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KGBの男-冷戦史上最大の二重スパイ
(The Spy and the Traitor:
The Greatest Espionage Story of the Cold War)

ベン・マッキンタイアー(Ben Macintyre)

2021/09/26:ベン・マッキンタイアーの本は二冊目、一冊目は「キム・フィルビー」キム・フィルビーの話は他の文献でも接する機会があったのである程度はどんな話かわかっていたけれども、今回の主役はKGB内部で二重スパイとなったオレーク・ゴルジエフスキーという人物なのだが、全く知らない話でした。 KGBのエリート将校が西側に寝返ったなんて一体全体どんな動機と経緯があったのだろうか。そして果たしてこの人物の運命は。

オレーク・ゴルジエフスキーは1938年10月10日に生れた。オレークの父は鉄道労働者の息子だったが、共産主義に傾倒しスターリンの秘密警察であったNKVDに入り幹部へと昇格した人物であった。NKVDは猜疑心に満ちたスターリンの指令に基づき大粛清の先鋒部隊として過酷で冷酷な拷問・処刑を実行していた組織で後にKGBへ統合された。オレークの兄が、そしてオレーク自身もKGBに採用され正にKGBの血統を色濃く受け継いだ人物であった訳だ。

しかし大粛清の影響はKGBの内部はもとより、家族の間にも冷たい空気を流し込んでいた。オレークの父は「NKVDは常に正しい」のような事を語ることはあっても、NKVDや自身がどんな仕事をしてきたのかについて語ることは決してなかった。夫婦、親子、兄弟の間柄であっても本音で語り合うことができない関係になってしまっていたのだ。そんな家庭に激しい違和感を覚えつつもそれ自体口にすることができない環境だったという。

1961年大学生だったオレークはKGBにリクルートされ、現地研修の目的で東ベルリンへ派遣された。そこで目にしたものは大量の流出者を阻止する目的で一夜にして築き上げられたベルリンの壁だった。

1962年KGBに正式に登用されたオレークはその時点ですでにソ連のイデオロギーに疑問を感じていたらしい。ベルリンの壁は正にソ連が国民を内部に閉じ込める監獄のようなものではないのか。一方でKGBの仕事は海外に出られるチャンスと給与と特典があった。

そして何より秘密活動に従事できるという避けがたい魅力があった。KGB本部で仕事をはじめたオレークは、その時すでに半引退状態にあった、キム・フィルビーにも会ったことがあるという。

1966年デンマークのポストへ配属されたオレークは西側社会の文化に触れて仰天する。コペンハーゲンは近代的で清潔で美しく、そして豊かであまりにも魅力的だった。外国語を精力的に学び海外での仕事を続けようとするオレークは自信の動機とソ連の旧弊で冷たく貧しい実情に激しく矛盾を感じていく。1968年チェコスロバキアの「プラハの春」に対してソ連が国境を越えて侵攻、蹂躙制圧する事態がオレークの信念を決定づける出来事となった。

彼は何の罪もない人々に対する容赦のない攻撃に激しい憎しみを抱きくと同時に西側社会からの抗議に恥じた。そんなオレークにイギリス情報部MI6はじわじわと接近していく。やがて彼は東西冷戦の動向を左右する重大な役割を果たしていくことになる。

目次
序 一九八五年五月一八日
第1部(KGB;ゴームソンおじさん;サンビーム;緑のインクとマイクロフィルム;レジ袋とマーズのチョコバー;工作員「ブート」)
第2部(隠れ家;RYAN作戦;コバ;ミスター・コリンズとミセス・サッチャー;ロシアン・ルーレット)
第3部(ネコとネズミ;ドライクリーニングをする人;七月一九日、金曜日;フィンランディア)
エピローグ(「ピムリコ」のパスポート)


原著のカバーにはジョン・ル・カレのコメントが載せられていました。「私が今まで読んだ中で最高の真のスパイストーリー」

西側で書かれた本であることを差し引いても、キム・フィルビーとは立場が真逆なだけでなく、大きく異なると思われる点がいくつもありました。キム・フィルビーはMI6にリクルートされる前、大学時代に既に共産主義に染まっていた。しかし、その動機は不明瞭でイデオロギーそのものというよりは自分の親を裏切るために反体制の道を選んでいるようにみえる。

二重スパイとなったキム・フィルビーは西側の重要な情報を垂れ流したが、なかでも共産化したアルバニアに潜入させる工作員の情報を事前に漏らすことで上陸と同時に捉え処刑させていた。その数は200名以上にのぼるとみられている。入国と同時に消息が失われてしまう工作員の様子に西側は困惑するが、それを眉一つ動かさずに隣に座っていた彼は相手を欺いたり、破壊したりする衝動のようなものがそもそも備わっていたという印象を受ける。

彼は人々が苦しんだりする状況を生み出すことに目的を見出したのではないか、サイコパスだったのではないかと思う。自分たちが西側サイドであるというバイアスがかかっているせいなのだろうか。

しかし少なくとも、オレークは大勢の人間を死地に送り込むようなことはしていないし、東側のスパイであった人の名前をリークしたものの、彼らは逮捕され刑務所に送り込まれており拷問されたり処刑されたりすることはなかった。キム・フィルビーの行動はやはり常軌を逸しているように見える。

また、本書は冒頭から最後まで目が離せない程スリリングな展開で、下手な海外スリラー、スパイ小説を超える面白さでありました。

「キム・フィルビー」のレビューはこちら>>

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狂気の時代――魔術・暴力・混沌のインドネシアをゆく
(In the Time of Madness:
Indonesia on the Edge of Chaos)

リチャードロイドパリー(Richard Lloyd Parry)

2021/09/20:インドネシアは現在未曾有のコロナ感染被害に陥っている。感染者数はようやくピークアウトしたように見えるが、死者数は14万人を超えた。インドネシアの人口は約264百万人、日本の2倍強。死者数の人口比は5倍以上だ。1万3,466もの島嶼に分散する環境を考えるとその対応がどれほど深刻なものなのか。2004年のスマトラ島沖地震や2006年のジャワ島中部地震でも甚大な被害あったことが記憶に新しい。

しかし、本書で取り上げられている東ティモールの独立の前後で発生した紛争・虐殺についてはどうだろうか。1997年ごろ、営業職で子供たちも幼く仕事と子育てに忙殺されていた頃、同僚の女性が友人から聞かされた話としてバリの観光客がいかないような居酒屋の壁に生首が飾られていたのをみて逃げ出してきたというものがあった。

