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  2008年度第3クール。10月に入りました。最近は健康管理の一環ではじめたポダリング。気の向くまま川を巡る遊びにハマってます。仕事が一段落してほっとしたものの、頸を捻って寝込んだりかと思えば携帯電話が故障、自転車がパンクと何かに狙われているような目に遭ってます。でもめげずに前身あるのみ!


禅とオートバイの修理技術
(Zen and the Art of Motorcycle Maintenance: An Inquiry into Values)」
ロバート・M・パーシグ(Robert M. Pirsig)

2008/12/23:僕は16歳になるとすぐに中型自動二輪の免許を取りバイクに乗った。30過ぎまで約15年走った。バイクはちゃんと自分でバイトして買った。免許を取る前からカワサキ党であった僕が選んだのはZ250FT。

記憶ではこのバイク、クラス初の単独設計。つまりその当時走っている他のバイクに比べて、サイズ、エンジンに対して最適化されていた訳で見た目も走りも悪いわけがなかったと云う訳だ。

SOHCの空冷2気筒のエンジンは加速も減速も非常に扱いやすく良く走る素晴らしいバイクでした。二台目はZZR400。乗り心地は全く別次元。抜群のコーナーリング性能で最適な速度とギアで進入すれば正にオン・ザ・レール。思わず笑ってしまう程でした。

しかし15年も走ればそれこそ色々あった。

なんと言っても一番肝を冷やしたのは長いトンネルの途中でのガス欠。結婚する前の話だがカミさんと二人で乗っていた時、結構なスピードでバンバン車が走ってくるトンネル内で立ち往生してしまったのだ。

このままもたもたしていたら絶対間違いなく車に跳ねられると思った。降りてバルブを確認するとリザーブタンクに切り替えたつもりが実は変わって無かった事がわかり、辛くも走り出す事が出来た。あれは今でも危機一髪だったとホントに思う。そしてなんで愚かにもバルブの操作を間違ったのか自分呪った。

また一番多かったのはパンク。ZZRはチューブレスになっていたが、FTはチューブでよくパンクした。延々と何キロも押したなんてこともあった。

福島県境でパンクした時は近くにあった自動車修理工場のおじさんに頼んで修理してもらった。引き受けてくれたのはありがたい限りだったけど、車用のジャッキを持ち出してきたときはびっくりした。

「いやいや、多分そんな大層なモノは要らないんじゃないかと思うんだけど」

「え?そうなの。普段どうやってタイヤ外してるの?」

マジですか。四苦八苦してようやく取り付けて貰った後も地面に変な部品が残っていないかすごく心配だったなんて事もあったな。

オートバイはあらゆる構成概念の集積によって生まれた鋼鉄のシステムである。
だが鋼鉄には本来部分というものはないし、形もない。またそれは人間の精神によってもたらされたものでもない・・・。

鋼鉄にかかわる仕事をしたことのない人は、オートバイが本来精神的な現象であると聞いて、だいたい困惑してしまう。

金属といえば、こうした人は形のあるものを連想する。パイプ、ロッド、ガーダー、工具、部品など、これらはすべて一定の侵しがたい形を持っている。だからもともと形があるものだと思ってしまうのだ。だが、機械製造、鋳造、鍛冶、溶接などの仕事に携わる人は、「鋼鉄」に形があるなどとは思ってもいない。

熟練した人であれば、鋼鉄を思い通りの形にすることができる。形というものは、このタペットのように、人が考え、人が鋼鉄に与えるものなのである。

鋼鉄には、エンジンのまわりに付着したこの泥の固まりほどの形もない。形はすべて、人間の精神によってもたらされるものなのだ。

ここのところが重要である。では鋼鉄はどうか?何と、鋼鉄ですら人間の精神の産物なのである。自然のなかには、鋼鉄など存在しない。

青銅器時代に生きた人でもそう言えただろう。自然のなかにあるのは、鋼鉄を生じさせる潜在的な物質である。

それ以外は何も存在しない。では、その「潜在的なもの」とは何であろうか?これも人間の精神の産物にほかならない!すなわち幽霊である。


後輪のパンクは真夏の溶けたアスファルトの上に乗ったような感じでニュルッとしてくる。「おや?」と思った途端後輪は横滑りをはじめてしまうのだ。

切れ角一杯まで使ってカウンターをあてて切り抜ける。視野の端にタンデムの気配が見えてくる程だ。

一方前輪のパンク。前輪のパンクは怖い。ハンドルが激しく左右に振れるので掴んでられなくなるのだ。タンクにしがみつき、下肢全体で車体を安定させた状態で後輪ブレーキで停車するのだ。

ハッキリは解らないがどうやら僕のバイクはホイルの内側の何かがタイヤチューブに穴を開けてしまうらしい。前輪のパンクも何度目かになると慣れてくるものだ。「繰り返しパンクする」と云う事情がなかなか修理してくれる人に伝わらず歯がゆい思いをしたっけ。じっくりホイルの内側をチェックしてもらって原因らしき突起を発見。それを削ってもらって漸く事態が沈静化した。

ある時近所だけど行きつけてた訳ではないバイク屋でオイル交換してもらったのだが、翌日暖機してたら足下に何か動きが。ふと見ると足下に水たまりが広がってきていた。

それは僕のバイクからドレンボルトが緩んで抜け落ちてオイルが流れ出していたのだった。押してバイク屋へ行くと「いやいやごめんごめん」なんて言って無償で再充填してくれたけど気づかず走り出していたら大変な事になっていた。

自分の命をあずける車のメンテをよく知りもしない修理工の人に任せるのは辞めた。それ以来オイル交換は自分でやるか、やって貰っている間は側にいるようにしていた。

走行中にヒューズが切れる故障が繰り返し起こるようになった。これがどうやら時速7〜80kmを越えた辺りで起こるのだが原因が分からない。

ヒューズが切れると即エンジンが止まりエンジンが止まると当然ながらエンジン音がパタッと止んで風切り音だけになってしまう。

時速70kmで風の音だけになるとこれはなかなか怖いものだ。原因はセルスタータースイッチがあるハウジング内で漏電だったらしい。何時止まるか解らないバイクに乗っているのは非常に不安だった。勿論予備のヒューズも持ち歩いてたっけ。

交通社会は走り出せば初心者である上に16歳になったばかりの僕を暖かく受け入れてくれるなんて事は全くなく、世間知らずな挙動は激しく非難されるばかりか嫌がらせもされる。

これは手探りでしかも真剣に学ばないと大変な事になると感じ始めたやさきに同学年の友人が事故で亡くなった。追い越しする際に対向車線で対向車と正面衝突したのだ。即死だった。

通夜に駆け付けた時に見せられた友人の顔は今でも忘れられない。もう一つ記憶に鮮明に残っているのはドライアイスが遺体のまわりに敷き詰められていた事だ。僕らがお焼香させていただいてる間にご両親は葬儀業者の人とドライアイスが足りなくなるかもみたいな会話をしていた。

「死」そのものの事や自分が死ぬと云う現実をあれほど強く突きつけられたのはあのときが初めてだったのではないだろうか。

友人を失ったショックは強烈だったがバイクに対する情熱が消える事はなく僕は隠れて乗り続けた。しかし確実に変わったのはバイクに乗る姿勢だ。なんでアイツは逝ってしまい、僕はこうしてバイクで走っているのか。死ぬかもしれない。戻ってこれないかもしれないと云う思いを常に持って乗るようになった。

ツーリングは「瞑想」に似ていると云うか同じものであると云うような記事をどこかで読んだ。友人の死と云う出来事もあってバイクのツーリングは大勢で走るものと云うより独りで思索にふけりつつ走るものになりがちであった。あれはなんの雑誌だったのだろう。「ライダース・クラブ」だったのではないだろうか。いやいやそうに違いない。そんな哲学的な記事を掲載してる雑誌なんて他に思いつかない。

「禅とオートバイの修理技術」を読んでどうやらこの瞑想云々と云う話しの元ネタはもしかしたら本書なのかもしれないと思った。

もうオートバイを降りて15年近く経ち忘れていた事が、この本を読んで沢山蘇ってきたのが何より嬉しい。

ツーリングは素晴らしい。季節によって変わる空気の匂いを嗅ぎ、木や雲が立体的に動き出す光景。思いがけない出会い。

次から次へと現れる道を切り抜ける操作技法の向上。ブレーキングとシフトダウンのタイミングとアクセルのコンビネーション。そして体重移動と車体の押さえ込み等々、全身を使って如何にバイクの性能を最大限に引き出し、如何にキレイに見事に走り抜けられるか。

コーナーに進入したら歩行者が横断中だったり、舗装が切れていたり、そもそも想定しているよりずっときつく曲がっているなんて事だって十分あり得る。そうした先に何があるか解らない一般道を何年も何年もの間ずっと無事に走る事だ。

