年はあらたまって2007年に入りました。気持ちも新たにますます慧眼、瞠目、動顛地変の本を求めて西へ東へ今年も頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
ここでは2006.10以降に読んだ本をご紹介しています。
「爆発JAL123便―航空機事故、複雑怪奇なり」加藤寛一郎
2007/03/17:冒頭、日航機の事故について、経緯よりも問題の圧力隔壁の修理内容について詳しい。著者は機長、副機長が共に軽い低酸素症にかかっているとしており、事故原因の一つとしている。
続いて紹介されるのは1989年 7月19日 ユナイテッド航空232便について。これは日航機とほぼ同じく油圧計がオールロスとなった状態になった事故だったが、どうにか滑走路にたどり着き296名中185名が生還する事が出来た事故だ。
これは、乗客の中に現役の機長がおり操縦を補助したという事もあるが、何よりマスクをかけて低酸素症にならずに済んだ事が最悪の事態を避けられたとしている。
確かに操縦者の意識低下は著しくリスクを増大させる事は間違いないが、日航機の低酸素症の問題は異論もあるようであっさり決めつけている本書の論調にはやや疑問が残る。
そして、次は1996年 7月 6日 デルタ・エアラインズ1288便、これは離陸直前のMD−88の第一エンジンのファン、ファンブレードが大破しオーバーランとなり二名が死亡した事故。
あれれ、この辺りから本の方向性が徐々に不明確になってきましたね。そして次は時代を遡ってコメットの事故。
うーむ。この本はどこへ向かっているのか。
日航123便の墜落事故を核として、「航空機の事故の中から、爆発にかかわる事例を集めて」、「事故の核心を簡潔に示す事を意図した。」
本でした。これはあとがきから引用した文章だ。確かに振り返ってみると、まぁその通りなのかな。って感じな。
どこかまとまりがない。かき集めてドンと出したような本であった。
大きく取り上げられている航空機事故は以下の9つ。あとがきには6つの事故と書かれているが、僕にはどれがその6っなのか判別ができませんでした。
1985年 8月12日
日本航空123便 ボーイング747
1989年 7月19日
ユナイテッド航空232便 マクダネルダグラス DC−10
1996年 7月 6日
デルタ・エアラインズ1288便マクダネル・ダグラスMD−88
1954年 1月10日
英国海外航空 (BOAC) 781便 デハビランド DH106 コメット1
1954年 4月 8日
南アフリカ航空 201便 デハビランド DH106 コメット1
1974年 3月 3日
トルコ航空 981便 マクダネルダグラス DC−10−10
1986年10月26日
タイ国際航空 620便 エアバスA300−600
1988年12月21日
パンアメリカン航空 103便 ボーイング 747
1988年 4月28日
アロハ航空 243便 ボーイング 737
タイトルからも、事例集だったとは気づきませんでした。ちゃんと詳しく知りたい人は参考文献の方を読めという事か。かなり物足りない感じの本でした。
△▲△
2007/03/11:カミさんが、「爆発JAL123便」を買うというので一緒に書店の本棚を眺めていたら、JAL123便の事故については様々な本が出されているんだなと。既に我が家にも何冊か並んでいる。どの本も切り口の違うものだ。
読む側としての僕らはそのいくつかの切り口、レベルで語られた本を読んだとしても決して完全に事件を理解する事は難しいだろう。
しかし、それでもこの事故は忘れてはならないものだし、知る事、知ろうとする事だけが唯一僕らにできることだし、そうする必要があると思うのだ。
僕も読むからと購入しようとしていたら、その隣に同書が並んでいた。ふーん、こんな本も書いているのね。パラパラとめくったらジミー・ドゥリットル!そして大好きなチャック・イエーガー!そして白井成樹氏の手による精緻な飛行機のイラスト!
