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地震以降、まだ呆然としたまま日々がただ移ろっていく感じがしております。帰省してみた地震の残した傷跡の大きさはまるで趣味の悪いSFパニック映画のCGのようで、正に目を疑うものでありました。この地震が起こした衝撃は今後もいろいろな形でこの世界を揺さぶってくることでありましょう。2011年度に入り僕が今参加しているプロジェクトもいよいよこの一年が正念場を迎えることになりますが、果たしてどんな一年間になるのでしょう。あまり遠くを見てふらつくよりもしっかりと地面を見据えて地道に一歩一歩着実に歩んでいけばきっと、この難関も歩きぬくことができると信じて、頑張っていきたいと思います。

世界経済を破綻させる23の嘘
(23 Things They Don't Tell You About Capitalism)」
ハジュン・チャン(Ha-Joon Chang)

2011/06/26:世界経済を破綻させるという23の嘘とは。でその事実は。まずは目次からご紹介しましょう。

<目次>

はじめに 経済の「常識」を疑ってみよう

第 1の嘘 市場は自由でないといけない
---だが真実は---自由市場なんて存在しない

第 2の嘘 株主の利益を第一に考えて企業経営せよ
---だが真実は---株主の利益を最優先する企業は発展しない

第 3の嘘 市場経済では誰もが能力に見合う賃金をもらえる
---だが真実は---富裕国の人々の大半は賃金をもらいすぎている

第 4の嘘 インターネットは世界を根本的に変えた
---だが真実は---洗濯機はインターネットよりも世界を変えた

第 5の嘘 市場がうまく動くのは人間が最悪(利己的)だからだ
---だが真実は---人間を最悪と考えれば最悪の結果しか得られない

第 6の嘘 インフレを抑えれば経済は安定し、成長する
---だが真実は---マクロ経済が安定しても世界経済は安定しなかった

第 7の嘘 途上国は自由市場・自由貿易によって富み栄える
---だが真実は---自由市場政策によって貧しい国が富むことはめったにない

第 8の嘘 資本にはもはや国籍はない
---だが真実は---資本にはいまなお国籍がある

第 9の嘘 世界は脱工業化時代に突入した
---だが真実は---脱工業化は神話であり幻想でしかない

第10の嘘 アメリカの生活水準は世界一である
---だが真実は---アメリカよりも生活水準が高い国はいくつもある

第11の嘘 アフリカは発展できない運命にある
---だが真実は---アフリカは政策を変えさえすれば発展できる

第12の嘘 政府が勝たせようとする企業や産業は敗北する
---だが真実は---政府は企業や産業を勝利へ導ける

第13の嘘 富者をさらに富ませれば他の者たちも潤う
---だが真実は---富は貧者にまでしたたり落ちない

第14の嘘 経営者への高額報酬は必要であり正当でもある
---だが真実は---アメリカの経営者の報酬はあきれるほど高額すぎる

第15の嘘 貧しい国が発展できないのは起業家精神の欠如のせいだ
---だが真実は---貧しい国の人々は富裕国の人々よりも企業家精神に富む

第16の嘘 すべては市場に任せるべきだ
---だが真実は---わたしたちは市場任せにできるほど利口ではない

第17の嘘 教育こそ繁栄の鍵だ
---だが真実は---教育の向上そのものが国を富ませることはない

第18の嘘 企業に自由にうあらせるのが国全体の経済にも良い
---だが真実は---企業の自由を制限するのが経済にも企業にも良い場合がある

第19の嘘 共産主義の崩壊とともに計画経済も消滅した
---だが真実は---わたしたちは今なお計画経済の世界に生きている

第20の嘘 今や努力すれば誰でも成功できる
---だが真実は---機会均等だからフェアとは限らない

第21の嘘 経済を発展させるには小さな政府のほうがよい
---だが真実は---大きな政府こそ経済を活性化できる

第22の嘘 金融市場の効率化こそが国に繁栄をもたらす
---だが真実は---金融市場の効率は良くするのではなく悪くしないといけない

第22の嘘 良い経済政策の導入には経済に関する深い知識が必要
---だが真実は---経済を成功させるのに優秀なエコノミストなど必要ない

むすび  世界経済はどう再建すればよいのか

嘘だとされているタイトルにあなたはどう反応されただろうか。そんなの常識だという方。素晴らしい。どうぞよろしくお願いします。既にそのように世界経済を理解されている方はあまり本書を読む意味はないでしょう。

一方で、タイトルを読んで「一体何を言ってんだ」と。ひょっとしたら気分を害されている方もいるかもしれません。そんなあなたはとてもお金持ちでしょうか?ものすごくお金持ちで、ひょっとしたら大企業の役員でかなり高額の役員報酬を受け取っている方だとしたら。やっぱりこの本を読む意味はないと思います。この本を読んで「そりゃそうだな」と思うとか、さらにはそう思って自分の行動を自ら変えられたりする訳がないからです。そのような層にいてこの「嘘」だと言われてるものを否定している人たちは、それこそ恐竜のように外的環境から滅ぶ以外にこの世から消えてなくなることはない。

「一体何を言ってんだ」と思いつつ自身それほどお金持ちでもなく、現在の生活や将来に漠然とした不安を持っていたり、或いは既にそうした不安の一部が現実のものになっているような方。そんな方は是非本書を手にしてみて欲しい。この本はへんてこな陰謀論でもないし、突飛な政治的信条を持った人の戯言でもない。

ハジュン・チャンはソウル大学を卒業後、ケンブリッジ大学で学び、現在はケンブリッジ大学で准教授として開発経済学を指導している他、世界銀行などの国際機関のコンサルタントを勤め、2005年には史上最年少で「レオンチェフ賞」を受賞した注目のエコノミスト。

本書の冒頭には親切にも読者が持っているあろう問題意識に合わせて本書の読み進み方が指南されている。そして僕達の側へいらっしゃい。


1 資本主義(資本精度経済)がどういうものかもよくわからなければ

1.2.5.8.13.16.19.20.22

2 政治は経済に無益と思っているなら

1.5.7.12.16.18.19.21.23

3 所得が上がりつづけ、技術が進歩しつづけているのに、自分の生活がよくなっているという実感を得られないのはなぜなのか、と思っているなら

2.4.6.8.9.10.17.18.22

4 金持ちになれるのは、他の人よりも有能で、教育があり、企業家精神に富んでいるからだと、思っているのなら

3.10.13.14.15.16.17.20.21

5 なぜ貧しい国は貧しいのか?どうすれば富める国になれるのか?それを知りたければ
3.6.7.8.9.10.11.12.15.17.23

6 世界はアンフェアな場所だが、それを正すことなどたいしてできない、と思っているのなら

1.2.3.4.5.11.13.14.15.20.21

7 最初から順番にすべて読む

3.11の東日本大震災では、東北地方の製造業も大打撃を受けた訳だが、その影響範囲は僕達東北出身者すらも驚くようなものがあった。店頭からビールが消えるかもしれないと。ビールメーカー問わずビール缶を作っていたのは仙台の工場だったのだ。納豆も消えた。発泡スチロールの容器を作っていたのも同じく東北の工場だったため、メーカー、銘柄を問わず納豆が出荷できなくなったのだ。

しかし、この製造業の被害による影響範囲はもっと大きかった。世界の半導体生産の5分の1は日本が造っており、その大半が東北に製造拠点があったのだ。国内半導体最大手、ルネサスエレクトロニクスは国内工場12カ所のうち、東北と関東の8カ所の操業が停止。富士通や東芝も複数の工場を停止した。この影響で、自動車メーカーやキャノンのデジタルカメラの生産ラインが停止した。影響は国外にも速やかに波及。「iPad(アイパッド)2」の半導体メモリー、ボルボのナビゲーションとエアコン、ゼネラル・モーターズ(GM)アーカンソー州マリオンにある日野自動車の製造工場等も日本から輸入されるギアなどの部品が急激に減っていることで操業停止、または停止が懸念されていると報じられた。

半導体の回路を焼き付けるステッパーは、3分の2がニコンかキャノン製。携帯端末やラップトップパソコンに使われる樹脂「BTレジン」の約90%、世界のコンピューターチップに使われるシリコンウェハーの60%は日本製。アップルやヒューレット・パッカード(HP)の小型マイクやメッキ素材、高性能機械、電子ディスプレイ、はたまたゴルフクラブやボーイングの新型旅客機の羽に使われる炭素繊維など、日本だけで作られているか、または主に日本で作られているものが実は非常に沢山あることが明らかになったのだ。

2008年の大統領選では候補のジョン・マケインがアップルのiPadやiPhoneが「米国内で製造されている」と発言嘲笑を浴びた。造っているのは中国だと。しかし実際には、中国は組み立てているというのが正しく、重要な部品を製造していたのは日本だったという訳だ。その脇で副大統領候補だったサラ・ペイリンはアフリカというのは一つの国だと思っていたらしい。こうした誤った世界観を持って政治・政策を取ったら世の中がうまくいく訳はないと思いませんか。と思うのであれば、政府の取る政策がうまくいけば経済は改善する可能性があるといえるのではないかと思いますが、これはやや揚げ足取りでした。失礼しました。

しかし日本が経験している高度経済成長は明らかに政治主導であった訳で、中国や東アジアの奇跡と呼ばれているものも、政治主導であり自由市場主義とは相反する考え方に基づき実現されてきたものだ。にも関わらず世界銀行やWTOが我々に強いてきてるのは自由市場主義そのものだ。

僕の考えでは彼らは自分たちに富を集中しその格差を更に拡大したいと考えている。貧困層、特に底辺の10億人とも云われる人々と富を分かち合う必要はないと思っているのではないかとすら感じる。

こうした潮流、世の中の趨勢を押し戻すために、著者が主張する「活動的経済市民権」を我々が行使していく必要がある。所謂富裕層ではない僕達がこの世界を変えていくには、きちんと現実を把握して地道に努力していくしかないのだ。

昨日ケーブルテレビで岡野工業の社長岡野雅行氏のインタビューを拝見した。岡野氏の話はいろいろ面白いのだけれど、「日本は町工場をもっと大切にしなきゃダメ」だと、大きな企業はアセンブリーをやっているのであって実際の製造業の技術は町工場にある。それは長年かけて培われたノウハウであって、理論や理屈じゃないと。そうした経験と技術と知識を得るには、大卒ではとても間に合わない。時間が足りない。中卒で仕事につくくらいでないと成熟した職人になれないのだと。

こうした技能が日本の製造業を支えていることは間違いない。日本はこうした技能を培う環境をずっとずっと抱えてきた。そしてこの技能の優位性こそ、日本の生きる道だと思う。そして東北地方の復興は、つまり日本経済の復興そのものなのだ。

「はしごを外せ」のレビューはこちら>>


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江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する
鈴木理生

2011/06/19:江戸前島という言葉を最近はよく目にし耳にもするようになってきたけれど、この江戸前島という言葉は極端な言論統制の下長く伏せられてきた言葉なのだという。大手町の将軍の首塚よりも西南を日比谷入江。この日比谷入江と新橋から浅草に向けて大きく開いた入間川の入江に挟まれた形で海にせり出していたのが江戸前島であった。

この江戸前島は家康が江戸入りする前は鎌倉円覚寺の所領であったという。円覚寺の命によりここを開拓していたのが太田道灌だった。家康はこの江戸前島を横領ともいえる手段で円覚寺から取り上げ、その事実を言論統制によって抹殺した。

というのが本書の切り込みである。こんな話きいたことある?


今年は娘が京都へ修学旅行へ行ってきた。三年前の息子に続いて娘が今度は娘。いつの間にそんな年になってしまったか。小学校のお泊りでは母親と離れて夜を過ごすのをとっても不安がっていたのだけれど、今回の旅行では振り返ることもなく出かけていって、とっても楽しんで帰ってきた。成長著しい娘の姿には安心感と同時に一抹の寂しさを覚えるのは親心というものなのだろう。

僕のカメラを持っていっていった先で撮ってきた写真のなかに仁和寺のものがあった。仁和寺は光孝天皇の勅願で建築がはじまり、落成は仁和四年(888年)室町時代に衰退した時期もあったようだが、徳川幕府には再び尊重され再整備が進み現在に至るお寺なのだそうだ。

このお寺には最古の日本地図「嘉元日本図」いわゆる行基図が所蔵されている。この嘉元日本図は嘉元三年(1305年)つまり鎌倉時代に作成されたものだ。771年には東海道の終点は武蔵であったこともあり、地図の概観はかなり正確なものだと見ることができる。その武蔵、下総・上総の場所をあらためるとその海岸線は大きく入り江のように後退していることがはっきりわかる。この頃の江戸はまだ海進期の影響をうけた状態だ。

大正二年(1913年)に鍛冶橋の架橋工事を行った際橋脚部分から人骨が沢山出てきたのだそうだ。この人骨、著者は鍛冶橋人と呼んでいるが室町時代の人たちだったという。彼らは何をしていたのか。この鍛冶橋がある場所で土木工事をやっていた人たちだったらしい。つまり江戸前島を開拓していたのだ。彼らは江戸氏に率いられていた人たちなのではないだろうか。江戸氏は源頼朝が鎌倉に進出してくる以前から江戸を治めていた氏族だ。江戸氏は皇居の本丸、二の丸周辺の台地城に居館を構えていた。

この江戸氏のことはいつかもっと調べてみたいと思っているのだがなかなか近寄れない。手がかりになるものがあまりうまく見つけられないのだ。本書ではこの江戸氏率いる人々は水軍の民であり、かつ鉱山・農地開発などの土木技術に加え、治金・加工更には海運をもこなすフロンティアな人々で熊野信仰だったとしている。

江戸川にある「おくまんだし」は江戸川沿いの熊野神社(おくまん様)の護岸のためにうがたれた「だし杭」のことだ。また江戸氏の勢力の東側には氷川神社を掲げてきた人々、そしてその更に東には香取神社を掲げて上陸してきたらしい人々が神社を建立しながら川を遡上していたらしいことが神社の分布をみると浮かび上がってくる。

