「《非常事態》を生きる(Living on borrowed time)」
ジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman)&
チットラーリ・ロヴィローザ=マドラーゾ
(Citlali Rovirosa-Madrazo)
2015/03/22:年度末もいよいよ押し迫り忙しさも極まってきた今日この頃。さすがにちょっとへとへとな感じであります。しかし、平素から週末自転車を漕いで体力をつけてきたお陰でまだもう少し頑張れると思う。日頃の鍛錬が大事だなーと自分に感謝したりしております。
この春長男は四年に進学、娘は大学に進むことになりました。子育てもいよいよ終盤。無事親の務めを果たせそうなところまでやってこれたというのもカミさんともども頑張った。しかし何より僕らは恵まれていたと感謝の気持ちでいっぱいです。
息子は就職活動がはじまり何かと悩み多き時期にさしかかってきたわけですが、近年の不況感がやや和らぎ一時の就職難民的な危機的な気配は薄らいでる模様です。
しかし、10年、20年というスパンで考えた時日本はどこへ向かっていくのかどうなっているのか不透明感は相変わらず。そしてもっと大きな視野で考えれば、エネルギー問題や地球温暖化、紛争など果たして我々の世界は持続可能な状態に軌道修正できるのかどうか、軌道修正するとなった際にどんなことが起こるのかという点でも正に《非常事態》であるという思いであります。
ジグムント・バウマン。本書は2014年度最後の記事になりそうです。1925年生まれで世界的に著名な社会科学者だという。しかし僕はこの本ではじめてバウマンを知ったよ。そんなに有名な人らしいのにどうして僕のレーダーにはかからなかったのかと考えても、それは僕のアンテナが低いからとしかいいようがない訳だけど、じゃーどうしたら良いのか僕にはさっぱりわからんよ。忙しい最中に硬すぎる本を選んで心が折れ気味というところです。
気を取り直して本書「《非常事態》を生きる」でありますが、こちらはバウマンとチットラーリ・ロヴェローザ・マドラーゾという社会科学者にしてジャーナリストの方との対談を本に起こしたものです。
2008年の金融危機に端を発する《非常事態》は果たして何者だったのか。バウマンはこれを危機とか不足の事態とかというべきものではなく、市場経済の成功の結果だという。
要するに、今日の〈金融・信用危機〉は銀行が失敗したために起きたのではありません。その反対で、たとえ一般的には予測されていなかったとしても、十分に予測できた、著しい成功の帰結なのです。成功というのは、老若男女を問わず、とてつもなく多くの人々を債務者という人種に仕立て上げたことです。銀行はまさに狙った獲物を手に入れたのです。いわば永続的な借金族です。〈借金に囚われている〉状態に留まり続け、ローンを積み重ねるという習性を持ち、それが唯一現実的な(たとえ一時的ではあっても)執行猶予の手段だとみなす人種です。
近代の市場経済が我々の世界をどのように変えてきたのか。それは政治・権力の構造を変え、国の権威を蒸発させ国体としての在り様をも変えてきた。こうした構造変化は国家、民族や宗教の枠組みを無視して広がり僕達の価値観や生き方そのものも大きく変えてきた。
それがつまり資本主義、市場による支配の成功の結果であったという視座はまさに慧眼。バウマンはつまり資本主義の台頭によって従来の枠組み、国家・権力・宗教・民族といったものが液状化してきたというようなことを述べているようであります。そしてその頂点というか行き着いた先に「神の不在」があるという。
私たちが近代と呼ぶ時代の発端は〈神の不在〉の発見にあります。明らかにでたらめな運命の働き(幸運と徳、あるいは悲運と悪徳の間に、目に見える繋がりが欠如しているということ)を証拠に、神は自分の創造した世界に対して積極的に口を出すのをやめたと考えられるようになりました。人間の問題は、あくまで人間の心配事として、(ヘラクレスのような超人的な)人々の努力に委ねられるようになったのです。
バウマンはつまり慈悲のない怪物のような市場主義経済の支配領域は行き着けるところすべてに広がり続け、後に残されるのは絞りつくされ荒廃した瓦礫だけだとみているようだ。
これを《非常事態》と呼ばずになんという。
僕らはこれをどうにか鎮めて飼いならすことができるようになるのだろうか。
しかしバウマン。難しい。対談を文章に起こしたあとで加筆したこともあるのか文中の括弧書きが多くて、いや多すぎて読みにくい。またこのバウマンを語らせているマドラーゾの質問もまた難しい。難しすぎてバウマンすらどう答えていいのか戸惑っている気配すらあるのにはちょっと笑ってしまったけども、質問の意味がわからないような問い。
もうちょっと読みやすくしてくれるとありがたかったなー。
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2015/03/15:著者の中川和夫氏は1945年生まれの方で、1971年から2006年まで独立行政法人国際協力機構(JICA)に努めていたようです。1976年から1979年の間はJICAサウジアラビア事務所長として現地に駐在していた経験をもっているという。JICAは外務省管轄の独立法人でODAを実施する団体だ。
2013年度、JICAは中東地域に重点分野①「公正な政治・行政運営」の確立支援、②「雇用促進・産業育成」支援、③「人づくり」支援の三点を中心に1,068億円ほどの事業を展開しているようでした。サウジアラビアはそのうち0.1%の1.01億円程度。
サウジアラビアが発展途上という印象はないけども、そもそもサウジがどんな国なのか僕はよく解ってない。
メッカ事件はもちろんのこと。
これは是非読んでみたい本ではありませんか。
メッカ事件。ウィキペディアでは「アル=ハラム・モスク占拠事件」として取り上げられている事件だ。
1979年11月20日メッカは10月下旬の巡礼期がすぎ落ち着きを取り戻しつつあるところだった。
少なくはなったものの後が切れない巡礼者の列に紛れてカアバ神殿に侵入した若者達は死者を乗せる輿に隠していた重火器を取り出すと神殿に立て篭もった。
複雑に入り組んだ神殿の内部に潜み激しく抵抗する彼らに対し、神聖な神殿内での銃撃戦を嫌忌する宗教指導者が後ろに控える政府側は決定打に欠け、結果12月4日、約二週間に渡る篭城と銃撃戦が続き、政府側は死者60名、負傷者200名以上という犠牲を出してようやく鎮圧することができたという事件であった。
これによって拘束されたものは170名。なかには女性子供もいたのだという。またそのなかに含まれていた主な武装メンバー67名は1月9日公開処刑された。
中川氏はこの事件を9.11などの一連の中東のテロリズムの原点であったものと位置づける。一体彼らは何者だったのか。
首謀者は「神より正しく導かれた者、正義に基づく治世を実現する」救世主の称号「マフディー」を名乗るムハンマド・カハターニと武装集団のリーダー、ジュハイマン・アル=ウタイビーの二人。そして彼らを中核に集まった310名もの人々が一部は作戦の中身を何も知らないままカアバ神殿に集まったというものだった。彼らはシーア派でスンニ派ワッハーブに原点を持つサウド王制の中心から遠く離れた地方部族の人たちであった。
サウジアラビアの王制はワッハーブが提唱した一般にイスラム原理主義と呼ばれて知られている復古主義・純化主義的イスラム改革運動で、サウド家はこの中核におり現在の王制を築いた。しかし、近年その正統性は国内の様々な矛盾にさらされ、反体制派を生む原因ともなっているという。
それは、原理主義的な思想を原点に持つサウド家がアメリカを中心とした西洋社会と親密な関係を築き、飲酒や金銭的な面での享楽的な生活にはまりつつあるらしいこと。サウド家は政略的な理由からも一夫多妻制で大勢の子供を作ってきたこともあって王族自体が肥大化し王位継承や要職や既得権の割り当てなどの利害調整が困難になりつつあるなかで、目に余る不正や不平等を解消することができなくなっていること。そして他国や国内の情勢安定化のために周辺部族をいわば捨て駒のような形で動員して切捨てるような行為を繰り返してきたことなどが挙げられる。
武装集団のリーダー、ジュハイマンはまさにそのような政策の結果荒廃した村に生まれ政府の裏切りに怒る大人たちに囲まれて育ったという背景があるのだという。
本書は事件の経緯を詳細に追いつつ、事件の背景にあるサウジアラビアの国体、歴史をイスラム教の歴史を踏まえて分解解説していく。すごい。なるほど。ここまで纏まってサウジの内情を知れる情報は他にはあまりないと思います。
そして原理主義について。原理主義=テロ的な考え方がいまや一般的となっている訳ですが、イスラム教における原理主義とはそもそも宗教の教えを厳格に守ろうという復古主義的な面もあり、これは資本主義を中心におく西洋の生活様式と激しく衝突する。しかしこの衝突はアメリカやヨーロッパの国々と直接対決するような方向で激化するものでは本来はなく、きちんと決まった時間に礼拝をするとか、飲酒はしないと云った身近なところで自分達の仲間内で西洋的・享楽的な生活を送る者たちに向けて衝突するものなのだ。結果、原理主義的主張をする宗教団体には一定の理解、そして人・物・金も集まってくる。それらの一部がどこからか過激主義の者たちにも流入していく。
欧米からのサウド王制の延命や反政府勢力に対する攻撃の支援、またイスラエルに対するアメリカの行動に対する容認などといった短絡的な取引に応じてしまうサウジアラビア政府の言動が重なりメッカ事件は起こった。そしてその衝撃で目覚めた者たちが追従する形で様々な事件や紛争を生んできたとことが浮かび上がってくる。
著者は個人的な意見としながらもサウジの今後をこのように見ていると述べている。
①サウジアラビア王制の政策が現状のまま継続すれは、サウド王国は王制維持が困難となる。現在のサウジアラビアの国体は制度疲労を起こし、衰退の道を辿りつつある。
サウド王制が崩壊した場合、どのような方向へ進むにしろ、中東に「地政学的」な構造変化が起き、新たな石油危機など世界的に大きな影響を与える。
②日本はその影響を最も強く受ける国の一つとなる。サウジアラビアは、国内的には人口急増、王制八部族などの利害調整、保守と改革の対立、不正の蔓延、メッカ事件、シーア派暴動、際限ない破壊活動などを抱えてきた。
また対外的には、パレスチナ問題、アフガニスタン紛争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争を経験し、現在イランとの緊張関係、アラブ諸国で起こっている民衆革命などがサウジアラビアを取り巻いている。
