- 「鏡の国の戦争」 ジョン・ル・カレ
- 「死者にかかってきた電話」 ジョン・ル・カレ
- 「ビーチと肉体」 海野弘
- 「シングル&シングル」 ジョン・ル・カレ
- 「ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること」ロブ・ダン
- 「人類と科学の400万年史」レナード・ムロディナウ
2023/07/01:ル・カレの本をこの際全部揃えようと思っているのだけど、「高貴なる殺人」、「ドイツの小さな町」は手に入りにくいようでそう簡単にはいいない状況であることが分かりました。古本屋さんでは一万円近い値が付いていて、図書館も国会図書館に行かないと借りられないみたいな・・・。焦らず気長に機会を探すことにします。
そんな訳でとりあえず手にできた「鏡の国の戦争」。本書はル・カレの第四作目。1965年の作品。ル・カレは3作目の「寒い国から帰ってきたスパイ」がベストセラーとなり外務省の仕事を辞し小説家となって初めての作品になるものだそうです。
テイラーはマラビーという偽りの名前でフィンランドの小さな空港で夜チャーター機が到着するのを待っていた。悪天候で到着時間は計画以上に遅延していた。人気のない空港のバーで酒を飲みながら待ち続けるテイラー。
チャーター機はデュッセルドルフ発で修学旅行の小学生を運んでいるものだったがパイロットのランセンはイギリス陸軍情報局からの使命をうけ東ドイツロストクの街を空撮すべく本来のルートから外れて飛行していた。
悪天候をついて到着したランセンは諜報作戦の手順をすべて省いてテイラーに接触するやロストフ上空でミグ戦闘機に警告を受たと告げる。そして金輪際こんな無茶な指令は受けないと言い捨て、空撮したフィルムを押し付けて去っていった。テイラーはフィルムをポケットに忍ばせ空港からホテルに向かうが何者かが運転する車に跳ねられて死んでしまう。
テイラー死亡の報を受けたロンドンの陸軍情報局は慌ただしい動きを始める。責任者のルクラークは副官である若手のエイヴリーをヘルシンキへ派遣しテイラーの遺骸とフィルムの回収を指示する。そして偽装のパスポートはサーカスのジョージ・スマイリーに話はつけてあるので受け取りに行くようのにというのだった。
一月ほど前にハンブルグの駐在員ジミー・ゴードンからもたらされたのは、東ドイツ、リューベックで川を泳いで渡ってきた線路工夫がロストクの倉庫が実はミサイル基地になっていることに気づき写真を撮り、亡命してきたという情報であった。
ロストクでは道路が閉鎖されたり国境監視兵が駐屯したりしており、容易に近づけない場所となっていた。仮にロストクにミサイルが配備されているとなるとパナマ危機に並ぶ大変な事態に陥る深刻なものであった。
エイヴリーには体調がすぐれないでいる妻のサラがいた。突然の海外出張でしかも身分を隠した諜報活動であることに興奮を禁じ得ないエイヴリーは、嫌がるサラに事情を話して無理やり納得させるのだった。
またエイヴリーはスマイリーとの面談、訓練の一環としてフィルムの受け渡しを受けに行くと説明してパスポートを受け取る。スマイリーは親身となって若者に対してアドヴァイスを述べたりドイツ文学の話をふったりして距離を近づけようとしているようだが、エイヴリーには刺さらず会話は宙に浮いてしまう。
エイヴリーはルクラークの案でマラビーの年の離れた弟という身分でヘルシンキへと向かう。ヘルシンキでエイヴリーを待っていたのはイギリス領事とヘルシンキの警察であった。会話は肩ぐるしくどこか角がある。それもそのはず亡くなった男はパスポートこそマラビー名義だが、所持品にはテイラーの名前が記されたものばかりであり、その弟だとして現れたエイヴリーの説明もあちこちチグハグであったからだった。どうにか遺体をロンドンに送る手はずは整えたものの、肝心のフィルムはそもそも誰もみていないという。
陸軍情報局は大戦後大幅にその権限と予算を削られ縮小しかつての華やかさは見る影もない組織となっていた。主要なメンバーは大戦中からの者ばかりでかつての活躍によってプライドばかりが高く、終戦後20年も経っているのにかつての技術と戦術が未だに通用すると考えているような者ばかりだ。
ふとしたことで手に入れた重要情報を足掛かりにかつての権限と予算を取り戻せんとばかりに掴んだ情報を独り占めにし、単独で作戦を遂行することに拘り、サーカスに対していすら嘘をついて活動を続けていく。しかし彼らの行動は最初から躓きの連続であるばかりか、突如活動的になったこと自体で何かが進んめられていることは周囲にバレバレなのだった。彼らの向かう先にどんな結末が待っているのかじりじりしながらも物語に引き込まれていく。
驚かされるのは「死者からかかってきた電話」からこうも短期間で成熟したエスピオナージュへとその作風を大きくかえてきたことだ。彼らの取り扱う機器や文化はさすがに一昔前のものになってしまっているけれども、作品自体には古びれたところがどこも感じられない。ジョージ・スマイリーをジェームズ・ボンドの真逆においたキャラクターとして生み出したというル・カレだった訳だが、本作では陸軍情報局をボンドが所属している英国秘密情報部の対局において物語を作ったということなのではないかと思う。こんな話を見事にまとめられるル・カレは最初から大御所だったということなんだろう。