彼らは間違いなく自分たちの故郷からその神々をつれて一緒に上陸してきたのだ。

本書ではまた石神井川の現在の石神井川と谷田川に飛鳥山付近で分流したのは江戸氏時代の人々による人為的なものだとしている。この瀬替えによって下流の沖積地の開拓が容易になったはずだというのが鈴木氏の主張なのだが、これはまだ定説にはなっていないようだ。

正嘉二年(1258年)飢饉が起こり、農業活動が壊滅状態となり、江戸前島は北条氏に寄進される。江戸氏も鎌倉幕府の御家人となった。円覚寺は北条氏得宗家より所領として江戸前島を授かった。つまり荒廃した江戸前島を立て直す仕事を任されたということなのだろう。

鎌倉円覚寺に所蔵されている文書を読み解くと、正和四年(1315)から、徳川家康が江戸入りをした天正十八年(1590)までの二七六年間は円覚寺領であったそうな。

江戸前島の抱える問題は河川の氾濫というよりも寧ろ安定した農作物を育てられる土地の拡大とそこから収穫される作物の効率的な輸送を実現することだった。そこで進められていったのは石神井川をはじめとする沢山の川の瀬替えだった。地形を読み適切な場所を掘割して川の流れを強引に変えることで河川の流域だった地域を農地に改革した訳だ。

太田道灌は円覚寺からその実現のために派遣された人物だったのである。彼は江戸氏の屋敷を江戸城として再構築した訳だが、それはあくまで自分の城として造ったのであって、その所領、実際には円覚寺のものだがを、平定するために土木工事を進め江戸前島を大きく改造していった。

道灌は江戸城を造ったことで有名だが、江戸前島はあくまで寺の荘園として中立的なスタンスを取ったものだったのではないだろうか。このあたりの本書の内容は僕にはちと難しくなかなか理解できないのだけれど、戦国時代に突入してもこの荘園的江戸前島は空白地帯として手付かずにおり、そのお陰で商業・流通の拠点としての市場としての役割を大きくし近隣の地域にとってもなくてはならない存在となったのではないだろうか。そして「金」や「富」が行き交う街としての江戸は市井の人々を集め活気溢れる城下町として命を吹き込まれていったのだと僕は読んだ。

そんな江戸前島だが、なんと家康の手によって横領ともいえる手段によって円覚寺から奪われることになる。当初寺の所領には手をつけないという覚書まで交わして江戸入りをした経緯があったのだが、中立政治的空白の期間に大きく成長した江戸の街は関東平定を進める上で取り込んでいかないことには前に進めないほどの規模と力を持ち始めていたのだろう。

裏でどんな取引が行われたのかは不明だが家康はこの覚書を反故にし、この覚書の存在も、円覚寺の所領であった事実も含めて言論統制をして世の中から葬ってしまったのだという。鈴木氏はその証拠を丹念に丹念に追っていく。ここではそのポイントすら押さえきれないものがある。正に濃厚で活き活きとした江戸の人々の営みが浮かび上がってくる。これは本当に誰も見たことがなかった幻の江戸の誕生前夜。そしてそれが今の東京を支えているのだ。すごい本があったものであります。

これでまた自転車の運河巡りが数段楽しくなったこと間違いなしです。


「江戸の橋」のレビューはこちら>>


「江戸の川・東京の川」のレビューはこちら>>


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サトリ (Satori)」
ドン・ウィンズロウ(Don Winslow)

2011/06/18:さてさてウィンズロウのファン。そしてかつてトレヴァニアンの「シブミ」に胸を躍らせた往年の海外ミステリーファンの衆目を集める「サトリ」であります。僕の人生の宝物のひとつである読書。そのなかでも至福のひと時なのはウィンズロウの本を読むこと。ちょっと大げさですが。

僕はウィンズロウ大ファンなのだが、トレヴァニアンは未読だった。「サトリ」だけ手をつけることも勿論可能だが、ここはやっぱりじっくり味わって楽しみたい。傑作の呼び声高い「シブミ」を受け継ぐものとしてどんな手を打ってきたのかしかと見極めたい。

ということで30年前に作為的に見送った「シブミ」にとりかかった訳です。その「シブミ」は中身もかなり独創的なのだが、物語の構造もかなり変わっていた。主人公のニコライ・ヘルは国籍も年齢も不詳な伝説の殺し屋だとされながら既に引退している人物。過去のしがらみからとある事件に彼は巻き込まれてしまうことで物語はスタートする。そもそもこの伝説の殺し屋とは一体何者なのか。「シブミ」は一気にヘルの少年時代へと遡る。1930年代の上海へ。

物語は、この少年時代のニコライと、現在進行形で進む事件の推移を平行して語っていく。よく出来ている。面白いのでぐいぐい読まされる訳だが若き日のニコライの物語は以外なところで切れてしまう。どこで切れるのか書いてしまうと、いやここまで書いてしまって既にネタバレしてるため非常に書きづらいのだが、肝心なことがわからないのだ。

現在進行形の物語の方は着地を見せるので読後感として違和感はないのだけれど、後はまあ、読者の想像力で埋めてくれといわんばかりの広大な空白が残るのだ。つまりニコライの人生のまんなか部分の大きな欠落。

そしていよいよ「サトリ」。勿論物語のスタートは巣鴨拘置所。拘束されたニコライはCIAの命を受ける。フランス人の武器商人の息子に偽装、中国からヴェトコンへの武器の売買を仲介するふりをして北京へ潜入。ロシアから顧問として中国入りしているKGBの将校ヴォロシェーニンという人物を暗殺せよというものだった。CIAは知る由もなかったが、ニコライはヴォロシェーニンのことを知っていた。ロシアから着の身着のまま上海に落ち延びた母の原因を作ったのは他でもないヴォロシェーニンだったのだ。

母の敵を討つ願ってもない機会を得たニコライはこの指名を受け入れ、フランス人になりすますべく東京の隠れ家で美しい女性ソランジュから手ほどきをうける。ニコライを拷問にかけたダイヤモンド少佐はこの作戦のことが迷惑だ。組織とは関係なく裏でインドシナととりおこなっている商売の邪魔になる可能性が大いにあるからだった。そして仮にそれがバレたら、厄介な事態になったでは済まされないことになる。そうなる前にニコライには消えてもらう必要があるのだった。

いつしか愛し合うようになっていくニコライとソランジュ。悪魔のような男ヴォロシェーニン。そしてCIAの作戦を筒抜けに見通している中国情報局などが入り乱れて波乱の物語が幕を開けていく。みごとだ。

中国が舞台となれば思い起こされるのは「仏陀の鏡への道」若き日のニコライはそのまま、ニール・ケアリーと重なる。「仏陀の鏡への道」はシリーズ中一番のお気に入りなのだけど、スケール、テンポ、展開、そして忘れられないキャラクターと手練手管を一段も二段もあげたウィンズロウに僕らはもううれしい悲鳴を上げて翻弄される以外にない。

そして「シブミ」の深謀を踏まえた、「サトリ」の設定。そんでもってこんな場所と時間で終わるのか!!
なんとまあ。完全にやられました。

翻訳が東江一紀さんでなかったのはちとびっくりでしたが、黒原敏行さんのウィンズロウも素晴らしかったです。まぁ東江さんだったらまんまニール・ケアリーになっちゃったかもしれないですもんね。

勿論「サトリ」単体で楽しむことは可能な内容になっておりますが、僕としては是非「シブミ」からじっくり取り掛かることをお勧めします。そんでもってみんなでこのハンカチ噛んじゃうような激しいじれったさを味わってじたばたしましょう。


「キング・オブ・クール」のレビューはこちら>>

「シブミ」のレビューはこちら>>

「フランキー・マシーンの冬」のレビューはこちら>>

「犬の力」のレビューはこちら>>

ニール・ケアリーシリーズのレビューはこちら>>

「夜明けのパトロール」のレビューはこちら>>

「野蛮なやつら」のレビューはこちら>>

「紳士の黙約」のレビューはこちら>>

「ザ・カルテルこちら>>

「報復」のレビューはこちら>>
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ブラックホーク・ダウン
(Black Hawk Down: A Story of Modern War)」
マーク・ボウデン (Mark Bowden)

2011/06/12:ウィリアム・G・ボイキン(William G. Boykin)を追っていたら本書にたどり着いた。映画では省略されていたボイキンに原作では触れられているのではないかと思ったが残念ながら見事に切除されていた。ウィリアム・F・ギャリソン(William F. Garrison)はこの事件の責を負って辞任したが、ボイキンはその後もとどまり、更には国防副次官補や国防次官代理という政府の要職を務めていった。当時の言動が明らかになるのは何かと都合が悪かったのだろう。想像するに事件の最中もソマリアのイスラム教徒たちを人としてみないようなキリスト教原理主義者的発言をのたまわっていたに違いない。

本書のタイトルは"Black Hawk Down: A Story of Modern War"つまり近代の戦争の姿だとしているが、これは戦争なのだろうか。この話はモガディシュの市街地から強硬派の要人を拉致するという作戦で、本来一時間足らずで完了するはずのものだった。それが一部降下地点の間違いなどで手間取り、RPGによって二機のヘリが撃墜され部隊は孤立。民兵・市民が入り乱れるなか15時間に及ぶ激しい市街戦となったものだ。この戦闘で18名の米兵が死亡。ソマリア民兵・市民は350名、一説には千名以上の死者がでたという。ソマリアの民兵は兵といっても制服もなければまともな訓練を受けたものはほとんどなく、Tシャツにジーンズ、なかには老人や5歳前後の子供も銃を手に戦っていたものたちだった。



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「ブラックホーク・ダウン」の映画を畏敬の念を持って観ている人たちがいて、彼らはどうやらこの映画から強いアメリカや仲間を見捨てないヒロイックさ、更には戦闘シーンがかっこいいみたいな部分に目を奪われてるみたいで、自分の価値観とあまりに徹底的に違うことに気づいてぶったまげた。これはまるで古臭い西部劇映画だろう。いや、むしろそんな価値観で物事を進めている人たちが現実にいるというところを理解すべきなのかもしれない。

ソマリアの海賊による事件が度々報道されている。アデン湾を行き来する商船を狙った海賊が横行する無政府状態の地。もともと魚を食べる習慣のないソマリアで輸出目的で漁業を営んでいた人々が海賊化してしまったという。ソマリアはなぜそのような状態に陥ってしまったのだろうか。

ソマリアは1886年に北部をイギリスが、1908年に南部をイタリアが領有し植民地時代の幕を開けた。1960年に独立し、南北を統合しソマリア共和国が発足された。初代の大統領はアデン・アブドラ・ウスマン(Aden Abdullah Osman Daar)。1967年には大統領選挙が行われ政権で首相を務めていたアブディラシッド・アリー・シェルマルケが第二代大統領となった。シェルマルケは首相就任から非同盟・中立の外交政策を掲げる穏健派であったものと思われる。しかし、1969年シェルマルケは旱魃にあった北部地方を視察しに行った先で護衛の警察官に暗殺されてしまう。

数日後軍によるクーデターが起こり、指導者であった少将モハメド・シアド・バーレ(Mohammed Siad Barre)が大統領の座につき軍部が実権を握った。バーレは国名をソマリア民主共和国に変更。翌年には社会主義国家を宣言、ソマリ社会主義革命党の一党独裁体制となった。クーデターの背景には、ソマリアにいる60を超える支族や血族集団による少数政党が跋扈し、縁故主義的な人事や汚職が蔓延していたことがあったようだ。バーレはこうした支族・血族関係を断ち切り、政治改革を推し進めようとした。

同時にバーレは大ソマリア主義を掲げアフリカ北東部のソマリ人居住地域を統合しようと近隣諸国のソマリ族の民族主義を煽っていく。そしてエチオピアとオガデン戦争が勃発する。オガデン戦争の舞台となった場所はソマリ族の暮らすエチオピアとの国境地域を跨ぐ中西部地域だ。このときのエチオピアはハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)を皇帝とする王政であった。大ソマリア主義は社会主義の拡大戦略としてエチオピアの王政転覆を目論んでいた訳だ。そしてエチオピアも旱魃と反政府勢力のクーデータにより社会主義国家へと移行していく。つまりは共産主義と資本主義の国々が城取りが目的で外部から介入していたという訳だ。

ソマリアは長期化したオガデン戦争に敗北、エチオピアから大量のソマリ族の難民が流入。バーレは当初目指した政治改革も思うように進まず次第に独裁色を強め暴君と化していった。そして国内の不満は高まり1982年に入ると反政府武装闘争が表面化、1991年には、統一ソマリア会議が首都を制圧バーレは追放。

更には統一ソマリア会議も暫定大統領となったアリ・マハディ・モハメド(Ali Mahdi Muhammad)とモハメッド・ファッラ・アイディード将軍(Mohamed Farrah Aidid)が内紛を起こすに及んで無政府状態となり、1991年12月モハメド暫定大統領は、国際連合に対しPKO部隊派遣を要請する事態となった。そしてここで大切なことは政府機能が最後まで残っていたのは他でもない首都モガディシュであったということだ。

モハメッド・ファッラ・アイディードは1934年生まれのハバー・ギディル氏族 (Habar Gidir)。ローマ・旧ソ連で教育を受け、イタリア統治下で植民地警察に勤務。バーレ政権下では将軍としてオガデン戦争に参加。情報機関の長官なども勤めた人物だ。十四人の子供は全員がアメリカに住んでおり、そのうちのひとり、フセインは、アメリカに帰化し、海兵隊予備役となり統合任務部隊の一員としてソマリアに来ていたりしているのだそうだ。

