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パラサイト―寄生虫の自然史と社会史
(Parasites: Tales of Humanity’s Most Unwelcome Guests)

ローズマリー・ドリスデル(Rosemary Drisdelle)

2014/06/22:本書は分類上、自然科学・生物学ではなく、医療・医学にジャンルされている本でした。おどろおどろしい寄生虫の話はなんだか時折引き寄せられるものがあるらしく気が付くと手にてしまう。

本書もそんな訳で中身よりもその立ち位置にとても興味を惹かれて読み始めたものでした。

寄生虫の社会史って何だろう。医療・医学のジャンルにある以上、寄生虫自身の社会史であるはずもなく、これは人間社会における寄生虫との間で生まれた歴史のようなものを語っているのではないかと推察される。

確かに冒頭著者も、寄生虫がいなかった場合の歴史を想像したりすることは困難だと書いている。しかしそれに続けてこんな事も書いていた。

過去に光をあてて、良きにつけ悪しきにつけ寄生虫のあらゆる側面を研究し、もし、ある選択をしたら、それがどのように展開するかを予測することはできる。しかし、結局、私たちはよくある連鎖反応を起こすだけとなり、不規則な、小さな、予期できぬ出来事が積もり積もって、大きな出来事が生じることになるのだろう。

と゜んな社会史を描こうとしているのだろう。まえがきがこんな尻切れで終わっている事に僕は若干戸惑った。本書は読者をどこに連れて行こうとしているのだろうか。

目次
第1章 見えない敵――歴史に現われる寄生虫
 聖書の中の寄生虫/ガーナのダム建設と住血吸虫/スタンリーのアフリカ探検と睡眠病/
 ベトコンとマラリア
第2章 危険な市場――食と寄生虫
 豚肉と旋毛虫/家畜とエキノコックス/グアテマラのラズベリとサイクロスポラ/
 クレソンに付く肝蛭/酢漬けニシンとアニサキス/牛肉と無鉤条虫/調理場のハエ
第3章 飲料水への警告――水と寄生虫
 汚染された水道水とトキソプラズマ症/浄水施設を通過する寄生虫/
 飲料水の安全性とクリプトスポリジウム/イエネコによる寄生虫の世界的拡散
第4章 不法入国者――人の移動と寄生虫
 奴隷貿易と寄生虫/南北戦争と寄生虫/ミツバチとミツバチヘギイタダニ/
 トナカイの輸送による寄生虫の拡散/キツネ狩りと寄生虫/リビアのラセンウジバエ
第5章 宿主を支配する寄生虫――SFのような寄生虫の振る舞い
 人を水辺に向かわせるメジナ虫/アリを支配する槍形吸虫/タラバガニを乗っ取るフジツボ/
 ネコを避けなくなるドブネズミ/ナブラチロワとトキソプラズマ感染
第6章 鏡の家の中――寄生虫のさまざまな側面
 寄生虫に支配された暗殺者/存在しない寄生虫と寄生虫妄想症/虐待を隠蔽したカイセンダニ/
 カンタベリー大司教とコロモジラミ/傷口を治療するウジ虫/
第7章 犯罪をあばく寄生虫――意図しない証拠の保全
 ツツガムシの幼虫に刺された犯人/マラリア原虫の返り血を浴びた強盗犯/
 テロリストを失敗させたマラリア原虫/日本軍によるペスト菌散布/
 恐怖の道具となった寄生虫症/ブタ体虫による人体実験
第8章 新興寄生虫症――予期せぬ出現
 人の衣服とコロモジラミ/ダーウィンの観察したサシガメ/吸血昆虫の隠れ家としての人家/
 コンタクトレンズとアカントアメーバ/水遊びとフォーラーネグレリア/
 シカダニとネズミバベシア/都会のアライグマ/移民が持ち込む有鉤条虫
第9章 寄生虫の絶滅――寄生虫と人の相互作用
 消滅の運命にあるメジナ虫/回旋糸状虫とボルバキア/有鉤条虫と公衆衛生/
 マラリア撲滅計画の失敗/サシガメの生活環境と開発

水から土から、食べ物、家畜やペットたちから、そして咬んでくる虫たちから寄生虫はわれわれの体内にどうにかしてもぐりこんでくる。 


寄生の概念はその昔、古代ギリシャで生まれたものだそうだ。 


 古代ギリシャでは、「パラサイト(parasite)」(寄生虫)は他人の負担で飲み食いする人を意味した。たかりや、食事時にいつもきまって姿を見せる友人のようなものだ。私たちの体の表面や中にすむ生き物が同じ呼び方をされる理由はわかりやすく、彼らは私たちの負担の上に栄えている。寄生虫があまりにも頻繁に私たちにたかることができるのは、私たちが彼らを食べるからである。食卓についたことを告げもせず、姿を見られもしない彼らは、ただディナーのテーブルにいるだけでなく、彼らが「ディナー」になってしまっているのだ。

しかし、その後概念は寄生から共生へと進み拡張し、形態も完全に体内に入り込んでいる場合以外にも、半分とか、表面にとりついているもの、そして共に暮らす、同じ生活圏で利害をもつものまでが取り込まれてきた。

概念の拡張とともに、寄生によって与えられる相互の影響というものもまた、大きく様変わりしてきたという訳だ。

本書はそんな寄生虫が引き起こした、大規模なアウトブレイクから、奇妙な事件を取り上げてくる。しかし、それらの関係性が希薄で社会史として捉えようとしている?側面というものもまた全く浮かび上がってこない。

寄生虫がわれわれの性格や性質に影響を与え、ついては寄生虫に冒されている人口比によって社会全体に大きな影響を与えている可能性が示唆されているものの、この問題に深く切り込むこともなく、全く別の話題に移って行ってしまう。

背景としてこの寄生・共生という概念が様変わりしてきたことでテーマを絞り込むことを難しくしたのではないかと思います。医療・医学の世界では寄生虫はまだまだとらえどころすらない、場当たり的な対応しかできていないのかとか。いろいろと不安ばかりが掻き立てられる割には散漫で退屈な本でした。残念。


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宇宙の扉をノックする(Knocking on Heaven’s Door:
How Physics and Scientific Thinking Illuminate the Universe and the Modern World)

リサ・ランドール(Lisa Randall)

2014/06/14:リサ・ランドール初挑戦です。しばらく僕はこの人のことを誤解していた。人間原理だったりスピリチュアルな偏りがあったりするどこかのだれかと勘違いしていたらしいのだ。