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2023/06/10:とうとうというかようやくというか振り出しに戻ってきた。ジョン・ル・カレの第一作目。1961年に出されたものだ。僕はこれを40年以上前におそらく多分読んでいるハズ。「寒い国から帰ってきたスパイ」やほかの作品も中身はきれいさっぱり忘れているので何も特別な事ではないものではあるのだけれども、「寒い国から帰ってきたスパイ」以降の作品はどれも自信を持って「読んだ」と言えるのだけど、この本と「高貴なる殺人」、「鏡の国の戦争」はなんだか自信がない。
ル・カレの中期の作品を読み切れたことで、初期の作品群に立ち返ってみよう。できたらル・カレの作品全部のレビューを揃えてみたいと思っています。
冒頭、ジョージ・スマイリーは一度引退した身となっているのだが、故あって召喚されている。年は1943年。僕はこの記述にであってあれっ?となった。終戦直後にスマイリーはすでに定年に達する年齢になっていたのか。となると2017年に出された「スパイたちの遺産」の時のスマイリーはいったい幾つだったという設定なんだろう。
本書の記載を基にするとスマイリーは111歳を超えていることになってしまうのだけれども、『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』では彼の誕生年が変更されていてそれでもやっぱり102歳になっている勘定なんだそうだ。僕のなかではどの作品に登場するスマイリーもみんな中年のおじさんというイメージしかなかったな。
本書では駆け足ではあるけれどもスマイリーの略歴が語られていました。ケンブリッジ大学で17世紀のドイツ文化を学び1928年7月に卒業。その際、教授からサーカスへ入らないかと勧誘を受けて情報機関へ入ることになる。ドイツへ2年、そしてスウェーデンでリクルートしたスパイたちの情報網を構築し管理運営してきた。しかし1943年大戦の最中に任務終了を告げられ。本国へ召還される。
大戦は終了。今後は新人の育成をという話があったが気の乗らないスマイリーは退職を申し出る。同時に上司の秘書であったレディ・アン・サーカムへ求婚したのだった。レディ・アンは大変な美貌の持ち主で一方のスマイリーは背が低く小太りで風采の上がらない中年男であった。レディ・アンがこの申し出に応じたことは社交界で噂になる出来事であった。しかし、2年とたたずレディ・アンはキューバ人のオートレース選手と出奔し、二人は離婚。
離婚後もスマイリーは家にあるレディ・アンの持ち物をそのまま残し、生活費も負担しつづけてるのだった。
そんなスマイリーは復帰を要求される。それはカナダでソヴィエトの若い暗号解読者が活動していたことが発覚し、経験者の必要性が高まったからだった。イギリス本国で経験を生かして情報分析やアドバイスする仕事は危険もなく、何より彼に居場所を提供してくれるものであった。
そんなある日の夜中にスマイリーはサーカスからの呼び出しを受けてタクシーで駆けつける。
待っていたのは処世術に富む彼の上司マストンであった。
「君は月曜日に外務省のフェナンという男に尋問したかね?」
フェナンは学生時代、共産党員だったという匿名の投書があった。この事実を確認するためにスマイリーはフェナンと二人で話をした。その結果嫌疑は晴れ、問題になることはないだろうと告げて別れた。スマイリーはフェナンを好感の持てる人物だと評しており、フェナンもおそらく自分のことをそう感じていたと思っていた。
しかし、フェナンは国家への忠誠に泥を塗られたというような趣旨で遺書を残しこの夜自殺したのだった。
フェナンの妻エルサが夜観劇して帰宅すると夫が自殺しているのを発見、通報したのだった。月曜日の話し合いの内容と雰囲気からは一転、全く思いもよらない事態にスマイリーは仰天する。そしてマストンはあろうことかスマイリーに本件の調査を命じ妻のエルサと面会するよう指示をだしてくる。
夫を亡くしたばかりの妻のところへ自殺するきっかけとなった尋問者本人を向かわせるとはなんとも無神経な指示である訳だけれども、スマイリーは渋々引き受けている。当のスマイリーもそんな指示や、フェナンが自殺したという事実よりも夜中に呼び出されて明日の早朝に出かけなければならなくなってしまったことに腹を立てている様子でこのあたりのやりとりは共感するのが難しい。
翌朝、スマイリーはフェナンの自宅を訪ねる。エルサはスマイリーが夫を尋問したことを知っており、夫は帰宅するやかなり取り乱していたと述べる。スマイリーは調査するというよりは尋問当日の様子を語りどちらかといえば弁明しているようなやりとりになってしまう。
ユダヤ人で戦時中激しく迫害されていたエルサからの詰問は激しいものでとても居たたまれない状況となる。そこに電話がかかってくる。スマイリーはサーカスからの確認だと断り自分で電話を受ける。しかしそれは交換局から指定された時間に電話をかけてくるサービスのものであった。エルサはその電話に心当たりはない様子であった。では一体だれが何の目的でこの時間に指定したサービスの申し込みをしたのか。スマイリーはフェナンの自殺に強い疑念を抱くのだった。