サウジ国内の本質的な社会構造の変化と緊張する国際関係により、サウド王制は財政負担と緊張を強いられ、その体制は地滑り的な変化、分解を加速させている。
また一歩引いて俯瞰すればそこには、アフリカやアジア、南米で繰り返されてきた、差別と分離政策を導入することで地域社会に侵入してきた欧米の戦略が浮かび上がってくる。
欧米がイスラム教の聖地メッカを抱えるサウジアラビアの支配階級に取り入るのは、原油の安定供給のためにある意味巧妙というよりむしろ妥当で、それ以外の周辺・外延部との緊張、対立、衝突は予測された事態ということもできる。
しかし、またこうした政策、戦略が結果的に制御不能の不満、怒り、不平等を抱え込み、最終的にはその矛先が欧米に向けられということもまた、歴史的必然となりつつある。
サウジアラビアはいよいよ制度疲労と肥大化した王族たちを抱えて崩壊の瀬戸際にずるずると陥りつつあり、ますます中東は予断を許さない状況にある今、正に知るべきお話でありました。字も大きくてするりと読めてしまうものではないかと思っていた本書は途轍もない重さを持った一冊なのでありました。是非皆さんに読んで欲しい本でありました。
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2015/03/15:さて「パイドロス」であります。プラトンです。なんでこの本を「今」なのか、ふと気づくと期末の大忙しの最中の会社の昼休みに「哲学」の本を読んでいるサラリーマンなんて恐らく日本で唯一人なんじゃないかと思った。それはまたすっごく変なやつだ。自分でもよくそれはわかっている。なんで今この本を読んでいるのか。それはいろいろ事情があってこうなっているのだけど、そもそも本書を読んでみようと思ったのは7年前に読んだ、ロバート・パーシグの「禅とオートバイと技術」で彼が自分のことをパイドロスと呼んでいたからなのだった。
しかも今回の記事は全く纏まる気がしないよ。
パーシグはパイドロスが形あるものはすべてこれ人間の精神に帰着するというようなことを述べていたというようなことを書いていた。パーシグは哲学的な問いに対する深い熟慮を重ねついに精神を病んでしまったことから、仕事を離れてオートバイの旅に出ていたのだった。このパーシグの心を冒した問いというものが一体どんなものだったのか。
プラトンはソクラテスと師弟関係にあった人で彼の著作の大半はソクラテスが様々な人物と対話する形で記述されている。「パイドロス」は本書も含めプラトンの著作に登場する紀元前400年頃のアテナイ出身でソクラテスと対話する人物なのだった。
お恥ずかしいことにプラトン。この年ではじめて読むわ。
町外れでパイドロスと出合ったプラトンは、パイドロスがリュシアスという人から聞いてきた興味深い話を聞くために郊外の川のほとりの木陰まで連れ立って出かけて横になり、議論を始める。
それはとある美少年は自分自身に恋をした相手に身を捧げるべきか、そうではない相手に捧げるべきかという話なのだという。しかもリュシアスは恋をしていない方の相手にこそ捧げるべきだと述べているのだという。
この恋をしている相手というのが男らしいという点でもなんとも居心地の悪い話題なのだが、二人は当たり前の事のようになぜ恋をしていない相手に身を捧げるべきか、という点について議論を進めていく。
あれ、これこんな話だったの・・・。
リュシアスとはソクラテスと同時代の実在の人物で、初期の弁論術の形成に寄与した代表的な人なのだそうだ。大変裕福な人で普段はペイライウエスというアテナイからちょっと離れたところに住んでいるのだが、アテナイにも別邸があり、パイドロスはこの別邸に訪れていたリュシアスに会い上記の話を仕入れてきたという訳なのだった。
巻末の解説を読むと、このリュシアスの話というのが果たしてプラトンの創作なのか、もしかしたらリュシアス本人の話を取り上げたものなのかについては結論が出ていないのだという。
ソクラテスはこのリュシアスのやや無茶な説明を「無駄な繰り返しが多い」的な感じでばっさりと一刀両断し、自分ならもっと上手く語れるとばかり滔々と論を展開していく。
あららら。どうなるこの本の展開は。予想外だ。
しかし、ソクラテスは更にその反論。つまり恋をする人にこそ身を捧げるべきであるという立場で話を切り返し、リュシアスの論を口先だけのもの、要は黒いものを白く言うなと。踏みつける。
更に議論は弁論、そして哲学、魂という問題へと深化していく。
人が「鉄」とか「銀」とかという言葉を使うとき、相手の心の中には話をしている者と全く同じものが浮かぶが、「善」や「悪」といった言葉の場合には、ひとりひとり様々な思いが浮かぶ。これらの概念は「鉄」や「銀」に比べると複雑な要素を含み、それら一つ一つの定義がまた人によって異なることからそれが積み重なった結果、お互いの議論がかみあわなくなってしまう。
およそ技術のなかでも重要であるほどのものは、ものの本性についての、空論にちかいまでの詳細な論議と、現実遊離とを、とくに必要とする。そういう技術の特色をなすあの高邁な精神と、あらゆる面において目的を成し遂げずにはおかぬ力との源泉は、何かそういったところにあるように思われるかりだ。ペリクレスもまた、そのすぐれた天分に加えて、この精神、この力をわがものにしたのであった。思うにそれは、彼が、同じこの精神と力量の所有者であるアナクサゴラスにであったおかげであろう。すなわち彼はこの人から高遠な思索をじゅうぶんに吹きこまれ、アナクサゴラスが論じるところが多かった知性と無知との本体をつきとめた上で?そこから言論の技術にあてはまるものを引き出して、この技術に役立てたのだ。
つまりこれらの言葉を分解に分解を繰り返しもうこれ以上分解することのできない成分にまで分割したその一つ一つを純粋に定義づけする必要があるのだという訳だ。
どちらの場合においても、取り扱う本性を分析しなければならない。つまり医術とは、身体に薬と栄養とを与えて健康と体力をつくる仕事であり、弁論術とは、魂に言論と、法にかなった訓育とを与えて、相手の中にこちらが望むような確信と徳性とを授ける仕事であるが、もし君が、こういった仕事にあたって、たんに熟練や経験だけに頼らずに、一つの技術によって事を行おうとするならば、医者の場合には身体の本性を、弁論術の場合には魂の本性を、分析しなければならないのだ。
そしてこの最も底流にある分割不能な成分の定義とは魂の本性にあるのだとする。パーシグが必死で突き詰めて行った問題がどんなものなのか、漸くわかったよ。そしてまた全く予想しない展開で翻弄される読書体験はまた斬新でありました。
善と悪、現代においてこれを突き詰めて分解することで果たして万人共通の認識に立てるのだろうか。しかし少なくとももっと努力はすべきですよねと。
次は「国家」とかにも挑戦してみようかしら。
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「猟犬(Jakthundene)」
ヨルン・リーエル・ホルスト(Jorn Lier Horst)
2015/03/08:ちゃんと面白い本を読みたい。そんなときにとっといたマイクル・コナリーに取り掛かろうというつもりでいたのだけれども、この「猟犬」とっても気になる。
ガラスの鍵賞、ゴールデン・リボルバー賞、そしてマルティン・ベック賞の三冠、マルティン・ベック賞だと?マルティン・ベックは警察小説の白眉とされる全10巻のシリーズで父や母と回し読みして楽しんだかけがえのない作品群で僕は少なくとも全部三回は読んでいる
思い入れ深いものだ。
しかし残念ながら受賞作が邦訳されるのは珍しい。また、ガラスの鍵賞は警部ヴェランダーシリーズのヘニング・マンケルやまだ一冊しか読んでないけれども特捜部Qシリーズのユッシ・エーズラ・オールスンなんかも受賞している渋い感じの賞だ。
これは・・・・。
コナリーはもうすこし書店の本棚に並んでてもらって、僕は先にこっちを読ませていただくことにするよ。
ということで「猟犬」であります。
原作者ヨルン・リーエル・ホルストは1970年生まれのノルウェー人。現役の警察官だった2004年に作家デビューをしているらしい。現在は警察を退職、作家として活躍中で、本書の主人公でもある刑事ヴィリアム・ヴィスティングを主役とした作品を既に9作も上梓している。
本書「猟犬」はその8作目にあたるもののようだ。途中からはじまっちゃうのね。
ヴィスティングはノルウェーオスロの南西にあるラルヴィクという都市のベテラン捜査官。警察官として31年働いているという記述があった。
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この街並みの美しいこと。
ほんと羨ましいわ。
シリーズものでしかもすでに8作目ということもあってヴィスティングの背景については既に承知している読者を想定に書かれており、よく解らない部分があったけれども、長男・次男は双子で既に社会人として家をでており、末の娘リーヌも5年程前から地元紙VGの記者として働いている。妻のイングリは既に他界。現在はカフェを経営しているスサンネという女性と暮らしている。
休日の夜、ヴィスティングがカフェでスサンネが店を閉めるのを待っているところに、リーヌから電話がかかってくる。17年前の少女誘拐殺人事件の罪で囚役していた男が半年ほど前に刑期を終えて刑務所から出てきたのだが、その男が逮捕の有力な鍵となった証拠が偽造だったということで再審申請をすることになったというのだ。証拠が偽造であったとすれば当時捜査とりしきっていたヴィスティングに責任が問われることとなり、その記事が明日の新聞に載るのだという。
リーヌは父を気遣って事前に連絡を入れたのだった。そしてその気持ちを振り払うかのように折しも発生した路上での撲殺事件を追うため新聞社を飛び出していく。
大きな事件のインタビューなどでよく顔を知られているヴィスティングだが、今回はその信頼を揺るがす形で第一面を飾ることとなってしまった。偽造された証拠とは何なのか、捜査のどこに欠陥があったのか、ヴィスティングには全く心当たりがない。過去の捜査資料を引っ張り出して読み返しているところへ副署長がやってきて停職を下されてしまうのだった。
愕然としつつも、自分の身は自分で守るしかない。捜査資料のコピーを持ち警察署を出ようとしているところに入ってきたのはまたもや少女誘拐事件の第一報であった。
犬の散歩中に路上で撲殺されたらしい男の事件を追うリーヌ、17年前の事件のアラを探るヴィスティング、そして失踪、どうやら誘拐されたと思われる少女の事件を追うラルヴィクの捜査員たち。
見事に転がりだす冒頭部分の展開が心地よい。あっと言う間に小説世界に入り込んで僕は一緒に事件を追っていった。