本書の背表紙をみるとリチャード・ドーキンスの推薦文があるじゃないですか。あのドーキンスが人間原理とかを標榜している人に推薦状なんて書くわけない。

「科学とは、迷信や無知、あるいは似非知識人による反啓蒙主義に抗して心と精神を武器に戦いを挑むことだ。一流の科学と明晰さと魅力が独自にブレンドされたリサ・ランドールが、私たちの陣営にいるのはどんなに気分がいいことか」

あれれ、僕は誰と勘違いしてたんだろうか。

慌てて読むことにしたのでこの本の内容が一体どんなものなのかなんて考えてもいなかったよ。
「宇宙の扉をノックする」

冒頭この「ノックする」というのがLHC、スイス・ジュネーブ郊外に建設された大型ハドロン衝突型加速器 (、Large Hadron Collider)で陽子を衝突させることでその扉を開こうとしていることを示唆しているというのが読み取れるのだけど、核心に向かって突進することなく、話題はスケールの話だとしながら美術やSF映画の話に逸れて行きランドールは科学する心の大切さを切々と語りだす。

目次情報
第一部 現実のスケーリング
第1章:あなたにとって小さなものが、私にとってはとても大きい/第2章:秘密の扉を開ける/第3章:物質世界に生きる/第4章:答えを探して
第二部 物質のスケーリング
第5章:マジカル・ミステリー・ツアー/第6章:「見る」ことは信じること/第7章:宇宙の先端
第三部 マシンと測定と確率の問題
第8章:すべてを統べるひとつの環/第9章:環の帰還/第10章:ブラックホールは世界を呑み込むか/第11章:リスキービジネス/第12章:測定と不確定性/第13章:CMS実験とATLAS実験/第14章:粒子を特定する
第四部 モデルと予言と未来の問題
第15章:真実、美しさ、およびその他の科学的誤解/第16章:ヒッグスボソン/第17章:世界の次のトップモデル/第18章:ボトムアップ方式とトップダウン方式
第五部 宇宙のスケーリング
第19章:内から外へ/第20章:あなたにとって大きなものが、私にとってこんなに小さい/第21章:ダークサイドからの訪問者
第六部 旅の終わり
第22章:思考は広く、実行は細かく

やがてランドールこんなことを書いているのはアメリカがこれまで世界をリードしてきたのは他に抜きん出ていた科学技術があったからこそであったのだが、いまや重大な岐路に立っているという危機感を持っていることが見えてくる。

対立しているのは他でもない宗教的信条そのものだ。ランドールはドーキンスがあんなに勇ましい推薦文を書いていることも頷けるほどガチガチの無神論者だったのだ。
しかし何度も書くけど、僕は勘違いするにもほどがあるほど正反対の人だと思っていたというわけだ。本人が知ったらぶん殴られるかもな。


彼女は信仰者たちのほとんどは柔軟な考え方をもって宗教を解釈しており、科学や他の信仰との間においても対立を避ける形で対応をしており、何より必ずしも厳密な宗教解釈や教義に頼って生活をしている訳ではないとしながらも、科学と宗教の対立は今後ますます危険を孕んだものになっていく可能性が高いと述べている。


 その最も根底にある考えは人間にこの世界を理解する能力があるのかどうかという問題だという。
 人が自分で真実に近づけるかどうかという問題は、おそらく、宗教と科学の論争の核心にある真の争点なのではないだろうか。今日見受けられる科学に対する否定的な態度は、ある部分、ハーバードやミルトンが示していたような明らかに極端な考えに根ざしているのではないだろうか。世界がなぜこうなっているのかという大問題でさえ、誰にものごとを解明する権利があるのか、誰の結論が信頼されるべきなのかという問題ほど激しい議論にはならないような気がするのである。


仏教徒はこんな風に世界を捉えてはいない気もするけども。キリスト教の考え方には、良いことであれ苦難辛苦であれ、神の思し召しであり、自分たちの理解を超える大いなる意図によって与えられるものだというものが確かにあるらしい。

なので世界の原理を知ろうとしてもそんなことは決して出来ないし、わかったつもりになってもそれは間違っているとかなんとか。そんな議論になってしまうということなのだろう。

科学技術や情報化が進み世の中は便利になってきたとこも間違いいないけれども、ものすごいスピードで世の中は複雑になってきた。僕らの価値観は一昔前に比べると桁違いに多様化したし、目標・目的を達成する手段もいくつもの選択肢が生まれ、果たしてどれが最も良いのかという問題は、通念でもなく個人的なものになりつつある。

科学技術は確実に進歩しているのにも関わらず僕らの社会や歴史は正にウンベルト・エーコが言うように「後ずさり」しているようなところもあるのである。

映画の「ノア」。これって一体なんですかね。新聞の広告では養老先生がコメントを寄せていましたので一通り読みましたが、試練に立ち向かう個人というような切り口で評されていて、これが神話なのか伝説なのか宗教なのか史実なのかといったところには触れもしていない感じでした。これをエンターテイメントとして観ている分には、まーどーぞという感じですが、紛れもない史実であると捉えて観ているハズの人も少なからずいるということを思うと非常に複雑なものがありますね。
ダーウィンの伝記映画「クリエーション」を上映見送りにした国がこういう映画を作ってしまうというのはほんとに世も末だと思うのだけどみんなどう思っているんだろうか。

福島の鼻血なんかよりもよっぽど問題な気がするけども。

なんて、こっちの気持ちもどんどん脱線していくわけですよ。いつの間にか僕も本書のテーマを見失っていった。

突如LHCの話に戻ってきたときには、ほんとにびっくりしました。この本はその話だったんだと。しかし戻ってきたのはいいけれどもこれが難解なのである。とっても。LHCの構造や原理なんかを詳細に語ってくれる訳ですが、歯が立ちません。


 ヒッグス機構と質量の起源を考えるにあたっては、まず真空がウィーク荷を持った粘性流体のようなもの---真空に充満するヒッグス場---だと考えてみるといい。ウィーク荷を持った粒子は、ウィークゲージボゾンにしろ、標準モデルのクォークやレプトンにしろ、その流体と相互作用できる。そして、その相互作用によって粒子は減速する。この減速は、つまり粒子が質量を獲得したということだ。なぜなら質量のない粒子は真空を光速で飛び回るはずだからである。