スマイリーはサーカスに戻るとマストンに報告をあげる。マストンはこれ以上捜査する必要はないし警察に判明した事実を伝える必要もないと日和見な立場を取りはじめる。スマイリーが自席に戻るとそこにはフェナンから話をしたいことがあるので一緒に昼食をとりたいという手紙が届いていた。スマイリーは辞表を書付け、フェナンの手紙と一緒に机に残し同僚のピーター・ギラム、ロンドン市警の警部メンデルらと組織から離れて事件の真相を追い始める。しかし手がかりをつかむよりも早くスマイリーを追う影がちらつき始めるのだった。
スマイリーの目線で考えれば、妻のエルサが嘘をついておりなんらかの隠し事があることは間違いないと思うのだけど、なかなか話がそっちへ進んでいかないのも若干もどかしい。
さすがに翻訳はだいぶ古臭く、登場人物の言動は当時の文化から遠く離れた今からみると違和感を覚える部分が多少にある。スマイリーが話したり書きつけたりする内容もどこか拙いくやや子供じみていてる部分すらある。何より具体的な心情を吐露するスマイリーは他では読んだ記憶がない。ハードボイルドなエスピオナージュというよりはアガサ・クリスティのようなイギリスの推理小説に軸足がある感じだ。趣きは正に王道推理小説なのだけど、スマイリーが危機に陥ったり、真相が明らかになる過程などはアメリカの探偵小説のようでもある。そして事件の核には東ドイツ、ソヴィエトの情報機関が絡んでおり、しっかりと間諜小説として成立もしているのだ。
ル・カレは当時商業的に成功していたイアン・フレミングのジェームズ・ボンドシリーズの対局にあるキャラクターとしてジョージ・スマイリーを生み出したらしい。そしてよりリアルでシリアス、そして国際政治問題を踏まえた物語の創作へと軸足を移していく。ル・カレはリアルなエスピオナージュ小説としいジャンルそのものを確立してきた言って良いと思う。そのなかでスマイリーは主役だったり脇役だったりしながら度々物語に登場していくなかでより重厚で深みのあるキャラクターへと成長していく。本書の設定が60年後の「スパイたちの遺産」に引き継がれていることをみても、ル・カレの思慮深さがどれほどのものであったのかが伺えるだろう。
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2023/06/03:海野弘さんが亡くなられました。83歳だそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。読ませていただいたいくつかの本はどれもとても面白く新しい世界観を拓いてくれるものばかりでした。改めて著された本のタイトルを俯瞰するに、如何に広い分野について書かれてこられたことに驚かされます。僕にはとても全部を読む時間は残されていないだろう。海野さんは僕が本を読むよりも早く書けるんじゃないかと思うくらいです。
亡くなられてしまったことは残念でならないけれども、こうして遺された書物たちのなかに海野さんは生き続けていくのだろうし、僕らはこうした本を通じていつでも海野さんにお逢いできるということは幸せなことだと思う。
海野さんの追悼しつつ本書を手に取りました。本書は「カリフォルニア・オデッセイ」として6冊のシリーズものとして出された本の5冊目。僕はこのシリーズのうちまだ3冊しか読んでなかったんだった。興味の赴くまま読み散らしてきたせいでコンプリートするという発想があまりなかったからなんだろう。「カリフォルニア・オデッセイ」で僕は海野さんに出会った。そこで今回はここに立ち返ることにしてみた次第です。
はじめに
カリフォルニア―もう一つのアメリカへの旅
アメリカ最西端のカリフォルニアは、太平洋に面し、背後をシエラ・ネヴァダなどの高い山脈によって囲われた別世界であり、黄金の国エルドラド〉〈太陽の国〉と呼ばれてきた。特に一八四八年のゴールドラッシュ以来、夢のカリフォルニア"として、人々をひきつけ、ニューヨークなどの東海岸とはちがう、独自の開放的で自由な文化を育んできた。第二次大戦後、カリフォルニアはアメリカで最も激しく変化した州といわれ、カウンターカルチャーのメッカとなり、<アメリカ>一般にくくられることを拒否し、しばしばカリフォルニア独立論が掲げられるようになった。
一方で、シリコン・ヴァレーのように、コンピュータ文化の先端でありながら、もう一方で、ヒッ ピーやカルトなどあらゆる原始的でミスティックなもののふるさとでもある。そんなカリフォルニア 文化の光と闇を書いてみたい。
カリフォルニアでは、西洋と東洋が出会い、あらゆる異文化が混ざりあって、壮大な実験をくりひろげている。おそらく二十一世紀の新しい方向は、そこに見出すことができるだろう。そのようなカリフォルニア・シンドロームのいくつかをあげておこう。「カリフォルニア・オデッセイ」では、それを一つずつ追っていきたいと思う。