ここで言う上手く走ると云う事は必ずしも早く走る事を意味しない。無謀であったり、恐怖感に打ち勝つ肝っ玉だけではダメなのだ。僕はこの鍛錬に打ち込む事に喜びを見いだしていた。

人馬一体と云う言葉があるが、相手がバイクの場合にもこれは通じる。バイクを上手く走らせると云う事は結局自分自身と向き合う事に他ならないのだ。

僕の通った教習所は「鬼」と呼ばれた厳しい教習所であった。教習所では急制動から低速・高速コーナーリングまで、それって趣味でやってますよね。と云うくらい激しい走行訓練を実施していた。下手な走りをすると教官はパイロンを投げつけてきたりするようなところであった。

曰く「停止線手前端の線に前輪の先端がぴったり合うように停まれ」とか、「急制動では、前輪がロックしたらちょっと戻すくらいのつもりでやる」とか。

僕のライディングの美学はこの教習所で培われたと思う。なので今でも前を走るバイクを一目見ただけで大体技量が解ってしまう。コーナーの進入であったり、交差点での停止の手際ひとつとっても下手くそなのはすぐ解る。そして下手くそなライディングを見るとすごく腹が立つのだ。

ブツブツ文句を言っているとカミさんがよく一目みてそれがダメだとどうして解るのかと質問してきた。解ると云ったら解る。ちゃんとした見る目を持っていれば解るのだ。

それは本書で云うところの<<クオリティ>>そのものだった。

形はすべて、人間の精神によってもたらされるものなのだ。ここのところが重要である。では鋼鉄はどうか?

すべてが精神に帰着すると言ったパイドロスが心底語り明かしたかったことは、実はこういうことであったのだ。

エンジンのようなある特定のなものに言及せずにこんなことを言えば、気違いじみた感じを受けるだろうが、

ある特定の具体的な事物に当てはめてみると、気違いじみた感じが消え失せ、パイドロスが実に意味深いことを言っていたことが分かる。


ごく普通のツーリングのような話しから始まる本書は本人も含めて何か不安な雰囲気が漂っている。一体この旅の本当目的は何であり、どうしてみんなちょっと不安そうなのだろう。

やがて内容はツーリングからバイクのメンテナンスの話になり、そしてそれはバイクそのものの話からやがて自分自身の話しになっていく。

現実のバイクでの移動と同時にパーシグの過去へと遡っていく。実は旅の目的地はパーシグがかつて暮らした場所である事がわかる。思索と現実の旅の目的は実は両方とも自分自身の過去を辿る旅だった訳だ。

では、どうしてそんな旅に出る事になったのだろうか。


そしてそれはおそらくこんな場所を通ったのではないだろうか。



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パーシグは<<クオリティ>>と云う考えにとらわれその考えに集中し深い思索を長時間続けた。その思索があまりにも過酷だった故か精神に異常をきたしてしまったのだ。その治療の一環で行われた電気治療によって過去の記憶を失っていたのだった。

パージグは失われた自分の過去を取り戻す為に自分の過去へ向かって旅をしているのだ。失われた過去を辿る旅路として精神・記憶の世界と現実のミネアポリスからボーズマンへの旅と云う二つの世界。そしてオートバイとパーシグ、パーシグとクリス。客観と主観。

読み終えて振り返った時に初めて目にするこのパーシグの思索の深さと本書に織り込まれているその遠大な目論みはまるで高い山の頂上でしか目にする事のできない光景だ。

本書で明らかになる<<クオリティ>>は一から十まで全部もっともな事であり、実は既に解っている事に限りなく近いと感じた。

読んでみれば全て自明の事であった訳だがそれを言葉にする事が出来なかった事が書いてあると云うのが最も近い表現かもしれぬ。

真理を超えたものとして実在する<<クオリティ>>である。読んで良かった。読書のよろこびこそこの本にある。


キース・ツィンママン&ケント・ツィンママンの「ヘルズ・エンジェル−サニー・バージャーとヘルズ・エンジェル・モーターサイクル・クラブの時代」のレビューはこちら>>


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サラマンダーは炎のなかに
(Absolute Friends)」
ジョン・ル・カレ (John Le Carr´e)

2008/11/30:ル・カレの本は「パーフェクト・スパイ」以来なので、ずっごく久しぶりである。正直、「パーフェクト・スパイ」を読んでしまって、もうこれ以上のものを望む必要はないのではないかと直感的にこの分野は一つの終わりを迎えたと自分のなかでは結論を出してしまったような気がしていた。

ジョージ・スマイリーの物語を最初に遡ってもう一度読んでみたいと思うし、今読んだらまた違った趣もあって絶対に面白いのではないかとは思うのだけど、それにル・カレの本に没頭するには相当の時間と労力が必要であり、踏み出す意思決定を下す勇気は今の僕にはない。

先日、ずっと観たいと思っていた「ナイロビの蜂」を通して観た。ル・カレはル・カレでありながら、国家の諜報とは違う世界で十二分に面白い物語を描いている事と、その世界が実は今非常に重要な問題を生み出し続けている事にしっかり着眼して書いている事に、「つい、うっかりしていた!」と思わせる程の出来上がりであった。

過去の本の読み直しは兎も角、これは絶対に読まねば等と思っている矢先に出版されてきたのが本書「サラマンダーは炎のなかに」であった。なんと。絶妙なタイミング。

全く内容も見ずに迷う事なく飛びついた。

バイエルン、狂王ルートヴィヒ2世の建てたリンダーホーフ城でやや胡散臭いツアーガイドを務めている一人の男がいた。


リンダーホーフ城(Schloss Linderhof)


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男はテッド(エドワード・A)マンディと云う50歳を越えるイギリス人であった。彼は少し前までハイデルベルグでプロフェッショナル英語学院なる学校を経営していた。

共同経営者が有り金を持ち逃げした事に気付くや、テッドも身の回り品をかき集めてミュンヘンへ逃亡してきたのだった。

現在は20代後半のトルコ人女性ザーラとその息子ムスタファの三人で貧しい暮らしをしている。テッドはこのザーラと逃亡先のミュンヘンで知り合い一緒に住み始めたばかりなのだ。

ザーラはトルコで父親が決めていた相手と結婚してムスタファを生んだが、この相手が実は犯罪者であり、刑務所に入った事を機会に逃げ出してきたのだった。

互いに逃げ出した身であり、助け合うにも信じて良いのか手探りしつつ近づいた三人だったが、どうにか職を見いだし生活と呼べるような暮らしができるようになったばかりなのだった。

観光客相手にルートヴィヒ2世とリンダーホーフ城の説明を繰り返すテッドの前にある日、無二の親友であるサーシャが現れた。サーシャとは10年ぶりであるらしい。一方的に手紙が届いたりはしていたようだが、テッドはそれを開封もせず仕舞い込んでいたのだ。

何故テッドはサーシャの手紙を読まずにいたのだろう。会社を潰して逃亡中の身であるテッドの居場所を見つけ出し、何やら目的を持って近づいてきたらしいこのサーシャは一体何者で、その目的はどんなものなのか。

物語はパキスタン自治領が発足したその日に前日まではインドであった場所で生まれたテッドの生い立ちに一気に遡って行く。

パキスタンで少年時代の過ごすテッド、イギリスへ戻ってから、そして学生時代。ここで語られるテッドの生き様は森のなかの地面の如くじっとりと息づいており、その深さと味わいの点でも第一級だ。この心地よさは「パーフェクト・スパイ」をも凌駕しているかもしれぬ。

鉄のカーテンの時代では学生時代に知り合ったサーシャとテッドは諜報活動に参加する事になるのだった。そして10年後、リンダーホーフ城で再びであった二人。彼らの人生には胸が詰まる。
しかし、問題の本質はル・カレが描こうとしているものはこれとは別にある。テッドとサーシャの人柄や人生に魅入られれば魅入られる程、その向こう側から立ち上がってくる黒く濃い怒り。
これがル・カレの怒りなのであり、こうした事が現実には起こっているのだぞと云うル・カレの叫びなのである。

「つまりだ、ミスター・マンディ、私は西洋社会の発展にとって投票箱よりももっと重要なことについて話しているのだ。すなわち、人生最高の発育期にある若者の心を意図的に腐敗させることについて。企業または国−−もはやこの両者にはちがいはないのではないかと私は思いはじめているが−−の操作によって、揺りかご時代から彼らに押しつけられている嘘について。第一、第二、第三世界のあらゆる大学のキャンパスを浸蝕している企業権力について。企業投資家に有利で、哀れな貧乏学生に有害ないかさまの解決策がとられることを条件に、企業の金が教授陣に投資されることによって広まる、教育植民地主義について話しているのだ。」

これを読まない手はないと思います。
我々はもっと眼を見開き、学び続ける義務がある。

ナオミ・クライン(Naomi Klein)

アルンダディ・ロイ(Arundhati Roy)

ジョージ・モンビオット(George Monbiot)