 しかしヒッグスボゾンは、LHCでみつかるものの氷山の一角にすぎない。ヒッグスボゾンの発見は大変興味深いことではあるが、LHC実験で探される目標はそれだけではない。おそらくウィークスケールを調べる一番の理由は、これからなされるであろう発見がヒッグスボゾンだけであるとは誰も思っていないからだ。物理学者の予想では、ヒッグスボゾンはもっと含みのあるモデルの一要素にすぎず、そのモデル全体の様相こそが物質の性質について、そしてひょっとすると空間そのものについても、多くを教えてくれると考えられている。


 なぜかというと、ほかならぬヒッグスボゾンから、「階層性問題」と呼ばれるもうひとつの大きな謎が浮上していくるからである。階層性問題とは、粒子がしっている質量---とくにヒッグス粒子の質量---は、なぜその値なのかという疑問に関わっている。素粒子の質量を定めるウィークスケール質量は、もうひとつの質量スケール、すなわち重力の相互作用を定めるプランクスケール質量より、一京倍も小さい。

 ウィークスケール質量に対してのプランクスケール質量の法外な大きさは、重力の弱さに呼応している。重力の相互作用は、プランクスケール質量の逆数に依存するのだ。このプランクスケール質量が本当に私たちの知っているような大きさなら、重力はきわめて弱いということになる。

 実際、重力は基本的に、私たちの知っている力のなかでも桁外れに弱い。重力が弱いなんて嘘のように思えるかもしれないが、それは地球の全質量があなたを引っ張っているからである。たとえばその代わりに、二個の電子のあいだに働く重力で電磁力を比べてみたらいい。重力よりも電磁力の方が43桁も大きいことがわかるだろう。つまり、一兆倍の一兆倍の一兆倍の1000万倍も、電磁力のほうが勝つのである。素粒子に及ぼされる重力は、完全に無視できるほどに小さい。この考え方からいくと、階層性問題とは、つぎのように言い換えられる---なぜ私たちの知っているほかの基本的な力に比べて、重力はそんなにも弱いのか?


LHCが解明を目指しているヒッグス機構や階層性問題についてはもっといろいろと知りたいところでしたが残念です。


科学する心に対する危機感は全くもって同意ですが、同意するもの同士でその話で盛り上がっても一向に解決はしないわけで、絶対に間違いなく反対陣営の人たちはこの本の事なんて絶対読みはしない。
では誰向けの本なのか。

ドーキンスの本でも何度も同じ疑問に突き当たったわけですが、本当に危険なのは「対立」ではなく、会話が成立しないという「断絶」にこそある気がします。

ガチな原理主義者たちはともかくとして、一般人たちをもっと啓蒙するためにどうしたらいいのか。社会全体でそのようなところに答えを出せずにいるようにも見えるアメリカ社会の今が見えくる本でもありました。

「ダークマターと恐竜絶滅こちら>>

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人類20万年 遙かなる旅路
( The Incredible Human Journey)

アリス・ロバーツ(Alice Roberts)

2014/06/01:ここ10年位の間に読んできた本をざっと振り返るに、地質年代的な地球の気候変化が明らかになり、その特に大きな変動を生んでいたのが隕石の墜落だったことがいよいよはっきりしてきたり、現生人類がアフリカから、そして地中海から拡散したりしたのは隕石の落下によって連鎖的に起こった噴火や気候変動によるものであることが見えてきたというもの。

またDNAの解析が進み、更にはミトコンドリアDNAによる系統調査という手法が出てきたことで出アフリカ後の人類の足取りが更に鮮明に見えてきたということがある。

隕石の墜落による恐竜の絶滅は勿論。荒々しい気候変動による海進や後退。地中海がその昔は谷底に広がる陸地であったとかいう話であったり、アフリカを出た人類がヨーロッパ、アジア、極北を通って南米最南端にまで拡散して行ったりという人類史は正に「我々はどこから来たのか」という問いに直接はっきりと答えるものであり、非常に興味深いものがある。

本書は2013年に出されたものでドキュメンタリーがNHKで放送されるなどしたこともあって結構話題の書でありました。しかし僕はテレビ番組を観られず本を読む機会も持てなかった。人類20万年の足取りということはジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」と被ってくる訳で、なんとなく「わかっている」つもりになっていたという所もあった気がする。

本書が特異な一冊となっているのは実は単にこの人類史を辿って解説を進めるだけではなく、著者がこれらの歴史の根拠となっている数々の遺構・遺跡を巡って旅をし、艀で島を渡るなどという当時の人々が行っていたであろう事を体験してみるという趣向なのでした。

旅のはじまりはエチオピアにあるオモ川。


 1967年、リチャード・リーキー率いるチームが、オモ川下流のキビシュ累層で、現生人類の化石―――頭骨二個と一体分の骨格の一部―――を発掘した。周囲の地層に含まれる貝類の年代をウラン系列法によって調べた結果から、その化石はおよそ13万年前のものとみなされた。

しかしこれは2005年になって実際には19万5千年も前のものであることがわかったという。つまりこれは中期石器時代(MSA)と呼ばれる時代、正に現生人類が誕生した頃のものであるという訳なのだ。これは従来考えられていたよりもずっと早い時期に現生人類が誕生していたことになる。

年代測定技術の革新により、以前の研究結果は大幅に軌道修正を迫られており、総じてこれまでよりも年代を古い方向へと押し上げているらしい。

つまり20万年前の人々は僕らがこれまで思っていたよりもずっと僕らに近く、身近にあるものを上手に使って問題を解決して生活をしていたということになる。

そしてmtDNAやY染色体による系統分析によって明らかになってきた人類の拡散の道筋は、つまり複数の経路を複数の時代にわたって複数回行われていたというものだ。

南米で発見されたまるでアフリカ系の黒人のような骨格の女性や狩猟採集民の時代に作られた「神殿」の存在などはこれまでの石器時代の世界観を覆すものがありました。


 つまり、ギョベクリ・テベの神殿らしき建造物を作ったのは、狩猟採集民なのだ。この発見は、新石器時代に関する既存のパラダイムに挑戦するものだ。これまで考古学者らは、新石器時代は次のような順序で発展していったと考えていた。それは、まず人口が増加し、より多くの食料が必要となり、農業が始まり、それによって社会が階層化し、新たな権力構造が生まれ、宗教が起きた、というものだ。しかし、ギョベクリ・テベは、狩猟採集民が、階層化された複雑な社会---そこには神殿を建造する石工がいた----と、組織化された宗教を持っていたことを示唆しているのだ。


地球規模に広がる現生人類が地域ごとに民族性を高めていったと思われていたが、意外にも多様な人々が同じ地域で暮らしていたらしいとか、狩猟採集をしている人々が都市的な暮らし方をしていた可能性がある。となると逆に今この世界がどうしてこんなにモザイク的になっているのかなどというのはまた暫し立ち止まってしまうような話が沢山ありました。