まさにマルティン・ベックシリーズを彷彿とさせる地道な捜査と人間ドラマの交錯。そしてじわじわと捜査の網が絞り込まれていく、この息詰まる展開。こんな本を待っていたのだと膝を打つ面白さなのでありました。
マルティン・ベック もういっぺん最初から読んでみようかな。おやじのところの本棚に確か全部揃っていたはずだ。また本書は早速おやじに贈ってあげよう。「面白いよ。これ」って。
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2015/03/01:人類の水の利用の歴史はどのように発展してきたのだろう。生きるために水は必要なものだが、川や水たまりに行って喉の渇きを癒やしているだけでは利用しているとは言えない。本書は12000年ほど前から人類が水を制御し活用してきたことを語る世界各国の遺構をめぐっていく。
PPNAは今では11500万年前から12000年前まで、ほんの千年ちょっと続いたことが知られている。そしてそれは、狩猟採集から農耕様式へと移行するキーとなる時代だった。この時代に狩猟採集民は野生の穀物やマメ類を栽培しはじめる-散水、除草、苗木栽培、害虫駆除。これが徐々に多彩な栽培物への進化へとつながっていく。「耕作者たち」が頼りにするのは何と言っても、今生産されつつある収穫量の大きさだが同じように、何を栽培するのかを決めるのは耕す者たちの判断による。したがって、農業のはじまりは意図的であるものと同時に、偶然によるものでもあった。ひとたび植物が栽培化されると、人々は集落を作り定住するようになった。そして周囲の畑を耕し、羊やヤギを家畜化して、やがては蓄牛を飼うようになる。
次の PPNBの時代は、10200年前から8300年前まで続き、穀物の栽培と動物の家畜化をともなう
農耕集落が定着を見た時代である。それを特徴づけているのは、建築や技術、集落の規模─すでに2000人あるいはそれ以上の人口を抱えたものもある─の劇的な変化だ。そして次には「土器新石器時代」が続く。これは読んで字のごとく、土器の発明によってこのように呼ばれた。しかしこの時代はまた、羊やヤギの移動放牧を伴う農業経済への重要な変化を特徴としている。そして5600年前には、最初の都市社会を招来する青銅器時代がやってくる。
飲料水として利水を行うようになるには、定住が、定住しているということは狩猟採集生活から農耕の生活への移行が前提となるのではないだろうか。
ヨルダン渓谷で発見された遺構はPPNAの時代のものとされるものでそこには植物栽培をしていたと思われる明らかな痕跡があったという。
農耕にはそれに見合う植物との出会いが必要であったことをジャレド・ダイヤモンドは鋭く指摘した訳だが、利水技術が伴わなければせっかくの出会いも活かすことができない。利水技術は農耕のような必要性がなければ無用の長物である。利水技術の発展は飲料水から、料理、入浴、下水、水運。そして富や平和の象徴的なものとして噴水のような憩いの場の演出とその活用範囲を広げ農作物収穫の増大、都市の大型化を支えた筈だ。つまり農耕技術と利水、それはどちらが先なのか、まるで卵が先かニワトリが先かのような問題である。
一方で治水。海からやってくる津波のような脅威や川の上流からやってくる鉄砲水のような脅威。そして渇水。治水制御の技術も都市の発展生産性の向上に欠かすことはできない。
井戸や河やトンネルの掘削や貯水、水門や伏越といった土木技術は使役動物や強力な道具の開発などと絡み合って進んできたのだろう。
ニコラス・ポストゲートは、楔形文字で書かれた文書の中で「グガルム」と呼ばれていた者たちによって、水の採取の調整が行われていたのではないかと示唆している。彼はこの人々を「運河管理官」と訳していた。
都市が大規模化するに従い社会的分業のなかで利水・治水を司る機能が働き集団の労力を効率的に統合していくことも重要になっていくはずだ。
僕はてっきり本書がこのような利水・治水の土木技術の進化に沿って進んでいくものであると踏んで読んでいた。確かに本書は時代を下りながら様々な時代の遺構を訪ねていくのだけれども、それぞれの時代と地域の間の繋がりが無く飛び飛びの離れ小島のような感じだ。
治水・利水の技術が権力者として必然であったという目線は鋭いものがあると思うのだけれども、ではその技術は一体どんな技術でそれはどこからやってきたのか。土木技術たとえばサイフォンのような導水技術を果たして人類は何度発明したのだろう。一度発明された技術が農耕などとともに世界に伝播したのか、それとも各地でばらばらに発見され利用されはじめたのか。とか。
本書の指し示した切り口は正に慧眼で非常に重要なものがあると思うのだけれども、こうした僕の疑問に答えることは現段階ではできない。つまりまだわかっていないというのが正解なのだろう。
振り返るとジャレド・ダイヤモンドも現状の栽培植物や家畜動物の種類から過去の伝播ルートを類推していた。一方で本書が捉えようとしている土木建築技術や道具や概念といったものは現状から過去を類推することはできず、遺構を調査分析してもその背景にあるこのようなことまでは知りようがない。
離れ小島のように点在する文明はそれぞれ独立して発展・衰退しているようにも見える。彼らはどこからきてどこへ行ったのか。さらにそこで肝心なのはなぜ長年住み慣れた都市を遺棄して去っていったのか。
土壌の塩性化により栽培が困難になったのかもしれない。地球規模の気象変動、例えば干ばつによって集団での生活が維持できなくなってしまったのかもしれない。或いは外敵の侵入によって侵略や疫病の蔓延によって衰退していったということもあるだろう。
人類の歴史は総じて進化前進してきたことは間違いないが、そのなかで夥しい都市や文明が滅びてきたこともまた事実だ。ミズンは地球温暖化を迎えつつある我々の文明に対して警鐘を鳴らしている。
知恵や技術の伝播と都市の衰退・遺棄というものは何かサイクルというか流れのようなものがあるのだろうか。そうした新たな目線で遺構をとらえて過去に学ぶというのは今この時期とても重要なものである気がしてきた。
本書はおそらくその入り口に立つものなのではないだろうか。
今はまだ遺構たちはただ沈黙するばかりだが。
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2015/02/15:前回の「皇帝の新しい心」も読書自体もその後の記事の取りまとめにも随分苦労したと訳でペンローズの本が平易な訳がない事は手にする前から明らかだったが、予想以上の手強さでありました。
あちこちに登場する数式はもちろん一ミリも理解できない状況下でペンローズは僕らに一体何を伝えようとしているのかを想像するというのはそもそも果たして可能なのだろうかという疑問を抱きつつ先に進むという読書は、ジャングルの奥地で間違いなく自分は迷っているのがはっきりしているのだけれども、果たしてどこに着けば迷子ではなくなるのかもわかっていないという心もとなさがあった。
ビックバンから始まったとされる僕らの宇宙は一般的にその前時代との間の関係性は物理学的に完全に切れており、この宇宙の始まり以前の事を知る術はないと聞かされていた。
そしてこの宇宙は膨張を続けており、これが最終的にどうなるのかはこの宇宙が持っている質量によって決まり、軽い「開いている」場合は永遠に膨張・拡大を続け、「閉じている」場合はいつか膨張が縮小に転じて最終的には大きさのない点に収斂していく。
僕らの宇宙の前時代の様子を物理的に推し量ることは不可能でも、この閉じているのか開いているのかによって宇宙の世界観というものは大きく異なってくる。
閉じているとしたら、収斂した最終的な点が再びビックバンを起こして次の世代の宇宙を生み出し、これが繰り返されていくという世界観を、開いているとしたら物質は果てしなく互いに離れていきやがて原子は崩壊して時空自体が消滅する。そこに出現する「無」こそビックバンが発生する土壌でありここから再び宇宙が生まれる。
これらの世界観はアインシュタインの理論の宇宙定数Λをゼロとして考え出されたモデルであった。しかし近年の観測結果からΛはゼロに近くマイナスではないらしい事が明らかになってきた。したがってわれわれの宇宙は将来的に収縮に転じることはなく、永遠に、しかも可能性として指数関数的に膨張を続けていくことが強く支持されてきた。
僕らの世界は将来的に開けていて永遠に終わることはないのだろうか。
僕らの宇宙には前はあるのに、後がない?という意味だろうか。また、僕らの宇宙の外側はどうなっているのだろうか、世代を重ねているとしたとしてもこの宇宙というものは一本の線のように連続的に繋がる一つしかなくその外側というものは「存在しない」のか、この宇宙と同様のサイクルを繰り返している世界がいくつも平行して広がっているのだろうか。
こうした世界観は宇宙物理学の切り口でいくつものそれらしい候補が考え出され研究が進められている。ペンローズは本書で自ら考え出した共形サイクリック宇宙という世界観を僕らに伝えようとしているのだ。この共系サイクリック宇宙は、とても独創的でこれまでに聞いたことのあるものとはだいぶ様相が異なる。
まず何より最近の知見としての上記の開いた宇宙を前提により深い考察がなされている。
初期の宇宙は熱く均質で高密度な点から始まったと考えられている。これをエントロピーで捉えた場合、途轍もなく低い状態とみる。エントロピーは時間の経過とともに増大していく。これは熱力学の第二法則によるもので、局所的にこれが破られることはあっても全体として逆転することがないというのがこの世界の原理原則である。
ところがこの初期状態で生じた波動である宇宙マイクロ波背景放射を分析するとどのようなことがわかったかというと。
宇宙マイクロ波背景放射の観測値とプランクの黒体曲線の一致から、なにがわかるのだろうか?それは、われわれが見ている宇宙マイクロ波背景放射が、ほとんど熱平衡と言ってよい状態から来ていると告げているように思われる。ここで言う「熱平衡」とは、実際には何を意味しているのだろうか?図1.15をもう一度見てほしい。位相空間で群を抜いて大きい粗視化領域に「熱平衡」と書いてある。この領域は、エントロピーが最大になる領域でもある。しかし、第六章の考察からどのような結論に至ったかを思い出してほしい。それによると、第二法則は、「宇宙の初期状態(われわれがそれをビッグバンであったと考える)は、エントロピーが途方もなく小さい(マクロな)状態である」という事実のみによって説明できるはずだった。ところがわれわれは、これとは正反対に、エントロピーが最大の(マクロな)状態を見いだしてしまったらしいのだ!