http://www.geocities.jp/musha_shirai/index.html
「こっこっこれも買う!」などと変にどもったりしつつもまとめ買いしました。
ジミー・ドゥリットル(James Harold Doolittle)は東京空襲で指揮を執った事で知られるが、人類初の完全計器着陸を成功させた人物でもあるのだ。
ただ単に飛んだと云う事ではなく、その可能性を模索し、アイディアを出し計器の製作にも関わっていたというのだから正に現代の航空技術の基礎を生むという偉業であったと言えるだろう。
どこかでちゃんと読んでおきたかいと思っていた人だったのだが、本書は予想以上に紙面を割いて丁寧に彼の人柄やエピソードを拾ってくれており、それだけでもめっけものであった。
チャック・イェーガー(Chuck Yeager)は人類初の”水平飛行”で音速飛行を成功させた人であり、彼の事はトム・ウルフのノンフィクション「ライト・スタッフ」に詳しい。僕はこの「ライト・スタッフ」ですっかりイェーガーのファンになってしまった訳だ。
http://www.chuckyeager.com/
これは映画化され、イェーガーをスコット・グレンが演じている他、ご本人がテクニカルアドバイザーやカメオ出演したりしている。
映画の出来もなかなかよかったが、本の方が圧倒的におもしろいのだ実は。
おっとっと、脱線した。
本書は際だって優れた操縦や優れたパイロットが九死に一生を得た事例を集めて、その時の判断や行動がなぜ生還する事につながったか、そのような判断、行動をとる事が出来たのはいったいなぜなのかという疑問へと進んでいく。
どんなに優れた技術や判断をもってしても、大惨事になってしまう事はある訳なのですべての事故がこのような優れた技術や判断によって救われるというものでは勿論ない。
それでも、このような資質を持っているかどうかで、瀬戸際で助かったという事故があった事も紛れもない事実である訳だ。
そんな事例をそれこそライト兄弟の初フライトから年代順に丹念に追っていく。現代になると著者は机を離れ、世界を巡り実際にその事故から生還したパイロット達に会いに行き、インタビューをしているのだ。
その内容もなかなか示唆に富んで面白いが、そうやって世界を巡っている著者の事が最もうらやましいと思うのだが、如何だろうか。
著者はこの資質を武道や禅で語られる悟りのようなものではないかという面白い説を展開している。
確かに極限までに研ぎ澄まされた感覚によって考えるよりも先に体が反応する事を可能にしている何かがそこにはある訳で、それは徹底的な集中力をもって訓練に臨む事によって、体にたたき込んだ結果なのかもしれない。
リチャード・バックの「王様の空」には緊急脱出手順を大声で暗唱しながら学校の階段を全力で駆け下りたと云うくだりがあった。
先の「ライト・スタッフ」でイェーガーは、XS−1によるテスト飛行の緊張感から、夜眠っている時にも炎上する飛行機から脱出する夢を繰り返し見たと語っていた。(と思う。ゴメン、記憶で書いてます。)
飛び起きた彼はそのまま寝室の窓に直進して危うく窓から飛び出す寸前までいったそうだ。なぜならその窓は窓枠の形が実際のXS−1のキャノピーと非常に似通った形をしていたからなのだそうだ。
このような緊張下にあっても手順を完全に体得しているからこそ、いざその時になって慌てる、取り乱す事なく最も適切な手段を選んで切り抜ける事が出来たのかもしれない。
悟の境地に達する事が奇跡の生還を生むと云われてしまうと凡人としては、何も語る事が出来ないという事はありますよね。
△▲△
「すべての美しい馬(ALL THE PRETTY HORSES)」
コーマック・マッカーシー (Cormac McCarthy)
2007/03/11:ビリー・ボブ・ソーントン(Billy Bob Thornton)が製作、監督で映画化され、2001年同名で公開された「すべての美しい馬」である。
本書は、1992年の全米図書賞、全米書評家協会賞を受賞、その後「越境(The Crossing )」1994年、「平原の町(Cities of
the Plain )」1998年が出版され、「国境三部作」をなしており、アメリカ青春小説の記念碑的作品として評価されている。