当時ニュースでは何も流れていなくて、一体それはどういう事態なのか。そもそもそんな話は本当なのかと思っていたことを今でも覚えていた。

本書を読んでわかった。それは嘘でも誇張でもなくて現実に起こっていた話だった。しかも、いまだ歴史としてきちんと語られてはいない。ウィキペディアをみても東ティモールの独立に関する話が駆け足で記載されているに過ぎない。

本書を読んでわかることは、そんな簡単でも単純でも、死者がでたとか、暴徒化したとか、都市が混乱した、というような生易しいものではなく、インドネシアの軍や警察、民兵と東ティモールにまたがる少数民族の間で激しい虐殺行為が繰り返され夥しい人々が犠牲になったのだ。

東ティモール民主共和国。人口は130万人という小規模な国でティモール島の一部、陸地にインドネシアとの国境がある。この国の独立の経緯については全く知らなかった。独立したのはつい最近2002年5月20日だそうです。インドネシアの人口との規模感など違和感が目立つ国であることがわかるだろう。報告されているコロナによる死者数は100名足らず。果たして医療機関はきちんと機能しているのだろうか。

インドネシア、東ティモールの歴史を概観する。そもそも1万を超える島と300を超える言語を用いる少数民族が散らばる島嶼であるインドネシアは石器時代に遡る漁労、航海技術の発展とともに渡ってきた人々が土着したことから始まる。豊富な海洋資源と点在する島々に守られたインドネシアの海は、温暖化に伴う海面上昇の後も安全に漁ができて食糧が確保できる場所であり続けた。やがてインド商人やイスラム商人の影響によりいくつかの王国時代が興ったが島嶼全体で共通の言語を持つことはなく統一国家となった形跡はどうやらないようだ。

16世紀初頭にポルトガルがティモール島を植民地化し、その後オランダが進出対立する事態となったが、ティモール島の西、その他の島をオランダが植民地化することで着地し長い植民地時代が始まった。ティモール島の陸上の国境線はこの植民地化の際の出来事に由来するものであった。

東ティモールとはいったいどんな場所なのか?1975年まで地図上で東ティモールを見つけることができる人はほとんどいなかったにちがいない。ヨーロッパ人の商人がはじめてティモール島にやってきたのは、16世紀はじめのことだった。200年後、宗主国の勝手な都合のために島は東西に分割され、ポルトガルとオランダによって別々に統治されることになった。ティモール島の面積はベルギーよりわずかに小さく、その気候はインドネシア周辺の島々なかでも群を抜いて過酷だ。雨季にはジャングルを襲った雨が岩山をなだれ落ち、小屋、道路、畑を破壊した。一年の残りの期間は、からからに乾燥した日々が続いた。ティモール島では、すぐ北のモルッカ諸島と違ってメースやナツメグが採れなかった。白檀をのぞけば、重要な輸出品はひとつしかなかった。「ティモールでは、一般家庭用の性格のいい奴隷が手に入る」と、あるヨーロッパ人旅行者が1792年に報告した。よって植民地支配の歴史をとおして、ティモール島が世界から注目されることはほとんどなかった。平和でもなければ、単純な場所でもなかった。入植者たちのすぐそばに、複雑に入りまじった言語、人種、部族が存在した。ティモールには、移民と侵入者の波がたびたび訪れた。ベル人とアトニ人、マレー人、メラネシア人、パプア人、マカッサル人、アラブ人貿易商、中国人商人、印度のゴア人、オランダ人行政官、ドイツ人傭兵、イギリス人船員、ポルトガル修道士、そしてアフリカ人奴隷が島にやってきた。何十年ものあいだ、入植者、地元の指導者、トパスと呼ばれる混血の盗賊の奇妙な王国のあいだで、戦争の火種がくすぶり続けてきた。白人の副王たちは誰一人彼らの抑え込むことができず、ポルトガル総督は繰り返し打ちのめされて辱めを受けた。小規模な争いは果てしなく続いた。入植者や宣教師たちは沿岸地域で利益を得るとすぐさま満足し、島の内陸部は放置したままにした。


ティモール島の割譲を受け入れたオランダはその後も拡大政策を取り続け、18世紀にはジャワ島、19世紀にはスマトラ島を支配。1800年には現在のインドネシアの領域全体がオランダ領になったのだという。つまりインドネシアという国は植民地化という圧力によって一つにまとめられていたものであった訳だ。

1910年代にはイスラム教徒が、1920年代には共産主義を標榜する労働運動がオランダ植民地政府と対立、民族主義運動に目覚め始めた。1927年にスカルノが国民党を結成し民族主義運動は一つの頂点を迎えた。しかしインドネシアは自力で独立へ転換することができず、変化が起こるのはまたしても外圧によるものであった。

1941年、日本が太平洋戦争を開戦するやマレー、スマトラ、ジャワ島へ進出、オランダ軍を降伏させた。この際、東ティモールを植民地化していたポルトガルは中立国であったためそのまま温存されてしまった模様だ。しかし1945年日本が敗戦、インドネシアは再びオランダ領になることを恐れたスカルノらの民族主義者が決起、独立戦争へと突入していく。1949年12月、オランダ-インドネシア円卓会議(通称、ハーグ円卓会議)にて、インドネシアは無条件で独立することが承認され正式に独立を果たした。

終戦後もポルトガル領であり続けた東ティモールはここでも置いてきぼりとなり、ポルトガルの支配は1975年のインドネシア軍による侵攻までだらだらと続いていくのだった。

ポルトガルの立場、利権とインドネシアの東ティモール併呑は真っ向から対立するものである訳だが、東ティモールの人々にとっては東ティモールの独立という第三の選択肢があり、インドネシアが反共の立場を取っていることが絡み合い、国際社会は東ティモールの人々の意思を無視、結果インドネシアは国際社会の後ろ盾を得て東ティモールへの熾烈な包囲殲滅作戦を展開していくことになる。東ティモールでは1977年以降、スハルト政権下で進められた弾圧により1980年代までに殺戮や餓死によって20万人が亡くなったとされている。ちなみにだがスハルトはスカルノの後を継いだインドネシアの大統領でデビ夫人の夫だ。

インドネシアはこの時期汚職と経済政策の失敗などが重なり内情は火の車で、1997年のアジア通貨危機によりインドネシア経済は大混乱に陥り、1998年5月にはジャカルタ暴動が勃発し、スハルト政権は崩壊するに至る。

本書で描かれるのはこのスハルト政権前夜のインドネシアの暴動から、東ティモールの独立に至るまで混乱下で広がった軍や警察、民兵、そして部族間の殺し合い、奪い合いのさなかに何度も身を投じて取材をすすめた渾身のルポルタージュであります。

