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昨日7月6日、今年は19日も早く梅雨明け。ということはその分酷暑が長く続くということであります。仕事はなんだか慌しくて7月に入ったこともなんとなく遠い現実のような感じでありました。問題や課題のない会社や仕事なんてないんでしょうし。だからこそ僕のような人間が働く余地ができる訳でありますが、第二クオーターも頑張るよ。ということで素っ気無い感じですが当サイトも11年目、新しいステージへと突き進んでまいります。

特捜部Q-檻の中の女
(Kvinden i buret)」
ユッシ・エーズラ・オールスン(Jussi Adler-Olsen)

2013/09/29:中間期末も押し迫るなか三連休が続き仕事を回すのがなかなか大変。じゃ週末に仕事すればという話だが平日でないと進まない部分もありなかなかうまくいかない。やりくりに頭をひねる。そのための時間も必要でつくづく慌しい。さらに10月からは新しい仕事が本決まり。またどたばたすることになるだろう。

この9月末の週末はそんな慌しい日々の束の間の休息日。土曜日は僕一人。気分転換というか気持ちの整理も兼ねて朝から家の掃除をすることにした。たぶん再読する機会がなさそうな本を拾い出し、絶対に使わないモノも捨てる。そんななか椅子に乗って本棚の天板の上の埃を払って降りる際に別の椅子の背もたれ部分に腰を強打してしまった。

昨日よりはだいぶましになってきたけども現在屈めない、急に姿勢が変えられないという状態で記事を書いております。
私事が続きました。

「ラスト・チャイルド」でもちょっと触れたが、近年、海外ミステリにご無沙汰してきてしまったので、もう少し接近することにしようと考えている。

何を読むのが良いのか。予備知識が枯渇している状態でなかなか本を選ぶのは難しいのだけども、「特捜部Q」を選んでみた。理由はなんと言っても物珍しさだ。コペンハーゲンの警察小説なのだ。
警察小説大好き。その原風景はスウェーデン警察を舞台にしたマルティン・ベックシリーズだ。10冊あるシリーズを何度も読み返す程のお気に入りだったのだ。

極力事前知識を入れずに取り掛かる為にも、背表紙の解説を筋を読み飛ばして拾い読みする。この特捜部Qはシリーズ化されてデンマークのみならず、ドイツやスウェーデンなどの複数の国で好評なのだという。

これは面白そうだ。

コペンハーゲン警察の殺人捜査課の警部補カール・マークは仕事に対する情熱を失っていた。2ヶ月前に殺人事件現場で捜査中に突如現れた男から銃撃を受けたのだ。カールは頭部を銃弾がかすめたものの間一髪で一命をとりとめたが、同僚一名は死亡。もう一名は半身不随となった。カールは盾となった同僚が銃弾に斃れた際に下敷きとなったことから助かったのだった。

心から信頼していた同僚を二人同時に失い。自分自身は助かった。しかし一つ間違えば自分が死んでいたことが彼の仕事に対する意欲を消し去ってしまった。

職場復帰してみたものの、捜査に身の入らないカールは他人の仕事ぶりのあらを探してはケチをつけてまわるような日々を過ごしていた。
いよいよカールの言動で同僚たちの不平不満が募ってきたことから、殺人課の課長マークス・ヤコブソンは副課長のラース・ビャアンと一計を講じることにした。

特捜部Qの創設だ。国から予算をがっぽり頂き、特捜部を創設し、厄介者のカールをそこに押し込み、迷宮入りした事件を適当に調べさせておけばいい。殺人捜査課はこの予算の上前をはねて他の捜査に使うという算段なのだ。

そんな訳で創設された特捜部Qは地下の空き部屋で、人員は二名。一人は勿論カールだが、もう一人はシリアからの政治亡命者アサド。彼は警察官ではなく、単なる雑用係りとしてあてがわれたのである。

掃除等の雑用の合間に時間がくるとメッカの方角へ向かって祈ったり、妙な香りのお茶を入れたり・・・。

運転免許はあるのかと尋ねると、アサドはタクシーもトラックも戦車やサイドカー着きのバイクも運転できるという。

すっかりはめられた気分で更にやる気が喪失したカールだが、アサドのおせっかいから徐々に埋もれ放置されている事件の一つ一つに気持ちが向き始める。そんな彼らの眼に留まったのは5年前に起こった女性議員の失踪に関する事件であった。この議員は事件か事故かそれとも自発的に失踪したのか判然としないまま旅先の船の上から忽然と姿を消したのだった。

タイトルから解ってしまうので書いちゃいますが、この死んだと思われている議員は女性で、彼女は誘拐され檻に入れられて監禁されていた。

物語はこの彼女の誘拐前の足取りから目的も実行者もわからない者たちによる監禁後の状況と平行して進んでいく。果たして犯人はどんな連中で、カールとアサドはこの事件に追いつくことができるのか。
難を言えばプロットがたどたどしい。複数の事件、登場人物が交錯するタイミングにキレがよくない。無駄な描写が多くてストーリーの走りがいまひとつでした。

しかしカールとアサドのコンビはなかなか味があって大変よろしい感じ。十分楽しめる内容になっておりました。


「特捜部Q-キジ殺し」のレビューはこちら>>


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書くことについて
(On Writing: A Memoir of the Craft)」
スティーヴン キング(Stephen King)」


2013/09/21: ちょうど10年前に「小説作法」を手にしたことをきっかけに文章を書いて人様にお見せするという臆面もないことを始めた。その事自体がこのサイトに書かれた最初のお話でもあった。

以来、週末に読んだ本をまとめて記事にする作業を漠然と目標にしていた10年。記事も500冊を超えるまでに大きくなってきた。

「小説作法」のレビューはこちら>>

気持ちを切り替えて次の10年に備えるのだ。なんて呟いていたら、「小説作法」が新訳となって文庫本で登場してきた。なんてタイミングが良いのだろう。

そんな訳で10年ぶりに新しい訳で再読であります。読めばちゃんと思い出すと思っていましたが、なんだか知らない街を歩いているみたいな気分。びっくりだ。こんなに忘れているとは。

もしかして「新訳」ではなく、書き直しがあったのか、とか今回または前回が意訳だったのかなんてことまで疑いましたが、全くそんなことはなく、変わっているのは、10周年記念版として出版する際に2001年から2009年にかけて読んだ本のなかからキングがベストと云う80冊ほどのリスト、補遺3が追加されているところのみなのだ。

繰り返すが。びっくりだよ。

勿論、文章を大切にするキングの姿勢や無駄な文や言葉を省くべしといった骨子は覚えていたものの、子ども時代からの数々のエピソードや、瀕死の重傷を負った交通事故の件などがまだらな記憶となってしまっていた。

10年前の記憶というものがこんなにもスカスカになってしまっているということに本の主題そっちのけで考え込んでしまう程でした。しかしまたそう考えると、こうして読んで感じたことなんかをつらつらと書いている僕のサイトも自分自身で振り返ることで失われていく過去に対するささやかな抵抗になっているのかもしれないなんて思ったりしております。

 私の考えでは、短編であれ、長編であれ、小説は三つの要素から成り立っている。ストーリーをA地点からB地点へ運び、最終的にはZ地点まで持っていく叙述。読者にリアリティを感じさせる描写。そして登場人物に生命を吹き込む会話である。

 プロットはどこにあるのかと不思議に思われるかもしれない。答え(少なくとも私の答え)は”どこにもない”である。

当時読んでいたときは文章の書き方にばかり注意が行っていたらしく、大きく欠落して僕を驚かせたのはこの小説の書き方に関する部分の重要なところだった。

キングはつまり、小説というかお話が結末にたどり着くのはプロットを練るのではなく、自然発生的に物語が生まれていくのだと言っているのである。

キングは走り出したストーリーのなかでそれぞれのキャラクターが自分自身で勝手に行動していく様を俯瞰するように見ているようなのだ。

そんなんでうまくいくのか。

第一稿では、扉を閉めて只管思いのまま走らせる。それを暫く寝かせる。最低でも6週間は必要だとしている。機が熟したら第二稿、書き直しの準備に入るのだという。

誤字脱字をチェックし、キャラクターやプロットの穴や矛盾を探し、それを潰しにかかるのである。

第二稿の役割は象徴性とテーマの補強だという。なんとキングは後付でテーマをつけているのである。

全体のストーリーを通じて強調すべき象徴性やテーマを探し、その部分を強化するような表現やシーンを追加していくのだ。

すっかり忘れていた自分だが、今これを書いていて思い出した。テーマが後付であるということがとんでもなく受け入れ難い話だったからだ。

キングはそうかもしれない。しかし巷に溢れる小説がすべてそうだなんてな。コンラッドの「闇の奥」や、ドン・デリーロの「アンダー・ワールド」がテーマやプロットなしに書かれているなんてことがあるだろうか。

