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ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin)」
ニコラス・シェイクスピア(Nicholas Shakespeare )

2021/12/31:カドカワのものなんて金輪際観ない読まないと心に誓っていたのだが、「ブルース・チャトウィン」の自伝・・・。これを跨いで歩き過ぎてよいものなのだろうか。そしてこれがまた900ページ近い大著。この本、通勤電車で読めるのだろうか。折しもル・カレの遺作に加えて、コナリーの新作も出て年末年始に何を読むのか。三度逡巡するもどうしても読みたくて手にしました。そして猛然と読み進めてなんとか年内に読了できました。

チャトウィンが育った家にはボロボロになった小さな毛皮の端切れがあったという。なんでもこれは氷河に閉じ込められていたプロントザウルスのものなのだという。

発見したのは彼の叔父チャーリー・ミルワード。ミルワードは商船の船長であったがマゼラン海峡で船が沈没。たどり着いたプンタアレナスで船の修理工場を開き事故後故郷にかえることなくそこで生涯を閉じた。ある時氷河に閉じ込められたブロンドザウルスを発見したミルワードはそれを塩漬けにしてロンドンに送った。しかし到着した時には腐乱状態。結果ロンドンの博物館には骨格標本が納められ、僅かに残った毛皮がチャトウィンの家にあるという次第だ。

会ったこともなくどんな人物であったかすらもよくわからない叔父のことを知る人たちを訪ねるために南を目指してひたすら旅をする。「パタゴニア」は概ねそんな話だ。

「パタゴニア」は本当に大好きな一冊だ。無人島に持っていく本を選ぶとなればまずはこれを選ぶだろう。南をめざしてひたすら旅する茫漠たる旅情。行く先々で出会う愛すべき人々の生活・人生。旅の目的の一つでもある叔父の足跡。そしてプッチ・キャシディとサンダンス・キッド。どれもこれもすばらしい。ほのぐらい箱のなかでひっそりとそしてしっかりと輝く宝石のような逸話たち。

プッチ・キャシディとサンダンス・キッドは映画「明日に向かって撃て!」でポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じた二人で「壁の穴団」という武装強盗集団のリーダーである実在の人物だ。二人とともにいたエッタ・プレイスも奇妙な三人の関係も実話に基づくものなのだそうだ。

そして彼らを執拗に追うピンカートン探偵社も。史実としてはボリビアの軍隊に包囲され二人は激しい銃撃戦の末に死亡したことになっている。

しかし二人がアメリカにある親族の家を訪ねてきたとか、メキシコでパンチョ・ヴィラのために銃を運んでいたなど、たくさん噂が残っているだ。そして南に下るにしたがい彼らは武装強盗団の一味という犯罪者というよりも悪事をくびき弱きを助ける良きグリンコという伝説に置き換わっていくらしい。果たして二人を語る逸話はほんとうなのか単なる伝説なのか。チャトウィンは旅のもう一つの目的としてこの伝説を追うのである。

「明日に向かって撃て!」を初めて観たのは仙台の名画座という映画館だった。リバイバル上映を僕はお袋と二人で観に行った。夢中になって観ていた僕だったが、後半お袋はそっと席を立って外に出た。後で聞くと結末を知っていたので観るのが辛くなったのだという。実在の人物史実を基にしつつもスタイリッシュに創作されているしそもそも史実が本当なのかどうなのか。決して解けない謎に包まれている。この映画は僕の最も好きな映画となった。

「ソングライン」、「どうして僕はこんなところに」チャトウィンの本を読むという行為は人生の幸福だ。どうしたらこんな光景が描けるのか。チャトウィンはどうやって旅をしていたのだろうか。どうやって人々と出会っていたのか。どうしたらこんなお話を引き出せたのだろうか。どこでどうやって書いていたのか。そもそもチャトウィンはどんな人物だったのか。彼の本を読んでもちっともわからない。交友のあった人たちの本を読んでもわからない。ネットにもくわしい情報はない。  