ジョン・グレイディは16歳になろうとしている1949年に父を亡くした。彼はテキサス州のサンアンジェロで小さな牧場を営む父の元で牧童として生きる事こそすべての事としてこれまで生きてきた。
しかし、牧場経営は時代遅れとなりつつあり、幼い頃に別居し都会に暮らす母の手によって牧場が売却されてしまうのだった。
人生の基盤を何もかも失ったジョン・グレイディは、親友のロリンズとそれぞれの愛馬を伴って牧童として生きていく事が可能な土地を求めてメキシコへ越境していくのだった。
荒涼としてかつ美しい見知らぬ土地を馬を伴い野営をしつつ旅する二人が切なくてすばらしい。そんな二人の後をしばらくすると着けてきているものがいる。
勝手に持ち出した馬を取り戻す為に誰がが追ってきたのだろうか。
その男は眼を見張るような名馬に跨り、大きな拳銃を腰に下げた自分たちとほぼ同年配の少年だった。彼はプレヴィンズと名乗るが何か謎めいた男だった。二人はこのプレヴィンズと一緒に旅をする事になるのだった。
激しい雷雨がやってくるとプレヴィンズはそれまでの沈着冷静さを突如失い、馬も拳銃も投げだして逃げ出してしまう。嵐が去り二人が探すと着るものすら殆ど失い、無力な状態でうずくまっているプレヴィンズを発見するのだった。
このままでは、砂漠でのたれ死にしてしまいかねない為、仕方なく三人で町に降りて必要なものを手に入れてやる事にする。
その町に入るとプレヴィンズは自分の拳銃を腰に差し、自分の馬を厩に入れている男に出会うのだった。どうにかして取り返したいと激しく主張するプレヴィンズ。二人の制止をものともせず、男の家に忍び込んで馬を連れ出し騒ぎを起こしてしまうプレヴィンズ。
彼に愛想を尽かして、また追ってをかわす為にも別れを告げる二人だった。
再び平穏な旅を続ける二人。やがて大きくとても整理が行き届いている牧場にたどり着く、そこは、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・プリシマ・コンセプシオン牧場という名であった。
二人はこの牧場で念願の牧童としての生活基盤を手に入れる事ができたのだった。
アメリカ人である事で奇異に見られがちな二人だったが、牧童としての技術を認められ周囲に受け入れられ、牧場にとけこんでいく。
そんなある日ジョン・グレイディはこの大牧場の牧場主の美しい娘、アレハンドラと出会うのだった。
二人はやがて愛し合う関係となっていくのだが、富豪の娘と牧童の外国人の関係は、メキシコの倫理観からも到底許されるものではなかった。
二人の仲を引き裂こうとする、アレハンドラのおばと父親。
そしてある日ジョン・グレイディとロリンズの前に現れたのは地元の警察。無法に滞在しているばかりか、二人の容疑は馬泥棒と殺人の共謀であった。主犯格はあのプレヴィンズだと云う。
留置場に連れ込まれた二人を待っていたのは両足を失いボロボロになったそのプレヴィンズであった。
更に三人には壮絶な出来事が待ちかまえているのだった。
メキシコ、アメリカの歴史と文化が交錯する国境地帯でそれぞれの生き方を貫こうとする人々の出会いと別れ。
ジム・ハリスンのように乾いてクール。ペキンパーの映画ように剛直な生き様をみせるジョン・グレイディ。
是非続きを読みたいと思う一冊でありました。
オフィシャル・サイト
「ブラッド・メリディアン」のレビューは
こちら>>
「越境」のレビューを追加しました。レビューは
こちらからどうぞ>>
「平原の町」のレビューを追加しました。レビューは
こちらからどうぞ>>
「血と暴力の国」のレビューを追加しました。レビューは
こちらからどうぞ>>
「ザ・ロード」のレビューは
こちら>>>
「チャイルド・オブ・ゴッド
こちら>>
△▲△
2007/02/25:ここのところ、たて続けに読んできた内田幹樹の最新刊である。いよいよ彼は我が家のレギュラー作家の一人としてエントリーされたと見て間違いないだろう。全般的に日本人作家の本が少ないなかで内田氏は大健闘していると言えるな。
シャルル・ド・ゴール空港の離陸滑走路にバーストしたタイヤと主脚部分とみられる金属片が発見された。離陸時にタイヤがバーストし、この衝撃で主脚部分の一部を破損してしまった模様だ。
対象は直前に飛び立った数機の飛行機に絞られるものの、しかし、どの旅客機からも報告が上がってきていない。