光輝く夢のカリフォルニア。これは僕の青少年時代の人たちの一つの共通イメージなんではないかと思う。あくまでイメージであって思い込みだから、瑕も影もない。そんなカリフォルニアのイメージや発信されてくるカルチャーは一体どのような形で生み出されてきたのか。そしてそれを生み出してきた現実のカリフォルニアは一体どんなところでどんな歴史を積んできたのか。
1.『LAハードボイルド 世紀末都市ロサンゼルス』
2.『ハリウッド幻影工場 スキャンダルと伝説のメッカ』
3.『めまいの街 サンフランシスコ60年代』
4.『癒しとカルトの大地 神秘のカリフォルニア』
5.『ビーチと肉体 浜辺の文化史』
6.『ハイウェイの誘惑 ロードサイド・アメリカ』
ハードボイルド小説、映画、音楽やサブカルチャーと都市のような切り口でテーマを作っているといったらいいのだろうか。他にはない斬新な切り口でありながら不自然さは全くなくてむしろなるほどと膝を打つような見事な切り口となっているのでした。
本書は『ビーチと肉体』思わず二度見するようなタイトル。僕はおそらくこれを通勤電車じゃ読めないと思って読まなかったのかもしれない。最近重たい本をもって通勤するのは体力的にしんどくなってきていて本はみな家で読んでいる。そのせいで読書量も以前から大幅に減ってしまった。
でもこの本も家なら人の目を気にせず読める。
はじめに
プロローグ 浜辺の誘惑
第一章 ビーチの文化史
ビーチの誕生
バーバリ・コースト
バーバリ・コーストのジャズ
ヴェニス・ビーチ
ヴェニス・ウェストのビート 南カリフォルニア・ビーチめぐり
サンタバーバラ
ヴェンチュラ
サンタモニカ
マリナ・デル・レイ
サウス・ビーチ
ロング・ビーチ
ハンティントン・ビーチ
ニューポート・ビーチ
ラグナ・ビーチ
ラ・ホヤ
サンディエゴ
第二章カリフォルニア・ボディ
ボディ・カルト
ハリウッド・フィットネス
ボディビルディング
マスル・ビーチ
サーフィン
サーフィン・カルチャー
第三章 ウェストコースト・サウンド
ウェストコースティング
ウェストコースト・ジャズと五〇年代
カリフォルニア・ロック革命
サーフとホットロッド
ビーチ・ボーイズ
ママス・アンド・パパス
エピローグ
君よ知るやオレンジの国
ビーチの神話学
太平洋にささげる祈り
おわりに
参考文献
浜辺の魅力が発見されリゾートが生まれたのは19世紀のヨーロッパであつたようだ。それがアメリカにも伝播し広がった。しかしカルフォルニアの浜辺が開発されたのは19世紀も後半になってからでいわば遅れてやってきた場所だったらしい。しかしこの最後に発見された西海岸という場所は特別な場所だった。アメリカ人のDNAには西を目指すというものが何かあるらしく、西へ西へと向かって最後に到着した場所が西海岸でそこは長い旅の到着地であった。到着地であったがその眼前に広がる広大な海は始まりでもあった。この広い海の向こう側には中国という未知の国がいるという漠然たる世界観。西海岸は終わりと始まりが同居する不思議な場所だったのである。
そして美しい自然。やがて人々はここに様々なものを求めて集まってくるようになる。こうしてカリフォルニアとその文化は生み出されてきた。
長大な西海岸にはとぎれることなくビーチが続いている本書はまずこのビーチを歩いていく。面白いことに地続きのビーチは区割りされていて、区画ごとに集まる人たちのタイプや出自が異なっているのだそうだ。富裕層たちが所有するプライヴェートビーチから、有色人種の人たちが集まるビーチまで別に差別や制限によるものばかりではなく、趣向によるグループなどによる自然発生的にそのような形に分かれていたところもあるようだ。
本書で取り上げるのはボディビルディングだ。なんとボディビルディングが大きく発展したのはカリフォルニアのビーチに起源があるのだ。戦後、傷病兵などが治療のために多くカリフォルニアを訪れ、海岸沿いで静養した。やがて回復してきた彼らはビーチで体を鍛え始める。あのゴールドジムもこうした場所から生まれた。ギリシャ神話から抜け出してきたような体躯のボディビルダーはハリウッドの映画製作者たちの目にとまり映画に出演したりする人たちも生まれていく。こうしたカルチャーにあこがれてオーストリアから渡っていった人のひとりがアーノルド・シュワルツェネッガーであったのだ。
僕は映画の『ビック・ウェンズデー』を観ていない。サーファーの人たちが大絶賛しているなかでなんだか乗り遅れた気分で敬遠しちゃった記憶がある。この映画の監督ってジョン・三リアスなんですね。しかもこの話は本人の青年時代の話を描いているんだそうです。ジョン・三リアスといえば『デリンジャー』で全然イメージが合わない。
このサーフィンとそれにまつわるサブカルチャー、そして音楽が生まれたのももちろんカリフォルニアだった。サーフィン音楽といえばビーチ・ボーイズ。このあたり僕がちょっと苦手な分野かもだ。だってビーチ・ボーイズといえば「サーフィンUSA」でそれ以外の曲は全然知らない。
カリフォルニアではそれに先立ちジャズのムーブメントが起こった時期もあったそうで、本書はジャズムーブメントの盛衰とその後のロックの「爆発」についてもくわしく述べられている。ビーチ・ボーイズが必ずしもイノセントで幸せで能天気に波や男女やクルマの話を曲にしていたばかりではないということも知りました。彼らがぶつかった壁というのがビートルズであったというのがまたなるほどそうなのか。そうであったかという展開でもうお腹一杯。なんか一つの時代を一気に駆け抜けた感のあるすてきな本でした。海野さん本当にありがとうございました。