マーク・カーティス(Mark Curtis)

ジョン・ピルガー(John Pilger)

ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky)

ジョセフ・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)

スーザン・ジョージ(Susan George)

テオドール・アドルノ(Theodor Ludwig Wiesengrund Adorno)

マックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)

ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)


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ザ・パージァン・パズル アメリカを挑発し続けるイランの謎
(THE PERSIAN PUZZLE)」
ケネス・ポラック (Kenneth.M.Pollack)

2008/11/24:イラクとの戦争が一段落したと思いきや今度はイラン。イランの大統領マフムード・アフマディーネジャードの唐突な登場とそのテンションの高さは無知な僕にとっては非常に奇異な姿に映る。

どうしてこんなに怒っているのか。それも核も絡んでいる。

産油国であるイランが原子力発電所が必要だとしている事も日本人として不思議な感じだ。発電所といいつつ核兵器の足がかりとし て利用しようとしているのではないだろうか。核兵器を既に持っているものが、持っていないものに対して保有は許さないとするその主張は筋が通っていないとは思うが、これ以上核兵器をい ろいろな国がしかも勝手に保有できてしまうようになっても良いとは全く思わないし、ましてここまで混乱している中東に核は何が起こるか分からないと云う点では少なくとも地球上の大多数の 意見と考えても間違ってはいないと思う。

また先日読んだフレデリック・フォーサイスの「アフガンの男」も背景となっているイスラムの断片化については、読み手として自分が良く分かっていない部分が多々あるような気がしてならなかった。

マフムード・アフマディーネジャードについても、テヘラン市長として「世界の市長」の候補者に名を連ねてたと云うような情報と(そもそも「世界の市長」って何?)大統領になってからのその過激な言動は全くちぐはぐに見える。これはやはり伝わってきている情報が断片なんだろうと思う。

それを知るためには一体何が起こっているのかだけでなく、どうしてそうなのかについても教えてくれるような本を探して読むしかない。そんな目線で探したところ目に飛び込んできたのが本書「ザ・パージァン・パズル アメリカを挑発し続けるイランの謎」である。「パージャン」はペルジャンまたはペルシァンであり、なんでイランはアメリカをああまで挑発してきているのか。正にドンピシャなタイトルだ。

このような本を選ぶ際に注意したいのが書いた人だ。ありがちなのは隠された意図を持ったヤツや、本来そんな本を書く資格すら怪しげなとんでもない人物が書いた本にうっかり手を出し、それを鵜呑みにしてしまう愚を犯さないようにする事だ。その為には飛びつく前にちゃんと書き手の素性を調べておきたいものだ。

このケネス・ポラックは1966年生まれのアメリカ人で、イエール大学を出、マサチューセッツ工科大でポスドク。CIAに入省しイラク・イランの軍事情報分析官を務めた後、クリントン政権の国家安全保障会議で中東・南アジア情勢担当部長、ペルシャ湾情勢担当部長を務めた人物。

また、翻訳者の佐藤 陸雄は毎日新聞でニューデリー(兼テヘラン)とカイロの特派員、ワシントン支局長、論説委員を歴任された方で、現在は「国際塾」を主催されているそうだ。この国際塾は府中市立図書館の若葉分館で地元の方を対象にテーマは「世界はどうなるの?」といった事を解説したりしているかなり柔らかいものらしい。

文章がかなり長文でそれがひたすら重なるので非常に読みにくく、実際上下二冊は隙間なく文章で埋め尽くされているがセンテンスの数はかなり少なめなのであると云う難点はある。また立ち位置として、当然だがあくまでアメリカ目線であり、特にクリントン政権下での対イラン政策について擁護的、弁解口調であると云う面があるが、狭量だったり、右寄りすぎるという事はなくアメリカの政策や主義主張の正しさなどをゴリゴリと押し付けてくるようなものではなく非常に冷静な内容であった事を先ずはお伝えしておきます。

上巻冒頭から約100ページはペルシア・イランの7千年に遡るその歴史が駆け足で語られる。他の情報とひと味違っているのは、この長い歴史のなかで、特に先史時代、いわば人類の歴史が刻まれた最初の地にして古代ペルシアから綿々と世界最大の帝国を築く程の規模に拡大したペルシアの歴史が現代のイラン人の大きな背景として息づいているという事が描かれている点である。

かつて世界を支配した偉大なる戦士にして王であった祖先を持つ誇り高いイラン人々にとって、西洋社会との関係と近代化の二つおける敗北や挫折は異教徒と祖先に対する二重の意味で屈辱的な敗北であるが非常に詳細にわたって書かれている事だ。

時代が下り現在に近づけば近づく程、内容が濃く詳細になっていくイランの近代化政策と無配慮な西洋諸国、特にアメリカの内政干渉。その全てが結びついてイランとその国に生きた人々にとって正に不幸の連続であった出来事が語られていく。

近代、西洋社会がタバコだ石油だと云った通商であったり、ドイツだソ連とのファシズムや共産主義と云ったイデオロギーの問題から様々な形でイランに介入してきた訳だが、イランの国の人々にとってはその全てが同時に宗教的側面を孕んだ問題であった事。彼らにとっては国籍よりも宗派が常に肝心だった。

イランは1949年。世界で最も貧しい国の一つとなり、度重なる戦争と国内の政情動乱による膨大な死者に加え、ホメイニの生めよ増えよと云ったメッセージによって1995年にはイラン人の平均年齢は17.6歳に低下してしまった。イランは石油によって豊かになることにすら失敗し、未だに電力の供給が不安定だったりしているのだ。イランが直面している問題は様々でありそのどれもが非常に深刻なものである。

そして西洋及び日本の干渉する側としての我々はその全てについてあまりにも無知であり続けてきた事を見事に描き出す。それはまるで出口のみえないものであり、その混乱の度合いは決して単にニュースを読んでいるだけでは知り得ない情報で一杯なのである。本書が書かれたのはブッシュ政権下の2002年。これまでのイランは共和党政権下で大胆な行動に出る傾向があるとも指摘する本書が提言しているアメリカが今後とるべき政策にはどんな選択肢があるのだろうか。

僕の限られた時間と技量では本書のポイントを述べるのは困難です。興味を持たれた方は是非ご一読をお勧めいたします。

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ミラノ 霧の風景
須賀敦子

2008/11/16:須賀敦子さんを僕は今まで全く知らなかった。先日、週末リビングで本を読んでいた時にたまたま流れてきたテレビ番組で初めて須賀さんの存在を知った。読んでいた本がやや冗長でうんざりしていた事もあったと思うのだが、その時は誰か分からなかった朗読の声がとっても耳に心地良く、何時しか本を置いて番組に引き込まれていた。

その時の番組は、BS朝日の「須賀敦子 静かなる魂の旅」と云うもので、それはその第一回「トリエステの坂道」。そして朗読しているのは原田知世さん。番組は須賀敦子さんと云う方が亡くなった夫との思い出の地トリエステを訪れている時の事を書いた本をなぞるように訪れ、須賀さんの文章を交えながら紹介する紀行ものであった。

カメラはその全く知らない須賀さんが通った、見たと思われる風景を映し出し、更にはナレーターの方がそんな事を言う。そこに重なるように原田知世の若々しく鈴のような声で語られる須賀さんのやっぱり全く知らないその夫との間の思い出、そして彼女がその地を訪れて感じた事が朗読されていく。トリエステは須賀さんの夫の生まれ故郷らしい。カメラが訪れた時、須賀さんが独り思い出を巡った時、須賀さんの夫が生まれ育った時。そして察するに須賀さん自身も過去の人となっているらしい事。そして僕がその番組を観ている時間。その幾重にも重なった時間の流れに暫し圧倒されてしまったのでした。何より朗読される須賀さんの文章。

一体どんな人なのだろう。僕の中では勝手に須賀さんと云う人は原田知世のとってもキレイな声で、この文章のようにゆっくりではあるけれど一つ一つ深く深く思慮を重ねていくような方としてセットアップされてしまった。そして時間を人生をまるでなぞるように丁寧に生きていった人なのだろうと。そんな彼女の生き方にとても心が震えた。

須賀敦子さんは、1929年(昭和4年) の生まれ、1953年から2年間ほどパリのソルボンヌ大学へ留学、1958年(昭和33年) に今度はイタリア、ローマのレジナムンディ大学へ留学した。そのごミラノのコルシア書店に務め、この書店で出会ったらしいペッピーノ・リッカ氏と結婚(1961年昭和36年)したが、ペッピーノ氏の思いがけない早世(1967年昭和42年) にあう。当時彼女は38歳である。どうやらこのトリエステへ訪れている時のお話は1971年(昭和46年)に日本へ帰国するまでの間の事だったらしい。ここで紹介されている本は日本に帰った後、平成の時代になってから著されたものだったのでした。その須賀さんも1998年(平成10年)既に鬼籍に入られている。