アイディードは元エジプトの外交官である国連のガリ事務総長、ブトロス・ブトロス=ガーリ(Boutros Boutros-Ghali)を長年の宿敵とみなし、ガリがソマリアのダロド族と手を結びアメリカ政府を唆して軍事力を行使させていると信じていたという。なぜ長年の宿敵なのか、ガリの信じるコプト正教会というのは中東の話題をたどっていると度々視線を横切る。イスラエルとの融和、イスラム主義への弾圧という文脈が含まれているのかもしれない。いつかちゃんと調べてみたい。ここでも、民族、宗教、政治的信条によって外部から支援介入が起こっていることは間違いなく、ソマリアの情勢は世界情勢を極端にデフォルメした姿なのだ。

1993年5月アイディードはこの国連に対し宣戦布告。国連軍に対する攻撃が激化。6月にはパキスタン兵24名が虐殺。1993年7月12日、業を煮やした平和維持軍は要人が集まるとの情報を元にアブディ・ハウスと呼ばれる一軒の家を急襲した。

 その日、第二次国連ソマリア活動(UNOSOM2)の最高責任者、元アメリカ海軍提督ジョナサン・ハウの和平提案にどう対処するかを話しあうために、指導者らは集まっていた。中年の男たちは、部屋の中央の敷物の上に座った。老人は、そのまわりら置かれた椅子やソファに腰掛けた。老人らのなかには、宗教指導者、もと判事、教授、詩人 のモアリム・ソーヤン、部族の最長老で90歳を超えているシーク・ハジ・モハメド・イマン・アデンがいた。

 彼らは、部族のなかでも最高の教育を受けたものばかりだった。ソマリアの秩序と政治体制が崩壊してからというもの、頭脳労働者のやるような仕事はほとんどない。だから、こういった会合は大きな行事であり、物事の方向性を論じるよい機会だった。アイディードは出席していない。数週間前に国連が彼の自宅を捜索し、屋敷内の建物の大半を破 壊して以来、地下に潜伏している。出席者のなかでケイブディドほか数名は、将軍と親密な強硬派の幹部で、その手は血に染まっている。パキスタン軍兵士の虐殺を含めて、国連部隊に対する攻撃を指揮したものも混じっている。出席者のなかには、自分たちは現実主義者だと考えている穏健派もいる。貧困にあえぐソマリアを統治するには、外国 と友好関係を結ばなければ無理だ。ババルギディル族は、だいたいが熱心な資本主義者である。ここにいるものの多くは実業家で、アメリカやヨーロッパの大国の国際援助や通商関係の再開を望んでいる。彼らは、議事を妨害するものに悩まされ、アイディードが国連を相手に行っているゲームがいよいよ危険なものになっていることを懸念している。現在のモガディシュは対決の気分が強く、彼らの意見はとうてい勝ち目がないが、和平交渉について話し合いたいと思ってアブディ・ハウスに来たものもいる。


要するに、この場所にいたのはアイディード派だけではなかったのである。

攻撃はヘリコプター部隊からTOWミサイルと機関砲によって行われ、建物にいた女子供を含む数十名が死亡。数百人が負傷した。またこの事件を取材しに行った西側ジャーナリスト4名はソマリ族の暴徒によって殺される事態となった。

アメリカ政府はアイディードを「戦争犯罪人」と呼び、賞金を賭けデルタフォースを投入して追跡を開始。アイディードは自宅が攻撃されたことを期に地下に潜伏し、その足取りが掴めなくなっていた。一方で無差別攻撃を行った平和維持軍、アメリカ軍に対するモガディシュの人々の怒りも頂点に達しつつあった。

1993年10月3日アメリカ軍は単独でアイディードの副官二人を拘束するため作戦を実行した。危険が伴うことは当然だが成功が確信された作戦であった。しかしアイディード派は地対地攻撃用のRPGをヘリに向ける方法を考案していたこと、周辺住民の怒りが沸騰していることは計算外のことであった。

投入された兵士たちは戦い方、兵器の使い方を徹底して訓練され鍛えられたものたちであったが、アメリカの片田舎からそれぞれの事情から入隊してきたものたちであり、基本的にソマリアの背景を殆ど何も知らない者たちなのだった。彼らは街自体が自分たちに襲い掛かってくるのをみて、全力で戦う以外にない状況へと一気に陥れられてしまう。しかも戦っている相手は実は殆どが一般市民のような人々で何に対して怒っているのか自体も理解できないまま夥しい血が流されることになっていく。なんとも救いのない殺し合いへと発展していったというものだった。

2006年、イスラム系の政府がモガディシュに樹立されたが、アメリカ・エチオピアが反対体制派と手を結び攻勢をかけ政府を打倒。以来まともな政府が機能する兆しは今のところない。アメリカ政府が国益優先の傲慢な行動をとり続けている限り市井の人々や最前線の兵士たちの血が流されることは決して止むことはないだろう。

胸の悪くなるような近代兵器によるこの殺し合いが現実のものであることを知る意味で、本書は是非知っておくべきものがあったと思います。


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生き残る判断 生き残れない行動
(The Unthinkable: Who Survives When Disaster Strikes - and Why)」
アマンダ・リプリー(Amanda Ripley)

2011/06/05:石巻市立大川小学校では8割の児童が津波に飲まれてしまった。避難誘導の立ち遅れがあったのではないか、逃げる方向に判断の間違いがあったのではないかということがニュースでも報じられ、先日は生還した児童がインタビューに答えていた。校庭に集合してから避難開始まで30分くらいの時間があったらしいこと。防災無線から「大きな津波がくる」ということが繰り返し流れていたこと。避難開始直後に津波が来襲。走り出したものの彼は波にさらわれ、それでもどうにか助け出されたのだという。当時の生々しい状況には息を呑む。

名取市閖上で自宅が流され家族を失った女性は貞山堀を津波が超えてくるなんてことは考えたこともなかったと言っていた。地震直後から仙台は停電。帰宅できずに友人宅で夜を過ごした彼女は自宅が被災していることすら知らずに家路についたのだそうだ。貞山堀の内側は安全だということは彼女ひとりの感覚ではなくおそらく地元の人たちの共通認識だったのだろう。


前々から気になっていた一冊。このタイトル、今このときに通り過ぎるのはなかなか難しい。会社の読書仲間の女性も是非と薦めてくれました。なにかの拍子に窮地に陥ってしまった場合に、このタイトルにあるようにどのように判断・行動することが生還に繋がるのか。それは是非現代社会に生きていく上で知っておくべきことなのではないだろうか。

9.11の事件があったとき自分が何をしていたのかをはっきり覚えている人が大勢いるのだそうだ。同様に大きな事件・事故に遭遇した人たちはそのときのことを鮮明に覚えていることが多いという。

2011年3月11日14時46分。東日本大震災。このとき僕は港区の会社の会議室で10人前後で打ち合わせをしていた。会議室の壁、これは建造物の壁ではなく、内装の壁なのだが、これが木と木が擦れあうような嫌な音をたて始めたので、会議室の扉を開け、更に揺れが強まったことから会議室からビルの入り口付近まで避難した。ビルの出口付近はこの建物の耐震補強されている鋼材が立っている場所なのでビル内でも一番安全だし、いざとなれば外に出ることも可能だったからだ。このときの地震は日本での観測史上最大のマグニチュード9.0。宮城県 : 栗原市(計測震度6.67)東京港区でも震度5弱。

この東日本大震災のときに僕の行動を支えていたものは、1978年の宮城県沖地震の際の経験と記憶だった。

1978年6月12日17時14分。平日の早い時間だったのにその日はたまたま家族全員が仙台市内にある家にいた。僕は中学の県体育大会で惨めに敗北し自宅に帰ったばかりで居間でやや呆然としていた。父は外で車の掃除。母は台所で夕飯の準備。弟は部屋で何かしていた。一度目にやや強い余震があった。僕の家は古くあとから二階を増築したため、大きな地震が来たらやばいだろうということは普段から繰り返し話題になっていた。しばらくして二度目の地震が揺れ始めた時、僕らは何も言わず家の外に出た。外に飛び出して振り返ってみた家は縦に跳ねるようにゆれ落ちるたびに壁が外側に大きく歪んでいるのがみえた。マグニチュード7.4。震度は5。僕達は言葉もなくその場に立ち竦んでその光景を見つめていたのだ。

3月11日の港区の揺れは以前経験した宮城県沖地震のときよりも間違いなく強かった。これ以上に揺れたらかなりやばいだろうというのが行動の起点となったと思う。

アマンダ・リプリーは、大事件・大惨事に人が陥ったとき、三つの生存への行程を経ていると分析していた。第一段階は「否認」自分が陥った状況そのものを否定してしまう。まさかそんなわけはない、とか自分だけは大丈夫だ。といった客観的にみれば理解不能な程盲目的な否定に走る場合もある。第二段階は「思考」状況を受け入れることができたら、次の段階では、その状況を打開する、または抜け出すためにはどうすべきかを考える。そして第三段階「決定的瞬間」状況を受け入れ、どう行動すべきか考え、そして最後は行動を起こす。大惨事はあっと言う間に自分たちの状況を一変させてしまう。こうした非常に圧縮された時間のなかで、具体的な行動に移っていくのだという。

「人生は融けた金属のごとくなって」
第1部 否認(立ち遅れ―北タワーでのぐずついた行動;リスク―ニューオーリンズにおける賭け)
第2部 思考(恐怖―人質の体と心;非常時の回復力―エルサレムで冷静さを保つ;集団思考―ビバリーヒルズ・サパークラブ火災でのそれぞれの役割)
第3部 決定的瞬間(パニック―聖地で殺到した群集;麻痺―フランス語の授業で死んだふりをする;英雄的行為―ポトマック川での自殺未遂)

本書は9.11、ハリケーン「カトリーナ」、ポトマック川旅客機墜落、スマトラ沖地震、また1994年のストニア号(EATNIA)の沈没など様々な大惨事のなかから生還したひとたちの判断・行動を分析し、どのような行動が生死を分けたのかについて深く掘り下げていく。

エストニア号からの生還については、ご本人ケント・ハールステットの「死の海からの生還」に詳しく語られていた。

「死の海からの生還 」のレビューはこちら>>

東日本大震災のときに被災地の人々が取った冷静な行動ぶりが日本人の美徳だというような報道が流れたりしていたけれど、9.11のときも、航空機事故の避難のケースでも大抵の場合どこの国でもどのような民族でも大きな違いはないそうだ。人は大抵非常に大きな事故や惨事を前に阿鼻叫喚することはなく、淡々としているものなのだそうだ。

勿論航空機の事故に代表されるように乗客として乗り込んだ一個人としてはどうしようもない状況はあるだろう。それでもその状況を受け入れ、分析し、できることを行うことで、生還率を向上させることができるのだという。逆に言えば、間違った判断や行動しないことが折角のチャンスを棒に振って命を落としていった人たちも大勢いるのだ。

ある航空機の事故では避難する際に、手荷物を持ち出そうとした人や、他の乗客と殴り合いの喧嘩をはじめた人たちのせいで後続の人たちが避難出来なくなり被害を拡大した例なども紹介されていた。

一方で、2007年バージニア工科大学で起こったアメリカ史上最悪の銃乱射事件の教室からたった一人生還したクレー・ヴァイオランドがとっさにとった「死んだふり」の行動や、ポトマック川に飛行機が墜落した場所にたまたま居合わせ、命綱を持って凍りつく川に飛び込んだロジャー・オリアン。9.11の際にワールド・トレードセンターから社員のほぼ全員を避難誘導させたモルガン・スタンレーの警備責任者リック・レスコラのようにとっさに取った行動が九死に一生を得たり、大勢の命を救うことに繋がる場合もあるのだ。

2011年5月27日、北海道占冠村のJR石勝線で、特急「スーパーおおぞら14号」が火災を起こしトンネル内で立ち往生した。車内では当初火事ではなく故障と受け止められたため、避難誘導が行われず乗客たちは自分たちの判断・自力で脱出することとなった。乗客・乗員248人のうち39人が負傷。この判断のお陰で幸いにも死者はでなかった。

災害や事故はいつ何時自分たちに降りかかってくるかわからない。いざそのような事態に陥ったときのためにも是非ご一読をお勧めいたします。


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黙示録の謎を解く―十字架刑後のイエス正伝 (Jesus of the Apocalypse : the life of Jesus after the crucifixion)」
バーバラ・シーリング(Barbara Thiering)

2011/06/04:学生の頃に出会った聖書の内容がところどころちぐはぐで一体何が書かれているのか、一般的に解釈されているキリストの奇跡や復活はどうしてこの文章から読み取れるとされているのかいまひとつ釈然としない思いを抱いた。

本書の著者バーバラ・シーリングの「イエスのミステリー」では、聖書に記述されている言葉はペシャルという技術によって暗号化されており、ダビデ家、つまり王家の血を引くイエスが旧約聖書で約束された千年王国の成就を迎えるべく行った宗教儀式や信者たちとのやり取り、そしてそれらによって現れた神の印を内部事情に通じペシャルを解読できる人にだけ伝わるように書かれたものだということが書かれていた。ペシャルの解読は近年発見され公開された「死海文書」を解読することで可能となった。ペシャルの技術を使えばそれが何時起こった出来事なのかもはっきりとわかるのだというのがスィーリングの洞察なのだ。

死者を蘇らせたり、湖の上を歩いたりといった事柄はその裏に隠された実際に起こった別のことを差しているという訳だ。そしてつまり史的イエスは実在したと。あくまで人間として。

また先日読んだ、シュロモー・サンドの「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」 では、現代の科学的考古学的見地からみると、紀元前10世紀にソロモン王が建設したとされている第一神殿とバビロン捕囚からの解放後の紀元前515年にゼルバベルの指揮でほぼ同じ場所に再建されたとされる第二神殿も単なる神話で実在した証拠は皆無なのだという。

さらには出エジプトの物語もそんなことが起こった痕跡は全くないという。この本では、ダビデ王の王家の血筋をはじめユダヤ民族自体の単一民族性そのものまでも根拠があいまいで後付されたものにすぎないという、ものすごい大きさで既成概念をぶった切ってきた。