トマス・ハリスやジョン・ル・カレが同じような書き方をしているのだろうか。

先ずはテーマがある筈だと。

それをキングは反対だと一言で瓦解させるようなことを述べているのである。おそらく僕は読むことは読んでも、「まさかね」と真に受けていなかった節があるのである。

しかし、再読してわかった。キングは本気なのである。テーマや象徴性なんて気にせず、とにかく書き出すことが大事なのだと。

小説家を目指している人たちの背中を優しく押すキングの姿が眼に浮かぶ。僕はこの本をきっかけにサイトを立ち上げ、こんな文章を書くようになった訳だが、他の誰かは小説を書き始めているのかもしれない。もいかしたらすでに世に出ている人もいるかもしれないけども、まだ一所懸命腕を磨いている人やこれから生まれてくる人がこれを読んでそんな道に進むなんてこともあるかもしれない。

文章を書くこと。

それは正にテレパシーなのだ。

時間と場所を越えて、イメージや感情を共感することができる力。

そんな力に目覚めさせてくれたキングに深く感謝であります。

本書はこれからも間をおかず繰り返し読む必要がある。ほっとくとまた僕は忘れてしまうだろうからだ。

また、ブックリストだが、今見返すとうれしいことに僕の読んできた本とかなりかぶっている。読書メーターのお仲間でもこんなに読んでいる本が重なっていることなんてめったにお目にかかれないほどかぶっている。

僕の文書はまだまだ拙い限りである訳だが、本を選ぶことに関しては少しだけ自慢しても大丈夫なのかもしれないな。


ブックリストにある本の記事のリンクをおまけにつけさせていただきます。

ジョセフ・コンラッド 「闇の奥」のレビューはこちら>>

ドン・デリーロ 「アンダー・ワールド」のレビューはこちら>>

トマス・ハリス 「ハンニバル」のレビューはこちら>>

コーマック・マッカーシー 「平原の町」のレビューはこちら>>

「越境」のレビューはこちら>>

ティム・オブライエン 「失踪」のレビューはこちら>>

スチュアート・オナン 「スピード・クィーンの告白」のレビューはこちら>>

補遺その三より

マイクル・コナリー「天使と罪の街」のレビューはこちら>>

ジョン・ル・カレ「サラマンダーは炎のなかに」のレビューはこちら>>

ヤン・マーテル「パイの物語」のレビューはこちら>>

コーマック・マッカーシー「血と暴力の国」のレビューはこちら>>


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生命の跳躍
(Life Ascending: The Ten Great Inventions of Evolution)」
ニック・レーン(Nick Lane)

2013/09/15:レビューにあたり下調べをしていたら、本書は松岡正剛氏が千夜千冊ですでに取り上げていたことがわかった。
うわ、いきなりハードルあがりまくり。それじゃ皆さん、そっちをご覧ください。以上。と早々に退散したくなるのだけど気後れしつつも続けるよ。
しかし松岡正剛氏はすごい。第一夜は2000年2月。13年で1500冊だ。僕も当初は10年で千冊くらいなんて思ってはいたけども、とても無理でした。引き続き慌てず騒がずこつこつと進むよ。

ということでニック・レーンの「生命の跳躍」です。このニック・レーンはイギリスの生化学者で科学ライターも勤めている人だ。
本書を含め三冊の本を上梓しており、
「生と死の自然史―進化を統べる酸素」(Oxygen: The molecule that made the world)
「ミトコンドリアが進化を決めた」Power, Sex, Suicide: Mitochondria and the Meaning of Life

「生命の跳躍」(Life Ascending: The Ten Great Inventions of Evolution)
本書と「ミトコンドリアが進化を決めた」は王位協会賞から賞を受けている。
また、本書でも触れられているがフリーラジカル酸素は彼の専門分野で最初の本はそれに関するものになっている模様で、本書だけではちょっと分かりにくい感じだった。
いや、本書は全体的に分かりにくいというか非常に難しい部分が多かったというのが正直なところだ。
本書は生命が遂げてきた進化のなかでも最大級の進化というものを取り上げている。この最大級かどうかという部分の基準として、彼は4つの基準に基づいたと述べている。

第一 生物界、惑星全体を一変させるようなものであったこと
第二 現在でもそれが有用であり続けていること
第三 自然選択による進化の直接的な結果であること
第四 象徴的であったこと
それを踏まえて選ばれた10の跳躍は以下の目次にあるとおりだ。

目次
はじめに 進化の10大発明
1 生命の誕生――変転する地球から生まれた
2 DNA――生命の暗号(コード)
3 光合成――太陽に呼び起こされて
4 複雑な細胞――運命の出会い
5 有性生殖――地上最大の賭け
6 運動――力と栄光
7 視覚――盲目の国から
8 温血性――エネルギーの壁を打ち破る
9 意識――人間の心のルーツ
10 死――不死には代償がある
エピローグ

この一つ一つに本書は深く切り込んでいくのだが、入り口は容易でもその深部では聞いたこともない話が次々と出てくる。
例えば光合成。光合成が先の四つの基準をクリアしていることは容易に理解できるだろう。なんといってもこの光合成の実現によって地球環境は今僕らが呼吸することができるようになっているのだから。
光合成は小学生の理科でも習う事象だ。解っているつもりで読み進むとこんな文章にぶつかる。


 光合成では、ふたつの光化学系---光化学系ⅠとⅡ---が、「N」の土台をなす2点に存在する。光子が最初の光化学系に当たると、電子を高いエネルギー準位へ打ち上げる。続いてこの電子のエネルギーが、いくつか分子の関わる小さな段階を経てなだれ落ち、ATPの生成に必要なエネルギーを提供する。再び低いエネルギー準位に戻ると、この電子は二つ目の光化学系にたどり着き、そこでまた光子によって高い準位へ打ち上げられる。この二度目の高みから、電子は最終的に、糖を合成する第一段階における二酸化炭素へ渡る。


これはZ機構と呼ばれる仕組みで、どうした訳か光化学系Ⅱが先に起こるのだが、このⅡは水から電子を光子によってエネルギー準位を上げることで奪い取る。そして電子のエネルギーによってATPを生成する。結果準位を落とした電子は光化学系Ⅰにたどり着き再び光子をぶつけられてエネルギー準位を上げる。今度はこのエネルギー使って電子を二酸化炭素に押し込む過程で糖を生成している(らしい たぶん)というようなややこしいことをやっているのだという。

光子を利用して水から電子を奪いエネルギーを取り出す。これを人工的に再現することができたら世界のエネルギー問題は激変するという。仕組みがわかっても人類はまだそれを実現できていない。そしてこのような化学的な方法は実際問題として他の組み合わせでは不可能なものなのだという。

植物はどうやってこんな方法を発見し実現することができたのだろうか。

神の御手を感じざるを得ないような技である訳だが本書はもちろんインテリジェント・デザインを唱えるものではないし僕もそんな本だったら読んでない。

しかし思わずそんな存在を頭に思い描いてしまうような跳躍を生命は手探りで実現してきた。

また4の「複雑な細胞」では、真核生物の細胞構造の複雑さに触れている。この章も光合成に負けず劣らず難解なのだが、真核生物のその最大の特徴である「核」は言うまでもなく細胞の核でありこのなかには遺伝情報がしまい込まれている。

この細胞核は細胞膜の内側にしまわれている訳でいわば二重に守られている。この細胞核が大切なのは当然なのだが、それにしても何から守っているというのだろうという問題を提起してくる。

しかもこの細胞核の膜は単純な形で、或いは完全な膜で包む形ではなく、複雑に核を取り巻きながらもあちこちに孔がある。迷路のような膜の間を進めば核と細胞内は繋がっており、つまり開かれているのだ。

これには「ジャンピング遺伝子」というものの存在が関係しているらしいことがわかってきた。ジャンピング遺伝子は真核生物のDNAにのみ見られる特徴でイントロンの一種。イントロン(intron)は断片に分かれている遺伝子コードの間に挿入されている非コード配列のことだ。

これらのイントロンは真核生物の遺伝情報に感染し、自己を複製しながらDNAのなかに取り込まれてくるもので細胞の生存を脅かすほどの影響がないコードは子孫に受け継がれてしまう。ヒトゲノムもそのほぼ半分は、ジャンピング遺伝子かその劣化した残骸で占められているのだという。

これが野放図にされ遺伝情報がいたずらに長くなっていくことがいい訳がない、この秩序を回復させるための時間をかせぐために迷路のような細胞膜を発展させてきたのではないかというのが最新の知見なのだ。

こうした細部に宿る仕組みこそ、生物のランダムなヴァリエーションと自然選択を延々と繰り返してきた結果だということだ。われわれが畏怖すべきはこの宇宙と自然なんだろう。きっと。

しかし僕は本書の読みどころは「意識」にあると思う。「意識」は果たして人間だけのものなのだろうか。生物はどうやって「意識」を発明したのだろうか。そしてこの「意識」というものは一体どこに「存在」するのだろうか。