熱平衡、つまり物質やエネルギーの正味の流れがない状態から発生していることがわかったということ。これが初期宇宙はエントロピーが高い、しかも宇宙発生以来で最も低い状態であったということと真正面から矛盾しているという訳だ。
ここで、エントロピーが最大になった熱平衡に相当する状態とは、どんな状態なのだろう?この問題は、ニュートン力学の枠組みのなかでは適切に扱えないことがわかっている。多数の質点からなる系を考えてみよう。質点はそれぞれ運動しているが、ニュートンの逆二乗則にしたがって、互いに引き合う。やがて、いくつかの質点が徐々に近づき、それとともに速度を増していく。質点の密集の度合いにも運動の速度にも上限がないので、「熱平衡」の状態は存在しないことになる。この状況は、アインシュタインの理論を用いると、ずっとうまく扱える。アインシュタインの理論では、密集の度合いには上限があり、質点がある程度まで集合するとブラックホールになるからだ。
ブラックホールについては第十章でもっと詳しく説明する。そこでは、ブラックホールの形成がエントロピーを途轍もなく大きくすることを知るだろう。われわれの銀河系の中心部には、太陽の約400万倍もの質量をもつブラックホールが存在している。今日の宇宙のエントロピーに圧倒的に大きな寄与をしているのは、こうした巨大なブラックホールだ。かつては、宇宙マイクロ波背景放射のエントロピーが宇宙のエントロピーの大半を占めていたが、現在では、ブラックホールのエントロピーの合計の方が格段に大きくなっている。宇宙のエントロピーは、宇宙マイクロ波背景放射ができた時代に比べて格段に大きくなっている。その原因が、重力凝縮なのである。
どうだろう、どんどん訳がわからなくなっていく感じだ。温度も密度も無限大だったらしいビッグバンと、未来の果ての温度も密度もゼロとなった空間をペンローズは共形的に相似であると捉えるのだという。違うのは途轍もないスケールの違いだけだ。
開いて途方もなく長い時間膨張を続ける宇宙の中ではブラックホールすらも崩壊する。ペンローズはあらゆる原子も崩壊していき、最終的には質量も喪失すると考えているらしい。
質量がゼロとなった粒子はつまり光子となる訳だが存在する粒子がすべて光子となった時点で時間と距離の概念は意味をなくし一つの点と同等になる。
おそらくペンローズの考察の核となっている部分がこれなんだろうと思うのだけれども、本書は僕の理解力をはるかに超えているのは明らかなので、どこかで読み違えている可能性は高い。
本書ではなぜそのように推察できるのか、そしてそのような宇宙ではどのような現象が起こり、どんな観測が得られるのか、ということについて詳細にわたって解説が進んでいく。
果たしてどんな世界観を与えてくれるのか。それは是非本書を実際に手にしていただき、脳みそにあぶら汗がでるような経験をしていただきたいと思う次第であります。
「皇帝の新しい心」のレビューは
こちら>>
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2015/02/11:なんかフィクションの本をと物色していて出合ったのがこの本。MIA(Missing In Action)つまり戦闘中行方不明になってしまったNavy
SEALsの隊員にまつわる話で、地元で彼の無事を待つ母親目線で書かれているものらしい。
おりしも先般ISISの捕虜となった日本人二人は交渉の材料に使われ、我々日本人は鼻づらを引きずり回された挙句、二人はなすすべもなく処刑されてしまったという苦い事件があったばかり。
人質解放に向けては家族が声名を出し、ヨルダン政府の戦闘機パイロットで同じく捕虜となった人とセットでヨルダン側に死刑囚として収監されている女性とを交換する交渉に漕ぎ着けたかに見えたがまるでそれらを愚弄するようなタイミングでの処刑という、まさに現実世界の紛争が如何に甘くないかをまざまざと見せ付けるような事件でありました。
またこの二人について読売新聞が行った全国世論調査では、政府が渡航しないように注意を呼びかけていたにも関わらずに海外の危険な地域に行きテロや事件に巻き込まれたことについて、「最終的な責任は本人にある」と83%が回答したという。また、この事態に対処した日本政府の対応についても90%の人が適切だったと回答しているという。
殺された二人がISISに捕まってしまったことについては自己責任と言われても仕方がないのではないかと思うけれども、処刑されてしまったことについて迄自己責任だとする考え方には同調できない。
また、政府の対応として渡航制限を敷いていたこと自体間違いではなかったと思うのだが、拘束された後はろくな対応もできないままにいたこと、安倍にエジプトやイスラエルで不用意な発言をさせたことについてはとても「適切であった」などとは言い難く、まして殺すと宣言された後の政府の言動もちぐはぐで、はっきり言って手も足も出ない、コテンパンにやられた感じだった。
これをして適切だったと言っている人はどこを見ているのか僕にはよくわからない。日本政府が不甲斐なくてコテンパンにやられるべきだったというように考えているということなら僕も一票入れるけども。
また、今回の事件では日本人のなかでも考え方や価値観に大きな開きがあること、どうやらメディアはその日本人のバラバラな考え方や感じ方からみて、幅広くそれを踏まえた中立性やバランスを考慮しているというよりも、政府やある種の偏った考え方を強調、同調しているかのようなスタンスをとっているということが鮮明になったと思いました。
一方で捕虜になり、最後には抵抗もできず、残虐に処刑されていった二人。リスクを承知でかの地へと自ら赴いた彼らはその最後の日々をどのように過ごしていたのか。そしてその間に何を考え、どんな気持ちでいたのだろう。
そして彼らが無事に戻ってくることをただひたすら待ち続けた家族たち。彼らもまたその間、どんなことを考えて、どんな気持ちでいたのか。
この小説を選ぶのには時機にかなっているのではないか。
幼い頃に父親を亡くし母子家庭であり、軍人一家でもない極普通の家庭に育った息子ジェイソンは、9.11をきっかけに海軍に入隊。しかもSEALになることを目指すのだという。戸惑いつつも息子の選んだ道を受け入れた母親。
小説は行方不明となった事実が明らかになった後の母親の生活を中心にした部分と、息子ジェイソンが入隊して兵士として一人前になっていく過程を追う部分とが交互に平行して語られていく。
途轍もなく厳しい訓練過程を乗り越えていくジェイソンは、今いる場所もやっていることも、秘密事項になってしまうことで母親にも明かせない生活に移ってゆく。
ハーヴァードに進む事も可能な学力を持ち、地質年代学的な造山活動を当然のこととして理解しているジェイソン。古代史と哲学に詳しく、ジョン・ル・カレの本だって読む。そしてリトル・フィートやエミネムの音楽も聞く。
母親サラも知的だ。文学や詩に精通し、アンドリュー・ワイエスの絵に感動もする。国に献身する息子の身を案じるものの、じっとこれに耐え、寡黙に待ち続ける事が美徳であるという、これもまただれにそのような価値観を植え付けられたのかわからない考え方をいつの間にか身に備えている。
亡くなった父親ディヴィッドは作家だと名乗ってサラと出会ったが、どうやらCIAで働く元軍人で、サラに知らせる事なく海外で様々な作戦行動に参加していたらしい。亡くなったのもこの極秘の作戦行動中のことだったようだ。
ジェイソンはそんなおぼろげな父の記憶の断片をかき集め、いつの間にか父と同じような道を歩み始めていたという訳だ。
SEALに入るにはそれなりの体力と知能を持ち合わせていないとダメなんだということなのだろうけども、そう考えると尚更不思議というか違和感があるのが、彼らのアメリカ政府に対する盲信的というか、全く何の疑いも持たなすぎという所だ。職業軍人になるにはこの程度は当たり前なのだろうか。
ジェイソンは正にアメリカ政府の手足であり、装填された銃弾なのだ。指令され、引き金を引かれれば、一瞬の躊躇も迷いもなく、銃身から飛び出して正面の標的を粉砕する。
そうした役割に徹することこそ、自分たちの国や生活を守るために必要なことであると心の底から信じている。
またビン・ラディンを撃つ機会はチャンスと捉えるものなのである。
日本の自衛隊の方々もやはり日本政府のやることに何の疑いも悩みもなく命令が下れば実行するものなのだろうか。
そういう人ばかりではないように思うが。
この小説の登場人物のように知的であればあるほど、現代のアメリカのその言動に対する国際社会からの目線を考えれば、果たして自分たちの命を危険にさらしてまでやる価値のある目的なのかどうかなどという疑問を一抹も持ち合わせないなどという感覚があり得るのかという違和感は非常に強いものがあった。
それに加えてこの小説の後半の展開。なんじゃこりゃもうここまでくると唖然とする。
スパルタ王レオニダスの事はまるで昨日の事のように理解しているのに、アブグレイブやそもそも9.11が迎起されたアフガニスタンの、イラクの、イスラエルとの、諸々の吐き気を催すような様々な所業については都合よく記憶喪失になっているみたいでこれもまた気持ち悪いことこの上ない。
リー・カーペンターはプリンストン大学を出、ハーヴァードの大学院に進んだ人で現在は、ニューヨークの公共図書館の運営に関与しているのだそうだ。この人の詳しい経歴は不明だが軍関係の匂いは特にない。ないのだけれど、本書の内容を読む限り、アメリカ政府はもちろんアメリカ軍の意思決定とその行動には微塵の疑いもないことは間違いなく、僕はいつの間にかアメリカ政府原理主義者という言葉が何度も頭をよぎっていくのが止められなくなってしまった。
僕らの社会はかつてよりもずっと複雑で価値観も選択肢も多様化してきた。まわりにいる人たちはたいていそのなかにあって、穏便穏健で、悩み迷いながらも、お互いに折り合いながら暮らしている。たいていの場合は。
しかし、選挙は必ずしも民意が反映されているとは思えない結果を繰り返し示し、日本政府は着実に右傾化先鋭化の道を進み続けている。
これだけ多様な価値観と選択肢がありながらこんな結果が生じるのは、選挙のシステムに問題があると考えるのが普通なんじゃないかと思うのだけれども、選挙に勝った連中がルールを決める訳なので自然にまともなルールに軌道修正されることを期待するほうが無理だということも含めて僕らは無防備過ぎで、どこを想定しているのかわからない海外の敵国よりも、よっぽど危険なのはあいつ等だという思いがする次第であります。
この小説みたいに学校の成績は優秀なのに脳のどっかがちゃんと機能してないみたいな人たちの存在もまた危険というか。僕らはいったいどうしてらいいのでしょうねー。いろいろ考えて途方に暮れるという思いがけない経験を与えてくれる本でありました。更に翻って最初の問題意識に対してもなんら参考にならなかったという点でも、上質のミステリーなんかよりよっぽど意外で予想外の結果でありました。
きっと向こうから見た僕もやはりバカなんじゃないかとかへんてこに偏向した考えの持ち主だというように見えているに違いない。
このような相容れない価値観・信条という深い谷を挟んだ僕らがどのように同じ社会のなかで折り合っていくことができるのかという重たい問題も孕んでいるのでありました。
現地アメリカではこの本をどのように捉えているのか、いろいろな人の意見を知りたいものです。
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2015/02/08:旅の本が好きだ。それも観光とか食レポのような本よりも何故かストイックに移動することに全霊を賭けている、何かに憑かれたかのように只管移動する人たちの本がいい。
それはチャトウィンやポール・セローのような。
