This Contents


若冲伝
佐藤康宏

2020/03/29:新型コロナウィルスがパンデミックとなり、首都圏は外出自粛要請がでた3月末の期末を目前とした週末は朝から雨、観測史上異例の早さで満開となった桜は見物する人も少なく寂しく雨に濡れています。

僕は6年所属していた部署から異動が決まりなんだか宙に浮いたような気持ちで心ここにあらず、茫漠とニュースやツイッターを追い、慰みに安倍政権をデスってみたりして時間を浪費したりしております。

近年稀にみる面白さで没頭して読んだ「若冲伝」の記事ですが、そんな次第でどうも気持ちが入らず、こんな状態で記事書いてもろくな結果にならんとちゃうか等とやらないことの理由を探してしまうばかりであります。

実際本棚で見つけて手に取ったもののこれを読むべきか通り過ぎるべきかやや逡巡しました。若冲の事はもっと知りたいと思っていたところではありましたが、ぱらぱらめくってみた感触としてかなり専門的で難解そうな気配。

しかし読み始めると著者はこんな事を言う。過去を安易に自分たちの価値観で認識すべきではない。その時代と地域の現場で起こったことを当時の人々の立場で見定めていく姿勢が大事だと。しかもそう努力したところで我々が現代人で現在の枠組みで思考を制限されてしまうことは避けられない、故に過去と現在とを往還しつつ書いていこう。と。

若冲は昨年、企画展が催されたりして若い人にも注目を浴び知名度があがった訳だが、僕も若冲を知ったのはそんななかのことだったと思う。鶏を描いたその筆致と圧倒される構成・構図にはすばらしいものがあると思ったが、如何せん美術も若冲が活きた時代背景もわからず、正直どのくらい凄い人なのかがちっともわかった気がしていなかった。

本書はそんな若冲の生きた時代背景と彼がどのような動機と意図を持って作品を生み出していったのかを正に推理小説をも凌駕する勢いで暴いていくのでありました。いやはやあっぱれという以外にない。まさか本書でネタバレを気にしつつ記事を書くことになるとは思いもよりませんでした。

これを書いた時点ですでにネタバレなんだけどさ。

京都四条通の一本北側を走る道が錦小路である。その東は新京極通から西は高倉通までの約400メートルの路地には食料品店が両側に連なり、錦市場の名で知られている。江戸時代前期に出版された京都の地誌のうち浅井了意『京雀』(1665年刊行)の巻五を開けば、錦小路通の挿絵には、野菜と魚とを店頭に並べる店が描かれている。現代に通じる錦小路通のイメージは、既に当時共有されていた。若冲はこの町で生まれた。

若冲が1766年(明和3)11月に建てた生前の墓、つまり寿蔵が相國寺の墓所に現存する。そこには若冲と親交のあった禅僧で詩人の大典(梅莊顕常 1719-1801)が碑文を記している。「若冲居士寿蔵の碑銘」というこの碑文が、若冲の伝記についての基本史料のひとつで、若干字句を修正したうえで大典の詩文集『小雲棲稿(しょううんせいこう)』巻九にも収録されている


若冲は錦小路の市場を取り仕切る青物問屋「桝屋」の長男として生まれた。老舗でしかもかなりの規模だったらしい桝屋の長男として家業を継ぐことが生まれながらに決められた運命だったようだ。しかも若冲23歳の時に実父が死去、予想外に早く家督を継がざるを得ない状況となったようだ。しかし若冲にはありがちな話ではあるが別の志があった。勿論それは絵なのだが、もう一つあったそれは信仰だった。

黄檗宗は福建省を中心に発展した新しい禅宗の一派だった。その地方の出身で貿易を目的に長崎に滞在した中国人たちが、十七世紀前半に寺を建て黄檗僧を招き、長崎に黄檗宗と明末の文化が伝わった。次にそれらは京都に及んだ。1661年、隠元隆琦(いんげんりゅうき 1592-1673)を開山として宇治に創設されたのが萬福寺である。隠元以降もほとんどは中国からの渡来僧が萬福寺の住持を務める体制が、十八世紀の終わり近くまで続き、中国語による読経が響く、日本の中の外国といった環境が保たれた。超能力を持つ羅漢や民間信仰に由来する不思議な神々があくの強い生々しい姿で並び、黄檗僧たちによる明風の書や墨戯の絵画、濃厚な色彩と精細な湯洋風の陰影を特色とする明末の頂相(禅僧の肖像画)がある。それらが彩る萬福寺の空間は、宇治の地に突如出現した異国というほどに隔絶したものであった。

萬福寺を本山として1745年に全国で897にまで増えた黄檗寺院は、美術にまつわる様々な最先端の流行の発信者となった。たとえば、唐様と呼ばれた明風の書がそうであり、印章を高雅な字体で彫る篆刻の趣味もそれに含まれる。江戸中期、十八世紀にも最新の中国文化に触れようとする多くの知識人が、萬福寺を訪れ、黄檗僧と交流した。これら明末の文化との接触を基礎として、若冲も含む新しいスタイルの絵画が作られるようになるのである。隠元をはじめ黄檗僧たちは、まだ日本にはなかった多色摺りで図柄を描く詩箋を用いており、この技術が浮世絵の錦絵の源泉となったとも考えられる。煎茶の流行も含めて江戸中期の文化で黄檗に由来するものは非常に多い。商人たちもまた黄檗に魅せられる人が少なくなかった。


黄檗宗(おうばくしゅう)は当時中国から僧侶を招聘して全国へと広がった一つの文化であり、当時の最先端のトレンドだった。寺院では中国語で読経・会話がなされ、呼称やお墓に彫る名前も中国風にしたりしていた。宗教を根幹として仏教美術、唐風と呼ばれるものの発信源が黄檗宗であった訳で、若冲はこの熱心な信者でもあったのだった。