 もっとわかりやすく言えば、眼によって複雑さが違い、視力の差が遺伝し、視力が悪いと不利ならば眼は進化しうる、とダーウィンは述べているのだ。これらの条件は十分に満たされる。世界は単純な眼や不完全な眼に満ち溢れ、レンズのない眼点や窩眼(かがん)と呼ばれるものから、ダーウィンの言う「無類の仕掛け」を一部または完全に備えた精巧な眼まで、いろいろある。


これは眼について書かれたダーウィンの文書の要約。

眼がそうであるならば、「心」や「意識」だって複雑さが違っているものがあって当然なんじゃないだろうか。そして「意識」の性能が悪いことが不利に働くのなら、「意識」も進化しうるということだ。一方で生きていく上で十分なレベルで「不完全な」、「複雑さの低い」心や意識もいろいろあるということになる。

「意識」がどうやって生み出されたのか、詳しい事情や仕掛けは全くもってわからないけれども、このように考えると生物は眼をはじめ感覚器官を発展させていく過程のなかで、その情報を効率よく処理し、自分に有利で安全な決定を下していく上で「意識」が生み出されてきたことは明らかななんじゃないかなんてことを考えております。

ほんとこの本は知的興奮に満ち溢れたとっても面白い本でしたよ。

「生命、エネルギー、進化」のレビューはこちら>>


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ラスト・チャイルド
(The Last Child)」
ジョン・ハート(John Hart)

2013/08/31:夏休みの帰省ということで久々の2冊続けて海外ミステリ。適当な本を探そうとしたらすっかりまごついてしまった。海外ミステリの分野はますます近年ご無沙汰となっていることから、本が全然選べなくなってきているのだった。

コナリーやウィンズロウ、ル・カレといった作家の本が出たというなら飛びつくこともあるのだけど、それ以外の作家については前評判自体も知らない。本のタイトルを見ても新しいものなのか、数年前のものなのか全く見当が付かない状態なのでありました。

仕方がないので背表紙のプロフィール欄を頼りに本を探す。ジョン・ハート。アメリカ探偵作家クラブの長編賞を2作連続で受賞。その前の一冊は処女作でこちらは新人賞をもらっているのだという。すごいじゃんこの人。

海外ミステリにはいろいろな賞があるのだけど、なかでも個人的にはこのアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の長編賞、エドガー賞とかMWA賞とかとも呼ばれるものを最も信頼している。

ストーリーを読み飛ばして、これらの作品群がシリーズものなのかそうでないのかを確認。どうやらそれぞれの作品は独立したものになっているようだ。シリーズものでないのであればどれを読んでも構わないという訳だ。

で僕はそのなかで更にイギリスの文学賞。英国推理作家協会(CWA)からイアン・フレミング・スチール・ダガー賞も受賞したという「ラスト・チャイルド」を選んだ。

物語の舞台は架空の州レイヴンの町。13歳の少年ジョニー・メリモンの家庭は一年前に双子の妹であるアリッサの失踪によって崩壊の一途を辿った。アリッサの行方は懸命な捜査にも関わらず手がかりは皆無。娘の行方を追っていた父も憔悴の果てに姿を消してしまったのだ。

あらら、二冊続けて少女の失踪とは。あらすじを読まずに突入しているので仕方がないのだが。

母キャサリンは度重なる不幸に打ちのめされ、抗不安薬などの薬づけとなっていた。その弱みに付け込むかのように歩み寄ってきた男ケン・ホロウェイのいいなりになり果てていた。

ケンは大きなショッピングモールや複数の不動産を所有する金持ちで町の有力者でもあった。ケンはジョニーの母へ温情として一軒家を貸し与え度々訪れては我が顔をするようになってきた。このケンにジョニーは我慢がならなかった。

父の帰りを信じつつ母を守り、どこかで生きているに違いないメリッサを探し続けるジョニーの心もまた張り裂ける直前なのだった。

そんなメリモン家の事を見守る者がいた。彼の名はクライド・ラファイエット・ハント。メリッサの失踪事件を担当している刑事であった。誰の目からみても天使のような美しさを備えていたアリッサ。アリッサの失踪事件にハントは全力で打ち込んできた。事件にのめり込んでしまっていたのだった。そんな仕事一辺倒となったハントに愛想を付かした奥さんは家を出てしまっていた。事件はハントの生活もまた荒廃させていたのだった。ハントもまた焦燥感を募らせていた。

母の面倒に妹の捜索を続け学校にも足が遠のきがちとなったジョニーは親友のジョンといつもの場所で時間をつぶしていた。町外れの小さな橋の下にある川原の一角だ。ここは二人の絶好の隠れ家であり、「自分たちの場所」でもあった。

親友ジャックは幼い頃の事故で片腕が不自由だった。そのことで学校では嫌な目に合わされることも多い子どもだった。一方で彼の兄は野球選手で大学からオファーがかかるほどでジャックの父はこれに大喜びだ。ジャックは自宅でも居場所がない少年だった。

行き場のない二人の少年。しかしジャックも夕暮れと共に帰宅してしまう。それでもなお川辺にい続けるジョニー。

その時橋の上で異変がおきる。大きな音とともに男が橋の下に落ちてきたのだ。交通事故で跳ね飛ばされたようだ。

駆け寄るジョニーに瀕死の男は驚くべきことを呟いた。
「あの子をみつけた」そして「逃げろ」と。

橋の上に人影が近寄る気配を察したジョニーは全力で川岸を走る。「あの子」とはメリッサの事なのか。瀕死の男と彼を跳ねた相手は何者なのか。心臓も張り裂けんばかりに走るジョニーの先に立ちふさがったのは雲をつくように巨大な黒人の男だった。

冒頭からの助走は登場人物も多いためにやや足取りが重いが、いったん走り出すや小気味よいペースで走り出し、エンディングまで一揆果敢に駆け抜けていく。

多くは書けないけれども着地点とそこに至る伏線を辿りなおすとやや腹落ちしない不自然なものが残るのだけれど、ここまで読ませてくれれば十分というレベルに仕上がっておりました。

先日オハイオでは10年に及ぶ女性三名の監禁事件が明るみになった。逮捕された男はスクールバスの運転手でこの男は歩いていける距離に住んでいた女性を拉致して監禁しており、失踪時に男は捜索にボランティアといして協力もしていたそうだ。時折この男の家を訪ねていた兄弟も監禁の事実に気付くこともなく、長期にわたって事件が発覚することはなかったという。

こんな事件を思い出し、家族を奪われたら自分はどんなになってしまうだろうか等とつい考え込んでしまいました。いやはや恐ろしい。


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ムーンライト・マイル
(Moonlight Mile)」
デニス・レヘイン(Dennis Lehane)

2013/08/24:ずっとずっと気になっていたのだが手が出せないままとなっていた「ムーンライト・マイル」を読みました。本書は、デニス・ルヘインの探偵パトリック&アンジーシリーズの第六巻にして最終回です。
シリーズは
スコッチに涙を託して(A Drink Before the War 1994)→1999/05
闇よ、我が手を取りたまえ (Darkness, Take My Hand 1996)→2000/04
穢れしものに祝福を (Sacred 1997)→2000/12
愛しき者はすべて去りゆく (Gone, Baby, Gone 1998)→2001/09 
雨に祈りを (Prayers for Rain 1999)→2002/09
ムーンライト・マイル(Moonlight Mile 2010)→2011/04

「スコッチに涙を託して」が訳出され時はその直後に読んだと思う。とっても面白かった。以来シリーズは全部読んでいた。この主人公パトリックとアンジーのキャラクターも事務所が聖バルトロメオ教会の鐘楼だなんてところもクールでよかったし、絶体絶命のピンチに現れるブッパの存在もすばらしかった。

夢中で読みました。

しかし残念なことに巻を重ねる毎に内容というか展開が重ったるくなってきた。それは「シャッター・アイランド」のレビューでも触れたものだが、ガキの頃からの業を引きずって止むに止まれず振るう暴力、都会の、負け犬の、どうしようもない、行き場のない、でDVみたいなコブシがぐるぐると回るというかいちいち回るとい部分だ。事件の背後に、登場人物はそれぞれ異口同音でなんらかの業を抱えていて、それが回る。

ボストンの下町がどんな具合なのか僕にはよくわからないけれども、クラスメートの大部分がこうした歪んだ家庭環境にあり、大人になって犯罪に走るなんてことがあり得るのだろうか。

このような部分でシリーズはへんな閉塞感と走りの悪さがぶら下がってきてスピード感のないものになっていった。

それでもパトリックとアンジーとブッパの魅力はなかなかのものがあったと思う。

それが最後の第5巻から約10年ぶりに戻ってきた。

個人的には「シャッター・アイランド」で完全に心が離れてしまっていたので、飛びつく感じでは全くなく、むしろ用心深い犬のように、恐る恐る近寄って匂いをかいではまた離れるということを繰り返していた。
それでも今回手にしたのは彼ら三人がこの最終回でどうなってしまうのか。まさかレヘイン無茶なことしてねーだろーなということは確認しとく必要があると思ったのでした。