チャトウィンが東欧を旅したときに念頭にあったのはロバート・バイロンの「オクシアーナへの道」だった。憑かれたように旅する男達には必ず先鞭者がいた。彼らはこの先鞭者の足取りを本のなかから嗅ぎ取り追跡者のようにその跡を辿って回っていた。
何より僕は後に世俗を捨ててその跡を追ってしまう程感銘を受ける先鞭者の本との出会いに感動する。どうしたらそんな出会いが出来たのか。また旅行紀というものには何故そのような力があるのだろう。
本書の著者、ローリー・スチュワートも例に漏れず大変な読書家で博学。彼も先鞭者たちの背中をみていた。
歩くことが人間であることの本質だとする進化論的歴史学者たちについて考察きてみた。わたしたちの二本脚での動作は、人類を最初にサルと区別した。それは両手を自由にし、道具を使えるようにし、人間を遠くってもアフリカの外へと連れだした。種としてのわたしたちは、歩いて世界を植民地化した。人間の歴史の大部分は、何人か派馬に乗っていたときでさえ、歩く速度により達成された外界との接触によりつくられてきた。スペインのコンポステーラやメッカやガンジス川の水源への巡礼、歩いて神に近づこうとしたさすらうイスラム修道僧やヒンドゥー苦行僧や修道士たちのことが頭に浮かんだ。仏陀は歩きながら瞑想し、ワーズワースは湖の縁を散歩しながらソネットを作った。
ブルース・チャトウィンはこれらのことから、わたしたちは地球の表面を絶え間なく歩き続けているほうが、よりよく考え、よりよく生き、人間として自分たちの目的により近づけると結論した。
いつどのようにローリーが先鞭者たちの存在に気づき、どこでどのようにその足取りを追おうと決意したのか。このあたりはどの旅行紀と同様に語られることがない。
どうしてか彼は東欧からアジアに向かう道を徒歩で横断しようと思い立ったのであった。徒歩だよ。徒歩。
「はじめに」を読むとそもそも横断する計画のなかにアフガニスタンが含まれていたのだが、2000年の時点ではそれが難しく、かの地を飛ばしてイラン、パキスタン、インド、ネパールの4カ国を16ヶ月かけて踏破した。2001年12月にタリバン政権が崩壊したニュースを受け急遽、スキップしたアフガニスタン、ヘラートからカブールまで歩くことで切れ目を繋ごうとしたということらしい。
一日約40キロ。
僕はたまに会社帰りに歩いているのだけれど、せいぜい10キロ程度、一時間半くらいだ。
40キロ歩くとなると単純計算ではいかない。しかもそれを連日・・・・。
強靭さの基準も箱庭のようなところに住んでいる日本人の感覚を飛びぬけているのだろうか。
またローリーは携帯電話も地図も持っていない。地図を持っているとスパイと間違われる恐れがあるのだそうだ。現地の文化宗教価値観を理解し、言葉もある程度通じるという背景はあるとしても、どうやっているのか。チャトウィン、ローリーらが実践している旅のスキルというものはまた途轍もないものがある。
ヘラートからカブールへ。ヘラートは北に向かえば中国へのシルクロードとなり、南に向かえばインド、スパイスロードとなる旅の要衝。ローリーはそのどちらでもない中央ルートをとることにした。
その道は1504年にムガール帝国の始祖であったバーブルが通った足取りであり、ローリーはこの跡を追うのだ。バーブルは1483年に今のウズベキスタンの東部に生まれ、紆余曲折を経た上でインド亜大陸をほぼ手中に収めた人物だ。
1506年、カブールを攻略したバーブルは当時の文化の中心であったヘラートへいわば外遊と休養を兼ねて立ち寄る。本来はのんびり湯治でもというところなのだが、何故かバーブルはこのヘラートは慌しく立ち、距離は短いが冬のまっただなかに山岳ルートをとってカブールを目指した。
彼の回顧録、バーブル・ナーマにはこの時の記載が生々しく残されていた。
ヘラートに残ってウズベク族お将軍の攻撃から町を防御したいといういとこたちの懇願にもかかわらず、バーブルはたった二十日の滞在でそこを去る決意をした。バーブルはその理由を、冬用の居室が快適ではなかったからだと言っているが、彼の滞在先がヘラートでいちばん裕福かついちばん文化的な人物の宮殿であったことを思えば、それが真の理由だとは考えられない。むしろ、田舎者の彼と彼の読み書きができない秘書官カシムが、洗練された宮廷社会に恐れをなしたというのが、本当の理由なのではないだろうか。バーブルが謁見室で危うく無礼な振る舞いをしかけたり、初めて飲酒しそうになったりしたところを、カシムが危機一髪救ったこともあった。カシムは自分の秘蔵っ子がそれ以上堕落したり恥をかいたりする前に、その場から連れ出したかったのかもしれない。その上、彼らの新しいカブール王国も脅威にさらされていたので、バーブルはしばしば居ても立ってもいられない気分だった。決定的な理由が何であったにせよ、町を去るというバーブルの決定はよほど固かったに違いない。彼が発ったのは真冬。それは中央ルートを旅するには最悪の季節だった。
このバーブル・ナーマは暴力と死が日常にあふれる最中にありながらどこまでも淡々としており、まるで情動が著しく漂白されたコーマック・マッカーシーの小説のようだ。
500年前のバーブルも真冬にこの中央ルートを踏破するのだが、それはかなり無謀とも言える過酷な時期なのだという。それもそのはずこの先に広がる平原には「何もない」からだ。
バーブルが通過した領土の大部分は、当時、ズルナン・アルガンという名のヘラートの首相により統治されていた。オベイとチャグチャランに行政管理局があり、ヤウラカンとバーミヤンに大きな集落があったが、それぞれの間には何もなかった。その点に関しては、それから500年たった現在もほとんど変わっていない。この地域は相変わらず孤立し、ルート上に行政機関らしきものがあるとわかっているのは、いまもオベイ、チャグチャラン、ヤウラカン、バーミヤンだけだ。オベイとチャグチャランの間の平原には、アイマークと呼ばれる反遊牧民の、タジク族が、チャグチャランとバーミヤンの間にはハザラ族がまばらに住んでいる。当時もいまのように。この地域には四つの異なる民族(タジク、アイマーク、ハザラ、パシュトゥーン)と、主に二つの言語(ダリー語とパシュトゥーン語)と、二つのイスラム教宗派(シーア派とスンニ派)が存していた。山の多い地勢が、失われた文化や宗教や王朝の名残を保存した。
その上アフガニスタンはこの24年間戦時下にあり、タリバン政権によって更に蹂躙された直後という状況であった。
なるほど先々で出会う村はどこもひどく貧しく荒れ果てており、電気や水道、行政や医療といった社会的なインフラが全くなく、それぞれのコミュニティーが遠く孤立した状態で存在していた。彼らもまた旅するローリーと同じくサヴァイバーなのだった。
ローリーは、1506年のバーブルの旅ばかりではなく、ニカイネトス(紀元前3世紀)、マウントスチュアート・エルフィンストン(1815年)、ロバート・バイロン(1933年)、エリック・ニュービー(1952年)、アンドレ・マリク(1957年)、ピーター・レヴィ(1970年)、ナンシー・デュプリー (1976年)といった先鞭者たちの著作を熟知しているようだ、彼らの見た光景、旅のスキルを知識として現実に立ち向かっていったのだろう。
そして旅の道連れとなるのは訪れた村で譲り受けた老マスチフ犬。ローリーは彼をバーブルと名付ける。思いがけない相棒とともに進むアフガンの荒れ野。
読み終わるのが惜しい気持ちで一杯になる久々の一冊であります。
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2015/02/01:会社帰りに数駅分散歩するようになったのは2008年ごろから。高血圧、メタボ対策、ストレス解消等の目論見で週末自転車に乗りはじめたけど、それだけでは足らない。これを補うために夜の時間を使うことにしたという訳だ。
道に迷うおやじというのもみっともないのでJRの路線から大きく離れずに数駅歩いた。慣れてくるといろいろなものが見えてきた。特に気になるのがちょっとレトロな建物だ。
新しいビル群の間にぽつんと古い建物がある。これは何の建物で何時頃建てられたもの?
なんて思っていたところに降ってきたのが「東京建築ガイドマップ」という本。
これぞ僕の探していた本だという本でありました。
売り込みはこんな感じ。
東京の近代建築ガイドの決定版!
明治元(1868)年から1970年代末までに建てられた 近現代建築を集めました。
東京の建築ガイドはすでに数多くありますが、 建築通に人気が高いこの時期の建築を 網羅的に扱ったのは本書が初めてです。大規模な都市再開発が繰り返される中で、
改めて歴史ある建築の魅力が見直されている昨今、 レトロ建築や町歩きの愛好者、デザイン・建築系学生から 専門家にいたるまで、ご満足いただける一冊に仕上がりました。
掲載総数878件/写真&解説付477件!
うたい文句に嘘はなかった。
僕は掲載されている建物を目指して、北は日暮里、南は品川、高輪あたりまでを散策するようになっていったのでありました。残念ながら一部は既に取り壊されているものもあった。時間の関係で西側は行きたくてもなかなか行けないなど、たどり着けたのはまだ半分にも満たない。この本のおかげでとっても濃厚な散策の時間を得ることができたのでした。
掲載されている建物はどれも印象深いものなのだけれども、なかでもおやっと思わされるものに学校建築がありました。古い小学校。僕の地元では見た事もないレトロモダンな建物の学校が東京にはある。
「東京建築ガイドマップ」から再び例を引こう。
中央区十思スクェア
震災復興の取り組みの一つが、コミュニティーの中心として小学校と小公園をセットで設けることだったが、ここもその一つ。隣接する十思公園に江戸時代最初の時の鐘が移設されている。鐘楼はアール・デコ調だ。
泰明小学校
震災復興小学校の一つ。数寄屋橋側の丸みのあるウィングや、連続する半円アーチ窓、玄関周りの設えなど、全体に表現派風。高速道路との間の小道を通ってみよう。かつて外堀川から見えていたファサードを確認できる。
明石小学校
数多く手掛けられたら震災復興小学校の一つだが、画一化に堕することなく、例えばパラペットに伸びやか曲線が見られるなど表現派風の大らかさがある。円柱を張出したピラスターも特徴的。その点で泰明小と比べ荘厳。
関東大震災で倒壊した学校を復興した際の建築物、つまりその後の大戦・東京空襲を生き延びた建物を現役で使用している。建物の歴史だけではなく、地域の歴史を象徴する存在でもあったわけだ。
そしてそのどれもがとても印象的な意匠をこめられて作られている。
夜でしかも小学校ということなので、付近をうろうろしていたり、写真を撮るために無理に塀にしがみついたりしたら捕まりそうなので「ただの通りすがりですよ」的な早足での鑑賞となってしまうのが残念でありましたが、僕はこの復興小学校の姿も目にやきつけたくていろいろ歩きました。
高輪台小学校、愛宕高等小学校、京橋築地小学校、銀座中学校、常磐小学校、城東小学校、坂本小学校
京華スクェア、明正小学校、中央小学校、九段小学校・・・。
しかしこの復興小学校というのはどういうコンセプトだったのだろう。
それを明らかにしてくれる本がありました。
「明石小学校の建築」であります。
そもそもこの復興小学校というものはいくつあったのか。
復興小学校は117校、そしてその後に別の予算で実施されたものを改築小学校と呼ぶのだが、この改築小学校と合わせて170校が確認されているのだという。
この170校のリストを
スプレッドシートに作ってみた。
復興小学校の建築計画は帝都復興計画の一部でこの計画は後藤新平が作成した東京復興の基本方針
遷都すべからず
復興費は30億円を要すべし
欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応しい新都を造営せざるべからず
新都市計画実施の為めには、地主に対し断固たる態度を取らざるべからず
のもとで具体化されたものだった。