これはどうしても読んでみたい。何せ何にも知らないのでどこから手を着けたらいいのかよく分からなかった訳だが、須賀敦子コレクションと云うエッセイ集が数冊出版されており、どうやら観た番組に近い内容になっていると思われものとして手に一冊が本書「ミラノ 霧の風景」だ。

読んでみると、とっても静かで穏やかなのだが、須賀さんが訪れた見知らぬ街角での思いがけない出会いを古いアルバム前に走馬燈のように浮かぶ思い出と思い出の間を行きつ戻りつして複数の時間を縫うように、織るように語られ須賀さんにしかない世界観を見せてくれるのだ。円環的な時間感覚と呼べばよいのだろうか。これは何も時間が繰り返されたりする事を言いたい訳ではない。上手い表現が見当たらないのだ。

原田知世さんが正に朗読していた文章そのものもあちこちにあるような気もするのだが、これはもしかしたら僕の勝手な思いこみかもしれない。

丁度ぴったりの一文を見つけたので、引用させて頂くとこんな感じだ。

イタリアで暮らしたあいだに、何度かこういうことがあったが、自分の国ではまったく機会のないような、高貴な、あるいは閉鎖的な家の扉が、おそらくはめずらしい日本人の客というだけの理由で、なんの説明もなしに、あるいはこちらが説明の意味を汲み取れないままに、ふいに目のまえにひらかれることがある。当時のヨーロッパでは、まだ日本人がめずらしいこともあったのかもしれない。スペイン広場を見下ろす、建築雑誌に出てくるようなしゃれたペントハウスに居をかまえる、なんとかいう貴族の家で、アメリカのジェット・セット・ソサイアティの連中と食事を共にしたときもそうだったし、フランスの著名な学者の老未亡人が、ピンチョ公園に面した美術館のような自邸に案内してくれたときもそうだった。

また例えば、トリエステはウンベルト・サバと云うユダヤ人の詩人が作ったと云う書店があり、亡くなった夫の薦めでこのサバの詩に親しんだ彼女は独りトリエステのその書店を訪ねる。書店ではサバの弟子の子孫と云う方が今もその店を経営しており、遠方からやってきた物珍しい東洋人の女性を快く歓迎し、サバの書いた直筆の本などを見せてくれたりしている、しかし彼女はそんなやや場慣れした観光客向けの歓迎なんかよりも、書店の本棚に差し掛けられた古びた梯子に惹き付けられると云った形で複数の時間が同時並行して進んでいるように見えるといった風なのである。


サバと云う詩人もこの書店のなかのこの梯子に寄りかかって本を取り出したり思いにふけったりしていたのだろうかと彼女のリアルタイムな世界と、サバを媒体にして生まれた夫との幸せで心温まる日々と云う過去の世界は分かちがたく結びついており、どうやらこの時の事を書いている彼女はそのトリエステを訪れたその時よりもずっとずっと後の事なのではないかと思われるようなのである。

僕には詩と云うものがよく分からない。ましてトリエステなどと云う見知らぬ地に暮らした人の詩についてどうこう言えるような素養は持ち合わせていない。しかし、彼女のその大切にしているものの重さと溢れるばかりの愛情は理解できる。

最期にあとがきから二つ

死んでしまったものの、失われた痛みの、
そやかなふれあいの、言葉にならぬ
ため息の、
灰。

ウンベルト・サバ《灰》より

いまは霧の向こうの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる。

須賀敦子


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アフガンの男(The Afghan)」
フレデリック・フォーサイス(Frederick Forsyth)

2008/11/08:フレデリック・フォーサイスを読んでいると云う事が一つのステータスであった時期があったと思う。どんなジャンルかとか云う以前に「フレデリック・フォーサイス」と云うジャンル?

僕には、訳者の篠原慎さんの名前と共にそのお名前は何かとってもありがたいもののように感じられ、読んでいる事、読んだ本を本棚に並べて悦に入っているような時期が あった。そんなフレデリック・フォーサイスと篠原慎さんの久々の新作である。後で書くけど、諸々の出来事からフォーサイス物を僕が手にするのはそれ以上に久々である。

今回の本は父が読みたいと云うので買って送った。数日後すごく面白かったと云うので、先日帰省した時に借りてきたのだ。今でも、読み終えた海外ミステリは大抵父に送っているので今でも読んでいる本は二人で随分とかぶっている訳だが、昔からフォーサイスをはじめマルティン・ベックシリーズや開高健の本なんかは父母と僕の三人で回し読みしていたものでした。

色々調べて面白い本を見つけては親に読ませて、喜んで貰うと云うのが一つの楽しみであったと云う事は、僕がこんなサイトを立ち上げて、レビューを書いている動機と実は繋がっていたのだなと今気付いた。そしてその始まりは一体何の本であったかと辿って辿るとそこには、フレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」に辿り着く。

映画にハマりまくっていた当時観たい映画は山のようにあったが、今のようなDVDやレンタル・ビデオは疎かビデオ自体が家庭には存在せず、向かう先としては「原作小説」であった事から僕の読書遍歴が始まった。

そんな観たくて観られない映画の一本が「オデッサ・フィイル」であった訳だな。振り返るとなんて単純な動機と人生なんだろう。あ。いやいやそんな話しは今は関係ない。だからつまり積極的に親に勧めた本はフレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」であり、彼の本は以降、新作が出る度に家族で回し読みする楽しみとなっていた。

「ジャッカルの日」、「戦争の犬たち」、「悪魔の選択」、「第四の核」などどれも面白かった。夢中になって読んだ。

しかし、ミステリ小説は、スパイ小説と云う分野がレン・デイトンやジョン・ル・カレなどによって格調が高まり、エスピオナージュなどと呼ばれる分野へと変化していった。一方でポリティカル・サスペンスと云う分野も明確になりトム・クランシーが登場するとそのあまりのハイテクさと展開する規模の大きさにフォーサイスの作風は古びれてしまった。

もう一つ、トドメを指す事件だったのが、フォーサイスが日本を舞台にして書いたと云うヘンテコな一冊があって、それはどうした訳か今調べてもタイトルが分からない。

幻ではなく確かに存在した一冊であったハズなのだが、それは妙に字がおっきくてその厚さの割には中身が薄っぺらで、日本のファンの為に書き下ろされたとか銘打たれたものの、日本のファンも日本そのものもなんだかやや誤解したまま書かれている感じで、何よりともかくそれはトラウマになる程ひっでー出来であったのよ。

それを読んで僕たち家族は完全に世の中から置いてきぼりを喰った感じの彼に憐れみを感じつつも冷や水を浴びて風呂場から飛び出すようにフォーサイスから離れていった。


ちょっと前置きが長くなったが、それを機会に縁遠くなってしまった彼の本をそれこそ数十年ぶりで手にした訳である。主な登場人物「褐色の元SAS大佐」。褐色の!大丈夫かこれ。このまま進んで大丈夫?のっけから不安なものを見つけてしまった。

お話は、英米の対テロ組織はロンドンで起こった爆破テロの犯人が購入していた携帯電話の行方を忍耐強く追っていた。その携帯電話はアルカイーダの手に渡り、若手メンバーの不注意からパキスタンの町ペシャワルでその位置情報を把握されてしまう。パキスタンの情報機関がその建物に踏み込むが、そこにはアルカイーダのナンバー2と目される最重要メンバーがいた。この男は急襲された気配を感じるや、建物の窓から身を投げて即死。押収したパソコンはデータを消去されていた。しかし、から「アル−イスラ」と云うコーランの中でも特別な意味を持つ言葉を使った大規模なテロ攻撃の兆候を嗅ぎ取る。

死んだアルカイダの幹部の地位の高さからみてもその作戦は極めて限られたものしか知るものはいないらしい。イギリスの情報機関はこの情報を収集する為に引退した元SASの大佐であるマイク・マーティンをアメリカに収容されているターリバーンの戦士イズマート・ハーンになりすまさせ、単身パキスタンへ潜入していく。

うーむ。その展開は残念だが予想を超えるものではなくと云うよりも予想通りの着地。そしてトム・クランシーの描く超ハイテクからみると、今となっては既に身近なものとなっているコンピューター・ネットワークのようなものまで何か特別なもののように描かれていて、ル・カレの「パーフェクト・スパイ」を代表とするその作品群からみると、マイク・マーティンも、イズマート・ハーンも人間味溢れる重厚なものからはほど遠く、あまりにも冗長。それでいてやっぱり字が大きい。これはうちの父には読みやすい大きさだったろうが、上下二冊で3千4百円はちと高すぎじゃね?