物語は現実と同じく10年程経過しており、パトリックとアンジーは結婚し4歳になる娘がいる。三人はボストンの街中にある一軒家に住んでいるのだった。

パトリックはボストンを拠点とする大手の探偵事務所からパートタイムの仕事を得ており、正社員になれるかもしれないことに期待を抱いており、アンジーは医療関係の資格をとるために学校へ通っていた。つまり二人は安定した収入が得られてはいなかった。

探偵事務所はパトリックの仕事ぶりを評価しつつも重箱の隅を突っつきケチをつけて正社員化する話を先送りしてきた。

そんな矢先に接触してきたのは、12年前に関わった事件の当事者ビアトリス・マックリーディであった。彼女の姪のアマンダは12年前に失踪。この調査をパトリックが請け負ったのだった。この話は第4巻「愛しき者はすべて去りゆく」で本編はその後日談となっている。

ビアトリスはアマンダが再び行方不明となった事、パトリックはこの事件について「貸し」があり、再度探しに行くべき責任があるのだという。状況から云って引き受けている場合ではないのだけれども、止むに止まれず調査を引き受け二人は事件に巻き込まれていく。

正直12年も前に読んだはずの「愛しき者はすべて去りゆく」は読んだハズという程度で全く記憶にない。調べるとこれは映画にもなっているみたいだ。なんでシリーズの真ん中の一冊だけ映画にしたんだろう。

繰り返しになるけども、僕はこの事件の行く末自体よりもパトリックとアンジーそしてブッパ、更に新たな登場人物となった二人の子供であるガブリエラの行く末が気になって読んでいたのだが、レヘインはそこんとこにサスペンスが生じていることにもしかしたら気がついていないのかもしれないくらい無頓着にストーリーは展開していく。それももっさりと。

なんだか関係のない枝が太く長くてなかなか本筋に入らないばかりか話が全く走らない。どうやら話を前に進めるよりもコブシを回すことがしたいことらしい。それにしても登場人物がことごとく「病んでいる」というのはやはりどうだろうと思う訳で、大丈夫なのかボストンは。

という思いがもやもやともたげつつも、この大人三人、子供一枚の行方、物語の顛末は。ここではオチは書きません。書きませんよ。

しかし一言だけ。レヘイン節は口直しが必要な程僕には合いませんでした。パトリック、アンジー、そしてプッパにガブリエラ、彼らはレヘインの世界に辟易して物語から出て行ったみたいな感じでした。さようなら。

シャッター・アイランドのレビューは<こちら>>


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エイズの起源
(The Origins of AIDS)」
ジャック・ペパン(Jacques Pepin)

2013/08/23:日本でエイズ患者が確認されたのは1985年。アメリカでは1981年6月に感染者が確認された。当初エイズは男性の同性愛者の間で感染する病気だというような認識だった。つまり肛門性交で感染する病気なんだと。


 1981年6月はエイズの公の誕生日だ。米国の臨床医は米国疾病予防センター(CDC)発行の『疫学週報』の短い記事のなかで、ニューモシスティス・カリニが引き起こす肺炎症例を5例報告した。それまでニューモシスティス肺炎は、重症免疫不全患者に特有の呼吸器感染症だと考えられていた。5人の患者はすべてロサンゼルスに住む男性同性愛者で、1980年から81年にかけてニューモシスティスは肺炎と診断された。それ以前は健康で、免疫抑制剤などの服用歴などはなかった。


初めて知った頃に思ったのは、なんて趣味の悪い感染経路なんだと。こんな経路をウィルスはどうして開発できたのだろうかという事だった。

しかしこれは大きな誤解であった。この誤解が解けるまでには相当の時間がかかったと思う。日本人の感染者には大勢の血友病の患者の方がおり、エイズが輸血などによっても感染する場合があるということがニュースになった事は記憶にあたらしい。

血友病患者に対する非加熱製剤にHIVウィルスが混入したことによる感染拡大は「薬害エイズ」とも呼ばれ、日本のエイズ患者の7割以上がこれに該当していた模様だ。日本では原因が特定されたことから薬害エイズには歯止めがかかったが、同性愛者、異性間、母子間の感染はじわじわと拡大を続けている。国立感染症研究所の2012年3月発表では日本のHIV感染者は1万3千人、エイズ患者は6千3百人ほどにのぼっている。そして感染原因もすでに様変わりをしており、同性愛者や異性間、薬物、母子間の感染が大半を占めている。

ウィルス感染症などというとエボラ出血熱等という劇症性でショッキングなものが目に付きやすい訳だが、このHIVウィルスは他のウィルスとは桁違いの全世界で5千万人という人類史上最悪のパンデミックを生みいまだ現在進行形なのだ。

HIVをなぜここまで感染拡大させてしまったのか、そもそもHIVはどこからやってきたのか。本書はこのHIVがたどってきた道を可能な限り詳細に踏み込んで辿りなおすものとなっている。大筋は僕も知っているつもりだった。しかし、それも誤解だった。

ここにも僕らが住んで目にしている世界からは隔絶された第三世界と呼ばれる世界人口の3分の2以上を占める人々の国々に対する著しく欠落の多い情報と不平等があった。

差別と強奪という忌まわしい土台に築かれたものこそHIVという塔であり、それはまるでこれまでの借りを返せというばかりに第一世界に向けて牙をむいているようでもあるのでありました。

HIVはどこからやってきたのか。


 ツェゴチンパンジーがHIV-1の起源であったといった部分は反駁できないものだが、曖昧さが残る問題も同時に存在する。種を超えた感染が起こった時期が20世紀最初の30年間だったことは間違いないとしても、それが正確にいつ起こったかといった問いには、依然として曖昧さが残る。


感染源はコンゴや中央アフリカに生息するツェゴチンパンジーであり、それは1900年から1930年までの間に起こったことは間違いないらしい。HIVウィルスのヒトへの感染は予想以上に昔の事だった。この最初の感染がこのチンパンジーに咬まれたか血液に触れたか等、直接の原因にまで辿るのは難しいようだ。

ではツェゴチンパンジーのHIVはいつからどのように広がっていたのだろうか。本書はこの部分でも不明な点が多いが、どうやらツェゴチンパンジーにとってHIVは病原性がない可能性があるようだ。

むむむ、なるほど。チンパンジーでは取り立てて病気を発症しないまま、集団内、集団間で徐々に感染拡大してきたものが、なんらかの拍子にヒトへと飛び火し病原性が発現したということだ。

しかし、空気感染せず、性交や血液への接触というきわめて限定的な接触でしか感染しないこのHIVウィルスがどうしてここまで拡大することになってしまったのか。

これにはアフリカに存在した他の疫病が関与していた。眠り病、梅毒、イチゴ腫、ハンセン病、マラリア、C型肝炎、成人T型白血病等。こうした地域に広がった様々な疫病治療では注射器や注射針が日常的に使い回しされていた。そもそも血液を介して感染する病気に対する認識がまだなかった上に、圧倒的に不足する医療物資の関係から、消毒もせずにそのまま注射器を使用するようなことが恒常的に行われていたらしい。当地でHIVが拡大したのは実は医原病と呼ぶべきものであったのだ。

そしてこの背景には、身勝手に当地へ「下ってきた」植民地主義の国々がいた。彼らは「開発」の名のもと埋蔵されている資源を強奪するために現地人を過酷な労働へと駆り立てていた。現地人への治療は労働力の効率的な確保がその究極の目的であった訳なのだった。

HIVウィルスが目覚めたのは正にその中心地ともいうべき場所であったのだ。それはかつてレオポルドヴィルとよばれていたキンシャサとブラザヴィルだ。フランスやベルギーなどがこれらの地を植民地化すべく介入を図り、鉄道や道路などの敷設を目的として現地人を徴用した。

集団内で感染者が着実に広がっていった結果、入植していたフランス人やベルギー人、そして出稼ぎで現地に入ったハイチ人へも飛び火していく。


 1981年から82年にかけて、米国でエイズに関する最初の報告が現れたとき、ハイチ人はヘロイン使用者、同性愛者(ホモセクシャル)、血友病患者(ヘモフィリアクス)に続く第四の「H」として、すぐにリスク集団に認定された。マイアミやニューヨーク、モントリオール、ハイチに住むハイチ人からエイズが報告された。他のリスク集団と異なり、ハイチ人は容易に同定することができた。ハイチ人は妙なアクセントの英語を話す、あるいは全く英語を話せない黒人だった。さらに彼らの多くは不法移民か亡命希望者で、米国に合法的に住んでいたとしても米国国民ではなかった。フロリダなどではその頃すでに、それが専制政治から逃れるためであったとしても、数千人の難民の到着によって引き起こされた反ハイチ的感情が見られるようになっていた。