わかったつもりでいた訳ですが、どうして考古学の世界はますます熱く、エキサイティングなのでありました。




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インド カレー伝
(Curry: A Tale of Cooks and Conquerors)

リジー・コリンガム(Lizzie Collingham)

2014/05/24:GWの中盤に肩を痛めて後半はほぼ寝たきりに近い感じで自宅療養する羽目になりました。直接の原因は重い荷物を持った拍子でしたが、元凶は会社でのパソコンを使った日常業務にあったようです。新しい配属先ではルーチンで大量な承認行為があって、この日々の疲労がもともと古傷を抱えていた肩や首に来た模様です。

いやはや痛い、苦しい大変な思いをしました。

今はだいぶ回復してきたようでほっとしていますが、パソコンの前に長時間座るのはまだ辛く、週末は避けたい気分でレビューを書きたいけど書けない。

苦し紛れでスマホで入力しております。

さて、カレーであります。ちょっとご無沙汰している会社の帰路の都内の散歩だが、道中見かけるカレーのお店の多さには目を見張る。いろいろな国からやってきた人が営む小さな店から老舗のお店までほんとたくさんあるのである。

一度は入ってみたいななんて思うお店もあるのだけど、残念ながらその機会はなかなかないのだけれど。

いやいや、カレーを出すのは何もカレーのお店ばかりではない。お蕎麦屋さんだって、カレーを出しているし、ひょっとしたらラーメン屋さんだってメニューに載っているかもしれない。

日本人はカレーが大好きで週に一回はカレーを食べているらしいという統計もあるようだ。我が家も勿論カレーは大好きで食べるとなるとみんなでたらふく食べて、その量に驚くというのがいつものパターンだ。

しかしこのカレー。我が家のカレーと余所の家のカレーとは似ていても全く同じものはないかもしれない。

肉かシーフードか野菜そして肝心の香辛料。調理方法などのバリエーションは大変豊富なものがあるだろう。
他に思い当たるこのような料理というとラーメンもそうかもしれない。カレーにせよラーメンにせよ、ここで僕らがイメージしているのは、日本人が普段食べているもののことだろう。

しかしカレーは、世界中で広く食べられているというところでラーメンのそれを凌駕している。


 インド在住のイギリス人が、朝、昼、晩と食べたのは、カレーとライスだった。アングロ・インディアンの食卓には、必ず何種類かのカレーがあった。これらを辛いピクルスやスパイシーなラグー[味の濃いシチュー]代わりにして、あまり味のないゆでた肉やローストした肉に辛味を加えた。しかし、インド人は誰も自分たちの食べ物がカレーだとは思っていなかっただろう。じつは、カレーというものは、ヨーロッパ人がインドの食文化に押しつけた概念だったのだ。インド人はそれぞれの料理を固有の名称で呼んでいたし、召使たちはイギリス人に、ローガンジョシュとかドーピアーザー、あるいはコーラマーと彼らが呼んでいた料理を給仕していただろう。ところが、イギリス人はこれらをひっくるめてカレーという名前で一括りにしてしまったのである。

 イギリス人がこの名称を学んだのは、ポルトガル人からだった。インド人が「バター、インドの木の実の果肉・・・、カルダモンや生姜をはじめ、ありとあらゆる香辛料を入れ・・・、さらにハーブ、果物、および千種類ほどの調味料を加えてつくり・・・、炊いた米の上にたっぷりとかける」“スープ”をポルトガル人は、“カリル”または“カリー”と呼んでいた。ポルトガル人はこうした言葉を、インド南部の言葉にあるいくつかの単語から借用した。カンナダ語とマラヤーラム語では、カリル(karil)という言葉は味付けのための香辛料を表すのに使われていたほか、野菜や肉の炒め物を指すこともあった。タミル語には、同じような意味のカリ(kari)という言葉があった(ただし現在では、ソースまたはグレービーソースを意味する言葉として使われている)。カリルとカリという言葉がポルトガル語と英語のなかでかたちを変えるにつれて、綴り字もcarilとcareeに変わり、やがて、カレー(curry)という言葉になった。イギリス人は当時この言葉を、とろみのあるソースかグレービーソースを使う、インド各地の香辛料の効いたあらゆる料理の総称として使っていた。


もともとはインドの料理であった訳だが、その源流を離れ、ポルトガル、イギリスのアレンジを受け、植民地時代という不幸な歴史を飲み込んで、インドの料理にも多大なる影響を与えると同時に世界に広く広がり、結果「カレー」はものすごく広い範囲の料理の総称のようなものになってしまったと捉えるべきものなのだった。

改めて考えればカレーに牛の肉を使っているという点でヒンドゥーの感覚からはあり得ない料理になっている訳だろうけども、本書を読むとインドにはそもそも唐辛子やジャガイモがなかった。これらはポルトガルやイギリスが持ち込んだものなのだという。


 唐辛子は、ポルトガル人の手を介してインドにやってきた。唐辛子が正確にいつマラバル海岸に到着したのかはわからないが、ヴァスコ・ダ・ガマがインドの地に最初に上陸してから三十年誤には、ゴア周辺では少なくとも三種類のトウガラシ属の植物が栽培されていた。インドでは、コロンブス以来のペッパーをめぐる混同がつづいた。唐辛子は「ペルナンブコ・ペッパー」として知られていた。最初の輸入品がおそらくブラジルからリスボン経由できたことを示唆する名前だ〔ペルナンブコはブラジル北東部の州〕。もっと遠くのボンベイでは、唐辛子はゴワイ・ミルチ、つまりゴアのペッパーと呼ばれていた。インドに唐辛子が入ってきた場所がゴアだったことを示唆する名称だ。南部のインド人は、黒胡椒とナガコショウを料理にたっぷりと使ってピリリと辛いソースをつくっていたので、すぐに唐辛子に飛びついた。唐辛子は外見もナガコショウと似ているので、さほど見慣れないものでもなかった。味は同じように辛く、それでいて栽培は容易であり、カビの生えやすいナガコショウより長く保存もできた。唐辛子はすぐにナガコショウよりも安く手に入るようになり、やがてそれに取って代わってしまった。