そこでユダヤ民族の千年王国に戻るがそれはつまり、旧約聖書が書かれた時点から特定の集団の結束を強めるために意図的に描かれた幻影だったということだ。二千年前に時を移すと、イエスが生まれ育ったその頃は、旧約聖書が予言したその千年王国が成就するとされた時期であった。問題はそれがでは具体的に何時なのかということになるわけだが、うるう年やら0年をどう数えるかなど諸説あり、そうした前提から計算すると答えがいろいろ食い違ってしまう。

我こそはダビデ王の血を引く家柄であるとしたヤコブ=ヘリ、一方ローマ帝国は拡大路線の一環、東方戦略としてパレスチナ地方を併呑せんと圧力は日に日に増してきていた。そしてローマ帝国は多神教でありユダヤ民族の一神教とは基本的に相容れない深刻な食い違いがあった。

ヤコブ=ヘリはローマ帝国の傀儡となりつつも千年王国の成就とともに支従関係をひっくり返せると擦り寄ってきたヘロデ王、ヘロデ・アンティパスつまりアグリッパ1世、ヘロデ・アグリッパ1世と手を結んだのだという。彼らは他のユダヤ人と同様旧約聖書を歴史としても神の存在にしても頭から信じ切っており、近々迫る千年王国の成就についても全く疑いを持っていなかったのである。

一方でヤコブ=ヘリの息子ヨセフと婚約者マリアが正式な結婚をする前に身籠った。千年王国の初代王となるべきその孫こそイエスであった訳だが、その血統の正当性が危ぶまれた。ヤコブ=ヘリとヘロデは神殿の再建などの計画で意見が折り合わず袂を分かちやがては敵対するようになっていく。

そして成長したイエスはローマ帝国の文化の影響もあったろう旧弊なユダヤ人の価値観から脱皮したプログレッシブな考え方、つまり異邦人を信者として受け入れることを認める考え方を持ちはじめその点でもヘロデと徹底的に対立していくことになる。新約聖書に描かれているヘロデの幼児虐殺やヘロデが支持していた宗教的価値観に異を唱え、自分がユダヤ人の王であると宣言し、十字架にかけられていくといった出来事をひきおこして行く。

紀元33年3月イエスは十字架にかけられる。それは残忍な刑法だが受刑者が望めば自殺用の毒薬を飲むことができた。イエスは十字架上で「喉が渇いた」といいこの毒薬を飲み、十字架からおろされる。支援者の計らいで毒が回る前に大量のアロエを処方されたイエスは解毒し意識を回復したのだという。これが復活の真相だという訳だ。

漸く本書の内容にたどり着いた。このペシャルの技術を「黙示録」に適応したらどんな事実が浮かび上がってくるのだろうか、というのがこの本書のテーマとなっている。獣666、封印された七つの書。そしてハルマゲドン。今僕達が黙示録を読むとその内容は世界の終末は幻想的で不気味なイメージに満ち溢れているように見える。しかし当時の人たちにとってそれは不気味では済まされないものであったのではないだろうか。千年王国の到来を前に神の怒りによって世界は天が破れて未曾有の大災害に見舞われるといっているように読めたハズだからだ。

ここに読み解かれた出来事の数々はアグリッパ1世の死やローマの東方政策、ユダヤ戦争といった史実と平仄がとれているものになっているようだ。またイエス自身は、紀元70年ごろまで生きおそろくローマで死去したこと。そしてイエスには複数の子孫がおり、紀元114年には彼の権威を引き継ぐ4世の誕生をも読み取れるとしている。

スィーリングはこの黙示録もペシャルの技術をもって読み解くことで裏に潜んでいる歴史的事実を抽出することができるとしている。そしてそれに十字架から下ろされ蘇生した後のイエスの活動を明らかにしていると主張しているのだ。大変残念なのは前著を読んで臨んだ僕でも本書はその構成から非常に難解な上に、ヘロデをはじめアンティパル、マリアンメなど同名異人たちが目まぐるしく出入りするため、出来事を再構成するのが難しかった。


目次: 第1部 歴史
第1章 ヘロデからエフェソヘ―キリスト教会以前の教会組織と『ヨハネの黙示録』
 第2章 「玉座に座りし者」―神となりしヘロデ王
 第3章 子羊の結婚―イエスの王朝
 第4章 伝道師ミリアム―異邦人の洗礼者マリア
 第5章 獣666―反教父熱狂者(ゼロテ党)
 第6章 女人イゼベル―女祭司
 第7章 「わたしヨハネはあなたがたの兄弟」―エフェソの預言者たち
 第8章 黙示録の4人の騎士と4つの生き物―マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネ
 第9章 神の怒りのぶどう搾り桶―教会がローマに至るまでの道筋
 第10章 第2の死と火と硫黄の―ライバル修道院
 第11章 ハルマケドンAD70年のエルサレム陥落
 第12章 大淫婦の失墜―皇后になりそこねたユダヤ人の女
 第13章 紀元2000年への理由づけ―西暦が確立したわけ
第2部 インサイダーの基礎知識
 第1章 各党派の概観
 第2章 クムランから座聖堂へ―預言者が目の当たりにしたもの
 第3章 新しきエルサレム―教会の建て方
 第4章 各段階の体系
 第5章 日々のタイムテーブル
 第6章 神の時計を見る―時間の理論
第3部 用語集とベジェル
 用語集―特別な意味のリスト
 ペシェル続編パートA 『黙示録』第8章第6節~第14章第5節
       パートB 『黙示録』第1章第1節~第8章第5節
       パートC 『黙示録』第14章第6節~第19章第21節
       パートD 『黙示録』第20章~第22章
 BC41四一年からAD114年にかけての主なできごと
 ヘロデ家系図(本書の登場人物)
 BC1世紀・AD1世紀の地中海世界

当然だが、スィーリングの研究成果には批判が多い。その大半がキリスト教信者たちからであろうと考えれば逆説的に彼女の主張には一理も二理もあるのではないかと僕は思ってしまう。何より復活したイエスよりはアロエで蘇生したイエスの方があり得る訳で。少なくとも史的イエスの存在はあったろうと考える僕にとっては後者の方が信憑性が高いと思える。

また、あれから二千年。今もって宗教的対立によって血が流されている現代に目を向けるに、信仰や宗教の成してきた善の部分と意図しないものであったとしても悪、というか不幸な部分もやはり現実のものであり、それは両方ともきちんとみて評価する必要があると思う次第であります。
文明が進化し人口が拡大したことで僕達の地球は以前よりもずっとずっと小さくなってしまった訳で、宗教や信仰もその現状に合わせて改革が必要なのだろうと感じます。

そして本書ですが、もう少しわかり易かったらもっとよかったのになとつくづく残念。そして本書の内容にもっと深堀していける自分の時間があったらなとも。老後の楽しみにとっておくことにしますかね。


「イエスのミステリー(死海文書で謎を解く)」のレビューはこちら>>


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寄生虫のはなし わたしたちの近くにいる驚異の生き物たち
(The What's Eating You?: People and Parasites)」
ユージーン・H・カプラン(Eugene H. Kaplan)

2011/05/29:進化論をはじめ生物学にまつわる本も好きでちょこちょこと読みかじってきました。生き物の生活圏、生き方には目を見張る多様さがあり、驚かされることにつきることはないのではないだろうかとも思う。なかには相当おどろおどろしい手段や状況のなかで生きているものたちがいて肝をつぶすような記述に出会うこともしばしば。

進化論が与えてくれる生命が営んできたとどまることのない変化の積み重ねに心を遊ばせるのはすごく楽しいと思う。そしてまた、とんでもない生き方をしている生き物の話に仰天するというのも実は大好きだ。

そんな僕が言うのだから確度はかなり高いと思ってもらって大丈夫だと思う。本書はおどろおどろしさの点では第一級です。かなり自信があります。「ひぇー」とか「ぎょえー」とか言いながら本を読みたいと思うなら迷わず本書を。現実に存在する魑魅魍魎の猟奇的さ奇奇怪怪さは、下手なホラー小説を軽く凌駕しているのものがあると思います。

著者のユージーン・H・カプランはニューヨーク州ロングアイランドのホフストラ大学の名誉教授で、長年学生たちに寄生虫に関係する実地経験を伴う教育を行ってきた方なのだそうで、本書はその経験を生かし、様々な試験体から寄生虫を探し出してその生態に迫るという、臨場感に満ち満ちた内容になっております。

そもそも「寄生虫」という響きからしておどろおどろしい訳だが、「寄生」とは、共生の一形態。異種の生物が相互関係を持って同所的に生息することであって、拡大解釈をしていけば我々生物はすべて地球という同所に相互関係を持って生きているともいえ、ごく普通のあたりまえのことなのだ。

共生には、利害関係によって、相利共生、片利共生、片害共生、寄生の4つに分類されている。相利共生は互いの生物が利益を得ている関係、片利共生はどちらか片方が利益を得ている関係。片利共生には例えば、ヒトにつくニキビダニや腸内細菌がそうだとする説がある。

片害共生は片方が害を被るもの、そして寄生は片方が利益を相方が害を被る関係なのだという。この片害共生と寄生の違いは少々わかりにくいが、片方が利益を得ている場合は寄生で利益が生じていないものを片害共生としているのだそうだ。では具体例はということだがどうもしっくりくる例が探せませんでした。結局「寄生」と何が違うのかどうも僕にはよくわかりませんでした。

そしてその「寄生」だが利益を得ている側の生物を「寄生している」といい、不利益を被っている側を「宿主」と呼ぶ。寄生形態には更に様々な形態があり、宿主の外側につくのが外部寄生、体内に住み着くのが内部寄生。そしてなかには、傷口などから半分だけ入り込んでいるものや、寄生生物の内部に寄生する重複寄生などというヘンテコなやつらがいるのである。

外部寄生はノミやダニ、内部寄生の代表的な動物に扁形動物がいる。

扁形動物とは、プラナリア、ヒラムシ、コウガイビル、サナダムシなど、循環器官や呼吸器官を持った平らな形をした動物の総称だ。この扁形動物門のなかに吸虫綱というヘヴィなやつらがいる。

吸虫綱は単生亜綱(単生吸虫亜綱)と、二生亜綱(二生吸虫亜綱)に大別される。この二生亜綱(二生吸虫亜綱)は寄生虫のなかでもおどろおどろしさMAXなやつで、日本住血吸虫なんて名前を聞いただけで血の気が引くようなやつがおり、ひとつ以上の中間宿主を巡り卵 → ミラシジウム → スポロシスト → レジア → セルカリア → メタセルカリア → 成虫といった何段階かの変態を遂げるライフサイクルを営んでいる。そのおどろおどろしい生態はただただ驚くしかなく、僕は本書から思わずなんべんも手を離しそうになっちゃいました。

なかでもどびっくりなのは、ロイコクロリディウムという、カタツムリに寄生する吸虫の話だ。このロイコクロリディウムは成長過程で鳥の腸に移動する必要があるのだけど、そのために寄生したカタツムリの体内で触覚のところへ移動し、外見がまるでイモムシのように見えるように変化するのだ。鳥は遠目でこれをイモムシと勘違いして食べてしまう。食べられることでロイコクロリディウムはめでたく鳥の腸内に移動するという訳だ。「ロイコクロリディウム」を動画で検索すると実物もご覧いただくことが可能ですが、くれぐれも心臓が弱い方はご遠慮くださいというレベルものだ。本書は正に肝が冷える涼しさをたっぷりと堪能できる一冊でありました。


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シブミ(Shibumi)」
トレヴェニアン(Trevanian)

2011/05/22:ドン・ウィンズロウの新しい作品がトレヴァニアンの「シブミ」の続編だと聞いたときには、正直焦った。なぜなら僕は「シブミ」を読んでいなかったからだ。

「シブミ」が登場したのは1979年。今から32年前。僕が映画や海外ミステリ小説の世界に首まで浸かるような日々を送っていたときのことだ。トレヴァニアンのことが視界に入ってきたのは、映画「アイガー・サンクション」が最初だった。僕はこれロードショーで観た。覆面作家だといわれ、ベストセラーで、ついに映画化、なんて鳴り物入り的な宣伝だった訳で、監督・主演はクリント・イーストウッド。今でこそ、クリント・イーストウッドは監督として名声を得ているが、この映画は監督作品としては4本目。まだまだ名監督と呼ばれる気配が全くない頃の映画だった。

個人的には「サンダー・ボルト」のB級的なノリが好きで、それを期待して観にいった訳だけど、これが激しく裏切られた感じだった。当時のクリント・イーストウッドは全体的に大味で肉体派、武闘派的であって、ヨーロッパ的な香りがする話の展開や地味な駆け引きが全く不釣合いで、大味なんだけど地味。みたいな変な雰囲気の映画だったと思う。というかあまりにクリント・イーストウッドが「ダーティー・ハリー」や「サンダー・ボルト」の影を引きずっていたのがいけなかったのかもしれない。もちろんこれは30年以上も前の記憶で書いていますので、実際今この映画を観たらどんな風に見えるのか全く想像がつかないですけれど。

その後に現れた「シブミ」は当時結構評判になったりしていた訳だが、「アイガー・サンクション」で味わった幻滅を忘れられなかった上に、その主人公は日本的精神の至高の境地〈シブミ〉を学んだ暗殺者だという。なんだこの〈シブミ〉ってと。今でもそうなのだろうけど、日本文化は適当に解釈されて、ヘンテコなキャラクターとなって小説や映画に登場してくることがあって、日本人の読者はいきなりの冷や水にどびっくりしてしまうことがある訳だけども、この本、とっても僕には怪しく見えたという訳です。

