思います。

本の内容は、40年間に渡る生物時計の研究成果に基づくエッセイです。てっきり生物時計の仕組みについての本かと思っていましたが、紙面の多くを生物時計の働きの想像を超えた具体例に割いています。

その生物時計の働きに対する理解と知識は気の遠くなるような作業の繰り返しで得られたものである。

しかし彼はブッシュ大統領(父の方)が、来日して時差ぼけを圧してテニスをし、その後の晩餐会で宮沢首相の足元にゲロを吐いた等、意表をつくエピソードで語り、全く苦労を感じさせない軽快な語り口で説明してくれます。



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小説 始皇帝暗殺
荒俣宏


003.11.15今週は荒俣宏の本を2冊。元は映画で脚本等を基にしたノベライズ。全く知りませんでしたが、登場人物の荊軻と暗殺事件は史実で、当地では教科書に載っていたり、「傍若無人」の言葉の由来となるなどと、かなり知られた人物と事件だということです。

史記の内容については、サイト「真・漢楚軍談」で詳しく載っているようです。小説自体は、始皇帝の人格・時間や距離感にやや弱点があるものの、大変楽しめる内容でした。「性愛人類史観」はピンナップ・ガールとかストリップの変遷等性愛に対するから角度から近代人類史を俯瞰する趣向で、相変わらずの荒俣ぶりを発揮していく面白本、但し挿入図画多く、電車などでは人目が気になって没頭するのは難しい本でした。


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宇宙のエンドゲーム
(The Five Ages of the Universe: Inside the Physics of Eternity )」

フレッド・アダムス
&グレッグ・ラフリン
(Fred C. Adams & Greg Laughlin )


2003.11.06:ほぼ2年ぶり位で風邪でダウンしました。2週近くかけてゆっくり読ませてもらいました。いやいや、ビックバン以降の膨張を続ける宇宙が縮小に転じたら皆さん何がおきるとお思いですか?時間が逆転すると?それはないとしても僕は膨張時代とシンメトリーな感じて縮小に転じるとなんとなく思い込んでいました。直感に反して地球のような惑星は縮小に転じた後も長く生き延び、つぶれて消える直前、といっても宇宙の余命百万年という時期に、太陽よりも熱くなる背景放射の熱で昇華する。のだそうです。ざっと地球の余命はあと300億年位ってことか。

勿論太陽の赤色矮星化や地球自身の余命がそこまであればの前提付きではありますが。300億年後の縮小バリバリだぜの時代に人類はどうなっているのでしょうか。モラルや理性を保てるほど精神を成熟化することができるのか、はたまた別の宇宙への脱出方法を発見し、黙示録的な時代にはならずにすむのか。だから本はやめられねーよなー。


趣向を変えて「企業を変える衝突の意思決定滝谷敬一郎タナベ経営が指南するIT経営のコツとツボ田辺次良監修。努力せずに仕事ができる等とは努々思うことなかれ。


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ユークリッドの窓(平行線から超空間にいたる幾何学の物語)
(Euclid's Window: The Story of Geometry from
Parallel Lines to Hyperspace
)

レナード・ムロディナウ(Leonard Mlodinow )


訳者の方のひとことを見つけたのでリンクしておきます。考えると僕はずいぶん長い間この数論の分野をぐるぐる回っていたが、ここに迷い込んだのは出版直後から世紀の名著と名高かった「ゲーデル,エッシャー,バッハ 」ダグラス・R・ホフスタッター だったと思う。ここから宇宙論のみならず数論・論理学とよく分かりもせず彷徨った。「ユークリッドの窓」はまるで、その彷徨ってきた道程を整理してくれたかのように、ユークリッドから超ひも理論へと誘ってくれる。それもそのはず数論は人類史そのものでもあるのだ。「我々はどこから来て、どこへ行くのか」「何故現在は今のありようになっているのか」人類が進化し続ける理由と本を読む理由がこの疑問を持っていることにあると思う。

「人類と科学の400万年史」のレビューはこちら>>

「柔軟的思考」のレビューはこちら>>

「ユークリッドの窓」のレビューはこちら>>

「たまたま」のレビューはこちら>>

「ホーキング、宇宙と人間を語る」のレビューはこちら>>




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荒俣宏
南海文明グランドクルーズ


彼の行動力と博識にはひたすら脱帽である。彼の本は読んだとか、読んでないとか日記で付けるのはかったるいので一覧にしようと思い「あらまたねっと」のページを作成しました。みんな見てねっと。

けど、もうすでに130冊もあるのね。話を戻して本書は荒俣氏と篠遠 喜彦氏が飛鳥に乗ってイースター島から南米へ、飛鳥の航路は人類がたどった南米大陸への道筋。航海中の対談と近年最良の収穫ジャレド ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄 」とも重なる内容の講演内容。これ、この話題は今後10年来の文化人類学上のトレンドとして大きな足跡を残すベクトルとなるであろう。目が離せないよね。


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「無限」に魅入られた天才数学者たち
(The Mystery of the Aleph: Mathematics, the Kabbalah, and the Search for Infinity)」
アミール・D. アクゼル(
Amir D. Aczel)


面白かった。数学の教科書がこんなアプローチで入っていれば、もっとみんな勉強するのではないかと思う。なぜ整数と奇数の数は同数だといえるのか、数直線の複雑な構造等、分かった気にさせてくれるのもうれしい。

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良い父親、悪い父親
(The emperor's embrace : reflections on animal families and fatherhood)

ジェフリー・M. マッソン(Jeffrey Moussaieff Masson )