はじめて読んだとき僕は彼の本に書いてあることがほんとうにあった話だと思っていた。しかし冷静に考える、ポール・セローの発言や他の情報を読み解いていくと彼の本は創作であるらしいことが分かってきた。事実を踏まえてお話を装飾し文芸作品に昇華させているわけだ。しかしだとしたらどこのどこからどこまでが本当でどこからが彼の創作なのだろう。チャトウィンの本はまるでスルメのように噛めば噛むほど味が出てくるのだ。

本書はチャトウィンの両親、祖父母、曾祖父にまで遡る、もちろんチャーリー・ミルワードも含む親戚筋たちの人柄や人生を、チャトウィンの旅、執筆活動、交友関係、結婚、病気、死。そして死後の出来事まで、どうやって調べたのか圧倒的な情報量を土台にしてチャトウィンの人柄を再構成するものとなっておりました。

そしてそこに浮かび上がってきた本人像は、まったく僕の想像とは異なる、そしておそらくだが、彼の本を読んだ誰しもが思い描いたものとも異なる人物でありました。極論を言えば「パタゴニア」を書いている人物像としてイメージされるものとは真逆に近いタイプなのではないだろうか。

静謐でゆっくりと流れる時間のなかでじっと人の話に耳を傾けるチャトウィンは現実には存在せず、あわただしく騒がしい喧噪の真っただ中で大勢の友人たちにのべつまくしたてるようにしゃべり続けるチャトウィンがいた。話すためには聞く必要があろうはずなのだが、「ずっと自分の話ばかりしている」人として登場してくるのである。

意外過ぎる。

執筆活動もまた僕の想像とは異なっていた。彼は定住を好まず、幅広い交友関係のつてを訪ねて居候しつつ間借りした部屋で本を書いていた。そして構想から執筆・推敲を延々と続ける遅筆な人で何年も書き足しては削り、削っては書き足して一冊の本を編み出していた。

彼の作品はまさに彼の創作活動の結果として生み出されていたものだったのである。どうしたらこんなあわただしくも派手な生活を送る傍らこのようなまるで時間が止まっているかのような光景を描き出す文章を編めたのだろうか。

とてつもなく広い交友関係と、男女を問わないめちゃくちゃな性的関係のなかを駆け抜けていくチャトウィンの姿もまた意外過ぎました。奥さんがいるのにだよ。そう実際のチャトウィンはいくつもの顔を持った人物なのでありました。そして現実と虚構の合間を生きていた。

そして闘病。死の影におびえ、自分自身をも欺いていく。チャトウィンがどんな人物であったのか。読み終えた今僕はますますわからなくなってしまいました。しかしたら彼自身も理解できてはいなかったのはないだろうかとすら思うのでありました。

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ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実
(Bloodlands:
Eastern Europe Between Hitler and Stalin)」
ティモシー スナイダー (Timothy Snyder)

2021/11/27:先日読んだ「知の巨人」というインタビュー集でティモシー・スナイダーのことを初めてしりました。ティモシー・スナイダーは1969年生まれ。イェール大学で東欧史を研究する教授。五か国語を話し、十か国語の言葉を読むことができるのだそうだ。それだけでもすごい人ですね。

スターリンとヒトラーが政権を握った1933年から45年までの12年間、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部にまたがる広大な地域で独ソ両国の大量殺人政策が重複して進められていた。スナイダーはその事実に着目し、この地域を流血地帯と名付けて調査を進めた。

東欧諸国の公文書館を訪ね歩き資料を収集して国境に分断されて埋もれていた歴史を掘り起こしたのである。 結果、この地で殺害された民間人の数はおよそ1400万人。従来ホロコーストとして知られていたユダヤ人虐殺の規模をはるかに上回るおびただしい人々が無残に虐殺されていたのである。

スナイダーによれば有名なアウシュヴィッツなどの収容所で死んだ人よりも収容所以外の場所で餓死や銃殺などの手段で亡くなった人の方が多かったのだという。

本書は2010年に出版されるや欧米で注目を浴び、数々のブック・オブ・ザ・イヤーを受賞、権威ある賞を12も受けたのだそうだ。日本で出版されたのは2015年。ヒトラー・ナチス政権にフォーカスしたものとなっていると思われる「ブラッドアース」など9冊ほどの著書が確認できるがその大部分が訳出され日本でも出版されておりました。 しかし僕は知らなかった。