古代ジャワでは、意味のないものなど存在しないと考えられ、すべてになんらかの解釈が与えられた。橋が崩壊し、聖職者の召使が死んだ---それは、聖職者の宮廷での日々がもう長くないことを意味した。森の野生動物が街を徘徊していた---それは、街が敵の手に落ちることを意味した。地震、火山の噴火、日食や月食、彗星の接近が起きると、それが予示する災害とともに年代記の記録に残された。当然ながら歴史家たちは自分なりの物語の解釈を語り、みずからの説が正しいことを主張してきた。では20世紀の最後の数年のジャワ島の年代記には、何が記録されたのだろう。 スハルト大統領の「新秩序」が始まって31年目の1996年、インドネシア政府は、スカルノ前大統領の娘メガワティ・スカルノブリトを民主系野党の指導部から追放した。彼女の支持者たちは怒り、平和的な抗議活動を行った。それが、私が最初にインドネシアを訪れたときに党本部で見たものだった。しかし、党本部は、ナイフを隠し持った奇襲部隊に襲撃された。そして、首都全土で暴動が起きた。
新秩序が32年目に突入した1997年、ボルネオ島では、何千人ものマドゥーラ人の首がダヤク人によって斬り落とされ、人肉が貪られた。その年の選挙期間中、インドネシア各地で暴力的な騒動が起きた。スハルト率いる与党が勝ったものの、人々はその勝利をあからさまに嘲笑った。雨季になっても、雨は降らなかった。作物は枯れ、ボルネオ島とスマトラ島のジャングルで未曾有の規模の森林火災が起きた。
インドネシアの森林火災の煙が、マレーシア、シンガポール、タイ、ブルネイの人々を苦しめた。スモッグに覆われた道路で交通事故が起き、海では船が衝突した。空港へと降下中の旅客機が、煙に包まれた山に突っ込んだ。数週間後、別のジェット機が沼に墜落した。
インドネシア・ルピアの価値が下がり始めた。多くの銀行が閉鎖された。スハルト大統領が死亡したという誤報が広まり、株式市場が急落した。翌1998年は、東ジャワ州での食糧暴動で幕を開けた。ジャカルタのインドネシア証券取引所に上場する企業のうち、9割が事実上の倒産状態にあることがわかった。若い政治活動家たちが次々に姿を消した(軍によって誘拐・拷問されていたことがのちに発覚)。ジャワ島の五つほどの都市の大学でデモが始まった。
通過の価値はほとんどゼロになり、インドネシアはら世界のもの笑の種になった。そして政府は右往左往を繰り返し、新たな経済政策を大々的に発表したにもかかわらず、翌朝にはそれを取り消した。
インドネシアの国民は30年ぶりに大統領を含めた内閣の刷新をおおっぴらに要求した。しかし、30年に一度の最悪の混乱が続く1998年3月中旬、慎重に選ばれた1000人の支持者が集まる議会の中でスハルトは7期目の再任を果たした。この再選---現実に向き合うひとに対する大統領の皮肉いっぱいの拒否---こそが、ジョグジャカルタの学生たちの怒りに火をつけたのだった。子飼いの議員たちがジャカルタで大統領の就任演説に拍手喝采を送るなか、ジョグジャカルタでは大統領の人形が焼かれていた。


あまりにも長きに渡った植民地時代を通して続けられた圧政と、差別・不平等に対する不平不満はそれこそ噴火目前の火山の溶岩のように地面の下で熱を帯び圧力を高めてきた。経済が破綻し、箍が外れた時、インドネシア、東ティモールの人々が怒りを向けたのは政府や国際社会に対してではなく、隣人である他の民族の人々に対してだった。それは止められない怒りの噴出であり、衝動、魔術によって狂気に囚われた人びとの自分を見失った行動の積み重ねであった。筆者は集団の狂気を、恐怖を目の当たりにしていく。インドネシアの近代史に触れる貴重な機会にもなりました。

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動物意識の誕生:
生体システム理論と学習理論から解き明かす心の進化
(The Evolution of the Sensitive Soul: Learning and
the Origins of Consciousness)

シモーナ・ギンズバーグ (Simona Ginsburg),
エヴァ・ヤブロンカ(Eva Jablonka)

2021/09/05:正確なところは誰にもわからない事なんだろうと思うが、人間以外に意識をもっている動物がいると思っている人がどの程度いて、いないと思っている人がどれだけいるのか。動物に意識があると思っている人たちはどの動物に意識があると考えているのか。因みに我が家は動物に意識があると確信している派で、犬や猫、鳥なんかはもちろん、ザリガニ等、意識のある動物の範囲も比較的広い範囲で持っていると考えている、つもりだ。自分の考えと近い人はどれだけいるのだろう。

動物に意識があるとするならば、いつどの動物に発生したのか。意識はどのように進化してきたのか。形のない意識について推察するのは途轍もなく困難なことだと思う。今、同じ世界で生きている動物たちに対してすら意見の一致を計れていないなかで、過去の時代の動物に対して意識の有無を表明して受け入れられるのだろうか。

そんな現状を知らぬわけがあるまい著者らは大胆にも、動物には意識があり、過去のどこかでそれを獲得し、進化を重ねてきたと唱える。初期の動物の意識は今の人間のそれとは異なる最低限の意識と呼べるものが発現したはずだ。今生きている動物たちのなかでどの動物たちがどのようなレベルの意識を持っているのかを洞察し、進化の生命樹の上にプロットとしていくことで原初の意識がいつ頃、どの動物に出現したのかについてリバースエンジニアリングのようなことができるのではないだろうか。というのである。

なんという大胆さ。なんという賢さ。こんな興奮してる僕が変でしょうか。本書が繰り出してくる結論はどのようなものなのか。それが知りたくてページをめくる手ももどかしい。その一方で本書は地道というかマイペースというかそんな僕の逸る心をよそに、意識や脳、神経といったものに関する考え方をアリストテレスの時代から網羅的に整理をしていく。