そして勿論これは学校だけではなく、まずは区画、そして幹線道路、橋梁、運河等の整備改築があがっている。これにより整備された河川運河は13。新たに架けられた橋は400以上という壮大なものでした。
そうそう同潤会アパートもこの復興計画の一部だということでした。僕はこの時間軸をはっきり意識していなかったよ。なるほどそういうことでしたか。
明石小学校は震災で大きく傾き、復興小学校として蘇った。
本書では震災時の様子を明石小学校の卒業生の手による文章を引き紹介している。
斎藤喜徳氏 大正4年生まれの方の文章だ。
築地カトリック教会は建物の一部が崩れていた。学校の校舎は右(北側)に大きく傾いていた。立教中学校の寄宿舎の屋根瓦が落ちているのが見えた。
私達の避難した広い道路は居留地が出来た時に、居留地と日本人町との間は川が境界になっていたが、ここだけが地続きになっているので幅の広い大通りで南(東)は佃の渡しの大川で行き止まり、西は築地川で大通りがなく広場のようで避難所には最も良い条件が揃っていた。
大勢の人が戸板などを敷いて集まって人、人で埋まっていた。明石町、入船町、新富町、八丁堀、小田原町、築地、木挽町各町でも出火はなく、佃大橋通りから相引橋(現在の三吉橋)方面の遠くに黒煙が上がっていた。
道一杯にあふれた人々も夕刻になると鳥が立つようにバラバラと少なくなってきた。東も北も西も空は赤くなり時折火柱もあがっていた。この頃になると地震はおさまってきたが風が強まってきた。(中略)立ち退く準備をしている間に、築地方面で大きい火柱が上がった。本願寺の本堂に火が廻って焼け落ちたとのこと。六番組の頭が茅場町の坂本公園の近所まで焼けて来たと知らせて下さり、父は避難を急ぐ事にした。(中略)京橋から日本橋方面の空が赤くないので、新富町、白魚橋、京橋鍛冶橋を通って馬場先門から宮城前の広場に逃げることにした。
後で調べたのでは本願寺が焼けたのは9時45分とのことで出発したのは夜の10時少し過ぎであった。この頃から風は台風級の突風となり、雷鳴もないのに稲妻が空を走り、大風は、店舗の看板などを舞い上げて飛んできた。
台風並みの突風と稲光というのがなんともすざまじい臨場感を僕らに伝えてくるではありませんか。
明石小学校が特別だったのはその地域性にあった。明石町は明治時代にわずかに認められた外国人居留地に隣接した地域だったのだ。
本書は震災前の明石小学校の歴史をひもとくことで当時のこの地域の文化雰囲気をみごとに蘇らせていた。
諸外国と結んだ修好通商条約は、外国人の治外法権を認めていたため、居留地では外国商社による空米相場などの不正行為が盛んに行われていたという。また、日本側には関税自主権もないといった不平等条約であったことから、条約改正に向けて諸外国と交渉がなされ、治外法権の撤廃、関税自主権の獲得などの代わりに、居留地を廃止し外国人の自由な居住を認めることとなった。
1899(明治32)年に居留地制度は廃止された。
日本が強いられていた不平等条約をどのようにして押し戻したのかというところは僕にとって長い間謎だったのだけれども、本書はあっさりその答えを投げつけてきた。居留地制度を廃止することを交換条件にしていたというのだ。ほんとうだろうか。
本書は明治に入って居留地が出来る以前から、明治維新、震災、戦中、戦後と変遷をとげる明石小学校、明石町、東京の姿を追い、帝都復興計画から復興小学校のコンセプト、デザインを通じて作り手と、これらの施設を利用する使い手の我々の生活、文化と縦横無尽に駆け抜ける。
小ぶりで手軽な様子から予想もしなかった豊富で濃いテーマの数々に僕はすっかり嬉しくなってしまいました。
こんなステキな本を生み出した編者、著者の方々には感謝であります。
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2015/01/31:江戸幕府第9代将軍徳川 家重の治世下、浅草観音堂の傍らに葭簀張りの高床から辻講釈をたれる老人があった。人呼んで深井志道軒という。本来は軍談を柱に進む講釈だが、志道軒のそれはわき道に大きく逸れて、陰茎型の棒を打ちつけて拍子をとりながら信仰宗教哲学から坊主・女性蔑視やきわどい猥談を滔々と語るもので、その面白さは抱腹絶倒、高座を聞きたいと人々が浅草に大挙するという社会現象にもなった。その当時の人気は市川団十郎と二分していたのだそうだ。
深井志道軒の生涯は不明な点が多いが、延宝8年(1680年)頃に京都の農家の家に生まれ少年の内に仏門に入った。護持院の納所、つまり会計などを任され金に不自由しないまでに昇進するが、寺院が没落して貧窮に堕ちたらしい。それなりにあったらしい蓄財も散在したり持ち逃げされたりであっという間になくなったみたいだ。
想像だが、将軍の庇護を失い火災にもあって没落した寺院と共に自身の地位と名誉を失った志道軒は色と酒に溺れて身上もなくしたというところなのではないだろうか。
護持院が火事で焼けたのは享保2年(1717年)。身上をなくし路頭に迷うまでに落ちぶれたらしい志道軒が高座に上がるようになったのは1740年代らしい。その時志道軒は既に60代、当時の基準で云えばかなりの老人だ。
禿頭でしわくちゃ歯も不ぞろいの枯れた老人が陰茎型の棒で拍子をとって語っているという絵は、なるほど今でもそうとうインパクトのある絵だったろう。
しかもその語りは当時のタブーをことごとくぶちやぶったもので、どうやら志道軒自ら自分を「狂人である」と名乗っていたことからお上から例外的に見逃されていた節もあるらしい。
政治的にも相当辛らつなことを言っていたらしいが、どうやらそれはあくまで過去の将軍時代のことを語っていて、現政権の家重の事は悪く言っていなかったというところにからくりがあったようで、志道軒は勿論あたまがおかしいわけでもなんでもなくて、寧ろ博覧強記でしたたかな計算もできる翁であったということなのだろう。
本書はあたらこちらに断片的に残る志道軒に関する記述を収集し志道軒の生涯、志道軒の芸、志道軒に押し寄せた江戸の人々の文化を再構築しようという大変な労作でありました。
志道軒の自筆と言われる小冊子が残されている。高座で売っていたものだという。
元無草
夫れ天地とは誰が言い始めけるや。軽く上がり重く下るなどと云い給うは何ぞや。思ふに、我ら生まれて空を見て天と言ひ、下を見て地と知る。其の中間に品々あるを見習ふて、後に天・地・人と言ひ習はせり。人も艸木も、始めもなく終わりもなきものと知り給府べし。天が天とも名乗らず、地が地とも言はず、艸木が草木とも只自然なり。万の物、是に習ふて知り給ふべし。仏書に世界の始めを言ふ時、光音天下りて人の種となると言ひ、儒にハ天より生民の下すと言ひ習はせり。愚迷の為めにかく言ふなるべし。
こんな話をマラ棒で拍子を取りながら、詠っていたのだろうか。どうだろう。お経のような雰囲気が蘇ってくる気がしないだろうか。
この部分はやや高尚な内容だが、話はあっという間に下ネタに突入していく。これをみんな喜んで大笑いして聞いていた。なんとも身近、親近感と既視感溢れる光景ではありませんか。
さすが一世を風靡した志道軒。人形になり、川柳の題材に使われ死後しばらくしても尚、書に名をあらわす。また志道軒のあとを追う文人、芸人たちと志道軒というイメージに鳴動し続ける江戸の文化が浮かび上がる興味深い一冊でありました。
志道軒の資料はあまりにも断片、そして没後かなりたってからの資料でその信憑性も疑われるものもあるらしい。著者の斎田作楽氏は気の遠くなるような蒐集作業を重ね、内容を分析してその真贋を図る。お陰で僕らは志道軒の本当の姿に少し近づくことができるようになった。僕はこれまで志道軒のことを全く知りませんでした。斎田氏は正に歴史に埋もれていた志道軒を発掘してきたんだなぁと思いました。この斎田氏の古文書にあたり江戸の文化を読み取るリテラシーもまたすごいものがあるのでありました。
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「チャイルド・オブ・ゴッド(Child of God)」
コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)
2015/01/25:久々のマッカーシー。ずっと読みたいと思っていた本だったのだけど、なかなか機会がめぐってこなかったものだ。2013年の7月に出版された本書は1973年に書かれたマッカーシーの三作目つまり初期の作品だ。
近年、コーマック・マッカーシーの評価は高まる一方で、「血と暴力の国」、「ザ・ロード」の映画化に続き、本編も映画化された。ジェームズ・フランコが映画化権を買い自ら監督をしているようだ。黒原さんの訳者あとがきではまだ情報不足だったようだが、今ではネットで予告編も流されてました。ジェームズ・フランコは北朝鮮をおちょくった映画で物議を醸していたりするのだけれども、かなりの映画通という印象だ。予告編だけではなんともいえませんが上手に小説の雰囲気を醸し出している感じにみえました。
マッカーシーは5作目の「ブラッド・メリディアン」以降、物語の時代をどんどんと先に進めることにしたようで、「ブラッド・メリディァン」は西部開拓史時代であったものが、「すべての美しい馬」からの国境三部作では1950年代へ飛び、「血と暴力の国」では現代。そして「ザ・ロード」ではなんと近未来へ進んだ。
このような設定はマッカーシーが何を掴み取って僕らと共有しようとしているのかというところと密接に繋がる部分になる訳だけれど、勿論それが何なのかなんていうことは一言で述べられるようなものではなくて、これを知りたければじっくり腰を据えて「ブラッド・メリディアン」から読まれることをお勧めします。
おっととそれで本書の時代背景はというと1960年代でした。しかもこれは実話をもとにした小説なのだという。つまり5作目以降の作者の意図とは切り離されているところにある。
主人公というか物語の当事者はレスター・バラードという男だ。なんで当事者とかいう表現をとっているのかというと、バラードの感情や意図や動機を伺える手かがりは一切ないからだ。バラードの言動を僕らはその背後から見つめ続けるしかなく、更に本作では登場人物の全員の感情・思考が一切省かれている。なので本書では誰かに感情移入することもできない。僕ら読者は事件の傍観者として脇からこの物語を終始眺め続けさせられる。
この意識や思考の欠落というものが物語の静謐さを生み出している。普段の我々のいる世界とは違う世界。色がないとか音がないとかと同義なのではないだろうか。つまり大きく欠落した部分のある世界なのだ。
この目線はマッカーシー本人の目線なのだろうか。どうあがいても理解したり心に触れたりすることのできない相手。社会に生きる以上溝を埋めることができない人は必ずいて、僕らは嫌が上でもこうした人たちと関わらずには生きていけない。マッカーシーは彼を突き放した目線で見てるのだろうか。或いはマッカーシー本人が嫌世的でバラードのような疎外感を抱えている人で、この疎外感をバラードの背中に語らせているのだろうか。
僕は後者だと思うのだが。
テネシー州セビア郡。バラードは幼い頃に母に逃げられ、父親は自殺。そして今、おそらく税金の滞納か何かの理由で家を競売にかけられ奪われようとしている。物語はここから始まる。
家を奪われ、そもそも粗暴で付近の住人たちからも「いかれてる」と囁かれるバラードはなんの援助も支援も受けられないまま、ぽいっと社会から切り離され孤立の真っ只中に放り出される。
バラード自身、どうして世の中とうまく関係がもてないのか、周囲のみんながどんなことを考えているのか、社会のネットワークの外からは周囲の人の感情や意図や動機をつかむことができずにいるようだ。
バラードも物語の中では僕ら読者と同じ感情も欲望もある生身の人間であり、他人との交流なくして生きていくことはできない。一旦切り離されたバラードが無理に社会と接点を持とうとしても辛く厳しい拒絶が帰ってくるばかりで、やがて彼は常軌を逸した行動に走りはじめる。