二十世紀の半ば、ナチスとソ連の政権は、ヨーロッパの中央部でおよそ一四〇〇万人を殺害した。ブラッドランド 犠牲者が死亡した地域流血地帯――は、ポーランド中央部からウクライナ、ベラルーシ、バルト 諸国、ロシア西部へと広がっている。ナチスの国民社会主義とスターリニズムの強化が進められた時代(一九三三十三八)から、ポーランドの独ソ分割統治 (一九三九一四一)、独ソ戦争(一九四一一四五) までのあいだに、歴史上類を見ない集団暴力がこの地域を襲ったのである。ユダヤ人、ベラルーシ人、ウクライナ人、ポーランド人、ロシア人、バルト人など、おもに古くからこの地域に暮らしてきた人々が犠牲となった。一四〇〇万人が殺されたのは、ヒトラーとスターリンの双方が政権を握っていた一九三三年から四五年までのわずか一二年という短い期間のことだ。彼らの故郷が戦場となったこともあるが、ここで対象とする人々は、すべて戦争ではなく殺害政策の犠牲者である。第二次世界大戦は史上もっとも多くの死者を出した戦争だった。全世界で死亡した兵士のうち、ほぼ半数がこの流血地帯」で戦死しているが、一四〇〇万という人数には、こうした戦闘任務についていた兵士はひとりもふくまれていない。ほとんどが女性か子供か高齢者だった。誰も武器を持っておらず、多くの人が所持品や衣服を奪われた。


目次
序論ヒトラーとスターリン
第1章 ソ連の飢饉
第2章 階級テロル
第3章 民族テロル
第4章 モロトフ=リッベントロップのヨーロッパ
第5章 アポカリプスの経済学
第6章 最終解決
第7章 ホロコーストと報復と
第8章 ナチスの死の工場
第9章 抵抗の果てに
第10章 民族浄化
第11章 スターリニストの反ユダヤ主義
結論 人間性

なぜこのようなことができてしまったのか。誰も止められなかったのか。ヒトラーにせよ、スターリンにしてもどのような動機に基づきこのような蛮行に及んだのか。本書を読んでもなかなか理解できた気がしない。しかし事態がここまで大規模になった背景は本書を読んでかなり理解できたと思う。

ヒトラーもスターリンも自分たちが勝手に思い描いた社会を目指して強引にことを進めた。ヒトラーはゲルマン人の純血だったのかもしれない。スターリンは限りない共産主義への忠誠を誓った者たちだったのかもしれない祖国と国民以外を虫けらのごとくとらえていた。

そして自分たちの利害を最優先し国境を拡大しあった結果、ブラッドランドは独ソの力関係で双方が何度もその地を支配したである。そしてその都度、部外者、よそ者であった人たちは徹底的に蹂躙され殺戮されていったのである。

ヨーロッパで起きた大量殺人は、たいていホロコーストと結びつけられ、ホロコーストは、迅速な死の大量生産と理解される。だがこのイメージはあまりに単純ですっきりしすぎている。ドイツとソ 連の殺戮場で使われた殺害方法はむしろ原始的だった。一九三三年から四五年までのあいだに流血地帯で殺された一四〇〇万人の民間人と戦争捕虜は、食糧を絶たれたために亡くなっている。つまりヨーロッパ人が二十世紀の半ばに、恐るべき人数の同胞を餓死させたというわけだ。この殺害方法は、ホロコーストに次ぐ規模のふたつの大虐殺――スターリンが一九三〇年代に引き起こした飢饉とヒトラーが一九四〇年代はじめにソヴィエト人捕虜を餓死させたケース――でも選ばれた。現実でも想像上でも、もっとも多く使われた方法だった。さらにナチス政権は、一九四一年から四二年にかけての冬にスラヴ人とユダヤ人数千万人を餓死させる計画を立てていた。 餓死の次に多かったのが銃殺、次にガス殺が続く。一九三七年から三八年にかけて断行されたスタ リンの大テロルでは、七〇万人近いソヴィエト国民が銃殺された。ポーランドの独ソ分割統治の時代には、二〇万人前後のポーランド人が両国により銃殺された。ドイツが「報復」として死刑を宣告した三〇万人以上のベラルーシ人、ほぼ同数のポーランド人も、銃で殺されている。ホロコーストの犠牲となったユダヤ人の殺害手段は、銃殺とガス殺が半々であったと思われる。