実際彼は最終的には家督を弟に継ぎ、自身は出家していくのだ。黄檗宗は最盛期には全国で900近い寺院が展開していたのだという。果たして初めて聞く響きである時点で自分の無知を恥じるばかりな訳だが、調べてみると仙台の大年寺が黄檗宗だったのだそうでびっくり、ちょっと脱線します。

仙台の西には小さな小山があり八木山、大年寺山と呼ばれる場所がある。八木山は比較的認識しやすいが、大年寺山というのは一体どこからどこが「山」なのかちょっと判然としない。大年寺と「寺」の名がつくものの、それと言われる場所には寺はなく、子供の頃からそこは野草園と呼ばれる公園で、小学校の野外研修などで出かけて行っては写生したりお弁当を食べたりする場所だった。

大年寺山山頂付近には電波塔が聳え、ふもとの野草園の野原に寝そべって空を眺めると、この電波塔が空に向かって突き出している真下にいるような構図になる。風に雲が流れてる日は、空を眺めていると雲が動いているのか自分が動いているのかわからなくなる錯覚が起こる。僕はこの錯覚が大好きで延々とこの流れる雲を眺めていたのでした。

この野原こそ実は「黄檗宗大年寺」の跡地であったのでした。大年寺は元禄8年(1695年)に黄檗宗に帰依した第四代仙台藩主伊達綱村によって創建された。1731年には本山萬福寺を模倣した伽藍や惣門が作られ壮大な寺として規模を拡大したのだそうだ。茫漠とした大年寺という呼び名は往年のその壮大さの名残であったのだ。

大年寺は明治維新後、伊達家が神葬に転換したことから衰退、縮小・荒廃していくのだが、これは全国の寺院も同様で収蔵品・仏具などの転売や縮小・廃寺などが進んだ。

若冲は早くから黄檗宗に帰依し、出家していく訳だが、自身の作品を寺に寄捨し、請われて描いた絵の報酬も米一斗とするなど欲を捨てた姿勢を貫いた。黄檗宗のその後の衰退により結果的に若冲の作品は散り散りに世界へ広がり、作品の全体像もその描かれた順番も定かではない状態のまま次第に忘れ去られていった。

昭和になり徐々に再評価が進むが、本格的に知名度が上がってきたのは1970年代以降のことで、僕らが若冲すげーとか言うようになるのは更に後のこととなった次第なのでありました。

僕が若冲のどの絵を最初に見たのかは定かではないけれども、鶏の超絶技巧と同時にまるで漫画のような蛙の絵、そして松にとまる白鳳。その装いから明らかに雄であるはずの白鳳の翼にはまるでハートマークのような模様がくっきりと描かれ、その顔は切れ長の目が妖艶でまるで女性のような表情をしている。あれこれは手塚治虫の「火の鳥」じゃないか。手塚治虫の「火の鳥」は1967年に連載が開始されたが、これを見ると明らかに手塚治虫は若冲に感化されていたと思うのが自然なんだろう。若冲の絵に既視感を覚えるのはそうした文化の下敷きがあってこそ、そうした素地を基にして僕らは若冲を再発見してきたのだ。



再び「松樹番鶏図」を見るなら、雌雄の鶏の姿態といい部分の克明な描写といい、この時点で彼の鶏図が完成しているのを告げる作例としても意義深い。筆勢に変化をつけず暈しの使用も制限して、細部まで細線で織物のように描き出す羽毛の描法は、南蘋派(沈南蘋 しんなんびん なんびんは)と一線を画する。さらに前述のとおり、鶏の背景には陳伯仲「松上双鶴図」のそれを借用しているとわかる。沈南蘋よりも古い保守的な画風であるのは確かだ。二幅の関係は、まず、若冲が鶏の写生に熟達しながらも、絵画として完成するに際しては、南蘋画風ではなく、彼が古絵と信じた画の背景と組み合わせる操作をしたことを物語る。次に、旭日が象徴する吉祥の情景であれば鶴を鶏と置換し得ると認識していたことを示す。いずれも大典や若冲が了解していた伝統的な絵画を世界と写生に基づく清新な鶏のイメージとに折り合いをつける方策を取ったことを意味するだろう。雅俗-伝統的なものと新奇なもの-の均衡に配慮したこのような表現意識には、古文辞派そして大典の誌と近い構造が見られる。


本書は東京大学大学院人文科学研究科修士課程(美術史学専攻)修了後、東京国立博物館学芸部、文化庁文化財保護部を経て、現在東京大学文学部教授(美術史学)である佐藤康宏氏による渾身の一冊で、若冲の生い立ちとその時代背景、父の死去や市場の出来事などを踏まえて、若冲の胸中・意図を探り、作品群の技法から作年の推測までまるで推理小説のようなスリリングな展開をし、若冲の時代から自分史に繋がる様々な事柄を想起させる、このあたりは僕自身の自分勝手な想いではあるけれどもという着地でもう感服、感動、目覚ましい作品となっていたのでありました。正に読書冥利につきる一冊でした。


△▲△

日航123便墜落 遺物は真相を語る
青木透子

日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る
青木透子

2020/03/01:今回初めて二冊まとめて記事にするという変則的な形で更新させていただきます。

通勤電車で読む本がないとオロオロしてしまう自分ですが、様々な事情により兵站に失敗し次に読む本がない!ってなることが年に数回ある。しかしこんな時に心強いのがカミさんで、なんかない?と聞くと何某か出してきてくれるのだ。

毎回カミさんに助けられ、本を持たずに会社に向かうようなことがなく過ごしております。 今回も予想よりも早く読了してしまい、次がない!ってなってしまい、繰り出してきてくれたのがこの二冊の本。日航123便墜落事故に関する本でした。日航機の事件はとても興味深いものがあり、何冊か既に読み、ここでも加藤貫一郎の「爆発JAL123便―航空機事故、複雑怪奇なり」、河村 一男の「日航機墜落―123便、捜索の真相」をご紹介させていただいてもいた。