そして紅茶も。インドにはお茶の木がなかったのでイギリス人が中国から持ってきたというのである。


 茶を飲む習慣は四世紀に中国で始まった。この習慣は中国から日本へ六世紀から八世紀の間に伝わり、そこで重要な社交儀式となった。茶はインドの北方のチベットやヒマラヤ地方にも広がり、これらの地域ではバターと混ぜてスープの一種として飲まれていた。インドの東部周辺にあるアッサムや、さらに東のビルマ[現ミャンマー]とタイでは、山岳民族が蒸して発酵させた茶葉を噛んでいた。茶を飲む(または噛む)国々と接していたにもかかわらず、インドは茶の魅力の影響を受けることはなかった。1406年に 和が率いる中国の外交使節団の通訳がベンガルを訪れ!ベンガル人が茶の代わりに 椰子を勧めることを知って驚いている。


カレーはただ者ではないのである。和食とか洋食の境界線を軽々と突破し、いまや世界制服だってあり得る状況なんじゃないかとすら思う。かつての植民地インドが料理という手段で世界をインド化するという訳なのである。まーつまりは「カレー」の定義が曖昧過ぎているということなんだろうけども。

本書はこの世界に広がるカレーの源流を辿る思った以上に硬派な一冊となっており読み応えは十分。そしてカレーの変遷し拡大していくその姿の向こう側に大英帝国・植民地時代のイギリスとインドの。更にはインドにかつて居た、そして今も居る様々な文化や宗教や価値観を持った民族の人々との関係性が浮かび上がってくる。とてもいい本でした。


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ナイン・ドラゴンズ(Nine Dragons)
マイクル・コナリー(Michael Connelly)

2014/05/06:GW。この日のためにとっておいた「ナイン・ドラゴンズ」を引っ張り出してソファーに陣取り、只管没頭であります。カミさんも子供たちも暦どおりで殆ど僕一人。コナリーの本を身もだえしながら読むにはこれ以上ないうってつけの機会。至福の読書時間でありました。

近年のコナリーの本はますます疾走感が素晴らしい。なかだるみなく一気にラストまで突っ走る感じだ。勿論コナリー本人もここ、読者に息もつかせず、一気にラストまで走り抜けさせるために、全身全霊をかけてストーリーを編み出しているに違いない。

僕らは絶叫系のアトラクションに乗るみたいにただ黙って座ってシートベルトを締めて身を任せればよいのである。

「ナイン・ドラゴンズ」はコナリーの第22作目。ボッシュは銃撃による怪我から復帰してきた相棒イグナシオ・フェラスとサウスLAで酒屋を営む中国人経営者が強盗らしき人物によって射殺された事件に駆けつける。ちなみにハリー・ボッシュは幾つになるんだっけ。それにしても全く歳を感じさせないよな。

この酒屋はロサンゼルス暴動が起こったときにボッシュが現場にいた正にその場所にあって、その時酒屋の店主とボッシュはほんの一瞬ながら接点を持っていたのだった。

その店主は店に入ってきた人物に銃撃されて命を落とした。

本来であれば強盗事件はボッシュの管轄する事件ではなかったが、人手不足の応援として事件の担当を割り当てられた。双子の子供が生まれたばかりのフェラスは帰宅時間が遅くなってしまったことに不満らしい。フェラスはそればかりか復帰後、事件を追うことに対する意欲を失ってしまったか、または外で捜査をすることに畏れを抱いているかまたはその両方であるらしい。

子供の面倒をみるために家に帰る必要があることも事実だが、彼はそれを口実に仕事から逃げているようにボッシュには映っていた。

店主は店内のカウンターの中に斃れていた。夫婦で営む小さな店で、年老いた妻が昼食の準備のために店を離れている間に事件は起こった。彼女が戻ると夫は既にこと切れていたのだった。

胸部には三発の銃撃の跡。カウンターの内側に備えられていた自衛のための拳銃に触れる暇もなく発砲を受けたらしい。そして店内に設置されていた防犯カメラのディスクは抜き取られていた。

事件を調査するボッシュの前にやがて現れてくるのは、この地域でみかじめ料をとっている香港マフィア「三合会」の影だった。暴動当時とかわらぬ店舗経営からみかじめ料の納付はかなりの負担となっていた模様で、金に絡んで事件は起こったのだろうか。

予測もつかない展開にただ翻弄されっぱなしの一冊でした。しかし、コナリー。疾走感のためにここまでいろんなものを捨て去るのか。単なるシリーズものの一つとはとても言えない広がりを遂げたこの作品群にこんな大鉈を振り下ろしてくるとは。だからこそ予想外で。だからこその疾走感なのかもしれない。

ネタバレNGな我がサイトではこれ以上いろいろ書くのはマズいと思うのだけど、「死角」も本作もボッシュがやや空回りしているところが、しかもどうやらコナリーが意図してやっている感じなところがちと気になりました。

またお国柄なのか、ここで行っちゃうんだとか、だれも止めないのねというところも、「あれ?」って感じがありました。

更にもう一言だけ。今後、ボッシュはどのような展開を見せていくのか。個人的には十分不幸を背負いこんだボッシュには、何がしかの救いのある人生を与えてあげてほしいと思ってしまう次第であります。

夢中で読みましたが、読後感はやや複雑なものがありました。


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ドナウ-ある川の伝記(El Danubio)
クラウディオ・マグリス(Claudio Magris)

2014/04/30:クラウディオ・マグリス(Claudio Magris)は1939生まれのイタリア人。ドイツ文学の教授をする傍らコラムやエッセイを書いたり翻訳の仕事をしたりと多才・博学な人らしい。

本書はバグッタ賞およびアンティーコ・ファットーレ国際文学賞を受賞しマグリスの代表作にして彼の存在を広く知らしめるものとなったそうだ。

「ドナウ(Danubio)」はマグリス本人がドナウ川の源流から黒海にある河口までの川の流れに沿った旅を扱ったものだが、本書が特異な本になっているのはマグリスの詩・文学・音楽の深く広い知識と視野によってドナウ川に沿って広がる中欧・東欧の民族によって生みだされてきた歴史・文化が改めて浮き彫りになってくることだ。

本書が書かれたのは1986年。まだソ連もユーゴスラヴィアもまだ崩壊する前で、チェコもスロヴァキアも一つの国だった頃だ。ヨーロッパと一言で呼んだ時、当時の僕らにとってギリシャは勿論、ソ連国境を境に大雑把にそれ以外のヨーロッパ大陸の国々をすべて指していたのではないかと思う。
単純化・簡略化はいつも誤解のもととなる訳で、物事というものは詳細に入っていけば行く程、単純なことは何一つなく、複雑に入り組み一筋縄ではなくなるものなのである。