序文
謝辞
Ⅰ 理由づけと基礎づけ
第一章 目的指向システム──生命と意識に対する進化的アプローチ
 レイボヴィッツの試練──カント的な認識論的ギャップ
 生命のギャップ──神秘から科学的問題へ
 組織化の原理
 生命の起源のシナリオとシミュレーション
 意識に立ち返る──クオリアのギャップ
 三つの説明のギャップ
 デネットの階層と系統発生的分布──体験の要素を見つけ出す
第二章 心の組織化と進化──ラマルクから意識の神経科学まで
 連合主義者たち
 ジャン=バティスト・ラマルクの進化心理学
 ハーバート・スペンサーと心理学の進化原理
 チャールズ・ダーウィンと、人間と動物の心の連続性
 ウィリアム・ジェームズの心理学的探究
 意識研究の衰退とゆるやかな復活
第三章 創発主義的合意──神経生物学からの視点
 特定の経験の神経相関
 「意識の場」説──オシレーターとアトラクター
 サイコロの重心ずらし
 情動と身体化
 概観
第四章 クオリアのギャップを生物学で橋渡し?
 いくつかの知る方法──メアリー、フレッド、ダニエル
 知覚の学習──ダニエル・キッシュの実例
 なぜ角釘は丸穴に合わないのか、影はどのように進化しうるのか
 構成的問題──意識のマジックショー
 実現可能化システム
 目的機能の問題──意識には機能ではなく目的がある
第五章 分布問題──意識はどの動物に備わっているのか?
 類比からの論証
 「誰問題」──二十一世紀の諸説
 進化的移行の目印──進化的移行アプローチ
原注
訳注

本書の序文にある通り、最低限の意識を理解しようとすること自体が大変な難題だ。そこへ入り込むためには膨大な基礎知識・背景知識が必要だったという。それが前半の網羅的に紹介され比較検討されている様々な学説なのだった。これに付き合わされる読者はかなりの根気と気力が必要になると思われる。進化の観点から議論が展開されるのは第二部、第六章からになっている。なんなら気にせず読み飛ばしてもらってかまわないとまで書いてありました。

しかし僕としては意識や心といったものの、その根源、原初的なものというものが一体どんなもので、それは今の我々が持っている心や意識というものとどのような違いがあるのか、どう進化してきたというのか、いろいろと知りたいことが山ほどあるのだけど、とてもすっ飛ばして読むなんてことはできず歯ぎしりしながら読みました。しかしこれ長大な上にかなり難解でありました。

現存する動物で意識を持っているのはどのこの動物だ。ということについて本書は明確な意見を表明しています。しかし、これを書いてしまうのはネタバレにあたるだろう。書きたいけど書きません。個人的な見解を申し上げれば僕の想像を上回る範囲の動物に意識があるとされていました。こんなに広範なんだと。自分は比較的広い範囲に意識を認めていたつもりでしたが、それを超える範囲でありました。意識の有無を計る能力として二人の著者が唱えているものに「無制約連合学習」というものがありました。訳者あとがきにわかりやすい解説がありましたのでここで紹介させていただきます。

 ギンズバーグとヤブロンカによれば、意識の進化的起源を探る鍵となるのは、ふたりが「無制約連合学習(unlimited associate learning UAL)」と呼ぶ学習様式である。単純な刺激に対しステレオタイプ的に(決まりきったパターンで)反応する制約下連合学習(limited associate learning LAL)とは違い、無制約連合学習ではさまざまな刺激や動作の組み合わせを連合できるため、その組み合わせの数に制約がない。たとえば単なるブザー音を鳴らしたときに電気ショックを与えて恐怖反応を起こすよう動物を条件づけたとしても、それは制約下連合学習に区分される(刺激が単純なため)。一方で、特定の音の配列(メロディー)を鳴らしたときにだけ恐怖反応を起こせたり(非要素的学習)、ひいてはそのメロディーを使ってさらに別の刺激(たとえば特定の画像)にも恐怖反応が起こるよう条件づけできたりすれば(二次条件づけ)、その学習は無制約連合学習であると判断される。ギンズバーグとヤブロンカによれば、無制約連合学習が起こっているときには、意識に不可欠であるとされる特性(大域的(グローバル)な情報アクセス、結びつけ、注意、志向性、時間的厚み、動機づけ、身体化など)のいずれもが見られる。したがって無制約連合学習こそが意識の存在を示す目印なのだ。以上がギンズバーグとヤブロンカの理論の核心である。


つまり自分自身と環境を明確に分けてそれぞれ認識を行い、そこから得られた経験を蓄積して行動をより自分に有利な方向へ軌道修正していくことができる能力を持っているかどうか。これを最小限の意識として位置づけられるのではないかと考えているということだ。

その一方で意識がどうやらないらしい動物というのも非常に多肢に渡っており、こちらも驚きのポイントでした。意識がない動物というものに対して改めて考えると非常に不思議な思いがする。生命の起源からの歴史を考えると意識のない動物の世界の方が非常に長かった訳だが彼らは逆説的なことを言わせてもらえば、状況に応じた心拍数の上昇や体温の上昇として現れる恐怖の情動であったり、忌避学習が示唆する不快感を覚える能力、報酬と罰に基づいて行動選択する能力、回り道行動、そして睡眠や遊びのような反応がない生き物なのだということになる。

しかしそんな動物であっても無意識による代謝の複雑な過程をコントロールする能力は高度に発達しており、下等だとか単純な生き物だという訳でもない、意識を持っている動物が意識のない動物に捕食されてしまうなどという展開も充分にありえる世界なのでありました。

最低限の意識はこの時代に出現した。と書いてしまうのはネタバレに当たる。書きたいけど書きません。本書は明確な結論をだしております。見事な内容だと思います。この時期だとされているものはあまりにも妥当だと感じました。言われてみれば他のどの時代である可能性があるのかという話でもありそれは早すぎず遅すぎない。一言だけ言わせていただくとどうやら意識は複数の動物門にまたがって同時並行的に発現したらしいのだ。

意識のない動物から意識が発出したことは間違いなく、それはどのように発出したのかということを考えると、これまたそう簡単なことではなく、自己認識や、外界からの情報処理、経験という情報の蓄積とその活用と簡単に考えてもこれだけのことを同時並行的に行う必要があり、一段階段を上がってできる代物ではない。複数のモジュールのようなものが同時に出来上がらないと利用することのできない無駄な機能になってしまうだろう。度重なる環境変化に適応すべく進化を積み重ねてきた生物たちが、無制限連合学習という能力を獲得したことは途轍もなく革命的な出来事であったことは間違いない。しかしそれが同時代に生きた複数の動物門の間で達成されたということは、いかにこの戦略が合理的で効果的であったかということの査証でもあるらしい。この能力を獲得した個体は置かれている環境下のなかで自身にとってより有利で効率的な行動を学習して実践していくことで生き残り、子孫を多く残すことで広がり、意識も進化を重ねていくことができるようになった。