しかし、これまでの本はどれも、なんとも核心に迫るものではなく、一般人としてこの事故の原因に関する今一つ腑に落ちない部分に何か答えを出してくれるものなかった。

なんだろうこの歯がゆさは。これが事故を奇跡的に乗り越えた生存者の方や肉親や友人がこの機に乗り合わせて犠牲になった方々からみたらどんな気持ちなんだろうかとも思う。

一般的に123便の事故原因は圧力隔壁の破損である。これにより垂直尾翼と補助動力装置が脱落。油圧操縦システムが全喪失。操縦不能に陥り墜落したという。

ああそうなのか。と思う人もいるのかな。この説明で。

因みに高度5千メートルぐらいの外気圧は500気圧p(hPa)で地上の約半分、一万メートルで250気圧p(hPa)と地上の四分の一ぐらいだ。一方で水深・水圧の関係でいうと、水深10Mと二気圧だから地上の倍だ(合ってるよね。間違ってる?)10m潜るのはなかなか大変だし耳抜きしないとダメな深さではあるし、水中なので息ができないけれども、人間が過ごせない場所ではない。

高度5千メートルがどんな環境なのかむき身で行ったことがないのでどんな感じなのかわからないけれども、即死するとか身体がバラバラになるような環境ではないと思う。

圧力隔壁は客室内の気圧を地上と同じ一気圧に保つためのものだ。機体の内側にある客室は圧力隔壁と機体の二重構造の内側にあるのだ。

旅客機は1万メートル程度まで上昇する一方、速度は時速約800~900kmであり、人間の身体にとっては高度よりも速度の方が問題で、むき身で時速800Kmは身体が耐えられないだろう。

つまり何を言いたいのかと言えば圧力隔壁よりも機体本体の強度は遥かに高いものが求められるということだ。 事故原因に改めて立ち返ると圧力隔壁が破損し客室内の気圧が機体内部に漏れ出し、この気圧差が垂直尾翼を吹き飛ばしたと言っている。のだと思うのだけど、そんな事があり得るのか。

炭酸飲料の栓を抜いた時にポンっとなって泡が吹きこぼれるということがあるけれども、この気圧差で機体が損傷したと。

そんなに柔に機体が作られているということを信じろというように聞こえるけれども、僕にはどうしてもこの部分が信じられない。

まして事故の経緯を辿れば辿るほどその不信感は増していく。その代表的な例が機内の様子だ。客室ないではどーんと大きな音がしたものの、気圧低下しても大きな衝撃はなかった。一瞬ホワイトアウトしたものの比較的平穏だったのだ。

激しい気圧低下があった訳でもなかったとすると尾翼を吹き飛ばしたこの力はどこから生じたものだというのか。

著者の青山透子は東京大学大学院博士課程修了、博士号取得。事故当時は日本航空国際線客室乗務員だった人です。国内線時代には事故機のクルーと同じグループで乗務しており乗組員の多くの犠牲者は同じ寮で暮らしていた直接の知り合いであったそうだ。

本人の職場経験からこの事故の原因とその後の経緯に深い疑念を持って調査を続け、目撃者の証言などを地道に集めて回ってきたことで浮かび上がってきたものを本にまとめたものだという。

「日航123便 墜落の真実」

【目次】 序 章 あの日に何が見えたのか
· 日航123便墜落事故に関する略年表
第一章一九八五年八月十二日の記録
1 スチュワーデスの視点から
2 政治家の視点から
· 中曽根康弘総理大臣の場合
· 山下徳夫運輸大臣の場合
3 日本航空の視点から
第二章新たに浮かび上がるあの日の証言
1 遺族となった吉備素子氏の体験と記憶
2 山下徳夫運輸大臣の記憶
3 目撃者たちの証言
· ファントム二機と赤い物体の目撃者
第三章『小さな目は見た』というもう一つの記録
1 上野村小学校、中学校の文集が語る二百三十五名の目撃証言 2 横田基地への取材ノートから
3 ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体と遺品
· 検死に関わった医師たちの証言
· 山口悠介検事正による異例の説明会
· 上野村に眠る遺骨と尾根に残る残骸から見えてくるもの
第四章三十三回忌に見えてきた新たな事実 〜目撃証言からの検証〜
1 事故原因を意図的に漏洩したのは米国政府という記事
· ガソリンとタールの異臭について
· 墜落現場不明という誤報とファントム二機の追尾
· 人命救助よりも大切だったのは赤い物体か?
2 未来に向けて私たちができること
本書が追求する問題点
·公式記録にはないファントム二機の追尾が目撃されている。
·日航機に付着した赤い形状のものが目撃されたが、それは何か。
·地元群馬県上野村の小中学校の文集に寄せられた子どもたちの目撃証言。
·米軍機が墜落地点を連絡したにもかかわらず、なぜ現場の特定が遅れたのか。
·ジェット燃料の火災ではありえない遺体の完全炭化から考えられるある種の武器使用の疑い。
·事故原因はなぜ意図的に漏洩されたのか。
·圧力隔壁修理ミス原因説への疑問。

少なくとも間違いないこととして本書はデマや陰謀論などのような本ではない。一方で本書が示唆する事件性を真実だと言い切るにはかなりの勇気と仮定の話がある。

しかし、静岡県藤岡市で運輸関係の仕事をしていた事件当時二十二歳だった女性は仕事帰りに異常な程低空で飛ぶジャンボジェット機を目撃したという。肉眼ではっきりと飛行機の窓の灯りが見えるほどだったというから相当の低空である。 飛び去って行くジャンボ機をみて気づいたのは、機体の左下のおなかの部分に真っ赤なもの末端がギザギザになっているものが突き刺さっているように見えたのだというのだ。

これは一体何なのか。

そしてまた、群馬県上野村立上野小学校では墜落事故を受けて「小さな目は見た」という児童による文集を発行していた。事故当時に目撃したものをみんなで書き記したものだ。

この文集のなかには生々しい事故のニュースの話や、救助に集まったヘリや自衛隊の人たちの姿も描き出されているが、同じように低空で飛ぶジャンボ機の話、そして赤い飛行機を見たという目撃証言があるのだ。そしてそれに前後して飛ぶ二機の航空自衛隊のF4ファントム機。