二度も転ぶかと。

そんな形で見送った球であった、「シブミ」を我らがドン・ウィンズロウが引き継ぐことになろうとは。人生はわからないものだ。ドン・ウィンズロウの新作「サトリ」を読むためには「シブミ」を読まなければ始まらないのである。自分が本を読む量より読みたい本の山の大きさが増えていく方が早い場合、どうすればいいのだろうなんてことを真剣に考えているところにいっぺんにどんと二つも積んでるくるとは。ほんとありがたくて、涙が出てくるよ。

物語は、CIAとその上位組織であるマザー・カンパニーの責任者がローマ国際空港で起こった銃撃事件の映像を確認しいるところから始まる。過日、ローマ国際空港ではテル・アビブから到着した便から降りた二人の若者が入国手続きを終えた直後に、自動小銃を持った複数の東洋人に襲撃を受け射殺されるという事件が起こった。現場では多数の人間が巻き添えとなり、この東洋人たちも空港の警備員たちによってその場で射殺された。

襲われた若者は、ミュンヘンオリンピック開催中の1972年9月、パレスチナ武装組織「黒い九月」が起こしたイスラエルのアスリート11名殺害事件の報復のために、パレスチナの首謀者たちを暗殺するためにやってきた者たちつまりイスラエル側のテロリスト、襲撃した東洋人はCIA組織の日系の工作員。工作員はそれと知らず捨て駒として利用されたというものだった。CIAとそのマザーカンパニーがパレスチナの肩を持つような形で作戦を取っているのはアメリカが安定した石油供給を受けるための大事な取引であったらしい。CIA及びマザーカンパニーの解釈は、ちょっと死者が多目だったが作戦自体は成功だったというものだった。

映像の細部を確認するまでは。

コンピューターを使って現場にいた人物たちを一人ひとり特定していくと、イスラエルのテロリストの若者二人にはもう一人同行していたアナという若い女性がいた。完全な見落から標的になっていなかった彼女は現場から無傷で脱出。その行方を追わなければならなくなる。

彼女の人間関係と持っていた搭乗券の行き先等をコンピューターで検索して浮かび上がってきたのはニコライ・ヘルという人物だった。彼は国籍も年齢も不明な伝説の暗殺者だった。そしてアナは確かにニコライ・ヘルのもとへ向かっていた。襲撃計画を持って臨んだ行為が逆に襲撃を受けて壊滅、仲間を目の前で殺され逃げ場も失ったアナは父の旧友で確実に信頼できる人物だと教えられてきたニコライ・ヘルの元へ逃げ込もうとしていたのだった。

お話はここらで、一気にニコライ・ヘルが生まれた場所・時間に飛ぶ。1930年代の上海へ。なぜ彼が伝説の暗殺者と呼ばれるようになっていくのか、そして彼が会得したという「シブミ」とはどんなもので、どのような経緯があったのか、彼の生い立ちが徐々にあきらかになっていく。

彼は上海で日中戦争勃発を向かえ、中国政府がアメリカから供給を受けた爆撃機を使って行なった上海に対する無差別な爆撃で九死に一生を得、上海でめぐり合った岸川という将軍の援助を受けて東京で育てられる。ニコライは日本で東京大空襲、原爆投下と敗戦を経験。その後に起こる数々の出来事が彼を孤高の暗殺者と育て上げていく。

いやいや、完全に舐めていました。物語展開。ディテール。そして日本文化に対する造詣。そして何よりアメリカの商業的価値観を一刀両断するその切り口。トレヴァニアンは本書のなかで物語の骨子となるパレスチナに肩入れするアメリカの石油優先の行為からはじまり、単なる実験的興味から長崎にプルトニウム爆弾を落としたアメリカ政府の行為、アメリカ人の文化的価値観を痛烈に批判しており、この内容は30年前の本なのがちょっと信じられないのがあります。またどうしてこのような本がアメリカでベストセラーになったりしているのだろうかとか。ボルボに繰り返し蹴りを入れるところやセックスの秘儀みたいなところなど、ところとごろなんというか全体的なバランスを欠く、ニコライ・ヘルがというよりかトレヴァニアンのものだと思われる粘着質っぽさみたいなところがネチョーって出てくるところがややすわり心地が悪いとか、さすがに情報機器に関する描写は時代がかっているよなんていうアラもなくはないけれど、今読んでも殆ど陳腐化していないという点でも本当に見事な一冊でありました。

さて、ウィンズロウの「サトリ」ですがこちらはどうやら本書では駆け足で端折られているニコライがいよいよ暗殺者として踏み出す若き日々を描いたものになっている模様です。これはこれは。大変楽しみであります。


ドン・ウィンズロウの「サトリ」のレビューはこちら>>


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パブロを殺せ―
史上最悪の麻薬王VSコロンビア、アメリカ特殊部隊

(The True Story of Killing Pablo)」
マーク ボウデン(Mark Bowden)

20111/05/15:本書はコカインの密輸で巨万の富を得、またその為には旅客機に対する爆弾テロや政府要人暗殺など手段を選ばず非道の限りを行ったコロンビアのメデジン・カルテルのボスの一人パブロ・エスコバル(Pablo Emilio Escobar Gaviria)と、この男を追ったものたちの実話だ。

先日読んだ、「キングズ・オブ・コカイン―コロンビア・メデジン・カルテルの全貌」では、エスコバルが刑務所に収監されるところあたりで切れてしまっていた。本書はそのあとを継ぐものだ。エスコバルは刑務所をまるで我が城といわんばかりの贅沢な場所に模様替えしてのうのうと暮らしていたらしい上に、そこからやすやすと脱獄。アメリカ政府とコロンビア共和国の合同の捜査チームによる追跡をかわし、麻薬取引を続けるばかりか政府に対する反撃すら行っていたらしい事。最期はコロンビア治安部隊最隠れ家への急襲によって射殺されたという。

エスコバルは大統領候補であったルイス・カルロス・ガラン・サルミエント(Luis Carlos Galan Sarmiento)の暗殺をはじめ、政府要人を含め夥しい数の人々を暗殺やテロで殺し、大統領本人をも脅迫できるような富と権力を有していた。その背景には価値観や利害関係をエスコバルと共にする者達のネットワークがあり、そのつながりは軍や警察、政府の中枢にまで張り巡らされていた。麻薬取引によって生じる金の流れはあまりに莫大で、政治家も公務員たちも賄賂をはじめ広く深く腐敗していた。

コカインの国内流入拡大に憂慮したアメリカ政府はあの手この手でコロンビアに圧力を加えるが、政情不安が長期化したコロンビア政府には決定的な打開策を見出せずにいた。しかし、メデジン・カルテルが実行したアビアンカ航空の旅客機爆破が性質を変えた。

ジェラルド・フォード大統領政権が1974年に作った大統領令第12333号は暗殺を禁止するものだった。大統領令第12333号は次の通り。


第二部11条 暗殺の禁止
合衆国政府により雇用又はその代理で活動するいかなる者も、暗殺に従事、又はその従事を企ててはならない。

第二部12条 間接参加
情報共同体内のいかなる機関も、本命令により禁じられた活動に参加又はその実行をいかなる者にも要求してはならない。


アビアンカ航空機の爆破テロを期にときの大統領ブッシュⅠはこの大統領令に例外を作ることで、エスコバルをはじめとするメデジン・カルテルへ直接行動を起こせるように抜け道を作った。

大統領令第12333号をより明確にするための正式な覚書

大統領令第12333号およびその原型の法律の目的は、個々の職員あるいは機関が特定の海外の公職者に対して一方的な行動をとるのを防ぐことと、アメリカ合衆国が暗殺を国の施策の手段として認めないよう明確に規定することである。これは、アメリカ合衆国もしくはアメリカ国民の安全を脅かすと認められる脅威に対して、合法な自衛行動を選択することを規制するものではない。アメリカ合衆国の安全を脅かすおそれのある他国やゲリラ部隊やテロリストやそのほかの組織の軍事行動に対して米軍が使用された場合、国際連合憲章にのっとって軍を秘密裏に、あるいは目立たないように、または公然と使用するという大統領の決定は、暗殺とは見なされない。


よくわからないが、直接の脅威がある場合、その相手を殺すことは「暗殺」とは呼ばず、「軍事行動」というというと言っているように読める。ブッシュⅠつまりジョージ・H・W・ブッシュ(George H. W. Bush)はレーガン政権下の副大統領として、国家安全保障の一環で、麻薬の取締を指揮し、コロンビア政府の対応に砂を噛む思いをさせられていたのかもしれぬ。

メデジン・カルテルは航空機の爆破テロという暴挙によって一線を越えたという言い方もできるだろう。しかし同時にアメリカ政府も国益のために個人を排除するという禁じ手に手を染めるという意味で一線を越えたのである。

エスコバルはボスの一人ではあったが、すべての事件を実行した訳でもなければ出来事をすべてコントロールしていた訳でもなかったのだが、事件の構図はいつのまにかコロンビア政府・アメリカ政府対エスコバル個人の戦いとなってしまっていく。そしてエスコバルを捕らえる、排除することが目的にすりかえられ、エスコバルと同じく麻薬取引を行っていた犯罪者たちと司法取引に応じ、また手すら結び始めていってしまうのである。

エスコバルを追う作戦行動の背後にはデルタフォースが参加していた。隠れ家から発砲しながら屋根伝いに逃亡を試みたエスコバルは頭部を打ち抜かれる。撃ったのは誰なのかは未特定で、デルタフォースが遠隔地から狙撃したのではないかという説もあるらしい。というか状況からみて、まぐれあたりしたものでない限り、かなりの凄腕でないと出来ない離れ業だったのだ。

このデルタフォースの当時の司令官はウィリアム・F・ギャリソン(William F. Garrison)将軍、現地入りしたチームのリーダーは後に国防副次官補や国防次官代理を勤めるウィリアム・G・ボイキン(William G. Boykin)大佐であった。彼らはこの作戦行動の直前ソマリアのモガディシュで"Operation Gothic Serpent"を実行してきたばかりだ。この作戦ではブラックフォークが墜落。そうあの「ブラックホーク・ダウン」という映画になった事件だ。

映画では省略されている模様だがこのウィリアム・G・ボイキン(William G. Boykin)はモハメッド・ファッラ・アイディード(Mohamed Farrah Aidid)拉致の実行のミッション・コマンダーだった。彼の経歴をみると他にもイランアメリカ大使館人質事件、グレナダ侵攻、ノリエガの拘束と言ってみればアメリカ政府のならず者そのものの行動を具現化し続けていた男だ。ボイキンはキリスト教原理主義者として知られ、「アメリカの大統領は有権者でなく神が決めるのだ」とか、「イスラム教過激派は悪魔だ」等と云った物議を醸す発言を繰り返しているような人でもあるらしい。ボイキンがどんな人物なのかについてもとても気になる。彼の言動を俯瞰すると激しく不安を覚えずにはいられないからだ。

折りも、ウサマ・ビンラディンはパキスタンの隠れ家にアメリカ政府が誰の断りもなくネイビー・シールを突入させ抵抗らしい抵抗もなく、丸腰だった夫人の足を撃ち、同じく丸腰だったウサマ・ビンラディンの頭を撃って殺害した。ビンラディンの起こした同時多発テロなどの事件は、許されるべきものではないことに何の異論もない。しかし拘束して裁判にかける気はさらさらなかったことが明らかな今回の作戦行動には全く賛同できない。ここでもやはりここでもブッシュⅠが大統領令第12333号を骨抜きにした効果が見事に生かされているのがわかるだろう。

ビンラディンのアジト急襲のニュースを眺めていると、エスコバルの追跡劇との共通点がいくつも見えてくる。エスコバル後の世の中を振り返れば、アメリカ政府と南米との間での麻薬戦争は終息どころか拡大の傾向を続けていることから、今回のビンラディン殺害がアルカイダのテロ行為、中東情勢に何か平和的な前進を見せる余地はまるでないようだ。

アメリカに対するテロの脅威を低下させるためには、明らかにアメリカ政府が海外でとっている傲慢で無差別・無慈悲な国益優先の行動をやめることが第一なのに全く無視されているのと同様に、麻薬戦争の被害を低下させるためには、まず大消費国であるアメリカ国内の麻薬流通経路を徹底的に叩くべきなのだが、なぜかこの部分は無視されているように見える。

事件から二週間が経過し、パキスタン政府もようやく主権の侵害だなどと抗議をし始めているというニュースが流れてきている。だからといって何がどうなるものではないということはアメリカ政府もパキスタン政府もわかってやっているようなだし、日本のメディアもさほど興味はなくなってしまった感じだ。これはこうしたニュースを視聴している一般大衆の意識を反映したものになっているのかもしれない。政府機関の話の進め方も非常に気に入らないものがあるわけだが、こうしたことに何の反応も見せない大衆の反応も不気味なものがある。

これは福島原発のメルトダウンに関するニュースも同様だと思う。一貫してメルトダウンの可能性を否定していた東京電力と政府はここにきて複数の原子炉のメルトダウンを認める方向に突如方向を変えた。いくら注水してもあがらない水位をみれば「漏れている」のが当たり前だったわけだが、今更の開示に僕達は反応らしい反応が出来ずにいる。政府はこうした僕達の習性を読みきっていると考えるべきなのだろう。つまり僕らは飼い慣らされたペットなのだろう。


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爆撃(The Bomb)」
ハワード・ジン(Howard Zinn)

2011/05/06:長い間その行方を追われていたウサマ・ビンラディン容疑者は、2011年5月1日潜伏先のパキスタン郊外の町アボタバードの屋敷にアメリカの特殊部隊が突入し、その場で射殺された。オバマ大統領の指示よる作戦行動であり、ホワイトハウスでは大統領を含め閣僚がリアルタイムでこの作戦遂行の様子を注視していた。

オバマ大統領はこの件に関して、緊急の演説を行い、「アルカイダ撲滅を目指すわが国の取り組みにおける過去最大の成果」、「同容疑者の死は平和と人間の尊厳を信じるすべての人に歓迎されるだろう」とし、「正義が実った」と述べた。また今後ともテロとは戦い続けるとも宣言した。