そんななか、空港は突然フランスの政府機関の特殊部隊によって閉鎖されてしまう。最後に飛び立ったのはNIAの成田行きボーイング747−400だったのだ。
情報が錯綜し、事実関係の把握に右往左往するNIA。
やがてそれは空港の手荷物預かり場所から放射能が検知された事によるものらしいのだった。その窓口もまたNIA!主脚に障害を抱えた機内に放射性物質が持ち込まれた可能性があるのだ。
仮に主脚に障害があれぱ着陸時に機体が破壊され最悪の場合放射性物質が広い範囲に拡散する恐れがあるのだ。
本社とパリの現場、客室そして操縦席と舞台を限定して、刻々と深刻になっていく事態に対するそれぞれの動きを丹念に描くことで、緊張感を高める事に成功した本書は第一級のサスペンス小説に仕上がったと言える。
NIAを舞台にしつつも物語としては独立しているので、これから読んでも全く問題はない、しかし要所要所で他の本の登場人物が顔を出してくる事で一層物語に深みが増している。
「パイロット・イン・コマンド」のレビューは
こちら
「機体消失」のレビューは
こちら
「査察機長」のレビューは
こちら
「操縦不能」のレビューは
こちら
△▲△
2007/02/25:パソコンがぶっ壊れてしまっていた。しかも丸々七日間も入院という予想以上の長期となった為に二週にわたって、更新が出来ない状態になってました。
3月24日はシャットダウンデー。パソコンに触れないで一日を過ごそうという日なんだそうだが、勝手に強制的にシャットダウンウィークを過ごさせられた。その経験から云わせて頂くと、自分自身が思っていた以上にパソコン依存症ぎみだった事がよくわかった。
少し離れた方が自分自身にとってもプラスになるとはっきりと自覚できました。
もう少し肩の力を抜いて、手も抜きつつこれからの読書レビューは続けていきたいと思います。勝手な話ではありますが、これからもよろしくお願いします。
と云う事で「僕僕先生」である。
かつて、酒見賢一が、そして敬愛する池上永一を輩出した日本ファンタジーノベル大賞の第18回大賞受賞作となった本書は表紙の三木謙次さんの絵も素敵。しかもなかに挿絵まである。書店で目にした瞬間からもうこれは僕のものだ!と抱えてレジに走りたくなるような愛しい本でした。
絵の雰囲気から比較的軽い内容のものをなんとなく想像しつつ読み始めましたが、どうして、世界観はかなりしっかりしていて、いいかげんなものではないようだ。
僕には判定眼はないけれど、時代考証なんかも正確なのだろうと思う。
時は唐の時代、光州無隷県の県令に登用され、地位も財産も十分蓄える事に成功した、王滔(おうとう)は早々に引退生活に入り道術を学びつつも気ままな生活をしていた。
悩み事はただひとつ一人息子の王弁の事であった。幼くして母をなくした王弁は無気力で、二十歳を過ぎても定職にも付かず、親の財力に頼り王滔以上に気ままで風に流されるままのような日々を過ごしていること。
度々業を煮やして叱り付けてはきたものの、何をやらせようとしても、何かを薦めても気の無い返事を繰り返すだけの王弁に、王滔は母をなくした一粒種であるが故にどこかで許してしまう。
ある日、近くにある山に仙人がすみついたという噂が伝わってきた。古ぼけた小屋に一人住まい訪れた人の病気を治したりしているらしい。ここ最近、道教に入れ込んでいる王滔は王弁にこの仙人に貢物を持って訪ねさせ、自宅に招こうと思い立つ。
日頃から何もせずただぶらぶらとしている王弁もたまには父の頼みも受け入れないとまずい事を承知しており、二も無くこれを引き受け、その噂の山へお酒や鮑の干物などの貢物を担いで出掛ける事にする。
山に入って程も無く王弁は古ぼけた小屋を見つけた。これはもしや噂の仙人の住まいか。声をかけると現れたのは、一人の少女であった。
彼女は自分の名前を僕僕と名乗り、貢物を何の遠慮も無く開くと酒を飲み干物を炙って食べ始める。「よかったら一緒にどうだい。」彼女こそ、噂の仙人なのだ。
僕僕によれば、王弁は仙人になる為の資質とも云える仙骨こそないものの、仙縁はもっているという事だ。時として、絵に描いたような仙人へと姿を変える僕僕だが、少女の姿とその人となりに強く惹かれる王弁は、いつか、僕僕に弟子入りし旅に出て行く。