アメリカにおいてハイチ人が差別の対象となった背景にもこのエイズと植民地問題が絡み合ったものがあったとは。

冒頭の話に戻るが当時は同性愛者、特にペイシェント・ゼロと呼ばれるカナダの客室乗務員の男は仕事での訪問先で複数の男性と関係を持ち、それが感染経路となって広がったかのような話が取りざたされていたと思う。それは確かに事実であったろう、しかしそれは物語の極々一部にすぎない。そんなことだけで、これだけのパンデミックは発生しない。

エイズは人の歴史、近代の私たちの歴史にこそ起源を持っているものだったのだ。第三世界の貧困の度合いは近年ますます過酷な状態へと進み続けている。そして世界人口は第三世界の比率をますます高めていっているのである。従来のスラムとはその規模において全く違った概念となったメガスラムの出現は、パンデミックの危険をかつてないレベルで孕んでいると思われる。

人類は第二、第三のHIVウィルスのパンデミックを果たして回避することができるのか、これは医療の問題ではすでにないのでありました。是非とも一読をお勧めしたい一冊でありました。


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褐色の世界史―第三世界とはなにか
(The Darker Nations: A People's History of the Third World)」
ヴィジャイ・プラシャド(Vijay Prashad)

2013/08/17:決して軽い本である訳はないとは分かっておりましたが、これほど濃厚な本だったとは。予想を超える密度に亀が這うような速度で読み進み漸く本を置くことができました。

ヴィジャイ・プラシャド。シカゴ大学で博士号をとったインド人の歴史研究家。トリニティ・カレッジで教鞭をとっている人らしい。最新の情報ではベイルート・アメリカン大学でエドワード・サイードの名のついた教授職に就任した模様だ。著書は通算で15冊もあるのだが、日本語で出版されるのはこの「褐色の世界史」がはじめてのものになるようだ。
政治的には左派。宗教的にはヒンドゥー原理主義に反対を表明する一方でアメリカによるイスラエル、シオニストへの支援に反対し、またマザーテレサの活動に対してもブルジョア的であるというようなことで批判をしているようです。

こういう人がアメリカの大学の教授だと。アメリカって国はつくづく不思議な国だなあと思う次第だ。勿論いい意味で開けていて言論の自由が守られているということなのでしょうが、一方でここまで考え方が違う人びとが同居できているのは単に同じ国といいつつも住んでいる場所が全然違うからなんじゃないかという気もする。

人口学者であったアルフレッド・ソーヴィは1952年、『ロプセルヴァトウール』という新聞で地球を第一、第二、第三世界と三つに区分することを提案した。第一世界とは、アメリカ合衆国とヨーロッパ諸国の市場資本主義国を指し示すものであった。

第二世界はソビエト連邦を中核とする社会主義の国々をさしていた。そして第三世界はこれらに含まれないそれ以外の国のことだった。

第一世界と第二世界の人口はあわせて世界人口のたった3分の1を占めているに過ぎなかった。地球上の3分の2の人間を包含する第三世界という考え方。

ソーヴィーのこの第三世界という呼び名はフランス革命をオマージュしたもので、そう呼ばれた人びとにとっては重要な刺激材料となるものだった。

フランス革命では、僧侶を第一分身、貴族を第二分身、そして一般市民を第三分身と呼んだ。そしてこの革命が一般市民の権利を獲得する機会であったのと同様に、「無視され、搾取され、侮辱された第三世界も、第三分身のように何者かになることを要求している」。

ソーヴィーはこんな大胆な提案を新聞で述べていたのでした。
こうして第三世界という概念が目を覚まし、地球上の3分の2の人びとの意識がそこに向けられていくことで大きな流れが生み出されていく。

しかし、その流れは残念ながらフランス革命のような歓喜をもって迎えられることはなく、誰も予想もできなかったような展開をみせていくのだった。

本書は1927年の反帝国主義連盟会議や1955年にバンドンで行われたアジア・アフリカ会議(Asian-African Conference、AA会議)、そしてこのバンドン会議によって産声を上げた第三世界の覚醒から闘争、そして現在までを統括する大変な労作なのでありました。

目次

第1部
探求(パリ―理念の誕生)
ブリュッセル―1927年反帝国主義連盟
バンドン―1955年アジア・アフリカ会議
ブエノスアイレス-経済圏の構想
テヘラン-想像力の養成
ベオグラード-1961年 非同盟諸国運動会議
ハバナ-1966年三大陸人民連帯会議

第2部
陥穽
アルジェ―独裁国家の危険
ラパス―兵舎からの解放
バリ―共産主義者の死
タワン-もっとも汚い仕事
カラカス-石油、悪魔の排泄物
アルーシャ-性急な社会主義

第3部
抹殺
ニューデリー―第三世界への弔辞
キングストン―IMF主導のグローバリゼーション
シンガポール―アジアの道という誘惑
メッカ-世界が残酷になりうるとき
おわりに

 人種差別により人命が軽視される状況を受け、バンドンでは軍備縮小について長時間の議論がなされた。会議の声明文では、第三世界こそが地球を大惨事から守らなければならないと述べられている。第三世界は「人類と文明に対する義務から軍備縮小への支持を表明する」核保有国が交渉に躊躇していたため、第三世界は国連に働きかけて、対話を強く要求し、軍備管理を監視する組織の設立を訴えた。


バンドンの会議では、バンドン十原則(ダサ・シラ・バントン)とも呼ばれる。宣言がなされたという。

1.基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重
2.全ての国の主権と領土保全を尊重
3.全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する
4.他国の内政に干渉しない
5.国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重
6.集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない。
7.侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
8.国際紛争は平和的手段によって解決
9.相互の利益と協力を促進する
10.正義と国際義務を尊重

その内容はすばらしいものだと思う。参加国は29カ国で政治的信条や宗教を超える国々の結びつきは人びとの期待を大きく膨らませるものがあったろう。

しかしこの参加者のなかには中華人民共和国という社会主義国が含まれている一方で、中国と敵対関係にあった中華民国や大韓民国、さらに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)やモンゴル国は招待されず、第三世界そのものにねじれがあるばかりか、この第三世界にも漏れている人々がいたのだった。

それでも第三世界として一つに纏まった人びとは輝かしい未来に向けて勇ましく前進していく。

しかしやがてテヘランやキューバでの紛争や衝突がこの一団となった集団はひび割れを起こしやがてそれが大きく結束力を蝕んでいく。


 革命から一年、米大統領アイゼンハワーはキューバに対する秘密工作を命じる。カストロはそれを察知していなかった。しかし1959年3月にアメリカ・ニュース編集者協会でスピーチを行う予定があってワシントンDCに滞在していた際、アイゼンハワーに面会を拒絶されたという経緯があり、すでに何かを予感していたのかもしれない。グアテマラでの出来事がキューバで再現されるのではないかと恐れて、キューバは1960年の半ばにソ連を訪問し、「あらゆる手段を用いて、キューバに対するアメリカの軍事介入を阻止する」という約束を取り付けた。デタントや平和共存がいくら唱えられようと、キューバはアメリカの軍事介入の現実に直面して、二台陣営のもう一方に頼らざるを得なくなったのである。つまりアメリカの脅威のために、キューバはソ連とともに歩むことになったのだ。


これをひそかに後押ししている者たちがいたのだ。

 第三世界のクーデターに対するアメリカ政府の関与については曖昧な場合が多い、しかしCIAと軍情報部の足跡は明瞭な形で記録に残っている。ドミニカ共和国(1963年)、エクアドル(1963年)、ブラジル(1964年)、インドネシア(1965年)、コンゴ(1965年)、ギリシア(1967年)、カンボジア(1970年)、再びボリビア(1971年)、そして有名なチリの事例(1973年)。これらはごく一部の顕著な例でしかない。なぜ「民主主義の擁護者」であるアメリカ政府が軍事政権の発足の手助けをし、これらの政府が国民に非道な暴力を行使するのを容認するのだろうか。1959年、アメリカ国防総省は非営利組織のシンクタンク、ランド研究所に第三世界の軍事研究を委任し、その成果からアイゼンハワー大統領のドレイパー委員会がアメリカの軍事援助計画の指針を作成した。ランド研究所とドレイパー委員会の意見が一致したのは、「低開発地域」の軍隊は国家建設において技術的・官僚的な役割を担っており、たとえ欠点があろうとも、アメリカ政府の後ろ盾が必要である、ということであった。


そしてIMFや石油メジャーが次々とこれら第三世界の政府や組織に侵入し、当初描かれた高尚な目標や目的が腐敗し、貧困層は見捨てられ切り捨てられていく。
悪夢というものがあるなら、それこそこれかというような救いのなさだが、残念なことにこれは夢ではなくて現実なのだった。