あれから数日が経過しいろいろなことがわかってきた。まずパキスタン領内に数機のヘリが侵入して実施されたこの作戦について、パキスタン政府には事前の通達も承認も得られていないものだった。銃撃戦の末、女性を人間の盾に使って激しい抵抗をしたあげくの射殺だったという情報だったが、実際には寝室で一緒にいた女性は夫人で、特殊部隊に抵抗したことから足を撃たれ負傷。ビンラディンも本人も抵抗したものの丸腰であった。

特殊部隊がビンラディンの遺体を持って飛び去ったあとに残された複数の親族はパキスタン治安当局に拘束されているが、このなかには12歳の娘が含まれており、彼女はビンラディン側からは一切発砲はなく、ビンラディンは捕捉されたあとに家族の目の前で射殺されたと証言しているという。

アメリカのギャラップ社・USAトゥデー紙合同の世論調査は4日、ウサマ・ビンラディン容疑者殺害作戦を支持する人は93%。不支持は5%にすぎず、圧倒的に強い世論の賛同を得ていると報じた。

ウサマ・ビンラディンは9.11の同時多発テロを含む数々のテロ行為の首謀者とされる人物であり、僕個人として彼を支持するつもりなど毛ほども持ち合わせてはいない。しかし、今回のこのアメリカ政府のとった行動は以下の点で全く支持することができない。

先ず、当日の作戦行動の内容はどれがどこまで本当かわからないがカーニー米大統領報道官も公式に認めていることからほぼ間違いなく丸腰だったらしいこと。本人を捕捉して裁判にかけることは十分に出来たハズだが、今回の作戦にはそもそもそんなオプションが含まれていないことは明らかだ。ウサマ・ビンラディンの遺骸はヘリで北アラビア海上で待機していた空母カールビンソンに運び込まれ、DNA鑑定などの検査を済ませるとその場で水葬されたという。ここまですべてシナリオ通りだったのだろう。これはひらたく言えば処刑だ。確かに大勢の人の命を奪った男だ。しかし、踏み込んで丸腰の人間をその場で射殺するなどということは国家が行う行為として有り得ないことだ。

次に、パキスタン政府になんの断りもなく作戦行動を実施したこと。CIA長官のレオン・パネッタはパキスタンに事前に情報を流さなかったのは、漏洩の恐れがあったからだと述べている。どんな理由があれ他人の国に土足で入り込んで行っているこの行為はパキスタンの主権を侵害している事は明らかだ。このような行為が国際法上問題がないとするなら法律の方に問題があると思う。

この点に関してはアボタバードは軍事施設などもある街で、この街に長く潜伏していたというビンラディンの存在。ステルス機能を持っているらしいヘリだが、一機は故障を起こして墜落。その場で爆破処理までされている。40分程度だったといわれている作戦行動がパキスタン側に全く捕捉されていないというのは明らかに不自然な点は残る。

更にはCIA長官のレオン・パネッタはビンラディンの潜伏先の情報入手元として拘束中のテロリストを「水責め」にして得たものだと認めている。このテロリストはおそらく裁判にかけられることなく拘束されている者だと思われるが、一般的には捕虜であり、捕虜に拷問をしているという訳だ。こうした行為はジュネーヴ諸条約に反する行為なはずだ。

これらは絵空事や映画の世界でもなければ、前時代の出来事でもない。今この世の中で起こっていること。またそれを公に認めているアメリカ政府の傲慢さ。それを93%という数字で支持しているらしいアメリカ国民の心も全く信じられないことだと思う。

先ほどCNNでマイケル・ムーアが長いインタビューに答えていた。マイケル・ムーアは当然だがこの作戦を支持していなかった。しかし、どうみても旗色は悪い。「もはや自分は古いアメリカ人なのかもしれない」などという頼りのないことまで言っていたのにはショックだった。

日本政府も公式に今回の作戦行動とビンラディンの死を「良い事」として受け止めているとコメントをしており、振り返れば、天安門事件の時の民主化運動リーダーの1人、ウアルカイシが麻布の中国大使館に侵入しようとしたのを押しとどめたり、「金正男」らしき人物が日本にやってきてしまったときも、身元確認を敢えて行うことなく、送り返してしまったり、金大中がグランドパレスで謀殺を意図した韓国中央情報部 (KCIA)に 拉致されたときも、日本政府の対応は事なかれ的だったわけで、仮に今回の作戦行動が日本で行われていたとしても日本政府のコメントが大きく変わることはない気がする。

もはやアメリカの暴走を止めることも世界中で起こっている紛争の火の手も止めるすべは失われてしまったのかもしれぬ。


さて、ハワード・ジンの「爆撃」。シティ・ライツ出版社の編集者グレッグ・ルジェロ(Greg Ruggiero)が「刊行によせて」として短い文書を添えている。これをみると本書は原爆投下から65周年を記念して1995年に書かれた「ヒロシマ---沈黙をやぶる」に加えて、ハワード・ジン本人が爆撃に参加した「ロワイヤン爆撃」についての記事をあわせて出版するという企画だったそうだ。2009年12月に序文が書かれ本書は完成。その一ヵ月後にハワード・ジンは鬼籍に入った。


ロワイヤン爆撃とは、第二次世界大戦も大詰め、ドイツ降伏の三週間前の1945年4月半ば、フランス海岸部のリゾート地ロワイヤンに対して、1200機以上のアメリカの爆撃機からの最新鋭の爆弾であったナパーム弾および焼夷弾、2000ポンド炸裂弾を投下爆撃に加え地上軍からも攻撃を加えたものだ。当時このロワイヤンには強固なドイツ軍守備隊が抵抗していると伝えられていた。この攻撃により人口二万人ほどの街はこれによって完全に瓦解し、街に残っていた二千人ほどの住民たちの半数以上が死亡、数百人が負傷した。彼らはドイツ占領下のフランス国民、連合国側の一般市民であった。しかし彼らは事前の通告もなく突如飛来した爆撃機の落としたナパーム弾によって、生きたまま焼かれたのだ。

ハワード・ジンは終戦後、自分自身が行った爆撃の結果を知り衝撃を受ける。暴力に暴力を重ねることで生み出される悲惨な結果に強い憂慮を抱き、ヒロシマに対する原爆投下に代表される一般市民を巻き込む大量殺戮には一抹の正当性もないこと。戦争そのものを否定する反戦主義の歴史家として一生を送ることとなった。正に本書はその生涯を体現する一冊となっている。


 桑原千代子という73歳の被爆女性は、スミソニアンの決定が「勝者の傲慢」を示していると言った。彼女は言う。「戦争をはじめたのは日本です。でもそのことは核兵器の恐ろしさを正当化しません」


また、ハワード・ジンは、このような大量殺戮を行うことにあたかも正当性があるかのようなことや、他に選択肢がないなどという戯言を一般市民に信じさせるようなプロパガンダを行う政府のやり口についても痛烈に批判している。第二次世界大戦はイデオロギーの戦いであったと言われてきた。敵国国民は、邪悪で悪魔のような存在であり、死んで当然の輩であると。実際にそれを信じて戦った人々もいたわけだが、これを流布した政府閣僚はこれを利用していたというのが正しい捉え方なのだ。現在、この世界で行われてる紛争の殆どは宗教戦争の形相を見せているが、これも先頭を切って戦う人々を動機付けるために一握りの権力者たちによって利用されているという面も見逃してはならない。


 実際、原爆投下擁護論の多くは、報復気分に基づいていた。あたかも広島の子どもたちが真珠湾を爆撃し、ドレスデンにひしめいていた民間人難民にガス室の責任があったかのように。米国の子どもたちは、ミライ村でのベトナムの子どもたちの虐殺のせいで死に値しただろうか。


ビンラディンに話を戻そう。ビンラディンは9.11の事件を起こす以前、テロリストの首謀者として我々の視界に現れた時点で既に何らかに激怒していた。僕らは9.11の事件が起こった時点でも彼らの怒りの本当の理由が理解できていなかった。彼らの主張のなかにはアメリカ政府が起こした爆撃などの無差別・無分別な攻撃に対して断固として戦う。自分たちがやられたようなことをアメリカに対して行うと言っているものもあるのだ。9.11がどんなことがあっても決して許される行為ではなかったことは確かなことだが、アメリカが彼らに対して行っている爆撃では、死者の数は数えられることがない状態であることも確かに事実で、そこでは正に悪夢のような犠牲者が生み出され続けていることにもきちんと目を向ける必要がある。

オバマ大統領はビンラディンを殺害したことで正義がなされたと述べているが、テロがこれによって終息しないことは間違いがない。暴力は暴力を生むだけだ。暴力を重ねることで、暴力的な世界しか知らずに子どもたちが育てば世界はより暴力的な傾向を強めていくことだろう。僕は自分も自分の子どもたちも拷問や処刑を平然と容認する社会に生きることは決して望んではいない。

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ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い
(The Black Hole War: My Battle with Stephen Hawking to Make the World Safe for Quantum Mechanics)」
レオナルド・サスキンド(Leonard Susskind)

2011/05/03:僕の読書人生に大きくひとつの筋道があるとするならば、「我々はどこからきて、どこへ行くのか」という大きな問いだと思う。それは自分自身は、からはじまり、日本人は、ヒトは、生物、生命は、となり、そして地球、太陽系、宇宙へと広く深くなっていく。この問いに対する明確な回答がないものもあれば、絶対的な真理があったとして、僕が生きているうちにそれが判明することはないものもあるだろう。

そもそもなんでそんなことにこだわるのかという方もいらっしゃるだろう。自分でもなんでこんなことにこだわるのかについては答えようがない。単に気になる。識りたいのだ。

ただ、確実に言えることとして、こうした読書。そしてそこから得られた知識は、自分自身の人生を確実に豊かにしてくれているということだ。しかしこうしたおそらくちゃんと理解仕切れていないと思われる本の内容をまとめるのはなかなか大変だ。以下の説明に誤りがあればそれはすべて僕の理解不足に原因と責任があります。素人がまとめているものですので、それを踏まえてお読みいただければと思います。

チャンドラセカールが発見したブラックホールの概念は科学界に認知されるまでに相当の時間がかかり、その間に起こった紆余曲折はチャンドラセカールの人生そのものを大きく変えてしまう程のものとなった。

ブラックホールは大質量の恒星が死を迎えるにあたり超新星爆発し、その後自己の重力により爆縮を起こすことなどによって、密度、質量が無限大となる点、特異点に落ち込んだ星のことで、その星を取り巻く事象の地平面よりも内側からは光ですら脱出できなくなる。周囲の時空も激しく歪み外部からは見えなくなってしまうことからブラックホールと呼ばれているものだ。

1960年代も後半に入りジョン・ホイーラー、ロジャー・ペンローズ、スティーヴン・ホーキングらによってブラックホールは名づけられ定理を証明され漸く科学界での認知を得た。はくちょう座X-1はブラックホールである可能性を最初に認められ今でも最有力候補とされている。同様にブラックホールではないかと考えられる星が多数発見されてきている。更には僕らが属している銀河系の中心には超大質量ブラックホールが存在すると考えられるようになったのだ。

ブラックホールの存在を世に知らしめたのはやはりなんと言ってもスティーヴン・ホーキングだろう。筋萎縮性側索硬化症(ALS)に犯され車椅子から合成音声で語る天才物理学者のスタイルは、そのものが従来の科学者のイメージを強烈に覆すものがあった。このホーキングが宇宙の終焉やブラックホールに落ち込む物質の姿を語るのを聞くときその尋常ならざる雰囲気に圧倒されない者はいないだろう。ホーキングは世間に発見された時点で余命数年といわれていたが、ご本人にとっても物理学にとっても幸いなことに今も健在だ。

本書は、このホーキングとブラックホールを巡る論点について20年越しに争った内容に関するものだ。タイトルには「戦争」とか「闘い」といった言葉が踊るが、サスキンドとホーキングは実際には長い間の友人同士だ。しかし、その争点となったものは非常に重い。大問題であった訳で、その争点を巡ってサスキンドは正に髪をかきむしって七転八倒の闘いをしたのだ。

それは1983年。著名な科学者たちとともにちょっと変人の気のある富豪の主催する個人的なセミナーに招かれた際に遡る。この席にホーキングも招かれていた。二人はこのとき初対面であった。


 黒板にはペンローズ・ダイアグラムが書かれていた。ブラックホールを表す一種のダイアグラムだ。地平線(ブラックホールの端)は点線で描かれ、ブラックホールの中心にある特異点は不気味なぎざぎざの線だった。地平線を越えて内部へ続く線は、地平線を通り過ぎて特異点に落ちていく情報のビットを表していた。外に戻る線はなかった。スティーヴンによれば、それらのビットは回復できない状態にまで失われる。さらに悪いことに、ブラックホールが最終的に蒸発して消え、ブラックホールの中に落ちたものの痕跡すら残らないことをスティーヴンは証明した。


この話にサスキンドは棍棒でぶん殴られたような思いを味わったという。しかし私のような門外漢にとってこの話のどこが問題なのか、さっぱりわからない。わからないのは「蒸発」の言葉のせいだ。コップに満たした水が一定の時間の後に「蒸発」して空っぽになったとしても何の不思議もない。水は気化して空中に散ったのだ。

しかし、このブラックホールの「蒸発」は同義ではない。ブラックホールに落ち込んだ物資は決して戻ってこないのだ。ブラックホールが蒸発して消えるまでには、それこそ悠久の時ともいえる長い時間が必要となるのだが、蒸発した結果、ブラックホールの巨大質量はこの宇宙から失われてしまうというのだ。

このホーキングの証明に対する反応は物理学者の間でも非常に薄いもので、「へぇ、そうなの」といった程度のものが大半だったらしい。このことにもサスキンドは衝撃を受ける。サスキンドにとっては自分たちが立脚する物理学の根底を覆す大問題だと思われるものが、他の物理学者の大半にとっては違和感すら覚えないものであったのだ。
激しい違和感を覚えつつもサスキンド自身この問題のどこが問題なのかがつかめず悶々とした日々を送るがやがて彼には「問題」が明らかになってくる。