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2023/05/20:トルコの丘の上で男たちに囲まれ頭に銃をつきつけられているのはイギリスの商社シングル&シングル社の法務部長にして弁護士でもあるアルフレッド・ウィンザーという男。この男に銃を突き付けているのは、トランス・ファイナンス社の最高責任者、アリックス・ホバンだった。
アルフレッドは自分がどうしてこんな目に合わされているのか事情が掴めずにいる。
「リヴァプールに向けて、オデッサから出航した先週フリー・タリン号が拿捕された責任はだれにある?」
「ボスニアからイタリアに戻ってきた特殊トラックのことをイタリアの警察に知らせたのは誰か?」
「六カ国で同時に<ファースト・フラッグ建設>の資産および資材が押収、または差し押さえられたのは、いったい誰が当局に協力したからなのか?」
拿捕?船?特殊トラック?我々は投資コンサルティング会社で船のことなど微塵も知らないと主張するが全く聞き入れられる気配はない。
オリヴァー・ホーソンは10歳の息子と二人暮らしの未亡人の家に下宿している若者だった。職業はマジシャン。誕生日会や小規模なイベントで手品を披露して小銭を稼いで慎ましく暮らしているのだった。オリヴァーには離婚歴があり、一人娘のカーメンは別れた妻ヘザーと暮らしていた。オリヴァーは離婚するにあたり豪奢な家をヘザーに譲り、払うべきものはすべて払い借金はないのだという。そんなオリヴァーに慌ただしく連絡を取ろうとしている男がいた。彼は信託を扱う銀行のトゥーグッドという人物だった。トゥーグッドはオリヴァーが訪問して手品を披露している場所をどうにかして聞きつけ駆けつけてきたのだった。
トルコでアルフレッドの死体を検分しているのはイギリス税関職員のナット・ブロックだった。表向きは税関の一職員だが、実際には官公庁の組織横断で結成されたマネー・ロンダリングを追跡するチームの長であった。トルコの警察はアルフレッドが自殺だった。その証拠もあるとブロックに伝えていた。
トゥーグッドに連れられ銀行の会議室に座ったオリヴァーに告げられたのはカーメンのために1年前に作った信託口座に5百万30ポンドという大金が突如振り込まれたのだという。トゥーグッドも含め銀行側はマジシャンで慎ましく暮らすこの男がどうやって信託の金が用意できたのか、そしてそこにまた巨額の金が振り込まれているのか訝しく考えているのだった。それに対して当初の信託の金についてはとても信用できない説明を繰り返すものの、今回振り込まれた金は誰からなぜ振り込まれたのか全く見当がつかないというのだった。
「そんな金はいらない、送り返してくれ」
銀行を飛び出したオリヴァーが向かった先は別れた妻ヘザーの家だった。渋々家にあげたヘザーはオリヴァーに折り返し電話をくれるよう頼む電話がかかってきたことを告げる。ヘザーには先週贈り主が不明なバラの花束が届いていた。届けにきたのはピカピカのベンツだったという。
「ここを離れろ」カーメンと二人で足跡をたどられない場所にしばらく身を潜めろとオリヴァーは告げるのだった。
オリヴァーはブロックへ電話する。「みつかってしまった」「どうやらそうらしい」「新聞は読んだか?」
新聞に載っているのはアレックスの射殺事件の記事だった。
オリヴァーは数年前までは父親のタイガー・シングルと共にシングル&シングル社の共同経営者という立場にいたのだった。しかし何等かの事情により、ブロックの組織に情報提供し、結果として身元を伏せて暮らす生活へと大きく進路を変えたらしい。
そのシングル&シングル社の法務部長が射殺される事態となりことは緊急を要する状況に陥った。そして経営者にして父のタイガーは行方不明となっているのだった。
物語は大学を卒業し晴れて弁護士となると同時にシングル&シングル社の共同経営者となり何一つ不自由のない生活を始めるオリヴァーの話に一気に遡る。当時タイガーはソヴィエト連邦の実力者であるオルロフ兄弟とコンタクトを取ろうと躍起になっていた。そして足がかりをつかむやオリヴァーを現地に送り込み何が何でもコネを作り商機を拡大しようと目論む。アリックス・ホバンはオルロフの娘婿なのだった。
愛憎相半ばする親子関係は「パーフェクト・スパイ」そしてル・カレ自身の生い立ちに重なる物語である訳だけれども、読ませる、読ませる。脇を固める登場人物たちも誰一人読み飛ばせない。ここでこの人がこうきたかと。オリヴァーが向かう先には果たしてどんなものが待ち受けているのか。止められない止まらない。
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2023/05/02:以前読んだ「アリの背中に乗った甲虫を探して」はなかなかに楽しい本だったと記憶しています。メインはグンタイアリの話で、彼らは群れごと移動し行く手を阻む水辺は自ら橋となって仲間を渡らせ、嵐がくると屋根や風よけとなって仲間を護る。そんな彼らの身体には小さな寄生虫がいろいろいて、まるで安全靴みたいに脚の先に着いてアリの脚を護っているやつがいるかと思えば、アリの幼虫に擬態してちゃっかり世話を受けているやつや、行軍について回るヤスデなどなど実は想像を超える多様性を抱えた集団であったという話だった。