更にこの赤い謎の飛行機だが、なんとこれは123便の乗客が機内で撮影した窓の外にも映り込んでいることがわかったのだという。黒い点のように写っているだけだが、これを画像解析すると色はオレンジ色で尾部からは熱の波動が出ていることが確認できる。つまりこれは推進力を持って飛ぶ飛行体であるのだ。

123便を追尾する形で飛んでいる赤またはオレンジの飛行体、それはミサイルの試験機だったのではないだろうか。それが123便の尾部に命中突き刺さった形になり、その衝撃で垂直尾翼が飛び、油圧系統も破壊した。結果123便は操縦不能となってしまったのではないか。

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」

《目次より》
第一章 この墜落は何を物語るのか 国産ミサイル開発の最中の墜落
上野村の桜の下で
刑法的アプローチ
公文書としての事故調査報告書は国民の信頼に値するものか
航空機事故調査と警察庁の覚書
墜落直前までの国産ミサイル開発本格推進
生データ開示の必要性
真正の生のボイスレコーダー
「恐れ」と「思考停止」を超えて炭化遺体の声を聴く
大学での講演会から
分厚い未公開資料
山開きの前の御巣鷹の尾根整備活動にて
第二章 焼死体が訴えていることは何か 乗客全員分の未公開資料から
火災現場での違和感
炭化遺体と格闘した医師たちの証言
八月十五日から十二月二十日まで検死活動を続けた女性歯科医師
身元確認はどう行われたか
スチュワーデスの制服は不燃服なのか
機長の制服行方不明事件
なぜJA8119号機でなければならなかったのか
第三章 遺物調査からわかったこと 機体の声が聴こえる
遺物の分析結果
化学者の見解と結果
遺体と機体の遺物が訴えていること
犯罪の命令に服従しなければならないのか
第四章 証拠物と証言が訴えていることは何か 未来の有り様を考える
次々に出てくる赤い物体の目撃情報
検死現場のビデオ──所有者へ返却できない理由
未来に何を残し、何を守りたいのか

事故ではなく事件だったのではないか。そしてその事件は慌ただしくも荒っぽく隠蔽されてしまったのではないのか。繰返すがデマや伝聞情報に基づく仮説の話ではない。陰謀論でもない。全うな疑問と、現場の証拠や証言に基づく確かな推測がここにはある。何より123便の尾部の破損に関して圧力隔壁の破損などというものよりも、複数の目撃証言とも整合する結果ではないかと思う。

しかし、このような突発的な大事件の隠蔽を果たしてやり抜くことができるというかやろうとするだろうか。本書は飛行経路や時間のずれ。墜落現場の発見が大幅に遅れたこと。犠牲者の中には飛行機事故には例を見ない全身が炭化する程に焼けた死体となってしまった方がいたこと。事故の重大な証拠となる圧力隔壁が救助活動の過程の中でバラバラに切断されていることなどいくつもの疑問をとり上げ、不自然さを強調していた。

墜落原因が本書の提示するものであるとすれば、後続の疑問も含めて飲み込まざるを得ないものになってしまうようだ。読了後世の中がかなり違って見えてしまうことは避けられないだろう。まさかここまでやるかと思う部分は僕もまだ吹っ切れてはいない。いないけれども、この二冊を通じて感じたのは本書が示唆するものは十分に起こり得たものであるということだ。

これを事実として受け入れた世界観で生きていくのか、まやかしだ、そんなはずはないという平和な世界観で生きていくのか。あなたならどっちを選びますか。

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」のレビューはこちら>>

「日航123便 墜落の新事実」のレビューはこちら>>

「日航123便 墜落の波紋」のレビューはこちら>>

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」のレビューはこちら>>


△▲△

鳥の不思議な生活: ハチドリのジェットエンジン、
ニワトリの三角関係、全米記憶力チャンピオンVSホシガラス
(The Thing With Feathers: The Surprising Lives of Birds and What they Reveal about Being Human)

ノア・ストリッカー(Noah Strycker)

2020/01/26:ノア・ストリッカーは筋金入りの鳥好きで、 それこそ世界をまたにかけて野鳥を追いその生態に迫っている この鳥好きは生来のものだったようで、若いころにハゲタカが 獲物をついばむところを間近でみたいが故に、道路で事故死した鹿の死骸を探して 車に積み込んで家の庭に放置してみたとか。

これはさすがに家族の深い理解がなければできなかったろうと思う。 こうした探求心が、更なる問い、疑問を生み、本人を自然観察へと走らせて言ったのだろう。

その足元にも及ばないけれども我が家は結構鳥好きだったんだということに思いついた。それは父が鳥好きだったからだ。子供の頃、我が家ではインコやベニスズメといった愛玩鳥をはじめ、小屋を自作して鶏やチャボといった鳥を飼い、朝一番の鳴き声がうるさくて近所から苦情がきたりしていたのでした。

そしてそんな家に育った僕は手乗りで慣れたインコとはずいぶん仲良く一緒に遊んでいたし、 鶏の生んだ卵を小屋からいただいてくるという役割、よく言いつけられて嫌々取りに行っていたんだった。

この役目はどうしても好きになれなかったけど、何が嫌かって鶏って全然人の顔をおぼえない。 毎日会うのに初めて見たやつが来たみたいな感じで大騒ぎするからだ。 インコは完全に人間を個体識別して、頭をかいてもらいに近寄ってきたり、テレビを見ている間ずっと肩に載っていたりするのに 鶏は全然だめ、このあたりの差異はいったいどこからくるのだろうか。 そんなことを考えさせてくれたのも鳥の存在があったからだった。