文明が高度化した僕らの社会は極端に分業化してきた。この社会で生きていく為にはこの知らず知らずのうちにいろいろな事をこなしてくれている第三者の存在なくしては成り立たない。
イスラム国の人が日本人を人質にして殺害したらしい事をはじめ国際社会からの孤立を深めている訳で、彼らの価値観とか思考回路がどうなっているのかはわからないけれども、彼らとて手にしている武器ばかりか車、そして衣食住のすべてを自分たちで自ら作り出すことが出来ない以上、どうしても他の社会との関わることは避けられないはずだ。
この作品はバラードの拒絶された社会との愛憎の物語のようにも読める。拒絶された社会と決別し、孤高に生きようとしても、文明に頼らざるを得ない、どうあがいても社会との関わりは決して絶つことが出来ないのである。
遊底を固めてしまったライフル、鈍ってしまった斧の刃はそれを象徴している。
そんな社会の外延でもがき苦しむバラードを取り囲むのは原始の頃からの姿をそのままに残す荒々しくも神々しく美しい大自然なのだ。大自然の前では無力でちっぽけな個の人間。バラードは自然界からも拒絶されてしまっている感じだ。
人間社会は高度に進化してきたけれども、裸の個々の人間の能力は有史以来さほど高くなっている訳ではなく、このように社会からはじき出された個の人間は自然界のなかで恐らくは元始の頃の人間よりもずっと無力になっているのだろう。
一度文明化されてしまった人間は、社会からつまはじきにされても自然界から暖かく受け入れられるようなことはなく寧ろ過酷な状況に陥っていくのだ。
バラードのような男も僕も人質になった後藤さんも湯川さんもそしてイスラム国の人々もまたいつかどこかでこれを読んでいるあなたもまた同じく神の子なのであります。
やっぱりマッカーシーは黒原さんじゃなきゃね。
「すべての美しい馬」のレビューは
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「越境」のレビューは
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「平原の町」のレビューは
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「血と暴力の国」のレビューは
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「ザ・ロード」のレビューは
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「ブラッド・メリディアン」のレビューは
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「ミツバチの会議-なぜ常に最良の意思決定ができるのか
(Honeybee Democracy)」
トーマス・D・シーリー(Thomas D. Seeley)
2015/01/24:ミツバチの会議。蜂や蟻のような社会性の昆虫の生態には目を奪われる。目には見えないミクロの世界で驚くべき英知がこめられた精巧で巧妙な生き残るための戦略・戦術を見るとき、僕らはそこに巧妙な意図のようなものを感じずにはいられない。我々が思う心や思考と本能、コミュニケーションという定義とはかけ離れた方法で実現している生き物がいるんじゃないか。僕らはそれを単に見落としているだけなのではないかなどとついつい思いが泳いでいってしまう。いつの間にかぼーっと本から目線が離れて窓の外を眺めている自分に気がついたりするのだけれども、朝の通勤電車で朝からこんなことを考えているオヤジというのはやっぱり相当変わっているんだろうね。
ミツバチがどのように集団で意思決定をしているのかというところが本書の主眼となる訳だが、わけても本書のテーマは分蜂と呼ばれる巣分けのプロセスだ。
これは春に新しい女王が巣に生まれると母親、つまり現在の女王蜂が新しい巣作りをするために働き蜂の一部と連れ立って巣立っていくというものだ。
母親の方が巣からでるのね。というところから意外な訳だが、この分蜂のプロセスは長い間大きな謎だった。養蜂というものは随分と古い歴史をもっていて、すくなくとも紀元前2400年頃のエジプトでは既に養蜂を行っていたことが確実なのだという。
養蜂業を営む側としては巣箱に囲っていたミツバチの一部が突如団体で出て行ってしまうというこの春の分蜂というのは厄介なものだが、十分な大きさの巣箱に飼うことでこれを回避してきたのだという。
このプロセスが具体的に解明されはじめたのはほんの三十年前で、この解明には緻密で気の遠くなるような地道な作業の積み重ねがあった。
本書はこの分蜂のプロセスに迫る科学者達の執念のフィールドワーク。それは課題抽出から仮説立て、そしてその仮説検証のために行われる試行錯誤の実験検証。この部分だけでも十二分に面白い。素晴らしい。そして何よりこのアプローチは仕事にも使える冴え渡る英知があると思う。という事が一つ。
そしてその実験検証で明らかになってきた分蜂そのものの精緻なプロセス。もちろん蜂の生活はどこをとっても計算され尽くしたものになっているのだけれども、その機械やプログラムのようでなおかつ臨機応変でしなやかな意思決定プロセスには本当に幻惑されてしまう。
そしてそこに僕らと同じ意思であり自我が蜂たちにもあるようにみてしまう。いや実際にあるのかもしれない。
しかし個としての蜂に僕らと同等の情動が備わっていると考えるのはかいかぶりすぎだろう。まして集団としての蜂に統一された自我や意思があると観るのも非科学的な話だ。
では彼らの合意形成とか意思決定とかというものはどのようなレベル感で行われているものなのだろうか。そしてそれらは何故大抵の場合はうまくいくのか。
巣の候補地を選ぶ場合、越冬するために必要な巣の容積というものがあるのだそうだ。そしてその巣を満たす蜂蜜の存在。それだけではない。日当たりや湿度、そして外敵などからの安全性。こうしたものを兼ね備えた最適な場所に巣を選ぶことは彼らの死活問題なのだ。
どうやって巣の候補地を値踏みしているのか。そして複数の候補地から一箇所を選ぶために集団で意思決定をしているのだけれども果たしてどうやって決めているのか。
ミツバチの分蜂群は将来の住処を選ぶとき、直接民主主義の名で知られる形式の民主主義を実行する。意志決定に参加する共同体の個々の成員が、代表を通してではなく直接参加するというものだ。したがってミツバチ分蜂群の共同的意志決定は、ニューイングランドのタウンミーティングに似ている。タウンミーティングでは、通常年に一度、地域の問題に感心を持つ登録有権者が集会で面と向かって、自治問題について討論し、採決し、共同体に拘束力のある決定がもたらされる。もちろん、分蜂群とタウンミーティングでは、直接民主主義の機能の仕方に違いがある。たとえば、分蜂群の探索バチは共通の利害を持ち(どのハチも手に入る最良の巣作り場所を求めている、など)、合意形成によって意志決定に到達する。しかしタウンミーティングに参加する人間は、たいていの場合利害が対立しており(たとえば町立図書館に助成金を出してほしい人もいれば、そうでない人もいる)、一人が一票を持ち、すべての票の重みが同じで、多数票を得た選択肢が勝つという多数決原理を使って意志決定に至る。分蜂群とタウンミーティングには、もう一つ基本的に異なる部分がある。分蜂群の探索バチは、ミーティングの市民とは違って、集団の中で討論する際の各々のやりとりを追って、議論の全体像を大筋で把握することができない。ミツバチはただ分蜂球内で隣り合ったハチの動きを観察し、反応することができるだけだ。だからハチは、仲間の分蜂バチの間を伝わる情報全体を知ることなく動く。
本書はこの謎に迫る仮説立て、検証方法の検討、フィールドワーク、分析、検証と果てしない道のりを乗り越えてきた研究とそれによって浮かび上がってくる蜂達の驚くべき意志決定のプロレスが平行して語られていく。
そのどちらもすごいとしか言いようがない精巧さと深さがある。自然界の豊さと深さにあらためて感嘆してしまいました。
精巧さの例として「まるで時計のような」なんて表現をつい使ってしまう訳だけれど、分蜂のプロレス一つでも時計などのような人間が手で作ったものなんかと比べものにはならない精巧さなのでありました。
彼らはどうやってこうした手法を受け継いでいくのだろう。一言これを本能とよぶのだろうか。彼らは本能に操られ無意識の領域でこれらをこなしているのだろうか。
意志領域と無意識の領域。これらの見事な分業というのも驚くべきものだが、得意分野に集中している無意識の働きというのは、僕らの意志領域がこなせる仕事を遥かに超える重要な仕事をしているという事を忘れがちだ。
無意識の領域で互いにコミュニケーションを取り合意形成して効率的に自分たちの社会を維持拡大していく蜂達。これを僕ら人類が覚醒する遥か昔から面々と着実に営んできたというのは考えれば考えるほどすごい話しではありませんか。
巣の候補地選びや蜜のありかを方角と距離で伝えるダンスが数学的に解明されている。ダンスをみた相手は正確にその目的地の情報を受け取るのだ。
彼らは他のことでも我々が思っている以上に豊かな情報交換をしている可能性だってあるのではないかと思います。これを民主的とか、見習うことで人間社会が前進するというのは残念ながらちょっと違うかなとは思いますが、読みどころ満載の一冊でありました。
△▲△
「意識をめぐる冒険
(Consciousness: Confessions of a Romantic Reductionist)」
クリストフ・コッホ(Christof Koch)
2015/01/12:さて、自分ではできる限り幅広くいろいろな本を読んでいきたいと思っているのだけれども、結果特定のジャンルの本を回遊魚のようにぐるぐる回っている形になっている僕の読書遍歴でありますが、そのぐるぐるの輪のなかに入っているものの一つがこの「意識」や「心」って何っていうお話であります。
「意識をめぐる冒険」。著者のクリストフ・コッホは1956年生まれでアメリカの神経科学者。現在はマイクロソフトの創設者の一人であるポール・アレンが創設したアレン研究所の脳科学に関するチーフサイエンティフィックオフィサーを務めている方だそうです。
外交官の息子に生まれ海外を点々としながら育った人らしいが研究に関する具体的な業績はよくわからない。カトリックで人間原理を標榜しているっぽい記述もあったりして、手探りでおそるおそる読み進む感じの読書となりました。
宗教と科学という二つの方法を用いて、我々は、世界がどのような仕組みで動いているのか、宇宙の起源とは一体なんなのか、宇宙は何らかの意図や意味があって存在しているのか、といった大きな問いに立ち向かってきた。宗教と科学は、同じ目的を達するための方法ではあるが、その反目の歴史は長い。17世紀後半に西洋では啓蒙主義の時代がはじまり、宗教という権威と伝統で縛られた社会を、合理的な知をもって変革しようという動きが高まった。その過程で、科学的な手法によって得られた知見はめさましかった。それ以降、科学との戦いで宗教は負け続けてきた。特に、コペルニクスによる革命が大きかった。地球という我々の住むこの星は、宗教がそれまで我々に教えていたのとは異なり、宇宙の中心にあるのではなく、一千億を超える星々からなる銀河の惑星の一つに過ぎない、ということを科学が証明してしまったのだ。しかし、なんといっても最大の敗北はダーウィンの進化説によってもたらされた。聖書によると、地球とそこに住まう生き物を支配する役割を、神が人間に与えられたことになっている。さらに創世記では、「一週間で全宇宙が作られ、人間は六日目につくられた」と書かれている。これらすべての壮大なお話しは、地球ができて、そこから長い年月を経てやっと単純な生物が生まれ、さらに数十億年という年月の果てに、やっと現在の人間にまで進化してきた、という進化論の説明にとって代わられた。