うぇーっとか言いながら面白楽しく読んだ。しかし本書は冒頭からまるで人が違ったかのような重さ。そこにあるのは怒りを通り越した絶望のようなものがあった。
生物学が得た最近の知見には、いわば生物界の法則と言えるものがたくさんあるのだそうだ。法則である以上それは必ず起こり、避けることはできない。著者はこれを「ジャングルの法則」だと書いていました。
人間は傲慢で自然界を自分たち以外のものとして捉えがちで、自然界は利用するものであり、コントロール可能なものであると。我々はそう考えるしそう実践してきたからこそ、今の社会がある。しかし、そうした中でも「ジャングルの法則」は確実に機能してきた。僕らがそれに気づけていなかっただけらしい。
人類がこれほどまでに増え、大規模に自然を作り替え、環境を大きく塗り替え始めたのは長い地球の歴史のなかではほんの少し前の事であり、その結果が我々の目に見えるようになるのはこれからなのだという。「法則」である以上必ず起き、避けることはできないのだという。
生物種にはニッチな環境がある。食べ物や気候などの諸条件が満たされる場所というか環境のことを指している。生物種によってニッチの幅に差がある。ホッキョクグマはとても狭い。彼らが暮らす快適な場所は北極と南極。ニッチな環境が損なわれるとそこに暮らす生物種は移動を強いられるが、場所がそもそも見つからないとか、強力な天敵がいるなどで移動できない場合には絶滅してしまう。ホッキョクグマの場合、北極の環境が損なわれても南極には移動できず絶滅してしまうだろう。
地球温暖化により赤道付近の気候が大きく変化したら、こうした場所がニッチであった生物種たちは北に移動し始める。新しい地域へ外来種として進出した生物種は、天敵が不在でアメリカザリガニやセイタカアワダチソウのように急増、まん延する可能性がある。
外来種の侵入や荒天による河川の氾濫などによる生態系の破壊からの復元力はその生態系のいる区画の広さと生物多様性の高さによって大きく異なる。小さな島や公園の緑地、すべてこの法則に従って結果が予測できるのだそうだ。
人間は自分たちの都合がよいように家畜や農作物を大切にし、それ以外の動物や植物を駆逐してきた。その結果、区画は細分化され、生物多様性は著しく低くなってきている。温暖化による生物移動が本格的になった時にどんなことが起こるのか。それは正確に予測でき、そこに明るい未来はない。
目次
序章
人vs川
自然界の未来を予測する法則
第一章 生物界による不意打ち
人間中心視点の法則
ヒトを謙虚にさせるアーウィンの法則
他の生き物との付き合い
突然の絶縁
生物界の法則が照らす道
第二章 都会のガラパゴス
種数‐面積の法則
都市に浮かぶ島
新種が出現する条件
農地で起こる進化
都市の生物地理学
第三章 うかつにも建造された方舟
生き物たちのための回廊
コリドーの法則×ヒト
第四章 人類最後のエスケープ
移動の大きなメリット
マラリアにみる二種類のニッチ
アメリカ大陸に渡った人類とエスケープの法則
作物もエスケープした
キャッサバの教訓
蚊と都市
気候変動と感染症
寄生生物に追いつかれる未来
第五章 ヒトのニッチ
イノベーションの影響
気候と暴力
ニッチと経済
ニッチから外れて暮らす未来
第六章 カラスの知能
二種類の知能と気候変動
環境の変動性に苦しむ種
ヒト集団の知能
第七章 リスク分散のための多様化
未来の農業のヒントは自然界に
多様性の効果を実験する
多様性‐安定性仮説でみた世界の農業
第八章 依存の法則
帝王切開とミツバチ
シロアリの腸内細菌
ヒトの常在菌はどこから来るのか
新生児の微生物獲得法
依存している生物の種の継承
第九章 ハンプティダンプティと受粉ロボット
転げ落ちたら元には戻れない
塩素消毒の落とし穴
テクノロジー過信の代償
第十章 進化とともに生きる
生物の威力
決壊
地球を舞台にしたメガプレート実験
薬剤耐性の現状
人類の敵とどう戦うか
第十一章 自然界の終焉にはあらず
保全生物学とアーウィン的転回
ヒトと極限環境
未来の気候下で生きるアリ
終章 もはや生きているものはなく
絶滅の法則
共絶滅
人類が消滅するとき
進化とジャズ
人類亡き後の生物界
訳者あとがき
原注
雑草や病原菌が除草剤や抗生物質への耐性を獲得する能力に限界はなく、従来考えてきたよりもずっと短期間で耐性を獲得することがわかってきた。
大腸菌のような細菌が抗生物質に対する耐性を獲得すると、この耐性は水平伝播されることもわかってきた。水平伝播は細菌同士が接合してプラスミドを受け渡することで進むのだ。たった一つの細菌が獲得した耐性はあっと云う間に集団間で共有され、堤防を乗り越えてる洪水のように広がる。生産性を高めるために大量に使用してきた薬剤で耐性を強化させてしまった結果、コロナのようなパンデミックがこれからも繰り返し起こる可能性が高くなっている。なんとも恐ろしい話だ。