ドナウ川。延長は2860Kmにもなるのといい、流れ下る地域には約10カ国の国があるのだそうだ。日本で一番長い川は信濃川だが延長は367Kmだというから、僕ら日本人にはドナウ川というものはちょっと直観的に理解できる規模を超えている感じだ。


 ドナウエッシンゲンのフュルステンベルグ公園には、おごそかな標識がみえる。

「ドナウはここから始まる」

 だが、さらにべつの標識もあるのだ。ルートヴィヒ・エーアライン博士がブレーク川の水源に立てさせたもので、こちらこそ正真正銘の源流だと主張している。それはあらゆる支流の中で黒海からもっとも離れた2888キロメートルの位置にあって、ドナウエッシンゲンよりも、さらに48.5キロメートル奥まったところにある。エーアライン博士は、フルトヴァンゲンの町外れのブレーク川水源近くに地所を持っており、自家製の用箋やスタンプや鑑定書でもって「ドナウ源流の所有者」をうたってきた。そしてドナウエッシンゲンの町当局とはげしく覇を争った。この先生はフランス革命時代の人物であって、その当時、ドイツが興深刻の惨めさをあじわっているなかで、一市民としての自由と小さな土地の所有とを武器に、旧弊な隣町の宮廷に異議を申し立てたのだ。それはともかくとして、フルトヴァンゲンの誠実な市民たちはエーアライン博士の名前とともに、あの記念すべき日を忘れていない。その日、フルトヴァンゲンの町長はブレーク川の水を瓶につめ、多くの町民たちをひきつれてドナウエッシンゲンへ赴き、心からの軽蔑をこめて持参した水を水源にそそいだのである。


その源流が「泉」だと言い張るそのセンスにもただただ驚く次第だが、ドナウ。その源流も河口も「ここだ」という明確なものはなく、その流れも無数の支流が合流し、分岐・また合流を繰り返すことでその色も姿も変え続け、実態はとらえどころがない。


<目次>
水源の樋
ネヴェクロヴスキー技師の大いなるドナウ
ヴァッハウにて
カフェ・ツェントラール
城と小屋
パンノニア
アンカおばあさん
曖昧な地図
マトアス

実態があるのは単に川のほとりに立つ者の目の前を流れ去っていく水の流れであり、それは二度と同じことが繰り返されることのない一瞬一瞬の積み重ねであるという。

エヴァンスが述べているが、ハンガリーは異文化の多様さの見本であって、種々の王権がときに君臨し、ときに交配したモザイクだという。ハプスブルク統治領、トルコ支配下の州(ヴィラーイェト)、トランシルバニア候国、それぞれが領界を分け合っていた。十八世紀末にオスマンが退くとともにオーストリアが進出した。軍事を統率したモンテクッコリ将軍は著書『ハンガリー1677年』に書いている。
「ハンガリーは誇り高く、たえず動いていて、統御し難い。みずからの由来するマジャールとタタールの血を合わせ、とどめようのない自由を求めたがる。ハンガリー人の心情は百面相のプロメテウスそっくりで、はてしなく高まったかと思うと、地の底に沈み、一方にあるかと思うと、次は他方に転じている」


移ろいゆきその姿を変え続けているのはドナウ川ばかりではなく、そこに広がって暮らす人々も同様だった。個々の人は時とともにやってきては去っていく。大きな時間の流れの中では更に民族・国家・宗教・文化的なものや価値観すらも移ろってきた。

僕らの考えるヨーロッパが大雑把であったのと同様、西洋人という言葉も曖昧模糊として実は実態がない。ユーゴスラヴィアのみがモザイク的であった訳ではなく、ヨーロッパ全体がモザイク的であったのだった。

 ユーゴスラビアのヴォイヴォディナには今日五つ民族が共存している。1974年憲法により確認したところであって、セルビア人、ハンガリー人、スロヴァキア人、ルーマニア人、ルテニア人である。さらに多くのマイノリティがいて、ドイツ人、ブルガリア人、ジプシー、さらに数百年前に南部ダルマチアやボスニア、ヘルツェゴビナから移ってきたブニェヴァツ人やショカツ人がいる。自分たちは独特の民族集団だと考えているにもかかわらず、セルビア語を話すためにセルビア人からはセルビア人と、カトリック信者であったために苦労からはクロアチア人とみなされる人々である。この牧歌的な話は、政治的宣伝では大言壮語に思われるが事実であり、この土地にはルーマニアの格言が生きているらしいのだ。

 「緑の馬かインテリのセルビア人を見たことがあるか?」


ドナウ川は確かに長大だが、たかだか3千キロにも満たない。こんな範囲にどうしてかくも多様な人々がひしめきあって住んでいるのだろうか。いつしか僕は最初の印象と真逆な視線でドナウ川流域を眺め始めていることに気づいた。

人はいつも自分自身で目に見える範囲でのみ自分と他者を区別してきた。その一方で何がしかを分かち合える相手とは一緒にかつての古戦場の跡でピクニックに興じ、お弁当をひろげと酒を飲んで笑いあうのである。

笑いあう笑い合える者同士、突き詰めると自分自身すらもどこからやってきた何者なのか、本当のところはよくわかっていない。わかっていないことすらもわかっていないのかもしれない。ドナウ川、どこから流れが起こりそしてどこへたどり着くのか。その名をなんと呼ぼうが川はただ流れ続ける。

ユーゴが崩壊したのは他でもないグローバル化によって自分たちと他者の差異、格差が明確化したことから他者との対立が激化したということがあったのだという。ますますこの傾向は近年強まってきていると感じる。

残念ながら今の僕ら、特に日本のような小さな国で暮らす僕らにはこのような事態が今後どのように進んでいくのかは最早想像することすら難しい気がする。百年。数百年後の人たちにとって僕らの時代がどう写るのか。

あちこちで起こっている、或いはこれから起こる場所も含めた紛争地域の跡地の川のほとりで民族や宗教を超えた人たちが、「ほんとにバカなことで争ったもんだよ」などと笑いながらお弁当を広げて一緒に飲み食いしているなんてことになっているのかもしれない。

しかし確実にいえることは一つ。川は流れ続けているだろうということだ。


△▲△

多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者
(King of Infinite Space: Donald Coxeter)

シュボーン・ロバーツ(Siobhan Roberts)

2014/04/20:幾何学って何?ってくらいの数学音痴であるにも関わらず、この手の本に手を出してしまう。見識がなくて全然わかってなくとも手当たり次第に漁っていくうちに何時かは何かわかるかもしれないなんて淡い期待がないというと嘘になる。理解不能なことがあるというのはどうにも落ち着かないものがあるじゃないですか。