本書の領域からは離れてしまうが最低限の意識は更に進化を重ねてきた。どの動物がどの程度のレベルの意識を有しているのだろう。この分野の研究がさらに進んでいくことを激しく期待したい。

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旅の効用――人はなぜ移動するのか
(För den som reser är världen vacker)

ペール・アンデション(Per J. Andersson)

2021/08/28:先般の「ウナギが故郷に帰る日」に続き。またスウェーデンの人が書いた本を選んでしまいました。実はスウェーデンの人が書いた本は昔から身近で、そもそも警察小説の白眉と呼ばれたマルティン・ベックシリーズは舞台がストックホルム警察で、これがとても面白くてお袋と親父と三人で回し読みをしていたころに端を発するのでありました。

小説は読めてなかったけれども映画の「ドラゴン・タトゥーの女」は面白かった。スウェーデンは面白いミステリーを出してくる土壌のようなものがきっとあるのだろうと思う。行ってみたい国だと思う。是非自転車で回るような旅ができたらいいなと思ったりしております。

「旅の効用」。本書のなかでも紹介されていたけれども、テーマはアラン・ド・ボトンの「旅する哲学」に通じるものがある。なぜ人は旅するのか、旅をすることで何が得られるのか。当時の自分の記事を振り返ってみたら、全然本の内容に触れてなくて自分がバイクでツーリングしていたころの話をひたすら書いていた。今回また同じことをするところだった(笑)。

ド・ボトン先生は本のなかで自分たちの日常から離れて非日常に触れること。壮大な規模の光景や、圧倒されるような景色に出会うことで、一旦頭をリセットし、日常に戻っていくことで新鮮でストレス解消された状態で日々を送ることができるようになる。というようなことを言っていたと思う。 そしてその旅する技術は人生の技術としてそのまま適応できるものだと。

本書でも著者のペール・アンデションは非常に似通った考え方を示していた。

旅とは、未知の音、噂、習慣、と相対することだ。当初は不安になり心が混乱したとしても何とかなるものだ。旅に出れば、一つの問題にも解決法が何種類かあることを知って心が落ち着くようになるものだ。そうと分かれば、地下鉄がちょっとやそっと遅れようと、あるいは職場が再編されようとも神経にさわることはない。 変化がなければ心は消耗する。だが新たな見方をするようになれば、新たな展望が開ける。旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ、世間や家庭内の状況に対して注意深くなる。今まで無関心だったことにも不意に何かを感じるようになるのだ。今まで見えていなかったものが不意に見えてくるのである。


著者はスウェーデンのジャーナリストで、1987年に創刊され同国ではとても有名な旅行誌となった『ヴァガボンド』の共同創設者だそうです。本書を読むと雑誌の創刊に先駆けて世界各地をバックパッカー、ヒッチハイクなどで旅してまわっていた根っからの放浪者らしい。彼らの「旅」とは予定も計画もお金もなくてとにかくインドを一回りしてくる、みたいなざっくりした方向感とバック一つで向かうもののようなことを指しているようだ。

僕が若かりし頃やっていたツーリング体験も似たようなものだが、基本日帰りが前提なので規模感が全然違う。言語も文化も違い、ひょっとしたら身に大いなる危険が及ぶ可能性すらあるような辺境の治安の悪い場所でさえ彼らの行く手を阻むことはないらしい。

島国育ちで英語もままならない僕としては逆立ちしても真似のできる芸当ではないがそこで得られる知見というか展望が遥かに大きなものになるだろうことは容易に想像がつく。

それにしても本書を読んで心が千々に乱されたのは、旅行に行けないストレスでありました。去年あたりから断続的に計画していた家族旅行はコロナ禍により尽く中止延期してきてしまった。何度も通っていた沖縄へも子供たちを連れて行きたいと思っているのだけど、こちらも実現の目途がたたずにおります。ほんとに小さい頃に連れて行ったきりだ・・・。

僕ら家族は僕の父の病の関係でお休みとなると故郷仙台へ向かうのが当たり前な状態が20年ぐらい続いていました。ある意味、その仙台へ向かうことが家族の旅であったということだった。今思えば。

左脇を結構なスピードで追い抜いて行ったワゴン車のタイヤがバーストして白煙を上げながら路側帯に退避していく様子を真後ろから目撃したり、起こしたてで自動車の部品が散乱する事故現場をすり抜けたり、反対車線から飛び込んできた自動車部品に当たりヘッドライトが粉砕した、なんて忘れられない光景を目にしました。

子供たちが小さいころに乗っていた車はマニュアルでポンコツなサーフで、時速が100Kmに達するまでに数分かかるような重たいやつで、仙台に着くころは夫婦二人で首が痛くなるような辛い旅でした。今では車もそれなりの性能で臆病なカミさんや子供たちも大人になり運転免許を取って運転してくれるようになったし、前の車を追従する機能がついたおかげで長距離運転がめっちゃ楽になった。なったのに父は亡くなり、コロナ禍で帰省も旅行も機会がないという・・・・。

旅の本を読むとどうしても自分も行きたくなるし、行った旅の思い出が蘇ってくるものだろう。文章を目で追いながら思いは未来と過去を行き来する。本当の旅でも似たことをしているのではないだろうか。目の前の光景を眺めつつ、想像の世界の含めた未来のことや、過去のことなどを連想していく。現実世界と過去と未来を連想でつないで行き来するようなことを誰しもやっているのではないだろうか。

本書もまるで旅をしているように様々な話題にまるで連想するように広がっていく。連想なので前後の話にある意味脈絡はない。波紋のように話題がひろがっていく感じだ。旅のような本と言えばいいのだろうか。

第一次世界大戦に先立つ数十年、帝政ウィーンはヨーロッパ域内においてコスモポリタニズムの都市であり、さまざまなヨーロッパ文化が共存していた。それ以前の時代には、愉楽の旅に対しても移民の旅に対しても、移動の自由を制限する厳格なルールがあった。スウェーデン人は長い間、国内外を旅する際には、地元自治体が発行するパスポートないし通過許可証を持参する必要があった。

だが、1860年に、スウェーデンや他のヨーロッパ諸国は国境通過を自由化した。その後、ヨーロッパでは-ロシアは例外として-、自由に旅ができるようになった。「人間はもっと良い生活を送るべきだ」と人々は主張した。たしかに、もし外国人がスウェーデンで店を開こうとする場合、まだそれなりの許可が必要だったし、一文無しの旅人は捉えられて追放されはしたが、お金さえあればパスポートなしでヨーロッパ全域を歩き回ることができるようになったのである。