本書では驚くべき帰巣能力を持つハトだけでなく地球を何周もするアホウドリが毎年パートナーと落ち合っているとか、夏の間に隠した数千か所の木の、実の隠し場所を記憶しているホシガラスのような特殊能力と言っても良いような時空の把握能力を持った鳥たち、音楽に合わせて踊ることのできるオウムや、鏡に映った自分を認識し、はっきりとした自我を有するとしか思えないカササギのような例が次々と紹介されてくる。



知られざるハトの帰巣能力
ロックリーの実験
帰巣能力と鳩レース
ハトの情報処理能力
ハトが迷子になる理由

ムクドリの群れの不思議
「集団行動」と「創発」
ボイドプログラムと鳥の群れ
ホークアイとムクドリ
ムクドリの過ち
物理学者の挑戦

ヒメコンドルの並はずれた才能
嗅覚か視覚か
ガス漏れ探知能力
味にうるさいヒメコンドル

シロフクロウの放浪癖
シロフクロウとの遭遇
北極圏からハワイまで
居場所を求めて
なんでも食べるシロフクロウ
放浪癖とDNA

闘うハチドリ
小さなジェット戦闘機
燃料は常に満タン
スピードの代償

闘争か逃走か――ペンギンの憂鬱
ペンギンの無関心
天敵ヒョウアザラシ
生存確率を高めるための感情
闇への恐怖

オウムとヒトの音楽への異常な愛情
拍子をとるオウム
踊る動物たち
音声模倣とリズム感覚
音楽は進化に必要か

ニワトリのつつき順位が崩れるとき
ワールド・ツアー・ファイナルとニワトリ
ニワトリの三角関係
ニワトリ王の法則
赤いコンタクトレンズ

ホシガラスの驚異の記憶力
隠し場所の数は5000
エベレスト登山と記憶力
ホシガラスの空間記憶
全米記憶力チャンピオンの記憶法
鳥の脳も縮む

鏡を見るカササギ
世界でもっともかしこい鳥
怨恨・嘲笑・鎮魂
自我と他者理解

ニワシドリの誘惑の美学
モテるためのアート
ニワシドリとピカソ
芸術が進化を促す
孤独な芸術家

オーストラリアムシクイの利他的行動
血縁にはしばられない
友好的にふるまう
最大の利益を得るもの
協調行動と進化
喜びを感じて

アホウドリの愛は本物か
愛の定義
一雌一雄制の幻想
放浪者の婚姻
永遠の絆

謝辞
註釈および参考文献
索引
訳者あとがき

僕が特に驚いたのはなんと鶏の話だった。人間の顔を全く覚えないと思っていた鶏だったが、 彼らは集団のなかの序列が非常に厳密に決まっているのだそうだ。餌場の場所や餌、居場所などについて この序列は基本的に厳格に守られているのだそうだ。

これは鶏を飼っている家で育った子供が気づき、この序列について観察集計し生涯の研究材料に 発展させたのだそうだ。やはりできる子どもは違うな。

僕は勝手に鶏同士の個体識別も怪しいとさえ思っていたのでした。大変失礼な話だよね。

進化の過程で生き延びるために必要な能力を極限までに研ぎ澄ませた結果なのかもしれないのだけども 一言、鳥と言ってもこのように多様な能力の違いがある 同じ種の鳥であっても自我の発現には大きな差異があるようなのである。

となると果たして意識というものは、進化の結果として必然なのではなく、 求められる環境による選択的なものであるということができるのかもしれないということだ。

心や意識が必要に応じてあったりなかったりするというのはなんだかさすがに居心地が悪くないだろうか。 しかし、生活に必要のないむだな能力を維持するためのコストを払う意味はない、とか そんな贅沢なことをしていたら絶滅するというような過酷な環境下にある自然界では 無慈悲に合理的な選択をいやおうなしに迫られてしまうということは十分にありそうな話だと思う。

以下はシロフクロウの放浪の話から、シロフクロウは北極圏を中心にした極地地方の荒涼とした場所を一生涯孤独に放浪して過ごしている。実際にはエサを探して飛び回っているのだけれども、テリトリーも、巣も持たず主張もせず淡々と移動していくのである。

こうした放浪に向かう衝動は遺伝子にコードされているのではないか。そして同様の遺伝子をヒトも持ち合わせているのではないか。

人一倍放浪癖が強い人がいるようだ。この傾向は私たちの遺伝子にコードされ、遠い祖先にまで遡るのかもしれない。現生人類は6万年から33万8千年前にアフリカの故郷を離れ、世界中に定住していたことが、遺伝学的に証明されている。なぜ最初の人類は出発したのだろう?残った人々よりも冒険好きだったのだろうか?おそらく落ち着きのなさは遺伝的要素があるのだろう。そうだとすれば、移住者は、本国に残った人より、放浪癖をDNAに多く持つ集団を確立していると予想されるだろう。科学者は、R7と呼ばれる特定の対立遺伝子をヒトのDRD4遺伝子に発見しており、それがこの説明に当てはまるかもしれない。これは注意欠陥・多動性障害や新しいものへ惹きつけられる傾向に関係があるとされ、冒険遺伝子とあだ名されている。研究によりR7隊列遺伝子を持つ人は、持たない人より経済的リスクが25%高いことを記録している。説得力のある話として、この対立遺伝子は、最近確立された集団(人類の拡散の歴史という視点で)に集中している傾向がある。アメリカ大陸の人々はほとんどこれを持っており、ヨーロッパには少なく、アジアの一部ではまれだ。この「放浪遺伝子」は新しい経験を求めるために、文字通り組み込まれているのかもしれない。


このように鳥の持っている能力を他の生き物、特に人間と比較していくことで僕ら自身をも見つめ直させてくれるというなかなかの良書でありました。読みやすいしとっても面白かったと思います。