しかし、一つ収穫としては、自分が如何にイスラム教、イスラム文化そしてその歴史について無知であるかを気付かされてくれた。本書は極々一部ではあるが、千々に細かく引きちぎられたイスラムと云う世界の片鱗をかいま見せてくれる。これはちゃんと勉強しないとダメだな。


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ふしぎな生きものカビ・キノコ―菌学入門
(Mr. Bloomfield's Orchard: The Mysterious World of Mushrooms, Molds, and Mycologists)」
ニコラス・マネー
(Nicholas P. Money)

2008/11/02:まずは、カビ・キノコって?年に数回だが僕を風呂場方面に突然敵意を感じて燃え上がり完全武装で突撃させる相手はクロカビであり、僕の父は山菜・キノコ採りが副業みたいな感じだった事もあって、子供の頃は随分と実家の裏山に通い登りキノコ採りしたし、栽培する為に木を倒して菌付けしたりまでやったと云うとっても身近なものだ。

父や叔父達は山菜やキノコの見分け方を随分と僕に指導してくれたものだったが、どうやら僕には全くその筋の才能がなかったらしい。全然覚えられなかったのだ。葉っぱの形がとか、茎の模様がなんて色々言うけど、僕にはどれも「違っているようにしか」見えなかった。ナメコだって天然のものは育つとびっくりする位大きくなるので、それが「同じ」ものだと断言している方が「それって大雑把なんじゃないか」と疑ったりもしていた気がする。

僕はそれ以外にも生身の昆虫が大の苦手である事と、かなり重度なスギ花粉症だった事もあった。山では秘密の群生地は親戚の間でも秘密にされており、気配を消して入山している中で、僕はくしゃみが停まらなくなるのだ。結局両者で互いに「お話にならない」と云う感じで山に同行する事も段々少なくなってしまった。

そうそう、この二つはどっちも菌なんだな。では菌ってどんなまとまりなんだろう。ちょっとマジメに調べると、菌界は、大きくツボカビ門、接合菌門、子嚢菌門、担子菌門がある。子嚢菌門には有性生殖が確認されていない不完全菌類が含まれている。

子嚢菌とは、酵母やカビ、トリュフなどの一部のキノコや地衣類などが含まれ菌界における最大のグループ。担子菌が所謂キノコであり、子嚢菌に次ぐ大きなグループである。この二つでほぼ菌界のグループ全体と匹敵する大きさになってしまうらしい。それに極々小さいツボカビ門、接合菌門がくっついているような感じ?

本書で紹介されている図版を真似て図を作ってみた。>>>こんな感じです。

動物界、植物界の他に原生生物界と区別されているものとして、「ストラミニピラ界」、「粘菌、タマホコリカビ」と云う枝が書かれている。ストラミニピラ界には卵菌類、ラビンチュア菌類、サケツボカビ類が含まれている。しかしウィキペディアで卵菌は原生生物界に分類されており、そもそも卵菌以外はグーグルでもヒットしない。

また粘菌、タマホコリカビとされている枝は、変形菌、細胞性粘菌、原生粘菌などとも呼ばれる亜網らしいがこれもウィキペディアでは原生生物として取り扱われている。一方、本書では、菌界に加えて、これら「ストラミニピラ界」、「粘菌、タマホコリカビ」も大きく「カビ・キノコ」として取り扱っている。

ネットの資料によっては門だとか類だとか云う表記が合っていない。この手の詳細に入ってくると素人の僕には何が何だかさっぱりだよって事になってしまう。藻類も同様だけど、こうした原核生物、原生生物、菌といった生物群はまだまだよく分かっていない不思議な事がいっぱいあるって事だろう。

本書はこうしたなんだか分類も怪しげな「カビ・キノコ」と云う不思議な生きものに魅せられ惚れ込んだと云う言ってみればちょっと変人のニコラス・マネー博士の愛情たっぷりの一冊だ。但しニコラス・マネー博士と同等の愛情を持って接しない限り、その内容は「ひょぇ〜」や「「ぐぇええっ〜」と思わず口をつくホラーな内容になっているのでした。あぁびっくりした。心臓の弱い方にはちょっと強烈な写真も一カ所。電車で本を落としそうになりましたよ。

折角なので少しお裾分けしてあげよう。

ニジェールが可愛がっていたクモのタランチュラは、ある朝その毛むくじゃらの体に弱々しい脚をひきよせ、プラスチックの籠の中でバッタリ倒れ、胞子の煙を吐き出し始めた。

うううっ。

コルディセプスに侵されたアリは絶え間なくグルーミングを続け、脚が異様に引きつり、変な足取りで動き回ります。苦痛がひどくなると、この行動がひどくなり、ひきつけを起こしたアリは痙攣しながら植物の茎によじ登り、口器から粘液を吐き出して弱っていきます。死ぬほどの激痛から、脚で茎の端をつかみ、缶切りのような口で噛みついたまま死にます。時に、死んだアリの体が別種のアリの餌になることもありますが、あとに残っているのは、その強いあごで茎にしっかりとくらいついた頭だけです。
このコルディセプスって冬虫夏草の事なんだ。あっサプリとかお使いの方には失礼しました。

こうした、まぁ普通役に立つ事は殆どないけど、人をびっくりさせるようなお話は大好きだ。他にも全く知らなかった事が満載な本書は結構満腹指数高い一冊でした。しかし、振り返ってみるとなんだか解った気が全くしない。要は分類も曖昧でやっぱりとっても不思議な生きものであったという事かな。


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ヒトラーの贋札 悪魔の工房
(Des Teufels Werkstatt. Die Geldfalscherwerkstatt im KZ Sachsenhausen.)」
アドルフ・ブルガー(Adolf Burger)

2008/11/02:本書はナチス・ドイツが第二次世界大戦中にビルケナウ−−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所の因人たちにポンドやドルの贋札、切手の偽造させる作戦を実行していたと云う実話を実際に因人であったアドルフ・ブルガーの手によって表されたものである。戦時中に敵国の紙幣や切手を偽造しようと云う発想はそれ自体でも十分に興味深いものがある。しかしこの物語はそれに止まらない。

ナチス・ドイツはユダヤ人を中心として600万人が殺害された。ホロコーストである。ホロコーストの犠牲者数は諸説あり900万から1,100万人であるとするものもある。このビルケナウ−−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所においては150万人が殺戮された。この150万人と云うのも「公式な推定数」なのであり、実は正確なところは誰にも解らない。他説には500万とか800万と云うものもある。

この大量殺戮を「効率的」に実現する目的で建てられた施設がビルケナウ−−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(アウシュビッツ強制収容所と呼ばれる事が多い)である。

人類がこれほどまでに無慈悲にかくも機械的・効率的に種を同じくする人間を殺戮した例は他にない。ナチス・ドイツはこの行為を世界を狡猾に欺き、巧妙に隠蔽しながら1939年9月のポーランド侵攻直後から1945年5月の敗戦まで休むことなく続けられたのであり、そしてそれは始められる前から周到に計画されていたのである。

このビルケナウ−−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所では、労働できるものは選別され消耗品のような扱いで様々な仕事をさせられた。なかには次々と殺されていく人々の死体を片付ける事までも含まれていた。働けなくなった時点で自分の番がやってくると云う訳だ。これを悪魔的と呼ばずになんと言おう。


Auschwitz II アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ


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この収容所の一画に収容所の所長すら目的を知らない作業所兼因人宿舎が建てられ、印刷技術などに長けた囚人を送り込み贋札作りが行われたのである。多くのものは門をくぐった直後に殺され、難を逃れたものも極度に少ない栄養状態と過酷な労働を強いられ働けなくなれば即死が待っていると云う死と隣り合わせの毎日。

そんな中でほんの一握りの人は選ばれ、この秘密の宿舎に招き入れられた、清潔な宿舎に寝床。そして十分な食事。これまでの待遇と比べれば正に天国と地獄の差である。一方でそれはこの仕事がなんらかの形で終われば消される事も意味していた。

著者であるアドルフ・ブルガーはこの贋札作りの初期に選ばれ終戦まで続けた。本書のもう一つの側面は、彼はこの贋札作りの傍らこのビルケナウ−−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所で行われていたホロコーストの目撃者としての証言なのである。その内容は余りにも重い。

この罪の重さは計り知れず、僕たちは決して忘れてはならない。無慈悲に殺されていった人々、罪、そして人間がここまで残酷になれると云う事を。

本書は、アドルフ・ブルガーが生まれたスロヴァキアでの開戦前からひた走り始めたユダヤ人迫害の歴史。因人となり収容された強制・絶滅収容所の概要。本書のメインテーマである贋札作り、ポンド紙幣の贋札を作成したアンドレアス作戦、パルチザン紙幣を対象としたベルンハルト作戦、イギリス切手のヴァッサーヴェレ作戦、そしてドル紙幣の贋札作りについても豊富な図版と共に克明に綴られている。本の作りもとっても丁寧で好感です。是非手にしたい一冊となっています。


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平原の町(Cities of the Plain)」
コーマック・マッカーシー (Cormac McCarthy)

2008/10/26:国境三部作の第三部となる「平原の町」である。エルパソから北東へ70キロほどの場所にある牧場で、今やジョン・グレイディ・コールとビリー・パーハムは一緒に働いていた。