だが、その陰で、国家や民族、言語という考え方が肥大化していた。そこから民族主義的な考え方がでてきた。国家とは民族国家のことだと言われ始めたのだ。コスモポリタン的なハプスブルグ帝国は今にも崩壊寸前になった。 一方、隣国ドイツでは民族主義が高まりを見せ、次第に国家を思考と文化によってではなく、「血と大地」で統一しようと主張する人たちが増えていった。ハインリヒ・ハイネは死ぬ直前の1856年にこう断定している。

ドイツ人の魂は「・・・・偏狭になってくだろう。寒気を浴びた皮のように縮まって外国を増悪し、もはや世界市民でもヨーロッパ人でもなくなり、ただの、心の狭いドイツ人になりさがるだろう」。


著者がバックパッカーとして旅にでていたことから連想して自分の子供時代の話に飛び、さらには先人たちがどんな旅をしていたのかという点にも踏み込んでいきます。

第一次世界大戦以前のヨーロッパにはパスポートなしで移動できる時代があったのだ。それがやがて民族や文化や言語によって縛られる民族主義の時代へと変遷し、やがて二度の世界大戦を迎えることになった。これを著者はかつての人類が定住しない狩猟民族の時代から農耕社会への移行の際にもどうようのことがあったと見ていた。農耕社会における旅人・放浪者は歓迎されない客とみなされていったのだという。

第二次世界大戦後、ヒッピー、フラワームーブメントなどと平行してバックパッカー、ヒッチハイカーの旅が若者に広がりヨーロッパ、アメリカの人々は自由に旅する時代がやってきた。しかし、それも徐々に見知らぬ人間を信頼できない社会へと再び変遷しつつあるというか変質してしまった。

僕の両親は結婚したての頃仙台で迷子になっていた米兵に声をかけて一晩家に泊めたことがあると言っていた。父は陸軍の予科練で少年飛行兵だった人で、そのあたりの価値観も理解できないところがある上に、見知らぬ外人を家に上げるというのはどんな話なのだろうと思う。今僕が見知らぬ外人を家に連れてきたら家人は気でも触れたのかと思うだろう。

ジャレッド・ダイヤモンドも著書のなかで昔は意見が異なる研究者と激論になることはあっても仕事が終われば家に招待して一緒に食事をしたりしたものだが、今講演会に出席するためにはボディガードが必要な時代になったと述べていました。このような緊張関係は長い時間の流れのなかで強まったり弱まったりを繰り返していくのだろうか。

人間の脳には、環境の把握方法が二種類ある。快速システムのほうは自動操縦装置であり、即座に反応して感情に反映する。ゆっくりめのシステムの方は理性的であり、自分がコントロールしていることを意識し、それにしたがって決断もできる。 私たちは、理性にしたがって合理的・意識的に行動していると思っている。だが実際に自分の気持ちを決めているのはたいていの場合、感情中心の自動操縦装置だと、心理学者のダニエル・カーネマンは著書『ファスト&スロー』の中で述べている。そして不安はこの自動操縦装置において重要な部分なのだ。

それも不思議ではない、と私は思う。不安は、人類最初の日から、生き抜くために必要だった。私たちはヘビやクモ、サメ、閉鎖空間、開けた広場、高所、そして未知の人に対して不安を抱いている。これらすべてに対して不安を抱いている人もいるし、私のようにヘビと高所だけが苦手な人もいる。 この論法で言えば、人種差別と外国人排斥は、自動操縦装置が即座に発している信号であり、ゆっくりとした理性的・合理的な思考の信号ではない。憎悪に発展する可能性のある不安の九割は、見知らぬ事柄に対する無知、つまりは、故郷以外の世界を知らない経験不足が原因だと私は確信している。


若干楽観的すぎる気もしないでもないけれども、根気強く長い時間をかけて不安を乗り越えて、外の世界と触れ合う機会を増やしていくことで世界は再び寛容で開かれお互いを尊重していつでも受け入れる用意ができている社会へと向かい始めることができるかもしれないというのは素敵な考え方じゃないだろうか。そうだ僕たちも旅に出よう。その前にまずはコロナ禍を乗り越えてからだけどね。

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鬼火(The Night Fire)
マイクル・コナリー(Michael Conneliy)

2021/08/10:マイクル・コナリーの33冊目の作品になるのだそうです。ボッシュは1950年生れで舞台は出版年である2019年という設定なのでなんと69歳になることになるようです。早速仕入れたものの夏休み直前、これはお休みの日にぬくぬくと読もうと考えておりました。しかし先にカミさんが読みはじめ、黙々と進んでいる姿を目にしているとなんだか待ちきれなくなってきてしまい、上巻を彼女が読み終えるやいなや僕も読み始めてしまいました。

結果夏休みに入る前に読み終えてしまいました。どうやったらこんなにてんこ盛りに詰め込んで破綻なく怒涛のラストへ駈け込める展開を生み出すことができるんだろうか。

ボッシュは葬式に参列している。亡くなったのはボッシュの師匠ともいえる存在の元刑事であった。駆け出しのころのボッシュとパートナーを組み捜査というよりも刑事として物事の捉え方、考え方を叩き込んでくれた人物であった。引退してかなりの歳月が経過していたが、葬式にはロス市警の正規儀仗隊とバグパイプ吹きが加わり最大級の敬意が示されていた。 葬儀後故人の自宅で開かれたレセプションに招待されたボッシュに夫人は受け取ってほしいものがあると告げる。手渡されたのは一冊の殺人事件調書であった。

レネイ・バラードはハリウッド分署のレイトショーで相変わらずの日々を送っていた。今夜はホームレスの焼死体の現場に駆け付けたところだった。その人物はナイロン製のテントの中で恐らくは眠っている間にテントごとまる焼けになっていた。遺体は溶けたテントが絡みつき酷い状態になっていた。そんな状態にもかかわらず死体の状態は安らかに眠っている姿勢をとっていた。酔っぱらっていたのか、薬物で正体不明になっていたのか、それとも焼ける前になんらかの原因で死んでいたのか。放火なのか事故なのか。

初動捜査を進めているところにロス消防局の放火事件専門消防士が現場に到着する。彼らは普通の消防士とは違い法執行機関と刑事の訓練を受けており死者が出た火災の徹底的な捜査を期待されている組織であった。そしてそのような組織はロス市警と必然的に縄張り争いが生じていた。彼らは到着するやいなや事件捜査の主導権を握り、バラードをおっぱらいにかかってくるのだった。