△▲△

訣別(The Wrong Side of Goodbye)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2020/01/13:この年末年始予めのんびり読もうと思って仕込んでいたのが本書「訣別」でした。九連休という大型連休でしたが、初日からダホンが釘を踏んで入院する事態となり、これは本格的にしっかり静養しろという天の声かと思うこととして、あたふた、ドタバタしない連休を過ごさせていただきました。

さて、この「訣別」はコナリー、29作目の作品になります。前作でロス市警との縁が切れてしまったかに見えるボッシュが主人公で果たしてどんな展開を見せてくれるのか、「訣別」というこれまた意味深なタイトルが気になるところであります。「訣別」というのは(いとまごいをして)長く、またはきっぱりと別れることなのだそうで、原題” The Wrong Side of Goodbye”もまたこれは誰が誰に対するものなのか、とっても気になるじゃないですか、こうして逸る気持ちを抑えつつ本書に取り組んだのは、年の明けた元旦のことでした。

ボッシュはかつての上司クライトンから彼がセカンドキャリアで就職したセレブ向けのセキュリティ会社であるトライデント社へ出向くよう依頼をうけた。クライトンもこのお高く構えるトライデント社の仕事も全く好きになれないボッシュだったが、話を聞きにでかけていった。

クライトンは自社の重要顧客の一人であるホイットニー・ヴァンスという人物がボッシュに会いたいと言っているということを伝えるのだった。会いに行くだけでその報酬は一万ドルだという。

ホイットニー・ヴァンスは1931年生れの85歳、カリフォルニアのゴールドラッシュ時代まで遡る鉱山業で財を成した一家の4代目だった。彼の父は相続した莫大な財産を製鉄業、航空産業へ発展させ、その地位と財産を大きなものにし、彼自身はそれをさらにステルス技術に応用することで更に大きなものへと発展させたのだった。

大きな邸宅へ出向いたボッシュは、ヴァンスより、ボッシュの仕事ぶりを評価し信用できる男だと見込んで頼みたいとこがあるのだという。 「わたしのために人を探してもらいたいのだ、決して存在しなかったかもしれない人間を」

ヴァンスには公式にはその財産を受け継ぐ子孫がなかった。しかし大学時代に出会ったメキシコ系の女性との間に子供ができのだが、両親からの強い圧力に負けて別れてしまったのだという、その女性も生まれたはずの子供の消息も以来知る由もなくなっているのだという。

自分自身、いよいよ高齢となり先が見えてきて、会社には自分の地位と財を引き継ごうとして虎視眈々と蠢く役員連中に存在があるなか、祖先のそして自分の血を受け継ぐものが生きているのかどうなのかをどうしても調べたくなったのだというのだ。そしてこの調査は他言無用で、報告も絶対に自分自身にみにし、ボッシュ自身にも危険が及ぶ可能性があるので十分に注意するようにと申しつけるのだった。

サンフェルナンド市はロスアンゼルス市に孤島のように存在する地域だった。かつては複数の行政区画に分割された地域だったが、水の供給問題から徐々にロスアンゼルスに統合されていった。サンフェルナンドは水資源に恵まれていたため、統合の必要性が低く、結果的に周囲をロスアンゼルスに囲まれる形になってしまったのだった。

2008年の金融危機で財政が破綻は、小規模都市であったサンフェルナンドを容赦なく襲った。深刻な予算不足により、市警察の警察官は40名から30名へ、刑事も5名から1名へと大幅な削減を強いられたのだった。 バルデス市警本部長はそのなかで犯罪捜査を停滞させないために何等かの手を打つ必要に迫られていた。

白羽の矢がとまったのはボッシュだった。予備としてパートタイムで事件捜査をする仕事をオファーしてきたのだった。ボッシュにとって再び警察のバッチを身に着けることができること、低額ではあるが一定の収入をもたらしてくれることは願ってもないことだった。市警が求める条件はたったの三つ。州が求める法執行機関員としての基準を満たしていること、月に一度射撃訓練を受けること、月に最低でも二回勤務することだけだった。それ以外の時間はボッシュが私立探偵として活動することになんの問題もない。

ボッシュはこの条件を軽々とクリアすると早速捜査を開始し、4か月間で殺人事件を二件解決、1件の容疑者を特定した。そして現在は過去4年間、性犯罪事件が同一犯のものであるらしい事件の結びつきを発見し市を超えて類似の事件が埋没しているのではないかと疑っているところだった。

ボッシュはこの事件捜査とヴァンスの依頼を平行して進めていくのだった。

探偵小説の定石ともいう、人探しの物語と、警察小説らしい連続犯を追う物語を同時並行していこうというこのなんと見事なアイディア。そしてそのアイディアは物語にこれまでにない加速力を与え、一気呵成にラストへと疾走していく。 この疾走感はここ数年の作品を痛快に超えていく。

正月三が日を過ぎる前に一気に読み切ってしまいました。すてきなお正月休みをありがとう。

「正義の弧」のレビューはこちら>>

「ダーク・アワーズ」のレビューはこちら>>

「潔白の法則」のレビューはこちら>>

「警告」のレビューはこちら>>

「ザ・ポエット」のレビューはこちら>>

「鬼火」のレビューはこちら>>

「素晴らしき世界」のレビューはこちら>>

「汚名」のレビューはこちら>>

「レイトショー」のレビューはこちら>>

「訣別」のレビューはこちら>>

「燃える部屋」のレビューはこちら>>

「罪責の神々」のレビューはこちら>>

「ブラックボックス 」のレビューはこちら>>

「転落の街のレビューはこちら>>

「証言拒否のレビューはこちら>>

「判決破棄」のレビューはこちら>>

「ナイン・ドラゴンズ」のレビューはこちら>>

「スケアクロウ」のレビューはこちら>>

「真鍮の評決」のレビューはこちら>>

「死角 オーバールック」のレビューはこちら>>

「エコー・パーク」のレビューはこちら>>

「リンカーン弁護士」のレビューはこちら>>

「天使と罪の街」のレビューはこちら

「終結者たち」のレビューはこちら>>

「暗く聖なる夜」のレビューはこちら>>

「チェイシング・リリー」のレビューはこちら>>

「シティ・オブ・ボーンズ」のレビューはこちら>>

「夜より暗き闇」のレビューはこちら

「夜より暗き闇」のレビュー(書き直し)はこちら>>

「バット・ラック・ムーン」のレビューはこちら>>

「わが心臓の痛み」のレビューはこちら>>

「エンジェルズ・フライト」のレビューはこちら>>

「トランク・ミュージック」のレビューはこちら>>

「ラスト・コヨーテ」のレビューはこちら>>

「ブラック・ハート」のレビューはこちら>>

「ブラック・アイス」のレビューはこちら>>

「ナイト・ホークス」のレビューはこちら>>


△▲△

リベラリズムはなぜ失敗したのか
(Why Liberalism Failed)