「KGBの男」で描かれたアメリカの二重スパイとなったKGBの幹部オレーク・ゴルジエフスキーの父はNKVDで働いていた。「NKVDは常に正しい」というようなことをつぶやいたりするものの、NKVDやましてそのなかで自分自身がどんな仕事をしたのかについて家族はおこか誰にも決してしゃべることがなかったというようなことが書かれていた。

本書を読むと無慈悲、無感情に淡々と目標・ノルマ達成のために人々を銃殺したりしていくNKVDの様子が描かれ、それはたしかに祖国のためだったとは云えとても人にそのことを告白できるようなことではなかったことがわかる。 ドイツは敗戦国となりその所業が明らかになった。アウシュヴィッツなどの収容所にいた人々も突然の終戦で解放され、死なずに済んだ人々が語りだしたことで詳細が人々の目に触れられるようになっていった。

しかしソ連は冷戦時代に突入し鉄のカーテンの向こう側で口を閉ざし、ソ連国境内で起こったことは歴史から消し去られていたのである。 やはり繰り返し読者の頭に浮かぶ言葉は「なぜ」なのかという問いではないだろうか。この時代日本も極右化し拡大路線で暴走しあちこちで非道なことを行っていたではないか。ドイツがヒトラーを支持して帝国主義に進み戦争へ突入していった背景と日本が戦争の道を選んだ事情はそれぞれ異なっている。

ソ連も同様にその国自体の事情や背景というものがあったろう。しかし、なぜ同じ時代に同時並行的にこのようなことが進んだのだろう。 これはあくまで僕個人の私見ですが、世界人口の急増が背景になっているのではないだろうかと感じています。 食糧事情やエネルギー供給、経済活動が人口増大と産業革命後の生産性向上などとの間でバランスを欠き、作っても売れない。作りたくても原材料がない。経済が急減速。国の外に解決手段を見出さずにはいられない事情が生まれたとみることができるのではないかなどと考える今日この頃であります。

「暴政」のレビューはこちら>>

「ブラッドランド」のレビューはこちら>>


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パンデミック以後 米中衝突と日本の最終選択
エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd)

2021/10/24:読んでいる最中に文脈を見失いがちと思っていたら、この本タイトルが良くない。「パンデミック以後」今まさにコロナ禍がピークアウトしつつある状況でトッドがどんな世界観を描いているのかとつい連想してしまったのだけど、そこまでパンデミック以後に軸足を置いた本ではありませんでした。2018年7月から2021年1月にかけて6回に分けて行われたインタビューで具体的には以下のようなものでありました。

【1】 トランプ政権が意味したこと
2021/1/11「AERA」聞き手大野博人

――民主主義に対する本当の脅威を見過ごしてはいけない

トランプ氏は重要な大統領だった/時代が求めた「逸脱した」人物
「上品な」装いのトランプ政策を/経済から離れてしまった民主党の主張
まちがった意識、迷走する意識「/トランプ排除」は政策にならない
分断を進めたのはトランプ氏か?/中国の脅威を暴いたコロナ禍
米国はロシアを中国から引き離せ/問題解決能力がないのに力を増す「国家」
悲劇のように語られた喜劇

【2】 新型コロナ禍の国家と社会
2020/8/17「AERA」聞き手大野博人

――中流階級の転落が人々の社会への認識を変えるだろう
国民国家システムが勝利したわけではない/中間層も転落
ジレジョーヌ(黄色いベスト)運動は再統合への始まり/人口問題についての日本の「幻想」
中国は危ない国になっている「/能動的な」帰属意識/米中争覇は悪いことではない

【3】 新型コロナは「戦争」ではなく「失敗」
2020/5/23「朝日新聞」聞き手高久潤
――グローバル化では命も生活も守れないことがはっきりした
パンデミックは不平等を加速させる/グローバル化で生活は守れない