1952年。ジョンは19歳、ビリーは28歳である。「平原の町」は二人が働いている牧場での様々な出来事が牧場主や他の牧童達が入れ替わり立ち替わりしながら語られていく。しかし、それらの出来事はどれも単発的で朧気である。まるで霧のなかから突然に立ち現れ、一瞬鮮明になったかと思うと再び霧の中に姿を消していく対向車のようだ。




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ジョンもビリーもその出自と牧童としての腕前によって信頼し合う関係になっているものの居場所を次々と失い今はこの牧場にたまたま居合わせ、牧場の仕事を淡々とこなす事でこれ以上は何もいらないとばかりに安息を得ている。しかし、時代は変わりつつあり、本当の牧童と言えるような男は老人ばかり。そしてこの牧場のある地域は近々軍が軍用地として徴用されてしまうらしいのだ。これはどうやら核実験の為に徴用されようとしているらしい。そうなれば二人は職を失い、本来の牧童として働ける本当の牧場と呼べるような場所は最早見つける事ができないかもしれないのだ。

「越境」でビリーは自分の新たな居場所を見いだすため牧童の生活を捨て、入隊すべく徴兵検査を受けに行くのだが不整脈が発見され拒否されている。ビリーを受け入れる事を拒んだ世界はビリーの世界を壊しに迫ってきているかのようだ。一方で世界は核戦争と云う黙示録的終末論世界へと変貌を遂げ、一瞬にしてあらゆる人から全てのものを奪う力を備えつつある事が示されている。

物語はジョン・グレイディがメキシコの売春宿で娼婦として働くまだ幼いと言っても良いマグダレーナと恋に落ち、密かに結婚する約束をして逃げだそうとする事で悲劇的な展開を向かえる。

この平原の町と云うタイトルは旧約聖書に登場する背徳の町ソドムとゴモラを指す言葉と重なっており、塩類平原(ソルトフラット)や売春宿の「白い湖(ホワイトレイク)はこれを暗示しているようだ。そして売春宿のオーナーであるエデュアルドはまるで、「血と暴力の国」に登場する殺し屋のシュガーを彷彿とさせるような無感情な男であり、物語の後半ではこんな事を言う。

あんたのしている事は妙だよ、と彼は言った。どう考えても今度のことが起きたのはあんたの友だちが他人の所有物を欲しがって後先考えず闇雲に自分のものにしようとしたことが原因だろう。当たり前のことだがどういう結果になるかを無視してもその結果は生じる。違うかね?あんたは息を切らして半分狂ったみたいにおれの仕事場を壊しておれの雇い人を痛めつけた。そもそもあんたはおれが責任を持って働かせていた女のひとりを誘惑して結局は死に追いやったことへの共犯者だといってまず間違いない。なのにおれの処にきて自分が抱えこんだ悩みを解決してもらいたがっているように見える。なぜだ?

ジョン・グレイディが求めたのはマグダレーナと云う一人の少女であり、彼女の死と云う結果は彼の無謀な行為によるものであって責任はすべてジョン・グレイディにあると。この「どういう結果になるかを無視してもその結果は生じる。」と云う因果応報の連鎖こそ、ここの国境三部作の根底にその土台として揺るぎなく築かれているものなのである。

ジョン・グレイディ、そしてビリーの辿る人生とは一体どのようなものであったか。そのすべてを読み切った今僕は静かに振り返る。この物語は深く心に刻まれ長く忘れる事ができないものになると思う。


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越境(The Crossing)」
コーマック・マッカーシー (Cormac McCarthy)

2008/10/26:「平原の町」を読んでしまって後からこの「越境」に対するコメントは非常にしづらい。この二つは全体ととして一つのものであり、ビリーや、ジョン・グレテイディの物語も、挿話が持っている意味もすべて分かちがたい。「越境」の挿話について意味を語るとき「平原の町」を読む前と読んだ後ではなかみが違って見える部分があると思う。

「越境」の物語は、前作「すべての美しい馬」よりは5年ほど前の1940年、ビリー・パーハムと云う16歳の少年が主人公だ。ビリーは父と母、弟のボイドの4人暮らし。

ニュー・メキシコ州、ヒダルゴ郡にある小さな牧場で暮らしている。ビリーの周りには牧場を守り、馬や牛たちとともに自然と対峙しながらひたむきに生きる事しか知らない人ばかりだ。ビリーにとっても彼らから様々な事を学び牧童として生きる事以外を考えられる訳もなくあるがままに受け入れまたそうして生きていく事に価値観を見いだしている。時代は第二次世界大戦前夜。だがしかし、ここビリーの家族やその近隣の人々は全く外の世界とは切り離され取り残されているかのような暮らしを営んでいた。

メキシコから国境を超えて迷い込んできた牝狼によって牛たちが襲われだした。あちらこちらに罠を仕掛けてこの狼を捕まえようとするのだが、狡猾な狼をなかなか捕まえる事ができない。漸く捕らえた牝狼は孕んでいた。彼女を見つけたビリーは誰にも告げることなく衝動的に彼女をかつていた元の場所に連れ戻してやる為に綱で繋ぎ国境を越えていく。

狼は何時何時綱を振り解いて襲いかかってくるかもしれない獰猛な動物だ。しかしビリーは怯まずただ黙々とこの牝狼の傷を手当てし従わせていく。この牝狼は牧場の牛を殺しはじめた為に捕らえた訳だが、ビリーはこの牝狼が獲物を捕らえるのはそれ自体が本性であり、牝狼には罪がないと思っているようだ。或いはビリーは「狼」の事をもっと知りたいと思ったのかもしれない。ある老人はビリーにこんな事を語る。

狼を知ることはできん。と彼はいった。罠にかかった狼は歯と毛皮だけの抜け殻にすぎないんじゃ。狼そのものを知ることはできん。狼の知っていることも。何を知っているのか分からないという意味では狼は石と同じだ。木と同じだ。この世界と同じだ。




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メキシコに入るとビリーが連れた牝狼をみて人々は個としての狼と云うより「狼」がそれまでに行ってきた過去の所業故に畏れられ、なぶり者にすべくビリーから奪い取ってしまう。メキシコの人々にとってこの牝狼はすべての「狼」の象徴であった訳だ。

ビリーの思い過ごしかもしれないにせよ、厳しい苦難の旅をしてきた牝狼と心というか意思が通じたかの思われるような間になっていた。

牝狼を取り戻せず、なぶり殺しに合う事も避けられないと悟ったビリーは自らライフルを取り出し、牝狼を撃つ。

多くのものを失ったビリーは再び国境をこえて故郷の牧場へ向かった。しかしなんと辿り着いた牧場は馬泥棒に襲われ父母は殺害されていたのだ。

ビリーは辛くも難を逃れた弟のボイドと共に盗まれた馬を取り戻す為に三度国境を越えていくのだった。この物語、ビリーの旅は更に思いも寄らぬ方向へと進んでいく。「越境」はこの過酷な旅を縦軸に乾いた坦坦とした描写で綴られていく。

ビリーが行く先々で様々な人々に出会っていく訳だが、この人々が語る物語が横軸として描かれる。ビリーは自分自身の行動によって物語を語るが、ビリーが出会う人たちは自らの言葉でもって自分自身の物語を語る。ビリーは一方的な聴き手役なのだ。ビリーの物語も彼に語りかけられる物語もどれも心を揺さぶるようなものであり全体として見事な一つの世界が紡ぎ出されていく。

これらは互いにカオス的と云うかフラクタルだ。部分と全体は相似する。ビリーの物語と数々の挿話は相似する形で重層的に折り重なる事で本書はまるで大きな木のような構造になっている。

繰り返し繰り返し語られるビリーの越境は、失われたものをもとに戻そうとする行為である訳だが、彼が何かを取り戻そうとすると、残っていたものを更に失ってしまう。ビリーは越境する度に怖ろしいまでに自分のものを失い続けていくのだ。それは冒頭の牝狼が獲物だけではなく、仲間、孕んだ子供を一緒に育てられる仲間を求めて彷徨っていた事と相似している。彼女が越境してきたのは仲間を失ったからなのだ。

挿話の主なものは3っある。「神に議論を挑む男の物語」、「盲目にされた元革命兵士の物語」、「山の上に墜落した二機の飛行機の物語」これらはどれも一冊の本にできるほどの奥行きをもった黙示録的な内容となっている。

例えば、「神に議論を挑む男の物語」では、廃墟と化した町に通りかかったビリーは、その廃墟で暮らす老人に出会う。飲まず食わずで荒野を抜けてきたビリーに食事を振る舞うこの老人が語りはじめたのは、ウイシアチュピクの男の話であった。

この男は幼い頃地震で両親を失った。彼は瓦礫の下で死んだ両親の達の手に抱きかかえられ庇われていた事で生き延びた。やがて男は成人し妻をめとり息子が生まれた。この息子が少年となった頃、再び地震が起き今度は自分の子供を失ってしまう。