物語は二人の旅と王弁の成長が描かれていくのだが、仙人が生きた時代から神を頼らない近代的な世界観へと人間が変質しつつあるなかで、仙人と人間との関係が微妙に変わっていく様を描き出す。
たおやかな物語世界に遊ぶ、王弁と僕僕先生の姿がすがすがしくてよろしい。
△▲△
2007/02/04:誤解を恐れずに言えば誰もが目を疑うような大事件であった9.11の事件からイラク戦争へ怒濤のごとく突入していったアメリカだったが、僕には何から何までもがなんだかよくわからない。
第一あれだけの事を仕掛けてくる程アルカイーダの人々を追い詰めているものが一体何なのかよく解らない。一方で、「悪の枢軸」であり大量破壊兵器を隠し持っているとされるイラク。その諸悪の根源であるフセイン大統領はアルカイーダを支援している。だから戦うのだという。
9.11のテロとの繋がりが「支援」した事?当時も凄く疑問だ。
大量破壊兵器とニューヨークのテロとはかなりひらきのある話だ。核だ細菌兵器だという点でいつアメリカが戦場になってもおかしくないというような論調。
金と力に物を言わせる戦いぶりで、一気に攻め込んだもののイラクの軍事施設には砂漠の埃にまみれた一体何時のものか解らない、がらくたのようなものが点在するだけだ。
そしてアブグレイブの捕虜虐待事件である。これに対し政府は組織的なものではなく、一部の兵士が勝手にやった事として関係者の数名を逮捕し幕引きをしようとしているようだが、僕にはこれは情報収集の為に組織的に拷問を加えていたと考える方が自然だろうと感じた。
なんだか随分と滅茶苦茶な話じゃないのか。一体アメリカは誰と戦っているのか。アメリカ政府の発表する話はなんだか全く信じられないし、ニュースも断片的である。
セイモア・ハーシュはべトナム戦争時に起きた「ソンミ村の大虐殺」をスクープし1970年にピュリツァー賞を受賞した。ウォーターゲート事件をスクープしたボブ・ウッドワードと肩を並べる大記者なのである。
これを読まない手はない。
Abu Ghraib prison
大きな地図で見る
思っていた通り、本書で描かれているアメリカ政府の行動は終始一貫性を欠き、
情報を操作して大衆の目を欺いている。
正に欺瞞である。
2002年にジブチから飛び立ったアメリカの無人航空機プレデターがイエメン国内へ進入し、アルカイダの幹部カーイド・サリム・シーナーン・アル=ハラシーの乗った乗用車をヘルファイヤー・ミサイルで殺害した事件があった。
このニュースは当時議論を呼んだと記憶しているが、セイモア・ハーシュはここでアメリカは一線を越えたと主張している。
つまり、テロリストを始末する為には、国境は関係ないと云う事。そして更にはテロにはテロで対抗すると云う事だ。そしてこの一線を越えたアメリカ政府の意志決定は極めて少数の人間の独断で運営され、意見を異にする人たちは要職から排除されてきたのだった。
このイエメンの事件の後で対テロ専門の特殊部隊の創設に走るブッシュ陣営が白羽の矢をたてたのが、ウィリアム・ボイキンと云う人物だと云うのだが、彼は映画「ブラックホーク・ダウン」で描かれたソマリアへ派兵した特殊部隊の指揮官であり、同じ年には、コロンビアの麻薬王を追い詰めた際のコロンビア治安部隊を支援するデルタフォースの指揮官も勤めた人物なのだそうだ。
この人、請われて国防次官代理となったが筋金入りのネオコン(従来から僕が考えていた意味でのネオコン)でキリスト教原理主義者として知られ、「アメリカの大統領は有権者でなく神が決めるのだ」とか、「イスラム教過激派は悪魔だ」等と云った物議を醸す発言を繰り返しているような人なのだ。
こうした宗教的不寛容さを備えた人々が超大国アメリカを情報を操作する事で誘導し、危険なパワーゲームを行っている事実に戦慄を覚える。
やはりこれは一度は読むべき本だろう。
△▲△
「アメリカの終わり
(America at the Crossroads)」
フランシス・フクヤマ(Francis Fukuyama)
2007/01/21:「歴史の終わり」で感銘を受けその後何度か本棚から引っ張り出して繰り返し読んできた。その著者フランシス・フクヤマによる新刊が目に飛び込んできた喜びが一瞬にして驚きに変わった。
ネオコンの主流を歩んだ著者?フランシス・フクヤマがネオコン?