本書もそんな一冊。実際かなりの分量の本で躊躇してしまうけれども、ダグラス・ホフスタッターが序文を寄せていた。

ホフスタッターは1979年に出されピューリッツァー賞を受賞した「ゲーデル・エッシャー・バッハ-あるいは不思議の環」の著者。僕は「G・E・B」に三度挑んで挫折した。未読了のまま本棚に長い間並んでいる珍しい本でもある。この本はいろんなところがあちこち面白いのだけど、ゲーデルの部分がどうにも難しい。途中で訳がわからなくなる。しかし気になる。思い立って手にしてまたきっと挫折するのだろう。きっと。そんなホフスタッターが序文を寄せているような本は是非とも読んでおきたい。

それにしても幾何学って何だろう。ウィキペディアには幾何学の説明の末尾にこんな事が書かれていた。

「現代の日本の教育では、体系的な初等幾何学はほぼ根絶された」

これはどうやら岩波書店から出されている「現代に活かす  初等幾何入門」という本で著者の京大名誉教授の一松信という人がまえがきで書いていることに由来しているらしい。

幾何学といわれてピンと来ないのは僕が単に数学音痴なだけではなく、幾何学に関する学校教育が欠けていることが原因だという。なんとなく解らないのが自分のせいだけではない感じがにわかにしてきたぞ。

幾何学という学問が日陰もの扱いをされてきたことには原因があって、それは日本の教育に限った話ではなく、世界的な数学界の趨勢によるものだった。それは本書にもきっちり描きこまれていた。

1832年。ハンガリーのヤノーシュ・ボヤイがユークリッド幾何学の第五公準が誤りであることを証明した頃から古典幾何学の重要性は埃を被りはじめた。ユークリッドが図を多用して説明していた部分に誤りや誤解を招く部分があったということで数学界は図を用いず数式を使った学問へと大きくその振り子を振ったのだという。

結果、20世紀初頭。数学者たちの中には「幾何学は終わった」とすら公然と述べるものも出てくるほど古典幾何学は長い間続いていた栄光は過去のものになっていた。

いやというよりも数学者たちは幾何学によって失われた信頼を取り戻すために、より形式主義ともよばれる系統的で演繹的、抽象的な形式へと立ち位置を変えざるを得なかったと考えることもできるようだ。

その中心になった人物はニコラ・ブルバギ。しかしこの男は実在の人物ではない。フランスの若手数学者たちが集団で作り出した架空の人物だった。これが世の趨勢となり、やがて数学の書物からは急速に図が姿を消していったのだという。

こうして落日の日々を送ることになった幾何学を再び世界の表舞台にあげることで救い出した男がいた。ドナルド・コセクター(Harold Scott MacDonald Coxeter 1907年~2003年)。コセクターは幾何学にこそ物事の本質的な真理が含まれているという重要性を信じ、新たな発見や代数などとを結び付ける道具としての数学的ツールを創造することで幾何学そのものを救い出した救世主たる人物だとされる業績を生み出した。そしてコセクターはその業績によって存命中にその存在が伝説化したのだという。

僕ら初等幾何学の教育すら満足に受けられていない一般人にとってはコセクターの存在など全くもって知る由もなかった訳だが、彼の発見と生み出した数学的道具類は幾何学と他の代数・群論などを繋ぎ、数学はあらたな地平を見渡す視覚・知覚を得て更なる跳躍に向けて動き出しつつあるらしいのだ。

近年、こうしたコセクターの地道で着実な活動によって幾何学は改めて見直され、その重要度は増すばかりなのだという。


 ものごとを幾何学的に視覚化する能力は科学者の知的資質の基本的な部分である。......このように、科学リテラシーの一部は幾何学的抽象を基礎として成り立っている。......幾何学は、人間が純粋に知的プロセスを通じて、(観察に基づいて)現実世界に関する予測を行うことを可能にする。おそらくもっとも基本的な科学だろう。推論の正確さと有用性という意味で幾何学の持つ力を目覚しく、それが幾何学を通じて論理を学習することの強い動機付けになっていた。だが、残念ながら、幾何学教育においては、論理の役割が大きくなりすぎて、幾何学の創造的、直感的な側面の影が薄れがちだ。これまでに、この傾向は、幾何学における視覚的あるいは直観的な「定性的」パターン認識は幼稚園や小学校低学年のみに適した作業であるとする陳腐な見解によって助長されてきた。

 我々はこの見解を認めないことを声を大にして主張したい。視覚的、直観的な作業は、特定の問題の解明を助ける道具としても、インスピレーション、新しい「アイデア」の源泉としても、数学と科学のあらゆるレベルで不可欠である。


幼少の頃から音楽や架空の国の言語などを作って遊ぶ聡明な子供であったコセクターは、空間が4次元である世界がどんな風に見えるかについて、真剣に長く考え、万華鏡を使って投影図をみることで視覚的に四次元空間を垣間見る方法を考え付き、更にはその鏡像を作り出す条件式を一から生み出すようなこともやっていた。勿論本人の生まれ持った才能に溢れるものがあったことは間違いない。しかし、やはり子供の頃に学びはじめたものは伸びしろが違う。

生きているうちからその存在が伝説になったコセクター。正に偉人と呼べる彼の生涯はとても味わい深いものがありました。そしてまた本書が繰り返し訴えてくる幾何学の重要性。それは科学のリテラシーの基礎となるものであるという。今後ますますその重要性が増していくとすれば尚更きちんと学んでおきたいというものだ。できるかな。

おっと最後に一言。幾何学の事は苦手でも本書はたっぷり楽しく読める一冊でありました。ホントに。


△▲△

ボスニア内戦-国際社会と現代史
佐原徹哉

2014/04/12:ユーゴ、ユーゴスラビアはアドリア海を挟んでイタリアと向き合うヨーロッパの国だった。それが実はモザイク国家とかと呼ばれはじめたかと思えば、あっという間に内戦の業火に包まれ消えていったことは大変な驚きであった。

ユーゴとは一体どんな国で、なぜかくも短期間で火薬庫が燃えたかのように暴力がすべてを奪い去っていったのだろうか。

以前読んだピーター・ブロックの「戦争メディアの大罪」にはこんな事が書かれていた。

 クロアチアやセルビアやスロベニアの人々の大半は戦争が始まることを恐れていたが、最大の恐怖はボスニア・ヘルツェゴゴナの動向だった。クロアチアとスロベニアには紛争が起こるだろう。問題はそれがどれだけ激しくなるかということだけだ。だがボスニアには狂気が襲うだろう。セルビア人が、500年に及ぶオスマン帝国の支配を生き延びるためにイスラム教に改宗したセルビア人と戦うことになるのだ。カトリックのクロアチアに対し、正教のセルビアという組み合わせも、同様に和解は困難だ。