この出来事によって男は神が時として下す怒りの審判に徹底的に対峙する事を心に決めた。神が人の営みを全て見通し、正義を全うし天罰を下していると云うのであれば、どんな罪によって自分の両親や息子は死に、或いは自分が生き延びる事になったのか。罪があるのは自分なのか、両親だったのか、それとも他の何かなのか。彼の身に起きた神の審判とは一体何故であったかと云う訳である。

彼は怒れる異端者として神に議論を挑み、時として気まぐれとも取れる神の審判を糾弾する事に人生をすべて費やす。彼は廃墟となり、今にも朽ち崩れるばかりとなった教会のドームの真下で神に叫ぶ。神を糾弾し異端者として生きる自分が間違っていると云うならば、自分の身の上に教会のドームを崩れ落としてみろと。この男の辿る人生とは果たしてどんなものであるのか。そしてこの男の物語を語るこの老人とは一体何者であるのか。

またある人はビリーにこんな事を語りかけていた。

世界は人間たちの心のなかにあるその有りようにおいてだけ知られるものだ。世界は人間を包み込んでいる場所のように思えるかもしれないが本当は人間たちが世界を包み込んでいるのであり、だから世界を知るには人間たちをよく見てその心を知らなければならず、そのためにはほかの人間たちのあいだを通り過ぎていくだけではなく彼らと一緒に生きなければならない。孤児になった者はもう自分はほかの人間とは関係ないという気になるかもしれないがそういう気持ちは脇に置いておかなければならない、というのも孤児のなかにもほかの人間たちに見える大きな精神が包み込まれているのであり、ほかの人間たちは彼のことを知りたいと思っている、そして孤児が世界を必要としているように世界のほうでも孤児を必要としているのだ、というのも世界と人間はひとつだからだ。

ビリーはメキシコから侵入してきた馬泥棒によって両親を失い、馬を盗まれてしまう。ビリーは犯人を捕まえようとしてる訳でも、復讐心を持っている訳でもないように見える。彼はただ単に盗まれた馬を取り戻そうとしているだけだ。まるで馬を取り戻す事で以前の生活が元通りになるとでも思っているかのようだ。

生きていくと云う事は何かを失い続けていく事なのだろうか。いろいろなものを失い続けて最期には自分自身も失われていく。生きていくと云う事はそれらを守る為に戦う事なのだろうか。その戦うべき相手は一体何者なのだろう。そもそも本来我々が持っていると思っているものは何なのだろう。

物語は繰り返される度に内証的になり人生とは、人の生きる意味とは何かについて、深く鋭い問いを強く突きつけてくるのだ。


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コンドルの六日間(SIX DAYS OF THE CONDOR)」
ジェイムズ・グレイディ(James Grady)

2008/10/11:さて、さて、ジェィムズ・グレイディの「コンドルの六日間」である。ブログにも書いたけど34年前の本だ。こんな後になって本書に出会えるなんてとっても幸せな事だ。ついつい、チームのメンバーに自慢したら、「その頃まだ生まれてません」と言われて二度驚いた。そうかそうか。そんなに昔か34年前。

本書は何もなくても見かけたら読んだかもしれない、しかし、最近とっても気になっている事があって是非とも読みたいと思っていたのだ。それは先般読んだ「狂犬は眠らない」にちょっとだけ登場するキャラクターの事だ。

この「狂犬は眠らない」のレビューで僕は映画「コンドル」の事をだらだらと書いてしまっているのだが、原作である本書「コンドルの六日間」は未読でした。

でもこの時、すっごく気になったのが「狂犬は眠らない」の主人公達が収監されているRAVANSの重症者たちのエリアであるクレイジーヴィルには更に奥があり、そこには一人だけ患者がいた事だ。

この患者はこの施設の最古参の人物なのだと云う。彼の名前はマルカムであった。

このマルカムは冒頭、ちらっと、本当にちらっとだけ登場するのだが、この人物について「狂犬は眠らない」のなかでは全く語られていない。収監された時期や、彼が口にした短い言葉から類推するにこの人物こそ「コンドル」ではなかったかと云う事なのだ。

物語が六日間から三日間に短縮され所々違った設定になってると云う原作と映画。映画では、コンドルはジョー・ターナーと云う名前だった。そして全てが終わった後、コンドルは、ニューヨーク・タイムスにその一部始終を暴露し、雑踏のなかに消えていった。

もし仮にこのマルカムこそ原作の主人公コンドルであるのであれば、それはどんな終わり方をしていると云うのか。

ワクワクして本を開くとやはり、主人公はマルカムでした。やっぱりそうか。では何故彼はニューヨークで雑踏に消える替わりにRAVANSに収監されているのか。

彼は、映画同様アメリカ文学史協会と云うでっち上げの組織を隠れ蓑とするCIAの情報部の下位組織であるデパートメント17のセクション9に所属している。

ニューヨークの国会図書館の裏手にある全く目立たない建物にこのアメリカ文学史協会と云うなんとも退屈な表札を出しているが実は情報機関だ。この部署の仕事は、世界中で出版されている小説、特に犯罪小説の手口を分析しデータベースに投入する事なのだ。

しかし、このマルカム。レッドフォード演じる格好いい男とはほど遠く、眼下の通りを毎朝通勤している美女に見とれていたり、部屋で鼻をほじったり、放屁したりしてるような男だ。

彼が裏口から昼ご飯の買い物に出かけている間に、組織だった殺人チームがこの協会を襲撃し、居合わせたチームのメンバー全員6名が殺されてしまう。買い物から戻って異常に気付いたマルカムは、警備員が持っていた拳銃を手に、建物から脱出すると公衆電話から緊急事態の際の連絡先へと電話する。

襲撃犯の目的もわからない状態でマルカムがラングリーの本部へ向かうのは危険が大きい為、彼が顔を識別できる人物と一緒に救援の者とどこかで落ち合う事になる。

チームのメンバーを除くとCIAの中には顔がわかる者は殆どいない。マルカムはCIAに入る際に教官だった男を指名する。待ち合わせ場所には教官ともうひとりの男がやってくるのだが、この男は実は襲撃チームの一人で協会の側で監視をしていた男なのであった。マルカムは買い物に向かう時にその男の顔を見ており、出逢った瞬間に気付く。両者はその場で撃ち合いになるが間一髪、相手に怪我を負わせて自分は脱出する事に成功する。

襲撃犯はなんとCIAの組織内にいる。こうしてコンドルの逃避行がはじまっていく。しかし襲撃の目的は相変わらず不明なままだ。

映画と一番大きく違っている部分はこの後のコンドルの行動だ。

実はデパートメント17、セクション9にはもう一人の男がいた。ハイデッカーと云う男はその日病気で休んでいた。頼るべきものを失ったコンドルは、この病気で休んだ男の家へ向かう。住所も朧気な相手の家にどうにかたどり着くと、ハイデッカーは既に死体となっていた。死体の状況から一目でハイデッカーは協会襲撃よりも前、一番最初に殺されていたのだ。

映画ではコンドルが見つけたある本には隠された陰謀があると分析したレポートが原因でチームが襲撃にあってしまう訳だが、原作はちょっと違う。このハイデッカーがCIA内部で行われているある陰謀に対して脅威を与えてしまいかねない問題に気づいた事が引き金になりチームを殲滅させてしまったのだ。

事件前に交わしたハイデッカーとの会話などから、序々に真相に迫るコンドル。一方で、最初にコンドルと合流する予定だった男は撃たれた傷で入院していたが、その病院内で何者によって殺害されるなど不可解な事件が続きCAI内部での調査も進行していく。

そして浮かび上がってくるのが、マロニックと云う雇われの殺し屋。彼はCIAの仕事を専門に引き受けていたが、金で動く。金さえ出せばどんな事もする男だった。

このマロニックはある時CIAの手には負えないと判断され、抹殺された事になっているのだが、この指令を受けた男と裏で手を結び、CAIには作戦完了の報告をあげつつも、一緒にCIAを隠れ蓑にした密輸を続けてきたのだった。その荷を本に偽装して送っていた先がアメリカ文学史協会だった。ハイデッカーは過去の記録をしらべ着荷した荷物の数が合っていない事に気付いたという訳なのだった。

どうでしょう30年以上も前の本なので少し大きめに物語を明らかにしてしまったが、非常にしっかりした構成になっていると思いませんか?