上期の拾い物ベスト1。犬などの動物に意識や感情があるかといった議論で、著者は哺乳類はおろか鳥類や魚類にもある可能性を示唆し、その父性といえる驚くべき行動の数々を紹介していく。

父として誇り高く子育てを行う動物の生き方に思わず目が潤む。また、電車で読む上で他人の目を引かせる題名という点でも本書は高ポイント。ふと気づくと鋭い視線で注視されてて困りました。


「犬の愛に嘘はない」のレビューはこちら>>

「ゾウがすすり泣くとき」のレビューはこちら>>



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マイクル・コナリー(Michael Connelly)
夜より暗き闇((A Darkness More Than Night))


2003.09.15:出版社が変わっていたせいと図書館通いが高じて、本屋から足が遠のいていたせいで長らく刊行されたことを気づかずにいた。

マイクル・コナリーは「ナイトホークス 」10年来の付き合い、いけねぇ不覚、不覚といいつつ手に取りさっそく読み進んだ。しかし、何か違和感が募る展開。設定。読みきってみれば不安的中。あえて言おう。そう「全然つまらん!!」と。

ネタばれを最小限に止める努力をして言えば、真犯人の動機も背景もなく唐突に行われたかのようなこの事件。それの答えが「夜よりも暗き闇」なのであれば、だれがそれを読みたいか。

現実世界で回答のない事件や疑問にさらされている現代人は、せめて小説世界では、曲りなりにも回答のあるお話を読みたいのではないかと思うのであるが、それは僕だけなのだろうか。

気づけば全く現実性の希薄となったボッシュ・サーガ。いつからこんな事にと気づかせる意味では、今回の出版は重要な意味をもっているのかもしれない。「ブラック・アイス」「ブラック・ハート」よかった、とても面白かった。

ボッシュかっこいい。大好き。だから読むのか読まされるのか、なんなのだこの捻りのなさは。

直近の遭遇は「シティ・オブ・ボーンズ」。シリーズの時系列を無視した出版で、しかも単行本、読者を無視した出版社の都合むき出し。中途半端な義務感は捨てよう。そう思うと、戻って戻って「ラスト・コヨーテ」あたりで、ほんとは終ってたのかもしれない、この作家。僕が気づくのが遅かったか、でも多分次も買って読んじゃうんだろうオレって。しかし、これって出版界が悪いのか、小説家が不毛な時代なのか。すごく強く感じる今日この頃であった。

「正義の弧」のレビューはこちら>>

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2003.09.07:予想通りUPDATEするのは、なかなか大変、である。どうしても土日の作業になってしまう。今週は、中島秀之「知的エージェントのための集合と論理」これは、文系の僕にはかなり難解、つっーか正直ほとんど分からなかった。見当違いかもしれないが、コンピューターがかなり複雑な計算をこなすこれからの時代で、人間のやらなければならないことは、その世界を定義すること、そしてその世界観はここ数年大きく変化してきていると感じます。その根っこは数学特に論理学にあるというのが最近の僕のトレンド。文系にも理解しやすい本を探して図書館を漁っている訳である。本書は理論学の記述と証明にかなり力点を置いたもので、式をたどって結論を理解しないと先に進めない点で、厚さの割にはかなり重い。もう少し軟らかいのないかな。

僕は年に6〜70冊程度の本を読みますが、これからはその中から気に入ったものをご紹介していきたいと思います。今週(2003.08.31)読んだ本は以下の通り。ナンシー関の「何だかんだと彼女の先を見通す力には目を見張るものがある。テレビからあれだけの情報を引き出せる彼女は完全にテレビを使い倒していた稀有な人であったという事。F・C・エントレス/A・シンメル「数は何を語るのか」期待していた内容と違ったのはこちらが読み違えたせい。それなりに判って読めば面白く読めたと思う。


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スティーブン・キング(Stephen King )
小説作法(On Writing: A Memoir of the Craft)


2003.08.30:これを読んでこのHPを開くことにしました。笑ってやってください。僕はずっと本が書きたかった。映画を作りたかった。でも、何もしなかった。この本を読んで、そう、何も臆することはないと背中を押されたと感じた。

スティーブン・キングとの初めての出会いはブライアン・デ・パルマの「キャリー」だった。公開は1976年、その時に僕はロードショウに行って観たはず。ということは今から27年も前の話なんだねー。そしてその時劇場で僕は、マジで観客が飛び上がるのを見たのだった。そう最前列近辺は実際もの凄いことになっていた。

しかし勘違いしないでほしい、何も僕が冷静だったなんていうつもりはない。そのときの僕の思考は一瞬のうちにデ・パルマ的なスローモーションモードになっていたのだ。立ち上がる人、飛び散るポップコーン、仰け反る人、軋む椅子、悲鳴をあげる人、波打つ人垣。こんなのびっくりするのは当たり前じゃん。「汚ったねー」と僕。地味で虐められキャラな「キャリー」、そのもののシシー・スペイセクでもハリウッド・スター。

啓蒙の名を借りた悪意。回転する思考、眩暈。デ・パルマ恐るべし。本題の小説作法ではこの「キャリー」でブレイクする前後のキングの私生活が垣間見れるのはなかなか面白い。また幼少の頃の出来事もいかにもキング的で楽しい。思いがけない程、文章に気を使ってい書いている彼の一途さにも驚いた。

確かにキングの本は情景が浮かぶ、奇を衒わない判り易い文章である。彼は一途さと勤勉であることの大切さ繰り返しを語る。そして僕は、書き手の哲学として勤勉さと「読者に嘘をつかない作者が愛される」の言葉の上に立とう。休まず、そして読み手を面白がらせる事を狙わず、正直に書こうと思った次第。


10周年記念版「書くことについて」のレビューはこちら>>


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