【4】 不自由な自由貿易
2019/4/7「朝日新聞GLOBE」聞き手笠井哲也

――自由貿易の「自由」は、かつての奴隷制と関係がある
トランプの方が真実を語っていた/過度の自由貿易が社会を分断/
自由貿易は宗教に近い/保護主義が民主主義を取り戻す/WTOは保護主義移行機関に

【5】 冷戦終結30年
2019/11/8「論座」聞き手大野博人

――古い資本主義が世界を覆い、欧州は第三の自壊に向かう
ロシアは欧米に裏切られ、囲い込まれた/超大国は一つより二つの方がまし
東西ドイツ再統一で米国は欧州をコントロールする力を失った
欧州は両大戦に続く第三の自壊が起きている
共産主義崩壊で恐れるものが消え、古い資本主義が再登場

【6】 家族制度と移民
2018/7/18「朝日新聞」聞き手大野博人

――女性の労働環境整備と教育への投資を日本はすべきだ
日本は新自由主義に囚われている「/直系家族のゾンビ」
島国のアイデンティティー/移民の問題は男女の関係に似ている
問題は移民か経済か/移民を受け入れるためにも出生率の向上を

当時掲載されていた記事は断片に切り詰められていたところがあったので、今回本にまとめるにあたり語られていたことを大幅に追加したものになっているという。確かにコロナに関することも語られていましたが、コロナ禍そのものよりもこれによって浮き彫りになった国や社会の脆弱さであつたり、国の指導者の価値観であったり、といったものに主眼が置かれていたと思います。そしてコロナ関連のものとして、トランプ政権、トランプの話があり、EUや自由貿易によって広がった国内の格差や米中関係、ロシアの歴史的立ち位置の問題、日本も含めた各国の人口動態の話など広範なテーマが取り上げられていました。

なかでも特に興味深かった話としてトランプは何者であったのかという話。彼の政策はどんな意図があり、誰に利益・不利益をもたらそうとしていたのか。それに対してどのような人たちが支持・不支持していたのか。トッドが指摘しているのは、まずトランプがとろうとしていた、移民受け入れにブレーキを踏もうとする政策、保護主義に軸足を移そうとしていることについては理にかなっていたという点。

行き過ぎた自由市場主義により国内の雇用が破壊され格差が拡大しているアメリカにおいて移民にブレーキを踏み、保護主義により国内経済を守ろうとすることはかつての西欧社会がみんなやってきたことで、それで国力を育てた経験から行っても間違った選択ではないというのである。

そしてそれによって利益を享受できたはずなのは国内のアメリカ国籍を持つ弱者、黒人や白人貧困層だった。しかし、国民からトランプは人種差別主義者だと非難され、現実にバイデンとの選挙戦では黒人層の投票が民主党バイデンへ集まっていった。実際の利益を享受できたはずの黒人たちが反対の票を投じたというのである。

このような判断のよじれ、誤った意思決定によって問題が引き起こされたり悪化したりする事態は実際にあちこちあって、それは例えば、ロシアに対する欧米の向き合い方にもあるという。ソ連・共産主義体制は内部の問題によって自壊しある意味見事にその体制から抜け出した。しかし、それを欧米は自由市場主義が勝利したと解釈し、ロシアにネオリベラリズムの助言者を送りこむことでロシア国内に混乱を生み出し、最早敵視する必要がないロシアを囲い込んで敵対する構図を作り出しもしてしまった。

東西ドイツの統一について、イギリスもフランスも反対だったがアメリカに押し切られて成立したことだったが、第一次世界大戦前と同様ドイツの経済的発展が欧州の自壊を招いた構造と全く同じことが今EUで起こってしまっている。振り返ると冷戦終了後の30年間の世界の歴史は全く持って不条理で、もっとましなシナリオがあったはずだった。

そしてコロナについて、コロナは確かに大変な災いではあったけれども、世界の人口動態を大きく変えるほどのことではないという。ペストでは欧州の人口が3分の2になった。HIVではフランスで20年間に約4万人が亡くなった。しかしコロナで今回亡くなっている方の殆どが高齢者であり社会構造を決定付ける人口動態に新しい変化をもたらすものではない。医療機関の脆弱さや国内製造業の弱体化はコロナによって起こったのではなく、そもそもそれが自由市場主義の進展に伴い近年どんどん進んできてしまっていたものが露になったに過ぎない。パンデミックは予見できる事象であり本来我々はそれに備えておく必要があったのだ。