さらに僕の気持ちが沈んだのは、気候と暴力の関係という話だ。
急激な気候変動に直面した場合、特に、大規模なヒト集団が形成されやすい気候が失われた場合には、人間社会は必ずと言っていいほど痛手を被るということだ。その痛手がとりわけ顕著なのは、気候変動によって、ヒトのニッチの限界を越えた極端な気候条件にさらされる地域のようで、その痛手には、時代や環境の違いを超えた共通の要素がある。暴力である。
一般に、ヒトのニッチ幅を越えて気候が変化するときには、特に気温が上昇する場合には(ごく稀に、低下する場合にも)、暴力行為が増加する傾向がある。気候が変化すると、人々が自分自身に危害を加える傾向が強まる。気温が上昇すると、自殺や自殺企図が増加する。気候が変化すると、人々が他者に危害を加える傾向も強まる。アメリカ合衆国では、気温の上昇とともに、ドメスティックバイオレンスもレイプも増加している。
個人の集団に対する暴力行為も、気温の上昇とともに増加する。たとえば、野球の試合で、投手が相手チームの選手に報復死球を投げる事件も、また、警察官が公衆に対して暴力を振るう事件も、(+) 気温の上昇とともに増加する。さらに、ヒト集団の他集団に対する暴力行為もやはり増加する。シアンらが考察したさまざまな研究から明らかになったのは、インドにおける集団間抗争は気温の上昇とともに増加していること、また、東アフリカにおける集団間の政治紛争も、ブラジルにおける集団間暴力もやはり同様であることだ。このような事例は枚挙にいとまがない。そして何よりも重要なのは、古代マヤでも、アンコール王朝でも、中国の王朝でも、そして現代の都市や国家でも、気温が上昇すると、戦争や社会崩壊へとつながる暴力が増加したということだ。
地球温暖化が進めば激甚気象、海水面・気温上昇とともに外来種の来襲、伝染病、そして暴力が同時並行して押し寄せてくることになる。それがジャングルの法則。温暖化を押しとどめない限り我々人類の未来はないと思って間違いない。今の風潮を考えるにそうなったら日本は間違いなく武器を手にして資源の奪い合いを始めるだろう。そんな未来を迎えないためにも今僕たちができることを残らずやる必要がある。
「ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること」のレビューはこちら>>
「アリの背中に乗った甲虫を探して」のレビューはこちら>>
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2023/04/23:レナード・ムロディナウの本はこれで4冊目だろうか。振り返ると割に似通った内容だったりもするのだけれども、読みだすと面白くてついつい最後まで読んでしまう。
数学や科学によって見いだされる新たな世界観が我々の考え方、価値観や倫理観にも影響を与え、社会が変化してきた。時としてそれは非常に大きな変化を生むこともあるのだけれども、長い時間をかけて変化していくため、その時代に生きている人たちにとってはなかなか気づきにくいものであるらしい。
そんな大きな変化を生んだ新たな知見は、よく物語されるようなニュートンが落ちるリンゴをみて重力の存在に気づいた、みたいな突発的なものでは全然なくて、様々な時代に様々な人々が積み重ねてきた知見を基しに、ニュートン自身も非常に苦心して編み出した考え方によって重力の存在が明らかになったのだという。
本書はそんな世界観を一変させるような発見はどのようになされたのか、そしてそれによって社会はどのように変化していったのかということをかなり駆け足で駆け抜けていくものになっていました。
第1部 直立した思索者たち
第1章 知りたいという欲求 人類の夜明けから始まる物語
この世界を理解したい/直立し、考える人類/人類はどのように世界を理解してきたのか/変化を受け入れることの難しさ
第2章 好奇心 脳の進化と新たな能力の獲得
ヒトの脳と独特な能力/道具を手にした「直立する人」/精神の獲得/世界を理解しようとする脳
第3章 文化 新石器時代の人々の結びつき
疑問を抱く動物/精神的・文化的革命としての新石器革命/ギョベクリテペと 社会の誕生/チャタル・ヒュユクと自然に関する新たな疑問/知識の伝播/思考 のための道具
第4章 文明 最初の都市で起きた思考の革新
古代の文明が果たした役割/専門化した職業/知識階級の誕生/音声言語と文字 言語/文字と複雑化するコミュニケーション/初期の数学/科学法則の概念物 理法則と人間の法
第5章 道理合理的自然観の登場
この世界を知るための合理的方法/ギリシャ人の自然観/ピタゴラスとアリストテレス/定性的な分析と定量的な科学/アリストテレスの誤り/アリストテレスの影響
第2部科学
第6章 道理への新たな道 科学革命はこうして始まった
科学の勝利への大きな飛躍/ローマ、アラブ世界、中国の停滞/ヨーロッパにおける科学の復活/マートンカレッジの学者たち/ルネサンスがガリレオを生んだ /ガリレオの運動の科学/教会との対立
第7章 機械的な宇宙 ニュートン物理学が世界を説明する