 一般相対性理論と等価原理は、情報は何ものにも邪魔されることなく、地平線を越えていくと述べています。これに対して、量子力学では反対の結論に達します。落ちてゆくビットは、ひどくかき混ぜられるとはいえ、最後には光子やその他の粒子の形で戻ってくるのです。


つまり等価原理と量子力学が正面から対立しているのだ。サスキンドはこの対立・パラドックスを解消することで、新しいパラダイム・シフトを得、物理学にとって新たな洞察を得ることになるかもしれないと考えた。そして実際にこの対立を解消させるために物理学は新たな地平を視野に入れ始める。それはひも理論の進化でありDブレーン、ホログラフィック原理だ。プランクスケールの内側は実在しない。つまり空間を埋め尽くしているハズの格子状のスケールの内側に実在がないなら、この世界はこの格子の骨組みにあるという驚くべき帰結であったのだ。

ひも理論やDブレーン、ホログラフィック原理について本書の解説はちと難解すぎて僕には全く理解できませんでしたが、読みにくさは全くなく、ホーキングのいたずらっぽい笑みに地団駄を踏むサスキンドの悶絶も含めて読みどころの多いとても面白い本だったと思います。ふー、疲れた。


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アメリカ大都市の死と生(The Death and Life of Great American Cities)」
ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)

2011/4/30:ジェイン・ジェイコブズの遺作となった本「壊れゆくアメリカ」を読んでその研ぎ澄まされた慧眼さに仰天し、ご本人を有名たらしめ、いまや都市計画の古典的名著と呼ばれているという「アメリカ大都市の死と生」はどこかで必ず読んでおかねばならない一冊として長く僕の前にぶら下がっていたものだ。本書が書かれたのは1961年。黒川紀章によって1967年に訳出されていたものがあるがこちらは抄訳。昨年山形浩生によって全訳された。

訳者としてどっちかということではなく、折角なので全訳を読ませていただくことにした。

初手から訳者解説に走るが、山形氏が述べているように、本書を読み解くにはやはり1961年という時代にあって、スラム街と呼ばれる古い街並みを壊して再生させる都市計画はどのようなものであって、それによってもたらされているものが一体なんだったのかということを理解しなければならない。

当時アメリカ経済は未曾有の高度成長を遂げ、豊かになった人々は郊外の閑静な新興住宅地域の戸建へ移り住み、大都市の集合住宅は老朽化、住民は減少し続けていただそうだ。郊外での暮らしは車でないと移動ができないため、道路は車に溢れる一方街路を行きかう人の姿は消えつつあった。

郊外に整備された新興住宅地、巨大な駐車場を備えたショッピングモール、そして職場は目もくらむような高層ビル街。人々はそれらの間を車を使って行き来する。その間にある場所は単に景色として流れるばかりで自分たちとはなんの関係もなくなってしまう。

人気のない公園や街路は寒々しいばかりか、危険ですらあり、治安が悪化することで都市の荒廃は更に進む。誤った思想に基づく都市の再開発は都市の荒廃を加速する。

ジェイコブズが本書で行ったことは、都市の再開発の名の下に当時の行政が金を持った利権者たちと手を結んで進めていた金儲けに古きよき街並みを愛する地元住民の一人として言わば怒鳴り込みをかけたようなものだ。金儲けの目的としては成果をあげているかもしれないけれど、その街に暮らす側からすれば大迷惑なんだよと。だれもそんな街に住みたいなんて思ってないと。


 都市の多様性が偶然や混沌のあらわれだと信じて安心しきっている限り、その多様性の創出が一定しないのはもちろん謎めいて思えることでしょう。
 でも、都市の多様性を生み出す条件は、多様性が花開く場所を観察して、それがなぜそうした場所で花開けるのかという経済的な理由を観察すれば、かなり簡単に見つけらられるのです。その結果は入り組んだものですし、それを生み出す材料は大幅に異なってはいても、この複雑性は目に見える経済関係に基づいており、それは原理的には、それが可能にしている複雑な都市の混合よりもずっと簡単です。

 都市の街路や地区にすさまじい多様性を生み出すには、以下の4つの条件が欠かせません。すまわち、
 1.その地区や、その内部のできるだけ多くの部分が、二つ以上の主要機能を果たさなければなりません。できれば三つ以上が望ましいのです。こうした機能は、別々の時間帯に外に出る人々や、ちがう理由でその場所にいて、しかも多くの施設を一緒に使う人々が確実に存在するように保証してくれるものでなくてはなりません。
 2.ほとんどの街区は短くないといけません。つまり、街路や、角を曲がる機会は頻繁でなくてはいけないのです。
 3.地区は、古さや条件が異なる種類の建物を混在させなくてはなりません。そこには古い建物が相当数あって、それが生み出す経済収益が異なっているようでなくてはなりません。
 4.十分な密度で人がいなくてはなりません。何の目的でその人たちがそこにいるのかは問いません。そこに住んでいるという理由でそこにいる人々の人口密度も含まれます。


ジェイコブズがここで述べているものはなんだろうか。街の配置についてだろうか。そこに建つ建築物についてだろうか。建物の使われ方だろうか。

公共空間と私的空間は明確に分れており、私的空間ではプライヴァシーがきちんと守られている必要があるなんて当たり前のことを書いていたりするのだが、その土地の公共空間が自分たちのものだと自覚している地元の人々の存在も必要だなんてことも書かれている。自分が住む私的空間ではないのだけども、共有・公共の空間を地元の人間として守り、迷った人がいれば道を教え、困っていたら救いの手を差し伸べる。こういったスタンスを持っている住民が不可欠なのだと。

街路には道路に向いた建物があり、そこには様々なお店や施設があり、そこへ様々な目的、或いは単にそこにあるベンチで寛ぐために来る人たちにが常に行き交い、適宜コミュニケーションが行われる。人の目が常にあることでそこには自然発生的なモラルも生まれ、まずいこと、困ったことが起こりそうになれば、手が差し伸べられる。


 古い都市の、一見すると無秩序に見えるものの下には、その古い都市がうまく機能しているなら、街路の治安と都市の自由を維持するためのすばらしい秩序があるのです。それは複雑な秩序です。その本質は、歩道利用の複雑な絡み合いであり、それが絶えず次々に目をもたらします。この秩序はすべてが動きと変化で構成されており、暮らしであって芸術ではないのですが、でもそれを気取って都市の芸術形態と呼び、踊りになぞらえることができるでしょう---。全員が一斉に足を上げて、揃ってくるくるまわり、一斉にお辞儀をするような単調で高精度の踊りではなく、個々の踊り手やアンサンブルが別々のパートを担いつつ、それが奇跡のようにお互いに強化し合い、秩序だった全体を構成するような、複雑なバレエです。よい都市の歩道のバレエは、どの場所でも決して繰り返されることはなく、そしてどの場所をとっても、常に新しい即興に満ちています。


ジェイコブズが論じているのは都市のなかで営まれている人々のコミュニティーなのだ。活き活きとした人々の交わり、複雑に関係し共感しあうコミュニティーがあってはじめて都市は命を持つ。道路を走らせ建物を建てれば都市が完成するわけではないと言っているのだ。

正にその通りですねー。夜のお散歩も自転車での徘徊も、誰もいない場所をひたすら行くのはやはり心細いだろう。適度に人が行き交う場所だからこそ安心してられる。川沿いの道も、走っている人。グラウンドに野球やサッカーをしにきた人たち。釣り糸をたらしているひと。のんびりとお散歩している人。いろいろな目的で行き交う人たちがあるから楽しい。

夜歩くのだって、東京の街路では常に人の姿が途切れることはない。仕事や家路を急ぐ人。観光や買い物をしている人たち。だから安心して歩ける。そんな安心できる街路だからそこ古い建物を訪ねて歩ける。味わい深いデザインの建物を、実際なかなか大変なことなのだろうけど、きちんと補修しながら大切に使っている建物に出会うと何か安心する。そしてそこで仕事をしたり暮らしている人たちの営みを感じるのが好きなのだ。その次は路地をのぞくことだ。東京の細かい路地には、こじんまりした料理屋やお店がふと並んで、夜の街路を暖かく灯していたりする。こんな光景に出会うのが僕は好きだ。そして僕が行くことで街路の一部となって他の人に安心を与えているのだろう。

更にジェイコブズはこうした都市の要素を抽出しつつ、このような場所を生み出すための都市計画のあり方についても言及している訳なのだけど、いかんせん本書は読みにくい。彼女が繰り出す地元の例はよそ者で全くその地を知らない僕にとっては何の例え話になっておらず、「このように」などと言われても全然ピンとこない。長い間抄訳だった理由はこれだったか。

加えて、ジェイコブズの文章と山形氏の相性が悪かったのだろうか。「これらが」、「この点では」「この論点」「この場合」、「それ」「その」「そのようなもの」といった言い回しがひとつの文章に何度も登場してきたりするため、一体それがどれを差しているのか。「プロジェクト」は特定計画なのか、意思を持った企画者のことを言っているのかわからない。「怒涛資金」とか「通常融資の怒涛のような使い方」とか言われても、それって何の事かさっぱりわからない。約した山形さんはちゃんと読んでわかっているようですが。読み通すのにくたびれてしまいましたよ。



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神父と頭蓋骨
(The Jesuit and the Skull:
Teilhard de Chardin, Evolution, and the Search for Peking Man)」
アミール・D・アクゼル (Amir D. Aczel)

2011/04/16:アミール・D. アクゼルは「「無限」に魅入られた天才数学者たち」に続き二冊目。科学史にまつわる本を何冊も出してている稀有な人で僕のように素人の横好きで自然科学や科学史の本を読みあっている者から見れば非常に貴重な人材だ。書かれている本にはとっても気になるものがある。例えば、「ウラニウム戦争 核開発を競った科学者たち」なんか。

本書「神父と頭蓋骨」はちょっと意表をつくというか、タイトルからは中身が伝わりにくいものになっている訳だが、このタイトルがあらわしているのは、1929年に中国の周口店で発見された北京原人の頭蓋骨と、発見したグループの一員だったイエズス会士・テイヤール・ド・シャルダン神父のことだ。

ネアンデルタール人が19世紀に、インドネシアでジャワ原人の残存物の化石が1981年に発見された程度で、当時、ヒトに関して進化論を裏付けるものは殆ど見つかっていなかった。北京原人はおとがいこそなかったが、道具を使うばかりか火も使っていた証拠が出ており、正に人類の祖先と呼ぶにふさわしい存在であり、この発見が進化論の正しさを大いに支えたことは間違いがない。

そんな北京原人の名は、度々耳にするのだけれどあまりその実態を知らずにいたのだが、この北京原人の頭蓋骨は、日中戦争の最中に行方がわからなくなってしまっているのだという。しかもこの紛失の原因を作ったのが日本軍の侵攻にあったというから驚きだ。

1929年という時期に進化論を支える重要な証拠を発見した一団にイエズス会の神父が紛れていたというのがもうひとつのミソだ。イエズス会の神父が中国の奥地でヒトとサルをつなぐミッシング・リンクを発見すべく発掘活動を行っているという違和感がおわかりだろうか。彼はなぜこの地を訪れていたのか。

「種の起源」によってダーウィンが人類の起源ばかりか、この世界の成り立ち、宗教観というより寧ろ神の存在そのものの意味合い自体に投じた大きな一石が、真っ向からキリスト教に向い、バチカンがこれに激しく反発することになる。当時は社会全体で進化論の指し示す世界観に恐れや慄き、イエズス会のような集団のなかでは擁護するような会話自体が憚られるような雰囲気であった時代だ。

このような時期にこのテイヤール牧師が発掘活動に参加していたのには事情があった。テイヤールは1881年、フランスのオーヴェルニュ地方に生まれた。彼の生家はシャトー・サルスナというとても裕福な貴族の家であった。そして代々自然科学に造詣の深い人物を創出している家でもあった。またこの地域は地質学・自然科学の興味を満たす恵まれた環境でもあったようだ。テイヤールは幼い頃から科学に対する才能が磨かれていく。いつしか彼のなかで敬虔な宗教家であることと、自然科学に対する深い理解が矛盾なく両立する素地が出来ていたのだ。そして、優秀な学業成績を重ねるテイヤールは1901年パリのイエズス会の会士となった。

ティヤールは牧師となった後も自然科学の研究を続けやがて、科学と信仰を両立させる独自の見解を論文に書くようになっていくのだが、これがテイヤールの人生を大きく変えていくことになる。パリのイエズス会は彼の主張を封殺し、ローマのイエズス会からの介入も回避する目的でテイヤールを言わば国外流刑という形で中国の奥地へと送り込んでしまうのである。

フランスへ、パリへ戻ることを渇望するテイヤールだが、同時に研究と論文の執筆を止めることがない実際の彼の言動はイエズス会との関係を悪化させ、自分の運命を希望とは反対の方向へと押し流していく。一方で彼の自然科学に対する研究成果は、研究者の間から大きな信頼を生み彼の元には研究や発掘活動への参加のオファーが集まってくるのである。パリから遠く離れ監視も届かないテイヤールには制約のない行動の自由さがあった。彼はこうしたオファーを受け興味のある冒険旅行のような発掘の旅に次々と参加していく。

テイヤールの活き活きとして魅力あふれる人物像、そして進化論を頭から否定し、宗教か自然科学かの二者択一を迫るイエズス会との間の葛藤が本書の読みどころとなっている。

およそ78万年前にこの周口店にたどり着いた北京原人は100万年前にアフリカからインドネシアに到達しジャワ原人と呼ばれたものたちの子孫らしい。現代になって発見された北京原人の頭蓋骨は再び見失われてしまった。彼らはどんな形で生活をして、どんなことを考えていたのだろうか、そしてどこへ消えてしまったのだろうか。その頭蓋骨も。