同様に日本で今すぐにでも実効性のある施策を進める必要があるものとは、何をさておき日本の人口動態危機についてである。これに対応するためには出生率の上昇と移民の受け入れの両方を同時並行で進める必要がある。日本にとって人口動態にまつわる問題に勝る問題はなく、これに本気で取り組んでいかないと日本の将来はない。かなり前から日本では人口動態に関する問題が議論されてきてはいるけれども、全く具体的な行動に移れていない。

日本は今や衆議院選挙に向かう大事な時期になっております。本書を読んで感じることは、自民党や所属する政治家の無能、無力を詰っている我々有権者の判断もまた不完全で矛盾をはらんでいるものになっているということだ。民主主義はこうした不完全で矛盾に満ちた集団である我々を支える政治手段である訳だが、これもトッドが本書で指摘しているように、完璧・完全な判断や意思決定というのは幻想で、不完全で矛盾していても、最悪ではない選択肢を選び続けていることができる民主主義について、それで満足し僕らは守っていかなければならないということだ。果たして次の選挙では最悪ではない意思決定を示せることを心から祈念したいと思います。

「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」のレビューはこちら>>

「デモクラシー以後」のレビューはこちら >>

「帝国以後」のレビューはこちら>>

「家族システムの起源こちら>>

「トッド 自身を語る」のレビューはこちら>>

「エマニュエル・トッドの思考地図」のレビューはこちら>>

「パンデミック以後」のレビューはこちら>>

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嘘と孤独とテクノロジー 知の巨人に聞く
吉成真由美

2021/10/14:よく内容もわからないまま読み始めてしまいました。だってなんといってもチョムスキーのインタビューが読めるのだ。あとで冷静に振り返ってみると本書は集英社の「知の巨人」という企画のなかで吉成真由美という方がインタビュアーになって各人に迫るという趣旨のもので、内容としては日本でしか読めないものになっているようでした。

吉成氏はサイエンスライターでマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)卒業(脳および認知科学学部)。ハーバード大学大学院修士課程修了(心理学部脳科学専攻)。元NHKディレクターという経歴の方ですが、旦那さんがなんとノーベル生理学・医学の受賞歴のある利根川進氏なんだと。

異論はあるかもしれませんが仮にも「知の巨人」と呼ばれるような面々とさしで向き合ってかなり鋭い質問をぶつけているこの方は一体何者?という驚きがじわじわと湧き上がる内容となった本でありました。なるほど普通の人じゃない訳だ。対峙している知の巨人たちに引けを取らない聡明さと知識が只者ではありませんでした。そしてチョムスキーと直接話ができたりしていることはとても羨ましい。僕なんかは英語すらしゃべれないのでどんなに逆立ちしても無理な訳ですが。

そして本書の根底にあるテーマは吉成氏によるあとがきにはっきり書かれていました。新聞やテレビなどの既存のメディアはファクトチェックなどによってできる限り正しい情報を配信するよう努力をしているが、インターネット上では嘘も垂れ流しになっている。プラットフォーム会社は嘘の情報が流れて拡散していくことに責任を取る必要がない。情報の正誤は個々のユーザーが自身の責任で騙されないようにしていかなければならない状態になっている。

こうしたことは誰にどのようなメリットがあるのか。それは一般市民が嘘に慣れてしまう。情報が信用できない状態に陥ると人は従順になり権威主義による支配を容易にしていく働きがあるのではないか。情報に対する不信は個人の孤立を生み、孤立は社会性、共存、互助といった能力や機能を衰退させさらに権威主義の支配を推進させてしまうのではないだろうか。テクノロジーの発展がこのような社会の変容の後押ししているようなことになりはしないのか。こうした問いに対して召喚される「知の巨人」たちはどのような考え方を披露してくれるのだろうか。

まさにここが本書の読みどころとなっているものになっておりました。 そして召喚されている「知の巨人」たちとは以下の面々でありました。

第1章 エドワード・O・ウィルソン(生物学者/昆虫学者)