しかも僕らはこうした歴史の存在も、このような文脈のなかで貧困に喘いでいる世界の3分の2以上を占める人々のことを知りもせずに生きている。

それは単に無知で不勉強だからだろうか。プラシャド。彼の本は15冊も書かれているのにこの本しか訳出されず、テレビや新聞のニュースはこうした国々のニュースを伝えず、学校でもこうした国々の歴史を学ぶ機会がないからじゃないかと。それはあまりにも遠いところにある国で僕らの世界とは関係が薄いからだろうか。
どうやらその世界観に不自然で不均衡で想像力に欠落があるのはアメリカ人ばかりではなく僕たち日本人も同じらしい。僕らの世の中を見る目はひどく歪んでおり、その歪んだ世界観が当たり前になっているのだ。

サミュエル・ハンティントンやミルトン・フリードマンのあまりの人でなしっぷりがまざまざと描かれていたりする部分も見逃せないものがありました。


△▲△

キャパの十字架
沢木耕太郎

2013/08/04:五十歳になりました。半世紀。信じられません。先日息子も二十歳を向かえ、人生の節目というものがあるとするなら正に今なんだとじわじわとかみしめ始めております。

ちょうど息子の年齢だった頃、僕はどんな仕事をやりたいのか全く見当もつかない状態だった。漠然とサラリーマンになるんだろうぐらいの感覚しかなかった。

本当の僕は映画や物書き、写真といったことに関わっていきたいと強く思っていた。思っていたけど、どうしていいかわからず、調べもせず、動き出す勇気もなくただ成り行きに任せてしまっていた。

自分から諦めていたということが今ではっきりとわかる。

このどれかに向かって動いていたら何かモノになっていたかなんて全く思わないけども、あの時動いていたら確実に今の自分とは違う人生を歩んでいただろう。

映画・物書き・写真。なかでも強烈な引力を放っていたのは写真だった。そして写真のなかでもアーティスティックなものよりもジャーナリスティックなものに惹かれていた。

そこで一際まばゆい光を放っていたのがロバート・キャパでした。ごめん。前置きが長くて。

仙台の実家から我が家に持ち込んだ本のなかで最も嵩のあるものは1983年に集英社が出した「世界写真全集」全12巻。その第3巻は直球の「フォトジャーナリズム」で、この化粧箱の表紙はキャパの「崩れ落ちる兵士」だ。

この本でフォトジャーナリズムの世界、そしてキャパやマグナム・フォトといった存在に触れて心が震えた。僕は何度もこの本を引っ張り出してきてはそれらの写真を眺めていたものでした。

そしてキャパの「ちょっとピンぼけ」。この本も仙台から持ち出してきた一冊だ。発行日はやはり1983年。ここにさらに開高健の「ベトナム戦記」などが僕の中で混合され化学反応を起こしていたのだ。

キャパの「崩れ落ちる兵士」なだらかな丘を下っている最中に頭部に銃弾を受けて正に崩れ落ちるその瞬間を捉えたものだとされていた。
兵士の顔は身体の向きと不自然に横に向けられ目も閉じているようだ。そしてその頭部には血かなにか銃撃によって飛び出しているようなものが写っている。正に銃弾が頭部を直撃した瞬間を写したもののように見えるのだ。

この兵士はどこからやってきたどんな人物なのか。この後この場所ではどうなったのだろうか。彼の訃報は家族のもとに届けられたのだろうか。そして「死」とはどんなものなのか。僕はこの写真に限らずそんなことばかりを考えて写真を見ていたのだ。

「ちょっとピンぼけ」を開くと冒頭にはジョン・スタインベックによる一文が載せられている。


キャパが遺したもの

私は、写真のことについては何も知らない。従って、私がキャパの仕事について述べようとするのは、唯、素人としての立場からである。

専門の方は、どうぞ、この私を許して下さるように---
キャパが、---カメラとは、決して冷たいメカニックなものではない、ということを、なによりあきらかにしたことは、何人も同意するであろう。

恰も、ペンのように、カメラも使うひとによって、すべてが、きめられるのだ。

それは、じかに、人間の理性と感情につながっているものである。キャパの写真は、彼の精神の中で作られ、カメラは単に、それを完成させたたけだ。


この一文は僕の心に深く突き刺さり写真というものの価値を遥か上空まで引き上げたのでありました。

そのキャパが実は実在の人物ではなく複数の人間によって作り出された虚像だった?「崩れ落ちる兵士」も実は死の瞬間でもなければ、キャパが撮影したものでもなかった?大げさだが、僕にとってこれらの話は自分の人生の一部を否定されてしまったかのように聞こえる。それらを踏まえた写真展やテレビ番組が放送されているようなのだが、おいそれと近づくには危なすぎる話題。かといって知らないことにして通り過ぎる訳にもいかない大きな問題でありました。

恐る恐る本書をめくっていった次第ですが、そこに待っていたのは驚くべき緻密な分析と地を這うような地道な調査によって浮かび上がってくる撮影当時の様子でありました。

何度も何度も驚かされてしまうことに更にびっくりしました。よくぞここまで調べ上げたものです。沢木さんあっぱれであります。また同時に溢れるキャパへの愛。これが伴わなければ勿論、調査も分析もなかったのでしょうが、暴かれた過去は痛々しすぎて読み物にもならなかったでありましょう。

そう、キャパはやはりキャパなのでありました。勇猛果敢に戦地に赴き飄々とした「ちょっとピンぼけ」を著したかのように見えていたキャパは黎明期に背負ったこの十字架に追い立てられ、苦しんでもいたという事実がより彼の人生を深い味わいのある人物として再発見することにつながっていくのでありました。

ますますキャパのことが好きになりました。

また再び古い写真集や本を引っ張り出して読み返し、若き日の自分を見つめなおす機会も与えてくれるという本当にすばらしい本でありました。




  「氷山の影」 La sombra del iceberg
   予告編
 

本編
 


メキシカン・スーツケース
   http://museum.icp.org/mexican_suitcase/


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真鍮の評決(The Brass Verdict )」
マイクル・コナリー (Michael Connelly)

2013/07/28:我が家の長男は本日二十歳の誕生日であります。びっくりして三回聞き直してもまだ足らないぐらいだ。二十歳。あんぐり口をあけて呆然としている僕の背後を娘がKyary Pamyu Pamyuの「ふりそでーしょん」を歌いながら通り過ぎてくよ。

息子が生まれたのは僕らが三十になる直前のことでありました。だから僕も今年五十。10年前に四十となり、息子が十歳となった時に子離れの記念に立ち上げたこのサイトは十周年。どこからどう計算しても、合っているのだけど、やっぱり驚くばかりであります。

この十年、甚だ至らない父親ではありましたが子は育つものであります。末っ子の娘のためにももうひと頑張りといきましょう。

さて、コナリーの「真鍮の評決」です。読むのをずっと楽しみにしていたのだけど、何かとタイミングが合わずに大幅に着手が遅延しました。

本書は、リンカーン弁護士こと、ミッキー・ハラーの第二作目。前作は映画にもなりかなりの好評を得たものになりました。「リンカーン弁護士」大変面白かったんだけど、なんと言っても2009年、もう4年も前の話だし、当に本自体はじいちゃんのところに送ってしまっていたので、果たして最後はどんな風に終わっていたんだっけか。

書けばネタバレになってしまう僕のサイトには案の定何の手がかりもない。僕はかつてコナリーの本を気付かず一冊飛ばして読んでしまったというトラウマのような出来事があったこともあり、読み始めてまもなく、あまり記憶のない過去のエピソードに何度もうろたえてしまいました。これも具体例を挙げるとネタバレに繋がるので避けるよ。

冒頭、物語は1992年に飛ぶ。概ね現実の時間と平行して進んでいるコナリーの本であることを考えると、第一作である「ナイト・ホークス」の事件が起こっている頃に戻っているという訳だ。味なことをやりますね。

またこの1992年という年はロサンゼルス暴動が起こった年でもありました。これに先駆ける91年3月、自動車を運転していた黒人男性のロドニー・キングがスピード違反で停車を求められたが逃走、複数のパトカーに追跡された上で拘束・逮捕されたが、その際に20人にも及ぶ警官隊によって激しい暴行を受けるという事件があった。この事件で4人の警官が起訴されたが92年の4月に全員に無罪判決が下った。

このロドニー・キング事件の他にも暴動の引き金となったとみられる事件があるが、背景には長く根強く蔓延る黒人に対する人種差別に対する鬱積が積もり積もっていたのだった。

ここで若きミッキー・ハラーは殺人事件の犯人と目される人物の弁護士として検事と陪審審理で対峙している。殺されたのは白人の大学生二人。起訴されているのは黒人男性で麻薬密売を生業にしている男。検察は彼がコカインを買いに来た二人の大学生をショットガンで撃ち殺し、重しをつけてハリウッドの貯水池に沈めたと主張していた。

暴動の衝撃がまだ覚めやらぬところでまたもや黒人対白人の事件で、市街地の人々の飲料水として利用されている貯水池に投げ込まれた遺体が腐敗して水面に浮上したことで事件が発覚したことで市民の激しい怒りを買ってもいたのだった。