背景がとてもしっかりしているので物語の滑りが非常に良い。そしてコンドルを追う、マロニックとCIAの捜査官。CIAにはマロニックと手を組んでいる黒幕がいたりしてサスペンスもかなり盛り上がる。これもし見つけたら是非一読する価値はありますよ〜。

それで最期はどうなると云うと・・・・・。なーるほどそこで終わってる訳ね〜ってとこで終わる訳よ。胸のつかえが取れましたわ。

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掠奪の群れ (handsome harry)」
ジェイムズ・カルロス・ブレイク (James Carlos Blake)

2008/10/11:世界恐慌が駆けめぐり、経済が破綻、人々の生活が貧困に包まれているなか、禁酒法が廃止となった1933年を跨ぐ期間に駆け抜けるように生きた者達がいた。

なかなか捕まえられない、漸く捕まえても目の醒めるような鮮やかな手口で脱獄される。業を煮やしたFBIは彼らの事を「民衆の敵」と呼んだ。「民衆の敵」と云う呼び名を選んだのにはもう一つの理由があった、民衆は彼らをデリンジャー・ギャングと呼んでいたが、彼らの事を口にする時、そのニュアンスには賞賛の念が込められていたからだった。

恐慌にあえぐ人々に冷たい銀行を襲い、銀行を守る警察を手玉に取るデリンジャー・ギャングに人々は義賊的なイメージを抱いていたのだった。

実際に強盗に及ぶ時、居合わせた客の財布も奪っていくのが一般的な銀行強盗であったなか、デリンジャー・ギャングは終始紳士的な態度で接し、決して手を出さなかった。そんなスマートでスタイリッシュな手口も人々の共感を呼んだのだろう。

本書は、そのデリンジャー・ギャングの一員であった、ハンサム・ハリーこと、ハリー・ピアポント(Harry Pierpont)を主人公とした物語だ。

このハリー・ピアポントも実在の人物なのだが、一般的には「デリンジャー・ギャングの一員」で済まされている。一人称で語られる本書は冒頭でそれはそうだ。確かにボスは誰だったかと云えばデリンジャーだろう。それは否定するつもりはないと云う。

だがしかし、リーダーは誰だったかと言えば、それは俺だと。

ほほう、そうなのか。

確かに読み進んでみるとハリーは幼なじみと何度も強盗を働きその世界で腕を磨いていく。

そして捕まり刑務所でデリンジャーと出逢う。デリンジャーはその時、ほぼ初犯に近い強盗で逮捕されて刑務所に収監されていた。

検事から初犯なので弁護士を雇わず罪を素直に認めれば刑が軽くなるとそそのかされた結果10年から20年の刑を宣告されてしまう。

デリンジャーはこの出来事によって、法は守る物ではなく憎むもの。唾を吐きかけるべきものとしてしか捉えられなくなってしまったのである。

刑務所で意気投合した二人は、他の仲間と共に銀行強盗の調査から実行そして逃亡にいたるその手口を学びあう。

1933年5月、凡そ8年半に及ぶ刑務所生活から仮釈放されたデリンジャーはそこで学んだ事をすべて駆使して銀行強盗を繰り返す。それは、いまだ収監されている仲間達を脱獄させるための資金を集める為だった。

デリンジャーの物語は1975年の映画を観て知っているつもりになっていた。ウォーレン・ウォーツ、良かったね〜。デリンジャーに風貌がそっくりであると云う点でも注目を浴びたこの映画は切なさと激しさを併せ持つなかなかの名画でした。

この映画のなかでハリー・ピアポイントはジュリー・ルイス、デリンジャーの恋人ビリーをミシェル・フィリップスが演じている。ミシェル・フィリップスはママス&パパスのボーカルだ。僕は彼女の事をこの映画で知った気がする。美人でしたねぇ。

本棚をほじくると、やっぱりありました。当時のパンフレット。ベン・ジョンソン演じる宿敵メルビル・パービスと映画館前で記念撮影しているみたいなあり得ない絵が表紙になっているのが謎だ。





しかし、本書を読み進むとだいぶ内容が食い違っている。ついつい、どっちが正しいのか調べたくなるところだが、読み終える前に調べてしまうのは勿体ないので我慢、我慢。

軍資金を集め、準備を整え、あとは脱獄計画を実行に移すだけだ。

これまで何名もが失敗し命を落とし難攻不落と思われていた刑務所からの脱獄を際どいところで成功させるハリーとその仲間。

目指すはデリンジャーが用意している隠れ家だ。デリンジャーとの合流の目的はただ一つ。これまで以上に暴れ回る事なのだった。

その場に居合わせたのかと思うような、出来事の数々がすべて自然でリアル。ああ、そうだったのかとつい全てを真に受けてしまいそうだ。

読後、いろいろ調べて廻った。ジョン・デリンジャー(John Herbert Dillinger)とハリー・ピアポント(Harry Pierpont)二人の人生について書かれている資料は見比べるとあちこちやや食い違っている。本書はほぼピアポイントについて書かれている情報と一致した展開をしている。

寧ろそうする事で、デリンジャーの人間臭い生き様が生き生きと浮かび上がって見える。実在の彼らはどうだったろう。もう少し粗野でそれなりに問題を抱えた人格をしていたのではないかと思う。特にハリーの場合、小学生のころ頭部に怪我を負ったが、この時5時間も意識不明となり、覚醒した時には人格が変わり、不機嫌で爆発しやすくなってしまったような事があったようだ。

その点では、若干疑念はある。しかしその反骨。そして一歩も退かないその決意と精神は胸に迫るものがある。折しも、ジョニー・デップがデリンジャーを演じる映画化の話が進んでいるようだ。原作は本書ではなく別な本のようだが、見比べる読み比べてみるのも楽しいかもしれない。

「無頼の掟」のレビューはこちら>>

「荒ぶる血」のレビューを追加しました。レビューはこちらからどうぞ>>

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珠玉
開高健

2008/10/11:2008年度下期のスタートを切る第一冊です。

しゅ‐ぎょく【珠玉】
1 海から産する玉と、山から産する玉。真珠と宝石。たま。「金銀―を飾る」
2 美しいもの、りっぱなもののたとえ。特に、詩文などのすぐれたものを賞していう。「―の短編
                                               大辞泉
1990年2月。鬼籍に入られた開高健の遺作となった本書が出版された。迷わず購入したのだが、開く気になれない。読んでしまったら次がもうない事が分かっているからだ。

最期の最期に書かれた本書は開高健58歳。当時の僕は27歳。勿体ない上に、まだ読むのは時期尚早だと勝手に判断し、本棚にそのまましまい込んだのでした。

あれから18年。何度も引っ越して行く先に持ってきたこの本も、そろそろちゃんと理解できるくらい大人になったんじゃないだろうか。

時期が来た。ずっと化粧箱と蝋紙に包まれていたこの本を開く時が漸くやってきたような気がしたのだ。

もし仮にロンドンについて忘れられない3つの事は何かと尋ねられることがあったなら、三つ目は何にするか悩むけれど、二つは間違いなく決まっている。

尋ねられてもいない質問を勝手に作って答えに悩んでいるのである。

一つはフィッシュオンチップスであり、二つ目は酒場の床に敷き詰められたおが屑であると云う。

その問いかけはロンドンと同じように、おが屑を敷き詰めていた汐留の貨物基地のそばにあった小さなバーを思い出させる。

それは30年前に数年間通っていたお店なのだと云う。駆け出しの作家として、妻と子供を養わなければならない男として、悶々とし文章を捻り出す事に行き詰まり、この店に逃げ込んでいた。

このバーの記憶はやがてそこで出会った高田先生との思い出を呼び覚ますのだった。

店に通ううちに何時しか時折居合わせる老人と顔見知りとなるのだが、その老人が高田先生だった。高田先生は九州の開業医であった。月に一度上京した際にこのバーに立ち寄っていたのだった。

高田先生が上京してくるのには意外な事情があり、高田先生の出会いは魂の根幹を振るわす物語との出会いに行き着く。

高田先生の物語は、部屋で見せられたアクアマリンのルースのと共に仄かな光をはなつ記憶として脳裏の一角にしまい込まれている。

また、アクアマリンのルースは、また別な石、アルマンディン・ガーネットとムーンストーンの思い出を呼び覚ます。緋色に光る石榴石。乳白色の月長石それぞれの石と共に眠っていた物語が呼び覚まされる。

ロンドンの思い出をしかも読者の意表をつく書き出しで始まる物語は正に物を語る為に紡がれた開高健の技巧の限りを尽くして、僕たち読者をその物語の世界へと引き込んでいく。

おが屑を敷き詰めた薄暗いバーのカウンターで、僕よりもちょっと年下の風貌をした開高が照れくさそうに笑っている。僕はこの本を通して、その時代に生きた開高に逢うことができたのでした。

カウンターで肩を並べて酒も飲んだ。

開高健に逢いたくなったら、一緒に一杯やりたくなったら、いつでもこの本を開けばよい。

これまでもこの本は一つの宝物だったけど、今日からはもっともっと大切なもの、正に珠玉となったのでした。

「われらの獲物は、一滴の光」のレビューはこちら>>

「開口・閉口」のレビューはこちら>>

「輝ける闇」のレビューはこちら>>

「歩く影たち」のレビューはこちら>>


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