 西側メディアは一般に、ユーゴの内戦は純然たる内戦であって、古来の宗教的対立ないし分裂に由来するものではないと反論してきた。報道機関は残虐行為の発信源はベオグラード、ザグレブ、サラエボの政治勢力にあると主張していた。

 だが、いかにうかつなバルカン専門家でも、南スラブ、特にカトリックのクロアチア人と正教徒セルビア人の長年の対立から、宗教の影響や介入を切り離すことなど考えられないと認めている。ジプシーの惨殺を座視し、教唆し、あるいは関与したことを忘れない世代の中に、あまりに多くの目撃者が残っていた。


カトリック、正教そしてイスラムの宗教的対立が混乱の拍車をかけていると僕は読んだ。この本はこうした宗教的対立に加えて、ルーダー・フィンのようなアメリカの広告代理店と手を組んだボスニア政府が自分たちに都合がいい状況や情報を西側に流し世論を醸成しつつ、セルビア人などの対抗勢力たちを根絶やしにするためのジェノサイドを推し進めていたことを暴いた本だった。西側のメディアはこの広告代理店の仕組んだシナリオにまんまと乗っかりこれを鵜呑みにして西側に垂れ流していたのだ。

当然ながら西側が受け入れやすい話というのは特に「キリスト教徒にとって」という暗黙の前提があった。つまりユーゴのジェノサイドは西側社会の価値観が凝縮されて打ち寄せる波打ち際であったということなのだ。

しかし、それでも僕には釈然としないものが残った。調べれば1918年にセルビア・クロアチア・スロベニアの人々によって建国された国であるユーゴは、つまり建国の時からモザイク的であった訳で、崩壊がはじまる前までは特に大きな問題もなく人々は互いに肩を並べて暮らしてきたはずではないか。

仮にも熱心に宗教を信じる者が他の宗教者たちを虫けらのごとく殺してしまう。キリスト教の教えのどこにそんなことが赦されるとか、まして神が命じたりしている部分があるというのか。現代社会の価値観からみても集団が集団を抹殺する明らかな意図を持って殺戮するという事態は到底容認されるものではないというのが共通項である筈なのに、どうやら人類は中世の頃の世界観や価値観に後ずさりしてきたかのように、事態は容赦なくますます徹底的なところまで進もうとしているようだ。

一体何が僕らをこうした非道の限りを尽くすような行動に走らすのだろうか。日本人は先の大戦でこうした過ちを犯した。日本人もいざとなればこうした行動に走る生き物なのだと理解するべきなのだと思う。だからこのユーゴの、いやユーゴばかりではなく、チェチェン、サブラ・シャティーラー、ルワンダ、そしてドイツで起こったジェノサイドは他人事ではなく、宗教の問題でもなく、僕ら現代社会に埋め込まれた構造上の問題が一気に清算に走る何かのスイッチが入ってしまったときに起こる可能性のあるものとして経緯を追っていく必要がある気がするのだ。

著者の佐原徹哉は1963年生まれ。あ僕と同じ年だ。明治大学准教授で専門は東欧史と比較ジェノサイド研究なのだそうだ。本書の「はじめに」を読むと僭越ながら全く同感なことが書かれていた。


 ジェノサイドの防止にとって、過去に起こった事件を的確に分析し、その発生メカニズムを明らかにすることは何より重要である。ジェノサイドはどのような条件のもとで発生したのか、事態がジェノサイドにまでエスカレートするにはどのような段階的変化があったのか、こうしたことを解明し、さらにまた、複数の事例を比較することによって、ジェノサイドを抑止するにはどのような手段を講じればよいのかが明らかになるからである。比較ジェノサイド研究という学問分野が生まれたのはこうした問題意識からであった。


なるほど慧眼であります。

本書はこの段階的に事態がエスカレートし暴力が暴力を生み、これまで肩を並べて暮らしてきた人々の間で不信感が明らかな警戒や防護に変わり、警察や軍といった国家の組織が出自や宗教的差異を支えきれなくなって瓦解し、いよいよ自分たちの生命を守るのは自分たちの力以外の何ものもない状況に追い込まれた人々が家族や仲間を守るために相手を殺し始めるという暴力の連鎖が浮かび上がってくる。

確かにこれを煽動する者。先頭を切って凶暴の限りをつくす者もいる。こうした本来から凶悪な人間の存在によって事態は急速に最悪の状況に向かって暴走していくのである。

恐ろしい本である。しかし本当に恐ろしいのはこの起点が何かではないかと思う。それは民族的差異でも宗教の差異でもなかった。


 内戦は冷戦構造の産物であった社会主義ユーゴシステムが圧倒的なグローバル化の力によって崩壊し、一時的に生じた無法状態の中で、人々がローカルな価値観に従って自己保存のために動いたことから発生したのであるが、ボスニアの場合、このローカルな価値観はジェノサイドへの恐怖であり、いずれの集団も多かれ少なかれこの恐怖心に突き動かされて残虐行為を展開したのであった。内戦が宗教紛争や民族紛争の外見を呈するのは、ジェノサイドを逃れるには、ジェノサイドの、対象となる集団が結束しなければならないという思考様式が働いた結果であった。こうして剥き出しになったローカルな価値観は、社会主義時代にイデオロギー化した多民族の共存や、それに代わるものとして提唱された民主主義や人権といった外在的なグローバル・スタンダードを遥かに凌駕するリアリティをもち、時に正義そのものとまで意識されることとなった。


ユーゴの社会システムを崩壊させたのはグローバル化の力だったかもしれない。しかしユーゴの息の根を完全に止めたのはIMFが導入した「ショック療法」だった。ユーゴに融資の担保として導入を迫った「経済安定化プログラム」によって補助金の打ち切り、公共料金の値上げ、平価の切り下げによって物価の高騰と所得の減少がすすみ国民生活は完全に行き詰まり、所謂「IMF暴動」を引き起こしたのだ。

彼らは荒廃する社会に囲まれて極々身近にいる信じあえる人々と手を取り合って行く以外に選択肢はなかったのだ。

民族や宗教の繋がりで対立が起こるのは原因ではなく結果だったのである。

恐ろしい本である。しかしこれが現実なのだ。漸く僕は事情が飲み込めた気がします。


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