現場を離れ報告書を書くために署に戻ると彼女の机の上には殺人事件調書が置かれていた。被害者はジョン・ヒルトン。1966年生れ。1990年8月3日死亡。ボッシュはバラードにこの事件を一緒に調べてみないかと持ち掛けてきたのだった。亡くなった元刑事は何故この事件調書を自宅に持ち帰っていたのか。それは盗んだと言われても仕方のない行為だった。しかも彼はこの事件を個人的に調査していた形跡がなかった。誰にも捜査させたくなかったからなのだろうか。

バラードは申し出を受け、調書を読み始める。被害者のジョン・ヒルトンはフリーウェイの高架橋が間近に聳える商店街の路地裏の通りで停まっている車のなかで射殺死体となっているところをパトロール中の警官によって発見されていた。麻薬所持などの罪で逮捕され一年前に出所してきた前科者だった。車の外からの一発の銃撃で斃されており、麻薬取引絡みの事件だと目される状況であった。20年間封印されていた事件の状況証拠は銃弾のみ。果たして事件捜査を進展させることができるのだろうか。

ボッシュはミッキー・ハラ―が弁護を務める事案の法廷の傍聴席に座った。ボッシュはハラ―に頼み事があって彼のもとへ訪ねて行ったのだった。法廷ではハラ―の弁護が始まったところだった。争われているのは判事の刺殺事件の犯人とされる人物についてであった。判事はこの裁判所の近くにある公園で殺されていた。犯人とされる人物は被害者に残されたDNAで特定され、殺害したことを認める自供をビデオ撮影されてもいた。

贔屓目に見ても勝ち目のない裁判だった。ハラ―が弁護している事件であったこともあり経緯を追ってきていたボッシュには何かひっかかる部分を感じており、ハラ―に事件調書を読ませてくれれば何か力になれるかもしれないと申し出る。ハラ―は被疑者が統合失調症であり事件の直前に発作を起こしていたこと、刺殺の手腕が玄人なみであったことから犯人ではないと確信してはいたが、真犯人ではないと覆せる材料がなかった。渡りに船とばかりにボッシュに協力を依頼するのだった。

物語はボッシュ、バラード、ハラ―の三人とそれぞれが抱える事件の経過を追って目まぐるしく、そして怒涛のクライマックスに向けて展開していく。30年、年一冊判で押したように作品を生み出し続けてどれも読ませる、うならせる作品に仕上がっているというのは正に稀有な存在であると言えるでしょう。リアルタイムでコナリーの本と歩んできたというのはとてもありがたい出会いだったと思います。


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ウナギが故郷に帰るとき
(The Gospel of the Eels: A Father, a Son and the World's Most Enigmatic Fish)

パトリック・スヴェンソン(Patrik Svensson)

2021/08/07:素晴らしい本でした。これほど面白くて好きになる本は久しぶりであります。面白いというよりも「好き」が先にくる感じです。なんといえばいいのかこの本のどこからどこまでも「好き」だ。語られる、もちろん本題はウナギである訳だがそのウナギに関する生物的な話も、文化的な話も、ウナギの正体を追ってきた人々の話も、そして著者が父親とウナギ釣りをしたりしていた幼少の頃の思い出話もすべてが愛おしい。

そう本書は愛おしいのだ。著者のウナギに迫る静かな情熱も、ウナギを起点に踏み込んでいく哲学的な内省も、家族に向けられる暖かいまなざしもすべてが愛おしい。

本書でどんなことがどのように語られているのか。普段通り要約するとか引用するとかいうことをして記事を纏めようと試みましたが、どこをどう切り取っても陳腐なものにしかならない気がして全然まとめることができません。

(目次)
1 ウナギ
2 川べりで
3 アリストテレスと泥から生まれるウナギ
4 ウナギの目をのぞきこむ
5 ジークムント・フロイトとトリエステのウナギ
6 密漁
7 ウナギの繁殖地を発見したデンマーク人
8 流されずに泳ぐ
9 ウナギを釣る人々
10 だまし討ち
11 気味悪いウナギ
12 動物を殺す
13 海の中で
14 罠にかかったウナギ
15 故郷への長い旅路
16 愚か者になる
17 絶滅の危機に瀕するウナギ
18 サルガッソー海で

ページをめくるたびに新たな切り口で語られる逸話は、著者の計算だなんて邪推すること自体憚られるが見事に読者を引き込んで離さない。その反面、本書自体は捉えどころがなくまるでウナギそのもののように僕らの手からするりと抜け出してしまうようにも思える。
アリストテレスの言葉を信じるなら、すべてのウナギは泥から生まれる。


ウナギは謎の存在であり続けた。ウナギは魚なのか、それとも全く別の何かなのか?繁殖の方法は?卵生なのか胎生なのか?無性生殖か?両性具有なのか?どこで生まれ、どこで死ぬのか?


ウナギはいつ成長するのか周囲の環境に応じて時期を変えることができるらしい。海に向かう時期を何年も何年もじっと待ち続けていることもあるのだそうだ。場合によっては幼魚の状態で数十年も過ごしそのまま死んでしまうものもいるらしい。

自身の成長をコントロールし、ひょっとしたら死んでから蘇る力を持っているかもしれないウナギはそしてきっと意識も持っているらしい。という訳で、どこまでもつかみどころのないウナギと同様、本書はつかみどころのない奥深い本なのでありました。


△▲△

人は簡単には騙されない: 嘘と信用の認知科学
(Not Born Yesterday: The Science of Who We Trust and What We Believe)

ヒューゴ・メルシエ(Hugo Mercier)

2021/07/22:人は簡単には騙されない。いやそんな事はないと大方の人が思うのではないだろうか。僕自身もそう思っていました。いや読み終わった後でも必ずしも確信を得たという訳でもないような気がする。それよりも読後にもやっとした思いから抜け出せないでいるのは「騙される」という意味だ。

「騙される」というのは悪意を持った者によって嘘や損を被るような言説にひっかかって間違った道に進むとか実際に損をすることのようなものをイメージしていた。だが本書で冒頭例示されてくるのは地球平面説であったり金正日が瞬間移動できるということを信じている人であったりトランプのデタラメを妄信して暴徒化してしまうような人々の話だ。

彼らは騙されていると捉えるべきなのだろうか。確かにフェイクニュースに踊らされているとか怪しげなWEBサイトの記事を鵜呑みにしてしまった等ということがあったのかもしれない。トランプの場合はそうした連中を扇動することで大統領になったとか権力を握ることができた訳だから彼らを騙していたと言うことはできるのかもしれないけれども、やはり若干腹落ちしない。

