「死ぬほどいい女(A Hell of a Woman)」
「死ぬほどいい女(a holl of women)」
Lion Booksより1954年に出版される。48歳。

映画化(フランス)"Serie noire" (1979)
監督Alain Corneau (アラン・コルノー)


フランク・ディロン.......訪問販売員
モナ・ファレル...........伯母と暮らす娘
ミセズ・ファレル.........モナの伯母
ジョイス.................ディロンの妻
ステイプルズ.............ディロンの上司
ピート・ヘンドリクスン...ディロンの顧客


2005/6/1:やや詐欺まがいの訪問販売を行っている「ペイ・イージー・ストア」の訪問販売員フランク・ディロンはある日滞納をしている顧客ピート・ヘンドリクスンへの督促の為、彼の居所を捜していた。彼が働いていたという情報を元に訪ねた家は、ミセズ・ファレルという、なんとも強烈な老婆が住む家だった。

ピート・ヘンドリクスンの居所を訪ねるフランクに取り付く島も与えないミセズ・ファレル。やり取りをしている内に、家の奥にいる美女に気付いた。彼女はモナ。ミセズ・ファレルの姪だった。行きがかり上売り込みの口上の並べるディロンに対し、ミセズ・ファレルは売り物の銀の食器セットと引き換えにモナの身体を提供してきた。

モナはミセズ・ファレルに身も心も拘束され奴隷のような生活を送っていたのだった。彼女の身上に同情を寄せ、何とかして助け出す事を決意するフランクだった。
しかし、彼にはとんでもなくだらしなく、切っても切れない腐れ縁の女房がいた。また、ディロンは、ペイ・イージー・ストアの上がりの一部をちょろまかし生活費に当てた事で自転車操業的に会社に誤魔化しの報告を行っているのだった。

更にこの件で几帳面で執念深い上司のステイプルズが嗅ぎ回り始めていた。救い主たるディロンの登場で、今まで以上に現状から逃れる事に執着し始めるモナ。ディロンは古女房と会社の上司が絡んでくる事で、事態が徐々にコントロールを失い、常軌も逸し始める。

本書には、ミステリ評論家の霜月蒼があとがきを寄せている。ご本人は「なにせジム・トンプスンを論じるほど厄介なものはないなぜなら、トンプスン作品のキモは、現実世界・虚構世界・小説世界といったものすべてをひっくるめて、そこにおける論理/倫理/約束事をへらへらした笑いのうちにぶち壊してしまうところにあるからだ。」と述べている。

また代表作とみなされている「内なる殺人者」や「ポップ1280」は比較的破綻の度合いが低く、徹底的に破綻していく作品「残酷な夜」、「ゲッタウェイ」そして本書にこそトンプスン的なグループがあると言う。確かに彼の言うとおり、ラストの直前は断裂し、それまでの物語とは明らかに切れている。

しょぼい事件を演じてきた狭い空間から、まったく別の空間で動き出す「とってつけたような結末」がある。これポイントですね。まったく別の空間。何時なのか、何処なのか一体。それは恐ろしいまでの虚無なのだ。この部分の解釈はかなり意見の分かれる部分だろうと思う。僕はここに彼の生死感とか人生観が込められていると受け止める。

本書における肝の部分は、突如として割り込む、クンラフ・ンロィデなる人物の"万難を排して−−大きな不公平と、ちっぽけな女たちを相手に戦いぬいた男の真実の物語"と題する独白だろう。これは主人公フランク・ディロンの独白である事は言うまでもないが、何故反転しているのか、一体どの時制、どこにいて語っているのかは不明なままだ。



この半東洋的な生死感は、底知れぬ恐怖を感じさせると共に、大変想像力を掻き立てる設定だ。そう考えると、本書は「断絶」があるとか、「とってつけた結末がある」のではなく、この断絶と投げ出したような結末を生み出すために、後半のスパートをかます為に、前半では突如、食べ物や相手の表情等の細かいディテールに入り込んでだらだらする記述が必要から生まれたとも言えるのだ。これこそ、トンプスンが狙った着地点いわば「グランド・ゼロ」地点なんだろう。

ここには、ずっと昔から長い長い年月に渡って、どこに行っても何ら変わることがないという事が解っていながら、じっとしておれない。此処ではない何処かへ行こうとする魂のもがき苦しみがある。だから、魂は、この常に現状に不満で、現状を打破する為にもがき苦しんで、時として大きな犠牲や、失敗を繰り返しながら生み出されてきた背景を背負っておりそれが正に、現在の文化であり、我々自身であったりすると言っているように読める。

きれい事を並べても、僕たちの手と口は血と肉に染まり洗い落とす事等できはしないのだ。そして更に世の中は不公平で、悪事を働いて罰せられるのはごく一部の人々であって、貧富の差を生み出し誰もが欲しがるような高級な車や服を生み出した罪は決して裁かれないという。トンプスンは世の中を常に相対的に受け止めている。
徹底的な粗野、悪事を働いて尚、やむを得なかったと嘯く主人公に一人称で語らせる事で、価値観や善悪の基準、そして世の中の営みというものに予め含まれている「悪意」というものを浮き彫りにしてくるのだ。

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