近年アメリカが取っている外交政策が全く好きになれない僕としては敬服しているフランシス・フクヤマがその政策を先導していると目されているネオコンの一派どころか統率してきた?
ネオコンと云えば最近アメリカの特に共和党による外交政策を批判する文脈の中でよく目にするようになった言葉で、特にブッシュ政権のもとで政治的・宗教的不寛容さ、白人のマジョリティの維持等の価値観を持ちつつ戦争や紛争を辞さないと云うかなり傲慢、独善的な行動倫理を指すものとして理解してきた。
そんな外交政策にフランシス・フクヤマが賛同しているどころか統率していると云う。何かの間違いにしてはずいぶんと酷い話だと思った。
早速貪るように読み始めてみたのだが、冒頭で著者は「長く自分自身をネオコンだと考えてきた」といきなりショックな表現に出会ってしまった。
何か僕は大きく「歴史の終わり」を読み違えていたのだろうか。
フランシス・フクヤマの独白は続く、9.11、アルカイダによる同時多発テロ移行、政策決定にはネオコンの影響が入っていると云う事は間違いではないが、ネオコンが持つ思想は、遡れば1940年代から複雑な歴史を重ねてきた、一群の考え方の総称であり、その主張は多様でありさまざまな解釈が可能なものだと云う。
共通項とよべるものは以下の4っ
@民主主義・人権、さらに広く各国の国内政策を重視する姿勢
Aアメリカの力を道徳的目標に使うことができるという信念
B重大な安全保障問題の解決にあたって、国際法や国際機関は頼りにならないという見方
C大胆な社会改造は思わぬ弊害をもたらしがちで、改造の目的まで損ないかねないという見方
であると云う。なんだか、どれも自分が持っているネオコンのイメージとはかけ離れた感じだが。
第一どうしてここから強権的外交政策が飛び出してくるのだ?
ネオコン、ネオコンサーバティズムの起源は複雑である。にもかかわらず、いまではブッシュ政権が実行に移しているような「先制攻撃」「体制転換」「一方的外交」「善意による覇権」といった考え方に密接に結びつけられている。ネオコンサーバティズムの本来の意味を取り戻すという無駄な努力をするより、そんな名称は打ち捨てて、まったく違う外交政策の方針を打ち出す方が良いというのが私の考え方だ。
なるほど、一般的なネオコンの捉え方の方が間違っていたと云う事か。僕も完全に誤解して使っていました。ネオコンサーバティズム。寧ろネオコンに対する複雑な誤解を切り捨て、本来在るべき理性的なアメリカを取り戻そうと云う意図すら見える。
一方「歴史の終わり」について読んだ人たちの多くが、フランシス・フクヤマは人間とはそもそも自由民主主義を求めるものであり、国境を超えて自由民主主義を導く事こそ使命であり、近い将来その努力が報われ全世界が自由民主主義となる奇跡が起きえるものと主張していると誤解したそうだ。
そうなのか、そりゃかなり斜め読みだわな。
僕なりの理解で簡単に「歴史の終わり」まとめてみたい。勿論読み違っている可能性は常にあるけど。
「歴史の終わり」が示していたものは、人間と云うものは胸郭の中に気概を持った生き物であり、この気概を満たす為に時として命を捨てる事も出来る生き物だ。気概を満たす為には、優越願望と対等願望を満たす必要があるが、他人より優越していると思う為には対等だとは考えにくいという矛盾をどのように解決すべきかと云う問題に行き当たる。
気概の為に命を賭ける事ができるという意味で、他の生き物から抜きんでた存在として人間が在り、集団で生きる事と気概を満たすという両方を満足させる為に有史以来人間は、時には血を流して戦う手段もとり試行錯誤を続けてきた。