騙されているかどうかというよりも自身が持っている信条・信念はそんなに簡単に覆らないというようなことの方が本書全体を通じていわんとしていることに近い気がします。勝手ながらこの線で本書を読解していきたいと思います。

本書で取り上げられる信条・信念を覆す可能性のあるものとして、マインドコントロールや洗脳、サブリミナル効果は成功率が低いか根拠がないこと。巷にあふれるデマや預言者、伝道師の言葉、政治や選挙でまき散らされる、宣伝、キャンペーンといったものによって個々の人々は自身の信条を捨てて他の考えに移ろっていくことがいかに少ないかということを過去の事例や実験を通じて得られた結果に基づき具体的に説明していく。

同様にサブリミナル効果や無意識の心のコントロールに対する恐怖には根拠がまったくない。閾域下の刺激の効果を示す初期の実験は、でっち上げにすぎない。映画館で「コークを飲め」などという広告を観客の閾域下に提示したためしなどない。それに続いてさんざん行われた実験では、閾域下の刺激が人間の行動に有意な影響を及ぼすことを示す結果はまったく得られていない。


読者はこうした例を読み進んでいくに従い確かに自分自身も自身の信条・信念にそぐわない考え方や判断結果をどんなに丁寧に説明されてもなかなかそう簡単には納得しないことに改めて気づかされていく。

読むのか聞くのかに関わらずある言説を前にした時に人々がこれを受け入れるか拒絶するかを判断するメカニズムを本書では「開かれた警戒システム」と呼んでいた。「開かれた警戒メカニズム」は警戒しつつもオープンに情報を受け付け、その内容を慎重に吟味し有用なものは受け入れ、有害不要なものは捨て去る。情報を吟味する方法として「妥当性チェック」と「推論」を行うのだという。

「妥当性チェック」は自らが持つ既存の信念のもとで情報を評価すること。「推論」とは、議論が既存の推論メカニズムと符合するかどうかで評価を行うというものになるのだそうだ。我々雑食性で社会的な動物はこうした「開かれた警戒メカニズム」を進化の過程で獲得しその能力に磨きをかけてきたのだという。面白いと思ったのはこうした機能が損なわれた場合、保守的な姿勢に回帰してしまう。つまり新しい情報を受け付けられなくなってしまうようなことが起こるのだそうだ。結果僕らは騙されやすくなるのではなく、より頑固になるのだという。

この場合の「開かれた警戒メカニズム」が損なわれた状態というのは、オープンに情報を受け付けない、妥当性チェックを上手に行えない、推論が上手に導き出せないなどの状況を指すのだろう。

騙されるという言葉には軽率・迂闊という印象が伴うのだけれども、極端な信条や歪んだ信念を持っている方々を僕らが遠くから様子を伺っているところで受ける印象はまさに「頑迷」。

彼らは自分たちの信条や信念に沿わない情報を遮断し敢えて開かれた警戒メカニズムを機能停止し、自分たちの考え方を変えることができない状態に自ら陥っている可能性があるということだ。ここで僕は一旦彼らはと書きましたが、こうした信条・信念に沿って自分が手にする情報を読んで理解する前から操作してしまうということは実は自分たちもやっていることでこれは正しいかどうかには関係がない。結局意見の異なる者同士が相いれない状態で分断が進んでしまっている背景にはこうした情報を自ら操作しているところにあるという意味なのだろう。

分断が進んでいる印象があるのは、人々がより極端な見解を抱くようになったからというより、いくつかの政治的争点をめぐって、自分を民主党支持か共和党支持かに一貫して位置づけるようになったことに由来する。そのような一貫した自己の位置づけは、部分的には、民主党支持者と共和党支持者が、主たる政治的争点に関していかなる姿勢を取っているのかを示す情報が手に入りやすくなったことの結果として生じたのである。2000年の時点では、アメリカ人のかろうじて半分が政府の支出はどの程度であるべきかなどの一連の重要な政治的争点に関して、大統領候補のアル・ゴアが対立候補のジョージ・W・ブッシュより左寄りであることを理解していたにすぎない。しかし2016年になると、アメリカ人の四分の三が、同じ争点に関してヒラリー・クリントンがドナルド・トランプより左寄りであることを理解していた。分断が高じたと確実にいえるは、感情面においてである。というのも、アメリカ人が自分を一貫して民主党支持か共和党支持かに位置づけるようになった結果、両者とも激しく相手陣営を嫌うようになったからだ。


アメリカ大統領が共和党なのか民主党なのか遡って明確に記憶している日本人は少ないだろう。共和党・民主党の政治的信条の違いについても今ほど明瞭に理解されている時代はなかったのではないかと思う。同様に自民党を代表とする日本の政党政治も共産党を除けばその時その時の政治スタンスは右に左に揺れ動いてきたし、自民党の内部にも右よりの人もいれば左寄りの人もいて政治思想に基づく政党とは言えないのではないかとすら思われていた時期があった。しかし、今の自民党が良し悪しはともかくどんな政治信条に立脚しているのか僕だけでなく多くの人が理解し始めているし、自民党擁護派と非・反自民党派の間では激しく嫌う風潮がここまで高まった時代はなかったと思う。

我々はツイッター等において相手のことを貶したり間違っているなどと糾弾したりしているけれどもその声は相手側に届くことはなく、ただ同じ意見の人々の間でのみ反響をしていく。反響し共鳴してあうことで自分の意見はますます強化されていく。この積み重ねがつまるところ両方の立場で進んでいる訳だ。なるほど。そしてますます我々は頑固になって自分たちの意見を軌道修正できなくなっていく。

それでは我々はどのようにして自分自身の信条・信念を獲得してきたのだろうか。それは自分の家族や属する集団や社会の価値観のなかで育つ過程でじっくりと培われていくものなのだ。穏健な家庭からファシズムに傾倒する人物が育ってしまうようなこともない訳ではないが、そうした人物は親か地元の友人たちと断絶し、そのような考え方を持っているグループからそうした考え方を受け継いでいるのだと思う。

正しいか正しくないかに関わらずある種の信条・信念が根差した人の考え方は、それを前提とした妥当性チェックや推論によってより強化されていき、当事者の信念が揺るぎないものになっていく。結果、本書のタイトルにあるように、昨日・今日生まれた訳じゃない。そんなに簡単に他人の言うことを鵜呑みにしたりはしないよ。ということになるという訳だ。なるほど。本書は巻末の訳者あとがきも非常に示唆に富むなかなかの良書であったと思います。

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