パトリック・J・デニーン(Patrick J. Deneen)

2020/01/05:年が改まりました。2020年です。今年も頑張って記事書いていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。今年最初の一冊目は「リベラリズムはなぜ失敗したのか」という本であります。リベラリズムが失敗したということを認識している人は日に日に増加していると思う。特に去年、グレタ・トゥーンベリが指摘した現在の政治システムの行き詰まりと欺瞞に関して多くの若者たちが目覚めたと思う。醜い政治家程彼女の言動を貶めようと様々な戯言を語ったけれども、それは寧ろ逆効果でしかなかったし、醜い政治家が醜いことを更に明瞭にするだけだったと思う。

オーストラリアでは北海道の半分に相当する面積で山火事が起こり、火が消せない事態となっている。複数の犠牲者を出したことも痛ましい事態だが、その地域全体に広がって暮らしていた野生動物に夥しい被害が出ていることも見逃すことができない話である。そしてこの火災が地球温暖化による乾燥・旱魃によって引き起こされていると考えるべきなのではないかという事だ。

地球温暖化による気候変動は最早制御不能な状態になっているのではないだろうか。これは先のグレタ・トゥーンベリの演説で目覚めた大勢の人々に共通する危機感だと思う。それを頭ごなしに否定するとか、無視するだけでなく、子供のくせに大人に意見するな、などと言う政治家がいること自体は驚きだと思う。みんなそれTVで観るんだよ。バカじゃないの。

今日、アメリカでは国民の約七割がこの国は誤った方向に進んでいると考えており、半数がアメリカの全盛期は過ぎ去ったと感じている。大部分の国民が、子どもの親以上の世代より裕福になれそうもなく、成功の機会も少ないだろうと思っている。どの政府機関に対する国民の信頼度も低下し、深刻な政治不信は政治的スペクトルのあらゆる立場で、政治と経済のエリートに対する反乱として表れている。選挙は、かつてはよく考えられた催し物とみなされて、リベラルデモクラシーの正当性をもたらすとされていたが、次第に体制がどうしようもなく不正と腐敗にまみれた証拠と見られつつある。なんといっても裕福な持てる者と取り残された持たざる者の格差が広がり、信仰を持つ者と持たない者のあいだの反発がお互いを遠ざけ、アメリカが世界で果たす役割についての根深い意見の相違がいつまでも解消されないために、政治システムが崩壊し社会組織がボロボロになっているのは、誰の目にも明らかだ。


そしてそれは日本もアメリカも他の国々でも同様の景色が広がっているようなのである。

リベラリズムは失敗している。間違いなく。

【目次】
発刊のことば
はしがき
序 リベラリズムの終焉
第1章 持続不可能なリベラリズム
第2章 個人主義と国家主義の結合
第3章 アンチカルチャーとしてのリベラリズム
第4章 技術と自由の喪失
第5章 リベラリズム VS リベラルアーツ
第6章 新たな貴族制
第7章 市民性(シティズンシップ)の没落
結論 リベラリズム後の自由
原注
参考文献


そしてそれはなぜなのか。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を同時代人としてあの時代に読んで納得したことのある僕としては、この失敗した事実に立ち止まるばかりか、ではどうしたらいいのかという問いには更に途方に暮れてしまう。

今の政治家や政治システムや決定される或いは候補に挙がる政策に殆ど共感・同意できないにも関わらず、リベラリズムを否定して、他の選択肢を取るという方向に向かうことに激しい違和感を覚えてしまう。リベラリズムはそれほど深く僕らの価値観や政治信条に深く根差しているからだと思う。リベラルを否定するとなれば、先日読んだ「民主主義を救え!」にあるようにポピュリズムに走るか、国家主義、独裁主義、軍国主義へ盲進するのかという選択肢しか浮かばないからだからだ。

リベラリズムは失敗した。リベラリズムを実現できなかったからではなく、リベラリズムに忠実だったからである。成功したために失敗した。リベラリズムが「完成形に近づき」、秘められていた議論が明らかになり自己矛盾が目に見えてくると、リベラリズムのイデオロギーは実現されているが、その主張どおりにはならないという病弊が生じた。平等を促進し、さまざまな文化や信念が織りなす多次元的タペストリーを擁護し、人間の尊厳を守り、そしてもちろん自由を拡大するために世に送り出された政治哲学が、現実にはとてつもない格差を生み、画一化と均質化を押し付けて、物心両面での堕落を助長し自由をむしばんでいる。成功が、達成してくれると信じていたことの逆の効果によって評価されているのだ。ここで必要なのは積み重なる不幸な状況をリベラリズムの理想に従って行動しなかった証として見るのではなく、リベラリズムがもたらした破綻はその成功の印であるときちんと理解することだ。病んでいるリベラリズムの治療を求めてさらにまたリベラルな方法を適応するのは、火に油を注ぐようなものだ。政治と社会、経済、モラルの危機を深めるばかりだろう。