この矛盾を出来る限り解決しつつ集団を統治しようとするものの延長に国家がある。人間は主人と奴隷のような原始的な形態から部族集団、やがて都市、国家へと発展し、これを集団統治の形態的進歩と見なした時、最も矛盾のない形態に行き着いた時、国家はその進歩の歴史が終えるというものだ。
これが「歴史の終わり」と云うタイトルとなっている訳だ。
フランシス・フクヤマは、現時点で自由主義民主主義の国家がこの矛盾を最も少ない形で解決していると主張した。人々が最大限矛盾なく暮らすことができるようになると望むのは当然の事だ。
そして長い目で見れば自由主義民主主義国家より多くの矛盾を孕んでいる独裁社会や共産主義は自らの矛盾により倒れていき、自由主義民主主義国家が増えていく可能性があるというものだったと思う。
場合によっては、自由主義民主主義国家がそうでなくなったりする事はあり得るが、今後の世界情勢は自由主義民主主義国家とそうでない国の間で、或いはそうでない国々の間での接点において歴史が生まれることになるだろうと云うような事も書いていたと思う。
この国家のシステムを変える道のりは決して平坦ではなく、ソ連が崩壊したのも、ベルリンの壁が打ち壊されたのも、天安門広場の前で戦車の前に立ちはだかった学生も等しく、内部矛盾に憤った人々が蜂起した結果であり、よりよい社会、今以上に近代化され且つ個人の気概が認められた社会に住みたいと望んだ群衆のパワーによるものが上手く働いてはじめて体制転換が可能となるという訳である。
近年アメリカは外圧による体制転換が比較的簡単にできるものと安易に考えすぎて、アメリカの善意による覇権が結果論的には必ず正義として世界に受け入れられるものだと盲信してイラク戦争へと突入して行った。この最近の強引な外交政策に対してフランシス・フクヤマは殆ど完全に反対しており、アメリカは間違った選択をしたと主張している。
しかも、大量破壊兵器は見つからず、核も危険な生物化学兵器もなしだった。多くの国連加盟国からは不信感を抱かれたが、これは大きく尾を引く事になるだろう。
そしてイラクの体制転換は未達成のままであり、テロの脅威も増した状態で派兵の期間は延び戦死者の列が伸びるばかりである。
今後アメリカが取り得る政策手段にはどのようなものがあるのだろうか、そして世界はどんな道を歩んでいくのだろうか、正に岐路に立つアメリカに対する提言となった本なのだった。中東情勢に明るい著者の広く明晰なビジョンによる示唆に富んだ主張を展開しているフランシス・フクヤマは往年の鋭敏さは衰えもなくこれまた嬉しい限りである。
世界が再び冷静で平穏さを取り戻していく事を強く祈ろう。
「「歴史の終わり」の後で」のレビューは
こちら>>
「アメリカの終わり」のレビューは
こちら>>
「政治の起源」のレビューは
こちら>>
「リベラリズムへの不満」のレビューは
こちら>>
△▲△
「ザ・ブラスウォール NY市警の闇
(The Brass WallThe Betrayal of Undercover Detective )」
デイヴィッド・コシエニウスキー(David Kocieniewski)
2007/01/12:早いもので一月も12日になっちまったよ。汗汗。
1992年2月24日夜ニューヨーク市クイーンズ地区グランドアヴェニュー66−45の3階建てビルで火災発生。トマス・A・ウィリアム消防指令補とマイケル・ミルナー消防士は火災現場に到着すると生存者の確認の為に炎上して黒煙を上げている建物の中に踏み込んだ。
二人は熟練し優秀な消防士であったが古くて窓が少なく入りくんだ作りになっているビルで二人は方向を見失い焦げるほどの熱と自分の手さえ見えないほどの煙に巻かれてしまう。