人類は石器時代の感情と、神のようなテクノロジーを持っている

エドワード・O・ウィルソンはたまたま先日読んだ「アント・ワールド」の著者で90歳になんなんとするご老体でありながら今も現役で研究活動を続けている方です。真社会性生物の概念を生み出すなど核心的な研究が数多くあるようですが、本書ではジェイムズ・ワトソンと大喧嘩になった話やスティーブン・ジェイ・グールド、リチャード・ドーキンスと意見の食い違いで揉めた話なども飛び出しなかなかに面白い対話となっておりました。

ただ残念なのは本書のテーマからは逸脱ぎみで冒頭にこれが来ているが故に何の話だっけと若干なりました。改めて読み返すと、テクノロジーを種の多様性や環境維持、人類がどの程度の数で存在することで自然のバランスがとれるのか、100万年後にも地球の生物たちが共存共栄できるような方向に導いてくために使うべきだと至極真っ当なことを述べられておりました。

第2章 ティモシー・スナイダー(歴史家)

テクノロジーとロシアとファシズムの関係

ティモシー・スナイダーは「ブラッドランド」「ブラッドアース」などの著書において1400万人もの犠牲者をだしたホロコーストはドイツ人によってドイツ国内で行われただけではなく、ソ連のNKVDや、東欧で市民権を失い行き場を失った人々を地域住民が虐殺していたことを明らかにし世界中に衝撃を与えた。現在は情報寡占企業が支配するインターネットが、ファシズムや暴政の温床になりつつあることを指摘して警鐘を鳴らしているのだという。

ファシズムや全体主義、権威主義と戦うためには「我々VS彼ら」のような土俵に乗らないように注意をする必要がある。テクノロジーやサイエンスの力を活用して折り合えるところを模索することができなければならいない。「完璧に問題がない状態」は幻想でそんなものを目指すのではなく「良い不完全」な状態を許容し受け入れる倫理観が大切だと述べていました。これは今平行して読んでいるエマニュエル・トッドの「パンデミック以後」におけるご本人の発現にも通じるとても腹落ちする表現でした。

第3章 ダニエル・デネット(哲学者/認知科学者)

「意識」とは何か

ダニエル・C・デネットは「解明される意識」など人間の意識に関する重た目な本を何冊もだされている方でした。人間の言語習得の能力に関してチョムスキーの意見には反対の立場だとのことでしたが素人の我々にはその意見の相違に踏み込むことが難しい内容でした。ウィルスは生き物なのか、生きているといえるものとそうでないものの線引きにはどうしてもグレーゾーンがありそこを突き詰めようとしても無理がある。意識も同様ではっきりとあると言えるものもないと言えるものもあるけれどもグレーゾーンはあってそこは線をひこうにもひけないところだという。

進化の過程を振り返ると我々生物は「理解していないけれども能力がある」存在で、それが結局目標もないのに、ここまで到達できた。誰かがデザインしたり意図したりしている訳ではないのに進化して壁を乗り越えてきた。生物のこの能力は寧ろ人間が果たしうる能力を遥かに超えていると考えるべきだと述べていると思います。我々が自分たちで考えて生み出してきた「民主主義」や「法の支配」は脆弱であり、信頼は築くよりも壊す方が簡単であるが故に、我々はこうしたものを必死に守っていかねばならない。

第4章 スティーブン・ピンカー(認知心理学者)

サペレ・アウデー:新啓蒙主義

スティーブン・ピンカーは「暴力と人類史」、「21世紀の啓蒙」において人類がいかに暴力を減らし進歩してきたかを訴えている。なぜこのような本を書いたのか、何より近代は暴力が減少し平均寿命は過去最長に伸び、識字率も著しい向上を遂げたが、そうした事実を殆どの人が気づいていない。むしろ殺人事件などは近年増えてきていると感じている人の方が多い。どうしてそのようなマインドが醸成されてしまったのかについても踏み込みたかったと述べています。

そしてニュースは「事件」をカバーするが「トレンド」をカバーしない。事件のニュースばかりに目を奪われているとトレンドをみうしない、たとえば世の中がどんどん悪い方向へ進んでいると誤解してしまうようなことが起きてまうという。データに基づく「クリティカル思考」、すなわち誤謬や誤解を見通す力、物事の本質を深く掘り下げて真実を探っていく力、すなわち思考について思考する力を養うことが大切だと述べておりました。