結果、家族や共同体や宗教的な繋がりは希薄になり、集団が持っている徳性や制約などは尽く捨て去られていった。

繰り返しになるがリベラリズムが失敗したのは、リベラリズムに忠実だったからだという。リベラリズムの根底にあるのが共同体や社会とは切り離された状態にある個人が何物にも縛られず自己の利益を追求して好きなように行動できることこそが自由であるというような考え方に立脚し、社会や政治は個人がそのような状態になることを後押ししていった。


結果、家族や共同体や宗教的な繋がりは希薄になり、集団が持っている徳性や制約などは尽く捨て去られていった。

物質と経済の領域で自然を克服しようとするリベラリズムは、太古に起源をもつ資源の宝庫を食いつぶしつつある。今日では指導者がどんな政策を掲げようと、より多くを目指す計画が文句なしの支持を得る。リベラリズムが機能するためには、利用と消費が可能な有形物をつねに増加させなければならない。したがって、自然の征服と支配もたえず拡張させる必要がある。制限と自制を求める人物は、政治的指導者の地位など望めないのだ。

したがってリベラリズムはのるか反るかの大勝負だったのである。古くからの行動規範を新しい形の名のもとに撤廃できるかどうか、そして自然の征服によって燃料を供給してどこまでも選択肢を増やせるかどうかの賭けである。そして労力を傾けた結果が、モラル的な自制と物質資源の低減だったために、リベラリズムの後に何が来るのかを考えざるをえなくなっている。


集団から切り離された個人は自己の望むもの欲するものを手にすべく利己的な行動に走り、際限ない消費行動へ突き進んでいく。結果自然を征服しそれを燃料として消費活動を加速させていく。自然の物質資源の低減は埋められる補充されることはなく、資源の枯渇と環境破壊が進む。果たしてそれはどこかで壁にぶつかって止まるのか、自らが滅びるまで止まれないのか。

それは何れ否応なしに判明するだろう。

では、我々はどんな選択肢をとれるのか、ここから抜け出すにはどんな方法があるというのか。

この手の本は他のもそうなんだけど、このじゃどーするのかという点になると非常に解り難くてまとめにくい。 本書で提案されているものもやはり一言ではまとめにくい。 ぼくなりの解釈だが、本書ではリベラリズムによって棄損した、集団に対する帰属意識を復活させ利己的な行動ではなく、集団の規制、規則、価値観を優先させること。 自然を克服するものではなく、守るものとして捉え消費行動にブレーキを踏むこと。 そして教育で徳性・徳育を復活させ社会を立て直していくことなどが提言されている。と思う。

しかし、やはり繰り返しになるが、どんな集団に対する帰属意識を備えろと人々に問うのか、など、深く我々の心に根差したリベラリズムの思想を全否定し、他の方法論に走るというのは、消費行動にブレーキを踏む、といったことに対する痛みや苦しみとはまた違う困難さが伴う。第一解り難いのだ。

であるが故に、リベラリズムからの脱却は非常に困難な道であることが痛感される。 リベラリズムは失敗した。それはリベラリズムに忠実であるが故に失敗した。システムに大きな棄損や問題がない、というか中核には何も具体的な命題のないリベラリズムはそれ自体からの脱却を困難なものにしている。

僕らは子供たちに未来の子孫の為により良い社会を残すべく力を合わせ自己犠牲の精神に則り心と身体をささげるべきなのだと思う。この強力なリベラリズムから脱却して、より良い未来を残すために行動することができるのだろうか。寄り添うとするのであればどんな集団に属すればよいのだろうか。
僕らには選択する自由があるのだから。


△▲△

HOME
WEB LOG
Twitter
 2024年度(1Q)
 2023年度(4Q) 
 2023年度(4Q) 
 2023年度(3Q) 
 2023年度(2Q) 
2023年度(1Q) 
2022年度(4Q) 
2022年度(3Q) 
2022年度(2Q) 
2022年度(1Q)
2021年度(4Q)
2021年度(3Q)
2021年度(2Q)
2021年度(1Q)
2020年度(4Q)
2020年度(3Q)
2020年度(2Q)
2020年度(1Q)
2019年度(4Q)
2019年度(3Q)
2019年度(2Q)
2019年度(1Q)
2018年度(4Q)
2018年度(3Q)
2018年度(2Q)
2018年度(1Q)
2017年度(4Q)
2017年度(3Q)
2017年度(2Q)
2017年度(1Q)
2016年度(4Q)
2016年度(3Q)
2016年度(2Q)
2016年度(1Q)
2015年度(4Q)
2015年度(3Q)
2015年度(2Q)
2015年度(1Q)
2014年度(4Q)
2014年度(3Q)
2014年度(2Q)
2014年度(1Q)
2013年度(4Q)
2013年度(3Q)
2013年度(2Q)
2013年度(1Q)
2012年度(4Q)
2012年度(3Q)
2012年度(2Q)
2012年度(1Q)
2011年度(4Q)
2011年度(3Q)
2011年度(2Q)
2011年度(1Q)
2010年度(4Q)
2010年度(3Q)
2010年度(2Q)
2010年度(1Q)
2009年度(4Q)
2009年度(3Q)
2009年度(2Q)
2009年度(1Q)
2008年度(4Q)
2008年度(3Q)
2008年度(2Q)
2008年度(1Q)
2007年度(4Q)
2007年度(3Q)
2007年度(2Q)
2007年度(1Q)
2006年度(4Q)
2006年度(3Q)
2006年度(2Q)
2006年度(1Q)
2005年度(4Q)
2005年度(3Q)
2005年度(2Q)
2005年度(1Q)
2004年度(4Q)
2004年度(3Q)
2004年度(2Q)
2004年度(1Q)
2003年度
ILLUSIONS
晴れの日もミステリ
池上永一ファン
あらまたねっと
Jim Thompson   The Savage
 he's Works
 Time Line
The Killer Inside Me
Savage Night
Nothing Man
After Dark
Wild Town
The Griffter
Pop.1280
Ironside
A Hell of a Woman
子供部屋
子供部屋2
出来事
プロフィール
ペン回しの穴
inserted by FC2 system