この北京原人の二度の行く末。人類の出アフリカ以降のグレートジャーニーの物語の方に僕は寧ろ心惹かれてしまうのだけど、本書はなかなかそちらへは走ってくれない。

またパリのイエズス会を核とした当時の進化論と宗教観の対峙。進化論と天地創造の世界観との衝突は長く激しいものとなって現実にまだ終わってもいない。現在この天地創造を頭から信じて、他を寄せ付けんとする集団は局所的・集中的な傾向を強めその原理主義の頑迷さは過去におけるどの時期よりも寧ろ危険さの度合いを増している可能性がある。

宗教と科学は両立させることができるのか、はたまた決別してどちらかを捨てるしかないのか。捨てるとしたらそれはどちらにすべきなのか。これは現代社会が直面している問題であるわけで、その立ち位置は正にテイヤールの立っていた場所と重なっているのだ。この問題についても進む気さえあればいくらでも進めるはずなのだが、本書はまたここでも動かない。なぜだ。

全体的に何かちょっとまるで出かける用事があるときにかかってきた電話みたいに慌しく早口に駆け抜けていってしまうのが、なんとも残念でありました。仮に分量が三倍になっても十分読むに値する興味深いテーマだったと思うのだどなぁ。

とろこでヒト科生物の概要を表にまとめてみました。700万年。われわれが把握している世界観なんてほんのつかのまのことなんですねぇ。


                                      単位:万年前
ヒト科生物 生息時期
ホモ・サピエンス(Homo sapiens) 20 0
ホモ・フローレシエンシス(Homo floresiensis) 9.5 1.2
ホモ・ネアンデルターレンシス(Homo neanderthalensis) 20 3
ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis) 50 20
ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor) 100 80
ホモ・エレクトス(Homo erectus) 180 5
パラントロプス・ロブストス (Paranthropus robustus) 180 100
ホモ・ハビリス(Homo habilis) 230 140
ホモ・ルドルフエンシス (Homo rudolfensis) 230 180
パラントロプス・ボイセイ (Paranthropus boisei) 230 140
ホモ・エルガステル(Homo ergaster) 250 170
パラントロプス・エチオピクス (Paranthropus aethiopicus) 270 230
アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis 370 300
アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus) 380 230
アウストラロピテクス・アナメンシス (Australopithecus anamensis) 420 390
アルディピテクス=ラミダス(Ardipithecus ramidus) 450 430
アルディピテクス=カダバ(Ardipithecus kadabba) 570 530
オロリン=トゥゲネンシス(Orrorin. Tugenensis) 600 570
サヘラントロプス・チャデンシス (Sahelanthropus tchadensis) 700 600


△▲△

ぼんくら
宮部みゆき

2011/04/10:読書リハビリ第二段。カミさんの見立てで宮部みゆきじゃ。これならまず安心して没頭できること間違いなし。「あやし」、「堪忍箱」そして「かまいたち」などカミさんのお勧めは他にもあったけど、出来れば長編がいいということでこちら「ぼんくら」を選択。

お江戸、深川にある鉄瓶長屋が物語の舞台です。この鉄瓶長屋だが、長屋そのものは架空のものだが、建っていたとする場所は現在の江東区森下5丁目付近ではないかと思われます。本所深川絵図をみると小名木川と大横川の交差する場所に藤堂和泉守の屋敷があり、その東側大横川沿いは深川西町という表記になっているようです。


 鉄瓶長屋は、小名木川と大横川が交わるところ、新高橋のたもとに近い深川北町の一角にある。北町は南北に細長く、鉄瓶長屋はそのなかでも南側、小名木川寄りに建っている。大横川沿いにのびた表通りに面して、二階建て間口二軒の三軒長屋が二棟、その南側つまり新高橋にいちばん近いところに、行灯建ての二階家がひとつ、ここが差配人の住まいである。裏通りには、間口一軒半の棟割りの十軒長屋が一棟。この裏長屋は、すぐ西側にある藤堂和泉守様の大きなお屋敷と背中合わせに建っており、お屋敷とのあいだには、小名木川から引き込まれた細い掘割が流れている。おかげで一年中何となくじめじめとした風が吹く。ただ、小名木川を行き来する物売りのうろうろ船が、この掘割まで入ってきてくれるという便利なところもあった。


この鉄瓶長屋で煮売り屋を営むお徳は、明け方路地を駆け抜けていく足音に目が覚める。近所で最近体調を崩していた年寄りの住む家で何かあったのかと彼女は置き抜けて路地に立つと差配人久兵衛の住む家の灯りが付いていた。お徳は差配人から死んだのは、その家の年寄りではなく、その息子太助であったことを告げられる。

殺したのは差配人久兵衛の元の勤め先の正次郎で、首になったことについて久兵衛に逆恨みを抱き鉄瓶長屋に押しかけ久兵衛に難癖をつけてきた事がある男だった。そのとき太助は久兵衛と一緒に正次郎を押さえ込んだ。正次郎はこのときの趣旨返しにやってきたものだという。




本所深川方の同心井筒平四郎はこの事件の調査に乗り出すが事件の経緯も状況も釈然としない部分が多いことを感じ取る。同様に駆けつけたお徳もこの話を鵜呑みにできずにいた。やがて疑いが浮かび上がってくるのは、体調を崩した父親の面倒を甲斐甲斐しく診ていた太助の妹お露であった。当日のお露の着物には明らかな返り血を浴びた後が残っていたのだ。しかしその真相にたどり着く前に差配人久兵衛は再び正次郎が現れ長屋に迷惑がかかるのを避けるためという名目で失踪してしまう。

この同心、井筒の旦那は仕事熱心とは言い難く、見回りをするよりお徳の煮しめ屋で油を売っている時間が多いようだ。おっとり刀で物事の白黒というより情に走るたちらしい。物語はどんどんと進んでいくのに、ちょっと遅れて仕方なく筋についていっているような感じだ。

一軒一軒の長屋の住民の家々に順番に物語の灯が灯り、長屋の情景がゆっくりと動き出す様子は見事だ。登場人物が揃いだすにつれて大きな物語が見えてくるのもまたよい。
舞台を同じくした江戸人情ものの短編のような体裁をとる本書だが、それぞれの事件の陰にはこの長屋を巡る策謀が働いていることがやがて明らかになってくるのだ。

「初ものがたり」に登場する岡っ引き、回向院の茂七と地続きで繋がる世界観の元で、相変わらず昼行灯のような井筒の旦那はどう動く。ふと我を忘れて没頭できる本に恵まれるというのはなんとありがたいことなのだろうか。ひと時日々の憂いを忘れて、井筒の旦那の後をつけて鉄瓶長屋の見回りをする楽しい経験をさせていただきました。


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モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語(Momo)」
ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)

2011/04/09:地震から約一ヶ月が経過しました。しかし、7日には再び大きな地震が東北を襲い仙台市内では電気、水道などのライフラインが止まり死傷者も出る事態となった。福島の原子力発電所が漸く少し出口が見えてきたかと思っていたところに女川原発への送電が一時ストップするなど、目を離せない状況が続いております。

先日、どうにか仙台へ帰省を果たしました。SS30のビルに残る傷跡、広瀬川の架橋上にとどまっている無人の新幹線、そして東部道路以東の薙倒された街並み、どれもまるで趣味の悪いパニック映画を観ているような光景に僕らはただただ圧倒されるばかりでありました。

呆然としたまま日々は過ぎ気がつくと新年度。震災による企業倒産も具体化しはじめ、震災による被害はこれからもいろいろな形で表面化してくることでしょう。それらはまた今回の津波のごとくこれまでにない大きさで押し寄せてくることはまず確実で、僕らはそれに備え乗り越えていかなければならない訳です。

仙台に生まれ、バイク好きが高じて、海岸線を岩手、福島へと走り回ってい頃にみた美しい街並み、出会った親切な人たち、そしてご馳走になったおいしい食べ物。老後は海の、貞山運河の近くに隠居しようかなんて夫婦で語り合っていた程に好きだった場所が一瞬にして根こそぎ波に浚われてしまいました。

これから復興、復旧されていくとしてももうはっきりしていることはまずなによりも前の姿に戻ることが出来る訳ではないということであり、その事に僕らは深い喪失感と哀悼の気持ちで一杯です。

更には原発の、放射能汚染の拡散の行く末次第では、復興すらままならない地域が生じてしまう可能性すら持っている。いやそうした地域を生み出す可能性のあることを僕らはもてあそんでしまっていたことをはっきりと自覚する必要があると思います。

首都東京の煌々とライトアップされた街並みに並ぶ終夜営業の歓楽街は確かに莫大なお金の流れを生んできたことでしょう。それは確かに回りまわって僕らの懐にもその幾ばくかが流れ込み、そうしたことで僕たちが生活をしてきたことは間違いがないのだけれど、そのことが人間ばかりか、あらゆる生き物に対して降り注ぐ見えない放射性物質によって汚染され、その生命を脅かすことと天秤にかかっているとしたらそれはどんなバランスだったのだろうか。

20キロ、30キロ圏内の避難はあくまで人間に対するものであって、そこに生きている生き物は人間だけではない訳で、放射能に汚染された水を避けてペットボトルの水を奪い合うことができるのもあくまで人間に限った話だ。あの海に暮らす魚や鳥をはじめとする多くの生き物たちは、知る由もなくそこで暮らして放射能を浴び続けるだろう。直ちに健康に被害はないかもしれないが、確実に彼らの体を蝕むだろう。それは他人事だろうか。知らんぷりしても、気がついていなくとも、因果というものは確実に取り立てる時期には取り立てにやってくるものなのだ。そうまでして手に入れた自分たちの社会は本当に僕らの望んだものなのだろうか。ここできちんと考える必要があるのではないだろうか。

ミヒャエル・エンデの「モモ」。子供たちのためにと買って本棚に収まっていたものだが、実は僕は読んでいなかった。「果てしのない物語」も。

地震以降本を集中して読めなくなった。こんなこと感じていいるのはどうやら僕だけではないらしい。無理してわかった振りして難しい本を持ってても意味がないし、このままいつまでも本を眺めるようなことを続けていきたくもない。読みやすいそして確実に面白いはずの本を多少時間がかかってもじっくり読むことで、少なくとも読書生活はリハビリしつつ元に戻していきたい。

そんな自分に今丁度よいのではないだろうか。そんな訳で、通勤かばんにこの本を詰め込んで会社に向かいました。

物語は現代。予想外でしたが。現代。具体的に何時頃の時代なのかは不明で、そしてどんな国なのか定かではない場所でのお話。この小さな町の外れには、また何時の時代のどんな人たちが作ったものなのか定かではない、石造り円形劇場の廃墟があった。

この石造りの円形劇場の廃墟にどこからやってきたのか、これまた定かではない少女がひとりで暮らし始めた。名前はモモというこの少女は小さいけれど立派に自活する能力があり、その罪のない気さくさと、誰の話もきちんと聞くことで悩みやトラブルも解決してしまうという稀有な能力のお陰で、町の人びとに受け入れられ途切れなく施しを受けることでどうにか生活していくことができるようになっていく。

また町の子供たちもモモのところに遊びに行くことが一番の楽しみになっていく。なにせモモはまわりのみんなと一緒になって夢中になって遊べる遊びを発明する天才であったからだ。

多くの人に好かれているモモだが、なかでも一番の友達が、老いた道路掃除夫のベッポと若い観光ガイドのジジでした。ジジはまるで口から先に生まれてきたようなで、途切れることなくあることないことをしゃべり続ける夢見る若者の男であるのに対し、ベッポはあまりの無口さで周囲の人たちからは頭がすこしおかしいんじゃないかと思われている老人だった。しかしこの無口なペッポはなぜかモモの前ではきちんと話が出来た。モモもまたベッポのことをよく理解して彼の話に耳を傾けるのだった。

こんなモモの世界がやがて脅かされていく。それは灰色の車に乗り灰色の帽子に灰色のスーツ、灰色づくめの紳士たちであった。彼らは時間貯蓄銀行からのエージェントで、人びとから時間を預かり将来利息を付けて返すのが仕事だという。時間を貯蓄する方法は簡単だ。時は金なり。無駄な時間を切り詰めるだけだ。こうして節約された時間は自動的に時間貯蓄銀行へ積み立てられていくという寸法なのだ。

無駄な時間とは、友達との語らいの時間、老いた両親にやさしい言葉をかける時間。自分の子供たちやペットと遊ぶ時間。一日の疲れを癒すためにレコードで音楽を聴く時間などであった。町の人びとは一人また一人とこの時間貯蓄銀行のエージェントに説得されて顧客となっていく。時間を貯蓄するために、急かされて生きる人びとが増えるに従い、町は慈しみの心やゆとりを失い無機質な町へと変貌していく。これに気づいたモモはこの時間貯蓄銀行へと敢然と戦いを挑んでいく。

時間をまるで換金できるものとして捉えているこのエンデの発想の鋭さはどうだろう。正に僕達が急かされるように生きているのはこのことそのものなのだ。時間は果たして換金可能なものなのだろうか。命はどうだろう。この世界はどうだ。なんでも換金しリスクとして置き換えることで何かを解決した気になっているというのがこの今の時代であったということだ。


 「なぁ、モモ」と彼はたとえばこんなにふうに始めます。「とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

 彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげていく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへってない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、働けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

 ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。
 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

 またひとやすみして、考えこみ、それから、
 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

 そしてまた長い休みをとってから、
 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩進んできた道路が全部終わっとる。どうやってやったかは、じぶんでもわからん。」彼はひとりうなずいて、こうむすびます「これがだいじなんだ。」


「イリュージョン」に登場したドナルド・シモダは言った。悩み事、解決したいことがあるならば、神経を集中して身近にある本を手にとって徐に適当なページを開きそこに書かれている文書を読めと。そこには「真実がある」と。

頑張ろう。日本、頑張ろう東北。


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