「メーデー!メーデー!」
漸く窓に辿り着きそこから脱出を試みたが、二人はそのまま窓から転落、ミルナーは九死に一生を得たがトマス・A・ウィリアム消防指令補は歩道の縁石に頭部を叩き付けてしまい死亡してしまう。
この火災は放火によるものと断定されNYPDによる捜査が開始される。容疑者はこのビルの所有者で犯罪組織の黒幕と目される人物であった。フェランティ兄弟。
二人は多数の麻薬や武器の違法取引に関わっていると考えられており、それ以外にも今回同様の手口で数件の不動産を燃やし、殺人や強盗の疑いもかけられている。
しかし、証人となり得る人物達は何故か忽然と姿を消したり、証言を拒否したりする事で逮捕を免れてきているのだった。素人目にも犯人は間違いなくそいつだと思われるような事件。
多くの部下に慕われていた消防司令官補の殉職と云う事態に強い重圧を感じて捜査は続けられるがこれと云った証拠も発見できず事件は停滞してしまう。
104分署の刑事エドワード・ダウトは事態を打開する為にある行動にでる事にした。
潜入捜査である。
秘密捜査員をフェランティ兄弟に近づけ証拠を得ようと考えたのだ。そこで白羽の矢が立ったのは辣腕で知られるヴィンセント・アーマンティであった。アーマンティは何年もの潜入捜査の生活から足を洗った所であったが、ダウトは彼に直接接触し事件の詳細を語り説得して参加する事の合意を取り付ける事に成功する。
1993年6月、アーマンティは盗品売買を生業とするヴィニー・ブルーアイズになりすまし、フェランティ兄弟の地元であるスログスネック地区のバーへ出入りし地歩を築き始める。
盗品売買、麻薬取引、フェランティ兄弟の違法な行為にじりじりと近づこうとするアーマンティだったが、出入りしているバーのバーテンダーが口にした一言で背筋が凍り付く。
それは自らがその前の週に報告書に警察用語で書いた一文と全く同じ内容だったからだ。その警察用語は一般的には使われない言葉であり、内部の者が漏らしているとしか考えられない事実なのだった。身元がばれれば命がないのは確実だ。
しかしアーマンティはこの細い糸を辿り更に闇の世界へ踏み込んでいく。そこに現れた影のような人物は名前をジョン・ライン。彼は現職NYPD市警本部の刑事であり、彼の父親はなんと内務部の警視としてその名も誉れ高い人物であったのだった。
捜査を続けようとするアーマンティとダウトだったが、内務部は暗黙の横やり捜査の妨害を仕掛けてきた。
更には火災現場が紛失していたり、押収された一味の車が警察本部の敷地から盗まれるような事態まで起きるのだった。
これは不屈の精神で正義を貫こうとした秘密捜査員の実話である。これ程の不正がまかり通る事実にも驚くが、そうした話がノンフィクションとして出版されてくる事にも驚く。そして本書の結末にはもっともっとびっくりする。
そして何よりこの潜入捜査を敢行したアーマンティの心臓!
彼が普段身につけていたとされる「勇気」と掘られた小さな石と赤いロザリオ。
そしてロッカーの扉にかけられていたテディ・ルーズヴェルトの言葉。
尊敬すべきは批評家ではない。強者がどこでつまずいたか、行為者がどこでもっとうまくやれたかを指摘するものでもない。名誉は闘技場の男にこそふさわしい。顔を誇りと汗と血で汚し、勇敢に戦いながら敗れ、何度となく涙をのみ、崇高な熱中や献身を知り、価値ある目的のためにおのれを燃やし尽くす男に。運がよければ、偉業達成の勝利感を知り、運が悪ければ、果敢な挑戦の果てに失敗する男に。その挑戦は、勝利も敗北も知ることのない冷淡で臆病な心とは、けっして相容れないものだ。
正に泣ける一冊です。
また、本書は現在映画化の計画も持ち上がっているらしい。
△▲△