被疑者の男性は現実にこの事件の犯行を行ってもいる人物であったが、検察側が用意してきた証人の一人には大きな穴があった。ハラーはこの点を突き、無罪判決をものにしたばかりか、相手の検察官のキャリアを終わりにしてしまった。その相手はジェリー・ビンセント。彼は優秀で将来を期待される若手のホープでもあった。この事件審理の不始末で彼は本当に検察官を辞任しハラーと同業の刑事弁護士へと転身したのだった。

2007年、ハラーは自身が巻き込まれた事件で銃撃を受けその治療とリハビリのために休業中だった。そろそろ復帰に向けて準備を進めようかと思案しているところに裁判所からの出頭命令を受ける。

出頭したハラーを待っていたのはビンセントが何者かに射殺されたこと。ビンセントが請け負っていた事件の刑事弁護士を引き継ぎだった。予想もしていない形でしかも準備不足のままで再開を強いられるハラーが抱えることになったのは30件近い事件の山。そしてその中の一つは極めて険しいものの、大きな報酬を手にできる可能性のある事件だった。

その事件とはハリウッドの映画制作会社のオーナーが自宅で妻とその愛人を射殺した容疑で逮捕されたというものだった。この事件を担当することは、報酬ばかりではなく、世間の大きな注目を引き今後商売を進める上ではまたとない宣伝の機会にもなるものであった。

一方でビンセントはこれらの事件のどれかに絡んで殺された可能性があった。駐車場で待ち伏せにあったビンセントは持っていた書類鞄もノートパソコンもなくなっていた。ハラーはこの失われた情報を再収集しつつ事件に対峙していく必要があるのだった。

またビンセントの事件の捜査を担当するのはハリー・ボッシュだった。はじめて事件を挟んで向き合う二人。そして最後の最後に明らかになる驚愕の真実。まさに鳥肌ものでありました。磐石の安定感に支えられ全編、疾走感に満ち満ちた本作は快作でありました。やめられないとまらない。

本書が出たのは2012年の1月。一年半近くも放置してしまいました。「死角 オーバールック」から実に2年ぶりのコナリーであります。

しかも実際にこの本が本国アメリカで出されたのはもっとずっと前の2008年。今年2月にはジャック・マカヴォイものらしい「スケアクロウ」の日本語版が出ておりますが、こちらも本国では2009年に出されたもの。

コナリーの動向をチェックすると、相変わらずコンスタントに毎年一作ずつリリースを続けていました。最新作は通算で26作目。「ナイト・ホークス」が出たのは1992年でコナリーは昨年作家稼業二十周年を迎えた勘定になるようです。

ストーリーテリングにますます磨きがかかっているコナリーの努力にはただただ敬服いたします。いやはや十年、二十年の重さを語れるのも歳を重ねたからこそ言えることなのであります。

未訳出のリストは以下の通り。
The Gods of Guilt (December 2, 2013) ミッキー・ハラー
The Black Box (2012)ハリー・ボッシュ
The Drop (2011)ハリー・ボッシュ
The Fifth Witness (2011)ミッキー・ハラー
The Reversal (2010)ミッキー・ハラー
Nine Dragons (2009)ハリー・ボッシュ

宿題が増えてるじゃないですか!!講談社頑張れ。僕も急いで「スケアクロウ」に進まなきゃ。


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シャティーラの四時間
(Quatre heures a Chatila)」
ジャン・ジュネ(Jean Genet)

2013/07/21:時間はただ只管過ぎ去るばかりで、過去に起こったことを確かめる術はない。僕たちにできることは常に推測することだけである。歴史は事実が積み重なるだけではなく、僕らのこうした推測の積み重ねも加わって動いていくものなのだ。これを見事に物語にしたのはドン・デリーロであったかもしれない。しかし、そんなことは政を動かしてきた施政者たちにとっては古くからずっと当たり前のことであった。

僕らのような一般市民が求めているものはいつも正しいように思えるもの、納得できるものであって絶対の正義や真実ではないのだから。だから、物事が全体的に不合理・不条理に進んでしまうということが世の中に横行していくのである。そしてそれは決して止むこともないだろう。

僕らが変わることができない上に施政者たちはそれをこれからもずっと利用し続けるつもりだからだ。数千年、或いは数万年に続く僕ら人類は科学技術が激しく進歩してきたけれども、攻撃性や残虐性、欺瞞や窃盗といった不正行為が改善してきたとは思えない。

人の命の重さだって、過去に比べて現在は重くなっていると果たして言い切れるのだろうか。

なんだか悲観的すぎる書きっぷりになってしまったが、本書で俯瞰される綿々と連なる血と暴力の歴史の河の流れとそれを生み出した人々に対する拭い去ることのできない激しい不信感からみればこれでもまだ全く不十分であろう。


 ベイルートの建物、いまもって西ベイルートと呼ばれている地区で、建物はほとんど一つ残らず被害を受けていた。損壊の仕方はさまざまだった。巨大な、無感動な、食い意地の張ったキング・コングが指で押し潰したミルフィユのようなもの。上の三、四階が非常にエレガントな襞に沿ってえもいわれぬ風情で傾き、建築のレバノン・ドレープとでもいうべきものになってしまったものなど。一つの面が無瑕の場合は裏に回ってみよう。他の面は皆銃撃を受けているはずだ。四面とも亀裂が見当たらない場合は、飛行機がまんなかに落とした爆弾、階井だったもの、エレベーターだったものを竪穴と化しているだろう。


本書は1982年9月15日、ベイルートのサブラとシャティーラにあったパレスチナ・キャンプで起こった虐殺事件を取り上げたものだ。

キャンプはイスラエル軍が包囲していたが、一説には軍の容認のもとにファランジスト、キリスト教マロン派の民兵がキャンプ内に侵入し三日三晩にわたって虐殺を続けた。犠牲者数は762人から3500人と言われている。

包囲していたイスラエル軍はそのような事実が進んでいることに全く気づいていなかったという立場をとっている。

しかし、現実にキャンプは軍の検問から40メートルも離れておらず、夜間は軍が照明弾をあげ続けており気付いていないなどあり得ない状況であった。

犠牲者の数が定まらないのはこの事態が明るみにでるやイスラエル軍が調査をすることもなく犠牲者たちもろともキャンプを埋めてしまったからだ。

ジュネはこのときこのキャンプのすぐそばにいた。そして記者を装い、いち早くこの現場に入り込んだ。結果、最も早く現地に入ったヨーロッパ人となった。

本書はその足を踏み入れた時のことをルポしたものだ。しかしそれはジュネがそれまでパレスチナの戦士たちとともに過ごしていた時間が昇華され息を呑む静謐さにあふれた文学小説ともなっているのでありました。

何が起こったのか。どうしてこのような事態となったのか。

そもそもレバノンではパレスチナ人とキリスト教マロン派の間で衝突を繰り返していた。駐英大使に対するPLOのテロへの報復と、PLO撤退を名目にイスラエルが越境して侵攻する「ガリラヤの平和」作戦が発動された。


 1982年6月6日、イスラエル国防軍は数年来占拠していたレバノン南部から、激しい空爆とともにベイルートに向けて進軍を開始した。「ガリラヤの平和」作戦の始まりである。以後三ヶ月、イスラエル軍包囲下で、パレスチナ解放機構(PLO)とレバノン左派勢力による首都防衛の闘いが続く、8月18日、アメリカの調停によりようやく停戦が成立し、米、仏、伊三国から派遣多国籍兵力引き渡し軍の監視のもと、PLOの戦闘員は海から、さらなる離散の地、シリア、ヨルダン、イラク、南北イエメン、スーダン、チュニジアに旅立っていった。


8月停戦とそれに引き続き大統領選挙が行われ、イスラム教左派の反対を押し切りキリスト教マロン派の指導者、バシール・ジュマイエルが新しい大統領に選出された。

委任期間がまだ終わらない9月13日、米、仏、伊三国からの派遣多国籍兵力引き渡し軍はあわただしくベイルートを離れいく。

そしてその翌日の9月14日、このバシール・ジュマイエルは党本部の爆破テロによって暗殺。


 イスラエル軍は協定を破り、ただちに西ベイルートに進駐し、パレスチナ・キャンプを包囲する。口実は虐殺を阻止すること、実際に行ったことは、ジュマイエル配下のキリスト教右派民兵を、壁に記された「MP(meeting place)」という暗号で誘導し、「残存テロリスト」掃討の名目でキャンプに入れることだった。虐殺は起き、イスラエル軍監視下で三日三晩続いた。18日土曜日の午後、虐殺が止んでまもなく事実は知られ、「サブラ・シャティーラ」の名は世界を駆け巡った。


この民兵を率いていたのはエリ・ホベイカ。レバノン民兵軍の諜報主任だった。一方でパレスチナ・キャンプを包囲していたイスラエル軍の国防相はアリエル・シャロンであった。