第5章 ノーム・チョムスキー(言語学者/哲学者)

新自由主義(ネオリベラリズム)とファシズムの関係

ノーム・チョムスキーは、言語学者にして認知科学者であると同時に、歴史家ならびに政治活動家として地道な反戦運動も継続している、反骨精神あふれる、世界で最も信頼されている知識人の一人である。チョムスキーは新自由主義政策によって、 単に民営化が進んで富の格差が広がったのみならず、国家を借金漬けにしてしまうことで、国家破壊と西欧による支配を許すことになった結果、多くの人々の怒りや不満や恨みが、ナショナリズムや極右・極左政党の台頭につながってきたと言う。そしてファシズムは、その時代の最先端のテクノロジーを使ってプロバガンダを拡散させ、大衆扇動するが、現在ではそれがソーシャルメディアになるはずで、実際2018年のブラジル大統領選挙で起こった混乱と惨状は、世界中で起こる可能性があるとも指摘する。


2018年のブラジル大統領選?ジャイール・ボルソナーロ大統領のことでした。確かにコロナ禍を否定してマスクもせずに出てきて批判されたりしていたのは見かけたけれども・・・。本書を読むと大統領選で大規模なソーシャルメディアを使った大規模な嘘と中傷によって相手を悪者にする汚い手口で選挙に勝利した軍属での人で、国営帰還の民営化やアマゾンの森林破壊の推進など政敵を駆逐してやりたい放題をやっているらしい。

背後にいるのはシカゴ学派の男でミルトン・フリードマンの弟子にしてピノチェト軍治独裁政権時代にチリでオブザーバーみたいなことをやっていた奴だという念のいりよう。

選挙の際、チョムスキーはブラジルにいて人々は新聞やニュースを読まずソーシャルメディアに頼るばかりなのでやすやすとだまされてることを目の当たりにしたという。そして同様のことがどこの国でも起こる可能性があると感じたという訳だ。もちろん日本でも。

やはり驚かされるのはこうして進んでいる現実に僕らは全然気づかずに生活しているということだ。ピンカーは悪いニュースによって世の中が悪くなっていると感じてしまうことがあると言っていましたが、全く真逆に悪くなっていることもニュースにならないと僕らは事態に気づくこともできない。

ブラジルで起こってることはWIKIとかを調べればちゃんと書いてある・・・・。どうしたら僕らはこうしたことをきちんと知ることができるようになるのだろう。耳の痛い話ではあるが、チョムスキーは受動的で従順であるように訓練されていることが原因であり、人々が組織化することを阻害されてきた結果だという。細分化され孤立化され受動的に流れてくるニュースに囚われている状態である方が支配階級からすれば都合がよい。僕らは知らず知らずにそう仕向けられてきている結果なのだという訳だ。

インターネットの普及は確かにそうしたことに利用されてきたが、単なるテクノロジーである以上インターネットに問題がある訳ではなく、問題はその使い方。テクノロジーを使って積極的に活動を展開していくことで、こうした負の方向性を逆転させることができるのではないか。チョムスキーはそんな事を述べていました。

薄い小さな一冊の本でありましたが辛口で鋭い示唆に富んだ内容が凝縮された読み物になっておりました。

「我々はどのような生き物なのか」のレビューはこちら>>

「複雑化する世界単純化する欲望」のレビューはこちら>>

「チョムスキーが語る戦争のからくり」のレビューはこちら>>

「現代世界で起こったこと」のレビューはこちら>>

「グローバリズムは世界を破壊する」のレビューはこちら>>

「すばらしきアメリカ帝国」のレビューはこちら>>

「メディアとプロパガンダ」のレビューはこちら>>

「破綻するアメリカ 壊れゆく世界」のレビューはこちら>>

「チョムスキー、アメリカを叱る」のレビューはこちら>>

「9・11―アメリカに報復する資格はない!」のレビューはこちら>>

「「チョムスキーの「アナキズム論」」のレビューはこちら>>

「誰が世界を支配しているのか?」のレビューはこちら>>

「アント・ワールド」のレビューはこちら >>
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The Killer Inside Me
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