しかし要所要所に特定の聖典にある出来事を引き合いに出しつつもその真偽については否定的で、人間原理も平行宇宙やマルチバースなどの最新の知見を踏まえていて、それでもその外側にある意図や目的があるかもしれないという、非擬人化した超超越的なものを指しているようできわめて常識的な思想、信条を持っている方であることがわかりました。
そしてフランシス・クリック。いわずと知れたDNAの二重螺旋を発見したフランシス・クリックはその晩年、生物学から神経化学、意識の問題へとその研究対象を絞り込んでいくのだが、この共同研究に就いていたのがクリストフ・コッホその人であったのでありました。
以前読んだディヴィッド・イーグルマンの「意識は傍観者である」には無意識の行為を司るものとして「ゾンビ・システム」という考え方が紹介されていて興味深く読んだのだけど、この考え方を提唱したのがフランシス・クリックとクリストフ・コッホの二人だったのだ。
更にクリックは厳格な無神論者で、人類は宗教を捨てるべきであるとまで言い切っていた人だったらしいが、こういう信条を持っている人とも一緒に研究ができたというのもコッホの柔軟性を表している気がします。クリックとコッホの篤い師弟関係。クリックの死去に伴う別れの下りには目頭が熱くなるものがありました。
本書はコッホ自身のこのしなやかな世界観が培われた背景となる生い立ちから、共同研究を通じて心を通い合わせたフランシス・クリックとの間柄を縦糸に「意識」とは「心」とはという問題を織り成していく。
意識と脳の関係性は、「マインド・ボディ・プロブレム」と呼ばれる非常にやっかいな問題だ。今のところ、我々科学者には、物理化学的な神経系のはたらきと、主観的な私たちの意識感覚との間をうまくつなぐような科学的な理論はない。意識の精神世界と、脳の物質世界との間には、超えることのできない巨大な谷がある。谷のこちら側の世界には、物理の法則に従う、この宇宙で知られるかぎり最も複雑な器官である脳が存在する。そして谷のあちら側には、我々の経験、つまり、日々の生活で我々が見たり聞いたりするといった感覚や、恐怖や不安、欲望や愛、退屈さといった感情、つまり主観的な意識の世界がある。
現在書かれているあまたの本に「意識」や「心」の本質やその原理を明らかにしたものは一つもない訳で、ではどこを読みどころとすべきか。
科学は近年爆発的な速度で進歩してきているが、「宇宙の起源」や「生命」、「意識」や「心」のような問題は実際問題全くの「謎」のままだ。勿論、僕ら人類が「解ったこと」自然界の極々一部に過ぎないということも忘れてはならない訳だが。
物理の世界ではその究極の最小単位の世界を明らかにしたり、宇宙の起源を探るために深宇宙を覗き込もうとしたりしようとすると莫大なエネルギーが必要となり、実験検証できる限界を超えてしまっているように見える。我々人類は果たしてこの限界をいつか超えて、その向こう側に潜んでいる究極の原理が明らかになる日がくるのかどうかという問題が横たわっている。
理論が構築できても実験・検証が不可能だという壁な訳だ。
一方で「意識」の問題。神経科学のアプローチとしては「意識」が神経の仕組みの上で生まれる仕掛けを明らかにしようとしていると思うのだが、この理論構築と実験・検証というアプローチの行き着く先は果たしてどこかというところ。ここにどんな限界や制約があるのかそれを今研究しようとしている人たちはどのように考えているのか。こうした部分が求められるところのぎりぎりの線だろうと思う。
神経科学のアプローチとしては「脳」の神経回路や様々な部位による分担・並行処理そして情報の統合や統制処理のなかから「意識」というものが生み出されていることを明らかにしようとしている。と思う。難しい。
脳のなかでは無意識下で進められる情報処理と平行して「意識」の世界で感情、感覚そして意思決定といった処理が進められている。これらの情報処理は色や形といった細かな認識を統合して「物」や「人」のような大きなレベルで判定するような情報処理までがまるで入れ子のように何重にも折り重なって行われている。「意識」はどうやらこのような入れ子構造の情報処理、全体によって生み出されているらしい。
つまり「意識」は我々が知りうる限りこの宇宙で最も精巧に作り出された「脳神経」の働き全体によって生まれているということだ。
知れば知るほど奥深い「意識」の働き。
僕ら生命はどのようにこの「意識」を発展・進化させてきたのだろう。我々はいつかこの「脳神経」に相当するような情報処理をプログラムしそれを走らせるコンピューターを作り出すことができて、そこに「意識」が生まれるところに立ち会えるのだろうか。ほんのちょっとこうした最新の知見に触れるだけでもわくわくする話だと思う。
しかしこの意識の問題は宇宙論なんかに比べて解決しやすい問題なのだろうか。実験・検証が可能な問題なんだろうか。これは解明されるまでにはまだまだ恐らくとんでもない山有り谷有りの険しい道のりがあるように見える。まさに意識をめぐる冒険なのでありました。
△▲△
「繊細な真実(A Delicate Truth)」
ジョン・ル・カレ(John le Carre)
2015/01/04:年はあらたまり2015年になりました。カミさんは年末31日まで、新年も2日からご出勤で僕はお正月休みをどっぷりと専業主夫を堪能しております。加えて子供達が五月雨式に出入りしててオヤジ基本自宅にいるのに忙しない日々が続いております。
そんななか毎年恒例となってきた12月のル・カレの新作。今年こそは年末年始のお休みにじっくりと我慢してとっておいたのはいいのだけれども、予想以上にバタバタで合間を縫ってちょっとずつ読み進むみたいな感じになってしまいましたよ。
勿論本作もこれから読まれる方のためにも余計なことは書かずにおきたい。それでも未読の方は僕の記事のみならず、アマゾンの商品紹介やその他の書評はもちろん、本の帯なんかも出来れば目をつぶって本編に入られたい。
ほんとこの帯は余計だっつの。いらない詮索までしちゃったよ。
だから未読の方はこっから先は読み飛ばしましょう。
最初の舞台はジブラルタル。表紙の写真だ。しかしこれは島の東側。ポールが宿泊しているホテルも物語が進むのも島の反対の西側だ。写真に聳え立つのは今でも登攀不能な断崖のある東側で、ホテルと名のつくものは一軒しかないみたいだ。ではどうして東側の写真を使ったのか。絵にならないからかな?
しかしロックについて説明するのには丁度いい。表紙に写っている断崖がロック。標高426m、一枚岩でできた山だ。ジブラルタルの岩とか、ターリクの山とも呼ばれている。これは今から500万年ほど前に、アフリカ大陸とユーラシア大陸がぶつかった際に深い地層から地表へと隆起してきたものらしい。しかもこの隆起の際にこの岩は天地が逆転したらしい。通常古い地層が下にある訳だが、この岩は上にいけば行く程古い時代のものになるのだそうだ。
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ジブラルタルの渓谷によって堰きとめられていた大西洋は温暖化に伴う海進により破れ、深い谷になだれ込んだ大量の海水によって地中海が生まれた。谷底の淡水湖を囲んで暮らしていた人々はちりじりにヨーロッパ大陸へ逃げ延びた。この出来事が旧約聖書にも残る洪水伝説の由来になったらしい。
地中海のまさに入り口そびえこのように大変古い歴史を持ったこの大きな岩には100を超える洞窟、なかにはネアンデルタール人の遺構もあるのだそうだ。
また領土としてのジブラルタルはスペインの端っこにある南北に5km、幅は1.2kmほどごく小さな半島。これがイギリス領となったのは1704年。ローマ帝国、ムーア人、スペインと支配者を変えてきたこの場所をイギリスがスペインから奪還、以来イギリス海軍の要衝の地となった。
複数の大戦を通じ要塞化されてきたロックは難攻不落で、克服不能かつ不動の人物や状況を指す「堅きことジブラルタルの岩の如し」という言葉が生まれた程で、つまりジブラルタルはイギリスの伝統的な誇りと威信、スペインからは根強い返還の声という地政学上複雑な問題を孕んだ場所でもある訳なのだ。
このジブラルタルのホテルに滞在しているのはポールという偽名を纏ったイギリス外交官職員の男。設定では2008年らしい。ポールはある日なんの前触れもなく管轄大臣に呼び出されこの任務を引き受けることとなったのだ。
「するとだ、私があなたにどうかと思っているきわめてデリケートな任務に、祖国を計画的に攻撃する手段を敵のテロリストから奪うことが含まれていたとしても、あなたは即座に部屋から出ていったりはしないということだな?」
しかし振り返ると彼は任務のその具体的な内容や目的もロクに知らされないまま、偽装を施されてジブラルタルに飛ばされてきたのだった。
そして彼が向かわされるのはクィーン・ウェイ・マリーナが見下ろせるアッパーロック、西側斜面にある自然保護区のなかにある古い防空壕のなかに開設された今回の特殊作戦のためだけに設けられた中継基地だった。
HVT、高価値ターゲットとされているのはアラディンと呼ばれる混血のポーランド人。作戦実行の地がジブラルタルで想定外の事態となった場合、複雑な問題を発生させる事になることに加えて、作戦の目的がまた厄介なのだった。
「アラディンは基本的に人種混交のポーランド人だ。国籍はレバノンだ」
「われわれのリーダーだけがつかんでいる確かな情報によると、問題のマンパッズは、より大きな販売品目の一部だ。ほかに最新鋭の対戦車ミサイル、ロケット推進擲弾、暗黒世界の国の在庫から流れてきた最高級ブランドのアサルト・ライフルがある。かの有名なアラビアのお伽噺にあるとおり、アラディンは砂漠に財宝を隠しているのだ。だからその名がついた。取引が成立したとき---成立したときにだけ---落札者に宝の在処を教える。今回はパンター本人にだけ知らせるということだ。アラディンとパンターの話し合いの目的は何か?取引の細かい条件、金での支払い方法、そして引き渡しまえの最終検品について決めることだ」
マンパッズ(MANPADS)とは携帯式地対空ミサイルシステムの頭文字をとったもの。今回の特殊作戦はアラディンが取引相手パンターと呼ばれるテロリストとこのジブラルタルで会合を持つという情報に基づき仕組まれたのだった。
しかし作戦はアラディンの想定外の行動によって急展開をはじめ、現場では難しい判断が求められていく。
本書はル・カレの最も英国的な小説であるとともに自叙伝的要素が含まれていると述べているようだ。ジブラルタルの地勢的な問題など背景がわからないと読み解けない部分もいろいろあるのではないかと思う。僕も当地の事なんて殆ど知らなかった。勿論読後にネットで調べてわかったことばかりだ。
アメリカとイギリスとの間の条約の問題なども2008年という時勢で想起される状態というものがあるのだろうと思うのだが、アブグレイブ刑務所の事件や、ゲイリー・マッキノンのハッキング事件、そしてジョルジュ・アサンジの事件を巡る問題などを斜め読みして理解したつもりになるしかない感じだ。
しかしそれでもル・カレのまるで花が開花していくように物語が広がっていく手練手管は息を呑むものがある。そして最後に全体像がつかめたところで投げ付けられてくるものの重さと冷たさは近年のこれまでの作品を凌駕する。ル・カレ初挑戦の方は心して手にされたし。一度知ってしまったら後戻りは出来ない。
ル・カレにおかれましては、末永く健康で引き続きこのような作品を我らにご提供くださいますよう強く祈念させていただきたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
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