なぜ委任期間が終わらないうちに多国籍軍が引き上げたのか。ジュマイエルを暗殺した犯人は誰なのか、サブラ・シャティーラの虐殺事件にイスラエル軍はどこまで関与していたのか。そして後年ベルギーでパレスチナ人を原告とするシャロンを告訴の動きが起こる。ホベイカはこの頃反イスラエルに転じており法廷での証言の意向を表明していた。その直後の2002年1月、ホベイカは自分の車に仕掛けられた爆弾により暗殺されてしまう。結果この事件は調査が進まず全くの闇のなかなのである。

イスラエル軍人が使う俗語にシン・ギメル(門番の意。Shomer Gaderのヘブライ語の頭文字、Shin-gimel)という言葉があるという。このシン・ギメルとは、地位の高い者の都合が悪いときに立場の弱い者のせいにして責任をなすりつけることを意味するのだという。

サブラ・シャティーラ事件で責任を擦り付けられたのはエリ・ホベイカ一人だったのだろうか。シャロンは後に国会で「イスラエル軍の手は汚れていない」と発言したらしい。しかし、時の首相であったメナヘム・ベギンもまた1948年の第一次中東戦争において、デイル・ヤシーン事件などパレスチナ人の虐殺を行っており「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と公言していた人物なのでありました。

勿論イスラエル側にも言い分があるのだろう。きっと。しかしそれにしても今のこの結果を見れば「やられたからやり返した」的な言い訳が通用する程公平な結果になっているとは間違っても言えない状況なのは明らかであろう。

そしてジュネ。僕はこのジュネに本書ではじめてであった。そしてどんな人かいろいろ調べてみた。ここで僕がまとめるよりも松岡正剛氏の千夜千冊にある「泥棒日記」を拝読する方が何倍も分かるだろう。ジュネとはつまりこうした人なのでありました。

http://1000ya.isis.ne.jp/0346.html


松岡氏の文章を読むと体制に背を向け、犯罪者であり続けることに自らの本分を見出してすらいたらしいジュネは、ブラック・パンサーに次いで、パレスチナのフェダイーンの死を恐れない、自らの身体をその信念のためにためらいなく差し出そうとするその生き様に儚い美を見出した。ジュネがあのとき、あの場所にいた意味もおほろげではありますが、なんとなく見えてくるのでありました。


僕らが本当に何が起こったのかを知ることはおそらくないだろう。しかし、推測することはできる。そしてこんな風に進んでいく世の中なんて決して望んでいない人が一人でも多くなっていくことできっとやつらが動きにくい世の中へと変えていくことができるだろうと期待したいのであります。

「恋する虜」のレビューはこちら>>


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マヨラナ-消えた天才物理学者を追う
(A Brilliant Darkness:
The Extraordinary Life and Disappearance of Ettore Majorana, the Troubled Genius of the Nuclear Age)」
ジョアオ・マゲイジョ(Joao Magueijo)

2013/07/07:皆さんはエットーレ・マヨラナ(Ettore Majorana)ご存知だったろうか。僕は全然知らなかった。マヨラナなんて苗字はどこの国の人の名前なのかすら想像がつかない。マヨラナ家はイタリアで代々政治家などを輩出する名家でかなりの資産家なのだそうだ。
名門で裕福な家柄に育ちやがては天才物理学者と呼ばれるまでになった人物だが、このマヨラナという名前は物理学の読み物で目にした記憶がない。どんな人物でその業績とはどんなものがあったのだろう。

また彼は1938年、不可解な行動と手紙を残し忽然と姿を消したという。最後に目撃されたパレルモからナポリへ航海する汽船から身を投じたことが窺えるが、その一方でその後の彼の目撃情報が続き、名を変えて修道院に入り修行僧となった、世捨て人となりどこかの街で浮浪者として暮らしている、シチリアに渡り農夫として暮している、ブエノスアイレスに流れて行った、UFOに誘拐された、研究の末についに時空を超えて違う次元へ向ったなんていう話が噂されているのだという。

それは彼の失踪があまりにも唐突で、直前に彼が行ったこと、または行わなかったこと、そして彼が大学や家族に残した不可解な手紙が余りにも人びとの想像力をひきつけるものがあったからなのだろう。イタリアでは小説や映画そして漫画になったりして彼の物語はかなり有名で、真摯な内容のものもあれば上記の噂話や陰謀論などの派生系を踏襲したようなものまで様々なようだ。

そんなエットーレ・マヨラナの生涯とその謎に挑もうというのが同じく物理学者でもあるジョアオ・マケイジョ(Joao Magueijo)だ。1968年生まれポルトガル人のマケイジョは自著『光速より速い光 ~アインシュタインに挑む若き科学者の物語』にもある通り、VSL理論、初期の宇宙では光の進む速度が今よりもずっと早かったとする考え方で現代物理学界に殴りこみをかけるかのような挑戦を試みている人物だ。

僕はこの前著を読んでマケイジョの応援団に加わった。そんな彼の新作だということなので一も二もなく飛びついたという訳なのだった。VSLのその後がどうなっているのか是非知りたいところではある訳だが、どうもそれとは全く関係がなさそうなこの訊いたこともないイタリアの物理学者の本。どんな本なんだろうかと少し怪訝な気配があったのも事実でした。

しかし、これが面白い。

現代の基準で云えば虐待とも捉えかねないような子供の頃からの厳しい英才教育によってその才能に磨きがかかった一方で過干渉支配的な母親との確執。

彼はフェルミやディラックなど後世に残る物理学者たちを向こうにまわし地団太を踏ませるような才能を顕にし、何度も彼らをあっと言わせるような発見を成す一方、名誉などいらぬとばかりに論文を著さないマヨラナの孤立。

焼かれた赤ん坊。父の死。そして掴みどころの乏しいニュートリノ。


 エットーレは奇妙だった。ニュートリノはエットーレの魂の友である。ゆえに、ニュートリノは奇妙である。安っぽい三段論法だが、真実である。ニュートリノは本当に奇妙なのだ。


更にそこにナチスとファシズムの波が覆いかぶさってくる。
あまりにも生きるのに不器用なエットーレは彼をとりまく世界から消えることを選んでいくのだった。あまりに見事な構成に夢中になって読みました。
見ず知らずのエットーレが、そして厄介なフェルミが活き活きと蘇ってくる。
目次
第1部 異端審問所長?1906年?1938年
第01章 エトネーア通り二五一番地の屋根裏部屋
第02章 核危機
第03章 若き日のフランケンシュタイン
第04章 正体をあらわしたポルターガイスト
第05章 パンと精子
第06章 強い相互作用
第07章 エットーレ・マヨラナに会う
第08章 男の子はどこまでも男の子
第09章 トランシルヴァニアから来たニュートリノ
第10章 敗者への頌歌
第11章 生成と消滅
第12章 毒蛇の卵
第13章 エットーレの未完成交響曲
第14章 ゆりかごを揺らす手
第15章 星の崩壊
第16章 アーティチョーク
第17章 そのころパニスベルナ通りでは
第18章 パニスベルナ通りの夕暮れ
第19章 エットーレのニュートリノ
第20章 嵐の前の静けさ
第21章 捜索隊
第2部 暗黒物質?1938年?
第22章 道化師たち
第23章 ピランデッロ間奏曲
第24章 アルゼンチンよ、泣かないで
第25章 太陽は病んでいるか
第26章 獣の刻印
第27章 商標(エットーレ・マヨラナ)
第28章 沈黙の誓い

エピローグ 地中海のクジラ


 現代の素粒子物理学は、いわゆる標準モデルを基盤としているが、これが輝かしいまでに煩雑なモデルだ。12種類の基本粒子が物質を構成し、また別の4種類の粒子が力を伝えて物体間の相互作用を仲介し、さらに、一種類の「補助」粒子がおまけとして投入されるが、これでもまだ重力は説明されない。電子とニュートリノは、もう二種類の同じような、しかしずっと質量の大きい粒子族である。ミュー粒子とタウ粒子、およびそれぞれのニュートリノとともに、レプトンと呼ばれている。陽子や中性子ももはや基本粒子ではなく、実は二種類の「クォーク」から成り立っていることがわかっている。これだけでも十分に多いのに、さらに4種類のクォークが発見された。フェルミの「弱い力」はWボソンとZボソンによって伝えられることがわかっており、一方、光と電磁の相互作用は光子によって伝達されている。エットーレとハイゼンベルクの「強い核力」は、グルーオンによって仲介される。そして粒子に質量を与えるためには、もしこの枠組みが正しければ、ヒッグス粒子が必要になるとされている。


家庭でも大学でも不器用で予測のつかない行動をとるエットーレはあちこちで摩擦を生む一方で、当時は誰も思い浮かべることすら難しいような時空における量子の振る舞いが理解できていたのではないだろうか。

彼の最期の年月に書かれた論文はあまりにも時代を先んじていたとマケイジョは述べている。このエットーレの論文を基礎に現代物理学を定義しなおすことで上述のような混乱の極みをみせている量子の世界をもっとシンプルで美しいものにすることができるのではないかまで示唆しているのでした。

これだから読書は辞められませんね。



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