ニュートンの世界観/人間嫌いの天才科学者/ニュートンの不幸な少年時代「無 用の本」に書かれたアイデア/光の科学、神学、錬金術/ハレーとの出会い/ 由落下と軌道運動/ニュートンの法則/『プリンキピア』の出版/ニュートンの先 見性
第8章 物質は何でできているのか 化学者たちの元素の探究
物理学と化学の違い/真の化学の誕生/古代エジプト人の実用的な取り組み/パ ラケルススの錬金術革命/ロバート・ボイルによる実験と観察/プリーストリーによる気体の研究/ラヴォアジェの化学の理論と実験/ドルトンの考えた原子の 重さ/メンデレーエフの頑固さと情熱
第9章 生命の世界 進化論が解明した生物の原理
目に見えない生物の世界/レディによる自然発生説の否定/ロバート・フックとアントニ・レーウェンフックの顕微鏡/ダーウィンが変えた生物学/ビーグル号 の航海/ダーウィンのひらめき/進化論に対する攻撃 ーウィンとウォレス/『種の起源』の影響
第3部 人間の五感を超えて
第10章 人間の経験の限界 覆されるニュートン物理学
量子論という大革命/世界を新しい目で見る人たち/マックス・プランクと原子 の存在/黒体放射の謎/「量子」という概念の誕生/アインシュタインと量子論 解体されはじめたニュートンの世界観/光子や量子論に対する疑念
第11章 見えない世界 解明される原子の謎
時間を無駄にするかもしれない研究/夢想家と技術者/ラザフォードの原子モデル/あまりにも奇妙なボーアの研究結果
第12章 量子革命 量子論の発展と科学者たちの運命
物理学者が夢見た真実/行き詰まったボーアの理論/ハイゼンベルクの大胆な考 /シュレーディンガーの方程式/「創造主はサイコロ遊びをしない」/ヒトラー の台頭と「ユダヤ人の物理学」/人間と物理世界に関する洞察
エピローグ
世界を少しだけ違うふうに見る/未解決の大きな疑問
謝辞
訳者あとがき
幼い子供と接した経験のある人なら、子供は「なぜ」という問いが大好きだと知っている。一九二〇年代に心理学者のフランク・ロリマーがそれを本格的に調べた。四歳の男の子を四日間観察し、そのあいだに発した「なぜ」をすべて記録したのだ。合計で四〇回、たとえば「なぜじょうろには把手が二つついているの」や「なぜ眉毛があるの」といった疑問を発した。私が気に入っているのは、「ママにはなぜあごひげがないの」だ。世界中の人間の子供が、まだバブバブ言っているだけで文法的な言語を話す前の幼い頃から、疑問を発する。疑問を発する行為は人類にとってきわめて重要なため、疑問であることを明示するための万能の方法を持っている。声調言語と非声調言語を含めどんな言語でも、疑問はイントネーションを上げて表現するのだ。伝統的な宗教の中には疑問を最上級の理解ととらえているものもあるし、科学でも工学でも、適切な疑問を発する能力はおそらく人間にとって最大の才能だろう。それに対してチンパンジーやボノ ボは、原始的な手話を使ってトレーナーと意思疎通し、さらには質問に答える術も身につけられるが、自分から質問することはけっしてない。
我々人類はこの「なぜ」なのかという疑問を抱く能力、そしてその問いに答えを見出す能力があるがゆえに発展し文明を進化させてきた。
文字言語、ピタゴラス、アリストテレス、ガリレオ、ニュートン、そしてアインシュタインさらには量子論へ。僕は相対性理論や量子論の発見に至る物語がとても好きでいろいろな本を読んできました。だってどうしたらそんな考え方を思いつくのか。そしてそれが実際に起こっていることだと理解することの難しさと、本当に理解できているかどうかはあまり自信はないのだけれども、そこから浮かび上がる新しい世界観にはいつも驚かされるからだ。
本書に詳しい天才と呼ばれるような偉人達がいかに七転八倒しながら挑み続けてきたこの「なぜ」。そしてそれが如何に解決してきたのかという物語もまた繰り返し読むに値するものがあると思います。
そうした苦しみがあったからこその発見であり、このような発見があったからこそ、「今」がある。という話には強く共感するものがありました。
しかし、万有引力なんかが理解される前の時代の人たちの価値観というものを読んで理解しようとしてもこれまた難しいものがありますね。想像するのが難しい。
そして今我々が信じている「真理」ももしかすると、いや間違いなくいつかは仰天の変貌を遂げてくのだという。確かに近年、ミクロな世界観は、原子が中性子、陽子と電子から、そして更に素粒子でできているというように玉ねぎの皮を剝くようにこの世界はそのベールを脱いだかと思えばまだ先があった。同様にマクロな世界観も多宇宙、マルチバース、そして加速膨張する我々の宇宙というように従来信じられてきた姿とは全く異なる姿を現し続けている。
10年後、100年後、1000年後、僕ら人類がまだ無事で生きて続けているとしたらその頃の人たちが信じる世界観はどんなものなのでしょう。それは想像することもできない話ではある訳ですが、同じ星空を眺めながら古代の人たちが信じた神話の世界から現在、そして未来へと本書が照らし出すビジョンは壮大なものなのでありました。
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